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<第十四幕>「宣託」の続き。
(5月7日の日記:「鳩」の迷宮(明九)<序幕>から連載)

前回は、宇佐八幡宮の「ご宣託」について、見てみました。

今度は、 「応神天皇」 と思い、みていると…。

やばい …です、これは。(言葉が悪くてごめんなさい。)

はっきり言って、「応神天皇」は、みていくといろいろとありすぎて、これは、やばい、と。(^^;
日本建国において、かなり重要な位置をしめている、とてつもない人物に見えてきました。
入り込むと、抜け出せなくなりそうです。

「宇佐八幡」「応神天皇」 「神功(じんぐう)皇后」 …。

やっぱり、 やばい …です!(^^;

うーむ…。
このあたりは、また別の機会に、改めて、見ることにしたほうがいいかもしれません。

前回、「応神天皇」と予告しましたが、その前に、その母親の軌跡に触れておいたほうが良いと思いました。

そこで、今回は「応神天皇」の母親とされる 「神功皇后」 について、概要を さらっ…と(^^; 、見ていきたいと思います。

第十五幕なので、第十五代「応神天皇」にしておいたら、ぴったりだったのにと、今、気がつき、こりゃ、しまったな、と思いましたが、後の祭りです…。

でも、なかには、第十五代「神功皇后」となって、第十六代に「応神天皇」としているのもあって、少し「シンクロ」しているかな、と思ったり。



本題へいきましょう!


★「応神天皇」の母親「神功皇后」★

後の第十五代、応神(おうじん)天皇の母となる、「神功(じんぐう)皇后」
彼女は「息長帯比売命(おきながたらしめのみこと)」といい、夫は、第十四代、仲哀(ちゅうあい)天皇です。

「宇佐八幡宮」では、第三殿で祭神として祀られています。


インターネットや『日本の神様読み解き事典』(柏書房)を参考に、紹介してみます。


★「三韓征伐」伝承★

夫の仲哀天皇が、九州南部に住む朝廷に反抗的な豪族、熊襲(くまそ)族を討とうとしたとき、神功皇后が神懸かりして占います。
すると、神は「西方に金銀財宝の豊かな国がある。その国を与えよう」と託宣しました。
ところが仲哀天皇は、託宣を信じなかったため、神の怒りに触れて、その祟りで、急死してしまいます。

天皇を葬ったあとに、神功皇后が再び神意を問うと、「この国は皇后の御腹に宿る御子が治めるべし」という託宣がありました。

さらに託宣する神の名を問うと、「神託は天照大神(あまてらすおおみかみ)の意志であり、それを伝えることを命じられた住吉(すみよし)の三前(みまえの)大神である」と告げられます。

さらに、「わが御魂(みたま)(=住吉三神)を軍船の上に勧請(かんじょう)して祀り、木の灰をひさごに入れ、箸と皿を数多く伴って、大海に散らして浮かべるが良い」との神示がありました。

こうして神意に従って、神功皇后は、住吉三神を守り神とし、軍船を整えて、新羅の国に遠征します。
新羅王は恐れて、永久に服従を誓ったので、皇后は、朝貢を命じて、御杖を新羅王の門に突き立てて凱旋された、とあります。

以上の出来事が、「三韓征伐」伝承として、「記紀」にあります。


★鎮懐石伝承★

また、神功皇后が、後の応神天皇を生む時の、「異常出産」のエピソードも有名です。
それは「鎮懐石伝承」として語られています。

伝承では、新羅遠征中に、お腹の子が産まれそうになります。
そこで、皇后は卵形の美しい石を2個、腰のところにつけて、出産を送らせることを願います。
この願いが聞き届けられたのか、筑紫国に凱旋してから、無事に、「品蛇和気命(ほむだわけのみこと)」または、「誉田別尊(ほむたのわけのみこと)」、すなわち後の「応神天皇」を、出産したとあります。


★異常出産で生まれた「神の子」★

神功皇后の出産に関しては、いわば、「呪術的方法」で出産をコントロールしたわけですが、これによって妊娠から出産まで、何と15カ月もかかっています。
普通は十月十日ですから、これは確かに異常です。
しかし、この「異常さ」こそが、逆に「神の力」を示すものである、と指摘されています。
また、この15ヶ月というのを「象徴」とみれば、かなり意味深な数理であると、思いました。

いずれにせよ、「神功皇后」と「応神天皇」の神威の大きさを示す、象徴的なエピソードです。


★玉依姫伝承★

また、神の子を産むということから、神功皇后は「玉依姫(たまよりひめ)」とも共通する性格を持っていると指摘されています。
実際に、古い記録には神功皇后を「玉依姫」と記しているものもあるそうです。

玉依姫といえば、賀茂の玉依姫の「丹塗り矢」の処女懐妊伝承もあり、「玉依姫神(たまよりひめのかみ)は、下鴨神社の御祭神として、祀られています。

玉依姫(たまよりひ)とは「玉(=霊・魂)宿る姫」といった見方もできることから、「神懸り」した「巫女(みこ)」のイメージがあります。

これは、神功皇后に比肩されますし、同時に、巫女、シャーマンと言えば、古代において、この人物を思い浮かべないわけにはいきません。

そう…

邪馬台国の女王 「卑弥呼」 その人です!

ここから、神功皇后と卑弥呼を同一視する説もあるそうです。

また、そうなってくると、邪馬台国についてもクローズアップされるわけで、神功皇后の祀られている「宇佐八幡宮」こそが、「邪馬台国」のあった地である、という説もあるそうです。
朝日6844様 、「宇佐」と「邪馬台国」のご指摘ありがとうございます。)

また、神功皇后は「聖母神的性格」も指摘されていますが、玉依姫の「処女懐妊」
なども考え合わせると、聖母マリアとイエスキリストとも、比較したくなります。

となると、「応神天皇」と「イエスキリスト」との関連も見てみたくなりますが、これは、少し飛躍しすぎで、先走りすぎたようです…。

ともかく、「神功皇后」についての伝承は、「仲哀天皇の死」「皇后の神懸り」「皇后の懐妊」「新羅遠征」などなど、「かなり作為性の濃い」ものである、と指摘されています。

「作為性が濃い」のだとしたら、これは、「記紀」の編纂者が、意図して組み込んだ、重要な象徴である、と言えるような気がします。

「記紀」はいくつもの象徴で彩られ、二重三重に象徴を組み込むのは、当たり前という感さえありますので、「神功皇后」の伝承は、見ていくと深そうです。

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何だか、最後は、神功皇后のいくつものイメージのように、まとまりがなくなってしまいましたが、次回、「異常出産」で生まれた「神の子」応神天皇について、さらっ…と(見れるかどうか…)、ともかく、見てみたいと思います。(^^;








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Last updated  May 26, 2005 02:14:26 AM
コメント(7) | コメントを書く


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Re:「鳩」の迷宮(明九) <第十五幕>「神功」(05/23)  
朝日6844  さん
今日は!
神功皇后はその存在自体が架空のもので(三韓征伐の軍事力が無い等)・・が学会の通説のようなのでガッカリしたのですが、最近、高木彬光「古代天皇の秘密」にその神功皇后の時代に韓国、中国に倭人が来たという記録があるそうです。
中国の吉林省鴨緑北岸の6mの石碑に倭が海を渡り来て、百残・○○・○羅を破り、これを臣民とした・・とあり、これは百済、新羅と解釈出来・・
又、朝鮮三国の歴史を記した「三国史記」にも393年に倭が新羅王城を攻めた、という記録があるそうです
日本側が、この神功皇后の存在すら認めていないのは、何か変ですね・・又分かればお教え下さい。


(May 26, 2005 06:45:12 AM)

Re:「鳩」の迷宮(明九) <第十五幕>「神功」(05/23)  
神功皇后は大変興味深い人物です。
存在そのものが架空のものだとされていますが、九州には神功皇后が通った「皇后道」が今でも存在し、神功皇后が朝鮮出兵のときの船の帆にした木がある山を「帆柱山」と地元の人は呼んでいます。

ただ、仲哀帝と別れて朝鮮半島へ出兵して15ヵ月後に子供を産んだとあれば一体子供は誰の子?
ということになりますね。
側近、竹内宿禰の子供だとか朝鮮半島の人の子供だとか、どんどん想像は膨らんでしまいます。
だから、架空の人物としておいたほうが差しさわりがないのかもしれませんね。

仲哀帝の古墳にも行きましたが、静かで寂しそうなお墓でした。

仲哀帝の父は成務天皇つまり日本武尊ですね。
お墓は三つありますね。
私は羽曳野と奈良へは行きました。
滋賀へも行きたいと思っています。

景行帝の古墳は山野辺の道にあります。
天理の石上神社、箸墓(卑弥呼の墓?)を通るとそのあと景行帝の古墳もありますよ。

応神天皇の子供仁徳天皇、その子供四人履中、反正、住吉皇子、允恭天皇も大変興味深いですね。

いろいろなものがリンクしていて面白いですよね。 (May 26, 2005 09:21:28 AM)

Re:「鳩」の迷宮(明九) <第十五幕>「神功」(05/23)  
ふみ3870  さん
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(May 26, 2005 09:49:44 PM)

こんばんわ!  
正史の尊  さん
>神功皇后と卑弥呼を同一視する説もあるそうです

この説の最も早い論者は日本書紀の編者で、意図的に、神功皇后を卑弥呼に重ね合わせていますね

思想史からみて興味あるのは、神功皇后が実在したしないより何故応神天皇のおっかさんに設定したのかです
何故そうしなければならない心理が、願望が働いたのか

アマテラスの子孫である天皇は勿論、偉人は巫女の子孫でなければならないという思考法が古代人にあったように思われてなりません

マリアとイエスもあながち突飛な比較ではないと思います

(May 26, 2005 10:21:52 PM)

Re[1]:「鳩」の迷宮(明九) <第十五幕>「神功」(05/23)  
kotoha1972  さん
朝日6844様、こんばんは。

>神功皇后はその存在自体が架空のもので(三韓征伐の軍事力が無い等)・・が学会の通説のようなのでガッカリしたのですが、最近、高木彬光「古代天皇の秘密」にその神功皇后の時代に韓国、中国に倭人が来たという記録があるそうです。

おもしろいですね。
記録があるということは、少なくとも、集団で日本から韓国への移動はあったということでしょうか。

>中国の吉林省鴨緑北岸の6mの石碑に倭が海を渡り来て、百残・○○・○羅を破り、これを臣民とした・・とあり、これは百済、新羅と解釈出来・・
>又、朝鮮三国の歴史を記した「三国史記」にも393年に倭が新羅王城を攻めた、という記録があるそうです

それは、興味深いですね。

>日本側が、この神功皇后の存在すら認めていないのは、何か変ですね・・又分かればお教え下さい。

にわか勉強で、私もよく分かりません。
「記紀」に記述されている以上、編纂者が、全くの荒唐無稽の話を組み込むとは思えないですね。
かといって、皇后のエピソードがすべて本当なのかというと、かなり破天荒な部分も見受けられますし、どうなんでしょうね。
(May 27, 2005 01:58:48 AM)

Re[1]:「鳩」の迷宮(明九) <第十五幕>「神功」(05/23)  
kotoha1972  さん
レーナマリア様、こんばんは。

>神功皇后は大変興味深い人物です。
>存在そのものが架空のものだとされていますが、九州には神功皇后が通った「皇后道」が今でも存在し、神功皇后が朝鮮出兵のときの船の帆にした木がある山を「帆柱山」と地元の人は呼んでいます。

神功皇后、興味は尽きないですね。
いろんな伝承が残っているのですね。
神功皇后とは、いったいどういう存在、象徴なのだろうか、と考えてしまいます。

>ただ、仲哀帝と別れて朝鮮半島へ出兵して15ヵ月後に子供を産んだとあれば一体子供は誰の子?
>ということになりますね。

そうですね。何か、編者の意図があるようにも思います。

>側近、竹内宿禰の子供だとか朝鮮半島の人の子供だとか、どんどん想像は膨らんでしまいます。

うーん、いろいろとおもしろいですね。

>仲哀帝の父は成務天皇つまり日本武尊ですね。
>お墓は三つありますね。
>私は羽曳野と奈良へは行きました。
>滋賀へも行きたいと思っています。

え?滋賀県にもあるのですか?
何にも知らないですね…。(^^;

>景行帝の古墳は山野辺の道にあります。

おお、山野辺の道は、2回ほど歩きましたが、三輪山含めて、大好きなところです。
でも、景行帝の古墳は、全く知りませんでした。

>天理の石上神社、箸墓(卑弥呼の墓?)を通るとそのあと景行帝の古墳もありますよ。

箸墓古墳、ほんと、ぞくぞくする雰囲気が感じられました。やっぱり、卑弥呼の墓、なんでしょうかね。

>応神天皇の子供仁徳天皇、その子供四人履中、反正、住吉皇子、允恭天皇も大変興味深いですね。

レーナマリア様の歴史の造詣の深さは、本当にすごいですね。
仁徳天皇までは名前は聞いたことあるのですが…。
これからも、いろいろとご教示くださいませ。
いつもありがとうございます。
(May 27, 2005 10:43:21 PM)

Re:こんばんわ!(05/23)  
kotoha1972  さん
正史の尊様、はじめまして。

>>神功皇后と卑弥呼を同一視する説もあるそうです

>この説の最も早い論者は日本書紀の編者で、意図的に、神功皇后を卑弥呼に重ね合わせていますね

それは、大変興味深いですね。
意図的というのは、言われてみると、そういう気がします。

>アマテラスの子孫である天皇は勿論、偉人は巫女の子孫でなければならないという思考法が古代人にあったように思われてなりません

これもまた、大変興味深いですね。
巫女の系統、日本の古代を、その視点から見ると、またいろいろと見えてくるような気がします。
ありがとうございます。

>マリアとイエスもあながち突飛な比較ではないと思います

重なる部分が、何となくありますよね。

これからも、いろいろとご教示ください。

(May 27, 2005 10:55:15 PM)

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