ラッコの映画生活

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2009.05.03
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LA BOHEME



(つづき)-5-

別れながらミミを忘れることが出来ないロドルフォだが、ある日ムゼッタが瀕死のミミを連れてくる。死を目の前にしたミミはせめても最後はロドルフォと過ごしたかったのだ。

ところで先にオペラの持つ祝祭的な魅力のことに触れた。なんとは言っても歌手(役者)や指揮者、楽団員、そして大道具などのスタッフ、一団となって上演を行うのは観客を楽しませるためだ。そして実際に劇場で観客の前で上演が行なわれる。観客は2千人ぐらいその劇場に集う。こうして観客と演者やスタッフがそれぞれの立場で時間を共有する。そこには祝祭的な意味がある。これが映画と演劇の根本的違いだ。映画は観客抜きに既に完成されており、演者や監督・スタッフはいない。そしてこれが明確に感じられる時間、祝祭を共に生き、その祝祭が終わろうとしていることを感じさせるのがカーテンコールなのである。上演が終わり幕が閉じる。観客が拍手をする中、今しがた終幕で死んだはずのミミ、正確にはミミを演じた歌手を含めて歌手たちや指揮者などが幕の前に現れ観客に挨拶をし、観客は拍手や掛け声・投げ花で演者を称賛し、労を労う。このカーテンコールがオペラには不可欠なのではないかと思う。祝祭を明確に祝祭たらしめる瞬間なのだ。欲を言えばこの瞬間を感じさせる何かが映画の最後に欲しかった。

これで思い出されるのがモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』だ。ドン・ジョヴァンニの存在ゆえに貴族や農民など様々な6人がドン・ジョヴァンニの悪事を協力して暴くという形で関係を持つ。しかし彼が地獄落ちしていなくなったとき、元々無関係だった6人をつなぐものはない。ミュンヘン・オペラでのレンネルトの演出は巧みにも、この最後の場面の前に幕を下ろしてしまい、それぞれが自分の将来を語り別れていく最後を、幕の前で歌わせた。このオペラのメインドラマ自体が、そのドラマのために集まり、ドラマが終われば離散していくという枠に収められているわけで、この構造はオペラ上演に似ている。

とにもかくにも、ドルンヘルム監督によるこの『ラ・ボエーム』、オペラ映画としてはなかなかの佳作かも知れない。







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Last updated  2009.05.03 09:26:43
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