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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2011.10.18
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 多様なインドに、なぜ人間の一生を見据えたゴーダマーブッダによる思想・哲学が生まれたのでしょうか。

 坐る、称える、瞑想することで身体性を強めることによって大衆を救済する宗教となった仏教は、老病死に向き合う高齢者にどう応えられるのでしょうか。

 生きることに虚しさをおぼえる人々にどう語りかけることができるのでしょうか。

 ”仏教の身体感覚 ”(2010年5月 筑摩書房刊 久保田 展弘著)を読みました。

 仏教の論理的な問題として語れない仏教信仰の世界を身体感覚という観点から考えています。

 久保田展弘さんは、1941年生まれ、早稲田大学卒業、アジア宗教・文化研究所代表で、神教世界を多岐にわたるテーマから追究し独自の宗教研究を展開しています。

 著者自身、60歳を機に老病死が間違いなく自分の人生そのものとして実感されるようになり、仏教のもつ意味があらためて自分の問題として迫ってきたといいます。

 でも、仏教が、高齢社会の只中にあって老病死に向き合う人間の何になるというのでしょうか。

 そもそも手がかりは、20歳を間近にした年の春にはじめた座禅の実践にあったということです。



 仏教をいかに身体感覚によってわかるようになるのでしょうか。

 きのう、きょう、明日への思いに、仏教がどう響き合うのでしょうか。

 ブッダは、人間存在、あらゆる生命の在りようそれ自体の限界を認識した上で、そこに生まれる無限におよぶいのちの関係、つながりを慈しみということばとともに説きました。

 仏教は、呪術性と身体性を強めることによって、人々を救済する宗教となりました。

 宗教は信仰の世界の話であり、論理の積み重ねだけで語ることはできません。

 この10年、いまほど仏教が身近に、自分の問題と思えるときはありません。

 それはいま世界が直面し、その渦中にある問題とも決して無縁ではないからです。

 いま、誰もがいのちの危機にさらされ、情報社会といわれるなかで、人間関係は恐ろしく稀薄になっています。

 ここで、互いが常ならぬいのちであること、縁を説いてきた仏教があらためて問われなくてはならないのではないでしょうか。

はじめに 日本という宗教風土と仏教
第1章 ブッダとダルマ―仏教を実感するとき

第3章 仏教の変容と救済―インドから中国・日本へ
第4章 法華経―現世に向き合うとき
第5章 浄土教と日本人の霊魂観
第6章 華厳経の現代―その世界観・生命観
終章 いのちという身体感覚






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Last updated  2011.10.18 19:14:23
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