第二のタイプとして、
世の中のよくない点や自分と周囲のことなど、いろいろなことに「気づいている」のですが、
・自分一人がどうやっても、仕方がない
と考える人たちが大ぜいいます。
これらの人々は、周囲とも協調してやって行くことができますので、悩んだりすることは少ないかも知れません。しかし、文字通り、「長いものに巻かれてしまう」ために「気がついた時には、とんでもないワナにはまっていた」ということにもなりかねません。何が問題かは、気づいているのですから、何も気づかない第一のタイプよりはまだましですが、これも、あまり望ましい状態とはいえません。
気持が空回りしている人々
第三に、自分や周囲、世の中のことなど、よく気づいて、何かをしなければならない、と思いつつ、から回りしているタイプがあります。こういう人は、時には、ノイローゼ気味になり、あるいは、周りとの協調を欠き、社会不適応になることもあります。
この第三のタイプは、もう一歩で、幸せになれるはずなのに、どうしたらよいかが見えていないために、だれよりも不幸を背負っているように見えることもあります。これも周囲がありのままに見えていないために起きることです。
最も望ましいのは、自分や周囲や世間のことが、よく見えている、それでいて、自分は何をすべきかも見失わない。実力不相応の過激なことをせず、そうかといって、長いものに巻かれるわけでもなく、自分らしく、着実に、何かを進めて行くことができることです。
あの松下幸之助翁は「素直になりなはれ」という教えを遺しています。「ありのままに見る」というのは、松下さんの「素直な気持でものを見なさい」という言葉にいい換えてもよいでしょう。
「儲けたい」という気持が強いと、ありのままにモノを見ることができず、肝心なところを見逃して、結局は損をすることが多いものです。
たまたま幸運で成功を収めて、有頂天になると、自分の実力がわからなくなり、ありのままにモノを見ることができなくなります。そこで実力不相応のゴリ押しをして挫折したり、失脚する人も少なくありません。ありのままに見る心構えを忘れたからです。
バブル期のエリートサラリーマン、自営業者にこういうタイプが多数見られました。
逆に、不遇で恵まれない時は、「なぜ、自分だけこんなに不運なのか」と悩むこともあります。しかし、よく考えてみますと、それは不運なのではなく、ありのままに見ることができていない結果であることが多いのです。かりに、不運であっても、ありのままに見ることができた時、不遇から脱出することができるはずです。
PR