全244件 (244件中 1-50件目)

私は若い頃、生活のために、商店の包装紙のデザインや 宣伝文を作る仕事をやっておりました。 家にいたのでは仕事はきませんから あちこち注文取りに歩きました。 ある商店に行ったときのことです。 店主が自分の店の包装紙を私に見せて 「これよりもいいものを作る自信がありますか?」 と聞くんです。 私は即答しました。 「自信は少しもありませんが、うぬぼれだけはいっぱいあります」 すると店主は 「ほう、あんたはおもしろい、頼もう!」 ということになりました。 大事なところでうそはいわない。 それが仏法だと思ったからです。 仏法とは、あたりまえの教えだからです。 道元禅師はそのことを眼横鼻直(眼はヨコ、鼻はタテ) ということばでいっております。 -------------------- この解説は確か「眼横鼻直」の解説と同じだなぁ と、打ちながら思いました・・・ やっぱり正直に生きるのが一番ですね ありのままの自分で素直に生きていきたいと 改めて思います 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日をお過ごしください ---------- ベランダで咲いてくれているチューリップ 撮ってみました
2008年05月02日
コメント(8)

何か失敗をして人に迷惑をかけたら、まず理屈抜きで 「申し訳ありません。私の責任です。」 と謝る。 釈明や弁解はその後。 幼い頃から父相田みつをに何百回と言われたことです。 でも、私の場合ミスをすると、いまだに、とっさに口から 出てくるのは下手な言い訳です。 -------------------- 自分が悪かったと気づいたら 素直に謝れるようでありたいです理由を尋ねられたら言い訳にならないように 説明できたらいいなと思います 弁解ばかりするのは損です 心を込めて謝ることのほうが大切ですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日をお過ごしください
2008年05月01日
コメント(6)

本を読んだり人の話を聞いたりするときに、誰もが、少しは先入観を持つものです。 それがあまり強いと、読んでも聞いても何も頭の中に入って来ません。 古いもの(先入観)を捨てて、頭の中を空っぽにすることはとても難しいことですね。 -------------------- 先入観、思い込み・・・決め付けてしまうことってありますね 頭の中を空っぽにはなかなかできないけれど 新しい情報をきちんと上書きしていきたいな 人に対してもそうですね・・・この人はこういう人って 決めてかかってはその人の本当がわかりませんものね 気をつけよう・・・ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月28日
コメント(8)

出来るかもしれないなどという安易な約束や、 安請け合いは絶対にするな。 危ないと思ったら、 どんなに顔なりが悪くても、 最初に断ること。 私は父相田みつをからそのことを繰り返し言われたものです。 しかしながら、 効果はあまりなかったようです。 ---------------------- よっぽどの理由があるときでなければ 約束したことは守ります こんな約束しなければよかった…と 後悔することは多々ありますが 約束を破るのはイヤですね 無理矢理約束させられることのないように 自分の意思で約束するためにも断る勇気は必要ですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月27日
コメント(2)

庶民のつぶやきにも似た言い方です。 ちょっとふてぶてしい居直りのようでありながら、 どうなるかわからないものに関してくよくよしても しょうがないよ、という問いかけも感じられます。 「そのとき どう動く」 と対照の妙がある作品です。 -------------------- いらぬ心配かもしれないことを考えるより 今を精一杯生きていくだけですね GWに入った方もいるんでしょうね~今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月26日
コメント(6)

ひとりになりたい ひとりはさびしい それが人間だと私は思います。 お釈迦さまはこの世を忍土と受け止めております。 つまり、自分だけ一人、 自由気ままに生きる場所ではないというのです。 「おれはそんな煩わしい人間関係なんてご免だ。 一人で山の中で気ままにくらす」 それでもいいんですね。 しかし、どこでどのように生きようとも、 ガマンをしなければ生きてゆけないのが世の中であり、 忍土です。 我がまま勝手の許されないところ、それが忍土です。 それには小さい時からガマン強い、 辛抱強い子供に育ててやるのが、 子供にとって一番幸せなはずです。 ところで、あなたのお子さんは、 あなた自身は如何ですか? (相田みつを) ---------------------- 普段ひとりでいることが多いのでだいぶ、ひとり上手になりました時々は誰かに会って話をするのも楽しいですねでも、ひとりでいるからといってひとりで生きているわけではないですね支えられているんです離れていても心はひとりじゃないという安心感なのかもしれません 離れているからこそ気遣いができるのかもしれません 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月25日
コメント(4)

「一億総評論家」なんていうことがよくいわれます。 だれでも自由に意見をいえること、 それ自体はいいことですが、 批判するだけなららくなんですがねえ…。 人の批判をする時は、 自分はいつでも傍観者。 具体的に少しも動かない。 自分では手を汚さず、 何一ツしない。 要するに、 自分のことは棚上げなんですね。 いまここを この自分が具体的に、 どう動くか―無責任な傍観者になってはいけない。 わが師、 武井哲応老師から、 長年にわたって徹底的に叩き込まれた教えの一ツです。(相田みつを) ---------------------- おまえどうだ?と問われて 胸を張れる人は少ないでしょうね、きっと 問われて恥ずかしくないように生きていきたいですわが身をきちんと見つめ、棚に上げないように まずは人のことより自分のことですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月24日
コメント(8)

宗派に関係なく、ひろく読まれている、観音経の『不門品偶(ふもんぼんげ)』の一部に 為人所推堕(いにんしょすいだ) ― 人からおしおとされる ― ということばがあります。 ようやくいいところまできたのに、意地悪な者に足を引っ張られて転落することです。 世間にはよくあることです。 しかし、冷静に省みると、足を引っ張られるような、種をまいたのは往々にして 自分なんですね。だれうらむことはありません。身から出たさびです。 何かいやなことがあると私は『為人所推堕』に「身から出たさび」という 大変勝手な解釈をつけて、独り唱えることにしております。 このことばは、私の心の鎮静剤です。 (相田みつを) -------------------- みつをさんのように達観することはできませんが 自分に起こることは自分のやってきたことの結果だと そう受け取ることができるようになりたいな イヤなことを人のせいにしていたのでは どこにも進めなくなってしまいそうだから・・ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月23日
コメント(4)

こういうところは私に似ていいところ、ああいうところは誰かに似てダメなところ。 だからいいところしか認めない。 親が、特に母親が子どもを見る場合、意外とそんなふうなことが多いようです。 「欠点まるがかえ」とはいかないのが現実なのでしょうか。 -------------------- 欠点も気にならないほど、いいところをたくさん見つけてあげたいな 長所も短所もあるのがあたりまえですものね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月22日
コメント(4)

長野は高遠の桜まつりに行ってきましたせっかくなので、松本までけっこう渋滞していて、のんびり・・というわけにはいきませんでした
2008年04月21日
コメント(6)

トンネルとか、大きな橋などの開通式の様子がテレビで放映されることがあります。 地元のおえら方がずらりと並んで、その中央に、担当大臣とか、自治体の長とかが出てきて 華やかにテープカットします。そして、感謝状や表彰状が、関係団体の長に贈られます。 炎天や吹雪の中で、つるはしを持ち、全身で汗を流した人々は、 蔭にかくれてしまって、ほとんど表に出ないのが常です。 カッコいい役は、汗水流さない人達が独占してしまうものです。 だれにも見えないところで、一生陽の目を見ずに、黙々と自分の役割を果たしている、 無名の人々の尊さのわかる眼を持ちたいものです。 (相田みつを) -------------------- 目に見えているところだけで生きているわけじゃなく 目に見えていないところに支えられて生きていられる 私も黙々と自分の役割を果たしていきたい 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますようにそしてステキな週末をお過ごしくださいこれから高遠の桜まつりに出かけてきま~す
2008年04月19日
コメント(6)

説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう) ―一物を説似すれば即ち中(あた)らず― 中国の禅の歴史の中で有名な人に、 大鑑慧能(だいかんえのう 六三八-七一三) という人がおりました。 達磨大師(禅師の始祖)から数えて六番目の始祖ということで、 通称、六祖慧能とも呼ばれております。 その弟子に南獄懐譲(なんがくえじょう 六七七-七四四) という人がいて、その二人の間に行われた問答の中で 懐譲が答えたことばがこのことばです。 意味だけを簡単にいいますと、 物事の真理、真実というものは、 ことばや文字では説明できないということです。 つまり、自分自身で直接体験してみなければ わからない、ということです。 (相田みつを) -------------------- 何十回何百回見聞きするよりも 一度の体験の方が身になるのは たぶん誰もが納得ですね 頭だけで分かったような気になってしまわないように 気をつけたいです 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月18日
コメント(4)

「そっとしておく」ということは、簡単そうに見えて実はとても難しいことです。 無関心とか、放っておくというのではありません。 遠くから静かに見守るという感じでしょうか。 大丈夫?と声をかけるより、ずっと忍耐力と持続力が必要ですね。 -------------------- 良かれと思ってやったことも 相手にとっては迷惑かもしれない 余計なことをするよりも 暖かく見守り 必要とされるときまで そっとしておこう 信頼関係があれば きっとできる 放っておくのではなく そっとしておくことが・・・ 親切心の前に相手に対する思いやりですね おせっかいというのは、一見、親切に見えるのだけれど 相手の傷を抉っている場合がありますね 悪気がないだけに難しい・・今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月17日
コメント(6)

人生には、 それまで持っていたものをことごとく捨て去らねばおさまらぬ時が来る。 それはいつかはやってくる。 生涯の終わりまでそれをしなかった者も、 臨終にはわがいのち、 わが体を捨て去らねばならぬ。 生まれるとき、 母の体を捨てて生まれてきたわれらは、 死ぬとき、わが体を捨てねばならぬ。 捨てることにはじまり、 捨てることに終わる人生ならば、 その途中において、 捨てるべきものを捨てるということがあるはずである。 紀野一義先生のことばから ※紀野一義(きのかずよし)先生 一九二二年山口県萩市に生まれる。 正眼短期大学副学長。 真如会主宰。 正法眼蔵の講義・講演でよく足利市へ訪れていた。 主な著書に『禅 現代に生きるもの』『正法眼蔵髄聞記』などがある。 (相田みつを) -------------------- 捨ててしまおう・・・と なかなか決断できない私です どうでもいいものだと わかっているのに・・ しまいっぱなしにしていても いいことは何もないですものね 暖かくなってきたことだし 少し身軽になるのもいいかもしれませんね今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月16日
コメント(6)

花は見えても 根は見えない・・・・・ さりげない平凡な 生活の中に 底のふかい 根張りのある人生を 築いてゆきたいと 念願しております (相田みつを) -------------------- いろいろな花が咲き 楽しませてくれている今日この頃 一生懸命に生きているんだなぁ・・と 改めて思います しっかりと根を張っているこの花たちのように 私もしっかりと根を張って生きていかなくっちゃ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月15日
コメント(4)

仏道をならうというのは 自己をならうなり 鎌倉時代の名僧・道元禅師の有名なことばです。 仏様の道をならうということは、大言壮語して天下国家を論ずることでもなく、 口角あわを飛ばして政治経済を弁ずることでもありません。 このちっぽけな、一人の自分を修行し、調えることだといっているんです。 ところで、この自分ぐらい厄介なものはありません。自我・我執の固まりだからです。 この自我・我執を、どう運転してゆくか―、それが人生じゃないかと私は思っています。 その一生の運転手は自分です。 (相田みつを) -------------------- 我執・・強くなりがちですね f(^^; 自分の中で上手に折り合いをつけるしかないのでしょうが 難しいことですよね 人としての大きな課題ですね、きっと自分の人生をどこへ向けて、どう進んでいくのか それを決めるのも自分ですけど 頭でっかちに、その道ばかりを考えて周りを見なかったら・・・ 結局はその道を進めなくなってしまうのでしょうね 自我、我執にとらわれすぎてはいけないのでしょう 無くしてもいけないのでしょう・・・厄介ですね 一生のお付き合い、自分と離れることはできないですものね今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思いますステキな一日になりますように
2008年04月14日
コメント(4)

何も言わずに黙っているから、苦しみや悲しみがないように見えるだけで、 実はそうではないのです。 どんなに明るく苦労とは縁がないように見える人でも、必ず何かを抱えている。 ただ愚痴になるから黙っているだけなのでしょう。 -------------------- 生きていれば、意に染まないことも多いですものね グチをこぼし始めたら、とめどなく出てきそうです でも、いつでも黙って笑顔でいたいな 笑顔の力・・信じているから 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月11日
コメント(4)

相田みつをは、時には自己嫌悪の気持ちを作品に託すことがありますが、 これもまさに「書家」などと言われていい気になっている自分を、 自ら揶揄したものです。 自分自身のそういうイヤなところも見据えていかないと、反省も生まれません。 -------------------- 自分自身のイヤな部分・・・多すぎて 直せるところは直したいけど難しい イヤな部分に目をつぶらなくなっただけ 少しは進歩できたのかもしれないけれど まだまだ・・です 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月10日
コメント(6)

「できねんだよなあ」というところから、深いため息が聞こえてきそうです。 こういうため息をつきながらあっと言う間に年をとる。 それではあまりにも空しいと感じた時に「いまのことはいましか」 という言葉が出て来た、そんな気がします。 -------------------- ウンウン・・大きくうなづいて思わずため息 ため息はあまり良くないって言われるし さぁ今日も頑張ろうかな 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月09日
コメント(6)

「・・その日一日こころがなごむ・・」 反対に、 「あなたの声を聞いただけでその日一日気が滅入る」 そういうこともありますね。 それはさておき、息子の目から見ると、父はなかなか理屈っぽい人でした。 子どもの他愛のない質問にも、何冊もの本を開いては、ああだこうだと 説明してくれたものでした。 そんなふうに何事も理詰めで迫ってくるので、時には辟易したものです。 だから、私は最後の 「理屈じゃねんだよなあ」 が妙におかしいのです。 -------------------- 理屈じゃないというところが、よくわかる気がします 私にもいます!心地よい声で、心地よい言葉をくれる人 声を聞かせてくれるだけで、嬉しくなっちゃう 私もそうなりたいな・・・ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月08日
コメント(4)

人生のリセットボタンのような言葉です。 どんなに悔やんでも過去は変えられないし、明日のことも分かりません。 ただ一つ確実なことは、いまここに誰でもない自分がいるということだけ。 だから、人生はいつだって「いまから ここから」です。 -------------------- 毎日の中で、自分がスタートラインを決めて一歩を踏み出す いつも以上に頑張れちゃう気がしませんか 新しいことを始めるときはもちろんですが 心機一転・・というときでも、心で思うスタートライン 長い人生の中、こんな楽しみ方もありですよね 気持ちは スタートラインに立ったように 「いまから ここから」頑張ろう 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月07日
コメント(6)

現在父の作品は、小中学校や高校の教科書、副読本に多数収録されています。 ですから、相田みつを美術館には、修学旅行の中学生や、宿題のレポートを 書くための高校生がよく来てくれるのです。 ある時女子高生のこんな感想文をみました。 「親にこういうことを言われるとカチンと来て反発するけれど、 みつをちゃんに言われるとなるほどなあ、って思う」 私は苦笑してしまったのですが、ある意味で父の作品の秘密に迫る鋭い指摘でした。 この「本気」も、親からいわれたらどうなのでしょうか。 やはり、この書体でこの言葉遣いだから、なるほどなあということに なるのではないでしょうか。 -------------------- 親や先生はきっと、やってごらん なんて言わずに やりなさい って言うんだろうな・・・ 好きなことに熱中しているときは 疲れよりも充実感や満足感を感じることが多いです そこへ導くのに「みつをさんの書」は うってつけ なのかもしれません 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月05日
コメント(4)

柔軟心ということばは、道元禅師の書かれた『宝慶記(ほうきょうき)』 という本の中に出てきます。 こころがやわらかい、ということは、一切の先入観にひっかからないということです。 損得、勝ち負け、善悪など人間の相対分別的な考え方、言い換えれば、 人間の人間の常識的な価値判断を一切やめて を としてあるがままに見ることです。 つまり、真実を真実として素直に見ることです。 例えば、花を一つ見るにしても「この花、なかなかきれいだけれど、 いくらしたかな」などとすぐにお金に結びつけたりします。 高いとか安いとか考えるのは人間の分別知識です。花そのものには全く関係はありません。 人間はなかなか素直に見られない。すぐ何かにひっかかります。 やわらかいこころで見られない。なかなか柔軟心になれません。 若竹のようなやわらかいこころを持ちたいものです。 -------------------- 自分のまわりにも いろいろな人がいる その人それぞれに 考え方があり 思いがある 自分の考えに固執してばかりいては いけないのですね 相手の考えや思いを 受け止められる やわらかい頭 やわらかい心 を持つことが大事なんですね 頭 心 だけじゃなくて やわらかい言葉 やわらかい表情 やわらかい態度 やわらかいって なんだか いいな 若竹は、すごい勢い、力で上に伸びていきます 真っ直ぐに やわらかく、素直・・・心はそうありたいな 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月04日
コメント(4)

父は自分の自己顕示欲を素直に認めていました。 父の自己顕示というのは、この自己嫌悪というものと 常に一体をなすものでした。 父の自己顕示欲がどの程度だったかはべつにして、 自己嫌悪が人一倍強かったことは確かなような気がしています。 父が一つの作品に取り組むときは何百、何千枚と 書き込むことを意味しました。 そうして、天井に届かんばかりにうずたかくなった紙の山の中から 数点を残し、あとはすべて燃やしてしまいました。 「これでいいなんて作品は一点もない」という父の言葉は、 非力な己への自己嫌悪だったのかもしれません。 -------------------- 自己顕示も自己嫌悪も人間ならばあるものなのでしょう 自己顕示が強すぎて、何でも自分が一番では困ります 自己嫌悪が強すぎて、卑屈になっても困ります 適度に持てることで、自分を表せたり、反省できたりするのかな・・ 自分のうらもおもても、ちゃんとわかっていたいです 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月03日
コメント(5)

子供へ向けた短歌です。 親というのは身勝手なもので、どうしても子供を 思い通りにしたがる傾向があります。 こうなって欲しい、こう生きて欲しいと。 しかし、心の底では、いのちいっぱいに生きればいいと すべての親が願っているのではないでしょうか。 -------------------- 子どもの幸せを願うばかりに あれこれ かまいすぎてしまったり 大きな期待をかけすぎてしまったり・・・ 人間ってむずかしいですね 子どもに命イキイキと生きてもらうために 安全を確保してあげたいな 環境とか、食とか・・・ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年04月02日
コメント(4)

一見、柔道のことを述べているようでありながら、人生の本質を現しています。 まさに人生は、ころぶ、まける、ぶざまに恥をさらす。 そのような目にあったときでも、それを受けて耐える価値を知る、ということが 人生の達人だ、と述べているわけです。 -------------------- 人前でころんだり負けたりすることは、普通にあることですが ころびかた、負け方をきちんと身につけていないとケガを負います 基本である受身を練習してケガを最小限にくいとめたいです 負け方や受身を本当に身につけたなら、痛み苦しみを覚え 人の痛みも心から理解できる優しい人になれそうです 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように今日から4月 新しい気持ちで頑張りたいですね
2008年04月01日
コメント(4)

いのちいっぱいに生きていってほしい。 たとえどのような道を歩むにしても、と歌った 「子供へ一首」がややよそ行きの父の顔だとするならば、 こちらは素顔であり、本音とでもいったところでしょう。 親たるもの、少なくとも一度はこう思うのではないでしょうか。 私が大学を滑って父を嘆かせた時も、そして、その後、顔がほてって とても書くことのできないような数々の失敗をしでかしたときも、 父は何も叱責の言葉を言いませんでした。 言わない分、嘆きが深かったのかも知れません。 この作品は、父の没後、遺品を整理していて見つけたものです。 -------------------- 今、相田みつを美術館で 第38回企画展 「育てたように子は育つ」文庫化記念 みんなほんもの ─相田みつを・子どもへのまなざし─ をやっています 6月8日までです はやく行きたいな 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月31日
コメント(4)

修行をして悟りを開けば、 悩みがなくなる。 相田みつをは、 そうは考えていなかったようです。 修行をしようが悟りを開こうが、 生きてる限り悩みは尽きない。 その尽きることのない悩みと、 どう向き合って生きて行くか、 そっちの方に関心がありました。 ---------------------- いろいろあって当たり前 ならば楽しんでいきたいです 辛いことも感謝して楽しんでいきたい どんなことも前向きに受け止めていきたい 生きていることを実感しながら 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月30日
コメント(6)

会社であるいは学校で、私たちはいつも比較対照されています。 だから、人と比較しての自分というのはよく分かります。 人より成績が良いとか悪いとかいう自分です。 それでは、誰とも比べないときの自分とは何か? 簡単には答えられない問題ですね。 ---------------------- 人と比べて自分の位置を知ったとしても 比べる人を替えたらまた位置が変わってしまうもの あまり意味のあることではないですよね 私は私に与えられているものに素直に生きていきたい 順境であれ逆境であれ、謙虚の心を忘れず素直にいたい 人は完全無欠ではないのだから それぞれの適性のなかで自分の力を発揮して おたがいに助け合い、与え与えられつつ調和すること おたがいの足らないものを補い合うことができたら 大きな調和のなかに豊かさを生み出せる・・そんな気がします 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように 素敵な週末をお過ごしください
2008年03月29日
コメント(4)

ユーモラスですが、軽い言葉ではありません。 これを言い換えると「いろいろあるんだなにんげんだもの。 いろいろあるんだよいきてるんだもの」になると私は思っています。 生きているからこそいろいろある。相田みつをの興味は常に 「いろいろ」の方にありました。 ---------------------- 生きているからこそ… 嬉しいことも悲しいことも味わえる おかげさまです どこかが痛いと言うと 「生きてる証拠」と言われました 感じられるのは生きてる証拠…ですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月28日
コメント(4)

何かいいことがあった場合、「おかげさま」という言葉は 意外と抵抗なく言えそうです。 反対に悪いことが怒った場合、「身から出たさび」なのだから、 と思うことはなかなか出来ません。 そんなふうに、自分と向き合うより、人のせいにした方が 楽だからですね。 ---------------------- どんなことも、自分の思いや行動から巡ってきているもの 悪いことを人のせいにすると、その時は楽になったようでも 心がだんだん重たくなってきそうです どんなことにも感謝の心を持っていたいです いいことも悪いことも・・すべて自分に与えられるものだから 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月27日
コメント(4)

私が毎日散歩する道筋に みくりや用水という川があります。 その川の岸辺に秋になると 曼珠沙華の花が咲きます。 曼珠沙華は私の住んでいるところでは 彼岸花とも呼ばれております。 私ごとで恐縮ですが 曼珠沙華は私にとって悲しい花です。 幼かった私と、五つ年上の兄と 二人しか知らない 生涯忘れることのできない 悲しい思い出があるからです。 (相田みつを) ---------------------- そろそろ春本番を感じているのか 冬前に植えた種や球根がずいぶん伸びて 小さなつぼみもつけはじめましたなんだか嬉しいです これからの季節 花が綺麗に咲きますね、楽しみです 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月26日
コメント(6)

行って帰って来た人間がいないのですからあの世のことがどうなっているのか 誰にもわかりません。 あの世のことが、今の自分の生き方に意味があるのならあれこれ考えるのもいいでしょう。 そうでない限り意味がない、というのが相田みつをの考えでした。 ---------------------- あの世、どんなところなのでしょうね 自分が生きたあとに辿り着くところなんですよね ならば、今を大切に明るい笑顔でしっかりと 精一杯この世を楽しまなくちゃいけないのかしら・・ね あの世は行ってみてのお楽しみですね今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月25日
コメント(6)

なぜ自ら命を断ってはいけないのか? 自分の命なのだから自分がどうしたっていいじゃないか。 そう言われたらなかなか反論できません。 生まれて来たのは自分の意思ではない、だから、 というのは説得力のある一つの回答だと思います。 ---------------------- 自分の命は自分が創ったものではありません 与えられた尊いものだと思います 生あるものがいつかは死に至るのは自然の理法ですが その時は自分で決めるものではないと思います 生かされている命を最大に生かすように 精一杯生きていきたい 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月22日
コメント(4)

「自分がかわいい」ということは、 煎じ詰めると自分のいのちが一番大切だということになります。 相田みつをのユニークなところは、 そのことを踏まえて、だから、 すべての他人のいのちが自分同様に大切なのだ、と考えたことでしょう。 ---------------------- 命あるものはみんな大切 命の重さに変わりはないです 自分を大切に周りのすべてを大切に 一生懸命生きていこう 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月21日
コメント(6)

猛烈に渦まき 猛烈にたぎりながら 瀧壺の水は少しも濁らない どこまでも清冽そのもの― 瀧壺の水を見ながら、瀧壺の水のように、 純粋で清冽な人生を生きたい、と、 若き日のいのち燃えて、わたしはひとり ひそかに興奮したことがありました。 時には恋にいのちをかけ まっかな血をたぎらせ 生涯を一ツの仕事に打ち込んで 与えられたこの生を 清冽に完全燃焼してゆきたい ここまで書いてきたら、いい年をして、 また血がさわいできました。 『一生勉強・一生青春』でありたいと思います。 (相田みつを) ---------------------- いくつになっても 心は若くいたいです まだまだ老け込みたくないです 濁らずに生きていくのは難しいけれど 人として滝つぼの水のように清冽でありたいです清冽に完全燃焼・・ものすごく高い目標ですが 向かっていきたいですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月19日
コメント(6)

この作品に関連した詩の中に、「うつくしいこころの人には、 うつくしい姿を見せるんですね。花でも小鳥でも・・・」という 一節があります。 「心がきれいだ」と、そうなるのでしょうか? 私たちが、どこかに置き忘れて来てしまった世界なのかも しれません。 ---------------------- なんでもきれいに見えるほど きれいな心になれたらいいですね いろいろなものを、ちゃんと見られる 心の余裕を持ちたいです 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月18日
コメント(6)

「子供といいうのは、親の言うことは聞かないが、やっていることは そっくり真似するんですね。悪いことはするなと言っても、親が ズルいことをしていればすぐ真似します。親が勉強していないのに、 いくら子供に勉強しろと言ったって無理なんです。親が本を読まないのに 読書しろと言ったところでダメなんですね」 父が、PTAなどで講演する折によく話していたことです。 ただし、それは親から子へという一方通行なものではなかったようです。 この作品に見るように、いつも「こどもへのまなざし」という 反対方向からの視線を意識したものだったような気がします。 ---------------------- 子供の頃、一度も勉強しろと言われたことがありません アレコレしなさいと言われた覚えがありません それが逆に自分から進んで物事をしなくては・・と 思わせてくれたのかもしれません 大人になるにつれ、だんだん親に似てきていると それも、私は父に似てきているようです 父に言わせると、悪いところばかり似ているそうですが でも、私は私でよかったと、そう思います 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月17日
コメント(4)

何故そうなのでしょうか? ものがいっぱいあれば、取りあえずは満ち足りるはずです。 問題は「なにか不安」があって、ものを欲しがっているからでしょう。 不安というのは形がありません。ないからこそ不安なのです。 形のないものをもので埋める事はできないのでしょう。 ----------------------- 足らない、足りないのは、ものではないのですね 物で心は埋まらないですものね 自分の中にいろいろな矛盾を抱えています 人恋しかったり、人が煩わしかったり・・・ 心がぬくもりを感じているとき 少し不安も解消されているような気がします 何が言いたいのか自分でもわかりません・・スミマセン 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月14日
コメント(4)

人間が価値判断する時の『ものさし』は、常に何かと比べての相対的なものです。 その代表的なものが、そんかとくかという『ものさし』ですね。 人間は、どうしてもとくの方へ走ります。 ところが、そんとくの判断ですから、株式相場と同じで絶えず変動します。 昨日のとくが今日のそんというふうに。 そのたびに自分の立っている位置が右に左に変わります。右往左往です。 右往左往しない自己を確立させることが大切ですね。 それはそんとくを越えた仏の『ものさし』を持つことですね。 (相田みつを) ---------------------- 損得勘定で生きていくのはなんだか悲しい 神経すり減らして疲れてしまいそうです 何が一番大切なのか測れるような 「ものさし」を持ちたいです損得にふりまわされずに人と比較することなく一歩ずつ しっかり歩いていきたいな 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月13日
コメント(6)

「いいがな」の「がな」というのは、父の故郷、栃木県足利市あたりの方言です。 だからこの作品は、方言丸出しの「素朴」な言葉と誤解されがちです。 ところが本当はそうではないようです。 私には父が方言の効果を正確に計算して使っているようなきがするのです。 「そのままでいいがな」は標準語に直すと「そのままでいいよ」あるいは 「そのままでいいんだなあ」となるのでしょうか。 どちらも「いいがな」の持つ微妙なニュアンスとは異なります。 「がな」には、良いところも悪いところもみんなひっくるめて 「ありのままでいい」という積極的な姿勢が感じられます。 父にとって『いいがな」とは、どうしても「いいがな」としか 言いようがない世界だったのではないでしょうか。 ---------------------- 方言の持つ微妙なニュアンス・・なんとなくわかります 伝わってくる感じがちょっと違うんですね 東北から出てきてもう30年以上になる友人がいます 彼女は今でも 「そうね」という感じの相槌に「んだなす」と言います この言葉を聞くと、なんだかほんわか暖かくなるから不思議です お国言葉を持つ人がうらやましいなあ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月12日
コメント(6)

五十歳前後の作品ですが、 年齢よりも遥かに若い青春の 情熱のようなものが感じられます。 真実の道の先には仏さんがいる、 という信念の強さと、 それを自分に言い聞かせているような雰囲気が感じ取れ、 書にも切実な勢いが表現されています。 ---------------------- 真実を突き詰めていくのは大変なことですね 信念と芯の強さが欲しいです 自分の分を超えた振る舞いは、自分にしっぺ返しがありますね 迷って悩んで何度でも・・・ 自分の足でしっかりと歩けばその先に何か見つかるのかも・・今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思いますステキな一日になりますように
2008年03月11日
コメント(4)

人間は倫理、道徳、理屈どうりには動けません。 そして、問題はこのわたし。 コンピューターでいくらダメという答が出ても そのとおりになれないのが人間 つまり、このわたしです。 これは男と女のことで、いつも迷ってきた わたしの独白(ひとりごと)です。 (相田みつを) ---------------------- とてもよくわかる ことばです・・・ 頭では分かっているのに・・・と 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思いますステキな一日になりますように
2008年03月10日
コメント(6)

父は暑さに弱く、寒さに強いという体質の持ち主でした。 ちょっと暑くなると、アトリエを開け放って扇風機を回し、 首にタオルを巻いて汗をとめながら、創作に励んでいたものでした。 しかし、夏場はやはりいまひとつノリが悪かったようで、 個展に向けての作品製作は、主に体調の良い冬に行っておりました。 この短歌もそういった時期にできたものでしょう。 反古紙が積み重なって、足の踏み場もなかったアトリエでしたから、 ストーブなどは危険で、よほど寒くないと使いませんでした。 しんしんと冷えきった夜明けのアトリエに、ただ紙を切る音だけが 響いていたのが思い出されます。 ---------------------- 早朝の空気感が伝わってくるようですそして紙を切る情景が目に浮かぶようです夜明けのピンとした空気の中で書いている姿を思い浮かべます みつをさんの創作、書に対する姿勢がわかるようです 朝のひととき・・けっこう好きな時間です朝のコーヒーの出来しだいで気分も変わります ゆっくりじっくり布フィルターで落としたドリップコーヒー 毎日微妙に味が違います・・・ 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思いますステキな一日になりますように
2008年03月08日
コメント(4)

ぐみ プリムラ・オブコニカ星野富弘さんの作品ですどんな小さなことも積み重なれば大きな感動に繋がります一人一人の小さな力も、みんなが集まれば大きな力になります小さな幸せも見逃さず、ちゃんと感じたいですね 春はなぜだか嬉しい季節・・・早くコートを脱ぎたいです そこまで春が来てると思うと、ほんわか笑顔になれますね今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思いますステキな一日になりますように
2008年03月07日
コメント(6)

どんな仕事でも、それが世の中にとって少しでも意義のあるものなら、 意思にかじりついてでも続けていれば、必ず生かされるものだ、 という相田みつをの信念を、シンプルに提示した作品です。 「報われる」でなく「生きられる」というところに真骨頂が出ています。 ---------------------- 自分の就いている仕事には誇りを持って 力を発揮したいですね どんな仕事もなくてはならないものですね 全然係わりないと思うような仕事でも どこかで繋がっているのだと思います まだしばらくは、バタバタ忙しい日が続きそうですが 一つ一つを丁寧に・・・心掛けたいと思います 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月06日
コメント(6)

一見、捨て鉢は気分で人生を送ることを勧めているかのような作品ですが、 本来の意味は、この世はどこでどんな事が起こるのか 「わかんねえ」 ことばかりなのだから、いわば明日は明日の風が吹くの心境で、 今日という一日を一生懸命生きましょう、ということなのです。 ---------------------- 毎日を のんべんだらりと暮らしていたら 何かことが起きたときにあたふたしそうです 毎日を一生懸命生きていれば きっと あわてずにいられる気がします 先のことはわかりませんものね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月05日
コメント(6)

足利市の借宿町に住んでいたころ、父はしょっちゅうろうけつ染めをしていたので、 その手はいつも染料で汚れていました。 いくら洗ってもなかなか落ちず、自然に消えたと思ったのもつかの間、 また色にまみれるというありさまでした。 そして、母といえば休む間もなく足踏み式ミシンを踏み続け、 父が染めた布を夜なべで暖簾や風呂敷に仕立てていたものでした。 当時のわが家には風呂がなく、時折、私と妹は染色用の大きなカマに入り、 体を洗いました。まさに五右衛門風呂です。 子どもというのはそういうことが楽しいのですね。今振り返ると、 貧しいながらも親子四人のどかな生活の時代でした。 ---------------------- 人生は一歩一歩の積み重ねなんですよね 振り返ったときに綺麗な足あとが続くように 歩みはのろくともしっかりと歩きたいな 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月04日
コメント(4)

初期作品のろうけつ染めの作品です。 みかんがリンゴにならないように、人もそれぞれ独自の「味」があります。 それを自らが発見し育てるのには時間がかかるかもしれませんが、 本当の自分らしさを出した生き方には、本当の美しさがある、 と 言いたいのです。 ---------------------- 私は私らしく・・・それぞれ個性があるから人とのお付き合いは楽しい みんなが同じだったら・・・交流が必要なくなっちゃいますね みんな違って、みんないい・・by金子みすゞ ですね今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年03月03日
コメント(4)

あたりまえのことながら父は、書家として生涯を全うしたのですから、 書の素人ではありません。書でしか表せないものを追求しました。 そのためには、技術が必要です。 講演で留守にする以外、父がアトリエで筆を執らなかった日は、 一日もないのではないでしょうか。一日でも筆の鍛錬を怠ると、 しばらくは調子がもどらないと、よく言っていたものです。 父の書体は、様々な技巧の鍛錬を経た後に、独自な書体へと変化して いったのです。 この作品を見てみると、単調にならぬようにと、四回ずつ出てくる 「無」と「誓」と「願」に、全て変化を付けています。 ---------------------- みつをさんの楷書や草書で書かれたものはあまり発表されてません同じ言葉を違う書体で書いていて、それぞれ趣が違います 3枚の書・・・草書体のものは読めませんが f(^^; やはり基礎があればこそ自在にくずして書けるのでしょうね 基本、基礎を学ぶのは地味でつまらないことかもしれませんが それをきちんとしておかないと進めなくなってしまいそうです 基本を学ばずに器用にこなす人もいるでしょうが 先へと続いてはいかないのでしょうね ピアニストの人も毎日の運指の訓練は欠かさないそうです基本を守りながら自分なりの味付けをしていく人生がいいですね 今日も笑顔で感謝の心で過ごしたいと思います ステキな一日になりますように
2008年02月29日
コメント(4)
全244件 (244件中 1-50件目)