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Sep 4, 2007
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カテゴリ: 思うこと





台風が来ているということらしいが、そのようなことは知らなかった。やはりあまりテレビを観ないというのは情報が得られないという観点からもデメリットが多すぎるような気もするが、普通に続けている習慣を無理矢理変えるのは難しいというものだ。テレビを点けたとてすぐに面白くなくて消してしまうというようなことを繰り返してしまう。まぁ私としてはテレビはあっても無くても同じようなものなので構わないのだが。

テレビが面白いと思うのはニュースを見ている時くらいだ。ニュースは無駄なくその時起こった出来事を伝えてくれる。芸能ニュースなどの卑近なニュース以外はためになることを報道することが多いので見ようと思うのだが、どうもそのようなニュースは統計的に健全な時間に放送されることが多い。仕事を始めてからというもの不規則な生活が始まっているのでそのような時間にゆっくりとニュースを見るというのもかなり稀な事象だ。まぁ往々にして社会人になるということはそのような要因も孕んでいるという考え方も出来る。それを思うと、このような生活をしていることもまた自分が一歩成長したことから生まれた軋轢だと思えるので不思議なものだ。





礼金というのがどの程度世の中に浸透している概念なのかは知らないが、これは考えてみると不思議なものだ。京都市内では家を借りる場合、大体平均して家賃の1.5倍くらいの礼金が掛かってしまう。これは相場としてはどうなのかわからないので一概に高いとは言いにくいのだが、それは私がずっと京都で1人暮らしをしているからこそ思うことかもしれない。

礼金はよく敷金とセットで捉えられることが多い。敷金と礼金の説明をわざわざこんなところでしようということはないのだが、それにしても敷金は透明性が、礼金は意図がわからないお金だと言える。
そもそも礼金などという制度は賃貸にしか適応されない特殊な概念だと思う。部屋を借りるというケースにおいて、簡略化すると借りる側が貸す側に「貸してくれてありがとう」とお金を渡しているという状況になる。しかもそれは小額の気持ちを表すものではなく、賃貸物件の家賃に比例しているから不思議なものだ。以前の私はそのような礼金が人が住むことで起こりうる可能性に備えたお金だと思っていたのだが、それも1人暮らしを始めて暫くしてから違うということに気づいた。
例えば自分の不始末で部屋で家事が起こってしまったとする。その場合勿論自分の不始末なので借りた側に賠償責任が発生するのだが、それを礼金で賄うということは事実上出来ないことになっている。それは賃貸物件の更新時に火災保険や地震保険に加入させられることから鑑みても事実だろう。むしろ私としては礼金はそのような使い方をされて然るべきだと思う。意図して家事を起こす不貞の輩の存在もそのような制度にすれば排斥される。むしろ礼金の使い道・意味が不透明だからこそ保険金殺人のような制度の裏をかいた悪行が横行してしまう誘因になるような気がしてならない。


物を借りるというシチュエーションは生きている上ではよく見られることだ。しかしそこに「貸してくれてありがとう」というお金を払うことを制度化しているのは賃貸だけのような気がする。気持ちで何か物品を渡すとかお金を幾らか包むというようなことは慣習としてはあるかもしれないが、少なくとも義務ではないはずだ。それを制度化できているというのは或いは凄いことかもしれないが、しかし良い意味では決してない。
考えられる可能性としては他の財を使用する場合よりも財の単価が高いからということが挙げられるのだが、しかしそれも言い訳のような気もする。高いんだから払えというソフトな脅しにも聞こえるわけだ。むしろ財が家という生活の基盤だからこそそのような無茶な要求も飲んでしまうだろうと考えた隙間産業だと言えなくも無い。



今まで住んできたアパートの大家さんはアパートを清潔かつ住みやすい環境にしようという努力をしていたとはとても思えない。はっきり言ってしまえば放置だ。その為に礼金が割かれているというような行動を示してくれたら或いは気持ちよく払えるお金かもしれない。しかし額が額だけにそのような行動が見えないままに放置されてしまうと余計に礼金のあり方について考えてしまうというものだ。




それとは別に敷金の透明性についても疑問が残ることになる。
概念的には敷金は退居時に返ってくるとされている。しかし普通に生活していれば生活痕というものが発生したり何かしらの不具合を家に与えてしまうこともある。そのようなことが1つでもあれば敷金から天引きして次に住む人の為の環境を整えることに使われる、それ自体には問題がないように思える。しかし私が透明性と言ったのは、どの部分が傷がついていたり傷んでいるからどの程度のお金が必要だから引いたという明確な基準が入居側に掲示されないということがあるからだ。一応形式的にはこれだけの額が必要だから敷金から引かせて頂きましたというようなニュアンスのことを伝えられるのだが、それが借りている側が納得できるものかと言うと必ずしもそうではない。意見というのはぶつかり合うからこそ意味がある、その基本通念を無視した手法だと言える。
もしも敷金というものを確実に透明性のあるものにするのならば、家の傷みを想定してどの部分がどのレベル傷んでいるのかという表を作成し、どの部分は生活においてどの程度の影響を与えるかを鑑みた上でのチェックを入れていくという手法を取り、尚且つ最終的にはそれを借りていた側に開示するということが必要だと思われる。借りる側と敷金を天引く会社が別であること・そして借りる時には敷金を査定する会社のやり方が見えないという賃貸条件に於いてはそのような制度が導入されて然るべきだと思うのは私だけではないはずだ。




まぁそんなことは言っても家は生活の基盤であるので、不当な条件だとしても飲まなければならないというのは現実に起こっていることだ。礼金をふっかけられた、敷金の取り方が不当だ、そのようなことで泣き寝入りをしている人が多いことは実家暮らしには絶対にわからない概念だと思う。だからこそそのような制度は早めに透明性のあるものに是正すべきだと思うのだが、それも何時になるやらわかったものではない。
今のところそのような制度に抗うには同じ部屋に長く住み続けるということしかないのかもしれないが…恐らく私が今の部屋を出て行く時も揉め事の1つや2つ起こってもおかしくない気がする。今の部屋を何時出て行くのかはわからないが、その時に平和的解決が出来るとは私の経験上有り得ないと思ってしまうのもまた…悲しいことだ。













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Last updated  Sep 6, 2007 04:06:24 PM
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