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発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・でこぼこと、その人が過ごす環境や周囲の人とのかかわりのミスマッチから、社会生活に困難が発生する障害のことです。
アスペルガー症候群は発達障害のひとつで、発生率は約4,000人に1人程度であるといわれます。
対人関係の障害、コミュニケーションの障害、パターン化した興味や活動の3つの特徴を持ち、言葉の発達の遅れや知的発達の遅れがない場合を指しています。
”15歳のコーヒー屋さん-発達障害のぼくができることから ぼくにしかでないことへ”(2017年12月 KADOKAWA刊 岩野 響著)を読みました。
10歳で発達障害のひとつのアスペルガー症候群と診断され中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学しない道を選んだ15歳のコーヒー焙煎士の来し方と行く末を紹介しています。
厚生労働省はアスペルガー症候群を、広い意味での自閉症のひとつのタイプであると定義しています。
アスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラムについては、これまでのところ確実に断定できる原因はありませんが、先天的な脳の機能異常により引き起こされていると考えられています。
岩野 響さんは2002年生まれ、10歳でアスペルガー症候群と診断され、中学生で学校に行けなくなり、あえて高校に進学しない道を選びました。
料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求しています。
そして2017年4月に、群馬県桐生市の自宅敷地内に「HORIZON LABO」をオープンしました。
幼い頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行っています。
コーヒーに興味を待ったのは、じつはカレー作りがきっかけだといいます。
学校に行かなくなった中学1年の冬、ずっと家にいて家事をやりはじめ、夕飯を作るのがおもな仕事でした。
八百屋や魚屋に買い物に行き、鯖の味噌煮や肉じゃがなどを作っていましたが、ある日突然、スパイスからカレーを作りたいと思い立ちました。
どうせだったらスパイスから作りたい、せっかく作るのなら、おいしいものがいいという単純な気持ちだったそうです。
そこで、スパイスの本を探してきて読みあさり、それぞれの特徴を覚え、世界中のカレーの歴史や製法なども勉強しました。
カレーがどうしてコーヒーにはまるきっかけになったかといいますと、カレーの隠し味にインスタントコーヒーを入れてみたら、おいしいことに気づいたからです。
さらに豆から挽いたコーヒーを入れるともっとおいしくなることがわかつて、どんどんのめりこんでいきました。
スパイスカレー作りにはまっていた頃、両親のお店にやってくるお客さんにカレーを振る舞うと、おいしいと食べてくれました。
でも、だんだんカレーよりもコーヒーのほうに夢中になっていきました。
その頃、両親の仕事関係の人から、コーヒーが好きなら焼くところからやらなきやダメ、と手回しの小さなコーヒー焙煎器を譲ってもらいました。
焙煎をしてみたら、味の変化がすごくおもしろくて、もっとやりたいと意欲がわき、これが人生の転機になったそうです。
両親の仕事関係者や友人知人たちは、心配してくれ、この豆を飲んでみてと持ってきてくれたり、この店のコーヒーがおいしいと教えてくれたり、コーヒーを職業にしている人を紹介してくれたりしました。
そして、地元のコーヒー屋から誘っていただき、スマートロースターという、大型焙煎機を触らせてもらえることになりました。
そんな中で出会えたのが、2013年に閉店した伝説の喫茶店、東京・南青山にあった”大坊珈琲店”の大坊勝次さんでした。
大坊さんとの話しの中で、コーヒーの焼き加減のポイントはすごく近く、また深くて甘いコーヒーというコーヒーの好みが似ていました。
その後は、大坊さんに飲んでほしいと思えるコーヒーが焼けたときに、豆を送らせてもらっています。
味覚や嗅覚には点数がつけられないし、正解というものがありませんので、いいと思うコーヒーがお客さんにもおいしいと思ってもらえるのか、じつは心配でした。
でも、大坊さんとコーヒーの話ができて、味の話題について共感してもらえたことで、目指すコーヒーのイメージはこれでいいと自信になりました。
この頃両親は、仕事場に連れていってくれて、いろいろな人に会わせてくれました。
そこで、たくさんの仕事やお金の稼ぎ方があることを知りました。
それまで仕事はどこかの企業に勤めるものと思い、中学を卒業したら高校に行って、次は大学に行って就職をすると考えていました。
障害があろうがなんだろうが、生きていかないといけません。
では、どうやって生きていけばいいのでしょうか、どんな方法で稼ぐのでしょうか、働くとはどういうことなのでしょうか、どんな方法があるのでしょうか。
この頃に出会った大人の人たちに、いわゆる一般的な会社勤めをしなくても、もっと自由に稼ぐ方法があると教えてもらいました。
自分はだんだん、「これでいいんだ」「このままでもいいんだ」「ぼく、いけるかも」という気持ちになることができたそうです。
家族で行ったフランス旅行で、道端のおしゃれなコーヒースタンドを見かけ、いいな、ああいうお店を持ちたいなと思いました。
そこでは、ひとりで、ビンテージのカップやコーヒー器具を使ってコーヒーを販売していました。
決して高価なものを並べているわけではありませんでしたが、その人のセンスとアイデアを感じられる素敵なコーヒースタンドでした。
そこから、自分ひとりでできる方法がないか、と考えはじめました。
ある日、自宅の空いている倉庫を、パパと一緒に改装してお店にできないかな、と両親に伝えました。
母はできそうだと喜んでくれ、父も自分の家でしかも自分たちで改装すれば、資金もほぼかからないしいいアイデアだねと賛成してくれました。
はじめに
第1章 幼少期のぼく
ぼくはアスペルガー症候群/小さい頃の記憶は、じつはあいまいです/小学校3年生で教室にいられなくなる/はじめて先生やみんなに認められた!
□「発達障害」を知らなかった私たち 母・岩野久美子
幼少期の響は、とにかく寝ない赤ちやんでした/シャンプーや洗剤のボトル集めに夢中/同世代の男の子と興味、関心が全然違う/「もしかして耳が聞こえていないの?」と聴力検査を受ける/保育士さんに相談できなかった理由/小学校3年で発達障害の診断を受ける/よい先生との出会いで気づいたこと/「育てる」より「サポート」でいい/お互いがよくなるために「家族会議」を開く
□男親として考えたこと 父・岩野開人
違和感はあるものの、確信が持てない/弟の方ができることが多い!?と気づく/学校がつまらなそうだった響/障害を知り、たきまち将来が不安になる/障害者を取り囲む「社会の現実」に直面
第2章 大きな壁にぷつかった中学時代
なにがなんでも校則を守ろうとしていた/体を鍛えるためにバドミントン部へ/教室にも、部活にも、ぼくの居場所がない/はじめて自分が発達障害であると知る/学校に行けなくなった
□中学校は波乱の幕開け 母・岩野久美子
「家庭の問題は家庭で解決してください」/提出物という落とし穴/「もう学校に行かなくていいよ」の一言を言ってあげられない/「何でも障害のせいにしないで!」との叱責/できることに目を向けたら、可能性が広がった/傷ついた心をプラマイゼロの状態に戻す
□不器用なのが響のよさ 父・岩野開人
響には「なんとかしてあげたいな」と思わせる才能がある/一般的なルートに乗らなくてもいい!
第3章 働くごとで新しい世界が広がる
これからの生き方を模索する日々/家事をしたり、父の仕事を手伝ったり/ぼくがコーヒーに目覚めたきっかけ/小さな手回しの焙煎器が人生を変えるきっかけに/コーヒー界のレジェンドとの出会い/もっと自由に稼ぐ方法はある/コーヒー屋さんをオープンしてみたい/回転準備と販売計画
□できることと、できないことを理解する大切さ 母・岩野久美子
「100円でも稼げないと生きていけないよ」/高校進学の道を検討してみたものの/15歳の4月にどうしてもオープンさせたかった/家族全員で障害をポジティブにとらえていく
口響を知ることで、ぼく自身が成長できる 父・岩野開人
そばにいたいから「仕事」を生み出す/わが子と一緒に働くことの楽しさ/毎日が新入社員/焙煎士が適職だと確信した理由
第4章 ぼくの仕事はコーヒー焙煎士です
2017年4月、「HORIZON LABO」をオープンーン!/コーヒー屋さんの1日/何度やっても飽きることがない、コーヒー焙煎の魅力/味のイメージを膨らませるために/人見知りのぼくもコーヒーのことなら饒舌に/過敏な味覚と嗅覚が焙煎の役に立つ/じつは小学校低学年のときから、隠れてコーヒーを飲んでいました/焙煎を通じて自信を取り戻す/「HORIZON LABO」はまだまだ進化していく/自分の障害を受け入れた瞬間/誰にでも、自分の生きやすい場所はある/自分の好きなことを仕事にしているから障害がない
□響は、そのままでいい 母・岩野久美子
家族という小さな社会を回していく
□小さな焙煎器から始まった、大きな世界 父・岩野間人
一歩踏み出せば、人とのつながりができる/ものの考え方や見方ひとつで、人生は変わる
解説 数々の選択が、よい結果につながっている 星野仁彦(心療内科医・医学博士)
おわりに I
ぼくができるごとから、ぼくにしかできないごとへ/できるごと探しを積み重ねていったその先に