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今日は、可愛がってた奴が就職の内定をもらったってわざわざ日本から連絡があったので、うれしいです。(笑)さて、「かみぽこの研究生活」です。博士論文の口頭試問まで、あと2週間弱になりましたね。(苦笑)なにが(苦笑)なのかよくわからないけど。。。(笑)うひょひょ。。。まあ、口頭試問の準備については指導教官ドン・キーン博士の指示が「寿司を食え!」「あんまり準備をやりすぎるな!」の2つだったもんだから、(涙)なにをしたらいいのかさっぱりわからなかったのだけれどね。とりあえずこの先食べていくためのこととか、学術論文を書いたりだとかいろいろやってたんだけれども、口頭試問(1月26日)まで1ヶ月を切ったのでそろそろ準備に本腰入れなければならない。しかし、本腰入れるとしても繰り返すけれども、なにをやったらいいのかとなると、はっきり指示がないわけで。。。(苦笑)以前書いたけれども、ドンが言う「あんまりやりすぎるな」の真意を僕なりに解釈するとね、「すでに書いたもので勝負する」ということだと思うんだよね。つまり、博士論文というのは5年間もの月日をかけて研究して書いたものだから口頭試問でいろんなことを聞かれるとしても、それに対しては博士論文の中に書かれているものから答えればいいのだということ。言い換えれば、口頭試問で予想される質問に対する答えは新たに本を読んで見つけるのではなく既に博士論文に書かれているはずだということだから、それらを頭の中で整理しておけばいいわけだ。では、どんな質問が予想されるかなんだけれども一応それは図書館に行って、博士論文の口頭試問に関する本を調べてみた。そこには、こんなような質問が書かれていた。1. 博士論文の主張は何か。2. どんな文献を読んだか。3. どのような理論・方法論を用いたか。4. どのような結論となったか。5. なぜこのトピックを選んだのか。6. なぜある理論を採用し、その他の理論を採用しなかったのか。7. なぜある方法論を採用し、その他の方法論を採用しなかったのか。8. この論文の問題点、誤りと思われるところはどこか。9. この論文のオリジナリティ、学問への貢献は何か。10.この論文の含意は何か。11.もしこの論文をやり直すとしたら、どこをやり直すか。などなど。。。(苦笑)こんなようなことに対して答えられるように頭を整理しておけばいいんだよね、たぶん。。。がんばります。(苦笑)それでは、またね。-------------------------------------------「かみぽこの研究生活」バックナンバーはこちら。
2007年01月16日
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2.英語力の要求について(2000年5月ー6月末)昨日HPに書いた古賀議員の学歴詐称の件。わたしが思うに、彼が留学したという10年以上前は、正規留学か聴講生か、卒業してるかどうかはあまり日本では問われなかった時代なのだと思う。だから彼は、ほんとのことを最初に正直に言って訂正すれば、本来それで終わった話だったのだと思う。それを勝手に右往左往して、説明が二転三転するからややこしい話になってしまった。そして、なんと古賀氏は議員歳費を受け取らないから辞職しないと言い出したようだ。いいかげんにしなさいよ。ところで、わたしが書いた推薦状の問題。今はブリティッシュカウンシル自体が留学希望者に「推薦状は自分で原稿を作って、翻訳してもらってから、推薦者にサインをもらうように」指導している。留学辞典等にも、「推薦状の作り方」を説明してある。推薦人になる人も、「こういうのは原稿を作って持ってくるものですよ」と言う人が多い。こういうのはなんとなくあいまいにみんなやっていることかもしれないけど、将来はだめということになるかもしれない。だから、自分がやってきたことを後付けの理屈でなんとか言いくるめようとするのではなく、正直にあの時はこうだったんだと言えばいいのだ。さて、本題。推薦状の件は、大学時代の卒論指導教官F教授が亡くなったことにして乗り切ったのだが、もう1つの入学条件、「英語力の要求」に関しては、これまでさらっと書いてきたのだが、実はわたしは非常に慎重に事を進めていたことを今日は書きたい。何度か書いてるが、うちの学校の英語力の要求はIELTS 6.5。わたしは最初から6.5までは取れないと思い、テストの前から何度も何度も学校に確認を入れていた。まず最初に5月。うちの学校の国際局職員、ジャック=イングルハートと会ったとき、最初の確認をした。「もし、IELTSの得点が要求に満たなかった場合、どうなるのか?」ジャックは一般的な話と断りながらこうわたしに答えた。「IELTSが6.0だった場合、プレセッショナルイングリッシコースに2ヶ月の受講、5.5だった場合1ヶ月の受講で入学許可となる。」これで大学側の基本的な考え方を確認できた。次に6月上旬、政治学部の受け入れ担当、ヘンリー=スミス教授から「大学院事務所に入学許可を出すよう君を推挙した」というレターを受け取ったとき、即座に教授にメールを流した。「学校の国際局からIELTS試験について『IELTSが6.0だった場合、プレセッショナルイングリッシコースに2ヶ月の受講、5.5だった場合1ヶ月の受講で入学許可となる。』と聞いているのですが、この理解でいいか?」英語の要求はどうなのですか?というようなあいまいな聞き方ではなくて、具体的に問い合わせたのだ。ヘンリー=スミス教授の返事はすぐ来た。「その理解でいいです。でも、まずはIELTSの試験ちゃんとできるようにがんばってね。(ちょっと苦笑気味??)」試験前に、もう試験ができないことを前提とした具体的な問い合わせをしたのは、自分のことながらちょっと苦笑せざるをえない。。。そこまで事前に確認を取っておいて、6月中旬、試験が終わって結果が5.5だとわかったらすぐ再びヘンリー=スミス教授にメールを入れた。「IELTS試験、5.5でした。前回の確認の通り、7月最終週から2ヶ月間プレセッショナルイングリッシュコース受講するため、渡英準備を始めますがよろしいでしょうか。」すぐ返事が来た。「すごい失望しているよ。。。(再び苦笑系)でも、渡英準備をしてください。大学院事務所にすぐ新しい条件付入学許可書を出すように手配しておくよ。」2-3日もしないうちに、大学院事務所から入学許可書がブリティッシュカウンシルにFAXされてきて、1週間後には正式に郵送されてきた。それにはこう書いてあった。「プレセッショナルイングリッシュコース2ヶ月受講後、試験を受けてパスすれば入学許可」学校の対応が早かったおかげで、IELTS終了後、英国渡航まで1ヶ月くらいしか時間がなくなたのだが、スムースに準備をすることができた。この学校のすばやい対応を引き出したのは、わたしがうちの学校に入学する前提で学部側に早め早めに自分の状況を率直に話して、学部側の見解を確認していたからだろうと思う。ちょっと厚かましかったと思うけどね。。。。-------------------------------------------------------「英国留学回想録」バックナンバーはこちら。
2004年01月26日
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松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。長い間お休みしましたが、そろそろ復活させたいと思います。ということで、「長い夜」(苦笑)それでは、いつものように曲の世界から。--------------------------------------------------------------恋にゆれる 心ひとつお前だけを 追いかけているよおいでここへ 僕のそばにもえるような 口づけをあげる長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人恋にゆれる 心ひとつお前だけを 抱きしめていたいだから僕の 胸のときめききこえたなら 飛び込んでおいで長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う星降る夜に 誘われてとまどう 二人長い夜を 飛び越えてみたいお前だけに この愛を誓う重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人(JASRAC許諾第J080315365号)-----------------------------------------------------------うん。。。この曲の中でのな、があ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いい♪、よ~~~るうを~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪というのは、男の人が女の人と「長い夜」にうひょひょ。。。という意味だよね。(苦笑)でも、私にとってのな、があ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いい♪、よ~~~るうを~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪ってのは、授業の準備に追われ研究発表の締め切りに追われ連載の締め切りに追われ、論文の締め切りに追われて不眠不休の「長い夜」のことかな。。。はは、はははは。とほほほ。。。こんなシリーズ再開で申し訳ない。。。(苦笑)うひょひょ。。。それでは、またね。シングル 1981年3月21日発売アルバム「起承転結II」収録 1981年11月27日発売アルバム「旅立ち」収録 1986年10月25日発売アルバム「風景」収録 1996年4月20日発売。アルバム「季節の旅人」収録 2001年3月31日発売。アルバム「再生」収録 2006年5月31日発売。-------------------------------------------「松山千春」バックナンバーはこちら。
2008年12月09日
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松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。「君を忘れない」この曲に対しては、とても複雑な思いがある。どう書こうか悩んだのだが。。。まずはこの話から。昨年12月31日、NHK「紅白歌合戦」。実家に帰っていた私は家族と観ていたのだが、中島みゆきが「地上の星」を歌い終わったとき、となりに座っていた母が「この歌、どこがいいの?わたしらにはわからん。。。」ニューミュージックなど興味がなく、中島みゆきを初めて聴いた、普通の田舎のおばちゃん(もうおばあさん?)である、母の率直な感想だった。私も同感だった。この紅白出演を機に、「地上の星」はあれよあれよとヒットチャートの1位になり、また先日、100位以内に入る週、148週で日本記録を樹立した。。。。。でもね。この曲、そんなにいい曲だとは思わないんだよね。「プロジェクトX」という番組が人気だったというだけではないか。そういうと中島みゆきをけなしているように聞こえるだろうがそうじゃない。中島みゆきといえば、「地上の星」なんかより、もっとすごい曲がゴロゴロしてるだろうが、みゆきはこんなもんじゃねえ、と思うのである。話は私が中学生頃になるが、私の中学校では、だいたいみんなみゆきかオフコースが好きだった。松山千春はどちらかといえば私よりひと世代上に人気があって、私らの世代ではそれほどでもなかった。私は生来の反骨精神もあって、「みゆき?暗い暗い!オフコース、なんじゃあの軟弱な声は!!」とか言って嫌っていた。でもね、やっぱあの当時のみゆきはすごかったよ。特に「うらみます」ぎええええええ~~~~~~って感じの声でうらみいまああああ~~~~すうううう~~~~~♪で、始まるこの歌、もう真夏に聴いても寒気がするくらいの大迫力だった。暗かった。恐怖を感じた。憎悪した。こんな女とだけは付き合うまいと思った。でも、ほんとにすごかった。。。。それを思い出すと、私は、大晦日の母の「これのどこがいいの?」というみゆきに対する感想が、残念でならない。だから、かつての私の宿敵であり、戦友でもあった「みゆきファン」のために声を大にして言いたい。「地上の星」など、中島みゆきの代表曲でもなんでもありません。あんなのは彼女のなかでは普通の曲です。もし、この曲を聴いて、中島みゆきっていいなと思った人がいるなら、ぜひ彼女の他のCDも買って聴いてあげてください。m(__)mで、本題「君を忘れない」である。大ヒットドラマ、「みにくいアヒルの子」主題歌。曲自身も大ヒット。いい曲だと思う。スローなスタートからラストにかけて盛り上げていく楽曲としての完成度の高さ。メッセージのすばらしさ。私は、この曲のヒットで「ああ、まだやってんだ」と松山千春を再認識。それがきっかけとなって、英国に来てから本格的にまた聴くようになった。また、さんざんカラオケで歌った。カラオケに行くと、一曲目はだいたい「恋」か「長い夜」を軽く歌うのだが、そうするとだいたい女性陣から「千春歌えるんですね。あれ歌ってください。『みにくいアヒルの子』好きなんです!」はいはい。で、リクエストに答えて歌うことになる。会社時代、何度これ歌ったことか。。。。。私にとっておいしい曲でもあった。これ、簡単なようで歌うの難しい。普通、最後の盛り上がりの部分、相当な歌唱力と声量がないと歌いきれないのだ。私は堂々と歌いきれるので、「すごーい。上手いですねえ」と女性陣にほめられいい気分になれた。はっはっはっはっ。。。。(^o^)vでもね、確かにこれはいい曲だし、多くの人がこの曲が好きだと言ってくれるのはうれしい。そうなのだけれど、ちまたで、特に昔を知らない若い人が「君を忘れない」を松山千春の代表曲だと思っていることは、ちょっとだけ複雑なのである。この曲、松山千春の曲のなかでは、平均レベルの曲なのだと思うのだ。松山千春には、もっといい曲ゴロゴロあるぞ。「君を忘れない」で松山千春はいい曲を歌うと思ってくれた人、ぜひ別の曲も聴いてやってください。m(__)m。。。。とは言いながらもね、この曲のさびの部分、 君から教えられました 自分自身を愛することを 生きたいです 人を愛したいです 命のある限り私は会社を辞めてこっちに来て、まだ自分に失望していた頃、この詩にずいぶんと励まされました。「君を忘れない」よ、ありがとう。シングル 1996年4月20日発売アルバム「起承転結VII」収録 1997年3月20日発売アルバム「季節の旅人」収録 2001年3月31日発売
2003年05月19日
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こんな記事を見つけてしまった。。。(苦笑)『財政再建団体へと移行する北海道夕張市を、歌手の松山千春(51)が16日、初めて訪れた。北海道足寄町出身の千春にとって、同市の財政破綻は他人事ではない様子で、同市に100万円を寄付したほか、商店街に繰り出し、電化製品、CDなどをまとめ買いするなど大散財。さらに市の老人ホームにアポなし訪問し、購入した品物の一部を寄付した。春には同市で無料コンサートも開く予定で、活気のない夕張に元気を注入していく。 千春はこの日午後2時ごろ、夕張市本町にある市役所を訪れ、後藤健二市長と対面。開口一番「何かしたい、でも何をしたらいいかわからない。(北海道出身のアーティストは)みんなそう思っているはず」と切り出した。 その上で、「まず、夕張市民のために無料コンサートを開きたい。年配の方にも来てもらえるようなものにしたい」と話し、4月から始まる全国ツアー前の3月に同市でライブを行うことを約束した。後藤市長は「ぜひ、千春さんに元気をもらいたい」と快諾。2人は固い握手を交わし、千春は「これは一時金のようなもの」と、ポンと100万円を寄付した。 だが、ここで終わらないのが千春。「住民の皆さんにもっと直接、何かしたい。商店街に行って100万円使いたい」と言い出し、その足で市役所周辺やJR石勝(せきしょう)線の夕張駅周辺など商店街の5、6店舗を訪問。テレビ、除湿器などの電化製品に始まり、ふとん、CD、スポーツ用品などを次から次に買いまくった。夕張市の住民に直接元気を与えるのが目的。購入した商品は千春が毎年暮れに慰問で訪れる札幌市内の児童養護施設「柏葉荘」に寄付する予定だったが、夕張の老人ホーム「汽笛が聞こえる」にもアポなしで足を運び、ウーロン茶などを寄付した。 夕張市は、全盛期に約11万2000人いた人口が、今では約1万3000人弱と激減している。千春も実際に町を見て回り、「開いている店が少なくて、金を使うのも大変だった」と、改めて同市の窮状を実感した様子。「財政破綻はここだけの問題ではない。国の問題だし、夕張がどう立て直していくかは、今後のモデルケースにもなるはず」。今後も夕張再生に尽力する決意を口にした。』(サンケイスポーツ)あははは、爆笑した。。。さすがですね。まあ、100万円の大散財というのは賛否両論あるかもしれないけど、奇麗事や能書き抜きで金持っている人が苦しんでる人に対してどーんと金を使うというような「直接行動」(苦笑)というのは、ある意味大事なことじゃないかとは思うね。僕の田舎にも、寂れた商店街の店を親から継いだ昔の友達というのが何人もいるんだけれども、もうほんと「客がこない。売れない。」ってのが、シンプルで切実な問題なんだよね。そうは言ってもお父さんがやってた店をそう簡単に投げ出せないし、投げ出したところでなにをやって食べていくかというとそんな簡単に別の食べていく手段なんて見つからない。「格差の解消」「再チャレンジ」とか、政治家が言うような奇麗事や能書きですむことじゃないんだよね。だから、千春さんの直接行動はもちろん夕張市の深刻な問題を解決するもんじゃないけれども、「店に入ってくれる。品物をたくさん買ってくれる。」これ、小さな商店をやってる人には単純にしてなによりも一番うれしいことだったと思うよ。うちの学校にも「発展途上国の開発」とか「弱者の救済」とか「福祉」とかいろんなことを言う若者がいるわけなんだけれども、遠い地球の果てで困っている人がどうのという能書きや奇麗事ではなくて目の前にいる困っている人たちに対して喜ぶことをどーんとやるっていう直接行動の大切さってのを知ってもらいたいと思うんだよね。ということで、紹介させていただきました。(苦笑)それでは、またね。-------------------------------------------「松山千春」バックナンバーはこちら。
2007年01月17日
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松山千春氏の楽曲を全く音楽理論的根拠のない、私の勝手な解釈により紹介することで、人生と恋愛を考える(?)このコーナー。今日はこの曲。「笑っていたい」まずはいつものように、曲の世界から。-------------------------------------------------------どんなに哀しい時も どんなに苦しいときも貴方の愛に包まれて 私は歩いた言葉に出来ないほどの 言葉にならないほどの貴方の愛に包まれて 私は歩いた頑張りたい ほんの少しは 貴方の愛にこたえたくてでも 途中で 力尽きたら 情けない奴だね笑ってほしいよ いつも 笑っていたいよ いつもはるかに 険しい道も はるかに いばらの道も貴方の愛に包まれて 私は歩いた約束する 夢をかなえる 貴方と生きた証としてでも 途中で 力尽きたら 情けない奴だね笑ってほしいよ いつも 笑っていたいよ いつも笑ってほしいよ いつも 笑っていたいよ いつも(JASRAC許諾第J070214365号)-------------------------------------------------------この曲は、前に紹介したさよならが収録されているアルバム「笑っていたい」のタイトル曲だ。つまり、千春さんのお姉さんが癌で亡くなられたときに作られた曲である。この曲のポイントは、「でも 途中で 力尽きたら 情けない奴だね」このフレーズに尽きる。このフレーズの前までは、「愛する人に支えられて私は力強く生きている」という、きれいなだけのラブ・バラードのように聴こえるのだが、このフレーズ1つでそれが一変する。きれいなラブストーリーのように聴こえた話は、実は一生懸命、一生懸命がんばってきたけど、途中で挫折してしまったという話なのだとここで初めてわかる。しかも、それまでがあまりにも健気な、あまりにも一生懸命な、あまりにも幸せそうな話だけに、「でも 途中で 力尽きたら 情けない奴だね」という、挫折感の大きさが際立つ。しかし、挫折したこの曲の主人公は最後にこう言うのだ。「笑ってほしいよ いつも 笑っていたいよ いつも」この主人公は、何が言いたかったのだろうか。私はこう思う。「笑ってほしいよ いつも」これは主人公が、周りの人に対して思うこと。「確かに私は挫折しました。でも、私のこれまでの人生はすばらしいものだったし、これからも最後まですばらしい人生を生きていく。どうか私を『かわいそうな人』と思わないでください。わたしの人生は誇らしいものです。これからも、わたしのすばらしい人生の歩みをにっこり笑いながら、見ていてほしい。」「笑っていたいよ いつも」これは主人公が、自分自身に対して思うこと。「周りの人にだけでなく、自分自身もこれまでの人生を誇らしく思い、これからもすばらしい人生をいつもにっこり笑いながら誇らしく生きたい。」松山千春氏がこの曲を作ったとき、こういう気持ちだったのではないかと思う。「姉さんは病気になってしまったけれど、決して不幸な人生だったのではない。たとえ短くても、すばらしい人生を生きたのだ。そして、姉さんもそう思っているはずだ。」私の知っている人にも、難病と闘っている方がいる。私がこの方に申し上げたいのは、貴方は病気になってしまったけど、決して自分を不幸だと思わないでください。貴方は決して不幸ではない。かわいそうではない。貴方のこれまでの人生はすばらしいものだし、これからの人生も同じようにすばらしいものだ。力強く、誇らしく、病気と闘ってください。そして、この方を支えるご家族や周囲の方々に。どうかこの方を不幸な人だと、かわいそうな人だと思わないでください。この方のこれまでの人生を、そしてこれからの人生をすばらしく誇らしいものなのだと思って、支えてあげてください。アルバム「笑っていたい」収録 1998年10月1日発売-------------------------------------------「松山千春」バックナンバーはこちら。
2004年06月23日
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