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老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、多くの反権威主義的な業績を残した中国春秋時代における哲学者で、道家・道教の始祖としての知られています。
”現代語訳 老子”(2018年8月 筑摩書房刊 保立 道久著)を読みました。
人の生死を確かな目で見つめ、宇宙と神話の悠遠な世界を語り世のために、恐れずに直言する老子の内容を整理し明快に解きほぐしています。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられ、道教のほとんどの宗派で老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持っています。
書物『老子』を書いたとされますがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり生きた時代について激しい議論が行われています。
保立道久さんは1948年東京生まれ、国際基督教大学卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1976年に東京大学史料編纂所助手、同助教授、同教授、2005年から所長をつとめました。
歴史資料の電子化・データベース化に早くから取り組み、成果は東京大学史料編纂所で古文書フルテキストデータベースとして公開されています。
これまで、老子は中国の春秋時代、孔子(前552~479)とほぼ同時代の人物とされてきました。
司馬遷の『史記』には、老子が孔子に礼を教えたとか、老子が中国の衰えたのを見限って西の関所を出るとき、関守の尹喜に頼まれて、一気に5000字の『老子』を書き下ろしたなどとあります。
しかし、最近では、『史記』の記載のほとんどが伝説にすぎないとされています。
また学界では、そもそも老子は、「道家」と呼ばれる系列の思想家たちが作り出した虚構の人物であるという意見も多いです。
そうでないとしても、書籍としての『老子』には多数の人々の手が入っているという意見が圧倒的です。
しかし著者は、『老子』を虚心に読んでいると、それが全休として緊密にまとまった思想的な統一性、一体性をもっていることを、誰しも感じるのではないかといいます。
『荘子』は長い時間をかけて集団的に書き継がれたものですが、『老子』はやはり一人の人物が執筆したと考える方がよいといいます。
『老子』の成立は、中国の南、揚子江流域の「楚国」に深い関係があることは一般に認められています。
1993年に、中国湖北省荊門市の郭店という町の古墓から、竹簡本の「楚簡」と呼ばれる『老子』が出土したためです。
「楚簡老子」と呼ばれるこの竹簡本は、郭店の古墓に埋葬されていた王族または貴族の所持品で、そのために墓に納められたものです。
この竹簡本は甲・乙・丙の三本が出土し、甲本は39枚、乙本は18枚、丙本は14枚の竹簡からなっています。
甲・乙・丙三本あわせても総字数は2046字ほどで、これは現在の完本『老子』の5分の2ほどに過ぎません。
それでも、ここに『老子』の基本部分が発見されたことは画期的なことでした。
この墓は中国の考古学者の見解では、紀元前300年から270年頃の造営とされます。
しかし、墓の造営が少し遅れる可能性があり、この墓の造営を紀元前255年とし、埋葬された人物が50歳で死去したという見解もあります。
その20年前くらいから順次に竹簡を人手したと仮定すれば、この竹簡は紀元前275年頃に作成されたことになります。
もし楚簡の本になる原稿を書いた紀元前280年に老子が40歳であったとすると、老子の生まれたのは紀元前320年頃ということになります。
長寿であったとされることから、たとえば90歳まで生きたとすると、その死没は紀元前230年になります。
この年代観を取ると、老子の活動期は、孟子(前372?~289?)の生存時代の最後に重なります。
『老子』の中には明らかに孟子に対する批判を意図した文章がありますので、うまく話が合います。
なお、全体で約5000字からなるという現在の『老子』の形が確認できるのは、もっと遅れます。
それは、1973年に湖南省長沙市の馬王堆の墳墓から発見された『老子』です。
「楚簡老子」は哲学や人生訓を中心としたやや素撲な内容であるのに対して、帛書に反映した加筆された『老子』は政治と社会についての洞察や華麗な比喩が付け加えられて複雑な構成となっています。
孔子のいう「礼」と老子のいう「徳」には、趣旨として相似するところがあります。
老子の段階においては、国家的・文明的な知識体系がすでに形成されており、それを批判するなかから東洋における初めての本格的な哲学が立ち上がってきたのです。
序 老子と『老子』について/老子は実在したか?/『老子』は老子の書いたものか?/『老子』の初稿は紀元前280年頃?/『老子』の生存年代は紀元前320年頃から230年頃?/老子と孔子、『老子』と『論語』
第1部 「運・鈍・根」で生きる
第1課 じょうぶな頭とかしこい体になるために/1講 象に乗って悠々と道を行く/2講 作為と拘りは破綻をまねく/3講 勉強では人間は成長しない/4講 大木に成長する毛先はどの芽に注意を注ぐ/5講 自分にこだわる人の姿を「道」から見る/6講 丈夫な頭とかしこい身体/7講 自分を知る「明」と「運・鈍・根」の人生訓/コラム①「明」の定義
第2課 「善」と「信」の哲学/8講 無為をなし、不言の教えを行う/コラム② 不言の教の定義/9講 上善は水の若し/コラム③ 「善」の定義/10講 「信・善・知」の哲学/11講 「善・不善≒信・不信」を虚心に受けとめる/12講 民の利と孝慈のために聖智・仁義を絶する/コラム④ 「孝慈」の定義/13講 「言葉の知」は「文明の病」
第3課 女と男が身体を知り、身体を守る/14講 女と男で身体の「信」をつないでいく/15講 女が男を知り、男が女を守り、子供が生まれる/コラム⑤ 易・陰陽道・神仙思想と日本の天皇/16講 家族への愛を守り、壊れ物としての人間を守る/17講 赤ん坊の「徳」は男女の精の和から生ずる/18講 母親は生んだ子を私せず、見返りを求めない/19講 男がよく打ち建て、女がよく抱く、これが世界の根本/20講 柔らかい水のようなものが世界を動かしている
第4課老年と人生の諦観/21講 力あるあまり死の影の地に迷う/22講 私を知るものは希だが、それは運命だ/23講 老子、内気で柔らかな性格を語る/24講 学問などやめて、故郷で懐かしい乳母と過ごしていたい/25講 人には器量の限度がある、無事に身を退くのが第一だ/26講 老子の処世は「狡い」か
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学
第1課 宇宙の生成と「道」/27講 混沌が星雲のように周行して天地が生まれる/28講 私は和光同塵の宇宙に天帝よりも前からいた/29講 私の内面にある和光同塵の世界/30講 知とは五感を超えるものを見る力である/31講 道は左右に揺れて変化し、万物はそれにつれて生まれる/32講 天の網は大きくて目が粗いが、人間の決断をみている/33講 老子はギリシャのソフィスト、ゼノンにあたるか?
第2課女神と鬼神の神話、その行方/34講 星々を産む宇宙の女神の衆妙の門/35講 谷の神の女陰は天地の根源である/36講 世に「道」があれば鬼神も人を傷つけない/37講 天下は壷の形をした神器である。慎重に扱わねばならない/コラム⑥ 「物」の定義/38講 胸に陽を抱き、背/に陰を負い、声をあわせて生きる/39講 一なる矛盾を胸に抱いて進め
第3課 「士」の衿持と道と徳の哲学/コラム⑦ 「徳」の定義/コラム⑧ 老子の「徳」と孔子の「礼」/40講 希くの声をしるべにして道を行く/コラム⑨ 「聖人」の定義/41講 士の「徳」は「道」を実践すること/42講 実践の指針、無為・無事・無味の「徳」/43講 「仁・義・礼」などと声高にいうのは愚の骨頂だ/44講 玄徳は女の徳との合一を理想とする/45講 契約の信は求めるが、書類を突きつけて人を責めることはしない/46講 戸を出でずして世界を知ることが夢
第4課 「士」と民衆、その周辺/47講 士たる者は故郷の山河を守る/48講 人々の代表への信任は個人に対するものではない/49講 士は民衆に押れ押れしく近づくものではない/50講 士と百姓の間には激しい風が吹く/51講 民の前に出るときはあくまで控えめに/52講 器「善」と「不善」をめぐる老子と親鸞/53講 赦しの思想における老子とイエス・キリスト
第3部 王と平和と世直しと
第1課 王権を補佐する/54講 我から祖となれ、王となれ/55講 無為の人こそ王にふさわしい/856講 正道を進んで、無為・無事・無欲に天下を取る/57講 王の地位は落ちていた石にすぎない/258講 知はどうでもいい。民衆は腹を満たし、骨を強くすればよい/59講 知をもって国を治めるものは国賊だ/60講 政治の本道は寛容と保守にある
第2課 「世直し」の思想/61講 王権の根拠と土地均分の思想/コラム⑩ 老子の土地均分思想と分田論/62講 王が私欲をあらわにした場合は「さようなら」/63講 「無用の用」の経済学/コラム⑪ 「器」の定義/64講 有り余りて有るを、取りで以て天に奉ぜん/65講 倫理に欠陥のある人々が倫理を説教する/66講 朝廷は着飾った盗人で一杯で、田は荒れ、倉庫は空っぽ/67講 民衆が餓えるのは税を貪るもののせいだ
第3課 平和主義と「やむを得ざる」戦争/68講 固くこわばったものは死の影の下にある/69講 戦争の惨禍の原因は架空の欲望を作り出すことにある/70講 士大夫の職分は武ではない/71講 軍隊は不吉な職というほかなど/72講 老子の権謀術数/73講 自衛戦争はゲリラ戦法でいく/74講 首切り役に「死の世界」をゆだねない
第4課 帝国と連邦制の理想/75講 理想の王はすべてに耐えぬかねばならない/76講 理想の王は雑巾役として国の垢にまみれる/77講 万乗の主でありながら世界を軽がるしく扱う/78講 肥大した都市文明は人を狂わせる/79講 平和で柔軟な外交で王を補佐する/80講 大国と小国の連邦においては大国が遜らねばならない/81講 小国寡民。人はそんなに多くの人と群れなくてもよい