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左近山団地@ Re:ジャマイカとケニア(08/26) 藤沢奈奈 滝瀬世莉
カマキリ@ Re[1]:ジャマイカとケニア(08/26) 痛快TVスカッとジャパンさんへ
ジャマイカ@ Re:ジャマイカとケニア(08/26) ジャマイカ ケニア
04an @ Re:モーニング・ページ 1月29日(01/29) こんばんわ 【旅立ち】 メロディーと歌詞…
2018/12/09
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カテゴリ: 日本経済
​​​​​ 『新時代の経済学入門』経済学教育学会教科書編集委員会 編 教実出版株式会社 1998年4月 

第Ⅰ部 日本経済 

第3章 高度成長の条件と結果
第1節 日本の高度成長の姿



1-2 産業統計からみた高度成長
 次に、基本的な産業変化を示す(表3-2)。大戦前の日本のさんぎょうは、第一次世界大戦のじきに重工業化が進んだといっても、まだ軽工業との大きな差はなかったし農家の比重も大きかった。大戦後の日本の産業は、欧米の技術革新を積極的に導入して重化学工業化を進め、特に機械工業部門の力量を急速に高めていった。専業農家数が急減した以上に農家の農業依存は急減し、農家の大半は第二種兼業農家となり、休日等を利用して米作は続けるものの、所得を農業以外の産業に頼ることになった。
 この表から、次のようなことがわかる。
a)第一次産業の衰退、第二次・第三次産業の発展。関連して、雇用者数とその比率の急増。

b)製鉄産業の急発展と、繊維産業の停滞(工業全体での比率は1920年44%だったのが1970年8%となった)。

c)機械工業の急発展。特に、家庭用電器生産と自働車生産の急成長。

d)農業所得の伸び悩みと、農業の兼業化の進展。他方、コメの土地生産性の向上。

高度成長のなかで、大戦直後には花形産業であった石炭産業が衰退し、石炭から石油へとえねるぎーの転換が急展開し、石油に深く依存した生産体制が成立した。これに合わせて、石油化学産業も発展して産業の重化学工業化が進んだ。これは、同時に公害問題を引き起こすことになった。こうして、高度成長以降の発展を踏まえると、この時期の工業の特長は次の4つにあらわれている.

 第一に、製鉄産業の発展である。
 鉄は「生産のコメ」といわれる。製鉄産業の積極的な設備投資の結果、粗鋼生産量は急増して世界一となった。また、鉄鋼の一貫生産等の新生産方式を全世界から積極的に導入して、技術水準をも世界一に引き上げた。鉄鋼の限らず素材産業の技術水準の高さが、自動車等の機械工業の発展を支えることになる。
 第二に、家庭電器製品の普及である。
 先に示した「三種の神器」の普及等、家庭電化という国民の消費意欲の急拡大が成長を支えた。またこれは、国民の要求にこたえるだけでなく、国民の新たな需要を生みだすよな、優れた製品(トランジスタラジオ等)を積極的に創造した家庭電器メーカーの製品開発力による部便も大きい。この民生重視の技術という側面は、軍事技術の開発で力をつけてきたアメリカ産業との決定的な違いとなっている。
 第三に、機械産業の発展である。
 大戦前の日本では、一部の機械に優れた技術があったものの、全体としては、機械工業の技術水準はとりわけ低かった。日米の自動車産業は、生産力で100倍の較差があり、日米の軍事力の絶対的ともいえる較差を生み出していた。
 鉄鋼等の素材産業と、トランジスタ等の部品産業の技術向上を基礎にして、さらに日本独特の生産管理技術(生産過程で不良品を少なくする)を加えることで、組み立て産業である機械産業は戦後日本の工業技術の中核を担うまでに変貌したのである。これは、多くの部品生産を大企業の下請け企業として支えた、専門の中小企業の技術力・生産管理力の高さが大企業の競争力を支えたといえるだろう。
 第四に石油化学産業の形成である。
 戦前には存在していなかった石油化学産業が成長し、プラスチックその他の製品があらゆる生産物の材料・部品として用いられるようになった。



表3-2 高度成長期の産業統計



第一次産業の人口減少ではこんな経験をしました。

1968年に小学校に入学し、そのあと3年ほどで集落の人口が、がたりと減りました。

卒業式が終わると、少し広いところに家財道具が並びセリが始まりました。

鉄瓶や食器棚等なんでもあった記憶があります。

田や畑を人に譲り、札幌や本州方面に出ていく人が激増しました。

3年ほどで春先のセリの風景はなくなりました。出ていく人がもういない状態です。
1965年から75年にかけて第一次産業就業者数が1,173万人から735万人に激減した時期と記憶が一致します。

1973末から75にかけて世界経済は、経済恐慌に襲われます。
トイレットペーパーが店頭から無くなるというニュースは今でも時々TV番組で見受けられます。


 世界経済の中で日本経済が世界に先駆けて回復する過程は、また別のところで触れてみたいです。

 この春先の3年ほどのセリに記憶は、私が経済学を学ぶきっかけであり、分析対象の時期でした。
農村の疲弊する状況を分析しました。
今だに経済学から離れられないのはそのようなことに帰着するのでしょうか。

 いまだに故郷が恋しく、いつか戻りたいという気持ちは、変わりません。
故郷には、いかんせん食うための職というものが少ないのです。

 高度成長の時期は農村部の人口を都市に移動させて、必要な人口を確保しましたが、現在はそれができない状況です。
 人が18歳で働けるようになるとして、新しい労働力を18年待てない状況をどうすればよいでしょうか。

昨今ニュースであるように海外の人を 労働力としてのみ 入れようとする、不可思議な論議が起きています。
 労働力は労働者の能力であり、労働者には家族があり、心の満足を家族に求めたり、働く動機のひとつが家族への愛情でもあります。

 人間というものを根本から考え直さなければ、手遅れになります。

そんなことを理解しない国会議員は、いかほどのものだろうと、素朴な疑問が起きます。

少し批判的になってしまいましたが、冷静に考えていきましょう。
​​​​​
お昼にします。

それじゃあーまたね!!(@^^)/~~~
byゴールデンカピバラさん





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Last updated  2018/12/09 12:20:39 PM
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