
史実から庶民の声を聞き取ることは難しい。一次史料が少ない。紀伝体は司馬遷の「史記」にはじまり大日本史に繋がる。頼山陽の「日本外史」を目指しているが、初めに「日本政記」から読んでみようと思ったのは、芋掘りの極意でもあるが、これは多分に文学部の先生の影響もある。点ではなく線で読めだし、周辺を知らなければ行間は解からない。真実はどこに価値を置くかでもある。そのひとの求めるものがどこにあるかだ。
・山を登り、階段を上るにもやり方がある。上流社会ばかり見ていては、庶民の声は聴こえない。だからといって無から有を探すことはできない。手間は掛かるが、地道にあるものを読み想像するしかない。それがどこまでできるかだ。近所の香椎宮で仲哀天皇、応仁天皇という字句を何度も見かけたが、それほど関心もなくうち過ごしてきたが、「日本政記」の中にそれが出てきた。
「九年春二月、天皇病み、香椎宮に崩ず、皇后、諸大臣と謀り、秘して喪を発せず、大連をして群臣を率いて行宮を守らしめ、而して武内宿禰をして密かに喪を奉じて豊浦にもがりせしむ。・・・」
文字は庶民のものではなかったから、長い間、無知文盲にされていた。学問の世界を知ったのは明治以後であり、それも一部の者たちの特権のようなものだった。戦後大衆化が進められたが、文字文化は、果して本当に庶民の声を伝えているだろうか?知ろうと思えば知ることのできるという社会は、それだけでも価値がある。然し、それを自分たちのものとするためにはもう一段も二段も上らねばならない。解っているようで解らないでいるのが無知な所以でもあるだろう。