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藤原伊周=これちか、隆家は平安期の公卿の兄弟で、父道隆に引き立てられましたが、伊周は父死後叔父道長と対立しました。
そして、花山上皇と闘乱した等の罪で大宰権帥に左遷され、隆家は兄に連座して左遷されましたが後に復帰しました。
”藤原伊周・隆家”(2017年2月 ミネルヴァ書房刊 倉本 一宏著)を読みました。
栄華を誇る藤原道長の陰で生きた中関白家の栄光と没落、そしてその後を描いています。
隆家は、満州民族を主体にした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に筑前に侵攻した1019年の刀伊の入寇事件で海賊を撃退しました。
倉本一宏さんは1958年三重県津市生まれ、1983年東京大学文学部国史学専修課程卒業、1989年同大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位修得退学。
1997年博士(文学、東京大学)で、現在、国際日本文化研究センター教授を務めています。
中関白家は藤原北家の中の平安時代中期の関白・藤原道隆を祖とする一族の呼称です。
道隆は摂政関白太政大臣・藤原兼家の長男で、花山天皇退位事件で父の意を受けて宮中で活動し、甥にあたる一条天皇の即位後は急速に昇進しました。
妻・高階貴子は女房三十六歌仙に数えられる歌人です。
花山天皇は第65代天皇で、冷泉天皇の第1皇子、母は藤原懐子、円融天皇の譲位をうけ984年に17歳で即位しました。
しかし、右大臣藤原兼家・道兼父子にはかられ、986年に在位1年余で退位し元慶寺=花山寺で出家しました。
道隆は990年に父の後を継いで摂関に就任し、自己の系統を摂関家の嫡流にすべく尽力しました。
関白道隆が全盛期を迎え、個人的能力に秀でた嫡男の伊周は異数の昇進を続け、994年に道長など3人の大納言を超越して内大臣に任ぜられました。
次の世代の政権担当予定者としての地歩を固めつつありました。
その弟の隆家は参議、庶長子の道頼は権大納言に任ぜられ、娘の定子は一条天皇の中宮、同じく原子は東宮居貞親王=後の三条天皇の妃となりました。
定子の女官には、”枕草子”の作者清少納言がいました。
しかし、彼らの春は永くは続きませんでした。
995年に道隆と道頼が急死し、中関白家は政権交代のレールを敷き終わらないまま、その中心を失ってしまったのです。
その運命の変転の前には、残された者は、あるいはまったく無力に立ちつくし、あるいは空しい足掻きを行って、没落を早めるのみでした。
中関白家は、あたかも彗星のごとく光り輝き、そして消え失せていきました。
その後叔父である道長との権力闘争に敗れた伊周が、花山院闘乱事件などによって大宰権帥に左遷され、隆家もこれに加担したとして連座しました。
996年頃、伊周が通っていた故太政大臣藤原為光の娘三の君と同じ屋敷に住む四の君に花山法皇が通いだしました。
花山院闘乱事件は、伊周が自分の相手の三の君に通っているのだと誤解し、弟の隆家が従者の武士を連れて法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜いたとされる事件です。
花山法皇は出家の身での女通いが露見する体裁の悪さと恐怖のあまり口をつぐんで閉じこもっていましたが、この事件の噂が広がり隆家は4月に出雲権守に左遷されました。
また伊周は、勅命によるもの以外は禁止されている呪術である大元帥法をひそかに行ったとして、大宰権帥に左遷されました。
どちらも実質的な配流であり、姉弟であった一条天皇・中宮定子の落飾という事態をも招きました。
その後、定子は道長の娘である彰子に追いやられるように病没し、遺された敦康親王も皇位に就くことなく病死したため、外戚になることもありませんでした。
伊周の子である道雅も問題行動が多く不遇のまま没し、隆家の家系のみが続きましたが、大臣以上を輩出することはありませんでした。
中関白家の人々は、単純に言うならば、父の道隆が戯の人、母の貴子が才の人とすると、伊周が才の人、隆家が戯の人、定子は両方を受け継いだと言えるでしょう。
それに清少納言の影響もあり、笑いに包まれた一家でした。
嫡男の伊周は家柄がよくて容貌がよく、学問があって、女性にもてて、自己主張が強く、若くして親の引きで出世しました。
隆家の方は豪毅にして竹を割ったような性格、また権力者に対しても物怖じしない態度、すぐに暴力に訴える行動様式がありました。
にもかかわらず、誰からも好か札る立ち位置と、伊周とはまことに対照的な人物像が浮かび上がります。
また、結構長寿を得ることができ、多くの子女を儲け、子孫はそれなりに繁栄するなど、伊周とは好対照でした。
たとえ不遇な境地にあっても、与えられた立場をしっかり守り、その立場の中で最善を尽くす。
そして自らの誇りと矜持は守るといった生き方は、千年を経た今でも強く心を打ちます。
第一章 道隆政権誕生まで 兼家雌伏の時代/摂政兼家の誕生と道隆の昇進
第二章 中関白家の栄華 摂政道隆/「中関白道隆」と『枕草子』の世界
第三章 「内覧」伊周 中関白家最後の栄華/伊周の内覧宣旨と道隆の死
第四章 道長政権の成立と長徳の変 道長政権の成立/長徳の変/伊周・隆家の召還
第五章 道長政権下での復権 敦康親王の誕生と定子の死/道長政権下での復権/道長家栄華の「初花」
第六章 呪詛事件と伊周の死 道長・彰子・敦成呪詛事件/伊周の死
第七章 道長の栄華と「刀伊の入寇」 「この世をば」と敦康親王の死/「刀伊の入寇」と隆家/隆家の死
おわりに――中関白家の末裔