ふゆゆん亭
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「誰にも言えなかった恥かしい話し・1」の続きです。そんな事を考えていたこの頃、夫が最近図書館から借りて来た本が「MIさんにぴったりだよ」と夫が言うのです。それはハリエット・ブレイカー著「思わずYESと言ってしまう自分 」と言う本です。開いてみると、プロローグに『「好かれたい病」のひとたちは、 自分より他人を優先してしまう傾向が強く、 決して「ノー」と言えず、 際限なく他人に認めてもらいたがり、 自分以外のすべてを幸せにしようと汲々として、 人生を台無しにしています。 重度の「好かれたい病」は、 人を幸せにしようとときどき一肌脱ぐ、 といったことではありません。 もっと重大な結果を招く 深刻な心理学的問題なのです。』とあり、現在の私もかなりノーと言えないのですが、特に十代の頃の私は重度の「好かれたい病」だったと確信しました。高校生の頃、私は「ノー」と言えずに散々な目に合いました。やり直せるものならやり直したい時代です。この本は余りにも私に合う症状なのでこれは読まなければと思いました。そして思い至ったのが、二十代の頃に密かに思っていた「この店の人たちのためなら 身代わりになって死んでも良い」と言う考え方です。「好かれたい病」テストにある24の質問の中に沢山該当するものがあったのですが、特に『3 愛しているひとのためなら、 自分のことは後回しにすべきだ。』 『4 自分は対立や喧嘩を 超越していたいと思う。』『11 自分は後回しにして、 ひとを幸せにすることを優先する傾向がある。』『14 誰が相手でも、 対立したり対決したりすると、 どうしようもなく不安になる。」『17 愛してもらうためには、 つねに自分を与えなければならないと思う。』『21 ひとを怒らせるような言動をとることは不安で、 落ち着かない。』『23 何かを頼まれて「ノー」と言うと、 とても後ろめたい。』この辺がとても強く自分の中に感じるものがありました。十代、二十代の頃の私の中には自分を犠牲にしても他人を優先する事が普通になっていたのでした。私の優先順位は確かに狂っています。その優先順位の狂いによって生じさせた思いが「この店の人たちのためなら 身代わりになって死んでも良い」と言う思いだったんでしょうね。今はもうそんな風には思いません。自分をもっと大事にしようと思います。3日(土)に参加した「身体ほぐし、心ほぐし」で自分の腕に感謝しながら感じた思いは自分を大事にする事が出来るようになった自覚の始まりなのかなと思いました。私は自分を大事にしたいです。私は余りにも自分を蔑ろにして来ました。親から認められなかった子どもが私の中にはしゃがんで泣いていてその子が微笑む事が出来るように自分を愛してあげたいと思いました。そこから私の本当の前向きの「生」が始まるのだと思います。
March 5, 2007
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