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平成29年12月29日(金) 午前4時起床。晴れ。朝のうちは無風でした。朝ご飯の前に野良着を纏いました。朽ちた椎の輪子に火をかけました。3時間ほど燃やしたでしょうか。風が吹き始めました。水道のホースを引っ張り、消しました。午前は棚に一杯のCDを段ボールに詰めて屋根裏に上げたり、雑誌を整理して始末したり。その後、息子に貰ったwifiのルーターを旧式のものから取り替えました。少しスピードが上がった感じがしました。よし、これで言いつけられたことは終わりだぞ。もうなにもしないぞ。「あなた、今日の昼はお餅にするわ。焼いて頂戴」熾火を十能で掬い、手炙りに移しました。フッフッフ、猫舌のお前には無理だよ。 いい感じに焼けました。あんこ餅です。美味しい。隣のおばちゃん特製です。田舎です。まだこんなものを手造り。 解放された午後、さてと、山に行くか。軽トラにチェーンソーを積みました。今日は波越向け。親方に、樫の丸太をやるとの連絡を貰っていたのでした。途中、Mのおいさんが火を焚いているところに行き遇わせました。親方も一緒でした。「ほら、おまいにやるわい」キャベツを3玉貰いました。拙宅のは未だ巻かず。嬉しかったです。 暫し立ち話を。Mさん、私は59ですがお幾つですか、そう訊きました。おいさん曰く「87よ。あと5年しか生きんわい。心臓ぁおまい、風船の手術を2へんしちょる、石も上ぃ5つ、下ぃ5つあるわい、正月明けぃ手術よ、えっ、年越しん夜ぃ何ぅするんかっち?早仕舞いして蒲団ぅひっ被って寝るわい、テレビは見らん、天気予報だけじゃぁ、ラヂオを聞くんがいいわい、酒ぁ飲まん、30で止めた、飲みよるくみぁ長生きぅしぇんわい、煙草ん練習もしたけんどいけんかった、ほいたら山ぃ行ってこいの」Mさん、今日は手土産がなくて御免な。次は何か甘いものを持ってくるよ、そう言いおいて山の中へ。 切り出しに到着。親方がどうだ!と自慢げでした。樫の丸太です。薪ストーブ愛好家の涎を促す逸品です。 早速エンジン全開。1/3を終えたところで軽トラが満車になりました。帰ろうかと思いましたが折角です。残りを全部玉切りました。こうしておけば乾燥が進み、少しは軽くなる。明日、時間に余裕があれば来よう。しかし、それにしても寒い。加えて年の瀬、29日です。人気のないこともあって杉を揺らす北風が身に凍みました。 作業の途中、幹に穴を見つけました。 あっ、出てきたぞ。カミキリムシかと思いきや、でした。すまんのう、冬眠中を起こしてしまって。どうするのか見ていたら、切り屑の中へ潜り込みました。 チェーンソーを回していたら、また親方がやって来ました。「あんちゃん、年賀状がまだ済まんのよ。宛名印刷が行かん。どげーなっちょんのか、みてくれんかの。しかし、無理じゃーわのぅ。戻ってそるーおろさんといけんきーのぅ。しもうた。キャベツぅやる前ぃ声ぅ掛けるんじゃった」 もう午後4時でした。拡張子を変たらうまくいくかも、そう伝え、バイバイしました。 真っ直ぐ帰宅。途中妻からTELあり。千両を穫って帰るように、との指示でした。暗くなり始めた山中に戻るのは願い下げ。明日にしてよ、そう言いました。 帰宅して樫を下ろしました。生木は重い。疲れました。妻は陽の傾いて猶大掃除中。自分で湯を張りました。NHKFMクラシックリクエストを聞きながら浸かりました。ぼんやりがいい感じでした。頭を拭いて、ふなぐちを抜栓。これ、6パック購入しました。なかなか減りません。忽ちいい気色。夜はモツ鍋でした。親方にもらったキャベツが蕩けるようでした。今日の一句晦の山に吹く風鳶の舞う今日のランなし今日の酒ふなぐち5勺 土佐鶴5勺 白波1合今日の写真は前掲の写真をトリミングしたものです。これ、東山魁夷の色合いです。
2017年12月29日
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平成29年12月10日(日) 午前4時起床。晴れのち曇り。午後遅く、少し時雨れました。 午前8時前、寝坊の妻が起きてきて朝ご飯。「あなた、今朝の味噌汁はインスタントよ」 これが出てきました。ん? お湯をかけて崩しました。 おおっ、確かに味噌汁だ。市販のインスタントものに比べ、上品の味がしました。これ、京都・花点心という代物です。お茶漬けや吸い物もあるようです。さて、今日は何をしようか。スナップエンドウ、寝たままでは霜にやられます。支柱を立ててあげないと。そう思いながらも腰が重い。やっぱり山仕事の方がいいや。彼女にそう言い置いて、地下足袋を履きました。チェーンソーを積んで出発。今日はNikonの一眼を持ちました。写真はそれで撮した江国寺前の堅田川、鴨の図です。装着はNIKKOR18~300。コスパのよいのが売りのレンズです。 おっ、やってるやってる。早くも玉切っている。昨日倒した丸太です。声をかけたら振り向いて手をあげました。古希を過ぎているとはとても思えません。彼の若さ、秘訣はノンアルコールです。酒を飲めないんです。反対に酒飲みは長生きをしません。周りを見て、だいたいその傾向にあります。私、少しずつ減らしていかなければ。(解ってはいるのですが) どうですか、この仕事ぶり。倒したのは私ですが、後の始末は全部彼です。枝打ちや一所に寄せて積むのも独りで、です。 今日は手伝いませんでした。山奥の林道、某所に樫を置いている、それを持ち帰れ、という話をもらっていました。親方にサヨナラを言い、奥の院へ。それを積みました。道端なので、作業は楽でした。 そのまま帰宅。昨日、桜などを始末した後の輪子に並べました。 午後はペッカー(小型のエンジンチェーンソー)で、以前に持ち帰っていた500ミリのペットボトル大、乾いて其の儘にしてあった薪を始末。40cm程度の長さに玉切る作業でした。途中、父がやって来、柿や梅の枝打ちをせよ。指令が出ました。老父の頼みは二つ返事で引き受けないといけません。そうしました。結局、地下足袋を脱いだのは午後4時半。途端、終日吹いた南西の風がピタと止みました。打った枝を焼こうか。迷いました。しかし、止めました。襤褸を脱いで風呂へ。昼過ぎにコーラスの合同練習へ出掛けた妻は未だ帰宅せず。プレモルをプシュッ。田苑のお湯割りを飲んでいたら、父がぶらり、トラの頭を撫でにやって来ました。耳が遠いので世間話が難儀です。彼の好きな陳舜臣を出してあげました。数年前、箱買いしたもの2函でした。目が輝きました。陳は多作です。読んでいないものがかなりあるようでした。「死ぬまでに全部読めるかのう」言葉の意味とは裏腹、嬉しそうな声色でした。追っかけ、その箱二つを家に届けました。夕食は、妻が帰って来、皿うどんをこさえてくれました。パリパリ麺に熱々の餡がかかっていました。美味しかったです。今日の一句京風味都を落ちて此処に咲く今日のランなし しばらく走っていないな今日の酒プレモル1缶 焼酎1合 冷酒5勺今日の写真、毎度のトラです。人見知り。父に「おいでおいで」をされて心眼。
2017年12月10日
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平成29年12月9日(土) 午前4時起床。晴れ。毎日ではありませんが、起きがけの珈琲を楽しみます。今はアバンス徳用キリマンブレンドというのを淹れています。何かの雑誌に美味しいと載っていました。500g720円送料無料。確かにコーヒーの味と香りです。でもいっぺんに500gは多かったです。100g単位で買うに如くはなしです。あー、ランブルの香りが恋しい。ランブルとは、佐伯のまちにこれも「過ぎたる」喫茶店です。東京・銀座の同名喫茶店で修行、暖簾分けです。折り紙付き。店は会社近くにあります。週が明けたら豆を買いに寄ろうかな。そうだ、ウィンナコーヒーを1杯飲むのもいいな。ん?横でトラの野郎があくびをしました。お前は面白くないわな。酒も飲めないし、珈琲の香りも判らない。可哀想に。よしよし、今日も鯵を買ってやるからな。 朝ご飯を済ませて午前8時、地下足袋を履きました。父の家、庭の蹲いに薄く氷が張っていました。寒かったです。 チェーンソーの刃を研ぎました。それを軽トラの荷台に載せ、波越向け。写真は津志河内から堅田川の堤防越し、川原(かわばる)の山です。手前に冬枯れの水田、朝日に映える初冬の藪と青空のコントラスト。いい感じでした。 おっ、いよいよの蒲です。穂が綿屑になって風媒直前。 触ると膨らんで溢れます。まるで手品のようでした。 江国寺前には今日も鴨。鏡の水面に、を風情とみるか、それとも鴨鍋とみるか。先日、ムッシュカワノで絶佳のステーキを馳走になっただけに微妙です。 山に入りました。親方が窪地に待っていました。午前9時前でした。此所は昼前まで日が射しません。格好にその冷たさを見て取れます。 次の写真は森の中に独りの図です。深閑に佇むと、何だか山の精気を感じます。この世界というか空気、空間、好きです。 「今日は谷筋を切るよ。この木が手始めだ。此処をこう切るといい」 あれこれの指示が出ました。 そのとおりにしました。「曲がり」や「傾き」には要注意。足場が悪いと尚更です。 2時間で30本あまりを倒しました。仕事の跡を見るのはいい気分です。 山を下りてI機械へ廻りました。先週、草刈り機とヘッジトリマ-の修理を頼んでいました。10年選手の前者はキャブがいかれていました。トリマーの方はプラグを交換。燃料漏れもあり、それも手当て済み。何れも素人に無理の修繕でした。助かりました。 社長と話し込みました。彼も薪ストーブ愛好家。拙宅のそれも彼から購入しました。必然、薪の話になりました。「Tさん(私のこと)、これをご覧なさい。山から持って下がったばかりですよ。これをね、電動の薪割り機で割るんですよ。生だから5トンのもので充分ですよ。乾いたら難儀しますがね」軽トラに程よい樫が積まれてありました。これくらいの大きさなら割る必要はないのでは?そう言うと「割ると渇きが早いし、うちのは君の家にあるストーブよりも一回り小さいんだ」拙宅には薪割り機がありません。欲しいな。エンジン式がいいな。でも高価です。300~400ラーくらいします。手が出ません。オーノー、斧で我慢です。 帰りにいつものスーパーへ。酒もコーヒーも駄目のトラへはこれしかありません。鯵を買いました。帰ってチャチャッ。写真はその途中が図です。今日のは心持ち軟らかかったですが、脂の乗りは悪くない。出来上がりをラップし、昼はインスタントラーメン。サッポロ一番の味噌を啜りました。妻が不在の時はいつもです。 さてと、午後は何をしようか。あっ、そうだ。やり残しの薪割りをしよう。最前、I機械の社長と会ってした会話に触発されました。相手は向こうの塊です。 玉切っていた櫟の丸太は斧で一撃。しかし桜の大丸太は始末に負えません。チェーンソーで薄くスライス。直径がチェーンソーバーに余ります。片方を切っていき、最後にまとめて切り離します。 今度は縦切り。こうしてストーブにいる大きさ、サイコロ状にするのです。 後は薪小屋に放り込むだけ。この桜、乾燥に時間を要します。燃やすのは再来年の冬です。日田市に転勤のkusuhito氏がこの燃料を好んでいました。彼はドブレ(薪ストーブの機種名)のオーナーです。この写真を見ると、欲しがるだろうな。 余談です。木を縦切りすると、切り屑はこうなります。サキイカのようです。燻製に使うといいんだけれど、ほんの僅かですが、オイルが混じります。ハスクバーナのそれは天然油脂です。化石系を用いていません。大丈夫とは思います。でも燻すものがない。誰か、鹿肉をくれないかな、なんちゃって。 ん?あっ!、百足だ。櫟、皮と木の隙間に冬眠していたんでしょう。驚いて這いだしてきました。 作業をしていたら、隣のおいちゃんがチェーンソーを持ってきました。刃を研いで欲しいとのこと。診たら刃先がハマグリのようになっていました。回しても、こんなじゃー粉が噴くばかりで切れやしない。おやすいご用。チャチャッとやっつけました。写真は梅の枝に留まってそのあれこれを眺めるショウビタキの雌です。 おっと、陽が傾きました。芋を収穫の後にストーブから出た灰を散布。それをトラクターで鋤き込みました。今日の仕事はこれでお終い。走ろうかと思いましたが、折れました。風呂を入れ、湯船でラジコを聴きました。STVが昭和54年にSTVホールで録音した落語をやっていました。その会場、クラシックのコンサートで何度かいったな。噺も面白かったですが、懐かしさにも想い遙かでした。 さてと、一杯やるとするか。ふなぐちをコップに注ぎました。当ては昼にこさえた鯵刺。色合いもですが、食べてそのとおり、脂の乗りがよい。 これだけでは物足りません。鱈の甘露煮を湯煎。これ、1ヶ月ほど前、スーパーの北海道物産展で物色のものです。釧路産とありました。色合いほど辛くはありません。身崩れが確かに鱈でした。 今日は、終日野良でした。ほろ酔いもあって心地よい疲労感。バタンキュー。今日の一句斧振るう吾を見下ろす尉鶲(ショウビタキ)今日のランなし今日の酒ふなぐち1合 白霧お湯割り1合 グラスワイン200ml今日の写真もトラです。鯵に飽いてごろりの図。その体勢、腹側の熱くなると、伸びをしてクルリ、背中をストーブに。極楽トンボです。
2017年12月09日
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平成29年11月25日(土) 午前4時起床。晴れ時々曇り。未明にコーヒーミルを回すのが日課。これが一日の始まりです。M親分の土産、東京バナナと義妹手造りのレモンケーキ。朝の香りと甘いものがオメサでした。 このところ、喪中賀状欠礼の葉書が届きます。それの返事やら友人への頼りやら。葉書を数枚認めてから朝ご飯。昨夜に続き厚岸産、アサリの味噌汁が絶佳でした。 昨日の昼、親方へTEL。明日、訪ねることを伝えていました。午前8時半、地下足袋を履きました。この秋は台風襲来、上京して下町酒場の徘徊、あれこれありました。山仕事は無沙汰でした。腕が疼いていました。堅田川の水面に浮かぶ鴨を見ながら波越向け。親方は焚き火を前に、山師とTELしていました。玉切った材木をユンボで掴んで欲しいとの依頼、今日は断ったようでした。私の加勢が先とのことでした。 さてと、ゆるり参ろうか。彼の軽トラについていきました。切り出しに着きました。「よい、ここじゃーが」普段はボケーッとした顔付きです。山に入ると目付きが変わります。厳しい。でも私には判っています。舎弟がやって来て、今日はこき使おうという魂胆みえみえ。 指した目の先はこの図。右側が今日の役目です。 取り付きました。結構大きいな。 ジャンジャン切っていきました。 緩斜面。足場はよかったです。木は谷の方に傾いています。矢を見せるだけでよかったです。 これが今日1番の大きさでした。この感触、たまりません。 ん?親方が朽ちた櫟を抱えてきました。椎茸が出ていました。勿論、持たせてくれました。山に入って、こんな戦利品にいき遇わせること楽しさ。嬉しいな。「ちょいとおまいのチェーンソーぅかいてみぃ」私のチェーンソーを見て、試し切りをしてみたくなったのでしょう。写真はそれをするの図。「こりゃーいいわい。ハスクぁなんぼするんな?えっ、300ラー!よし、かおーわい」親方、18万円出して新品を購入するそうです。30ラー程度からありますが、それは安物買いの銭失い。山仕事の道具はしっかりしたものを構えるに如くはなし。作業効率が違います。 午前11時、切り始めて2時間あまり。今日はこの辺で堪えてもらおうか。エンジンを止めました。写真は今日倒した30本。久しぶりでしたが、結構な仕事になりました。後の始末は親方の仕事です。 帰り際、近くに欅の大木2本を見つけました。そのうちの1本です。数年前、材木商がやって来て1本5,000ラーで如何、との話があったそうでした。首を縦に振らず、未だ此処に立っているとのこと。ウーン300万円か。 帰りにいつものスーパーへ寄りました。何せ、小奴が待っています。 汚れた服に地下足袋姿。敷居が高かったです。しかしトラのことを思うと、身だしなみを気にしてはおれません。S鮮魚の親爺に今日の鯵如何。訪ねてみました。「まっちょれ」並べてあるものを勧めず、奥に入っていきました。パンパンのものを出してくれました。ついでに鮮度抜群の鰯を併せ買い。写真がそれです。帰宅して早速チャチャッ。小羽は酢締めにしました。 ん?脛が痛いぞ。あっ、そうだった。木の「受け」を取っていた時、謝って外したものをチェーンにひっかけ、それが跳んで足に当たったんだ。受けとはこれです。 帰り着いてズボンを捲ってみました。おっ、左足、弁慶の泣き所が少し腫れている。気をつけなければいけないな。 昼は妻のこさえてくれたラーメンを啜りました。「あなた、午後は私、大分に研修よ。スナップエンドウの床、マルチ張りをお願いね」 先週に続き、スナップエンドウを植える所にストーブの灰を撒きました。次いでトラクターに乗り、それを鋤き込みました。鍬を持ってマルチ張り。あー疲れた。 これで今日の野良はお終い。さてと、走るか。ん?足の腫れが酷くなりました。少し突っぱる感じでした。 痛みが少しありましたが、そのまま出発。以下は道中の切り取りです。一枚目は枇杷の花。実が熟れるのは来年の梅雨入りあたりです。先は長い。余談ですがこの形、神社の舞いに持つ鈴のような。 永馬橋袂に櫟の実が落ちていました。谷を流れ落ちる水が清冽。 この辺りは突っ込み(先が行き止まりのこと)の道路です。通行者は殆どいません。車のタイヤに惹かれて割れることなし。落ちた団栗がいい感じです。勃然、昔、山羊を飼ったいたことを思い出しました。娘息子がこれを拾い、与えました。ホリホリ食べる様子が懐かしい。もう30年近く前の話でした。あの頃はよかったな。 向津留に戻ると栴檀に実だけ残った姿。これも晩秋の図ではありあmす。 足の脛が突っぱって、やれやれのランになりました。戻ってシャワー。裸になって腫れが目立ちました。 打ち身に酒は法度。でもかまうもんか。頂き物は飲まないと、送ってくれた方に失礼です。プシュッ。 この鯵刺、素晴らしい脂の乗りでした。昼に捌いた時、包丁でそれを感じていましたが、ここまでとは。菊水も太刀打ちすること能わず。S鮮魚の大将、有り難うございました。 小羽もいい感じに締まっていました。 足は瘤のような腫れになりました。触ると痛い。やっぱり飲まなければよかったな。後の祭りです。今日の一句隼の一直線が芒野に今日のラン5km今日の酒エビスビール1缶 冷酒2合 ウィちゃん1ショット今日の写真は山仕事の駄賃です。小大根5本、青梗菜とキャベツ1玉 親方、有り難うございました。
2017年11月25日
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平成29年11月15日(水) 午前4時起床。曇のち晴れ。午前中は寒かったです。 今日はポカ休を取って上京する予定でした。日帰り。目的は顰蹙を買うかもしれないので書くこと能わず。準備をし、いよいよ出掛けるの段になって事情が生じました。断念。会社には、妻にもですが、今日休むことを伝えてありました。折角なので、よし、読書の日にしよう。本を手に取りました。昼までに読みさしともう一冊、やっつけました。充実感有り。昼は猫飯をつつきながらフィルムを1本。韓国映画「息もできない」2009年制作です。舞台はソウル、出自に重いものを抱えた若者がマチ金取り立てをしながら自暴自棄の生活を送る、といったストーリーです。現代韓国の悩みを窺い知ると書くと大げさですが、そのようなものを感じました。市井の暮らしぶり、路地や屋内の様子が映っていて、よく判りました。 午後2時を過ぎて勃然、山に行こう。父の山林を一回りすることにしました。地下足袋を履きました。一応ヘルメットを被り、鉈を持ちました。写真は取り付きにある櫟です。青空が実によい。紅葉よりも茶枯れの色合いが好きな杣夫です。 途中に車を停めて、ノン舗装の林道を歩きました。木漏れ日、落ち葉。野良着の格好ですが、気分は秋深しの中を逍遥の贅沢。 父の山は三つの尾根に挟まれた小さな二つの谷の斜面です。それほど深い山ではありません。くるりのパトロールは上り下り2時間ほどで済みます。取り付きました。いきなり立派な檜が目に飛び込んできます。写真でしか顔を知らない祖父が若い時分に植えたものです。100年以上経っています。3斜面のうち1つの斜面はこの程度のものが植わっています。 ん?柿の実が落ちていました。周囲にこの木はありません。おかしいな。しかも綺麗に枝を摘んである。嘴でつついたような跡がありました。さては、カラスの仕業かな。人の気配の無い山中ですが、時として思わぬことに出くわします。 檜の枝に蜘蛛が巣を張っていました。写真では判りにくいですが、西日を受けて金糸のように見えました。 次の斜面には杉。一番大きいのがこれです。胴回りに抱きついて、私二人分でも手は届きません。所有のチェーンソーバーでは切ること能わずです。 足下に目をやると、実を付けた名を知らぬ植物。南方系の色と形をしています。その姿、あまり気持ちのいいものではありません。 次は動物の骨。行き倒れてのことでしょう。時折見かけます。 これは猪の沼田場(ぬたば)。ダニに悩んでここにひっくり返ります。背中を擦りつけての泥浴びが撃退方法なんでしょう。ここの麓には水田がありません。谷筋の水たまりを見つけての所為。 木に巻き付いた葛は見つけ次第、根切りをします。その図です。 外してやると、木の嬉しがる声が聞こえてきそうです。中央下から左上に伸びるのがその葛です。これを丸めたら、クリスマスに使うリースになります。 苔生した檜の切株です。拙宅は築後25年あまりが経過。建てる折、切った木の1本です。この材は、玄関の太柱に使っています。祖父や父の植えた木肌を撫でて思うことあり。さらにこの株を見て、30年の来し方、嗚呼色々あったな。再び勃然、死んだらこの山へ灰になった自分を蒔いて貰おうか。 午後4時半、陽の傾いて早風呂へ。新規の文庫本を持っての湯船が至福でした。嘉風の取組に間に合うよう、頭を拭きました。阿武咲を破って星を五分に戻しました。いいぞいいぞ。プシュッ。当ては厚揚げ。ポン酢をかけて食べました。 酢の物もいい感じでした。白霧で流しました。 〆はSさんに頂いた耕治のラーメン。前にも載せたことがあります。これが美味いんです。彼、時折福岡・北九州方面に出撃するようです。先日も行ってきたそうで、その際のお土産でした。今回の用事は中古レコード店の冷やかしだそうで、村田英雄のドーナツ盤を手に入れた由。「皆の衆」だそうです。マッキンとタンノイの組み合わせで聴いたらどんな、だろうか。 メンマ、チャーシュー。刻み葱が親切です。 醤油の味が格別。汁を全部飲み干したら血圧が上がるだろうな。半分を残しました。今日の一句鉈持ちて山を地下足袋三十年今日のランなし今日の酒サントリープレモル1缶 白霧1合今日の写真は拙宅玄関の柱です。六寸角。先の株を製材したものです。もう1枚は山中に見つけた茸。椎茸栽培に使った櫟を纏めて山積みにしたところに生えていました。食べられないのかな、これ。でも当たると怖いな。門外漢なので諦めました。
2017年11月15日
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平成29年9月9日(土) 午前4時起床。晴れのち曇り。週末の早朝、本と新聞の3時間がよいです。木立には県道と国道が通っています。拙宅はそこから離れた突っ込みの集落にあります。人気は近所の物音だけです。この時刻、新聞配達以外の人は皆水平飛行。起きているのは虫たちと私だけです。而して、静の時間は頁がすすみます。写真は夜の白んで新聞受けの下にいた野郎です。カミキリムシの仲間でしょうか。静寂を味わうような、はたまた座禅を組んでいるような・・・。 朝ご飯に鯵の干物を食べました。お代わりをしました。今日は山行きです。エネルギー充填は腹一杯。七つ道具を軽トラの荷台に載せました。出発前、親方にTELしました。通じませんでした。アポ無しでしたが、きっとユンボに乗っているはずです。切り出しに着いて、予想が当たりました。 早速取り付きました。写真では判りませんが、結構な急斜面でした。 今日の場所は北向きでした。午前中は立木の陰になり、凌ぎやすかったです。でも動くと汗が噴き出ました。15本ばかり倒したでしょうか。小休止しながら切り登りました。尻ポケットに突っ込んだペットボトルのお茶が甘露でした。合間合間に親方が話しかけてきます。下界、娑婆の人間模様についてでした。人の生き死にのことも。人間、あれこれあるものです。ため息をつきました。手を止めたら鳥の囀り、しかの鳴き声が聞こえてきました。途端、そんなこんながどうでもよく思えました。親方も同じ気持ちなんでしょう。さてと、続きをやるか。 山からの帰り、I機械に寄りました。草刈機に使うビニールの刃を買いました。これ、結構な値がするんです。ハスクバーナ社製。径が4mm。これまで2mmのものを使っていました。すぐに切れました。これからは長持ちするぞ。これもってけ。帽子も頂戴しました。 襤褸を着たまま、地下足袋を履いたままでしあが、ついでにいつものスーパーへ。今夜の当てをみつくろわなければなりません。鯵とスマカツオ、それに西の関冷やを1本買いました。作業着の私を見たレジのおばちゃんが「美味しいつまみと酒、楽しみですね」と声をかけてくれました。 帰り着いたら、台所が大変なことになっていました。妻が流し台の下に入れてあった鍋釜包丁、調理に使うあれこれを全部取り出していました。「あなた、どうも臭うの。何とかしてちょうだい」頭を突っ込みました。下水に繋がるパイプとシンクの配水管の間に隙間がありました。原因はこれでした。パイプの径を測りました。ホームセンターに車を飛ばしました。適当なパッキンがありました。購入。とって返し、取り付けました。午後は用事がありました。このトラブルに付き合い、能わずとなりました。 午後4時近くになって、仕方ない、出かけるのは諦めよう。石拾いでもするか。金属の松葉掻きで畑の石を寄せ、穴のあいたコンテナで篩うのです。一輪車3台分をやっつけました。しかし、取り除いても取り除いても石は湧いてきます。ナントカナランノカ、です。写真はその後にした草取りの図。野菜は手を掛けてやらないといけません。雑草は放っておいてもぐんぐん伸びます。手に負えません。 野良仕事中、ずっとカープ戦を聴きました。今日も勝ちました。9月に入って負け無しの8連勝。松山が大当たりでした。神ってるの鈴木が骨折で戦線離脱。それを埋めてあまりある活躍。いいぞいいぞ。中日さん、悪いね。試合が終わったのを機にシャワー。冷蔵庫を開けました。あっ!ビールが無い。仕方ありません。発泡酒でごまかしました。魚に取り付きました。鯵をチャチャッ。 今日も脂がのっていい感じでした。 お前にもあげるからな。待たせておいて、スマカツオの中落ちを与えました。貪りました。 さあスタートです。どうですか、この赤身。あしのはやい魚ですが、鮮度がよいと一等です。生姜醤油がよろしい。 酒がすすみました。刺身2品だけだとものたりない。今日、私のまちでTAOのコンサートがありました。それに出かけて妻不在。次の当てはでてきません。しかたない。ラッキョウを当てにしました。日本酒とのマッチングはあまりよろしくないな。 レロレロになりました。こういうのを自爆といいます。バタンキュー。今日の一句蟋蟀の翅擦り合わせ須磨鰹今日のランなし今日の酒発泡酒2缶 冷酒5合今日の写真はショウリョウバッタです。波越の材木置き場に捕まえました。スマートな体型です。私の顔はトノサマバッタ系です。誰とは言いませんが、これ系の人もいます。
2017年09月09日
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平成29年7月17日(月) 午前4時起床。今日も晴れ。盛夏という言葉がありますが、その通りの日々が続いています。 このところ、新聞の届く時刻が下がりました。その分、本が進みます。 鯵の干物を焼いて朝ご飯。さてと、親方が待っている。そろそろ準備をしようか。着替えて地下足袋を履きました。チェーンソーを軽トラの荷台に積みました。あなたも好きねー、という妻の言葉に見送られて出発。写真は須留木地区の前を走る国道388号です。右に見える水田の稲、画像ではわかりませんが頭を垂れ始めました。あと二十日ばかり経つと稲刈りです。 おっ、下堅田・江国寺前の堅田川にミズクラゲと鯔の群れ。ここまで潮が来るんです。写真に撮りましたが、どうもはっきりしません。もう数百メートル行くと、今度は鯉が泳いでいました。こちらは何とか見分けのつく様です。 波越集落に入りました。奥の院、製茶工場のあったところを過ぎると、ぐっと緑が増します。 切り出しに到着。親方がポツン、切株に腰掛けて私を待っていました。今日は、彼の後に立った杉を倒します。ちなみに、これらの立木は、彼が若い時分に植えたものとのこと。北向きの斜面だけに、目が詰まっていい材になりそう。 ん?親方が丸太の直径を測定するノギスのようなものを仕入れていました。いろいろな道具があるものです。チェーンソーにオイルを入れていたら、ウグイスの鳴き声が聞こえました。山は静かです。 取りかかりました。足下は勾配がありました。難儀しながらの倒木作業。 汗びっしょりになりました。 作業は2時間近く。山の作業は2ヶ月ぶりかな。体が鈍っていたのか、それとも山の暑さに体が閉口したのか、ヘロヘロになりました。夏山には犬も入らぬ、という言葉があります。それをおしての入山です。しかし、こうして親方の加勢をすることで、樫の薪を貰うことが出来るのです。持ちつもたれつです。しかも、汗をかいて健康的。一石二鳥とはこのことです。写真は、子鹿の髑髏(しゃれこうべ)です。帰り際、山を下りようとして足下に見つけました。短い角が痛々しい。 正午前に帰宅。シャワーを浴びました。作業中、休んでいてチクリ。山蛭に刺された首筋は大丈夫でした。プシュッ。つい手が伸びて昼ビーとなりました。1缶では足りず、サッポロのロング缶に手を出しました。コックリコックリ。 板間にひっくり返りました。風が通り、気持ちよかったです。午睡。目の覚めてからは、本を読みながら音楽を聴くともなしに。アルゲリッチがよかったです。 おいトラ、おまえ、何をしているんだ。縁側に干した私の煎餅布団にゴロリの図。流れるBachにうっとりなのか、それともネムネムなのか。 午後4時、陽が傾いて、さあ走るか。着替えたら「あなた、土用干しが今日で終わりなの。干してあるのを居間に持ち込んで頂戴」そうしました。うん、確かに。吹いた塩がいよいよです。 暑い中をいつもの林道コース。家の近くに戻った時、今日もJのKやんとすれ違いました。飼い犬のチビを連れていました。夕刻のぶらり散歩が絵になります。彼曰く「Hちゃん(私のこと)よい、毎日精が出るのぅ。ビールが美味かろうがよい、わしゃーおまい、もうアルコールぁ飲まんごつしたんよ、ほいての、こん前ぃ医者ぃ掛かったら、あん奴がおまい、タバコを止めるお手伝いもしましょうか、っち言うんよ、しゃらくしぇーぅっち、言おうと思うたんじゃけんど、よう言わんかったわい、のうチビよい」 家に戻ったら、妻が梅を一つずつ梅酢紫蘇の汁に潜らせては瓶に詰めていました。2瓶できました。 シャワーを浴びて冷蔵庫を覗きました。あーあ、ビールがそこをつきました。仕方がないので三楽に梅ジュースを混ぜ、炭酸で割ってごまかしました。「あなた、花火、きこえてよ」おっ、嘉風は勝ったのか。これで白星先行だ。セ・リーグの首位攻防戦を途中から観戦。後一本が出ず、カープ惜敗。メッセンジャーはいい投手です。今日の一句夏山に杣夫も辟易チェーン止め今日のラン6km今日の酒アサヒスーパードライレギュラー1缶 サッポロ黒ラベルロング1缶 三楽正味1合今日の写真は拙宅裏庭の無花果です。随分と実が大きくなりました。美容の素、妻の好物です。
2017年07月17日
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平成29年5月27日(土) 午前5時起床。快晴。5月も残り僅か。毎年この時期になると、梅雨の趨りで空気が湿っぽくなります。今年は違います。晴れて北国の夏を思わせるような清々しい天気が続いています。写真はトラです。旦那、今日は何をするんですかいの? 午前8時過ぎ、軽トラの荷台に七つ道具を積みました。久しぶりに薪取り。波越に向かいました。 親方が山に残しておいてくれた雑木を早く始末しないといけません。梅雨に入ると、濡れて腐り始めます。取付のよい場所だったので楽勝でした。それにしても空が青い。 次の写真は楠の切り口です。樟脳の匂いがしました。昔、箪笥の抽斗を開けて香ったナフタリンと同じです。以前、母に聞いたことがあります。彼女の幼い頃は集落に樟脳炊きというのがあったそうです。楠を大釜に入れて煮たとのこと。水蒸気蒸留です。当時のことです。どのような仕組みで冷やしたのか、興味のあるところです。 そんなことを考えていて荷台が満車になりました。とって返し、薪小屋の中に降ろしました。いよいよ満タンになりました。あと1回山を往復したらスペースがなくなります。ストックは5年先まで優に暖をとることのできる量です。今死んでも、しばらくは大丈夫です。 さてと、トラクターに乗るか。父の畑に雑草の芽が出始めていました。今のうちに一廻ししてやると、後が楽です。そうしました。ついでに梅林横のサポステが使う芋畑も。来週、利用者がやって来て植えるんだそうです。これは妻の依頼でした。その彼女、今日は朝に出かけて不在。某地域活動支援センターのお祭りがあり、コーラスを披露するんだそうでした。始末を終えたら丁度昼になりました。ん?天道虫だ。ニホシです。その星も〇ではなく勾玉のような形をしている。面白い奴だ。 プシュッといきたかったのですが、午後のランを考えて控えました。加ト吉の冷凍食品を温めました。肉うどんが美味しかったです。その後、腹の落ち着くまでぼんやり。SQを聴きました。昼下がり、荒ら屋を透る初夏の風とモーツァルトの弦楽四重奏曲、至福の一時です。 午後3時を過ぎて着替えました。この天気です。今日はたっぷり汗をかこう。 目指すは葦高。林道の奥の院です。写真は途中に撮した小中尾集落内の廃屋です。屋根に草が生えていました。其処此処にこんな様を見るようになりました。拙宅の屋根も私や妻が死んでしまうと、こんな感じになってしまうんだろうな。人の営みは風の前の塵に同じです。 感傷に浸っている場合ではありません。坂にさしかかり、息が上がってきました。と、そこに近所のNさん夫婦が草を刈っていました。それを軽トラに積んでいる。何に使うのか訊ねました。「西瓜の敷き草にと思ってね。夏休みに孫が帰ってくるんだ、苗を2本植えてやった」Nさんは海兵出身だそうです。つい先だって別府温泉に戦友と集まって一献やったことを皮切りにあれこれ話し始めました。彼は父と幼馴染みの同級生。当時の話をしてくれました。鶴見・有明のSさんという人(彼も父等の同級生)が父の家に下宿、佐伯中学に通っていたそうで、父、Nさん、Sさんの三人でよく遊んだとのこと。Sさんはもう何年も前に他界、娘さんが二人いて一人は英語の教員、も一人は社会保険労務士をしていて、其処を時折訪ねるとも。へーっ、そうだったのか。彼女のことは知っている。SのMさんだな。美しい人です。 おっと、話し込んでしまいました。足を止めてはいけません。いよいよの登りです。ん?林道の横へ椎茸栽培に使った櫟が捨ててありました。いい感じに朽ちていました。小丸太の形をしていますが、掴むとポロポロになります。肥料に丁度いい。土地の持ち主に話をつけて頂戴するとしよう。 奥の院にやって来ました。雰囲気を上手く切り取ることが出来ませんが檜山の木漏れ陽がいい感じでした。フィトンチッドたっぷりを浴びて身体も心もスッキリ。 この辺りは父の山です。谷筋に巨大な石が転がっています。これ、300トンはありそう。私、山の守り神と勝手に決め込んでいます。持ち主は私の娘です。彼女の幼い折、じいちゃんがこの石をお前にやると、訳の判らないことを言っていましたから。 さてもの山中です。暮れての時刻に此処まで来るのは勇気が要ります。やっぱり山に入るのは日中だな。そうひとりごち、早くも木精の気配を感じはじめて、其処を後にしました。里に戻ると甘い香り。イチゴハウスのお終いがやって来ました。開けっ放して風を通していました。それが流れ出て農道に広がっていたのです。おっ、栗の花が咲き始めている。こちらもいい匂いです。 家に戻りバスルームへ直行。汗を流しました。当然プシュッ。 旦那、刺身、今日は無いんですかい? 泡を抜栓。夕方の日射しがせいで梅林下の緑が優しい色になりました。 しばらくコルトレーンを聴いた後、相撲観戦。嘉風が勝ち越しました。明日勝ったら関脇昇進です。頑張れ。白鵬の優勝を見届けてチャンネルをプロ野球に。今日も早めの得点、勝ったも同然です。結果を見届けないまま寝オチ。それにしてもジャイアンツの選手、覇気の無いように見えます。こうまで弱いと気の毒ですらあります。次期監督は江川しかないと思うんですが。今日の一句聞いたのか赤子の声を朽ちた屋根今日のラン10km今日の酒サッポロ黒ラベル1缶 サンライズ白泡1本 冷酒5勺今日の写真は枇杷です。母から裾分がありました。この季節の味覚です。もう1枚、梅が取り頃を迎えました。誰か要る人いないかな。でも梅酒をこさえるにはもう少し熟れた方がいいな。
2017年05月27日
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平成29年3月26日(日) 午前4時起床。晴れ、午後遅くに曇って雨。夜はまた晴れました。写真は朝食に付いたデザートです。その名も甘王。イチゴ特有の仄かな酸っぱさというのがまったくない。 親方にTELするも、今日は山に入らずとのこと。午前10時過ぎまで本を手に取りました。 司馬遼のアメリカ旅行記です。見聞録は見聞録ですが、彼の感性をして文明の分明たる所以に斬り込んでいます。加えて例の博覧強記。例えばこのページに始まるあれこれ。 小村寿太郎のことをしてのあれこれの想いです。彼は宮崎・飫肥の出身。「明治の官員は、郷党の秀才をひきとって、書生という名目で修学させるのを一種の義務としていた」とありました。同郷の後輩に桝本卯平なるものがいて小村の家に寄宿、東京大学の造船科を卒業しました。小村が駐米公使として赴任の際に同行。彼の紹介でフィラデルフィアの造船所にて研修。ロシア軍艦の建造を目の当たりに・・・とまあこんなことが書かれてありました。 本の筋から脱線します。昨春だったか、日南の飫肥城を訪ねました。その折、城址の近くに小村寿太郎記念館がありました。入って年表や写真、遺品を見るにつけ、彼の人となりを身近に感じました。而してこの本を読んで「ああ、ここに彼との接点があった」と思うのが読書の楽しみです。それとは別に「東大」と「造船」の下りにも。調べたら桝本は帰国後、三菱造船所に入社しています。日本の軍艦建造に携わったことは間違いないと思います。戦前戦中の三菱といえば長崎造船所です。戦艦武蔵が建造されました。その辺りのことは吉村昭の本にあります。それはそれとして、武蔵の設計に携わった人に西嶋某という人がいます。その人は弊社社長の伯父にあたる方です。戦後、武蔵の船殻設計書を本にまとめていて、その一冊が社長室にあります。その西嶋某が桝本と同じ東大の造船だったそうなんです。これとは別に、私の学生時代、講義の一つに漁船工学というのがありました。講師は函館ドッグの嘱託をされていた築土さんでした。よぼよぼ、ふらつきながらの教鞭でした。噂によると、彼は若い時分に海軍将校として武蔵の建造に携わったとのことでした。筑土先生曰く「船の図面は必ず船首を右にかきますよ。左に向けて書く人は素人です」の言葉が懐かしい。重心トリムの計算式、今も覚えています。西嶋某の本に戻ります。その本は、構造はもとより船体強度についても書いてあったような。建造に携わった者の名簿もあったやに。手に取った折は筑土先生のことを失念していて、確かめること能わずでした。機会があったら確認しておかねば・・・。読書の楽しみにはこうした連想ゲームのような感じ、広がる世界のあるのもよいです。 閑話休題、午前10時を過ぎて、野良着に着替えました。山仕事道具一式を軽トラの荷台に積みました。薪を取り。波越の奧へ向かいました。山は春めき、鶯が喧しかったです。途中、親方も寄ってきて、あれこれ世間話をしました。写真は汗ばむほどの陽気となった切りだしです。 帰宅して昼。軽い食事をし、ちょっと甲子園を覗きました。これがいけなかった。滋賀学園と福岡大大濠の手に汗握る延長に見入ってしまいました。引き分けとなったところで再度地下足袋を。軽トラの荷台に積んだ薪を降ろしました。 ん?またカミキリムシの幼虫です。 年の明けて以降、土日は努めての山行き。持ち帰った薪の図です。いい感じの量になってきました。これは平成31年の初冬に燃やします。その折、私はリタイアしているはず。何をしているんだろうな。名曲喫茶かな、それとも杣夫かな。 降ろし終えてランの格好に着替えました。林道を10km。汗をたっぷりかきました。帰宅して風呂の後は当然プシュッ。当ては山の帰りに寄ったいつものスーパーが鯵。向こうは分葱のスヌタです。アオリイカが入っていました。余談ですが、襤褸を着てのスーパー入店が許される田舎です。名古屋駅の成城石井なんぞに入ろうものなら、てきめん、つまみ出される格好です。菊水ふなぐち熟成他を合計2合飲んでバタンキュー。今日の一句たらの芽や棘の守りも蟷螂か今日の写真はランの途中を2枚。1枚目はタラノメ。芽が出始めました。いよいよです。もう1枚は犬。猟犬がはぐれたようでした。山奥で行き遇わせました。新しい傷がありました。可哀想に。
2017年03月26日
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平成29年2月11日(土) 午前4時起床。快晴。終日、冷たい北風が吹きました。休日の妻は寝坊です。味噌汁なし、沢庵で白ご飯を掻き込みました。起きがけに珈琲を淹れ、クッキーを囓りましたから、これだけで十分です。野良着に着替える前、トラをブラッシング。おーよしよし。 日本海側は大雪。山陰は車の立ち往生が報じられています。九州・大分の山間部も積雪。久住連山、由布・鶴見は真っ白だろうな。そういえば部下のdateline、趣味は積雪の道をドライブと言っていたな。今日あたり、阿蘇のミルクロードあたりに出かけるのかな。写真は翻っての宮崎県境、季節風を九州山地が遮った大分・佐伯の空です。ドピーカン。 午前8時半、軽トラに七つ道具を積みました。波越集落の奧にkusuhito氏と待ち合わせ。彼の薪取りを手伝う約束をしていました。ブツは親方が構えてくれていました。写真がそれです。 取り付きました。kusuhito氏のレガシーは忽ち満車。これから高速を走って家族の待つ大分市へ帰るんだそうです。車載オーバーで捕まらなければいいが。 ついでに軽トラの荷台も満車。彼に手伝ってもらいました。この間、わずか30分。玉切って積むだけの作業は楽ちんです。倒して、車横付けのところまで人力で運ぶとなると大変です。ユンボで寄せてくれる親方のおかげです。 その代わり、kusuhito氏を見送ってからが大変です。薪のお礼は倒木作業。案の定、帰り道で構えていました。 私のチェーンソーに使うオイルを手当てする親方です。 今日は30本ばかり倒したでしょうか。昼前に作業を終えました。親方はその杉を4mの長さに玉切ります。枝払いが難儀ですが、それは手伝いません。彼の仕事です。写真はユンボで長なりを掴み、製木準備をするの図。 帰宅して、荷台に積んだ櫟を割りました。ダイナマックスが活躍。 始末の終わらぬうちに昼となりました。おっ、クロメの味噌汁です。野良仕事の昼ご飯にありがたい。 午後も割りました。持ち帰った丸太だけでなく、ストックのそれにも手をつけました。ゴーッという音に手を止めて見上げると、東に向かう白い機体。熊本空港から関西・関東に向けての便が飛んでいきました。 割ったものは一輪車に積みます。写真にはありませんが、ショウビタキが何か食べるものはないか、薪の上に留まりました。チチチという声に顔をあげたら梅の花にメジロの群れ。夕刻になって、ヒヨドリが喧しく鳴きました。木立は里山の集落です。野鳥が多いです。 割った薪は、梅林下の野面に積んでいきます。ところで割れ木と言えば思い出すことがあります。小さい頃、兄と私はよく喧嘩をしました。父に叱られました。だた、子二人を並べての拳骨はなし。割れ木を並べ、その上に正座するよう言われました。弁慶の泣き所に食い込む堅木の角。これには参りました。もう兄弟喧嘩は止めよう、兄との協定は即座に成立。いい思い出です。 午後5時を過ぎて走ろうか迷いました。酒が恋しくなりました。折れてそのまま風呂へ。頭を拭き吹きフラスコ銚子で一杯やっていたら、おっ、イタリアン。スモークサーモン、パスタ、ピッザ。イエローテールのシラーを合わせました。1,000円ワインですが、いい感じです。デイリーには持って来いです。ミディアムボデーとありますが、私はフルに感じます。野口さんでお釣りのくる普段飲みだと、カセラファミリーとコンチャイトロ・サンライズシリーズの上をいくボトルはないと思います。今日の一句斧の音怖くないのかショウビタキ今日の写真は父のアトリエです。左、硝子窓のあるのがそれです。続きの間に薪ストーブがあります。今日もそこに一輪車1台分の薪を運び込みました。火事をやらねばよいが。よく見ると、しだれ梅が咲き始めていました。オマケです。聴いたブラームス。東京カルテットです。数年前に解散しました。惜しまれます。楽器はストラディヴァリ。
2017年02月11日
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平成29年1月29日(日) 午前4時起床。晴れたり曇ったり。午前は無風でしたが、午後は強い南風になりました。春一番を思わせる陽気となりました。写真は朝ご飯のおかずです。オアカムロの干物。好物なんです。佐伯・蒲江の特産です。ホッケの特大くらいの大きさがあります。脂の甘さに加え、塩加減が絶妙。 半分を食べて、残りは明日の朝。ご飯をおかわり、味噌汁も2椀。 朝のうち、珍しく親からの方から電話がありました。山への誘いでした。二つ返事を返しました。チェーンソーの刃を研ぎました。昨日切ったモチノキに番線の巻きついてあるのに気付かず、刃先を少し傷めました。応急手当をしたのですが、今日取り付くに際し、きちんと仕上げておく必要がありました。それを終え、波越向け。現場に着いたら、親方が櫟を寄せてくれていました。軽トラ2杯分はあります。感謝感謝。 チェーンソーに油を足すの図。50:1の混合油と、チェーンオイルをそれぞれタンクに注ぎます。胴回りの直径40cmの杉だと、満タンにして15本が目安です。親方は容器にミツカン酢と白だしのペットボトルを使っています。これが意外と注ぎ易い。私も真似ようかな。 2時間頑張りました。倒した本数は50本。作業が捗りました。足場がよかったのと、親方がユンボのアームで押し、矢を打つ必要がなかったからです。この写真は親方のブログからのパクリです。 とって返しました。時刻は正午前でした。妻不在。友人の娘さんが結婚する由、式にコーラス要員として参加するため出かけたのでした。腹がまだよかったので、よし、昨日の続き、薪を割ろう。そうしました。写真は枝分かれの部分です。この部位は簡単にはいきません。斧が食い込んで、こういうことになります。 その折は楔(くさび)を打ち込みます。重い玄翁で頭を叩くと、メリメリ割れていきます。斧の頭を叩いてはなりません。 ところで次の写真ですが、直径30cmあります。このままでも薪ストーブの炉内に入りますが、割ると乾きが早く進むんです。 1玉がこれだけになります。薪にも上等、並、不向きとありますが、これはこの地にあって樫、椿とともに最高級。DIYの店頭に、この量を針金に巻いて500円前後で売られています。ネクタイ仕事をリタイアしたら、私、薪屋になろうかな。 オマケの写真は薪割りの台座です。樫の角物。斧の跡が付いてあります。木目と刃の向きが同じだと、座も割れてしまいます。ちょっと注意が必要です。 斧振りを2時間。飽きました。灰を畑に撒きました。薪ストーブから出たものをブリキのバケツに何杯も溜めていました。 トラクターで鋤き込んでやりました。妻は次、何を植えるのかな。 午後4時、陽が傾きました。疲れもしました。走ろうか迷いました。継続が大切です。禁玉さんも頑張ってラーメンを我慢していることだし。今日は汗をかくだけでいいや、自分にそう言い聞かせました。ラン6km。戻って風呂を浴びました。褒美はこれ。プシュッ。ビーカーに注いだら、確かに350ml。 当ては柳葉魚とアオサ海苔の佃煮。酒を菊水ふなぐちに代えて流しました。帰ってきた妻がピザを焼いてくれました。昨日のシャルドネが残っていたので、合わせました。あー、今日も好い一日だった。木を切って、薪を割り、トラクターに乗って、走って、飲んでバタンキュー。何も考えないのがよいんです、週末は。今日の一句南風(まじ)が吹き椎を揺らして梅開花今日の写真は昨日の花をもう一度。小蜂がやってきたのを見つけ、シャッターを切りました。もう1枚はゴロリのトラです。跨いでも微動だにしません。こちらはサンデー毎日、週を通して八十(はちじゅう、九(苦)が無いの意)。極楽トンボです。何だか狸のようだな。
2017年01月29日
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平成28年10月29日(土) 今日のことを書く前に訂正があります。過日、ミュージカル「ミス・サイゴン」を劇団四季がと書きました。間違いでした。東宝。「お行儀のよい四季には、サイゴンのような勢いのある舞台は無理」と娘から言われました。勘違いはそれとして、「勢い」という言葉に、観る楽しさが一層増しました。12月25日、福岡・久留米にやってきます。楽しみです。 では今日のことを。午前2時起床。よい子は早寝早起きです。寝ぼけ眼ですが、読書はすすみます。小学館・昭和文学全集。三木卓をペラペラ。没頭しました。しかし、未明の音には敏感です。新聞の届いたのが判りました。 終日曇りの予報でした。夜の白んで青空でした。襤褸を着ました。ウィークデーの出勤時刻より早くに勝手口をでました。チェーンソーを軽トラへ積んで出発。山へ向かいました。櫟の切りだし場所に着きました。混合ガソリンとオイルを満タンにしました。さあ取りかかるぞ。とその時、足もとをなにやら。ゲジゲジでした。気持ちのいいものではありません。 玉切りました。午前8時、朝の山にエンジンの音が響きました。快感です。切り終えて薪割り。これが難儀です。斧を使うと息が上がります。結構な重労働です。私の斧は鉄の頭が3kgあります。力一杯振り下ろします。節のないところはパカンと割れます。筋の通っているところは、刃を見せるだけといいますが、その通り。 節くれだったところは、一層気張ってエイヤ!それでもハネ返されます。何度か繰り返し、やっとメリッ!節、判ります? 取り付いて1時間、満車になりました。生木です。重い。サスペンションの板バネが棒高跳びの棒になっているような感じです。軽トラの悲鳴です。写真はさあ帰るぞの図。週末はこんなところに1人居りです。 とその時、親方がやってきました。曰く「手伝え」 そうしました。15本ばかりを倒しました。予定外の作業が入り、午前中の2往復はなりませんでした。 家に戻り、荷を下ろしました。妻不在。木立にある支援学校の「風の子まつり」でした。彼女、長年勤務しました。行事のあると、いてもたってもいられないのでしょう。出かけた後でした。昼はご飯にふりかけをかけて1人。物足りないのでカップヌードルカレー味を。余りの貧相につき、写真はありません。 午後、もう一回山へ。櫟を玉切っていた時、また親方が通りかかりました。「ちょっと切って欲しい木がある」杉を5~6本倒しました。写真は2度目の満車です。櫟の丸太が減りました。kusuhitoさん、大丈夫ですよ。今日、同じ大木を何本も倒しました。あなたの分はあります。 もう1枚、私の影です。週末の昼下がり、秋の陽射しを浴びながらの作業は、ストレス解消に持って来いです。 親方が「ちょっここい、ほらっ、餞別ぅやるわい、何か知らんけんどおまいぁ東京ぃ映画んようんもんぅ観に行くんじゃろーが、うめーもんでも喰えの、あっ、ちょっと待てよ、2枚重なっちょらーしめーのぅ」。福沢さんを確かめるの図です。舞台と映画を混同ではありますが、嬉しい心づかいでした。荷台のカボスももらいました。彼の家に生る無農薬です。 さあ帰ろうか。軽トラのところに戻って水分補給。一息ついて、傾いた陽射しを振り返りました。藪の緑に光が映え、何ともいい感じの色合いでした。 家に戻ったら、妻が野菜畑をいじっていました。薪を降ろしたあと、彼女の撒いた石灰の後をトラクターで攪拌。その後は畑の石拾い。鉄の松葉掻きで、雨に浮いた石を集めました。手で掬ってバケツに入れました。これは柿の木の根に。拙宅の菜園は石だらけです。拾っても拾っても湧いてくるの感です。 午後5時近くになりました。走ってくるといい、地下足袋を脱ぎました。妻に止められました。そのまま風呂へ。シャワーのあとはプシュッ。しばらくぼんやりしました。夕時のこの時刻、捨てがたい週末の憩いでした。 日本シリーズを見ながらコックリ。睡魔には勝てません。今日の一句石拾う妻の背中に百舌の声週末を樵で過ごし百舌の声今日の写真は3枚です。1枚目は苔の図。今日倒した杉の立っていたところは、以前、畑だったそうです。倒れて朽ちた幹は、苔生すに絶好なのでしょう。 次は薪の切り出しに向かう途中に写しました。樫の生木を積んだ軽トラです。多分、寺島林産に向かうのでしょう。寺島林産は炭を焼く会社です。時折、樫木購入の広告を見ます。これ1車を1万円ほどで買い取ってくれるはずです。 最後は芒。愁風に揺れるの図。つい先日まで残暑猶が挨拶言葉でしたが、それも何時のことかと忘れてしまう午後でした。
2016年10月29日
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平成28年10月15日(土) 午前4時起床。晴れのち曇り、宵の口になってポツリ落ち始めました。 午前7時半、襤褸を着ました。朝早いだけが取り柄の私です。休日になると、体が疼きます。チェーンソーの刃を研ぎました。鳶口と斧、七つ道具を軽トラに積んで出発。夫婦と息子さんの経営する小さなガソリンスタンドに寄りました。おいちゃんがいました。タイヤの空気を多めにしてもらいました。彼曰く「Hさん、これでもう大丈夫じゃわい、1トン積んでもしょわーねぇぞ」とニヤリ。軽トラの積載量は350kgと決まっています。でも、構造上は800kgくらいまで耐えられるとは友人kusuhito氏の弁。写真はエネオスの看板とコントレールです。気持ちのいい朝でした。 もう1枚。波西橋の欄干です。波越(なんご)川に架かる小橋です。波越集落の西側にあるからでしょう。ここを渡って直ぐのところが切り出しの場所です。 ちなみに私の親方は其処に住み、「波越んおいやん」と呼ばれています。 その親方が集材してくれた櫟を玉切りました。 これらを四分の一に割ります。一玉に3回です。斧を振るいました。生木なので割れやすいですが、其処は薪割り。コツと力を要します。チェーンソーを止めた後の作業中は、ラジコでSTVを聴きました。釧路市の隣、鶴居村の村長が日高晤郞ショーにゲスト出演していました。薪割りをしながら、心は北海道でした。 1時間あまりで満車になりました。次は親方の山の倒木です。先日、彼のユンボ、アームが折れたとのこと。修理に30万円ほどを要すとも。痛手です。そんな話をしながら、今日の場所に連れて行かれました。これを渡されました。矢と手造りのカケヤです。樫でこさえてありました。上手なものです。 頭の質量があるので、小さな玄翁に比べ、矢がどんどん入っていきます。どどーんと倒れるこの音、何度聞いても快感です。ウーン、この感触、たまりません。 15本ばかり倒したでしょうか。11時をまわりました。撤収。写真は帰りの道すがらに撮った、市谷の集落横にある恵比須神社の鳥居です。先週は生木だったのに、今日は朱に塗ってありました。やっぱりこの色に限ります。 帰宅して、芋を掘ったところに目が行きました。そのままになっていました。トラクターで一回ししました。いつでも次を植えていいよう始末がつきました。さあござれです。 地下足袋を脱いで勝手口に入りました。うっ、茄子だ。拙宅のそれが秋の冷えにそろそろ終わりと思っていた矢先でした。隣のおばちゃんが気を利かせて、今日も差し入れてくれました。もうしばらく続きそうです。 「あなた、実家の芝が伸びたの、よろしくね」昼ご飯を食べて再度地下足袋を。草刈り機を積んで向かいました。確かに伸びていました。ビニール紐の刃で背丈を低くし、次いで電動芝刈り機で整えました。写真は着工前です。竣工を撮り忘れました。折角美しくなったのに、残念です。 とって返し、着替えました。RCCを聴きながら散歩を1時間半。解説は安仁屋宗八氏でした。好きなんです、彼の弁。試合はリードしては追い上げられる展開。1点差に迫られましたが、最後は守護神中崎がホームラン王筒香を三振に切ってとりゲームセット。日本シリーズ進出を決めました。写真はゲーム展開にハラハラドキドキしながらのぶらり中に切り取った数枚です。1枚目はIのHやん宅。午前の陽射しを吸い込んだ蒲団を取り入れていました。私「よーい、飲みよるか?」。彼「おーい、飲みよるぞ」。造船所を退職、自適の生活です。 路傍の秋桜です。夕陽を浴びて好い色合いでした。 宮河内、間縫峠に差しかかりました。牛小屋に、IのZ兄が飼う牛がいました。。目が合いました。可愛いです。 大野谷を亀の甲橋まで下りました。水面に合鴨の群れ、流れの中に鯔の群れ、エノミの木に白鷺。菜切の水神が淵には真鯉の大物。目を凝らせばいろいろな生きものと出会います。これも散歩の一興です。 帰宅して風呂へ。映画音楽のジャズアレンジを聞きながらゆるり浸かりました。一日を終えてのプシュッ。このために体を動かしているようなものです。美酒です。ちなみに横のカメラはキャノンの名機G15です。私のブログ、殆どの写真はこれで写したものです。明るいレンズが特徴です。ちょっと重めが玉に瑕。 広島勝利は純米大吟醸で。嗚呼甘露甘露。今日の一句飼い牛が角を切られて草を食み今日の写真は拙宅周りの図です。1枚目は茶。蕾がどんどん開いていきます。近寄れません。写ってはいませんが、スズメバチが蜜を求めています。 金柑が実をつけていました。摘花したら大きい実になるんでしょうが、面倒臭いのでそんなことはしません。 不如帰は今が盛りです。 シュウメイギクも負けじと白を際立たせています。 こちらはまだ蕾の石蕗。黄色い花が楽しみです。 最後は木蓮。赤い実を付けていました。秋です。もう少ししたら金木犀が香ります。
2016年10月15日
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平成28年10月10日(月) 午前4時起床。曇りのち晴れ。昨日、風の方向が北寄りになりました。一昨日までは湿気の多い南風でした。それが一気、心地よさというか、冷気を帯びました。季節の変わり目に境があるとするならば、今年は10月の9日がそうでした。 少し頭痛を覚えました。二日酔い以外、めったにないことです。本を読みながら珈琲を楽しみました。新聞を読み散らかして手持ちぶさた。味噌汁の残りを温め、冷たいご飯にかけました。香の物で流し込みました。これが朝ご飯。起きてきた妻に見送られ、午前7時過ぎ、斧とチェーンソーを軽トラへ載せ出発。自身呆れますが、今日も山行き。朝の内ならスズメバチの野郎はいないだろうと踏んだのでした。案の定でした。写真は、薪を満車し終えた午前9時前、親方の材木を運び出しにきた運搬車です。後部にクレーンが付いています。先端にクワガタのようなアタッチメント。これで丸太を挟んで載せていきます。忽ち満車。上手です。 次の写真はそれを満足そうに眺める親方の図。彼は今日、一昨日と昨日に倒した杉の枝打ちと製木作業をするとのこと。手伝わないかと誘われました。小枝切りは自分の仕事ではない。遠慮しました。 真っ直ぐ帰宅。荷を下ろしました。作業終了は午前9時半。もう1回往復しようか、迷いました。何だか悪寒じみたものを感じました。行くのをやめてシャワーを浴びました。「あなた、冬瓜を切ってちょうだい」そうしました。この野菜、初めての挑戦とのこと。ipadと睨めっこしながらでした。 早めの昼をしました。うっ、茄子だ。 昨日拾った栗が出てきました。これ、圧力鍋で煮たそうです。簡単に剥くことができたとのこと。美味しかったです。 愁訴でした。プシュッをせず、横になりました。午睡2時間。覚めて、頭痛は消えました。ラジコでCSシリーズを聞きながら散歩を1時間。以下はその折の切り取りです。杉山の上に膨らみ始めた月が出ていました。 林道の起点、永馬橋の袂にある樫です。ドングリのみが大きくなっていました。 次はチカラシバ。これが衣類に触れたら大変です。付着して難儀します。いわゆるひっつきむしです。 空が高い。写真には写っていませんが、東西に行き交う白い機体に旅情を感じました。 おっ、向津留の休耕田に牛が2頭、草を食んでいました。出会い頭なので驚きました。背中にナンバーを書いてありました。よく肥えていました。肥後の赤牛、豊後の黒牛といいます。黒毛和牛です。いい肉になるんだろうな。 戻って再度シャワー。ん?屋根裏部屋が明るい。西日を受けて暖かそうな色合いです。トラトラ!呼んでみました。ゴロニャーン。降りてきました。これからの季節、午後の陽だまりは彼の特等室になります。 冷酒をコップへ。当てはこれでした。何だか残り物のよう。これにも茄子が混じっている。 うっ、また茄子。これも残り物だな。 ううっ、次ぎも茄子。 おっ、冬瓜です。この味はよかった。小料理屋に勝るとも劣りません。 先日の天然鰤、カマに塩を打っていたのですが、それを焼いてくれました。甘露とよく合いました。 プロ野球はもつれました。溜飲の下がる結果となりました。酒の旨さが倍増しました。これでカープの相手は決まり。さあやってこいベイスターズ。今日の一句鹿鳴いて小人閑居牛を見る虚の写真は鵜の群れです。木立川に飛来しました。落ち鮎を狩るのでしょう。
2016年10月10日
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平成28年10月9日(日) 午前2時半起床。夜明けまで雨が残りました。夜の白んで小降り、朝のうちにあがりました。午前に晴れ間がのぞき、午後は涼しい風が吹いて青空が広がりました。 朝ご飯の時、今日は映画を見に行こうか、妻とあれこれ楽しい会話。と、その時でした。父からTEL。「髪を切りたい、散髪屋へ連れて行け」仕方ありません。ついでに山へ廻るか。作業着を着ました。チェーンソーの刃を目立て。これを疎かにすると、切株は平らなテーブル状になりません。 七つ道具を積んで父の家へ。途端、叱られました。「母ちゃんもいくんだぞ、軽トラのどこに二人が乗るんだ!」えっ、父だけではなく母もだったのか。急場を凌ぐ必要があります。妻に声を掛けました。「すまんが両親を床屋へ送ってくれ」この夏、免許証を返納し、交通手段を失って以来、兄夫婦か私たち夫婦が買い物も医者通いも送迎です。私の住む木立は交通の便がよくありません。マイカーを持たないと忽ち孤立です。 おっと、話が逸れました。妻に引き受けてもらい、私は波越向け。朝方はまだスズメバチがいませんでした。しめしめ。櫟の丸太を玉切り、斧で割りました。結構な力作業でした。 前に書きましたが、櫟の丸太は親方が輪子の上に並べてくれています。加えて軽トラ横付け。根を詰めたら1時間半で満車となります。 家に戻って荷役。写真は孟宗の上げ底に並べるの図。手前の列が今日の軽トラ1車分です。これで10日分くらいかな。ちなみに24時間焚き続けるか否か、日中に火を止めるかどうかで消費量が異なります。生木なので重かったです。平積みにして、サスペンションはいっぱいいっぱい。タイヤにも過重がかかって、のろのろ運転で戻りました。而して、これだけの量、少なく見えて生りません。 前後します。斧を振るっていて携帯電話が鳴りました。「あなた、まだ山なの?あのね、実家の母が庭木を切って欲しいというの。梅の古木とヒマラヤスギ、それにモチノキよ」ガッテン承知。おやすいご用と二つ返事。薪を降ろして、両親を送った妻は猶帰らず。一人、サッポロ一番味噌ラーメンをこさえ、啜りました。次いで妻の実家に回り、注文を始末。切った木は引き取らなければなりません。軽トラに積みました。親方の山、波越に廻りました。杉の枝の上に放り投げました。写真では判りにくいんですが、荷台一杯ありました。 ついでにもう1車、薪を積んで帰ろうか。櫟のところへ廻りました。あっ、この野郎だ。仕方ありません。諦めました。 向こうを見たら、親方がユンボに乗って作業をしていました。声を掛けました。「折角だから昨日の続きを切ろうか」と声を掛けました。そうしました。「あっちの方向に倒せばいいんだな」 早速取り付きました。 径が大きくなると、チェーンソーは回し切り。理論上はバーの3倍の直径まで倒すことが出来ると言われていますが、どうなんでしょうか。 大木ばかり10本も倒したでしょうか。作業終了の図。 陽も西に傾きました。振り仰ぐと、気持ちのよい青空でした。 余談ですが、今日は九州一広い面積を持つ佐伯市の道路を利用して、ツール・ド・佐伯が開催されました。長きは200km、短いもので50km、数コースを用いた自転車の大会です。レース仕様ではなく楽しみながら走る仕立てです。これに申し込もうと思っていたのですが、直ぐに定員が埋まってしまいました。後れをとったのでした。最前方、妻の実家へ行く途中、サイクリストたちの行き交うのを見ました。楽しそうでした。残念。私も風になりたかったです。而してそれが叶わず、襤褸を着て山に入る杣夫でした。 帰宅したら「あなた、散歩しない?」襤褸と地下足袋姿でした。これでは様になりません。着替えて出発。NのKちゃん宅裏の柿を毟りました。欲な妻がビニール袋を持っていて、それに詰めました。伯母の栗畑に差しかかりました。人の通らぬ道に、張り出した枝の毬が沢山落ちていました。 栗料理はもう沢山とこぼしていたのに、其処此処に転がるのを見たら目の色の変わる妻です。性ではあります。 K製材所に差しかかりました。70を過ぎたKさんが一人営んでいます。製材機も古い。でもほのぼの感のある空間です。材木の匂いがたちこめていました。私、退職したら名曲喫茶が夢でしたが、小さな製材所を切り盛りするのもいいな。もしよかったら、ここを譲ってもらおうかな。Kさんの意向もあるから、勝手にこんなことを書いたら失礼になるんでしょうが、惹かれる思いになった散歩でした。 妻が熊野神社にお参りするというので、そちらへ廻りました。神無月です。願い事をしても不在ではどうしようもありません。それでも鈴を鳴らし、柏手を打ちました。写真は鳥居前に落ちた銀杏です。さほどの臭いではありませんでした。 KのS姉宅に生った富有柿を毟って、家の方へ戻りました。写真は父の野菜畑に熟れたゴーヤです。種が赤いことを知りませんでした。発見をまた一つ。 再び空を仰ぎました。ゆるりの夕焼けでした。肌寒くなりました。一気に秋めいた一日でした。明日も晴れ。何をしようかな。今日叶わなかった映画に行こうかな。 おっ、甘露が届いていました。今日は一日働きづめでした。いい褒美となりました。4升ですが、1ヶ月持つかな。試しに左端のくどき上手を抜栓してみました。流石の純米大吟です。フルーティ。妻が鮟鱇鍋をこさえてくれました。嗚呼甘露。当ても秋めいた空気にピッタリでした。今日の一句秋立ちてひねもすの山一人居り今日の写真は昨日に続いての蜻蛉です。頭というか、目の大きい生きものではあります。 こちらはトラ。吹き始めた冷たい風にこんな格好の仕儀。次いで花二題。散歩の路傍に空いてあった紫と拙宅庭の花火です。いい一日でした。
2016年10月09日
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平成28年9月10日(土) 午前5時起床。晴れ。気温は32℃まで上がりました。湿気を含んで纏わり付くような空気。それでも夜、喧噪の去った時刻には膨らんだ月が冴え、冷気が室内に入ってきました。 起き出しての体調は不如意。昨夜の深酒がせいでした。特効薬を使いました。 新聞のテレビ欄を見て、今夜、NHK総合でカープ戦の中継があるのを知りました。よし、今日も一日頑張るぞ。少し元気が出ました。チェーンソーを研ぎました。今日は親方の山に入る約束でした。 目立てが済んで、ヤブランに目が行きました。私、紫が好きなんです。夜の蝶のその色は苦手ですが、もともと上品さを秘めています。キキョウなんぞも悪くない。そう思ったと途端、KのT君を思い出しました。いつものランニングコース横にトルコキキョウを作る幼馴染みです。先日、植え付けを終えました。どうしているのかな。最近の花卉相場はどうなんだろう。とまあこんなことを考えることが出来るのは、ソルマックのおかげです。 花の写真をもう1枚。陽が高くなり、タマスダレが開いていました。夜に閉じてはを繰り返します。 陽が高くなりました。軽トラに道具一式を積みました。切り出しの待ち合わせ時刻は午前9時半でした。茶屋ケ鼻トンネル手前でサンパーパー(国道388号のこと、親しみを込めてこう呼びます)を左に折れました。津志河内橋を渡る途中、電線に普段目にしない鳥の止まっているのを見つけました。ハヤブサかな。望遠にして写しましたが判別出来ません。 現場に着きました。親方「さあやるぞ、手始めはクヌギだ」ユンボに飛び乗る70歳です。元気がいいです。 クヌギの大木を倒すよう言われました。7~8本も切ったでしょうか。頃合いのものが忽ち積み上がりました。これが私への駄賃です。薪ストーブの燃料になります。ということで薪を手に入れるため、私は親方の山を切るんです。冬中、燃える炎を眺めることの出来るのは、これをしてのことです。親方が動けなくなったら、忽ち暖を取るのに困ります。長生きをしてもらわないといけません。写真のこれらは、秋から冬にかけ、ぼつぼつ玉切って拙宅へ軽トラで運びます。kusuhitoさん、見ての通りです。一緒しませんか。 ん?切り口から雫が。ぽたぽた垂れていました。涙のようでした。すまんのう。御免な。 あー、疲れた。茶をいただき、一休みです。一汗かいて、酒が抜けました。 さあやるぞ。取り付きました。今日は大木が多かったです。加えて硬いクヌギ、しかも微細の石を噛んだ根に近いところを切ったため、歯が切れ上がっていました。ヤスリで研ぎ直しました。 受け口をこさえるの図です。 毎度のことです。受け口→芯取り→回し切り。写真は切り取った受け口の部分です。 チェーンソーのバーは木の芯に届く長さであればOKです。木の半径の長さがあればということです。引っ張り(切り残し)を考えながら回し切り。一気の作業です。 1丁上がり。大きな木はゆっくり倒れます。その分、危険度が低い。体力を使いますが、倒した時の轟音は、畏怖を伴った快感があります。 これが今日1番の大きさでした。 私は身長175cm、80kgの体です。倒したところを撮った写真で比べてみると、その大きさが判ります。 汗びっしょりになりました。ヘルメットを脱いだ時刻は12時半。クヌギの始末と合わせ、3時間の作業でした。 真っ直ぐ帰宅。シャワーを浴びました。遅い昼ご飯は、義母がこさえてくれたバラ寿司でした。美味しいんです、これが。食べ過ぎました。 腹が膨れ、午後はまどろみました。昨夜の宴会をブログに書いたり、録りだめたTV番組を見たり。忽ち午後6時になりました。疲れたので走るのはこらえてもらいました。プロ野球観戦。1回に坂本の本塁打が飛び出し0対2。しかしそこから黒田が踏ん張りました。打線も火を噴きました。田中のランは機動力野球の面目躍如。それにしても巨人の守備はいただけません。エラーを幾つもしました。この期に及んでというところはあるにせよ、緊張感のない緩慢プレーでした。安部の捕球ミスに至っては少年野球レベルです。ということで当然勝利。25年ぶり、待ちに待った優勝の時でした。2プシュ。今日の一句掌に櫟涙を受け止めて鯉跳ねて溜飲下がる秋(とき)の酒 今日の写真は生傷です。シャワーを浴びていて、左足の脛に痛みを感じました。湯が沁みました。打ち身でした。山仕事にはつきものです。サッカー同様、脛当てが必要なのかもしれません。 もう1枚は柚子でしょうか。杉木立の中に棘のある柑橘の木があり、実をつけていました。1つ、ちぎって持ち帰ろうかと思いました。小さく、皮もすべすべなのでやめにしました。熟れるのを待ってみます。
2016年09月10日
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平成28年8月27日(土) 午前4時起床。晴れ。夏を越したのか、涼しさを感じた一日でした。渡る風がこころなしか秋めくの感。こんな日は山へ入るに限ります。地下足袋を履きました。 足もとだけは固めておかないといけません。この地下足袋、底がスパイクになっています。滑り止めです。山のチェーンソー作業は危険です。減らすことの出来るリスクは摘み取っておくのが杣夫の基本です。 親方からTELがありました。ユンボのキャタピラーが外れた、来る際、バールを2本持って来いとのことでした。そうしました。 波越に分け入りました。人気がありません。夏山には犬も入らぬといいますが、その通りです。 そのユンボはこうなっていました。 アームで地面を押さえ、片方を上げて地面から離しました。キャタピラーを噛む歯車はグリスで前後に動きます。はめ込むため、向こうこっち、二つの歯車の間の間隔を、グリスを抜いて縮めて狭めました。勝手知ったる親方です。重いゴムキャタピラーをバールでこねてはめ込みました。今度は注入です。グリスガンでそれをしました。その調子が悪かったです。親方曰く「家にもう1丁ある、取りに帰ってくる。お前は木を倒しちょってくれ」そうしました。 次の写真は戻った親方に撮ってもらった一枚です。矢をカケヤで打ち、ゆっくり倒れていく途中です。この一瞬がいいんです。スローモーションの後に来る轟音は断末魔です。盛中に響きます。 この木を切ろうとして、チェーンソーのエンジンを止めました。丁度正午になったからです。次の機会に廻しました。木に意思のあったなら・・・。 帰宅してシャワー。昼ご飯は心太でした。磯の風味がしました。横になり読書。ウトウトしました。頁を捲るのを止め、日高晤郎ショーを聴きました。石狩の空が高いこと、江別がお祭りをやっていること、札幌競馬場でオールスタージョッキーをやっていることなど、聴くあれこれが懐かしかったです。コマーシャルに歯舞漁協が登場。北海道の水産界は景気がいいんだと独りごちました。西日本はどこも青息吐息です。時刻が下がりました。午後4時、妻に走ってくると言いました。「あなた、久しぶりに散歩しないこと」欄を止め、そうしました。写真は小中尾mp道に転がっていたヒグラシです。まだ生きていました。杉に留まらせてやりましたが、その息は間もなく止まります。 そうと気付いて、山はヒグラシの大合唱でした。何だか悲しい気持ちになりました。歩を進めました。おっ、栗が落ちていました。 途中にムクの大木があります。実をつけていました。黒く熟れたのを穫り、食べてごらん。妻に差し出しました。一粒食べて「もういいわ、いらないわ」私、子どもの頃、よく食べました。美味しかったのですが・・・。 林道入り口で折り返しました。スズメバチがアスファルトの上を這っていました。かなりのスピードでした。 ゴマの栽培に行き遇わせました。熟れると刈り取ります。そのまま乾かして、乾燥が効いたら茣蓙の上に拡げます。木槌で軽く叩いて実を割ると、ゴマが溢れ出ます。それはそれでいいんですが、ゴマにはアゲハチョウの幼虫が付きます。当地ではゴマムシと呼んでいます。私、想像するだけで虫酸が走ります。蚕と合わせ、これだけはいけません。 また汗をかきました。再度シャワー。着替えて、妻に盛り場へ送ってもらいました。今日は弊社アマチュア無線クラブ総会のある日でした。会場の「ひかる」へ突っ込みました。会員の何人かは、今日の午後、電波発射試験を行ったそうです。当市は広く、山が折り重なる地形です。144メガヘルツのFM波では本社と交信不能の地域が多いです。而して山あいの集落との間を、レピーターを利用したらどうかということで、運用試験を行った由。参加できずにご免なさい。さて、その結果は今ひとつだったとのこと。新たなレピーター設置を考えないといけないなとは幹事長I氏の弁。アマチュア無線は趣味の世界という人が多いです。しかし、千いや万に一つの困った折、災害の時などに役立つんです。そのために細々と続けています。灯を消してはいけません。活動は幹事長と、電気の大学を出たNさんに負うところ大です。 おっ、クジラの竜田揚げが出てきました。生ビールとの相性がよかったです。トンカツ、トリ天、地鶏炭火焼き、刺盛、ホゴカラ・・・。あれこれを肴に米焼酎「無敵」を流しました。 スタートは午後6時半からでした。ギリギリ間に合いました。ん?7段だ。彼も会員です。伝搬試験のあと、午後5時からつね三で引っかけていたとのこと。既に出来上がっていました。廻らぬ舌でこれを見せてくれました。彼は中学生の時に資格を取ったとのこと。その折の免許証です。これ、有効期限はありません。一生有資格です。この時、剣道は初段かな。 7段まで上り詰めたら、紅顔の美少年はこんな顔になります。 クラブには女性もいます。K嬢の隣に座りました。大学は国文だったそうです。いいな~。私の周り、文学の香りのする人間は一人もいません。一度ゆっくり話を聞いてみたいです。ちなみに彼女、アマチュア無線の資格を取ったのは小学生の頃だそうです。素晴らしい。きれいな方なので見とれてしまい、写真を撮るのを失念。 会が終わり、つね三を覗きました。満席でした。仕方ない、帰るか。妻に迎えを頼みました。帰り着いたら、料理の最中だったとのこと。手を止めて、車を出してくれました。感謝感謝。写真はカットゴーヤです。これ、冷凍して毎朝のジュースになります。 茄子を揚げ始めました。あーあ、まだ続くんだろうな。その言葉は飲み込んで、ご苦労なことではあります。 ちょっと飲みたりません。午前、山に行った折、巨木の根に親方が御神酒を供えていました。それを持って帰りました。飲まない手はありません。 トラ「もうそのくらいにしておきませんか」今日の一句踝を確り締めて夏の山唇が無花果を舐め夏の朝今日の写真はそのイチジクです。何ともいい色合いです。今朝、妻が食べました。私はこれを食わず嫌いです。いけません。
2016年08月27日
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平成28年7月9日(土) 午前5時起床。曇りのち晴れ。夕立有り。蒸し暑い一日でした。 午前8時、ぶらり散歩に出かけました。前線面でしょうか。霊峰尺間山の向こうとこちらで晴れと曇りが分かれていました。 KのS兄が作る稲田です。実るほど頭を垂れる稲穂かな。こうありたいものです。 以下は生きもの3題。蜜を求めているのでしょうか、小さい虫は何とはなしに健気です。 こちらは黄金蜘蛛。大きい腹をしています。卵を抱えているんでしょうか。じっと見ていて、巣を張る蜘蛛は通常、頭を下にしています。血が昇らないんでしょうか? 紋白蝶を見ましたが、シャッターチャンスを得ませんでした。代打として登場してもらいました。円い模様は何のためにあるんでしょうか。余談ですが、動植物の進化には何らかの必然があります。それをしてこの印。考えの及ばない理由があるんだろうな。 最後に天神さんへ登りました。汗ばみました。帰宅して朝シャワー。気持ちよかったです。サッパリしたところに親方からTELがありました。「山が待っちょる」今日は腰が重かったです。午前10時を過ぎたブランチを食べながら迷いました。本を手に取りました。ウトウトして蒲団へ。1時間ほど眠りました。目の覚めて、よし、行こう。午後1時、地下足袋を履いて、チェーンソーを荷台に積みました。波越向け。写真は集落の入り口近くにあるラブホの看板です。建物は取り壊されています。釧路にはホテルローヤル、佐伯はホテルかたた。 今日取り付いたのはこんなところです。写真ではヒョロリにしか見えませんが、胴回りの直径は40~50cmありました。 途中、夕立に遭いました。びっしょり。木屑まみれになりながら2時間。たっぷり汗をかきました。夏山には犬も入らぬといいますが、暑かったです。 足場はよかったです。斜面かと思いきや、平地でした。親方曰く「昭和30年頃まで、ここが下堅田村の人焼き場じゃった、ほら、あそこに波越と泥谷を結ぶ道の跡があろーが」そう聞いて辺りをぐるり眺め回しました。足もとに煉瓦やコンクリートの破片。古い一升瓶も転がっていました。急に背筋が冷たくなりました。それを察したのか親方曰く「ここで焼かれたしもよろこんじょろーのうよい、こげーいて木をたおいたら陽がさいて明るーなるわい」なるほど。写真は私です。親方のカメラは子供だましです。映りが悪い。 帰りに茄子と胡瓜、南瓜と牛蒡を貰いました。今年、拙宅のそれは出来が悪い。助かります。一仕事終え、現場で上半身を着替えました。帰宅途中、スーパーへ寄りました。目的は当然鯵。4尾250円。 家に帰り着いてシャワー。プシュを片手にチャチャッ。 御神酒で流しました。今日、親方が入山の際、清めに使ったありがたいお酒です。それにしても画質悪し。 UのY子さん、父親が亡くなったとのことで、妻は通夜に出かけました。作り置きを当てに独酌。うっ、南瓜の向こうに茄子。 いい気色になり始めた頃、TELがありました。会社からでした。トラブルがあり、緊急の連絡でした。電話仕事だけで済みましたが、担当者は大変だろうな。独りごちて焼き茄子を引き寄せました。 もう少し何か欲しいな。鯖缶を開けようか。いや、サキイカで我慢しよう。 〆はシメイ。ヘタなギャグです。 旦那、まだ飲むんですか。もうやめて、ブラシしてよ。 いい気色になってプロ野球の結果をチェック。いいぞいいぞ、今日も勝利です。ルーキーの岡田、これで2勝目。明日はNHKBSで中継があります。楽しみだな。大相撲も始まります。嘉風、帰り三役を目指して欲しいです。今日の一句荼毘の跡踏みしめ木切る無心なり夏虫を頭を下げてじっと待つ今日の写真は逍遥の花三題です。1枚目は浜木綿。朝雨に濡れて可憐です。 次は名を知りません。小さい花もこう切り取ると美しいです。 最後は向日葵。水玉をつけていました。
2016年07月09日
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平成28年6月5日(日) 午前3時起床。昨日の早仕舞い故でした。外は雨。 引き続き吉村昭を読みました。ミルクティーが美味しかったです。午前7時半、チェーンソーを研ぎました。雨があがったら親方の山に行くつもりでした。 父の納屋にダイロ(コガネグモ)が巣を張っていました。糸を切らぬよう、何時もと違うところに万力を置きました。邪魔はしないからな。 午前9時前、Sさんがやってきました。彼は地域おこし協力隊の一人です。むらづくりまちおこしのため、都会から移住してきた若者です。神奈川県の出身。大学はなんと名門九州大学。そこで農学を学んだそうです。有機農業を広めたいとのこと。崇高な志を持つ好青年です。伝を頼って、拙宅のトラクターを借りようとのことでした。専業農家の新しい機械を借りるのはちょっと気が引けたのでしょう。梅林庵の納屋にあるオンボロを使えばいいと、某に聞いたとか。二つ返事でOK。いつでもどうぞ。妻や私が不在の折も勝手に使うことの出来るよう、何時も在宅の父母を紹介しました。 ロータリーの切替、ギアのあれこれ、メカの癖などを教えました。早速試運転。借り受けた畑に同行しました。写真は彼です。上手に乗りこなしました。大丈夫です。それにしてもハンサムだな。娘を嫁に貰ってくれないかという想いが頭を過ぎりました。でも左手の薬指に指輪をしていました。親ばかです。 彼とのあれこれは午前中に済みました。コーヒーを馳走、梅酒をいるか訊きました。貰ってくれました。感謝感謝。 昼を食べて親方にTEL。山如何。「今日は中止だな」といわれました。「三粒落ちたら山へは行かず」の教えがあるのだそうです。そぼ降っていました。でも、なんだか煮詰まっていて、どうしてもチェーンソーを回したかったのです。雨模様を押して波越向け。切りだし場所に着いたら、親方が蒜と南瓜をくれました。これが今日の駄賃です。袋中に胡瓜も2本。 今日の相手は大木でした。腕が鳴りました。 チェーンソーのバーがやっと芯に届くほどでした。理論上はバーの3倍の直径があっても倒すことが出来るそうです。 足場がよかったです。刃もきちんと研いだので、すぱすぱ切ることができました。 どうですか、この切株。目の付け所は切り口の面です。水平方向に真一文字。手前味噌ですが、私の腕、いい感じです。研ぎ方が下手くそだったり、幹への刃の入れ方が悪かったりだとこうはいきません。平になりません。曲がります。 雨の中、15本ばかりを倒木。濡れ鼠になりました。作業着は木屑まみれ。帰宅してシャワーを浴びました。安田記念は不如意。2ラー近くを失いました。することがないので包丁を研ぎました。上仕上げの砥石を使うと、鏡のようになります。よく見ると、鏡面にニコンレンズの規格が映っています。妻曰く「よく切れるわ、キュウリなんて刃を見せるだけでよくてよ」鼻が高いとはこのことです。以上、自慢話2題でした。 妻を急かしました。早い晩ご飯にしました。写真は月桂冠です。親方が山に供えた御神酒の残りです。雨中の作業、今日の無事故はこれが故でした。貰って帰りました。プルトップを引かず、これをちびり、味わいました。格別の舌触りでした。 当ては肉じゃが(写真なし)。立山を抜栓。これ、水のようであって後口の味わいがスマート。いい酒です。 おいトラ、もうネムネムか。 甘露は1合だけ。杯を置きました。後は伊佐錦をお湯で割って楽しみました。カープは延長戦を制しました。サヨナラ勝ち。いいぞいいぞ。 今日の一句大木を植えし人あり刃を入れて小糠雨閑居の朝に声のなし今日の写真は紫陽花です。門の鼻橋たもとに咲いていました。梅雨の色合いです。 もう1枚、親方がくれた南瓜です。もうこんなのが出来たのかという感じ。早生です。
2016年06月05日
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平成28年5月21日(土) 午前5時起床。晴れ。散歩は取りやめ。朝ご飯の後、作業着に着替えました。チェーンソーの刃を研ぎました。軽トラの荷台に積んで出発。親方の倒木を手伝うためでした。木曜日の朝、午前6時過ぎだったか、山の話がついたから来て欲しい旨のTELがあったのでした。親方は立木を現金で買い、切り倒して売る、所謂一人親方をしています。縁あって知り合いました。それで私も一人親方を名乗らせてもらっています。その後に「杣夫(そまお)」をくっつけています。杣夫とは五味川純平の小説に出てくる人物からとりました。時折、杉林に混じる雑木を手当てしてもらいます。薪ストーブの燃料がただになります。彼がいないと、薪の手当てに忽ち困ります。 話が逸れました。堅田街道を波越向け。写真は柏江で撮ったものです。江国寺前を流れる堅田川です。水面の下に鯔が群れていました。この辺り、郷土の誇る画家菅一郎画伯が好んで描いた土地です。ちなみに画伯は新文展無鑑査。弊社の社長室にも何点か飾ってあります。 次の写真は私です。いい汗をかきました。 ここは、山椒の匂いがたちこめていました。樹間に自生しているのを、ユンボのキャタピラーが踏み倒したのでしょう。葉が擦れてプンプン香りました。こんなことは初めてでした。山中で山椒の匂いを嗅ぎながら木を倒すの図。悪くありません。鰻の蒲焼きが頭を過ぎりました。写真はその実です。 あっ、豆だ。先日、kusuhito氏に名を教わったジャケツイバラです。豆科と教わったけれど、確かに。 こちらは去年の実がはじけた後でしょうか。なんだかアケビのようです。茎に棘がついていました。 途中、誤ってチェーンソーの刃を石に当ててしまいました。回している途中、ちょっと触れただけで切れ上がります。仕方ありません。丸ヤスリで目立てをしました。これが面倒くさいんです。 チェーンソーのオイルタンクが空になると、休憩して茶を飲みます。ユンボの親方も休みます。写真はその図です。問わず語りにゴニョゴニョ、何か言い始めました。だいたい次のような内容でした。 自分には高齢の母がいる。毎日、あれこれの話に付き合う。この頃、病院へ連れて行け連れて行けと言われる。脳梗塞を二度患ったが、事なきを得た過去がある。その後遺症が少し残るのが不安のようだ。医者にかかると、決まって、もう年ですからねという言葉が返ってくる。悪いところはない。それでも連れて行け連れて行け。歳々の病院通いは無意味なのに。歳が歳だけに迎えの船はすぐそこまで来ている。人は老いて死ぬ。盛者必衰。ここに至り、どこも悪くないのに医者医者と言う。困ったものだ。そんな折、妹からTELあり、カラオケの誘いあろうものなら途端笑顔満面、マイクを持ちにすっとんでいく。医者の話は何処へいったやらだ。それはそうと、人間、長く生きると人の不幸を見てばかり。生くるも死ぬるも大変だ。はなしはもどるけど、母はすることがない。毎日、朝日新聞を一面トップからテレビ欄まで全部に目を通す。物知りだ。話し好きで、あれこれを訊いてくる。知っていてもわざと訊いてくる。息子を試すようなことをしちゃーいけん。 閑話休題、帰りに積み残してあったクヌギを軽トラへ。荷台の半分近くが埋まりました。帰宅して斧で割りました。写真は道中に見かけたトラクターです。後ろに付属のアタッチメントは干し草を攪拌、乾燥を促すためのものでしょうか。 始末のついたのは午後1時。胡瓜が花を咲かせはじめました。あらぬ方向に伸びようとする蔓を戻してやりました。写真はいまのところ一番大きいものです。茄子にも花がつきました。 花ついでにもう1枚。これが咲くと、いよいよ夏です。 者アーを浴び、遅い昼をしました。本を読んでいてウトウトなりました。午後5時前、着替えて走りました。ラン5km。途中、Tさんと行き合わせました。彼は農地に太陽光発電のパネルを設置しています。耕作放棄地がお金になることを説かれました。震災で原発が停止して以来、国のエネルギー政策は転換しました。その恩恵が木立にも及んでいます。 長話を終え、イヤホンを耳に戻しました。折角追いついたのにサヨナラ。カープが負けました。仕方ないので相撲中継に。白鵬優勝。嘉風は琴奨菊に敗れて負け越し。稀勢の里は2敗。ふたたびシャワー。 今日は終日妻不在。朝から野暮用で福岡へ出撃。帰宅は夜遅くと聞いていました。ということで昼は猫飯。夜はつね三に突っ込もうかな。山椒の残像が頭に残っていて、誘惑されました。堅田川の天然鰻を食べたいな。でも思い直しました。今日はおとなしくしておこう。プシュッ。当ては鯖缶。マルハです。鰻とは大違いですが、これはこれでよいです。 これで締めました。隣のグラスは、白波のお湯割りです。サキイカ、ご飯にあうんですよね。 今日の一句鯖缶を鰻に見立て初夏の夜今日の写真は穴です。穴にも色々あります。倒した杉に飽いたコゲラの巣です。波越の奧、チェーンソーを止め、一休みしていたら、コンコンコン・・。鋭い音が響き渡ります。それをしてこれなんでしょう。
2016年05月21日
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平成28年4月17日(日) 午前5時起床。夜通しの吹き降りでした。白み初めて雨が上がりました。嘘のような静けさになりました。スマホは昨日の昼から1回も地震警報を鳴らしませんでした。寝ずの番をしたDatelineにTELしました。昼に交代するとのこと。労いました。お疲れさん。熊本方面はまだ揺れているようですが、こちらは落ち着いたような感ありでした。 午前7時、携帯が鳴りました。親方からでした。新しい山に取りつく、今来いとの指令でした。襤褸を着、地下足袋を履きました。写真は波越に向かう道中、西野の山を撮ったものです。椎の花が咲き始めました。空の青とのコントラストがよかったです。桜とはひと味違う春です。 切り出しに着きました。初入りの際は塩と酒で得物の刃を清めます。今日もそうしました。引き締まる気分になりました。 足もとは平場でした。ただ、木の手入れはあまりよろしくなく、ご覧のとおり、葛が巻きついていました。 春の陽気、新緑の中の作業は、身も心も洗われる気分です。写真は私です。なんだか足が短いような(笑い)。親方、もちょっと上手に写してよ。 木の根元は苔むしていました。刃を入れるのが気の毒になりました。しかし、親方は「はよ切らんかい」急かします。仕方無しの仕儀です。 当の本人はユンボの上で殿様気取り。でも、薪ストーブの世話をしてくれます。つむじを曲げられたら困ります(笑い)。 あっ、トカゲだ。保護色になっていています。判りづらいです。よく見ると、何ともスマートな感じです。 うっ、ムカデも出てきた。でかい。15cmはありそうです。かまれたら痛いだろうな。 マンリョウの実は相変わらず赤を競っていました。 ゼンマイのような植物がニョキニョキ。食べられるんだろうか。 山椒が新芽を出していました。春の山には息吹があります。 2時間で大小を30本ばかり倒しました。いい汗をかきました。写真は、汗を拭いての帰り道、南中学校前に広がる麦畑です。気持ちのいい風にそよいでいました。 木立に入ると、沖田に田植機が動いていました。晴れてこの陽気です。農作業は気持ちがいいだろうな。 うっ、昼ご飯はまたしても。もう勘弁して欲しい。 腹が膨れて、ふたたび地下足袋を履きました。昨日する予定だった茄子と胡瓜の植え付けでした。植えるのは僅かの量ですが、畝作りが面倒です。 トラクターに乗り、菜園畑を耕耘。次いで鍬仕事。施肥は妻の役目でした。 陽が傾きました。影が延び始めました。 カープ戦が気になりました。馬もでした。鍬を洗い、包丁を研いだあと、結果を確認しました。てやんでぃ、どいつもこいつも負けやがって。 風呂を浴び、会社へTEL。状況を聞きました。事無きのようでした。それを確認して電話を切りました。プシュッ。おっ、今日は締め鯖だ。荒神に供えた御神酒で流しました。 うっ、またもやです。 最後に嬉しい当てが待っていました。猪の甘煮でした。妻が圧力鍋でこさえました。柔らかい。薄味に仕立ててあります。ウイちゃんで流しました。また明日から仕事です。気分一新、頑張ります。 今日の一句土を割く鍬先伝う春の声今日の写真は杉の切株です。引っ張りに残したところが裂けて尖り、針状になっています。倒した後、チェーンソーできちんと始末しないといけません。夜になって荒神が昼の仕事を観に来るからです。その際、切株に腰掛けます。尻を刺しては大変です。腹を立てられてはかないません。
2016年04月17日
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平成28年3月26日(土) 午前6時起床。昨夜は深酒でした。写真は二番煎じですが、萩の鶴をグビグビやる昨夜の図です。昨日、nkucchanが褒めてくれたので、鶴嬢とジャニーズをもう1枚。私のチームには樽振り(大酒を飲んで騒動する輩)が多いですが、方やこんな感じのスマートもいるんです。 朝ご飯はトーストと目玉焼き。珈琲を淹れませんでした。身体が重かったです。親方にTEL、今日は山に入るのか訊きました。「なにしよんのか、はよこんか」急いで着替えました。チェーンソーの目立てをしました。軽トラに乗りました。切り出しに着いたのは午前10時。後れをとりました。写真は今日倒した杉林です。 藪に入る前、親方がフマキラーを取り出しました。シューシュー、下半身に吹きかけました。「Mんおいやんがおまい、ダニが出たっちいいよったんよ。ほじゃーき、ふっかけちょかんとのーうよい」私はこれまで一度も被害にあったことはありません。しかし、念のため借りました。 刃を入れさせてもらいます。すまんのう。 先ずは受け口です。 目立てを終えたばかりです。フルスロットルとも相まって、刃がどんどん食い込んでいきます。 倒れる時の音は地響きを伴います。今日もいい仕事をしました。 一休みの図です。茶を飲んで、耳を澄ませました。鶯の声が聞こえました。春です。 私が作業の間、親方はユンボを運転します。あれを切れ、これを倒せと指図されます。こちらは汗ばみますが、向こうはレバー操作だけ。寒いんでしょう、着膨れています。 次の写真は先週の杉です。倒したのは私です。ウィークデー、私がネクタイを巻いている間、この山奥で親方は枝払い、玉切り製木、集材を一人黙々。男の仕事です。悪くないです。 帰りがけに私「親方、こんだけん材でなんぼぃなるんな?」親方「そうじゃーのぅ、曲がり、黒芯、粗めも混じっちょるきーのー、10万円がなあろーかのー、ほいておまいぁ昼からどげーすんのかの?もうこんのかのー?」私「昼からーぁ堪えてくりーの。わしもいろいろあるきーのぅ。帰りーぃ、魚屋ぃよって鯵ぅ買(こ)ーてかえらなーいけんのよ」親方「ほいたら裸銭でわりーけんど、こるーぅやるわい、こぃで鯵ぅ買え」一万円くれました。何時もは半日の日当が玉葱だったりソウメンカボチャだったり。ケチなんですが、今日はどういう風の吹き回しか。私「親方、飲んじょるんじゃーねかろーのぅ?」 帰りに家へ寄るよう言われました。玉葱を引いてくれました。親方「これが鯵んツマぃいいんじゃーが。ほいての、こるーやるわい」写真にはありませんが、自然薯をくれました。天然の山芋でした。 帰宅して、遅い昼を食べていたら電話が鳴りました。父からでした。「Nさんの山にいい土がある、それを運べ」厳命には逆らえません。もう一度作業靴を履きました。写真は軽トラへ腐葉土を載せるの図です。あーあ、軽トラが汚れる。嫌だな。私、この車で薪を運びますし、通勤にも使います。綺麗にしておかないと、背広・革靴が汚れます。堆肥運びを命令されたら、勘弁してよという気持ちになります。 積んで戻った土は、このように使いました。盛り上げた畝の上に広げました。背中は父です。米寿を前にして耳は遠くなりましたが、顎は弱りません。顔を合わせると、必ず小言をいわれます。たまりません。 閑話休題、妻が菜園にストーブの灰を撒いていました。トラクターで一回し。鋤き込みました。一段落して、散歩に出発。相撲放送を聴きながら妻と2人、歩きながら娘息子のことを話しました。子等は2人とも誕生月が3月なんです。道中、少し曇っていましたが、岡山のヤマザクラがいい感じでした。 ん?大溝の疎水に何かが沈んでいました。鹿の足と頭です。角を切り取られていました。何とも惨い。 亀の甲橋で折り返しました。ここは木立川左岸の堤防です。明日の午前、写真に写る鉢にツツジを植えるそうです。拙宅からは妻が参加の予定です。 家に戻って晩酌の準備。鯵をチャチャッ。風呂へ飛び込みました。さあ飲むぞ、とその時「あなた、山芋をお願いね」ああ、そうでした。早速取りかかりました。写真は摺りおろすの図。 次いですりこぎでゴロゴロ。 出し汁を少しずつ入れていきます。量がどんどん増えて、鉢一杯になりました。出来上がりの図。この間40分。疲れました。 仕切り直し、さあ飲むぞ。長野・諏訪、宮坂酒造の銘酒「真澄純米酒」です。おーっ、甘露甘露。燗にもしてみましたが、とてもいい感じでした。 当ては勿論これ。自然薯も啜りました。いい一日でした。今日の一句木の精に断り申す杣夫居り自然薯を啜りて浮かぶ芥川今日の写真は親方の庭に咲いてあった花です。もう1枚は散歩途中、S兄宅にあった馬酔木。花持ちのよい木です。オマケはグミの花。DのYっさん宅に咲いてありました。赤い実がなります。熟れたら盗んで食べます。
2016年03月26日
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成28年3月20日(日) 午前6時起床。昨晩の深酒に少し頭が重かったです。今日はkusuhito氏と待ち合わせ。山に薪取りの日でした。ということで作業服を着ました。写真は落ち合うところに向かう途中のレンゲ畑です。春です。 現場に着きました。林道に入ると、苔むした水場がいい感じでした。 ツルノハの木がありました。「あれはユズリハという名前だよ。葉が重なって育ち、下の葉から順番に落葉するので、親、子、孫と順番に育っていく世代交代のお目出度さ、幸せに例えられるんです」と解説してくれました。流石植物学者、博識です。過去に何度も知らない草木の名を教えてもらいました。 薪はコナラを採取。 鳶口を打ち、引っぱり出しては小切ること1時間。 たちまち軽トラ1杯が出来上がり。kusuhito氏もルノーから変えたレガシーの荷台に満車。尻を下げて大分へ帰っていきました。彼も薪ストーブ愛好家。軽トラを買えばいいのにな。 以下の写真は道中の点描です。山あいから祖母・傾国定公園の主峰、傾山を遠望することが出来ました。 山里は花が満開でした。これは赤紫の混じった辛夷です。とてもいい感じでした。 振り返ると堅田川。堤防脇の桜はこの蕾です。開花が間近です。まだ稚アユの姿はありません。放流はもっと後になるのかな。 帰宅したら午後1時前でした。思わぬ時間を要しました。昼はインスタントラーメン。これを啜って再び野良へ。この冬に燃やし、空きスペースのできた薪小屋へ、へビニールを被せてあった梅林下の薪を運び込みました。一輪車をつっぱるのが重かったです。写真は転地途中の薪山です。 カタツムリがいました。この暖かさに動き始めたようでした。 始末を終えて、次は積んで帰ったコナラを割る作業。コナラはよく割れます。。斧の刃をみせるだけでパカンパカン。力勝負ではないので、軽く汗ばんだだけでした。 服のほこりを払ったら午後5時でした。風呂に入る前、刺身をこさえました。山からの帰路、スーパーに寄ったのでした。左が青鯵、右が真鰺。青は6尾で1/6ラー。もう片方は5尾で1/2ラー弱。これが今夜の当てでした。安上がり。 どうですか、この色加減。青鯵刺しです。昨日の御神酒と流しました。バタンキュー。最近、走っていないな。 今日の一句譲り葉に振り返る吾二人の子今日の写真はトラです。刺身を狙いやがって。さっき、おこぼれをやっただろう。
2016年03月20日
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平成27年12月17日木曜日 午前6時起床。晴れ。後れをとりました。目の覚めて、今日はポカ休だったことを思い出しました。本を読んで、レコードを聴いて。陽だまりの中でトラを膝に載せ、頭を撫でながら珈琲と「きのとや」のクーヘンを楽しむつもりでした。写真は朝ご飯の干物です。カタクチイワシです。私はマイワシが卒論でしたが、当時助教授だったK先生はこちらが専門。コツコツ型のサーディン研究者でした。これを食べると、思い出します。いまだに賀状を頂きます。いごっそうですが、函館在住です。どうしているかな。 話がそれました。朝間、親方(山仕事の師匠)のブログを見ました。それがいけませんでした。日曜日に倒した木の始末を終えた図を掲載してありました。私宛てのメッセージ写真でした。ポカ休を取って早く来いということでしょう。しかたなし。読書を諦め、地下足袋を履きました。一式を軽トラの荷台に積みました。北風が冷たかったです。 切り出しに着きました。ユンボが停まっていて、親方はいませんでした。TELしたら、直ぐ行く、帰ったらいかんぞ。二つ返事でした。やって来るまで、椎茸を覗きました。出ていました。帰りに毟ろうと思いました。 親方がやってきました。今日は彼に土産を持って来てあげました。彼は田舎モンです。ただでもらえる物は何でも喜びます。プレゼントしたのは旗でした。それを持つの図です。 早速取り付きました。先日も今日も、これくらいの大きさの杉を倒しました。胴回りを抱いて手をまわしました。右左が届きませんでした。 受けを切り取るの図です。この後、芯を取って、反対側に刃を入れるのがセオリーです。 倒れる時、ドドーンという音は何時聞いても迫力を感じます。加えて畏れ多いです。前後しますが、傾く方向とは反対に倒す折は、矢を打ちます。ここまで打って、やぅっと狙った方向に倒れました。倒す方向とは反対の傾き、その程度が判ります。矢の先に切れていない部分があります。これは横に倒さないための引っ張りです。きちんと残さないと、思わぬ方向へ倒れます。この加減が難しいんです。 中にはこういう傷物があります。これは鹿の角が入ったものです。売り物になりません。中間は玉切って捨てます。 矢の話。今日は傾きの大きい木が多かったです。矢が活躍しました。小さな玄翁では効きが悪い。間に合いません。ということでカケヤにしました。こうやって打つんです。根元の片方、切り口に打ち込んで木を興します。重心を反対方向にかわすと、一気となります。結構な重労働でした。 2時間で10本あまりしか倒せませんでした。思わぬ時間を要しました。矢打ちのせいでした。11時半を回って、薪の取り付きへ向かいました。斧を振るいました。上腕がパンパンになりました。何とか満車にしました。帰り着いたのは午後2時前でした。荷役をして、今日の仕事は打ち止め。 シャワーを浴び、遅い昼をしました。録画してあった刑事フォイルを見ました。ますます、いい感じになってきました、このドラマ。好きです。今日の一句鹿角に樹皮を裂かれし冬の杉今日は料理の写真です。妻が技です。1枚目はベジブロス。薪ストーブの上に寸胴鍋を置いて煮込みました。漉し、それをペットボトルへ入れ、取っておきます。冷蔵庫に入れておくと日持ちします。いつでも使えます。野菜等はお役御免、残飯行きとなります。 2枚目はそのベジブロスを使ってのビーフシチューです。あっ、ビーフは半分。もう半分は鹿肉でした。何せ1頭分が冷蔵庫に入っています。食べないと、空きが生じません。味の方は複雑でした。硬い鹿も、煮込んで軟らかくなっていました。美味しかったです。ワインを抜栓。 最後は椎茸です。練り味噌を塗り、その上にチーズを載せて焼きました。取れたての生椎は、格別の味です。
2015年12月17日
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平成27年12月13日日曜日 (続き) 午前8時、家を出ました。写真は朝の木立川です。さほど冷えていませんが、水蒸気が昇っています。水面に鴨が泳いでいました。九州百名山の一つ標高582mの元越山は遥か彼方です。 今日は新しい山に取り付きました。勿論親方の所有です。樹齢60年ほどでしょうか。間伐が効いて、いい木が立っていました。 先ずはチェーンソーのタンクに油を入れます。さあやるぞ、という気持ちになります。 おっと、その前に清めをしなければなりません。荒神に清酒と塩を供えました。その後、塩を舐めました。ピリッとして、背筋が伸びました。 次の写真は親方撮影の私です。彼のブログに載ったものをパクリました。チェーンソーのバーより木の直径が長かったです。向こうこっちの両方から刃を入れないと倒すこと能わずのサイズもありました。矢が役に立ちました。 2時間で20本も倒したでしょうか。もう少し少なかったかな。藪の中、大きい木を切るのは疲れます。 次の写真は親方です。油と矢、それに玄翁を持ち歩くだけ。あれを切れ、これを倒せと言うばかりです。ドドーン、横倒しになると「うまいもんじゃーのー」とお世辞を言います。褒めて得意にさせようという魂胆でした。 今日の駄賃は、生シイタケでした。直ぐ近くに駒打ちの櫟(クヌギ)を置いてあるのです。上等を袋半分程毟りました。嬉しかったです。11時に一段落しました。腹が減りましたが、薪の切り出しに向かいました。その道中、林道はいい感じの小春日和でした。茶枯れの色合いが何ともいい感じを醸していました。 もう一枚、藪山です。全山紅葉も悪くありませんが、このても捨てがたいです。 切り出しの場所は日中も日の陰る寒いところです。前にも書きましたが、昔、火葬場のあった近く。気味の悪いことといったらありません。今日はチェーンソーを回しませんでした。斧で、一つ一つを割りました。背後の山から聞こえて来る鳥の声、風のざわつき、それぞれになんだか物の怪を感じました。私、臆病なんです。怖かったので、カーステレオにBachを流しました。1時間ほどで満車。汗をかきました。写真は帰宅途中、江国寺前の堤防です。今日も消防団が行方不明の老人を捜索中でした。後で知りましたが、そこから更に下流、川原付近の川底に沈んでいるのを、県警のヘリコプターが発見したそうです。 帰宅して遅い昼をしました。写真は、満腹になった後、荷役中に誂えた荷崩れ防止用の措置です。鉄棒を土中に打ち込みました。40cmほど入ったところで、それを抜きます。代わりにビニールハウスに用いていた骨を差し込みます。これが薪を積む際、壁止めになるんです。孟宗竹の輪子といい、我ながらいい考えです。 それを終えて一息つきました。風気味の妻が出てきました。「あなた、車庫にしだれかかる梅の枝を落として頂戴、ついでに金木犀もバッサリやってね」アイアイサ-。ハンディのチェーンソーを持ちました。始末をしましたが、疲れました。写真のないのが残念です。地下足袋を脱いだ時、既に午後5時を回っていました。グロッキー。風呂に入る前、山に備えた御神酒の残りをグビッ。甘露でした。喉の渇きにはビールと相場が決まっていますが、日本酒も悪くないというのが判りました。 今日の当ては野菜の煮込みでした。ヘルシー。 も一つ、鯵の塩焼きと、親方の山から持ち帰った椎茸です。味噌マヨネーズを塗り、とろけるチーズを載せ、オリーブオイルを垂らして出来上がり。見た目は大したことありませんでしたが、美味しかったです。ちなみに大鯵は、隣のYっさんにもらいました。昨日、猪の煮込みを裾分したお釣りでした。 今日の一句荒神に供えの酒や冬の暮れ今日の写真はテントウムシです。野良仕事の一休みに顔を見せてくれました。いい色合いです。といいたいところですが、1日あたりの容量をオーバー。明日に回します。
2015年12月13日
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平成27年12月12日土曜日 午前4時起床。晴れ。週末の未明はコーヒータイム。義弟のお嫁さんが焼いたケーキを食べました。抹茶に小豆が入っていい感じでした。おっと、ゆっくりしてはおれません。野良着に着替え、スパイク足袋をはきました。午前8時、家を出ました。勿論チェーンソー等七つ道具を軽トラに積んでのことです。波越の山に入りました。写真は、薪の山です。この図を見ると、なんだか気分がよくなります。酒屋に入って棚に並ぶ銘酒を眺め、悦に入る心地です。 忽ち1車。10時前に山を下りました。ん?おかしいな。林道を下る途中で軽トラを止めました。スペアタイヤがブラブラした状態になっていました。まずい。Sマイカー、KのYちゃんにTELしました。直ぐ来いとのこと。自動車修理工場へ廻りました。荷を積んだ状態でしたが、忽ち修繕がなりました。流石プロ。無事、拙宅梅林に帰り着きました。今度は降ろす荷役。大きいのは割ります。写真は斧に割られた木の模様です。美しいです。 前後します。山に入って汗をかいていたら、ヘリコプターの音がしました。近くでした。すでも姿が見えません。山の空は狭いです。午後になって、再度向かう途中に出くわしました。大分県警でした。 作業の途中、切り出しに親方がやってきました。何でも認知症の老人が昨日から行方不明になっているとのこと。ははーん、ヘリの音はそうだったのか。警察と消防が堅田川の川筋を中心に捜しているとのことでした。一昨日の大雨で増水しています。流された可能性もあるんでしょう。写真は山からの帰り、江国寺前の川面を消防署のボートが下るの図です。行方不明者が出ると、消防団は何をさておき、捜索にかかります。この組織、ボランティアです。頭の下がる思いです。 さて、その親方に私「ところで親方、知っていますか?トスカ」親方「鳥栖か?久留米じゃーねーんな?」私「違う違う、歌劇のトスカ」親方「過激の?そげー辛いんけー、そげなもなー食べたことがねーわい、喰わるるもんな?」写真はその彼です。山に入ってなお小綺麗な身なりですが、相当な田舎モンです。 閑話休題。チェーンソーが切れが悪い。昼前に2台とも研ぎました。鑢(ヤスリ)を当てたら、刃先の鈍っているのが判りました。切れは作業効率を左右します。目立てが大切です。研ぎ上げて、これでもう大丈夫です。昼をして、もう一度波越へ。丸太は40cm程度の長さに玉切りました。取り付けがいいので忽ち満車になりました。しかし、一つ一つが重い。腰を痛めないよう、気をつけなければなりません。無理は禁物です。鳶口で荷台近くまで転がしました。 始末のついたのは、午後5時半でした。薪割りに時間を要したからです。長時間、斧を振るいました。風呂に入る前、腰と上腕が軋みました。エンジン式の薪割り機が欲しいな。でも15万円前後します。高いです。ヘソクリを飲んでしまったので、買うこと能わずです。写真は梅林下のストックヤードです。明日も手で割ったものを積みます。 今夜の当ては猪でした。解凍した肉は、いつも有次の出刃でやっつけます。今日は盛高の青紙スーパーを使いました。切れる切れる。やっぱり違います。盛高刃物の当主が「スーパーは切れ味が違うとですよ」と言っていたのを思い出しました。その折、内心、包丁の切れ味は、鋼よりも研ぎに依ると思いました。しかし、こうして獣類の肉を切ってみると、おっしゃるとおりでした。恐るべし青紙スーパー。写真は鍋の中で湯気を立てる猪肉です。これは本匠のマタギOさんにもらった夏の小猪です。隠し味にニンニクの摺り下ろしを使いました。加えて唐辛子も。軟らかかったです。奄美大島の黒糖焼酎に合わせました。疲れた体に沁み渡りました。 今日の一句奥山に薪を刈りて空狭し猪子肉奄美の酒に箸すすむ今日の写真は久しぶりにジョニ黒を。kusuhito氏に頂いた甘露です。飲みながらyoutubeでちあきなおみをサーフィンしました。彼女、日高晤郎の絶賛する一人です。確かに。ちなみに青の手帳はモレスキンです。来年、使ってみることにしました。2016版のdailyタイプです。今から楽しみです。
2015年12月12日
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平成27年11月14日土曜日 午前4時起床。未明、勝手口の庇、透明波板に降りかかる雨音がしました。朝ランを諦めました。届いた新聞に池井戸潤「下町ロケット2」の連載がありました。毎週土日に掲載されます。週末の楽しみです。本を読んでブログを書いて。朝ご飯を食べていたら携帯電話が鳴りました。親方からでした。曰く「強制じゃーねーけんど、山ぃ来たかったら来りゃーいいわい」 私「降りよろーが」親方「雨ぁしょわーねー。あがる」私「何かくるるもんがありゃー行かんこともねーねんどのー」親方「椎茸、キャベツ、白菜、新玉、チンゲンサイ、そんくらいじゃーのーぅ」私「ほいたら行くわい」 襤褸に着替えました。チェーンソーを軽トラの荷台に積みました。現場は平場ですが、濡れているので滑る恐れあり。スパイクの地下足袋を履きました。現地に着きました。本人が待っていました。 早速取り付きました。足場がいいので、作業が捗りました。暖かかったので、汗をかきました。途中、雨脚が強くなりました。濡れました。親方は屋根付きのユンボに殿様座りでした。人足との違いです。 こちらが着工前。 これが竣工写真です。2時間あまりで30本倒しました。木屑まみれになりました。 今日のノルマが終わりました。親方が椎茸山に案内してくれました。この雨に、雨後の筍然りの図となっていました。ん?傷の入って白くなったものがある。親方曰く「ナメクジの奴が這うたんよ」袋一杯とるといいと言ってくれました。スーパーで貰うビニールの買い物袋(大)満タン、頂きました。 彼の家に寄り、彼の母親に声をかけました。顔見知りなんです。彼女曰く「Y(親方のこと)がお世話になります。いつも加勢をしてくれてありがとう。あなたの笑顔を見ることができて嬉しいわ。Tさん(私の妻)にくれぐれも宜しく伝えて下さいな」びしょ濡れで少し寒かったですが、お母さんにこう言われ、疲れが吹っ飛びました。写真は親方にもらった野菜です。キャベツを除き、拙宅にないものです。嬉しいな。 帰宅。シャワーの後、昼をしました。着替えて、午後は忘れ物を取りに会社へ。ついでに書類の整理も。2時間ほどして、スマホがなりました。Dからでした。彼とは高校時代、机を並べたことがあります。最近、仕事上のことでで顔を合わせる機会が多くなりました。どちらからともなく、親しみが戻ったのでした。電話の内容は、JBLを聴かせるから家に来ないかという誘いでした。この後、予定の買い物のことが頭を過ぎりました。でも折角なので訪ねてみたい気持ちが勝りました。書類仕事一段落させました。会社を後に。スーパーへ寄り、小鰺を買いました。これは今夜の当てです。Dへの土産にと、冷酒の小瓶も2本。彼の家に廻りました。小一時間、オーディオ談義、音楽の好みを話しました。ワーグナーのタンホイザーをかけてくれました。続いてジャズを。コテコテのJBLサウンドでした。クラシックには不向きの音でした。写真は彼のオーディオです。 Dの奥さんに、椎茸はあるの?と訊かれました。嘘をつきました。無いと応えました。もらえるものはもらうのが私の流儀です。彼女曰く、冷凍しておけばいつでも使えるわ。いいことを聞きました。でも重なる折は重なるものです。今日は椎茸三昧です。 帰宅して、鯵に取り付きました。毎度のことですが、トラがまとわりつきました。写真を掲載すると、またかと思われます。やめます。始末を終えて、プルトップを引きました。当てはニナの佃煮です。冷凍しておいたのです。この夏、妻の友人が奈良から帰省した折、彼女の母親作だと言って土産にくれたのです。一パックは食べあげましたが、もう一つあったのでした。美味。 飲み始めて大相撲にチャンネルを合わせました。嘉風、いけーっ!逸ノ城をぶちかませーっ!応援が功を奏しました。間髪をおかず、花火の音が聞こえました。いいぞいいぞ。あーっ、酒がうまい。 晩酌が終わり、ウトウト。妻が茶を淹れてくれ、目が覚めました。音楽タイムにしました。イエペスのBachを聴きました。彼のシャコンヌは絶品です。妻が風呂に入りました。よし、目を盗んでもう一杯。鯵を買ったついでに求めた上善如水を流しました。流石純米吟醸。いい感じでした。 今日の一句雨脚に背を踏まれつつ木を倒す格別のちびちちびりは目を盗み今日の写真は親方の道具二題です。万力はチェーンソーを研ぐ際、重宝します。 緩慢腰会の看板です。題字は私です。普段、掛け軸を書く折しか筆を取りません(嘘です)。これを書いたのはもう10年以上前だな。木質は桜です。 次いで、山で見かけた2枚を。マンリョウです。波越のいたる所に自生しています。今日は雨に濡れていい感じでした。 蜘蛛がいました。腹部の模様、気持ち悪いほどに美しい。下ばかり見て作業していると、この中に顔を突っ込むことになります。 最後にトラを。今日もストーブの前にゴロリ。流れるBachにうっとり。可愛くて仕方ありません。
2015年11月14日
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平成27年10月15日木曜日 午前4時起床。曇り、夕刻に晴れ間がのぞきました。朝、外の気温は10℃でした。拙宅は高気密住宅ではありません。あばら家です。ストーブに火を入れました。パンツ一丁で焚くの図。何ともへんてこりんです。筋トレの後、外に出てみました。シュウメイギクがいい感じでした。 もう一枚、ホトトギスです。熊本の漱石旧宅にも咲いていました。訪ねた折、子規との関係あってのことと思いました。それが拙宅にも咲いているのを見て、なんだか嬉しくなりました。 人事考課の季節です。締切が迫っています。部下の面接を急がねばなりません。私は中間管理職です。部下の考課をしますが、私を対象の考課も当然あります。今日がその日でした。傘下のマネジメント、まわしを締めてかかれという達しがありました。以降、デスクワークの合間を縫って部下を面接。午後は会議でした。途中、たびたび呼び出しがありました。身が入りません。落ち着いて書類に向かったのは、退社時刻を過ぎてからでした。慌ただしいです。 このところ、会社を後にするのは真っ暗になってからです。走ること能わず。昨年までは、日が落ちても気合いを入れて運動公園へ向かいました。懐中電灯を持って暗い中を走りました。今年はどうもいけません。折れてしまいます。レースにエントリーするだけの練習は全くできていません。 帰宅して風呂。妻が温泉の素を入れてくれました。忽ち箱根の湯船になりました。浸かりながら本を読みました。筋肉の弛緩がよいです。でも、一日の疲れは酒で癒やさざるをえません。角の底溜まりを注ぎました。グイッとやりました。カーッときました。当てはタレに浸けて干した鹿肉でした。半生でしたがいい感じでした。こちらは写真にありません。先のKさんにいただいたものです。 当てをもう一つ。茄子。そろそろお終いとは妻の弁。やれやれです。 録画していた「グレートトラバース2~日本二百名山一筆書き踏破~」を見ました。田中陽希という鉄人が、宗谷岬から鹿児島・佐多岬まで、全行程を歩くという試みです。もちろん二百名山を登りながらです。下山して次ぎの登山口までの移動も全て徒歩。彼は昨年、屋久島・宮之浦岳から北海道利尻岳までの百名山を踏破しました。その番組をシミ君に教えてもらい、見始めてのめり込みました。 この番組、とにかく素晴らしい。田中氏本人も凄いですが、彼を追うカメラマンの苦労は並大抵のものではないと思うのです。足の早い彼をテレビカメラを担いで撮影すること、主人公以上に大変です。加えて道中の自然、あれこれの山容と登山道やピークからの眺望。どれもが見たことのない景色です。更に、山の一峰一峰を評した深田久弥の名文が味わいを添えます。これまで3回の放送がありました。残りは今後、3回に分けて年明けまで続きます。撮影は現在進行形です。彼が大分にやって来るのは11月です。登る山は由布岳です。スケジュールを調べて、応援に行こうかな。ちなみに「二百名山」には百名山が含まれています。この番組で彼の登る山は、百名山を除いた残りの100峰が対象です。 一緒に見ていた妻に、何処かに登ろうかといいました。いつもは尻の重い彼女ですが、その気になったようです。久住の大船あたりがいいかな。今日の一句不如帰季節見送り見送られ今日の写真は夏野菜です。パプリカやミニトマト。菜園にまだ頑張っています。
2015年10月15日
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平成27年10月10日(土) 午前5時起床。終日曇り。肌寒いので、えいっ!焚いてしまえ。薪ストーブに火を入れました。10月に焚くなんてと妻が怒ること、承知でした。いいんです、トラが喜びさえすれば。この図です。 出張疲れ(飲み疲れ)が残っていました。しかし、そんなことは言っておれません。親方が待っています。それとは別に、父の指令も下りました。曰く「額縁にする材料が底を突いた、今から山へ切りに行く、準備せい」勘弁してよ、とんでもない、一緒したら、あれこれ命令されて、その全てが段取りの悪い方悪い方になること請け合い。年寄りの現場はいけません。仕事にならない。「父ちゃんは家で待っちょれ、そげん木は波越になんぼでもある、親方から貰うてきちゃるわい」しばらく考えて彼曰く「目の詰んだんでないといけんぞ」ハイハイ、いいのを見繕います。ということで軽トラへチェーンソーを積みました。波越向け。今日は大木を倒す予定でした。写真は道中の水田です。藁を括り、立てて干していました。この光景、最近は目にしなくなりました。 もう一枚、前掲田んぼの横に蒲が群生しています。終わり頃でした。ソーセージを縦方向に串刺しの図も、秋が深まるにつれ、ほぐれていきます。 波越集落に着き、奥の院へ入りました。途中、Mのおっさんがいました。姿を見るのは半年ぶり。草ぼうぼうになっていた焚火の場所を片付けていました。元気そうで何よりです。何か、甘いものを持ってきてあげればよかった。 そこを過ぎると、森らしくなります。写真は、銀杏の植わった小径です。いい感じです。詩集なんぞを手に散歩したくなるようなところでした。 しかし、杣夫にそんな姿は似合いません。地下足袋男です。チェーンソーを回すほうが好きです。早速取り付きました。こんな感じに倒していきます。写真に写っているのは、私の親方です。私のいないときはチェーンソーを持ちます。私がいると、手を後ろに組んで眺めるだけです。 おっと、忘れていました。父の頼みをそのまま親方に伝えました。見立てて、これにしました。年輪の幅がちょっと広いけれど、無節のようだから、ま、いいか。 注文の通り2mに玉切りました。後は親方任せでした。帯で吊ってくれました。ユンボがあると、オチャノコサイサイです。 軽トラの荷台に降ろしてくれました。途端、車体がぐっと沈みました。まずい、積載量オーバーかな。親方曰く「責任は持たんぞ」丸太の両側に止めを噛ませ、ロープで固定しました。帰りの運転はそろりでした。父に見せたら、思いの外喜びました。 製材所に降ろして今日の仕事は終わり。 シャワーを浴びました。昼ご飯は外食にしました。シミ君が駅長の「道の駅やよい」へ向かいました。車で20分のところにあります。天下の清流番匠川の中流域です。ツガニ(モズクガニ)が売ってありました。これ、湯がくといい味がします。 鹿の角を加工したペンダントです。1個500円は安いのか高いのかわかりません。それはそれとして、猪の牙も商品に加えたらどうだろうか。 目当ての「よくばり定食」を注文しました。これ、じゃらんに掲載されているとはシミ君の弁。煮からめた特産のシイタケと鶏が載っていました。加えて弥生地区特産のショウガを揚げもの。タレが辛かったですが、天麩羅はいい風味を出していました。 腹が膨れました。「海の市場〇」に廻り、次いで神野酒店へ。最後はその名が全国区となった「糀屋本店」に。海産物、地元の焼酎、甘酒や塩麹、あれこれを求めました。これは土産にするためのものです。明日から1泊で熊本に行ってきます。プライベート。妻のお伴です。学生時代、彼女が所属した合唱団の指導者、お世話になった大御所が高齢につき引退するとかしないとか。現役・OB合同のコンサートは毎年1回あり、案内はその都度届いていました。会費は払っていたものの、一度も参加したことがありません。退くことを知り、勃然、思い立ったようでした。ついでにコーラスとは別の友人にも会いたいとのことで、連絡を取ったようでした。往復の運転と引き換えに、私は下通り界隈を飲み歩きます。馬刺と辛子蓮根が楽しみです。ウッシッシ。余談が長くなりました。写真は糀屋本店の店構えです。遠来のお客さんが多いです。 帰宅し、さあ走ろうか。と、その時でした。スマホに着信。先日、家族して来宅のKさんからでした。鹿を撃った、こないか。二つ返事を返し、作業服を着ました。木立の某所へ向かいました。片手に猟銃を持ち、もう片方に角を掴んでいました。いい格好でした。男の中の男といった感じです。内臓は既に出してありました。撃ったところから引っ張ってきたのでした。彼はこの後皮を剥いで、肉の塊を手際よく骨から外しました。たちまちの作業でした。ほぼ1頭分をビニールの袋に詰めてくれました。内臓のうち、レバーだけは山から持ち帰ったといい、それもいただきました。嬉しいな。帰宅して小分けにし、ラップにくるみました。冷凍庫が満杯になりました。これでタンパク質は当分購入しなくてすみます。鹿肉の竜田揚げ、楽しみだな。ありがとうございました。写真は獲物と彼の図です。(あっ、だめだ、1日の写真容量を超えました)今日の一句一発の弾に込めたる集中よ鹿笛に釣られ寄り来る哀れさよ鹿刺しに今日は飲まずの誓い負け今日の写真は花2題。1枚目はシュウメイギクのピンクバージョンです。拙宅のは白ですが、父の家にはこの色が咲いています。 次ぎはキンモクセイ。咲き始めました。いい香りを放っています。右上のカタツムリは愛嬌です。
2015年10月10日
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平成27年9月26日土曜日宝船 午前5時起床。晴れのち曇り。5連休の後、二日出勤したらまた週末が来ました。さて、何をしようか。そうだ、親方が新たな山に取り付いたから、そこを手伝いに行こう。そうしました。 私、ブログネームは「一人親方杣夫」です。でも半人前です。色々と教えてくれる親方が別に居ます。Sさんです。歳は70近いですが、元気がいいです。酒を一滴も飲みません。体力は若い私が当然上回ります。倒木の腕も私が上です。しかし、なんというか、山林作業では彼の言に従う気持ちがあるのです。ニュアンスとしては現役の力士と師匠の関係に近いです。相撲を取ったら当然弟子の方が強い。でも、師匠には頭が上がらない、という感じかな。 余談ですが、私には師匠も居ます。といっても相撲ではありません。オーディオのです。拙宅のヴィンテージは全て彼のアドバイスによる購入です。設定も修理も全て彼に相談、トラブルをすぐに解決してくれます。最近、会っていないな。どうしているんだろう。おかげさまで、タンノイもアルテックも調子がいいです。 朝ご飯を食べました。うっ、おかずは昨夜の焼き茄子でした。飲んで帰ったので、冷蔵庫に冷えていました。台風にやられたと思ったら、復活し、また実をつけ始めました。ゴーヤと合わせ、もうしばらく続きそうです。 チェーンソーを軽トラへ積みました。入った山はこんな感じです。今日は、作業道の右側全部を倒しました。 親方本人は飲みませんが、山の神には御神酒を供えます。今日もそうしてありました。 本日最後の一本を撮りました。樹齢は私と一緒くらいかな。ご免なさいね、切らしてもらいます。 ハスクバーナの調子がよいです。幹にみるみる食い込みます。 60年の年輪があっという間でした。 先に親方のことを書いたので、彼の写真もアップします。高倉健と鶴田浩二を足して二で割ったような感じの人ですが、グラサンをかけたら、プロレスの蝶野張りです。 2時間で大小、30本あまりを始末しました。昼前に帰宅。途中、山栗の毬が落ちているのを見かけました。拾おうと思いましたが、全部空でした。猪が食べた後でした。残念。ため息をついて、思い直しました。これも往く秋です。 家に帰ったら妻が待っていました。「貴方、週明けに支援学校が栗拾いにやって来るの、下草が伸びたからお願いね」えーっ!この前、刈ったばかりです。それに学校もやって来たはずです。「あらちがうわよ、先のは中学部、今度は小学部よ、それに三つ葉が伸びて落ちた栗を隠すの、お願いよ」ヘイ、ワカリマイタ。 写真は既にストックしてある栗です。これは妻が拾いました。もう殆ど落ちてしまい、草を刈っても拾う栗はありません。やって来る直前、彼女がそこへこれを撒くとのこと。なる程、それで毬に入ったままのを拾ったんだ。「実を取り出す折にね、チクッとする体験をさせてあげたいのよ」いつまで経っても教師です。 昼ご飯は煮物でした。これも昨晩のおかずが予定でした。これ、先日の牛シャブ出汁を使ったそうで、いい感じでした。缶ビールに手がいきそうになるのをこらえました。 本を手に取りましたが、猛烈な睡魔。2時間午睡。起きだして、スーパーへ走りました。今日も刺し身を食べたくなったんです。いつもの鯵を買いました。いい色でしょう。これは漬けにし、明日食べることにしました。気が変わったのです。 ムツも買ったのです。いい顔をしています。刃が鋭いです。ムニエルにしようと考えました。 三枚に下ろしました。白身です。塩胡椒を振り、小麦粉をまぶしました。 下ごしらえをしながら相撲観戦。嘉風は今日も勝ちました。10勝の大台に載せました。いいぞいいぞ。妙義龍と栃煌山が勝ち越したので、関脇昇進はどうかな。張出関脇というのはないかな。 始末がついて、再び作業着に。妻に頼まれた野菜の小作業をしたあと、着替えてラン6km。いつもの林道を走りました。人家を離れると、急に夜気が迫ってきました。森の精を感じました。恐ろしくなって、スピードが上がりました。 シャワーを浴び当てさあ飲むぞ。プシュッ。 ムニエルが出てきました。うん、悪くない。 泡を抜栓。 もの足りません。ピノを抜栓。美味しい夜が更けました。明日は仕事です。 今日の一句木の精よすまぬすまぬと刃を回し嘉風の動きやよろし勝ち星よ二桁に積み上げし後錦かな今日の写真はトラです。二本足で立つの図、慣れたものです。
2015年09月26日
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平成27年9月5日土曜日 午前4時起床。晴れのち曇り。数日前も、ブックオフから15冊が届きました。読書、捗りません。溜まるばかりです。でもいいんです。借りた本は返さなければなりません。買ったら私のものです。妻がゴミに出さない限り、大丈夫です。その一冊を手に取り、週末の未明を楽しみました。 夜の明けて、妻が起きてきました。昨夜の鍋に、味噌を溶いてくれました。鯖の味噌汁と、リュウキュウが朝餉でした。釣り鯖をこうやって食べる贅沢、たまりません。 野良着姿になりました。新品のチェーンソーを軽トラに積みました。波越に住む親方のところへ向かいました。午前中、彼の山を切る約束をしていたのでした。早速取り付きました。先ずは「受け」を切り、芯を取ります。芯を取るとは、「受け」のまん中から中心に向かってバーを差し込み、芯の部分を切ることです。 次は反対側に刃を入れます。 半分切って、矢を1本打ちます。5分の4あたりでやめて、次の矢を。後は玄翁でこれをたたいて少しずつ傾けていきます。こうすると、狙いの方向に倒れるんです。 こんな感じです。大木の倒れる折は轟音がします。この響き、畏れ多いです。 一本一本「切らせてもらうよ、わるいな」と念じながらの倒木作業です。大きいものは、私より歳上です。敬意、いや畏敬の念を。 十数本に2時間かかりました。少し枝打ちをした後、矛を収めました。汗びっしょり。しかもチェーンソーの切り屑まみれ。屑。上半身脱いで、下着も替えました。親方、さいなら。帰宅したら昼ご飯が待っていました。シャワーを浴びて一缶。ヒルビアはたまりません。でもなー、これがおかずではなー。 もの足りません。思い出しました。昨日、シュークリームを買ったんだった。酔って失念していました。 時間が経ったので、シューが少し湿っぽかったです。が、味は絶佳。手作りのクリーム、バニラが入っていい風味です。 午後はもう一枚の作業服を纏いました。軽トラの掃除。室内に落ちた木屑と埃をこれがとばしてくれました。電気ブロアーです。両扉を開け、片方側から吹かしてやります。狭いところには、吹口を近づけます。綺麗になりました。 次いでトラクターに乗りました。一廻しした後、鍬で畝をこさえました。大根を撒き、キャベツ、白菜を植えるんだそうです。写真は愛機のヤンマーです。 夕刻になりました。「あなた、栗のイガを焼いて欲しいの、支援学校の栗拾いはいよいよ来週よ、台風で落ちたのが山になたままなの、ねっ、お願い」仕方ありません。その前に地下足袋を脱いで台所へ。冷蔵庫から取りだしてプシュッ。嫌な仕事は充電してからでないと馬力が出ませんから。 このところ、雨続きでした。湿って燃えにくかったです。思いついて、納屋からさっきのブロアーを持ち出しました。燻っているところに風を当てました。面白いように火が熾りました。ふいごの原理です。我ながらいいことを思いついたものです。写真のないのが残念です。 栗畑の隣は西瓜畑。一緒に作業の妻が「あっ、生っている」今夏、父が入院したため、芽欠きをする人がいませんでした。ニョキニョキ伸びるばかりで、実をつていないと決め込んでいました。大小20玉余りを収穫。栗の始末をしなければ、見つけること能わず。よかったです。一つ、食べてみましたが、そこそこの味でした。 ボロボロになりました。暮れ方、シャワーを浴びました。頭を拭き拭き、さあ飲むぞ。あっ、ビールが冷えていない。仕方なし、スプマンテを抜栓。 当てはオイルサーディン。物足りないな。 バケットが出てきました。赤で流しました。食べながらコックリ。舟を漕ぎました。「もう寝る」煎餅布団に横へなろうと、席を立ちました。「あなた、歯を磨いてないわよ!」そうしました。夢遊病になっても歯磨きの出来ることが判ってよかったです。 今日の一句山の精木を切る我が背如何に見る今日の写真はタマスダレです。昼に開き、夜は閉じる可憐です。この後、トラクターのタイヤで踏んづけてしまいました。ご免なさい。
2015年09月05日
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平成27年5月30日土曜日 午前4時起床。晴れのち曇り、午後の早いうちに落ち始めました。 夜の白んだ折は青空でした。予報は雨でしたが、この天気なら大丈夫、しばらく保つと思いました。作業着に着替えました。チェーンソーを軽トラに積みました。波越向け。妻は弥生方面にコーラスの発表。おしろいを塗っていそいその仕儀。山への途中、アヤメが咲いていました。津志河内というところです。この辺り、今になっての代掻きでした。 写真は番匠川の支流「堅田川」です。余談です。番匠川には番匠川漁業協同組合と、堅田川漁業協同組合、2つの河川漁協があります。上流と下流に位置しません。堅田川は河口近くで本流に合流します。川漁にトラブルはありません。冬に枯れますが、シーズンになると、アユ、ウナギ、モクズガニ、スッポンが獲れます。つね三も、入荷があったら、スッポン料理をこさえます。余談の余談ですが、私、営業だった頃、スッポン料理講習会を受講したことがあります。ひっくり返すと、元に戻ろうと首を伸ばします。そこを狙って首根っこをギュッと握ります。その際は注意を要します。爪で手を掻かれては大変です。押さえつけて、包丁で首をスパッとやります。生き血はその際です。コップにたらし込むんです。お漏らしがありますから、尾部をタオル越しに掴みます。染みこみ、事なきを得ます。この川のスッポン、放流物が再生産をしているようです。放流に携わったこともあります。 閑話休題、切り出しに着きました。親方がいました。少し疲れ気味でした。そろそろ迎えが来たのかなと思いました。違いました。朝の4時に起きて、サツマイモを植えたとのこと。70近くになります。酒を飲めません。煙草も断って久しいです。それがいいのか健康的。山歩きにへこたれません。お迎えはまだ先のようです。 チェーンソーが不如意でした。始動はいいし、よく吹き上がります。しかし、一度停止の後はかからない。けっよく、親方のスチールを借りて玉切りました。写真は上が親方所有、したが私の愛機ハスクバーナです。(続く)
2015年05月30日
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平成27年2月28日土曜日 午前5時起床。晴れのち曇り。 朝ご飯はいつも妻がこさえてくれます。最近、ベッドを降りるのが遅いです。この1月から、請われて勤めはじめた学校の仕事に疲れているのでしょう、今朝もなかなか起きてきませんでした。冷蔵庫を覗きました。鯵の味醂干しを焼き、漬物と一緒に掻き込みました。 山へ行く準備をしました。いつもの通り、スパイクの地下足袋を履きました。チェーンソー1台だけを荷台に積みました。油その他諸々の道具は現場にあります。一路波越(なんご)向け。里に入ると梅が出迎えてくれました。散在する家屋の庭ともつかず畑でもなしのあちこちに、椿が咲いていたりカボスが熟れていたり。のんびりの風情でした。 午前9時過ぎ、取り付きました。以下は、木の倒し方です。素人の解説ですが、まあだいたいこんなものです。 先ず、受け口をこさえます。倒す方向に少し切り込みを入れます。ちなみに斜面で木を切る際は、谷の方向へ倒すのが基本です。 続いて、芯に向けてバーを差し込みます。いわゆる「芯取り」です。倒れるときに木の裂けるのを防ぐためです。芯とは年輪の中心をいいます。チェーンの回転でバーが跳ねないよう、受け口のまん中に、バー先端の必ず上側を接触させなければいけません。くい込みはじめたらすんなり入っていきます。木の中心に届いて猶数センチ先まで。この辺りは感に依ります。 受け口の反対側に刃を入れます。木の太さによりますが、受け口から5~10cm上に刃を当てるのが肝心です。杉は柔らかいです。刃が一気に食い込んでいきます。 半分程刃の入ったところでスロットルを緩めます。エンジンはかけたままです。ここで矢を打ちます。プラスチックで出来たクサビです。とても硬い。色は黄色と決まっています。さてこの仕儀、木が谷側に傾いているときは必要ありません。山側に振れていたら、必ずしないといけません。チェーンソーの切り口に、玄能で打ち込みます。たったこれだけのことですが、これで重い木の傾きが変わります。矢にも大きさがあって、大木を切る際は、長いものを2本使うこともあります。ここの倒伐は、小さい1本で十分です。 重心が谷側に移ったら、ストットル全開、一気に刃を進めます。木が傾きはじめたら、すぐさまバーを引き抜き、山側に体を移します。倒れる様はスローモーションです。ドカーンと大きな音がします。木が大きいほど、ゆっくりの時間が長く、地響きも凄い。 山の神に感謝です。 午前11時半、エンジンを止めました。50本ばかり倒しました。写真は今日の仕事です。親方が「Yさんの倍、仕事をする」と褒めてくれました。Yさんは森林組合の現場で働く樵です。プロの上をいくと言われ、ちょっぴりこそばゆかったです。私、ランナーの端くれです。この手の作業に息が上がりません。手が止まりませんから、作業は捗ります。でも天狗になって、大けがをしてはいけません。注意の上にも注意、細心が必要です。 帰りにこれをくれました。今日の御礼なんでしょう。チェーンソー持参し、斜面の50本を倒した代価がこれです。いくら波越に放し飼いの地鶏卵とはいえ、渋ちんです。でも仕方ありません。彼に雑木を貰うからです。山のあちこちの樫を世話してくれます。持ちつ持たれつなんです。彼なしには、拙宅の暖はあり得ないんです。長生きして欲しいです。もし早くに向こう岸となったら、それはそれで考えがあります。彼のユンボを貰い、私が親方になります。大丈夫です。 閑話休題、昼までに猶時間がありました。運動公園に廻りました。地下足袋では走りません。車にいつも走る格好を準備しています。スコアボード裏で着替えました。球場の中から硬式ボールを打つ金属音が聞こえてきました。杏林大学が春期合宿にやって来ているのです。私も学生時代は白球を追いました。若者の声に混じるカキーン、懐かしいな。ラン8km。いい汗をかきました。 帰りにスーパーへ寄りました。汗臭い格好のまま、鮮魚売り場を覗きました。今日もありました、鮮度抜群のマイワシ。税込みで1尾50円。ポケットをまさぐって出てくる金額です。買いました。 帰宅し、午後の野良に備え、も一度襤褸を着ました。妻がラーメンをこさえてくれました。これを啜ったあと、裏庭に積んであった椎の丸太を始末。腐り始めていました。玉切って割らなければもったいない。そうしました。取り付いて、空気が変わりました。雨の匂いになりました。区切りのついたところで斧を片付けました。 妻が「ジャガイモを植えるからよろしくね」と言い、牛糞を撒きはじめました。仕方なしにトラクターのエンジンをかけました。先日、耕耘した父の芋畑に、小さな草が芽を出していました。ついでにそこも一回し。妻の野菜畑もついでのついで。ヒヨドリにやられたブロッコリーやキャベツを土の中に鋤き込みました。スナップエンドウと玉葱、それに春菊が植わっているだけになりました。 手を洗い、イワシに取り付きました。わずか4尾です。10分の仕儀。中骨はトラが全部食べました。与えた後になって、カルシウムのことが心配になりました。彼、猶物足りなさそうでした。試しに白子を。これもペロリ。 シャワーを浴びてさあ飲むぞ。今日の褒美はこれでした。サントリー「真夜中の至福」。真夜中の意味は分かりませんが、味は確かに至福。プハーッ! 当ては当然これです。いい一日でした。雑誌を読み始めましたが、アルコールが回ってバタンキュー。今日の一句大木の倒るる音に目の覚める五十年今日の始末に手の震え今日の写真は親方です。油を持って私について歩きます。あれを切れ、これを倒せと命令を出します。もうすぐ古希ですが、すこぶる元気です。彼、酒を口にしません。それが長生きの秘訣と自慢します。でも違うと思います。性格がパンパカパンなんです。本当は、それが理由です。
2015年02月28日
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平成27年2月21日土曜日 午前4時起床。曇り。僅かに霜降。夕方、降り出しました。 朝のうち、チェーンソーの刃を研ぎました。丸ヤスリを使います。キーボードで「ヤスリ」と書いて「鑢」。かな漢字変換はATOKです。突然ですが、当方、浅学非才俄知識のひけらかしが得意の知ったかぶりです。書けもしない、読めもしない漢字ばかりです。ふーん、ヤスリは部首が金、右側に慮と書くのか。慮は思いを巡らすの意があります。心配や疑い、謀(はかりごと)にも用います。漢和辞典を引くと「処置」ともありました。金属に手を加える、処置する道具だから「かねへん」に「慮」。なるほど。 戻ります。その時刻です。手がかじかみました。愛車の天井はこの仕儀です。 始末を終えて、味噌汁、納豆に香の物で腹を満たしました。スパイク足袋を履きました。これ、底裏に鋲が付いています。山仕事に欠かせません。斜面を歩くのによいのです。次いで軽トラの荷台に七つ道具を積みました。さあ出発。取り付いた山はこんなです。写真だと判りづらいですが、胴回り(人間の腰高あたり)の直径は30cmほど。倒す時、凄い音がします。2時間あまりの作業でした。40本ばかりやっつけたかな。自分の3倍仕事をすると親方に褒められました。私の作業はここまで。 後は彼がユンボに乗って集材します。写真右に小さく見えるのがそれです。彼は70に手の届く年齢です。不如意になったらこの重機、私のものになるはずです。密かにそれを待っています。 並べた後は、3mまたは4mに玉切ります。端材のゴロンタはその場に放置です。彼は、これを薪に使えと言います。スギはスカスカです。イマサンの燃料です。沢山ありますが、二の足を踏みます。いくら安くても、発泡酒飲み放題の酒場にはちょっとね、の気分です。 製木した後は、木材運搬専門のトラックに任せます。今日もT運送の青がやって来、積んでいきました。丸太を挟んで積むアームは後ろ側にあます。写っていません。これ、ユニックを遥かに凌ぐ便利物です。忽ち満車になります。 帰宅は正午過ぎ。シャワーを浴び、昼をしました。写真はありませんが、生ラーメンが美味しかったです。午後は市民大学。講師は、愛媛・松山で糖尿病内科を開く西田亙(わたる)氏と、同じく同市で歯科医開業の原瀬忠広氏。糖尿病と歯周病について、予防の観点から、解りやすく説いてくれました。二つの病、一度なると治癒能わずです。患わないための心構えを教わりました。興味深い内容でした。 おっ、キンノジがいた。今日はネクタイを外し、ラフな格好です。えっ、何だって?今日、吾八で飲み会?いいないいな。ハメを外すんだろうな。理性を落とさなければいいが。酒を前の浮き浮き顔です。この大将、50台ですが、見かけによらずテニスプレーヤーです。かなりの腕前と聞いたことがあります。ホントかどうか知りませんが。奥さんは四国・今治の人です。広島の大学に通っていて、巧いことをしたそうです。 前後しますが、勉強会のあった会場に着いた時、携帯電話が鳴りました。山奥・本匠因尾のマタギOさんからでした。「30キロを撃った、ワタがある、如何?」二つ返事をしました。ということで講座の時間、気もそぞろでした。TELがなければ、これが終わって運動公園を走ろうと思っていました。そうせず、スーパーに突っ込みました。白岳を買いました。お菓子のウメダで桜餅も。此方はお母さんへの手土産。夕暮れ時、天下の清流「番匠川」を遡りました。道は谷に沿ってうねります。ところどころの斜面に集落が点在しています。写真はその一つ「一矢返」です。なんともいい感じの土地名でsy、この時期、晴れた日中は、ウメとスイセンに彩られ、早春を醸すの図ですが、今日は曇天の午後遅くでした。寒々の風情。 雨が落ち始めました。淵の水面に広がる模様が美しい。エメラルドというと大げさですか。この辺り、もう少し経つと、銀鱗が躍りはじめます。苔を食むアユの姿、眺めるだけで浮き浮きします。人間と一緒、若鮎は魅力です。 車は奥の院に入りました。番小屋を覗きました。前にも載せたことがありますが、下がった角に精気を感じます。 振り返ると髑髏(しゃれこうべ)。神々しい。 写真は解体すすむの図。向こうにコップがあります。Oさんの息は、乾いた麦焼酎の匂いでした。引っかけているようでした。左上に二階堂の一升瓶がのぞいています。何が流石かわかりませんが流石です。大分の老舗・二階堂酒造のそれは、日本酒でいうと灘の生一本といいましょうか、焼酎本流のそれです。近年、本格焼酎は美味しい新作数多、雨後の筍が如くです。なれど、山奥のマタギはこれ一本槍。焼酎飲みの気合いを感じます。飲んべえの鏡です。白岳の一升瓶を、これも美味いぞといって台の上に置きました。チラリ、流し目を向けただけでした。 頂いたワタはアップすること能わず。グロテスク。見るに堪えませんから。水に漬けました。明日処理をします。代わりの写真は、オマケにと渡されたイノシシのバラ肉、小イノシシの塊、それに昨秋の落ち鮎。夏の小猪は柔らかく、絶品です。感謝感謝。 帰宅して、日本酒を飲みたくなりました。抜栓したのは山口・金光酒造の「山頭火」です。ラベルに「ほろほろ酔うて木の葉ふる」「酔うてこうろぎとねてゐたよ」とありました。アルコール度数18~19度。濃厚でした。たちまち酔いそうです。 当てはこれ、自家製野菜とチキンの炒め物。 もうひとつ、ヒヨドリの襲撃をかいくぐったブロッコリー。茹でただけですが、トロリ感さえある酒によく合いました。 今日の一句鑢立て杣夫気分の吾が居り遡り谷間村に桜餅青トラの渡世に焦がれため息すエメラルド水滴輪にも乱れ無しライフルに狩られ敢えなし獣かな我も彼もトロリトロリの山頭火今日の写真はウメにメジロの図です。小さいので、トリミングしました。でも、よく見ないとどこにいるのか判りません。下手な写真ではあります。
2015年02月21日
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平成26年12月6日(土) 午前5時半起床。晴れ。外気温3℃。 午前9時前、地下足袋を履きました。波越の山へ向かいました。親方は製木をしていました。先週に倒したものです。ユンボで引き寄せ、玉切ります。手に持っているのは、長さを測る物差しです。女竹でこさえてあります。 仮誂えの作業道を登っていきました。写真に映っている右手がこの日倒した杉です。 普通、木は谷側に少し傾いて生えています。ここの山は直立でした。思いの方向に倒すため、矢を打ちました。 切株の写真です。判りにくいですが、左右に引っ張りを残してあります。向こうこっち、狙いとは違う方向に倒れるのを防ぐためです。倒れた後、そこが割けて針状になり、上向きにピンピン立ちます。これにはもう構う必要はありませんが、そこは杣夫。放っておきません。これをチェーンソーで刎ねます。夜、荒神が仕事の始末を確かめに降りてきます。切株に座ったとき、尻を刺すのを防ぐためです。写真に戻ります。株の中ほどが綺麗に割れているのは、倒す前、受け口の方からバーを突っ込み、芯取りをしたからです。 2時間あまり。40本ほどやっつけました。親方は油持ちでした。座って、あれこれの指示を出すだけでした。山を下りて、彼の無人直販所を訪ねました。自販機があり、ペットボトルの茶を1本馳走してくれました。これが私への作業手当てでした。ここには野菜が売ってありました。どれも一つ100円だそうです。一番手前の袋は里芋です。安い。長ネギを欲しかったのですが、くれませんでした。ケチです。 帰宅し、昼をしました。午後は先週やり残しの芋掘りでした。 豊作でした。大分から父の友人、従姉のMさんも来て、手伝ってくれました。別に父の畑のものも全部始末がつきました。助かりました。 掘った芋は、父の納屋にある大きな樽の中に運び込みました。鉋屑を混ぜながらの仕儀でした。芋の保存は16℃が適温なんだそうです。冬を越すためです。 日の傾いて、なお時間がありました。近くの切り出しに向かいました。倒してある樫を小切りました。蒸散作用が効いて、水分がとんでいました。その分、硬くはなっていましたが。 どうですか、この感じ。薪ストーブ所有者垂涎の樫です。これらは、一年の乾燥を経て、再来年に燃やします。 チェーンソーのエンジンを止めました。おっ、自動鉋の音が聞こえてきました。近くにある棟梁の切り込み小屋からでした。父が造作を注文していて、それに使う壁板に鉋をかけていました。いい肌をした杉です。これも私が切り出し、K林業で製材しました。今時、材料を時前で揃えるのと買うのとで、かかる費用に差はありません。自己満足の世界です。 日の落ちて気付きました。芋畑がそのままでした。トラクターを一回し。風呂へ飛び込みました。 今日の当てはこれです。釧路・北匠のシシャモです。亮さんに送ってもらった逸品です。 ストーブから火鉢へ熾火を移し、焼きました。香ばしい匂いがたちこめました。 彼の言うとおり、メスよりオスに軍配が上がります。妻も頬張りながらそう言いました。流した酒はこれです。亮さん、ありがとうございました。今日の一句北風に吹かれて芋の蔓を切る猫払い柳葉魚を並ぶ手炙りに今日の写真はランブルのシュークリームです。数個であっても、こうやって金の紐で結んでくれます。シューの中に、たっぷりの生カスタードが入っています。妻はこれに目がないんです。
2014年12月06日
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平成26年11月29日(土) 午前5時起床。昨晩は夜更かしをしましたが、早くに目が覚めました。夜が明けて晴れ。霧が出ました。 外気温は10℃でしたが、ストーブを焚きました。ブログを書いた後、あれこれを整理しました。写真は文藝春秋です。読者層は高齢なんでしょうか、特集に看取り、死に方、弔辞という関連した内容が目立ちました。 陽が昇り、そわそわしました。山に行きたくなりました。親方にTELしました。杉を倒して欲しいとの依頼が先週末にあったのでした。待っているとの返事。地下足袋を履きました。チェーンソーの目立てをして出発。 波越の里はまだ眠っているの感でした。この道の奧に、今日の切り出し場所がありました。ハウスの中はイチゴかな、アスパラかな。 余談ですが、山の入り口近くに波越焼釜跡の標柱がありました。 経緯は次のとおりです。豊後・佐伯藩の殿様毛利高政が秀吉の朝鮮出兵に同行、半島の陶工を連れて帰りました。ここに窯を誂え、陶器を焼かせたのでした。辺りを掘ると、今も割れた陶片が出土するそうです。 私、かつて某ミニコミ誌にコラムを書いていたことがあります。その一つに、この窯跡のことを取り上げました。異国にあって土をこね、火の番をしながら高い空を見上げて故国を想う心境如何ばかりか。この藪に立ち、そのことを察すると、切なくなってくるという内容でした。 閑話休題、林道を登っていくと、親方が待っていました。 さあ準備です。サングラスは、飛び散る切り屑から目を守るためです。 混合油を入れました。親方の燃料容器は養命酒の瓶でした。 目指す山は40年生の杉が立っていました。20本あまりを倒しました。2時間あまりの作業でした。11時半を過ぎて、エンジンを止めました。汗びっしょりになりました。写真は判りづらいけれど、杉の立ってあるところはシダが繁って、足場が悪かったです。移動に足をとられ、難儀しました。今日はとりあえずここまで、の図です。 倒した杉の葉に蕾が膨らんでいました。年が明けると、杉花粉症の季節です。嫌だな。 その場でシャツを着替えました。親方にサヨナラし、帰りの道中、スーパーに寄りました。今日も例のアジを買いました。地下足袋を履いたまま入店するのは恥ずかしかったです。でも誘惑には勝てません。3パック285円。妻が「天麩羅にするわ、ゼイゴをとって三枚に下ろしてちょうだい」といいました。2パック分をそうしました。もう1パックは刺身しにしました。これは夜の当てです。トラも二日連続で豊後水道のアジにありつきました。 昼は、コーヒーとランブルのシュークリーム。デザートは先週、行橋で買った柿。午後は薪を移動しました。玉葱を吊ってあったところが空いていました。そこに別のところから持ち込んで積みました。異動元にスペースが出来ました。そこへは2週間前だったかに倒した樫を小切って運び込む予定です。 移し替えを終えた後、その樫に取り付きました。場所は他所様の土地にあります。普段、山の中ではウラ(木の先っちょ、先端の小枝)は谷筋や藪に突っ込みます。そのままにしておくんですが、倒してあるところは栗畑。全部持ち帰らないといけません。ということで、この仕儀になります。2往復しました。 風呂に飛び込んだのは、日高吾郎ショーが終わった時刻。おっ、天麩羅が出来ている。 生野菜が美味しそう。これ、オリーブオイルと酢をかけて食べます。なかなかいけます。 アジの刺身は冷酒2本で流しました。チャイコフスキーとラフマニノフのピアコンを聴きました。ルービンシュタイン。バタンキュー。今日の一句長木の倒れる音や身の締まる今日の写真はシイタケです。これも天麩羅になりました。おろし大根にポン酢をたっぷりかけたものに浸けて食べました。
2014年11月29日
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平成26年3月23日(日) 午前5時過ぎ起床。晴れ。薄霜。終日晴れました。気温は鰻上り。日中は汗ばみました。今朝は本を読まずに音楽を聴きました。ルドフル・ゼルキンでベートーベンのヴァイオリンソナタ5番「春」。この時期に然りの曲です。続いてブラームスの同1番、こちらは「雨の歌」という題名がついています。ブラームスの響きです。もう一曲同2番。こちらは彼らしからぬ響きでした。何れもヴァイオリンはアドルフ・ブッシュ。両者ともナチスに追放された音楽家です。録音は1930年代前半。 親方のブログを覗いたら、加勢を頼むとのこと。8時半に地下足袋を履きました。今日はスパイクにしました。チェーンソーの刃を研ぎました。川原の山付きに行きました。Tさんの裏山でした。彼は昨年末に亡くなりました。私の勤務する会社の先輩でした。退職し、自適の余生を送っていました。83才だったとか。快活な娘さんがいて、教師と結婚した由。孫はこの3月に東京の大学をするとか。他人事ではありますが、おめでたい話です。その家の庭に桜が咲いていました。納屋を覗くと、トラクターや耕耘機がありました。彼を偲びました。 話が逸れました。山にはスギが横になっていました。聞くところによると、シルバー人材センターが倒したとのこと。切り口も始末もなんといいましょうか、やりっ放しです。親方が見るに見かねてユンボを持参、玉切り、搬出しようと考えたのでした。一人では大変だからと、私に声がかかったのでした。ワイヤーや帯ロープを手に、末口を巻きました。一方をユンボの爪に掛け、引っ張ります。3mの長さで玉切りました。急斜面なのでバランスに注意が必要です。ボーッとしていたら、丸太に足を詰められました。もう少しのところで甲を割るところでした。くわばらくわばら。作業中、倒れた枝からスギの花粉が舞い上がりました。鼻水が止まりませんでした。親方は気遣うことをせず、せせら笑いました。 作業は昼までかかりました。ユンボのキャタピラーが外れたのを機に作業終了。それがなければ終日こき使われた筈です。胸をなで下ろしました。午後は開放されました。ところで今日の誘い、ブログには昼食付きとありました。しかし、仕事が済んだら用はない、はよ帰れの仕儀でした。 帰宅してネコマンマを掻き込みました。午後はゴム底の地下足袋を履きました。昨日積み残しの薪をやっつけました。車庫が片付きました。 この材、樫なんです。えもいえぬ燃え方をします。知る人ぞ知る最高の薪です。 午後3時、片付けをしました。始末をしていたら、父がやってきました。大根畑を耕耘しろ。厳命が下りました。ボロボロに疲れていましたが、そうしました。回していると、ついでに芋畑もやっつけろ。其処には蔓がありました。トラクターの爪に巻き込みます。そのことを言うと「お前が片付けろ、俺は背中が痛い」仕方ありません。熊手でかき集めました。両手に抱え、隣の西瓜畑に積み上げました。あれこれで時間が下がりました。早くしないと大相撲が佳境に入ります。バタバタやっつけて、風呂に飛び込みました。タオルで頭を拭き拭き、プルトップを引きました。当ては柿の葉寿司。妻がコーラス発表会の帰りに買ってきてくれました。 嘉風は10勝目。遠藤を一気に押し出しました。いい相撲です。敢闘賞。来場所の小結昇進はこれで決まり。鶴竜は琴奨菊を破り優勝。彼も来場所横綱です。よかった。日馬富士も勝ちました。こちらも電車道。白鵬は強いことは強いのですが、最近、終盤の負けが目立ちます。落ち目かな。 いい気色になりました。ゼルキンのもう一枚、ベートーベンのピアノコンチェルト2番と5番。ワインがよろしい。今日の一句刃を研ぎて鑢(やすり)の効き目感謝なり春山にエンジン回し花粉舞う今日の写真は今朝の私です。顔が腫れてボロボロです。
2014年03月23日
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平成26年2月1日(土) 午前5時起床。晴れ。昨日今日で一気に春めきました。菜の花が、気持ちを外開きにしてくれます。 こちらは拙宅梅林の蕾です。サクラもウメももう少しで開花です。写ってはいませんが、シジュウカラの群れがいました。 午前8時過ぎ、地下足袋を履きました。依頼を受け、近場、宮川内のEさん宅裏山のカシを切りました。ドングリや葉が落ちて、迷惑しているんだそうです。軽トラ山盛り2台分ありました。こんな写真を載せたら、kusuhito氏が羨ましがるだろうな。 玉切って荷台に載せるのもですが、持ち帰って割る作業に体力を使います。樫の幹は重いんです。でも腰は強いんです。30分の昼ご飯を挟んで休み無しに働きました。作業着を脱いだのは午後4時半でした。汗をたっぷりかきました。毎日のトレーニングで鍛えた成果か、息はあがりません。でも日が傾いて、さすがに疲れました。 隣の棟梁、里芋がないというので、拙宅菜園のものを掘ってあげました。御礼に、弟さんが蒲江で作るみかんをもらいました。写真は、彼の作業小屋です。津久見の粋人にオーディオルーム建築の依頼を受け、切り込んでいる最中とのこと。私の家は彼に建ててもらいました。名曲喫茶も頼む予定です。 今日は働きました。褒美はこれです。プシュッ。 当ては白菜と豚バラの重ね蒸しです。妻がこさえてくれました。これ、いけます。昨年末、A先生に戴いた鮭が入っていました。 ビールが底を突いたので、ハイボールにしてみました。私はニッカ派です。 なんだか、ものたりません。その旨を口にしたら、こんなのが出てきました。ハムは好物です。赤を抜栓。1970年代の歌謡曲、フォークをだらだら聴きながら夜更かししました。ふきのとうの「初夏」がよかったです。札幌のご当地ソングです。裕次郎の「恋の町札幌」もよいですが、私は前者を好きです。今日の一句如月に梅の膨らみ四十雀今日の写真はトラです。妻にシャンプーされたました。サッパリしていい気分の図です。シャボンの香りがしました。
2014年02月01日
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平成25年12月23日(月) 午前4時起床。晴れ一時曇り。 夜の明けるまで、本と音楽に相手をしてもらいました。コーヒーを淹れ、のんびりの時間を過ごしました。夜が白むと、辺り一面、霜でした。バラが一輪、凍っていました。茶の葉は白い粉をまぶしたよう。 朝を済ませて、賀状に取りかかりました。これまで、取引先用とプライベートの2種類を用意していました。今年、思い立って、前者を止めることにしました。定年になった折、世話になった御礼を込めて最後の挨拶するのが筋だとは解っています。でも味も素っ気もないものを、という思いが日増しに強まりました。私自身、そのような賀状を受け取っても、パッと見てそれっきりです。ならば今日が決心ということで、そう決めました。気分がすっきりしました。これを断捨離というと相手に失礼ですが、枚数は半分に減りました。宛名書きは手書きです。楽ちんになりました。 昼に地下足袋を履きました。U石油に車を飛ばしました。混合油を買うためでした。午後はチェーンソーをまわしました。kusuhito氏がやってきました。裏山の玉切りを手伝ってもらいました。2時間あまりの作業で、軽トラ4杯分ほどが出来ました。先日倒したシイの大木は、幹の部分を残して始末が終わりました。御礼に拙宅薪小屋にある乾いたものを持たせました。喜んで帰りました。彼のストーブはドブレというのだそうです。 午後4時半、走ろうと思いました。が、心が折れました。バスタブに湯を張り、柚子を放り込みました。本を持って浸かりました。冬至に一日遅れの仕儀でした。香りがよろしい。今日の一句霜降を啼鳥が裂く冬の朝晦に朋の名を書く火鉢の手今日の写真はベルギーのビールです。kusuhito氏が土産に持って来てくれました。スマートな味ですが、えもいえぬコクがあります。父に裾分しました。ありがとうございました。
2013年12月23日
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平成25年3月3日(日) 午前5時半起床。晴れ。風は昨日より弱くなりましたが、寒かったです。午前7時半に家を出ました。今日は河川清掃の日でした。川は集落の中央を流れています。でも大雨の時以外は枯れています。地区の人たちと河床に降りました。川幅は10m足らずで葦が茂っていました。空き缶、ペットボトル、お菓子やスーパーのレジ袋。自転車もありました。ロープで引っ張り上げました。まだ乗れそうでした。 これが終わり、午前9時、地下足袋を履きました。山に入るのは久しぶりです。先月9日が最後でした。その折、樫の大木を倒しました。チェーンソーの刃を研ぎながら、そろそろ蒸散作用が効いて水分が抜けた頃だと思いました。果たしていい頃合いになっていました。葉がしおれかけていました。玉切りました。隣に立っていたクヌギもついでに倒しました。昼を挟んで2往復しました。運び終えてた後は割る作業。野良着を脱いだのは午後5時を回ってでした。グロッキー。湯船に浸かったら、脛がヒリヒリしました。藪に入ると、いつもひっかき傷がそこここにできます。今日もそうでした。写真は荷台に積んだ薪です。 もう一枚、夕方になってなお割り残した分です。切り口の白いのが樫、中が白くドーナツ型に茶色の丸がクヌギです。後者は斧の刃を見せるだけ、よく割れます。樫はその名のとおり硬い。 汗を流し、さあ飲むぞ。自分への褒美はプレモルでした。 次いで獺祭の発泡濁り酒を開けました。 抜栓の時、ポンと音がして泡が溢れました。口が行きましたが、間に合いませんでした。少しこぼしちゃった。 当てはビンチョウマグロの漬けでした。昨日、料理講習会が終わり、切り身をN社長にいただいたのでした。切れっ端をトラにやりました。喜びました。 飲み過ぎました。午後10時過ぎまで独酌、酔いつぶれました。こういうのを自爆というそうです。
2013年03月03日
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平成25年1月27日(日) 午前6時起床。霜降。寒い一日でした。朝ご飯はサンマの干物でした。釧路・北匠の一品です。甘塩なのがいい。ご飯がすすみました。 7時半、地下足袋を履きました。ポンカンを3つ持ちました。佐伯湾に浮かぶ離島「大入島(オオニュウジマ)」産です。山へ入る前、Mさんの火にあたらせてもらいます。彼への手土産です。県道から脇道にそれると、杉林の向こうに煙が昇っています。彼の焚き火です。立ち寄り、10分間、話を聴きました。好きなテレビ番組は時代劇、相撲も見る、365日タマネギスライスを食べるのが健康の秘訣、木は11月までに切るべし、虫が入らぬ、新月の日ならなおよし。どれも面白かった。以上の話、動画に撮りました。写真はモグラを捕るという猫です。昨日撮りました。火の近くでうずくまっていました。 今日は栗を玉切りました。よく割れました。木目が美しかったです。こんな感じです。 作業中はブラームスのピアノコンチェルトを聴きました。軽トラのオーディオでも十分いい響きです。山中だからかな。凛とした空気がそうさせるのかな。 2時間ほどで満車になりました。 足下の霜はなお溶けぬままでした。帰りの途中、薄氷の張った中、今日もレンコンを収穫していました。見るからに寒そうでした。木立に入ると、モウモウとした煙で地区中が煙っていました。今日は地区の野焼きでした。 帰り着いて荷を下ろしました。妻は元同僚の結婚式。大分へ出かけた後でした。昼前に一風呂浴びました。プルトップを引いて午睡。電話機のベルに目が覚めました。父からでした。トラクターで菜園を耕耘しろとのこと。ぶつぶつ言いながらもそうしました。作業は20分で終わりました。音楽を聴きながら、コーヒーを淹れ、クッキーを食べました。気がついてテレビをつけました。丁度、これより三役でした。琴欧洲は復活の兆し。日馬富士、全勝優勝。我らが嘉風は7勝8敗。もちょっとだったのに。残念。 晩ご飯は北匠のホッケ。これも釧路から届いた逸品です。素晴らしい。こんなに美味いホッケ、食べたことがない。 日記をめくってみました。正月明けからこの方、延べ13台の薪を準備できました。昨年11月からの分を合わせると25台です。1年に20台分の量を焚きます。これで再来年、いやどうかすると2016年の冬まで安泰です。縁起でもない話ですが、もしぽっくり逝っても、数年は大丈夫です。虎は死んで皮を残すといいますが、私は死んで薪を残す、なんちゃって。
2013年01月27日
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平成25年1月20日(日) 午前2時前起床(なにやってんだか)。トラも目を覚ましました。ネコカリをねだられました。少し早いけれど、いつもの量を皿に盛りました。本を読んだりブログを書いたり。午後5時を過ぎて、も一度布団へ潜り込みました。 改めて、午前7時過ぎに起きました。晴れ。8時を過ぎて地下足袋を履きました。軽トラを屋根のないところに止めていました。フロントガラスが凍っていました。室内のペットボトルもこのとおり。 波越の山へ薪取りに行きました。途中、今日もレンコンを収穫していました。沼の中に浸かっていました。この寒いのに、生業とはいえ大変な仕事です。 波越集落に入ると、いつものおっさんたちが火を焚き、暖をとっていました。Mさんは83歳。宮大工を辞めたのは、落ちて足を痛めたからだとのこと。酒は飲むのか尋ねました。若い時分に肝臓をこわし、以来ノンアルコールとのこと。私は飲むと言うと「飲みたからーのまーええ」と返されました。このあと、彼はクヌギの枝を始末しました。鉈がよく切れていました。よく研いでいるのでしょうが、扱いにも無駄がない。 林道の水たまりに氷が張っていました。凛とした空気でした。 切り出しの場所は霜柱ができていました。薪を玉切ったあと、割っては積みの繰り返しでした。たちまち荷台が一杯になりました。チェーンソーの音を聞きつけ、親方がやってきました。杉丸太を小切りました。何か遊びに使うのでしょう。彼、自分のスチールに油を入れて、オイルの詮を閉め忘れました。下ろしたばかりの防寒ズボンにベッチョリ。悔しがっていました。先日、私も同じ失敗をしました。これをブログに書いたら彼に笑われました。フン、ざまぁみろ、私と一緒だ。でもオロナミンcをくれたから、笑い返してはいけない。 帰宅。薪を荷台から降ろして正午を過ぎました。昼ご飯の準備はまだでした。父の家の縁側に立つ楓の木を倒しました。軒の上に枝が伸び、落葉が樋に詰まるから切って欲しいと言われていました。脚立で屋根に登りました。先に枝を始末しました。坊主にしてから倒しました。あっという間に終わりました。楓は柔らかい木でした。枝を畑に引っ張り出しました。気がつくと、サザンカの生け垣にフキノトウが出ていました。 お腹が空きました。襤褸を脱がずに、玄関先で昼飯。吸い物とサバの塩焼き、大根おろし。ピクニック気分ではありませんが、空の下は食べ物が美味しいです。時にはよいです。 午後、もう一回波越の山を往復。午後3時を過ぎ、昨日積み残したクヌギの丸太を始末しました。着工前の写真です。 玉切りました。 硬かったです。何とか割ることが出来ました。 荷台に積んだ様子です。 これを薪小屋に納めたあと、陽の落ちかかって熊野神社へ向かいました。ツバキを積むためでした。神主のお母さんから薪にと勧められていたのです。駐車場をこさえるため、境内の一部を切ったとのこと。御神木です。これを焚くと御利益がありそうです。火葬場跡地のものといい、なんだか特別の薪を燃やすようで、ありがたい感じがします。供養の地下足袋を脱いだのは午後5時過ぎ。終日の肉体動労。いい筋トレになりました。ランニングをしているので、息の上がりません。何とはなしに嬉しいです。 沸いた風呂へ飛び込み、烏の行水。プルトップを引いて大関戦以降を観戦。鶴竜、ひいてはダメよ。魁聖はまだまだ。松鳳山はワキが甘いけれど、いい出足をしているので今後が楽しみです。我らが嘉風、初日から5連敗のあと3連勝。いいぞ。把瑠都も10勝目指して頑張れ。 夜遅く、オーディオ師匠の指示に従い、マランツ8を落札。届くのが楽しみです。
2013年01月20日
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平成25年1月13日(日) 午前2時半起床。休日になると、早く覚めます。新聞と音楽で過ごしました。白み始め、ヒヨドリの声が喧しい。居間のカーテンを開けました。曇り。霜が降っていました。妻が勝手口外に置いてあった大根やシイタケを心配しました。それこそ霜焼けです。 昨日より早い時刻に地下足袋を履きました。今日も山行き。ガソリンスタンドで混合ガソリンを買いました。 国道を挟んで木立川が流れています。枯れ葦と立ちのぼる湯気。 道中も、チェーンソーのエンジンを止めて積み込みの作業をするときも、音楽を聴きました。曇天の森に無伴奏チェロが響いていい感じです。ここは昔、火葬場のあったところです。かつて火葬された人の霊、初めてバッハを聴いたことと思います。前後しますが、途中、焚き火にあたりました。Mさんの点けた火は大きくて心地よかったです。彼曰く「今日の仕事は昼までだぞ。山に弁当を持って入っても、食べずに帰る。孫への土産だわな」一人住まいの彼、冬は毎日この格好です。粗末と書くと語弊がありますが、質素とは少し違う生活を送っているようです。話してみると、言葉の端々に「沖を漕ぐ」感じを受けます。人の大きさとでもいいましょうか。惹かれるものがあります。暖の礼に持っていたミカンを一つあげました。 2往復しました。薪小屋がいい感じに膨れています。道中、レンコンを収穫する人を見ました。水に浸かっての作業です。冷たいだろうな。この水田、夏になると蓮が花を咲かせます。冬の光景と対照的です。 須留木の辺り、ムジナが轢かれていました。カラスがついばんでいました。行き帰りに見ました。2度目の帰りは、体が小さくなっていました。 午後2時過ぎ、斧を置きました。父の家に叔父の車が止まっていました。彼は津久見市に住んでいます。時折、実家を訪ねてきます。私たち夫婦の仲人です。新年の挨拶をしていなかったので、襤褸のまま年始を言いました。足腰が弱り、杖をついていました。「車を運転して木立まで来ることの出来るのは後何年かな」と話しました。ハンドルを握る姿を見て、父が聞こえないように「もう1年後には無理だな」と続けました。 甘露が届きました。生酒。磨き50%です。もちろん純米大吟。マワシの太さがよろしい。小洒落感がなく、太っ腹の味がします。 メタクサは妻へのプレゼント。先日見た映画「キリマンジャロの雪」中に登場したギリシャのブランデーです。これを飲むと人生が楽しくなるという台詞を信じて注文。ちなみに左の白鶴は義妹から届いたもの。右は私の好物ズブロッカ。ポーランドの甘露です。
2013年01月13日
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