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旧ユーゴスラビア各国のホテルでは、日本行きの切手が置いてありません!普通は、あるよね?クロアチアは、どこのホテルにもエアーメール切手が売ってませんが、ザダルの郵便局で買うことが出来ました。その後は、買えなかったからダザルで10枚。買っておいて良かったです♪ 『クロアチア旅日記』・・・ザダル郵便局 旧市内で、少しだけ自由行動があり郵便局へ 日本までの絵葉書に貼る切手を購入 1枚=6、1R(約98円) 細長いのはエアーメールの青いシール すでに絵葉書に何枚か書き込んでいるので・・・・ 貼る所がっ無いじゃん! 何とか貼って投函 おお郵便局の出口で 「ダルマチア地方の絵葉書」発見! 絵葉書3枚GET!!! 絵葉書は、こちらで ピンクさまブログ と ひでわくさんブログ これで、ホテルの長い夜退屈しないね この切手のおじさんが誰なのか?・・・気になりWikipediaで、調べてみました。 マルコ・ドミニス (クロアチア語で書いてありますが)マルコ・アントニオ・ドミニス Marcus Antonius de Dominis 1560年 (ラブ島生まれ)~1624年 16世紀から17世紀にかけてのアドリア海出身 哲学者・科学者 アイザック・ニュートンが1704年の著書「光学」のなかで ドミニスの虹の研究を紹介したことで知られる。 来歴 1600年スパラート大司教 パドヴァで大学の教授になったが、のち英国国教会に改宗し 1616年からイギリスにわたり 6年間そこにとどまり ケンブリッジとオクスフィードで教えた。 1617年、著作「De Republica Ecclesiastica」で教皇を非難 1618年から ディーン・オブ・ウィンザー(Dean of Windsor) ローマに戻り、英国国教会を捨てるが、異端審問で有罪になり、獄死した。 著書は焚書された。 切手に歴史ありですねランキングポチっとヨロピクなう。→
2011.01.23
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クロアチア共和国のザダルには、ダルマチア地方で一番大きな教会があります。旧市内の広場の裏手にある「ストシャ教会」は、市民に一番人気の守り神である聖ストシアーさまがご本尊であります。その後、周辺の権力者が、ご利益の噂を聞き集まって栄えた街ザダルは 『クロアチア旅日記』・・・聖ストシャ教会 ストシャ大聖堂 Cathedral of St Anastasia ロマネスク様式の大聖堂 4世紀~5世紀頃の教会に起源し 12世紀に建造 1202年 ベネチアの差し向けた十字軍の攻撃を受ける ザダルの街は、破壊と略奪に見舞われ ストシャ教会も破壊され 街は、ヴェネツィアの支配下に 1324年に教会・・・再建 南側にある「聖ドナッド教会」の右に トンガリ帽子が、カワイイ聖ストシャ教会の塔 聖ストシャは、ダルマチア地方の支配者たちに支持され ダザルは、この時期に黄金期となり、とっても栄え 守護聖人(守り神)として大人気になったのであります。 その後・・・ 1797年 ナポレオンにより ヴェネツィア共和国が滅亡 1805年 ダザルは、イタリア王国の一部に フランスから オーストリアに譲渡 ナポレオンの失脚後は、 オーストリア帝国の一部となったり・・・ 第一次世界大戦では オーストリア・ハンガリー帝国が 敗れたため 新たに建国された ユーゴスラヴィア王国の一部となり ダザルは、イタリア王国に譲渡された。 聖ストシャ教会は、 第二次世界大戦の時も 連合軍に攻撃され 大きな被害にあい・・・再建 大戦後の 1947年 イタリアと連合国の平和条約で ユーゴスラヴィア領となる。 1991年 クロアチア独立戦争でも セルビア軍の攻撃で街は大きな打撃を受ける。 複雑で、苦しい時代を乗り越えて今 よくぞ・・・ここにと 改めて「平和」になったからこそ逢えた教会に感動であります。 苦しく辛い歴史はもうおしまいポチっとなう。→
2011.01.22
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クロアチアのザダルは、今でも文化の香り高い街であります。夏には、大きな音楽祭が開催されたり、写真展なども開催されるそうであります。それは、古い歴史と伝統、そして色々な国の支配下に置かれたからでしょうか? 『クロアチア旅日記』・・・聖ドナッド教会 ザダルは、古い都市で、ユニークな 中世ダルマチア建築の宝庫 だそうで・・・ その中でも 一番有名なのは 白い大きなケーキみたいな 『聖ドナット教会』 ビザンチンの建築様式の影響を受けていて それは ヴェネチアの依頼を受けた「十字軍」に街は攻められ 支配下に置かれたからだろうか? 色々な国の支配下に置かれたので・・・どうも複雑!? 基本は、ロマネスク様式で 上部がゴシック様式の 聖ドナッド教会は、 おおきな 8本の柱で 丸いドーム型の屋根と 大きなケーキみたいな建物を支えている。 約2000年前のローマ建造物をリサイクルして 1324年に完成した。 内部は、音響効果が抜群な為に 夏に、ザダルで「音楽祭」が開催され その音楽祭は、 街の オープンスペースや 教会など あちこちが 会場になるそうですが 「聖ドナッド教会」が、メイン会場になります。 ザダルの街や市民にとって 「聖ドナッド教会」は、特別な存在なんですね 文化の薫り高いザダルの街をお散歩しながら ランキングのお散歩にポチっとなう。→
2011.01.19
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クロアチアのダルマチア地方に、とても古い都市ザダルZadarがある。旧市内の中心には、広いローマ時代からある広場があります。4ヶ月くらい前に綺麗に整備されたらしいのでご紹介しておこうと思います・・・・・・・・ 『クロアチア旅日記』ローマ時代の広場 クロアチアの ザダル郡 ザタル市の 旧市内の真中に 約2000年前 ローマ時代からある広場 長~い 修復作業が終わったのは、4ヶ月ほど前 お散歩が 大好きなザダルの人たちですが・・・ 今日は、何故か? ガラ空き! 広場の向こうに見えるのが 『聖ドナット教会』 まるで・・・ 真白で四角いケーキみたいです。 ローマ時代からある この広場には、 2000年前の ローマ時代の列柱の 基礎部分が 並べられました。 ローマ時代の建物は、すでにありませんが 聖ドナッド教会の隅にあるこの柱1本だけで 後は、 聖ドナッド教会を建設する時に使われたらしい? 2000年前のローマ遺跡の材料で 1200年前に「聖ドナッド教会」を作った訳ですね。 ちなみに 柱の向こう側にある茶色い屋根の家が、 聖ドナッド教会の司教様のお宅だそうですヨ。 ランキングがた落ちがっかりぽちヨロピク→
2011.01.18
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ザダルの歴史を少しだけご紹介したので、どうせなら古い順番に、ザダルの一番古い時代のお宝が収められている博物館と、その前の広場にゴロゴロと並んでいた古い古い時代の彫刻を見てみましょう・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・古そうなザダル ザダルの一番古い物が、収められているのは 考古学美術館だと思われます。 高い文化を誇る ザダルご自慢の 古代文化における カップ、椀、水差し、ガラス 薬品や、化粧品の容器など・・・あるらしい? すぐ隣のトンガリ屋根の 聖母マリア教会は なんと・・・11世紀の修道院で 宗教美術館があり、 特にご自慢は、 金銀細工だそうで・・・ザダルは、優れた匠を生んだ歴史がある。 宝石、珠玉、エナメル、水晶 十字架、聖遺物箱や 聖具などが 美術館の闇の中に輝いているらしい・・・が、 そんなお宝を鑑賞する時間も無く 私たちは遠くから建物を眺めたのみ 考古学美術館の前の広場には、 古い古い遺跡の一部らしき・・・ 興味深い「石」が、整然と並べられているが 夏に訪れたベテランコンダクター広重さんは、 「4ヶ月前までは、工事中で、ああ・・こんなに綺麗になってる!」 と声をあげていた! それに貸切状態だなんて・・・素晴らしい! 夏には、市民や観光客でいっぱいですよ! 信じられない幸運であります。 古い古いザダルでも一際・・・古い そして広場の中央にあるのはパンフレットの表紙 このザダルで一番有名な・・・・これは、壁部分の 聖ドナッド教会がおっと~説明が長くなりそうなので、 また明日にポチっとなう。→
2011.01.17
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江ノ島のイカ焼きを食べたレストランの2階で、まかろんちゃんが「ザダル市観光局の日本語パンフレット」を見つけました。なんと~それが無料でGET!まかろんちゃんは、ぶらぶらしているみたいに思うけど、目ざとい子です♪この無料のパンフレットの内容は・・・ ザダル市観光局「さまざまな発見のある街・・・ザダル」 無料でGETした観光案内 ザダルという街 ザダルは、特別な 時代的精神の息づく 街である。 その地中海的な 魅力は、 長い歴史を持つ 街の個性にある。 ザダルは、当初から栄えた街だった。 リブルニア人 古代ローマ人 ビザンチンや 独立都市コミューンから ベネチア ナポレオンのイリュリアや オーストリアーハンガリー帝国、そして 現在のクロアチア共和国を含め いつも 街として 重大な役割を果たしてきた。 ザダルは、非常に興味深い街である。 そして、昔から 現在まで変わらずに、 ずっと 素晴らしく 過ごしやすい街だった。 ザダルは、 いつから 存在しているかという問いには、 950年に ビザンチン帝国の コンスタンチン・ポルフィロゲネットは、 次のように答えた。 彼は、「ザダル」という言葉がギリシャ語で、 diadoraといって、 「前から存在していた」という意味になっているので、 古代ローマ市の前に存在していたと結論を出した。 ザダル半島で、発見された 次から次へと 発見された居住地の遺跡は 紀元前10~9世紀に遡る。 昔の人々が この街に住み 宗教や 娯楽を共にしてきた 巨大な神殿や 印象的な ローマの広場フォラムの遺跡は、 今でも 街の人々や 観光客で賑わっている。 非常に島の多い 東アドリア海の地方として ザダルは、地理的な位置として ヨーロッパの最も古い地図に記されている。 街が面している 深い青色の海に 三連の真珠ネックレスのような島々 街の背景にもなっている 地中海の穏やかな谷 遠くに現れる ヴェレピット山の峰 自然からもたらされた多くの贈り物の中に パクレニッァ山 プリトヴィツェ湖 コルナティ群島 テラシュチツァ湾 クルカ河 ヴラナ湖など といった自然国立公園は、特別な位置を占めている。 ザダルの名前は1330年の 「世界をめぐる旅」という ヨーロッパの最も古い観光ガイドブックに見出される。 ある1323年以降の観光ガイドブックには ザダルが、面している島々の数が 1年の日数に当たっている といように描写されている。 さらに、バネチアから出発し ザダル クレタ ロードスや キプロスを経て パレスチナに着くといった 中世期における最大の巡礼を語る旅程は すべてザダルを描写している。 現在、ザダルは 大型クルーザーにとって欠くことのできない寄港地になっている。 この街の時代的精神は、 千年の記憶を込めて、 優秀な船員であった 古代のリブルニア人と 現在の非常に優れた ザダル群島出身の船員とを ある神秘的な力で結んでる。 古代、 この群島だけから 永遠の街といわれた古代ローマ市へ 自然な方法で保存された白い魚が供給されており ベネチア共和国の時代に 塩漬けの鰯が ローマ教皇まで運ばれていた。 昔、ローマ向けの食物が揃えられた場所は、 現在、日本へ輸出するマグロが養殖されている。 ・・・・・・・・・・以上ザダル市観光協会「さまざまな発見のある街・・・ザダル」より クロアチアのザダルについて、何も知らなかったのですが・・・・現地の観光案内は、ザダルから見た歴史を知る貴重な資料であると思うので、ここに書き移しました。さて、古い古い歴史あるザダルの街は、今でもザダル市民が普通に暮らす街でありますが・・・私たち日本人がビックリするシステムを実行している街でもあります。そんな興味深い街については、素晴らしいお天気に恵まれた写真に寄って進めて行こうと思います。 長~いブログを読んでいただきランキングにもポチっとなう。→
2011.01.16
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ザダル(ザダール)に到着したのは、そろそろ昼ごはん時でした。ザダルはヨーロッパの重要な港町であり、その歴史もまた複雑でありますが(そんな説明は置いといて)ここでは、ザダルで一番美味しいらしい?イカ焼きを食べる事になっていたので・・・・いざいざ 『クロアチア旅日記』・・・江ノ島のイカ焼き? ザダルは港町です。旧市内の城壁をくぐり 元は、造船所だった建物に レストランは・・・・ドッグヤード 広~い!横浜のドッグヤードに比べると小さいけど・・・ 2階から見るとお舟を作っていた事が想像できます。 私たちは、2階の席でレストランの「イケ面」が、働く姿を見ながら 江ノ島のイカ焼き?を食べる♪ クロアチアのイカ焼き? バテランコンダクターが、昔「江ノ島で食べたイカ焼き」に似ている って言うのですそれが大盛りでレモンを絞り 2杯のイカ焼きあら~香ばしくて美味しい オニオン風味のほうれん草みたいなお野菜も美味で・・・白ワインに 確かに「江ノ島のイカ焼き」風~ サザエのつぼ焼きってあったと思うけど・・・・ 江ノ島にイカ焼きあったかしら? まかろんちゃんのご主人が、ありますよ と新しい「食いしん坊」情報を披露して大笑い 多過ぎるイカ焼き完食 ロールケーキは別腹 日本人ならイカ焼き好きランキングにポチっと→
2011.01.15
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永遠に憧れであるヨーロッパの地中海♪イタリアの長ぐつの型、その東側(地図では右)そこにあるのが「アドリア海」であります。アドリア海を見ながらノンビリとバスに乗って4時間の旅は、閉じ込められた71歳の上品なおばちゃまとの同席・・・・さて。どんな旅 『クロアチア旅日記』・・・ザダルへ クロアチアのオアパティアからザダルまでは、4時間バス旅 アドリア海を右手に見ながら南へ下る快適な 最近、新しく出来た高速道路を走る 海沿いの美しい町が、いくつも 窓ごしの写真が・・・ 窓が、きちゃないから・・・(;残念;) アドリア海は、風が強いから すぐに窓が汚れる! イケ面ドライバー「ドーマンさん」窓拭きは、嫌いらしい? そんな汚い窓越しの 写真にがっかりしながら・・・ 4時間のバス旅 窓際に坐らせてあげた おばちゃまの話を聞いている私。 おばちゃまは、2人旅 同行しているのは、高校時代のクラスメィト 60歳の還暦の時に「クラス会」をし 彼女とは、42年ぶりの再会 お互いが 旅行好きだと言うので 10年以上も 海外旅行を楽しんでいる♪ そんな静かで お上品なお話は、 4時間の旅を 退屈させるものでは無かった きらりも、おばちゃまに あら~良いですね~ここらに別荘でもいかがです 真面目なおばちゃまは、 ここまで来るのは遠いですからねぇ それに お庭は、石ころだらけで・・・ 家庭菜園も出来そうに無いし・・・ クロアチアの景色は、美しいけど風が強い ドライブインで休憩 むっちゃ~寒い ドライブインの地図を見ると 見えないけど左がイタリアで アドリア海がありクロアチア 地中海も アドリア海も 冬は、荒れ狂うが クロアチアの向かいには、島がある為に 強い風と波が弱くなるらしいが、 ダイレクトに風を受けると・・・ 高速道路は、閉鎖になるのだと言う! もう一度 帰りにも通る予定だった この高速道路は 帰りには、強風の為に閉鎖され 私たちは、内陸の一般道路で帰る事になるのであります。 石灰岩で出来たみたいな山は、 アドリア海の強風を受け益々冷たく感じる 休憩が終わり バスに乗って走っていると アッと言う間に・・・・・車窓は、 雪景色へと変わる これから・・・ワニが見えるらしい? ああああ・・・・・・・・・・・・・っ!ワニの形の大きな岩山 左が頭目玉が2個のってる右側が背中からしっぽ ワニに・・・・・・・見えるかな? なにやら伝説ありげなワニさんを車窓から見て いよいよザダル到着 ザダルは、アドリア海に面している為に 対岸のイタリアの領地「飛地」になっていた歴史があるそうで 興味ある歴史を思いながら「ザダル」にて お昼のランチは、なんと「江ノ島の焼きイカ」だって? ザダルが江ノ島?ランキングもポチっとなう。→
2011.01.14
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19世紀のホテルで私は、恥ずかしい「吸盤温泉事件」を起こして、誰にも言わずに(秘)自分で解決したのですが、ホテルのフロントで「クーナ計算表」のコピーをお願いしていると、いつも冷静なベテランコンダクター広重さんが、大慌て真赤な顔をして走って来た! 『クロアチア旅日記』閉じ込められ事件 きらり「吸盤温泉事件」解決し コピーを待ちながらフロントに居ると バタバタバタ コンダクター広重さんが 走って来て 「緊急事態です!閉じ込められたぁ~」 フロントに飛びつくように やって来て 説明をすると・・・また走り去って行った ええ・・・・・・・・・誰が? どこに? 高校時代のお友達同士のおばちゃま(共に71歳) お部屋から出られなくなった! 旅慣れたおばちゃま2名は、 コンダクター広重さんの部屋に電話して 「どうしても部屋から出られなくなった!」と コンダクターが、駆けつけると 確かに部屋は、開かない 古いホテルでは・・・たま~に こんな騒ぎがあるらしいが・・・ これでは扉を壊さないと駄目だと言う大騒ぎになり 結局は、鍵を壊して 無事、救出 ほぅ~ 設備が古い東欧のホテル 危ないですよ~ おばちゃま2人も 置き去りにされるって事は、無いけど・・・ やっぱし スラブ語の国ですもん ☆☆2つ星ホテルだから 言葉が心配 71歳で 旅慣れたおばちゃま達でも 不安だった事でしょう。 さて朝食は、昨夜と同じホテルのバイキング 7時から朝食 8時ロビー集合 8:05出発 アドリア海を右手に見て・・・ウキウキと 【世界遺産】を満喫であります。 ☆yuriyu♪♪さんのアドバイスで、海が見える右側席をGET! そうしたら・・・閉じ込められたおばちゃまの1人が 坐る席が一番後ろの真ん中なので・・・コロコロ転がったら怖い! と、言うので 「私のお隣に、どぅ~ぞ!」と呼んで まんまと坐ったきらり。だけど アドリア海一望の右側座席の窓席を譲った! おばちゃまが、申し訳ないわね~窓際に坐らせてもらって あら~景色が良いですね~本当に嬉しいわと大感動 そして閉じ込められ事件の説明を聞いたのであります。 色々あるランキングにポチっとなう。→
2011.01.13
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どうも子どもの遠足状態が何日も続く傾向があるきらり。ですから寝られない!寝てもすぐに起きて眠れない状態になるのですが、これに悩まず♪それでこその楽しみを見出すきらり。であります・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・眠れぬ乙女 クロアチアのオパティアホテル 手前のベッドで3時間睡眠 昨日買った「絵葉書」書きましょう 今回は、住所録を持参したので ぼ~っとしながら書いたけど 5枚も書いたよ! スロベニアの冬の風景「ブレッド湖と聖マリア教会」 まだまだ朝までは、長い 両親ともA型で きらりもガチガチA型の気質 毎晩の楽しみは荷物整理♪ これが・・・・意外と時間を要する 荷物整理完了 ほ~っ そうだぁ~ クロアチアのお金「クーナ」 1クーナ=16円 もう算数が、何より苦手なきらり。 インド人なら 「16の段のかけ算」できるから便利だよね! 「クーナ計算表」作ろう 夜中に「16の段」暗算は、厳しい ・・・・え~っとクロアチア 1クーナ=16円 ○玉(貨幣) 10リッパ(小玉)1、6円 50リッパ(小玉)8円 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1クーナ (中玉)とり1匹=16円 2クーナ (大玉)さかな1匹=32円 5クーナ(特大玉)くま1匹=80円 「さつ」 「10クーナ」兄さん顔=160円 「20クーナ」ハゲひげ横顔=320円 「50クーナ」アフロヘア=800円 「100クーナ」ハゲひげ正面向=1600円 「200クーナ」ハゲひげおじさん=3200円 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クーナ かけ算表 1=16 6=96 2=32 7=112 3=48 8=128 4=64 9=128 5=80 おおお・・・・これで明日からのお買い物準備 そうだぁ~この「クーナ」計算表 お金の区別が分からないって・・・いちいち広げて私に見せる あの おじいちゃまと おばあちゃまに渡そう♪ 朝フロントで、コピー1枚をお願いしたら・・・ 即、1枚 「おいくらですか?」と、聞いたら 「いや~お金は、いらないよ!」と言われ ラッキー あのおじいちゃまと おばあちゃまが 通りかかり 渡していると・・・ そこに・・・ ブレッド湖で怒った おばちゃま軍団がいらして そうだ~無料なら・・・ 「ああ~すみません!あと5枚お願いできますか?」 とフロントで聞いたら・・・嫌な顔をされるかと思ったけど ニコニコ笑顔 あと5枚のコピーをしてくれた。 なんと優しい~フロントマン あと5枚の「クーナ計算表」は あっという間に大人気で 面白いね~表現が最高だね ハゲに ヒゲに アフロヘアー・・・分かりやすい 玉(貨幣)のお金も くま さかな とり おじいちゃま達も理解して・・・さぁ~出発! その時新たな事件勃発ポチっとなう。→
2011.01.12
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旅に出ると経済観念が欠乏してしまう私ですが、星2つのホテルが、元貴族の古い古いお屋敷だったなんてステキだな~と思うのであります。どう考えてもコーヒーよりも水よりもワインが安いなんてクロアチアは、ステキ過ぎる・・・・・ 『クロアチア旅日記』・・・オパティア温泉事件 19世紀の貴族の館でお姫様気分になろうと思ったけど 古いお屋敷で設備も古いから(ホテルのサイト) 私たちは、新館に宿泊 入口ドアーを開けると ふつう~ (地味) ベット2つ 今度は、カラーテレビ 化粧台 窓の外には、バルコニーに椅子 あちゃ~お姫さま気分は・・・? 旅立つ前に「寒いから入浴剤」を持って行くと良いよ! とのアドバイスをいただいた「元気なパパさん」→ぽちっと、ブログなう。 スロベニアのホテル☆☆☆ バスタブが無かった ここオパティアの☆☆ホテル バスタブあります やったぁ~ 入浴剤 良いですね~ ただし・・・バスタブが あった時だけ 雨あられに歩き続けこんな時は 温泉気分です~ でも、この温泉はちょっと小さくて深い 向こうを向いてとっぷり浸かった ええ・・・・・・・・背中がっ ペッタン! ええ・・・・・・・・張り付き! 何で? どう言う事? 吸盤、きゅうばん状態 ええ・・・・・吸盤ですよ! きらりの 超~柔らかい お餅みたいな背中が バスタブの後ろ部分(背もたれ部分)に キュ~~~ッと。 張り付いて 身動きできませ~ん! バスタブの真ん中辺りが 微妙に へこんでいるからです。 多分、このお風呂は、こっち向きに入るんだろうな~ それで足を上げて入るのかな? と後悔したけど・・・ 背中がバスタブに張り付いて出られないなんて・・・ 誰にも見られたく無いし・・・ そんなアホな事 ありまへんがな~ぁ ううう・・・・・・・・こんな時は 落ち着いて このまんま 温泉に浸かって のんびり。。まったり~ あああ・・・・力が抜けたせいか 私の人間吸盤は スッポン! とれた・・・・ の話ランキングポチっとなう。→
2011.01.11
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クロアチアの第1泊目は、オパティアと言う都市で、19世紀の元チェコ貴族の館であります。クロアチアとハンガリーとオーストリアは、当時、同盟関係にあった為にチェコの貴族がオパティアの高台にお屋敷を造ったのかしら? 『クロアチア旅日記』貴族のワインで乾杯 クロアチアのオパティアの高台のホテルでディナー バイキングなのでこんな感じで持って来ました 貴族の館は、ホテルに改装 元貴族の館なのに ☆☆2つ星ホテル 庶民的な・・・予感 でも外観は、オーストリアの宮殿みたい HOTEL OPATIJA(オパティア・ホテル)の写真 お庭は、ベルサイユ宮殿の中庭風 高台だから・・・憧れのアドリア海も見える 部屋の仕切りや扉は ヨーロッパの宮殿に似ています 19世紀の貴族が、住んでいた時と変わらない ディナーは、バイキングでだったけど ワインは7クーナ(112円) ええ・・・安いんじゃない? クロアチアもワインの名産地 でもお勘定書きには、 サービス料込み8、5クーナ(136円) あちゃ~136円 安くない? クロアチアの貴族のワイン むっちゃ~庶民派? それにしても・・・ 円高で、 1ドルが 82円 1ユーロが 111円 1クーナが 20円だったのが 16円に 円高 7クーナが 112円だょね! 円高が、こんなにありがたいとは・・・・ まくら銭も7クーナで・・・よろぴく♪ええ~2万円も両替何処で使うのポチっとなう。→
2011.01.11
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クロアチアの難しい歴史を少し理解しただけでもオパティアのホテルが、何故チェコ貴族の館が、ホテルに変わっているかと言う疑問さえ容易に理解できるのであります。何も知らずに、ぼ~っと旅をしていると、旅の楽しさも半減であります♪ 『クロアチア旅日記』・・・貴族の館に宿泊 スロベニア・ポストイナ鍾乳洞から・・・国境を越え クロアチアのオパティアに到着宮殿でディナー なんと~今夜のお宿は、 19世紀のチェコ貴族の館 ええ・・・クロアチアなのに? どうしてチェコ貴族の館があるの? はい その理由は、前回のブログで・・・なんとなく? 19世紀には、同盟関係にあったらしい? オーストリアのハプスブルグ家もであります。 この辺りには、チェコの貴族の館が、いっぱい このホテルは改装し、19世紀のもので 黄色い館は、確かにオーストリアのお城みたいだし お庭は、ベルサイユ宮殿のミニュチゥアっぽかった! え~凄い秘密がありそうですね・・・ ランキングは没落ポチっとなう。→
2011.01.10
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クロアチアの歴史をさら~っと さらって見ると・・・・・・・クロアチア共和国(Republika Hrvatska) クロアチア 首都=ザグレブ 東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和制国家西にスロベニア北にハンガリー東にボスニア・ヘルツェゴビナセルビアと国境を接している 南はアドリア海に面し飛び地のドゥブロヴニクでは、東にモンテネグロと接している 1991年 ユーゴスラビアから独立 ・・・・・・・・・歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【クロアチア統一】 9世紀、北方・西方からフランク王国南方・東方から東ローマ帝国の圧力が強まる。 カール大帝治世に、フランク王国に含まれ、カトリックを受容 両勢力を牽制しつつヴラニミルがクロアチア統一を進め、879年にローマ教皇ヨハネス8世から独立国家として認められた。 その後、トミスラヴ1世のもとで発展をとげるが、彼の死後しばらくして後継者争いから内乱へ突入した。 【同君連合】 このことがハンガリー王ラースロー1世の介入を招き 次のハンガリー王カールマーン1世が、1102年クロアチア・ダルマチアの王として戴冠を受けた。 これによって、クロアチアとスラヴォニアはハンガリー王国との同君連合の枠組みの中に組み込まれハンガリー王はクロアチアに広範な自治を認めた。 【オーストリア・ハンガリー帝国】 15世紀にはオスマン帝国に征服されその領域に組み込まれる 18世紀末までに、オーストリア、ハンガリーによって回復されてる。これ以来ハプスブルク体制寄りの姿勢をとり 1848年の三月革命の際にはクロアチア人の軍人イェラチッチがハンガリーなどでの革命の鎮圧に活躍している。 1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が成立実態的には「オーストリア・ハンガリー・クロアチア三重帝国」 アドリア海沿岸のダルマチアは他2地域とは別の歴史をたどった。 ダルマチアは10世紀末にヴェネツィア共和国の植民地になった。 複雑な海岸とそれに連なる島々で構成されるダルマチアは天然の良港の宝庫であり、 海洋国家ヴェネツィアにとって非常に重要な地域となった。 1815年のウィーン会議においてオーストリア帝国直轄領になるまでヴェネツィアの支配が続く。 【ユーゴスラビア】 1918年に第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。 離脱したクロアチアは、セルブ=クロアート=スロヴェーン(セルビア・クロアチア・スロヴェニア)王国の成立に参加。 1929年 国名をユーゴスラビアに改名 しかしこの連邦国家にはクロアチア人側から、セルビア人に対して政府をコントロールしているのはセルビア人であるとする反発が大きく1939年にはこの不満を解消する目的で、広大なクロアチア自治州を設定したが不完全な対応であった。 クロアチア自治州の設定だけでは満足しないクロアチア人勢力は、アンテ・パベリッチを中心として、クロアチアの独立を掲げる民族主義団体ウスタシャを設立。 1941年反独クーデターによる親英政府打倒の為ユーゴスラビアに侵攻したナチス・ドイツの支援を背景として、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニアとヴォイヴォディナ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの一部に跨るクロアチア独立国を成立させる。 セルビア人勢力のチェトニックとの間で凄惨な戦闘が繰り返される。 1945年に戦闘が終結するまでの4年の間セルビア人が強制収容所などで70万人が虐殺されたとセルビアは主張している。 クロアチアはその数はおおげさだとしており、ほぼ同数のクロアチア人がセルビア人によって虐殺されたと主張している。 この論争は後のクロアチア紛争の火種となり、クロアチア紛争でも同じような論争が繰り返されることになった。 ユーゴスラビアの混乱状態は、ユーゴスラビア共産主義者同盟が指導するパルチザンによってユーゴスラビアが自力開放されることによって収束された。 戦後、以前のユーゴスラビアの枠組みの中で国家の再建が目指され、以降このパルチザン闘争を主導したヨシップ・ブロズ・チトーの巧みなバランス感覚と、カリスマ性によって多民族国家ユーゴスラビアは維持されたが、 1980年にチトーが死去するとそれまで押さえ込まれていた各民族の不満が噴出しはじめた。 クロアチアでは歴史的な経緯も含めてセルビアに対する反発が強く、 特に1980年代半ばからセルビア民族主義を掲げるスロボダン・ミロシェヴィッチが登場するとその不満はピークに達した。 【独立】 東欧革命以降、旧東欧地域でそれまで一党独裁の地位にあった社会主義政党が自由選挙を認め民主化の気運が高まると ユーゴスラビアでもこれを認め1990年に戦後初の複数政党制による自由選挙が実施 クロアチアではユーゴスラビアからの分離独立を掲げるスティエパン・メシッチが政権を掌握 以降ユーゴスラビア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。 1991年3月2日には、西スラヴォニアの帰属をめぐってユーゴスラビア連邦軍とクロアチア警察の間で睨み合う事態となり 3月31日にはプリトビツァで両者が衝突、死者を出す事態となった。 クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており 6月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、78パーセントの賛成。これを受けて6月25日、スロヴェニアと同日に独立を宣言した。 一方で、ユーゴスラビア連邦軍は、クロアチア領内でもセルビア人が多く クロアチアの独立に反対していたクライナ・セルビア人自治区のセルビア人保護を目的にクロアチアに侵入 クロアチア軍は9月半ばにはユーゴスラビア軍との全面衝突となりクロアチア紛争の激化に繋がった 1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者と難民を生み出した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上ウィキペディアさま参照落ち込がっかりモードのランキングにポチっとなう。→
2011.01.10
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旧ユーゴスラビアのスロベニアから無事に国境を越え「クロアチア」に入国しました。スロベニア通貨はユーロになっていますが、クロアチア通貨は「クーナ」であります。国境を越えた所にある両替所は、レートが、まあまあなそうで旅の間に使うお金を全部両替しました。 『クロアチア旅日記』・・・クーナに両替 国境を越えるとすぐに・・・ 両替所が レートは、銀行並みだと言うので 旅の8割が使える通貨 クーナ 食うな く・う・な・・・・じゃなくって 「クーナ」に両替 以前は、1クーナ=20円だったらしいが 最近の円高の為のお陰で・・・嬉しい事に 1クーナ=16円 むっちゃ~儲かって嬉しいけど・・・ 5日間も ×16をするのは 文科系のきらり。にすると ×16 ×16は大変なストレス お買い物をしないコンダクターでも5000円は、必要らしい? それでも、旅慣れた方々は、3000円~1万円を両替 旅慣れないきらり。 日本円からの両替は、この先難しいし・・・心配は、カードも使えるか? 思い切って2万円を両替 5日間の酒代クリスマス・マーケット路上のお店 物価が安いって言うから・・・2万円分も楽しめそうウキウキ えええ・・・きらちゃん!2万円も何買うの? って聞こえました・・・ 何買うか分からないから・・・2万円であって 何を買うって・・・どうせ他人には、下らん物だけど 戦争を経て生き残った人たちからのお買い物は、 路上の市場であって・・・クーナしか使えないはず 個人的国際親善大使として・・・活躍のための資金これは 善いお金の使い道・・・ ご苦労な地域に還元ランキングポチっとなう。→
2011.01.10
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クロアチア・スロベニア・ボスニア ヘルツェゴビナ・モンテネグロを9日間も旅をして来ましたが、 行き逢う観光客は、私たちのグループと、 もう1組これまた同じ会社のお金持ちビジネスクラスのツアーのみ・・・・ なんと、わたしたちは、 クロアチア・スロベニア・ボスニア ヘルツェゴビナ・モンテネグロ を独り占め・・・・・・貸切だったのです。 雪景色のヨーロッパが好きなきらり。 相当な物好きでありますが・・・・ そんな物好きが38名 そのうち一人旅が10人も それは、思ったより ずっとずっと 個性的な人間の集まりであります。 まぁ~その中で1番の変わった人間は、きらり。 だと言われそうですが・・・・自覚なし そんな個性的な集団を束ねるコンダクターは、 定年を来年に控えた超ベテランの広重さん ちゃうちゃう広重は、広重でも字が違うんだけど 14回も国境を越える旅ヨロピクです 写真クロアチア【世界遺産】ドゥブロヴニクの目抜き通り ベストシーズンには、3万人が、ここを歩くと言う「満員電車状態」 ドゥブロヴニクの気温10度で・・・・とっても暖か 3週間振りの晴れだと言うから・・・晴れ女もビックリ 転げ落ちたランキングポチっとなう。→
2010.12.18
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ただいま帰りました。むちゃむちゃ元気で帰って来ました!クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロは、全て貸切状態で、どこへ行ってもひとり締め!何と素晴らしい7つの世界遺産を周る事が出来ました♪顔がちっちゃくて長身で何と姿の凛々しき美しいイケ面がいっぱいでした・・・そしてほしのきらり。生涯でこんなにモテモテだった事は、あったで、ありましょうか?お話したい事は、盛り沢山でとても言い尽くせないので・・・とりあえずきらり。生写真を1枚・・・色黒の彼氏とともに お友達になったブラッキー君 クロアチア【世界遺産】プリトヴィツェ国立公園にて (ここにも信じられない激しい戦いの歴史が・・・?) 昨日出国する為に3時に起こされ・・・空港へ ・・・・しかし飛行機は、欠航 ヨーロッパの空港は大混乱 なんと奇跡が起き帰って来れました ランキング一気に脱落ポチっとなう。→
2010.12.16
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