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雨模様。午前5時起床。雨模様。午前6時、プライベートの友人4人と落ち合いました。今日から3日間、ソウルへ旅行します。4人は建設会社の技師、漁師、元消防士、林業。全くの異業種です。私が一番若いです。漁師のK氏にクラウンを出してもらい、福岡空港まで高速を走りました。別府から湯布院にかけて深い霧でした。通行止めにならなくてよかったです。運転は私がしました。51歳ですが、最年少ですから仕方ありません。炭を焼くH氏は、朝から焼酎を引っかけています。車中も飲みっぱなしでした。先が思いやられました。湯布院を過ぎたあたりで夜が明けました。飛行場の近くにある有料駐車場へ車を停めました。雨は上がりました。パーキングの車で出発ロビーへ送ってもらいました。ところが、乗り込んで国内線へ到着した途端、国際線へは廻らない旨を告げられました。がっくり。無料バスへ乗り換え、広い滑走路を半周しました。アシアナ航空の飛行機へ乗りました。皆、荷物一つですから、機内持ち込みすればよいと思い、並んで待つ列を尻目にスイスイ。すぐに搭乗券を発券してもらい、そのまま手荷物検査を受けました。ところがです、H兄が焼酎の5合瓶を3本もバッグに忍ばせていて、その場でアウト。永い列に並び直し、免税店を冷やかす時間がなくなりました。昼前の便に乗りました。飛行時間は1時間あまり。ソウルまでひとっ飛びでした。結構揺れました。機中では軽食がでました。バラ寿司でした。美味しかったです。私の右隣に4人が座りましたが、左隣はフランス人の若いお兄さん(30歳くらい)でした。日本語で話しかけられました。長崎の大学でフランス語の講師をしている、独身、小樽にある大学へ留学経験があるとのことでした。プロヴァンスの北にある小さな町の生まれで、10回くらい引っ越しをしたと話しました。ショスタコービチのピアノ曲が好き、ソウルへは友人の結婚式に招かれていくのだそうです。ワインの話も弾み、あっという間に時間が過ぎました。ソウルに着くと晴れ。暖かかったです。皆は完全武装でしたが、私はカラーシャツに革ジャンを1枚羽織っただけでした。ちょうどよかったです。インチョン空港は広い。H兄の荷物が戻る間、席のもう一つ向こうに座っていた女性と話をしました。日本から韓国へ嫁いできた人で、韓国人はB型が最も多いとか、韓国の野菜は芯詰まりで美味しいが、味が染みにくく、日本料理には馴染まないというようなことを教えてくれました。バスでホテルへ直行。道中は高速道路を走りました。漢江の流れと国会議事堂が見えました。遠くに見える山や近くの樹木は全く葉をつけていません。冬枯れの景色でした。カササギの巣でしょうか、高みに幾つも巣が懸かっていました。ホテルについて荷を解き、早速街へ繰り出しました。福岡空港で出来なかった免税品店を見てみたいというKさんの意見を入れ、ロッテデパートへ行きました。しかし、グッチ、エルメス、ヴィトン、ロレックス、時計やバッグ、高級品の並ぶ有様を見てだめだこりゃ、クルリ、きびすを返しました。次は焼き肉を食べたいというAさんの意見を入れ、ミョンドンの有名な店へ突っ込みました。つき焼き刀のハングルで注文したら、面白かったのでしょう、歓待されました。カルビ、ユッケ、ビビンバなど定番を食べ散らかしました。肉は、店の女性がハサミでチョキチョキしてくれました。K氏を除く3人はホテル前にたむろするいかがわしい人の口車に乗せられ、夜の闇に消えていきました。私とK氏はスタバでコーヒーを飲みました。ボブヘアーのとても美しい人が本を読んでいました。英語で書かれた何かのテキストのようです。20歳くらいでしょう、見た目は細いのですが、ボラプチュアスです。機内のキャビンアテンダントも容姿端麗でしたが、この人を見るにつけ、なんと韓国の女性の美しいことか。ため息が出ました。コンビニでマッコリを買い、ホテルの部屋で飲み直しました。1リットルが1本100円足らずでした。今日の写真は焼き肉屋の一コマです。
2010年02月26日
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午前6時に起きました。下弦の月が由良川の上に浮かんでいました。白み始めて見えだした山の向こうには雪雲がかかっています。地図では一山越えると舞鶴です。朝食には水ガレイの一夜干しがでました。日本海が近いからなのでしょう。アジの干物ばかり食べているので、珍しかったです。部下のTは朝食を食べませんでした。午前9時、会社の方がホテルへ迎えに来てくれました。思い出しました。この人は昨夜、薪ストーブを焚いていると話してくれました。私もなので、なんだか嬉しいかったです。昨日の夕方から鼻水が止まらず、涙目になりました。花粉症の症状です。今朝は特にいけませんでした。日中、商談をしている最中、辛かったです。杉花粉の飛散は、近畿のほうが早いのでしょうか。昼ご飯は綾部の奥の院、上林というところにあるあやべ温泉のレストランで食べました。上林地鶏のすき焼きを注文しました。1,280円、ヴォリュームがあり、とても美味しかったです。ここは温泉・宿泊施設です。竹下総理のころ、ふるさと創生と言うことで全国の市町村へ1億円配った折り、綾部市はそのお金で温泉を掘り当てたのだそうです。湯の温度を尋ねたら30℃、ボイラーで加温していると言うことでした。仕事中なので温泉へ入ることはできませんでした。鍋を食べていて、ここで一杯あるといいなと邪なことを考えて、思い出しました。昨夜飲んだ綾部の地酒「穂の香」が美味しかったのです。地元産の山田錦を用いた純米酒です。ここの売店で4合瓶を買いました。帰って楽しもうと思います。取引先の課長から土産にやまぶき昆布をいただきました。綾部駅までの途中、合気道の看板を見ました。この町は合気道発祥の地なのだそうです。列車が遅れ、駅のホームで、とても寒い思いをしました。課長が話していましたが、冬中、綾部は曇天の寒い日が続くということです。その意味がわかりました。はしだて号に乗り、昨日来た路線を戻りました。この特急は、二条というJRの駅にも停まります。ここはプラットホームの天蓋に特徴があります。20年ほど前に今日の町を歩いたとき、印象が深かったです。その頃、駅の周囲はだだっ広く感じたのですが、今はビルに半ば埋もれるような感じでした。京都に着き、会社訪問・営業を1社。午後6時に駅近くのホテルへチェックインし、その後、錦市場をぶらつきました。刃物の有次を訪ねましたが、店構えが20年前とは違っていました。その時は、店内に砥石を置いて、職人さんが研いでいました。包丁の研ぎ方について、蘊蓄を聞いた記憶があります。
2010年02月04日
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午前5時半起床。朝ラン6km。一汗かいてシャワーを浴びました。出勤し、デスクワーク。一段落したところで佐伯駅まで歩きました。会社から歩いて20分近くの距離でした。日豊本線は乗客の少ない路線です。特に大分以南の乗車率は低いです。JR九州のお荷物になっているのではないか、しからば便数が減るのではという心配もそぞろ出てきそうです。大分へ出ると、県庁所在地と福岡市の間ですから、L特急が走っています。これに乗り換え小倉まで。ここからは「のぞみ」です。車両が変わる度に座席が上等になり、車掌さんの服の着こなしが様になり、車内販売の女性の服が垢抜けていきます。客層もその傾向にあります。京都駅で山陰線へ乗り換えました。「はしだて」という特急でした。天橋立にちなんだのでしょう。混み合っていました。夕暮れ時、ツツツさんの住んでいる亀岡を通過しました。列車に乗ったままなので、町の様子は知るべくもありません。西に向かって線路を走っていたのですが、右手の山裾に、北を背にして団地が続いていました。その山の尾根筋には雪の積もっているのが見えました。寒そうなところでした。川の両側に広がる農地は肥沃そうでしたが、線路近くの田んぼは圃場整備は進んでいませんでした。今日の泊まりは綾部でした。ホテルは駅から歩いて30分ばかりのところでした。由良川の河岸段丘に建っていました。駅周辺のビジネスホテルは満員でした。一昨日、宿の予約をしていて綾部の駅前は何故か満員ばかりとぼやいていました。しかし、駅に降りて看板や幟を見て合点がいきました。この町には大本教の本山があり、今日は節分大祭なるものがあるようでした。門外漢なので内容を全く知りませんが、街角のあちらこちらにその旨の表示があると言うことは、大勢の信者さんが集まっていて、ホテルが満室なのでしょう。明日、商談を行う会社の方3人が、食事に誘ってくれました。不案内なので助かりました。この町の有効求人倍率が0.2だとか、T社が撤退を決めたとか、不景気な話ばかりをしました。この町が肌着メーカーのG社発祥の地であることや、都道府県対抗駅伝で昨年活躍した久馬姉妹の住む町ということも聞きました。
2010年02月03日
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午前6時半朝食。ホテルを7時半に出ました。昨日とは打って変わり、快晴でした。日曜日の早朝は、さすがの熊本市内もガラガラでした。57号線をスイスイ走って阿蘇に向かいました。朝日の登る時間でした。大津にある馬刺し専門店「肉の橋本」に寄り、今夜のつまみをちょっとだけ買いました。勿論馬刺しです。何年か毎にこの店を覗くのですが、そのたびに店構えと内装が大きく豪華になっていました。商売がうまくいっているのでしょう。店内のショーケースに100g200円から3,000円近くまでの馬刺しが並んでいました。牛や豚足もありました。持ち帰り客用に保冷剤や発泡スチロールのケースも用意されていました。壁際にミカン籠があり「ご自由にどうぞ」と書かれていました。欲な妻がこれを鷲づかみにしました。GSでガソリンを入れ、道を教えてもらいました。大津からミルクロードへ入りました。外輪山を走る道です。途中は杉林の中をうねうねと登りますが、尾根筋に出ると冬枯れの草原が広がります。胸のすくような開放感がありました。外気温は0℃以下なのでしょう、路面には小豆大の融雪剤が撒かれていました。塩化マグネシウムなのでしょう。路面は乾いていましたが、道路脇は凍っていました。雪の吹きだまりがあちらこちらにありました。「大観望」に車を止め、眺めを楽しみました。外輪山一の眺望です。カルデラの中は一面の雲海でした。その中から伸び出たように阿蘇五岳が見えました。この眺めは涅槃像に見立てられます。お釈迦様が仰臥した姿に見えるのです。東の方を見やると、久住連山が一望できました。阿蘇外輪山と久住の裾野とが一体になって高原を形成しているのがよくわかります。とても雄大な風景です。浩然の気を養う景色とはこのことです。K曰く、「また明日から仕事を頑張ろうという気力が湧いてくるな。」連れてきてよかったです。坊中に下り、中岳河口を目指しました。高度を稼ぐと、霧氷の樹林が迫ってきました。午前の光が映えて美しい銀世界になっていました。草千里の沼が氷結し、観光客が上を歩いていました。火山博物館の前を素通りし、更に登りました。ロープウェーの駅に着いたら、河口までの有料道路は閉鎖されていました。火山ガスの影響で火口展望台は立ち入り禁止なのだそうでした。仕方がありません。とって返すことにしましたが、Kが小用を足している間に規制が解除されました。運がよかったです。噴火口は、底に緑っぽい液体を湛え、ガスがもうもうと立ち昇っていました。火口壁は赤茶けた色合いをした岩と堆積層が折り重なり、何とも形容しがたい異様な光景でした。他の惑星に来てしまったような感じでした。火口の直径は見た目で1km近くあるでしょうか、形は円形ではなくアメーバ状でした。大型バスが多かったです。観光客のほとんどは韓国の人のようでした。昨日の熊本城もそうでした。展望台へ登ると西野方角、雲海の上に雲仙普賢岳の頂部が見えました。思い返すと一昨年の10月、K夫婦を含む友人3家族で旅行したとき、あの山を越えたのでした。今改めてこちら側からその場所を眺めると、つくづく縁というものを感じます。火口の南側、砂千里を歩きました。ここは観光客の群れも近づきません。荒涼とした風景が広がります。所々に火山弾が落ちていました。紡錘形をしたものもありました。ここを横切って急に落ち込む斜面に出ると、眼下に南阿蘇の集落が広がりました。その背後には南側の外輪山、続いて九州山地の山々が折り重なって彼方へ連なります。蒼い色のシルエットが山野深さを醸します。祖母・傾連山も見えました。傾山の向こうは私の住む町佐伯です。天気のよいこんな日に阿蘇へ登ると、こうやって九州の東から西までが一望です。とてもよい気分です。山頂を後にし、上ってきた道を下りました。米塚が綺麗でした。57号線沿いのうどん屋へ寄り、別れの昼食を食べました。肉うどんが美味しかったです。午後1時半、Kを宮地駅へ送り、再会を約して別れました。今度会うときは共通の師、函館に住むK先生の元へ集まるか、それともKが出張でよく行くベトナムにするか、ベトナムだったら嫁さんたちがアオザイを来て喜ぶよ、否アオザイは体にフィットするからボディラインの崩れが気になる彼女たちは着ることができない、といった他愛のないことが別れの挨拶になりました。実現するとよいのですが。帰路、緒方と三重の中間あたりに新しくできたパン屋へ寄りました。パンドカンパニューを買いました。若いパテシエさんの店でした。パテシエときいて、妻はすかさずシュークリームを注文しました。その味を期待したのでしょう。帰り着いたのは午後4時前。予定より早い帰宅になりました。トラがまとわりつきました。疲れたので走りませんでした。都合3日間、トレーニングしなかったことになります。明日のランは体が重いだろうな。夕食は馬刺しを肴に美丈夫と合わせました。飲みながら、録画しておいた都道府県対抗男子駅伝を見ました。柏原と村澤、佐藤と竹沢の勝負は面白かった。大分は7位入賞。これもよかったです。船を漕ぎながらの観戦でした。今日の写真は阿蘇中岳の火口です。
2010年01月24日
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午前4時に起きました。終日曇り。新聞を読んだあと、映画を見ました。ジャン・レノ主演「コルシカンファイル」です。ストーリーがテンポよく展開します。コメディタッチで、最後は大団円。肩のこらないものはよいです。午前9時、妻と2人、家を出ました。車で熊本に向かいました。北風が吹いて寒かったです。途中、野津のローソンに寄り、ハーゲンダッツとシュークリームを買い、食べながらドライブしました。3時間の運転ということでリヒテルの平均律を車へ持ち込みましたが、CDプレーヤーの調子が悪く、聴くことができませんでした。まいりました。道中、仕方なしにずっと妻と会話しました。私が聞き役でした。コンビニ店長をしている甥のこと、聞いてきたスキャンダル、息子の就職、連発銃で打ち据えられました。竹田の但馬屋へ寄り、銘菓「荒城の月」と「三笠野」を買いました。これは妻が学生時代に世話になった家への土産です。あらかじめ佐伯の特産「ブリ熱めしのもと」(いわゆる「リュウキュウ」)も買っていました。喜んでくれるといいのですが。熊本へは国道57号線を走ります。竹田を抜けると、阿蘇外輪山の裾野が広がります。高冷地野菜の栽培が盛んです。春蒔きに備え、トラクターが土おこしをしていました。黒く、肥沃な土地です。所々に収穫しなかった白菜畑がありました。この冬は野菜の価格が安かったので、放置されたのかもしれません。滝室坂付近は凍っていました。路肩に雪が溜まっていました。坂を下るとそこは外輪山の内側。天気がよければ阿蘇五岳とこれを囲むように外輪の衝立が広がります。今日は雨模様で視界が悪かったです。立野に抜け、大津のパスタ屋に入りました。私はペスカトーレ、妻はカルボナーラ。個人が営む店のようで、味は個性的でした。店内はシンプルで、テーブル席が10ばかり。若い女性の二人連れや中学生とおぼしき少女を連れた母親に混じって、ジャージにスリッパ姿のおっさんが1人。椅子にあぐらをかいて果実酒を飲んでいました。パチンコ帰りの様でした。儲けたのかな。今日、熊本に来たのは友人Kの誘いでした。九州出張に合わせていっぱいやろうという魂胆でした。妻は、私がひとりで車を運転していくのが心配、熊本ならば会いたい家族がいる、Kとは共通の友人だし、一緒に行こうと言いました。ということで、妻の言を入れたのでした。Kと会う前に、彼女が学生時代を過ごした下宿に向かいました。近づくにつれ、辺りを見回す彼女の表情が平素と違ってきました。こみ上げてくるものがあるのでしょうか。その場所へ着き、車から降りると、懐かしそうに家の回りをうろうろ。大家さんが亡くなったことは、この正月明けにそこの娘さんから届いた喪中の葉書で承知していました。お参りだけでもということでやってきたのですが、家を引き払っていました。位牌は嫁いだ娘さんに引き取られたのでしょう。数年前、大屋のおばちゃんが、昨年おじちゃんが、そして跡取りの息子さんが相次いで死んで、娘さんは実家の家を処分するか人に貸すかの選択をしたようでした。届いた連絡には電話番号が書かれておらず、飛び込みで線香を手向ける予定でしたが、お供えの水引を渡すことができませんでした。妻の下宿していた部屋を道路から眺め、私の知らない若い時代の彼女を想像し、ちょっと切なく、それでいて嬉しいような、変な気分になりました。熊本駅へ回り、Kを拾いました。熊本城に案内しました。私もはじめてでした。大阪城ほどの規模はありませんが、とても広いです。石垣は鋭く切り立ち、その上にそびえる真っ黒な城には迫力があります。天気のせいか視界が悪く、天守閣からは熊本市街しか見えませんでした。城の修復とは別に、市民からの寄附で復元された本丸も見ました。大きなケヤキの柱と無節のヒノキ材を、これでもかというくらい使っていました。開いた口がふさがらないとはこのことでした。日の沈む前にホテルへチェックイン。下通りへ繰り出しました。馬肉専門店へ入りました。ビールで馬刺しを流し込みました。馳走を食べ散らかし、おなかが落ち着いたところで次の店へ。妻は世話になったYさん宅へタクシーで向かいました。その家は、彼女が学生時代に付き合いのあった家庭だそうです。子どもさんに障がいがあり、障がい児教育を専攻していた妻がその家庭に入り、勉強をさせてもらったのです。いま、その子どもさんは30代後半。今日会ったのですが、よく覚えていてくれたそうで、戻ってきたときは、嬉しそうでした。彼の両親も健在で、大歓迎してくれたようでした。前後しますがKと、セプティグラスというカクテルバーに入りました。どの店がよいのかわかりませんでした。目に付いた東横インに入り、厚かましいのですが、フロントのお姉さんへ、安くて美味しい、しかもムードのある店を教えてと請い、聞き出した店です。20代の青年がやっているバーでした。シンプルで落ち着いた感じでした。Kはワイン、私はウィスキーとマティーニ。飲んでいる間に若く美しい女性が入れ替わり立ち替わり3人、しかもそれぞれが一人で入店してきました。内の一人は来週結婚するという33歳でした。関係なかったのですが、おめでとうございますといいました。飲んでいたら妻が戻ってきたので、それを潮にそこを出ました。次は桂花ラーメン。これで打ち止め。ホテルのロビーでKに誘われ、地下にある居酒屋へ。銚子を1本飲みました。若い大将と景気の話をしました。不況で大変だということでした。部屋に戻ったのは午後10時過ぎ。朝からドライブだったので疲れました。今日の写真は熊本の市電です。チキンラーメン電車です。
2010年01月23日
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終日晴れ。午前5時起床。持参した池波正太郎を湯船に持って行きました。露天に浸かり、好きな本を読む、風邪は秋の気配。宿泊客は私たちのグループと老夫婦1組のみ。ということで朝風呂を独占でした。部屋へ戻り、仲間に指圧を施しました。俯せにし、腰から背中・肩にかけてを手のひらと親指で押していきます。腕やふくらはぎにもサービスを施しました。私は、指圧にちょっと自信があるのです。プロの人からマッサージを受けたことがあり、その真似をすればよいのです。喜ばれました。旅館を出て、九重(ここのえ)町の銘酒八鹿(やつしか)の蔵元、八鹿酒造を訪ねました。酒蔵見学でした。事務所を訪ねると、糀の匂いがプーンとしてきました。醸造過程を一通り見せてもらいました。焼酎も造っていました。ブランド名は「なしか」「銀座のすずめ」です。昨晩、銀座のスズメ琥珀というのを飲みました。そのとき、旅館の旦那から樫樽貯蔵したものと聞きましたが、その樽が並んでいました。バーボンを造る時に使うのと同じものだそうです。アメリカから輸入したとのことでした。10万リットルの焼酎タンクが幾つも並んでいました。このタンクには原酒が入っている、1升瓶5万5千本分だ、毎日1升飲んでも152年かかる、というような話を案内の女性から聞きました。仲間の一人、山奥に住み、炭を焼くS兄(焼酎が好きで、この小旅行中、ずっと飲みっぱなしでした)は、タンクの中で泳ぎたい、といいました。色彩ロードという景色のよい道を抜け、九州横断道路を走りました。寒の地獄に入りました。冷泉です。水着着用、混浴です。湯船は長方形、広さは6畳くらいでしょうか。深さは又下程度。普通に座って肩が濡れます。冷泉水はこんこんと湧き、少しコバルト色をしています。透明感がありました。水温13度。刺すような冷たさでした。半端ではありません。2分ほどすると、落ち着きますが、しばらくするとガチガチ震えが来ました。這うようにして上がり、隣のストーブ室へ異動しました。ドラム缶のようなボイラーストーブに火がカンガン燃えていました。サウナのような温度なのでしょうが、暑さを全く感じませんでした。先月、もし妻と入ったら、彼女は「何よ、この冷たさは。馬鹿にしないで」といって腹を立て、飛び出たでしょう。それくらい冷たいのでした。現に、後から入ってきた男性が、膝まで浸かったきりで、しっぽを巻いて出てしまいました。看板に偽りなしという言葉がありますが、寒の地獄はその通り、まさに地獄でした。ここを出た後は心地よい冷えが残り、それは半日続きました。瀬の本で団子汁を食べました。高原を渡る風は秋でした。阿蘇五岳の涅槃像がよく見えました。雲一つ無い空と、久住連山のコントラスト、よかったです。帰りに宇目の方へ廻りました。八匹原祭典を見るためです。神楽や舞、伝統芸能です。これらには興味がありませんが、同行のKさんが是非にというものですから、立ち寄ったのでした。御輿がやってきました。賽銭箱に紐をかけ、棒を通し、駕籠かきのようにして前後ろを担ぎます。賽銭を入れ、その後ろに続く御輿の下を潜ると、よいことがあるというのです。そうしました。驚いたのは、千束楽という神楽のような踊りでした。カラフルな色彩の紙を巻いた細い棒を何本も帯に刺して舞うのです。この色合いが素晴らしいのです。見事でした。運転を交代してもらい、ここで生ビールを飲みました。これがいけませんでした。会社の駐車場に置いた軽トラまで送ってもらいましたが、一杯飲んでいるので帰るに帰れません。何時もの暖簾「つねさん」へTELし「早く店を開けてくれ、喉が渇いた」たこぶつを知恵美人に合わせましたが、まだからだが冷えていて、どうもしっくりきませんでした。西の関の燗と板ウニをもらいました。ああ至福。今度は妻へTEL、迎えを頼みました。帰宅は午後7時。疲れた。今日の写真は千束楽です。
2009年09月19日
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終日晴れ。午前4時前起床。私は車で通勤しています。駐車場は、会社から歩いて7~8分の距離にあります。会社までのこの間に、細い路地があります。古い民家が続きます。ここに白壁の古い土蔵が二つあります。一つはランブルという名の喫茶店です。コーヒーが美味しいです。家で使う豆はここで買います。もう一つの蔵は、隣の母屋共々空き家になっているようです。高みにある窓には引き戸がありますが、傷んで板が落ち、中の暗闇が見えます。鉄の板棒を何本か塗り込んでいます。人のすり抜けるには無理のある間隔です。毎日、ここを歩くにつけ、思うことがあります。この土蔵の中で多くの本とオーディオに囲まれ、自由気ままの時間を過ごしたい。本は地誌や絵画史、好きな作家の全集。夏は浴衣、冬はどてらと火鉢。夜はランプをつけ、バッハを聴きます。気分が落ち着き、よいだろうな。出勤前、つかの間の白日夢でした。ところで高橋和己の『邪宗門』に上記のようなシーンが出てきます。京都、古い家並み小路、ここの二階に下宿住まいする碩学の老教授が蓄音機でバッハを聴くの図です。本の中の話ですが、その雰囲気に憧れます。仕事を終え、遊び友達5人と温泉へ出かけました。龍門三渓館です。8月下旬に、妻と泊まったところです。道中1時間半。高速道路をひとっ走りでした。皆缶ビールのプルトップを引きました。私は一番若いので運転手。この企画、急な話でした。先日、ヴォリュームのある豊後牛ステーキやしゃぶしゃぶで満腹になって1万円。しかも肌がぬるりとする温泉。嬉野や菊池のそれもつるり感がありますが、ここにはかないません。こういうことを自慢したら、是非行こうということになったのです。今日の写真は、夕食に食べた豊後牛です。これにヤマメの塩焼きが付きました。最後は雑炊で満腹。練習を休みました。
2009年09月18日
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晴れ。 鶏の鳴き声に目が覚めました。午前6時半に起きました。昨日、家を出るとき、ランシューズとウェアを持とうかどうか迷いました。「温泉へ泊まりに行くのに、そこまでしなくても」という妻の言を入れ、持参をあきらめました。 日の昇る前に龍門の滝を見ようということになりました。昨夜、床について、ずっと谷川のせせらぎが聞こえていましたが、外に出て見て、その音の大きさに流れの水量が推し量れました。旅館からの小道は樹齢のいった広葉樹が続きます。その後、棚田が広がります。振り返って、背中の山を見やると、高台に和風の立派な家が1軒。赤ちゃんが生まれたのでしょう、鯉のぼりを揚げる竿が立っていました。 川岸まで下り、橋を渡ると、土産物屋や風呂屋、川魚料理を出す店が数軒かたまってありました。昨日、ここの前を車で通ったのですが、日曜日だったこともあってごった返していました。しかし、今日は人っ子ひとりいません。 滝壺までには今少しの距離がありました。バンガローがあり、数組の家族が泊まっているようでした。朝餉の家族、まだカーテンを引いたままの家族。その棟の前のテーブルには昨夜の名残が散らばっていました。伊佐美の瓶もありました。各人各様の過ごし方をした様子がわかります。 滝は横に広い落ち方でした。落差は30mくらいでしょうか。滝壺は二段、最初の滝壺から次の滝壺までの間が、岩盤の滑り台のようになっています。表面が浸食され、ツルツルになっているのです。夏休み中、ここを滑る子どもでにぎわうそうです。先の土産物屋で滑り袋なるものを貸し出しています。これを尻の下に敷いて滑るのだそうです。滝は豪快なしぶきを上げていましたが、流れる水をよく見ると、濁っていました。清流というわけではありません。泳ぎたくはない色でした。 散歩から帰り、朝風呂に入りました。一番風呂でした。外気温は17度。ちょっと肌寒く、湯が心地よかったです。 朝食は温泉旅館の典型的パターン。塩鯖、地鶏卵、ノリ、佃煮、もろみ、味噌汁、ご飯、香の物。ポットに冷水が入れてありました。冷泉だそうです。飲用に適しているということで、飲んでみました。無味無臭でした。宿の主人が、これで安ウイスキーを割ると、ブランデーに変わるといっていましたが、本当だか。その気にはなりませんでしたが、持って帰ってコーヒーを煎れるときに使ってみようと思い、ペットボトルに入れてもらいました。 九重インターから高速を走り、午前中に帰宅してもよかったのですが、天気もよいし、「せっかくだから」という妻の言を入れ、飯田高原~牧ノ戸峠~瀬の本~竹田を回りました。 九重町役場の脇をとおり、色彩ロードという道を走りました。緑が濃かったです。秋は広葉に染まるそうです。途中、正面衝突の事故現場を見ました。高級車同士、ぶつかった直後のようでした。ラジエターの水が激しく吹きこぼれている様は、ホント、様になりません。気をつけなければ。 日本一の釣り橋「九重夢吊り大橋」の近くを通りましたが、私は高所恐怖症なので、通り過ぎ、代わりに町田バーネット牧場へ立ち寄りました。馬がいて、ヒマワリが咲いて、空が高かったです。ここで地鶏たまごソフトクリームを食べました。濃厚にしてコクがありました。バニラより50円高かったです。二人で一つをなめました。 道は九州横断道路に合流、長者原の「寒の地獄」へ立ち寄りました。ここは名の通り、冷泉です。水温16度。プールが30~31度ですから、冷たさは推して知るべし。10分ほど浸かり、隣部屋に構えてあるストーブに倍の時間あたるのが入浴方法だそうです。入ろうかと思いましたが、水着着用とのこと。諦めました。ここでは温泉卵と冷泉水に冷やされたトマトを食べました。 大きなヒキガエルが旅館の玄関脇をピョンピョン跳ねていきました。ほほえましかったです。 牧ノ戸峠を越え、瀬の本を下り始めると、阿蘇の外輪山からこちら側に向け久住高原が広がります。阿蘇五岳が釈迦の涅槃像に見えます。天気がよく、眺めは絶景でした。 羊腸の下りを経て、シェ・タニで一休みしました。ここはケーキ屋です。勿論ケーキセットを頼みました。欲な妻は試食で満腹になったようでした。マスターが、最前、福岡のテレビ局が取材に来た、番組名はるり色の砂時計、9月の何日だったか土曜日に放送される、と嬉しそうに話しました。 赤川の辺りで、車上をグライダーがかすめていきました。思い立って、久住滑空場に寄りました。牧草地を兼ねているようなところでした。広い。ウインチ車が端っこに止まっていました。機庫があり、久住航空サービスという看板がありました。中には福岡大学と九州大学のグライダーがありました。ピットをのぞき込む妻は、興味津々の様子。とその時、事務室から漏れ聞こえる無線。ヘリコプターがここに着陸するというのです。バラバラという音と共に、小型のヘリがやってきました。距離にして50m位の近くに着陸しました。草が風になぎ倒されました。機体には朝日新聞のマーク。パイロットが2人いて、グラサンをかけかっこよかったです。その1人と、記者と思われるよたったシャツを着た人が下り、トイレに駆け込みました。差し込みが来たのでしょう。すっきりした顔で私のところにやってきて、訊きもしないのに、原尻の滝に自動車が飛び込んだ、けが人が出たようだ、上空から写真撮影をした、というようなことを話し、またすぐ飛び立っていきました。 滑空場の近くにワイナリーがありました。ここへも寄りました。ブドウがなっていました。来月早々から収穫が始まるそうです。併設するレストランは面白いことになっていました。ブドウの蔓を室内に匍わせていました。天井に房が下がっているのです。ここでシャルドネを2本求めました。 帰宅時間は午後5時。留守番のトラがまとわりついてきました。
2009年08月24日
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午前4時に目が覚めました。ちょっと二日酔い気味でした。ポットに入った氷水を数杯飲みました。甘露甘露です。旅館の心遣いがありがたい。もう一度寝て、次に目の覚めたのが6時前。妻に具合を尋ねると、よく眠れたみたい、気分がいい、という返事が返ってきました。朝風呂に入りました。1階に広い内風呂があり、4階に露天風呂がありました。両方の湯を楽しみました。露天風呂からは朝の橘湾が一望でした。雲一つない天気です。Tが入ってきて、二人並んで風景を見ながら、他愛のないことを話しました。Kともでしたが、こうやって一緒にいることが当たり前というか、普段いつも話をしている友達のような気がしました。タオルを腰に巻き、風呂の縁に並んで立ち、広い海を一緒に見る。いい気分でした。朝食を食べました。上げ膳下げ善でした。料理は典型的な温泉旅館のものでした。エビの個人輸入をしているKは、舌が肥えています。醤油の味にうるさく、濃い口、うす口、たまりを取っ替え引っ替えしたり、味噌汁に七味を入れたり。東南アジアへ月1回出張するそうです。次の同窓会はホーチミン市でという提案がありました。この話に妻がたいそう乗り気のようでした。Tはご飯を3杯食べました。痩せているのに大食いです。旅館を午前8時に出発しました。快晴の空に妻の回復が相まって、握るハンドルがとても軽かったです。小浜温泉から雲仙にかけて羊腸の坂を登ります。途中、ペチャクチャしゃべりっぱなしだった女性軍が急に静かになりました。アクセルを強く踏み、右に左に梶を切ったせいで、酔ったのでしょう。山頂近くの雲仙温泉で、記念写真を撮りました。もうもうと立ちこめる水蒸気で、辺り一面真っ白になっていました。硫黄の匂いが凄かったです。ガソリンを入れ、峠を越え、島原半島を東に下ってゆきました。有明海が朝の光を受け、キラキラ光っていました。まさに「光る海」です。下りきって、道の駅「みずなし本陣」へ寄りました。埋まった民家が何軒も保存されていました。雲仙普賢岳の噴火でできた溶岩ドームが崩落し、それが土石流となって押し寄せたのでした。皆、迫力に息をのみ、呆然となりました。家が土砂に埋まり、軒先から上の部分だけが顔を出しています。二階立ての家は、その部分が残っています。ここで生活していた方たちのことを思うと、複雑な気持ちです。部屋の中をのぞくことができました。子ども部屋だったのでしょうか、柱に貼られたアニメシールに生活の匂いを感じ、やるせない気持ちになりました。ここでも土産物屋をひやかしました。旅は時間に追われますが、土産を見て回ることは必須です。その時間、私はイチゴのソフトクリームを食べました。最後に普賢岳を背にして、集合写真を撮りました。快晴、青空に独特の山容が映え、最高の旅行日和でした。旅も終わりに近づきました。島原から熊本に渡り、熊本駅でお別れです。島原新港のフェリーターミナルへ向かいました。ここで最後の買い物。奥方連中は目つきが違っていました。私は島原名物チェリー豆を買いました。TとKは防波堤を歩き、釣り人に話しかけてきたようでした。船は、オーシャンアローという新しい高速船でした。乗客は多かったです。観光バスも5台くらい。ほとんどが中国人の旅行客でした。出航し、島原を離れました。白い航跡と海の色空の色、それに普賢岳のコントラストが旅情をかき立てます。サヨナラが迫っているせいで、笑顔とは裏腹に締め付けられるような寂しさが込み上げてきました。熊本が近づいてくると、航路の両側に海苔のヒビたて養殖が見えました。この辺りにくると、乗船客から食べ物をねだりに鴎が集まってくるのですが、季節のせいでしょうか、1羽見かけただけでした。パンくずやカッパえびせんを投げると、上手にキャッチするのですが。お昼前、一度訪ねたことのある寿司屋に入る予定でした。しかし、見つかりませんでした。記憶が曖昧で、残念でした。列車の時間が迫り、仕方なしに回転寿司へ入り、そこの寿司をつまみました。結構いける味でした。正午前に熊本駅へ到着。あっという間の3日間でした。楽しい時間はすぐに終わります。チェリー豆を土産に渡し、見送りました。二人の奥さんは、いつまでも私たちへ手を振ってくれました。別れて後、妻と私は国道57号線を走りました。九州横断です。途中、阿蘇の立野辺りが渋滞していたので、大観望方面に少し走り、赤水に下りました。混雑を上手くかわすことが出来ました。阿蘇五岳、久住連山の姿が美しかったです。旅の終わり、T、K両夫婦へこの風景を見せたかった。午後の運転はとても疲れました。眠かったです。ずっと妻が話しかけてくれ、助かりました。佐伯の町へ着いたのは午後4時。レンタカーを返し、二人で少しだけ買い物をしました。夕食はあっさりの水炊き。燗を付けたら、疲れがどっと出ました。午後8時前に就寝でした。
2008年10月13日
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ホテルを午前7時半に出発しました。福岡の都市高速、太宰府インター、鳥栖ジャンクションを経由して、長崎道を走りました。金立SAで朝食を食べました。Tは焼きたてのパンを、私はリンゴパイとコーヒーでした。女性軍とKは朝からうどんです。信じられません、朝からゴボウ天うどんです。嬉野辺りから雲が切れ、晴れました。西海自動車道を走り、ハウステンボスへ向かいました。到着は午前10時前。予定時刻に少し遅れました。ここは入場料が3,200円します。ヤフオクで1人千円割引になるチケット(10人まで利用可)を入手しておいたので、よかったです。施設の中は広いです。クリーク、風車、中世オランダの町並みを彷彿とさせる建物群。私は3回目の入場でしたが、後の5人は初めてでした。遊覧船に乗り、クリークの中を進みました。花畑と個人の別荘、煉瓦造りの町並み、欧風ホテル。美しい風景が続きます。下船し、地上80mの高さの展望台に登りました。街の全体を俯瞰するためにこしらえたもののようでした。上から見ると、まさにオランダ風の広い公園です。よい景色でした。少しの時間では、とても全体を楽しむことは出来ません。とにかく広い。ジャズの演奏が始まろうとするステージ近くで、少し休みました。6人は、ジュースを飲む人とビールを飲む人に別れました。私も泡に惹かれましたが、運転手なので我慢我慢でした。散歩の後、皆は水資源のテーマパークに入りましたが、私は木陰のベンチで仮眠をとりました。午後の運転に安全を期すためでした。3時間滞在、少しだけ買い物を楽しんで、ここを後にしました。東彼杵のインターで高速に乗り、長崎出島インターまで走りました。長崎市街の南側を通って、一気に長崎一番の観光名所に到着でした。途中、大村湾が美しかったです。車をグラバー園の下に止めて、遅い昼食にしました。両夫婦とも、それぞれ皿うどんとチャンポンを注文し、交換しながら食べました。味はイマイチだったようです。私たちはチャンポンセットを1人前注文し、これをすすりました。大浦天主堂、グラバー亭を見学しました。私と妻のハネムーンはウエストコーストでした。西海岸は西海岸でも九州の西海岸、長崎です。思い出の地でした。KやTの奥さんたちは初めてでした。楽しんでくれたようでした。今日は妻の具合が悪く、グラバー園では足が地に着かないといいました。揺曳感があり、最悪だったようでした。フラフラしているのが見た目にもわかりました。気遣いましたが、せっかくの旅行なので大丈夫といい、無理に笑顔を作ろうとしていました。可愛そうでした。手を握ると、熱はなさそうでした。妻に気付かぬように、Tが早く旅館に向かった方がいいといってくれました。せっかくの旅なのに、二組の家族に気を使わせてしまい、気の毒なことになりました。高速道路で諫早まで戻り、国道57号線を南に走りました。妻が、体調の悪いのは昨夜眠ることが出来なかったかだと思う、眠気を催す薬を買いたいからドラッグストアへ寄って欲しいというので、そうしました。薬剤師かどうかわかりませんが、店員が相談に乗ってくれたようでした。医師の処方がないので、市販のものしか買うことは出来ませんでした。途中、湾を一望する展望所がありましたが、割愛しました。旅館に着いたのは午後6時前でした。小浜は、橘湾へ面した街です。海岸沿いに温泉旅館が続いています。道路の両脇から蒸気が吹き出ていて、風情がありました。夕食は一風呂浴びてからということになり、各部屋へ入りました。妻は布団へ横になりました。私はなすすべがありません。温泉へ入りました。この時間でしたが、夕焼けの名残を楽しめました。西側は海です。その向こう、遠くに野母崎の半島が見え、水平線へ落ちる夕日ではありませんが、美しさはそれに近いものがありました。浩然の気を養うの風景でした。部屋に戻ると、一寝入りした妻は気色がいいようでした。風邪ではないようなので、入浴を勧めました。夕食前に少しの時間、湯に浸かりました。戻ってくると、顔が上気し、気分がよいといいました。顔つきも見違えるようでした。更年期障害には温泉が効くのでしょうか。夕食は楽しいものになりました。昨夜に引き続き、思いで話と近況報告で盛り上がりました。酒がすすみ、妻も陶然となったようでした。早めに部屋へ戻り、床につきました。
2008年10月12日
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午前6時に起きました。晴れでした。今日から妻と2泊3日の旅行です。学生時代の友人KとTが東京、大阪からそれぞれ夫婦同伴でやってくるのです。博多のホテルで落ち合い、佐賀、長崎、熊本を回る旅です。体調不良の妻が心配です。午前中、妻は婦人科にかかってきました。過日の風邪を機に症状が出たのだそうです。漢方の処方を受けました。私一人で出発するかどうか迷いましたが、更年期障害とわかった妻は、楽しみにしていたので行くと言いました。昼過ぎ、トヨタレンタリースでハイエースのグランドキャビンを借りました。よい車です。高速を走り、午後3時過ぎにホテルへ着きました。道中、カーラジオからこの3日間よい天気だということが流れ、こころが浮き立ちました。待ち合わせはホテルのロビーに午後5時半でした。少し時間があったので、天神の大丸デパートにあるオープンカフェ「オーバカナル」へ妻を案内しました。私はエスプレッソ、彼女はコーヒー。ビルの1階にあるこの店は、天蓋のある幅15mほどの歩道へ、椅子とテーブルがせり出す格好になっています。過日の福岡出張の時に寄った店です。蝶ネクタイをしてバーテンダーの格好をしたウエイターが、給仕をしてくれます。混み合いざわついていますが、ここに座ると、喧騒が地よく聞こえるから不思議です。道行く人の姿、ファッション、老若男女の人となりを興味深そうに見、あれこれと評する妻。楽しそうでした。歩道の一部を占領し、お茶の会がチャリティー茶会を催していました。私より一回りも二回りも上と思われる御婦人ばかり10人ほどが立ち回っていました。皆、着物姿です。髪を手入れし、美しく化粧をしていました。晴れ舞台なのでしょうか。茶会も賑わっているようでした。妻は、若いカップルを見て、娘や息子がこのような場所へ出かけるのだろうか、会社や大学とアパートの往復に終始してはいまいか、こんな店で恋人とお茶をするような楽しみを味わって欲しいな、というようなことを口にしました。同感です。閑話休題、久しぶりに会うKとTは、学生時代と全く変わっていませんでした。再会して、一瞬で当時のモードへ切り替わりました。Kが出張の際、利用するという焼鳥屋「本陣」で食事をしました。友人の消息、思い出話に花が咲きました。妻も奥方たちと打ち解け、会話を楽しんでいるようでした。Kの奥さんから更年期障害のことについて話を聞くことができ、とても参考になったみたいです。ホテルへ戻る途中、読売新聞が号外を配っていました。三浦和義が自殺したとの報でした。それから飲み直そうということになり、ホテル1階のバーで白ワインを開けました。チーズ盛り合わせが美味しかったです。就寝は午後11時を回りました。
2008年10月11日
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午前4時に目が覚めました。窓外は夜来の雨がまだ少し残っています。STVラジオを聴きながら、嗚呼今日でもう度は終わりだなという感慨、寂しさでちょっと鬱の気分でした。妻の待つ家に帰るのは嬉しいのですが、昔住んだこの街に強く惹かれるものがあります。あのとき、なぜ札幌の企業へ就職しなかったのか、後悔の念がまだ心の底へ痼りとなって残っています。この思い、普段は日々の生活に埋もれ、首をもたげることはないのですが、こうやってこの街に来てしまうと、もういけません。朝から詮なきことです。午前9時、遅い出発です。札幌駅まで歩き、JRタワーに登りました。札幌に最後の別れをしようと思ったからです。藻岩山からの景色に似ていました。36階建ての最上階、眺望は遮るもの無しの絶景です。東半分は雲の合間から日差しが漏れ、石狩湾、夕張の山々、恵庭岳がよく見えました。しかし、西の方は雨模様。藻岩山、札幌岳は煙っていました。窓には水滴。丘珠空港を発着する飛行機はノロノロ。近場をみると北大、道庁、大通り周辺のビル群、駅の回りのホテル。どの風景も垢抜けて、北の街らしさがあります。目に焼き付けて、ここを後にしました。JRタワーの下は、札幌エスタと呼ばれています。10階に札幌ラーメン共和国というのがあります。ラーメン屋さんが8店舗ほど入った階です。ここでブランチ。旭川ラーメンを食べました。醤油味でしたが、私の好みではありませんでした。修学旅行の生徒が多かったです。札幌駅からJRで千歳空港駅へ向かいました。道中40分弱だったでしょうか。窓外を流れる景色は秋から冬への寂しさが漂っていました。こういうふうに感じるのは旅の終わりが近づいているからでしょう。とても感傷的になっていました。空港について、雪印パーラーのソフトクリームを舐めながら、土産を物色しました。ここは札幌場外市場と違い、垢抜けた店舗でぎっしり埋まっています。同僚にホワイトチョコとマルセイバターサンド、父母にはミズダコの口とホタテの燻製。H兄の奥さんが土産を持たせてくれたので、義母にはその中から六花亭のカステラ。妻にはロイズのポテチとチョコレート。なんだかよくわかりませんが、花畑牧場のキャラメルを限定販売するという触れ込みに、長い列が出来ていました。売り出しまでまだ1時間以上あるのに、100人以上の人が並んでいます。このキャラメル、そんなに美味いのでしょうか。キャラメルはキャラメルの味しかしないと思うのですが。出発時刻は午後2時55分。直前に寿司屋へ入り、これで最後だと、なんだかよくわからない理由をつけ、ウニイクラ丼を注文しました。大味でイマイチでした。失敗。福岡に着いたら車の運転をしなければなりません。ビールは我慢しました。板さんの向こう、ガラス越しに樽前山と風不死岳が綺麗に見えました。眺めは最高のお店でした。機内に入って席に着くと、樋口可南子似の客室乗務員に「このボタンはお客様のものではないですか」と声をかけられました。胸、袖を確かめましたが、違いました。「どうも違うようです。私は時々理性を落としますが、ボタンは落としていない」というと、隣に座ったオッさんが大笑いしましたが、彼女はキョトン。もし私のシャツのボタンだったら、彼女はつけてくれただろうか。福岡までの飛行中、眠りに落ちました。途中、ちょっと揺れて怖かったです。福岡空港に着いて思いました。千歳に比べゴミゴミしているようです。空港近くの駐車場、料金は1泊800円でした。空港から自宅まで、道中3時間弱。午後8時半に帰り着きました。途端にトラが走りまわりだしました。ハイになったようです。バッハをかけてくれと言っているのでしょうか。
2008年10月07日
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午前4時に目が覚めました。今日も晴れです。昨夜から今朝にかけて、ベッドの中でずっとラジオを聴いていました。STBです。これがなかなか面白い。北海道にはもう1局HBCというチャンネルがあります。どちらも東京キー局の番組をあまり流さず、地域に密着した情報や地元の声を沢山取り入れて、好ましいです。札幌は、大分に比べ夜の明けるのが早いです。経度が10度くらい違うからです。加えて緯度も高く、夏場は夜明けの早さに拍車がかかります。暦によると、札幌の日の出時刻は、午前5時37分でした。6時、トレーニングウエアに着替え、コンパクトデジカメを持ってホテルを出ました。赤煉瓦の旧北海道庁を左手に見ながら、大きな通りを北向けに進み、函館本線のガードをくぐると、北海道大学正門でした。キャンパスのとても広い大学です。朝のジョギングには最高のコースです。門を入ると別世界です。広くゆったりした芝の中に楡の巨木群。その中に、煉瓦造りの古い建物や洗練された近代建築が点在しています。クラーク先生の胸像脇に立って、散歩の御婦人へシャッターを頼みました。日の差し始めた中、有名なポプラ並木の小道も走りました。学部の点在する北西側には農場が広がっています。畑一面、収穫期を迎えたトウモロコシでした。ホルスタインが牧草をはんでいました。のどかな風景です。大学の北半分には白樺やポプラが多いようでした。医学部の前の銀杏並木は、色づくと観光客が押し寄せるそうです。今日は色づき始めという感じでしょうか。駅のすぐ近くにもかかわらず、途方もなく広い敷地。教育環境は最高に思えます。ここに通うH兄の長男は幸せです。このキャンパスを見て、今はもう叶わぬ望みですが、息子娘に通って欲しかった。まあ、それはそれとして、札幌の中心部近くにこれだけの広さを持った大学が居座っているということ、都市計画上は難儀な問題として俎上に上っているのだろうなと邪推しました。景観、教育環境、観光、都市再開発・・・、いろんな観点から移転或いは存続の議論がありそうです。1時間ジョギングをして、ホテルへ戻りました。シャワーを浴び、レースの汚れ物や靴、H兄の奥さんからいただいた土産などを、ホテル内のヤマト便カウンターから自宅へ送りました。美しい女性が優しく対応してくれました。朝食はホテル内にあるスタバで食べました。小さなソーセージをくるんだパン。エスプレッソが美味しかったです。店内は女性客が多かったです。お高くとまっているように見える人ばかりでした。足尾くんだりして、笑顔は少しもなく、冷たい感じでした。旅先では人恋しくなって、周囲のことが気になります。今日は丸一日、自分だけの時間です。行き当たりばったりですが、札幌の街を散歩しようと決めていました。まず、地下鉄東西線に乗って札幌場外市場へ向かいました。二四軒で下車し、徒歩5分でした。仲卸のお店が観光客相手に商売をしていました。店先に北海道の農水産物をてんこ盛りにして、客を呼び込んでいます。カラフルな商品を見るのが楽しかったです。毛ガニ、タラバガニ、花咲ガニ、ズワイガニ、ホッケ、宗八カレイ、コマイ、イクラ、雲丹、トウモロコシ、メロン、ジャガイモ・・・。きりがありません。店舗は全部で20どあったでしょうか。呼び込みのお兄さんたちが店先で蟹の試食を勧めてくれます。これがいい。他にも塩辛、鮭トバ、メロン、トウモロコシ・・・。つまみ食いだけで結構楽しめました。小腹が空いたので、若駒という寿司屋に入りました。凍ったイカの沖漬けを輪切りにしたものと、サッポロビールを頼みました。美味しかった。一休みした後、再度地下鉄に乗って、二四軒駅から円山公園駅へ移動しました。電車を降りたら高校生の集団と出くわしました。札幌丸山球場で開かれている高校野球北海道大会の決勝応援でした。後で知りましたが、鵡川高校の優勝でした。来春の選抜はここで決まりだそうです。円山公園駅のキオスクで宝くじを買いました。若い女の人が「当たりますように」といいながら差し出してくれました。この一言、嬉しかったな。ここのバスターミナルには、地域の人手作りの手芸品が置かれ、売られていました。格安でした。無料貸し出しの本箱があり、文庫本が詰まっていました。町内会の取り組みかな。通勤時間帯を外れたこの時刻、駅は閑散とし、リュックサックを背負ったお年寄りがちらほら。バスに乗って藻岩山に向かいました。天気がよいので、札幌の街と石狩平野を俯瞰してみたかったのです。ロープウエーに乗りました。山麓は紅葉が始まっていました。ゴンドラの中からの眺め、手稲にかけての山の重なりは目に染みるようでした。特に白樺の葉の黄色は印象深かったです。山頂駅から展望台まで、専用のバスで移動しました。標高531m。展望台に着いたのが正午前、遠くはちょっと霞んでいました。札幌市街が手に取るように見えます。昨日走った真駒内からススキノまでのコースを辿ることが出来ました。山頂からの眺望を書いておきます。北側は石狩湾。案外近くに海岸線が見えました。東の方へ辿っていくと岬が見えます。雄冬岬でしょうか、いや違うかもしれません。その右には大きな山塊群、主峰は暑寒別岳でしょう。あの「暑さ寒さも暑寒別」です。東の方へ目を移していくと、遠く霞むように二つの山塊。一つは夕張岳、芦別岳です。その向こうは大雪連山なのでしょうか。確認するすべがありません。目を近くに落とすと市街地が広がり、その向こうは原野。野幌の百年記念塔が見えました。石狩平野の何と広いこと。少しずつ南へ視線を移します。野幌あたり、ファイターズのフランチャイズ札幌ドームが見えます。遠くには樽前山と恵庭岳。豊平川が南西方向へ登っています。西は山また山。札幌岳、空沼岳、余市岳、手稲山。全山紅葉「山花開いて錦に似たり(片岡省念)」の感でした。人気の少ない展望台、深まる秋が札幌全体を覆っていました。何度も深呼吸をし、体中にこの街の香り、匂いを染みこませました。満足です。山を下り、ロープウエー近くの市電停車場からススキノへ向かいました。ホテルのコンセルジュに訊いておいたスープカレーの美味しい店へ入りました。初めて食べました。広い皿にライスがよそおわれ、スープは別に丼へ入って出てきました。チキンと野菜のスープカレー味とでも表現しましょうか。スパイスがきいていました。食べ方はスプーンでスープを啜り、ライスはライスで別に口へ入れる。別々に食べるのです。カウンターに「スープカレーの食べ方」を解説したペーパーを置いてありました。これを読むと、ライスを丼に入れてもいいし、その逆もいいとありました。スープカレーを食べた店の近くに、東急ハンズがありました。この店、評判を聞いてはいたのですが、都会へ行く機会がほとんど無く、なかなか入ることが出来ません。ちょっと冷やかしてみたくなり、入りました。モールスキンの手帳を買おうかなと思いましたが、荷物になるのでやめました。ネットショップで求めることにします。ちょっとした小物をいれるショルダーバッグと、ペリカンの子供用万年筆を買いました。この万年筆、子供用とありますがなんのなんの、とても書き味がよいのです。千円足らず。得をした気分です。午後4時前、もう一度名曲喫茶ウィーンへ行きたかったのですが、疲れたのでホテルへ戻り仮眠を取りました。午後6時、A先生、同級生だったS、それにH兄の3人とススキノで待ち合わせをしました。私のためにが集まってくれました。北海道料理店に入りました。サッポロビールで乾杯、次々に出される美味しい料理を食べるのがもどかしいくらい、近況と昔話に熱中しました。先生の話~海兵に入学したこと、札幌1中時代は野球部だったこと、北大医学部に入学するも野球ばかりして医者になることが出来なかったこと、ドイツ語でキントをカインドと読んで失笑を買い腹を立てて履修を放棄したことが原因だったこと、大学の教官になって以来ずっと野球部を指導してきたこと、この歳になると優秀な学生の印象は総じて薄く、出鱈目の学生との付き合いだけが続いていること、若くして死んだ教え子数人のために本を書きその印税でそれぞれの生地に石碑を建てたこと、今度は出鱈目学生のことや医学の常識などを執筆すること。S、H兄と私の3人、先生を囲んで頷首したり笑ったりしんみりしたり。もう一軒、河岸を変えて飲み直しました。そこのママさんの子どもが自閉症で、長らく相談を受けているとのことでした。先生は退官後、ボランティアで障害児教育のコーディネイトをしているようでした。Sのことを少し。H兄とSと私は野球部でした。Sは彫りが深く、男前です。性格はちょっとだけ根暗ですがとても真面目です。道北の高校を卒業したそうです。H兄によれば北海道庁のエリートだそうです。石狩市にある奥さんの実家の近くへ家を建て、マスオさんをしていると自嘲気味に話しました。マスオさんだからといって自嘲するのは変です。もっと根の深い悩みを抱えているような気がしました。飲んでも変わらず、涼しくちょっと寂しそうな蔭があります。髪に白いものは混じらず、ホント、いい男です。すっかり馳走になりました。お礼は、ちょっとだけ仕事で関係し、今月末封切りとなる映画のチケットを用意していて、これをあげました。久しぶりの再会はあっという間でした。楽しい時間はすぐに過ぎます。降り出した雨のせいもあって、男同志ではありますが、別れはちょっとしんみりしました。重い足取りなのか、旧交を温めた満足感にせいで軽い足取りなのか、ホテルへの道すがらはふわふわとしてなお寂しい変な気分でした。書くにはちょっと恥ずかしいですが、無性に妻を抱きたくなりました。
2008年10月06日
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午前4時に目が覚めました。今日はレースの日でした。午前7時過ぎまでベッドで横になっていました。朝食は午前9時まえに食べました。ブランチです。泊まったホテルは今日、明日と満員なので、連泊できません。チェックアウトしました。大きなバッグを抱え、大通公園を北方向へまたいで今日明日宿泊するホテルの方へ歩きました。荷物をそこのクロークへ預け身軽になり、地下鉄で真駒内へ向かいました。空が高く、いい天気でした。地下鉄の終着駅を下りたら、駅の裏側は手つかずの森になっていて、紅葉が始まり、素敵な感じでした。真駒内競技場へ向かうバスに乗りました。そこがスタートゴールです。公園までの車中から赤い実のついたナナカマド、並んだ背の高いポプラが見えました。大分・佐伯とは大違いです。昨日の感動が続きました。会場に近づくと、大勢の人数でした。さすが1万人を超える大会です。老若男女、人また人でした。バスを降り、競技場の中へ入りました。2kmのレースをやっていました。競技場の回りを走り、最後にスタンドをくぐり、トラックを半周してゴール。フィニッシュはフィールドの真ん中でした。続いて車椅子レース。アナウンスが千葉真子さんの紹介をしていました。彼女が今日のゲストでした。姿は見えなかったです。ここは札幌オリンピックの会場でした。スタンドの入り口付近、壁の石に金メダリストの氏名が彫られていました。シューバ、オチョア、トエニ、ロッシ、ナディヒ、ベデニン、笠谷の名前もありました。アナウンスの「さあ笠谷、さあかさや」が耳に残っています。懐かしい。会場の規模は、予想していたより小さかったです。当然ですが陸上競技場と違い、トラックは扁平の楕円でした。コンクリートがむき出しになっていました。冬にはこの上へ氷が張られ、リンクになるのでしょう。10分ほど、周辺の林の中をアップしました。芝の緑と紅葉の灌木に青い空、コントラストの美しさはたとえようがありません。おとぎの国というか、絵本の中を走っている気分でした。天気のよさ、乾いた空気と相まって、別世界にいるような気持ちになりました。レースのスタートは午前11時50分でした。8千人が並びました。前の方から陸連登録選手や女子、昨年度好成績を残した人たち、続いて複数年の参加組、私は先頭から300m位後ろの方でした。ピストルが鳴って2分半でやっとスタートラインを跨ぎました。それからも集団のスピードは上がりません。芋洗いでした。超スローペースですが、混み合って前に行けません。止まったら後ろの人に押し倒されます。2kmを過ぎても人を抜き去るのは思うに任せません。右に左に蛇行しながら、落ちてくる人をかわさないと、自分もずるずると下がってしまいます。スタート時は4車線を利用していましたが、進むにつれ2車線、1車線となり、集団がどんどん伸びても混み具合は変わりません。5kmを過ぎた辺りになって女性のランナーを見るようになりました。遅れ始めた人たちでしょう。この辺り、体が軽く、左右にステップを踏みながら彼女たちをかわし、順位を上げました。幌平橋を渡り、中島公園辺りにさしかかると、ギャラリーが増えました。この辺りで折り返してきた選手とすれ違い始めます。トップに近い人たちは凄いスピードでした。ただ、先頭集団を見ることはできませんでした。折り返した人たちと重なるのは、折り返し点から2km位まで。それ以降は別れて豊平川の河川敷を走るコースになります。折り返しは9kmあたり、大通公園手前、野村證券前でした。最初の給水もこの辺りでした。大勢の人がいっぺんに集まります。ごった返していました。テーブルの上に紙コップがありません。注ぐ先からどんどん持って行かれます。戦争状態でした。飲んだ後の紙コップが道いっぱいに散らばり、路上がショビショに濡れ雨が降ったような、散々の状態でした。やっとの思いで給水しました。南大橋を右岸向けに渡り返し、河川敷に下りました。ここから真駒内向けに狭いコースが続きました。ここに至っても自分の10m前後の間に40~50人くらいの人がいるようでした。それくらい混んでいるのです。ほんのちょっとペースを上げるだけですぐに5人10人を抜くことが出来ます。逆に落とすとすぐ抜かれます。後半戦、腕を振り、頑張りました。真駒内公園に入ってへばりました。最後の2kmはボロボロ。ゴールはヘロヘロ状態でした。記録は1時間51分台。春の記録から2分遅れでした。しかし、スタートまでに要した2分半と、前半、人をかわすための蛇行ステップによるロスのことを考えるならば、そこそこの走りをしたといえます。病み上がりでもありましたから。レースを終え、バス、地下鉄を乗り継いでホテルへ帰ったのが午後2時半。シャワーを浴び、ベッドで一休みしました。お腹が空いたのですが、夜、H兄宅へおよばれだったので、我慢しました。H兄は大学の同級生。1浪1留年して同学年になったので、年齢は私より2つ上です。私の兄と同じ歳です。北広島市の駅前にあるマンションが彼の住まいです。午後7時前にそこを訪ねました。奥さんと二人の息子が迎えてくれました。長男は北大生、次男は私立高校の進学コースだとか。彼らと話をしましたが、素直でちょっとシャイ、今時珍しい好青年でした。彼らにH兄の学生時代の頃のエピソードを話してあげました。H兄は寡黙で、昔のことは全く話をしないそうです。二人は私の話をとても興味深く聞いてくれました。奥さんも喜んでくれました。その奥さんは高校時代、スケートの選手だったそうです。レースであの長屋真紀子と併走したことを話してくれました。凄い。お寿司と刺身を腹一杯馳走になりました。ご両親の話、住まいの話、仕事の話、子供達の話、同級生の消息、積もる話が出来て、よかったです。彼とは20数年前、札幌で別れて以来、賀状・メールと中元、歳暮の交換だけでした。こうやって家を訪ね、話を聞くと、上手く表現できませんが、彼には彼なりの時の経過、時代の過ごし方があったということと、それがとても充実していてよかったと思いました。ゆるやかな感慨のようなもので胸がいっぱいになりました。古い友人、本当によいです。午後10時、彼の家を後にしました。奥さんが私の妻にと六花亭のバターサンドとカステラをくれました。マンションの入り口を出たら、息子さんが5階のベランダから手を振ってくれました。父親を訪ねてきた客に身を乗り出してサヨナラを言う高校生。最高の夜とはこういう時をいうのでしょう。
2008年10月05日
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午前3時半に起きました。風邪気味の妻も起きてきて、リンゴと柿をむいてくれました。これが朝ご飯でした。午前5時半に車に乗って家を出ました。数分後、携帯電話を忘れたことに気付き、とって返しました。家に戻ると、早くもリビングは真っ暗。妻は水平飛行でした。ゴソゴソしていたら起きてきて、呆れた顔をされました。高速道路を走りました。空港まで3時間足らず。ラジオでニュースを聞いた後、ロジェストヴェンスキーでチャイコ4番と6番を楽しみました。これから向かう北海道に合う音楽と思いました。途中、湯布院を朝霧の雲海が埋めていました。幻想的だったです。空港で早い昼を食べ、咳止めと抗生物質を飲みました。風邪に駄目を押すためでした。午前11時前の便に乗りました。早割を購入していたので51,000円の運賃が18,000円でした。安かったので千円奮発して席をクラスJにしました。快適だったです。帰りもこの座席です。日本海の海岸線に沿って北上する航路でした。日本アルプス越えに、遠く富士山が見えました。能登半島、陸奥湾、下北半島など印象深い地形も雲の切れ間から見ることができました。こんな景色を上空から俯瞰できるのは、飛行機の醍醐味です。苫小牧の上空にさしかかり、風景が一変しました。色づき始めた原野、点在する家は北欧風。気分が一気に北海道モードへ切り替わりました。2時間半で千歳空港に到着。JRで札幌へ向かいました。電車が空港の地下に乗り入れていて、とても便利でした。途中、北広島市を通るのですが、ここに大学の頃の友人H兄が住んでいます。家はどの辺りかな。窓外は,紅葉の始まった風景が流れていきました。札幌駅に着いて,すぐに地下鉄南北線に乗りました。この町の地下鉄は,車輪がゴムタイヤで出来ていて、音がとても静かです。他の街の地下鉄ががさつな音を出すのに比べ,如何にも札幌らしくてよいです。中島公園駅で下車し、スポーツセンターへ向かいました。ゼッケンを受け取るためです。広い園内を歩きました。小道以外は芝が埋め尽くし、白樺や楡、ナナカマドなど大小の木が色づき始めていました。とても感じのいい所でした。土曜日の昼下がり、ちょっと寒々しい空気でしたが、散歩をする人がちらほら。読書する若い人、カップルや親子連れ、老夫婦。皆、秋を楽しんでいるようで、とても好ましかったです。ここでドングリを3つ拾いました。持って帰り、育ててみたいと思います。ホテルへチェックインし、身軽になって狸小路へ向かいました。感じのよいラーメン店を見つけ、塩ラーメンを食べました。とても美味しかったです。狸小路にはウィーンという名曲喫茶があるのです。7丁目です。店内は地下。ドアを押すと同時に、柔らかい音が耳へ飛び込んできました。弱いランプ色の明かり、煉瓦色の店内はとても落ちついた雰囲気でした。ブラームスのハンガリアンダンスが流れていました。出されたコーヒーは浅煎りでしょう、酸味のきいたものでした。キリマンかな。絶品の味です。普段、ランブルの深煎りブレンドを飲んでいて、これは苦味が強いのですが、強い酸味の味もいい。次にかかった曲はブラームスの交響曲2番でした。ハイティンク指揮です。陶然という言葉がありますが、まさにこの気分でした。この店のオーディオはマッキンで統一されていました。高そうなものです。音は端正でしたが、大オーケストラの複雑な味わいは今ひとつかなという感じでした。これはスピーカーのせいか、それともアンサンブルの統一感が絶妙なのか。よくわかりませんでした。手前味噌ですが、拙宅のタンノイのほうが上だなと、ひとちごちて悦に入りました。日の落ちる時間、大通公園へ向かいました。サッポロオータムフェスタを覗いてみたかったのです。明日で終了ということで、今日しか時間がありませんでした。この祭りは北海道の美味しいものを集めて楽しもうというものです。鮭、イカ、ホタテなどの水産物、ジャガイモ、トウモロコシなど農産品、チーズやステーキ、ラムなどの畜産品、ラーメンやスープカレー、ビール、ワイン、日本酒、etc・・。多くのブースが並び、大きなテントとこじゃれたテーブルにイス。親子連れ、恋人、老夫婦、観光客が思い思いの食べ物とアルコールを楽しんでいました。レース前でしたが、私も国稀を1杯、700円のステーキとスペインの赤ワインを1杯。楡の木の下に紅いクロスを敷いたスタンドテーブルがあり、ここでグラスを傾けました。すぐ近くでアコーデオンを弾くお兄さん。奏でる曲は黒いオルフェ。少し肌寒い空気と、ゆく秋を楽しむ人々の喧騒ともつかないざわつきの風情、とてもよかったです。祭りを楽しんだ後、ホテル近くの寿司屋で寿司をつまみ、高清水の燗を2合飲みました。久しぶりの酒、とても心地よかったです。明日のレースに備え、午後8時就寝。
2008年10月04日
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午前1時半に起きました。出発は午前2時です。佐伯インターから宇佐インターまで高速道路を走りました。途中、別府湾SAには、かなりの台数の車が駐車していました。中津を過ぎた辺りから土砂降りになりました。北九州空港へ着いたときは、やみました。この空港は、海を埋め立てて建設しています。海上空港です。海の中を走る道路の先、空港の入り口に東横インの建物が建っていて、何とも無機質な風情です。空港駐車場から見たホテルターミナルは大分空港よりずっと垢抜けて、洗練されているように思えます。ここで息子を見送りました。スターフライヤーの0530発は東京まで1万1千円。夜中に車を走らせるだけのメリットがあるように思えたのです。空港を後にし、下関へ向かいました。友人T氏に唐戸市場へ行ってみるよう勧められたからです。午前6時半に着きました。下関水産大学校の耕洋丸が係留されていました。美しい姿です。ホワイトシップの耕洋丸しばらく岸壁を散歩しました。魚釣りをしている人がいました。釣果は小鰺を少々。対岸の門司が手に取るように、すぐそこに見えます。右手には巌流島が見えました。左は関門橋。ここも、上げ潮と下げ潮が1日2回、繰り返されます。上りの船と下りの船では、速度に違いがあります。タンカーの船長Tさんからから、海峡の入り口で潮待ちする船のことを聞いたことがあります。一昨年の初夏、私はそのTさんの5千トンタンカーに乗って、この海峡を響灘から瀬戸内に向かったことがありました。懐かしい思い出です。関門橋と対岸の門司午前7時過ぎ、市場の中の店で、観光客相手の商売が始まりました。覗くと、海鮮丼や寿司の販売です。朝食代わりにと、食べてみました。妻曰く「シャリが美味しくない。値段も高い」私もそう思いました。やはり、寿司は寿司屋で食べるものだと、独りごちました。市場内の店の様子市場を後にし、彦島の方へ行きました。途中、キャッチャーボートを見かけました。船首には銛を撃つ砲が備え付けられています。見張り台は高く、波に揺れるときはさぞ怖かろうと思いました。もうあまり出る幕のないキャッチャーボート島の西側に出ました。彦島大橋の辺りに展望台がありました。そこからは六連島が見えました。その向こうには、二階堂酒造のコマーシャルに使われた白州灯台。双眼鏡を持ってこなかったことを悔やみました。しかし、すぐにうれしさに変わりました。無料の双眼鏡があったのです。潮待ちをする船、白州灯台の白黒。原油備蓄基地。どれもよく見えました。ただ、この固定式双眼鏡、接眼レンズは、私の両眼の距離よりも狭く、ちょっと難儀しました。私の目玉の相互位置は、標準よりも離れているのかな。展望台からは、対岸の製鉄工場も見えました。新日鐵の工場下関へのもう一つの目的。それは名曲喫茶「こいぬ」へ行くことでした。彦島の某広場で午前10時まで仮眠を取り、そこへ行きました。スピーカーは50年前のビクター。初めて見るものでしたが、音は期待はずれでした。ソフトも有線を流すだけ。優しいマスターだけが救いでした。10年ほど前までは、奥さんのお父さんがオーナーで、こだわりの音を求め続けていたそうですが、亡くなってこの方、レコードもプレーヤーも逸失してしまったそうです。ビクターのスピーカー喫茶店を後にし、再度関門トンネルを通って門司へ回りました。出光美術館で仙崖名品選をやっていました。これを見るのも北九州向けの目的でした。ここで3時間。ゆっくり禅画を楽しみました。命の洗濯でした。帰り、宇佐の近くで美味しいパスタを食べました。これが夕食です。別府インターで途中下車。温泉を楽しみ、帰宅は午後7時。疲れました。途中、スーパーで缶ビールを6本。今日も誓いを破ることになりました。築地市場の特集をTVでやっていて、これに見とれていたら、プルトップを全部引いてしまいました。
2008年09月07日
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午前5時半に目が覚めた。明るくなるのを待ってランニングへ出発。小倉城から南の方を一回りして北上、新幹線の高架を潜り埠頭の方へ。魚釣りをしている人と話し、カニカゴを引き上げているおじさんとも世間話。知らない土地は景色がどんどん変わるので、走るのが楽しい。結局1時間を超えるランニング。10キロは優に走った。汗びっしょり。ホテルへ戻りシャワー、朝食。チェックアウトは10時。北九州市立美術館へ向かう。「ミレー、モネ、黒田清輝 田園賛歌-近代絵画に見る自然と人間」展。木村伊兵衛の「おばこ大曲市大曲西根」がよかった。これは絵ではなくモノクロの写真。菅傘を被った田植え姿の若い女性、目元が涼しく、とても清々しい。若い頃の古手川祐子もしくは秋吉久美子のような感じ。昭和28年撮影とあるから、この人はもう80歳くらいになっているだろうな。美術館を後にし、「マックスオーディオ」へ。オーディオの専門店。ウエスギの新品管球アンプがペアで100万円とある。クレジットカードで購入したら妻はどんな顔をするだろうな。涎を垂らすばかりで尻尾を巻いた。今日も道中はKと楽しい会話。Kは純文学を全く読まないという。ノンフィクションや評論ばかりだそうな。小倉の曽根辺りから由布岳が見えた。遅い昼食は中津でパスタ。これが美味。店の名前を覚えなかったのは返す返すも残念。帰宅は午後5時。プールを断念。朝青龍は負け。相撲を見たあと、薪を家の中へ入れ、風呂に入って夕食。昨夜のことを知ってか知らずか、夕食のメニューはおじや。楽しい二日間だった。オーバーホール。
2008年01月27日
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午前5時半起床。晴れ。午前6時半からランニング、7km。いつもは運動公園でトレーニングをするが、今日は近所の農道を走った。犬が生きていた頃に散歩した道。懐かしい。午前9時半、友人Kと待ち合わせし、北九州向け。大分駅脇の駐車場に車を止め、そこからは電車でという手はずになっていたが、パーキングが満杯。高速道路に乗り、小倉まで向かうことにした。道中、Kと楽しい会話。彼は京都で学生生活を送ったという。宝ヶ池の方にまだ農地が沢山残っていた頃、農家の離れに下宿していて、同宿のFとの交際が楽しかったこと、Fは有名大学の受験を2度失敗、私学の哲学科に通う人。相当な本持ちで、Fにいろいろなジャンルのものを勧めてくれたこと。高橋和己の話も出た。Kは山岳同好会だったこと、日本アルプスへよく登ったこと、岩が専門だったこと。どれもこれも面白い話。昼食は行橋、国道沿いのうどん屋。「資さん(すけさん)」というなの店。美味しかった。午後2時、目的地へ前到着。ホテルの駐車場へ車を滑り込ませ、リバーウォークへ。スタバでエスプレッソを飲み、北九州芸術劇場に入る。席は最上階の一番前。俯瞰がいい。プログラムはベートーベンのバイオリンコンチェルトと展覧会の絵。協奏曲は楽団の編成が小振りで、ちょっと物足りなかった。ソロヴァイオリンも遠くで聴いたせいか美しさよりもか細さの印象が勝った。展覧会は大編成の演奏。数えたら94人。楽器の種類も特別多い。銅鑼やチェレスタもあった。それぞれの音が今どこから出ているのか、確認できる。オーディオでは知るよしもないような細かい音までよくわかる。全体的に迫力があり、体にドンと来た。これだから生はいい。今日のチケットは4千円。100回通っても40万円。私は都会に住んでいたら、音響機器を揃える代わりにコンサートへ繁く通うとおもう。なぜなら生演奏に勝るもの無し。音楽会の跳ねた後、ホテルへチェックイン。三役以上の相撲を見た後、魚町へ繰り出す。焼鳥屋で腹ごしらえをした後、バー2軒を梯子。Kはトムコリンズを飲んだ。私はズブロッカ。最後の店「JAZZ STREET52」はジャズバー。JBLの4312クラスを大音量で鳴らしていた。菊池成孔の「DUB SEXTET」、Milt Jacksonの「Sun Flower」。ホテルへ戻ったのは午後11時過ぎ。コンビニでエビアン1リットルを求め、これを飲んでシャワーも浴びずに就寝。盛り場で銀髪の美しい外国人女性が店のビラを配っていた。どこから日本へ来たのと聞いたらロシアからと。テレビに写るフィギアスケートの選手のようだった。酔っていたからかな。
2008年01月26日
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午前5時起床。部屋を明るくすると寝ている妻が眩しがるだろうからということで、トイレにこもって山陽新聞を隅々まで読む。その土地柄を感じるのに、地元紙1面下の腹切りコラムはうってつけ。6時前になって、居ても立ってもいられず着替え、7時に返ると言い残してホテルを出る。美観地区を散歩。喫茶店エル・グレコ、大原美術館、大山名人記念館等いずれもまだ朝靄の中。当然入館不可。アイビースクエアの方に回り、ロビーの社員に断り、パブリックの部分をぶらつく。小島虎次郎の作品がロビー脇に1枚掛けてあった。am7時からの朝食が用意されつつあるレストランの雰囲気はいい。廊下から覗くとメイド嬢が背筋を伸ばしながら歩き回っている。もう片方は広い中庭になっていて、屋外パーティーにいい感じ。続いて東側に回り、蔦壁に沿って結婚式のあるチャペルや小島記念館の前を通る。煉瓦作りの高い壁を匍う色づいた葉は異国情緒を醸す。はたまた大学のキャンパスのようでもある。ここの一角を抜けると、夜が完全に明けた。疎水と柳、蔵作りもどきの建物、優しいコントラストの風景。カメラマンが多い。私は更に東側を回り、商店街を通ってホテルへ戻る。途中、「バロック音楽を聴きながら食事はいかが」という小さな看板をドアに貼り付け、フランス田舎料理を出すというレストランを見つけた。世界のワイン各種取りそろえとある。あー、もう一晩をこの町で過ごしたい。ちなみにディナーは3,500円。付近は阿知神社の大祭開催中ということで盛り上がっている様子だったが、御幸もあったようだがすれ違わなかった。アイビースクエアにも商店街にもコンサートのポスター。ティーレマンとミュンヘンフィルのブラ1。あのチェリが率いたオケだ。グレンミラー、小山実雅恵、ランランとエッシェンバッハがパリ管でベーヤンの4番+幻想。どれも垂涎。この町、文化度は高い。住んでみたいな。部屋に入り、シャワーを浴びた後、妻を起こして朝食。なかなかのボリューム。添えてある納豆のパックは私も妻も食べずじまい。彼女はこれをバッグに忍ばせて娘の所へ持っていくらしい。チェックアウトし、娘のアパートへ。後はこの地を去るまでの悲しい時間。別れあるのみ。妻は平気だが、私は娘を残すことにこだわりがある。気分が塞ぐ。ただの別れなのだけれど、この町が、この別れが、妙に異国の感じを醸してならない。帰りの車中はウトウトしながら読書。『煤煙』読了。心がカサカサになるような本。佐伯駅に着き、駅前のスーパーで買い物。出来合いのモノを数品を買う。今日は地区の作祭りだが、前もってキャンセルしていた。帰宅したら母からTEL。柿があるから取りに来いとのこと。土産のママカリを渡し、甥にはチーズケーキ。少年野球チームに所属する彼がバットの素振りをしていた。色々とアドバイス。母からコノシロに塩をしたものをもらう。月桂冠辛口晩酌を燗にして飲む。当ては酢牡蠣。午後8時、バタンキュー。
2007年10月21日
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午前4時起床。外気温10℃。新聞まとめ読み。スターデジオは朝からショパンのエチュード革命。強烈だなぁ。その後がラヴェルの亡き王女。グッと落ち込む。デボラ・カー死去。NHKでルーブルの特集をしたときの案内役。エンニオ・モリコーネの音楽がよかった。午前7時半過ぎの列車に乗る予定も、妻のぐずぐずで間に合わず、30分遅れの次発に。午後2時までに目的地へ到着すればいいのだから、別に慌てることもないが。にちりん、ソニック、のぞみ、こだまを乗り継いで午後0時半過ぎ、倉敷へ到着。天気快晴なるも冷たい風が吹いて、風邪気味の妻には応えている様子。彼女に私の上着を着せたので、私は半袖のシャツ1枚。軽装は私だけ。ブルッとくるが、なんのなんの。平素プールで鍛えているだけに風邪はひかない。車中、ポータブルCDプレーヤーがブルックナーを読まず、モーツァルトだけ。残念だ。窓外の景色で印象に残ったのは、由布岳と徳山湾。これがいけなかった。目をこらし豊後富士の山頂を見る列車の中の私と、つい先だってその場に立った私がいる。一年前、関門海場を抜けここに入港した私と、いま新幹線の中からその湾を見下ろす私。記憶はこうやって思わぬ所から顔を出し、感慨とそれに続く時の移ろう早さ、そしてなんだか無情ということを思ってしまう回路にまでスイッチが入ってしまう。こうなると、昔、選択をしなかった道、或いは選択したことへの後悔が私の心の半分を占め続ける。大学に着くと、今日は学食休みとのこと。ロビーへ妻を残してコンビニまで走り、彼女のためにサンドイッチを買う。というのはついでで、本当は私のために北海道限定という缶ビールとマルハの魚肉ソーセージ。一杯やりながらキャンパスに戻る坂道で一つの法則に気がついた。歩きながらつまみを口に入れることは可能だが、飲むときは必ず立ち止まる。酒に敬意を表するためか。近道をしようとキャンパス裏手の藪の中に入り込んだが、結局出口がみつからず、元の道へ戻る。ズボンにバカ(草の種)が付いて難儀。すれ違う学生が私のことを奇異の目で見た。今日は娘の演奏会。ドビュッシー、オネゲル、ジャズ系のもの、津軽三味線をモチーフにした曲、オリジナルと各人各様のステージ。娘は菅野よう子。私はクラシック系がいいと思うのだが、流行らないらしい。以前、運命の力をやったときはググッときたのだけれどなぁ。演奏会のあったホールにパイプオルガン(写真)。高さは7~8mはあろうか。妻が、これだけ大きいと、ペダルを踏んで空気を送るのは大変だろうという。何をいうてまんねん。モーターで送風するのだよ。演奏者一人の足でこれだけの楽器を鳴らすのは無理だろうこと、わからないのかな。昔、小学校の教室にあった足踏みオルガンとは違うのだ。大笑いし、森有正が戦中、教会で練習したとき、電力不足で思うに任せなかったという蘊蓄を自慢しながら話したら、また始まったという顔でプイと横を向いた。夕方、レストランで食事した後、娘と別れホテルへチェックイン。妻は風邪薬を飲んでそのままベッドイン。私は午後9時半には帰ることを約して夜の町へ出撃。先ず目的のジャズバー50(フィフティー)へ向かう。ホテル日航倉敷の裏手にある店。壁一面にレコード。柔らかい黄色を帯びた照明が心地いい。ガラードのプレーヤー、SMEのアームを使っている。私のものより複雑のよう。ターンテーブルは2台。管球アンプはどこのものかわからなかった。スピーカは劇場用のものを使用、国産。1台で鳴らしている。音量は十分、しかも50年代のレコードは全てモノ。細長い室内にステレオは必要なしとの考えから。なるほど、店の名前がフィフティーというのはモノの時代が中心だからという。ソルティドッグを飲みながらチェット・ベーカーをリクエスト。その間、客はなし。旅行するときはオーディオの店を探すのだとマスターに話したら、ジャズバーはもう死語だよと返ってきた。この町では「異端の店」と言われ続けているらしい。流行を追わない店は世の趣向が変わると、成り立たないのは自明のことだが、それはそれとして、こうやって頑張っている店にはエールを送りたい。ということでマティーニを注文。次はディープな居酒屋で地酒をと思い、探し歩いたが見つからず。駅前の立ち飲みに獺祭の一升瓶があったのを思い出し、そこへ。煮込みとその酒を注文すると、通の客として遇してくれ、しばし日本酒談義。私は大分の酒智恵美人を自慢した。この店、崩れた感じのする兄弟がやっていて、兄は酒の飲み過ぎで倒れたことがあると、訊きもしないのに弟が話す。痩せて顔色が悪く、しゃべりのリズムがちょっとだけ脳梗塞を患ったかのよう。よほど酒好きなのだろう。お腹が空いて、結局最後はラーメン。レストランでシーフードピザを食べただけ、空腹感が勝り、掟破りをした。血圧にいいはずがない。ホテル着は午後9時半。妻の寝息を聞きながら北方謙三の「煤煙」。寝酒の缶ビールが苦い。メモ正倉院展27日から。
2007年10月20日
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シャワーの後、くつろいでビールを飲んでいると、Rachmaninovのヴォカリーズ。娘が弾いているのだ。この曲、出だしはグレゴリオ聖歌のパクリなのかな。愁いを帯びていてとても素敵。聴きようによっては、安息をもたらしてくれる母親の胸の内のよう。妻が同僚から旅行の土産をもらってきた。隣国を訪ねた人からは韓国ノリ、北欧に行った人からはチョコヌガーと温度計。フィンランドの国土を白く象った中に小さな寒暖計がはめ込んである。その脇に大きな角のカリブ。これはいい。ヌガーは瞬く間に息子の餌食。ああ、湖水地方の味を感じたかった。そういえばこの夏、どこへも行かなかった。妻にその旨を話したら、息子と3人、大分へ鮨を食べに行ったではないかと言われた。ヘルシンキと大分では大違い。彼女に夢がないのか、それとも甲斐性の無い私への皮肉か。いずれにしても寂しく悲しい。しかし、私は私なりの旅行をした。大戦前夜の北満と元禄が終わった江戸市中。いずれも本の中だけの話だが、作者の表現に体感度が高まり、想像が膨らむ。たとえばチチハル郊外の冬。コウリャン畑を吹き渡る粉雪。凍る大地。入植者の息づかい。江戸物については、剣客を取り巻く悲喜こもごも。四季折々の生活を伺うことができてよい。面白みは、たとえば大きな徳利のことを白鳥ということを知り、よし、こんど縄暖簾をくぐった時、大将へ「白鳥を1本」と言ってみようなんて考えるのである。
2007年08月23日
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宇目の奥の院、国道326号線を西に折れ、林道を進んでいく。急峻な山とV字谷。北川ダムの水位は高くなかったが、藤河内のそれは深々と水を湛えていた。軽トラを止めて水面を見ると、魚がはねた。渓谷を通り過ぎると砂利道に変わった。4駆に切り替え。国道を離れて以来、対向車はない。午前8時半、登山口着。北九州、佐世保、熊本、宮崎、いろいろなナンバーの車が止まっていた。私たちも林道脇に止め、トイレを済ませて登り始めた。取り付けからの半分は新緑の中を歩いた。登りばかりで汗をかいたが、わたる風が心地よい。鳥の声も美しい。蝉の声を聴いた。クマゼミか。地松の大木に目を奪われる。製材すれば何万円になろうと邪な目で見てしまう自分が可笑しい。こんなところの木を切っても、どうやって運び出すの?と問う妻に索道のシステムを説明するが、解ったのかどうか。高度が増したのだろう、5合目くらいからは木々の芽が小さくなり、さらに上に行くと芽吹きの前。落葉樹がほとんどなので、樹間に見える緑濃い周囲の山とのコントラストが鮮やか。尾根筋の道になると角張った何十トンもある大きな石が目立つようになる。花崗岩に近いようだが、よくわからない。アケボノツツジの花が多くなった。最後の登りを前にして、鞍部に出た。頂上と反対の方向は、大鋸小鋸という名の痩せた尾根があるらしい。遠目に見える岩場がそうなのだろう。ピークに向かう。15分。高所恐怖症の私にはちょっと嫌なところもあったが、無事登頂。コンクリートの小さな三角点あり。結構広い。アケボノツツジの大木、コメツガと思われる枝振りのよい針葉樹。眺望はこれらの木々に遮られ、枝の間から僅かに見えるだけ。道中、30人くらいの人と追い越し追い抜かれたが、ここには100人を超す登山客。ほとんどが60年配の男女。見た目、妻より若い女性は一人もいない。あぐらをかいて昼食。近くに座った女性4人のグループはキムチうどんを作り啜っていた。別の男性はカップ麺。コッヘルで湯を沸かし、頂上の味を楽しいでいる。私は見なかったが、パーコレターでコーヒーを楽しみながら読書する紳士もいたらしい。頂上からは大崩山がよく見えた。双眼鏡を使うと、巨岩の頂に人の姿。山の南半分が大きな岩が崩えかかっているように見えることからこの名がついたのだろう。頂で40分ほど休み、下山。途中、鞍部を越えて例の大鋸小鋸を眺めた。とても進めそうにない。へっぴり腰で岩にしがみつく姿を妻には見られたくないな。登山口に着いたのは午後2時。下山中、一番最後にすれ違ったのは少女2人を連れた夫婦。家族連れは今日初めて。羨ましい。21の娘と18の息子、一緒できたらどんなに楽しかったか。途中、二人の会話に何度もこの話題。帰りに藤河内の温泉(冷泉をわかしているようだ)に寄った。湯船に浸かると疲れが取れた。ツルツルしない。鉄分を多く含んでいるのかな。上がって休憩室に座り、北九州から来たという人の講釈を聴く。彼は九州の山は宮崎を残し、ほとんど登っているという。木立の元越山にも登ったことがあるとのこと。四国の石鎚について訪ねると、夏木山よりも楽ちんという。妻が喜んだ。実は、今日の登山、今秋に石鎚へ登るという妻が練習を兼ねて適当な山に登りたいと言いだしたため。今日の山行と比較し、自信を深めたよう。温泉前の川に渓流釣り姿の父子がいて、これもほのぼのとした光景。
2007年05月03日
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午前6時起床。晴れ。霜は昨日に比べ少なし。朝の味噌汁はヒメイチ。昨日トキハで安売りをしていて、20匹近く入っていたものが98円。昨夜のうちに腹を出して今朝の食卓に。美味。兄が、甥の通う小学校の空き瓶回収に使うからということで軽トラを借りに来た。朝寝坊の息子を残し、竹田へ妻とドライブ。目的は但馬屋。此処のオーディオを聴くため。JBLの4344、タンノイのカンタベリー。アンプの調整中ということでタンノイを聴くことはできなかったが、JBLはいい音だった。願わくばもちょっと部屋が暖かければなぁ。でも菓子屋に併設した茶房なので、和菓子に暖気がよくないのだろうから、仕方ないか。私はコーヒーと荒城の月、妻はこれに加えて焼きたての三笠野を注文。菓子は美味しいが、足下がしんしんと冷える。足早に店を後にして、隣接の秋山巌版画館へ。秋山巌はこの町出身の版画家。種田山頭火の句をフクロウの表情に添えた作品。独特の世界を醸している。http://www.tajimaya-roho.co.jp/hangakan/index.html昼食を食べずに、温泉花水月に入る。薬用サウナが心地いい。足裏マッサージ機を100円で試してみたが、これもいい。昼食は緒方まで戻り、チャンポンとチャーハン。テレビニュースが千島沖地震の津波警報を報じていた。鷹来屋の酒を2本求め、その後キッチンうすだにパンを買いに寄る。残念ながらパンドカンパーニュは品切れ。フランスパンを求めた。この店、山間にあって、なかなか素敵。周囲に人の気配がない。隣家も一山向こう。小さなレストランを併設していた。私もこんなところに小屋を建て、オーディオを置き、寛げるスペースを作りたい。店主は家のそばに薪を沢山積んでいた。薪ストーブに?と聞いたら、生活空間の方にあるのだそうな。母屋の方には都会的顔をしたラブラドールがいた。帰り、コスモタウンでチキンとポークを求め、薪ストーブでトマトソースと一緒に煮込んでいたら、親方がやってきた。ダウンジャケットが似合う。板を3枚持ってきて、字を書けとのこと。「かっぷりの似合う男」と書いては如何というと、即座に「それはいけん」。いいとおもうのだがなぁ。書く文句はちょっとまじめに考える必要がある。夕食はフランスパン、ウォッシュチーズ、野菜サラダ、トマトソース煮込み、赤ワイン。レンブラントの番組を見ながら。プール、ランニングを休んだ。馬は如意。
2007年01月13日
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