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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2021.05.15
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 ”立花宗茂 戦国「最強」の武将”(2021年1月 中央公論新社刊 加来 耕三著)を読みました。

 立花の3千は他家の1万にも匹敵すると言われたほど精強な軍団を率い、各地の戦いで目覚ましい武功を立て、日本無双と言われた立花宗茂の生涯を紹介しています。

 関ヶ原の戦い後に一度は浪人の身になりましたが、徳川家に取り立てられると、大阪夏の陣などで活躍し、再び大名としての地位を与えられ、ついに旧領復帰を果たしました。

 関ヶ原の戦いで改易された大名で、旧領に大名として復帰できたのは宗茂ただ一人です、

 加来耕三さんは1958年大阪市生まれ、1981年に奈良大学文学部史学科を卒業後、学究生活に入り同大学文学部研究員として2年間勤務しました。

 1983年より執筆活動を始め、歴史的に正しく評価されていない人物、組織の復権をテーマにしています。

 古流剣術のタイ捨流免許皆伝。合気道四段で、川崎家(本名:川崎 耕一)は東軍流宗家であったといいます。

 現在は著作活動のほか、テレビ・ラジオ番組への出演や、番組の時代考証、企画・監修・構成に携わっています。

 立花宗茂は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名で、1567年に豊後・国東郡筧、現、大分県豊後高田市に大友氏の重臣・吉弘鎮理、のちの高橋紹運の長男として生まれました。

 幼名は千熊丸と言いましたが、後に彌七郎と改められました。

 1568年に高橋鑑種が討伐されて絶えた高橋氏の名跡を、翌年、父・鎮理が継いだため、高橋氏の跡取りとして育てられ、元服後は高橋統虎と名乗りました。

 1581年7月に石坂という地で戦闘があり、実父・高橋紹運の手勢の一部を率いて、友軍の立花道雪とともに出陣しました。

 秋月氏と筑紫氏らとの第二次太宰府観世音寺の戦いで初陣を飾り、敵将の堀江備前を討ち取って戦功を立てました。

 同年8月、男児の無かった大友氏の重臣・戸次鑑連が、宗茂を養嗣子として迎えたいと希望してきました。

 道雪と紹運は共に大友氏の庶流にあたり、同僚でした。

 紹運は宗茂の優秀な器量と、高橋氏の嫡男であるという理由から、最初は拒絶しようとしましたが、道雪が何度も請うてきたために拒絶できず、宗茂を道雪の養子として出しました。

 このとき、宗茂は実質的に立花家の家督を継いでいた道雪の娘・誾千代=ぎんちよと結婚して婿養子となり、名も戸次統虎=べっきむねとらと改め、誾千代に代わって道雪から家督を譲られました。

 同年11月に養父道雪・実父紹運と共に、嘉麻・穂波の地に出陣しました。

 立花・高橋の軍勢は朽網鑑康=くたみあきやすの救援に向かう途中で、鑑康が秋月種実や問註所鑑景との原鶴の戦いで戦闘した後に、無事撤退との情報を知り撤退しましたが、その最中に秋月軍の追撃を受けました。

 両方の激戦は立花高橋300余、秋月760の合わせて1,000を超える死傷者をだし、当地には千人塚の名が残されました。

 1582年4月に、秋月氏・原田氏・宗像氏の連合軍2,000との岩戸の戦いで、宗茂は500の伏兵を率いて戦いました。

 岩門庄久辺野に砦を築いていた原田氏の将・笠興長隊300人を駆逐し、150人を討ち取って、西の早良郡まで追撃し、原田親秀の早良城を焼き落城させる功を挙げました。

 同年11月、立花山城で御旗・御名字の祝いを行い、名字を戸次から立花に改めました。

 同年12月の宗像領侵攻にも、道雪に従って出陣しました。

 1583年3月の吉原口防戦にて吉原貞安を討ち取って、宗像氏貞の居城許斐山=このみやま城と杉連並の龍徳城を落城させ降伏させました。

 1584年8月に、立花道雪・高橋紹運は大友氏の筑後奪回戦に参陣し、宗茂は道雪出陣後、1,000程の兵力とともに立花山城の留守を預かる事となりました。

 この時、秋月種実率いる8,000の兵が攻め寄せて来ましたが、これを撃破し更に西の早良郡の曲淵房助や副島放牛が拠る飯盛城など龍造寺氏の城砦を襲撃しました。

 立花・高橋軍は龍造寺・島津勢を破って筑後国の大半を奪回しましたが、1585年に道雪が病死すると事態は急変し、筑後における大友軍の将兵は一気に厭戦気分が高まりました。

 1586年に、島津忠長・伊集院忠棟が5万を号する島津軍を率いて筑前国に侵攻し、実父の高橋紹運は岩屋城にて徹底抗戦の末に討ち死にしました。

 このとき宗茂も立花山城で徹底抗戦し、島津本陣への奇襲に成功しましたが、島津軍は紹運との戦いですでに消耗していたため撤退しました。

 このとき宗茂は、友軍を待たずに島津軍を追撃して数百の首級をあげ、火計で高鳥居城を攻略、岩屋・宝満の2城を奪還する武功を挙げました。

 その時、大友宗麟から豊臣秀吉へ、義を専ら一に忠誠無二の者であるとして、ご家人となしたまわりますよう要請されたといいます。

 その後も秀吉の九州平定で活躍し、西部戦線の先鋒として4月初から肥後国の竹迫城、宇土城などを攻め落としました。

 さらに南下して島津忠辰の出水城を攻め落として川内に島津忠長を撃退し、秀吉に代わって伊集院氏、祁答院氏、入来院氏から人質をとり、大口城に新納忠元を包囲しました。

 戦後、秀吉はその功を認めて筑後国柳川13万2000石を与え、大友氏から独立した直臣大名に取り立てました。

 このとき秀吉は宗茂を、その忠義も武勇も九州随一であるとして高く評価したといいます。

 室町時代の中葉、11年におよんだ応仁の乱に始まり、150年近くを経て、大坂の陣が終息した元和偃武までの期間、活躍した大名や豪族を戦国武将と呼びならわしてきました。

 群雄割拠の戦国時代に最も合戦に強かった武将と言えば、毛利元就、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗といった武将の名があかって来るかと思います。

 では、生涯、不敗の武将と問えばどうでしょうか、筆者は立花宗茂を推すといいます。

 宗茂は、独眼龍の伊達政宗や人気の高い真田幸村と同じ生年1567年でした。

 東北地方を代表した政宗や戦国最後の戦である大坂の陣で活躍した幸村と異なって、宗茂は活躍の年齢が比較的若く、場所も綺羅星の如く群雄が割拠した九州が主戦場でした。

 また、奇跡的な大勝利をおさめたのが目下、一般にタブー視されがちな出兵=文禄・慶長の役であったため、その力量を正当に評価されていない嫌がありました。

 しかし、その将才・軍才は群を抜いていて、島津氏の大軍を支えた戦いでは、群がり攻め来る島津5万余騎の猛攻を、宗茂は4000余人を率いて龍城戦を行い、みごと守り抜きました。

 また、朝鮮出兵の最中、反撃に転じた李如松率いる明国43000、李氏朝鮮10万余の連合軍に対して、宗茂がわずか3000余の寡兵をもって大勝をあげました。

 これは日本戦史上、空前絶後の奇跡的大勝利でした。

 さらに、西軍の主将・石田三成が東軍の総大将・徳川家康に挑んだ関ヶ原の戦いにおいて、宗茂は自らが担当した近江の大津城攻めにおいて、みごと降参、開城させていました。

 生涯不敗伝説の中でも、とくに以上の3つは日本史を通観しても重大でした。

 宗茂の凄味は、関ヶ原で友軍が大敗してもまったく動揺しなかったところにありました。

 大坂城に入城すれば、最終的に勝利を得られると信じていたのだといいます。

 ところが、大坂城内の毛利輝元は、事前に家康と連絡を取り合い、そもそも戦う意志がありませんでしたった。

 宗茂は失望し、それでも粛々と手勢2500を率いて柳河に戻り、黒田如水や加藤清正の説得に応じて開城におよびました。

 筆者はこのおりの宗茂の心境は、いまの新型コロナウイルス感染症の流行、世界的規模の感染爆発の中で、日常生活を突然、奪われた現代人と同じではなかったかといいます。

 しかし、いつまでも立ち止まっていては、過去に取り残されてしまいます。

 宗茂はもう駄目だと茫然自失することなく、己れの宿命に立ち向かいました。

 そして、なんと、宗茂は20年の歳月をかけて、柳河に大名として復帰を果たしています。

 関ヶ原敗戦のおりが34歳。柳河再封が決まったのは54歳のときでした。

 このような奇跡はほかに例がなく、なぜ、宗茂は返り咲けたのか、この奇跡の軌道を、宗茂の人間力に求め、解明するのも本書の目的の一つだといいます。

序章 九州三国志/第1章 二人の父と共に/第2章 立花山での籠城/第3章 日本無双ー宗茂と豊臣政権/終章 二十年後の返り咲きの真相

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Last updated  2021.05.15 08:25:51
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