Twitter
社による説明によれば、利益のほとんどは、広告収入だということになっています。
ツイッター社とはいったい、どうやって利益を確保しているのか。
公表されている投資家向けの資料などによれば、この会社は、創業以来赤字を続けてきており、累積赤字は2017年6月末で、約3034億円ということになっています。
では何で事業を存続できるのかと言えば、この会社に対する投資家の期待値が非常に高く、投資のお金がたくさん集まっていること、その資本金によっていくつかの事業体を買収して、そちらからの利潤があるということです。
なぜ、赤字の会社に投資のお金が集まるのか。
これはひとえに、この会社が囲いこんだ潜在顧客の膨大な多さを、爆発的な増加率によっている。
本業で赤字にもかかわらず、この会社は無料で、コミュニケーションの場を提供しており、誰でも自由にその場を使って情報発信ができる。
会社側から見れば、この会社が無料でコミュニケーションの場を提供しているのは、潜在顧客を集めるための方法でしかありません。もともと、それがどのような性格を帯び、どれほどの公共性を獲得し、社会にどんな影響を与えるのかについて、大きな興味は持っていなかったはずです。
とにかく、顧客を集めろ!ですね。
でも、それを続けていたら、巨大な公共空間のようなものが出来上がった。
しかし、あくまでもこの場の主催者は、いち私企業であり、この場の使用に関するルールや運用に関しての権限はこの会社に属しているということが、言おうと思えば言える。しかし、この会社の経済的基盤である、企業価値を保証しているのは、この場を自由に出入りしているユーザーがいるからこそなのです。だとすれば、ユーザーと、主催者たるTwitter社は相補的な関係にあるわけで、一方的にユーザーに対して、お前はフリーライダーなのだから、いやなら利用しなければいいだけだとも言えない気がします。
ツイッター社のビジネスモデルは、一時期流行した、いわゆるシリコンバレーモデルで、収益とか、商品とか言う前に、とにかく顧客を大量に囲いこんで、顧客データを集積すれば、広告媒体としての価値が生まれるというわけです。
駅前でティッシュ配って集客するキャバクラと基本は同じで、顧客に対して無料サービスを提供して、顧客を集める。集まった顧客の情報が商品であり、この場合の本当の顧客は、マーケティング情報が欲しい企業や、場合によっては政府機関、自治体ということになるのかもしれません。
世界で数億人が利用している、ツイッター空間は、確かに公共空間という側面を持っており、これを公共空間として確かなものにしていこうという努力も、さまざまな形で行われているようですが、わたしは、やはりこれは私企業が収益のために作り上げた仕掛けであるということも忘れてはならないと思います。
そのうえで、今回の事件は、ツイッターという、私企業が運営する公的空間という矛盾した存在を見直してみる良い機会だったのではないかと思っています。