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<第十五幕>「神功」の続き。
(5月7日の日記:「鳩」の迷宮(明九)<序幕>から連載)

ちょと久しぶりの「鳩の迷宮」

ここ何日かは、「応神天皇」「神功皇后」の奥深さに、やや恐れをなして、逃げていた面もなきにしもあらず、です。(^^;

しかし、それでは前に進みません!
と、いうことで、再開します。
けど、毎日ではなく、隔日くらいで続けていけたら…。ちょっと弱気ですが。(^^;

「応神天皇」については、はっきり言って、入り込んでしまうと、「鳩の迷宮」から、ほんとに抜け出せなくなってしまいますので、「鳩の迷宮」が、ひと段落ついたら、いつか独立させて、「応神天皇」の正体について、迫ってみたいと思います。
ですから、ここでは、必要最小限触れるにとどめたいと思います。




★神功皇后の肖像★

この人物のエピソードは、大変興味深いなと感じるとともに、「神功皇后」とは、いかなる人物なのか、謎はどんどん出てきます。

「神功皇后」のイメージについて、以下に、簡単にまとめてみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●「神懸り」での神の意を受ける巫女(みこ)のイメージ。
 →玉依姫、卑弥呼のイメージと重ね合わされる。

●「新羅」への出兵し、新羅王を、降伏までさせてしまう勇猛さ。
 →皇后の立場、女性の立場で、男性顔負けの大活躍。

●「異常出産」による神の子の出産。
 →神の子「応神天皇」の母親、ひいては、聖母のイメージ。
 →聖母マリア(神功皇后)とイエス・キリスト(応神天皇)のイメージの重な   り。


果たして、上記のイメージが重なる神功皇后は、本当に実在したのか?
業績や人物像をみていくと、まさにスーパースター。
万能の人であり、神に等しい存在感を、存分に発揮しています。

アカデミズムでは、「架空」の存在である、とされているようです。

ただ、「記紀」に記載されている以上、仮に「架空」だとしても、無意味に登場させているはずはない、と思います。

あるいは、象徴として、組み込まなければならない何かがあったのかもしれません。


★神功皇后の新羅出兵時の「男装」★

前回記載しませんでしたが、ひとつ、気になるエピソードがあります。

それは、皇后が新羅へ出兵する際のことです。
夫の、「仲哀天皇」は神意に従わず、急死してしまいます。
神功は妊娠中の臨月の身をおして、新羅征伐へ向かう際、 「男装」 した、というのです。

今日、書店に入ったとき、「日本書紀」が平台に積んであり、目に付いたので手にとって、神功皇后についての部分を読んでいたら、確かに、「神功皇后は、男装して新羅を討った」といった記述がありました。

インターネットで見ていると、大阪府茨木市に鎮座する 「疣水磯良(いぼみずいそら)神社」 という神社にも、このことが、伝承されているようです。

=================================
神功皇后が朝鮮へ出兵するとき、自分が女であったことから、敵に嘗められないように 男装 をして、疣(いぼ)をつけて顔をいかめしくしようと思い、この神社に立ち寄り、祈願して湧き出ている水で顔を洗いました。

すると、 美しかった顔がみるみる大きな疣(いぼ)だらけの黒い顔になった そうです。

戦いが終わり、皇后の朝鮮出兵のときに、水先案内をつとめた志賀島(福岡県)の安曇磯良をここに残して「磯良(いそら)大神」を祀られました。

その時に磯良神社に戦勝の報告をしたあと、 再び清水で顔を洗うと醜い顔が消え、もとの美しい顔に戻った ので、皇后は、喜び勇んで大和の王城に帰ったそうです。
=================================


★「男装」の真意とは?★

新羅出兵の際に、なぜ、神功皇后は「男装」をしたのか?

通常の解釈では、「自分が女であったことから、敵に嘗められないように」とか、「夫の仲哀天皇の急死を、敵(新羅兵)に知られるとまずいから」というふうに、考えられているようです。

しかし、そうなのでしょうか?
「男装」と書くからには、これは、 象徴、暗示 なのではないでしょうか。

この「男装」と聞いて思い起こすのが、 「天照大神」の「男装」 です。
以下、簡単にその場面を見て見ましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スサノオ命が、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)にご挨拶をしようと、高天原(たかまがはら)へ、やってきます。
しかしその勢いがあまりにすごいので、神様達は「これはきっと、スサノオ命がこの高天原を乗っ取りにいらっしゃったに違いありません」と申し上げます。

すると天照大神は、自分がくい止める、とおっしゃって 「男装」 して弓矢を持ち、スサノオ命を天安河(あまのやすかわ)でお待ち受けになりました。
そしてスサノオ命がやってくると「待ちなさい。何しに来たのです」と厳しい声で問われました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これと同じような構図です。

天照大神は「女神」というのが、定説中の定説です。

しかし、本当にそうなのだろうか?という疑問が、特に神社伝承などから、言われてきています。
これについては、「結論」に至る過程をきちんと書かないといけないのでしょうが、機会があればまた、ということで、結論だけを言います。


「天照大神」は「記紀編纂」において、「男神」から「女神」にすりかえられた可能性がある、ということです!!

その暗示として、先の天照大神の 「男装」 があるのではないか、と指摘されています。
「記紀」には、どうも、謎が散りばめられていると同時に、謎を解く手がかりも「意図的に」組み込んでいる節が見受けられます。


★神功皇后の正体とは?★

この論理を、そのまま神功皇后に当てはめると…。

神功皇后は、本来は、天照大神同様、「男性」の可能性がある!!

ということです。

では、神功皇后の正体(モデル)は……???

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神功皇后は、新羅へ出兵して、男性顔負けの大活躍をします。
古代の常識からしたら、かなり特異な存在感を示しています。

これを裏返せば、本来男性のモデルを、「意図的に」女性である「皇后」としてすりかえた、と見ることもできます。

なぜなら、「応神天皇」の神格化が必要だったというのもあるでしょうし、「母親」の存在も、神に等しい存在にする必要があった、それで、「神功皇后」という存在を組み込んだ、とも考えられます。
そのほか、いくつか理由はあげられそうです。

ただ、正直なところ、まだよく理解できていないのですが。
反論などご意見が多々、あるかと思います。ご教示くださいませ。

今回は、本題とは外れるので、問題提示にとどめて置きます。
「応神天皇」「神功皇后」の謎は、そう簡単には尽きないようです。

次回、いい加減に「応神天皇」へ入ります。





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Last updated  May 29, 2005 02:28:27 AM
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