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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2019.07.27
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 アフリカは大きく変わりつつあります。


 貧困と飢餓の大陸といった20世紀のアフリカ観からは、今世紀中葉のアフリカの姿を想像できません。


 ”物語 ナイジェリアの歴史 「アフリカの巨人の実像」”(2019年5月 中央公論新社刊 島田 周平著)を読みました。


 世界におけるアフリカの位置を見直す歴史的転換点にあって、イギリスの統治などを経て人口・経済ともにアフリカ最大の国となったナイジェリアの歴史をたどっています。


 国際通貨基金が2015年に発表した数値によりますと、2001年からの10年間と2011年からの5年間の国内総生産の国別伸び率で、世界上位10力国の半数以上をアフリカ諸国が占めています。


 アフリカはサハラ砂漠南縁を境に、北のアラブ主義と南のネグロ主義に分けられます。


 この両者にまたがる唯一の国がナイジェリアであり、ナイジェリアはビアフラ戦争を経験しボコ・ハラムを抱えています。


 島田周平さんは、1948年富山県生まれ、1971年東北大学理学部地理学科卒業、理学博士です。

 アジア経済研究所、東北大学理学部助教授、立教大学文学部教授、東北大学教授、京都大学教授等を経て、名古屋外国語大学世界共生学部教授を務めています。


 日本地理学会賞優秀賞、大同生命地域研究奨励賞を受賞しています。


 ナイジェリア連邦共和国、通称ナイジェリアは、西アフリカに位置する連邦制共和国で、イギリス連邦に加盟しています。


 ナイジェリアという名は、同国を流れるニジェール川から採られています。


 ナイジェリアという名前は、19世紀後半に英国のジャーナリストであるフローラ・ショーによって使い始められたともいわれます。


 およそ1億9000万人の人口はアフリカ最大で、世界でも第7位に位置しており、若年人口は世界でも非常に多いです。


 多民族国家で500を超えるエスニック・グループを擁し、そのうち3大エスニック・グループがハウサ人、イボ人、ヨルバ人です。


 エスニック・グループが用いる言語は500を超え、文化の違いも多岐にわたり、それにより互いに区別されます。


 ナイジェリア連邦共和国の公用語は英語であり、宗教はおおまかに南部のキリスト教と北部のイスラム教に二分されますが、少数はナイジェリア土着の宗教を信奉しています。


 西のベナン、北のニジェール、北東のチャド、東のカメルーンとそれぞれ国境を接し、南はギニア湾に面し大西洋に通じます。


 ナイジェリアの地には、過去数千年間に多数の王国や部族国家が存在してきました。


 現在のナイジェリア連邦共和国の源流は、19世紀以来の英国による植民地支配と、1914年の南部ナイジェリア保護領と北部ナイジェリア保護領の合併にもとめられます。


 英国は行政システムと法制度を設置した上で、伝統的な首長制を通じた間接統治を行いました。


 ナイジェリアは1960年に正式に独立し、1967年から1970年にかけて内戦に陥りました。


 以来、選挙に基づく民主政権と軍事独裁政権が交互に続きましたが、1999年に安定した民主政権が成立しました。


 2011年の大統領選挙は、同国で初めて比較的自由かつ公平に行われた選挙です。


 ナイジェリアは人口と経済規模からアフリカの巨人と称されることが多く、2014年には南アフリカを抜きアフリカ最大の経済大国となりました。


 2015年時点で、ナイジェリアの経済規模は世界第20位となっています。


 しかし、2002年以降、ナイジェリア北東部で、世俗の統治機構を廃しシャリーア法の設立を目指すイスラム教の過激派組織ボコ・ハラムによる暴力に見舞われています。


 度重なる攻撃により1万2000人が死亡し、8000人が身体に障害を負ったといいます。


 アフリカはすでに、低所得者層を対象とした持続的なBOPビジネスの対象となっていますが、早晩一般のビジネスにとっても有望な市場になると考えられています。


 アフリカの中で最も注目される国の一つがナイジェリアで、人口規模か大きく経済成長の潜在性も高い国です。


 圧倒的な人口と経済力を背景に、ナイジェリアはアフリカの中で大きな存在感を示し、とりわけ西アフリカ域内では政治と経済の両面で大きな役割を果たしてきました。


 西アフリカ諸国経済共同体の中心的メンバーで、西アフリカ諸国経済共同体監視団活動では、常に最大資金拠出と軍隊派遣を行ってきました。


 また、アフリカ連合においても一定の影響力をもっていますが、日本でのナイジェリア認知度高くありません。


 ピラミッドやナイル川で有名なエジプト、チョコレートと野口英世で知られるガーナ、自然動物公園で有名なケニアやマダガスカル、資源豊富な南アフリカなどに遠く及びません。


 ナイジェリアは日本では、知られざる大国なのです。


 国際的にも認知度や評価か低い原因はナイジェリア自身にもあります。


 独立以来のビアフラ内戦、長期の軍事政権、繰り返されるクーデターというように、負のイメージで捉えられる政治か長く続いてきました。


 とりわけ1980年代にその悪名を世界に轟かせた汚職や不正の横行、1990年代の軍事政権による恐怖政治などは、ナイジェリアの国際的信用を著しく損なってきました。


 その結果、アフリカ諸国からでさえ、経済力はあるか政治的に不安定で信頼のおけない国で、人権意識か低く非民主的な国だという評価がなされてきました。


 1999年に軍政が終わり民主政権が誕生しましたが、民政か実現すると同時に北部でボコ・ハラムが誘拐事件を起こしました。


 南部のニジェール川河口域では、武装集団による地域紛争が激化しはじめ、治安の悪い不安定な国という印象を拭い去ることはできませんでした。


 しかし、大きな転換点を迎えているアフリカにあって、残念ながらナイジェリアがアフリカ型発展の模範国に挙げられることはありません。


 教育水準は高いですが、政府の統治能力は高いとは言えず、汚職も多く、伝統的統治システムは残存しています。


 ただし、最大の大国ナイジェリアを今のまま知られざる国としておいて良いはずはありません。


 この国のありようが、今世紀中葉のアフリカの姿に大きな影響を与えることは間違いありません。


 21世紀のアフリカの発展を考えるとき、ナイジェリアは目を離せない枢要な国です。


 重い課題を背負った大国ナイジェリアは、効率を追求する小国とは違う独自のイジェリア型発展の途を模索するしか方法はないのではないでしょうか。


 そのためには、地域の歴史を丹念にたどりつつ、それらを束ねて共通の歴史へと絢っていく地道で不断の努力が必要でしょう。


第1章 ナイジェリア誕生以前:サハラ交易/第2章 大西洋貿易/第3章 奴隷貿易の禁止/第4章 探検と宣教/第5章 アフリカ分割から特許会社支配まで/第6章 イギリスによるナイジェリア植民地支配/第7章 反植民地運動のはじまり/第8章 独立からビアフラ内戦へ/第9章 軍事政権と第二次共和制時代/第10章 民政移管とボコ・ハラム問題








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Last updated  2019.07.27 05:58:04
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