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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2009.03.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 司馬遼太郎さんは1923年大阪府大阪市生まれで、1996年に惜しまれながら亡くなりました。

 本名、福田 定一で、産経新聞社在職中、”梟の城”で直木賞を受賞しました。

 以後、司馬史観と呼ばれる独自の歴史観に基づいて数多くの作品を執筆し、歴史小説に新風を送りました。

 ”司馬遼太郎が考えたこと1”(2005年1月 新潮社刊 司馬 遼太郎著)を読みました。

 エッセイに限らず司馬遼太郎を何でも集め、小説の連載予告、連載終了の挨拶、他作家の作品への書評などなど、福田定一名義のものから始まっている興味深い本です。

 この本は全15巻の1巻目です。

 第1巻は、新聞記者時代から、”梟の城”で直木賞を受賞する前後までの作品で、食や大阪、神戸についてのエッセイや、戦争中の極限的経験を綴った89篇を収録しています。

 最初は小説家司馬遼太郎ではなく新聞記者福田定一が書いた文章で、昭和36年1月3日の”長髄彦”以降はすべて司馬遼太郎となっています。

 昭和36年4月1日の”負荷の重さ”は、直木賞を受賞したときのことばを綴った短文です。


 1940年に旧制大阪高校、翌年には旧制弘前高校を受験しましたが不合格で大阪外国語学校蒙古語科に進んだときの話や、1945年に戦地からの復員後生野区にあった新世界新聞社に入社し、翌年新日本新聞京都本社に転社し、30歳を過ぎたら小説を書こうと考えたころのことも書かれています。

 1948年に会社が倒産し、産経新聞社に入社し京都支局に配属されました。

 翌年大阪本社に異動になり、その後文化部長、出版局次長を勤めました。

 最初は”請願寺の狸ばやし”で、ほかに、”それでも、死はやってくる””妖怪と鬼面””石楠花妖話””「百人展」雑感””「風景」という造型””影なき男””モダン・町の絵師中村真論””この本を読んで下さる方へ””あるサラリーマン記者”ほかとなっています。

「実力はあっても、その社の秩序のよき部品となりえない記者は、無用の長物という時代なのだ。・・・スジメ卑しき野武士あがりの悲しさ、どうも無意味な叛骨がもたげてくる。そいつを抑えるのに苦しみ、苦しんだあげく、宮仕えとは、サラリーマンとは一体何であろうかと考えることが多くなった」(”あるサラリーマン記者”より)。







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Last updated  2009.03.17 19:49:17
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