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もう16年。。。大ちゃんの死から、暗く、光が見えていなかった日本レース界に、再び輝いた光大ちゃんが果たせなかったWGPチャンピオンまで、きっと届いてくれると、日本中が期待していた星ほんとうに、ショックでした。。。いまでも、あの多重クラッシュのシーンは見れません。。。そして、、、新しい光も。。。どうしたら、事故が減るのでしょうか。。。。富沢祥也、レース中に事故死 (Moto2) 【 F1-Gate.com 】ロードレース世界選手権Moto2クラスに参戦する富沢祥也選手が、第12戦サンマリノGPでの決勝レースで事故に遭い、救急車で病院に搬送されたが死亡した。富沢祥也は、4位を走行中に転倒、後続のアレックス・デ・アンジェリスとスコット・レディングと接触。リッツィオーネの病院に搬送されたが、14時20分(現地時間)に死亡が確認された。享年19歳。富沢 祥也 (とみざわ しょうや、1990年12月10日 - 2010年9月5日)は、千葉県旭市出身のオートバイレーサー。2008年の全日本ロードレース選手権250ccクラスシリーズ2位。2009年から2010年までロードレース世界選手権に参戦した。 リンク: https://plaza.rakuten.co.jp/hkages/diary/202309050001/--------------------------------------------------タイトル: 【訃報】意識不明の23歳ライダー、谷本音虹郎が亡くなる。全日本ロードJSB1000の決勝中に事故文字数 (置換後): 3328 文字本文 (HTML - 置換後): 8月20日の事故から、ずっと頑張っていた谷本音虹郎選手が、旅立ってしまいました。。。まだまだ23歳。。。これからなのに。。。早すぎます。。。本当に悲しすぎます御冥福を、お祈りいたします。。。【訃報】意識不明の23歳ライダー、谷本音虹郎が亡くなる。全日本ロードJSB1000の決勝中に事故9/5(火) 11:35配信オートスポーツweb谷本音虹郎(Team TATARA aprilia) 9月5日、Team TATARA apriliaは2023MFJ全日本ロードレース選手権シリーズ第5戦もてぎ2&4レース JSB1000クラスの決勝レースでクラッシュを喫した谷本音虹郎(たにもとおとじろう/Team TATARA aprilia)が亡くなったと発表した。23歳だった。【写真】谷本音虹郎(Team TATARA aprilia) 栃木県のモビリティリゾートもてぎで、8月20日に全日本スーパーフォーミュラ選手権と全日本ロードレース選手権が、もてぎ2&4レースとして行われた。全日本ロードJSB1000クラスの決勝レースでは3周目にホームストレートエンドで谷本がクラッシュを喫してしまう。 大きな事故となってしまい、谷本はすぐに救急車でメディカルセンターに運ばれて、ドクターヘリで獨協大学病院まで搬送された。そして、同日16時30分に「首の骨折の疑いで意識不明の重体」だと警察が発表した。 その後、意識不明の状態が続いていたが、9月5日0時25分時に谷本が逝去したとTeam TATARA apriliaが発表した。 発表されたプレスリリースは以下の通り。INFORMATION 2023年9月5日谷本音虹郎がレース中のアクシデントにより逝去Team TATARA Apriliaから全日本ロードレース選手権シリーズJSB1000クラスに参戦していた谷本音虹郎がレース中のアクシデントにより9月5日(火)0時25分に逝去いたしました。享年23歳。故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせいたします。8月20日(日)に開催されました全日本ロードレース選手権第5戦もてぎ2&4レースのJSB1000クラス決勝、3周目の1コーナーでアクシデントは発生。レースは中断され谷本は、すぐにドクターヘリで栃木県・獨協大学病院に運ばれ治療を受けました。その後、意識不明の状態が続いていましたが還らぬ人となりました。ご両親のコメント8月20日の決勝中にアクシデントに遭い、約2週間、音虹郎は頑張りました。オートポリスラウンドで音虹郎のステッカーを貼って走ってくださった選手の皆さまを始め、応援してくださった全ての皆さまにお礼を申し上げます。また、私たち家族に対してもお気づかいいただき感謝申し上げます。井上哲悟チームマネージャーコメントただただ残念という言葉しかありません。今シーズン開幕戦で代役としててチームに加わってくれた谷本音虹郎選手。その走りと人柄もあり、後半戦も引き続き走ってもらうことになった矢先のアクシデントでした。この2週間、いろいろな形で音虹郎を応援してくださった皆さまに感謝申し上げます。そしてチームにもお気づかいいただいた皆さまにお礼申し上げます。葬儀につきましては決まり次第、お伝えさせていただきます。谷本音虹郎(タニモト オトジロウ)2000年6月23日生まれ 佐賀県出身2018年 MFJカップ JP250 NATランキング23位2019年 MFJカップ JP250 INTランキング2位2020年 全日本ロードレース選手権ST1000クラスランキング17位2021年 全日本ロードレース選手権ST1000クラスランキング24位2022年 全日本ロードレース選手権ST1000クラス参戦2023年 全日本ロードレース選手権JSB1000クラス参戦[オートスポーツweb ]【訃報】もてぎ2&4レースJSB1000の決勝中の事故で意識不明だった谷本音虹郎が亡くなる/全日本ロードhttps://t.co/8v05Sv9hfS #全日本ロード #全日本ロードレース #JRR #JSB1000 pic.twitter.com/EqHyj8YpBj— autosport web/オートスポーツweb (@AUTOSPORT_web) September 5, 2023 音虹郎が亡くなりました。皆様、本当にありがとうございました。#谷本音虹郎 pic.twitter.com/23qFoIHY14— Masahiro Shinjo 新庄雅浩 (@MasahiroShinjo) September 4, 2023 谷本音虹郎選手が旅立たれました。これは5年前にディレクターとして制作した番組のシーンです。優しさと才能が光るライダーでした。危険な状態とレース後に聞かされました。彼の命を救おうと治療に尽力された医療従事者の皆様、ありがとうございました。心からご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/391EGbuNHy— Hiroshi TSUJINO 🎤 (@hiroshitsujino) September 5, 2023 番組の制作ありがとうございました。心に残るレースでした。音虹郎くん、安らかに。向こうでも優しく素敵な笑顔でね。寂しくなります。 https://t.co/m93NBfa61c— AKANE#15 (@tyu1511) September 5, 2023 音虹郎が旅立ってしまいました。音の頑張りが九州のライダーを後押ししてくれたと思います。オートポリスまで一緒に頑張ってくれてありがとう!あっちでレースしたくてうずうずしてるライダーもいるだろうから、いいレースしてほしい!御冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/bAbWrI5ww5— 岩戸亮介 Ryosuke Iwato (@ryosukeiwato) September 5, 2023 音虹郎選手はJP250のころとても光る走りで速くなるだろうなと思ってました。今シーズン毎戦速さを増す姿を見てやっぱりなと思ってました。こういうライダーを走らせてみたいと思わせる、素晴らしいライダーでした。心よりご冥福をお祈りします。 https://t.co/pJgOprutM1— TONE RT SYNCEDGE4413 BMW (@syncedge4413) September 5, 2023 【訃報】谷本 音虹郎 選手を悼んで https://t.co/yhTkPWfbGO #レース情報— 日本モーターサイクルスポーツ協会-MFJ (@MFJoffice) September 5, 2023 INFORMATION【訃報】谷本 音虹郎 選手を悼んで2023年09月05日去る8月20日 モビリティリゾートもてぎで開催された「MFJ全日本ロードレース選手権第5戦もてぎ2&4レース JSB1000クラス」で負傷した谷本 音虹郎選手は 回復に向け懸命に闘っておられましたが9月5日帰らぬ人となりました。この悲報に接し、生前のサーキットでの雄姿が思い起こされ胸が痛みます。故人、そして故人の回復を信じ願ってきたご家族、友人、関係される皆様に心から哀悼の意を表します。一般財団法人日本モーターサイクルスポーツ協会会長 鈴木 哲夫「谷本音虹郎」その耳に心地の良かった名前がもう実況から聞こえて来ないと思うと寂しさが込み上げてきます。「谷本音虹郎」その響きを皆忘れる事はないでしょう。楽しませてくれて有難うございました。ご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/XAlNullvIV— hiRotO (@photohiroto) September 5, 2023
2026.09.05
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今日は沼田 憲保さんの命日ですね。もう、19年。。。Suzuki乗りの私にとって、ガンマでの優勝は、本当に嬉しかった。ずっと、心の中のヒーローです。私が沼田さんの訃報を聞いたのは、二日後でした。そのときのブログ記事です。このさらに二日後、SUZUKI MEETINGで、GK71B CLUBのクラブ紹介のときに、沼田さんの訃報を紹介し、沼田さんがどれだけ偉大なSUZUKI乗りだったかを、紹介させていただき、皆で御冥福を祈りました。Sep 6, 2007 追悼沼田憲保さん愛知のひろゆきさんと電話でお話していて教えていただきました元全日本250チャンピオン、SUZUKI Γでの全日本連覇を勲章に250cc参戦していなかったSUZUKIでのWGP参戦最近はYAMAHAでのエントリーが多かったですが、鈴鹿8耐や、全日本600での健闘を目にしたばかりでしたこの前の日曜日もケーブルの全日本で元気な姿を見て、岡田さん、イトシンだけでなくバイクブーム時代のチャンピオンが、まだまだがんばってるなと、応援しておりました。SUZUKI大好きな私のなかでは、Γで世界に出て行く日本人という、レース史の中でも非常に印象に残る方で、尊敬しておりましたし、ヒーローでした明日お通夜、スズキミーティングのある9/8に告別式とのことですご冥福をお祈りいたします練習中 二輪プロレーサーが事故死 4日午前10時50分ごろ、岡山県美作市滝宮の岡山国際サーキットで、練習走行中のプロレーサー沼田憲保(本名高橋憲保)さん(41)=千葉県流山市松ケ丘4丁目=のオートバイ(600CC)がタイヤバリアーに衝突。沼田さんは胸を強く打ち間もなく死亡した。美作署の調べでは、沼田さんは午前9時すぎから走行。ヘアピンカーブを曲がりきれず、壁のように積み上げられたタイヤに衝突した。サーキットーキットは1周約3・7キロで、事故当時は沼田さんを含め10台ほどが練習中だった。沼田さんは29日から同サーキットで開かれる全日本ロードレース選手権シリーズ第6戦に参戦予定だった 沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日 - 2007年9月4日)は、茨城県日立市出身のモーターサイクル・ロードレースライダー。雨天でのレースに強く、「雨の沼田」の異名をとった。デビュー~全日本時代1988年にSP250クラスでデビュー。ノービス時代は、ミラージュ関東に席をおき、1990年のSUGO選手権では3クラスでチャンピオンを獲得した。翌年に特別昇格で国際A級ライセンスを得ると、スズキワークスのRGV‐Γ250開発兼任で全日本ロードレース選手権250ccクラスにフル参戦を開始した。原田哲也・岡田忠之・青木宣篤ら強豪がひしめく中、まだポテンシャルの低かったマシンで苦戦を強いられ、初表彰台(3位)に立ったのは1992年第3戦だった。原田らがロードレース世界選手権に進出した1993年には第9戦で初優勝するも、マシンの性能差や宇川徹の台頭などがありランキング5位で終わる。1994年にはランキング2位、1995年には翌年ロードレース世界選手権参戦が決定していた宇川を退けクラス・チャンピオンの栄光を掴んだ。1996年には、加藤大治郎や芳賀健輔との争いを制し連覇を成し遂げた。世界グランプリ時代スズキは1997年からロードレース世界選手権GP250での参戦を決定し、アリー・モレナー・レーシングのエースライダーとして沼田もフルエントリーされた。サーキットのデータ不足やマシンの性能差は彼を苦しめ、2年で沼田は撤退。再び全日本へ1999年、活躍の場を4ストマシンに切り替えた。同年から5年連続で鈴鹿8時間耐久ロードレースにエントリー。2004年から全日本ロードレース選手権ST600クラスにフル参戦し、第3戦では雨の筑波を制して8年ぶりに優勝。後進の育成にも積極的で、ライディングスクールの講師役なども務めていた。2007年9月4日、岡山国際サーキットで練習中にタイヤバリアに衝突、胸などを強く打ち胸部破裂で急逝した。41歳没。孤高の戦士 沼田憲保(ぬまたのりやす)は2年連続全日本チャンピオンのガンマ使い!スズキの至宝!沼田憲保はΓ使いの本格派沼田 憲保(ぬまた のりやす、1966年4月26日生まれ)茨城県日立市出身のオートバイレーサー。沼田選手は、1995年、1996年と2年連続の全日本ロードレース国際A級 GP250ccクラス全日本チャンピオンです。スズキのマシンRGV-Γ250を駆り、全日本を暴れまわりました。沼田憲保選手についてミラージュ関東出身。雨天でのレースに強く、「雨の沼田」と呼ばれました。1988年 ロードレースデビュー 22歳なのでまわりとくらべると遅いスタートでした。参戦クラスはSP250。1990年 SUGO選手権で3クラスを制する3冠チャンピオンとなる。1991年 国際A級に特別昇格 全日本GP250ccクラスへフル参戦この年からスズキワークス入りの大抜擢RGV-Γ250の開発兼ライダーとなるその後、1992年 初表彰台、1993年 初優勝、1994年 ランキング2位と着実にステップアップしていき、1995年にはついに全日本チャンピオン、1996年も2連覇を成し遂げます。1996年からは世界グランプリに舞台を移しますが……。沼田選手の主な戦績 戦績1990年 SUGO選手権でSP250、NB-F3、NB250の3クラスでチャンピオン1991年 全日本選手権 GP250 ランキング14位1992年 全日本選手権 GP250 ランキング9位(初表彰台)1993年 全日本選手権 GP250 ランキング5位(初優勝)1994年 全日本選手権 GP250 ランキング2位1995年 全日本選手権 GP250 全日本チャンピオン1996年 全日本選手権 GP250 全日本チャンピオン(2連覇)1997年 世界選手権 WGP250 ランキング12位1998年 世界選手権 WGP250 ランキング16位1999年 世界選手権 WGP500 ランキング29位 Muz Weber 8時間耐久に参戦2000年 スーパースポーツ世界選手権 ヤマハ 8時間耐久に参戦2003年 スーパーバイク世界選手権 ドゥカティ 8時間耐久に参戦2004年 全日本選手権 ST600 ランキング4位 8時間耐久に参戦2005年 全日本選手権 ST600 ランキング6位 8時間耐久に参戦2006年 全日本選手権 ST600 ランキング23位2007年 全日本選手権 ST600 ランキング11位(第5戦終了時)RGV-Γ250で闘う沼田憲保選手(動画)▼▼▼1994年SUZUKI全日本ロードレース情報(RGV-Γ250) ▼▼▼1994年の全日本GP250ccクラス第10戦 菅生サーキット ▼▼▼1996年の世界選手権日本GP鈴鹿ROUND沼田選手はゼッケン#52のラッキーストライクスズキ号です。削除されていたらごめんなさい。孤軍奮闘スズキのマシンRGV-Γ250での参戦は、開発とレースの同時進行。沼田選手はその両方を一手に任されて、孤軍奮闘の様子でした。しかも当時のライバルたちの顔ぶれときたら……マシンで言うなら、NSR250、YZR250。ライダーで言うなら、宇川徹や加藤大治郎、芳賀健輔といった強者達を退けてのチャンピオンには相当な価値があるように思います。世界選手権参戦の苦労アリー・モレナー・レーシングチームのエースライダーとして、世界選手権のワールドグランプリに行ってからも、ますます苦労されていたように思います。マシンの開発や熟成度の差だけではなく、ホンダNSR250やヤマハYZR250には長年積み上げてきたデータなどもあり、セッティング出しなどについてのアドバンテージも相当大きかっただろうと思います。若井伸之選手が生きていたら随分違ったのかもしれません。そう思うと、もっと活躍して良かった選手なのだろうと思います。全日本復帰後の沼田選手2004年からロードレース全日本選手権に復帰。しかし、2007年9月4日、岡山国際サーキットで練習中にタイヤバリアに衝突、胸などを強く打って急逝した。享年41歳。惜しい人を亡くしました。RACERS, Vol.25, RGV‐Γ250 (サンエイムック) ムック – 2014/1/24大塚 克 (イラスト)バイクのおっさん5つ星のうち4.0 孤高のライダー2014年1月30日に日本でレビュー済みAmazonで購入多くのマシンがエントリーし、豊富なデータを持つホンダとヤマハに立ち向かっていった沼田選手とⅤガンマ。「スズキさん、もう少しなんとかしてやってよ!!」と当時は気をもむことが多かったことを思い出します(いまでもか)。才能ある日本人ライダーが次々と輩出されながらも、若くしてこの世を去った選手も少なくありませんでした。読んでいて、「そんな時代だったなあ」としみじみとしました。Harry素晴らしい内容です2014年6月24日Amazonで購入2スト全盛の記事と、沼田憲保選手の生き様がよくわかります。楽しい時代だったことを思い出しました。 池上 豊やっぱりいいですね!2014年3月7日Amazonで購入RACERSはいいですよね。1台のマシンに対する開発担当者さんたちの熱い思いや経緯などが明確に理解できるので当時、応援して若かりし自分の気持ちがあらためて湧いてくると言おうか・・・。とにかくイイですね!motorcycle-freak沼田憲保選手の話を聞きたかった。その一点だけが惜しまれる。2014年1月25日沼田憲保選手は、このRGV-γ250を駆り、全日本ロードレース選手権の1995年、1996年と連覇を成し遂げました。しかしスズキはマシンの進化を1996年で止めてしまい、1997年、1998年と、スズキと共に世界に出た沼田選手は世界で活躍する事は出来ませんでした。ホンダ、アプリリア、ヤマハの牙城に開発が止まったマシンで挑む。だけどRGV-γをここまで育て上げた沼田選手はスズキにこだわり、わずか二年で世界GPから撤退しました。1995、1996年当時の全日本ライダーと言えば、宇川徹選手、加藤大治郎選手、難波恭司選手、宮崎敦選手、芳賀健輔選手、松戸直樹選手、本間利彦選手、亀谷長純選手と、そうそうたるメンバーが揃っていました。その時代の全日本でチャンピオンになった沼田選手は、確かに世界に相応しい実力を持っていました。そしてスズキは1998年を持って250から撤退。沼田選手はそれだけの才を持ちながら、フル参戦GPライダーとしての道を閉ざされてしまいました。そして2007年9月、テスト中の事故で急逝。岡山国際サーキットのバックストレートエンドのヘアピンでオーバーラン、タイヤバリアに衝突して亡くなる、という世界レベルのライダーとしてはあり得ない形での逝去でした。一つの時代の頂点を極めたけれどメーカーの思惑に振り回されてしまった不運の天才、沼田憲保選手と、彼が駆ったRGV-γ250を解説した本です。このマシンの開発が止まらず、続けられていたなら、と思わさせられる高い完成度と、美学と理念のある設計。しかしスズキはこのマシンの改良を止めてしまった。「ミスター・RGV-γ250」と呼ぶに相応しい唯一のライダーである沼田選手の当時のストレスや不満は、戦い、勝つことを本能として持っているライダーにとってどれほど不本意であったのか。自分が作り、磨き、輝かせたRGV-γ250への熱い思い入れがビシビシ届く一冊です。最後のページ。沼田選手の奥様、高橋亨子さんのお言葉が涙を誘います。勝つ事に懸命で、誰より負けず嫌いで、実直で熱い。沼田憲保、という才能を生かし切れなかった日本のロードレース。今、世界に出たくても出られないライダーの悔しさ、悲しみ、怒りを誰よりも知れる人物であったかも知れません。マシンも人も「もったいない!」と強く思わされる一冊です。間違いなく強かった。間違いなく輝いていた。当時のレースが好きで、レプリカに乗っていた人にとっては必読の一冊です。RGV-γ250をこれ以上詳しく、真剣に紹介する本は今後も出ないと思います。Amazonのお客様 懐かしさと感動をもう一度。2014年1月29日レビューと言うほどのものじゃないですが…当時高校生だった私はTV放送など見てレースの世界に興味を持ち、TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)へ一人で見に行きました。その時に「あの赤いマシンは何て言うんだろう?すごくカッコイイ!」そう思ったのがRGV−γと言うバイクでした。もちろん、当時は選手の名前すらわかりませんでした。ただトップ争いをしていた赤いバイクがとても印象的でした。そして新型RGV−γSPが発売、後日ラッキーストライクカラーが限定発売されました。それはまさに私がカッコイイと思ったバイクそのものでした。お店にカタログをもらいに行き、その写真に写っていたのが沼田憲保選手でした。もう迷うことなく買いました。沼田選手に憧れ、ガンマに乗る。ただそれだけで楽しかったのです。この本を買ったのは懐かしさだけでなく、実際どんなストーリーがあったのか知りたくなったからです。当時のレースの激しさや開発に関わる話など、読んでいて感動しました。自分が買ったガンマはこの人たちがいたからこそあったんだと。今思えばガンマをもっと大事にしておけば良かったです…そう思えた一冊です。私の思い出の本として大事にしたいですね。追記一度だけ沼田選手にお会いしたことがあります。その時はもうヤマハの沼田選手でしたが、明るい人だなって印象でした。そんな沼田さんが急逝したという日が奇しくも私の誕生日でした。毎年誕生日には思い出します。「あなたは私の憧れの一人です…」と。youichi夭折された全ての天才ライダーに祝福を。2014年2月5日昨年 2013年の春に長らく所有していたVJ23A RGV-ΓSPを手放した僕ですが、この本は発売と同時に手に入れました。内容は非常に濃く、大変満足です。沼田選手やワークスΓ250の栄光や悲運は、他の評者が詳しくされているので、控えますが下記URLの動画も本誌と一緒にご覧いただけたら、楽しめるかと思えます。www.youtube.com/watch?v=Hsr_ixMFBTQ夭折された全ての天才ライダーに祝福を。くーちゃん目から鱗2014年2月19日各ワークスマシーンには莫大な開発費をかけて造ったオリジナリティーがありますが、メインフレームであり、Vバンク角であり、排気デバイスであり・・・各マシーンそれぞれにオリジナイティはもちろんありますが、何か特別に興味を持つまでの内容はありませんでしたが・・・が、このV-Γに関しては『ヘッドの捩じれ』という当方には初耳の工夫が!!!まさに"目から鱗"的な驚きでした。旋回時のロードクリアランスの確保はもちろんのこと、エンジンを中心としたマスの適正化など。現在、4輪のハスラーが大人気となっておりますが、(初期のCTワゴンRもそうですが)レースの世界、一般市販車問わず、スズキの開発人の素晴らしいアイデア力、思考力を感じ取る事が出来たのも事実です。最後になりましたが、若干戦闘力の劣るマシンでゼッケン①を勝ち取った沼田選手のライディングも開発力も素晴らしかった事がよくわかる記事内容でした。
2026.09.04
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