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2021.08.22
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カテゴリ: 近現代の歴史


 高校の同期生たちとメールとLineを通じて日頃やりとりをし、それをまとめて毎月40余名の同期生に「八期オンライ通信」として送る労をとっているKくんという存在がいる。7月までで51号を数えた。

 8月の交信の中で、原爆や戦争のことがやりとりされ、ある日仲間からこの「焼き場に立つ少年」の紹介があった。その時、私は初めて写真の存在を知ったが、それを追いかけるように8月13日深夜(14日午前0時)からNHKテレビ2チャンネル・ETV特集で「『焼き場に立つ少年』長崎原爆孤児の戦後」として放送されるとの知らせが別の仲間から入った。

 私は35歳から長崎市に3年だけだが住んだことがあり、近所の人との交流や次男が通った教会の幼稚園で父母の会の副会長や会長をやったことなどから、神父さんやシスター先生との交流もありキリスト教にも少しは触れることができたと思っている。そのような平和を願う敬虔な街でもある長崎は異国文化とも相まって印象は強く今でも長崎は大好きである。
周囲にはクリスチャンの方も多く、日曜日には家族揃って教会に通われる姿も数多く見てきた。また職場は長崎原爆爆心地点の松山公園、平和公園、浦上天主堂を結ぶ三角地点のちょうど真ん中くらいに位置していたため、戦争や原爆や平和のことを考える環境にあった。

 本題に戻る。
1945年8月9日、11時02分長崎の街は一瞬の閃光とともにガレキと化し、その年の暮までに7万人の命が奪われる大惨事となった。長崎市だけでも親を亡くして孤児となったのは2300人に及んだ。

 今回の「焼き場に立つ少年」の写真を中心にした特集については、NHK長崎放送局が3年前から調査をしてきたという。この「焼き場に立つ少年」のことは、2019年8月にもNHKで「戦跡 ー薄れる記憶ー お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年」として放送されたという。今回はそれに加えてわかった新しいことを放送するものだ。
写真はアメリカの従軍カメラマンであったジョー・オダネルが撮影し、その後世界中で公開された。


   そのことは兎も角として、「焼き場に立つ少年」は亡くなった弟をおんぶして、火葬のためにこの焼き場にやってきたのだ。ボロボロの服、やせ細った身体、裸足、それでいてキリッとした表情。このとき少年はどのような想いを抱いていたのだろうか。写真を写したオダネルは次のように書き残している。
「少年は焼き場のふちまで進むと、そこで立ち止まる。係員は背中の幼児を下ろし足元の燃え盛る火の上に乗せた。炎は勢いよく燃え上がり立ちつくす少年の顔を赤く染めた。私は彼から目を離すことができなかった。少年は気を付けの姿勢でじっと前を見つづけた。急に彼は回れ右をすると背筋をピンと張りまっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま」
オダネルはこの少年のことを死ぬまで気にしていたそうだが、彼も行末を知ることはなくこの世を去ってしまった。
今回の特集でも写真に残された痕跡の石標や通信用のケーブルらしきものなどを手がかりにNHKが調べた記録が放映されたが、現段階では少年の行末を知ることはできなかったようだ。
放送の中である人が「戦争の悲惨さを伝えるこれほどものはない」と言っていたが、私もそう思った。
再放送があれば、皆さんにも是非見ていただきたい番組である。





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Last updated  2021.08.22 10:59:21
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