徒 然 な 日 記

徒 然 な 日 記

弟へ



 僕の記憶に残っている君といえば、どんなに取り組んだややこしい話の場でもたびたび
見せる笑顔・・・。
 特にGWでみた笑顔は印象強く残っています。どこか寂しげでそれでいて満足気でそして弱々しい片八重歯を覗かせた笑顔。いつもなら「またね・・・」みたいなことを言いながら立ち去るのに体がつらかったのか、話の顛末を確認してそそくさと帰って行ったね。
それも今思えばのことで、皆に気を使わせるのが嫌なのか弱みを見せたくなかったのか
僕らの前では、しんどい姿を見せなかったから、ついつい僕らは過信してた。
 君の体は、少しだけメンテナンスすれば、また元気な姿になるって思い込んでた。
だから最後の日も君の体調や手術のこと気遣う言葉すらかけずに・・・。
 君が高校を卒業するかしないかの時に君のお姉さんと結婚してまだまだ少年風のころから震災後は、ほんの少しだけど一緒に暮らしたり、君が結婚して二人の子供の親となり、すっかり親父の姿になった今日まで君の思い出は、山のように僕の心に残っている。そして僕たちの二人の娘を本当にかわいがってくれた。だから娘たちも君との思いではヤマのように残っているよ。最近は、年に何回か顔を合わすのがやっとでいろんなことを話すこともできずで・・・。この11年間、病気の体と闘いながら夫・父親・子供・叔父いろんな立場で頑張ってたね。まさに結婚してからの君は、よく頑張ったよ。
 震災後は、君の行動に嫌な思いもしたし、それを姉さんにあたったこともあった。
そんな思いを全部ひっくるめても僕は、君が大好きだったし君たち家族の事も大好きだよ。
だから、木曜に病院で話を聞いた後は、ほんとに誰にとも無く怒りを覚え、病院に対しても不信感をもった。何よりも君の姿を目にしても現実なんだと思えなかった。
でもたくさんの機械とチューブで繋がれた君を見ているうちに少しずつ現実が認識できるようになり、機械から送られる酸素や血液の反動で上半身が苦しげに起き上がる姿を見ているうちに、悔しさよりも段々不憫で辛くなってきて怒りが薄らいでいくのを感じたよ。
まるで「兄さん、僕はこうなることも少し覚悟してたんだ。体はすごくしんどかったけど僕なりに10年頑張ったよ。そりゃ元気になりたくて手術が終わったら、みんなと話したり食事したりしたかったよ。けどすごくしんどかったし、もういいかなぁ~とも
思ってるんだよ。」って言ってるようで・・・。つい「そんな痛い目して、しんどい思いして丸損やんか!」何度も声に出してた。
君への思いを話したらきりが無い。いまさら悔やんでももうお父ちゃんのところに旅立ったんだもの。せめて今いえることは、君が一番心残りだったろう残った家族のこと・・・。
たいしたこともできないし、奥さんは、しっかりしてるから、余計なお世話なのかも知れないけど、残った者がそれぞれで、応援できる事は、応援し見守り続けるから。
気になるだろうけどそれだけは、安心して安らかに眠ってください。
                                H19.5.21 


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