フリーページ
今日、私は病院へ行くのにこの通りを行きますが、お寺の入り口の階段の上でお餅つきをしていました。
杵を持った突きての男性が数人いましたから、かなり大掛かりでしていると思いました。
ペッタン、ペッタンと音がして、思わず足を止めて見ていました。
ペッタン、ペッタン、お餅が杵に粘ってくると,突きての方は重くなり、かなりの重労働です。
重くなった杵を休めると、女の方が、ぬらした手でお餅を取り上げ、濡らしてからひっくり返して臼に戻しました。
突きての男性は杵を桶の水の中に入れて濡らしました。
いずれもくっ付かないようにしているのです。
ごく当たり前の餅つき風景でした。
ですが、私は今は亡き、実家の母と父が、毎年暮の30日に決まってしていたお餅つきを思い浮かべました。
二人で一日かかっていたように思います。
母がお釜で蒸したもち米を運んできて、臼の中に入れると、お餅つき、が始まります。
父が一人でしていましたが、長男が成長してからは兄も加わるようになりました。
父が杵を使ってこねてから、一人でペッタン、ペッタンと一回、一回力をこめて突いていました。
杵が粘ってくるとすかさず母がお餅に水を付けるのです、杵にもお水を付けるのです。
ペッタン、ペッタン、その間に母が瞬時にするのです。
二人の呼吸はぴったり合っています。
かなり突いてから、父はさすがに一人ですから疲れてきます。
父が杵を持ち替えて数歩、後に下がりますと母がお餅を濡らしてひっくり返し、また父と二人の餅つきが始まります、ペッタン、ペッタン。
私はふとその時の光景を思い浮かべていました。
そこには、臼のそばで母は、低く腰を曲げて、ペッタンの後に必ずぬれた手を挟んでいました。
母の役目は大きかったのです、お餅が粘ってくっ付いてこないようにしていたのです、それも一回一回。
突き終えると、母はお餅を持って、ノシ板におき,ノシ餅にするのです、その間父は一休みして、次の蒸したもち米がくるのを待っています。
母はいつも大変な役を立派にこなしていたと思いました。
やり手でやかましい父が満足するのには母は並大抵ではなかったと思います、でも母はそれをいつもこなしていったのです。
あるときは、愚図だ、のろまだ、といわれたりもしていましたが、母はそんな父に、よく仕えていました。
実家の父の事業が、成功したのは、母のおかげだったのです。
働き者の父に負けず劣らずがんばってきた母でした。
私はフッと、われに帰りました。
母のこと父のことを思い出した、お餅つき、でした。
母は体格はいいほうだった、大きい体で、色白でした。
二重の大きな目がくぼんでいて彫りが深かった、まつげに白髪が混じっていましたが、そんな母を美人だと思ったことがありました。
「おばあちゃん、美人ね、きれいですよ」と言うと、母はうつむいたまま少し恥ずかしそうに「自分の親だからよく見えるのではないの」と言った。
娘の恵里子がおばあちゃん譲りの、長身、パッチリした目をしています。
PR
キーワードサーチ
コメント新着