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鳥撮り散歩は、昨日で連続の三度目となった。三脚をきちんと使えば私でもそれなりに遠くの鳥の写真が撮れることにすっかり有頂天になって、鳥撮りにのめり込みそうな自分がいる。しかし、冬が進めば今よりずっと水鳥は増えるし、木々の葉が落ちて林の中の鳥も撮りやすくなる。今よりずっと鳥撮りの機会が増えることになる。 それは問題だ、ということに気がついた。カメラを終活の趣味にすると決めたとき、(ごくごく大袈裟に言えば)私を囲繞する世界のすべてを撮ってみたいということだったはずなのである。鳥だけを撮るプロのカメラマンや趣味人もたくさんいるが、私の望みはそうではないのだ。いずれ、鳥撮りは必ずやるのだから、しばらくは別の被写体を探そうと考えたのである。 どこかの庭園などは、まるで写真用に誂えているかのようなことがあって苦労なく被写体を探せるだろうと考えて、候補に上がったのは輪王寺である。仙台市の共同墓地のすぐそばにある伊達政宗ゆかりの寺で良く見知っているのだが、庭園も含めてじっくりと見たことがなかった。車で数分くらいの近くには、市を上げて「青葉まつり」をやっている当の青葉神社がある。こちらも参道の大鳥居を見かけている程度なので併せていってみることにした。仙台生まれの妻も、私と似たような経験しかないので一緒に行く言い出して、9時半ころに家を出た。 輪王寺の本堂横の駐車場に着いた頃には小雨が降り出していた。珍しいことに駐車場には5台分ほどの駐車スペースの上に一台の観光バスが停まっていた。私たちが本堂の方に歩いていると中国人らしい人たちが三々五々バスの方へ戻ってくるのだった。外国からの観光客が仙台の輪王寺にも来るようになったらしい(もっともこれからは「高市リスク」の一環で中国からの観光客は激減するのかもしれないが………)。 本堂前付近の樹々の紅葉は小雨の中でもやはり美しい。被写体にはまったく困ることなくシャッターを押していると雨が少し強くなった。 しばらく四阿で雨宿りをしてから、庭園を見に行くことした。中央に大きな池があり周遊できるようになっていて、西の高台には三重塔が見える。きちんと整備された日本庭園で、雨の中で一生懸命写真を撮っているカメラマンがいた。彼のカメラの視界に入らないように気をつけて移動していたが、どうも彼も私のカメラを気にしながら移動しているようだった。 輪王寺庭園を一通り撮影し終わって庭園を出るころには雨が上がっているばかりではなく陽もさし始めている。先ほどたくさん写真を撮った本堂前もまるで雰囲気が変わったように輝いて見える。行きつ戻りつしながらシャッターを押して駐車場まで帰った。 青葉神社も長い階段の参道を避けて、細い急坂を本殿近くの駐車場まで上がった。そこで改めて気がついたのだが、神社の多くは本殿を囲む森と参道脇の樹々ばかりという構成になっていて、広い庭はあっても寺院のような庭園になっている例は少ないのではないか。青葉神社も本殿前には広いにはあるが、参道脇の広場という感じである。 妻を本殿近くに残して、参道の階段を下りてあらためて大鳥居を潜り、カメラを構えながら参道を登り返した。階段の上に次第に見えてくる広葉樹の姿にワクワクしながらだいぶシャッターを押した。 結局は、今日のカメラ散歩も昨日のカメラ散歩と同じくらい楽しかった。私のレベルから見れば十分に満足できる写真が何枚も撮れた。 一週間後には別の庭園施設に行ってみようということになった。一緒に行く妻の方が私よりはるかに張り切っているし、日程は妻の都合で決まったののである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.22
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重い超望遠デジカメをきちんと三脚に据えて遠く離れた鳥を撮影すれば、私にとってはかなり満足できる写真を撮ることができる、三日前そういうことをしみじみと味わった。すっかりその気になって、三日前と同じ心構えになって、今日は自宅から下流に向かって広瀬川の右岸を下ることにする。 家から堤防に出ると広瀬川の広い浅瀬に小さな鳥影がいくつか見える。堤防を遠回りして降りて、できるだけ川岸に近づいて三脚を広げてカメラを据えた。三日前には撮った写真をJPEGファイルで保存したが、今日はソフトでいろいろ修正できるようにすべてRAWファイルで記録する設定にした。 小さな鳥の一羽は夢中になって餌を探しているコチドリだった。もう一はセグロセキレイで、こちらはせわしなく動き回っているものの餌を探しているのかどうか見当がつかなかった。 三脚を使うと余裕が出るので、シャッターを押す回数が増えるのだが、見切り時が難しい。まだまだ、シャッターを押した瞬間にいい写真を撮ったという確信が持てるレベルではないのだ。家に帰って、パソコンで拡大して見るまでは何とも言えないのである。 コチドリとセグロセキレイを撮った中ノ瀬緑地の周囲をぐるりと回ってできれば木陰で鳴いている鳥も撮りたいと思ったが、それはまったく叶わなかった。 河川敷から高い崖の上の道に出て広い道路(大橋が架かる道)を一つ越えて青葉山公園前の広瀬川右岸に出た。先日、それぞれ番になったマガモとカルガモがいたところには何もいなくて、少し下流に下ると向こう岸にアオサギ、ダイサギ、コサギの混群が見えた。 草を静かに踏みながら少しずつ川岸に近づいて三脚を広げカメラを据え終わるころには、私の姿に気づいたらしくコサギが飛び立っていた。かろうじてダイサギの最後の一羽が飛び出す姿を捉えた。 一羽だけだったアオサギは居残って何枚か撮ることができたが、残念なことにカメラから目を離した隙に飛び立ってしまった。 向こう岸(左岸)から飛び立ったサギたちは、こちら側(右岸)の下流部に向かったのが見えた。少し川岸から離れて繁茂するススキのこちら側を鳥たちから見えないように川を下った。もうこれ以上下れないという所で河原に出てゆっくりと上流方向に歩いた。やはり右岸にダイサギとコサギ一羽ずついて、周りにカルガモ、マガモなどもいた。沖には十数羽のオナガガモが泳いでいた。 カルガモ、コサギとカルガモ、ダイサギとマガモなどいい構図がたくさんあったのだが、半分身を隠そうとした近くの草木にピント合わせを邪魔されて使えない写真の方が多くなった。こういうあたりが当面の修行のしどころかもしれない。 これ以上下れないので引き上げようと歩き始めたとき、川の上を数羽のダイサギとコサギが上流へ飛んでいき、大橋を越えて右岸側の方に降りたように見えた。そこは青葉山公園に来た道の崖下で、右岸側からそこを撮影することができない。ぐるっと回って大橋を渡り上流左岸側に行ってみることにした。 橋の上から見ると崖下の岸にダイサギとコサギが群れている。つい急ぎ足になる心を抑えながら川岸に降りて撮影を始めた。数人で橋の上を通る人らが何か言っているようだったが、無視してカメラを覗いていた。どっちみち私は聴力が落ちているので聞き取れないのである(実のところちゃんと補聴器を両耳に装着はしていたのだが)。 とても良い時間になった。ときどきコサギが飛んでみせるし、肉眼ではよくわからなかったがサギのまわりにカルガモとカワウがいて、カワウはときどき潜って見せたりした。昨年あたりは白いサギが単独でいるとコサギかダイサギかよく判断できなかったが、目の当たりにした大きさの違いでこれから迷うことはないだろうと思う。 三脚を持って出るだけで、結果は一変すると言いたいところだが、その功は姿を見せてくれた鳥たちにある。せいぜい三脚を使うとじっくりと鳥たちにつき合えるということだろう。 今思い出しても悔しいのは、アオサギが飛び立つ瞬間を捉えられなかったことである。アオサギは留鳥だから一年中チャンスがあるのは救いでもあるのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.11.20
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朝ドラ散歩を少しさぼっていた。天候もあったが、何よりも気分が乗らなかったのだ。30年も前に、朝起きると全く気力がないという時期があった。低血圧だったのだ。それと似ているが、いまやちょっとした高血圧症(かかりつけの医者が140は高血圧症だと言い張っている)で、それは理由にならない。ただの「めんどくさがり」なのだ。 イオの顔を見るのが少しばかり気が引けて辛くなったので、まだ明るんでいない時間に家を出た。長町に着く頃には明るくなるだろうという算段だったが、なかなか明るくならないので、少しばかり遠回りの道をゆっくりと走った。Photo A 旧国道4号(奥州街道)。(2014/12/28 6:35) コインパーキングから大通りに出て、北に歩く。道脇に国道4号のマークと東京から348kmの看板があるが、ここは旧奥州街道の旧国道4号である。この道に平行にJRの東北本線、東北新幹線が走っていて、その東側に新しい国道4号が出来ている。さらにその東には国道4号のバイパスが走っている。Photo B1(左) 長町一丁目の住宅地(1)。(2014/12/28 6:42)Photo B2(右) 長町一丁目の住宅地(2)。(2014/12/28 6:45) 旧国道を北に歩いて最初の信号で道を渡り、すこし引き返してから住宅地の細道に入った。旧国道沿いには大きなマンションが多く建てられていたが、裏道には民家に混じってアパートがたくさんある。 戸建ての民家と思って近づいたら、一階にドアが一つ、二階にもドアが一つという二階建てのアパートだった。一階に何室あるのか分からないがそんなに広くはない。2所帯だけのアパートというのは珍しいのではなかろうか。Photo C1 木流堀沿いの道。(2014/12/28 6:49) 住宅地の中を二度ほど曲って、まっすぐな道を行くと突き当たりは、木流堀沿いのやや広い道である。その道を左折する。 木流堀は、藩政時代初期に作られた堀で、名取川の六郷堰から広瀬川の広瀬橋上流に繫がっている。名取川上流で切り出した木材を広瀬川経由で城下に運ぶという目的だったのだが、一般の農産物の運搬にも使われたという。 7、8年まえに広瀬川が大渇水のとき、この堀を使って名取川の水を広瀬川にある程度の量を流したということがあった。名取川から広瀬川への一方通行だが、そういう役にも立っている堀である。 木流堀沿いを西に進む道の向こうには大年寺山が見える。その高台には東北工業大学の建物、中腹には仙台三桜高校の建物が見える。三桜高はかつて仙台第三女子高校だったのだが、宮城県立高校の男女共学に伴って校名が変わった。Photo C2(左) 木流堀を渡って大年寺方向へ。(2014/12/28 6:56)Photo C3(右) 国道286号をくぐる隧道。(2014/12/28 6:59) 木流堀には住宅に応じて小さな橋がたくさん架けられている。堀沿いの道を西に歩き、橋を渡って大年寺へ向かう道に入る。道は国道286号で行き止まりになるが、脇に国道の下をくぐる歩行者専用のトンネルがある。Photo D1 大年寺の参道と山門。(2014/12/28 7:02)Photo D2(左) 山門の向こうは高い石段。(2014/12/28 7:03)Photo D3(右) 石段を眺めるだけ。(2014/12/28 7:04) トンネルの最後は階段になっていて、国道の歩道に出る。階段を上がったところが大年寺の参道入口である。坂の上に山門が見える。この大年寺は、仙台市野草園やいくつものテレビ塔が建っている大年寺山の名前の由来の寺である。 坂道を山門まで上がると、さらにその奥に石段がずっと続いている。その階段を下りてきて、山門前に止めた自転車の乗って行く勤め人ふうの人がいるかと思えば、ジャージー姿の人が石段を上がって行ったりする。 イオと私は、ずっと続く石段とそれを登って行く人をしばし眺めてから、山門を跡にして坂を下った。あの石段を上がって本堂まで行くなどとはついぞ思いもしなかった。ガンガンと山を登っていた昨年の一匹と一人はもういないのである。Photo E1 秋保通り(国道286号)。(2014/12/28 7:06)Photo E2 秋保通りから見る日の出。(2014/12/28 7:06) 大年寺の参道から286号に戻る。ここで初めてこの道を「秋保通り」と呼ぶことを中央分離帯の看板で知った。国道286号は旧秋保町を通るが、秋保温泉の手前で川崎町に向かい、そこから笹谷峠を越えて(今はトンネルだが)山形市に向かう道である。Photo F 福聚院山門。(2014/12/28 7:09) 秋保通りを南に歩く。右手に福聚院の山門が現われる。山門から覗くと、平屋根の近代的(?)な本堂が見える。福聚院は「奥州仙台七福神」の一つで布袋尊を祀っているという。 そういえば、朝ドラ散歩で荒町を歩いたときに仙台七福神の一つである毘沙門堂を見たことがあった。そのとき、七福神巡りをするのも一興だと思った記憶があるが、今の今まですっかり忘れていた。Photo G1 ふたたび木流堀に沿って。(2014/12/28 7:17)Photo G2 木流堀に沢が合流する地点。(2014/12/28 7:23) 木流堀が国道286号と交差するところからふたたび堀沿いに道に入る。堀と道の両脇は普通の住宅地である。やはりその住宅に応じて小さな橋がたくさん架けられている。 やがて道は堀から離れるが、地図を見ると上流に合流点があるので、それを見に行った。木流堀の左岸から同じような堀が合流しているが、すぐ上流は急激な傾斜になっていて、大年寺山や八木山からの自然の沢が流入しているようだ。撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。 【続く】
2014.12.28
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古川のデモに参加してきた。疲労のことも考えて新幹線にしたが、仙台、古川間の所要時間は12分しかない。車でばかり動いていたので、「12分の遠さ」にちょっと驚いた。 今から40年以上も前、院生だったころ古川市内の私立高校で数学の非常勤講師として1年間通ったことがあった。その2年後、市内の病院で父親が息をひきとった。 そういえば、亡くなる前の長兄も次兄も古川の病院に入院していたことがあった。車が普及しだした頃から、古川市(現大崎市古川)は私の生まれ故郷、栗原郡瀬峰町(現栗原市瀬峰)からとても近くなったのである。 昨年の秋、山形市の「幸せの脱原発ウォーキング」に参加する機会に恵まれてから、近くでやっている脱原発行動に参加してみたいとずっと考えていた。それなのに、東京での集会や抗議行動に何度か参加したものの、近隣のデモには一度も参加できずにいた。 とくに古川のデモは、フェイスブックに投稿された雪の中のデモ写真がとても印象が強くて、紹介されていた「脱原発大崎demo原発はいらない」というブログを読んで、何とか一度だけでもと考えていたのだった。 仙台の「脱原発みやぎ金曜デモ」は、月の最終日曜日に昼デモをする替わりに直前の金曜のデモは休みとなる。月1回だけの出かけるチャンスをうまく掴むことができずにいたのだが、やっと出かけることができた。 Photo A1 古川あさひ中央公園。 (2015/6/26 17:30) 集合場所の「古川あさひ中央公園」を調べることから始めたのだが、私の地図ソフトにはこの公園名は乗っていない。ネットで3年前のデモ告知のtwitterを見つけて何とか確認した。古川駅から1kmほどの距離である。 古川地域の天気予報では夜中までは降り出さないはずだが、今にも降り出しそうな厚い雲が垂れ込めている。駅からの途中でパトカーに追い越され、デモの先導をするらしいそのパトカーが曲った道に入れば、そこがあさひ中央公園である。 公園の南端近くに、4、5人が幟を持って立っている。参加の挨拶をして撮影の許可も頂いた。Photo A2 集会風景。(2015/6/26 17:30)主催者挨拶とフリースピーカー。(2015/6/26 17:31、35) ほぼ定刻に集会が始まった。主催者挨拶は、全国で一斉に行われた電力会社の株主総会のことが話題だった。原発依存の発電を止めるよう求めた株主提案はことごとく拒否されたのである。 仙台の金曜デモ集会でも何度か話題になったが、大株主である自治体への働きかけも今のところ成功していない(大阪市のような例外もあるが)。東北電力の大株主の仙台市も否定的な態度を崩していない。 しかし、電力自由化、発送電分離が実現すればある程度事態が流動化するのではないかという期待もある。まず第1に、競争が激化する電力会社の株主総会がバラバラの日程で行われる可能性があることや、電力会社の経営戦略に変化が起きることなどが、株主提案実現のきっかけになりうるのではないかと思う。 フリースピーチでは、フクシマの現状を見てきた女性が、あらためて原発反対の覚悟し直したと発言され、デモへの決意を表明された。 私も指名されたので、東京や山形でのデモ参加を通じて感じていたことを話した。全国至るところで脱原発、反原発のデモや集会が行われていることを知るだけでも励みになるという話だ。 東京での何千人も集まっている抗議デモに参加している人が、福島事故から5年目で少しずつ減ってきたデモ参加者の数にいくぶん心細い感じがしているとき、仙台や山形でデモがあることを知ると心強いと話されていたのが印象的だったことなどを話した。 仙台も古川もけっして大人数のデモではないが、そのデモが自分たちばかりではなく、全国でデモをしている人の応援にもなっている(はずだ)と私は考えているのである。Photo B アピール行進へ出発。(2015/6/26 17:43) 雨が降りそうなので早めに出発しましょうという声が上がって、アピール行進に移った。公園の南の道路に出て東に進み、左折を4回繰り返して公園に戻ってくるというコースである。Photo C 沿道では手を振って応援する人が。(2015/6/26 17:46) 最初の左折をする交差点の手前では、カフェらしい店構えの前で手を振って応援している人がいる。私の横で声を上げていた人が、あの方は毎回出てきて応援してくれるのだと教えてくれた。ほかに、マンションの6階か7階から応援してくれる人、家族全員が応援に出て来る食堂もあって、その人たちもデモのある日は応援をかかさないのだという。3本の幟旗。(2015/6/26 17:44、45) Photo D1~3 少人数でも大声でアピール。(2015/6/26 17:51) あさひ中央公園の北の道に入り、合同庁舎を過ぎ、イオンの横を行く。イオンの道向かいにマンションがあって、たしかに高い部屋のベランダから手を振って応援している人がいた。マンションと同じ並びの店から二人の子どもが駆けだしてくる。後からご両親らしい二人が歩いて来て、4人揃って手を振っている。 一番町や青葉通りという繁華街を歩く仙台のデモでも応援してくれる人たちがいて心強いのだが、それほど通行人が多いわけでもない道筋でこれだけの人が応援してくれると、仙台のデモの時よりたくさん応援されているような気になる。じっさい、デモが出会った人の数に対する確率から言えば、はるかに多いのである。「再稼働反対」のドラムが響く。(2015/6/26 17:56)Photo E 左折、左折でデモは進む。(2015/6/26 17:59) 集会が始まる前、カメラと写真のことを話題にして立ち話をしたお巡りさんが、デモの横を全力疾走で駆け抜けていく。次の交差点まで先に行って交通整理を始めている。ほんとうに全力疾走なのだ。 デモの列がその交差点を過ぎると、また全力疾走で駐車場からの出入り口まで駆けて行って車がデモと交差しないように注意している。交差点ばかりではなく、店の駐車場の出入り口まで守備範囲に収めているので、たしかに大忙しなのである。そのおかげでデモはとてもスムーズに進むのだった。Photo F 通行人に手を振って。(2015/6/26 17:59)Photo G 最後の左折交差点。(2015/6/26 18:02)Photo H 公園に戻る。(2015/6/26 18:07) 少人数のデモでは、コールに合わせる自分の声がはっきりと自分の声として聞こえる。大勢の声に埋もれ紛れることがないのだ。自分の声は自分の声として実感できる。そのせいか、次第に大声になって喉が痛くなってきた頃にアピール行進は終わった。 雨に降られることもなく。総勢17人のデモはふたたびあさひ中央公園に戻って、そこで三々五々解散となった。 何人かの人は隣のイオンに入って行った。夕食の準備にはとてもいい時間だ。 街歩きMap。A~Hは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
2015.06.26
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