ブラームスと云えば此の曲、此の劇、此の映画!
全日空機に乗ってブラームスが聴けるとは何たる幸運!
全日空の飛行機で、機種を選べるなら何に乗りたいかと聞かれたら、拙者は迷わず「エアバス321」を選ぶだろう。欧州テイストに滅法弱いだけじゃなく、席毎にモニター画面が付いているからだ。音楽番組を検索していたら、何と! ブラームス:ハンガリー舞曲集 をやっているではないか。ハンガリー舞曲集は、拙者が書いている 小説 の最終版で登場させる予定なので、何だかとても嬉しかった。ただし、機内はエンジン音がやかましくてクラシック鑑賞に極めて不向きであるが。
ブラームスの生きた時代~ドイツの青春時代
ブラームスが生きた当時のドイツは、鉄血宰相ビスマルク率いるプロイセンがドイツ統一に向けて破竹の勢いで猛進していた時期と重なる。ブラームスは熱心な愛国者であったとされる。と云っても、現代人の考える愛国云々とは微妙に趣が違う。大小様々な国々が分裂状態で存在していた19世紀のドイツ~ブラームスは「プロイセンを心から愛していた」のである。彼の部屋には、プロイセン首相ビスマルクの肖像画が飾られていた。
こんなことがあった。ドイツ統一の主導権をかけてプロイセン王国と ハプスブルク帝国(オーストリア)
が全面戦争となった(普墺戦争)。ブラームスはウィーンで活動していたが、プロイセン軍圧勝の報を受けると一人で狂喜乱舞していたという。其れでも逮捕されることも無く音楽活動も出来た訳で、なんとものんびりした時代なのである。
意気消沈するウィーン市民を勇気付けるために、ヨハン・シュトラウス2世が「美しく青きドナウ」を作曲したのはあまりにも有名な話だが、ブラームスはシュトラウスの親友でもあった。プロイセン万歳のブラームスも、さすがに此の曲には感銘を受けたそうだ。
普墺戦争に勝利したプロイセンは、ドイツ統一の邪魔をするフランスを蹴散らした(普仏戦争)。ようやくここに ドイツ帝国
成立という大事業が完成~ブラームスは「ドイツ軍勝利の歌」を作曲し、是を祝った。よかったね・・・。
ブラームスは、統一ドイツが着々と国力を増強しつつある19世紀末~1897年に亡くなった。 帝政ドイツ
が、まさか其れから20年足らずで呆気なく倒れることになろうとは、ブラームスも想像しなかったに違いない。変な云い方をすれば、彼は「いい時に亡くなった」訳である。其の後のドイツ史は「まさに地獄」であった。されど、彼の音楽は風雪にも戦火にも耐え、遥か極東に住む「拙者」の心を日々和ませて呉れているのである。
交響曲第参番第参楽章をエンドレスで延々と聴かされるとさすがに発狂しそうになるの巻
散髪しにQBハウスへ行ったときのこと。店内は長蛇の列で、そう云う時は 消防設備士
の本とか読んで時間を潰すのだが、おんや?店内のBGMが珍しくクラシック、しかもブラームスの交響曲第参番第参楽章じゃないかと苦笑いが催した。有線がクラシックだと、どうしても聞き耳を立てるのが常だ。さて、曲を聴いているうちに妙なことに気が付いた。交響曲の第参楽章は、スケルツォであるのが常で、Aテーマ、Bテーマがあるとすれば、A-B-Aで楽章が終わる。ところが店内に流れているスケルツォは、いつまで経っても終わる気配が無いのだ。A-B-A-B-A・・・と延々と続いている。さすがに気が滅入ってきた。いかにブラームスが好きとはいえ、第参番第参楽章だけエンドレスで聴かされると云うのも正直苦痛だ。とうとう待ち時間の30分間、曲は延々と演奏されて終わる気配がなく、散髪を終えて店を出る時もまーだ続いている。まさか、開店から閉店まで延々と続いていた?さすがに是は、クラシック音楽の正当な使い方では無い。
以上、ブラームスの話題をダラダラしていきましたが、男を狂わすらしい人妻クララ・シューマンについては →次のページからどうぞ!
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