1

「今年は会いたいですね」よく年賀状にこう書いたり、書いてあったりしますが、結構これってビミョーかな?と、この冬年賀状を眺めながら、思いました。久しく会っていない知人。本当に会ってみたいなと思っていたら、この言葉は、でないだろうなと思うのです。「今年こそ会いましょう」ともう少し言葉が力強かったり、「”いついつ”に会いたいですね」とか、「スキーにでも行きましょう」とか、なんかしら、具体的だったりするのではないでしょうか?じゃ、「今年は会いたいですね」はどういうときにでるんだろう?・会ってもいいけれど、自分から積極的にチャンスを作るほどではない・会いたいと思っているけれど、相手もそう思っているか、そういう状況か、自信がないそんなところですかねー?普段普通に生活している中で、自然と会うことがなくなってしまった知人たち。お互い気持ちよく会おうとすると、エライパワーが必要です。・さりげないお誘い(仕事都合でもないと結構頭使います)・時間の約束・待ち合わせの約束・会って何するかの計画見極めが結構難しい。わがまま言い過ぎてもいけないし、自分のリクエストはある程度だしていかないと、選択に困ることもある。「今年は会いたいですね」そんな、お互いの状況や気持ちを見極めるリトマス紙みたいなものですかね?
2006年01月17日
閲覧総数 22
2

年休とって三日遊び、仕事に戻ってみると、ほけらーっとして、魂が職場に戻ってこない。今度はあそこに行きたいな?といったことをぼんやり頭のどこかで考えている。そんなかんじです。今回は、休み明けの月曜日いっぱいで、今日・火曜日は魂が戻ってきました。さてー、仕事とするかー。そんなかんじです。いつものサイクルだと土日にやることがやれていないので、家の中もごたつきますね。仕事は早めに済ませ、たまった洗濯、簡単な掃除、食料品の買い出し、など、家事にも勤しみながら、魂だけじゃなく、生活そのものも、徐々に普通に戻ってきた感じがします。
2006年01月24日
閲覧総数 2
3

研修で写真管理のことが話題になりました。写真は、デジカメ、フィルムと両方撮りたい。フィルム写真はアルバムに貼り(残すもの)、デジカメは人に伝えたり、年賀状などの印刷用(記録や一過性)としてきました。他人がどうであるかは考えず、自然とそうしてきました。「もうデジカメしか使っていません」と複数の人に同時にいわれ、ちょっと驚きましたが、どちらかといえば、驚いている方がどうかしているか・・・最近のカメラ売り場の様子やプリンターやプリントサービスのCM、カメラやフィルムメーカーの動きを思い出せば、当たり前のことだったかもしれません。デジカメ写真はPCでみると解像度の高い写真はでかすぎてみにくいと思っていましたが、プリントしようと思うとできるだけ精細にとりたいはずであり、解像度は高ければ高いほどいい・・・はずでもあり、店頭にそういう売り文句が並ぶのもわかります。じゃあ、自分はどうするか?多くの人がそうだから、そうするか・・・とまでは思えていません。現在のところ。【心のつっかかりその1】プリンターで印刷した写真を長年保管したとき、どうなるか?フィルム写真は、明治時代だのみているので、なんとなく、とにかく残るというような安心感がありますが、印刷したものの色あせはちょっと予測ができません。ファイルを残しておけば、もう一度印刷すればいいじゃん!といわれたらそうかもしれません。が、アルバムの整理は面倒なもの。もう一度印刷なんてさらに面倒。【心のつっかかりその2】デジカメ写真の写真は、なんか、違う。色合いが違うような、遠近感が欠けるような、偏見かもしれませんが、まだフィルムの方がいいような気がします。【心のつっかかりその3】写真の管理の仕方のお手本がない。調べていない状態での発言なのですが・・・・よくネットにアップされたアルバムをみるのは楽しい。あれがpc内で管理できればそれでいいかもしれないけれど、バージョンアップとかあるけれど将来にわたって使い勝手を維持できるのか?確信がもてない。現像したフィルムやアルバムは場所を取るので、今の生活なら、電子的な方がいいかもしれません。ちょっと調べてみて、デジカメ写真の管理を考えてみようと思います。でも、当面フィルムなしは不安だなー。
2006年05月27日
閲覧総数 2
4

1年以上もブログ休んでいました。30代後半で妊娠を目指していたものの、2年以上結果がでず、追い詰められひきこもっていた・・・ためです。心の狭い自分にいやになりながらも、ひきこもって、ひたすら周囲との接触を避けてました。子供のいる友人や子供ができたのと言われそうな友人とはあわないよう逃げて周り、親、親戚や妊娠中の義理の妹が集まるような場所はできるだけ短時間で切り上げ、仕事以外の話をすることになりがちな職場仲間との飲み会も避けていたというのが実態です。今日書きはじめたのも、ようやく結果が出たという非常に単純な理由です。われながら、いかにも心が狭くていやになりますが、自分の記録として残したいなという気分になったことと、心の狭い自分をさらけ出すことはできなかったけれども、心の狭かった自分については、話してみようと思えたこと、また、同じような理由やもっと大変な思いをして前向きに思えない人には、ネガティブになって当然、恥じないでほしいということを伝えたい思い、今までのことを書いておこうと思います。<不妊治療の経過>2005/05 単身赴任解消のタイミングで自分で努力(35歳)2006/10 不妊のため、病院に通う 検査(特に問題なし)、タイミング(6回すべて失敗)2007/05 AIHにステップアップ(5回すべて失敗)2007/11 漢方をプラスするも体質改善の兆しなし2007/12 IVFにステップアップのタイミングで転院 完全自然周期・排卵済で採卵失敗2008/01 完全自然周期・空砲で採卵失敗2008/02 クロミフェン周期・採卵3、新鮮胚移植するも×2008/03 凍結盤胞移植にて陽性(37歳) 4/6現在、7W0D<治療中の生活>病院に通い始めてから、不妊治療が最優先となり、卑屈な気分もあり、人と会うことを避けていました。人が妊娠したという話を聞けば不愉快。私に気を使ってそういう話を避けたり、トーンを下げられても不愉快。みんなが「どうして妊娠しないんだろうね」と思っているんじゃないかという被害妄想。親からどうするつもりか、早くに高度治療をすべきではといわれキレる。こんな状態では、プライベートでのおつきあいでは、話題に欠き、不愉快な表情を見せる結果となるので、自然と避け、遊び相手といえば、夫がほとんどでした。<治療と仕事>仕事は正社員として、淡々と続け、仕事に関しては、周囲とも比較的コミュニケーションをとっていたと思います。職場の後輩たちを交えた飲み会は、単純に飲み騒ぐもので、楽しく参加できたのですが、妊娠には好ましくないアルコールを激しく飲むことも多く、残念ながら、次第に回数を減らしていきました。仕事は、出先部署におり上司の目がなく、個人プレーと融通のきく職場だったので、治療で必要となれば、「今日はお休みします」とだけ連絡し、休みを取りました。突然休んだりするので、同僚からの信頼は失っていたと思います。もともとは転籍を希望してきましたが、それを断念しました。仕事は現状維持となり、新しいモノを吸収したり、チャレンジしたりすることが減り、仕事の幅が広がらないことへのストレスがたまりました。最終的に、子供ができればよいのですが、そういう結果が得られなければ、仕事を中途半端にしただけになったらどうしようかと焦る気持ちもありました。また、現在、この間の仕事の影響で、出産後の職場復帰意欲は減退気味となってしまいました。今の仕事を現状維持で続ける道はありますし、できる自信もあるのですが、仕事は現状維持だけではやはりおもしろくなく、かといって新しいことにチャレンジできるかというと、今までのマイナスのほか、妊婦生活や育休ブランク、高齢ママによる育児との両立を乗り越えて、できる自信がないというのが理由です。それから、治療を行っていることは、職場の人に打ち明けることはありませんでした。
2008年04月06日
閲覧総数 49