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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2010.12.29
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 源信は平安時代中期の天台宗の僧で、浄土真宗では七高僧の第六祖、源信和尚とされ、源信大師と尊称されています。

 源信の教学を恵心流と言い、覚超・良暹・明豪等の優れた門下生を有していました。

 源信の浄土信仰の影響は法然・親鸞にも受け継がれています。

 親鸞は龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然を七高僧としています。

 ”人物叢書 源信”(1983年12月 吉川弘文館刊 速水 たすく著)を読みました。

 源信の生涯を詳細に紹介しています。

 速水たすくさんは1922年生まれ、1959年北海道大学卒業、1964年同大学院で学び、東海大学教授を務めました。

 源信は、942年に大和国北葛城郡当麻に生まれ、幼名は千菊丸、父は卜部正親、母は清原氏でした。

 伝えによれば、7歳で父と死別、その遺命により出家し、9歳のとき比叡山に登り慈慧大師良源に師事して止観業、遮那業を学び、13歳のとき得度受戒したといいます。



 横川恵心院にあって修行と著述に従事したので、横川僧都、恵心僧都とも称されました。

 978年に『因明論疏四相違略註釈』を著し、学僧として出発しました。

 984年に良源が病におかされ、これを機に『往生要集』の撰述に入り、985年に主著『往生要集』を著しました。

 この年に良源は示寂しました。

 多くの経典のほかに、インド、中国、日本の諸師の論疏を引用して、人間は穢土を厭離し極楽に往生することにより初めて仏陀の悟りに分け入ることができると述べ、往生の業は念仏をもって本となすと説きました。

 986年に『二十五三昧式』を著し、これが念仏三昧を勤修する三昧会の結衆の指針となりました。

 990年から995まで、霊山院を造営し、華台院に丈六弥陀三尊を安置し、迎講を始めました。

 1004年に藤原道長が帰依し権少僧都となりましたが、翌年にわずか1年で権少僧都の位を辞退しました。

 1005年に大乗仏教概論ともいうべき『大乗対倶舎抄』を完成させ、1006年に一切衆生の成仏を説く『一乗要決』をまとめました。

 1007年に撰述した『観心略要集』は、理観の念仏を強調した書として往生要集と並び称されています。

 1014年に『阿弥陀経略記』を著し、生涯を学問と修行に終始して、1017年に76歳で示寂しました。








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Last updated  2010.12.29 08:47:23
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