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妹が先日、「視える方」に将来の事を相談しました。
答えは手放しでは喜べない答えでしたが真実に近いと思いました。
ついでに今回も、唯の事を教えて貰いました。 信じる信じないは別として記録します。
「今の唯ちゃんはもう、死んだ事を悲しがって居ない」
「いつもお母さんやむう君を守ろうと見てる。(傍で見てる)」
そうなのかも知れない。でも「本当に?」って思ってしまう.
神や仏を信じなくなった私は物事を素直に理解しない。
『今は死んだ事を悲しんで居ない』なら当時はとても悲しかったのでしょうか。
娘がどれ程「 帰りたい!帰りたい!」
と悲しい思いをしたのかと考えるだけで胸が潰れそうになる。
「いつもお母さんとむうを守ろうとしてくれてる。」 素直に受け止めたい。
でも、やはり守って貰うんじゃなく、私がずっとあの子を守りたかった。
亡くなった方が「守ってくれる」とか、「救ってくれた」とかよく耳にします。 特にテレビ。
それじゃ無残な事件に巻き込まれ、命を落とした子供たちはどうなるんだろう。
だれも先祖たちが見守ってくれてなかったのか。と私は考えてしまいます。
亡くなった人は無力なのだ。。
思う事で先祖への怒りを鎮めてます。
でも、私は墓になど2度と行かない。 だからお盆なんて下らない。意味がない。
何故に祖父母や両親を亡くしたかの如く、全ての死別を一緒にして 子を亡くした親に云うのだろう。
見守ってくれる。助けてくれる。立ち直って昔の貴方に戻るべき。笑って。ちゃんと逝かせてあげて。
判ってます。それが出来るならとっくにそうしてます。
でも自分の子供はそうは往かないんです。無理なんです。
両家墓にて納骨式を終えた 2023.01.12 コメント(2)
両家墓で我が子の墓を、。 2022.11.02 コメント(4)