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2007年03月17日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
先日、子供の世話をしていると、特に子供が幼い場合、親が自分の時間が持てないと感じることについて書きました。その際、 自分のしたいことを我慢しているという気持ちと、子供のために何でもしてあげたいという気持ちのジレンマ があると書きました。

私たちはそれぞれ自分が好きなことをやりたい、自分が楽しい時間を過ごしたいという 欲求がありますが、それをあたかも存在しないかのようにふるまうことには無理 があるとおもいます。

それはある意味で、自分自身に対してウソをついていることになりますので、それが 潜在的な怒りのエネルギー となって内に蓄積されます。時には自分の内にこの怒りがあることも気づかないほど、奥深く閉じ込めてしまいます。

なぜこのような行動をとるのか?

ひとつは、自分の中の 責任感・倫理観 があるかも知れません。



しかし、そこで自分自身を犠牲にしてしまうと、それは自分にとって大きな負担となります。その結果、になることもありそうです。

その結果、出てくる感情は自分はこれだけしてあげたのに……、なぜ私だけが我慢しなくてはいけないのか……、という 被害者意識 かも知れません。

この点で、先日書かせていただいたのは、 自分の気持ちの原点に戻る ことです。つまり目の前の子どもの世話をし、子供の成長のプロセスにかかわり、それを一緒に体験することを自分の魂は求めているのか?という点です。

日々の生活では肉体的・精神的負担からこの原点を忘れてしまったり、それを覆い隠すほど ため込んだ感情のゴミ によってこの原点とのつながりが弱まってしまうこともあるかと思います。

自分の心の中に天秤をつくり、片方にこの原点を置き、もう一方に自分のやりたいことの重しを置き、 その瞬間自分はどちらを選択するのかを決めれば 良いのかも知れません。その結果、自分にとって今の瞬間は子供の世話が大切だと思えば、それは自分の一つの決断として行動すればよいことですし、また、自分のやりたいことを選ぶなら、それも良いことだと思います。

このようにすることで、前述の我慢・自分自身に対するウソを緩和することができると思います。

二つの選択肢を比べたうえでの自分の選択・決断 になりますので、自分は我慢して……、や自分は犠牲になって……、という気持ちにはなりにくくなると思うのです。

すると、自分が子供の世話や奉仕を選択した時に、それをより 無償のものに近付ける ことができるのだと思います。






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Last updated  2007年03月17日 21時12分58秒
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