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この日記は、6月20日から下記のところに移転しました。タイトルも、「無色透明」から「光の時代の光の日記」となりました。http://kimi1717.blog.fc2.com/長い間のご愛読ありがとうございました。この場を提供してくれた楽天さんにも感謝します。それでは、新しいサイトでお会いしましょう! 光のkimi
2012.06.20
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上京した時に鎌倉でお会いしたTさんからメールが届きました。その時にも話題になったお腹の塊についてでした。-----------------------------------------------------お腹のネガティブのことなのですが、瞑想などしていても、まだそこに繋がるようなことはぜんぜん出てこないのですね。ですが、今日、学校の仕事で、あっと思うことがありまして。。。障害を持った小学生の介助をしているのですが、今日、パニックを起こして感情のコントロールができなくなった男の子(小学5年生)が私に襲いかかってきまして、いきなり平手でほっぺたを殴られたのですね。以前、私の顔に唾をはきかけてきた子です。この子がパニックを起こすと、そういうことをするというのは頭では十分に理解しているのですが、いざ実際に自分が殴られると、頭と心はばらばらというか、感情が理性を奪ってしまうというか。。。今回もまた一瞬頭が真っ白になって、自分が想像していなかったほどの怒りが込み上げてきてしまったのです。今回は、すぐに冷静さが戻ってはきましたが。。。この子には、よくそういうことをされるのです。私が今までの人生の中で経験したことのないような屈辱的な行為。胸をわしづかみにされたり、人前で服を脱がされそうになったり、私の前でズボンとパンツをおろしてニヤニヤと笑っていたこともあります。私はそのたびに怒りが込み上げ、自分の感情が一瞬コントロールできなくなってしまうほど動揺してしまうのですね。この子に出会って、私の中にこれほどまでの怒りがあるということを始めて知りました。落ち込んだりしたこともありましたが、ある時から、この子は私の中にある自分でも気が付いていない怒りの存在を教えてくれるために目の前に現れた子、そう思えるようにもなってきました。そして今日、またそのようなことがあって、ふとお腹のネガティブが頭に浮かんできたのですね。もしかしてこのお腹のネガティブは、怒り?今まで抑え込んできた怒りの塊?そう思ったら、幼いころから今までのさまざまな出来事が走馬灯のように頭の中にぐるぐると思いだされてきました。自分はあまり怒りを出すタイプの人間ではないと思っていたけれど、それは怒りを感じていなかったからではなく、もしかしたら人一倍怒りを感じていたかもしれないのに、それを抑えていた。恐怖心で抑えていたこともあったし、いい子やいい人であるために抑えていたこともあった。それは、もう無意識のうちに。抑えていることすら気が付かないほどに。そんなことを思っていたら、自分がみじめで可愛そうでなさけなくて、涙がこぼれそうになりました。そして「悲しかったよね。悔しかったよね。」そんな言葉が心に自然に湧いて出て、しばらくこの気持ちといっしょにいました。。。まだ授業中でしたが。(笑)お腹のネガティブが怒りなのかどうなのか、まだよくわかりません。この子が私に対してやってくるような屈辱的な行為を、過去生で私は多くの人にやってきたのかな、とそんなことも思いました。だとしたら、相手の方々はどれほど悔しい思いをし、私を怨んだことでしょう。そんなこともひっくるめてお腹のネガティブ?もし本当にそうだとしたら、自分では一生取れないよ、と言われたこともわかるような気がします。すべてを包み込んで生きていく。。。このメールを書いているうちに、なんだかお腹のネガティブを抱きしめてあげたくなりました。-----------------------------------------------------このメールに対して、こちらから出した返事です。-----------------------------------------------------お腹のネガティブは、もしかしたら宝ものかもね。自分のなかにあるものを教えてくれる宝ものですね。こんな宝ものを簡単に取ってもらったら、もったいないでしょう。せっかく存在するのだから、その原因を自分で気づけるといいですね。まだまだ気づきがいっぱい起きそうですね。そういう気づけるスタンスが、一番重要なのですよ。気づきそのものも大切ですが、気づけるスタンスはそれ以上のものがあります。気づきは単発ですが、気づける状態は常時です。生きる姿勢そのものです。常に見守る姿勢で生きることですよ。五年生の男の子も、お腹のネガティブの塊と同様に宝ものかもしれませんね。自分のなかにあるものをいっぱい気づかせてくれるでしょう。必要があって、今、目の前に存在しているのですね。今あるものは、何でも必要があって存在するということですね。何も問題はないのですよ。すべて抱き参らせて生きていれば。だんだん冷静に戻れる時間も早くなっているし、いい感じですね。今の感じでいいのではないでしょうか。-----------------------------------------------------その後、またTさんからメールが来ました。-----------------------------------------------------Kimiさんに「今の感じでいいのではないでしょうか。」と言っていただけると、とっても安心します。ありがとうございます。この5年生の男の子は自閉症で、ほとんどコミュニケーションがとれない状態なのですが、学校の先生の中では私のことを一番慕ってくれています。家でも私の名前を呼ぶことがよくある、とお母さんがおっしゃっていました。以前、瞑想をしている時に、この子が出てきたことがあります。彼は青年で私とは幼馴染って感じで、どこかの島で5~6頭のイルカといっしょに泳いでいました。イルカとは友達で、話もできるようでした。私はイルカと話をすることはできないのですが、彼に付いて海に来た時は、いつも一頭の決まったイルカが私の側にきてくれる。。。そんな素敵な内容でした。この男の子は、私に気づきをもたらすために目の前にいる。。。今は強くそう感じています。とても強い魂なのだとも感じています。まだしばらくはご縁がありそうなので、まだまだいっぱい気が付かなければいけないことが私にはあるのでしょうね。(笑)-----------------------------------------------------人は、自分のなかにヘンなものがあると言われると、すぐに排出しようとします。霊能者に取ってもらったり、手術をしたり・・・それは、癌と似ています。いらないものは、排除しようとするのです。いらないものは取ってしまって体外に排出すればいい。というのが、一般的な考え方です。しかし、本当にいらないものでしょうか。いらないものが、本当に存在するでしょうか。癌を手術で取り去っても、また別のところにできたりします。原因をそのままにして結果だけをいじっても、本質的な解決にはなりません。心身のネガティブな塊も同様です。霊能者に取ってもらっても本質的な解決にはならないのです。その原因がわからなければ、また似たようなものができてしまいます。その原因が、怒りや恐れや憎しみであった場合・・・塊を取り去ったとしても、自分自身のパターンに変化はありません。そのうちに、また塊ができてしまうのです。大切なことは、塊を通して自分のパターンに気づくことです。自分の傾向やこれまで溜め込んできたもの。自分の反応パターン。そういうものに気づくための塊なのです。それを人に取ってもらったら、せっかくの気づくチャンスをなくしてしまいます。自分のなかにシコリや塊があることは、何らかの不自然なものがあるというメッセージです。せっかくのメッセージに気づくことなく排除すれば、メッセージの意味がありません。今目の前にあるものは、すべて意味があるのです。それを無視しないで、丁寧に感じていくことですね。いやなことを排除しないで、いやなことこそ大切にすることです。そこに宝が眠っています。それらは、すべて自分に気づくきっかけです。排除しないで、すべてを気づいていこうとするスタンスがとても重要です。個々の気づきも大切ですが、気づき自体は単発のものです。その気づきをもたらす心の状態。それこそが何にも増して重要なのです。それは、生きる姿勢です。すべてを抱(いだ)き参らせて生きるスタンスです。嫌なものを排除しないのです。すべて包み込むのです。そこからでないと、愛や慈悲は生まれません。自分に都合の悪いものを排除する生き方からは、我が儘や自己中心が生まれるだけです。気に入らないものはすぐに排除しようとするのは、自分本位です。違和感を感じるものを排除しようとするのは、自分勝手です。しかも、自分で取り除くのではなくて、人に取ってもらおうとするスタンスは極めてイージーです。物事の本質を見ないで、表面だけで生きている証拠です。目の前の現象だけを取り繕おうとしているのです。その原因や本質を見ようとしないのです。ほとんどの人は、目先のことだけを見て生きています。なぜそんなことが言えるのかというと、今の社会がそういう社会だからです。見てくれだけの農産物。毒とわかっていながら、農薬を大量に使うのです。長期保存や見栄えをよくするための合成保存料や合成着色料。熱が出たら、すぐに薬で治そうとします。原因を見ないで、症状だけを治そうとするのです。それこそが、イージーで浅はかな生き方です。もっと一つ一つの本質を見ながら生きないと・・・排除からは、深さは生まれません。深さが生まれるのは、見守って理解する時だけです。その見守るスタンスが、何にも増して貴重なものなのです。それは、自我を超えています。個ではなくて、全体です。色ではなくて、空なのです。自我ではなくて、愛なのです。そういう生きるスタンスについて、延々と書いています。個々の気づきも大切です。自分自身に気づいて成長することは、楽しみでもあります。しかし、それはまだ自我の範囲内です。今の精神世界の傾向は、ここまでです。自己実現や自己成長。あくまで自己が大切なのです。それは、まだ自我の範疇を出ません。アセンシヨンにしても、似たようなものです。単に一段階次元が変わるだけのことです。それ以上の意味はありません。見守りは、それらを遥かに超えています。自我の範疇の外にあるのです。それこそが、絶対安心につながる道なのです。始まりも終わりもない意識の状態です。宇宙に広がる意識です。最も重要なのは、生きる姿勢です。生きるスタンスなのです。見守りのなかにすべてがあります。存在するすべてのものを抱き参らせて生きるのです。『違和感の あるものすべて 意味がある 自分自身に 気づくきっかけ』『目の前に 起きてくるもの 何であれ 必要あって 起きていること』『気づきとは 日々の暮らしの なかにある 日常こそが 気づきの舞台』『見守りは 時空を超えて 自我超えて 空の領域 愛の領域』『見守って いろいろ気づき 理解して 抱(いだ)き参らせ 生きる人生』これが日記を書き始めて2722日目の心境。
2012.06.16
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今日の屋久島は、朝から大雨。断続的に降ったり止んだりしている。向こう一週間は、ずっと曇や雨の予報。また台風も近づいている。今朝、「神聖ゴールデン貫入」を発送した。つい先日アップしたばかりの水晶。この日記にも取り上げた。昨日、行き先が決まった。この水晶を初めて見たのは、5月31日のミネラルショー。わずか半月で別れることになった。いかにも短い。でも・・・写真だけは、永久保存。なかなかこれだけの水晶はないので、当分、在庫なしのままアップしておくことになるだろう。この水晶は、「屋久島ライトクリスタル」の最高価格の記録を更新した。これまでの最高は、146000円だった。既に30万円以上の水晶もアップされている。しかし、まだ売れていない。行き先が決まったなかでの最高は、今回の177000円。たぶん、近いうちに記録は更新されるだろう。既に20万円以上するものが、7個アップされている。最高価格は、33万円の巨大ヒマラヤ。近々、これを上回る水晶をアップする予定でいる。それは、最高クラスのマニカランのヒマラヤ水晶クラスター。しかし、これで驚いてはいけない。東京に行った時、友人の同業者と話をした。彼は、最高で300万円の水晶を売ったとか。こちらは、まだまだ足下にも及ばない。将来的には、そのような水晶も扱いたいと思っている。誰が買うの?わからない。でも、きっと必要な人がいるだろう。もう少しアップしているものが売れたら、仕入れたい大型水晶が一つある。上京した際に見てきたが、あまりにも高くて手が出なかった。もし仕入れたら、間違いなく百万円を超える水晶となる。万一売れなくても、自宅にあるだけで満足と思えるレベルの水晶。昨夜は、たくさんのラブラドライトのブレスレットを作った。大玉のラブラドライトを大量に仕入れてきた。しかし、よく見ると玉のサイズがバラバラ。すべてのブレスレットを分解して、玉の大きさを合わせて作り直した。ラブラドライトは、怪しく光る。それは、まるで星雲のようにも見える。いや、オーロラだろうか。なんとも不思議な光。ラブラドライトは、銀河系のエネルギーと言われる。確かにそうかもしれない。見ていると意識が揺れるような感覚になる。物質的なこの世のエネルギーではない。こういう石が存在すること自体が、不思議。それぞれの石が、宇宙とつながっている。そして、人の意識とも。ということは・・・人の意識は、宇宙からできている?確かにそういう側面もある。人の意識は、この世バージョンでもある。しかし、そうでない部分もある。元々そうでないものが、地上に生まれたためにこの世バージョンになっているだけかもしれない。人の意識は、元々は宇宙的。それが地球ナイズされているだけ。意識の元を辿ると・・・遥かに宇宙に行き着く。いや、宇宙以前に至る。実は、意識の方が宇宙よりも古い。意識に即して宇宙はできあがった。一旦できあがると、意識は宇宙の影響を受ける。相互に影響し合う。響き合う。物質化して忘れていたものを星々が思い出させてくれる。石たちも、元々の宇宙的な意識を甦らせる。石に刺激されて、人は純粋な元の意識を思い出す。意識の遠い原点に目覚める。そういう可能性を石は秘めている。世の中は、パワーストーンブーム。パワーストーンブームは、石をこの世バージョン化したもの。ほとんど御利益宗教と変わらない。物質的な自己の利益と結びついている。そういう扱い方をしても、自我を強めるだけ。ほとんど意味はない。もっと石の原点に立ち返ったほうがいい。石は、もっともっと深いものを秘めている。人が忘れ去ってしまった宇宙の記憶。そういうものを思い出させてくれる。潜在意識のなかにある魂の記憶。更にその奥にあるもの・・・石の波動が、人の心身を刺激する。それによって忘却していたものが甦る。まだまだ石は目覚めだしたばかり。これから更にパワーアップして人類に貢献してくれることだろう。それは自己の利益というような小さなレベルではない。もっと人の意識の領域を広げてくれる。新しい石の時代が始まる。人類がこれまで体験したことがないような石たちとの共生がスタートする。そういう石たちを提供していく。人の意識を開く石。人の意識を拡大する石。人の意識を本来の宇宙的にする石。『石の持つ 波動は遥か 宇宙的 人の宇宙と 響き合う石』『新しい 時代は人も 石たちも 共に目覚める 光り輝く』これが日記を書き始めて2721日目の心境。
2012.06.15
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今日の屋久島は、梅雨時にしては明るい。昨日は、一日中、暗かった。山にかかっていた雲も、かなり薄くなりつつある。朝からキジの声がしている。「屋久島とヒマラヤ」というメールが来た。単純に屋久島から届いたヒマラヤ水晶についてのメールだったが・・・ふと、屋久島とヒマラヤの関係は何だろうと思った。意外と考えたことがなかった。一番好きな水晶は?即座に「ヒマラヤ水晶」という答が出てくる。間違いなくヒマラヤ水晶が一番好きな水晶。なぜ?やはり、霊性に満ちているからだろうか。他のところの水晶とは、何かが違う。そういうわけで、自宅にはヒマラヤ水晶が数え切れないほどある。ヒマラヤ水晶と一口に言っても・・・ネパール、インド、パキスタン、チベット・・・ヒマラヤは、広い。いろんなところで水晶が採れる。それぞれ特徴がある。ネパールやインドのヒマラヤ水晶は、メジャー。どこのサイトにもある。しかし、「屋久島ライトクリスタル」の売りは、パキスタンのヒマラヤ水晶。たぶんどこのサイトよりもたくさんあるだろう。かなり珍しいものもある。マニアックなものさえある。パキスタンのヒマラヤ水晶は、宝の山。ユニークなものが、いくらでもある。それらは、世界第二の高峰K2(8611m)の近くで採れたもの。K2は、エベレストよりも峻険な山。完全な独立峰。ヒマラヤを代表する山の一つ。ヒマラヤは、天のエネルギー。屋久島は、地のエネルギー。ヒマラヤは、地球の第七チャクラ。屋久島は、地球の第一チャクラ。ヒマラヤと屋久島は、対極に位置する。なんとも不思議な関係。霊的な水晶が地上に降りてくる。それには、深いわけがある。こちらは、元々天系。霊的なエネルギーは、黙っていてもいくらでも入ってくる。しかし、それだけでは不十分。地に足が着いていない。屋久島は、いのちの島。地球の息吹が吹き出ている島。しっかりグランディングできるところ。だから、屋久島に住んでいる。自分自身のなかで天と地を調和させるために。天のエネルギーをしっかりと地上に降ろすために。ここは、安定している。しっかりグランディングしながら、霊性でいられる。先日、ぴあのさんからメールが届いた。夢を見たらしい。--------------------------------------------------昨夜、シトリンを枕元に置いて一緒に寝ました。夢を見ました。夢の内容はすっかり忘れたのですが、エネルギーだけは残っています。それに、夢のなかがほんのりシトリン色でした。シトリン色に包まれていて、とてもきれいでした。エネルギーも、シトリンでした。夢のなかは叡智に満ちていて、なんともいえない穏やかな世界でした。私は至福でいっぱいで、その世界も至福でいっぱいでした。夢の後半はkimiさんが出ていらして、もうすぐすごいエネルギーを持って帰ることができるから、楽しみにしていてほしいと皆さんに・・・そして私に、「結界が張られていて、まだ入れないんだよ。でも、もう少ししたら結界が開くから、そうしたら今まで以上にすごいものが現れるんだよ」、とおっしゃいました。そうおっしゃっている向こうに、透過するように巨大なエネルギーの塊が二つ現れました。私は、「あのエネルギーか、楽しみだなあ、早くこちらに来ないかなあ」と、ワクワクしていました。そこで、目が覚めました。--------------------------------------------------もうすぐすごいエネルギーが届くのだろうか。確かなことは、何とも言えない。でも、その可能性はある。時代は、それを必要としている。人類は、もっと劇的に変わる必要に迫られている。喉元過ぎれば熱さ忘れる。それが今の日本政府と国民。愚かにも原発を再稼働させようとしている。目先の利益に惑わされて最も大切なものを忘却している。もっと節電すればいいだけの話。わずか15%ぐらい、どうにでもなるだろうに・・・単純に夏場だけ生活を15%切り詰めればいいだけ。ヒマラヤに行けば、天のエネルギーは降りている。しかし、それだけでは不十分。それでは、大地に浸透しない。一人一人にまで届かない。人類に届くには、人を通してエネルギーを降ろす必要がある。天のエネルギーを受け取りやすいタイプの人たちがいる。こちらもその一人。しかし、本当に地上に根付かせるのは、簡単ではない。天の時、地の利、人の和。それらが揃う必要がある。ヒマラヤに降りる霊的なエネルギーを屋久島で受け取る。それがヒマラヤ水晶が大量に屋久島に届く理由。地球の第七チャクラから第一チャクラへ。天からの霊的なエネルギーを地球のエネルギースポットに入れる。その際のサポートとしてヒマラヤ水晶たちは、やって来ている。そのサポートを得て、こちらは日記を書いている。文章にすることで霊的なエネルギーを現実化する。文章とは、地球上の言葉。霊的なエネルギーを地球化するプロセス。言葉に変換することが、天のエネルギーを地に根付かせること。そういう作業をするために屋久島に住んでいる。そういう仕事をするためにヒマラヤ水晶がたくさんある。もちろん、サポートしてくれているのはヒマラヤ水晶だけではない。カテドラルクォーツなど他の水晶たちも、しっかりサポートしてくれている。しかし、メインはヒマラヤ水晶。天からの霊的な水晶たち。他の水晶たちは、グランディングを助けたり、地球からの発信を助けたりしている。いろんな水晶が、それぞれの役割を果たしている。それらの水晶たちに支えられて、こちらはこちらの役割を果たしている。それが自分が望んだ道。今生でやりたいこと。これまでの転生でずっとやって来たこと。数日前の日記にも書いたが、屋久島がムーの時代にも似たようなことをしていた。過去世から同じようなことをしている。屋久島ともヒマラヤとも縁がある。もちろん、水晶たちとも。そういう縁の集大成として今生がある。これまで培った能力を発揮して地球や人類に貢献する。そのために生まれてきている。それを淡々とやるだけ。特段の使命感もなければ、特別な高揚感もない。日々、普通に暮らしている。ただ、どんどん理解が深まっているのは確か。人生や宇宙の仕組みが、より明確にわかってきている。理解が深まるにつれて、心は更に安定する。人生に余裕が生まれる。ゆっくりと落ち着いて生きていける。天と地のエネルギーを感じながら・・・『ヒマラヤに 天から降りる エネルギー 屋久島の地に 浸透させる』『天と地を 結ぶ役目の 水晶が 世界中から 屋久島に来る』『人類の 意識のシフト 起こすため 天と地つなぎ 霊性満たす』これが日記を書き始めて2719日目の心境。
2012.06.13
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今日の屋久島は、一日中、雨だった。断続的に激しい雨が降ったり止んだりしていた。山の方は、まったく見えなかった。ただ庭の黄色や白の花だけが風に揺れていた。一昨日から「屋久島ライトクリスタル」では、新しい商品をアップし始めた。トップページのリフォームが一段落し、いよいよ東京で仕入れたものの掲載が始まった。初日は、ブレスレットを4個。二日目は、ペンダントトップを4個。今日から真打ちの水晶のアップが始まった。なんだかんだ言っても100個以上の水晶を仕入れてきた。もっと絞るつもりだったが、気がつくと100個を超えていた。お金があると、ついつい買ってしまう。しかし、ミネラルショーも既に7回目。さすがに目が肥えてきた。行く度に仕入れるものは、バージョンアップしている。幸せこの上なし。今日は、大きな貫入水晶をアップした。貫入水晶とは、水晶の中に水晶が入っているもの。「クォーツ・イン・クォーツ」または「マニフェステーション」と呼ばれる。なかなか珍しい。ただでさえ珍しい貫入水晶だが、今回のものはスペシャル。まず、そのサイズ。高さが23センチ、重さは1.8キロを超える。大きい!それだけではない。中の水晶は、なんとゴールデンヒーラー。黄金色に光っている。それを別の水晶が外側から覆っている。まず初めに中の水晶が結晶する。それをリモナイトやマグネシウムが覆う。これでゴールデンヒーラーの完成。普通であれば、ここまで。ところが何らかの地殻変動で、また水晶全体が熱水に覆われる。その熱水の中には水晶の原料となる二酸化珪素が満ちている。温度が下がるにつれて、元の結晶の上に二酸化珪素が結晶していく。これが貫入水晶ができるプロセス。だから、貫入水晶とは名ばかり。小さな方が大きな方に貫入したわけではない。貫入したように見える方が、元々の水晶。つまり、小さい方が古い水晶。このように別の水晶に覆われると、水晶の中に水晶があるように見える。そこで、「クォーツ・イン・クォーツ」と呼ばれる。この貫入水晶は、人の秘めた思いに光を当てる。なぜ?人の真の願いは、元々潜在している。外側からは、見えない。ところが、貫入水晶は外側から中の水晶が見える。つまり、内にあるものを見えるようにする働きがある。ほとんどの貫入水晶は、ポリッシュされている。それは、無研磨で美しい貫入水晶が少ないため。ところが、今回アップしたものは無研磨。自然のままでも美しい。この水晶には、神聖な雰囲気がある。ただの水晶ではない。一目見た瞬間から惹きつけられた。しかし、ミネラルショーの会場では貫入水晶とは気がつかなかった。ホテルに持って帰って、じっくり見て気がついた。これは・・・もしかしたら掘り出し物?東京では、そこまでだった。屋久島に戻って、さっそく海と川で浄化。見違えるように美しくなった。サイトにアップするために写真撮影。更に美しさが際立った。これは、もしかしたら・・・本当に神聖な水晶?そうとしか思えない。そういう雰囲気であり、エネルギー。人のなかに潜在する真の願い。それは、魂の願い。魂が、今生にかける思い。それこそが、自分自身の真の願い。そういうものに気づかせてくれる水晶。しかも、ゴールデンヒーラー。真の願いの方は、金色に輝いている。人の奥深くに眠る光り輝く魂の願い。数え切れないほどの地球での転生。その総決算としての今生。魂としても今生にかける思いは、格別なものがあるだろう。その魂の願いを胸に秘めて生まれてきた今回。自分の奥深くには、その魂の願いが生きている。生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、絶えずあり続ける。その真の願いに気づかせてくれる水晶。なんとすばらしい水晶だろうか。それこそが、水晶屋をやっている意義。人が真に生きるためのサポート。ただ水晶を売るだけでは、それほどの意味はない。人の真実を支えることこそが、真の水晶屋の役割。そういう水晶を仕入れ、必要な人に届ける。それでこそ水晶屋をやっている意味があるというもの。ただ右から左に水晶を動かすだけでは、ただの商売人。そんなことをするために生まれてきたのではない。水晶には、水晶の役割がある。それを正しく理解し、それを必要としている人の元へ届ける。それこそが、真の水晶屋。自分がやりたいこと。今日から新しく仕入れた水晶をアップし始めても、終わるのは7月末頃。まだまだアップしていない水晶が自宅には山ほどある。アップするのは、限定500個。全部アップし終わるには、次々と旅立ってもらう必要がある。ところが、最近はなかなか旅立たない。動きが鈍い。どうしたの?どうしたのだろうか・・・ゆっくり、じっくりアップしていくしかない。まだまだ魅力的な水晶が天こ盛り。サイトに写真がアップされるだけでも幸せ。実物を見ていると、更に幸せ。今回の貫入水晶は、高価。でも、本当はこれでも安すぎるかもしれない。その真の価値からすると、激安。もう一つゼロがあってもいいくらい。でも、これでも普通の人には買いにくいだろう。簡単に買える金額ではない。そこは、奥の手。買わなくても楽しめばいい。見るだけなら、タダ。見てエネルギーを感じるだけなら、無料。インターネットは、いい。何でもタダで見れる。サイトの写真からでもエネルギーは届く。それを十二分に感じて、自分の真の願いにフォーカスすればいい。そうすれば、気づけるかもしれない。何でも活用すればいい。高すぎて自分には縁がないと思わないこと。何でも使いよう。活用すれば、役に立たないものはない。どうぞ無料で活用してほしい。『新しい 時代の波は 人々に 真の願いに 気づけと告げる』『真実の 願いに気づく サポートを するためにある 貫入水晶』『この胸の 奥に秘めたる 真実の 願いに気づく 時はきませり』これが日記を書き始めて2718日目の心境。
2012.06.12
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今日の屋久島は、雨になっている。山の方は、白い雲に覆われて見えない。海の方も、白いモヤがたちこめている。梅雨空の下、鳥たちだけが元気にさえずっている。昨夜、屋久島をガイドした人から電話があった。彼女は、その時にムーの時代を思い出した。ムーの時代の情景がビジョンとして見えた。そこには、こちらも一緒にいた。もちろん、姿形は今とは違う。にもかかわらず、どうしてこちらとわかったのだろうか。彼女に言わせると、目の奥と魂の匂いが同じとのこと。目の奥と魂の匂い・・・その当時は、宇宙の光を受け、地球の光を宇宙に届けていた。高貴な存在だったらしい。彼女に言わせると、今とは比較にならないと。今は・・・親しくなると、ただのオヤジ。オヤジギャグばかり言っている、普通のオッサン。どこにでもいる平凡な人。当時の面影もない。かろうじて日記のなかに当時の高貴さが残っている。もしこれで日記を書かなかったら、ほとんど存在価値はないかもしれない。いや、水晶屋とガイド屋で、ほんの少しだけ存在価値があるかな?小指の先ほど・・・人格が、まるで違う。その当時は、冗談一つ言わない真面目な人。真面目と言うよりも、やはり高貴。普通の人とは、まったく異なる。今は、人格的にはほとんど普通の人。けっこうこの世バージョン。普通に暮らしている。とは言っても・・・土台は、同じ。基礎部分は、魂だから変わらない。その基礎の上に建っている家が異なる。家は、時代の影響を受ける。その変わらない部分が、目の奥にある。そして、魂の匂い。変わる部分は、人格や肉体。それらは、生まれる度に異なる。共通の土台の上に、別の家を建てる。それが、生まれ変わりというもの。家の材料は、その時代のその土地にあるもの。だから、生まれ変わる度に違った家ができる。日本人として生まれれば、木の家に住む。ヨーロッパで生まれれば、石の家となる。アメリカインディアンの時は、テント暮らし。魂は共通でも、人格や肉体はその都度異なる。グループソウルは、同じ時代に生まれてくることが多い。みんなで一緒に転生している。但し、関係性は、その都度違う。親子であったり夫婦であったり・・・ある時は、敵対することもある。競争したり、競合したり・・・切磋琢磨しながら意識を深化させる。多くの体験を通して豊かな魂を培っていく。今生は、ムーとアトランティスの融合。宗教と科学の統合。霊性と物質の調和。それらを完成させるために生まれてきた。今この時代に、これまで地上に降りていないエネルギーを降ろす。それによって意識を変革する。物質ナイズされた人類の意識を霊化していく。本来のスピリチュアルな意識に戻す。そういう課題を持って生まれてきている。それは、ムーの時代を遥かに凌駕する。比較にならないエネルギーが降りてくる。その受け入れ準備は、完了した。メインのことをやっていれば、少しは遊びがあってもいいだろう。人格の三分の一は、遊び?三分の二は、真面目に日記を書いている?いや、そうではなくて・・・人格の表面部分は、この世バージョン。深い部分は、魂バージョン。その調和、統合がなかなか難しい。だんだんと魂バージョンが人格の大部分を占めつつはあるが・・・人は誰でも、基礎部分は魂バージョン。その上に、この世バージョンの人格が乗っている。どこにフォーカスして生きるか。どの部分をメインにして生きるか。この世の主導権は、人格部分にある。魂部分は、完全に人格部分をコントロールできるわけではない。人格部分には、この世を生きる責任がある。その分だけ、この人生の主導権が与えられている。いかに生きるかは、今生の人格しだい。時々、魂から人格にメッセージが届く。しかし、それをキャッチできるとは限らない。あまりにもこの世バージョンすぎる人格には、魂から雷が落ちることもある。そうなると、事故やアクシデントが起きる。それは、目覚めよという魂からのメッセージ。それに気づいて人格が目覚めてくれるといいのだが・・・なかなか気づかないのが、この世の人格。ベースは、ベース。何と言ってもベース。ここを拠り所にしない限り、人生は安定しない。自分のベースは、本来の魂に置くしかない。自分のベースをこの世の物質に置けば、不安定極まりない。自分のベースを肉体に置けば、やがて老衰していく。自分のベースを人間関係に置けば、周りに振り回される。自分のベースを魂に置く時だけ、人は真に安定する。自分のベースをどこに置くか。本来の魂に置くことができれば、人は真実を見い出す。それ以外のところにおく限り、人は迷う。目の奥と魂の匂いにベースを置くことだろうか。『目の奥に 燃える炎が 魂の この世にかける 真の情熱』これが日記を書き始めて2717日目の心境。
2012.06.11
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昨日、この日記は予想通り100万アクセスを達成した。これで、いつでも楽天から引っ越せる。タイミングを見計らって、どこかへ移ることになるだろう。そこで、また新しい日記が始まる。ここのところ、連日、「屋久島ライトクリスタル」のトップページのリフォームをしている。写真を多用し、ずいぶんカラフルになった。見やすくなり、わかりやすくなったのではないだろうか。そう言えば・・・先日、マスタークリスタルの一つが旅立った。それは、ヒマラヤグリーンDTマスター。まるで密教の法具のような水晶。計り知れないエネルギーを秘めていた。その水晶を手にした方からメールが届いた。その一部を紹介する。---------------------------------------------------------------------昨日、水晶さんが我が家にやってきてくれました。値段の付けようのない・・・と説明がありましたが、まさにそうですね。一見地味なんですが、会うべくして会ってしまった「運命の水晶」という感じです。以前から友人がヒマラヤクラスターの話をしていて、私は特に興味がなかったのですが、日曜日の夜に、なんとなくネットであちこち見ていて、kimiさんの屋久島の日記にたどりつきました。おもしろいなーと思って読んでいたのです。(ヒマラヤ水晶を見ずに、先に日記に夢中になっていました)そこで目にとまったのが、1月の「水晶の秘めたる可能性」でした。正直びっくりしました。値段のつけ方に。(笑)いったいどんな水晶なんだ?と興味を持ち、商品のページに移動して探しました。値段からして、これだなとすぐにわかりました。いいですねぇー。きれいです。赤ちゃんを抱いたお母さんの姿に見えました。でも、私が惹きつけられたのは、今回我が家にやってきてくれた水晶だったのです。値段を見て、びっくり・・・もしやこれも本当は手放したくないために法外な値段なのか?(笑)本当に笑ってしまいました。私は、水晶オタクでも、お金持ちでもありません。私は獅子座生まれで、とにかくキラキラ、ゴージャスなのが好きなんです。なのに・・本来なら絶対に目にとまらないはずのものに釘付けになってしまったのです。なぜなら、その水晶の中にいる自分自身が見えたのです。うまく説明できませんが、とにかく最初から決まっていたかのように「やっと会えたね」という感じでした。しかし、値段でやはり迷いました。明日になってもまだ売れていなかったら、やはり「私を呼んでくれているんだ」と思い、購入は翌日にしました。まだ丸一日しか経っていないのに、何年も、それよりずっと以前・・・前世から一緒にいるという感じがする水晶です。本当に不思議です。おまけに頂いたヒマラヤ水晶は、今にも宇宙まで飛び出しそうなトビウオに見えます。 ヒマラヤ水晶ってこんなにきれいだったんだと初めて知りました。ありがとうございました。私はパワーストーンの存在は数年前から知っていましたが、去年友人から雑誌の付録についていたという鉱物標本みたいな石をもらってから、石に興味を持ちだしたので、まだまだ初心者です。本当にいい石に巡り合えて感謝しています。何人もの人たちの努力で、遠いヒマラヤからやってきてくれたんだと思うと「ありがとうございました」と感謝の気持ちでいっぱいです。日記に書かれていたように商品の説明が丁寧で、本当に石をよく見て説明されており、石に対する「愛情」が感じられました。すっかりkimiさんの日記にはまっています。水晶もまだ欲しいものがありますので、またよろしくお願いします。---------------------------------------------------------------------「運命の水晶」「水晶の中にいる自分自身が見えた」「やっと会えた」「前世から一緒にいるという感じがする水晶」 よほど深い縁があるのだろうか。ここまで感じるとは、すばらしい!これまでたくさんの水晶を届けてきたが、こんなメールをもらったのは初めて。「運命の水晶」を届けることができて、これ以上の喜びはない。この水晶は、89000円もした。確かに法外な値段。水晶業者やコレクターからは、高すぎると非難されるかもしれない。しかし・・・霊的な目がある人なら、非難することはないだろう。むしろ、逆な意味で法外と言うかもしれない。それは、ゼロが一つか二つ足りないということ。それほど、この水晶が秘めているエネルギーは計り知れない。ヒマラヤがいくら広くても、このレベルの水晶がたくさんあるとは思えない。かなり限られた数しかないだろう。ほとんど天然の密教法具。形、色、そしてレインボー。そのどれをとっても、特別なものがある。深さというか、緻密さというか・・・まるで人格があるような感じ。限りなくスペシャルな水晶であることは間違いない。この水晶は、パキスタン産。世界第二の高峰K2(8611m)の近くのスカルドゥー(Skardu)で採れたもの。パキスタンの水晶は、まだ日本ではあまり出回っていない。しかし、そのクオリティはすばらしい。これまで何度かパキスタンの水晶がまとめて送られてきたが、その度に掘り出し物があった。この水晶も、そのなかの一つ。パキスタンの水晶は、宝の山。これからも、すばらしいものが多々出てくるだろう。幸か不幸か、パキスタンは治安が悪い。今もアルカイダが出没する。そのため外国人は近づけない。しかし・・・それによって水晶の乱開発が防がれている。水晶が出るところには、外国人のバイヤーが群がる。その結果、乱開発が進む。質の悪いものまで山から運び出される。水晶の採掘は、自然破壊でもある。節度を持って、ほどほどに。感謝しながら山の幸をいただく気持が必要だろう。あまり金儲けの手段にしすぎるのはよくない。これからもパキスタンのヒマラヤ水晶は、こちらに届く予定。更にバージョンアップしていくに違いない。それには、水晶を守る意味もあるらしい。パキスタンに置いておくことに危険がある。いつアメリカ軍が爆撃を始めるかわからない。いつアルカイダが山を爆破するかわからない。戦争が始まれば、水晶は破壊される。水晶が形成されるための時間は、バーミヤンの大仏の比ではない。水晶は、まさに世界自然遺産。地球の宝。人類の役に立つ神からの贈りもの。そういう意識で水晶と出会う必要がある。水晶を利用して金儲けすることは、邪道。結果的に水晶を扱う人も豊かになればいい。大切なのは、目的。意図。水晶を尊重し、水晶を大切に扱う。水晶を理解し、水晶と共に生きる。本当に水晶を必要としている人に届ける。水晶と人が一緒にいることによって、共に輝くように。水晶を扱う上で最も大切なことは、その秘められた可能性を理解すること。水晶に潜在するものを意識化することによって、目覚めさせること。意識化することは、光を当てること。それによって水晶の可能性が花開く。運命の水晶に出会うことによって、人の運命も変わる。その人に潜在していた可能性が現実化する。水晶は、人の可能性を引き出す。人によって目覚めさせられた水晶は、また人を目覚めさせる。『水晶は 地球の宝 水晶が 持つ可能性 計り知れない』『それぞれの 水晶が持つ エネルギー 見ているだけで 心が躍(おど)る』『すばらしい 水晶たちが やって来る 心ウキウキ 嬉しさいっぱい』『すばらしい 水晶たちに 出会うのは この上もない 生きる喜び』『水晶と 出会うことから その人に 潜在していた ものが花咲く』これが日記を書き始めて2716日目の心境。
2012.06.10
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今日の屋久島は、曇。とても蒸し暑い。まさに梅雨。ダイエットには、いいかも?この日記は、今日中に100万アクセスに達しそう。2005年1月にスタートして以来、6年半が経過した。この間、多くの人に読んでいただいた。その結果が、100万アクセス。最初のころから読んでおられる方もあれば、途中からの方もあるだろう。どちらかというと、途中からの方が圧倒的に多いに違いない。入れ替わりはあるけれども、一日平均368人の方が読まれている。その結果としての100万カウント。この6年半で、世の中も大きく変わった。何と言っても、東日本大震災が大きい。これによって社会が一変した。後世、きっと時代のターニングポイントとして語られることだろう。しかし、社会の変化以上に自分自身も変わっている。日記を書き始める前と今とでは、天と地ほど違う。まるで別次元。精神状態が、まったく異なる。わずか6年半で、よく変わったもの。まさに劇的に変化している。日記を書き始める前の自分とは、まったく別人。何が変わったか。色と空、個と全体。それが自分のなかで確立した。もう揺らぐことはない。何があっても微動だにしない。個として自分自身を生きている。すべてを抱(いだ)き参らせながら。自分のやるべきことをやり、水晶や自然を楽しんでいる。静かに豊かに暮らしている。特にほしいものもない。特にやりたいこともない。夢も希望も特段なし。淡々と暮らしている。別に不満もない。嫌なこともない。平々凡々。可もなし、不可もなし。好きな水晶に囲まれて幸せに暮らしている。しばくは、この暮らしが続くだろう。特に何もない。日々、夢の如し。本当に、毎日が不思議な感じ。まるで夢を見ているよう。水晶も美しいし、花も美しい。ネコも可愛いし、鳥たちも可愛い。それぞれが、それぞれのいのちを生きている。豊かな色の世界。豊かさの源は、変化。無常であるが故の人間的悲しみもある。喜怒哀楽、悲喜こもごも。それもまた抱き参らせて生きるしかない。良いも悪いも、好きも嫌いも、すべて変化する。この世に変化しないものはない。自他の成長を見守り、楽しむ。変化は喜びでもあり、悲しみともなる。出会いがあれば、別れもある。多くの方が、この日記を読み、また去って行く。深い縁のある人たちと一緒に生きる。それは、過去世からの縁に限らない。グループソウルとしての絆。みんなで共に生きている。今の時代に生まれ、今の時代を共有している。変化の時代。変革の時代。激変の時代。これから更に変化に加速度が付く。霊的なものと物質的なものに二極分化していく。本来の霊性を取り戻す人は、幸いなり。そうでない人は、重たい物を背負って生きることとなる。時代の流れ。地球の流れ。太陽系の流れ。銀河系の流れ。そういう流れの集大成として、今がある。今ここにすべてが集約されている。今ここに宇宙の始まりも終わりもある。色も空も個も全体も、すべてが今ここに収斂する。鳥の声が響いている。それは、美しい。何とも言えず心に染み渡る。その声に聞き入れば、もう何もいらない。『今生の 役割果たし 淡々と この世楽しみ この世を過ごす』『日記書く ことが役割 変革の 時代の流れ 加速すること』『日記書く ことで目覚める 人あれば それで本望 それが役割』『今生の 六十年の 人生は 日記書くため あるようなもの』これが日記を書き始めて2715日目の心境。
2012.06.09
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今日の屋久島は、曇。これから大雨の予報が出ている。昨日、水汲みと水晶の浄化に行って正解。浄化は、一日に2回も行くことになった。これで今回仕入れた水晶たちは、すべて浄化が終わった。今、机の前に並んでいる。すばらしい!実にすばらしい!!浄化すると、本当に見違えるように美しくなる。キラキラと輝き始める。本来持っている光を発し始める。浄化する前は、眠れる獅子。水晶の可能性を引き出すためには、まず浄化。それから、よく観察する。その水晶の特徴を深く理解する。それを意識化することによって、水晶は活性化する。特に写真に撮ると、更に細かい特徴がわかる。写真にすると何倍も美しさが際立つものもある。それは、それだけ潜在能力を秘めていたということ。ただ見ただけではわからないこともある。一昨日、屋久島でガイドをした方から電話があった。この方は、kimi水晶館にも寄られた。その際に大きなヒマラヤ水晶のクラスターを求められた。ピンク色の美しいヒマラヤ水晶だった。その後、大型水晶にはまってしまったとのこと。ネットオークションで買いまくったらしい。自宅には、たくさんの大型水晶たちが並んでいる。ところが・・・どうも彼女のヒーリングパワーの質が落ちているとか。どうして?こんなに大型水晶が増えているのに?それは・・・どうも質の悪いものが含まれていた様子。大型水晶だけでなく、大型のブレスレットもネットオークションで購入したらしい。そのなかには、モリオンやラピスラズリのブレスレットもあったとか。ところが、これが偽物。放射線をかけたり染色したりしたもの。中国経由のものは、偽物が多い。その偽物によって、彼女のヒーリングパワーの質が落ちたらしい。彼女は・・・いつも母親にヒーリングしている。そのお母さんは、エネルギーが見えたりするらしい。それで、質の低下を指摘されたとか。何でも大きければいいというものではない。やはり、質でありクオリティ。その水晶にどれだけのエネルギーがあるか。それと同時に重要なのが、どのような経路を辿って自分のところに届いたか。実は、そちらの方が更に重要。というのは、ほとんどの人は水晶をそのまま使う。自分流に浄化する人は、少ない。そうなると、購入した時点の水晶の状態のまま。それは、多くの人の手を経ている。まず採掘した人。それを仕入れて売る人。途中で加工されれば、加工した人。それを販売する人。自分で採掘しない限りは、多くの人の手を経て自分のところへやって来る。水晶は、ピュアー。多くの人のエネルギーを吸収する。もしそれが・・・儲け主義の人の手を経ていたら・・・儲け主義のエネルギーが入ってしまう。お金になりさえすれば何でもする未熟な人たちもいる。特に最近の中国は、何でもあり。ブランド品に限らず、水晶やブレスレットの世界でも偽物が横行している。偽物でなくても、安く買いたたいて少しでも儲けようとする業者もいる。彼らは、質は問わない。ただ安ければいい。クオリティの低い水晶やブレスレットを大量に仕入れて、大量に売りさばく。そういうものが、日本でも1000円ブレスなどとして売られている。それは、ほとんど自然破壊に近い。彼らは、儲かりさえすれば何でもやる。そういう水晶やブレスレットを手に入れて、どういう意味があるだろうか。もちろん石本来のエネルギーはある。しかし、それに+αが付いている。その+αに問題がある。低いエネルギーのものを手にすれば、自分自身のエネルギーも低くなる。逆に高いエネルギーのものを手にすれば、自分自身のエネルギーも高くなる。金額の多寡ではない。何のために水晶やブレスレットを手にするのか・・・ただきれいだから?美しいものを手にしたいから?それもいい。しかし、それならエネルギーも美しい方がいい。ネットオークションでも、説明文が丁寧であればいいかもしれない。それは、個々の水晶やブレスレットをよく観察していることを意味する。よく実物を見ていないと、詳しい解説は書けない。どれも似たようなおざなりの解説文なら、そこから買うのはやめた方がいい。それは、水晶やブレスレットに対して愛情がないことを意味する。ただ儲かればいいという人は、詳しく観察したりはしない。適当な一般的な解説文がコピーされているだけ。写真の撮り方も不自然に色を強調してある。こちらも写真の加工はする。しかし、それは実物に近づけるためのもの。必要以上によく見せるためのものではない。まして故意に色を濃くしたりはしない。しかし、ネットオークションの大手では、いつも必要以上に色を濃くしているサイトがある。あり得ない色味と、あり得ない価格。偽物か写真の加工か・・・少なくとも愛情の結果でないことは明らか。そういうところから安く手に入れることは可能。でも、そういうものが高い波動を持っていないのも明白。いくら安くても、波動が低くては話にならない。水晶は・・・それに対してどれだけのエネルギーを注いでいるか。どれだけの愛情を持って接しいるか。それによって、波動がまるで違ってくる。すべては、よくよく水晶を見つめることに尽きる。よーく観察して、その特徴を見極める。それを明確に意識化することによって、水晶は活性化する。それが人と水晶のコラボ。それでこそ水晶も活き活きと人のために役に立つようになる。もちろん、それを自分でできるなら安く買ってもいいだろう。これまでの経歴を帳消しにして、本来のピュアーな状態に戻せる自信があったらネットオークションでもいい。でも、できれば素性の良い水晶やブレスレットであるに越したことはない。いくら浄化しても、偽物ではどうにもならない。良心的なネットショップを見分けるコツは、解説文。個々の水晶に対して丁寧に書かれているかどうか。これが写真だけとかタイトルだけでは、話にならない。それは、個々の水晶をよく見ていない証拠。水晶が好きで水晶に愛情があるなら、解説文も充実するはず。そういうサイトであれば、安心して買っていい。水晶を大切に扱っているし、水晶を見極める目もしっかりしている。そういうところは、一般的に良いものを仕入れている。やはり、サイトのエネルギーが大切。エネルギーの良いサイトには、エネルギーの良い水晶が集まる。それは、波動の法則。すべては、共振共鳴。波動の高いものを身近に置けば、自分自身の波動も高くなる。好循環。波動の低いものを身近に置けば、自分自身の波動も低くなる。悪循環。自分自身の基準が問われる。安ければいい?逆に高ければいい?いずれもお金が基準。波動の高いものを手にすることだろうか。自分自身の波動を高めたかったら。金額も考慮する必要はあるが、後先が逆。まず波動、それから金額。これは、水晶やブレスレットに限らない。丁寧に心を込めて作られたものを手にすること。それが最も価値がある。金額の多寡ではない。水晶やブレスレットであれば、それがどのように扱われているかを注意した方がいい。儲け本位か、愛情を注いでいるか。それによって、波動は天と地ほど異なる。ピュアーで美しく、波動の高いものがいい。電話をしてきた方には、偽物は海などの自然に帰すように話をした。波動の低いものは、海や川などで時間をかけて浄化するように勧めた。そして、これからは金額ではなくて波動に注意するように。そのことについては、ご本人も深く自覚されたようだった。『愛情を 込めて水晶 見つめれば それに応えて 水晶光る』『水晶も 物も何でも 同じこと 心を込めた ものが一番』これが日記を書き始めて2714日目の心境。
2012.06.08
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今日の屋久島は、台風一過。さわやかな天気になっている。さっそく、水晶の浄化に行く。ところが・・・まだ台風の余波で、海は大波が打ち寄せていた。波の勢いが強く、干満の差も激しかった。川は、大増水。これまでに見たこともないような勢いで流れていた。いつもより上流の水の少ないところに水晶を入れたザルを置く。それでも流されそうになる。石で支えて、やっと安定する。確かに海も川も台風一過。今日は、天体ショーもあった。金星が太陽を横断した。そのサイズたるや・・・まさにケシ粒の如し。まるで大日如来と孫悟空?いや、ルシフェル・サタンと神?ルシフェル・サタンは、以前は明けの明星のような天使だったとか・・・そんなことを聞いた記憶がある。圧倒的な存在感の違い。太陽に比べたら、金星はゴミのよう。しかも、太陽の方が遥かに彼方にある。実際の違いは、比較にならない。これこそが、まさに抱き参らせの世界。太陽=大日如来は、すべてを抱き参らせている。善も悪も、正も邪も。それらの違いは、大日如来の前ではほとんど意味を為さない。とは言っても、ネガティブが凝り固まると・・・石よりも硬くなってしまう。もうどうしようもなくなる。そうなると・・・やがて、自己破壊する。極限まで凝縮されたものは、やがて爆発する。爆発して粉々に砕ける。原形を留めない。それは、天罰ではない。自分で選んだ道。ネガティブの行き着く先。それは、自己分裂の道。つまり、自我は極限まで行くと自己破壊する。粉々になって宇宙に帰す。それは、物質と同じ。それが自然な流れ。凝り固まらないで、しなやかに生きることだろうか。それが生きているということ。凝り固まることは、死への道。それは、心も体も同じ。生きているということは、しなやかさ。しかし、しなやかさだけでは形を保てない。それでは、水のようになってしまう。しなやかさの内に芯が必要。芯は、真であり、神でもある。中心に真を持つ。真とは、神そのもの。霊性。中心に真=神を保ちながら、現実をしなやかに生きる。不動の霊性を保ちながら、現象に臨機応変に対応する。変化極まりない色の世界を、揺るぎない空と共に生きる。ゆったりと見守る視点を持ちながら、てきぱきと仕事をこなす。いつもの金星は、明けの明星。東天に光り輝く美しい星。しかし、太陽の前では見る影もなかった。小さな黒い塊に過ぎない。相対的と言えば、相対的。あまりにも太陽が大きすぎる。太陽こそが、太陽系のいのちの源。すべてを抱き参らせる大日如来。太陽の光は、無償。ただ与えるだけ。それこそ、まさに無償の愛。それが抱き参らせの世界。すべてを抱き参らせて、自分を生きる。個であり全体である自分を生きる。ゆったりと大きく構えつつ、現実に即して生きる。全体の視点を常に保ちつつ、個として生きる。『金星は 愛の星ゆえ 太陽の 前を過ぎれば 愛がいや増す』『次々と 天体ショーが 起きる時 人も宇宙も 変容し出す』『日常の 小さなことに 囚われず 抱(いだ)き参らせ 生きてゆくのみ』これが日記を書き始めて2712日目の心境。
2012.06.06
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上京した時、初日に鎌倉の水晶のお店に行った。そこで、長くこの日記を読んでおられるTさんにお会いした。メールのやりとりも多く、これまでに何度も日記に引用させてもらっている。帰宅したら、またメールが届いていた。----------------------------------------------------------------------------- 素敵な水晶とたくさん出会えましたでしょうか。鎌倉ではお世話になりました。Kimiさんにお会いできて、すごく嬉しかったです。たった3時間でしたが、私にとってはものすごく濃い3時間でもありました。お店で体験したことは、私にいろいろな気づきをもたらしてくれました。「お腹にあるネガティブなものは自分では取れない」そうお店のオーナーさんに言われた時には、すごく動揺してしまいました。教えてもらったヨガ教室に行ってみようかという気持ちにもなっていました。でもそれは恐怖心から行こうとしてるだけで、結局、それも依存ですよね。後でkimiさんから「大丈夫だと思いますよ。」と言ってもらえて、どれだけ気持ちが落ち着いたことか。。。今はお腹のネガティブさんといっしょにいてあげようという気持ちでいます。これが何なのか、そのうちわかる日がくるでしょうか。これからは瞑想などの時に感じてあげる時間を持とうと思っています。でもわからなくても、kimiさんが言ってくださったように、私がもっともっと光で満たされれば、もうどうでもいいことなのでしょうね。Kimiさんとお別れしたその後はとっても気分が高揚してて、ぽわんとした温かい気分になっていたのですが、次の日になると寂しい気分でいっぱいになってしまいました。過去世でご縁があってその関係からこんなに寂しくなるのかと思っていましたが、今朝、瞑想をしてた時にkimiさんのお顔が浮かんできたのですね。それと同時に観音様のような温かいエネルギーというかなんというか、慈愛?そんなものを感じまして、あ、これだ!と思いました。Kimiさんの側にいると、とってもとっても心地よかったのですね。すべてを包み込んでくれるような、なんでも許してくれるような、何とも言えない安心感。このエネルギーにずっと包まれていたい、そんな思いが寂しさに結びついたのかもしれません。私自身の中からも同じような慈愛がどんどん湧いて出るような、そういう存在になりたい。Kimiさんにお会いして強く強くそう思いました。もう少しお金が貯まったらサンストーンとラブラドライトのブレスレットと次男のアルプス水晶をまとめてオーダーさせていただこうと思っています。後2週間ぐらいで貯まりそうなのですが。。。日記や水晶のアップを楽しみにしています。ありがとうございました。----------------------------------------------------------------------------- このメールに対して、こちらから送ったメール。----------------------------------------------------------------------------- 無事に屋久島に戻りました。お店のオーナーには、少し驚きましたね。あんなパワーがあるとは・・・でも、大切なことは、やはり自他を見守りながら自分自身を生きることですよ。瞑想中にお腹のネガティブなものを感じてあげるといいでしょう。排除しようとしないで、あたたかく包み込むことですね。それが何ものにも増して貴いことです。そこからしか慈しみのエネルギーは生まれませんから。排除からは、慈愛のエネルギーは生まれないのですよ。ゆっくり落ち着いて進んでいけば大丈夫ですよ。(後略)----------------------------------------------------------------------------- 水晶のお店のオーナーは、不思議な人だった。人のチャクラの状態がわかり、それを開いたり閉じたりできた。また、体に憑いているものも見えるようで、それを取ったりもできた。なんとなく霊能者のような人だった。本人に言わせると、霊能者の次元は超えているとのこと。もちろん霊能者にありがち悪意はなく、善意に満ちていた。Tさんは、彼から腹部に何かネガティブなものがあると言われた。それは、一生自分では取れないとも・・・Tさんは、以前から腹部に違和感を感じて病院で検査したりしていた。でも、特に異常は見つからなかった。そういうこともあり、気になった様子。お店で教えられたヨガ教室に通ってみようという気にもなったようだ。何かが憑いていると言われると、すぐにでも取ってもらいたくなるのが人情。得体の知れないものは、すぐにでも排除したい。その気持ちは、わからないでもない。しかし・・・取ってもらっても・・・また憑いてしまう。一時的に良くなっても、また元に戻ってしまう。それが多く見られるパターン。自分自身が根本的に変わらないことには、本質的な意味はない。確かに一時的には楽になるかもしれない。しかし、それは一時しのぎ。それだけでは、他力本願の依存のまま。Tさんの基本スタンスは、賞賛に値する。ネガティブなものと一緒にいて、それを理解する。いたずらに排除しようとしない。すべてを抱(いだ)き参らせる。排除の論理からは、慈しみのエネルギーは生まれない。それは、結局、身を削ることで終わる。いらないものは取ってしまうというのが、現代医学。なんでも手術して排除するというのが現在の西洋医学。手術して速く楽になりたいと思う。しかし・・・手術したが故に更に悪化したり、挙げ句の果てに亡くなったりするケースも多く耳にする。そもそも・・・いらないものは取ってしまうという考え方そのものにイージーさがある。表面しか見ない浅はかさがある。本質を見極めようとしない生きるスタンスに問題がある。そこには、この世オンリーバージョンの生き方が垣間見える。イージーな生き方は、イージーな結果を生む。落ち着いて、じっくり見極めることだろうか。わからなければ、わかるまで一緒にいる。そんなに急いで排除しようとしない。基本は、すべてを抱き参らせる。すべてを大きく包み込んで、それぞれを尊重する。たとえネガティブなものでも、それにはそれなりの存在理由がある。それを見極め、理解する。ガン細胞は、体の他の部分を守るためにできる。忌み嫌うべきものではなくて、それこそが救生主。身を犠牲にして全体を守ろうとしている勇者。それを悪者視して排除しようとするのは、あまりにも浅はか。すべてのものに存在理由がある。それを理解することが、この世を十全に生きるためには必要。理解するためには、いたずらに排除しようとしないこと。すべてを抱き参らせて、わかるしかない。抱き参らせていれば、ネガティブなものも変化していく。自分自身の光が強くなれば、ネガティブなものは自然に消えていく。自覚し、意識し、光と共にある。そうすれば、すべては光化していく。排除の論理というのは、この世バージョン。自我の世界。自分を個と思うが故の錯覚。全体であれば、排除という発想はあり得ない。慈愛のエネルギーは、全体のなかにある。個のなかにはない。排除しようとしない時にのみ現れる。排除がある時に慈愛はない。個として生きる際には、選択も必要。しかし、それだけでは排除の論理。全体的な無選択があって、その上で個としての選択をする。個としての選択だけで生きると、混乱が生じる。個から慈しみが生まれることはない。慈しみは、全体からしか生まれない。愛は、慈しみの子供。個々の愛は、慈しみに続く道。個としての愛は、全体としての慈しみにつながる。氷が融け、水が温まり、やがて水蒸気となる。個として固まっていたものが、愛によってゆっくりと融けていく。その愛は、やがて水蒸気となって全体に広がる。個別性を持たない愛は、慈しみへと変容する。それが、人類史。一人一人が歩いている道。愛から慈しみへの道。『繊細に 静かに満ちる 慈しみ すべてを包み すべてを活かす』『個々の愛 通して至る 慈しみ 抱(いだ)き参らせ 抱き参らせ』これが日記を書き始めて2710日目の心境。
2012.06.04
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今朝は、雨の屋久島になっている。しっとりとした空気感。これが、屋久島。東京とは、まるで違う。東京は、羽田からモノレールに乗ると、砂漠にやって来たような気分になる。その原因は、緑の少なさと乾燥した空気。屋久島のしっとりした空気とは、まるで異なる。そして・・・寒々とした人間関係。電車の中で、あたたかさというものがほとんど感じられない。屋久島は、もっとほのぼのとしている。お互いに知っている人が多いということもある。それに加えて、のんびりと暮らしているから。東京のように急ぎ足で歩いている人はいない。人口密度も、ぜんぜん違う。まるで異星人のような気分。それでも東京で暮らしていると、これに慣れてしまう。でも、殺伐とした暮らしをするつもりはない。空気と同じように、しっとりとした屋久島の方がいい。呼吸が楽。屋久島空港に着いて飛行機から降りた途端に感じる、この解放感。このやさしい空気感。本当にやさしく、やわらかい。しっとりとして心身にやさしい。東京では、たくさんの水晶やブレスレットを仕入れた。200万円近く買ったので、かなり大きな水晶も含まれる。無研磨で透明感のある大きな水晶が4~5本はある。シトリンもカテドラルクォーツもヒマラヤ水晶も買った。今回のミネラルショーは、珍しくシトリンとカテドラルクォーツがたくさんあった。そのなかのベストのものを買ってきた。ゴールデンヒーラーも、かなり仕入れた。珍しいものもあった。水晶の中でヘマタイトがキラキラ光っているもの。ゴールドルチルならわかるが、ヘマタイトが輝いているのは初めて見た。美しい黄金色のエルムウッドのカルサイトもあった。レコードキーパー(△)が付いた水晶も大量に仕入れた。珍しいところでは、モリオン(黒水晶)のクラスターを3個。こちらは、カテドラルになっている。かなり大きなガネーシュヒマールもあった。全体が緑色をしている。ガネーシュヒマールは、ネパール政府の方針で輸出規制されているらしい。原石ではなくて、できるだけ加工したものを輸出する方針とか。特にアンモナイトなどの化石は、ほとんど輸出できない状態らしい。そのアンモナイトの化石を1個だけ買ってきた。それは、完全に石の中にあるもの。石が半分に割られていて、それを開けるとアンモナイトが出てくる。こんな化石は、初めて見た。ヒマラヤは、太古は海底だった。知り合いにも何人か会った。初日に北鎌倉の卸の店で、Tさんに会った。わざわざ横須賀から会いに来てくれた。ネット上の知り合いなので、初対面。三日目には、20代からの友人の秋田のSさんと夕食。食事の後、ホテルで4~5時間も話してしまった。近況報告、懐かしい話、これからの話。親しい人なので話が尽きない。ミネラルショーでも、顔見知りの業者とたくさん話をした。それによって、水晶業界の近況がわかる。水晶業界の近況とは、つまり世界の水晶事情。そして、日本の動向。以前東京に住んでいて、原発の影響を避けるために奥さんの実家の山口に引っ越した同業者ともミネラルショーで会った。しばらく一緒に見て歩いて、共同仕入れなどもした。たくさん買うと安くしてくれるため。彼はヒマラヤ水晶専門なので、こちらよりも丁寧に見ていた。細かいところまで時間をかけて見て、すばらしい水晶を発見していた。一緒に見ていながら、明らかに彼の方が目利きだった。こちらは、彼に比べればアバウト。もう少し正確に注意深く見ないと・・・ちょっと反省。最終日には、何度も屋久島に来たことのあるUさんとミネラルショーの会場で合流。お薦めのお店に連れて行って、いくつか鉱物をゲット。しかし、ミネラルショーは、ものすごい人。あまり長い時間はいたくないところ。一般公開の前日に業者デーがある。その時は、そんなに混んでいない。しかも、商品も良いものがたくさんある。その上、特別価格にしてくれる。その日のためにミネラルショーに行くようなもの。今回もスペシャルなものが買えた。それは、シトリンのカテドラルクォーツ。単なるシトリンカテドラルなら珍しくはない。こちらは、ものすごく澄み切っている。上から下までクリアーそのもの。色も濃く、最高のシトリン。カテドラルの形も極めて美しい。ブラジル人の業者が、あなたが買わなかったら10分で売り切れると豪語した一品。まだ誰も来ていない一番に行ったから買えたもの。これだけ美しいシトリンは、久しぶり。一部研磨されているが、未研磨の部分にはたくさんのレコードキーパー(△)が付いている。ミネラルショーの前に行った北鎌倉の店では、5キロ近いヒマラヤクラスターを仕入れた。インドのマラカラン産の最高品質のもの。透明度も照りも最上。トップも完璧。普通の水晶にゴールデンヒーラーが貫入したものも手に入れた。高さが30センチぐらいある無研磨のポイント。ピンク色の巨大なポイントもゲット。スモーキーシトリンの超クリアーな大型水晶も購入した。数年前に出た初期のレムリアンシードの大きなポイントもゲット。今では、このようなタイプは見当たらない。典型的なレムリアンシード。でも、高かった。最高級のコロンビア水晶のカテドラルクォーツも手に入れた。こちらも飛び上がるほど高かった。コロンビア水晶は、ものすごく値上がりしているらしい。高くなりすぎて、なかなか買えないと卸業者が嘆いていた。値上がりした原因は、コロンビアの採掘業者が市販価格を知ってしまったため。水晶も、かなり価格変動がある。産出量や人気にも左右される。珍しいものは、極端に高い。その極端に高いものの一つが、ブルートパーズの原石。シトリンカテドラルを買ったブラジル人の業者が持っていた。放射線をかけていない天然無研磨のブルートパーズ。ブルーの色が濃く、それはそれは美しかった。形も完璧に結晶していた。大きさは、10センチ近かった。価格は、70万円。お金に余裕があったら買いたかったが・・・同様に世界最大というアクアマリンの結晶もあった。高さが15センチぐらいはあった。価格は、150万円。こちらは、見るだけで満足。そういう高価なものも、たくさん見られるのがミネラルショー。別に買わなくても、親切に見せてくれる。行く度に知り合いの卸業者が増えているので、どんどん楽しくなっている。でも・・・インド人が持って来るヒマラヤ水晶は、行く度に値上がりしている。一般価格は、前回と同じ1グラムあたり60円。ところが、卸値が高くなっていた。もっとも、相手を見て卸値も変わるのだが・・・こちらはベストのものばかり少なめにチョイスしたので、高く吹きかけられた。結局、前回よりも1グラムあたり5円も高くなった。でも、トップクオリティのヒマラヤ水晶が手に入った。ヒマラヤ水晶に関しては、日本人から買った方が安いことも多い。今回仕入れたものは、これから浄化する必要がある。しかし、季節は梅雨。なかなか晴れてくれない。しかも、一度や二度では浄化しきれそうにない。さて、いつまでかかるか。浄化できた分からアップする。大型水晶が、どんどんアップされるだろう。かなり見応えがあるに違いない。ミネラルショーに行く度に、ネットショップは充実していく。質量共にアップしている。後は、価格だろうか。もう少し安い方が買いやすいかな?客観的に言うと、ブレスレットの方が割安。水晶の方が少し割高。思い入れが強い分だけ、値段も高くなりがち。特にあまり売りたくないものは、高めの価格設定になる。ブレスレットはそんなことはないので、コンスタントに割安。他のネットショップと比較しても、質からすると安い。これからは、もう少しブレスレットを増やす必要がありそう。ブレス系も、たくさん仕入れてきた。と言っても・・・金額ベースでは、原石系が三分の二でブレス系が三分の一ぐらいだろうか。どうしても自分の好みが反映される。ただ、ラリマーとラブラドライトだけは大量に仕入れてきた。両方とも今の時代に必要な石。特にラブラドライトは、大粒のブレスレットをたくさん仕入れることができた。最近は、大粒で良質のものはほとんどない。1ヶ所だけあったので、良いものはみんな買ってきた。ラリマーは、珍しくペンダントトップを仕入れた。ハート型の可愛いやつ。もちろん、ブレスレットも何個かは買った。ブルームーンストーンは、大玉も小玉も仕入れられた。今、最大の問題は、水晶を置く場所。今日か明日には、自分で梱包してホテルから送ったものが届く。大型水晶が多いので、場所を取る。自宅は、既に水晶で満員状態。さて、どこに置いたものか・・・本をしまうにしても、もうしまえるのは棚一つ分だけ。既にほとんどの本は、倉庫のなか。最後の手段は、もっと置く密度を高めるしかない。これまでは、屋久島バージョンの置き方。これからは、東京バージョンの置き方?ちょっと息苦しいが、売れるまでの辛抱。もっとも・・・また業者が自宅に水晶を送ると言っていたので・・・なかなか減らない在庫。と言うより増え続ける在庫。さてさて、どうしたものか・・・『次々と すごい水晶 やって来る ここは屋久島 水晶の島』『屋久島に 届いた水晶 開ける時 言うに言われぬ 幸せがある』これが日記を書き始めて2709日目の心境。
2012.06.03
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朝、外に出ると、良い香りがしている。春の香り?何かの花だろうが、日々、微妙に違う。春は、早起きしても気持ちがいい。「屋久島ライトクリスタル」では、一昨日からバーゲンがスタート。今月末に新宿ミネラルショーに行く。そのための資金稼ぎという意味もある。しかし、実際は・・・在庫を整理しないことには、これ以上は仕入れられない。なぜなら、置く場所がないから。自宅は、水晶で満員状態。在庫の山?今年は、既に200万円分ぐらい水晶を仕入れた。かなり売れてはいるけれども、絶対数は増えている。もう保管が限界に近い。先ずは出すことを考えないと、入れられない。資金的には、まずまず。150~200万円ぐらいは、仕入れることが可能。しかし、よほど厳選する必要がある。原石に限れば、最高級のものに限定するつもり。今回は、ビーズ類をたくさん仕入れたいと思っている。ビーズであれば、場所を取らない。それに、ここのところあまりアップしていない。最近のアップは、原石がほとんど。女性は、どうしてもブレスレットの方に惹かれる傾向がある。もう少しブレスレットを増やさないと、ネットショップとしては厳しい。ブレスレットも美しい。嫌いではない。しかし、自分ではあまりしないので、どうしても原石の方に目が行く。たぶん、原石も買ってくる。良いものがあると、後先を考えずに買ってしまう。根が好きなので、どうしようもない。ゴールデンウイーク中は、ほとんど売れなかった。ミネラルショーに行くと、どういうわけか売れ出す。できるだけ安くして、旅立ってもらうしかない。入れ替わることが、活性化であり循環。今日の「屋久島 光のガイド」のHPの短歌は、存在の歌だった。人の根底にあるもの。すべてを支えているもの。中身のない意識。純粋無垢の意識。意識そのもの。記憶や自我やイメージ以前。それらのものが入る器としての意識。空っぽの意識。だから、空?色がないから、空。何もない意識。そこにベースを置く。そして、この世を生きる。半分は、空。半分は、色。色は、空に至る。それは、氷を煮詰めると水蒸気になるようなもの。繊細に、繊細に・・・意識を限りなく繊細にしていく。そうすると、水の分子が活性化して水蒸気になるように、意識のシフトが起きる。色は、空に変容する。限りなく微細なものは、融けてしまう。極微は、極大にしかず。陰極まれば、陽。物質は、エネルギーと化す。色即是空、空即是色。元々は、ひとつのもの。色の世界というのは、エネルギーが集中して物質化しているようなもの。空の世界というのは、物質化以前のエネルギー状態のようなもの。色は、氷や水のようなもの。空は、水蒸気のようなもの。そのように考えると、実にわかりやすい。同じものの違った姿。それなら、色即是空、空即是色と言うのも当たり前。極めて単純。更に単純化すると・・・すべては、エネルギー。それが凝縮されて、色の世界ができる。夜空が空で、星々が色。この宇宙というのは、相似形。すべて相似で成り立っている。宇宙の成り立ちは、色と空の成り立ちと似ている。人も物事も同じ原理。意識のベースを空に置けば、何の執着も生じない。すべては、移り変わる。そのなかで、いかに生きるか。いかに楽しむか。無理をしないで、ゆっくりと味わいながら生きることだろうか。瞬々刻々を楽しみながら生きることだろうか。好きなことを余裕を持ってやることだろうか。生き急がないように・・・『存在の 基盤を空に 置くならば 色の世界は 愛でる対象』『生存の 基盤を空に 置くならば その心境は 大日如来』『空である 大日如来の 心境は 抱(いだ)き参らせ すべて見守り』『限りない 慈愛に満ちた 繊細な 如来の光 宇宙を包む』『存在の 基盤を空に 置くならば 自分自身が 如来そのもの』これが日記を書き始めて2701日目の心境。
2012.05.25
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三泊四日の屋久島の旅の最終日は、金環食だった。しかし、天気は曇。ちょっと難しいかなと半分諦めていた。ふと、外を見ると太陽が・・・薄い雲に覆われていたが、太陽が白く光っていた。急いで日食用のグラスを出す。それを着けて見てみると・・・金環食が目の前に現れた。しかし、見えたのは10分ぐらい。すぐに黒い雲に覆われてしまった。でも、最もピークの時間帯に見ることができた。はっきりと金環食が見えた。雲がかかっていたのと日食グラスで、太陽はモノクロにしか見えなかった。カラフルな金環食を見たかったのだが・・・時間が短かったせいか、それほど感動もしなかった。思ったより太陽も小さかったし・・・イベントを済ませて、宿へ迎えに行く。宿の近くまで行くと、海の上に虹が出ていた。時間に余裕があったので、車を止めて写真を撮る。しかし、すぐに薄くなってしまった。宿に着くと、ご主人が出てきて金環食がきれいに見えたと興奮気味に話してくれた。みんなで橋のところまで見に行ったらしい。でも、彼女は休んでいたとか。もったいない・・・でも、彼女は虹を見たらしい。大きくて美しい虹。写真にも撮れたとか。彼女には、虹の方が必要なのだろうか。青空も見えているが、時に小雨が降ったりもする。なんとも不安定な天気。雨雲の動きをネットで見る限り、今日は南西の方が天気が良さそう。ということで、小谷ヶ滝に行くことに。西部林道を通って、栗生へ向かう。二度目の西部林道。三泊四日の旅で西部林道を二度も通った人は初めて。途中で、シカやサルがたくさん出てきた。小谷ヶ滝の駐車場に着くと、車が一台駐まっていた。どうも沢登りをしている雰囲気。まだ水は冷たいだろうに・・・ハードコースに耐えられるように万全の準備で歩き出す。久しぶりの小谷ヶ滝。行く人はほとんどいないので、道は荒れている。もっとも、道と呼べるようなものは元々ないのだが・・・ハードコースを慎重に進む。なんとか大きな滝壺が見えるところに到着。すると、下の方に人が二人いた。先程の車の人たちだろう。沢登りの服装をしている。彼らが帰るまで、滝壺が見下ろせる高台で待つ。ほとんど滝と同じくらいの高さ。とても見晴らしがいい。30分ぐらい、写真を撮ったり瞑想したりして過ごす。やっと二人が動き出したので、こちらも滝壺の方へ移動。途中で彼らと会う。ガイドとお客の女性だった。こちらを見て、彼らも驚いた様子。滝壺の前まで下りて、クツを脱いで裸足になる。足を滝壺に浸けてみる。冷たい!予想以上に水は冷たかった。滝のミストを浴びながら、しばし休憩。滝の怒濤のような響きは、全身を振動させる。それによって細胞の間に詰まっていたものが外れていく。背骨の中まで調整される。滝は、すばらしい。すばらしい浄化力とパワーを秘めている。滝のミストも振動も、人を本来の状態に戻してくれる。特に水は感情の浄化に役に立つ。かなり長い間、滝壺の前にいた。この滝壺は、屋久島で一番大きい。滝の迫力も屋久島一。彼女の中に溜まっていた古いものが、どんどん融けていく。十二分に滝を満喫して、帰途に就く。帰りも、かなりハード。途中の大きな岩の上で休憩。また裸足になって川の水に浸かる。ここでクツを脱ぐと・・・彼女の足に血が付いていた。犯人は、ヒル。とうとう彼女もヒルにやられてしまった。人が行かないところを歩くと、どうしてもヒルにやられやすい。しかし、春先は造血作用が盛ん。そのため、多少ヒルに献血しても問題はない。逆に毒の血を吸ってもらって、リフレッシュされる。かなり汗をかいたので、温泉へ向かう。尾之間温泉は、月曜日の午前中が定期清掃。そのため、月曜日の午後が一番きれい。タイミングよく、その時間帯に入浴できた。お湯が超美しい。透明で透き通っている。最高に気持ちがよい。客も少なく、のんびり入る。こちらは、温泉の中で知り合いのガイドと長いこと話していた。温泉から出ると、もう彼女は外にいた。温泉が一番緩む。彼女の中の緊張も、かなりほぐれた感じ。それから、近くの草木染めの店に行く。屋久島の山野草で染めたものが置いてある。店主とは顔馴染みなので、また金環食の話になる。温泉でも知り合いのガイドと、その話をした。南の方は、きれいに見えたらしい。しかし、その後は雨が降ったり止んだりとか。小谷ヶ滝の方は、ずっと青空だった。まったく雨の気配はなかった。屋久島は、場所によって、まったく天気が異なる。雨雲の動きをチェックしていて正解。最近は、ネットでなんでもできる。インターネットは、必需品。ここ二日間は、昼食なしで動いている。これは、彼女が言い出したこと。こちらは元々食べないので、効率的。できるだけ食べないで、水と空気をたくさん入れる方がいい。彼女は、だいぶ空気が入れ替わった感じ。細胞の中の水分もエネルギーも、かなり入れ替わった。詰まっていたものが、相当抜けた。スッキリし、充電された。ガイドの予約の際には、元気のよい声が電話口から聞こえた。しかし、それはカラ元気だった。と、彼女本人が認めた。屋久島に来て、根底から変わろうとしている。草木染めの店の次は、酵素を作っているところへ行く。屋久島の山野草で作っている酵素。彼女は、極度の冷え性。そういう人には、特にお薦めの酵素。着くと、ちょうど酵素を瓶詰めしているところだった。酵素の芳香が部屋に満ちていた。彼女が酵素を2本買うと、いろいろサービスしてくれた。タンカンうどんやグァバ茶をくれた。最後にカッパとリュックを返しに行く。カッパは、木霊の森で大活躍。ここでも金環食の話題になる。残念なことに、宮之浦辺りではぜんぜん見えなかったとのこと。本当は、kimi水晶館にも寄るつもりだった。ところが、いろんなところでゆっくりしすぎて時間がなくなってしまった。kimi水晶館は、次回のお楽しみだろうか。もっとも、彼女は水晶よりもネコに会いたがっていたのだが・・・時間が来たので、空港へ行く。空港で荷物の整理をしていると、飛行機が降りてきた。これで無事に帰れる。帰りの飛行機は、満席だった。三泊四日の屋久島の旅が終わった。帰宅後に届いたメールには・・・「名古屋に着いてから、物凄い変化に気づきました。」と書かれていた。四日間、フルに浄化。そして、フルに充電。海、山、森、川、滝、温泉・・・屋久杉に癒やされ、木霊に癒やされ、クリスタルボールにも癒やされる。美味しい空気と水。雄大な自然。鳥の声や沢のせせらぎ。苔の緑と新緑の緑。屋久島の大自然を満喫した四日間。極めて充実していたのではないだろうか。光のガイドとしての三泊四日コースの4人目のお客さん。根本からの変化の始まり・・・『心身の なかに詰まった 諸々を 滝の怒濤(どとう)が 粉々にする』『屋久島の 滝の轟(とどろ)き 心身に 響けば取れる 固いシコリも』これが日記を書き始めて2696日目の心境。
2012.05.21
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三泊四日の旅の三日目は、朝から激しい雨。彼女を迎えに行くと、彼女はご機嫌だった。というのは、昨夜、楽しいことがあったらしい。それは・・・ネットで知っていた屋久島のクリスタルボールの演奏者と宿で偶然会ったとか。彼は、クリスタルボールを使ったセッションをやっていたらしい。二泊三日の屋久島での宿泊セッション。彼は、宿の近くに住んでいる。それに参加した人のなかに、彼女がネットで知っている別のヒーラーもいたとか。その女性のヒーラーとクリスタルボールの演奏者とのジョイントセッション。参加者たちは、彼女と同じ宿に泊まっていた。それで、食事の際に話が盛り上がった様子。食後、近くでおこなわれたクリスタルボールの野外セッションに参加。そこには・・・たくさんの蛍。蛍が乱舞する中でのクリスタルボールの演奏会。なんとも幸運。これもまたプログラム?ここは、かなり遠い宿。普段は使わないが、他の宿が満員なので使った。偶然はない。彼女にとっては、ベストチョイス。そのクリスタルボールの演奏者は、ガイドもやっている。たまに話すこともある知っている人。実は・・・彼女を空港に迎えに行った際、彼も空港に来ていた。彼は、飛行機から降りてきたセッションのお客さんたちとハグしていた。狭い田舎の空港なので、ハグは人目を引く。彼女も空港で彼を見ていた。しかし、その時はネットで知っているクリスタルボールの演奏者とは気づかなかった。屋久島に来た最初から彼に会っていた。偶然ではないだろう。そんなことを車中で話しながら、木霊の森へ向かう。かなり強い雨。森でも、ずっと雨が降っていた。しかし、森の中は木々がたくさんあるので、そんなに気にはならない。逆に、木霊の写真がたくさん撮れた。但し、こちらのデジカメだけ。彼女はスマホなので、木霊は写らない。後日、こちらの写真を送ってあげることに。傘をさしながら木霊の森を歩く。沢は、かなり増水していた。水は、まだ冷たかった。しかし、雨で緑が格別美しかった。彼女は、緑の美しさに感動。沢も増水しており、小さな滝も迫力があった。たくさんのキノコが生えていた。雨なので、森の貝も見ることができた。ゆっくり木霊の森を楽しむ。もちろん、誰もいない。ただ自然があるだけ。これが今の彼女には最も必要なもの。木霊の森を出て、里に下りる。まずお土産屋さんに行く。雨のため、お土産屋さんは観光客で混んでいた。彼女は、屋久杉のピラミッドを購入。その後、温泉へ。本当は熱い尾之間温泉へ行きたかったが、遠いので楠川温泉にする。男湯は、わりと混んでいた。女湯は、空いていた。ここでハプニングが・・・ズボンを脱ぐと、パンツが血だらけ。?生理が始まった?まさか!男の生理なんて聞いたことがない。これは・・・間違いなくヒル!どこから血を吸ったんだ?よく見ると・・・なんと男性自身。それも先端部分。なんというエッチなヒル!きっとメスに違いない。kimiさんの男らしさに惚れた?それなら許せる・・・?温泉に入っている間は、問題なかった。ところが・・・出てからが大変。血が止まらない。温泉で温まって血液の循環がよくなったので、拭いても拭いても血が出てくる。これでは、またパンツが血だらけになってしまう。パンツだけでなく、ズボンまで血だらけになる。それは、まずい。しばらく血を拭いたり様子を見たりしていたが、一向に血が止まる気配がない。やむなくオムツをすることに。オムツ?もちろん、そんなものの持ち合わせはない。タオルを男性自身に巻いてパンツやズボンをはくしかない。タオルは血だらけになっても、パンツやズボンは助かるだろう。なんとなくカッコ悪いが、これしか方法を思いつかない。バンドエイドは、車の中・・・彼女は、温泉から上がると、かなり充実している様子。本人もそれが自覚できる感じ。三日間で、かなり充電されている。まだ時間が早かったが、雨なので宿へ送る。彼女を宿に送った帰り道、すばらしい虹が出た。ものすごく濃くて、はっきりした虹。写真を撮ろうと思って車を止めたら、すぐに消えてしまった。結局、写真は撮れなかった。最近は、虹をよく見る。冬場は、あまり見なかった。虹の屋久島の再開。お客さんにも見てほしいのだが・・・『屋久島の 思わぬことが 起きる旅 必要なこと 起きているだけ』これが日記を書き始めて2695日目の心境。
2012.05.20
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三泊四日の旅の二日目は、巨木の森へ向かう。天気は、晴。雲があるけれども、青空も見えている。巨木の森の駐車場は、車でいっぱいだった。土曜、日曜は、かなり混む。しかし、みんなが行くのはメインルート。巨木の森には、誰もいない。ただ鳥の声が聞こえるだけ。海抜1400メートルの森は、少しひんやりしていた。Tシャツでは、寒い。長袖が必要。でも、日が当たるところでは、暑く感じる。大きな杉を一本一本丁寧に見ていく。それぞれの杉にじっくり触る。屋久杉のエネルギーを充電してもらう。そして、屋久杉の大きさを体感してもらう。途中で何度も座り込んで話し合う。昨日から、たくさん話している。車での移動中も、たくさん話す。コミュニケーションが重要。コミュニケーションによってエネルギー交流が起きる。それによって詰まっていたものが動き出す。過去の整理整頓。今生の総括。ゆっくり森を歩く。静か。鳥の声が森のなかにこだましている。たくさんの種類の鳴き声が聞こえる。白いハイノキの花が満開。ピンクのサクラツツジも咲き出した。紅いリンゴ椿の花は、終わりに近い。気がつくと、小さなスミレの花も咲いていた。森は、四季折々違った景色を見せてくれる。シャクナゲの蕾も、かなり大きくなっている。もうすぐ美しい花を咲かせるだろう。でも、今年は蕾が少ない。森を出て海に行く。昨日の砂浜とは違う自宅の近くの海岸。ここの砂は、パウダーのように繊細。裸足で歩くと、ものすごく気持ちがいい。ここにもウミガメの足跡があった。かなりの数のウミガメが産卵に訪れている。わりと小さな砂浜なので、卵を産んだところも特定できる。これから二ヶ月経つと、子ガメたちが孵化する。砂浜を歩き、砂浜の上で横になる。その際に、足や手を砂に埋める。これが詰まりを抜くのに極めて効果的。手足を砂に埋めると、ものすごく気持ちがいい。普段詰まっていたものが手足から抜けていくのがわかる。手足の関節が痛くなったりもする。それは、詰まりが抜けている証拠。のんびり30分ぐらに横になる。それから、温泉へ。今日は、宿の関係で楠川温泉に行く。着いた時は、誰もいなかった。ゆったり温泉に浸かる。温泉から上がって、彼女はかなり元気が回復している様子。朝、宿で会った時も、一皮むけた感じだった。今日は、更に充電された雰囲気。砂浜と温泉がいいようだ。もちろん、世俗を離れた森もいいに決まっている。屋久島全体がいい。しかし、そのなかでも今の彼女にとって最も必要な場所がある。それを見分けるのがガイドの役割。今の彼女にとって必要なところへ行く。もちろん定番コースもある。その後で、どこへ行くか。それは、一人一人異なる。今日の宿は、昨日歩いた砂浜の近く。夜になると、蛍がたくさん出るらしい。ウミガメの産卵も、その気になれば見に行ける。夕陽の名所でもある。宿に送った帰りに、少し宿主の方と話す。よく知っている人。屋久島では、有名人。今の屋久島のことをいろいろ教えてくれた。三泊四日の旅の二日間が終わった。彼女は、順調に回復している。三泊四日ですべて回復することは、無理。しかし、そのきっかけになることは間違いない。彼女の中に、かなりエネルギーが満ちてきた。もっと満ちてくると、自然に動き出すだろう。本来の状態に心身が自然に戻り始める。あと二日ある。『静けさに 巨杉と花と 鳥の声 人の気のない 屋久島の森』『古いもの 砂浜で抜く 手足から 波の音聞き 青空ながめ』これが日記を書き始めて2694日目の心境。
2012.05.19
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朝からさわやかに晴れ上がった屋久島。9時過ぎの一番機で、お客さんが到着。今日から三泊四日の屋久島の旅のスタート。昨夜は、鹿児島で泊まったらしい。まず、益救神社にご挨拶。それから、カッパなどをレンタル。そして、永田いなか浜へ。ここで、裸足になって砂浜を歩く。青空の下、筋状の雲がたなびく。この上なく気持ちの良い天気。波はなく、海の色も透き通ったブルー。山々も遥かに見渡せる。最高のコンデションのなか、ゆっくりと砂浜を歩く。砂浜には、たくさんのウミガメの足跡。かなりの数のウミガメが産卵のために上陸している。キャタピラのような足跡が微笑ましい。砂浜の一番奥まで行って、お昼寝。手足を砂に埋めながら、のんびりくつろぐ。聞こえるのは、波の音だけ。手足から日頃詰まっていたものが抜けていく。今回のお客さんは、40代後半の女性。昨年の7月あたりから、急に精神世界に目覚めたらしい。東日本大震災の効果だろうか。きっかけは、沖縄に行ったこと。沖縄でスピリチュアルな人に聖地に連れて行ってもらったらしい。それ以来、光の玉やオーブが見えるようになった。たくさんのシンクロが起き、これまでの生き方が変わりつつある段階。これまでは・・・子供の頃から母親との共依存。共依存とは、逆に言えば共支配。気がつけば、周りにいる親しい人とも似たような関係。これではいけないと思い、屋久島に来た。彼女は、今、変わる時。本来の自分に戻る時。これまでの自分は、この世バージョン。それは、もう終了。彼女の状態は、エネルギーがスカスカ。心身が、まったく充実していない。頭頂は詰まっているし、尾てい骨も塞がっている。エネルギーが通らない状態。本人も頭が詰まっているのは、自覚があった。いろいろ事故を体験して、このようになったらしい。背骨も曲がっている。エネルギーが満ちていない。彼女は、過去世で巫女や魔女などをたくさん経験している。だから、元々、霊的素質には恵まれている。これまでは、それを封印してきた。これからは、それを開放する。しかし、今の状態で開放したら危ない。なぜなら、まだ精神の準備が整っていないから。元々の才能が開きかかってはいる。しかし、まだ危うい。そのために、今回、屋久島にやって来た。屋久島は、いのちの島。第一チャクラ。グランディング。先ずは、エネルギーを充実させること。そして、精神的にしっかりすること。エネルギーの充実に関しては、屋久島の自然がやってくれる。誰もいない大自然のなかに入れば、心身は本来の状態に戻ろうとする。これだけであれば、他のエコガイドでもいい。しかし、精神を安定させることは、他のエコガイドではできない。精神の根底をグランディングさせることができる人は、そうそういるものではない。そこにkimiガイドの役割がある。下からのエネルギーは、屋久島に来ればいい。上からのエネルギーは、kimiガイドの担当。上からのスピリチュアルなエネルギーと下からのいのちのエネルギー。その両方を同時に充実させるには、この人にガイドを頼むしかない。天と地のエネルギーを同時に充実させる。それを可能にする貴重なガイド。たぶん世界中探しても、そんなにたくさんいるとは思えない。それは・・・永田いなか浜でお昼寝している時、ふと感じた。それが自分の役割。天と地のエネルギーによって、人が本来の自分に目覚めるのをサポートする。それは、屋久島にいるからこそできること。屋久島とkimiガイドとのコラボ。今生での40数年のスピリチュアル体験と過去世での数え切れない霊的な人生経験。それらの集大成としての屋久島でのガイド。それは、屋久島との約束でもある。それは、屋久島が屋久島である以前の話。屋久島が、まだムーであった頃のこと。長い永い時をかけて準備してきたこと。地球での全人生をかけてこの時のために準備してきた。それは、肉体人間が計画したことではない。魂が大いなる計画の下に決めたこと。宇宙の運行や時代の変化を見通して計画したこと。太陽系や銀河系と共に決めたこと。永田いなか浜で、詰まっていたものをかなり抜いた。それから、西部林道へ。シカがたくさんいるところで下車。誰もいない自然のエネルギーを充電する。シカもサルも、たくさんいた。特にお母さんのお腹や背中に抱きついている子ザルが可愛かった。春は、生まれたての子ザルがたくさんいる。しかし、さすがに親が隠すので、じっくり見ることはできない。西部林道で充電して、今度は大川の滝へ。滝壺の目の前に座って、滝のミストで浄化する。滝の水量は、少なかった。ここのところ、あまり雨が降っていないため。それから、また海に行く。タイドプールの海水は、澄み切っていた。少しだけ入る。冷たくなく、とてもまろやか。だいぶ水で浄化して冷やしたので、今度は温泉へ。海辺の温泉で足湯。誰もいない。のんびり天然温泉を満喫。温めたり、冷やしたり。抜いたり、入れたり。屋久島の自然を活用したナチュラルヒーリング。そして、霊性の復活。最後は、尾之間温泉へ。この熱い源泉に入ってもらう。彼女は、極度の冷え性。そういう人には、この温泉は最高。地球のマグマに直接触れてもらう。地球の生命エネルギーそのものを直に充電。なにしろ地下から自然に湧き出している温泉。まったく汲み上げていない昔からの天然温泉。彼女は、今まさに変化の時。本来の自分に気づく時。霊視能力が芽生えつつある。それらは、過去世で培った能力。これからそういう能力が開花する。しかし、その前にやるべきことがある。それは、まず心身の状態を整えること。そして、精神の基本をマスターすること。彼女は、それほど深い決意をして屋久島に来たわけではない。なんとなく惹かれて来た。表面意識は、まだよくわかっていない。しかし、潜在意識は渇望している。今の彼女には、kimiガイドの屋久島は、とても役に立つだろう。既に初日にして、変化は現れている。何回も浄化と充電を繰り返して、少し顔つきが変わった。本人も、胸や喉のあたりが重苦しいらしい。これまで溜まっていたものが出ている感じがするとか。ピンポーン!まさにご明察。解放が始まっている。彼女の場合は、四日間フルに時間がある。これからどう変化していくか楽しみではある。目覚めの時。屋久島でどんな目覚めを体験できるだろうか。『本来の 自分自身に 戻るため 浄化・充電 光のガイド』これが日記を書き始めて2693日目の心境。
2012.05.18
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今日の屋久島は、曇。少し風が冷たい感じです。庭では、黄色いオオキンケイギクが咲いています。山側だけでなく、海側でも咲き出しました。この日記の読者の方から、瞑想中に見たビジョンが送られてきました。それは、今の社会とはまったく異なる社会でした。たぶん別の次元の世界です。でも、参考になると思いますので全文を転載します。-------------------------------------------------------------------今朝、瞑想をしていたら素敵なビジョンを見ました。久しぶりのことです。なるべく一人の時間を作って瞑想をするようにしているのですが、なかなか繋がらなくて。。。先日送っていただいたゴールデンレムリアンが今朝とっても光っていたので、今日はそれを手に持って瞑想をしていました。レコードキーパーが何個か付いているクラスターです。だんだんと深く入っていって、気がついたらとても美しい森の中にいました。きれいな川も流れていて、小鳥もいて、そこに何人かの人が住んでいるようでした。ある人は木の実や果実を採ることが大好きで、自分が採ってきた実を欲しい人にあげていました。自由にお持ちください、って感じで。あまり人が入っていかないような深い森から珍しい実を採って来ることが特に好きなようでした。その隣では植物のつるを使って籠を編んでいる人がいました。籠を編んでいることが楽しくて楽しくて仕方がない感じ。いろんな形や大きさの籠があって、やっぱりそれも欲しい人が自由に持っていっているようでした。その少し先には歌を歌っている人がいて、この人も歌うことが大好きで、一日中歌っている感じ。周りには歌を聴きたい人が集まっています。こんな感じで、ここではすべての人がそれぞれに大好きなことをやっていて、それですべてのバランスが取れている世界のようでした。お金は必要ない。どの人も満たされていて、欲もなく、恐れや不安もないので、必要以上に何かを所有しようという気持ちはまったく感じられませんでした。完璧に調和された世界。もっと森の奥へ入ってみよう~などと思っていたら、突然長男の目覚まし時計のベルが鳴りまして、スッと現実の世界に引き戻されてしまいました。あ~残念。私たちはこういう世界に向かって進んでいるのでしょうか。未来の地球の姿?お金を必要としない世界になるまではまだちょっと遠いかもな、とも感じましたが。。。私はビーズを作ることが大好きで、それを人に教えることが大好きで、天然石や水晶に関わることが大好きで、今それができている。これでいいんだ、と思いました。送っていただいた水晶は、2週間で約半分が旅立っていきました。40個近くもいただいたのに、こんなに早く半分が旅立ってしまうとはちょっと予想外でした。みなさんゴールデンレムリアンに吸い寄せられたのでしょうか。(笑)今回はより水晶を必要としている人の元に、ご縁ある水晶がきっちり行き渡っているような気がして、プレゼントする場がすごく楽しくて面白いです。いつものことですが、皆さん本当に喜んでくださいます。幸せです。ありがとうございます。-------------------------------------------------------------------このメールを読んで思い出したのは、仏教説話です。天国と地獄の話です。その世界では、自分の腕よりも長い箸を使わなければ食物を食べることができません。地獄では・・・必死で自分の口に入れようとしています。しかし、自分の腕よりも長い箸なので、簡単には口に入りません。みんながみんな四苦八苦しています。ところが天国では・・・みんな楽しそうに食べています。なぜ?地獄では、みんな食べることに必死なのに、どうして天国では笑っていられるのでしょうか。それは・・・みんなが周りの人のために箸を使っているからです。自分の口に運ぼうとすると長すぎて苦労します。しかし、他の人のためには、とても使いやすいのです。どんな人に対しても、簡単に食べものを与えることができます。みんながお互いに食べものを与え合うので、みんなが満足です。誰も飢える人はいません。みんなが幸せそうです。そうそう・・・地獄では、隣の人の食べものを奪い合っていました。自分の腕からは取りにくいので、隣の人の箸から盗もうとするのです。そこで、隣の人に盗まれないために、必死で守ろうとします。そのため、ますます自分の口には食べものが入りません。長い箸という条件は、同じです。でも、天国と地獄では、まさに天と地ほどの差があります。なぜ?簡単なことですね。人が、自分のためだけに生きるのか、周りの人のために生きるのか。ただその違いだけです。自分さえよければいいというのでは、地獄です。周りの人の幸せを大切にすれば、天国です。今の社会は、どちらに近いでしょうか。それは、言うまでもありませんね。みんな、生き残るために必死です。とても天国とは言えそうにありません。みんなが生き残るために必死にもかかわらず、日本では年間3万人もの自殺者がいます。世界では全人口を養うだけの食料があるにもかかわらず、餓死する人が後を絶ちません。それを横目に見ながら、贅沢三昧のセレブも多いのです。どう見ても地獄の方に近いとしか言いようがありません。ただ生き方を切り替えればいいだけです。それで誰もが幸せに暮らせます。自分のためだけではなく、周りの人の幸せのために生きる。自分を活かして周りの人の役に立つ。それが、自分も周りも共に幸せになる道です。極めて単純なことです。にもかかわらず、今の人類はそれができません。まだまだ未熟としか言いようがありませんね。でも、流れとしては、このメールに書かれているような方向に流れています。特に日本は東日本大震災によって、周りの人の役に立ちたいという気持ちが満ちてきています。子供たちでさえ、そのように言います。自分さえよければいいという感じではなくなりつつあります。日本から陽は登ります。日本が希望の光です。みんなのために役に立つという気持ちが、やがて世界を救います。自分優先から、共に生きる時代への転換です。自分を活かし、周りの幸せの役に立つ。それが最も幸せな生き方です。自他共に幸せになる道です。そういう生き方をすることです。もう欧米流は、時代遅れです。資本の論理で世界支配を狙う生き方は、衰退します。アメリカもヨーロッパも、下降傾向です。これからは、アジアの時代です。特に日本が世界の中心となります。それは、物質的にではありません。精神的な支えとなるのです。その精神を支えるものは、真の大和心です。大和心とは、大調和。抱(いだ)き参らせの心ですね。すべてを見守り、すべてを活かす心です。良いも悪いもないのです。正邪、善悪と区別するのは、欧米流です。思考の世界ですね。すべてを抱き参らせるのが、日本流です。思考を超えた次元です。先ずは、自分が真に望むことをすることです。それによって周りの人の役に立つようなことを見つけることですね。どんなことでもいいのです。お金になっても、ならなくてもいいのです。本当に自分が好きなこと。本当に自分がやりたいこと。それが、まず第一です。それを活かして、周りの人の役に立つことです。新しい生き方を、まず自分自身から始めることです。そうすれば、周りも自然に変わっていきます。隗(かい)より始めよ!自分が本当の自分を生きることが、何よりも大切なことです。自分をごまかしていたら、ウソの人生です。そんな人生を生きても、あまり意味はありません。自分を活かし、周りを活かす。共に生きる道を探ることですね。新しい生き方を、先ずは自分自身から始めることです。もうそのような生き方をしている人もいます。だんだんそのような生き方をする人が増えつつあります。自分に正直に、自分に真実に生きるしかないのです。方向は、はっきりしています。自分も幸せ、周りも幸せ。共に幸せに生きる時代です。先ずは、自分の真実を生きることですね。『好きなこと 真にやりたい ことをやる それを通して 世の役に立つ』『好きなこと 始めることが 幸せに つながる道の 最初の一歩』『自他共に 幸せになる 道探る 自他を見守り 共に生きゆく』 これが日記を書き始めて2691日目の心境。
2012.05.16
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昨日の大雨が上がって、静かな朝となっている。小鳥たちの声が空間に響き渡っている。たくさんの鳥たちがいる。何種類もの声が聞こえている。「屋久島 光のガイド」のHPは、昨日、今日と更新なし。その理由は、秘書のぴあのさんが頭痛で倒れているため。更新は彼女の担当なので、彼女が動けなくなるとHPも機能しなくなる。彼女は、時々、頭痛で倒れる。それは、メンテナンス。あるいは、バージョンアップ。たぶん、その両方を兼ねているのだろう。人は、常にメンテナンスとバージョンアップが必要。それは、車と似ている。何年も乗り続けていると、車は故障する。定期点検と部品やオイルの交換が必須。人間も同様。この世を生きていると、この世バージョンになりすぎる。霊性を忘れて、物質化してしまう。時々、この世から離れて、心身を休ませる必要がある。その間・・・心身のメンテナンスがおこなわれる。なに?誰がメンテナンスするのか?もちろん、ハイアーセルフやガーディアンエンジェルや守護霊たち。時代の変化に合わせて、特に頭を修正する必要がある。プログラムの変更。最近の車は、ほとんどコンピューターで走っているようなもの。最新のプログラムがインプットされている。それによって燃費がよくなり、安全性が向上している。人の心身も、時代に合わせて性能をアップする必要がある。そのためには、日常生活を一時停止するしかない。その間に、その人を守る存在たちが最新バージョンに変更する。そういう意味では、頭痛も悪くはない。但し、本人は辛い。身動きできないほどの頭痛に見舞われるので、たまったものではない。しかし・・・それが終われば、それまでの苦痛がウソのように消える。スッキリさわやか!まさにリニューアル。新しい心身となる。多くの人は、これほどまでに大がかりではなくても、それなりにメンテナンスやバージョンアップをしている。但し、それを理解している人は少ない。風邪だと思い、薬で治そうとする。そんなことをしたら、メンテナンスが台なし。薬で無理矢理熱を下げたら、体内の毒素が排出されない。せっかくのメンテナンスが意味をなさなくなる。愚かな人類。対症療法に終始する医学。本質がわからない医学は、肉体しか見ていない。しかも、目先のことだけ。真実を見ない。ただ表面を取り繕うだけ。しかし、それは医者が悪いからではない。今の文化が、その次元ということ。深さがない。物質的で表面的。本質的に生きようとしていない。ただ命を長らえているだけ。それにどれほどの意味があるのだろうか。真実を生きないと・・・そういう人類だから、メンテナンスやバージョンアップが必要となる。そうしなければ、新しい時代に対応できない。新しい時代は、物質的な時代ではない。霊性に満ちた時代がやって来る。それには、従来の物質的な思い込みはいらない。もっと発想の転換が必要。自由でしなやかな頭脳が必要。そのためのメンテナンスであり、バージョンアップ。できるだけ静かな時間を持つことだろうか。別に頭痛で倒れる必要はない。毎晩寝ている時にも、メンテナンスやバージョンアップはされている。但し・・・自分で自覚する必要がある。そういうことをわかっているのと、そうでないのとでは、天と地ほどの開きがある。理解し、受け入れる。常時、自分の心身をメンテナンスし、バージョンアップするつもりでいる。そういうつもりでいれば、その人を守る存在たちもメンテナンスやバージョンアップをしやすくなる。わざわざ倒れるほどの頭痛を起こすこともない。日々、調整すればいいだけ。ところが・・・そのことをすぐに忘れて、この世バージョンで生きるのが人間。そのため、時々、倒れることとなる。もっとも、大がかりなバージョンアップの際には、強制的に静かにすることも必要だが・・・そのような時は、バージョンアップ中と思って諦めるしかない。人は、時代に合わせて、どんどん進化していく。肉体も意識も共に進化する。肉体は進化し、意識は深化する。そういう自覚を持って生きることだろうか。『人類も 時代と共に 進化する 静けさのなか 意識は変わる』『新しい 時代に見合う 心身に 常時更新 バージョンアップ』『古いもの すべて手放し 新しい 意識と共に 新たに生きる』これが日記を書き始めて2690日目の心境。
2012.05.15
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屋久島は、昨日まで晴が続いた。今日は、打って変わって嵐。風と雨が激しく吹きつけている。外に出れないので、家で静かにしているしかない。家にいてやることは、一つだけ。それは、水晶のアップ。今日は、巨大なヒマラヤ水晶をアップした。自宅にある水晶の中で最大のもの。高さが、40センチ。重さは、12.8キロ。なにしろ大きい。浄化する時に、重たくて苦労した。先日、水晶の卸業者が屋久島まで来てくれた。その際に見てもらったら、普通なら50万円ぐらいはするだろうと言われた。50万円としても、1グラムあたりの単価は39円。それでも安い感じ。インド人がミネラルショーでヒマラヤ水晶を販売する際の価格は、1グラムあたり60円。これは、世界で最も多くのヒマラヤ水晶を扱っている業者の一般販売価格。日本の業者に対しては、常連であれば半額程度まではディスカウントしてくれる。しかし、それを1グラム39円で売る業者はいない。それでは、まったく採算が取れない。普通なら店頭価格は、卸値の2~5倍ぐらいになる。値段の付け方は、お店によって異なる。この業界では、一般的には卸値の3倍ほど。パキスタンのヒマラヤ水晶は、インドやネパールのものに比べると割安。まだ認知度が低いためだろうか。最も高いのは、ネパール産。次がインド産で、パキスタン産は最も安い。いや、正確に言うと、チベットのヒマラヤ水晶の方が更に安い。但し、かなり品質が劣る。一般的には、価格が高い順にクオリティも高い。しかし、個々でかなり異なる。今回の巨大ヒマラヤ水晶は、パキスタン産。パキスタンの世界第二の高峰K2(8611m)の近くのスカルドゥー(Skardu)で採れたもの。大きさの割には、状態は良い。ほとんど欠けや剥離痕はない。透明度は、上半分程度。それでも、サイズからするときれいな方。一般的には、大きくなればなるほど美しいものは少なくなる。この大きさで、普通サイズ並みのクオリティ。今回は、この巨大ヒマラヤ水晶を33万円でアップした。1グラムあたり約26円。これは、インド人が販売するヒマラヤ水晶の卸値以下。相場の半額程度。なぜこんなに安くできるのか。それは、直接パキスタン人から仕入れているため。彼はスカルドゥーに自宅があり、日本と行ったり来たりしている。水晶の専門業者という感じではないので、安く卸してくれる。パキスタンのヒマラヤ水晶は、宝の山。まだ世界的な流通量は少ない。世間の認知度も低いため、価格も高くなっていない。経済成長から取り残されて人件費が安いということもある。インドでは、社会の経済成長により人件費が高騰している。そのため、インドのヒマラヤ水晶も値上がり傾向にある。中国の人件費の高騰も著しい。中国経由のビーズや水晶類も値上がりし続けている。パキスタンは、アルカイダがいて治安が悪い。そのため、外国人の業者は容易に近づけない。ブラジルなどは、中国人のバイヤーが鉱山ごと買い占めている。中国パワーは、世界中の水晶を買いあさっている。パキスタンは、今のところ穴場。但し、日本に住むパキスタン人の店は、高い。御徒町の卸業者街にもあるが、ものすごく高い。いかに良心的な業者を見つけるかに尽きる。そして、いかに信頼関係を築くか。それが最も肝要なこと。信頼関係がないと、良いものは手に入らない。値段だけのビジネスベースでは、安くはなっても高品質のものは手に入らない。数日前に屋久島にやって来た卸業者からは、少ししか購入しなかった。30万円ぐらいは用意していたのだが・・・実際に使ったのは、その三分の一にもならなかった。なぜ?理由は、こちらの要求が高すぎるから。最高品質のものばかりを求めているから。しかし、購入した8個については、満足度は高い。特にそのなかの4個は、ベストチョイス。5月末には、新宿ミネラルショーのために上京する。しかし、買うものがあるかどうか・・・なにしろトップクオリティ以外には、あまり食指が動かない。既に、在庫はたくさんある。クオリティの高いものだけを厳選して仕入れてきたいと思っている。トップクオリティのものは、見ているだけで幸せ。日々、目に入るものなので、極力良いものを買ってきたいと思っている。最近は・・・どういうわけか、レインボーの出る水晶が多い。気がつけば、レインボーが出ている。新しく届いたものも、古くからあるものも、どんどんレインボーが出ている感じ。レインボーを見るのは、楽しい。レインボーは、祝福。水晶が祝福してくれているのか・・・それとも、祝福された水晶が集まってきているのか・・・いずれにしても、幸せなことではある。『祝福の レインボー持つ 水晶が 世界中から 屋久島に来る』これが日記を書き始めて2689日目の心境。
2012.05.14
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ここ一週間ほど晴の日が続いた。屋久島にしては、珍しい。今日は、久しぶりの雨。アジサイの蕾たちが、喜んでいることだろう。昨日、春の陽気にムカデが出てきた。10センチぐらいはある大きなムカデ。発見した時は、サンダルの中にいた。気づかずに履いていれば、刺されたかもしれない。このサイズであれば、二日間ぐらいは激痛が続くだろう。外に出そうとした拍子に家の中に入ってしまった。これはまずいと追いかけたが・・・靴箱の裏側に入って見失った。ムカデの動きは、意外と速い。靴箱を動かしても、また逃げ出すに違いない。そうは言っても、ムカデとの同居は遠慮したい。実は・・・これまでに2回、ムカデに刺されたことがある。その度に激痛で一晩眠れなかった。そういう意味では、できれば避けたい。でも、どうしてもというわけでもない。刺されたら、刺された時。別に激痛に耐えればいいだけ。好きこのんで刺されたいとは思わない。けっしてマゾではない。しかし、刺されるのをどうしても回避したいとも思わない。喉元過ぎれば熱さ忘れる?いや、ちゃんと痛さは覚えている。しかし、それを怖がることはない。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という諺がある。熱いものに懲りて、冷たいものまで吹いてしまうということ。過度の恐れのたとえ。このあたりが難しい。あまりにも強い恐怖体験は、後を引く。まさに「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という状態になりかねない。戦々恐々として落ち着きがなくなる。心身の安定が壊れる。屋久島の山に限れば、遭難しても怖くはない。なぜなら、一度遭難したことがあるから。そして、無事に自力で帰還した経験があるから。経験は、役に立つ。と同時に、経験は人を縛る。恐怖体験は、人に回避行動を取らせる。それは、ある意味必要なこと。危険を避けるのは、当然のことでもある。しかし、それが過ぎると、自由がなくなる。そのあたりが、なかなか難しい。経験を活かすこと。しかし、経験に縛られないこと。経験は、活用するもの。しかし、経験に振り回されてはいけない。自分の方にしっかりと主体性を持つ必要がある。経験の方に主体性を奪われてはいけない。そうなると、過去の亡霊にいつまでも振り回されることになる。過去は、過去。単なる経験。それは、活かして使うもの。経験ベースで生きない。記憶ベースで生きない。それらとは違った次元に主体性を置く。経験や記憶は、あくまで活用するためのデーター。経験や記憶に翻弄されない。そのためには、経験や記憶を整理整頓しておく必要がある。自分の管理下に置いておくこと。勝手に動き回らせないこと。経験や記憶に翻弄されている人は、それらを自分の管轄下に置いていない。整理整頓された記憶としていない。ただ強烈な記憶のまま放置されている。それらの記憶は、見直される必要がある。経験や記憶を見直して、整理整頓する。自分の管轄下に入れる。いつでも使える役に立つ経験とする。経験に押し潰されない。経験をマスターする。経験に呑み込まれない。それには、強い主体性や大きなキャパシティが必要となる。経験に負けないこと。経験を理解し、自分のものにする。いつでも活用できる記憶として蓄える。そうすれば、自由度が増す。この世を生きやすくなる。経験は、理解してマスターするもの。無闇に恐れたり振り回されたりするものではない。しっかりとした主体性を持つこと。静かに冷静に生きること。『経験に 振り回されて 主体性 見失っては 本末転倒』『経験は 活用するもの 経験に 翻弄されては 自分失う』『経験に 負けないために 見直して 整理整頓 理解すること』『これまでの 自分自身の 経験を すべて見直す 理解しなおす』『経験は よく見直して 理解して 整理整頓 管理下に置く』『経験は 理解できれば 怖くない 直視すること マスターすること』『これまでの 経験すべて 見直して 恐れをなくし 活かして使う』これが日記を書き始めて2684日目の心境。
2012.05.09
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ここのところ、連日、晴が続いている屋久島。ゴールデンウイーク中は、ものすごい観光客だった。今日から通常に戻るだろうか。それにしてもスーパームーンは、すばらしい。月が出る時の大きさが、ほとんど太陽と変わらない。普段より14%大きいらしい。明るさは、30%増とか。まさにスーパームーン。今月の21日には、金環食もある。次々と天体ショーが続く。それだけ地球も急速に変化しているということ。エネルギーは強くなり、周囲は明るくなっている。5日のスーパームーンの時に、ヒマラヤ水晶が届いた。その数、150~200。正確な数は、わからない。それほど大量のヒマラヤ水晶。そのなかから38個を選択。選りすぐりのベストチョイス。この水晶を選ぶ際の幸せなこと。ほとんど至福。こんなにたくさんの水晶のなかから好きな水晶だけを選べる幸せ。なんという贅沢。自分にとっては、最高の贅沢。時に宝石のような水晶が現れる。今回のメインは、高さが30センチほどもあるカテドラルクォーツ。かなりの部分がグリーンのクローライト(緑泥石)に覆われている。いわゆるグリーンヒマラヤ。しかも、DT(ダブルターミネイテッド)。横幅が、17センチもある。重さは、6キロを超える。圧倒的な存在感。極めてパワフル。このカテドラルクォーツは、これから我が家の中心となる。kimi水晶館を支える屋台骨。これまで中心であった40センチを超える巨大ポイントから、このカテドラルクォーツに代替わりする。その結果・・・高さ40センチ、重さ13キロの巨大ヒマラヤ水晶は、ネットショップに登場することに。なにしろ大きい。両手で持っても、ものすごく重たい。巨大なパキスタンヒマラヤのポイント。自宅の水晶たちも、どんどん入れ替わっている。今年は、ゴールデンヒーラーがたくさんやって来た。ブラジルのゴールデンヒーラーが、20キロ。アーカンソーのゴールデンヒーラーが、3本。そして、今回はパキスタンの大きなゴールデンヒーラーが3個。今回のパキスタンのヒマラヤ水晶は、魅力的なものが天こ盛り。なにしろ150~200個のなかから選んだベストチョイス。ミネラルショーでも、なかなかこんなチョイスはできない。ミネラルショーは、早い者勝ちみたいなところがある。たくさんの業者が来ているので、良いものを見つけたらすぐに買う必要がある。そうでなかったら、別の業者に買われてしまう。今回みたいにゆっくりと味わうことはできない。自宅に送られてくると、ゆったりと楽しめる。そして必要なものばかりを選択できる。なんとも贅沢。幸せそのもの。今年は、たくさんの水晶がここへ届く。正月から既に200万円分以上仕入れている。ヒマラヤ水晶は、これからが本番。12月ごろまでは、新しいものが続々と採掘される。お金ができると、みんな水晶に変わってしまう。水晶を買うために働いているようなもの。水晶の絶対量を減らしたいと思っているのだが、なかなか減らない。量ではなくて、質に転換したいのだが・・・今週末には、知り合いの業者が屋久島まで水晶を持って来てくれる。月末には、新宿のミネラルショーが待っている。これからも、増えることはあっても減ることはなさそう。次々に魅力的な水晶が現れる。あまりにもたくさんの水晶を一度に見たので、少し水晶当たりのような感じになった。ちょうどスーパームーンと重なり、水晶の浄化に行ったこともあり、心身の再調整が起きた。昨日は、目が激痛だった。頭も痛く、かなりの時間横になっていた。天体ショーが起きる度に、心身は一新される。どんどんニューバージョンとなっていく。時代が変わる。地球も変わる。太陽系も変わり、宇宙も変わる。それと共に、自分自身も変化していく。日々、変化。継続している意識もあるが、新しく開ける意識もある。その継続している意識で、やっと自分が維持されている。それは、記憶ベースの意識。自分という意識。それもこの世を生きるのには必要なもの。しかし、それだけではない。自分と自分を超える意識。個と全体。色と空。自分でありながら、それを見守る意識でもある。肉体人間でありながら、肉体を超える意識存在でもある。自分や肉体に固執しないことだろうか。それは、宇宙のほんの一部。大切な一部だけれども、それがすべてではない。個であり、同時に全体でもある。その時にだけ、人は真に満たされる。揺るぎなく満たされる。『やすらぎは 肉体になく 自我になく ただただ深い 意識の奥に』『全体に 融け入ることが 真実の 深いやすらぎ 至福の世界』『人の世の 荒波超えて 真実の 深いやすらぎ 揺らぐことなし』これが日記を書き始めて2682日目の心境。
2012.05.07
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今日の屋久島は、雲一つない快晴。風もなく、極めてさわやか。庭では、黄色いオオキンケイギクが咲き出した。この時期、屋久島中に咲く花。昨日、知り合いから電話があった。話しているうちに気づいたことがあった。それは、人と地震の関係。まったく同じ構造ということ。人が怒りを我慢していると、いつか爆発する。溜まり溜まったものが、その限界を超えると暴発してしまう。地震も同じ。歪みやひずみが限界に達すると、本来の状態に戻るために地震が起きる。怒りに限らず、いろんなものを溜め込んでいると、息苦しくなる。だんだん本来の自分らしさが失われる。それが極限に達すると、切れてしまう。もう我慢の限界。何であれプレッシャーがかかると、人は本来の自分でいられなくなる。楽で自然な自分を維持できない。圧力のために自分自身が歪んでしまう。本来は・・・そうなると、何らかの手段によってプレッシャーを解放しようとする。それは夢であったり、熱が出たり・・・無意識のうちにプレッシャーを解放するように働く。ところが、それでも解放しきれないと・・・歪んだままになってしまう。自分自身が歪む。自分自身がいびつになってしまう。そうなると、もう自分では元に戻せない。本来の自分に戻りたいという気持ちはある。しかし、もう本来の自分がどういうものかわからない。いつもいびつなままの自分なので、これが本当の自分と誤解している。本来の躍動感は、見る影もない。こうなると、地震さえも起こせない。ゴムが伸びきった状態。普通であれば、勢いよく元に戻る。ところが、弾性の限界を超えると元には戻らない。地震が起きているうちは、まだいい。少なくとも正常に戻ろうとする健全性を備えている。生命エネルギーがあるということ。しかし・・・そのパワーがなくなり、歪んだまま固定している人もいる。そういう人は、自分ではどうすることもできない。必要なのは、ショック療法。事故や病気やアクシデント・・・そうなる前に自分で気づくことだろうか。自分のなかの歪みやひずみに気づく。そして、それを絶えず解放する。常に歪みのないしなやかな自分でいること。それには、常に調整している必要がある。人は、眠ると寝返りを打つ。それによって昼間の体の歪みを無意識のうちに調整している。それと同じことが精神にも必要。日々、心身を調整する必要がある。常に微振動が必要。それが大地震を避ける道。それが歪んだまま固定するのを回避する道。地震も心身の歪みも似たような構造。日々調整することだけが、健全さを保つ。抑圧や無理が続くと、いつか大地震が起きる。それは、必然。実は、人類の歪みと地震はリンクしている。集合意識が大地震を引き起こすと言ってもいい。人類の歪みが地球にも影響を与える。それによって大地震が起きる。大地震が起きることによって、地球も人類も調整される。それを人類も地球も延々と繰り返してきた。人類のストレスは、地球のストレス。地球のストレスは、人類のストレス。ストレスのないように生きる。あるいは、ストレスを日々解放するように生きる。ストレスを蓄積しないように生きる。それには・・・日々、手放すこと。しまい込まないこと。執着しないこと。楽しむだけに留め、所有しないこと。所有したとしても、ひとときだけ。すべては時期が来れば、次に流れていく。自分のところで留まらせない。流れを堰き止めない。流れを堰き止めると、ストレスとなる。流す。その流れる姿を楽しむ。常に変化している姿を楽しむ。それが色の世界の楽しみ方。この世を楽しく生きる生き方。執着しないで変化するものを楽しむ。そういうスタンスであれば、ストレスは少ない。四季折々、日々、自然は変化している。人も物も変化している。そういう変化するものに固執しない。流れるままに変化を楽しむ。そういう生き方だけが、大地震を防ぐことができる。今のように自分のところに何でも溜め込もうとすると、やがて大地震が起きる。緊張というストレスが、大地震を引き起こす。流れと共に楽に自然に生きるしかない。変化するものを楽しむ。それだけでも人生は十分に楽しい。にもかかわらず、人は所有したがる。何でも自分のものにしたがる。それが失う苦しみを生む。変化を止めることはできない。なぜなら、それは死を意味するから。変化と共に生きることが、生命の宿命。変化と共に自分も変化していく。つまり固定した自分というものはない。自分も変化し、周りも変化する。それが宇宙であり生命というもの。真理を理解し、真理と共に生きる。固執が生む苦しみを理解し、流れと共に生きる。変化を楽しみ、この宇宙の豊かさを満喫する。何にも執着しないで、ただ移り変わるものを楽しむ。『変化する ことが宇宙の 豊かさを 生み出す仕組み それが生命』『変化する ものを自分の 意のままに しようとすれば 苦しみとなる』『所有する ことは変化を 拒むこと 流れのままに 生きるしかない』『血液も 川の流れも 同じこと 流れ止まれば 淀み病むだけ』『新鮮に 生きる秘訣は 今ここを 何も持たずに 感じきること』『空という 絶対のなか 色という 変化の世界 楽しめばいい』『移りゆく ものをそのまま 眺めれば 千変万化 飽きることなし』これが日記を書き始めて2680日目の心境。
2012.05.05
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昨日は、木霊の森へ行った。宿に迎えに行く途中、すばらしい虹が出た。宮之浦の町に架かる虹。濃くてクリアーな虹。お客さんは、男性一人。たまにこういうこともある。彼は、スピリチュアル。男性のお客さんは、スピリチュアル系が多い。彼は、10年来、屋久島に通っている。屋久島が病みつきになったらしい。屋久島の山に登ると、頭痛がするとのこと。にもかかわらず、毎年のように来ている。どうして頭痛がするのか。それが問題だ!なんとか頭痛を治したい。彼は、車中でそのような話をした。頭痛がするには、頭痛がする理由があるはず。何かを解放しているのでは?本来の状態に戻しているのでは?別に治す必要はないのでは?木霊の森は、昨夜の雨が上がり、緑が美しかった。最初の大岩の上で横になってもらう。彼は、長いこと横になっていた。それから、瞑想の姿勢になった。40分以上静かにしていた。歩き始めた時、頭痛の原因がわかったと・・・それは、怒りだったらしい。怒りを抑えていたようだ。自分では納得したつもりだったが、本当には納得していなかった。自分をごまかしていた。無理に納得させていた。本当の自分で生きていなかった。それらのことに気づいたらしい。すばらしい!自分で気づくとは。それこそが最も望まれること。その後も、気に入った場所ごとに長い時間瞑想していた。男の人だから簡単に終わるかと思ったら、女性よりも長くかかった。超スローペース。歩いている時間より瞑想している時間の方が多かった。10年来屋久島に通ってきていて、木霊の森で感動しまくっていた。木霊の森の美しさ。木霊の森のクリアーさ。誰もいない大自然のすばらしさ。感動と瞑想の一日。その後、自宅の裏のクリスタル海岸へ。ここでもミニミニクラスターに感激。実際に水晶が生えているのを見ると誰もが感動する。それから、kimi水晶館へ。ここでも水晶たちのクオリティの高さに感動。彼は、水晶大好き人間。自分でも、いくつか持っているとのこと。いろいろ見て、ゴールドルチルのボールを特別価格でゲット。行きつけの店より圧倒的に安いとのこと。よい買い物ができて満足した様子。明日は、愛子岳に登るとか。彼を宿に送って自宅に帰る途中、また虹が出た。山と海をつなぐ大きな大きな虹。朝は北西側に出た虹は、夕方には南東側に位置を変えていた。虹は姿を変え、場所を変える。虹の屋久島。緑の屋久島。水の屋久島。満天の星が降る屋久島。豊かな豊かな屋久島。人を本来の姿に戻す屋久島。自然で楽な本来の自分。そういうサポートを屋久島と共にしていく光のガイド。『屋久島の 自然のなかに 浸る時 人本来の 自然に還る』これが日記を書き始めて2678日目の心境。☆ この日記を書き終えて外を見ると、また虹が出ていました。
2012.05.03
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今日の屋久島は、曇。山は、上の方が雲に覆われている。しかし、落(おとす)の滝はしっかり見えている。一昨日の豪雨で、まだ水量が多い。今年三回目の三泊四日の旅が終わった。今回の旅も充実していた。屋久島一周、巨木の森、木霊の森、田代海岸、クリスタル岬・・・天気にも恵まれ、飛行機に乗る直前まで屋久島を満喫できた。こちらも巨木の森や木霊の森で体内の空気の入れ換えができた。詰まっていたものが解放された。自然の精気に触れる度に心身のなかに詰まっていたものが解放される。それは・・・日常生活のなかで詰まっていたものに限らない。それらが解放されると共に、それ以上のものも解放されている感じ。日々のパソコンによって、かなり詰まり気味になる。それは、自然のなかで解放される。ところが、解放はそのレベルを超える。日常レベルを超えて、もっと根深いものまで解放されている感じがする。どんどん自分自身が解放されている。解放される度に自分自身が希薄になっていく。色から空へ。色の領域が減り、空の領域が増す。何もない領域が増え、何かある領域が減る。静かな領域が増え、騒がしい領域が減る。自然に触れる度に心身共に自然に還っていく。本来の自然なバランスを取り戻していく。それには、誰もいない本当の自然に触れる必要がある。観光地には、人の気が満ちている。多くの人は、日常のエネルギーを屋久島まで持って来る。そういう人たちと出会っても、心身の解放は起きない。逆に日常レベルに引き戻されるだけ。やはり誰もいない本当の大自然のなかに入らないと・・・ここ数年は、ガイドブックに出ているようなところはガイドしていない。誰もいないところにだけ案内している。大自然と直接触れ合えるところ。それが人を本来の状態に戻してくれる。それでこそ、光のガイド。エコガイドでも山岳ガイドでもない。本来の自分自身に還るという明確な方向性を持ったガイド。ただ自然に触れてもらうだけのガイドではない。そういうガイドをしながら、自分自身も解放されている。もちろんお客さんも解放される。お客さんの解放がメイン。こちらは、あくまで副産物。今月中旬には、4回目の三泊四日の旅の予約が入っている。一日コースも気楽でいいが、宿泊コースは本格的。お客さんと同時に自分自身も解放される。水晶もいいが、自然もいい。水晶を浄化する度に自然に触れる。海水も川の水も砂浜も心身を浄化してくれる。水晶の浄化と共に自分自身も浄化される。屋久島暮らしは、浄化暮らしのようなもの。『屋久島の いのち漲(みなぎ)る 大自然 人本来の 姿に還す』これが日記を書き始めて2676日目の心境。
2012.05.01
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昨日は、一日中、嵐だった。雨と風が、すごかった。今年は、嵐が多い。自然の浄化が激しい。今日の「屋久島 光のガイド」の短歌は、次のものだった。『人間の 枠を外せば 天の川 意識たゆとう 宇宙の海を』意識というのは、まだまだ未知の領域。人の意識は、次元を超える。時間を超え、空間を超え、普段の意識の枠を破る。日常の意識では理解できないような領域にまで入り込む。人間の赤ちゃんがオオカミに育てられると、オオカミとなる。遠吠えをし、四つん這いで走る。もちろん人間の言葉は、しゃべれない。意識は、完全にオオカミ。「氏より育ち」人は、育つ環境の影響を強く受ける。それによって意識の枠が決まってくる。日本で生まれ育った人とアメリカで生まれ育った人とでは、同じ日本人でも意識の中身がまったく異なる。人は、ある意味、環境の産物。意識は、成長過程の環境の影響を強く受ける。その育った環境を理解しないで比較しても、あまり意味はない。しかし、そうだからといって、環境がすべてとも言えない。同じ環境下でも、みんなが同じに育つわけではない。それぞれ吸収するものは、異なる。自分に必要なものを吸収して成長していく。そこに個性の違いがある。元々持っている先天的なものがある。それに加えて環境がある。「孟母三遷」の例えの通り、環境の影響は強い。しかし、元々の素質の問題もある。元々ある素質に必要な環境を与える。そうなれば、その素質が伸びる。素質を見極め、それに必要な環境を用意してあげる。それが、親の役目。人は、生まれる時代、周囲の環境、そういうものを配慮して生まれてくる。しかし、計画通りに行くとは限らない。あの世とこの世とは、違う。すべてが予定通りに進んだら、なんの苦労もない。この世に生まれてしまえば、先ずはこの世のことを学ばなければならない。この世を生き抜くためのスキルを習得する必要がある。物質を理解し、人間の社会構造を理解する必要がある。先ずは、自分を生かすのが至上命題となる。しかし、自分の命を生かすだけでは、あまり意味はない。それでは、動物と変わらない。動物でさえ必死に生きている。それは必要条件であって、十分条件ではない。自分の命を維持した上で、今生の目的を達成しなければならない。それでこそ必要十分と言える。ほとんどの人は、必要条件の段階で停滞している。十分条件にまで至っていない。生きるのが精一杯。人生の意味や自分の使命などは、二の次。それは、若い頃に一時的に思い悩む病だと思っている。そんなことを考えていたら生き残れないと決めてかかっている。動物と同じ次元で生きても、どれほどの意味があるだろうか。意味がないとまでは言わないが、それだけでは不十分。過去世のカルマをクリアーし、新しい可能性を開く。自分の個性を活かして世の中に役に立つ。ところが、生まれてしまうと周りの環境の影響を受け、いつの間にか肉体人間に成り下がる。本来持っている精神の高貴さを忘れてしまう。過去世と同じように肉体の欲望に勝てない。癖、傾向、パターン、つまりカルマに翻弄されてしまう。環境を理解して、環境をマスターする。環境をマスターして、環境を活用する。環境を活用して、自分の望む世界を創造する。それが、人が生きるということ。ほとんどの人は、環境の理解の段階で留まっている。環境を活用して自分の望む世界の創造にまでは至っていない。なに?自分が何を望んでいるのかがわからない?それは、環境のままに生きてきたから。周りから言われるままに、良い子ブリッ子で生きてきたから。自分自身を生きてこなかったから。本当の自分を生きていないから。地球を理解し、人間社会を理解し、自分自身を理解する。真実に生きるためには、理解することがたくさんある。多くの理解なしには、真に自分が望むことを実現することはできない。この世を生きるというのは、なかなか大変。この世を生きるスキルもいる。しかし、スキルだけでは足りない。本来の目的の自覚が必要。真の自分自身を自覚する。人は、意識の枠によって成り立っている。それは、十二単(ひとえ)を着ているようなもの。そういう枠を外していくと、人は本来の自由に至る。何も枠がない状態。究極は、空。その途中に、魂やグループソウルがある。個性や役割というものがある。空をベースに個を生きる。個を十全に生きるためには、理解が不可欠。人生の理解、宇宙の理解、霊性の理解。多次元のなかで、この三次元を生きる。多くの意識の枠のなかで、全体と共に個を生きる。『オオカミに 育てられれば オオカミに 意識は自由 何にでもなる』『人はみな 十二単(ひとえ)を 着けている 意識の枠を 理解すること』『人間の すべての枠を 外す時 自分は消えて 意識あるのみ』『意識とは いろんな着物 身に着けて 宇宙旅する 空の旅人』『人間の 枠を超えれば 意識のみ 銀河と共に 星々を見る』これが日記を書き始めて2667日目の心境。
2012.04.22
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昨日は、木霊の森へ行った。一日中、すばらしい天気だった。森のなかは、さわやかそのもの。最高の森歩き日和。お客さんは、7人。珍しく多い。みんなとても仲が良かった。笑いが絶えない。会社の企画旅行とのこと。屋久島で新鮮な気分なって新しいアイデアを生み出すための旅行らしい。社長と話すと、とても面白い会社だった。社員ではなくて、仲間ということで会社を運営しているらしい。利益追求ではなく、生活を楽しむ一環という感じ。あまり宣伝しなくても、順調に業績は伸びているとか。自宅勤務や地方勤務も可能。かなりフレキシブルな会社。屋久島でスピリチュアルなガイドを探していたとのこと。会社自体がスピリチュアル系なので、一般的なコースには興味がないらしい。ネットでこちらを発見。ジャストフィット。木霊の森を満喫してもらった。全員、十二分に満足してもらえたのではないだろうか。こちらもガイドをしていて楽しかった。共に楽しいのが一番。今年の春分の日から「屋久島 光のガイド」に名称を変更した。それほどお客さんが来るとは思っていなかった。でも、4月は9日予約が入っている。まずまず。屋久島ライトクリスタルの方も、まあまあ順調。昨日は、タンジェリンクォーツのレムリアンシードのクラスターを4個アップした。どれも2キロを超える大型クラスター。最も大きなものは、8.2キロもある。レムリアンシードという水晶は、従来は単体で出るものとされていた。ところが、昨年あたりからクラスターも出るようになった。昨年は量も少なく、トップクオリティのものが入ってきた。初ものということもあって、かなり価格は高かった。今年は、大量に入荷した。クオリティも昨年より少し落ちた。部分的にポリッシュされたものも混じっている。それに加えて、円高。それらが重なって、価格が大幅に安くなった。卸値で三分の一から五分の一になっている。価格が驚くほど安かったので、こちらも大量に仕入れた。全部で20キロほど。ドラム缶いっぱいのタンジェリンレムリアンが入荷したらしい。でも、品質はピンキリ。知り合いの社員が、最も美しいものを優先的に選んでくれた。やはり、安くても良いものでないと困る。一番最初にドラム缶を開けて、良いものだけを選り分けたらしい。その全量が、20キロになったとのこと。せっかく選別してくれたので、こちらも全量引き取ることに。なにしろ信頼関係。信頼関係がないと、良いものは回ってこない。こちらの都合ばかり言っていると、相手も適当なものしか送ってくれない。この世界は、コネクション。いかに信頼関係をつくるかに尽きる。同じ単価でも、品質はまるで異なる。良いものを安く仕入れる。それが商売のコツ。そうすれば、お客さんにも安く提供できる。今回アップした4個のタンジェリンレムリアンは、いずれも激安。最も小さい2116グラムのものは、昨年であれば店頭価格は20万円近いだろう。それが今年は、なんと28000円。実に七分の一。次に小さな2214グラムのクラスターは、ものすごく形がいい。メインのポイントが大きい。昨年であれば、店頭価格は20万円を軽く超えただろう。それが、今年は45000円。重さが6.7キロもあるビッグクラスターは、昨年であれば店頭価格は60万円前後だろうか。それが今年は、96000円。なんと九分の一の価格。超激安。最後の最も大きなものは、8.2キロもある。バランスが良く、文句なしの一級品。昨年であれば、店頭価格は80~100万円ぐらいはしただろう。それが今年は、164000円。この最大のクラスターは、昨夜、行き先が決まった。美容室を美しく飾ることとなった。そのお店はオレンジがイメージカラーとのことなので、ドンピシャリ!きっと美容室をバージョンアップしてくれることだろう。昨日アップした4個は、たぶん日本で一番安いだろう。品質からすると、信じられないような価格。屋久島ライトクリスタル最初のバーゲン。ぜひ安くて良いものを手にしてほしいもの。今日は、レムリアンシードのゴールデンカラーが届く予定。今回のタンジェリンレムリアンと一緒に、ゴールデンのレムリアンシードも先日少しだけ送られてきた。質が良かったので、もっとほしいとリクエストしたのだが・・・入荷が少なく、良いものは僅かという返事だった。その後、一箱だけ入荷したらしい。その箱は、輸入途中で迷子になっていたとか。さっそく開けてみると、ゴールデンのレムリアンシードが入っていたとのこと。こちらがリクエストしていたので、優先的に確保してくれたらしい。どんなものが届くかは、開けてみないとわからない。しかし、既に届いている小さな3個のクラスターを見る限り、なかなか美しい。ゴールデンヒーラーのレムリアンシードというのは、極めてレア。特にクラスターは、見たことがない。そもそもレムリアンシードとは・・・1999年の終わりから2000年の始めにかけて発見されたもの。発見したのは、世界的に有名なクリスタル・ヒーラーのカトリーナ・ラファエル女史。場所は、ブラジルのミナスジェラス州のセーラ・デ・カブラル山。その後、2010年5月に同じ鉱山でオレンジ色のレムリアンシードが発見された。その年の6月に初めて新宿のミネラルショーに行った時に、それを目にした。珍しかったので、飛ぶように売れていた。その時が最も品質が良かった。その後も毎回ミネラルショーで目にするが、最近のものはほとんどが部分的にポリッシュされている。その分、価格も安くなっている。昨年から、このレムリアンシードのクラスターが出るようになった。昨年は、初ものということで高かった。しかし、今年は激安になっている。その原因は、大量仕入れと円高。それにクオリティも若干落ちている。しかし・・・ゴールデンカラーのレムリアンシードのクラスターは、まだ出回っていない。少なくともミネラルショーでは見ていない。ネットにも出ていない。単結晶ならネットに出ている。今回のものは、透明感がすごい。透き通るようなゴールデンカラー。上品で気品がある。すばらしいクオリティ。そのようなゴールデンレムリアンは、これまで見たことがない。もしかしたら日本初上陸かもしれない。にもかかわらず、価格はそんなに高くなかった。部分的にポリッシュしてあるのだろうか。今年は、大量に水晶が入ってきている。最初に入ったのは、パキスタンのヒマラヤ水晶。次に、アーカンソー水晶とコロンビア水晶。そして、今回のブラジル水晶。5月になれば、またヒマラヤ水晶も入ってくるだろう。ほどほどに売れてはいるが、在庫が増え続けている。なかなかアップが間に合わない。でも、新しい水晶が届くのは幸せ。今年は、たくさんの幸せを味わえそう。ガイドも楽しいし、水晶も楽しい。オーダーブレスを作るのも楽しい。嬉し楽しの世の中になるのだろうか。昨日アップしたものは、タンジェリンレムリアン、タンジェリンクォーツレムリアンシード、ゴールデンレムリアンなどの名前でネットに出ている。1グラムあたりの単価は、60~160円ぐらいしている。こちらの価格は、1グラムあたり13~20円。いかに安いか自分で確認してほしい。もう二度とないような激安価格。大きなクラスターが家にあるといい。圧倒的な存在感。特に今回のものはオレンジ色なので、元気でパワフル。どんどん旅立たせて、また新しいものを迎える。水晶循環。長くストックしておくのはよくない。どんどん回すのがいい。『溜め込まず 回転させる それこそが この世の仕組み 宇宙の仕組み』『太陽も 地球もすべて 回転し 宇宙自体が 回転循環』『手放して また新しい 出会いして 常に新鮮 常に活き活き』これが日記を書き始めて2664日目の心境。
2012.04.19
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今日の屋久島は、さわやかに晴れている。空の青と山の緑が美しい。滝も白く光っている。風もなく穏やかな春の日。「娘に、『神様はなんで人間を創ったの?』と聞かれました。娘に伝えるにはどうすればいいのか・・・」というメールが届いた。さて、どうして神様は人間を創ったのだろうか。神様は、まず星々を創った。夜空に輝く星々を見て満足した。しかし、しばらくすると、星々の地表が殺伐としていることに気づいた。そこで、植物の緑で覆うことにした。緑を成長させるには、水も必要だった。やがて、海と川を持つ美しい緑の星ができた。神様は、満足した。しばらくは、それを眺めて楽しんだ。しばらくすると、何かが足りないような気がした。動きが足りない。もっとダイナミックな方が楽しそう。そこで、動物を創ることにした。たくさんの種類の動物を創造した。それらがどんどん自己増殖するように設計した。予定通り、動物たちは地表を満たした。神様は、多いに満足した。しばらくすると、神様は何かが足りないような気がした。何だろう?何かつまらない。決められた通りのことしか起きない。神様は、ハプニングがほしかった。思ってもみないことが起きるようにできないものだろうか。それなら楽しめそう。パターン化したドラマは、どうも面白くない。そこで、神様はいろいろ考えた。どうすればハプニングに富んだドラマを見られるようになるだろうか。動物たちは、神様の意図した通りにしか動かない。それでは、面白くない。もっとドラマチックな展開はないものだろうか。ハラハラドキドキのドラマを楽しむ方法は?神様は、更に考えた。そうだ!ミニ神様を創ろう。神様と同じように創造できる存在を創ろう。自由に自分で創造できる存在なら、楽しませてくれるかもしれない。思いもよらないものを見せてくれるかもしれない。そこで、神様は神様に似た人間を創ることにした。自分で考えて、いろいろ創意工夫できるような存在を創った。そうやって人間はできた。さて、神様は満足しただろうか。最初のうちは、満足できた。人々は、平和に幸せに暮らしていた。ところが、途中からおかしくなった。何かが狂ってしまった。あれ?神様の様子が・・・神様、どうしたの?「うーん・・・」神様が、うなっている。どうしちゃったの、神様?神様は、腕組みをして難しい顔をしている。「こんなはずでは・・・」神様が何か独り言を言っている。どうも予定と違うようだ。なに?神様の独り言が聞こえる。「人間は、いつまで争いを続けるつもりなんだ。よく飽きないな。もういいかげん仲良く暮らしてくれないかな。争いは、見飽きてしまった。同じドラマを性懲りもなく繰り返さないでほしい。これでは、観客を楽しませることはできないよ。人間は、もっと賢いと思ったんだけど・・・設計ミス?ドラマを盛り上げるために少しは争ってもいいかもしれない。学習のプロセスとして、それも認めよう。いろんな経験をして成長していくのは、見ていて楽しい。でも、いつまでも同じことの繰り返しでは、いいかげん飽きてしまう。人間は、成長をやめてしまったのかな?どこかで何かが間違ってしまったのかな?うーん・・・いやいや、そんなはずはない。番組予告表を見ると、これから人間は目覚めるとある。ふむふむ・・・そうか、これからか。これからドラマがクライマックスを迎えるのか。そうかそうか。それならもう少し我慢して見ていよう。これから人間は、仲良く暮らすのかな?なに?その前に、試練がある?いろんな試練を超えて人間は目覚める?なるほど。よくできているな。」さて、これからどうなるのか。神様を楽しませることができるのか。ドラマのクライマックスは近い。神様もハラハラドキドキしながらドラマの行く末を見守っている。ということで、どうして神様は人間を創ったのだろうか。それは、神様のような創造力を持つ存在を創って、それを眺めて楽しみたかったからだろうか。つまり、自分自身を自分で眺めて楽しむとこうこと。神様は、自己中?いや、ナルシストでしょう。え!ホント?いやいや、そんなことを言ったら天罰が下るかも・・・自分で自分を眺める視線。それは、神様の視線。それこそが、見守りの視線。見守りとは、神の視線。ドラマを演じているのが、個である自分。それを眺めているのが、全体である自分。それは、神様が人間のドラマを眺めているのと同じ。一人の人のなかに全宇宙の構造が凝縮されている。神は、創造的でダイナミックな宇宙を期待して人間を創った。生命力溢れる輝く宇宙を楽しみたいと思った。幾百万のドラマを経て、平和に収斂する宇宙を意図した。大筋では、神の意図の通りに宇宙は展開している。『神の子よ 神の代理の 神の子よ 神のごとくに この世を創れ』『鉱物や 植物・動物 活用し 光の地球 創る人間』『人として 神の視点で 見守れば すべてと共に 生きるしかない』これが日記を書き始めて2662日目の心境。
2012.04.17
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今日の屋久島は、朝から晴。三泊四日の旅の二日目。ホテルに8時半に迎えに行く。途中でガソリンを入れたため、少し遅れる。天気が良いので、予定通り巨木の森へ行く。海抜1400メートルの巨木の森は、クリアーな空気が充ち満ちている。海抜1000メートルを超えると、空気感がまるで異なる。世俗的なものがなくなり、ピュアー感が漲(みなぎ)る。最初の屋久杉から、じっくり感じる。両手を付けて、屋久杉と一体となる。大きなエネルギーが流れ込む。まるで揺り籠に揺られているように、肉体ではない体が動く。それだけでなく、脳も動き出す。脳の緊張がほぐれていく。パソコンで固まった脳を解いているのか・・・それとも、脳の新しい領域を開いているのか・・・いずれにしても、高い天からのエネルギーに脳が反応する。緊張をほぐしているようでもあり、新しい領域を開いているようでもある。肉体は、しっかりと立っている。しかし、肉体以外の体が前後左右に揺れる。まるでブランコに乗っているような感じ。やがて上下にも揺れ出す。それは、神社で体験するものに似ている。しかし、微妙に異なる。最初の屋久杉から最後の屋久杉まで、ほとんどすべての屋久杉を丁寧に感じる。ここまで丁寧に感じたのは、今回が初めて。ゆっくり時間をかけて、スローペースで進む。それぞれの屋久杉は、微妙にエネルギーが違う。途中に龍の子供が巻き付いたような杉がある。そこにある2本の杉の幹は、スパイラルしている。たぶんここの磁場が他とは違うからだろう。その磁場をじっくり感じてみる。そこは、下から上に解放されるようなエネルギーが流れていた。なんとなくスパイラルしているようにも感じられる。他の屋久杉たちは、上から下にエネルギーが流れている。ここだけ逆。ここでしばらく瞑想したら、心身に溜まっているものが解放されるかもしれない。次回からは、ここで瞑想するための下に敷くマットを持ってこよう。新しいガイドのあり方の開発?試してみる価値はありそう。こちらが丁寧に1本1本の屋久杉を感じている時、お客さんも一緒に感じていた。大きな屋久杉に直に触れると、何かが違う。見ているだけとは、明らかに異なる。ダイレクトにエネルギーが伝わってくる。途中の龍の展望台で、長い休憩。天気が良いので、のんびりお喋りをする。空は、雲一つない快晴。時折、さわやかな風が吹き抜ける。春うららの屋久島。ウグイスの声が、森にこだまする。鳥たちの声も軽やか。帰りに、雄のヤクジカが現れる。予定より大幅に時間がかかった。4時間以上、山にいただろうか。山の中は、深閑としている。風の音と鳥の声がするのみ。最高の森歩き。心地良いこと、この上なし。4月としては、最上の天気。昨日の嵐が、ウソのよう。十二分に巨木の森を堪能して、里へ下りる。まず屋久杉の木霊の木工製品を買いに行く。しばらく行かないうちに、お店が新しくなっていた。これまでよりも広く、明るくなった。それから、昨日の砂浜へ行く。昨日とは打って変わって、穏やかな天気。風もなく、雨も降っていない。晴天そのもの。裸足になって砂浜を歩く。場所によって砂の状態が異なる。足を踏み入れると周囲にひび割れのようなものが生じる場所があった。これは、お客さんが発見。「また新しい観光スポットができましたね」と言われる。森のなかでも彼女は新しいスポットを発見した。発見する度に、彼女は自分の名前を付ける。そのうちに屋久島中が彼女の名前だらけになるかもしれない・・・そのような冗談を言い合いながら、楽しく一日が過ぎた。年齢的には、こちらと近い。あまり重たい感じはないので、気楽に話せる。充実の屋久島二日目が終わる。『屋久杉を 一本一本 丁寧に 感じて行けば 何かが開く』『天の気と 地の気をつなぐ 屋久杉の 巨木は人の 意識を変える』これが日記を書き始めて3658日目の心境。
2012.04.12
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今朝は、朝から雨と風が強かった。そのため、飛行機は一便、二便とも欠航になってしまった。今日の二便で到着するはずのお客さんは、高速船に乗り換えることとなった。予定より4時間遅れて、午後3時10分に宮之浦港に到着。鹿児島空港でも落雷のために着陸できず、40分間上空で待機したらしい。今年二度目の春の嵐。今年は、例年にも増して異常気象。すべては、地球の浄化のため・・・到着が遅れたので、予定を大幅に変更。いなか浜の予定を田代海岸に変える。裸足になって砂の上を歩く。風が強く、まだ小雨が降っていた。それでも激しい雨の後のため、砂浜はきれいに整地されていた。誰も歩いていない砂浜の上は、気持ちがよかった。その後、砂を落とすために隣の川に行く。こちらは、少し増水していた。せっかく大雨が降ったので、滝を見に行く。千尋滝は、もうもうと水煙が上がっていた。竜神の滝は、怒濤のような水量。少し水が濁り気味。最後のトローキーの滝も、いつにも増して水量が多かった。普段より何倍も迫力があった。同じ川の三つの滝を見て、ホテルへ向かう。その頃には、すっかり青空になっていた。明日は、一日中、晴天の予報。この三泊四日で、たぶん最高の天気。巨木の森へ行って、海抜1400メートルの空気を思いっきり吸いたい。そして、美味しい水を心ゆくまで味わいたい。なんという贅沢だろうか。それが仕事でできるとは。お客さんには、もちろん楽しんでもらう。それと共に、自分も楽しむ。それが、本当の仕事だろう。お互いに楽しい。それでこそ仕事。自分がやりたい仕事。自分が我慢して、お客さんを楽しませるのもいい。しかし、その我慢は、どこかにはけ口を求める。無理は、続かない。無理を続ければ、最後には病気になってしまう。病気とは、気が病むこと。いやなことを我慢して続けるから、いやな気が自分の中に満ちてしまう。それでは、病気にならない方がおかしい。我慢や無理は、続かない。好きなことを好きなようにやる。それで自分もお客さんも満足する。それがベストだろう。我慢は、楽しくない。無理を続けると、何かが狂ってしまう。その場は、いいかもしれない。お客さんだけは、いいかもしれない。でも、その歪みは、やがて他のところに出てしまう。無理がなく、我慢もない。自分も楽しく、お客さんも楽しい。そういう仕事、そういうやり方を追求する。そうでないものは、やめるか、やり方を変える。これまで、ずっとそうしてきた。やりたくないことは、できるだけやらないようにしてきた。それは逃げるのではなく、工夫すること。自分がやりやすいように変えること。これまでも、これからも、たぶんその方向で生きていくだろう。常に改善、常に改革。よりやりやすいように。より楽しめるように。それは、自分が楽をするためではない。すべてが抵抗なく流れるため。どこにも無理や摩擦がないように。可能な限り変更していく。それは、終わることはない。なぜなら、状況は常に変化しているから。自分自身も周りの環境も一定ではない。生きている限りは、常に改良を重ねていくしかない。生きるとは、動。生きるとは、変化。生きるとは、常に前向き。生きるとは、限りない躍動。人は保守的になった瞬間、死へ向かって進み始める。守りに入ることは、動の放棄。生とは、動。動がなくなれば、永遠に帰すしかなくなる。生きている限りは、動。変化し続けていくしかない。変化する自分を見守りながら。変化しない静かな意識で、変化する動的な自分を見守りながら・・・ 『やりやすい ようにやり方 変えていく 常に改善 常に前進』 『本当に やりたいことが 羅針盤 常に自分に 問いかけ生きる』『生きている 限りは終わり なきものと 思い定めて 変化していく』 『自他共に 楽しめる世を 創るのが みなの弥栄(いやさか) みなの幸せ』 『色は動 常に変わらぬ ものはなし 変わらぬことが 変わらぬ法則(さだめ)』 『空は静 動きなき故 空と呼ぶ 動きなき故 揺らぐことなし』 『昼は動 夜になったら 静になる 昼夜のバランス 動静バランス』 『生きている 動を見守る 動かない 静かな意識 色であり空』 これが日記を書き始めて2657日目の心境。
2012.04.11
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屋久島は、ここのところ晴れている。二日間、水晶の浄化に行った。昨日は、水を汲みに行った。どこも新緑が鮮やかだった。昨日、ヒーリングを受けたいという電話があった。状態が悪くなると、身動きできなくなるらしい。何もできなくて、ただソファーでうずくまっているしかなくなる。彼女の状態は・・・体の周囲が、コチコチ。電話でも、それが伝わってくる。たくさん詰まっている。恐怖や不安がいっぱい。そういう状態で、ここ10年ほど瞑想しているとのこと。瞑想中は、気持ちがいいらしい。しかし、現実に返ると・・・いろいろなトラブルが待っている。瞑想もいい。心を落ち着かせ、この世を超えたものを自覚するのは役に立つ。しかし、それだけでは足りない。それを現実化しないと。瞑想している時だけ気持ちがいいのでは、温泉に入っているのと変わらない。温泉から出れば、また現実の中で汚れてしまう。自分と温泉は、別々。自分と瞑想は、別々。それでは、ただ瞑想に浸っているだけ。瞑想が、自分そのものとなっていない。だから、現実に戻ると瞑想中のやすらぎが消えてしまう。瞑想が、自分自身と分離している。現実でも瞑想中のようになる必要がある。瞑想の中だけでやすらいでいるのでは、ほとんど現実逃避。そのやすらぎを、いかに心身や周囲に現実化するか。それこそが、この世を生きるということ。この世バージョンで生きることも必要。瞑想も必要。しかし、どちらかに偏りすぎるとバランスが壊れる。現実だけでも危ないし、瞑想だけでも危ない。霊性をいかに現実化するか。それこそが、生きる課題。瞑想だけしているのであれば、この世に生まれてくる必要はない。別の世界でやっていればいい。この世は、現実化するところ。心を現象化して確かめるところ。自分のビジョンを物質のなかで形に表すところ。そこが、一番難しい。そのためには、この世を理解し、あの世を理解する必要がある。物質を理解し、物質を超えた次元も理解する必要がある。肉体を理解し、肉体を超えた精神も理解する必要がある。この世で精神と肉体を調和させる必要がある。いろいろなバランスを学び、調和を実現する。この現実世界に調和の世界を築く。それには、多くのことを学ぶ必要がある。この物質地球を理解する必要がある。バランスと調和。中庸と中道。それらを実現するには、深い学びと気づきが必要。そんなに簡単ではない。中庸とは、この世的なバランスと調和。中道とは、宇宙的なバランスと調和。それらを自分のなかでいかに実現するか。自分の周囲にいかに現実化するか。人生は、日々、サーフィンしているようなもの。いろいろなことが起きる。それに対処する必要がある。しかし、うまく対処できないこともある。失敗から学び、試行錯誤していくしかない。そういうしなやかなスタンスが、生きる基本姿勢。人生は、常に波乗りゲーム。霊静に見守りながら、自他を調和させていく。『刻々に 変わるバランス 調和させ 波乗りをする それが人生』『物質と 心と体 理解して 調和のとれた 世界を築く』『内側に 深い調和を 実現し それを周囲に 広げて生きる』これが日記を書き始めて2655日目の心境。[注] ヒーリングは、おこなっていません。 やっているのは、ガイドとクリスタル等のネットショップです。
2012.04.10
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屋久島は、晴れている。しかし、風が強い。水晶の浄化に行きたいのだが・・・なかなか行けない。知り合いから電話があった。「屋久島 光のガイド」のHPを見て感動したとのこと。別に初めて見たわけではない。これまで何度も見ていたのだが・・・一人の女性に会ったらしい。短い間、真剣に目を見つめて話したとか。その人は、重たかった。その重たいものをそのまま背負ってしまった。電話をしてきた人は、とても感じやすい人。すぐに人のものを背負ってしまう。その分、相手は楽になるのだが・・・背負った方は、たまらない。心身共に重たくなって、息が詰まる感じだったらしい。そんな時に、たまたま「屋久島 光のガイド」のHPを見た。すると・・・見る見るうちに重たいものが融けていった。初めて知る「屋久島 光のガイド」のHPのすごさ。まさに光の雨が降っていたとか。それは、繊細な慈雨。それが心身に浸透し、見る間にクリアーになった。すごい!本当に光のガイドだ!というのが、彼女の感想。(何を今さら・・・)3月20日の春分の日にHPをリニューアルした。光のガイドにふさわしい光に満ちたものに替えた。光り輝くようなHPを意識的に作った。それがやっと認められたということだろうか。「屋久島 光のガイド」のHPからは、光が出ている。見る人が見れば、わかる。感じる人が感じれば、キャッチできる。今回は、それを劇的に感じられたようだ。「屋久島 光のガイド」のHPは、既にアセンションしている。だから、この世とは違った光が流れている。それを自覚できるかどうか・・・極めて繊細な光。まさに光の慈雨。こまやかに全身に浸透する。それを感受するには、それなりの感受性がいる。物質的・肉体的感覚では、感受することはできない。このHPは、Yahoo!やGoogleで「屋久島ガイド」で検索すると1ページ目に出てくる。しかし、あまり反応はない。まだ早すぎるのだろうか。それとも、波動が細かすぎて目に入らないのだろうか。それとも、なんとなく怪しいサイトに思われるのだろうか。その可能性はある。確かに怪しい。この世的な感覚で見ると・・・それは覚悟の上で作成した。反応がなくても、ガイドの依頼がなくてもいいというつもりでアップしている。だから、別にアクセスがなくても問題はない。ただ光をアップしたかった。そのうちにだんだんと認知されていくだろう。よく感じれば、光が流れている。それだけで癒やされる。完全無料。電話の彼女も話していたが、光はタダ。いくら受け取っても料金は発生しない。なんともすばらしい時代。アセンションしてしまえば、お金はメインではなくなる。今の時代は、まだお金がメイン。何でもお金に換算される。しかし、アセンションしてしまえば、大切なものは自ずと違ってくる。それは何か?それは、光だろうか。それとも、愛だろうか。あるいは、信頼だろうか。いずれにしても、無償のもの。お金に換算できないものが、最も大切なものと認識されるようになる。今は、まだ建前。本音は、お金。物質や肉体。早く物質や肉体をクリアーして、次の段階へ行くことだろうか。その本質は、物質や肉体にまつわる欲望。自己保存と自我の拡大。自分、自分の世界。その自分を理解し、その小さな自分を超えていく。そのためには、自分を見守る必要がある。見守って、理解して、自然に自我から離れていく。無理をすることはない。なぜなら、無理をすること自体が自我そのものだから。無理は、欲望の結果。アセンションでさえ、渇望すれば自我となる。渇望するのではなく、理解すること。自力で自我から離れるのは難しい。なぜなら、その自力こそが自我そのものだから。ただ見守って理解するしかない。理解の結果、自然に自我から離れるしかない。実は、見守っていること自体が既に自我ではない。自我が自我を見守っているのではない。自分の行為を判断し、解釈すれば、自我になる。そうではなくて、ただ黙って見守る。静かに見守って、静かに理解する。理解が自我を超えさせる。それは自力ではなく、他力でもなく・・・自然な成り行き。意識のポイントが自我=思考の次元から、より高い次元へ移行する。それは、自我の努力ではできない。自我ができるのは、あくまで自我の範囲内。それは、お釈迦様の掌(てのひら)の中で暴れ回っている孫悟空のようなもの。いくら孫悟空が遠くへ飛んでも、所詮、お釈迦様の掌の中。お釈迦様の掌の外に出るには、むやみに暴れ回らないこと。静かに自分のいるところを自覚すること。自分が無限のなかの一部でしかないことを理解すること。それがわかったら、静かにお釈迦様と融け合う。そうすれば、お釈迦様とひとつになれる。もうお釈迦様の一部ではなくなる。自我ではなく、全体となる。ゆるめること。自我とは、緊張。緊張をすべて手放す。そうすれば、全体と融け合える。全開すれば、無限のものと融け合える。身を守ろうとしている限り、それは難しい。理解がなければ、全開は怖くてできない。見守り、理解し、手放す。すべての緊張を手放す。ただ手放すだけでいい。他にやることはない。手放せば、自然に広がる。『パソコンの ホームページを 見るだけで 別の次元の 光流れる』『ジタバタと 慌てふためく 孫悟空 静かに釈迦に すべて委ねる』『自我我欲 小さな自力 手放して すべて全開 心全開』これが日記を書き始めて2652日目の心境。
2012.04.07
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昨日、新しい水晶とビーズが届いた。水晶は、今年のツーソンショーのもの。船便でやっとアメリカから日本に届いたらしい。初めて手にするモリオン。モリオンとは、黒水晶。まったく透明感のないもの。透明感があれば、スモーキークォーツとなる。4.8キロもある大型クラスター。最近のモリオンは、中国産やモンゴル産が多い。たまに放射線処理をした美しくないアーカンソー産も出回っている。しかし、こちらはブラジル産。正真正銘の天然無研磨のクラスター。照り照りで黒光りしている。最高クラスのモリオン。実にすばらしい。こんな水晶があるのかと驚くほど。机の上に置いておくだけで、圧倒的な存在感。不動の安定感。超グランディング。黒の力。モリオンと共に、ゴールデンレムリアンのクラスターも届いた。こちらは、そんなに大きくはない。全部で4個。2個はゴールドカラーで、2個はオレンジ色。一般的に言えば、ゴールデンヒーラーとタンジェリンクォーツ。しかし、レムリアンシードの鉱山で採れたようで、ゴールデンレムリアンという名称が付いている。こちらも、予想を超えるクオリティ。透明感があり、ゴールドとオレンジが美しい。モリオンは、iPhoneで撮った写真を見せてくれた。しかし、ゴールデンレムリアンの方は信用買い。というか、お試し買い。知り合いの卸業者が良いと言うので買ってみたもの。両方とも良かったので、業者にお礼の電話をする。すると、もっと大きなものがあるとのこと。まだネット上には出ていないもの。まずお得意様に紹介してからネットに載せるらしい。ドラム缶で届いたという大量のゴールデンレムリアンの中から、クオリティの高いものをチョイスしてくれた。全部で21キロ。オイオイ・・・そんなにたくさん?でも、クオリティが高いと言うので購入することに。もちろん何十万円もする。写真も見ないでの信用買い。8キロや6キロもある大型クラスターも含まれる。モリオンは、写真を見せてくれた。10キロぐらいはありそうな、ものすごく大きなクラスターがあった。横によけいなものが付いていた。それがなければ、買ったかもしれない。水晶は、いい。特に大型クラスターは、すばらしい。もう病みつきになってしまう。これでは仕事ではなくて、完璧な趣味の世界。仕事を離れて、すばらしい。損得抜きで、すばらしい。黒水晶が1個あるだけで、部屋の雰囲気が大きく変わった。もう少し小さなモリオンがあれば、たくさん仕入れたかったのだが・・・残念ながら、大きなものしかなかった。4.8キロのものが、一番小さなものだった。他に3個見せてくれたが、こちらに届いたものがベストだった。もし他のところで良いモリオンがあったら、また仕入れたいと思っている。モリオンは、一人1個は持っていてもいいと思う。本当にすごい安定感がある。大地が凝縮されたような安定感。揺るぎない不動の安定感。モリオンが届いたせいか、部屋の改造を始めてしまった。部屋にあった本をほとんど整理して、水晶置き場に変更。これからどんどん新しい水晶が届くので、そのためのスペースを確保。春になったので、これからヒマラヤ水晶も採掘が始まる。5月下旬になれば、新しいヒマラヤ水晶も届き始める。6月上旬には、新宿のミネラルショーがある。10月、12月とミネラルショーが続く。その間には、卸業者からも直接届くだろう。今シーズンもたくさんの水晶たちと出会えそう。その第一弾が、モリオン。最高のモリオンが届いた。そして、第二弾がゴールデンレムリアン。数日中には届く手はずになっている。どんなクラスターが届くか楽しみではある。こちらは、浄化が終わったらネットショップに出せるだろう。モリオンも参考までに出してもいいが・・・モリオンは、もうしばらくは手元に置いておきたい。なかなか手に入らないレベルなので。もちろん、価格も高い。店頭で買えば、たぶん20万円は軽く超えるだろう。水晶の新しいシーズンが始まった感じ。やはり新しいものが届くと気分が新鮮になる。自分のなかの何かが変わる。新しい可能性が芽生える。これまで潜在していたものが、水晶が届くことによって活性化する。それこそが、水晶の魅力。水晶は、単なる飾りではない。水晶には、秘められたパワーがある。水晶は、人のなかに潜在する可能性を刺激する。それに点火し、開放する。それこそが、水晶の役割。水晶が持つ可能性。水晶は、すばらしい。今年も、すばらしい水晶との出会いがありそう。どんな水晶たちがやって来るか楽しみではある。水晶の新しいシーズンの幕開け。『新しい 水晶届く ことにより 自分のなかの 何かが変わる』これが日記を書き始めて2650日目の心境。
2012.04.05
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昨日は、日本全国が春の嵐に見舞われた。屋久島も台風並みの雨と風だった。日本に停滞する放射能を一掃したかったのだろうか。それとも、日本人の意識を更に浄化したかったのだろうか。4月1日の日記にメールを掲載した方から、またメールが届いた。今度は、セルフ個人セッションができるようになったという内容。意識は、困難と共に一段と浄化され、深化していく。以下、その全文。--------------------------------------------------------Kimiさんにあのメールを送ってから三日間ほど、体調不良で寝込んでおりました。今回は頭痛が激しく、頭が割れるようで、鼻づまりと咳で息も苦しく、顔のあちこちが痛くなって、ちょっと激しい春の浄化の嵐でした。今日はだいぶ調子が良かったので、朝、先日送っていただいたヒマラヤ水晶を両手に持って静かに自分を感じようとしていたのですね。(まだ瞑想ができません。)だんだんと手の中にある水晶の個体の感覚がなくなって、エネルギーの塊のようなものが両手の中にある感じになってきて、今回はエネルギーがいつもよりパワフルに感じたので、そのエネルギーを体中に流すようなイメージをしていました。そうしたらですね、いつの間にやら自分で自分を誘導し始め、自分で自分の個人セッションのようなことを始めてしまったのです。Kimiさんの個人セッションのレポートのような。最初、体の輪郭がなくなって宇宙に浮かんでいるようなイメージになっていたので、「そこに何か見えますか?」と聞いていて、(自分で)「地球が見える」と答えていて(自分が)。。。「二つの地球が重なっていて、ほんのちょっとだけずれてる。上にずれてほんの少しだけ見えている地球はすごくきれい。私が持っているラリマーみたい。波動の高い地球。波動の上がった人たちがもう既にそこにいる感じ。私はまだ重なった部分の地球にいる。波動の低い地球。重い感じ。その地球は茶色にくすんだラリマーみたい。」そのような対話をしばらく続けていたら、急に、浮かんでいる私の体に紫色のゴムでできたような膜が張り付き始め、私は息苦しくなってきて、そのゴムを引き離そうと必死になるのだけれど、どんどん絡まってきて、どんどん苦しくなってきて。。。「落ち着いて。ゆっくりと呼吸をして。その膜が何なのか感じてみてください。ゆっくり。ゆっくり。」「。。。思い込み。この膜は思い込み。自分の思い込みで苦しくなってる。身動きが取れなくなっている。思い込みで自分は裏切られたと思い、馬鹿にされたと思い、相手にされていないと思い、傷つけられたと思い。。。そして勝手に相手を憎み、怒り、嫉妬し、苦しんでいる。思い込みで自分の世界を作ってしまっている。そしてその中で生きている。過去に何度も何度もこの思い込みで失敗をしている。思いが自分の世界を作る、のネガティブバージョン」「ということは、思いをポジティブなものにすれば、ポジティブな世界も作れる?」「思いで自分の世界は作られる。すべては幻のようなもの。あってないようなもの。」そんな対話をしていたらだんだんと疲れてきてしまって、「もう終わりにしたい」と私が言ってこの対話は終了になりました。でも深く入ってしまったようでなかなか戻ってこれなくて、無理やり目を開けようと思えばできなくもないのだけれど、それはちょっと苦痛で。どうしたら自然に戻れるのだろう~なんて考えていたら、「大きな深呼吸」と頭に浮かんで、それでやっと自然に戻ってこられました。始めてから40分ぐらい時間が経っていました。この体験は、私が作ってしまった思い込みの世界なのでしょうか?今年に入って鬱々し始めてから、Kimiさんの個人セッションの記事を貪るように読んでいました。今までにも読んだことはあったのですが、今回は私の心に深く深く入ってきて。私も個人セッションを受けてみたかった、などとも感じていたので、だから思い込みでこんな世界を作ってしまったのでしょうか。自分ともう一人の自分と、またそれとはちょっと違った自分と。。。それらがごちゃまぜになったような感じで混乱しています。ハイヤーセルフを自我で作り上げてしまっているのでしょうか。不安になってしまいました。今回出てきた「思い込み」に関しては、今の私にとてもジャストで必要なメッセージでしたので、これから自分の生き方の視点が変えられるような気がしています。また長々とすみません。もし、なにかメッセージがありましたお願いします。 --------------------------------------------------------東京で光のセミナーをやっていた頃、たくさんの個人セッションをおこなった。その記録の一部が、「屋久島 光のガイド」のHPにアップされている。そのセッションレポートを熱心に読まれたらしい。その結果、セルフ個人セッションが自然発生的に起きたようだ。全体的な感じは、何も問題はない。ハイアーセルフとの対話のようになっている。自分自身の問題点が、客観的に指摘されている。それは、ネガティブバージョンの思い込みワールド。思いの世界なので、どのようにでも変更可能。実際、思いは刻々に変化している。しかし、根深くパターン化した思い癖というものもある。それが自分自身を縛っている。まさに自縄自縛。自分で自分の自由を縛っているだけ。実際は、実体のない思い込み。特定の経験を普遍化しているだけ。過去の苦い思いを二度と味あわないためのプロテクト。それも役に立つこともある。経験は、役立てる必要がある。しかし・・・それも度が過ぎると、自分の自由を縛る結果となる。経験は、活かして使う。しかし、それに縛られない。そのためには・・・しっかりとした主体性が必要となる。経験や記憶との分離が必要になる。経験や記憶と自己同一化しないこと。一歩離れて経験や記憶を見守る視点。常に今ここ。今ここは、ゼロ。何もないところ。そこに立って、経験や記憶を活かす。そうでないと、経験や記憶に縛られる。自由がなくなる。今ここというのは、空。色ではない。色は、認識の世界。認識とは、過去のデーターで識別すること。過去のデーターがなければ、識別はできない。認識は、不可能。記憶をフィードバックすることによって、認識が起きる。記憶なしでは、認識はあり得ない。識別するということは、何かの基準がないとできない。人類の文化にとって、記憶は必要不可欠。しかし、そうかといって記憶ベースで生きると、今この瞬間を感じることができなくなる。そのあたりが、とても微妙。目に映るものを識別しないで、ただ感じる。それは、空。それを識別すると、色になる。見た瞬間というのは、空。すぐに記憶にフィードバックされて色となる。この世で生きていくには、色が必要。しかし、色だけでは、真実の半分。言語以前の空も必要。認識以前の感受も大切。人は、そういうもののトータルでできている。ハイアーセルフと対話することは、いろいろ役に立つだろう。しっかりと自分をキープしながら対話することだろうか。いくらハイアーセルフでも、依存しては危ない。慢心すると、別のものにすり替わる危険性がある。常に主体性は、こちらに確保しておく。その上でハイアーセルフとの対話を楽しむ。いろいろ学べばいい。ハイアーセルフは、たくさんのアドバイスをくれるだろう。ハイアーセルフとつながることは、魂とつながること。魂と共に、この世を生きるのは必要なこと。この世オンリーバージョンにならない。自分の本質を忘れない。霊性を保ちながら、この世を生きる。物質次元を理解し、自分自身を理解する。肉体を理解し、感覚を理解し、感情を理解し、思考を理解する。そういうこの世的なものを理解しながら、スピリチュアルにこの世を生きる。この世的なものを十分に理解しないと、この世をスピリチュアルに生きることはできない。物質、肉体、感覚、感情、思考・・・人類の歴史、社会の構造、生命の成り立ち・・・そういうものを理解した上で、現実創造に励む。トータルに理解する必要がある。特定の分野だけでは、片手落ち。自分の仕事のことだけでは、十分とは言えない。人生全般にわたって理解する必要がある。そうでないと、この世を十全に生きることはできない。本当の意味での霊的な現実創造はできない。信仰ではなくて、理解の上に立った現実創造。それが、これからの時代に求められていること。『今ここの ゼロの意識に ベース置き 経験活かし 記憶を使う』『トータルに 理解する時 人生を スピリチュアルに 創造できる』これが日記を書き始めて2649日目の心境。
2012.04.04
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今日の屋久島は、晴れている。でも、まだ風が冷たい。午後になれば暖かくなるだろうか。ブレスレットを送った人からメールが届いた。この方は、以前、屋久島に来られた際にガイドをした。その後、魂ブレスを作製した。今回は、姓が変わっていた。結婚したとのこと。屋久島から帰って、魂ブレスが届いて、とんとん拍子に事が運んだらしい。その後の状態が良いことは聞いていたが、結婚のことまでは知らなかった。それだけでなく、妊娠もしているとのこと。何ともおめでたい話ではある。今回は、オーダーのあったブルームーンストーンの他に結婚と妊娠のお祝いとして別のブレスレットもプレゼントした。それは、今の彼女にとって役に立つブレスレット。感情を浄化し、愛を育むブレスレット。以下、彼女からのメールの全文。-------------------------------------------------早速の発送ありがとうございました。今日、手元に届きました。お祝いのブレスレットまでわざわざ新たに作って下さって感激しています。kimiさんの優しい心遣いに心からありがとうございます。ローズクォーツのやわらかなピンクとムーンストーンのさわやかさ、見てるだけで身体の奥からじわーと優しさみたいなのが溢れてくる感覚になります。とても気に入りました。どうもありがとうございます。ブルームーンストーンも、思っていた以上にシラーも美しく出ていて大満足です!ブルームーンストーンはいつか手にしたいと思っていた石で、というのも、ミーハーで笑われちゃいますが、子供の頃からずっと大ファンだったチェッカーズの曲にblue moon stoneというのがあって、大好きな1曲なのです。今回、安産の石でもあると知り頂くことにした次第です。何事もタイミングってあるのですね。屋久島へ行った後の私は、屋久島に魅了されて、自然と共に自然に生きていこう、そしていつかは自然に帰ろうと思って生活していました。その後、kimiさんに魂ブレスを作ってもらい、その直後に出会った人と自然な成り行きで結婚することになりました。その人とは屋久島旅行の前に始めていた婚活で結婚紹介所を介して知り合ったのですが、屋久島旅行後の私は結婚に興味がなくなり、いつ屋久島に移住しようかと計画を立ててる状況でした。なので、その彼との面談を最後に紹介所も退会しようと思っていました。なので、彼との初対面も私は自分を飾ることなく、ありのまま、今は結婚より屋久島移住が夢です、と話しました。今思えば相手に失礼な態度だったと思いますが(^_^;) でもそれが良かったのか、結果的には今のこのような状況になりました。彼と私はお互い昔から知っているような、お互いを性別の違う自分と思えるような、そんな関係で一緒にいて楽です。もちろん、ムカッとしたり、イライラしたりもありますが、居心地良い関係です。そして嬉しいことに、屋久島への移住は、今では私だけの夢ではなく、家族の夢となっています。彼は屋久島でパイナップル栽培をしたいそうです。出産が終わり、赤ちゃんもある程成長したら、家族で屋久島旅行へ行きたいと思います。kimiさんのブログ、これからも楽しみにしています。私も確か空亡が辰巳なので少し気にしていたのですが、この前のブログのおかげで心落ち着きました。12年前の天中殺では、不安だ不安だと強く悲観するあまり、自ら事態を悪化させたような気もします。つらつらと長くなりましたが、私は自分らしく今を生きています。そのきっかけを作ってくれた屋久島とkimiさんに感謝しています。どうもありがとうございました。それと…もしも、子供の名付でいくつかの候補で迷った場合、kimiさんにアドバイスしてもらえたりするのでしょうか?そんな鑑定士みたいなことはしない、と呆れられちゃうかもしれませんが(^_^;)ではまた。-------------------------------------------------昔から知っているような関係というのが、一番楽かもしれない。それは、過去世でも一緒だったということを意味する。お互いに何度も縁があるということ。今生出会っている人は、そのような人が多い。過去世で夫婦であったり親子であったり、兄弟や友達の場合もある。いろんな関係があるが、共通するのは共に一緒に過ごしたということ。そしてまた、今生も共に生きたいということ。よほど気が合うのだろう。そういう人と出会えると幸せ。屋久島も魂ブレスも、そのサポートに過ぎない。本来の自分で生きること。それこそが、真の生き方。人生で最も大切なことは、本来の自分を生きること。この世的な仮面の自分を生きないこと。生活のためだけに自分を押し殺して生きないこと。我慢や忍耐の人生に、それほど意味はない。時には、そのようなことも役に立つ。しかし、人生全体が我慢や忍耐では悲しい。それは自分を磨いたり、深い気づきのために必要なだけ。常に我慢と忍耐では、人生は苦しみとなってしまう。人生は、自分という花を咲かせるところ。生まれてくる前に計画したとおりの人生を実現するところ。現実創造こそが、生きるということ。それは、自分が望む人生を創造するということ。あの世でできることは、青写真を描くところまで。実際に創り上げるのが、この世での仕事。そのために人は生まれてくる。その内容は、人によって異なる。それぞれにテーマがある。人間関係であったり、仕事であったり、才能であったり・・・それは、自分自身で決めてきたこと。それを実現するのが、人生という大舞台。自分が真に望む人生を創造する。それが、生きるということ。それが、現実創造。宇宙創造の一環。人は、宇宙創造の一翼を担っている。それが我慢と忍耐の宇宙であれば?そんな宇宙はいらない?もっと違う宇宙がいい・・・自分の望む宇宙を創造すればいい。但し、この世バージョンではないものを。この世ナイズされたものは、周りの影響の結果。外側の欲望に踊らされたものは、本物ではない。外側からの刺激を受けて内側から生まれてくるものだけが、真実。それは、外側から親鳥が卵を突(つつ)き、内側から子鳥が卵を突いて生まれ出るようなもの。肉体的な欲望よりも、もっと深いところのもの。物質的、この世的な欲望を超えたもの。そういうものが内側から出てきたら、それを実現すればいい。この世的な表面的なものは、マスコミや世間の影響の結果。そのような表層のものではなく、もっと深いものを探ること。自分の源泉を追求すること。そうすれば、汲めども尽きぬものが湧いてくる。それこそが、自分が過去世で培った才能や能力。魂とつながる叡智。宇宙的な深い精神性。より深いものを。表層の欲望に翻弄されずに、真に心が満たされるものを。そういうものを追求し、実現する。それが人生というもの。真に自分が満たされるもの。それは、この世的にリッチになることを意味しない。基準は、あくまで自分が満たされるかどうか。心からの満足が得られるかどうか。心の底から満たされれば、それでOK。それが真に自分がやりたいこと。生まれてくる前に計画してきたこと。魂が望んでいること。そういうものを見つけ出すことだろうか。自分自身という井戸を掘り下げることだろうか。自分のなかの真実に至ることだろうか。汲めども尽きぬ源泉を掘り当てることだろうか。『この世的 欲望だけを 求めれば 後に残るは 生きる虚しさ』『魂の 奥から望む ことだけが 汲めども尽きぬ 真の喜び』『外側の 物質的な 欲望に 翻弄されず 自分を生きる』『心から 満たされるのは 真実の 自分自身を 生きた時だけ』これが日記を書き始めて2647日目の心境。
2012.04.02
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今日から4月。新しいスタート。春は、初々しい。すべてが新鮮。水晶を送った方から、見守りについてのメールが届きました。少し見守りの感覚がつかめたようです。以下、その全文です。----------------------------------------------------今年に入ってから鬱々とした日がずっと続いていて、そこからなかなか抜け出せません。といっても、日常生活はちゃんと送れていますし、学校の仕事もビーズの講習会もできていますので、大きな問題ではないのですが。。。3週間ぐらい前にKimiさんの過去世のビジョンを見てから、外に何かを求めても、そこに私が求めているものは何もないということが、私の中でもうはっきりとわかったのですね。外の世界は色の世界。個の世界。喜怒哀楽を楽しむところ。もう自分に帰っていくしかない。自分の中に入っていくしかない。そしてそのためには、どんな自分が出てきても外に逃げないこと。外に何かを求めようとしないこと。つらい自分といっしょにいること。居続けてあげること。そこに見守りの意識というものが芽生えるのだろうな、などと感じていました。ちょうど今、鬱々としているのは、これを実践するチャンスかもとも思っていました。そんな中、きのうヒマラヤ水晶が届いたのですが、今日、見守りの意識というものがどういうものか、頭ではない部分で少しわかったような気がしたのです。今朝、体調が悪くてしんどくてしんどくて仕方なかったのですが、そのしんどいと感じている自分を見守っているもう一人の自分。母親が子どもを見守っているような意識。そういう意識が自分の中にあることに気が付いたのです。見守りの自分からはどんどん温かいものがあふれ出していて、体がしんどいと感じている自分が、見守っている意識の私に、「もっといて。ここにいて。ずっといて。」って訴えているのです。なんだかへんてこりんな感覚(笑)。でも、あ、これが見守りの意識かしら~って思ったのですね。これって、自分で自分が癒せる?自己ヒーリング?だとしたらすごいことかも~って思っちゃいました。今、だいぶん体調もよくなってきたので、これからなんとか夕食も作れそうです。この見守りの意識が常に自分の中にあるように、感じられるように、これからも自分と居続けたいと思います。ヒマラヤ水晶、ありがとうございました。----------------------------------------------------意識は、多重構造。単純ではありません。辛いと感じている自分。それを見守っている自分。そして、それらに気づいている自分。意識は、まるで重箱のようです。何層にも重なっています。多次元がワンパックになっているのです。大切なことは、表面意識だけで生きないこと。表面意識とは、この世の意識。肉体的、物質的意識。肉体と共に成長するなかで培われた意識です。その意識も、この世を生きるためには必要です。しかし、それがすべてではありません。もっと表面意識が知らない意識の領域もあるのです。それは、夢に出てきたりします。夢の中では、人は容易に飛んだりできます。時間、空間が一瞬です。前後関係がありません。飛躍の連続です。時間とは、思考の世界です。思考の次元を超えれば、時間はありません。前後関係というのがないのです。すべてが同時に存在しています。夢の世界は、表面意識とは別の次元です。人は、この世だけで生きているのではありません。多次元存在です。この世も、その多次元の一つに過ぎません。見守りの意識というのは、そのすべてを見守っている意識です。それは、表面意識に浸透し、表面意識を包み込んでいます。そういう意識もあるのです。そういう意識に気づけるといいですね。そうすれば、セルフヒーリングも可能となります。自分自身のなかに無限の可能性が宿っているのです。そういう意識に気づくには、見守ろうと心掛けることです。そうすれば、そのようなエネルギーが表面意識に流れ込んできます。いつもそのようにしていると、見守りの意識と表面意識との間に通路のようなものができます。そうなると、いつでも見守っている感じが伴うようになります。見守っているのは、小さな自分ではありません。もっと大きな大きな意識です。ただ見守る。良いも悪いもなく見守る。何の判断もなく見守る。ただただ慈しむ。それは、わかりやすく言えば慈母観音のような意識です。ただただ慈しみの意識。やさしく包み込み、癒やす意識です。慈悲そのものですね。その意識は、個という狭い意識を超えています。ややもすると視野狭窄に陥りやすい自我を見守っているのです。自分のこの世の経験をベースに生きているのが、表面意識=自我です。それも必要ではあるのですが・・・それだけでは、全体が見えません。井の中の蛙(かわず)です。この世的な言葉で言えば、「世間知らず」ということになります。実際は、多次元知らずですが・・・人は、自分が育った環境をベースに生きています。狭い地域の伝統的意識に縛られている人もいます。もっとグローバルに生きている人もいます。多次元的に生きている人もいます。意識は、多様です。インナーチャイルドの意識もあれば、大人の意識もあります。魂の意識もあれば、天使の意識もあります。神々の意識もあれば、見守りの意識もあるのです。意識の領域が広がれば広がるほど、自由に生きられます。それは、狭い伝統的風習に縛られている人と、世界をグローバルに生きている人との違いのようなものです。どちらが視野が広いかは、一目瞭然です。意識の自由度の差も歴然としています。人の意識は、変わるのです。人の意識は、本来自由です。それが生まれ育った環境によって条件づけられているのです。その条件づけを外すには、その条件づけに気づくことです。気づければ、その思い込みは外れます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花。」幽霊だと思っているから怖いだけです。枯れた木を怖がる人はいません。思い込みを外せは、人は自由に生きられます。思い込みを外していけば、人の意識は広がります。無限に広がる可能性を秘めています。人は、まさに無限存在です。そうなると、自然に前向きに生きられます。小さな意識で、鬱々と生きないことですね。大きな意識でのびやかに生きることです。今の表面意識がすべてではありません。人の意識は、無限の可能性を秘めているのです。この方は、「屋久島 光のガイド」のHPに掲載されている光のセミナー時代の個人セッションのレポートを読んでいた時、ビジョンが見えたそうです。それは、こちらが縛り首になっている時代を体験された方のセッションレポートでした。それと同じビジョンが、この方にも見えたようです。その時に、深い喪失感を感じたそうです。たぶん、同じ時代に生きていたのでしょう。宗教関係のグループだったのかもしれません。宗教弾圧で、こちらは縛り首になったのでしょう。その時は、こちらに依存していたのかもしれませんね。今生は、依存はなしです。自立が求められています。宗教ではなく、理解です。団体ではなく、個々の気づきです。そういう時代なのです。もう何かを信じて生きる時代ではありません。信じるから依存してしまうのです。理解すれば、依存する必要はありません。今回は、こちらも依存されるつもりはありません。それぞれに自立していただくために生まれてきています。深く真理を理解し、真理をベースに自律的に生きていくのです。そのために延々と日記を書いています。それは、過去世の反省に基づいている一面もあるのです。過去世は、信仰=依存の時代でした。今生は、それを脱却します。真理を一人一人が体現して生きるのです。次元が異なります。信仰と理解では。依存と自立では。真理を自ら理解し、その真理を生きることです。『困難と 共に逃げずに 見守れば 慈雨の雨降る すべてを癒やす』『見守ると 心に決めて 日々生きる 決めることから 見守りスタート』『見守って 心静かに 生きる時 深い意識は すぐそばにある』『見守りの 意識は清く 繊細な 波動と共に 今ここにある』『まだ知らぬ 未知の意識の 限りなさ 無限宇宙が 内に息づく』『新しい 時代は真理 理解して それぞれ自立 真理を生きる』これが日記を書き始めて2646日目の心境。
2012.04.01
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今日で3月も終わり。今年も四分の一が過ぎてしまった。3月は、20日の春分の日に「屋久島 光のガイド」のHPを全面的にリニューアルした。新しい時代のHPに変身した。その副産物として、「今日の短歌」が生まれた。元々は、写真やロゴが多すぎるので、もっと文字を増やすための手段だった。短い文章のつもりが、試験的にアップされたのが短歌だった。それがいい感じだったので、そのまま短歌を掲載することにした。毎日、日替わり。しかし、何かの都合で見損なうと、前日の短歌がわからない。そこで、「kimi和歌集(前日までの短歌)」を新たに加えた。「今週の写真」の短歌バージョン。但し、「今週の写真」と違うところは、期間がないこと。「今週の写真」は、1週間分のみ。しかし、「kimi和歌集(前日までの短歌)」の方は、無制限。すべての短歌を掲載したいと思っている。毎日、変わる。一年365日、違う短歌を掲載する。それでも、既に10年分ぐらいのストックはある。新しいものも追加されるので、別に問題はない。まとめて短歌を読んでみると、何か感じるものがある。一貫して流れているものがある。一つの短歌だけでは伝わりにくいものも、たくさんの短歌だと伝わりやすくなる。大切なものは、言葉を超えたエネルギー。そのエネルギーを言葉で表現しているだけ。そのエネルギーを感じるには、何度も読み返すといい。そのうちになんとなくわかってくる。読書百遍意自ずから通ず。短歌は、今の時代に向いている。今は、携帯メールやTwitterの時代。短くて簡潔な文章が好まれる。それは、まさに短歌の世界。短歌は、伝えたいことを三十一文字(みそひともじ)で表現する。極めて凝縮された表現方法。日本古来の洗練された表現の仕方と言える。俳句と並んで日本人の心を表している。たぶんあの世へ帰って自慢できそうなのは、短歌ぐらい。写真も美しいものをたくさん撮った。しかし、プロには敵わない。プロが撮った屋久島の写真集がたくさん出ている。日記もたくさん書いた。しかし、精神世界の本は、山ほど出版されている。水晶のストックもたくさんある。しかし、もっとある人は、いくらでもいる。ただ精神世界の短歌というのは、あまり聞かない。昔の人の道歌というのはある。人生訓みたいな短歌。過去の宗教家に見られる。しかし、これだけたくさんの精神的な短歌を残した人を知らない。もしかしたらいるのかもしれないが、寡聞にして聞いたことがない。たぶんいないのではないだろうか。少なくとも現存する出版物はないだろう。このスピリチュアルな短歌だけが、真の財産かもしれない。読み返す度に、いいなと思う。自画自賛だけれども、自分でも好きな短歌たち。何とも言えない美しい世界が広がっている。何千首かの短歌は、再び同じものを作ることは不可能に近い。その時その時にできたものなので、再現は限りなく難しい。今は、楽天のこの日記にあるのみ。これが消えると、全財産も消える。バックアップを取らなければ・・・と思いつつ、まだ一部しかできていない。自分の唯一とも言える財産なのだから、もう少し大切にした方がいいかもしれない。明日の短歌は・・・わからない。どんな短歌になるのかは、ぴあのさんしだい。短歌の選択権は、ぴあのさんにある。というか、ぴあのさんにまかせてある。こちらでは、短歌の全容を把握していない。たぶんぴあのさんの方が詳しいだろう。一旦書いたものを読み直すことはない。そのために書いたものを忘れていることも多い。それ故に、自分の短歌にもかかわらず新鮮さがある。毎朝、読むのが楽しみ。もう何年も前に作ったものなので、記憶の外にあるものも多い。よくこんな短歌を作れたなと感心する。自分の財産と言えるものは、短歌と日記と写真と水晶。ただそれだけ。お金もないし、土地や家もない。今生を生きた証(あかし)と言えるのは、短歌と日記と写真。それらは、死んだ後もキープされるかもしれない。少しは世の中の役に立つかもしれない。でも、変化が速い時代なので・・・何とも言えない。人生を振り返って一番価値がありそうなのは、短歌や日記。それ以外には、あまり思いつかない。個々の行為というものもあるが、短歌や日記のような普遍性に欠ける。精神世界のセミナーや個人セッションなどもあるが・・・やはり普遍性で及ばない。短歌や日記には、普遍性がある。時代を超え、次元を超えた普遍性。どこでも通用する。大袈裟に言えば、人類の遺産?いずれ教科書に載る?どうかな?ま、どちらでもいいが。ネット上に残しておくか。それとも、本として残しておくか。いずれにしても残しておく必要はあるだろう。ある段階に来たら、そのようにするつもりでいる。まだ当分は、大丈夫だろう。まだ作り続けられる。現役の間は、いいかな。しかし、生涯現役のつもりなので・・・まだ日記を書き、短歌を作る。当分は、それが続くだろう。まだ死にそうにない。というか・・・死そのものがない感じ。生き通しという感じになってきている。死というものが、自分のなかからほとんど消えている。生死はないに等しい。これからも、この世とあの世とをつなぐ短歌を作り続けるのだろう。この世オンリーバージョンではなく、多次元バージョンの短歌。短歌と日記が、自分にとってこの世に貢献できる最大の方法かもしれない。まあ、楽しみながらやろう。『日記書き 短歌を作る ことこそが 自分が生きた この世の証(あかし)』『人類に 貢献できる 最大の 方法それが 日記と短歌』『普遍性 あるものだけが 生き残る 世の人々の 役に立つため』これが日記を書き始めて2645日目の心境。
2012.03.31
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今日の屋久島は、春爛漫となっている。天気も良く、気温も高い。春は、いい。心が軽い。こちらの心身の状態は、グランディングの外にある。もうほとんど天中殺状態。最近は、この「天中殺」という言葉もあまり聞かなくなった。四柱推命では、「空亡」と言う。時間はあるけれども空間がない状態。つまり、この世にいないような状態。それが、12年に2年、12ヶ月に2ヶ月、12日に2日回ってくる。こちらは、辰と巳が空亡。今年と来年。4月と5月。それが早めに来ている感じ。ほとんどここにいない感じ。実際は、肉体はこの世にいる。仕事もちゃんとしている。しかし、その存在が認められない。世間からは・・・世間から見えない状態。認識されない状態。忘れられた状態。それが、空亡という時期。それは、霊的に生きる時。本来の霊性を取り戻す時。この世バージョンから脱却する時。この世に生きる者にとって、なくてはならない時期。一般的には、空亡や天中殺は嫌われる。なぜなら、この世的にはうまくいかないから。新しいことを始めると、途中で頓挫することが多い。それは、土星と同じように嫌悪される。この世オンリーバージョンで見れば、その通り。でも、トータルで見れば、それは必須。それをわかっている占い師のなんと少ないことか。みんなこの世バージョンでアドバイスしている。土星が回ってくると、占星術師はネガティブなことばかり言う。それは、土星は困難を運んでくるから。土星は、試練の時。カルマに挑戦する時。カルマとは、過去世で作ってしまった癖。パターンのようなもの。いわゆるネガティブパターン。欲得に溺れ、人本来の生き方ができなかったところ。人本来の生き方とは、霊性ベースでこの世を生きるということ。天にあるごとく地でも生きる。天の御国を地上に実現する。生まれてくる時に決めてきたことを、この世で実現する。過去世からの自分のパターンを乗り超えるために、土星は働いてくれる。試練や困難を与えてくれる。それをクリアーしてこその今生。それでなくては、生まれてきた意味がない。にもかかわらず、世間一般では土星を忌避する。土星を避けて木星を歓迎する。木星は、幸運の星。木星が回ってきた時は、物事がスムーズに運ぶ。それは、木星が潜在している可能性を開いてくれる星だから。それもまた約束事。今生でどのような能力を花開かせるか。それは、生まれてくる時に決めてある。必要な能力や環境を自分なりに整えている。それを花開かせてくれるのが、木星。だから、木星は誰にでも歓迎される。しかし・・・それだけでは足りない。自分の可能性を花開かせるのも必要。しかし、それと共にカルマの清算も不可欠。両方が揃って必要十分条件。自分のなかのネガティブパターンを克服し、可能性を花開かせる。それこそが、今回生まれてきた目的。片方だけでは、片手落ち。土星や天中殺を忌避しているようでは、本来の生き方とは言えない。人は肉体と共に成長することで、どうしても物質バージョンになりやすい。その物質バージョンから本来のスピリチュアルバージョンに転換させるために、天中殺がある。この世的なことがうまくいかないことによって、人は考え込む。自分の人生について深く見つめ直す。いつも順風満帆であれば、自分を見つめ直す機会はない。自分を見つめ直してこそ、より深く生きることが可能となる。いつも発展ばかりしていては、人生バブルとなってしまう。量だけで質の伴わない人生となる。12年、12ケ月、12日ごとに天中殺が回ってくることは、人を深化させるための仕組み。霊性を忘れないためのセッティング。この世バージョンになりきらないための防波堤。実にすばらしくできている。霊性を現実化する。それこそが、この世に生きる意味。霊的な現実創造。それが、この世でやるべきこと。物質オンリーバージョンで生きても、さしたる意味はない。それは、霊性をこの世に実現するための前提条件。ほとんどの人は、前提段階に留まっている。本来の意味を理解して生きている人は、少ない。土星=試練・困難は、本来の自分に引き戻すための安全装置。ビルト・イン・スタビライザー。この世的ネガティブパターンを乗り超えるためのハードル。それは忌避するものではなくて、歓迎すべきもの。天中殺=空亡も、霊性に目覚めるためのモラトリアム。この世オンリーバージョンで生きる人々への天からの贈りもの。霊性に生きよとの神からのメッセージ。いずれにしても・・・この世オンリーバージョンではなく、霊静にこの世を生きるためのシステム。西洋占星術も東洋占星術も、極めれば同じことを言っている。霊性を持ってこの世を生きるためのアドバイス。本質は、同じ。この世オンリーバージョンで生きる人は、やがて滅びる。それは、もう時間の問題。物質やお金に拘泥する時代は、既に終わっている。霊性が甦る時代となっている。ここのところ、全身が微妙にしびれている。机の前に座っているのに、まるで神社にいるような感じ。繊細なエネルギーが周囲に充ち満ちている。ほとんど半霊半物質状態。自分ではしっかりこの世に生きているつもりでも、なんとなく不安定。グランディングが効かない。それは、天中殺期の特徴。時間はあっても、この世に自分の居場所がない。世間一般からは、ほとんどいないに等しいような待遇。この世から半分存在感が消えている。それが、天中殺=空亡の特徴。ところが・・・もしかしたら、これからずっとそれが続くのかもしれない。まだ何とも言えないが、その可能性もある。あるいは、もう一度この世に戻って来られるか・・・元々、片足しかこの世に着いていないけれども、それが更に怪しくなっている。外の景色は、春。心も春。軽やかになりすぎて、蝶のように舞い上がっている。美しい花は咲いていないかな・・・『ネガティブな 過去世のカルマ 乗り超えて 霊性ベースで この世を生きる』これが日記を書き始めて2642日目の心境。
2012.03.28
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今日の屋久島は、晴れている。しかし、風が冷たい。冬に逆戻り?いや、花冷えだろうか・・・今日の「屋久島 光のガイド」の短歌は、次のようなものだった。『美しき 花を咲かせて 風に散る ただ一片の 執着もなく』なかなか美しい歌。好きな歌でもある。自然には、執着がない。執着があるのは、人間だけ。執着は、何から来るか。それは、良い思いから来るのではないだろうか。良い思いをした経験。それが忘れられず・・・その再現を期待してしまう。またあのような日々に帰りたい・・・幸せだったあの頃。満たされた思い出の日々。しかし、もちろん再現することはない。亡くなった人は、甦らない。壊れたものは、元に戻らない。できることは、ただ懐かしむことだけ。今モードに、執着はない。過去モードにだけ、執着がある。今モードとは、常にゼロ。今ここには、何もない。波動が遅いと、すぐ過去モードになってしまう。波動が速くなると、今モードで生きられる。今とは、プロセスの世界。過去とは、結果の世界。今モードは、常にプロセス。結果はない。時間の世界にいないので、結果というものはない。比較がないので、結果は生じない。思考が働くと、執着が生じる。記憶モードになると、執着が発生する。今ここに、執着はない。今ここは、常にゼロ。ゼロというのは、スッキリさわやか。何もない。何もないから、すべてがある。何もないところにだけ、すべてがある。何かあるところは、有限の世界。つまり、限定の世界。何もないところは、無限の世界。つまり、無限定の世界。有限の世界では、すべてを手にすることはできない。無限の世界で生きる時にのみ、すべてを手にすることができる。有限の世界で生きるから、執着が生じる。無限の世界で生きれば、執着はない。自然は、循環しているだけ。何の執着もない。淡々と事が運んでいる。人は、もの思うが故に執着する。思いがつくり出す苦しみの世界。楽しみがあることによる、その喪失としての苦しみ。相対の世界に生きている限り、苦しみはつきまとう。苦しみを超越するには、相対の世界を超えるしかない。相対の世界とは、思いの世界。思いがつくり出す思い込みワールド。つまり、幻想。それが、この世のあらゆる苦しみをつくり出している。思いがなければ、苦しみもない。しかし、思いも必要。必要な時には、思いも使う。しかし、思いに使われないこと。思いを理解して、思いを超える。それが唯一の執着を超える道。今ここに生きることだけが、執着から自由にしてくれる。今ここは、常にゼロ。ゼロであるが故に、新鮮。新鮮であるが故に、執着はない。ただ、今が美しい。今、美しいものが目の前にあるだけ。『過去モード 浸れば人は 遅モード 後ろ向く時 悲苦が生じる』『楽しさの 逆が苦しみ 相対の 世界に生きる 宿命と知れ』『相対の 世界を超える 唯一の 道は思考の 次元を超える』『今ここは 常に新鮮 ゼロ地点 思い・比較の 次元を超える』『今ここは 思考を超えた 別次元 思考静まり 空が広がる』これが日記を書き始めて2639日目の心境。
2012.03.25
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今日は、朝から晴れた。新月なので、水を汲みに行く。山桜は、五分咲き程度。新緑が、目に眩しい。田んぼでは、水が張られていた。もうすぐ田植え。屋久島は、いつも三月下旬から4月上旬が田植えの時期。7月末から8月上旬には、刈り取りとなる。辺りは、春景色。しかし、心が春になれない人もいる。今月上旬に三泊四日の屋久島の旅をしたMさんからメールが届いた。まだ厳しい冬が続いている様子。---------------------------------------------------------HP、新しくなったんですね。「今日の屋久島」の昨日の菜の花の写真が、とてもきれいで感動しました。私はこの一週間、かなりネガティブにハマっていました。イライラし、気持ちが焦り、とても冷静とは程遠いものでした。先程もかなりネガティブになってしまったので、考え方をポジティブに変えてみました。一瞬明るい気持ちになりましたが、すぐにマイナス思考になります。例えば誰かに対して言った一言を、「失礼だったかな」と思い後悔する。相手にどう思われたか気になる。「またネガティブになってるな。いつもの考え方の癖だ。」と自分の気持ちを見守るようにする。そこまでは何とか出来たとしても・・・相手の反応が良くないと感じると、「やっぱりあんなこと言ったからだ。」とネガティブにハマっていきます。今がまさにそうです。ポジティブに考えてみようとしても、「いくら何でもその考え方には無理があるのでは?」と思ってしまいます。それも「決めつけ」かな?自分の気持ちをさらけ出すことと相手の気持ちを尊重することのバランスがよくわかりません。何でもストレートに言えばいいという訳ではないのはわかりますが、自分の気持ちに正直になると相手を傷つけてしまう気がします。また、「嫌われるのでは」という恐れもあります。 自分の気持ちに正直に行動すると居心地が悪く感じるのです。今まで人に合わせ過ぎてきたからでしょうか?正直言って気持ちが苦しいです。まだまだ努力が足りないですね。読んで下さってありがとうございます---------------------------------------------------------自分の気持ちを正直に出すことと、相手を尊重することのバランスは、とても難しい。自分の気持ちを爆発させれば、相手を傷つける可能性が高い。そうかといって自分の気持ちを押し殺したのでは、自分がいたたまれない。さて、どうするか。自分の気持ちも表現し、相手の気持ちも尊重する。その両方を両立させる。それが大原則。しかし、それには冷静さと客観性がいる。冷静に話せないのなら、話さない方がいいかもしれない。客観的に自分を見守れない状態なら、黙っていた方がいいかもしれない。感情のままに話しても、よいことはない。いかに相手を理解し、自分を理解するか。相手の立場になり、自分の立場を客観視する。なかなか骨が折れる。自分の感情をぶつけることは、たやすい。同様に、自分の気持ちを押し殺すことも難しくはない。しかし、それらは問題を引き起こす。なぜなら、相手の気持ちを無視しているから。あるいは、自分の気持ちを無視しているから。そのどちらも適切とは言えない。相手を理解し、自分を理解して話すのは、至難の業。そんなに簡単にできることではない。これまでは、無意識にやってきただけ。周りに妥協して生きてきただけ。妥協はしない。自分の気持ちを押し殺したり無視したりもしない。そうかといって、そのままぶつけることもしない。相手の言うなりにもならない。さてさて、なかなか難しい。本当のコミュニケーションというのは、そんなに簡単なものではない。特に他人との間では。身内なら気心が知れているが・・・でも、いくら気心が知れていても、行き違いもある。意思の疎通を円滑にすることは、そんなにたやすいことではない。もう一度、ゼロからやり直すしかない。前提や思い込みを外して・・・相手の言葉を注意深く聞く。相手は何を伝えようとしているのかを正確に理解する。わからなければ、聞き返す。たぶん・・・いつもは、そんなに注意深くは聞いていない。いい加減に聞いて、いい加減に返事をしている。すべてゼロからやり直すということは、真剣さが求められる。ただの会話でさえ、もう一度真剣に聞いてみる。相手の言いたいことが正確に理解できたら、こちらの気持ちを伝える。すぐに反応しない。すぐに言い返さない。落ち着いて、しっかり相手の言葉を受けとめてから話し始める。できるだけ冷静に、できるだけ客観的に話すように心掛ける。知り合いだからと、いつものように無意識に話さない。話す内容をしっかり確認しながら話す。これまでは・・・イージーすぎた!相手の言葉を半分も聞いていなかった。すぐに相手の言葉に反応した。そう、表面的に生きていた!表層意識だけで生きていたから、すぐに反応した。ただ反応の繰り返し。それでたくさんのトラブルが起きた。会話に深さがなかった。真剣に注意深く会話してこなかった。そもそも会話を正面から見据えることさえなかった。惰性のままに会話してきた。コミュニケーションとは何か、真剣に考えたことはなかった。もう一度、すべてをゼロからやり直す。一つ一つ確認しながら進んでいく。そのくらいの覚悟がないと、ネガティブの泥沼からは抜け出せない。厳しいようだけれども、それが事実。但し、一つ一つ丁寧にやっていると、やがて加速度がつく。そして、いつか花開く。大切なことは、最初の一歩。丁寧に注意深くトライしてみること。いつものようにイージーに生きない。一つ一つに注意を払う。すべてを見直す。よちよち歩きから出直す。大原則は、先ずは相手が何を言おうとしているのかを理解すること。これがなければ、返事のしようがない。わからなければ、わかるまで聞く。まず相手を理解し、それから自分の気持ちを伝える。深く相手を理解できれば、それに見合ったものが自分のなかから自然に湧いてくる。それが、一番ナチュラル。無理がない。いかに相手を深く理解するかに尽きる。一旦、ゼロに戻ること。すべての始まりに戻って、ゼロからやり直す。まず相手の言おうとすることを正確に理解するように努める。一つ一つ順序立ててやっていく。最初は、亀の歩みかもしれない。でも、それが必要。まず何よりも相手を理解すること。それがすべての始まり。憶測しない。勝手に推測しない。わからなければ、聞く。正確に相手の気持ちを理解する。そして、自分の気持ちも理解する。それから言葉を発しても遅くはない。すぐに反応しない。もし反応すれば、それはいつものパターン。間を置く。冷静になる間をおく。理解する間をおく。それから対応する。イージーに言葉のやりとりをしない。注意深く、大切に言葉を扱う。それが、人生を真剣に生きることにつながる。これまでの惰性で生きない!一つ一つのことに注意を払う。それは、とても骨の折れること。だから、すべてを一度にはできない。できることから、一つ一つ丁寧にやっていく。まずは、会話にもっと注意を注ぐことだろうか。しっかり相手を受けとめる。相手を受けとめることは、自分を受けとめることに他ならない。相手も自分もしっかりと受けとめてあげる。それは、生きる基本的姿勢の問題。会話一つが、生き方の根幹に関わってくる。相手をどれだけ大切にしているか。それとも、いい加減に扱っているか。相手を大切にしているということは、自分も大切にしているということ。逆は、言うまでもない。人を大切にしていないということは、自分も大切にしていないということ。つまり、誰も大切にしていないということ。もしそれが自分のありのままの姿としたら?なんと寂しい人生だろう。一つ一つのことが、なんともいい加減。些細なことが、本質的なこと。いい加減に生きないで、一つ一つ丁寧に生きる。一歩一歩着実に歩んでいく。最初は、手探りでもいい。試行錯誤でも、何も問題はない。なにしろ一つ一つを真剣に注意深くやってみる。最初の一歩が最後の一歩。最初にいかに取り組むか。どういう姿勢で人生に対処するか。まさに生き方が問われる。どのように生きたいのか。手っ取り早く結果だけを得たいのか。良いとこ取りか・・・それとも、地道に一つ一つ積み重ねていくのか。結果を求めず、今この瞬間の生きる姿勢を大切にするのか。問われているのは、生きる姿勢。生きる真剣さ。『何よりも 相手の気持ち 受けとめて 理解するのが 最初の最初』『よく聞かず 反応するから これまでの パターンのまま ネガティブ指向』『よく聞いて しっかり受けとめ 理解して それからゆっくり 話し出すこと』『受けとめる 気持ちがあれば おのずから 出てくる言葉 それに対応』『落ち着いて 生きる姿勢が 人生に 深いやすらぎ 調和もたらす』『小手先の ノウハウ・ハウツウ テクニック そういうものは すべてごまかし』『結果だけ 求めて生きる 人生は 時間のなかの 思考の世界』『真剣に 生きる姿勢が 人生の 真理もたらす 最初の一歩』『始まりの 姿勢のなかに 人生の 真理は宿る 最後の一歩』これが日記を書き始めて2636日目の心境。
2012.03.22
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今日の屋久島は、青空が広がっている。しかし、気温は低い。風が冷たい。三寒四温が続いている。昨日から「屋久島 光のガイド」が正式にスタート。それに伴って、「今日の短歌」というのが始まった。これは、ぴあのさんが選択してくれることになっている。そのため、今日はどんな短歌になるのか事前にはわからない。今朝、その短歌を見て少し感動した。自分の短歌なのに?でも、すばらしかった。その短歌とは・・・『大空に 己が意識の ベース置き 流れ過ぎゆく 雲を眺める』見守りの短歌。大空ベースで、流れゆく雲を見守っている歌。雲とは、現象世界であり、自分の表面意識でもある。大空とは、深く大きな意識。この短歌もTwitterのなかにあった。Twitterには、たくさんのkimi短歌が入っている。改めて読んで見ると、感動もの。すばらしい宝の山。Twitterに関しては、こちらはまったく関与していない。すべてぴあのさんが管理している。そのため、kimi短歌も客観的に読める。なかなかすばらしい短歌がたくさんある。これまでにどのくらいの短歌を作ったのか・・・定かではない。少なくとも千を超えているのは、間違いない。数千だろうか。ここのところ太陽フレアーのせいか、何かが乱れている感じがする。少なくとも自分自身は、電磁波に超弱くなっている。これまではある程度パソコンを続けても、どうということもなかった。しかし、最近はきつい。特に頭がしびれる感じ。どうしてだろう?磁気の乱れ?電磁波の変化?体調の変化や精神の変化は、多くの人に起きている。ここのところ、ネガティブが少し息を吹き返しているように見える。しかし、実際はより奥のネガティブが出てきているのだろう。それに振り回されている人もいる。自我とは、固執。自己限定。そういう自分にこだわる。自分の感性、自分の考え、自分の価値観・・・そういう自分の意に添わないものには、反発する。強烈な違和感を感じる。それは、差別やいじめにつながる。自分以外のものを否定し、排除しようとする。狭い自分の了見にこだわる。それは極めて限られたものであることに気づかない。お山の大将。自分が絶対。それは、裸の王様に似ている。人から言われないと気づかない。自分では、自分が絶対正しいと思い込んでいる。自分の感性や価値観がスタンダードと思って疑わない。しかし、それは自分の経験に基づく狭い物差し。自分の人生経験がすべて。あるいは、人から聞いた知識。マスコミの影響・・・それらは、底が浅い。深さがない。それ故に、バラバラ。そのため、お互いに衝突する。住んでいるところによっても異なる。気候も言語も風習も違う。人種まで違うこともある。多種多様。そのすべての人が、自分なりの価値観や感性や考え方を持っている。そして、自己主張する。それは、違っていて当たり前。同じということは、あり得ない。それぞれ異なる自我が自己主張する時、世の中は混乱する。それを力のある者が、力で押さえつける。それが、これまでの社会。今も多数決という力が猛威を振るっている。自我とは、自己限定。自分とは、思い込み。それ以外に自分などはない。枠をはめなければ、自分は存在しない。もし記憶がなくなったら・・・その途端、自分は消えてしまう。つまり、自分とは記憶に他ならない。あるいは、記憶をベースにした自己イメージ。いずれにしても、記憶がなければ何も始まらない。ということは、すべて過去ベースということ。自分とは、過去からできている。過去がなければ、自分もない。赤ちゃんは、白紙。親や周りの人が、盛んに名前を呼ぶ。そのうちに名前を自分と思ってしまう。自分の始まり。「○○ちゃんは、歌が上手」「○○ちゃんは、絵がうまい」「○○ちゃんは、力持ち」「○○ちゃんは、カッコイイ」逆のことも言われる。「○○ちゃんは、オンチ」「○○ちゃんは、泣き虫」「○○ちゃんは、物覚えが悪い」子供のころから同じことを何度も言われ続けていると・・・やがて、自分をそういう者だと思い込んでしまう。それが、自己イメージ。つまり、自分というもの。自分とは、自己イメージ。自分で思い込んでいるだけ。自己限定こそが、自分。それ以外に自分はない。自己イメージだから、それは可変的。褒められれば自慢できる自分となり、けなされればダメな自分となる。しかし、一貫しているものがある。それは・・・良い自分であれ悪い自分であれ、自分にこだわる。それが、すべての自我に共通していること。自分、自分、自分・・・何でも自分。その自分の実態を理解しない限り、真の自由というものはない。いくら精神世界の本を読んでも、ただの思い込み。新しい自分のイメージに更新しただけ。自分の本質を理解しない限り、自由に生きることはできない。それは、自我に限らない。魂もグループソウルも、すべて自己限定。宇宙に存在するものは、すべて限定されたもの。色の世界は、すべて限定の世界。限定された個。限定された色。そういう自覚を持って生きることだろうか。自分の限界を理解した上で生きることだろうか。自分とは、自己限定。無限のなかの一部。夜空に浮かぶ星のようなもの。星とは、宇宙空間のチリが集中固体化したもの。星も、夜ごと変化している。人も、日ごと変化している。自分は、固定したものではない。だから、そんなに固執することもない。ゆるやかに。しなやかに。揺れ動く葦(あし)のように。人は、考える葦と言うではないか・・・『自分とは 自己限定に 他ならず 過去の記憶と 自己同一化』『記憶との 自己同一化 外す時 自分は誰か 特定できず』『自分とは ただのイメージ 思い込み 過去をベースに できた幻想』『自分とは 自分がつくる 限定と 理解する時 自由生まれる』 これが日記を書き始めて2635日目の心境。
2012.03.21
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今日は、春分の日。陰陽の中間地点。これから陽の極へ向かう。また新しい始まり。「屋久島ナチュラルヒーリング」を正式に「屋久島 光のガイド」に変更。それに伴って、HPも全面的にリニューアル。これまでのHPとは、まったく違うものになった。次元が異なる。光の時代の光のガイド!これが、新しいキャッチフレーズ。目指すのは、新しい時代の新しいガイド!光のスピリチュアルガイド。1月9日に水晶とブレスレットの新しいネットショップを立ち上げた。屋久島ライトクリスタル。それが、2012年光の時代のすべて一新の第一弾。今回が、第二弾。第三弾は、たぶんこの日記になるだろう。100万アクセスを達成したら、楽天から別のところへ移る。その際に、何らかのリニューアルがあるだろう。今年は、すべて一新する。時代が、まったく変わってしまった。古いものも、まだ残っている。しかし、それは残滓。もう力はない。壊れゆくもの。消えていくもの。古い時代の名残。既に終わったもの。まだ過去の残像に怯えている人は多い。しかし、後ろを振り向かないこと。前を向いて歩くこと。そうすれば、そこには光がある。後ろを向く時にだけ、影がある。過去を見る時にだけ、自分の闇が見える。前を向けば、今ここの時点に立てば・・・闇は、一欠片(ひとかけら)もない。自分のなかの闇は、すべて過去の残滓。自分がつくってしまった思い込みの反応。今には、闇はない。今には、何もない。何もないところに、すべてがある。すべては、目の前にある。新鮮にある。その新鮮なものを古くしているのは、記憶。過去のフィルターで見る時、今の景色は色褪せたものとなる。今の新鮮さは跡形もなく消え、セピア色の古ぼけた写真が残る。旬の初々しさは、既成概念に姿を変える。今だけにあるいのちの滴(しずく)は、瞬時に蒸発する。実際にあるのは、この瞬間のみ。瞬間という概念さえない。ただ在るだけ。在るということもなく、在るだけ。山は、大きい。圧倒的な存在感で迫ってくる。空は、広い。どこまでも気持ちが広がっていく。海は青く、滝は白い。草木は緑に輝き、鳥たちは軽やかに歌う。春は、すべてのものが活き活きとする。風でさえ、なんとなく花の香りがする。過去を手放し、今に生きる。今は、ゼロ。何もない。だから、いつでも新しく始められる。常に新鮮。常にスタート。気持ちしだいで、いつでもリニューアルできる。それを阻むものは・・・惰性!重たく、暗く、固い心身。遅い波動。エネルギーの欠如。極力手放して軽くなることだろうか。たくさん着込んでいては、身動きがとれない。息が詰まってしまう。身軽な方が動きやすい。必要なものは、そのつど手に入れればいい。所有する必要はない。たくさん所有するから重たくなる。活用すればいいだけ。やがて、所有したものに所有される。お金、物、地位、名声、知識、信念、信仰・・・ミイラ取りがミイラになる。お金や物の奴隷と化す。自分を支えるための信仰が、自分の自由を縛る。地位や名声が、新しいことへのチャレンジを押しとどめる。お金や物をたくさん持って豊かなはずが、それらを失わないために汲々とする。知識をたくさん持つことによって、感性が死んでしまう。人は、裸で生まれて裸で死ぬ。常に裸でいるのが、一番楽。必要な時に必要なものを使えればいいだけ。所有すれば、所有したものに所有される。肉体も人格も借り物。この世限りのもの。可変的なもの。そういうものに所有されないことだろうか。精神の自由の確立。確立と言うには、形のないものだが・・・限定なき精神の自立。固定を外すこと。フォーカスを変える。自由にフォーカスできる精神のしなやかさ。一つのことだけに固執すれば、精神は自由を失う。もっと大局から見守る。見守りつつ今を生きる。自由の空間のなかで、限定なき今を生きる。何かにフォーカスすることによって限定が生まれる。自由にフォーカスを変えるしかない。地球は太陽の周りを回り、太陽は銀河の旅をする。同じように回っていても、同じところにはいない。銀河もまた宇宙の旅をしている。生々流転の時間のない旅が続く。『やわらかな 風の触感 春霞 鳥は喜び 蕾(つぼみ)膨らむ』『今ここは 常に新鮮 新しい 思い立ったら いつも吉日』『新しい 光へ向かう UFOに 乗りたかったら 身軽になること』これが日記を書き始めて2634日目の心境。
2012.03.20
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今日は、朝からさわやかに晴れている。雄のカラフルなキジが、庭を散歩していた。写真を撮ろうとしたが、すぐに草むらに隠れてしまう。車で近づいても逃げないが、人が近づくとすぐに逃げる。こちらは、昨夜から目が激痛。やむなく水晶の浄化に行く。持って行ったのは、昨日届いたビーズたち。サンストーンやアンデシンやブルームーンストーンなど。ゴールドルチルやスギライトなども買ったら、軽く20万円を超えてしまった。水晶原石であれば20万円分と言えば、すごい量になる。しかし、ビーズはほんのわずか。その分、浄化は楽。ビーズをまず海で浄化する。海水は、そんなに冷たくはない。しかし、川の水はまだ冷たい。ビーズを入れたザルを川に置いて、こちらは隣の海岸へ。隣の海岸は、砂浜。裸足になって歩く。目が痛い時は、これが一番。ふかふかの砂の上を歩くと、この上なく気持ちがいい。目の前に種子島が見える。海の上には、大きな貨物船が浮かんでいる。海は青く、波は白い。砂浜の上に鳥の足跡があった。自宅から車で5分のところに、美しい海岸がある。透き通る川もある。1時間も行けば、山も滝もある。すばらしいところに住んでいる。こんなに良いところに住んでいるのに、パソコンばかりしていてはもったいない。もう少し自然のなかに入った方がいい。これからは、それが楽にできる季節になる。冬の間は、さすがに寒い。ここのところ、ものすごくパソコンに弱くなっている。正確に言うと、電磁波に弱くなっているのだろうか。全身が微妙にしびれる感じ。原因は・・・心身が繊細になっているからだろうか。車を運転していても、心ここにあらず。なんとなくぼんやりしている。もっとも、隣に人がいる時は別。その人が、しっかりこの世に引き留めてくれる。そういう意味では、ガイドに支障はない。でも、一人で運転している時は心許ない。半分ぐらいしかグランディングできていない感じ。そうなると、当然、執着も減る。元々それほど執着はないが、更にファジーになっている。物質次元に対する囚われが、どんどん薄くなっている。別に死ぬ感じはしない。死ぬと言うより・・・むしろ生死を超えるという感じ。死というのは、生の対極としてある。生に対する囚われが強いほど、死に対する囚われも強くなる。生に対してそれほど囚われなくなると、死に対してもそれほどこだわらなくなる。生も死もない。時間もない。永遠の今があるだけ。その永遠の今のなかに、時間がある。生死もあり、歴史もある。成長や進化もある。無限のなかに有限の宇宙がある。空のなかに色がある。色の世界は、変化の世界。千変万化の形の世界。時間をベースにした宇宙・人間ドラマの世界。それはそれで面白い。しかし、それにはまり込みすぎると、悲哀が生まれる。執着すれば、苦しみが生じる。ほどほどに楽しめば、人生も悪くない。落ち着いて、ゆったりと生きることだろうか。何事にものめり込みすぎないことだろうか。のめり込みすぎると、視野狭窄になる。そうすると全体が見えず、自分を見失う。何をやるにしても、全体を見、自分を見る。小さな世界にはまり込まない。雄大な宇宙と共に生きる。全体と共に個を生きる。『全体と 共にゆったり 生きていく 時空を包み 歴史を包み』これが日記を書き始めて2629日目の心境。
2012.03.15
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今日の屋久島は、寒い。かなり気温が低くなっている。天気は、明るい曇。三寒四温が続いている。昨夜、嬉しいメールが届いた。以前にも紹介したことのあるYさんからのもの。すばらしい意識の変化が起きているらしい。驚くほどの速さで変化している。------------------------------------------------------今日はご報告です。一昨日、魂のレベルで次元上昇が起きたようです。kimiさんに屋久島で光を入れてもらった後、皇居近くでの光の写真を見てもらい、使命を授かったのでしょうというメッセージをいただきましたよね。その時は、一体何の使命なのかわからなかったので、答えがわかるのをしばらく待っていました。一昨日、答えが出たんです。あの光の写真の後、強力な二人のサポーターが出現しました。そのお二人の力を借りる形でしたが、極めて強力な力で上に持っていかれました。二ヶ月の間に様々な偶然が飛び込んできて、それに動かされるような形でした。でも、面白いのは、一つ一つの言動が試されていた試験のようで、それを一つ一つ丁寧にクリアしていったことで、すごいご褒美を頂くことになりました。次元上昇が起きたと感じたのは、その瞬間、まるでボトルをよく振ったシャンパンキャップを開けた時のように、音を立てて次のステージへの扉が開き、キラキラしたものが内側から溢れ出てきたんです。魂のレベルでどうなったかというと、私は今までいろいろと感覚が敏感で、特に悪いエネルギーに影響を受けた時は具合が悪くなってしまう程だったので、ネガティブな波動には近づかないことで、自分をプロテクトしてきました。しかし、今回、極めて高い波動をもつ二人に二ヶ月の間、毎日のようにサポートしてもらう中で、次のステージが見えたんです。もうそれは、闇をも跳ね返す強い光を放ち、さらに闇を癒して光に変え、天にあげるだけの強さが存在するのを間近で見ることになったからです。今までは自分をどうやってプロテクトすればいいのかということを考えてきたのですが、それは間違いでした。もちろんプロテクトも時には必要ですが、それよりも自分自身の波動をさらに高いレベルにまで上げて行くことの方が、もっと重要だということに気づきました。そして、何かを考える時、それは宇宙、地球、そして全人類の利益となることがすべての中心となります。もちろん自分や家族も大事ですが、天の意にそって行動をすれば、それは自ずと自分や自分の家族にも利益となって戻ってくるので、何の心配もありません。集合意識の中で、自分はその一部に過ぎず、やるべきことは全体を整えることだというのが理解できました。この感覚を当たり前のように持てるようなり、自分の目指すエリアのビジョンが見えたことが今回起きた変化です。アセンションが何を示すのか私にはよくわかりませんが、12月にkimiさんにお会いした時、すでに昨年の10月から密かに始まっているとおっしゃってましたね。世界の至るところで、すでに光のリーダーたちが動き始めているのではないでしょうか。Kimiさんの光のガイドによって次元上昇する方が、他にもたくさんいることと思います。厳しい試練が課されるのでクリアできるかどうかは本人次第ですが、次元上昇するには既にその次元にいる方からの助けが必要です。私も何とかクリアはしましたが、いくつか失敗もしました。お力を貸していただきありがとうございました。これからさらに大きな課題が待っていますが、がんばります。ではまた。------------------------------------------------------「何かを考える時、それは宇宙、地球、そして全人類の利益となることがすべての中心となります。」まさにその通り!それしかない。私利私欲なんか、小さい小さい・・・「やるべきことは全体を整えることだというのが理解できました。この感覚を当たり前のように持てるようなり・・・」それが当たり前になるということは、自我を卒業したということ。自我を超えて全体と共に生きるということ。二ヶ月でここまで来るというのは、すごい!の一言。よくこの心境まで深化したもの。自分で願ったこととはいえ、すばらしい!真に願えば、何事も実現する。これから、このような方が増えてくるだろう。目覚める人が増えることによって、時代は変わっていく。人の意識が物質や肉体に閉じ込められた時代が終わる。意識が物質や肉体を自由にコントロールする時代となる。東日本大震災以降、深い悲苦を感じるようになった方も多い様子。しかし、大切なことは、それらに振り回されないこと。このメールにもあったように、プロテクトするのではなく、自分自身の光のレベルを上げること。そのようなものに左右されない次元まで意識の光をアップすること。影響を与えているのは、思念。思いの世界。それは、自分が思いの次元で生きているから。その次元を超えれば、そのような影響は受けない。思いの次元から離脱すること。思いの次元を超えること。それこそが、まさに自我からの自由。自我のベースは、思いの世界にある。思いの世界を超えて光の次元に生きる。光の次元と一口に言っても、いろいろある。とりあえずは、魂次元。魂と共にある次元。それは、全体と共にあることを意味する。私利私欲を超えている。私利私欲に興味がなくなり、全体のことを常に考えるようになる。全体とつながって生きるようになる。そういうサポートをするための、この日記。光のガイドも、水晶やブレスレットたちも同じ。目指す方向は、一つ。自我から魂の光へ。これから多くの人が目覚め、時代が変わる。それは、間違いない。まさに地球の夜明け。そういう時代に生まれ合わせた幸せ。全体と共に生きる幸せは、何ものにも代えがたい。それは、小さなマイホーム的な幸せの次元を超えている。マイホーム的な幸せは、いつ壊れるかわからない。それが、まさに今回の大震災。大震災が起きなくても、交通事故や疾病は日常的に存在する。小さなマイホーム的な幸せは、もろい。いつ壊れてもおかしくない。そんなものにすがっていても、安心立命は得られない。もっと自分の本質に還らないと。自分の本質のなかに幸せは元々ある。外に求める必要はない。その幸せこそが、個であり全体であるということ。全体と共に生きる。個を活かすことによって全体に貢献する。個も全体も共に花開く。それが、これからの時代。『自分さえ よければいいと 思うのは 小さな自我の 儚(はかな)い願い』『人々の 悲苦の思いを 感じたら それらを包む 光となること』『自我を超え すべてと共に 生きる時 個と全体が 共に花咲く』これが日記を書き始めて2626日目の心境。
2012.03.12
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今日は、3月11日。東日本大震災から1年。実は3月11日というのは、自分にとっては別の意味がある。それは・・・こちらは、9年前の2003年3月11日に屋久島に移住してきた。フェリーから外に出ると、山々にはまだ雪が残っていた。あれから9年。既に10回目のガイドのシーズンが始まっている。この9年間で大きく変わった。何が最も変わったかというと・・・世の中も変わったが、何といっても意識。意識が9年前とは、まったく異なる。それは、この日記を書き始めたから。最初の2年間は、屋久島に慣れるのに精一杯だった。少し余裕ができた2005年から、この日記を書き始めた。そして、7年が過ぎた。今の意識状態は、既に半霊半物質に近い。三次元で生きている人と、かなり距離感がある。交流はできるけれども、生きている次元が少し違う感じ。現実感が希薄。固定ではなくて、ファジー。かなり揺らいでいる。まるで海底の海草のよう。物質的な固定感が、どんどんなくなってきている。その分、意識が現実化しやすくなっている。意識と現実との境目が希薄になっている。次元の壁が薄れつつある。自分の意識がより投影されるようになっている。この傾向は、これから更に進むだろう。物質次元ではなくて、半物質次元で生きるようになる。自分の望む現実のなかで生きるようになる。それが、これから更に明確になっていく。日本は、昨年が大底。既に大峠は、超えている。後は、光に向かって一直線に進むだけ。これから更に加速度が付く。しかし、世界は、これから洗礼を受けることになるだろう。日本は、先駆け。世界の雛形。日本は、いい感じになってきている。東日本大震災によって、かなり膿が出た。それによって、日本人が本来持っているものが出始めている。和。隣人愛。お互いに助け合って生きるという雰囲気が、日本全体に満ちている。これは、すばらしい。このために大震災があったようなもの。しかし・・・まだ原発は、安定していない。放射能は、出続けている。原発再稼働を唱える人たちもいる。まだまだ物質ベースの人も多い。そういう人たちとは、だんだん遠くなっている。生きる世界が違っている。明らかに別の世界で生きようとしている。次元が異なる。物質からの解放。固定からの解放。観念からの解放。思い込みからの解放。この7年間やってきたことは、物質的な思い込みからの解放。物質化した意識を本来のスピリチュアルな意識に回帰させること。その結果、極めて軽くなっている。意識はファジーになり、ふんわりしてきている。光の時代の光の意識。これからは、それがメインになる。これまでの物質的な意識とは、乖離していく。更に軽く、更にしなやかになっていく。この感覚を言葉で表現するのは、難しい。例えて言えば、角のない四角のようなもの。物質的な角がない。やわらかくて、しなやか。一応の形はある。しかし、ファジー。常に揺らいでいる。固定してはいない。物質は、固定の世界。しっかり固定した関係を楽しむところ。しかし、それは両刃(もろは)の剣。固定して安定はしているが、それに縛られもする。変化が遅いので、固定したものだと思い込みやすい。物の形も関係性も。考え方も固定的になる。それが思い込みというもの。観念や信条を元に生きるようになる。信仰などの固定したものに拠り所を見つける。地位や財産に汲々とする。何につけても安定を求める。それが物質次元。この世というところ。しかし、それも大きく変わろうとしている。固定の魔法が外れようとしている。思い込みからの解放。物質からの転換。スピリチュアルな主体を取り戻す。物質に翻弄されず、自分ベースで生きられるようになる。時代は、根本から変わろうとしている。これまでと異なる意識状態が実現する。霊主物従。物主霊従の時代は、終わる。知識ではなくて、自分で感じながら生きることだろうか。感じながら、いろんなものと交流しながら生きることだろうか。物質も、物質の意識と交流しながら関わることだろうか。ただの物として関わらないことだろうか。人に対しても、その時その時、感じながら関わることだろうか。固定観念で接しないことだろうか。先入観を持たないことだろうか。もう観念の時代ではない。知識や観念を超えていくことだろうか。自分の感性を大切にしていくことだろうか。しなやかに揺れ動いている感性。この生きている感性を・・・『固定した 安定感を 望むのが この世の意識 物質ナイズ』『しなやかに ファジーに揺れる 精神が 物質からの 自由の証(あかし)』『繊細に スピード感を 伴って 変化していく 意識のままに』これが日記を書き始めて2625日目の心境。
2012.03.11
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三泊四日の旅の最終日。天気は、今にも雨が降りそうな曇。山の方は、雲に覆われている。間違いなく雨だろう。南の方が天気が良さそうなので、南にある石楠花(しゃくなげ)の森公園へ向かう。南に近づくにつれて、天気は回復。道路が乾いていた。公園の駐車場に着いた時には、雨の気配はまったく消えていた。昨日は、巨木の森でシャクナゲの蕾をたくさん見た。里では既に咲いているかと思ったのだが・・・ぜんぜん咲いていなかった。蕾は、巨木の森に比べると圧倒的に大きくなっていたが・・・公園のなかを奥まで歩く。公園は、川に沿ってできている。その川の美しいこと。水の色が、緑色。遠くを眺めると、山の中腹に白いものが見えた。山桜だろうか。南の方は暖かいので、開花したのだろうか。この辺りは、もう春という感じ。公園の一番奥まで行って、道路に出る。そこから橋を渡ると、小谷ヶ滝の入口がある。30分も歩けば、滝に着く。しかし・・・それには、それなりの覚悟がいる。ここから先は、道なき道。かなりハード。気合いを入れないと行けない。今日は、屋久島を離れる日。飛行機は、12時25分発。そんなに時間の余裕はない。滝は、次回に取っておく。今度来たら、川や海で泳ぎたいとのこと。シュノーケルで熱帯魚を見たい様子。夏場に来れば、滝も熱帯魚も見放題。四季折々、いろいろ楽しめる。10時半頃に公園を出て空港へ向かう。南の方は、青空が見えていた。しかし、北へ近づくにつれて小雨が降り出した。屋久島の天気は、場所によってまったく異なる。途中でブレスレットの浄化をする。この川へ来るのは、3回目。ほとんど毎日のように来ていた。メインは、隣の砂浜を裸足で歩くことだったが・・・車での行き帰りに、またたくさん話をした。徹底的に話した。自分のこれまでの生き方を再確認してもらった。それは・・・自分に正直に生きてこなかった人生。周囲に迎合した38年間。自分を偽り、ウソの自分で生きてきた日々。そのために本当の自分がわからなくなってしまった。もう一度ゼロからやり直すしかない。自分を見つめながら、自分は本当は何をしたいのかを探す。一つ一つ手探り。試行錯誤の始まり。それは、自分自身で始めるしかない。常に自分を見守って、周りに迎合しようとする自分に気づく。もうそれが習い癖になっている。まるでそれが自分の本性のようになってしまっている。だから不注意であれば、すぐにいつものパターンになってしまう。よほど注意していないと、これまでの癖を乗り超えるのは難しい。一歩一歩やるしかない。そうしない限り、本当の自分に辿り着くことはできない。今のままでは、偽りの自分のままで一生が終わってしまう。それでは、今回生まれてきた意味がない。もう一度生き直さないと。人生を転換しないと。彼女は、話した内容は秘密にしてほしいと言った。残念でした!既に日記に公表されています。もう秘密にする時代ではない。みんなで共有する時代。共有することによって、お互いに学び合う。他人(ひと)の経験は、自分の経験。基本構造は、似ている。他人(ひと)の経験から自分も学ぶ。それでこそ各自の経験が活きる。よく話して、彼女も納得。「他人(ひと)の役に立つのなら嬉しい・・・」この日記を両親にも読んでもらうように言う。もしかしたら既に読んでいるかもしれない。父親は、時々、こちらの日記を読んでいるらしい。両親も子育てを通して気づくことが、まだ残っている。子供が自立しない限りは、両親にもまだ学びが残っている。まだ気づいていないことがある。子育ては、親育てでもある。子育てを通して、親も人として成長していく。人は、成長過程で圧倒的な親の影響を受ける。しかし、そのままでは終わらない。普通は、反抗期というものがある。それは、これまでの親の影響から離れようとする時期。親の言うままにならず、自分の足で立とうとする。それは、極めて大切なこと。そうでない限り、自分自身を生きることはできない。親の言うなり。人は親に育てられ、小さいころは親の影響下にある。しかし、成長するにつれて自己を主張するようになる。それが、自然の成長プロセス。ところが・・・あまりにも親の押しつけが強いと、素直に自分を主張することができにくい。親に迎合したまま大人になってしまうこともある。そうなると、自分自身を生きることのできない大人ができてしまう。いつも周りの顔色ばかりを気にする大人になってしまう。自分というものが曖昧。自分を信頼できない。その結果、周りをも信頼できない。そうなると、びくびくして生きることになる。それが、対人恐怖であり、アダルトチルドレン。それが、今の彼女。これまでの38年間。その総括をするために、屋久島へ来た。自分の人生を振り返ることは、意味がある。これからいかに生きるかを再検討できるチャンス。彼女の場合は、生き直し。本当の自分で生きるための転換。いかに自分に正直に生きることが大切か。いかに自分にウソをつかないことが大事か。それなしでは、人生はほとんど意味がない。いかに真実の自分を生きるか・・・真実の自分とは、何か。周りに迎合しないとは、どういうことか。単に自己主張することではないのは、明らか。それは、単なる我が儘。深い自分を生きること。表面の浅はかな自分を生きないこと。表面の浅はかな自分こそが、周りに迎合する自分。それは、本質的に生きないで、保身のために小手先でごまかしている自分。そのような生き方をしている人の、なんと多いことか。自分の真実を生きている人の、なんと少ないことか。それは、彼女一人の問題ではない。多くの人に共通する問題。程度の差はあれ、多かれ少なかれ彼女と似たようなものを持っている。つまり、周りに迎合してウソの自分で生きているということ。本当に自分の真実で生きていると断言できる人が、何人いるだろうか。多くの人は周りに迎合し、周りと妥協しながら生きている。なに?それしかできない?それが普通?自分を生きるなんて無理?できないと思えば、できない。無理だと思えば、無理。逆に・・・できると思えば、できる。不可能ではない。人生に不可能はない。やりたいということは、可能性があるということ。本当にそのように生きたかったら、それは可能。あらゆることが、可能。そういう時代になっている。自分の望むとおりの人生を生きる。それは、浅はかな自我我欲の人生を意味しない。自分に正直に生きるということは・・・自分に真実に生きるということは・・・自分の深い意識に忠実に生きるということ。表面意識に翻弄されないということ。表面意識は、この世の意識。この世を生き抜くための意識。それも必要。しかし、それだけでは足りない。深い魂レベルの意識がいる。その時に、初めて人は満たされる。深い深いやすらぎを感じる。自分の真実を感じる。それこそが、自分のルーツ。自分の意識の故郷(ふるさと)。この世的な意識が、自分の故郷ではない。自分の本質は、もっと深いところにある。いかに深く生きるか。いかに自分自身にグランディングして生きるか。彼女を見ていると、浅い。呼吸も浅いし、反応も浅い。深いところで生きていない。表面で生きている。意識の表層だけで生きている。もっと深い意識で生きないと・・・深い意識のみが、大きな意識につながっている。大きな意識のみが、宇宙とつながっている。宇宙とつながっている意識のなかに、やすらぎはある。表面意識のなかに、やすらぎはない。表面意識は、この世に適応するための意識。その意識を使って、深い意識が働く。それが、人の意識の仕組み。例えて言うと・・・表面意識は、十二単(じゅうにひとえ)の一番外側の着物のようなもの。そこは常に外気と触れているので、温(ぬく)もりを感じることはできない。内側の着物にこそ、温もりが感じられる。着物の一番奥には、本体がある。それは、着物とは異なる。意識の本体。多くの意識を纏(まと)っている本体。それこそが、真の実在。人は、それを神と呼ぶ。真理とも真の実在とも呼ぶ。何と呼んでもいい。真なるものは、変わらない。そこをベースに生きること。そこをベースに生きないと、人生は虚しくなる。多くの人が、快楽に溺れた。しかし、その末路は憐れなもの。肉体の快楽に溺れれば、意識は空虚になる。深い意識と共に生きる時にのみ、人は満たされる。物質に溺れ、肉体に翻弄されてきた人類。それが、これまでの人類史。物質を理解し、肉体をマスターすることも必要。それは、地球で生きるための必要条件。その必要条件をマスターする過程で、それに溺れてしまった人類。ミイラ取りがミイラになってしまった人類史。そのことを理解し、それを超える時がきた。それが、今という時代。深い意識が花開く時。この世意識だけでなく、魂意識が現れる時。宇宙とつながり、多次元的に生きる時。表面意識に惑わされず、表面意識を使いこなす時。経験に溺れず、経験を活かす時。人類史を総括し、新たな人類史を創る時。人類史とは、まさに一人の人の人生に他ならない。一人の人のなかに、人類史は凝縮されている。自分自身を見ること。そこに人類史がある。自分は、人類の代表。自分は、魂の代表。自分自身のなかに、宇宙の始まりも終わりもある。自分と共に生きるしかない。『子は親の 鏡であれば 親もまた 子供見つめて 己に気づく』『外側に 翻弄されて 迎合し 浅く生きれば 自分失う』『真実に 生きるしかない 真実は 自分自身の 奥底にある』『人はみな 一人一人が 人類史 自分のなかに すべてが宿る』これが日記を書き始めて2619日目の心境。
2012.03.04
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三泊四日の光の旅の三日目。里の天気は、雨が降ったり止んだり。しかし、天気予報では、だんだん回復するはず。そのつもりで、巨木の森へ向かう。行く途中は、山には雲がかかっていた。しかし、だんだん雲が途切れ、天気は回復。登山口に着いた時には、すっかり雨は上がっていた。駐車場には、車が2台駐まっていた。森のなかは、静かだった。空気は、ひんやりとして澄んでいた。小鳥の声がしていた。大きな杉に次々と出会っていく。巨木たちは、人の心を大きくしてくれる。何千年の月日を生きている屋久杉たちは、スケールが大きい。人間のちまちました日常意識を払拭してくれる。心が伸びやかになる。行く時には気づかなかった花を、帰り道ではたくさん発見した。屋久島固有種の大五加葉黄蓮(オオゴカヨウオウレン)が群生していた。海抜1400メートルなので、心なしか花が小さい。雪のなかでも咲く可憐な花。森のなかでは、対人恐怖やアダルトチルドレンのことは、あまり話さなかった。ただ自然に触れ、自然を楽しんだ。大きな自然。人を包み込んでくれる大自然に浸った。車中では、たくさん話をした。この日記に書かれていることは、そのほんの一部。この何十倍も話をしている。それは、徐々に彼女の潜在意識に浸透している。ヒラヒラと光が舞い落ちる。潜在意識の闇のなかに光が舞い落ちる。潜在意識の奥で眠っていたものが刺激される。やがて、人の真実が目覚める。彼女の問題は、何か。それは、過度に周りに迎合したということだろうか。周りに迎合しすぎて、自分を見失ってしまったということだろうか。今の現状は、外主内従の結果ではないだろうか。親の期待に応えようとしたのかもしれない。良い子ブリッ子しすぎたのかもしれない。周りを気にしすぎたのかもしれない。自分がどう思われるかが心配だったのかもしれない。いずれにしても、意識が外を向きすぎてしまった。自分を外に合わせてしまった。本来の自分を押し殺してしまった。その結果、自分を見失ってしまった。他人(ひと)に迎合しすぎた結果、他人(ひと)が怖くなった。他人(ひと)の目を気にしすぎ。周りによって自分が翻弄される。というか・・・過度に周りを意識するあまり、考えすぎて自滅するのかもしれない。空回り。自家中毒。同じところをグルグル回っているだけ。その現状を親のせいにする。親のせいにして自己正当化する。身を守るために自分を犠牲者にする。それは、更に自分を惨めにする。親にも問題がない訳ではない。我が子は、可愛い。可愛さ余って、子供を自分のものと思ってしまう。自分の望み通りに育てようとする。親は、言う。すべて子供に良かれと思ってやったこと!確かにそうかもしれない。子供を思っての厳しいしつけだったかもしれない。しかし、そのなかに自己投影がなかっただろうか。自分が実現できなかった夢を子供に託していなかっただろうか。自分にはできなかったことを子供にはやってほしかったかもしれない。自分では気づかない支配や所有があったかもしれない。はっきりしているのは、子供の本来性を引き出そうとはしてこなかったということ。子供を自分の望む枠にはめようとしてきたということ。自分の思う通りの子供にしようとしてきたということ。子供の本性を尊重してきたとは言いがたい。それは、社会のなかでより良く生きていけるようにという親心かもしれない。しかし、それが過ぎると、子供の本質が歪められてしまう。角を矯めて牛を殺す結果となる。度が過ぎた社会適応は、子供の個性を殺す。社会に適応することも必要。しかし、それはメインではない。自分を活かすことが、最も重要なこと。それによって社会に貢献するのが、本来のあり方。子供を社会の枠にはめようとする。それが、今の社会。それが、今の受験戦争であり、学校教育。それは、明治時代から続く富国強兵策の延長。産業界からの要請で、子供を企業の役に立つように育てる。学校教育は、ほとんど職業訓練化している。子供の個性を伸ばす教育とは言えない。それは、外的生活を豊かにすることだけに意識が向きすぎた結果。それが、今の人類の現状。外的環境に意識が向きすぎ。地球の物質的環境を理解することも必要。しかし、それだけでは足りない。外側の環境は、生きるための必要条件。しかし、それはあくまで前提でしかない。本質ではない。本質は、内なるものを花開かせること。内なるものを外に現実化すること。人のなかに宿る真実を物質次元で実現すること。自己実現。人の真実の花を開かせる。子育ても学校教育も、外面重視。内面軽視。社会適応ばかりに気を取られて、内面を花開かせることがお留守になっている。それが、多くの精神的問題を生み出している。彼女に車中で話したことは、親も未熟であると言うこと。完璧な親はいないということ。親も子育てを通して育っていく。子育ては、親育てでもある。親は未熟にもかかわらず、自分の価値観を子供に押しつけようとする。自分の限られた経験から正しいと思うことを子供に強いる。その結果、子供の本来性が育つのが疎外される。真っ直ぐに伸びようとする芽が、歪められてしまう。親も未熟。しかし、それが親のせいにする理由とはならない。なぜなら、どこの親も未熟だから。すべての子供が対人恐怖やアダルトチルドレンになる訳ではない。親は、あくまで縁。因は、自分自身にある。外に迎合しすぎたということ。その結果、自分を見失ってしまったということ。自分の真実を生きずに、外に流されてしまった。そういう過去世がある。それは、悔いが残る過去世。だからこそ、今生は自分自身を生きたい!にもかかわらず、また同じような人生を送っている。周りに迎合し、自分をなくしている。周りばかりを気にして、自分の真実を生きていない。自分が信じられず、自分自身がわからない。もう一度、ゼロからやり直す。生き直し。外ではなくて、内を見つめ直すしかない。外ではなくて、内に依拠する生き方に切り替える。一旦白紙に戻して、もう一度、自分自身を見つめながら生きる。自分を感じ、自分を探りながら生きる。外ではなくて、内に意識を向ける。他人(ひと)にどう思われるかではなくて、自分がどう感じるかを大切にする。180度生き方を変える。方向転換。外主内従から内主外従へ。自分の主体性を確立する。それは、新しい旅立ち。自分探しの旅。これまでの人生は、反応の人生。ただ外側に反応してきただけ。内なる真実を生きる。内なるものを外に表す。それが、人が生きるということ。自己表現こそが、人生。ただ生き残るのが、人生ではない。人生は、サバイバルゲームではない。生き残るのは、必要条件。しかし、十分条件ではない。生き残り、内側を花開かせてこそ、必要十分条件。それでこそ生きている意味があるというもの。自分自身を花開かせる。それこそが生きるということ。精神的に問題がある人は、根本が間違っている。外主内従。自分の本質を生きていない。自分の真実を生きないで、外に迎合しているだけ。にもかかわらず、社会的不適合。ヘンな話ではある。外側に迎合しすぎると、そのうちに内側を喪失し、その結果、外側にも適応できなくなる。過ぎたるは及ばざるが如し!内主外従。内をメインにしない限り、内も外もなくしてしまう。あくまで内がメイン。外は、後から付いてくるもの。大切なことは、まず内を育てること。社会的適応は、内が育てばどうにでもなる。内が育つ前に社会的適応だけを強調すれば、内が枯れてしまう。親が良い子という枠にはめようとすることは、育つ芽を刈り取るようなもの。いかに内なる芽を育てるか。いかにその子の本質が出るように育てるか。その本質こそが、神の精髄。一人一人のなかに流れる宇宙の真実。人類は、まだ未熟。親も未熟。子も未熟。すべてが未熟。外主内従から内主外従へ。体主霊従から霊主体従へ。物質化から精神化へ。それこそが、アセンション。流れが変わる。方向が転換する。物質化から霊化へ。この世バージョンからスピリチュアルバージョンへ。自分の真実を生きる。自分自身を生きる。それこそが、これからの最大のテーマ。そのために・・・彼女の38年間があった。真実に生きるために。本当の自分を生きるために。目覚めるために・・・苦しみは、目覚めるための揺り籠。困難は、真実に至るための道標(みちしるべ)。自分を見失うことは、真の自分を発見するための前提。古いものは崩壊し、新しいものが立ち上がる。彼女は、もう一度、ゼロからやり直す気になっている。まだ人生の半分が残っている。これからが、本番。これまでは、準備体操。これまでは、真実に生きるための前菜。ちょっと苦い前菜だったが、その分、メインの料理が美味しくなる。ネガティブ思考は、身を守るための単なる癖。もうそのような鎧はいらない。自分を守るための心の壁もいらない。壁が厚すぎて、今のままでは窒息してしまう。そのようなものは全部採り払って、ありのままの自分で生きる。自分を信頼して、ありのままの自分自身を生きる。もうウソの自分はいい。いつまでも良い子ブリッ子してもしかたがない。仮面舞踏会は、終わり。これからは、素顔の自分で生きる。彼女は、人類史そのもの。外主内従の人類史の結果。それは、物主精従と言ってもいい。体主霊従とも言える。いずれにしても物や肉体に重点を置きすぎ。外側に意識が向きすぎ。それを転換することが、アセンション。方向が逆転する。内なるものを育てる。内なるものを花開かせる。内なるものを外に表現する。内にあるごとく外もあるべし。『外側に 意識が向けば 内側が お留守となって 自分喪失』 『外側に 振り回されて 一生が 終わってしまう 気をつけないと』『内にある ものを表す ことこそが 真の人生 生きるということ』『生き残る だけでは人生 不十分 自分の花を 咲かせなければ』これが日記を書き始めて2618日目の心境。
2012.03.03
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朝から雨が降ったり止んだりしていた。ホテルに彼女を迎えに行くと、とても元気そうだった。三泊四日の旅の二日目は、木霊の森へ。北の方へ向かうにつれて、天気は回復。白谷雲水峡の駐車場に着いた時には、ほとんど降っていなかった。しばらくすると、一面霧に覆われた。それから、また雨が降り出した。ゆっくりと木霊の森へ向けて歩き出す。最初の大岩で、瞑想。自分のなかから出てくる思いを見守るように伝える。小雨のなか、一人で座ってもらう。こちらも、少し離れたところで瞑想。瞑想していると、どんどん雨が激しくなった。最後には、土砂降りに。それでも、そのまま瞑想を続ける。30分ぐらいして、立ち上がって歩き始める。しかし、雨はひどくなる一方。ほとんど夕方のように暗くなった。その上、雷まで鳴り出す。あまりにも悪天候なので、このまま進むか、それとも引き返すか彼女に聞く。彼女は、引き返したいと言った。その前に眠いとも言っていた。眠いままで悪天候のなかを歩くのは、危険。引き返すことに。帰り道は、あちこちが泥水で溢れていた。道が川状態。とんでもない大雨。ここまでの雨は、久しぶり。外ではカッパを脱げない状態。やむなく車のなかで脱ぐ。彼女の靴は、びしょ濡れ。ゾウリに履き替えてもらう。駐車場から下がるにつれて、雨は小雨になった。周囲も明るくなった。もしかして里は降っていないのでは?里に着くと、雨は既に止んでいた。ちょうど昼頃だったので、屋久杉自然館のなかの杉の茶屋へ行く。ここは、近所の人が経営している。いろいろ世間話をしながら昼食。娘さんが嫁いでいるインドネシアやシンガポールの話をしてくれた。あちらでも新しいコミュニティの形ができつつあるらしい。みんなの総力を結集した形で、庶民パワーで賑わっているとか。ヨーロッパの経済危機とは関係なく、自立的な経済発展をしているらしい。フィリピンやインドネシアなどで年金暮らしをする日本人も増えているとか。昼食の後は、kimi水晶館へ。たくさんの水晶を見てもらう。もちろん、水晶見物が目的ではない。水晶よりも、もっと大切な話がある。いろいろ話をした後、彼女の生年月日を聞く。生まれた時間も場所もわかっていたので、それで星の配置を見る。太陽と水星と金星と木星が、水瓶座だった。これでは、八割方水瓶座人間。もう一つの注目点は、土星。こちらは、双子座。双子座は、その名の通り二面性がある。良くも悪くも単純ではない。良く言えば、複眼。常に別の見方ができて、一つのことにのめり込まない。物事を冷静に客観的に見られる。しかし・・・悪い面が出ると、本音と建て前が異なる。顔で笑って心で泣いて・・・これこれ!これこそが、まさに彼女。土星は、カルマを表す。つまり、過去世から顔で笑って心で泣いていたということ。二面性があったということ。自分のなかが統合されていなかったということ。本音で生きてこなかった。外面を絶えず気にしていた。周りに迎合して自分を押し殺してきた。自分がどう思われるかばかりを気にして生きてきた。それは、今生だけの問題ではなかった。過去世からの課題だった。だからこそ、その課題をクリアーするための環境設定をして生まれてきた。それが、今の両親。過去世と同じ状況はできた。そこまでは、成功。しかし、そこでストップ。まだ過去世と同じまま。自分に正直に生きれていない。対人恐怖で、自分をありのままに出せない。外面と内面が、まるで異なる。外面は、カワイコぶりっこ・・・でも、実際は心を開いていない。誰も信頼できない。常に緊張している。リラックスできない。彼女は、常に心身共に緊張している。それが常態なので、自分ではそのことを自覚できていない。しかし、こちらから見ると、それが手に取るようにわかる。長年、いろんな人を見てきているので、一目瞭然。このままでは、過去世と同じパターン。この38年間は、過去世とまったく同じ。さて、どうするか。もちろん、このままでいいはずはない。幸いなことに、彼女は水瓶座を多く選択してきている。水瓶座の特徴は、冷静で知的。つまり、今の自分の状態を冷静に理解することができる素地がある。そこまで用意周到に準備されている。そして、今、屋久島に来ることも。屋久島で、自分の状態を理解するサポートをしてもらうことも。すべて準備して生まれてきている。後は、それを最後まで仕上げられるかどうか。自分の状態を冷静に見守る。感情のままに自分を見失わない。できるだけ自分に正直に生きる。外面と内面を統合する。自分のなかに矛盾があると苦しい。内面と外面が違っていると、心身共に混乱する。本音と建て前が違っていたら、素直に自分を表現できない。自分に素直になれないから、自分を信じられない。自分を信じられなければ、他人(ひと)を信じることもできない。他人(ひと)を信じられなければ、他人(ひと)に心を開くこともできない。他人(ひと)に心を開けなければ、孤独で寂しい。彼女は、ずっと寂しかったとのこと。すべてが悪循環。それは、過去世でも度々経験したこと。だからこそ、今生でクリアーしたいと願ったに違いない。だからこそ、似たような状況を設定してきた。ここまでの人生は、予定通り。しかし、過去世からの課題を乗り超えるところでストップ。過去世からの課題は、高い壁。さて、どうするか。先ずは、自分自身の現状を客観的に冷静に理解するしかない。深く理解して、乗り超えていく。他人(ひと)のせいにしているだけでは、まったく理解にはほど遠い。それでは、何も問題は解決しない。絡んだ紐を一つ一つ解いていく。最初のゼロポイントまで戻す。最初からやり直し。ゼロから再スタート。38年間は、準備期間。これからが、本番。これからが、今生に生まれてきた意義を問われる時。この課題を乗り越えられるかどうか・・・乗り超えられれば、今回生まれてきた意味があったということ。もし乗り超えられなければ、また生まれ変わって再挑戦する必要が生じる。選択肢はない。乗り超えるしかない。そのために、わざわざ生まれてきたのだから。過去世からの課題を乗り超え、新しい地平を切り開くために生まれてきた。そのためにいろいろ状況設定をしてきた。多くの縁のある方たちに協力してもらった。ここから。これから。新しい挑戦が始まる。もう一度生まれ変わって生き直す。38歳の再出発。ここまでは、彼女も理解できた様子。彼女は、再出発する気になっている。屋久島の二日間で、確実に意識は変化している。残り二日。さて、どのようになるか。それは、わからない。人生は、わからない。でも、方向性は、はっきりしている。自分に正直に。深い心で生きる。そうでない限り、かならず行き詰まる。深い意識がストレートに表面に出てくることが、最大の幸せ。深い意識と表面意識が矛盾していると、苦しい人生となる。素直。正直。ストレートに本音を吐露できることが、いかに幸せか。その本音の出所が深ければ深いほど、人は幸せに満たされる。それは、魂と一体であり、神と共にあることを意味する。自分の真実であることを意味する。ストレートに魂とつながり、神とつながる。それに優るものはない。その魂の気持ちを、神の気持ちを、地上に表すのが人の役割。人は、魂や神の代理人。地上における神の代理人。それこそが、人の本質。肉体に宿った霊止(ひと)の真実。そのためには、自分に正直に生きるしかない。 『親が子を 抑え込むのは 子に宿る 無限のものに 蓋(ふた)をすること』 『子に宿る 無限の神の 可能性 引き出すことが 親の役割』 『内にある ものを地上に 現実化 するのが人の 真の役割』 『真実は 人とは神の 代理人 地上における 神の働き』 『内側の 深い真実 出すために 自分にウソを ついてはいけない』 『外側に 負けて心を 閉ざす時 真実(まこと)に生きる 道が断たれる』 『圧力に 負けずに深い 真実を 出すことこそが 真の人生』 『真実に 生きるためには 正直に 素直に生きる 自分自身に』 『人はみな 神の地上の 代理人 深い意識で 生きるしかない』 これが日記を書き始めて2617日目の心境。
2012.03.02
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今日は、3月1日。新しいガイドシーズンの始まり。今回で10回目。屋久島に来て10回目の春を迎えようとしている。今日は、朝から激しい雨が降っていた。しかし、お昼頃には止んだ。今日から三泊四日のガイド。11時20分着の飛行機で、無事にお客さんが到着。彼女は、もう10年以上前から知っている人。彼女の家に泊めてもらったこともある。お父さんもお母さんも屋久島に来ている。家族ぐるみの付き合い。もう少し暖かくなってから来るように言っていたのだが・・・彼女は、待ちきれなかった様子。彼女には、対人恐怖とアダルトチルドレンがある。そのため、仕事も人間関係もスムーズにいかない。最初に永田いなか浜へ行く。雨が止み、青空が顔を出す。寒くもない。早春の雰囲気。砂浜を裸足で歩く。時々、波が足下までやって来る。海水も、そんなに冷たくはない。誰もいない砂浜をのんびり歩く。一番奥まで行って、彼女は昼食。こちらは、お昼寝。久しぶりに自然のなかで昼寝する。最高に心地良い。彼女は、親のせいで今のような自分になったと思っている。みんな親が悪い。親の顔を見ると気分が悪くなる。オヤオヤ・・・アダルトチルドレン関係のセミナーに出ると、親を許すように言われたとか。親を許す?ハー、あなたは何様?何とも態度がでかい。親は、許すもの?それとも、感謝するもの?その感謝ができないと嘆いていた。誰にも心が開けないらしい。こちらは、親のこともよく知っている。自分と同じ世代。とても真面目な人。社会的信用もある。しかし、家庭では厳しかったらしい。高校生になるまで、自由にテレビを見ることも漫画を読むこともできなかったとか。確かに、それは厳しすぎるような・・・あまり自由のない幼少期を過ごしたようだ。しかも、それを素直に受け入れてしまう性格。自分を押し殺して親に迎合して生きてきたということ。その無理が祟って、対人恐怖になってしまった。幼少期の心の傷が、大人になっても尾を引いている。今の自分の状態を親のせいにしている限り、救われることはない。一生被害者のまま。それでは、暗く苦しい人生。これまでの延長。これまでの38年間は、とても辛かったとのこと。それが限界になって、待てなくて屋久島へやって来た。希望はある。但し、本人しだい。自分が頼んで親になってもらった。それは、過去世と似たような環境をつくってもらうため。そのなかで過去世から繰り越してきた課題をクリアーするため。親は、約束通り過酷な環境を準備してくれた。それは、親が悪いからではない。親は、頼まれた通りにしただけ。いやいや悪役を引き受けてくれただけ。その親に対して・・・恨むとは、何事か!許す?何を許すというのだろうか。親は、許してもらうようなことをしたのだろうか。しかも、親は既に謝っている。自分たちの子育てを反省している。そのために、いろいろ経費も使っている。今回の屋久島行きの費用も親が出してくれた。親は、感謝こそすれ恨む相手ではない。本末転倒!すべてが、あべこべ。しかし・・・これが、世間一般の認識。専門家も、そのように捉えている。だから、治らない。逆だから。確かに親に問題がないとは言わない。しかし、親はあくまで縁。けっして因ではない。そういう状況を吸収したのは自分自身。似たような環境でも、みんながみんな対人恐怖やアダルトチルドレンになる訳ではない。全員同じということはあり得ない。ネガティブなものを吸収しやすい性格というものがある。それは、親を縁として自分がつくりあげたもの。なぜつくりあげたか?それは、過去世からの課題をクリアーするため。わざわざ似たような状況を創作しただけ。自作自演。ここまでは、計画通り。だから何も問題はない。問題は、ここから。他人(ひと)のせいで終わらせるのか、それとも自分で責任を取るのか。他人(ひと)のせいで終わらせれば、救われる可能性はない。なぜなら、他人(ひと)のせいだから、人が変わらなければどうにもならない。たとえ他人(ひと)が変わったところで、既に対人恐怖やアダルトチルドレンになってしまっているので手遅れと思うだろう。被害者パターンが払拭されない限り、恨みの人生は終わらない。ネガティブパターンをいかに克服するか。それは、単なるパターン。身についた癖。しかし・・・何度も何度も繰り返してきたため、骨身に染みついている。今生だけでなく、過去世においても。だから根深い。だから根強い。だから、すぐにネガティブになりやすい。だから、簡単には変わらない。イージーに生きれば、過去世の繰り返し。それが一番楽ちん。しかし、それでは今回生まれてきた甲斐がない。同じことを何度も繰り返しても意味はない。この辺でクリアーしないと。そのために親にも一役買ってもらったのだから・・・このような話を車の中で彼女にした。彼女は、半信半疑。まだ十分には、理解できない。まだそこまでは付いていけないと言う。あと三日ある。残り三日も、きっとそんな話になるだろう。四日間そんな話を聞き続ければ、それなりに潜在意識に浸透する。真実は、強い。真実は、やがて思い込みを凌駕する。なぜなら、真実は光だから。思い込みは、闇。闇は、光に太刀打ちできない。闇に光が当たれば、闇は消える。本当のことがわかれば、思い込みは解消する。長年の心の癖。思い癖に過ぎない。ネガティブ思考。思考は、指向。指向は、嗜好。単なる好み。いろいろ試してみたかっただけ。ミイラ取りがミイラになってしまっただけ。それが、人類史。物質界を探検して、物質の虜になったのと同じ。過ぎたるは及ばざるが如し!物質にのめり込みすぎ。ネガティブにのめり込みすぎ。それを中道に戻す必要がある。バランスの取れた状態に戻す。それが、今生の課題。それこそが、今生の使命。そのために生まれてきた。そして、そのための準備は整った。過去世と同じような状況をつくりあげた。後は、それを乗り超えるだけ。そのために、わざわざ屋久島まで来た。さて、これからどうなるか。実況中継なので、それはわからない。深く理解してくれれば、こちらも新しい何かが開ける。これが光のガイドとしての最初の仕事。彼女が目覚めれば、後に続く人も出てくるだろう。こちらも、この方向で仕事をしていくことになる。もう自然の案内人は、卒業。人を本来の状態に戻すガイドに変身。屋久島の自然の案内は、他の人でもできる。しかし、人を本来の状態に戻すサポートは、そう簡単にはできない。40年のキャリアがものを言う。いや、過去世も入れれば、数え切れないほどの年月・・・満を持して今生に生まれてきている。この時のために。これから人類に貢献するために。新しい時代の光となるために。もちろん、自分一人が光を独占するつもりはない。多くの光が、この時のために生まれてきている。それぞれが光の仕事をしていく。こちらもその責任を果たす。『悪いのは 他人(ひと)のせいだと 思うのは 自分を守る ためのパターン』『他人(ひと)は縁 因は自分の なかにある 縁を責めずに 因を見つめる』『乗り超える 課題を持って 生まれきて 困難超える それが人生』 『世の中は 本末転倒 すべて逆 この世だけでは 真実見えず』『真実に 気づき問題 超えていく そのサポートが 光のガイド』これが日記を書き始めて2616日目の心境。
2012.03.01
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今日で2月も終わり。2012年も、はや二ヶ月が過ぎた。速い、速い。すごいスピードで時間が過ぎていく。昨年が、どん底。今年は、ゆるやかに上昇している。希望の光が見えてきた。この先は、明るい。昨年は、潜在していた闇が噴出した。現象的にも東日本大震災があった。個々人のなかでも、闇の解放が激しかった。それは、今も続いている。しかし、既にピークは過ぎた。まだ出続けているが、昨年ほどの勢いはない。既に収束に向かっている。この傾向は、続く。一方で、光はいや増すばかり。天から怒濤のように光が降り注いでいる。どんどん地上にピュアーな光が満ちている。意識が、かなり変化している。物質的な意識から、スピリチュアルな意識へ。過去の意識から、未来の意識へ。限定的な意識から、自由な意識へ。心身共に開放されている。意識が物質を支配する。意識が物質を自由にコントロールする。これまでは、意識が物質に呑み込まれていた。意識が物質に翻弄されていた。時代が変わる。時代が逆転する。意識が主体の座を取り戻す。意識が自分の望むように現実をクリエイトしていく。これまでは、生活に追われてきた。生き残るためのサバイバルゲームだった。弱肉強食の競争社会。自分さえよければいい自己中心的社会だった。個は全体から分離し、バラバラに生きてきた。孤独のなかで不安と恐れに支配されていた。身を守ることが最優先課題。動物次元の自己保存の本能がベースだった。自分を守ることも必要。しかし、それが過ぎると、自分を守ることにつながらない。各自が自分のことばかりを考えていると、全体が危機的状況に陥る。全体を守ることは、自分を守るためにも必要。地球規模で物事を考える時代になった。やがて、それは地球規模を超えていく。宇宙的な視野のなかで地球を捉えるようになる。そういう展望のなかで生きることだろうか。個も大切。全体も大切。自分自身が、個であり全体。自分自身が、色であり空。肉体を持ち、魂を持つ。肉体にあり、魂として生きる。物質界にあって、霊的に生きる。物質を有効に活用して、物質と共に現実創造していく。『着実に ピュアーな光 満ちている 霊主体従 意識がすべて』これが日記を書き始めて2614日目の心境。
2012.02.29
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