赤岩 茂 『一日一話』

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2006.03.17
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カテゴリ: 人生
 一昨日、テレビのニュースでカンボジアで音楽を教えているところが放映されていた。カンボジアはポルポト政権下で知識人や芸術家が弾圧され、それらを教える人が極端に少ないのだそうである。私がはっとしたのは、子供達の目の輝きである。当然経済的には日本よりも格段に恵まれていないのであろう。しかし、その目の輝きは残念ながら今の日本の子供達にはないのではないか。

 畏友の宝蔵寺湯澤宥広住職の話をしよう。彼はまったくのボランティアで「アフタースクール寺子屋」を開いている。ここでは遊びもするが、その後静座を行い、住職の法話もある。規律を乱した子供にはゲンコツもある(これが入校の条件でもある)。対話の中で、「なぜ戦争は起きるのか」という難しいテーマも語り合うそうである。子供たちは、「自分の考えを無理矢理相手に押し付けようとするから起きるんだ」ということも言い出すそうである。彼の哲学である「叱ることは語り合うことであり、伝えることである」の実践がこのような成果を産み出しているのだ。この記事は、昨年8月のプレジデント誌で取り上げられ紹介されている。このような取組みが日本の津々浦々に広がりをみせることを心から願うものである。
 さて、人間を成長させる種としての夢と希望である。子供たちに「情けない!」と言う前に我々大人たちはどうなのか。「夢はあきらめるもの」と断定していないか。日常の生活に埋没していつのまにか希望を見失っていないか。子供たちの悪しき手本となっていないか。反省すべき点は多々多い。

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Last updated  2006.03.17 07:00:36
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