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(続き) 臭い息、匂う靴下でしたが、遠慮無しよの言葉に甘えました。何を飲む?ここの酒保は深いと聞いています。ディープな物がゴロゴロしているのは薄々判っていました。そこへ渡りに船、シャンパンにする?の言葉。禁玉さんがそれをいきましょうと、私の気持ちを察してくれました。 当てはなんと鮒鮓でした。たまりません。最高の当てです。 焼酎を水に馴染ませているんだ、といいながら数日前に割った芋を瓶から次ぐnkucchanが図。 瓶を鑑定する焼酎博士の禁玉さん。 アルコールが進みます。おっ、焼酎サバーは三角フラスコを使っている。 ヘベレケに酔いました。しからばそろそろ反省タイムですと、別室に案内されました。なんと、茶室があるんです。素晴らしい。禁玉さんと雁首を並べ、奥様のお点前を頂きました。当ての菓子までが上品でした。もう一杯を薦められ、遠慮を知らない田舎者の私、お代わりをしました。裏千家のふくささばき、白魚の指にそこはかの色香を感じました。 杯盤狼藉、楽しい夜でした。夜の更けてお暇し、タクシーで刈谷駅へ戻りました。私「禁玉さん、こうなってはもう〆ラーをするしかありませんよね」付き合って頂くことにしました。名古屋へ戻りました。駅構内のラーメン店街に突っ込みました。早速ビールで乾杯。オーソドックスな1杯を注文。美味しかったです。彼に「明日は京都でしょう?天下一を食べて欲しいな」そうすることにしました。満腹になって、ビールを半分残しました。禁玉さんは完食でした。すごい。 サヨウナラ、またいつかきっと。 新幹線に乗りました。のぞみに先発のこだまへ乗りました。この選択が、後になって幸いしました。車中、寝オチしてしまいました。気がついたら車掌さんが「お客さん、お客さん」我に返ったら終着の新大阪でした。のぞみに乗っていたら今ごろは・・・。考えただけで空恐ろしい。 廻らない呂律で駅員さんへ事情を説明。「誤乗 新大阪」のスタンプを乗車券に押してもらいました。 在来線のホームへ千鳥足。野洲行きに乗りました。 京都へ着いたときは、日付が変わっていました。あー疲れた。 今日の一句旧懐の如くに思うブログ友初物と熟れ鮨を喰い笑う友大甚の賀茂鶴流す旅の空今日の写真はこれに尽きます。いい一日でした。
2015年05月10日
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平成27年5月10日日曜日 返ってきました。3泊4日の小旅行。妻を残して糸の切れた凧さながら、コリャコリャの珍道中。これから数日、時系列でそのあれこれを書きます。 5月7日木曜日晴れ。世間は今日から仕事モード。私は連休後半戦に突入。午前4時起床後、朝のまどろみがよかったです。午前9時半、大手前のバスターミナルから空港バスに乗りました。連絡便は日本航空や全日空を想定してのダイヤです。空港について、ジェットスターの時刻にはなお間がありました。昼飯にしなければなりません。寿司屋かレストランか、迷いました。結局、売店で土産用の鯖棒寿司を買い、缶ビールで流しました。ロビーでムシャムシャの図は、自意識過剰かも知れませんが、人の目が気になりました。 飛行時間は40分。先だってnkucchanと連絡がつきました。是非名古屋へとの嬉しい誘いでした。二つ返事。ということで、いよいよ玉子ちゃん大王の国に攻め入る時がやって来ました。写真は関空から難波までの南海電鉄チケットです。 おっ、ラピート号という名の列車です。私は急行に乗りましたが、こちらは特急とのこと。なんだか鉄人28号に似ている。テッチャンの亮さんは、こんなの見ると嬉しいのかな。 こちらは名古屋B食倶楽部へのパスポートです。この日は京都泊の予定でしたが、チェックインの時間が惜しい。素通りして名古屋に向かいました。 名古屋駅、金時計の前で待ち合わせ。いました。懐かしい。ジャン・レノよりずっと男前の紳士が迎えてくれました。タクシーに飛び乗りました。 島正という、知る人ぞ知るどて焼きの店に連れて入ってくれました。あと5分、オープンを待つnkucchanです。 早速乾杯。嗚呼、この時を待つこと幾年月、願いが叶いました。 目の前のおでんが次々と出されてきます。アウェーの私、どれもこれも初めての体験。初めての味でした。 ここで禁玉さんに連絡を取りました。会えるかも、というメッセージが届いていたのでした。いてもたってもいられ無くなったのでしょう。nkucchanがTELしてくれました。仕事をほっぽり出して、やって来てくれるとのこと。嬉しいな。次に案内頂いた店は吉田類の番組にも登場した大甚。 勝手知ったる彼は、ごった返す中をスイスイ。忽ち3席を確保してくれました。 こんな感じのつまみを勝手に取って、後で皿を勘定するシステムでした。どれも身体に優しそうなソフト系でした。 酒は賀茂鶴の樽でした。これを燗ピンにしてもらいました。ぬる燗でした。殆どのお客がこれを頼むようでした。お父さんたちが黙々と、しかし旨そうにやっていました。 ここで禁玉さんと合流。先の店で「はよこんかいはよ!」Cメールを打ったのでした。息を弾ませたみたい。ご免なさい。3人で乾杯。初対面なのに、積もる話のあるような気分でした。写真はいい気色になって大甚の前で記念撮影。おっ、禁玉さんの旨にピンクリボンのバッジ。 さあ刈谷向け。JRに乗りました。夕闇迫る東海道線を一路安城方面へ。道すがらnkucchanの話すには、沿線に世界一の自動車メーカーあり、このまちにも関連する病院やらなにやら。応じた禁玉さん、私の住む岐阜・多治見にも関連の大きな会社ありとのこと。車窓を流れる風景、刈谷に降りての街の美しさに景況感というか、大企業の城下町が近くにあろうことの空気を感じました。閑話休題、改札口を出てタクシーに乗りました。小洒落た住宅街の一角にありました。ここが名古屋B食倶楽部の本部です。(続く)
2015年05月10日
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平成27年4月27日月曜日 午前5時起床。晴れ。金曜日の午後、半日ポカ休をとっただけなのに、出勤は久しぶりの感でした。非日常の旅行を経て、心が空っぽになりました。オーバーホールのなった気分でした。霧島焼酎神社にお参りしたのがよかったのかもしれません。 終日、慌ただしかったです。新しい年度になって早一月が経とうとしています。終日、抱える難題についてのミーティング。日の暮れるまで缶詰でした。明日も、祭日を挟んで木曜日も続きます。初日なのに早くも倦んだ気分になりました。どうもいけません。真っ直ぐ帰宅。このところ、走っていないな。仕方がない、飲むか。白霧を生でグビッ。当ては昨日、通夜の帰りに買った袋物。これが意外、美味しかったです。 書くことがないので赤面のことを。先週末、ポカ休を取って宮崎市内に出撃したことは既述しました。杉の子の暖簾を潜る前、時間があったので市街地をぶらり散策。その日は統一地方選まっただ中。投票日を明後日に控え、候補者が必至の訴えをして廻っていました。名前の連呼、最後のお願い、後一歩、皆さんの力で押し上げて・・・。この風物詩、滑稽ですらあります。常軌を逸している感です。しかし、当の本人たちは真剣そのもの。まちをよくしようという高い志を持ち、落選というリスクを負っての出馬。並の人にはできません。前置きが長くなりました。花金の夕刻、橘通りに仕事帰りの人が増え始めました。その頃合いを狙って、1台の選挙カーがやって来ました。ウグイス嬢が声をからして必死の訴え。しかし、道行く人は誰一人振り向きません。後部座席、鉢巻きをしてそれ用の白いジャンパーを着た男性は疲れ気味。振る手に勢いがありません。とその時、何を血迷ったのか、無条件反射なのか、妻が選挙カーに反応。ニコニコしながら手を振りました。途端、その男性が窓から乗り出しました。振る手は勢いよく回る風車のようでした。やり過ごして私「おまえ、このまちの選挙権がないのに何故そんなことをするんだ?」妻「あらあなた、見ず知らずの人であってもあのとおり必死よ、励ましてあげなくてどうするのよ」私「・・・」さてもその時でした。1分経つか経たない頃合い、くるりUターンしたその車が私たちに横付け。候補者が降りてきました。神頼みの表情、よろしくお願いしますといいながら、妻に握手を求めてきました。おい、俺の女に手を出すな、とは言えません。彼が去った後、彼女に「ほらみろ」と言ってやりました。が妻はまんざらでもなさそうな顔をしていました。今日、ネットで選挙結果を調べてみました。その候補は不如意でした。ぼそり呟きました。「ほらみろ」毛の三本足りないのは私だけではありません。今日の一句宮崎に掻き捨ての恥じ地方選今日の写真は帝国ホテルのチョコレートです。東京土産。羽田空港で買った由。持って帰りましたが、私の口に入りませんでした。
2015年04月27日
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平成27年4月25日土曜日(続き) 目的地は都城市にある霧島酒造。天下の黒霧を造る工場があります。見えてきました。巨大なタンクが聳えていました。 観光客を対象にした見学コースや併設の記念館、焼酎酵母を使ったパン工房もありました。勿論試飲コーナーも。ひっかけたかったですが、今日のうちに大分・佐伯へ戻らなければなりません。高速道路を妻一人の運転に任せては男がすたります(本当は不安ですから)。 先年、大分・日田にあるiichikoの工場を見学したことがあります。そこのポットスチルはステンレスでしたが、こちらは銅を用いているようです。 おっ、焼酎神社がある! 飲んべえは、当然参拝すべし。お参りしました。nkucchan、亮さん、ももさんのことも酒仙に宜しく頼みました。 柏手をたたいた後、すぐさまインターに。遠くに高千穂峰が霞んで見えました。この山を見て、ふと、もう書き込まれなくなって久しいマロンピーチママサンブログのことを思い出しました。彼女はこのまち出身でした。中部地方の大学を卒業し、名古屋に住んでいました。どうしているのかな。持病があると言っていたっけ。あれこれ考えているうちに2時間半。途中、仮眠を10分間とりましたが、陽のあるうちに帰りつきました。長風呂をしたあと、黒霧を楽しみました。お参りしただけに、格別の旨さでした。バタンキュー。今日の一句都城聖地と聞きし黒霧の今日の写真は看板です。焼酎工場の駐車場脇にありました。いい感じです。
2015年04月25日
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平成27年4月25日土曜日 午前5時起床。持参した文庫本を手に取りました。ipadもノートパソコンも持たずの旅でした。そのほうがよい時もあります。午前8時半、ホテルを出ました。朝ご飯を食べずの仕儀。紙コップに一人1杯のコーヒーで済ませました。一路南下。宮崎空港や、ジャイアンツの畜生めがキャンプを張るサンマリンスタジアムが左手に見えてきました。堀切峠に向かいました。 「あっ、あなた、早く止めて止めて」突っ込んだ先は農園でした。広い敷地に、花と夏野菜の苗を売ってありました。先を急がなければならないのにどうなってるんだ。ゆるりの道草に腹が立ちました。なにやらわけのわからない花を買ったようでした。折角なので私もゆずの苗を買いました。何せ処分特価の看板がありましたから。500円でした。柚子風呂を楽しもうという算段です。 少し走ると、日南海岸に出ました。途中、「堀切峠」とう看板に釣られ、本線から旧道に入りました。いい感じのPAがありました。宮崎のランドマーク、海岸に「鬼の洗濯岩」が拡がりました。名のとおり、洗濯板に見えます。亮さんやnkucchanがいわしの目のような二日酔いの折は、ここで背中を擦ってもらうといいな。ニヤリ思いました。 更に南下。道は南国の風情です。潮風が初夏を思わせるような感じでした。今田勝や松岡直也の音楽が頭に浮かびました。ソテツやヤシの景色にクラシックは似合いません。 鵜戸神宮に到着。太平洋に膨らんだ岩塊、断崖の上に駐車場がありました。海原を見ながら絶壁を下っていきました。 10分ほど歩いた先にありました。こんな感じです。 本殿は岩の窪みに建ってあります。安産に利益があるとのこと。 お守りを売っていました。いろいろな効能の札がありました。目の病、心臓の病などは解りますが、女性の病、男性の病ってどんな病気なんだろう。美しい巫女さんが販売担当者でした。「姉さん、其処ぃ並んじょる奴ぁ効くんな?」巫女さん「???」目を吊り上げた妻が、私の袖口を引っ張りました。 おっ、運玉を売っていました。ここの名物です。といっても食べるものではありません。こねた赤土の玉に「運」の印字を付けて5個100円です。 これを女は右手、男は左手で、見下ろした先にある大石の穴に向けて投げます。中に入ると願いが叶うんだそうです。写真の左、縄に囲まれてあるのがストライクゾーンです。外れると、大石の下に転がって落ちます。 見やると、逸れた運玉が数え切れないほど。ここの神主は、夜、参拝客の絶えた時刻、懐中電気を持って拾い集めに行くんだろうな。翌日、それをまた売るのかな。まさかそんなことはしないわな。でも、拾わないと下は運玉で一杯になるからな。禰宜の格好をした兄さんに訊いてみよう。話しかけ始めたら、また妻に袖を引っ張られました。肝心のことを訊くこと能わず。面白くありません。 飫肥城へ向かいました。目的地へ着きました。知る人ぞ知る名城です。門に重厚感がありました。 潜って敷地の中に、飫肥杉の大木がありました。柾目の柱が取れそうです。切り倒したくなりました。しかも、足場がよろしい。積み出しも楽勝です。 ここの内外に、旧藩主の屋敷や飫肥城歴史資料館が散らばってありました。それらを覗いてみましたが、そそられませんでした。最後に、社会科に出てくる小村寿太郎を顕彰した記念館を見学。出自や功績の能書きは、時間の関係で割愛しました。ぐるりのぱっと見でお終い。ただ、彼の体躯が小さかったことだけは印象に残りました。身長153cmだったとのこと。妻よりも5cm余り低い。その彼が列強の大男と丁々発止の図、小男だけに出ていたオーラの大きさは如何ばかりだったか。余談ですが、私のばあさんは、明治33年生まれです。その頃が彼の活躍した時代です。余談の余談です。彼女が生きていた折よく言っていました。「朕思わず屁を放った、汝臣民臭かった」市井にあっての戯れ言葉でしょう。でも彼女の長男はサイパン島で玉砕。私の伯父にあたる人です。以上、小村寿太郎と関係のないヨタ話でした。脱線。写真は記念館の玄関です。 閑話休題、花より団子、飫肥城より飫肥天です。駐車場脇にスリ身天麩羅の店がありました。海老天をやってみました。揚げたての熱々が美味しかったです。 この後、一山越えて、都城へ向かいました。写真は途中にあった日南ダムです。春の雨に、水を満々。鯉のぼりが泳いでいました。なかに鰹のぼりが混じっていました。ここはカツオのまちでもあります。写真にはありませんが、駐車場の脇にミツバチの箱がありました。シイやカシの蜜を集めるんでしょう。この時期特有の風物詩です。 今日の一句運玉を投げて外れの鵜戸神宮利益あり中国人もやって来る今日の写真は妻のいたずらです。「殿様気分でどうぞ」とありましたが、この格好はないだろう。座る前、掛け軸の方を向こうとしたのには笑っちゃいました。 ん?なんだ。これ、弓競技「四半的(しはんてき)」というこの地方の娯楽だそうです。8m先に的があります。プチ本格的弓道です。彼女、真剣になっていました。 (続く)
2015年04月25日
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平成27年4月24日金曜日(続き) 日の落ちて小腹が空いてきました。ふるさと料理の店「杉の子」の暖簾をくぐりました。 ここの大旦那は山頭火に心酔しています。以前、全国山頭火の会で一緒したというか、名刺を頂戴したことがあるのです。そのことを思い出し、チョイスしました。このお店、ななつ星に昼食を提供しているとの由。料理が楽しみでした。 「シャンシャン馬コース」を頼みました。メニュー構成はこんな感じです。 先ずはプレモルで乾杯。次いで地酒をもらいました。本醸造ですが、いい感じに締まっていました。 おっ、アサヒガニが出てきました。これ、面はイマイチですが、身はビッシリ詰まっています。知る人ぞ知るウマイモンです。 おおーっ、シロウオです。ウヨウヨ泳いでいました。甘酢を垂らして一飲みにします。妻もしかめっ面をしながら挑戦。なんとか飲み干しました。余談ですが、これをガシガシ噛んで嚥下する男がいます。悦に入っ手自慢をするんですが、人は皆、汚い酒飲みと言って彼を馬鹿にします。何を隠そう、私です。 こうなれば、もうカッポ酒を注文しないわけにはいきません。そうしました。真竹の香りがよろしい。熱燗ですが、スイスイ入りました。 出ました、地鶏の炭火焼き。この時点で満腹でしたが、香ばしい匂いが胃袋を膨らませてくれました。完食。 〆はマンゴーや日向夏のデザートでした。その前に食べたかった冷汁が出ました。これが美味しいんです。右を左の麦飯にたっぷりかけて、茶漬けのように啜ります。汁は味噌味。魚のほぐし身が入っていました。キュウリの甘さが隠し味。冷たい味噌汁をご飯にかけたような感じです。ネコマンマに近い。 大旦那には会うこと能わずでしたが、ご主人と女将さん、それに吹石一恵似の素敵な着物姿のお姉さんが見送ってくれました。いい夜でした。ぶらり、夜風に吹かれました。おっ、ここにも焼酎の看板がある。 よし、もう1~2軒、楽しもうか。立ち飲みの焼酎バー「たたんばー」に突っ込みました。写真にはありませんが、地焼酎のあれこれはもとより、日本酒のいいところやカップ酒もおいてありました。グラスを頼んでその都度会計がよかったです。隣に外国人が独り酒。40歳くらいだったかな。声をかけたらドイツ・ケルン出身とのこと。来日して10年余り。日本語ペラペラでした。兵庫県の女性と結婚し、そこに住んでいるそうです。彼に頼んで妻とのツーショットを撮ってもらいました。無名の焼酎を無垢で、妻は梅酒のサワー。1杯ずつ飲んで後にしました。 ホテルに戻ろうという矢先、オープンタイプのバーが目に入りました。アイリッシュパブCELTSです。ウイちゃんをあと1杯だけと妻へおねだり。許可が出ました。ラガウリンをシングルで。妻は山崎のハイボール。店員さんは、グリーンのナショナルカラーをあしらったTシャツ姿。若い青年が同じ年頃のお姉さんに使われていました。「兄さん、大変だね」彼[はい、昨日からここでバイトを始めました」私「学生さん?」彼「この春に鹿屋体育大を卒業しました、高校教師になりたくて週一、不足の単位を取りに通っています、専門はバレーボールです、鹿屋までは車で行きます」頑張れ若いの。写真は彼に写してもらいました。今日はこれで打ち止め。 今日の一句日向路の空気やよろしポカ休さ白魚を噛んで拡がる大淀川春宵に地頭鶏(じどっこ)流すカッポ酒猫飯は高級店で冷汁に日向夏頬張る妻の目尻よし今日の写真は街路樹に取り付いた花です。多分、針金か何かでくくりつけて、寄生させたのでしょう。なんだか宮崎らしい感じを受けました。
2015年04月24日
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平成27年4月24日金曜日 午前5時起床。晴れ。いい日和が続きますが、霞んでスカッとした青空ではありませんでした。山々も靄がかかったよう。陽気とも相まってなんとなくアンニュイの気持ちになりました。どこかに遠出したくなるきぶんでした。が、午前中、外せない用件がありました。出勤し、備えました。思いの外、上手くいきました。ハンコを待つ書類も一段落。オマケに上司が出張しました。いいぞいいぞ。ポカ休の条件が整いました。昼前に会社を抜け出しました。 もうこちらのものです。家路は、爽やかな風が吹き渡っていました。帰りの車中、窓を開けました。吹き込んでくる空気が、仕事でたまった澱を忽ち流し去ってくれました。ネクタイの結び目を緩めました。いい気分です。家に着いて、背広を脱ぎ捨てました。普段なら襤褸を纏うのですが、この開放感。よし、どこかに行こう。妻を急き立てました。「おい、出かけるぞ、隣まちにチキン南蛮発祥の店があるんだ、馳走するよ」二つ返事が返ってきました。 堅田インターから高速道路に乗りました。一路南向け。延岡市へ向かいました。リアス式海岸を左手に見ながらBachの無伴奏ヴァイオリン。あっ、軽トラではありませんよ。妻の車です。やがて赤と白の模様、延岡のランドマーク、旭化成の煙突が見えてきました。ついた店はここ。五ヶ瀬川沿いにある「おぐら大瀬店」です。 看板メニューを頼みました。宮崎は農業県です。牛、豚も有名ですが、鶏の飼育も負けず劣らずの勢いです。その素地が生んだ、今や誰もが知る定番の料理。妻が、あっという間に平らげました。 私はチャンポンを注文。これもここのウリです。地元の人は、前者よりもこちらを頼むと聞いたことがあります。汁にコクがありました。味見をしたいというので、丼を渡しました。戻ってきたとき、半分がなくなっていました。 さあ何をしようか、どこへ行こうか。よし!冷汁(ひやじる)も食べに行くぞ。この春、高速が全線開通しました。私のまちから宮崎市内まで2時間足らずになりました。かつては3時間余りを要しました。腰が軽くなるとはこのことです。そのまちの名物が食べたくなって更に南下。途中、川南PAで一休み。案内所の隣から、敷地の外に出てみました。写真にはありませんが、あたり一面、トウモロコシ畑でした。既に花が満開。農道の向こうに材木が積んでありました。よく見ると、杉の丸太に4割ほどカシが混じっていました。薪にもってこいです。涎が出ました。どこへ運ばれるんだろうな。欲しいな。 後ろ髪を引かれる思いとはこのことです。渋々の態でハンドルを握りました。あっと今に宮崎市でした。まだ晩ご飯の時刻に間がありました。遅昼をしたばかりでしたから、腹ごなしに街を歩いてみることにしました。博物館へ行きたかったのですが「あなた、そのまんま東の県庁へ行ってみたいわ」そうしました。庭にあれこれの花やサボテンが植わってありました。南国の風情でした。 折角なので、中を覗いてみました。案の定でした。階段の手すりは大理石でした。磨いた面に化石を見つけました。丁寧に「ここがそれです」の表示がありました。余談ですが井上靖の小説に「憂愁平野」という長編があります。うろ覚えで自信がありませんが、主人公がそこここの公園にそびえる大木を眺めたり、ビルの建築に使われた大理石に三葉虫を見つけたりというシーンが出てきます。ストーリーは何不自由のない人妻の心の揺れを描いた内容です。高校の折に読みました。その頃は、学生服しか着たことのないクリクリ坊主でした。都心のビルを化石散策。不倫のことはともかく、都会の人は、何とも上等の趣味を持っていると、妙に憧れました。写ってはいませんが、隅にハイビスカスの鉢植えが美しく咲いていました。 長文ブログは誰も読んでくれません。先を急ぎます。写真は宮崎市内のメインストリートです。中央分離帯に椰子のような大木が聳えていました。これも南国らしい風情です。 ちょっと盛り場をひやかそう。おっ、流石宮崎です。焼酎のネオンサインが道路の上を占領していました。街路灯や電柱の柱に懸かっている看板や垂れ幕も全部地元酒造メーカーのそれでした。 (続く)
2015年04月24日
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平成26年10月7日(火) 午前5時起床。二日酔いでした。しかしその素振り、妻に見せるわけにはゆきません。早朝に予定していた大学構内の散歩はこの時点で割愛。急いで荷造りをしました。スーツケースは自宅へ送りました。ホテルのロビー奧にヤマト便のデスクがありました。便利です。朝ご飯を食べずにチェックアウト。写真は泊まったホテルの玄関取っ手です。スズランの焼きものです。 空港をブラブラ、土産を物色することにしました。いやまてよ、出発は昼過ぎの便でした。よし、決めた。北海道開拓村へ行くことにしました。地下鉄東西線、東の終点新札幌へ向かいました。そこでJRバス開拓村行きに乗り換えました。 本日快晴。開放的な市街を10分ほど走ったら、家並みが途切れ、百年記念塔が見えてきました。午前9時過ぎ到着。そこは僅かに高台でした。札幌の街を振り返ると、その向こうに手稲と空沼岳が見えました。木々は真駒内より色づきが早いようでした。白樺やナナカマド、ニセアカシア・・・。エゾマツなのかトドマツなのか判りませんが、真っ直ぐに伸びた高い木。原生林でした。どれも薪にうってつけのような感じです。チェーンソーを回したくなりました。どうですか、この空の色。嘘つき・ほら吹きの私にも天気の神様は微笑んでくれます。 旧開拓使庁舎、旧札幌停車場、理髪店や教会、医院に写真館、新聞社、馬の蹄をこしらえる鍛冶屋に商店・待合所、番屋もありました。どれも明治のものです。これらが鉄道馬車の軌道に沿って並んでいました。広く、その数も目を瞠ります。しかも風情あり。想いを巡らすと、往時のことを実感できます。しばらく佇むと、本物鉄道馬車がやって来ました。これ、冬は橇(ソリ)に替わるのだそうです。それを見たいな。 建物の幾つかを。小樽新聞社です。中には活版印刷機がありました。展示してあるボードに北海道の新聞史が書いてありました。サッポロタイムスが懐かしい。 派出所で巡査(ボランティアの方)と記念撮影。手に持っているのはサーベルです。 中に蝋人形がありました。なんだか取り調べを受けている感じです。 写真は鰊の番屋です。畳一畳に一人、大勢が雑魚寝だったのでしょう、煎餅蒲団と枕が勢子の厳しい生活を忍ばせます。 森の奥に、恵迪寮がありました。ここに移築してあったことは知っていました。感慨深かったです。室内は、明治の頃の再現展示。私の頃、一部屋に2段ベット5つの10人部屋ではありません。 ここにも蝋人形がありました。彼の着ているこのマント、私にも思い出があります。話は学生時代。成人式は札幌でした。会場は藤女子大の講堂。先輩にこれを着ていくといいよ、と言われ、そのマントを貸してくれました。寮にあったお古なんでしょう。学生帽も一緒に。恥ずかしかったですが、豈図らんや、晴れ着の女性何人にもからツーショットを求められました。私、4年間、一人の彼女も出来ませんでした。鼻の下を伸ばしたのはその1日だけだったです。 閑話休題、札幌旅行の際は、是非ここを見るべし。この日は閑散としていましたが、何せ本物ばかりです。往時を偲ぶにはもってこいの施設です。賑わう小樽の某所を否定はしませんが、ここが数段上です。ということで、時間に急き立てられました。ここで、もっとゆっくりしたかったです。新札幌まで戻り、一路新千歳へ。北海道最後の食事は札幌名物スープカレー。汗をかきかき、流し込みました。乙な味でした。 いよいよ離陸の段になって、あきらめが悪い。こんな写真を撮りました。搭乗口上にあった大きな風景パネルです。サヨウナラです。妻には言いませんでしたが、来年もこの大会を走りに来よう。 成田について、時間があったので南ウィングを一回り。写真は各都市へ向かう飛行機の出発時刻案内版です。見入って、旅情を感じました。 帰りの機内は寂しいものです。雲海までが悲しく見えます。同じ景色でも行きと帰りでは大違い。 姫島の上空に月が昇りました。そういえば明日は月食だ。今朝のSTVがそう言っていました。 大分空港についたら、湯桶が迎えてくれました。出発ゲート同様、温泉県の宣伝でした。 高速道路を2時間。午後8時過ぎ帰宅。トラが迎えてくれました。お待たせ。でもちょっと様子が変でした。人見知りをするような感じでした。ネコカリを食べて、落ち着きました。満腹の図です。今日の一句開拓の址を辿りて恵迪寮野幌の高みにありて手稲を見抜けるよな青に白樺翳して見大雪か平野の彼方猶彼方朋友の住む街並みは色づきてやん衆の煎餅布団哀しけれ今日帰る朝の札幌深呼吸余市まで外国人が騒がしい(6日作)特上を外国人が食べ残し(6日作)
2014年10月07日
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平成26年10月6日(月) 続き 試験場敷地の端に、幸田露伴の句碑がありました。研究施設に場違いの感もありますが、句は流石露伴先生です。 車中、Sが余市のあれこれを説明してくれました。気を遣ってくれているのが判り、嬉しかったです。果物、ブドウとリンゴが特産と言いました。これに妻が反応。木に林檎の生っている様を見たことがないと言いました。お願いしました。ハンドルを山手に切ってくれました。道中左手にジャンプ台が見えました。ゲレンデに大きく「竹鶴」と書いてあるのが遠目にも判る。竹鶴シャンツェは、ニッカの創業者竹鶴政孝の寄付で建設されたとは彼の弁。余談ですが、余市駅から西に向かう道路はリタ道路、途中にあった幼稚園もリタの名が冠されているとのこと。しかも後者は彼女が寄付に因った由。林檎畑が見えてきました。鈴生りというと大げさですが、大きい赤・青の実がぶら下がっていました。 鮭の遡上する川があるというので、そこへ行こう。ところが話が弾み、道をやり過ごしてしまったらしい。残念でした。余市蒸留所に降ろしてもらいました。手を振り、サヨナラしました。嬉しかったです。彼、真面目、シャイ、爽やか、ハンサム。苫前出身の田舎者ですが、いい男です。余市の人妻と危ないことにならなければよいが。 さて、ニッカです。入館無料がいいです。突っ込みました。 石造り、広い敷地のあちこちに倉庫のような建物がありました。いい感じです。スコットランドへ行ったことはありませんが、写真で見る風情と同じ感じです。オンコの木が赤い実をつけていました。ナナカマドも色づいて、白樺との対比が目を和ませてくれました。 写真はリタハウスです。ウィスキー製造の研究棟だそうです。 こちらは竹鶴夫妻が暮らした家。連ドラのこともあり、これから先、賑わうんだろうな。 石炭直火炊き蒸溜をやっていました。ここならではの製法とのこと。 樽の製造過程や、ウィスキーの熟成途中を比較する香り体験もありました。山の道具にそそられました。 最後に試飲の会場へ。シングル3種類が用意されてありました。但し書きに一人ワンショットまでとありましたが、そこはご愛敬、監視人はいません。鷹揚なところがよいです。気っ風を感じました。ますますニッカファンになりました。腕まくりしてよし!飲むぞ。グビッ、グビッ。 3杯で止めました。足をとられてはもともこもありません。顔を真っ赤にし、打ちすえられた人が何人もいました。他人の仕儀を見るのは面白いです。口直しに、駅前のスーパーでリンゴを買いました。その場でかぶりつきました。美味しかったです。 小樽へ戻りました。妻が運河界隈を見たいと言いました。歩いてそこへ行きました。 うーん、どうなのかな、この風情。レトロ感のある倉庫はそれとして、感じませんでした。その先にある北一ガラスや土産物店の居並ぶ通りも、ミニ軽井沢、湯布院のそれと一緒です。私には響かない観光地でした。むしろ、こちらを訪ねたかった。伊藤整や小林多喜二の世界です。思い出しました。天狗山のほうにある桜ヶ丘球場で試合をしたな。樽商のチームにやられたことを覚えています。懐かしい。 折角だからということで、寿司屋に突っ込みました。燗をもらい、セットを一人前頼みました。遅い昼飯でした。 写真は手宮線の跡です。北海道で最初、日本で3番目に開通した鉄道とのこと。こちらの方に風情を感じました。 JRで札幌へ戻りました。日が傾きました。妻に、大倉山シャンツェのリフトは時間の関係で割愛したいと提案。呑んでくれました。私は高所恐怖症です。内心、ホッとしました。ということで夜景を観るため、藻岩山へ向かいました。地下鉄東西線で円山公園へ。余談ですが、ここには動物園や野球場があります。野球部だった私、そのマウンドに立ちました。懐かしい。バスに乗り換え、ロープウェイ入口に向かいました。登山のチケットは往復1,700円。高いけれど、それだけの価値はありました。ぐんぐん高度があがりました。トワイライトの街が広がりました。 山頂でしばし。夕焼けが綺麗でした。あれこれの想いが胸を過ぎりました。来し方五十有余年、大分・佐伯に生まれ、このまちに暮らし、函館、東京を経てUターン。そして今伴侶を連れてここに立つの図。遙かなりでし。 感傷に浸っている場合ではありません。妻も色気よりは食い気でした。山を下りました。市電に乗り、すすきのへ向かいました。 北海道に来たならジンギスカンです。「ひげのうし」という店に突っ込みました。乾杯は勿論SAPPORO CLASSIC。 写真は一枚しかありませんが、いい感じのマトンでした。薄っぺらいスライスとは違いました。 満腹という妻を説得し、もう一軒。亮さんのブログにあった寿司屋「いちい」を探し当てました。1セット握ってもらいました。素晴らしい。再度乾杯。流した酒は次の2枚。 折角だからと毛ガニをもらいました。 美味いものが出てくると、途端に別腹の妻です。 タガが外れました。燗酒をもらいました。タチポンがあるので、それをやってもらいました。趨りです。うまい! 再度冷酒を。隣の席は、サラリーマンが部下の女性と飲んでいました。お人形さんのような美しさ。何かのきっかけで話し始め、盛り上がりました。札幌の街は綺麗、ということで意見が一致。歌もいい、恋の町札幌だわ。ふきのとうの初夏を口ずさみました。杯が進みました。自家製塩辛が絶品。カパカパやって目を廻しました。怪しい呂律を見かね、妻が勘定をしてくれました。 写真は目隠しをしないでね、と言ってくれた美人の女将さんです。見送ってくれました。札幌最後の夜は更けました。今日の一句色づきの塩屋の駅舎ロマンチカ神無月余市の風は身に沁みるウィスキー余市の試飲は大手振り廃線にステップ刻む妻が靴蘭島に整の小説彷彿と夜景ならここが一番藻岩山夜冷えてささら電車が懐かしい指先が鮨三昧か紫に
2014年10月06日
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平成26年10月6日(月) その1 午前5時起床。終日曇り。夕方に晴れました。STVを聴きながらmemoの整理。「おはよう北海道」が道路交通情報や天気を教えてくれました。今日はフリー、一日を観光に充てます。妻のリクエストを優先させる予定。 泊まったホテルは老舗です。朝食も売りの一つです。でも家内「海鮮丼の方がいいわ」ということで、午前7時、札幌場外市場へタクシーを飛ばしました。 車を降りたら、メロン売りのお兄さんに捕まりました。雷電産とのこと。 タダのものに目のない妻、もう一切れちょうだい。1玉2,300円は甘かったです。荷になるので御礼だけ言って、そこを後にしました。 目当ての店に入りました。「やん衆料理・北の漁場」。これを食べたかったとは妻の弁。 私はイクラ丼とサンマの塩焼き。 朝の一杯は格別です。勿論SAPPOROCLASSIC。 余は満足じゃの図です。 JR桑園駅へ向かいました。あっ、天麩羅の店がある。ということで芋天を1枚買いました。別腹です。ナナカマドの実を愛でるはそっちのけ。花より団子の図です。同じ年頃の婦人3人の営む場末の商店でしたが、皆明るく、しばし旅行の立ち話。大分からだというと、よい旅をと返してくれました。 一路小樽向け。列車は銭函辺りから海岸線を走ります。海は静かでした。石狩湾の向こうにオロロンラインが見えました。左の方は雄冬岬でしょうか。高い山は暑寒別岳?それとも石狩の厚田近辺かな。判別できませんでした。写真は映画「駅STATION」の舞台となった銭函駅です。大滝秀二が撃たれた場所。対岸の雄冬と合わせ、遙かな想いになりました。も一度見たいシネマです。 閑話休題、小樽到着。ただし、ここが目的ではありません。乗り継ぎの電車を待ちました。駅周辺を散策。啄木の歌碑がありました。左に見えるのは駅舎です。 ソフトクリームを売っていました。濃厚だというので、一つもらいました。確かにそうでした。5分の4を妻の舌が舐めました。 余市を訪ねる目的はこれ。妻は、朝の連ドラファンです。ウィスキー工場の敷地内に政孝とリタ(番組は仮名を用いています)の暮らした家が保存されていて、それを見たいのだそうでした。 そこへ行く前、昨夜、一緒してくれたSへTELしました。彼はこのまちにある道立中央水産研究所に勤めています。部下の車を借りて、駅で迎えてくれました。町内を案内してくれるとのこと。ウィスキー工場を後回しにしました。重要文化財があるからと「旧下ヨイチ運上家」へ。切妻の大きい木造建築でした。重厚。松前藩がこさえたアイヌとの交易所だそうです。月曜日ということで休館。残念でした。 ならばということで「試験場でも見ていくかい?」二つ返事で所望。 この施設、デザインは先の運上家をモチーフにしているそうです。北海道庁は粋なことをします。それはそれとして水試の数、大分県には3つあります。北海道は7つあるとのこと。流石です。水産業が盛んなだけあります。ここ余市の水試は石狩~後志が守備範囲だそうです。ちなみに亮さんのまち釧路にもあります。私のまち佐伯市にもあります。 飼育実験の棟に入りました。あれこれの資材が興味をそそります。 おっ、ウニだ。 クロソイの群れです。美味いんですこれが。 マツカワの水槽をのぞき込む妻です。 目が合ったようでした。 加工の部屋を見せてもらいました。地元の婦人グループが、トマトを使って何かを試作していました。これも試験場の役割です。いい感じでした。指導はここの研究員。名刺を交換しました。Sの後輩とのこと。ということは私の後輩でもあります。ここの研究職、40名ほどいるそうですが、そのほとんどが同窓とのこと。何とはなしに嬉しくはありますが、なんだかマイナーだな。狭い世界でもあります。話が弾んで、マラソンのことになりました。彼も昨日、同じレースを走ったそうでした。2時間かかったとのこと。 小さな擂潰機がありました。それを指しS曰く「ここは冷凍すり身発祥の地なんだ。60年前に開発したんだよ、そのことは誰も知らないけれど、ここに働く研究員の密かな自負なんだ」 Sの部屋に案内されました。驚きました。へーっ、お前、お偉いさんか。彼の椅子に座らせてもらいました。北海道の水産研究界を統括する大将の気分になりました。エヘヘ。(写真容量オーバー、午後の部は次回に)
2014年10月06日
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平成26年10月4日(土) 午前4時半起床。大分晴れ。成田晴れ。札幌晴れ。 朝のうちにあれこれの準備をしました。北海道へ行ってきます。今日から4日間です。目的は札幌マラソンを走ること。ついでにといっては何ですが、いつも粗食の妻に、馳走を食べさせることです。「私だけつね三」の埋め合わせです。も一つ、この夏、茄子料理を頑張ってくれたことへ感謝を込めて。 午前7時過ぎ、家を出ました。Rに野菜を届けた後、妻の実家へ廻りました。灯明をあげました。高速道路を北上。一路大分空港むけ。10時半の飛行機でした。成田を経由、新千歳まで。温泉県大分の幟が見送ってくれました。 昼前、成田到着。ここで腹ごしらえ。南ウィングにある「寿司田」に突っ込みました。開放感もあって、先ずビール。セットものを頼みました。小心者です。懐具合を気にせずお好みで、とはいきません。マグロとマダイが出色でした。 午後4時、再び搭乗。北関東は雲が広がっていました。雲海の彼方に富士山が見えました。 北海道へ近づくにつれ、太陽が西に傾きました。飛行中に見る夕陽は格別です。「ジェットストリーム」のエンディングテーマを聴いている気分になりました。頭の中を城達也のナレーションが過ぎりました。 新千歳に午後5時半到着。JRライナーで一路札幌へ。かなりのスピード。飛ばしていました。大丈夫?JR北海道。駅に着き、ホームに下りた途端、ラーメンの匂いがしました。今日の宿は狸小路のRホテルでした。チェックイン、当たり前ですが、先日送っておいたスーツケースは部屋にありました。荷を解くのももどかしく、急いでロビーへ。K夫妻と合流。海老の輸入会社をやっている友人です。彼も明日、同じレースを走ります。今回は奥さんを同伴、千葉・八千代からやって来ました。彼は、普段から国内を飛び回っています。札幌にも知った店が幾つかあるそうで、その一つに案内してくれました。すすきのにある「亘(わたる)」。再会を祝し、早速乾杯。「札幌CLASSC」が旨い。 刺身が出てきました。北海の幸です。 合わせた酒はこの2本。 仲居さんの注ぎ方、迫力がありました。 ツブ刺しやホヤを注文。ザンギやツブ焼きも貰いましたが、写真は割愛。タチポンを頼みましたが、いいものが入荷せずとのこと。天麩羅ならあるといわれ、それにしました。これもいい感じでした。 追加の酒は、こんなです。でも、久しぶりの札幌で久闊を叙すの高まりに、廻しの締まり具合がよくわかりません。 すすきの交差点で記念写真を撮りました。ヒゲのニッカです。 道すがらこの看板を見て、牡蠣を食べなかったな、と後悔。昨年のことを思い出しました。 亘の仲居さんに、お薦めのラーメン店を訊きました。そこに行くはずでした。Kが、よいバーがある、後一杯だけ、と言いました。知る人ぞ知る「やまざき」です。そこに突っ込みました。それぞれ、好みのカクテルを。私はマティーニ。 この店、Triの管球アンプでジャズを流していました。 ユニットは自作だと、店員が自慢しました。 約束どうり、一杯だけで切り上げました。K夫妻はラーメンをパス。私たちは新ラーメン横丁へ。「新」と冠がついています。6年前に来たときは、なかったような。 「いそちゃん」の暖簾を潜りました。 アドバイスに従い、塩ラーメンを注文。これがよかった。サッパリしたスープですが、奥が深い。いつもはあれこれ注文をつける妻ですが、この味にはケチがつきませんでした。 ホテルへ戻ったのは午後11時。バタンキューでした。今日の一句三里塚異国のマーク集まりて赤子泣く機内に西日気もそぞろ窓外を眺める妻の白うなじ(改)下界見る妻がうなじの無防備に空の上倦んで俳句を詠みにけり機体揺れ思わず力む汗をかき機体揺れしなる翼に気を揉んでさあ来たぞ漁港成田の鮨を喰うTシャツのスッチーセンス低嶺よ西陽映え機内天井に時計盤今日の写真は飛行機です。成田で撮りました。人の顔に見えもします。
2014年10月04日
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平成26年9月15日(月) 午前4時起床。曇り。朝ご飯は、今朝も紫蘇おにぎりでした。本を読んでブログ書いて。午前7時過ぎ、福岡へ向けて出発。 この連休、娘が博多へ劇団四季のキャッツを観に来ているんでした。東京に住んでいて、飛行機でわざわざ観劇の仕儀。しかも大分には帰省せず。どうなってんだ。 妻に、最前列の席が取れたという連絡がありました。一緒に如何とのことでした。私は、会いには行くけれど見ないよ、と言いました。私の分は誰かに転売したようです。このプログラム、横浜で一度見たんですが、どうもちょっと・・・。昼食だけを共にしました。 前後します。写真は、大分自動車道日出ジャンクションあたりです。塚原高原は、秋の気配でした。由布岳は雲の中。九重の風車は止まっていました。童話の里玖珠の切株山、いつ見てもいい形です。日田を過ぎて曇りました。杷木にさしかかると、柿畑が広がりました。熟れていい色でした。収穫を終えたのか、実をつけていない畑もありました。突然、札幌のA先生を思い出しました。柿が大好きなんです。今春に体調を壊し、少しの間入院しました。見舞いに知覧茶を送りました。秋のご機嫌伺いは、柿にしよう。 ノンストップで博多入り。2時間半のドライブでした。交差点に止まっていたら、隣に「二○加(にわか)煎餅」の車。思わず撮しました。この煎餅、好きなんです。懐かしい味がします。 午前11時前、キャナルシティに到着しました。劇場のある棟はキャッツ一色でした。 昼食は何を食べようか、ぶらりしました。栗原はるみの店がありました。行列が出来ている。彼女の娘さんは女酒場放浪記のレポーターです。いい感じの飲みっぷりをする素敵な女性です。 牡蠣の店がありました。ガラスに北海道を描いていました。厚岸の文字もありました。亮さんに連れてってもらった昨夏が懐かしい。 パスタの店に突っ込みました。娘はゴボウ、私はイカスミのそれを注文。妻はピッザ。積もる話はないけれど、近況を訊ねました。元気でやっているようでした。彼女、劇団四季のファンなんです。プログラムに「李香蘭」というのがあります。山口淑子がモデルです。今朝の新聞に、彼女の死亡が報じられていました。そのことでひとしきり。最初、彼女との会話は、心中、少しぎこちなかったですが、その話題を境に打ち解けました。 会話に満足。そこで別れました。私は別行動。天神へ廻りました。ブックオフを覗きました。じっくり見て回りたかったのですが、足が疲れました。20冊あまりを購入。キャナルへとって返しました。あれこれのショップを冷やかしましたが、商品はほとんどが若者むけ。興味なし。無印良品があったので、入ってみました。レトルトカレーの試食をやっていました。先日のミニ同窓会にやって来た女性陣に、そこのグリーンカレーが美味しいよと教えてもらったのを思い出しました。ミニカップを手に取りました。確かに美味い。 キャナルシティの全貌は、広すぎて写真に撮ること能わずです。中の一部はこんな感じです。 次は、上から広場を見た図。なにやら若い女性二人がステージをやっていました。 降りてその近くを歩くと、テントの中でお兄さんたちが演奏をしていました。キャッツにもですが、この世界もちょっとね。 小腹が空いたので、ここの5階にあるラーメンスタジアムへ。6店舗が味を競っています。 「大地」という札幌ラーメン店を選びました。熊の剥製が迎えてくれました。 塩柚子ラーメンを注文。いい感じでした。 車に戻り午睡。帰りの運転に備えました。午後5時を過ぎ、妻を拾いました。娘は空港へ向かったとのこと。真っ直ぐ帰宅。家についたのは午後9時を廻った時刻でした。疲れました。運転の褒美はこれでした。今日の一句我が子でも女は女遠くなり今日の写真は2枚。ブックオフで購入した本です。遠藤周作の「沈黙」も。袋に入ったのは近日にある交換市へ出します。2枚目はグリーンカレー他。楽しみです。
2014年09月15日
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平成26年4月10日(木) 午前3時起床。晴れ。 県央近くの港町に出張。某協会の監査でした。立場上、監査役なのです。私印を持って高速道路を北上しました。宮川内で降りました。国道197号を東進。海に出ました。日吉原にある液化ガスのタンクが見えました。海は霞んでいました。タンカーが浮かんでいる。 某社を訪問。帳面を拝見、監査報告に印を押しました。しばし社長と懇談。話は自ずと物流のことになりました。東九州自動車道北九州宮崎間が全線開通する、弊社の観光部門は福岡をターゲットにしている、福岡-熊本・阿蘇-高千穂-延岡-佐伯-別府・湯布院-福岡の周遊を提案している、といったことを話しました。これを聞いて、社長は次のようなことを言いました。福岡もよいけれど、選択肢の一つに愛媛があっていいのでは?大分-愛媛間、向こうから大分へ入ってくる人・物の量が、向こうへ向かうそれの1.6倍なんだ、5年前は五分五分だったのに。興味深い話です。 午後は休暇を取りました。明日もポカ休と決めていました。福岡へ向かいました。おっとその前に腹ごしらえです。訪ねたところは漁師町です。魚が美味しいんです。ということで国道沿いの「あまべ家」という食堂に入りました。お薦めを訊くといいメバルがある由。それを頼みました。主菜は勿論のこと、味噌汁がよろしい。クロメが入っていました。満腹。 宮川内に戻りました。再度高速道へ。別府付近は風が強かったです。扇山ゴルフ場辺りは桜吹雪でした。由布岳の北側、塚原高原から九重インターに掛けては標高の高いところを走ります。県南・佐伯に比べ春が遅い。落葉樹の新芽に満開のヤマザクラが混じりました。柔らかい色合いがよろしい。ハイウェイの両脇に満開のコブシが続きました。NEXCOが植えたのでしょうか。粋な計らいです。勝手に「辛夷街道」と名付けました。カーステレオにベスキのBACHを流しました。途端、昔のあれこれを想いだしました。春・別れのあれこれを思い出しました。途端にゆく春が哀しくなりました。この季節、あまり好きではないんです、私。 このまま走ると、早すぎる到着となります。筑前の小京都・秋月を散策することにしました。甘木インターで降りました。朝倉の市街地を東に走りました。甘木鉄道の甘木駅が見えました。ここが始発の3セク鉄道です。後先になりますが、秋月の帰り、この直ぐ隣に西鉄の小さな駅舎が見えました。止まっている電車の色が甘木線のそれと異なる。朝倉市のこの界隈、いい感じです。 前後します。10分ほど進むと、田園風景が広がりました。もう10分車を転がして到着。中山間に佇む極々小さな城下です。山に囲まれた東西南北2kmほどのスペースに、民家と武家屋敷、商家が混在しています。湯布院のようですが、湯坪のようなごった返し感はなく、鄙びています。それがいい。灌漑を兼ねた疎水が流れていました。駐車場はいたる所にありました。ほとんどが無人。木箱を備え、300円の文字が書いてありました。のどかです。その一つに止めました。メイン通り「杉の馬場桜並木」を歩きました。既に散って葉桜でした。満開の時は賑わったのでしょう。今日はウィークデーということもあり、土産物屋や休み所は閑散。 古道具屋、紙漉の工房、くず餅の店、秋月窯、冷やかしは楽しいです。酒屋がありました。角打処と書いてありました。ひっかけたかった。しかしハンドルを握る身。残念でした。 歩を気分任せにしていたら、声を掛けられました。老婦人が「梅干しを買わんけ?」拙宅も漬けるから、と返しました。これをきっかけに立ち話。私は野菜畑を褒めました。彼女曰く「80になんだわ、節々が痛い、思うたよーにゃいかん、やおいかん」話の内容とは裏腹、元気な声色でした。明るいのが何よりでした。「何の何の、まだまだ元気でいらっしゃる」というと、抜けた歯むき出して笑いました。小旅はこれだから楽しいんです。要らずの土産物屋より偶然の出合いがよろしい。土地の人との会話は名物や珍しい土産に勝ります。 天神のホテルにチェックインしたのは午後6時でした。大名の焼き鳥屋に突っ込みました。串を何本か注文。生ビールと冷酒を頼みました。いっぺんに出てきました。 ここの暖簾、早めに出ました。次いでバーへ。ギネスの小を一杯。これで腰を上げました。 締めに屋台へ。おでんとコップ酒。 ラーメンをもらいました。 今日はおとなしくということで、これでお終いにしました。今日の一句関崎は豊予の峡霞みけり速水の瀬戸は渦巻き霞みおりBACH聴き春の景色が流れ去る秋月に桜の散りて葛の餅老婆あり欠け歯を剥きて笑いけり大名をほろ酔い気分で練り歩き春宵は止まり木に居り黒ビール博多が夜屋台の袖でコップ酒今日の写真は薬缶です。それこそ屋台の袖で湯気をあげていました。まだ夜は冷えます。
2014年04月10日
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平成26年2月23日(日) 午前4時起床。晴れ。 夜来、雨の音に、何度か目が覚めました。夢うつつ、雨のドライブは嫌だなと思いました。起き出して外を見ました。晴れて中天に半月がかかっていました。窓を叩くしぶきのように聞こえたのは、露天に注がれる温泉水でした。見下ろすと、湯気が泊まった部屋のある8階を越えてまで、もうもうと立ち上ってきていました。風がなく、外は冷えているんでしょう。彼方を眺めると、放射冷却現象とおぼしき朝間詰めでした。写真は阿蘇外輪西麓の夜明けです。 朝風呂は午前6時から。間が持ちません。新聞サービスがなく、フロントも遠い。スマホで朝日や日経をチェックしました。持参の文庫本が役立ちました。つるつるの温泉を楽しんだ後は、相も変わらぬバイキングの朝食。欲なので、腹一杯詰め込みました。チェックアウトは午前9時。 こっこファームに寄りました。近隣の飲食店やケーキ屋がたまごを買いに来る有名店です。野菜の種類も豊富、しかも鮮度抜群です。チキンをはじめ、肉類も充実しています。広い駐車場に、早くも客とおぼしき車が何台も止まっていました。今日は日曜日。交通整理員のいることをして、ごった返すこと想像に難くないです。開店が11時ということで、冷やかすのを諦めました。写真は、店先の植木です。 あたりは丘陵が広がります。点在する民家と圃場整備のされた黒土。熊本は農業県です。菊池から南向け、国道57号を横切りました。熊本空港の滑走路をくぐる地下トンネルを抜けたところで、東方向にハンドルを切りました。途中に「ふるさと市場」がありました。スーパーのお化けというか、田舎の市場というか。大きな鉄骨スレート葺きの倉庫に食料品、生活雑貨、その他もろもろをぶっちゃけるように売ってあります。広い。店先でデコポンを買いました。 外輪山を越えました。途中、眺めのよいところがありました。広がる裾野。彼方に熊本市街が霞んで見えました。 振り返ると大きな風力発電の風車がいくつも。大分の方を向いて、ゆっくり廻っていました。それを見て、近くに風車があったら、今、空風がどちらに吹いているか判ります。いいな。でも、周辺には体に悪い低周波が出ると反対運動の起きている土地もあるとか。なかなか難しいもんです。 外輪山を貫通するトンネルを抜けました。阿蘇五岳と南郷谷が一望です。ちょうど真向かいの中腹から噴煙が上がっていました。地獄谷温泉でした。中だけの煙は、双眼鏡で見ても、確認できませんでした。春霞です。 外輪の内側を東に走りました。薪ストーブ専門店「くぬぎの森」を訪ねました。日曜日ということで閉まっていました。確認しなかった私が悪い。 店はガラス張りになっていて、中を覗くことが出来ました。各種を陳列していました。拙宅のものを新調するわけではありませんが、いろいろと談義をしてみたかったのです。残念でした。 立野の方向に戻りました。東海大学の脇をとおり、阿蘇大橋を渡りました。渓谷が深く、歩いて渡ったら、足がすくみそうでした。渡り終えたところが国道57号です。右に折れ、大分方面に向かいました。途中、豊肥線の駅舎と平行に走るところがあります。赤水駅はいい感じでした。市ノ川駅阿蘇駅 前後しますが、Aさんが高菜漬けを買いたいと言い出しました。先の写真、さびれた市ノ川駅の隣にある高菜飯で有名な店に寄りました。 炭組合組合長が「まだ土産ぅ買うチョラン」と言いました。先の阿蘇駅隣にある道の駅へ寄りました。私は駅舎まで行きました。結構、観光客がいました。手帳に記念のスタンプをもらいました。裏手を望むと、阿蘇谷の向こうに外輪山。大観望の勇姿がひときわ目立っていました。あそこには、亮さん夫婦を案内したな。 昼は、約束の「彦しゃん食堂」。突っ込みました。 ホルモン、タン、ハツ、センマイ、レバー・・・。コンロに乗せました。もうもうと立ち上る煙。皆、競争のように箸を出しては我がタレに持っていきました。カルビならわりますが、臓物も半焼け、いやほとんど生にとりつきました。曰く「ここのホルモンには火をみする(見せる)だけでいいんじゃー」怪気炎です。人のことは言えません。私も負けず劣らずのホルモン男。ジョッキ片手に茶碗飯の上にあれこれをのせ、掻き込みました。満腹満腹。 後は一本道です。途中、波野村にある道の駅によって、妻の好きな大学芋を買いました。土産はこれだけです。滝室坂から竹田市にかけての農地は真っ白でした。 もちろん阿蘇五岳も。 道中は上の空。寝入ってしまいました。Fに自宅へ送ってもらいました。彼、この3日間、合計900kmのハンドルを一人で担当してくれました。ありがとうございました。今日の一句月明かり裾野に沁みて皆眠る雨水さえ雪の絨緞五岳覆う臓物をカップリ厭わず流す輩
2014年02月23日
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平成26年2月22日(土) 午前5時起床。晴れ。朝風呂。広い湯船に横たわる至福、何にも代えがたいです。写真は錦江湾に昇る朝日です。 朝ご飯は午前7時。バイキングのメニューはどこのホテルも似たり寄ったり。写真を撮るまでもないです。タラコのあるのが嬉しかったです。 午前9時、ホテル発。知覧に向かいました。主賓Aさんたっての希望でした。途中で錦江湾に別れを告げました。薩摩半島の内陸に入りました。茶畑が広がりました。「知覧茶」は全国区のブランドです。目当ては知覧特攻記平和念館でした。館内に展示してある遺書の類は、滂沱無しに見ること能わずの内容でした。 館の前の方、戦闘機をバックに記念撮影。 知覧は武家屋敷の庭も有名です。その界隈を歩いてみました。腰ないし頭の高さの石垣が続きます。その上には手入れされた生け垣が植わっています。10軒ほどが、庭を公開していました。立派な門をくぐると、見事な築山と庭木が目に飛び込みました。枯山水とは少し違うようです。私、この手には造詣もなにもありませんが、見て、いい感じではありました。 其処此処の梅は終わり前の花でした。軒下にある手水に、蛙の卵がありました。これも春です。 或る家に雛さんが飾ってありました。のぞき込む仲間。 13段いや14段かな。 隅でデコポンを売っていました。値段がいいので、美味しかろうと思い、一つ買ってみました。 飛び上がるほど甘い。 休憩の東家に、素敵な女性がいました。土地の人でしょう、煎茶を入れてくれました。甘く、これまた驚くほどの美味しさでした。炭組合の組合長が「たまろか」と言って、皆何のことかと目を白黒。 散策に思いの外時間を要しました。ここはソバが美味しいというので、目についた店に突っ込みました。そば茶屋吹上庵知覧武家屋敷店。めいめい好き勝手に注文。Aさんは五段重。一番上が天麩羅ソバ、格段に違う種類が盛られていました。 私は穴子天ざる。 待ち時間が長い。つなぎがいります。ここ鹿児島は焼酎王国。でも昼間っから芋を傾けるのはちょっと。ということで冷酒をもらいました。月桂冠、このラベルは見たことがありません。生酒でした。突き出しの漬け物によく合いました。 腹が膨れました。午後2時に知覧を発ちました。鹿児島まで戻り、九州自動車道に入りました。えびの、人吉、八代、九州山地を貫通する長いトンネルを幾つもくぐりました。途中、山江SAで休憩しました。土地のおばちゃんが椎茸やネギ、芋を売っていました。コンビニがあり、薩摩揚げやわさび漬けを置いていました。名水コーナーがありました。昼酒は喉が渇きます。1本買いました。ラベルに球磨の名水とありました。その球磨川水系、右も左もV字谷が急峻でした。天下の急流斯くの如しの感でした。宇城、熊本の各市をすり抜け、植木インターで降りました。道中は晴れてぽかぽか陽気。ただ、視界はあまりよくなく、阿蘇山は霞んでいました。 日が西に傾き、ホテル着は午後4時半。「菊池観光ホテル」が今日の宿でした。食事は午後7時。それまでゆったりしました。ここの湯はアルカリです。浸かると、肌がぬるぬるするんです。目当てはこれでした。夜の食事は、今日も懐石。メインは豚しゃぶでした。昨日の朝から食べっぱなし、飲みっぱなしの連中です。喰い詰まり、飲み詰まりの仕儀。膳に着く前からゲップをしていました。午後9時過ぎ就寝。今日の一句誰強いた水盃を紅顔に山水が手入れの手間を要求し (これ川柳?)春霞肥後路が山を遠く見せぬるりと華清に見紛う菊池が湯今日の写真はFです。飲み足りず、鹿児島で求めた土産の焼酎を味見するの図。
2014年02月22日
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平成26年2月21日(金) 午前4時起床。晴れ。 今日はポカ休を取りました。ポカッと休むからそういうんだそうです。命名はM重工のFさんです。大層難しい仕事をしていました。妻の友人と結婚し、二人の子どもをもうけました。残念なことに脳腫瘍で他界しました。生前、拙宅を訪ねてくれたことがありました。囲碁が好きでした。曰く「自宅を出て電車に乗って、急に思い立って今日は会社へ行くまい、碁会所で碁を打とう。これがそのポカ休というんだ」私の場合は、前日に手続きをしないと大変なことになります。彼の言うポカ休ではありません。でもいい響きじゃーありませんか「ポカ休」サラリーマンに取ってまさに禁断の果実です。 冒頭から話が逸れました。建設会社の専務Aさんががこの春に退職します。韓国旅行仲間の皆と、送別旅行を企画しました。2泊3日で鹿児島と熊本を回ります。 朝、某社秘書のFが車で迎えに来てくれました。その後、各人の家を廻り6人が揃いました。日向路は細切れの高速道路でした。今春に開通予定です。車掌からの太平洋は春でした。流れ去る景色に、ハクモクレンが混じりました。清武ジャンクションからは山あいの道になりました。都城に入ってすぐ、山之口SAに寄りました。船長のK氏が完熟金柑を買いました。口に入れました。とてもジューシーでした。金柑のイメージが変わりました。 霧島連山を左手に見ながら反時計回り。高千穂峰や韓国岳は真っ白でした。 鹿児島空港のあたりになると、茶畑が目立ちました。姶良インターで高速を降りました。ラーメン店へ突っ込みました。「鹿児島ラーメン豚とろ」という看板が掛かっていました。Fによると、この店は有名なんだそうです。ギョーザと「豚とろラーメン黒豚角煮入り」を注文しました。その名のとおり、チャーシューはトロトロでした。元消防士のSさん曰く「冷えたら脂がローソクのようになるわい」 桜島を左手に見ながら、錦江湾沿いを走りました。原油備蓄基地で有名な喜入のタンク群が見えてきました。海が明るいし、空も青い。 今夜の宿は指宿です。先月、ブロ友の亮さん夫婦が泊まっていったところです。町に入ったのは、午後4時頃でした。投宿するには少し早い時間でした。長崎鼻へ行ってみることにしました。国道226号を進み、長崎鼻入り口の信号を左折しました。あたりは農地が広がりました。亮さんブログにあったソラマメ畑でした。まだ収穫していないようでした。取り付け道路は、フェニックスが南国を醸していました。 長崎鼻は薩摩半島最南端の岬です。真っ赤な神社がありました。その名も竜宮神社。その色に反し、霊験はなさそうでした。 岬の方はこんなような感じです。 東側は錦江湾。鹿児島を出航したトッピー(水中翼船)が見えました。種子島へ向かう便なのでしょう。 西側には開聞岳。よく晴れていましたが、日が傾き、寂しげな時間でした。台船がコンクリートブロックを沈めていました。業界用語で言うところの「着底基質」です。水深10m以浅の砂地に配置します。藻場ができると、アワビ・サザエがすみついたり、魚の産卵場になります。億単位のお金が使われています。 岬近くに売店がありました。焼酎を沢山置いています。市価の倍近くの値段です。試飲コーナーがありました。ただだと、すぐに飛びつくAさんと船長Kさん。 480万円という一刀彫りに思案のF。 「白水館」が今日のホテルでした。海岸沿いにありました。広いロビー、刈り込まれた芝と松の大木群。夜、照明に映えて美しかったです。大浴場は大浴場でした。大きい湯船がいくつかありました。打たせ湯や、江戸時代の女性を何人も壁に描いた浮世絵風呂というのもありました。食事は懐石。各人、焼酎を飲む者、ワインの者、ビール党それぞれでした。早めの就寝。今日の一句マロンさん甘さを知ったよ金柑の冠雪の高天原は春浅し汁啜りぬるりと光る唇か大戦は長崎鼻の彼方なり今日の写真は、セピア色に加工した指宿と枕崎の館を結ぶ線路です。単線なのが哀しい。
2014年02月21日
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平成26年1月26日(日) 午前6時起床。曇りのち晴れ。 朝、亮さん夫婦と妻は「棚湯」へ。このホテル自慢のお風呂です。長方形の小プールが段差になっています。縁までたぷたぷに湯が張られています。浸かりながら、別府湾を一望できるんです。日の出時刻を見計らっての出っ張りでしたが、雲に阻まれ、空振りだったようです。 前後しますが、昨晩、亮さんと同湯しました。樽を半分に切ったような大桶があり、二人湯をしました。nkucchanが腹ぺこ歯医者さんと入るのはジャグジーです。パンツをはきます。私たちは一糸まとわずでした。トワイライトの市街がいい眺めでした。幾度も書きますが、ブログで知りあって以来のこと、昨夏の釧路を経ての今日のこと、あれこれが頭を過ぎりました。こんなことってあるんだ、という遙かな思いがしました。 話は戻ります。私は別にある温泉を浴びました。こちらからも市街地を睥睨できます。朝ご飯は、夕食と同じ会場。バイキングでした。あれこれ種類は多いんですが、そんなに食べられません。早々に引き上げ、チェックアウトしました。 午前8時半、別府インターから高速道路へ。昨日と同じ道を走りました。湯布院インターで降りました。九州横断道路、通称「やまなみハイウェー」を久住連山の方へ向かう予定でした。高速を降りた途端、目に「九重夢吊大橋」の案内が飛び込びました。7年ほど前に完成した大分の新名所です。九重(ここのえ)町にあります。高さが170m、長さは約400m。足がすくみます。そこへ行くことにしました。九重役場手前で国道210号を左に折れました。名勝「九酔渓」の九十九折りをうねうね。登り切ったところが目的地でした。私は高所恐怖症です。三人を見送り、駐車場で待ちました。風が強く、寒い。お汁粉のふるまいがあったので、頂きました。写真は、吊り橋を視察し終えた亮さんです。 やまなみハイウェーに戻りました。長者原を通過しました。ここは九重連山の登山基地です。釧路湿原のスケールには及ぶべくもありませんが、同じくラムサール条約登録のタデ湿原があります。三俣山の向こうには湿原「坊がづる」や秘湯「法華院温泉」があります。ご当地ソングは芹洋子の歌「坊がづる賛歌」です。妻が二人に歌ってみせました。知らないようでした。牧ノ戸峠を越えるあたりは、積雪でした。私たち夫婦にとって、この景色は珍しく、心がはずみます。亮さんたちは、見るのも嫌そうでした。そうでしょう。今朝の天気予報を見て、釧路は吹雪いていたよ、と教えました。奥さん、急に我に返ったようでした。 九重高原を西に向かいました。広々とした冬枯れの草地、所々に白いビニールで巻いた牧草ロール。北海道を想起させるね、とは亮さんの弁。誰彼となく旅行者を案内すると、決まって異口同音に「北海道の風景に似ている」と言います。北海道に住まう彼が言うのですから、確かにそうなんでしょう。道は阿蘇外輪山へ。中に入る手前で右に折れると「大観望」です。外輪山中、最高峰です。標高953m。阿蘇五岳が一望できます。絶景かなです。が、今日はいまいちの視界でした。風が強い。 別れの時間が迫ってきました。13時前の列車に乗ります。最後に「阿蘇神社」へお参りしました。巨大な楼門が迎えてくれました。日本三大楼門に数えられるんだそうです。今日は大祭をやっているようでした。巫女さんが若く美しい。熊本銘酒を前にして、亮さんは記念撮影。 もう一枚、うまい酒が飲めますように。綺麗な巫女さんには目もくれず、名物「赤酒」を手に取る亮さん。 この参道を通る人が必ず食べるもの。馬肉コロッケです。その名も「バロッケ」。試してみました。馬肉が入っていました。 これでお終いです。楽しい時間はあっという間に過ぎます。宮地駅へ向かいました。この頃には前線通過の名残が消え、阿蘇の噴煙がはっきり見えるようになりました。写真は切符を買う亮さんたち。今日は、鹿児島・指宿までの旅程です。奥さんに、明日は菜の花を見ることができますねと言いました。嬉しそうにニッコリしてくれました。テッチャンです。こんなものに興味があるんだろうか。 列車は入線しています、どうぞ、と駅員が促しました。この駅が始発の便でした。改札を出て手を振り、線路を横切りながら手を振り、向こう側のホームで手を振り・・・。あーあっ、行っちゃった。大切なものがスルリと抜け落ちたような気分になりました。帰りは国道57号を走り、九州山地を越えました。車中、3日間の思い出を話しては笑い、その後しんみり、の繰り返しでした。阿蘇の中岳だよ、噴煙を上げているよ、と教えてあげました。それを写真に納める二人。 レンタカーを返し、家に着いたのは午後4時でした。トラが待っていてくれました。別府のホテルから持ち帰った「いいちこ」と「知恵美人」の飲み残しをやりました。大相撲を観ました。白鵬が優勝しました。ちょうどその頃が、亮さん夫婦の指宿到着時間でした。もう砂湯に入ったかな。芋焼酎を飲んだかな。今日の一句やまなみの九重を横目大観望大阿蘇に涅槃の像や外輪山噴煙を漱石も観た内牧油手で柏手を打つ神頼み痛いのか別れの手振り五十肩
2014年01月26日
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平成26年1月25日(土) 午前5時起床。晴れのち曇り、夕方に時雨れました。 午前7時半、ホテル金水苑へ、亮さん夫婦を迎えに行きました。長旅なのにスーツケース一つ、旅慣れた感じです。佐伯を離れる前、拙宅へ案内しました。コーヒーを淹れ、アルテックとタンノイを聴いてもらいました。ヨーロピアンジャズトリオで哀愁のヨーロッパ。いい音でした。タンノイはリヒテルのバッハとワルターのブラームス1番。こちらはレコード。古い録音でした。亮さんの耳にはイマイチだったかな。彼曰く、兄が来たら涎を流すだろうな。写真はトラ(ストーブの前)にそっぽを向かれる亮さんです。 慌ただしく佐伯を出発。東九州自動車道を北上。一路湯布院へ。途中、津久見、臼杵を通過。高校野球で有名な津久見高校のあるセメントのまちだ、臼杵は女流作家野上彌生子の生まれたまち・・・、解説をしましたが、亮さん「俺、知らね~っ」失礼しました。午前9時半過ぎに到着。奥さんの言を入れ、湯の坪地区を散策しました。女性の好きな小物グッズや食べ物屋などがひしめいています。軽井沢通りのミニ版です。早い時間にもかかわらず、観光客が溢れていました。亮さんの好みそうな店もありました。 ドクターフィッシュをやってみることにしました。見物客が多い。 この魚、皮膚の角質を食べるんだそうです。亮さんの足を一番気に入ったようでした。私、女性の足なら舐めてもかまいませんが、彼の足は御免です。魚には別の好みがあるんでしょうか。 全国コロッケコンクールというのがあるそうです。金賞を受賞した味はどんなか、食べてもらいました。感想無しでした。 民芸村の前で記念写真を撮りました。 こちらは奥さんとのツーショット。亀の井別荘の前です。以前、nkucchanの泊まった旅館の片方かな。風情があります。この界隈は、賑わいのある湯の坪あたりとは趣を異にします。こちらが湯布院の本当の顔なんです。この後、温泉の湧く金鱗湖を視察し、別府にとって返しました。 昼は「とよ常」。700円の天丼に釣られました。亮さんの顔を見て、味はイマイチだったかな。 別大国道を走って、高崎山へ向かいました。余談ですが、この道路、2週間後に毎日マラソンが開催されます。新人ランナーの登竜門です。出場資格は3時間20分以内。レベルが高い。私はお呼び出ないんですが、ブロ友kusuhito氏はこれを走るそうです。 閑話休題、高崎山は猿で有名です。天然の群れを餌付けしています。餌の麦を撒くと、この状態です。 見物していると、猿が股の下をくぐっていきます。面白い。見ていて飽きません。表情が人に似て何とも可愛らしい。 国道を隔て、海側にある水族館「うみたまご」はスルーしました。別府の地獄めぐりに廻りました。海地獄を視察する亮さんです。朦々と吹き上がる水蒸気、コバルトブルーのお湯。いい感じです。 ここはオオオニバスが有名です。温泉熱で温められた温室内に咲いていました。 皆で、温泉プリンを試食しました。その前に亮さんは温泉玉子を二つも食べました。 写真は坊主地獄を視察するの図です。 鉄輪(かんなわ)の地獄蒸し工房に向かいました。お腹がいいので、体験はしませんでした。みゆき坂、いでゆ坂を散策。ナンタラ上人の石像がありました。身体の悪い部分に湯をかけたら治癒するとの能書きでした。亮さん「肝臓にかけたいんだけれど、どうやったらかかるのかな?」 こんなところも通りました。おどろおどろしい建物です。 今夜の宿はホテル「杉の井」でした。一昔前のサービスです。大勢の宿泊客、広い温泉、館内の其処此処にある土産物売り場やゲームセンター、プールも併設。夕食は和洋中のバイキング。折角だから、風情のある温泉宿をと考えました。いや、ビジネスホテルに泊まり、別府の夜に繰り出そうかとも。でも、このホテルには「棚湯」があります。話の種にということで、ここを選びました。晩の食事はこんな感じです。あれこれ取り放題でしたが、直ぐに食傷気味。 大分の銘酒にご機嫌の亮さんです。 部屋に戻り、大分・杵築の甘露「智恵美人」純米吟醸を流しました。これで今日はおしまい。楽しかった。 今日の一句釧路人拙宅暖に笑みこぼれ湯布院をコロッケ食べて後にする猿可笑し見る人可笑し人和む嗚呼別府地獄を跨ぎ観海寺
2014年01月25日
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平成25年11月1日(金) 午前4時起床。未明、夜気が語りかけてくるようでした。日々の喧噪から離れよ、という宣託に似た声がしました。音楽から遠ざかった自分を連れ戻そうというオーディオ界からのメッセージでした。妻をたたき起こしました。 「おい、ポカ休だ、聖地に行くぞ」 「あなた、どうしたの、こんな時間に」 「いいから早く着替えなさい。少し我慢をすれば、美味しいものを食べさせてあげるから」 朝ご飯を食べずに出発しました。国道10号を北上。野津で国道502号に折れました。三重、緒方、竹田を抜けました。途中で国道57号に合流。阿蘇外輪山の東側に広がる裾野を真西に走りました。晴れていましたが、視界が悪く、久住連山は霞んでいました。両側に広がる農地は肥沃で、白菜、レタス、キャベツ、ニンジンの畑が続きました。国道沿いのケヤキが色づき、高原の秋でした。滝室坂を下ると外輪山の中です。根子岳の異形が目に飛び込んできました。高岳を左手に見ながら、どんどん西へ。この辺り、漱石の小説に登場する内牧温泉があります。「二百十日」です。主人公のガレ場を歩く描写がいいです。 話が横道に逸れました。赤水を経て立野の坂を下りました。ここは豊肥線のスイッチバックが有名です。テッチャンにとって垂涎かどうかしりませんが、珍しい軌道ではあります。 馬刺専門店「橋本」に目もくれず、大津まで一気。そこで右手に折れました。国道325号を北上。3桁ナンバーの道路ですが、阿蘇の裾野を南北に貫く幹線です。片側2車線は立派です。ケヤキの植栽がいい感じでした。あと少しで菊池というところに「コッコファームたまご庵」があります。養鶏場が卵と鶏肉とそれを使う料理や加工品、加えて地域の農産品を販売する道の駅のような施設です。レストラン併設。午前11時に着きました。 「ここの卵料理は絶品なんだ。部長(私の上司ですが)が出張帰りに立ち寄って、美味しかったと言うんだよ。思い立って、おまえに食べさせてやろうと、朝駆けをしたのさ」 メニューはオール卵料理。人気No1と2をもらいました。デミソースのオムライスと親子丼。それに玉子かけご飯を1人前。こういうのには目のない妻です。不機嫌が直りました。 隣接の物産館を覗きました。朝取りたまごをはじめ、たまごサンド、たまご太巻き、だし巻き、卵白シフォンケーキ、なめらかプリン、たまごシュークリーム・・・。たまごづくしです。野菜コーナーには、ネギ、芋、大根のほか、ミドリナス、下町美人ナス、ロッサビアンコナス、紫色をした芥子菜など見たことのないのが並んでいました。もちろん梨や美味しい熊本ミカンも。 次は目的地です。来た道国道325号を南下。大津をそのままやり過ごしました。国道443号から県道36号に。熊本空港の滑走路下をくぐるトンネルを抜けました。学生時代を熊本で過ごした妻が「懐かしい」を連発。彼氏とのドライブを思い出しているんでしょうか。少し嫉妬。 この辺りは益城町です。左手に折れました。西原村に入りました。外輪山の南西麓です。道は県道28号線に。両側に広がる農地の土は赤色でした。甘藷の収穫風景が目につきました。妻の機嫌をとるため、芋天専門店に車を停めました。馬力のいい熱さと厚さです。甘い。ホクホクです。これで、この後が万事うまくいきます。(続く)今日の一句愛でて喰う地鶏卵は菊池路か静かなる則天去私の内牧
2013年11月01日
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平成25年7月30日(火) 午前4時起床。曇り時々雨。 カメラを持ってひとっ走り。久寿里橋と幣舞橋あたりを5km。岸壁で刺網の片付けをしている漁師さんたちに行きあわせました。今戻ったにしては、獲物が少ない。網にツブや雑魚が混じっているものの、お金になるような魚は見当たりません。尋ねたら「もう終わったんだわ」カレイ漁を終え、水揚げした後とのこと。大きなカモメがもらい受けた雑魚を巡って喧嘩していました。 写真は幣舞橋の欄干にある銅像です。4体あるうちの一つです。夕日に重ねたシルエットは観光パンフに使われています。沈む太陽を見たかった。思い返すと、この4日間、レースの時だけ照ったほかは、ずっと雨模様だったな。青空を見なかった。旅行は晴れるに越したことはありません。残念でした。しかし、釧路は霧のまちです。何度も書きますが、これはこれでよかったです。 その幣舞橋、右岸のたもとに観光案内所のようなものがありました。朝早いのでまだカギが掛かっていました。桜木紫乃氏の直木賞受賞を祝うポスターを張っていました。2階に原田康子の資料室があるとのことでした。見ること能わず。残念でした。 MOOの脇は閑散。岸壁炉端のテントは閉められていました。夜の盛り場は、朝に見ると興ざめです。すぐ隣の岸壁にイカ釣り漁船が舫っていました。その数、20隻は下らない。壮観でした。 ホテルに戻り、屋上にある温泉に浸かりました。朝風呂は旅行の楽しみです。湯船に体を横たえました。日焼け跡はあまり沁みませんでした。 ロビーに降りて、釧路新聞を買いました。土地のことを知るには地方紙が一番です。摩周メロンの出荷が始まったとか、釧路動物園のライオンに赤ちゃんができたとか。釧路で開かれている全道中学陸上競技会、成績は地元生徒の結果が中心です。釧路市長が病気から復帰したとも。一昨日、大会の開会式で挨拶しましたが、病み上がりだったのか。某道議のパーティーが某所あったという記事には苦笑。この辺をしてこの新聞の立ち位置が判るんです。キエフフィルの広告が載ってありました。聴きに来たい。 釧路には、先輩がいます。私、大学時代は野球部でした。1年先輩にKさんがいました。確か釧路湖陵高出身でした。スリムの体型。投手をしていました。糸を引くようなストレートの右腕でした。至ってまじめで、大酒を飲んで馬鹿をする学生とは一線を画しました。成績も大層よかったようでした。勤務する漁業会社を妻と訪ねました。某ビルの2階フロア一番奥に彼の机がありました。役員応接室に通されました。イッカクの角が飾ってありました。先輩は重役のようでした。ふっくらとした体型、七三分けのロマンスグレーでした。卒業後のあれこれを聞きました。曰く、就職先は赤いきつね・みどりのたぬきで有名な大手水産食品会社だった、父・妹が相次ぐ病死、残された母と暮らすため釧路に帰郷した、この会社に職を得て今に至る、40歳くらいまで早朝野球を楽しんだ、子どもは大学生を筆頭に3人、まだまだ頑張らないと。先輩から、野球部の何人かの消息を訊かれました。知る限りを話しました。目が次第に遠くを見る目つきへと変わりました。訪ねてよかった。 玄関に待たせたタクシーに乗り、和匠市場へ向かいました。釧路の水産物が一同に集まるところです。nkucchan御用達の北匠もありました。好物のホッケ、宗八、ニシン、薄塩をした紅サケ、筋子を買いました。全て自分への土産です。朝ご飯もここで食べました。丼に盛った白飯を買い、居並ぶ店先で載せるネタを見繕いました。満足の妻です。それはそうと、客引きが凄かったです。私はそのやりとり、嫌いではありませんが、人によっては嫌な思いをするかもしれません。甘いものは別腹です。まだ食べている。釧路ザンギだ。 釧路駅を覗いたあと、北大通を歩きました。今ごろアジサイが咲いている。 北海道最後の食事は、東屋でした。昨晩、一緒したご夫婦の店です。ビールを飲んでいたら、亮さんもやってきました。 なんと、ももさんも。私はナメコを注文しました。絶品でした。さすがミシュラン。 みんなはざるでした。サケの天麩羅、蕎麦団子、カシワ抜き(スープ)、どれも美味しくて美味しくて。壁に酒のメニューがありました。充実している。さすがです。 亮さん曰く「ここでこよなく氏とよく飲んだんだわ」この小上がりで差しつ差されつは、たまらなかっただろうな。こよなく氏、遠くに行っちゃって、亮さん寂しそう。旨い汁を啜りながら、大将の所為を盗み見ました。控えめな昨夜と違い、背中に近寄りがたいものを感じました。女将さんは客席で笑顔を振りまいていました。いいお店です。大分・佐伯にこんな感じはありません。目を手前に移すと、ももさん、ちょっと目が潤んでいる。私の離釧を悲しんでいるのかと思いきや、二日酔いとのこと。なーんだ。隣の亮さんは午前中、一仕事してきた様子。半袖のYシャツが似合っていました。昨日までよりスマートに見えました。勘定の時、大将と女将さんに、切る前の蕎麦団子を頂きました。2本も。これは、老いた父母の土産にしよう。嬉しいな。ももさんとはここで最後のお別れ。 雨の中、亮さんが空港へ送ってくれました。マラソンコースを辿ってくれました。車中は、なんだかしんみりした空気になりました。亮さん「これで最後にツルがいたら大ヒットだな」その途端、妻の声「あっ、ツルがいた!」急停車し、戻ってくれました。しかしいませんでした。諦めてアクセルを踏んだとき「あっ、いる」Uターンしにくい道をも一度戻ってくれました。道路脇に止め、濡れるのを厭わず探してくれました。その時でした。パッと大きな姿が舞い立ちました。特別天然記念物のタンチョウでした。優雅に舞っていきました。瓢箪からコマではありませんが、大ヒットでした。 亮さん、気を利かせて緑濃い旧道を通ってくれました。「これで熊が出たら大ホームランだわな」道はホントに出そうな雰囲気でした。でもそうそううまくはいきません。鬱蒼とした上りが終わった途端、滑走路が開けました。空港ビルの前に車を止めてくれました。「長くいると悲しくなるから。行くわ」あっけなく行ってしまいました。背中が目に焼き付きました。 玄関で記念写真を撮りました。 いよいよでした。楽しくてやがて悲しき釧路かな。しんみり。登場案内の時間まで土産物店をひやかそうかなと思っていた矢先、なんと亮さんの奥さんにばったり。えーっ。驚きでした。偶然かと思いきや、ナントなんと私たちを見送りに来てくれた由。嬉しかったです。妻が喜びました。空港売店であれこれのアドバイスをもらったようでした。白糠のチーズを見つけてくれました。妻はそれを買ったようでした。手荷物検査場の前まで見送ってくれました。この仕儀が、今回の旅行で一番のサプライズでした。 これで旅行記は終わりです。亮さん、奥さん、コーゾーさん、ももさん、H田さんご夫妻、東屋の大将と女将さん、「花」のママさん、某スナックのママさん、Sakurayaのママさん、皆さんありがとうございました。楽しい旅でした。重ねてお礼を申しあげます。さようなら。
2013年07月30日
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平成25年7月29日(月)続き 釧路に戻り、MOO前で降ろしてもらいました。亮さん、運転ありがとうございました。排気量の大きい車なので、ガソリン、いっぱい使いました。申し訳ない。 売店で土産を買い、自宅向けに発送しました。ホテルに帰り、一休み。暮れなずんで「花」に行きました。ホテルから歩いてすぐのところでした。鈎型カウンター8席の店でした。ママさんの優しい顔が素敵でした。初対面でしたが、そんなことを少しも感じさせない気安さでした。亮さんを待つ少しの間でしたが、この時間もよかった。彼がやってきました。先ずはビールで乾杯。喉を潤していると、赤横、いや釧路のマドンナ「ももさん」もやってきました。美しい方でした。見目麗しいとは彼女のことです。亮さんを始め、赤横の常連がメロメロになること、さもあらんという感じでした。フランク、親しげで暖かみのある会話、引き込まれそうでした。 ブログの印象など、あれこれを話していたら、私たちと同世代のカップルが入ってきました。女性のほうは一昨晩にここで遇った方でした。ご夫婦だそうで、ご主人は某カーリース空港店の店長とのこと。亮さんとはまた違う意味でダンディー。とても明るい夫妻でした。子育てが終わり、人生はこれからだというような話を聞いたっけ。釧路の夜を探検して回るのが楽しみだとも。いいな、この感じ。 もう一組、亮さん行きつけの蕎麦屋さんがこれまた夫婦して来店。暖簾の名は北大通東屋。赤横の近くにあるそうです。聞くところによると、何とミシュランガイド北海道版に掲載されているとのこと。凄い。ご主人はニコニコしていましたが言葉は少なめ。酒も控えめ。職人気質、実直とお見受けしました。女将さんは快活そのもの。おしゃべりしてはカラカラコロコロと笑いました。満面の笑顔は、みんなを元気にするんだろうなと思いました。亮さんによると、ご主人は寡黙の蕎麦打ち、店の切り盛り・接客は彼女が一手に引き受け、人気者とのこと。さもあらんです。明日の昼、釧路を離れる前に店を訪ねる約束をしました。写真は二組の夫婦です。右奥の2人が前段カップル、左の2人が後段カップルです。 「花」のお通しです。釧路の味が凝縮。 写真は亮さんの持ち込んだ花咲です。 殻だけになりました。 酒豪(失礼)のももさんが、冷酒瓶の蓋を次から次へとポンポン抜きました。亮さんへ届けた大分の酒も評判がよくて、安心しました。 杯盤狼藉。ママさんに別れを告げたあとは、これまた亮さん贔屓の某スナック。エレベーターに乗りました。扉を押すと、クリスタルの店内はお客さんで満員。月曜日なのにワイワイやっているのは、居心地のいい証拠です。ママさんは噂通りの美人でした。昨年の釧路マラソン・ウォーキングの部に出場したそうです。その時は亮さんを負かしたらしい。今年出場していたら、間違いなく1等賞だとは彼の弁。スナックは何十年ぶりの妻でしたが、明るい店内・友だちになったももさん・素敵なママのおかげで寛いだようでした。 ここにも大分・佐伯のお酒がありました。杜谷・華のグラスを傾けるももさんです。彼女、瞳が魅力的なんです。引き込まれるような、吸い込まれるような。目隠しを取ったら叱られるかな。外したいな。だめだわな。 もう一軒、Sakurayaのママにサヨナラを言わなければなりません。扉を押しました。アイラモルトを1杯飲んで、〆はコロナビールにしました。 ママさんの写真は法度。残念。それにしてもあーあ、寂しいな。明日は帰らないといけない。楽しいことはすぐに終わってしまう。この夜、いつまでも続くといいのにな・・・。店を出ました。ももさんと握手して別れました。細く、柔らかい感触、忘れません。もう手を洗いません。今日の一句カニ食べて釧路の夜が更けていく赤横に集う輩とたちまちに以下は午前の部に関連して。最果ては悲しき匂いたちこめてカニずくしホタテ放題ウニづくし厚岸のカキが美味しと妻が言いカニ抱きて満面の笑み妻よろしカヌー見て次は漕ぐよと念押され丘に立ち渺たる景色遙かなり
2013年07月29日
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平成25年7月29日(月) 午前4時過ぎ起床。雨模様。 朝ランをと思いましたが、降っていて、心が折れました。朝風呂に入りました。汗をたっぷりかきました。街中のホテルに温泉のあるのは、実によいです。 昨夜の満腹感が、朝の食欲を減じました。朝ご飯は食べませんでした。 今日も一日、亮さんがつきあってくれました。会社を休んでの仕儀。恐縮でした。 午前8時、ホテルへ迎えに来てくれました。雨の中、釧路町の網細展望台に向かいました。釧路湿原を東側から眺める場所です。達古部沼(タッコブヌマ)を横に見ながら走りました。あたりは緑一色。雨に濡れぼそっていました。樹種は白樺以外わかりませんが、薪にはもってこいのようでした。分け入ってチェーンソーを回してみたい。道路脇には大きな蕗。食べられるのか問うたら「苦くってさ、だめだわ」 釧網本線の踏切を越えました。林道のような路面を進みました。しばらく登りが続きました。半分ぬかるみのようなところに車を止めました。傘をさして、脇にいる歩道を進みました。1分で視界が開けました。雲が低く垂れ込めていました。その時間、偶然、雨がやみました。風が出たのか、空気が動きました。ツバメが飛び始めました。視界が少しずつ広がりました。湿原を蛇行する川がはっきり見えました。所々に低い木がありました。サバンナを実際に見たことはありませんが、そんな感じでした。見入ってしまいました。風の音と鳥のさえずり。静かでした。妻も言葉なしでした。今、故あってここにいる偶然と、茫洋たる景色の二つが、えもいえぬ感慨というか、遙かな気持ちにさせてくれました。「浩然の気を養う」感じとは少し違うのですが、それに近いようでもあります。非日常の驚きと安らぎといいましょうか。亮さんが「いつもは右手に阿寒連峰が見える」といいました。それはそれでいい景色なんでしょうが、雲の低く垂れ込めた風情も悪くないです。 いい時間を過ごしました。促され、後ろ髪を引かれる思いでここを後にしました。くだって蛇行する釧路川のほとりに行きました。カヌーの船着き場でした。流れは思いの外速かったです。でも見慣れた瀬などあるはずもなく、ゆったりうねるような感じでした。薄いコーヒー色をしていました。水面にはアメンボウが多かったです。綱取りのおっさんがいました。歯の抜けて土地の言葉丸出しの好々爺でした。下ってくるのを待っている由。もうすぐなんだというので、待ってみました。あっ、きたきた! 3人乗っていました。ガイドのお兄さんと、30台と思しき男女でした。女性のほうに感想を訪ねました。「いやもう最高、ツルやキタキツネを見たわ、3時間たっぷり満喫、やっぱり北海道ね、釧路湿原に限るは北海道は、ウフフ」カヌー下りをしてみたかった妻は、表情には出しませんでしたが、目の色に恨めしさが出ていました。今回は時間が許さず、仕方ありません。また来ればいいだけです。 塘路駅に回ってくれました。駅舎はこぢんまりしていました。 白樺が色を添えて、メルヘンチックでした。線路を見ました。少し錆びが浮いていました。本数の少なさを物語っています。写真はホームに佇む亮さんです。彼、鉄道オタクなんだそうです。その人たちのことを「テッチャン」というのだそうです。ちなみにテッチャンにも色々あって、時刻表、写真、機関車専門、乗車、録音・・・。 次いでシラルトロ湖、塘路湖の湖畔をドライブ。浅く、沼のような感じに見えました。この風景、亮さんのお気に入りなんでしょう。「ワカサギが釣れるんだわ」といいました。冬に来て、氷を割り、釣った先から天麩羅にして食べてみたい。でも川は凍ってカヌーを下りできないな。やっぱり次回も夏だな。 「釧路湿原国立公園塘路湖エコミュージアムセンターあるこっと」を見て、山の中の道を東に向かいました。しばらく行くと牧場が広がりました。交差点の一角にあるコンビニに寄りました。殺風景とは少し違うんですが、十字路付近に数件建物があり、そこを離れると草地と林の続く土地でした。この看板が目に飛び込みました。一昨晩、コーゾーさんとの会話にこのことがのぞきました。しかし、折角の夜にそんな話をしてはいけないと彼はいい、飲み込みました。今日改めて思いました。切実なんだろうな。 さらに進むと、線路沿いになりました。根室本線でした。次いで海が見えました。太平洋でした。厚岸の町に着きました。雲が低く垂れ込めて絶景を眺めることはできません。厚岸味覚ターミナルコンキリエを冷やかし、厚岸漁協の直売所に突っ込みました。 一杯ひっかけたような漁師らしいおっさんたちが歩いていました。中にはサケを始めホッケ、カレイ類、ツブやホタテ、カニにウニやホヤ、水産加工品も数多。どれもてんこ盛りにして売っています。涎がダラダラ出ました。 「ここのカキ、絶品なんだわ」亮さんの言葉を聞いて食べることにしました。1殻160円のものを10個。ラップをして電子レンジにかけました。殻が開き、熱々でした。パクリ。 美味しい。たまりません。nkucchan、悪いね。妻「あーっ、幸せ」といいながら汁まで飲み干しました。結婚して以来初めて聞く感嘆詞でした。私たちの仕儀を見て亮さん、目を細めました。ありがとうございました。 独特の形をした橋を渡りました。厚岸湖の対岸でした。半島を霧多布のほうへ向かいました。このあたりはその名のとおり霧の多いところです。今日ももちろんでした。晴れると草原と森、方や断崖絶壁と海、という絶佳の景色が広がるんでしょうが、今日の仕儀はこれはこれでいいんです。 車は厚床を抜け、牧場の広がるところを一直線。国道44号、通称根室国道でした。真っ直ぐでした。 眠くなりました。ウトウトしました。亮さんに悪かった。道の駅スワン44ねむろをひやかしました。建物の外に1軒だけ屋台がありました。うにまんじゅうの幟が掛かっていました。亮さんは、食べたことのないものを見ると気になって仕方がないんでしょう。早速買いました。こんな感じです。ウニの味もしましたが、コンブの風味が強かったです。 根室国道をなお東に。白鳥で有名な風蓮湖を左手に見ながらすすみました。温根沼大橋を渡ると、市街地でした。天気のせいもありますが、全体的に元気のないような感じを受けました。人通りがなかった。交差点からの写真です。坂を下ると海に行き当たります。こういうアングル、好きなんです。も少し上手く撮ると風情が出たのですが。 根室駅をのぞきました。終着駅です。そう思い込んでいるからでしょうか、哀愁が漂っているように感じました。時刻表を見たら、本数が少ない。1日8本でした。ホームにルパン車両が止まっていました。1両しかないそうです。見ることができてよかった。しかもここで。 遅い昼を回転寿司で食べました。地元産のネタを使う店でした。垢抜けてはいませんでしたが、スマートでない分、味わい深かった。ホヤとツブがよかったです。ビールが欲しかったけれど、亮さんの手前、我慢しました。それにしても家内はホタテとカニばかり食べている。写真はカニ三昧の皿です。 駅前に戻りました。花咲カニを売っている店がありました。今夜、赤横の「花」に持ち込もうという話になりました。品定めをしていたら店のおっちゃんに「今茹であがるのがあるからもってけ、茹でてるところを見ないかい?」折角だからそうしました。店の奥に案内されました。お世辞にも綺麗とは言い難い通路の奥に釜がありました。ボイラーでガンガンやっていました。彼曰く「塩は天然塩なんだ、舐めてみるかい?美味しいだろう?この加減が大切なんだ、茹で時間もね」大層な自慢話でした。亮さんによると今年の相場は安いんだそうです。2,500円のところを500円まけてもらいました。写真は講釈に耳を傾けるふりをする亮さんと褄です。 時間が下がりました。今夜の宴会に備え、帰りは寄り道なし。途中から運転を代わりました。亮さんの車はクラウンの上に位置する高級車です。快適でした。一昨日、昨日と民放FMが流れていました。今日は終日ジャズをかけてくれました。この趣味、いい感じでした。室内が静かなので、ボリュームを絞ってもよく聞こえます。私のツーシーター4駆とは比べものになりません。(続きは次回です)
2013年07月29日
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平成25年7月27日(土) 午前3時起床。晴れ。 今日は釧路に出発する日でした。昨晩、午後10時に床につきました。朝までの間、何度か目が覚めました。気持ちが高ぶっていたのでしょう。正月を待つ子どもの気分でした。準備は、昨夜の内に済ませていました。午前4時半、妻と家を出ました。佐伯インターから空港までひとっ走り。昇る太陽が海に映えて美しかったです。金曜ロードショーの冒頭画面を思い起こしました。 午前7時過ぎのANAに乗りました。積乱雲を下に見ながらの飛行でした。 9時に羽田へ着きました。釧路行きは昼過ぎのJAL。朝、おにぎりを食べただけだったので、腹が減りました。イタリアンに入りました。2種類のパスタを注文。一人旅と違い、分け合えば二通りの味を楽しむことができます。そうしました。食前に生ハムとビールの小を忘れてはいけません。ナンは食べ放題。オリーブオイルにトラパニ産の食塩を混ぜ、つけて食べました。美味。 たんちょう釧路空港までの間も雲上の仕儀。楽しみにしていた三陸海岸や襟裳岬を見ること能わずでした。私のバカンス、名古屋のブロ友nkucchanを差し置いて、これから亮さんと二人、釧路の夜にしけ込むの図です。先輩の悔しがるのは分かります。その意趣をして、風神雷神が天気を封じ込めたのかも知れません。 到着間際、垂れ込めた雲の下に出た途端、樹海が広がりました。牧草地がつぎはぎの模様をかもしていました。北海道でした。到着ロビーに亮さんが待っていてくれました。すぐに彼と判りました。相通ずるものがあるんです。初対面の挨拶と握手も早々に、彼の車へ案内してくれました。黒塗りの高級車でした。 釧路市タンチョウヅル自然公園と、釧路市湿原展望台に連れて行ってもらいました。前者ではその名のとおりタンチョウヅルを見ることができました。 後者は湿原の西に位置します。ミニ水族館もあり、興味深かったです。湿原と釧路の市街地、製紙工場などが一望でした。 亮さんからあれこれの説明を受けました。ここの鶴は羽を切られて舞えない、数年経つとまた生えるから大丈夫、鳥インフル対策で大変だ、1千羽くらいなので感染が広がるといっぺんに絶滅してしまう云々。それはそれとして、この案内、少し急ぎ足でした。クルクル変わる場面に、妻が目を白黒。でもこれは、私たちの滞在中、できるだけ多くの釧路を見せようと、心を砕いての仕儀、亮さんの優しさと配慮でした。痛み入りました。余談ですが、鶴の姿を見て感動した妻が「ねぇねぇ、これを見て頂戴。鶴の羽よ」黒いものを手にかざしました。今日、北の大地に降りたって舞い上がった妻は、カラスのそれと知らず、ホテルの部屋まで持ち帰りました。勘弁してよ、ベッドルームに烏の羽根は。 次いで、明日のコースを流してくれました。いい感じの直線です。 前後します。道中、製紙工場の景気や水産業のふるわないことのレクチャーを受けました。港の方に回ってくれました。ここは亮さんブログに登場する風景がたくさんありました。イカ釣り漁船、サンマ棒受網漁船が停泊していました。集魚灯の数に驚くばかり。かなりのダイナモでないとまかないきれないだろう電球の多さでした。でも、LEDだから大丈夫か・・・。向こうの方にでっかい巡視船が停泊していました。「宗谷」でした。舷側まで近寄ってくれました。北の湖ではなく北の海を守る貴婦人です。ほれぼれするようなホワイトシップです。小さな埠頭を隔て、水産庁の調査船も泊まっていました。こちらは漁師に嫌われる漁業取締船です。船型も海保とは大違い。ズングリムックリしています。 向こうに石炭を積み出す門型クレーンのようなものが見えました。釧路には、今となっては日本に唯一の炭鉱がある由。東南アジアの研修生を受け入れ、国の助成金をもらって何とかやっているそうでした。港のヤードに積み上げられた石炭の山、今は滅多に見ること能わずです。鉱脈までに至る岩盤を堀砕いた砕石でできたズリ山、海底に向かう坑道、がら空きになった炭鉱会社の社宅、昔、鉱夫で賑わった界隈・・・。「光と影」という言葉がありますが、失礼を承知で書くと、この風情は釧路の陰なのかも知れません。最後にランドマーク、MOOをバックにツーショット。抱きついたら、亮さん、筋骨隆々。凄いというと「なーんも、最近、重いもんはジョッキを持っただけだわ」 ホテルにチェックイン。さあ前夜祭です。ホテルのロビーで待ち合わせ。亮さんはコーゾーさんを伴って現れました。彼は私の拙ブログに書き込みをしてくれます。釧路の西、H町に住んでいる亮さんのお兄さんです。わざわざ会いに来てくれました。嬉しかったです。MOOの2階、亮さんの河岸「ぶぅー」に突っ込みました。早速ビールで乾杯。のどを潤していると、待ちに待った憧れ、北海の幸が出てきました。亮さんは福司の冷やでしたが、外気温は20℃を下回っているし、コーゾーさんの勧めもあって燗酒にしました。北の勝と福司の飲み比べ。いい感じでした。地元の酒を愛するの心、御両人の想いを感じました。 飲みながら食べながら、亮さん曰く「nkucchanが悔しがるだろな。へっへっへ、悪いね」 店の大将に、これはなんだか判るかい?と言われました。 亮さんが「最近、出ている親父かい?」と言いました。正解でした。塩胡椒の味付けでした。亮さんと私に、明日のレースに備え、馬力がでるからと、気張って出してくれたのでした。大将の解説によると、まだサケを食べたことのないオスが一番美味しいとのことです。うーん、奥が深い。 亮さんは妻の相手をしてくれました。私はコーゾーさんとの話が弾みました。彼曰く、今は麦刈りの季節、雨模様だったので釧路に来ることができた、降り止んで半日あれば刈り取りは可能、天気とのにらみ合いだ、トラクターはジョンディアーだよ、最高だ、何台も保有している、毎日オペレーターが仕事だよ、趣味のオーディオは1台に入れ込むタイプだな、気に入らなくても何とか工面していい音になるまで頑張るんだ、すぐに見放したりはしないよ、音楽を聴くのは終日農機具の音に苛まれた耳と頭を癒やすため、生活自体は毎日楽しいよ、お客さんが多くてね、農業用の大きな倉庫を宴会場のようにして酒盛りさ、外国人も滞在したりしてね、酒は私も客もみんな手酌だよ、無理強いはしない、これが紳士の飲み方、冷蔵庫には鹿肉が詰まっている、エゾジカのロースには刺しが入って美味いんだ、解体は私がするよ、おじがハンターで私が腑分け、ナイフは揃っているよ、随分上手になったよ・・・。コーゾーさんは見事な押し出し。亮さんより大柄でした。大尽というと語弊があるかもしれませんが、大金持ちとか大尽遊びの意ではなく、土地の大家という感じでした。或る意味、住むそのまちのよりどころのような偉丈夫でした。楽しい時間を過ごしました。 もう1軒、訪ねたい店がありました。Sakurayaです。あこがれのバーです。亮さんブログに素敵なママさんが登場します。私の誕生日に、ボードへ祝いのメッセージを書いてくれました。お土産にいいちこ日田醸造所限定販売のミント風味40度を持参しました。気に入ってくれました。嬉しかったです。私はコロナビール、亮さんは何を飲んだかな。黒ビールだったかな。コーゾーさんと妻の飲んだ酒は覚えていません。 今日はこれで打ち止め。これ以上やると、これまでの練習が水の泡となります。赤横でもう一杯という悪魔の誘惑を辞退しました。ホテル最上階の温泉に入りました。湯はしょっぱかったです。就寝は午後10時。最後の写真は夜の幣舞橋です。こんな感じなんです。今日の一句幾体も白い入道並んで居窓外を眺める妻の項見る日の丸の翼が入道避けて飛び雲上の青に浮かびし下弦月福司まわしの締まり北の武士北の勝どっこい四股を踏んでいる熊の肉トドに似たりと独り言北転の厳しさ醸す底曳きかあな旨し鉄砲汁の底の底まだ見ずのコーゾーさんが麦を刈る荒波の厳しさ出さぬ白い船
2013年07月27日
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平成26年5月11日(土) 午前4時起床。雨のち晴れ。 朝ラン9km。明け方、小雨を縫って、林道を防災ダムの堰堤下まで走りました。人に遇いませんでした。谷に架かる永馬橋を渡り、林道順良線に分け入ると、道の両側から樫の枝が空を塞ぎました。湿り気が濃く、匂い立ちました。アスファルトが濡れぼそり、強い気配が漂いました。もし山の精というものがいるのなら、近くに潜んでいそうな感じでした。名前を知らぬ、高い木の枝から小さな花が落ちて、路面を薄緑に染めていました。 午前9時過ぎ、Kが迎えに来てくれました。彼は1つ年下のサラリーマンです。週末は長靴を履いて野良に出る男です。ジャズのあれこれを教えてくれます。クラシックのことは私の方が上手です。宮崎国際音楽祭を聴きに行こうと誘ってくれたのでした。 雨の中、青山の轟峠を越えました。森崎から、先だって開通した高速道路を走りました。新しく気持ちがよかったです。東九州自動車道は全線開通していません。細切れになっています。途中、延岡までの一部と、日向市あたりは一般道を走りました。3時間弱のドライブで宮崎市内に到着。雨の中をスシローに突っ込みました。腹一杯になったら眠くなります。我慢し、少し控えました。ハマグリの汁が美味しかった。勘定の計算を頼むと、お姉さんは皿の枚数を物差しで測りました。幾皿の測定が可能か、写真の上が切れて判りません。 コンサートは午後2時からでした。1時過ぎに県立芸術劇場へ着きました。開演前には雨が上がりました。開演までの時間、庭を見渡すことのできるガラス張りのロビーで珈琲を飲みました。お客さんは、夏めいた服装を着飾っていました。中には着物姿、「ざます」調の婦人もいました。臨時のバーカウンターがあり、紳士淑女がシャンパンを傾けていました。コンサートにつきもののCDや関連グッズショップも繁盛していました。 演奏曲目はワグナーとヴェルディの有名どころでした。オケは宮崎国際音楽管弦楽団でした。N響のメンバーも混じっているとのことでした。弦の足並みが揃っていました。美しい。でもふっくらした音色、立ちのぼる香りのようなものありませんでした。急仕立てだったのでしょう、ヴァイオリンに女性の多さが目立ちました。身にまとっているドレスはそれぞれ桃色、緑、青、白。カラフルなのは定演ではなく、フェスティバルだからでしょう。皆、スレンダーで背が高く、黒髪でした。細い腕の白さがまぶしい。男たちはおっさんばかりでした。途中、ウトウトなりました。朝、走って疲れ、昼を食べたばかりでした。さっきのシャンパンを我慢しなければよかった。 写真は会場前のKです。私より男前です。ショスタコーヴィチの好きなイナカモンです。 会の跳ねたのは午後5時過ぎ。Kがブックオフを覗きたいというのでそうしました。15冊ばかり衝動買いをしました。またやってしまった。まずいな。ホテルへ直行。チェックイン後、直ぐに繰り出しました。Kがあらかじめ店を調べてくれていました。「百姓屋」という暖簾に向かいましたが、店を閉じたとのこと。「うお座」という店に入りました。ビールで乾杯の後は焼酎のお湯割りにしました。相方はロック。当てはカツオの塩タタキをもらいました。加減のいいあぶり方でした。塩の按配もよく、醤油は不要でした。続いて地鶏の炭火焼き。歯ごたえがあり、噛めば噛むほど味の出る逸品でした。折角ですから宮崎牛のステーキを頼んでみました。写真では判りませんが、ミディアムレア。口の中でとろけました。美味しいのですが、私は二切れで十分。霜降りはどうもねとついていけません。 店を出てブラリ。若い女店員のいるワインショップが目に入りました。酔い覚ましということで冷やかしました。見たことも聞いたこともない焼酎が並んでいました。さすが本場です。ワイン、あれこれなめ回すようにチェックしました。でも買いませんでした。ごめんなさい。写真焼酎です。山のように並んだうちのほんの一角です。 もう一軒居酒屋に、ということで賑わいから横に逸れた小路をブラブラ。目についた看板を頼りに暖簾を潜りました。Hという店でした。そろいの白いブラウスを着た女性二人が切り盛りをしていました。カウンターに座りました。話しかけたら一人は60前後、も一人は20代前半でした。家庭的雰囲気。私は鯵のたたきとほうれん草を、鳥好きのKは地鶏のタタキとポテトサラダを。彼はここでも焼酎ロックでした。私は日本酒をもらいました。銘柄は覚えること能わずでした。マワシの緩かったのは覚えています。ママさんに食材のあれこれを聞きました。宮崎は茗荷を薬味に使うというのが印象深かった。若い女性はアルバイトでした。京都・亀岡からこの県の獣医学部に進学、現在4年生とのこと。キャンパスライフの楽しさを語る彼女をして、若いっていいなと思いました。 そこを出て、ジャズバーに行きました。これもKの仕儀でした。「ファークライ」ビルの2階にひっそりとありました。小さなJBLを鳴らしていました。開店して20年になるとのことでした。実を言うと、私、10年ほど前にここを訪ねたことがありました。当時、取引先にUという男がいました。私が宮崎に行く用事があると言ったら、ファークアイという店があるから行くといい、と言ってくれました。尋ねてI・Wハーパーを飲み「チュニジアの夜」をリクエストしました。若かったマスターはCDの棚をひっくり返して探しだし、かけてくれました。何故この曲だったのかというと、その年は日韓W杯があり、私のまちにチュニジアのナショナルチームがやって来たからです。 ファー・クライにはメガネをかけた細身の奥さんがいました。10年前のその時、店を出る際、また来て下さいと言われました。帰った翌日に、楽しかったことを頂いた名刺に書いてあったアドレスにメールしました。彼女から返信は温かい文章でした。 話は戻ります。マスターの頭には白いものが混じるどころではありませんでした。奥さんのことを話すと、下を向くような声色になりました。事情があったのでしょう。バーボンで乾杯した後、私はギネスに替えました。二人して大分からマイスキーを聴きに来たというと、堰を切ったように音楽談義が始まりました。ジャズ中心でした。私は聞き役でした。ジョン・ルイスに話が及ぶと、バッハやヨー・ヨー・マ、ニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネの名前が飛び出しました。口を出す余地が生まれました。楽しい夜でした。今日の一句音楽が酒が楽しく更けていけ
2013年05月11日
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平成25年4月22日(月) 午前5時起床。抜けるような青空でした。 近くにある共同湯「地獄原温泉」に入りました。ブラブラしながら出湯坂を下りました。今日の空とかけて私の心ととく、と謎かけをしました。妻がまた始まったという顔をしました。そのこころはと言わせ、一点の曇りもない、と言いました。2人がせせら笑いました。 湯船に浸かるの図を写真に撮りました。T「おいK。ワテが桶で隠したる。大丈夫やさかいはよポーズとらんかい」Kがそうしました。パチリ。でもTの一物は丸見えでした。この一枚、今年の梅林庵ベストショットになるのかな。 この湯は朝の6時半から開いています。先客に訊ねたら、次のとおり返事がありました。外来者は100円、会員制度もある、家族単位、入会金5,000円、月々1,000円で入り放題、5人家族でも10人家族でも大丈夫・・・。入湯手形は地獄原温泉と名の入った桶だそうです。安い。別府に住んでいる人が羨ましい。Tに、ここへ引っ越すよう勧めました。 部屋に戻り朝ご飯。持参したタケノコご飯のおにぎりを食べました。蒸しなおした昨夜の残りがおかずでした。味噌汁はインスタント。余談ですが、これは大分・臼杵にあるF社製です。ここの商品開発部門に食品学科卒の先輩Kさんがいます。同窓会で一緒したとき、彼に製品数の600あまりあることを聞いて驚いたことを2人に話しました。これをきっかけにKが食品のくくりでマーケット、商品開発に関するあれこれを話し出しました。知らない世界でした。惹かれました。写真は朝から白ワインを飲むの図です。 Tが湯布院を感じたいというので、そこを案内することにしました。高速道路からの眺め、塚原高原と由布岳が青空に映えていい感じでした。 金鱗湖界隈を散策しました。緑が目に優しい。 「天井桟敷」に入りました。有名な喫茶店です。窓からの風情です。 ここの丸テーブルに座り、話し込みました。途中、相席をと言われ、70年配の夫婦が腰掛けました。上品なカップルです。奥さんは小さく流れるグレゴリオ聖歌に感じ入った様子。名古屋から来た、昨夜は湯布院泊まり、今日は黒川温泉に行く、折に触れ九州各地を旅行している・・・。私たちもそれぞれ今日の自分を名乗りました。旅先での一期一会はそれはそれでよいです。深入りのコーヒーが美味しかった。 11時半、Kをバスセンターへ送りました。これから亀の井バスで福岡空港へ向かいます。午後2時の便で成田へ。握手して別れました。由布岳が彼を見送るの図です。 湯の坪へとって返しました。通りに並ぶ土産店をひやかしました。名物、特産品、新商品の試食をし放題。コロッケが美味しいというので1つを3人で分けて食べました。別の店のも買ってみました。コロッケはコロッケでした。ラルコルというレストランで昼にしました。 外観より広い店内でした。マッキントッシュのアンプとJBLの大きなスピーカーがありました。トイレにはこんな画が掛かっていました。 Tと妻が、あれこれの話で盛り上がりました。私は眠たくてウトウトしました。朝風呂が効いたのかも知れません。再度バスセンターへ。彼を降ろし、駅前を後にしました。何時までも見送ってくれる彼の後ろ姿がルームミラーに映っていました。寂しいな。妻に、どうする、どこかに寄るかい?といいました。彼女曰く、真っ直ぐ帰りたい。そうしました。帰りの車中、私たち3人の関係を羨ましがりました。この4日間のことを振り返り、笑いました。そしてしんみり。バカンスが終わりました。今日の一句楽しくて別れの辛さ倍になり
2013年04月22日
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平成25年4月21日(日) 午前4時半起床。夜来の雨は上がっていました。北風が吹いて、気温が低かったです。 朝ご飯を食べずに家を出ました。その頃には青空がのぞきました。峠を越え、海沿いの道を走りました。鶴見半島の先端に向かいました。間越(「はざこ」と読みます。)の朝市を2人に見せるためでした。リアス式海岸なので、トンネルを何本か潜りました。出口はこんな感じです。暗がりから外を見て、先に海の広がるのはいい感じです。好きな光景です。 猿戸集落の先で半島を南側にかわしました。ひょっとん峠と名がついていました。展望台がありました。沖黒島、地黒島が見えました。そのあたりは東九州随一の磯場です。クロ釣りの聖地です。チヌ釣りが趣味のTは涎を垂らしました。 朝市は午前9時からでした。時間があったので、ブリの熱めしを食べました。天然物を漬けにしてあります。温かいご飯によそおってくれました。美味しかった。これが朝ご飯。 ヒオウギ貝を焼いていました。これも一つずつ食べました。塩味が効き過ぎている。 セリが始まりました。30人くらいの人が集まっていました。これを目当てにやってきた観光客や、本物を仕入れようとするレストラン関係者でした。競られるのは活魚。朝どれの定置物です。マダイ、ヒラメが中心でした。横に立ったKが突然「千円」と大きな声を出しました。イシガキダイを競り落としました。その写真です。 ここは20世帯ほどの小さな集落。今日は賑わいましたが、普段は寂しいところです。海水で茹でた卵を頬張ったり、焼いた無償の開きアジにがぶりついたり。鄙びた土地の朝市です。集落の近くで塩を作っていると聞き、廻ってみました。釜炊きと天日干しの両方で製塩をしていました。このうち、天日干しの施設はこんな感じです。結晶が四角くて、いかにも天然の良品だと思わせます。 ここには一軒家があります。1,500円で海鮮ランチを提供しているとのこと。若い女性がいました。娘さんですかと話しかけたら、ここで育った、今は嫁いで市街地に住んでいる、今日は里帰り・・・と返してくれました。20代後半でしょうか。遠慮のない語り口が素朴でした。 自宅にとって返しました。茶を飲んで、2人は荷物をまとめました。私も妻も支度をしました。別府向け。 途中、大分インターで降りました。丸亀製麺で腹ごしらえ。ネギも汁も食べ放題飲み放題なのがよろしい。 別大国道を走り、高崎山に寄ってみました。猿の群れが600匹あまりいました。芋を撒くと群がりました。手に抱え、二足歩行をする姿は滑稽でした。大笑いしました。飽きません。2人に喜んでもらいました。 今夜の宿は陽光荘という「貸間」です。格安料金です。お世辞にも綺麗とは言えない部屋です。煎餅布団ですが、シーツには糊が効いていました。清潔感はあります。食事の提供はありません。勝手に食材を持ち込み、地獄蒸しと呼ばれる釜で調理して食べます。鍋、釜、食器、まな板、包丁、箸などはただで貸してくれます。洗濯機、冷蔵庫も共用ではありますが使い放題。共用と言えばトイレもそうです。風呂は全部で5つ。それぞれの湯船に特色はなく、殺風景です。ただし泉質は柔らかい。長逗留にむいています。 ここへの道中、スーパーに寄り、食材を買い込みました。豚のブロック、エビ、ヒオウギ貝、すり身。タマネギ、長ネギ、サツマイモは妻のこさえたもの。はやいものは5分、豚も20分蒸せばよろしい。食べ頃になります。競り落としたイシガキダイは半分刺身に、半分は蒸しました。Tは初めての体験だったようで、喜んでくれました。 地獄窯の中はこんなです。 外国人も来るのでしょう、そこここに英語やハングルの説明がありました。 料理が出来上がって、テーブルに並びました。どれも少しだけ塩味がついていました。ポン酢や柚子胡椒で食べました。どれもいい感じでした。イシガキダイの刺身、2人とも初めて食べるとのこと。 今日が最後の夜でした。明日の別れに、ちょっとしんみりなりました。これを隠すために、交代しながら身体マッサージ。この光景を見て、妻が羨ましがりました。今日の一句まだ続く明日は別れと知りながら
2013年04月21日
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平成25年3月20日(水) 午前2時起床。早起きしました。肌寒かったので、ストーブの灰を掃除した後、焚きました。夜の明けるまで本と音楽。新聞が届いて後は紙面を。8時過ぎに朝食を食べました。メカブの味噌汁。納豆にも混ぜ込みました。目刺し。 空模様が怪しく、朝のうちにザーッと一雨きました。これで山の作業は無理に。ランも面倒になりました。なにをしようか。温泉へ行くことにしました。目的地は竹田市直入。国道10号を北上、犬飼交差点で西に折れました。そこからの道中は、芽吹き直前のクヌギが多い里山でした。雨に煙る近く遠くの風情は春の景色でした。途中、廃校にいきあわせました。驚くほどの朽ちようでした。曇天が寂しさを一層かき立てました。 里を縫っていくと、花がそこここに。 妻が綺麗なレンギョウだわと言いました。 湯の湧く場所は久住連山の南麓、長湯温泉です。湯治客相手と思しき旅館が10軒ほどありました。どこも立ち寄り湯の看板を掲げていました。今日は万象の湯に入りました。料金は500円。湯船はこんな感じです。 濁って酸化鉄の匂いがしました。内湯は熱いと冷たいの湯船がありました。外に露天がありました。横になって足を伸ばしました。目の下は小川でした。ななせの火群まつりで有名な大分川支流七瀬川に至るのでしょう。河床は岩盤でした。流れが音を立てていました。ハクセキレイが尾を振ってそこここを。せわしない動きでした。雨のあがった空にツバメが舞いました。寝湯のままウトウトなりました。気がついて、妻と示し合わせた時間近くになりました。 この温泉には薬膳料理を食べさせるバイキングレストランが併設されています。遅い昼にしました。「薬膳」っぽさはなく、野菜中心のランチバイキングでした。菜の花のおひたしがわさび仕立てでよかったです。 そこを出て、川沿いにある喫茶「川端屋」の戸を開けました。民家を改造した茶房です。アマゴの屏風や、伊藤整の色紙を飾ってありました。 私のめあてはホウレンソウソフトでした。グリーンの風味は弱かったです。妻はケーキセット。ガトーショコラを頼みました。サイフォンのコーヒーが美味しかったです。 落ち着いた感じの部屋でした。鶯色の腰掛けがいい雰囲気でした。 窓外、ベランダの向こうは谷になっていました。鴨居の上に、川端康成の書簡を掛けてありました。店の女性によると、久住・佐藤酒造に「千羽鶴」の名を使うことをOKした内容が書かれているとのこと。有名な話です。手紙が本物かどうか問うと、レプリカとのこと。でも文豪にしてノーベル賞作家の筆跡を目の当たりにできたのはよかった。 家路は、野津原をとおり、稙田のほうに下りました。道すがら、サクラ、コブシ、モモ、それぞれが花を付け、爛漫のドライブでした。途中、こんな看板がありました。 夜は、鹿刺、シメサバを当てに獺祭を舐めました。言い休日でした。
2013年03月20日
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平成25年1月6日(日) 午前4時起床。終日晴れ。 今朝はいいものを読みました。古井由吉氏の随筆が日経文化面に載っていました。「正月の安息」という題でした。年末年始の気持ちを、市井の老若男女目線であれこれと、悲喜こもごも、いろいろあってっもそれはそれで正月であって、時が移ろうていく、という内容でした。取り立てて書きとめるほどの中身はありません。がしかし、全体として、何とはなしに過ぎていく時間が、ほのぼのとした雰囲気を醸し、感じがとてもよかったです。日経デジタル版で彼のことを検索したら、「蜩の声」(講談社1,600円)に行き当たりました。文芸評論家菅野昭正氏が書評を書いていました。内容も文章も絶賛していました。読んでみたいな。 朝ご飯を食べていて、温泉に行こうということになりました。昨日まで3日連続の山入りでした。ここいらで湯に浸かるのもよいかと思いました。子どもたちが上京し、妻が寂しさを隠せない。これを紛らすためでもありました。 長湯温泉へ向かいました。国道10号を北上。犬飼から千歳までは中九州横断道路。続いて国道57号をしばらく走り、朝地から北にそれました。田舎道をうねうね、山を二つ越えました。道すがらの風景がよろしい。 途中の谷あいはこんな感じでした。 起伏のある土地を開墾し、そこここの高台、あるいは低いところに家屋が点在しています。遠目ですが、古い農家造りが多い。廃屋とわかるものもありました。羊腸の道を抜けたら温泉街でした。写真は、南側から見た久住連山です。 ラムネ温泉館に入りました。 鉄分を多く含んでいます。42℃。ぬるめでした。錆の匂いがして、土色に濁っていました。石けんの泡が立ちません。この館、露天が売りでした。屋外に出てみました。外湯はさらに温度が低い。泉中に体を横たえると、皮膚の上にうっすら銀のベールがかかりました。小さな二酸化炭素の気泡でした。説明書に疲労回復の効能とありました。 この施設、小規模の美術館を併設しています。川端康成先生の書や原稿を展示していました。隣町の久住に逗留し、名作「千羽鶴」を書いたことは有名です。なにせノーベル賞作家です。見入りました。御利益があるといいな。写真は館の庭、熊笹中に立つ犬の顔をした像です。美術館といい像といい、一寸知的な雰囲気の温泉です。 隣に呂人窯というギャラリーがありました。ぐい呑みを一つ求めました。2,000円しました。値切りましたが、まかりませんでした。 その隣にパン屋がありました。木造なのがよい。 バケット、リンゴパイなどを買いました。ここは価格交渉するわけにいかない。パン屋で「まかりまへんか」は恥ずかしいからな。 隼というラーメン屋で昼をしました。道の駅を冷やかしていたら、取引先の課長とばったり。中国地方にある某県に帰省し、今日戻ったとのこと。 帰っての後、割り残しの丸太を斧で始末しました。30分かかりました。 夕食時、猪口の調子を試してみました。月桂冠を銚子に注ぎました。妻がポムロルの残りで流そうとバケットを切りました。燗酒とはミスマッチですが、毛の三本たりない私は無頓着。5合飲みました。いい気分になりました。ヴェデルニコフのバッハが深い。 今日の写真は、求めたぐい呑み(右端)とミスマッチのフランスパンです。
2013年01月06日
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平成24年11月20日(火) 午前中、福岡市美術館へ行きました。 大英博物館古代エジプト展。 入館する前、ロビー横にあるカフェテラスでブランチ。すこし二日酔いなので、ポークカレーを食べました。妻はウィンナコーヒーに似た飲み物を注文しました。よく晴れ、窓外の大濠公園に青空が映って秋深し。敷地内の銀杏が色づき、楠の緑とあいまって鮮やかなコントラストでした。 5分おきにジェット機が腹を見せながら上空を通りました。肉眼で機体のマークがよく確認できる高度でした。旅情を感じました。 エジプト展は、一度見たことがあります。今回はどうでもいいやという感じでした。10分でフロアを回り終えました。妻の出てくるまでに3時間近く待ちました。あまり遅いので人攫いにあったのかと思いました。そんなことあるはずのない古女房であっても、なお心配になるのは愛している証拠です。間が持たず、常設展に入りました。エジプト展のチケットに無料券が着いていたからです。ビュッフェ、ユトリロ、シャガール、藤田嗣治、黒田清輝、青木繁・・・。有名どころがありました。 もう一つの常設展は古美術でした。福岡・博多にある薬王蜜寺東光院(初めてその名を知りました)寄贈のものでした。平安・鎌倉期の仏像が中心。ヒノキの寄せ木造り。菩薩や十二神将。説明の幾つもに重文の文字がありました。仏様には失礼ですが、フーンという感じでした。 古美術コーナーの入り口に向かって左側、大きなガラスで内と外を隔てられた先に、芝の庭が広がっていました。そこに石塔がありました。 木訥とした姿、時代の重みがにじみ出ています。材質は砂岩でしょう。荒削り、骨太です。バランスが整っています。説明に新羅のものとありました。日本の石塔は多重かつ軸部が細く、傘の張りが広いです。スマートですが、整いすぎです。朝鮮のものは、すらりとした感じがありません。素朴です。そのことが衒いのないように思え、好印象です。 そこまで思ったら、いつもの悪い癖が出てしまいました。次のようなことを考えました。「この石塔、なぜここにあるの?」いわゆる韓国文化財返還問題です。戦争の混乱に乗じて日本が持ち出した朝鮮の古美術は、韓国へ返還すべしという運動です。社会問題となりました。この石塔をして、エジプトの宝物がロンドンにあることの問題も同じだ、と思うのです。それぞれの国から持ち出された歴史的経緯は、色々あるのでしょう。それぞれ言い分もあるでしょう。むずかしいことは解りませんが、それはそれとして、この石塔もミイラの石棺も、もとあったところに帰るのが筋のように思えます。そのほうがよろしい。そのものがあるべきところになく、あるはずのないところにあるのは、そもそも本体がそれを望まない気がします。興ざめです。大英博物館には、本物の代わりにこのようなものを展示したらよい(ちょっといいすぎかな)。 閑話休題、腹を立てていたら「あなた、次、いくわよ」「へい、わかりまいた」ということで福岡県立美術館に向かいました。ベルサイユのばら展をやっていました。妻に少女の時があったのかどうかわかりませんが少女の時、池田理代子の漫画に入れ込んだのだそうです。原画を見たいという言を入れました。玄関まで送りました。私は車内で仮眠。 午後3時を過ぎて、天神北インターへ。まっすぐ帰宅。途中、童話の里玖珠付近で赤鬼が迎えてくれました。以前にも同じ写真をアップしましたが、いい感じなので今日撮ったものも。今日の写真は塚原高原です。燃えるような夕焼けに照らされて美しかったです。明日から仕事に戻ります。
2012年11月22日
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平成24年11月16日(金) 午前3時半起床。外気温6℃。めっきり寒くなりました。 今夜はなぜか熊本です。韓国旅行のメンバーとやってきました。夕方の阿蘇、高岳は雪をかぶっていました。 突っ込んだ店は「むつ五郎」馬料理専門店です。 メニューはこんな感じです。 ビールで乾杯した後、「川辺」という焼酎を頼みました。 先ず馬刺しから。 続いて心臓の刺身。カツオを食べているような感じです。 馬串をもらいました。脂がジュワッときました。 馬ステーキです。レアに焼いていました。 続いて馬塩。これはこれでよかったです。胡椒が利いている。 熊本といえばからしレンコン。 馬寿司 ユッケユッケの納豆巻き 〆は馬の味噌汁でした。 べたついた脂を流すため、ルパンというワインバーへ。グラスワインと山崎のロックを1杯。福祉会社の秘書をしているFがお店のお姉さんにツーショットをねだりました。綺麗な方でした。 〆の〆に熊本一のラーメンだという店「天外天」へ。 チャーシューメンを頼みました。腹一杯になり、少し残しました。 今日はこれでお終いです。
2012年11月16日
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平成24年11月13日(火) 午前4時起床。新聞を読んで筋トレ。今朝は腕立て伏せのみ。 午前7時に朝食。午前中、Iホールを訪ねました。詳しいことは書くこと能わずですが、ここは或るジャンルの聖地です。想像していたより古い感じでした。システムもシンプル。担当者とやり取りをしました。これで今回の出張は終了。早めの昼にしました。神保町のインドレストラン「マンダラ」。チキンカレーを食べました。ナンは焼きたて熱々。今まで食べた中で一番でした。 飛行機までに少し時間がありました。その街の界隈をぶらつきました。古本屋を冷やかしました。写真はその1軒、山陽堂です。ここは岩波書店の出版物を専門に取り扱う店です。 どうですか、この書棚。岩波文庫がぎっしり。知の宝庫です。 記念にとハンガリー民話集(岩波文庫)を買いました。 ここに入って本を眺めていたら、焼けぼっくいに火がつきました。大急ぎで新橋へ戻り、昨夜、目にとまった本を求めました。志賀直哉全集全17巻(岩波書店)、芥川賞全集全14巻(岩波書店)、グリム童話集全5巻(岩波文庫)、アンデルセン童話集全10巻(岩波文庫)、西洋哲学史上下(岩波文庫)。代金を書くのは野暮ですが、送料を含め樋口一葉さん1枚と野口先生が2枚。程度がよく、いい買いものをしたの感です。 気分よく品川駅へ。京急に乗り換える際、立ち食いの寿司屋が目に入りました。後は飛行機に乗るだけ。掘り出し物を手に入れた快感に心が浮き立ち、「よし、寿司をつまもう」。以下はその写真です。タコ。 銀ダラ。 ネギトロ、〆は玉。 羽田に着いたら、夕日が綺麗でした。 富士山のシルエットがよいです。 午後5時を過ぎたので、アルコールタイム。持ち込んだカップ酒を抜栓。横浜のトワイライトを肴に流しました。 飛行機は揺れたようでした。私は夢うつつだったので、よく覚えていません。 帰宅は午後9時頃だったかな。疲れました。
2012年11月13日
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平成24年11月12日(月) 午前5時起床。晴れ。 いつもより30分早くに家を出ました。東京に出張しました。飛行機は午前の便。晴れて地形がくっきり。しまなみ海道や明石大橋が手に取るように見えました。ツツツさんの住む京都・亀岡、nkucchanさんの住む愛知・某市も見えました。先日利用したセントレアもそれとわかりました。 富士山は雪をかぶっていました。 機内でまじめに書類を読むはずでした。購入したてのカメラを窓の外に向けてばかり。よろしくありません。羽田について、京急で都心へ出ました。有楽町のガード下で親子丼を食べました。味噌汁がまずかった。 午後、某所を訪ね、懸案事項の相談をしました。そのビルにいるとき、ふと見上げたら、向こうのビル屋上に赤マークを発見。なんだか色あせて見えました。 仕事を終えたときは、日が暮れていました。宿は新橋と銀座の境目にあるC。有楽町で地下鉄を降りました。ガード下は仕事帰りのお父さんたちで賑わっていました。我慢してやり過ごし、並木通りを歩きました。街には早くもクリスマスの風情。ホテルへチェックインし、サラリーマンの聖地新橋へ繰り出しました。今夜の河岸は宿近くにある「根室水産」。ここは3回目です。店先にいい魚が並んでいました。 先ず刺盛を注文。 「北の勝」で流しました。 オヒョウ、釧路ザンギ、チカの天麩羅、サンマの塩焼きなどを追加注文。最後はジャガバタイクラを。 ソイの汁と一緒に流し込みました。満足。 写真は、店で意気投合したオッサンです。問うと同じ大分県の人。 もう一件、評判の店「俺のイタリアン」というチェーン店へ入りました。赤と白をグラスに1杯ずつ。当ては生ハムとピザでした。 料理の味はよかったけれど、ワインはイマイチでした。特に白は水っぽい。 新橋の駅前で古本市をやっていました。 ちょっと冷やかして、ホテルに戻りました。午後9時過ぎ、早めに寝ました。
2012年11月12日
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平成24年11月3日(土) 午前5時起床。晴れ。 昨日今日と紙媒体の新聞を読んでいませんでした。この宿には届きません。寂しかったです。幸い、日経と朝日の会員です。スマホの世話になりました。 午前中、木質系廃材利用の発電プラントを訪問。林業のまちならではの取り組みです。弊社プラントも発電を行っています。ということで訪ねたのです。さらに私、個人的にも社を離れての身分は生産森林組合長。興味もありました。 1日当たり600kwを発電するとのこと。専務曰く、規模からして1,500kwは可能だった、でも建設は10年近く前だったため、今の電力事情とは異なっていた、しかして斯様な規模になった。色々あるようです。 この日は「ふるさと祭り」をやっていました。町を挙げて秋の収穫祭を楽しむ、のような感じでした。お昼は会場の出店で食べました。五平餅。 続いて牛串。これはジューシーでよかった。 どて焼きも。ビールが欲しくなりましたが、勤務中なので我慢。 飛騨高山のラーメンとうのがありました。醤油味。 まつり会場はこんな感じです。 南三陸の人たちがホタテを焼いていました。1枚食べました。 予定より1本速い特急列車に乗りました。来た道を帰りました。セントレアに早く着きました。予約の便は午後7時前の出発。ということで蕎麦屋に突っ込みました。生ビールで喉の渇きを止めました。先ずはカモのタタキを「国盛」の熱燗で流しました。 次いで棒ニシンとざるを。「沙羅餐」という純米大吟醸を合わせました。この酒、マワシが緩い。もう1杯「中埜」の純米大吟醸。こちらも同じでした。不完全燃焼。 かき揚げをもらい、そばがきで締めました。 赤福とういろうを買ったら暗くなっていました。慌てて飛行機へ。来たときと同じ機体。ボンバルディア社製ですが、プロペラ機ではありません。出発ゲートを出てバスに乗りました。隣に高齢のご婦人と付き添いの年配夫婦が座りました。奥さんに旅行ですかと問うと、母の米寿祝いを孫のいる名古屋でした、と嬉しそうに話してくれました。袖触れ合うも何かの縁です。私も、それはよかったですねと精一杯の笑顔を返しました。でもその奥さん、私の息の酒臭さに閉口しただろうな。酔って目が赤くなっていて、笑顔が馬鹿のように見えただろうな。袖のふれあいは、飲んでないときに限るようです。 大分空港についたのは午後8時。シャトルバスは午後9時を過ぎて出発とのこと。接続が悪い。仕方なしに空港売店でサバの棒寿司を買いました。これをつまみにまたひっかけました。 こうなってはバスに乗ってもやめるわけにはいきません。 午後11時、私のまちのバスターミナルに着きました。妻が迎えに来てくれていました。3日間の出張を話しましたが、呂律の回っていない。写真は酔った勢いで買った土産です。空港売店で全国空港名産展というのをやっていました。北海道・森町のイカめし、高知のカツオタタキ、福島のおかき、牡蠣ご飯の素は広島、札幌のチョコおかき、佐世保バーガー・・・。なにやってんだか。
2012年11月03日
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平成24年10月13日(土) 午前4時起床。終日晴れ。 今日は弊社の関係するイベントがありました。足を運ぶ予定でした。上司が配慮してくれました。代わりを買って出てくれました。そうさせて貰いました。ということで、今日は何をしようか、築良田のYさん倉庫裏に倒した木を運ぼうか。ボンヤリコーヒーを飲んでいて、そうだ、小鹿田だ。妻に提案したら、二つ返事が帰ってきました。昼前に出発。高速道路を一路日田向け。 写真は宮川内インターを過ぎた辺りです。晴れて由布、鶴見の山並みが美しい。手前左の白いのはビッグアイです。大分トリニータのホームスタジアム。日韓W杯の会場に使われました。イタリアがやってきましたし、決勝トーナメントではセネガルのディューフが大活躍しました。 さて、今日の目的は日田市皿山で開かれている民陶祭を覗くこと。「小鹿田焼」です。日田インターを降り、山の中に分け入りました。谷あいの集落は、稲刈りの最中でした。渡した竿に掛けて、旨味を出す所為です。写真は暗めですが、我ながらいい感じを切り取ったと思います。 目的地に着いたのは午後2時前。山あいですから駐車場がありません。集落手前の路上に車を停めました。日田駅とを結ぶシャトルバスも何台か停まっていました。歩いて300mばかり進むと、谷に沿って10数件の家並みがありました。そのほとんどが窯元です。それぞれが庭に、軒先に、縁側に、玄関の中に、倉庫中・・・、値札をつけた品物を並べていました。 客は多かったですが、ピークを過ぎたのか、一服の感もありました。焼物は、どれも独特の模様が刻んであります。皿は1,000円~2,000円。大皿は10,000円、徳利が1,000円前後、猪口やぐい飲み、カップは200円~1,000円といったところでしょうか。 窯は、共同利用するであろう昇窯と、それぞれの家に個別のものがあるようでした。こんな感じです。普段目にする機会がないため、その姿に惹かれました。なんだか炭焼窯に似た感じもあります。 写真は唐臼です。鹿威しの原理です。土を挽くこの音は「日本の音風景100選」に選ばれました。のんびりした風情は、分け入った谷筋ということもあり、旅情じみたものを感じさせてくれました。ちなみに100選では、北海道・鶴居村のタンチョウサンクチュアリ、岐阜・美濃市の卯建の町水琴窟などが有名です。 ここ皿山の小鹿田焼きは、柳宗悦(やなぎむねよし:民俗芸術の研究家、哲学者、思想家)やバーナード・リーチ(イギリス人陶芸家、芸術作品としての陶器に対し、民陶のもつ風情を前者と並び立つものと評価した功績大、戦後、2度にわたりここに逗留し器を焼いた)により、世に知られることになったそうです。陶器展の片隅に、リーチの写真を飾ってありました。 妻は皿を数枚、私は猪口とぐい飲みをしめて8つ、買いました。後者は1つ50円でした。軒先隅のかごにひとまとめとなって傷、ゆがみ物と書いた紙が貼られていた中から選びました。これらの写真は後日アップ予定です。 小腹が空きました。一軒だけのそば茶屋に入りました。カシワそば。器は当然ここの焼物です。そばは8割、いい出汁でした。2人で1杯をすすりました。おいなりさんを1つずつ食べました。 軒先でアユを焼いていました。写真だとよくわかりませんが、丸々太った養殖物です。1匹500円。これはスルー。 ここにいたのは2時間弱。とって返し、インター近く、三和種類の工場に寄りました。大分の銘酒いや銘焼酎「いいちこ」を造っています。 建物の中に入ると、酵母の甘い香りにつつまれます。左党の私、思わずニンマリ。どうですか、タンク内に膨れる卵色の感じ。 3階には蒸留器。このかたちには一種独特のものがあります。銀色に輝く姿はじつによいです。工場内の清潔さが際立ち、あらためて「いいちこ」を好きになりました。 敷地内には感じのよい売店がありました。もちろん試飲しました。といっても私はハンドルキーパー。妻が楽しみました。彼女、なんだか訳のわからぬリキュールを1本買ったようでした。私は舌の代わりに身体で焼酎を楽しみました。 折角この町に来たので、ということになり、想風恋(そうふうれん)に突っ込みました。 色気より食い気の妻が、「日田焼きそば」の名を呪文の如く唱え始めたからです。それは、このまちのB級グルメとして有名です。ペロリ平らげました。これで今日の旅は完結。家路につきました。いい休日になりました。
2012年10月13日
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平成24年9月28日(金) 未明に起床。晴れ。 先生は3時に起きました。こんな物を頭に巻き、ゴソゴソしていました。「おいT(私のこと)、これがいいんだよこれが」と言って自慢げに見せてくれました。 それからの時間、教え子の馬鹿話をしてくれました。大笑いしました。午前6時半にロビーへ。先生は7時からの朝食をまだかまだかと待ちました。健啖家です。よく噛みます。31本は自分の歯だそうです。 ご飯を食べてホテルをチェックアウト、鴨池のフェリーターミナルへ向かいました。台風が近づいているとのことですが、今日も快晴です。先生の後に写っている船に乗って大隅半島側の垂水港に向かいました。 錦江湾は静かでした。水中翼船が行き交っていました。 桟橋に日本丸が停泊していました。昨日、佐伯港に入港し、今日は屋久島へ向かうはずだったのですが。時化を避けての仕儀でしょうか。 垂水から鹿屋市方面に向かいました。目的地は鹿屋体育大学でした。先生が教授時代、助手をしていた方が教官なのだそうです。26年ぶりに会うのだそうでした。キャンパスは広々としていました。南国リゾートを感じました。ハイビスカスが咲いて、背の高い椰子の木が沢山植わっていました。 武道場から女性の気合いが聞こえてきました。此処の剣道部は大学選手権を連覇中です。数えただけでサッカー場が6面取れるだけの芝グランドがありました。とにかく広い。練習していました。このなかからもJリーガーが誕生するのでしょう。室内プールに案内してもらいました。50mのコースは公認でした。かつてここの4回生だった柴田亜衣がアテネで金メダルを取りました。それを記念する横断幕がありました。 すれ違う学生たちが、こんにちはと挨拶をしてくれました。スポーツマンは爽やかです。体育館で女子バスケの練習をやっていました。若い雌鹿が跳ね飛んでいるような光景でした。 教官はここの教授でした。部屋に通されました。教授なのに、先生に対しては直立不動でした。自らコーヒーを淹れてくれました。マルセイのバターサンドを馳走してくれました。北海道のお菓子がここにあるなんて。先生曰く「おい、開けろ」私が封を切ってあげました。ポロポロ食べこぼしました。先生と教授の間に昔話の花が咲きました。 教授に常圧低酸素室を見せてもらいました。低酸素の人体に及ぼす影響を調べる実験室でした。ここには登山家や高地での大会を控えたマラソン選手がやってくるとのこと。エベレスト遠征前の三浦雄一郎氏とその父、息子の3人も来たそうです。その時の写真もありました。次の写真がその実験室です。 教授は知覧を訪ねた経緯を聞いて、折角だから鹿屋の飛行場も見るようにと先生に勧めました。そうしました。お役ご免となった自衛隊の飛行機が屋外に並んでいました。 航空基地史料館に入りました。鹿屋には海軍の飛行場があったこと、そこから千人近い若者が特攻に出撃したことを知りました。先生はスタスタ歩き、立ち止まっては見入りました。 昼前、教授と別れました。一路都城向け。先生は農村の広がる風景を見て、札幌近郊と違う植生にコメントしました。照葉樹の林、畦畔に咲く曼珠沙華、瓦屋根農家の風情に感慨を覚えたようでした。途中、高千穂峰が見えました。天孫降臨伝説のある山です。左右対称が美しい。 丸亀うどんという店で昼をしました。先生はトロロかけの冷やにエビ天を、私はぶっかけに竹輪天をトッピング。コシがあってよかったです。先生は美味い美味いといいました。 その後、高速を走って宮崎市内へ。某高校で教鞭をとっているという教え子(50代後半、文学部卒業、国語教師)S氏をアポなしで訪ねました。事務室の方に授業中だといわれましたが、連絡を取ってくれました。転がり出てきました。先生の前では鹿屋体大教授同様、S氏も直立不動です。「おい、元気にやっているか、みったくないことしていないか、俺は元気だ、じゃあな」ほんの僅かの時間でした。そこを後にし、国道10号を北上。大分市へ向かいました。先生曰く「おい、俺は全国の県庁所在地で大分だけにはまだ泊まったことがない、今夜はそこだ」延岡を過ぎて日が落ちました。佐伯から高速に乗る予定でしたが、説得し、拙宅へ案内しました。先生は荷を解いてくれました。写真は食後、障がい児教育や心療内科の概要について妻に講義をして下さる先生です。
2012年09月28日
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平成24年9月27日(木) 午前4時起床。晴れ。 朝の内に新聞を読んでブログを書きました。キーボードを打ちながら、9月は忙しかったなと思いました。4月からこの方、イレギュラーの案件に振り回されました。始末に追われました。本業のもうけ話に手が回りませんでした。まだ解決していません。でも昨日でなんだか区切りがついたような感じを覚えました。今日明日と夏休みを取りました。開放感を感じた朝でした。 午前7時半、下着を詰め込んだ旅行カバンを持ちました。玄関で妻をハグし、愛しているよ、チューを済ませ、軽トラに乗りました。彼女の実家に行き、岳父の位牌に線香を上げました。レガシーに乗り換えました。今日の目的地は鹿児島ですが、国道10号を北上しました。臼杵市野津で左に曲がりました。この辺りはタバコの栽培が盛んでした。今は甘藷畑になっていました。空が高く青い。祖母・傾、九州山地の青嶺が美しい。豊後大野市清川にある道の駅でトイレ休憩。取れたての野菜に加え、栗が売られていました。写真は神楽をモチーフにした大きな人形です。宮崎・大分は盛んに里神楽が演じられます。 竹田市で国道57号に合流。途中、水害跡が生々しい。進むと阿蘇外輪山の裾に出ました。道沿いの農地はサニーレタスやキャベツの収穫でした。右手遙かに久住連山が見えました。熊本県・波野に入ると滝室坂でした。外輪山の尾根です。写真の右に見える高い山は「高岳」です。 ここを通過すると、絶景が広がりました。阿蘇五岳とカルデラ盆地。一気に下りました。景色を楽しみながらゆるゆると熊本方面へ。大津で左に折れました。御船インターを目指しましたが、道に迷いました。携帯電話のナビを使えばよかった。「道は繋がっている、迷うはずがない」というのが信念です。勘に頼ったのが悪かった。結局、熊本インターから九州自動車道へ。八代手前のSAで早めの昼食。天ぷらそば。製紙工場群を右手に見ながら南下。人吉までの間はトンネルの連続でした。6kmを超える長さのものもありました。球磨川が青かった。山が開けると人吉盆地。霧島連山が目に飛び込んできました。ガンガン飛ばしました。鹿児島空港を後方に見送ると、桜島の雄姿が現れました。鹿児島の市街に入ったのは午後2時でした。A先生に電話したら到着は午後5時前の新幹線。野暮用を済ませ、その時間に鹿児島中央駅へ。改札口で先生を迎え、車に案内しました。82才になりますが、とても元気でした。開口一番「おい、知覧に向かえ」そうしました。南下、夕焼けの中を走りました。目的地までの間、なぜ知覧なのか、その理由を話してくれました。内容は以下の通りです。 「友人がいた。俺と一緒で賢かった。小学校では級長を争った。一緒に札幌一中へ進んだ。当時、一中は一つの小学校から数人しか入ることのできない難関だった。彼は2年の時に志願した。母一人子一人の家計を考えてのことだったようだ。彼は私生児だった。知覧に配属されるも視力悪く、陸戦隊に回された。英米上陸に備え、海岸に地雷を埋めることになった。作業中、これに触れ爆死。14才だよ14才。調べたが彼の名は知覧の特攻兵名簿にない。戦死者名簿にもない。俺はその時期、横須賀の海軍工廠で学徒動員として働いていた。戦局が悪化し、士官から『日本は負ける、Aよ、おまえは札幌に帰れ』と言われた。終戦後すぐに、札幌の誰もが彼の死を忘れた。母親のその後も知らない。でもな、以来70年近く、俺はは幼なじみの奴を忘れたことがない。生きながらえた自分が彼を供養せずして誰がするのだ、おい」 写真は佇む先生です。特攻記念館そのものには関心を示しませんでした。ベンチに腰掛けタバコを吸う姿に、侵しがたいものがありました。想うためにだけ此の地に来るの所為。私は見ぬふりをしました。気がつくと先生がそばに来て「おい、帰るぞ」鹿児島にとって返しました。 天文館にあるホテルにチェックインしました。「ホテル代は俺が出す」と言い、スタスタ先へ。私は車を駐車場へ入れたあと、先生の荷物を持ってロビーへ。曰く「ついてこい」そうしました。エレベーターを降り、部屋の前に。えっ、同室?まいったな。でも口には出せません。「先生、嬉しいです、同室だなんて、先生とツインの部屋に泊まったと皆に自慢できます」先生「おうそうか、よしよし、早く荷物を持って入れ、出かけるぞ」 二人して近くの居酒屋に突っ込みました。おでんを注文し、芋焼酎で乾杯しました。 焼き鳥を頼みました。これもいい感じでした。 先生が「おい、歌うぞ」スナックに突っ込みました。海ゆかば、火の国旅情、坊がヅル讃歌を歌いました。 居酒屋とこの店合わせて1時間あまりの仕儀でした。ホテルに戻り、すぐベッドに入りました。先生のイビキが大きく、閉口しました。
2012年09月27日
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平成24年5月11日(金) 午前5時起床。晴れ。 ビジネスホテルの朝食は味気ないものです。しかし宿毛のこのホテルは違いました。シラスの釜揚げが付いていました。 昨日のトウゴロウイワシといい、いい感じです。流石、水産のまち。ちなみに私、イワシが大好きです。卒論もイワシでした。 朝8時の便で佐伯向け。今日は空気が透き通っていました。島影がよく見えます。宿毛市街地の南、丘の上に風力発電の風車が回っていました。 水の子灯台もくっきり。 ちゅうら(佐伯の方言で「ふざけ人間」のこと)になった部下が船のマストに登っています。 海上は北風が強い。白波が立ちました。船は少し傾いて走りました。水道域に出ると、揺れました。上品なご婦人が船酔いをして辛そうでした。甲板に出ると飛沫を浴びます。外の空気にあたること能わず、かわいそうでした。 写真は鶴見半島の灯台です。九州最東端。 船室に戻り、週明けの会議資料に目を通しました。昼前に佐伯着。 夕方、運動公園でラン10km。 今日の毎日新聞川柳欄に面白いのが載っていました。他意はありません。ご夫婦の方への捧げ物です。 ゴキブリが夫婦喧嘩を止めに出る 風の又やん よく喋る妻にリモコン向けてみる 佐伯弘史 今日の写真は高知新聞です。毎度のことですが、出張や旅行先で読む地方紙は面白い。オマケの写真は自分への土産です。宿毛のコンビニで買いました。
2012年05月11日
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平成24年4月1日(日) 午前4時起床。晴れ。 昨日、上京の目的は終わりました。飛行機に乗って帰るだけです。節約のため鈍行に乗り上野まで。電車に揺れながら筑波山を眺めて考えました。ここに息子を残すのかという思いが過ぎりました。一方、もう父親のできることは何もないという考えも。こうやって子が離れていき、私も老いるのだなとひとりごちました。改装なった上野駅に着くと、そんな思いは消え、少し明るい気分になりました。 山手線に乗り換えて浜松町へ。大きな本屋を冷やかして時間をつぶし、モノレールに乗りました。 飛行機は揺れませんでした。甲府盆地、雪をかぶった八ヶ岳や赤石岳がよく見えました。写真は南アルプスです。 大分空港からはバスにて佐伯向け。大手前のバスターミナルに着いて、昨日今日の二日間がさいき春まつりだったことを思い出しました。大名行列や野外ステージ、賑やかだったろうな。 会社近くの駐車場へ停めた軽トラに乗り、エンジンをかけたら、現実モードに戻りました。帰宅して風呂に入り、息子の様子を妻に話しました。いろいろありましたが、結局子離れをすべしというのが結論でした。土佐の銘酒「美丈夫」を舐めて就寝。明日から仕事です。
2012年04月01日
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平成24年3月31日(土) 午前3時起床。曇りのち雨。暴風でした。 夜の白むまで新聞とオール読物で時間をつぶしました。写真は水戸新聞です。その土地の新聞は、ローカル色が出ています。出張の際は読むようにしています。 明るくなって、偕楽園を歩こうかと思いました。風が強く、断念。部屋はホテルの最上階でした。南方向が一望できます。山一つありません。街の郊外は灌木の林になっているようです。まだ芽をつけぬ落葉樹の枝でしょうか、箒のように上に向かって並んで伸びているのが遠目にわかります。この風情はよいです。さて、よく見ると、そこだけ雨に煙っているように見えます。後でわかったのですが、これは農地から舞い上がる土埃でした。 朝のうちに東海村向け。途中、風の影響で電車が止まりました。「常磐線は雨が降っては止まり、風が吹いては止まるね」と女性客がつぶやきました。東海駅に降りると、まさに砂嵐です。目を開けること能わず。こんなことは初めてです。這々の体で息子のアパートへ。写真は東海駅です。 元気にしていました。職場の人間関係、交友関係、食生活、彼女はできたか。親子水入らずとはこういうのをいうのでしょう。持参した寿司をビールで流しながら数時間。水戸に出て、一緒にうまいものを食べようと誘いましたが、その時間、常磐線は風のため不通。タクシーで一人、ホテルへ戻ることにしました。さすがに部屋を出るときはグッと来ました。息子もそのようでした。 東海駅前でタクシーを拾いました。水戸駅までの30分あまり、運転手さんの話を聞きました。曰く、この時期大風が吹くと土埃の舞い上がるのはサツマイモを収穫した後の土地をそのままにしておくから、作物を作らないのは農業よりも原発出働く方がお金になるから、農地は荒らさないように時折トラクターで耕耘するだけ、この街は何から何まで原発漬け、下請け孫請けの仕事は山とある、村の財政も潤っている、村内のタクシー異動は300円ぽっきり、追加分は村が出す、小中学校の教育費はほとんど無料、各地区に温泉付きの公民館がある、老後は東海村だよ医療費が無料、土地は高いが税金や国民健康保険税介護保険料が安い、原発の定期検査には全国から人がやってくる、制限区域にいることのできる時間は限られているから人海戦術、人数を揃えてなんぼの世界だ、海外からもやってくるよ、外国人は規制値(域内滞在時間)が緩いから、赤い服を着たツナギが一番危険な作業をする、彼らは高給取り、水戸駅の高級ホテルに宿泊している、彼らの移動はタクシーだから私も潤う、村全体が潤う、ところでお客さんは関係者?老後はここに越してこないかい?若者も多いよ。 聞くことに疲れ、息子が勤めていることを言いそびれました。 水戸駅に戻り、ホテルでシャワーを浴びました。さっぱりして、この地に別れを告げるため、繰り出しました。今日は駅の北側、大工町へ。 雨の中を歩き、「三陸」という小料理の店に入りました。こぎれいな格好の職人風大将と女将さんがやっていました。刺盛りと地酒「一品」を燗にしてもらいました。 猪口が選べます。 銘酒「黒龍」があるというので、その冷やを頼みました。さすがに甘露です。 臨席に妙齢の姉妹が座っていました。私の訛りを聞きいて土地を尋ねてきました。大分だというと、今度は大将が関アジ・関サバの話を始めました。魚談義で盛り上がりました。 今日も1軒で打ち止め。早めに撤収しました。
2012年03月31日
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平成24年3月30日(金) 午前4時起床。晴れ。 すぐに朝食。空港ライナーに乗るため、4時半に家を出ました。5時のバス。飛行機は7時半過ぎ。妻にバスターミナルまで送ってもらいました。今回の上京は彼女にせつかれての仕儀でした。子離れすること能わずの彼女は、就職して1年の経った息子のことが心配でなりません。仕事のこと、元気でいるか、友だちできたか、きちんと食べているか。とにかく一度見てきて欲しいというのです。 その彼女も、今日が教師生活最後の日。 結婚したときは小学校の教師でした。10年ほど勤めた後、退職しました。理由は子育てと仕事を両立させることはできないから。子ども二人を育てながら学校に通いましたが、毎日帰宅が遅く、夜も持ち帰った仕事で午前様という毎日。今思い返すと懐かしいですが、当時は私も大変でした。共働きで家計は楽でしたが、彼女曰く「幸せはお金では買えない」。ということで思い切ったのでした。 子育てが終わり、請われて近くにある支援学校(当時は養護学校と呼ばれていました)の臨時教師に。元々、大学は障がい児教育が専攻でした。はまったようでした。私も子どもも妻を介して知る障がいを持った人たちと知り合い、多くのことを知り、学びました。ある意味、考え方、ものの見方に影響を受けました。妻の支援学校勤務13年間は、家族にとって最も意味のあった月日でした。 今日は学校で離任式。退職後は、野菜作り、私の弁当作り、部屋の模様替え、英会話教室、合唱サークル、母との旅行・・・。夢を持っていますが、どうなることやら。 閑話休題、息子は茨城・東海村に住んでいます。そこが目的地です。今日、そこまで行っても会うこと能わずはわかっていました。残業で帰宅が遅くなるからです。ということで、羽田に着いて、世田谷にある日本文学館に行きました。ここを冷やかしたあと、水戸向け。常磐線に乗りました。途中、筑波山が見えました。駅に降りたら、低気圧の影響でしょうか、風が強い。 前後しますが、機内で読書。 富士山が美しかった。 ホテルに着いたのは午後4時。結構時間がかかりました。荷を解き、早速、市内の酒場探検です。フロントのお姉さんにディープな居酒屋を尋ねました。奨められるままにそこの暖簾をくぐりました。「田吾作」というお店。若い職人さんが2人、カウンターの向こうで包丁を扱っていました。動きがよい。威勢のよい言葉に江戸っ子の気っ風が出ています。大将はシェフの着るような縦にボタンの並んだ白い料理服。恰幅がよく、切りそろえたひげとも相まって、店の雰囲気を盛り上げています。 前置きが長くなりました。刺し盛り3点セットをもらいました。初カツオ、ツブ、ヒラメです。 地酒「稲里」の冷やをもらいました。続いて「さくら川大吟」甘露です。珍味3点セットをもらいました。カニ味噌。ホタルイカの沖漬けです。 ホヤ。 これもいける。 まだ日のあるうちに引き上げました。 写真は西日です。さすが関東平野。日没を遮るものがありません。
2012年03月30日
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平成24年3月24日(土) 午前6時過ぎ起床。曇りのち晴れ。 昨晩は、ザーザーという音に何度も目が覚めました。いや、土建課長のイビキにかな。船長が部屋の明かりを真っ暗にせず、豆球を点したままでした。このせいもあって熟睡とはいきませんでした。 朝は湯殿が入れ替わります。男女交代。朝食前に早速入りました。湯船が10種類近くありました。斜面に沿って渡り廊下が30mほど伸び、その両脇に湯気を立てています。打たせ湯、寝湯、立ち湯というのもありました。ここは深さが150cmほどありました。すぐ下に川が流れています。堰堤があり、雨で増水し、音をたてて流れています。昨夜の音はこれだったのか。 湯を堪能した後、朝ビール。このノートに出来事などをメモし、旅館や観光地のスタンプを押してもらいます。 朝食。温泉旅館の朝飯は、生卵が付きものです。今日は玉子かけご飯にしました。 チェックアウトの前にもう一回裸に。昨日今日と都合5回湯浴みしました。元を取った気分です。 黒川温泉は、筑後川の源流に湧く山間のいで湯です。温泉がないと、人家のあろうはずのない感じがするところです。温泉街を散策しました。全国、どこにでもあるお土産系の店が多いです。その中にあって、貸しギャラリーで「灰釉の二人展」というのをやっていました。長崎と熊本の作家二人が出している焼き物展でした。気に入った酒器があったので購入。冷酒を飲むのに使えそう。 船長が美味いリンゴパイの店がある、バウムクーヘンが有名な喫茶店もあると言い、そこに行ってみることにしました。小国町まで下って「林檎の木」という店に入りました。小国は林業が盛んです。店内は広く、喫茶のテーブルは直径1mはあろうかという丸太を半切りに割ったものでした。なかなか感じがよろしい。クラシックを流すといいな。 瀬の本までとって返し、「シェ・タニ」に。ここで皆、そのバウムクーヘンを買いました。振り返ると、すぐ後ろが久住連山です。山頂の白は霧氷でしょうか。そういえば、旅館のご主人が、黒川温泉の標高は700m、この時期は思わぬ冷え込みがあると言っていました。 後は一路佐伯向け。途中、原尻の滝にある道の駅で昼ご飯。土建課長と船長がおむすび弁当という1,000円する訳のわからないものを注文しました。後の4人はカツカレー。 午後3時前帰宅。途端、父に呼ばれました。庭に出したゴミを産廃会社まで運ぶようにとのことでした。一輪車の使い古し、ガスコンロ、電線コード、ポット、炊飯ジャー、ブラスチックの類い、何から何まで、後生大事に取っていた納屋のガラクタです。作業着に着替えて、運ぶ仕儀となりました。せっかくの温泉気分が瞬く間に冷めました。 風呂を浴びた後、早速酒器に土佐の銘酒「美丈夫」を入れ、飲んでみました。甘露甘露。なかなかの風情です。午後8時過ぎに就寝。
2012年03月24日
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平成24年3月23日(金) 午前6時過ぎ起床。曇りのち雨。 このひと月、慌ただしかったですが、昨日の会議をもって一段落。ということで本日ポカ休。かねてから示し合わせての通り、炭組合の組合長、土建会社の課長、福祉法人に勤務するF、定年退職した元消防士、漁師の船長と私を含め6人で黒川温泉へ。1泊2日の酒飲み旅行。 妻を学校へ見送ってすぐに、一番年下のFが車で迎えに来ました。自家用のワゴン車でした。それぞれの家を周り、おっさんたちを拾いました。乗るなり早速酒盛り。土建課長はビール、組合長は焼酎を生で。私は赤ワインを抜栓。昼前から怪気炎をあげました。 犬飼から中九州自動車道を走り、一路竹田向け。途中、里山が雨に煙り、墨を流したような色合いでした。一幅の掛け軸を思わせる風情。荒涼とした中にも、暖かさを感じさせる春の雨は、冬枯れのそれとは違うほのぼのとした印象です。大野川は増水し、濁流になっています。余韻をを楽しんでいると、後ろの座席は、昼飯の話。「阿蘇まで足を伸ばせば、宮地に美味しいホルモン屋がある」土建屋課長「立野まで行けば美味しい高菜飯がある」炭組合組合長「なにっ、ホルモン、そこだそこだ」私「昨春、そこに行ってみたが、休みだった。夜だけの営業かもしれない」組合長「じゃぁ、休みだったら高菜飯、開いていたらホルモンで如何」一同異議無し。ということで尻に帆かけてスラスイスイスイー、久住連山の裾野が外輪山に続く高原を走りました。大分・竹田側からカルデラの中に降りるには、滝室坂を下らなければなりません。崖を縫うように下ります。 阿蘇も低気圧の影響で雨模様、五岳と外輪山の偉容は見えません。たちまちホルモン屋に着きました。JR宮地駅そば、国道57号沿いにあります。「彦しゃん食堂」という名前です。入り口はなんと申しましょうか、田舎の食堂です。 奥の広い座敷に通されました。客は隅っこに一人だけ。ホルモン定食を注文したようでした。私たちは当然焼き肉。モルモン、ハツ、タン、カルビを適当に。飲み物、運転手のFと元消防士はウーロン茶。土建屋と船長はキリンの瓶ビール。組合長と私は焼酎にしました。熊本の銘酒「白岳」です。なんと、大ぶりのチロリに入って出てきました。何となくいい感じです。ロックをというと、これまた店構えに似合わず美しい大ぶりのかち割り氷。肉も美味しかった。 腹一杯になって、さらにもう一皿追加。宴会モードになりました。いつの間にかお客さんが増えました。昼間っからなにやってんだ、という視線を感じました。この店、畳を指でなぞると、脂っぽい。壁も天井も、さらに座布団もそんな感じでした。 いい気色になりました。近くに阿蘇神社があるというので、参拝しました。全国に阿蘇神社は400ほどあるらしい。その総本山です。流石に元締めだけあります。造りも規模も圧倒するものがあります。酔っ払っていて、何をお願いしたのか忘れました。 参道に馬コロッケの店があります。熊本・阿蘇は馬刺しが特産です。コロッケにも馬肉を使います。これが美味しいのです。お店の美しいお姉さんが揚げてくれました。ホクホク、よいです。店内にはジャズが流れていました。彼女の趣味でしょうか。棚の上にそのジャンルのCDが何枚もありました。 黒川温泉へ向け、外輪山の北側をうねうね登りました。標高の増すにつれ、ガスが濃くなりました。視界ゼロ。フォグランプが必要です。そこあたりからウーロン茶の二人を除いて全員夢の中。 「ほら、着いたぞ」の言葉に起こされました。旅館に荷を解いたのは午後3時前。老舗のようです。古民家風の大きな造りです。部屋に通され、広末涼子似の若いお姉さんに茶を入れてもらいながら、温泉の説明を聞きました。入ると、泉質は鉄分を多く含むの感。カメラ禁止でした。後になって判りました。何枚か素敵な写真が撮れたのですが、そういうことなのでアップできません。湯浴みの後は、夕食まで相撲観戦。嘉風は怪我で休場したまま。しかたありません。鶴竜は絶好調です。大関だな。横綱は2敗目。食事までに30分ありました。もう一度ざぶりんこ。 夕食は別室食事処。土建屋が馬刺しを食べたいというので、頼みました。解凍ものなのでしょう、血汁が出ていまた。 料理は懐石。肥後の赤牛ステーキがメインでした。苦手のものもありました。ヤマメの塩焼き。私、このテはいけません。旅館の出す淡水系の魚は決まって養殖物です。天然・養殖に分け隔てをするつもりはありませんが、ことニジマス、ヤマメの類は、食す前にかなりの日数、餌止めをしていないと、アキマヘンのです。言葉にすると誤解を招きかねませんから止めます。食べて悪いというのではなく、個人的な好みと理解して下さい。閑話休題、合わせた酒は地酒3種。志の露、千代の国朱盃、蓬莱純米。 寝る前にもう一度浸かりました。出たら、昔ランナーだったという船長が、ビールビンで足のマッサージをしてくれました。太もも裏からふくらはぎにかけ、ビンの腹を押しつけながら上向きにすりあげるのです。思いの外気持ちよい。帰ったら妻にしてもらおう。 そうこうするうちに、お汁粉のサービスがありました。皆は食べましたが、私は満腹でもうどうにもなりません。バタンキュー。いい一日でした。
2012年03月23日
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平成24年3月3日(土)(続き) 地獄を後にし、明礬を抜けて塚原のほうへ向かいました。途中、十文字原(ジュウモンジバル)というところを通ります。鶴見岳の東側裾野にあります。遙かな草原で、自衛隊の演習場なっています。その端っこに展望台があります。別府の市街から見上げると、テレビ電波の送信塔が見えますが、そこです。夜景スポットとして有名です。格好のデートコース。 由布岳の北側を周り、湯布院盆地に下りました。山荘無量塔の近くにある喫茶「はまの」を訪ねました。しかし今日も休みでした。これで門前払い3回連続です。おかしいなと思い、TELしてみました。呼び出し音が鳴り、受話器を取る音につづいて男性の声。もう店は閉じたとのこと。うーむ、残念。ここのHPにはオートグラフがあると書いてあるのに。鉄輪を歩き疲れたので、アルテジオで一休み。 私はイチジクのガトーショコラ 妻はPロール、これは湯布院の定番です。 客は私たち二人、窓外の冬枯れと珈琲の味がマッチし、よい雰囲気でした。 宿は奮発し、Tにしました。荷をほどき、茶を馳走になった後、ぶらり散策。湯の坪界隈は、閑散期にもかかわらず混み合っていました。いつもの光景です。夕食が近いので、天井桟敷には入らずじまいでした。 夕食前に温泉を浴び、凝った食事を食べました。 いい1日でした。
2012年03月03日
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平成24年3月3日(土) 午前7時起床。曇り。 一昨日、3月1日は支援学校の卒業式でした。妻が担任した生徒さんも卒業でした。1年間よく頑張りましたということで、1泊2日の旅をプレゼントしました。 まず別府へ。私も妻も灯台下暗し、近場の観光地別府・鉄輪(「かんなわ」と読みます)を歩いたことがありません。そこへ向かいました。付近一帯は、温泉の蒸気に満ちています。真っ青な、或いは真っ赤な温泉水の池、吹き上げる間欠泉、泥沼にプクリプクリと湧く坊主のような大きい気泡、それぞれに海地獄、血の池地獄、竜巻地獄、坊主地獄と名前がついています。地獄と名の付いたところはほかにもいくつかあります。写真は鬼山地獄です。中に鬼がいるようでした。 「地獄めぐり通り」を下っていくと、「地獄蒸し」というのがありました。妻の言を入れ、中に入りました。 100℃の温泉蒸気で魚介類、鶏、野菜、卵などを蒸すのです。煉瓦で炉をこさえ、蒸籠状に作ってあります。上部には木のふた。この中に泉源からパイプで引いてきた蒸気を流しています。 私たちはシメジ、トウモロコシ、サツマイモ、タマネギ、エビ、サザエ、手羽、卵を買いました。 材料費1,500円、蒸し代500円でした。蒸す材料を竹やステンレスの網かごにいれます。それぞれの材料で蒸し時間が違うので、それに合わせ、何枚かのかごに分けて入れます。これらを取っ手の付いた網の上にのせ、中に入れます。取っ手は蒸籠の深さと同じ長さに出来ています。係の人が簡易タイマーを用意してくれました。卵と野菜類は10分、サザエやチキンは25分。蒸し上がったものは、テーブルに持って行き、ポン酢か塩を付けて食べます。特段、美味しいというものではありません。素材次第です。一度は体験してみるのがよいかもしれません。 40代とおぼしき夫婦と相席でした。奥さんのほうが、サザエの身を巧みに出し、妻のもそうしてあげた私を見て「私のは出ないのよ」と羨ましげに言いました。美しい方でした。二つ返事をし、出してあげました。千葉市からのプライベート旅行だそうでした。 食べ終わったら、ステンレスのかご、使った皿は洗って返さなければなりません。セルフです。これを妻に頼み、私は窯場の写真を撮りました。ふと気がついて妻を見ると、背の高く若いイケメン兄さんと流し場に並んでなにやら楽しげに会話。これも旅の楽しみです。 この地獄蒸し、鉄輪界隈には同じようなものがいくつかあり、蒸す材料だけを販売する店もあります。持ち込み可ですから、持参してもよい。今度は佐伯のうまいものを揃えて出撃しようかな。 食べ終え、腹ごなしを兼ねてもう少し歩いてみました。足湯がありました。これは全国各地に出来ていて、目新しいものではありません。がその横に、蒸し足湯というのがありました。板で出来た横長の箱、上部に直径15cmほどの穴が二つ並んで開いています。手前には腰掛け。椅子に座るようにして、素足を入れるのでしょう。 さらに歩を進めました。焼き芋屋、地獄蒸しプリンの店、煎餅屋、温泉卵や蒸したトウモロコシを売る店、食堂。観光客めあての店舗もありますが、住民相手の魚屋、八百屋もところどころに。こじんまりした旅館が多い。湯治客を相手としているのでしょうか長逗留OKの看板もありました。「ヤングセンター」という温泉付き劇場には驚きました。噂には聞いていましたが、まだあるんだ。野良猫を何匹も見かけました。路地には地蔵も多い。お寺も温泉寺。土産屋に売っているTシャツの背には「毎日が地獄です」と書いてありました。つづく
2012年03月03日
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平成24年1月8日(日) 午前4時起床。 未明はNHKFM古楽の楽しみ。今日もチェーンソーに付き合う予定でした。音楽の泉でバッハを聴いていて、またぞろオーディオの虫がうずきました。昨日同様、湯布院の喫茶HAMANOに行こうと妻を誘いました。今日はOKしてくれました。 佐伯を出る前、出初め式を観ました。番匠川河川敷でありました。壮観です。この中にはオーディオの師匠もいるはずです。 一路湯布院向け。高速道路をひとっ走り。別府湾が光っていました。 1時間半で到着しました。賑わいのあるところは避け、塚原街道に入りました。目当ての店に着いたら「本日休み」。ガビョーン。最悪です。確かめてくるべきだった。悔しい。オートグラフに会うことが出来ませんでした。写真は閉門のHAMANO。 妻が慰めてくれました。無量塔に行こうと誘ってくれました。まっいいか。そうしました。 ここにはWEのスピーカがあります。 店員さんに、持参したベスキのバッハをかけて欲しいと頼むと、快く引き受けてくれました。でも、うーん、好みの音ではありませんでした。ロールケーキとチーズケーキを食べました。後者のタルトは絶品でした。 遅い昼ご飯にしようということで「パピパパ」という店へ行きました。満員。では先に温泉に入りましょう。そうしました。彩岳館。露天からの由布岳はおつでした。 も一度パピパパにとって返しました。今度はガラガラ。小ぶりの薪ストーブがありました。暖かい。 オムレツとロールキャベツを食べました。年寄りには少しからかった。 帰宅は午後6時を過ぎました。いい一日でした。トラが首を長くして待っていました。
2012年01月08日
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午前5時前起床。東京は小雨。未明、窓から見えるビル群、それぞれの天場には赤いランプが点滅していました。懐かしい光景でした。若い時分、この町でサラリーマンをしていました。毎夜、午前2時、築地へ通う道中にこの景色を見ていました。窓明かりが消え、てっぺんにライトを点滅させるだけの大きな黒い影を見ると、センチになったのでした。午前6時にランニングシューズを履きました。夜の白み始める時刻は、大分・佐伯に比べ20分ばかり早いです。朝ラン12km。皇居を2周しました。1周は4kmくらいでしょうか。妻のコンパクトデジカメを持ち、ゆっくり走りました。警視庁、桜田門、二重橋、帝国ホテル、竹橋、毎日新聞社、ワコール、国立劇場、最高裁。周回コースは信号待ちする必要がありません。早朝だったので、走っている人は少なかったです。日本人と外国人が半々くらいかな。西半分は比較的道幅が広いのですが、東側、竹橋から北の丸への坂道は狭い。要所要所に交番がありました。皇居の出入り口全てに警官が立っていました。手持ちぶさたのようでしたが、警備なので仕方がありません。ステキな外国人女性が走っていました。ポニーテール、帽子をかぶり、短いスカート。すらりと伸びた足、切れ上がった小股。涼しい目元。声をかけ、カメラを渡し、写してもらいました。ありがとうというと、ドウイタシマシテ。だから東京はよいです。ホテルに戻りシャワー。朝食はバイキング。運動後ということもあり、腹一杯食べました。隣のテーブルはおっさんと若い女性。向かい合わせに座っていました。どう考えても不釣り合いの組み合わせです。きわどい内容が聞こえてきました。不要の勘ぐりはしませんが、男も女も渡しのガツガツした食べっぷりに目を丸くしているのが判りました。何とはなしに気分がよかったです。午前中に会議を二つこなし、昼食。取引先の東京支店を訪ねたあと、少し時間があったので沖縄のアンテナショップを覗きました。友人Tへハブ酒の土産を買い、羽田へ。午後4時の便で帰りました。雨の東京でしたが、西へ向かうにつれ晴れ間が広がり、夕暮れのあかね色が美しかったです。往復とも、機体の揺れは殆どありませんでした。本を一冊読むことが出来ました。姜尚中「在日」集英社文庫478円。大分空港へ着いたら、義母からの留守電に気づきました。柿の渋を抜いたので、帰りに寄るべしとのこと。そちらへ廻り、帰宅は午後8時前になりました。玄関の前で空を仰いだら、膨らみ始めた月とオリオン座。その横を夜間飛行のランプが東の空へ。つい最前までその中にあった自分のことを思うと、これもまた想い遙かなりです。妻の入れてくれた湯船に浸かり瞑目。慌ただしい一日でした。妻への土産はミルフィユ。今日の写真は、美人ランナーに写してもらった一人親方樵夫です。気分がよかったです。
2010年11月17日
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午前5時起床。晴れ。靴とトレーニングウェアを持ってきませんでした。新聞を読んだ後、昨日買った文庫本に取り付き、朝食までの時間をつぶしました。今日は関門橋を渡り、山口県の企業を幾つか訪問しました。下関市内には、海峡マラソンの立て看がありました。今週末にあるとのことでした。交通規制の看板でした。ランラー1万人、ボランティア3千人と、訪問した会社の方が言っていました。この町にはミニFM局があります。カモンFMという名前です。道中、聴いてみました。懐かしい歌謡曲を流していました。ちょっと訛りのあるパーソナリティのしゃべりとも相まって、よかったです。私は、出張の時は大抵、ラジオを持参します。そこで発行される地方紙と地元局の番組を聴くのが、楽しみと言っては大げさですが、少しの旅情を感じるからです。再度、橋を渡ったのは午後5時を過ぎました。来た道を通るのであれば、小倉から少しの間、一般道を走らないといけません。時間が時間ですから、渋滞を避けたい思いが勝ち、高速道路を鳥栖廻りで帰ることにしました。会社に戻ったのは午後8時。クルマを車庫へ戻し、デスクへ。同僚がまだ仕事をしていました。ちょっとだけ書類を整理しました。どちらからともなく、以心伝心ということで、夕食を食べて帰ることになりました。T一押しの「ひかる」という店に入りました。私は生ビールと日本酒を2合飲みました。あては肝あえ。Tはビールの後、焼酎を5合。帰宅は午後10時でした。今日の写真は、関門海峡です。ここで、終日ぼんやりと船を見て過ごしたいです。ブリッジにはどんな人がいるのだろうと想像するのは楽しそう。
2010年11月02日
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午前5時起床。晴れ。今日は出張でした。朝礼を済ませ、決裁にハンコをつき、午前中に出発することが出来ました。部下のTと営業車に乗り、東九州自動車道を北上、中津の企業を訪問しました。もう一つ、かねてからTの主張するサービス企画についてその言を入れ、福岡市へ。宿泊は博多のビジネスホテル。日が落ちてやっとチェックイン。晩ご飯は、中洲のビール専門店。ドイツビールを幾種類か飲みました。あてはザワークラウト。これが好きなのです。Tは生ハムやソーセージを手当たり次第にやっつけました。そこを出て、本屋をひやかしたら佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』新潮文庫781円が目に飛び込んで来ました。この本、欲しかったのです。来年の手帳と合わせ、早速購入、今夜と明日早朝の時間つぶしが出来ました。酔いが覚め勾配になり、ちょっとだけショットバーへ。どれを飲んでも一杯500円でした。若い女性3人がカウンターにいました。客はいなかったです。Tは並ぶ洋酒には目もくれずに黒霧。私はグラスワインの後、ズブロッカを飲みました。女性のうち2人は中国人でした。留学生。1人は九州の雄K大の工学部でデザイン工学を、もう1人はH女子大で歴史を、それぞれ勉強しているとのことでした。2人とも知的な美しさを醸していました。Tが尖閣の問題を話し始めたら、その話はいつもお客さんが話題に出す、もう嫌だわ、知らない、といわれました。出身を訊いたら大連とのこと。アカシアのことを話し、大好きなですと言ったら、喜んでくれました。今日の写真は飲んだビールとザワークラウトです。キャベツの酢漬けとビールはよく合います。
2010年11月01日
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漁師のKさんが、韓国らしいところへ行ってみたいと言いました。夕食を兼ねて街ブラをすることにしました。といってもミョンドンのような若者の多いところを歩くのでは芸がありません。広蔵市場へ行きました。ここは京都の錦市場と大阪の黒門、それに築地の場外を併せたようなところでした。天蓋に覆われた通路には、延々と屋台が並びます。ものすごい凄い喧噪のなか、店を冷やかしました。衣類、布、紙、鮮魚、キムチ、香料スパイス、朝鮮人参、肉類、それぞれを売る店が混在していました。 亀を売る店がありました。身振りで、食べるの?と訊くと、違うと言いました。では何に?と問うと、亀を手に取り、向こうに押しやるようにした後、これを放し、両手の平を合わせて拝むような仕草をしました。なるほど、亀に願いを込めて放流するのだな。それにしてもいろいろな商売があるものです。 一番賑やかな場所の屋台に座りました。店はむき出しにした食材をてんこ盛りにして並べています。山積みという言葉が似合います。一つずつ見繕って出して欲しい旨を伝えたところ、食べきれないほど盛られてきました。4人はビールでしたが、私はマッコリを飲みました。トッポギ、豚足、キムチ、春雨のようなもの、スープ、巻き寿司、腸詰め、どれも美味でした。客層は服装からすると会社帰りのサラリーマンが多いようでした。満足しました。勘定は5人合わせて3万ウォンあまり。一人1,000円以下でした。安い。ほろ酔い加減で市場の中を歩きました。明日は帰国ということで、誰ともなしに土産のことを言い出し、4人は韓国ノリと松茸をしこたま買い込みました。とても安いのです。しかし、そんなに求めて大丈夫なのでしょうか。帰りの飛行機が心配です。ホテルに帰って、皆バタンキューでした。私は物足りなくて、一人でホルモンを食べに再度出撃。午後9時前だったのですが、ミョンドンはまだ宵の口。横町に入って、適当な店へ入りました。もちろん、ホルモンとマッコリを頼みました。韓国のホルモンは割かれていません。丸のまま輪切りにしています。炭火で焼いてくれました。味は日本のそれと変わらないかな。飲んでいたら、隣に感じのよい青年二人が座りました。二人が乾杯するとき、私の方をみて一緒に乾杯しませんかと言うのでした。もちろん二つ返事です。28歳、同級生。青い服の方はロンドン帰りだそうで、この4月から公務員になるとのこと、もう一人は皮革を輸出する会社で働いているそうでした。妹が東京に留学しているということで、日本人の私に親しみを覚え、つい声をかけたと言いました。再度チアーズ。話が弾み、楽しい夜でした。ホテルへ戻ったのは12時前でした。H兄が戻っていませんでした。皆心配をしていました。一人で出かけたのだそうです。午前2時まで待ちました。このまま帰ってこなかったらどうしよう、置いて帰るか、誰かが残るか、そんな話を本気でし始めたとき、ぷらりと返ってきました。どこで何をしていたのか問い詰めましたが、黙りを決め込まれました。毛布をかぶり、ガチガチ震えだしました。昨晩タクシーの運転手にもらったいかがわしい錠剤を飲んで、昨晩の通りの手順で昨晩の場所へ出撃したそうなのですが、突然悪寒と下痢にみまわれ、トイレに10回入ったそうです。そこで2時間ほど休ませてもらい、這々の体で戻ってきたのだそうです。言葉が通じずに、不安で仕方がなかったと青い顔をして言う姿に、皆、さっきまでの心配を忘れ、大笑いしました。疲れて寝込んだH兄です。でも手前の焼酎カップを離さないのは流石でした。
2010年02月27日
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午前6時過ぎに起きました。ホテルの部屋は23階。外を眺めると、ちょっともやっていました。A氏が、朝飯はお粥がよいと言い出したので、外出しました。ホテル近くにある粥専門店へ入りました。チャングムの粥というのがあり、それを注文しました。1,600円くらいでした。どんぶりに入って出てきますが、キムチやモヤシ類の副菜が4品ついてきました。水キムチというのもありました。韓国ノリも無料トッピング可能でした。やさしい味とても美味しかったです。歩道を歩いていて、H兄がたばこの吸い殻をポイポイ捨てるのに閉口しました。注意しましたが、平気の平左。かんまんごしです。大きなグレーチングの中へポイ。しかし、そこは地下鉄の換気口でした。とんでもないことです。その時はしかりつけました。今日はソウルの南、地下鉄に乗って1時間のところにあるスオンへ行きました。切符の買い方と車両のシートが硬い他は、日本のそれと違いません。チケットの自動販売機に英語モードの選択ボタンがあり、助かりました。同行の4人はハンブルの飛び交う車内をキョロキョロ、暢気なものでした。H兄は日本から持ってきた焼酎「豊後太郎」のコップサイズを開け、早くも引っかけ始めていました。車内にはモーツァルトの曲が流れていました。途中の駅で教師に引率された少年たちが乗ってきました。わいわいがやがや。子どもたちはどこの国も一緒です。皆、歯が美しく、健康的でした。郊外に出ると、晴れました。客も減ってきました。車窓から見える木々はすべて葉っぱを落としていました。カササギの巣が、いたるところへかかっていました。近く遠くに見える山は、カルストを思わせる岩が所々にのぞいていました。中国地方、特に山口県を通過する新幹線から見えるそれに似ています。スオンも都会でした。賑わいはソウルと変わりません。A氏が駅前の露天でピーナツを買いました。ポリポリ食べこぼしながら歩きましたが、咎める視線はありませんでした。駅前のストリートですからマナー違反だと思うのですが。わりと鷹揚なのかな。でもタバコの吸い殻は落ちていませんでした。スオン駅から路線バスに乗り華城へ向かいました。行き先は、バス前部に表示のある番号でわかりましたが、切符の買い方がわからず、運転手へ身振り手振りの訪ね方をしました。一人1,000ウォンで乗り放題と言うことがわかりました。約80円。安いです。タクシーにしてもよかったのですが、土地の人の中にちょっとでも混じる時間のあった方がよいとの思いからでした。4人はバスのシートにバラバラに座りました。隣は土地のオムニやおっさんでした。居心地が悪そうでした。がしかし、これがよいのです。ハイティーンの女性に八達門のバス停如何と問うと、ゆっくりした英語で親切に教えてくれました。嬉しかったです。華城は素晴らしい建造物でした。世界文化遺産です。1周6kmはありましょうか。煉瓦のような石を積んだ城壁が続きました。所々に見事な門があります。それぞれに名前がついています。ここを半周しました。かなりの勾配があり、4人ともへばりましたが、私はランナーなのでへっちゃらでした。坂を地元の中学生が坂道ランニングをしていました。H兄が彼らに「練習はよだきかろぅが(練習は辛いだろうね)」と日本語で言うと、ハングルが返ってきました。相手もH兄も双方意味がわかりませんが、最後は両者とも満面の笑顔でバイバイをしました。あとの3人は、それを遠巻きにして煙草を吸いました。華城の一番高いところからは、スオンの市街が一望できます。 大きな鐘があり、3回1,000ウォンで突かせるのだそうでした。記念に皆で、ゴーンとやり、願い事をしました。息子の就職戦線、うまくいきますように。 城壁は松林の中を縫って登り下りしています。歩いていると、リスやカササギを見かけました。スオン市民憩いの場所と見受けました。ときどき、ハイキングの人とすれ違いました。ランニングにもよいコースです。走りたくなりました。スオン駅に戻り、レストランで食事をしました。早くも日本食が恋しくなったのか、皆、トンカツを食べることになりました。食券を買い、テーブルで待っていても、なかなかウェイトレスがやって来ません。カウンターで訪ねたら、壁のデジタル表示板を見ろとのことでした。自分の食券番号が表示されたら、カウンターへ取りに行くのだそうです。セルフ。4人は、安食堂だってこんな訳のわからないことはしないぞとプリプリ。オマケにタバコを吸えません。我慢することの出来ないおっさん連中なのです。駅のホールに大きなテレビ画面があり、オリンピックの番組を流していました。人だかりが出来ていました。スピードスケートのようでした。歓声とため息、どよめきが伝わってきました。選手の活躍に相当入れ込んでいるようでした。帰りは電車にしました。セマウル号に乗りました。切符は対面で購入しました。この駅には英語の自販機がなかったのでした。手振りとガイドブックが頼りでした。汗をかきました。列車は快適でした。全席指定でした。乗ったとき、そのことに気づきませんでした。混み合っていたのですが、近場に5席確保し、固まって座りました。ところが、後から乗ってきた人がハングルでまくし立て始めました。しかし、意味がわかりません。こちらは皆目を白黒。その時、隣に座っていたこれも若い女性がこの列車は指定席ばかりだからと英語で教えてくれました。助かりました。突然、韓国の人にガミガミ言われ驚きましたが、これも楽しい経験です。切符を見て、それぞれの席に別れて座りました。座席は、まちまちの車両に散らばっていました。分散して座るのが心細いと皆の顔に書いていました。これも可笑しかったです。おっさんが皆一様に、大丈夫かと不安顔をするのです。H兄は「おりゃーどげーすらーいいんじゃー?」(わたしはどうしたらいいの?)と訴えるような目でこちらを見ました。笑ってはいけない場面でしたが、思わずクスリ。何とかその席に連れて行き、座らせました。ソウル駅が近づいて、各車両を回り、空いてきた座席にかたまりました。わずか1時間足らずではありましたが、異国の一人旅は心細かったのでしょう。皆、無口になっていました。元消防士のS氏がピストルを撃ちたいと言い出しました。この手の施設はガイドブックに載っていません。公衆電話からホテルへTELし、問い合わせました。日本語が通じます。クロークへ替わってもらい、場所を訊きました。ミョンドンの端にあるそうでした。立体駐車場の上階にありました。入ると、ハンサムのお兄さんがパンフレットを元に流ちょうな日本語で説明をまくし立てました。「これは峰不二子が護身用に持っていた、これはジェームスボンドが使ったもの、これは韓国に1丁しかないもの云々」。各人、1回が10発でした。値段は一人3万ウォン、日本円で2,400円ほど。思い思いのものを選択し、別室でパンパン撃ちましたが、私はしませんでした。お兄さんに勧められましたが、断りました。何故しないのかと不思議がられました。今度は設計技師のA氏がカジノに行きたいと言い出しました。こちらは「地球の歩き方」に書かれています。シェラトンまで歩いて行くことのできる距離だったのでそうしましたが、坂の上にあったので、皆、フーフーいいながら登りました。楽しみが先にあると、華城でへばったことを忘れ、どんどん歩を進めました。現金です。誰とは言いませんが、一人パスポートをホテルへ置いてきた人がいました。これがないと、カジノへ入場すること叶いません。韓国の人は立ち入りを禁じられているようでした。彼は皆に責め立てられ、待っているから取ってこいと言われました。しかし、タクシーに一人で乗って取りに戻る自信がないのでしょう、私に同行して欲しいと泣きついてきました。そうしました。5万~10万ウォンほど負けたようでしたが、一番むしられたのは、旅券を取りに帰った人でした。
2010年02月27日
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