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そして私たちはオクラホマのタルサ、義両親の家に一泊したんだけど、義父は最近 あまりぐらいがよくないと言う 両手がしびれて、顎が痛くて心臓が圧迫されるような症状が出る....って それって...心臓発作じゃん!!! でもこの義父は12年前に軽い心臓発作を起こして、大動脈に管のようなものを入れている それを去年の11月(7ヶ月前)に調べてもらったらなんの問題もなかったらしい でも私らがくる前の日の木曜日の朝に発作のようなものがおきて、1時間動けなかったらしい 土曜日にも同じような発作がおきて、でも7カ月前の検査では何でもないというので、心臓発作ではないけれど、どうも症状が12年前と酷似しているらしい。そして、土曜日の午後にみんなでレイクへ行って義両親も一泊してまた次の日、日曜日の朝にも同じような発作が2時間あって動けなかったらしい このお父さん、長い間アルコール中毒でお酒を飲んでいたんだけど、最近肝臓を悪くしてお酒が飲めなくなった...その後遺症かもしれないというのがみんなの見解...それでもこういうことが3回続くとお父さんも怖くなったみたいで、元々に日曜日の午後にはタルサに戻る予定だったのでそのままタルサにもどり、また月曜日に発作が起きたら救急車を呼んで病院へ行く気だったらしい そして月曜日、発作は起きなかったんだけど、義父は病院へ行って、またいろいろと検査をした...そうしたら 12年前に入れた管は完璧に封鎖され、あれはやっぱり心臓発作だったらしい.... だけど、お医者さんに言わせると、 心臓への血液は十分に回っているので、バイパス手術はしなくて大丈夫です...???? と言われて、何もせずに次の日には退院させられた??? 大動脈が完璧に封鎖され...でも心臓へは十分な血液が送られている???? 医者も事の次第がつかめてないらしい...????私らも??? 義父は、友達の医者や、薬品会社の知り合いと話し、インターネットでいろいろ調べた結果....義父の大動脈は完全に封鎖されたけど、その周りにあった動脈が、その血液のプレツシャーでどんどん太くなり、そしてそれがそのまたプレツシャーで長くのびて、最後の発作のときに、心臓へ血液を流すべきところに到達して、自然に結合されたらしい????? だから、その新しくできた動脈から十分な血液が心臓へ送られているのでバイパス手術は必要ない...ということらしい この例はこのアメリカでもめったにないことらしく、担当した心臓外科医の先生も今までみたことがなっかった例らしい... だって義父の体は自分で大動脈にかわる動脈を自分で作って心臓につなげちゃったってこと...... ええ?????? でもそれがなければちょうど私らがオクラホマにいた時期にお父さんは心臓発作で亡くなっていたってこと.... こ....怖い.... そして私らは、タルサに戻ることなくコロラドまで帰る予定だったんだけど、お父さんの様子を見に予定を変更してタルサによって帰ってきたんだけど.... いやあ~怖い怖い.....この奇跡がなかったら義父はこの世にいない人.... とにかく彼は運のいい人... でもこれはうそのような本当の話.... 義父の教訓.... 医者が何と言おうとも自分の本能を信じて心配だったら、ほかの医者へ行け!! ....これ教訓だそうです...
2012.06.27
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子供たちの夏休みも(私もだ...)中盤に近づき6月の2週目から旦那の要望によりオクラホマへのロードトリップに行ってきました 去年あたりまではデンバー、タルサ間片道$49.00なんて言う飛行機のフェアーもあったんだけど今年はガソリンの値上がりのせいか飛行機で4人で行ったらとてつもない値段になるので12時間の車での旅をしてきました 前にカリフォルニアからデンバーへ引っ越して来たときは2泊3日のドライブだったんだけど景色がとてもきれいだったし山の中の道を通ってきたので曲がりくねった道で眠くなることもなかったんだけど デンバーからカンザスを通ってオクラホマへ行く道は 何もない.... 見事に何もない... 草っぱらと牛だけ.. それだけ... 道もまっすぐ.... それと牛だけ... 行きも帰りも旦那が運転してくれたんだけどとにかく何もないまっすぐな道はとにかく退屈 途中でお菓子を買ったりゲームをしたり、映画を見たりしたけれどやっぱりとっても眠くなる 私は助手席に座っていたので旦那は寝ても良いって言ってくれたけどそういうわけにはいかない 本当に眠いのに眠れないのって本当につらい.... もうこんなドライブは2度としたくないわ それでも、一日目はタルサの義両親のところに泊まって次の日からはグランドレイクへ ここでは私も旦那もゆっくりさせていただきました (写真がアップできません......)
2012.06.22
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この時期は卒業の時期 次男坊の行っていた日本語学校も昨日が今年度の学校が終わりで終了式 そして次男坊は昨日限りでこの学校もおしまい 次男坊は今年の夏が過ぎた新学期からミドルスクールヘ行くことになるのでもう毎週土曜日の日本語学校は終了! 思い越せば次男坊の要望ではじめたのが5年前 5年間よくがんばったね~次男坊というかでも私自身もよくがんばったと思う だって、土曜日の朝に起きて1時間近くかけて学校まで通うことこの5年間現地校の宿題に加えてこの日本語学校の宿題も大変で... でおいうか、日本語学校の宿題は私がそばについてないと次男坊は何を言っているのかわからない... 日本語学校へ行っているとはいえ毎週1回の2時間半の授業ではどのくらいの日本語が身に付くか.. そんなに日本語がペラペラになるわけでもないけれどそれでも、自分と同じ立場の日本人と友達になりいろいろな日本の行事を経験してちょっとだけみんなの言っていることがわかるような気がしてきたみたい それでも私にしてみれば万々歳だったと思う 彼も毎週行きたくない、行きたくないと思ってはいたらしいけどそれでも5年間がんばってくれたから思いっきりほめてほめてあげないとね うちの長男クンもカリフォルニアで幼稚園から小学校の3年生ぐらいまで毎週土曜日に日本語学校へ行っていた 彼も、毎週土曜日の日本語学校がいやでいやで仕方がなかったみたい でも、大きくなってミドルから外国語としてスペイン語を学校で習い始めてそして現在高校生の彼は自分がある程度でも英語とスペイン語と英語の3カ国語を理解できるのが彼の中でもかなりのプラスになっているみたい 日本語もあれだけ日本語学校へ行くのがいやだったけど 今となっては、もっと勉強しておけばよかったと自分から日本語のソフトウェアーをコンピューターにダウンロードして自分で密かに勉強しているらしい だから、次男坊もこうやって5年間がんばって日本語学校へ行ってそんなに効果はあがらなかったかもしれないけれどこれが将来のためのステップになってくれればそれでいいと思っている そして今週の火曜日は次男坊のもう一つの卒業式 現地校のエレメンタリーからの卒業式 こちらのアメリカでは日本のように大々的には小学校の卒業式はしないけれどContinuation Ceremonyという継続式典のようなものが行われる ここコロラドへ引っ越しした年の8月からキンダーが始まって毎日次男坊を連れて学校まで歩いて行ったっけ そして学校の終わる12時には迎えに行って二人で手をつなぎながら学校から帰ってきたっけ キンダーへ行く最初の日にうちに前で写真を撮ったんだけどその写真の次男坊は彼のバックパックの方が彼より大きかったんだよね 今では、背も大きいし6年間のエレメンタリー生活で彼も立派な少年に成長しつつあります 数学とか、社会とか、理科とか、国語も彼のやっていることは母親の私にはもうわっかりませ~ん!! これはやっぱりここアメリカで "Are you smarter than 5th grade?" なんていうTV番組が人気があるのもわかるような気がする 本当に彼の成長は母親としてとても誇りの思うけれども それでも母親としたらあまりはやくおおきくならないでほしいな~というのが未だに本音です 来年からミドルか~ はやいな~
2012.05.21
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もう暦の上では5月も中旬にさしかかっていて子供たちもあと2週間で夏休みに突入 長男君は今年11年生なので今年が終わればもう来年度は高校生活最後の年 彼はここ3ヶ月ぐらいいろいろな大学から資料が送られてきたりポストカードが来たりしてそろそろ何処の大学へ行くか本腰を入れて考えなくてはいけない時期 ほとんどの彼の年の子はシニアになる年の夏休みにもし州外の大学へ行くのであればこの夏休み中に学校見学という名目でその学校を見に行く生徒が多いらしい そして学校が始まるとすぐに本格的にそれぞれの学校へアプライしてそして奨学金をもらいたいんだったらそれもいろいろ調べてそれもアプライして今年中には(12月の終わりまで)ほとんどの生徒が何処の大学へ行くかが決まっているの普通らしい そして今この時期には長男君のクラスメートはみんな大学へ入るための統一試験(ACT)を受け始めている 大学へアプライするためにはこのACTのスコアーと7年生からの成績の合計点(GPA)とその他、そんなスポーツをやっていたかとかどんな活動をしていたかとかどんなグループの属していたかとかがすべて審査の対象になるらしい いずれにしても付け焼き刃の勉強だけではどうにもならないのがここアメリカの大学進学のシステム 長男君もここ3年間高校に入ってから結構一生懸命勉強していたしスポーツも適度にこなし、ボランテイアーも結構してそのうえ、スペイン語のグループとか学校の生徒会のようなものにも属していた それらがみんな実を結んでくれたらいいんだけど... だけど、母親としてみるとやっぱり子供の一番いきたい大学へ行ってほしいのはやまやまなんだけどだけど、ここ何年かの大学の授業料の値上がりはすごいものがあってそれにプラス州外の大学へ行こうものなら住居費、食費、交通費などを考えると行きたいところへ行きなさい...とは軽々しくは言えない アメリカでは現在未だに景気後退で職に就けない人が学校へ戻って違う分野での資格を取る人が多いんだけどそれでも大学の授業料の値上がりで資格を取ったはいいけれどそれプラスけっこうな額の学生ローンを抱えて仕事が決まってもその支払いでああっぷあっぷという人が多いので うちの長男君にもそれなりに話はしているのだれど本人はいったいどう思っているのか... そして母親としては本当はできることならあと数年近くにいてほしいな..というのも本音なわけで それプラス、あの子があと一年後に家を出て、独りで食事を作って掃除をして勉強して、お金の管理をしてなんてまだまだできる年じゃないとおもう..というのも本音 特に男の子はね~ 家から出たら、ファストフードの食べ過ぎで激太りになるかまたは、食べるものも食べないで激やせになるかどちらかだろうと予測はつく訳で... だけど、そういう私自身も18歳で高校卒業して家を出て東京の専門学校へ行くために一人暮らしを始めたのがその時期だからやってやれないことはないと思うんだけど やっぱり親としてみればとっても心配 でも、私は18で家を出て一人暮らしを始めた最初の2年が人間として大きく成長した時期だと我ながら思っているからこれはやっぱり大人になる上での過程だと思ってポンと背中を押してあげないといけないのかなあ? それにして子供が大きくなるのって早すぎるだから私がどんどんと年をとるのね 長男君も高校のカウンセラーと話したりインターネットでいろいろリサーチしたりはしているみたいだけど なるっえくだったら希望のところに行ってほしいけど だけど..だけど... やっぱりやっぱり心配.... あとすこしだな~
2012.05.12
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うちの長男君も今年は11年生高校のジュニアです 昔からアメリカの映画にあるように高校のジュニアとシニア(12年生)がその年のプロムに行くことができます 彼は普段あまりそういう行事に参加しないんだけどプロムって大げさに言えば一生のうちに2回だけしかチャンスのないイベント うちの旦那は高校のときにプロム行きたかったんだけど両親がお金を出してくれなくて結局一回もプロムに行けなかったって未だに言うことがあるから 長男君には行く気があるのなら私が半分お金を出してあげるから行けば?って今年は言っていたの プロムはとにかく結構お金のかかるイベントそしてそれも誘った男の子の方がほとんどすべてを払うのがトラデッションらしいだから半分出してあげようと思っていたの ところが...... 私はまた春休みに母に会いに日本へ10日ほど行きその帰国直前に電話で長男君から ”僕、気になっていた女の子をプロムに誘ってOKをもらったから行くから” ”それでプロムはいつなの?” ”来週の土曜日” それって、その前の週の土曜日2週間もないのよ....(大汗.....) そして月曜日に日本から帰ってきてその次の日からタキシードのレンタル屋に電話をしまくって割りとリーズナブルにタキシードのレンタルをしてくれるところを見つけて 水曜日には長男君を連れてそこへ行ってサイズを測ってもらってタキシードをオーダーして その足でコサージュと胸につける花をオーダーしに行って ホット一息... それから息子がどのグループと一緒に行くか彼女と相談してそのグループで一緒にディナーを食べるところを予約してその人数に合わせてトランスポーテーションを用意して 今回は人数が多いのでプロムに必須のリムジンではなくてチャーターバスを使うことにしたらしい そして長男君がプロムのチケットを二人分とプロムの後に学校でするアフタープロムパーテーのチケットを2枚かって 結局私の払った分と彼の払った分でだいたい$500ぐらいはかかったもしれない 長男君はここ2ヶ月ほどアルバイトをしているので彼女の分チケットとデイナーも自分で払うことができた そう出なかったら私だけで全部はとっても払うのは大変です.. そして前の日にタキシードをとりに行って試着してコサージュをとりに行って そして当日... 彼のグループは全員近くの公園に集まってみんなで写真を撮ることになっていて 長男君はなれないタキシードを着て私がそこまでつれて行ったの そこで両親につれてきてもらった彼女と合流してみんなでグループ写真を撮ってカップルで写真を撮って そして私がその二人を学校まで連れていいてそこから彼らはチャーターバスでダウンタウンのレストランまで行って食事をして 8時からのプロムに間に合うようにまたチャーターバスでプロムの会場へ行って(今回はブロンコスフィールドのラウンジ)そこで11時までプロム 11時にプロムが終わってまたチャーターバスで学校まで帰ってきてみんなで普段着に着替えて今度は学校でアフタープロムパーティーが行われた 長男君の学校ではここ何年かプロムの後に生徒たちが集まってお酒を飲んだり煙草を吸ったりドラッグをしたりというを避ける目的でプロムの後に保護者のボランティアーが中心となってアフタープロムパーティーが行われている 軽食あり、飲み物ありゲームあり、ダンスあり結構楽しいパーティーのようでそれが延々明け方の3時30分まで続く そして長男君から電話がかかってきたのが3時30分すぎ それから学校まで彼と彼女を迎えに行って彼女を無事に家まで送り届けて帰宅の途についたらもう明け方の4時 それでも、長男君と彼女はとても楽しかったらしい 今日はお昼ぐらいまで布団の中だった長男君だけどそれでも楽しい思い出はたくさんできたらしい 母も高校の一大イベントが終わって事故なく怪我なくアクシデントなくすべてが終わったのでほっと一息 さて、これが終わったらもう1ヶ月半でこん年度の学校も終わりで夏休みの突入です でも、昨日の夜からここコロラド... 雪が降っているのですが...
2012.04.15
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ここ何ヶ月かすごい勢いで過ぎてしまって気がついたらもう3月 ここコロラドも少しづつ暖かくなってきたような気がしていますがまだまだ雪は降るんだろうな.. うちの長男君は今年度11年生来年はいよいよ12年生シニアになる訳で今からいろいろと今後の進路のこととかこれからのがっこうのこととかを考えなくてはいけない時期になり それにプラスして去年の8月に運転許可証をとって今現在私か旦那かどちらかがとなりにのってどこかへいくときには運転の練習をしているんだけど 運転許可証(免許証じゃないよ)をとってから1年以上しないと運転免許証を取れる資格がないのその一年の間に昼間で50時間以上夜の運転で10時間以上の経験を積んでから運転免許証をとれることになるんだけど ここが問題 うちの長男君は9月生まれなので彼の学年の中では一番若い部類に入る彼のほとんどの友達はもう運転免許証をとって親に車を買ってもらいそれで学校へ行っている子がほとんど まあ、このご近所さんでは親が車を買ってあげて保険も払ってあげて、ガソリンも入れてあげてっていう親が多いみたいなんだけれど うちの方針では、車を運転するんだったらガソリンとメインテナンスぐらいは自分で出せって思っているそれでなくても、早ければ来年高校を卒業して他州の大学なんぞに行くことになったらお金の管理から、車の管理からすべて自分でしなくてはならなくなるから今のうちの自分で責任を持ってできるように教えてあげたいと思ってね だから、学校の空き時間を使ってできる仕事を見つけたほうがいいよだけど、あまりにその仕事の比重が重すぎて学校の成績が下がってしまうのは困るからそこらへんのバランスを考えた仕事を見つけなさいって そういう私も高校2年の夏ぐらいから夏休みとか、週末にバイトを始めて自分の自由になるお金を持っていたし 旦那は旦那で、両親からおばあちゃんの乗るようなステーションワゴンを譲り受けそれから芝刈りの仕事を始めそれに加えて、新聞配達もやっていたという人 だから、当然長男くんにも同じ経験をしてほしかったし私らはすべての彼の車ににかかる費用を払ってあげられるほど裕福でもないから でも、仕事へいくには車がいるし車を維持するためには仕事がいるし車のない長男君には仕事の範囲が限られてしまう でも、あるつてで近くのレックセンターでのライフガードの仕事の話が来た 彼はここ2年ほど学校のスイムチームに属していて泳ぎは朝飯前って所それに、そのレックセンターは最悪の場合歩いても行き来ができる距離だったから早速それに申し込んだ インタビューがあってその後にライフガードのトレーニングが一週間あったそれも、今回は自腹を切って$125払ってのトレーニング 彼には、これは自分で自分への投資なんだから自分で払いなさいねって言って彼は自分でそのトレーニング代を払ってトレーニングをうけて 晴れて先週の土曜日からライフガードとして働きだした私がいるときには送り迎えはしてあげるけれど私のいないときは歩いて行っている そこには老若男女いろいろな人が働いている同じ高校の人も働いているし大学生も働いているしおじいちゃんおばあちゃんもいる 彼は仕事場の年上の大学生からいろいろ大学の情報なんかももらってきている 私も高校のときにほかの学校の子一緒に働いたり年上の人と働いていろいろなことを教わった 彼がその同僚からよいことばかりを教わってくるとは限らないけれどでも、これが彼の社会人になるためのちょっとしたステップになるのでいい影響をいっぱい受けてきてほしいと思っている これから彼は毎週週に25時間ぐらい働くことになるけれど学校の成績が落ちたらやめさせるって言ってある だって、今は学校のことが一番だから でもそんな中でも学校でたくさん勉強して適度に仕事をして適度の友達とつるんで彼の中で適度なバランスを保って行ってほしいな でも、.... 私のベイビーが...もう仕事をしているのって何だかうれしいんだけどなんだか、寂しい気もする こうやってどんどん彼は大人になって行ってどんどん私のもとからはなれて行くのかな...っておもうとまあ、喜ばしいことなんだけどね さて、彼は今週末に始めての給料をもらってきます 初めての給料ってうれしいよね...きっと
2012.03.06
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20年前のちょうど今頃たぶん1月8日だったと思うんだけど そのときお付き合いしていたBFにさよならをして7年間OLをしていた会社をやめ東京ですんでいたマンション(会社の社宅)を出て 荷物をすべて実家に送り 最後のお正月を実家で迎え まだその当時あった大韓航空の1年オープンのチケットを抱えて成田からアメリカ行きの飛行機に乗った 行く先はTampa, FL 留学斡旋所で紹介してもらった同じ学校へ行くもうひとりの彼女と成田であって私は彼女とは別の飛行機だったのでその夜Tampaの空港のBaggage Claimで待ち合わせをして飛行機に乗った 英語もろくにしゃべれずにだけど、若さと度胸でどうにかなるさ...って思って1年間の予定で留学することにした20年前 よくそんな勇気が私にあったな~って今思えば自分で自分にびっくり!! Tampa, FLなんて誰も知っている人もいないしただフロリダだから暖かいだろうと思って選んだところ寮と、語学学校の手続きを斡旋所でしてもらってスーツケース一個で飛び立った そのときはでも不安とか心配とかよりも異国で生活することへの憧れだけで不安なんて全然なかったような気がする Tampaの空港で待ち合わせをしていた彼女に会ってあらかじめとってもらっていたホテルへ行くためにタクシーを拾った 二人とも長旅でぼろぼろだったけどそのタクシーに乗ったとたん正気にもどった... だってそのタクシーの運ちゃん.... 昔の売れない地方周りのプロレスラーのように肩よりも長い髪をなびかせておまけにカウボーイハットなんてかぶってて車の中はなんだか汗のにおいだかなんだかとっても臭いし.....汚いし.... とりあえず行き先は書いた紙を渡したのでわかっているんだと思うけど二人の心臓はバックンバックン!!!!! 空港からそのホテルまでは結構30分ぐらいかかってでも初めての土地だし、土地勘はないし私ら無事にホテルまでつけるのかしら?? って思ってたんだけどどうにかホテルについて、お金を払って タクシーから降りようと思っていたそのときその地方周りのプロレスラーまがいの運ちゃんが ”がんばってね!” って日本語で私たちに言ってきた びっくり仰天!!! と同時に ほっと一息~!!! ホテルに部屋に入ってからも二人でどんなにタクシーに乗っている間にどんなに不安だったか...そればっかり! そしてそのホテルで一泊して次の日またタクシーを呼んでもらってその日から入寮可能だった寮へと向かった そうやって始まった私のアメリカ生活あれからもう20年 私は実家で父と母と一緒に暮らしていた時間よりも長い時間を このアメリカで過ごしてきた あの時このアメリカにこうやって20年も住むことになるなんで想像すらしていなかった この間いろいろなことがあった イリーガルで日本食レストランで生活費を稼ぐために皿洗いのバイトをしたり ESLの学校でありとあらゆる国ひとと友達になってカルチャーショックなことがたくさんあった私の知らない世界がたくさんあった 私の住んでいたアパートで殺人事件があったり 車を盗まれたり そして旦那と出会いなんだかわからないうちに結婚して 私の結婚式で約3年ぶりにハワイで両親と弟妹と再会して それから子供が生まれて.... 1年留学して日本へ帰ったら実家に帰って暮らそうかな??ぐらいしか考えてなかった私が今もこうやってここにいることが自分でも不思議 若気の至りとはよく言ったもので今こうやって結婚して母となった私にとっては自分の子供が異国の地へひとりで行くなんてなんだか考えられない この20年の間に思考が攻めから守りにかわってしまったんだろうな でも20年このアメリカにいても英語がアメリカ人のようにネイテイブに話せるわけでもないしここで生まれて育ったわけではないのでまだまだ知らないことがたくさんあってこの20年の間にもいろいろな失敗もしたりすっごく悔しい思いをしたこともあったけど だけどこうやって今しあわせにこの土地で家族と一緒に暮らせているんだからいいとしないとね 私はやっぱり日本人だし日本人意外にはなれないし でも、こうやって長年暮らしているとだんだん住めば都という感覚で私にとってはアメリカで暮らすほうが楽だなって最近思うようになってきた きっと今から20年後もこうやってアメリカで暮らしているんだろうなって思う子供たちも旦那もここにいるからここに根をおろしていくんだろうな それにしても あっという間の20年だったわ..
2012.01.11
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遅ればせながら 明けましておめでとうございます 12月第3週目には学校が終わりこどもたちは2週間のクリスマスブレーク と言うことは私もそれに乗じて2週間のクリスマスブレーク いつもならばクリスマスの前から1週間ぐらいクリスマスをはさんで義弟のいるカリフォルニアへ家族で行き義弟たちとクリスマスを祝っていたんだけど 今年はなぜかしら6月に続いて11月のサンクスギビングにも旦那の両親と義弟、そのガールフレンド、そして甥っ子とまた旦那の家族全員コロラドへ集合しそれもあって今年は家でまったりと2週間を過ごしました その間に旦那はまた両親のところへいろいろな家の手伝いに1週間ほど行き その間に私と子供たち3人はもっとまったりと毎日を送ったわけで そしてその間に長男君は左右上下の4本の親知らずを抜くという手術をした 長男君は5年生のときに第一段階の歯の強制をし2年前から第2段階の歯の強制をして今年の夏にはようやくブレイスもとれたんだけど うちの長男君は私と同じで歯の大きさに比べてあごが小さいようですべての歯が並ばないらしい そこで歯科の先生がまだその親知らずは一本も生えてきていないけれど生えてくる前に手術でとってしまったほうがいいと言うこと このままだと生える場所のない場所に生えてくるから曲がって生えてきたり隣の歯をおしてせっかくきれいに矯正したのにまたもとの木阿弥で歯が動いてしまうかもしれない これは歯医者といえどもきちんと麻酔をしてする手術になるのでこのクリスマスブレイクを選んですることにした それが木曜日の予定だったんだけど 私は火曜日の午後からなんだか体の節々が痛くて熱をはかったら案の定100Fを超えていた私は平熱が低いので100Fぐらいの熱でも体中がぐったりして動けなくなるの そうしたらのども痛くなってきて最悪の状態 でも天気予報では次の日の水曜日の夜から寒波が来るそうで寒いのと雪がたぶん30CM以上積もるということ これ最悪の状態 次の日、木曜日は長男君を8時半までに手術のために歯医者に連れて行かなくてはならないしもし30CMも雪がふったらうちのドライブウェイから車を出せないから朝早く起きてドライブウェイの雪かきをしてから車を出さないと それでも大きい道路は除雪車が入るだろうけどうちの家に入る小さい道路は明日の朝ではまだ入らないだろうし.. 最 悪!! 次の日目が覚めたらやっぱり30CM以上の大雪夜はやっぱり熱のためあまりよく眠れずにそれでも長男君を連れて行くために7時に起きてドライブウェイの雪かきをして8時前には家を出た 手術のほうは1時間かからないで終わり麻酔も今いろいろ問題があるので完全に意識のなくなる麻酔ではなくて意識はあるんだけど痛みとか記憶が残らない麻酔で 長男君はその日結構強い痛み止めの薬を飲んで私も家に帰ってた11時前にはもうぐったり状態その日は一日私も長男君もぐったり 私はそれから3日間解熱剤と熱の戦いで解熱剤を飲むと熱が下がるから元気になるんだけどそれが切れてくるとまた熱が出てきて体の節々が痛くなり始めてまた動けなくなってしまう状態の繰り返しで.. めったに熱の出ることのない私だし病気こそもめったにしない私だけれどこのときばかりは参った それにこの週はだんないいない週このときだけは旦那にいてほしいと思ったけどまあ、いいっかあ~ それでもクリスマスまでにはそれも完治し家族でまったりと家で過ごし 新年も無事にむかえ 仕事始めの一週間はさすがに老体に鞭打つようにつらい一週間でした と言うことで遅ればせながら 今年もよろしくお願いします
2012.01.07
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昔、昔のはなし 今から18年ぐらい前私は日本から留学のためにTampa, FLに住んでいた そして、そこの大学のELSへ行っていて本当は仕事をしてはいけなかったんだけどうまい具合に日本食レストランでのバイトの話があってそこでバイトをしていた 皿洗いから、ホステス、キャッシャーそしてウエイトレスもするようになって1週間に5-6に日は働いていた その日本食レストランはその当時Tampaではただ一軒の日本食レストランで毎日毎日忙しかった そのレストランはとてもにぎやかな通りにあったんだけど駐車場は店の表からぐるーっと回って裏のほうに20台ぐらい停められる駐車場があってそこに従業員は車を止めていた その日もやっと忙しい夜が終わりいつものように裏口から駐車場へ出て家に帰ろうと思ったら... 停めていたはずの場所に私に車がない ?????? あれ???別の場所に停めたっけ?? ぐるーっと駐車場を見て回ったんだけど やっぱり私に車がな~~~い 大汗!!!!!! 裏口からレストランへまた入ってマネージャーに来てもらって一緒にみてもらったんだけど やっぱり私の車がない.... え??私は誰??ここはどこ??? のように一瞬何がなんだかわかならかった マネージャーはボーっとしている私に きっと車を持っていかれたんだ警察に電話したほうがいいって言って警察に電話してくれた そして私は半分何がなんだかわからないままその当時ルームメイトだったうちの旦那に電話をして迎えに来てもらうことにした 警察が来て、旦那が来てくれてやっと私の中でも私の車が盗まれたんだ...っていう自覚が沸いてきた どうしよう...どうしよう...どうしよう... その車はなけなしのお金をはたいて$1700で買ったばかりの車で車がないと生活のできないアメリカでは車はないということは大打撃 どうしょう...どうしよう...どうしよう... そして、警察にひとは車の種類とか色とか保険のカードからIDナンバーやらなにやら盗難届けを出すためにいろいろ情報を聞いて帰っていった... それから旦那に家まで連れて帰ってもらったんだけどそのよるは夜はショックでほとんど一睡もできなかった それから2-3日し警察から電話がかかってきて私の車がモールの駐車場で見つかったって言うこと 急いでとりにいったんだけどその車を盗んだ奴は鍵を入れるイグニッションをとってしまっていたので鍵を入れてエンジンをかけれなくなってしまった でも、スクリュードライバーをイグニッションへ差し込むとエンジンをかけることができたのでそれからしばらくの間車の鍵でドアを開けてスクリュードライバーでエンジンをかけるということを2-3ヶ月していた だって、直すお金がなかったんだもの... そうして車がもどってきてめでたしめでたし...だったんだけど それから私は数ヶ月に一回夢を見るようになった 夢の中でどこかへ行ってそして車に乗って帰ろうと思って駐車場へ行くと... 車がない また??...やられた~ どうしよう...どうしよう...どうしよう... って夢の中で途方にくれているんだけどそのうちに目が覚める そんな夢を何回も見て でもそれが1ヶ月から6ヵ月ごと... 2年ごと...5年ごと.... しばらくその夢も見ていなかったんだけど 昨日....久しぶりにその夢をまた見た 車でどこかのビルディングへ用事があって出かけたそれが終わって車を停めたところへいくと車がない.... あれ??? 確かにここに停めたのに....そしてその隣にはなぜか うちの近所に人が最近買った新型のBMWが停まっていた あ...またやられた....どうしよう...どうしよう...どうしよう... と思って途方にくれていたら...目が覚めた 面白いことに何回同じパターンの夢を見ても夢の中でこれが夢だって言う自覚がない 夢の中でも夢の中でこれは夢だから...ていう自覚のある夢があるけれど このパターンの夢は何回見てもそれがない 毎回新鮮に やられた....っていうショックな思いでどうしよう...どうしよう...どうしよう...って途方にくれる私 何年経ってもあのときのショックはトラウマとなっていまだに心の中にあるんだな~ってこの夢を見るたびに思う そして今回はしばらくこの夢をみていなかったのに3ヶ月前に新しい車を買ったからきっとそれでまたこの夢を見たんだろうな..っておもう 自分ではとっくの昔に忘れたと思っていたそのショックも心の奥こそにはこうやって残っているんだろうね あと何年経ったらこの夢みなくなるんだろう???
2011.12.01
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なんか最近ひしひしと年をとったな~って思うことがしばしば そう思うひとつの根拠はもちろん健康にかんすること 私の最近の乳がん検診ことといい(詳しくはこちら) 最近うちの旦那はまたひざが痛み出して医者へ行ったらリュウマチの始まりだって言われるし... 2-3ヶ月前にうちの旦那が毎日のように胃痛に悩まされることがあった 胃がきりきりと痛むらしく時には夜中にその胃の痛みでがばっと起き上がりそれから眠れないこともあったらしい うちの旦那はなんだかわからないけれど男としての変なプライドみたいなのがあって男なら少しぐらいの痛みがあってもそんな簡単には医者へは行かない みたいなところがあってその痛みは2-3週間ぐらい続いていた いくら医者へ行けって言っても医者へ行ってもどうせ$25払ってこの胃の痛みは今飲んでいるひざの痛みを抑える薬のせいだって言われるに決まっているからそんなの時間の無駄だしお金の無駄だって行かない それでも夜中に何回か夜中に痛みで起きることがあったのでもう私も心配になってきて今まで黙ってたけれどあなたは私の言うことを聞いてくれないからしょうがないからあなたに選択権をあげるから病院へ行くか、生命保険を追加で買うかどちらかにしてくれる??? それにさ~背中も痛いって言ってるよね今日DR OZが言っていたけれど胃と背中の痛みが両方来るときってすい臓がんを疑ったほうがいいみたいよ!! って言ったら旦那... 明日アポイントをとる......って そうしたらやっぱりひざの痛み止めの薬のせいで胃炎を起こしているみたいでお医者さんから薬をもらって帰ってきた そのとき私は考えた... うちでは旦那も私も生命保険は会社を通してしか入っていない 会社を通して入るとグループ保険の割引が適用されるから値段が安いんだけど会社を過去何年かのようにいきなりレイオフされたらその保険も失業中は適用されない 以前に個人で生命保険を掛けようと思ったときがあったんだけどそのときは私も旦那もスモーカーだったのでそこで保険をかけても私たちはハイリスクなので結構保険代も高かったのであきらめた 今現在では私と旦那がタバコをやめてからもう6年以上になるからきっと保険料のそんなに高くないだろうし(保険会社によるとタバコをやめて3年すると喫煙者のレッテルがなくなって非喫煙者になるそうです) 私たちも50にどんどん近づいてきてどんどん自分たちの健康状態も気になってくるしでも、まだまだ子供たちが独り立ちするまではがんばっていかなくてはならないけれど 何があるかわからないのが人生であって... やっぱりこれは個人で生命保険に入っておいたほうが得策だろう...という結果に落ち着いた そしてそれを旦那に話した 旦那は、ぜんぜん真剣に考えてない ”会社を通してこれだけ保険をかけているからいいじゃないか会社をレイオフされたらそのときに入ればいいじゃないかそんなに保険をかけて俺を殺したいのか??” そういう問題じゃない!!! 会社をレイオフされたときに入ろうと思ってもそのときに何か病気を患っていたら保険には入れない可能性もあるしそれに、個人で入ったら今度会社の福利厚生のリビューのときに会社のほうの金額を下げればいいだけの話だし 誰も、あなたがどうにかなることを望んでいるわけでもないしだけど、何かあったときのために準備しておくのは悪いことじゃないよ 私も自分で生命保険個人で少し入るつもりだし... もし私に何かあって、あなたが悲しむのもわかるけれどそれにプラスして経済的な問題が出てきたらそれこそ大きな問題が増えるだけだよ 私が生命保険に入るのは何かあってもあなたと子供たちがきちんと経済的に問題なくやっていけるようにするために私からのプレゼントだと思って そうやって旦那を何度も説得してやっとのことで旦那からの了承も得られて インターネットで掛け捨ての保険を探して保険代理店を見つけて見積もりを出してもらって そうしたら保険料は会社で入っているのと大してかわりのない金額で そしてその後すぐにその代理店から自宅に看護婦さんを送ってもらって尿検査、血液検査、脈拍、身長、体重そして、これまでのメディカルヒストリーに関しての質問を受けて それから1ヵ月半.... やっとその保険も承認されて 私もほっと一息 それでやらなくては、やらなくてはって思っていたことのひとつが終わった 前々から書いていたんだけれど自分にないかあったら...って旦那に何かあったら...って思うのは縁起のよいことではないかもしれないけれど そのときはいつかはやってくる誰もが避けては通れない道 人によってそれに対する考え方は千差万別だけど私は残された旦那や子供たちが私がいなくてもきちんとやっていける準備をしてあげるのが私の仕事だと思っているから... この保険を申し込むときにあるサイトへ行って保険の見積もりをしたし そのサイトでは、自分の年齢はいくつで配偶者の年齢はいくつで子供は何人いて子供の年齢はいくつで現在の収入は大体いくらぐらいか 家のローンはいくらあってどのくらいで払い終わるのか 子供を公立の大学に行かせるつもりかそれとも私立に行かせるつもりかそれと、いくつでリタイアーするつもりか それらのデータを入れると自動的にいくらの保険が必要だっていう見積もりが出てくるこれは結構便利なサイト たいていのアメリカの会社は12月31日が決算のところが多いから従業員の福利厚生も1月から新しくなることが多いそして今が大体そのリニューアルの手続きをする時期 皆さんもこの際もう一回福利厚生を見直してみるのもいいかもしれません うちがしなくてはならない次の手続きは 信託...だな...
2011.11.10
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今年のFall Breakは.... 去年のFall Breakにうちの旦那はオーバーブックしたフライトでボランテイアーで席を譲って二つの航空会社からバルチャーをもらっていたのでそれを使っての旅となりました(詳しくはこちら) そして私と長男君がペアになってC社旦那と次男坊がペアになってU社のフライトをブックして 行きも帰りも同じぐらいに発って同じぐらいにつくフライトをとって私と長男君はヒューストン経由旦那と次男坊はフィニックス経由 土曜日の帰りの便も一緒に空港へ行って私たちのフライトのほうが15分ぐらい早かったので旦那と次男坊に ”See you at Denver" といって別れたの デンバーに着いたら隣の親父が迎えに来るように旦那が話しをしているから一緒に空港から送ってもらう予定だった そして私らはヒューストンに着き2時間レイオーバーがあったので夕食を食べいたら隣の親父からテキストメッセージが入って ”11時に空港に着くように迎えに行くから”って 私は????なんで私にメッセージをよこすのかわからなかったから ”ありがとう、で...うちの旦那と話したの?”ってテキストを送り返したら ”奴の乗るはずだった飛行機が故障でまだ二人ともメキシコらしい帰ってくるのは月曜以降らしい” ”WHAT?????" ってことで私たちは何も知らなかった... 今回は私たちの使ったC社では国際線は荷物ひとり一個はただで預けられるんだけど旦那の乗ったU社はお金を取られるのですべての荷物は私と長男くんの名でもう預けてあって 旦那が持っているのは自分の洋服数枚と洗面道具だけ次男坊のすべての洋服と洗面道具などはすべて私たちが持ち帰ってきてしまった... そのうえ旦那はその朝に彼のコンピューターに水をかけて彼のコンピューターは動くかどうかわからない状態.. それに今回行ったのはALL INCLUSIVEのホテルなので旦那、現金なんてほとんど持ち合わせていないどうするんだろう?? 早速コンピューターでU会社のウェブサイトへ行ったら旦那の乗るはずだった飛行機はキャンセル即効でカスタマーサービスに電話をして聞いても私には彼らの情報は教えてくれないただ、向こうの飛行機の都合でキャンセルになったのでホテルは用意してくれるということ必要であれば食事券も与えられるということ ちょっと安心したけれどそれでも彼らはどこにいるのかまったく検討がつかなかった 結局デンバーについて隣の親父が迎えに来てくれて彼に尋ねたら 旦那から来たテキストメッセージを見せてくれた それによると 自分たちの乗った飛行機が故障のためキャンセルなった自分の携帯電話も電池切れで使えない(チャージャーは私が持って帰ってきた...)コンピューターも動かない自分たちはHoliday Innにいる今自分は次男坊のI-pod Touchからテキスト用ののアプリケーションを使ってテキストしている ということ そして自宅に着いたのがもう土曜日の深夜 そうしたらその間に次男坊からテキストメッセージが入っていて自分たちはホテルにいるということそして彼はどうやらまた中耳炎か外耳炎で耳が痛いと言っている そのために持っていったすべての薬も私たちが持って帰ってきているから旦那が持っているのは痛み止めだけ それからコンピューターでHoliday InnのウェブサイトでCabo San Lucas空港近辺のHoliday Innを探した 次の日朝起きて保険会社に電話したんだけど(海外旅行用の保険に入っていたから)私たちの入った保険はメディカルだけの保険だったのでフライトキャンセルには適応されないということ この海外旅行保険はその前の日で保険の期限が切れていることだから、この保険は適用されないこと それから、そのHoliday Innへ電話をした 旦那はちょっとびっくりした様子 ”よく、自分たちがここにいるってわかったな~”だって 結局、U会社では自分たちの会社のフライトにキャンセルした人たちを振り分けているらしんだけどとにかくフライトの数が少ないので彼らの帰ってくるのは早くて火曜日 火曜日???? それが日曜日の朝 そうしてようやく旦那とも連絡がついてでも、次男坊の中耳炎は続いているみたいで そうしたらまた旦那が自分の洗面用具入れの中から昔うちの父からもらった抗生物質を発見それを飲ませてその場をしのいで それでもせっかくメキシコのビーチ沿いのホテルに泊まっているのに次男坊は耳が痛いから海どころかプールににも入れず そして、着替えもないから旦那が毎日夜になると次男坊の下着とシャツを洗ったみたいで歯ブラシもないからひたすらもっていたリステリンで毎日うがいをしてたらしい 旦那よ~歯ブラシぐらい買ってあげてくれ~~それとパンツとシャツも~~ そして帰ってきたのが昨日の夜 旦那も次男坊も言っていた We are ready to go home!!! そうだよね~結局3日も帰宅がにのびたんだから でも、帰ってきた旦那に話を聞くと旦那達はまだいいほうで家に帰るフライトが水曜日木曜日って言う人たちもいたらしい そして、どうしても仕事の関係などで月曜日までに帰らなくてはいけない人たちは$1500ドル以上も出して他社の航空券を買って帰ったらしいU社は何もしてくれなかったらしい うちももし今日のフライトだったらデンバーには降りれなかったかもしれない..今日デンバーは今年2回目の雪 昨日のうちに無事に家に帰り着いた旦那と次男坊夜はたいへんないびきをかいて寝ておられました やっぱり疲れたんだろうね でもこんなことになるなんて夢にも思わなかったわ とにかく無事に帰ってきてよかった
2011.10.26
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今年もまたここでは秋休みシーズンとなりました もしかしたら今年で最後かもしれない秋休み 前々から計画していたとおり今回もメキシコへ 今回は初めての Cabo San Lucasへ ここはバハカリフォルニアの最先端ちょっと湿気はあるけれど海はきれいだし天気もいいし そしてこのホテルはいつものとおりALL INCLUSIVEのホテル 食べ物、飲み物、ぜーんぶ含んでいるからおなかのすいたときにはレストランへ行きのどが渇いたらバーへ行って飲み物をもらい ハワイへ行ったときのように帰ってからのクレジットカードの支払いの心配をしなくていいのがとってもうれしい そして毎日、時間ごとに大人と子供のアクテイビティーが組まれ私も子供たちも毎日いろんなことをして遊びました 毎日10時からはウォーターバレーボール 毎日11時からはピンポントーナメント 12時からはウォーターエアロビクス 1時からは クレイジーゲーム 2時からはウォーターポロ 3時からはまたもやゲーム 4時からはサsボール 一日中こんな感じ 夜は夜で毎日違うテーマでショートかゲームとかがステージであって子供たちも大喜び 夕日もきれいだった... そんな楽しかった1週間も終わってしまって土曜日には帰宅の途に 今週の月曜日からはまた 学校と仕事の毎日 でも.... 実は.... まだ旦那と次男坊が帰ってきていないんですが... TO BE CONTINUED.....
2011.10.26
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10月はタイトルどおり 乳がん早期発見のピンクリボン月間 実は私の母も彼女が45歳ぐらいのときに乳がんで左胸の除去手術をしています それもあって私は35歳のときから毎年どこにいてもメモグラムだけは毎年欠かしません 私は毎年自分の誕生日の月に毎年の健康診断へ行きます 血液検査、子宮がん検診それとメモグラム 実は今年もその検査へ行き2週間前に一年に一回のメモグラムをしたら3日後にドクターのオフィスから電話がかかってきて 右胸の今年のメモグラムの写真が去年の写真と違うから再検査したいということ メモグラムはたいてい40歳を過ぎると ベースといって基本のレントゲンを撮りそれを基に次の年からその写真に変化がないか見ていく方法がとられていて 今年はその写真に何らかの変化があって念のためにもう一度検査をしたいということ そしてそのときに何か見つかればすぐにウルトラサウンド(超音波診断)をしてお医者と話せるように1時間半の時間を見てくださいということ ちょっと....汗........ すぐに旦那に電話をして彼の時間のある日を聞いて彼にも一緒に行ってもらうようにした もしお医者さんが何か複雑なことを言って私が理解できなかったらいやだし彼にいてもらったほうがもちろん心強いから それが先週の水曜日 それから一週間 今日が一番早いアポイントに日だった いや~この一週間... いろいろなことが頭の中をぐるぐる回ってでも、子供たちには心配かけたくないしうちの母にも心配させたくなかったから電話はしないでおいた うちの旦那もなんだか最悪のことばかり考えて旦那は旦那で自分の母親のところへ電話したらしい 私も最初の1-2日はちょっと鬱々といろいろなことを考えてでもそういう時に考えるのはいつも最悪のシナリオばかりで考えれば考えるほど落ち込んでくるし でも、2日経ったらなんだか吹っ切れて今くよくよと考えても仕方がないとりあえず来週の水曜日にお医者さんへ行って何か悪い知らせがあったらそのときにどうしようか考えよう 今からいろいろ考えてもエネルギーの無駄だし今考えても私には何も出来ないし普段どおりの生活をしよう 一週間あれこれ心配して暮らすのはやめよう!って思って気持ちを切り替えてもちろんそれでも心苦しいときは心の中で祈願しながら... そうしたら、この一週間割と忙しかったせいか普通に落ち込むことなく毎日を過ごせたんだけど その反対に旦那のほうは時にこの2-3日仕事のストレスも重なってあまり眠れぬ夜を送っていたらしい 今日、病院に行く車の中で旦那が ”さて...これでなんでもなかったらいいけれど何かあったらどうしよう..お前を見ているとこの1週間ぜんぜん心配していないように見えたけどお前は心臓に毛が生えているのか??” なんて言っていたけれど ”今心配しても私は何も出来ないから結果を聞いた後に心配しようと思っていたのそうやって気持ちを切り替えないととことんまで落ち込んだらいやだから...” って言っておいた そして、旦那に付きそわれて病院へ行ってまた新しくレントゲンを4枚とって看護婦さんはそれをお医者に見せて疑わしいところがあったら今度はウルトラサウンドをするからと... 旦那は待合室で待たされて私だけが診察室でその結果がでるまで待っていたんだけどもうひとり、たった今メモグラムを終えたた女の人がもどってきて彼女は目が真っ赤で明らかにないているよう.... ま...まずいなあ.... なんて思っていたんだけど それからすぐに看護婦さんがもどってきて ”何もなかったわ~もう帰っても大丈夫よ~ウルトラサウンドの必要もないわ~また来年ね~” と、明るい顔で私に言った ふう~~~ (ため息....) それから、看護婦さんと一緒に旦那の待っている待合室へ行ってそのことを伝えると、旦那も ふう~~~ (ため息....) 看護婦さんの話だと今回そこの医療施設ではメモグラムの機械を性能のよいデジタルのものに換えたらしい そうすると、今まで見えなかった詳細がもっと見えるようになったので念のために疑いのある人たちを再検査に呼んでいるということ でも、何もなくてよかった.... 乳がんは早期発見すると治らない病気ではないしうちの母も早期発見で完治し今は毎日元気で暮らしている お医者さんへ行くのは結構時間もかかるしお金もかかるけれどもそれでも、きちんと検査しておくに越したことはない そして毎年10月はこのピンクリボン月間このキャンペーンにのってみなさんも乳がんの検診を忘れずにしてください 現在NFLでも選手から審判からみんなピンクの靴やらタオルやらを使っていますこの月間が終わったらそれらはオークションにかけられて乳がん撲滅のための寄付されるそうです
2011.10.13
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ここデンバー近郊では毎年300日を越える晴天の日の影響かそれとも単にそういう環境なのか スポーツをする子供の多いこと.. カリフォルニアでもスポーツは盛んだったけれどもこのコロラドでは一番盛んなのは サッカー それも特に女子サッカー 学校に入るかはいらないかのうちから市で運営するサッカー教室に通い始めて それが小学校も中学年になってくると各地域にあるプライベートのCLUBと呼ばれるそれぞれのサッカー団体に登録してもっともっとサッカーの練習に力を入れて それが今度ミドルスクールになるとある程度の才能のある子はどんどん上のリーグへ行きそのほかにも学校のサッカークラブにも登録して それからハイスクールに行くと本当に選ばれた子達がナショナルリーグなどへ登録して上へ上へと上がっていく そして、その子供たちの中ではサッカーばかりでは飽きたらず親が子供をプッシュして別のスポーツとも併合させてしている子達もいるの アメリカではスポーツはシーズン制なのでたとえば、春のサッカーリーグに登録して4月から7月までサッカーその後はバレーボールが8月から12月それが終わって1月から3月までバスケットボール その間に秋のサッカーリーグに登録したりこのCLUBのほかに学校のチームに登録したり 私の知っている子なんて同じ時期に3つのスポーツを掛け持ちしている子もいた そうするとひとつのチームの練習が週に3回そして土日は試合があるので毎週毎週試合に行って その他に高校生だったら毎日の宿題があってそしてテストがあるとその他の勉強そしてそれにプロジェクトなんかが加わってくると寝る暇あるのかね~ってかんじ そしてそれにかかるお金も馬鹿にならない CLUBではひととシーズン(大体3-4ヶ月)でひとり$1200-から$2000支払いその他にユニホーム代が大体$300-500 そして毎週の試合のリーグに勝つと今度は遠征っていうものがあってそうすると自分の子供の、交通費、ホテル代、食費、家族が一緒に行くと家族の分そしてその他にチームのメンバーでコーチの遠征費を折半するらしい うちの隣の女の子はずーっとサッカーをしていたんだけど結構このコロラドの中でもいいチームにいてそれも遠征チームに属していたの それもコロラドの中では1-2位を争うチームだから敵はもっぱり州外のチームということは毎月州外への遠征 去年なんかはここコロラドの近辺の州だけでなくラスベガス、サンデイエゴ、フィニックス、そしてハワイまでも遠征していた これっていくらお金がかかるか想像できる??? それでも親たちは子供たちがやりたいというのならただ、学校が終わってから友達とつるんで悪いことばかりしているよりも スポーツをさせてその彼らの注意をこちらへ向かせようと言う理由もあるし そして、その他にこのサーーカーとかバスケットボール野球、ラクロス..なんでもいいチームに入っていい成績を残すと大学から奨学金の付きでも入学のチャンスを与えられることが多いからそれを考えると親たちも必死 だって、自分たちの財力では到底行かせてかせて上げられないような大学へ授業料、寮費、食費込みで子供を入れられたら そりゃあ、万々歳だよね~ でも、現実的にはそうやって奨学金を得て学校へ行ける子はほんの一握りの子なわけであとの99%は自費で大学へ行く羽目になる そして、その上の遠征チームなんかになると州外での試合が日曜日の夜まであることもありそうすると子供たちは月曜日に帰ってきて学校を休む羽目になることもある それがたまに、州の全国テストの日だったりその教科のテストにて日だったりましてやファイナルにかかることもあるけれど そこまで行ったら、学校のテストなんて気にならないらしい親の目的は4年間のただでの大学生活だから試合のほうが大切らしい そんな生活をしていた近所の女の子も最近3度目のひざの手術をした 彼女はまだ16歳 サッカーとバスケットーボールとバレーボールをするんだけど特にサッカーは激しいスポーツなので相手チームの子にサッカーシューズで蹴られたり突っ込んでこられたり、とにかく生傷が耐えないのに 今度はひざのじん帯をきったみたいでそれが治ってからまたチームにもどったら違うチームに同じところを蹴られたらしく今回で手術3回目そして現在はその怪我のせいで何のスポーツも出来ないらしい もうひとり近所の子も 最近、その子のお母さんと話しをして彼女大学どうするの?なんていう話をしていたら 最近ここ6ヶ月ぐらい彼女は腰が痛くて腰が痛くていろいろ病院で診てもらったら腰の骨が一部つぶれているところがあって近々手術をするらしい そうすると全治6ヶ月 彼女ももちろん奨学金目当てのひとりだったんだけど 大学からの奨学金はたいてい高校のジュニアーのときに大学から声がかかることが多いみたいで彼女は子の手術のためにこれも絶望的と言うこと 今までやってきてもすべてが水の泡.... こういう子を見ていると私は正直言って大丈夫なのかな?なんて思ってしまう 余計なお世話って言われたらそれまでだけど 彼女はまだまだ若いから回復も早いだろうけどきっと30-40ぐらいになってくるといろいろな問題が体に出てくるんじゃないかな?なんて勝手に心配してしまう 私もほかの親と同様 子供はそれた道に行かせたくないからスポーツも適度にさせているけれども でも、彼らにはバランスのよい生活を送るように言っているのスポーツも大切だけれど、学校の勉強だって大切だしそれに、友達との付き合いだって大切だし 特に長男君にはこの高校生の時期に楽しいことをいっぱいしてたくさんいい思い出を残してほしいと思っている 私も今思えば高校生のころが一番楽しかった毎日友達とつるんで、馬鹿のこともたくさんしたけれどでも、今となっては良い思いでばかり だから長男君にはあと2年弱の高校生活を楽しんでほしいからもうすぐやってくるホームカミングにも行けと背中を押しているところ 人の家のことをどうのこうの言うつもりもないけれどでも16歳にしてひざの手術3回と言うのもなあ~ と、勝手に母心が出ただけです すみませ~ん
2011.09.13
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3週間ほど前から子供たちの新学期が始まって私も仕事が始まって普通の生活がもどってきてとてもうれしい今日この頃 でも、毎年のことながら新学期はお金が家かかる~~~ 子供たち二人分のサプライ費 学校でも写真代 子供たちの新学期に必要な洋服代 学校からの寄付のお願い そして、 学校からの教材費 この学校からの教材費... 次男坊は50ドル以下だったんだけど 長男君のほうがもう高校もジュニアなものでAPクラスだの何だのとっていて今日、請求書を見たら $450.00 え~~! 目の玉飛び出しました... そしてその上に学校のスポーツ代が1科目に付き $150.00 そして、長男君まだ16歳になっていないのだけれど2週間前に運転許可証を取って(免許証じゃないよ..)運転を始めた そのドライヴィングスクール代に$600払ったばっかりなのに.... 私の財布の中空っぽです そしてそれに加えて私は夏、7月働いてないので8月に給料が出ないのさ... 厳しい~~~い! もうすぐスイート16になるうちの長男君 彼の場合は、同じ学年の子達よりもおよそ1年若いので彼の友達ほとんどはもう運転免許証を持っている子が多くて その中でも、もう自分の車を持っている子だっているんだけど うちの長男君の場合は自分でもそんなに急ぐ必要はないって思っていたみたいで 16歳になってから運転許可証を取ろうと思っていたらしい コロラドでは15歳から許可証が取れるんだけどそうすると30時間のクラスでの講習だとか それが15歳半だと4時間の講習かまたは30時間の講習 それが16歳になるとそれらの講習は受けなくてもいいけれどそれでもほかの許可証と一緒で親が隣に一緒に乗って50時間以上の昼間の運転の経験と10時間以上の夜間の運転の経験とそして、許可証を1年以上持っていないと本当に運転免許証のテストを受けることが出来ないの うちは今まで待っていたんだけど結局4時間の講習と6時間の教員付きの路上運転講習ともうひとつ違う運転講習を含んだドライビングの学校に入れることにしたの そしてそれがさっきの$600.00 痛っ..... 8月の中旬の土曜日に4時間の講習を受けてその場で許可証をもらうためのテストを受けて それに受かったので次に週にはDMVへ行って許可証の申請をしてきたの そして長男君ははれて私か旦那が隣に乗っていれば運転できることになったのはいいんだけど... 今度は運転したくてしょうがない...こんなテストに受かったぐらいですぐに公道になんて出せませんよ~ こっちは怖くて怖くてしょうがないのに... 仕方がないから、週末に高校と中学校の広い駐車場へ連れて行って日本の自動車学校のようにひたすら駐車場の中をぐるぐるぐるぐるさせて 今度それになれてきたら右折、左折、停車、発進、ブレーキを掛けたりそんな練習をさせて... そして次の日から学校へは彼が運転していくことになったんだけど... やっぱり、こ...怖い.... 母は毎日ドアの取っ手を汗が染みるぐらいにしっかりと握り締めて横に乗っているんだけど 車間距離とか、道の真ん中を走ったりとかカーブの前にスピードを落とすこととかやっぱり、長年の勘が生かされることに関してはまだまだ経験不足なので SLOW~~~DOWN~~~~ STO-------P!!!!! とか毎日のように言っているの まあ、だんだんうまくなってはきているんだけどそれでもまだ...怖い... でも、長男君はまだ15歳 こんなに簡単に許可証が取れて公道を運転できるアメリカでは事故が多いし、とんでもないドライバーが多いのもうなづける 日本のように学科が30時間自動車学校で20時間路上で20時間なんていう練習しないから...アメリカは そしてこの前読んだ記事で アメリカ人の半分はアクセルを右足でそして ブレーキを左足で踏むらしい え~~~~~???? 日本では絶対アクセルもブレーキも右足って習ったよね??? そんなことが通用しないアメリカではやっぱり、事故が多いわけだ... そして毎日母は本当に命がけで子供の成長を助けているわけで... そして次はフリーウェイの練習もさせなくては... でも、この許可証にはいろいろと制限があって友達を乗せちゃいけないとか運転中は電話をしちゃいけないとか それなりに子供のことを考えた制限なんだけど それでもやっぱり 本当に....こ...怖い... でも、私らがきちんと教えてあげなくては教えてあげる人がいないから毎日手に汗握りながら隣に乗っている私です 同情してください...
2011.08.30
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私の車は2000年型のホンダのアコードそんなに大きな車でもないのでスーパーとかジムとか家の周りの用をたすには便利だし 私はそんなに距離を乗るわけでもないのでそこそこ気に入って乗っていた 最初の計画ではうちの長男君が16歳になって運転免許を取れる年になるとこの車は12年落ちなので彼にあげようと思っていたんだけど そうしたら旦那の今乗っている車を私が乗って旦那に別の車を買うかまたは私に別の車を買うかいずれにしてももう一台車が必要なので旦那はそれに向けて2-3年前からこつこつと貯金していたらしい そして今年がその年この9月で長男君は魔のスイート16になるのです でも、ここコロラドではこのただのセダンの車では冬に雪が降ったときにお尻を振ったるするのでちょっと私でも雪道やアイスバーンを運転するのはとても怖いのでそのときは旦那の4WDを借りて仕事に行くことが多い そんなことを旦那と話していたんだけど旦那は最近私の車の走りがちょっと気になっていたよう 私が毎日乗っている分にはぜんぜん感じないんだけど旦那に言わせればそろそろこの車もいろいろなところが壊れてきて大きな修理が必要になってくる時期だって そうだよね...ここ11年ほとんど何の問題もなく走ってきてもうすぐ9万マイル今すぐ壊れることはないかもしれないし明日何か壊れるかもしれないしあと5年何の問題もなく走るかもしれないしそれはなんとも言えない...結局は大きな賭け 旦那は11年落ちの車に何千ドルもお金を費やして直すのはそれだけの価値がないって思っているようもしトランスミッションなんかが壊れたらこの車と同じ価値ぐらいのお金を払って直してもらうことになりそう この夏の間に旦那いろいろ考えていたらしんだけど結局バケーションから帰ってすぐにこの車を売ろうという結論に達した 私は車に対してそれほどのこだわりはないので走っていて故障する心配のない車を私の前に持ってきてくれたら私は何でも運転するから好きにしていいよって言っておいた そしてハワイから帰ってきたのが金曜日の朝 旦那は金曜日と土曜日をかけて私の車をきれいに洗い中に掃除機を掛けて私の車の中に入っていたものを整理してまあ1ヶ月ぐらいで売れればいいなと思いそうしたら9月に入ってから2011年もモデルを買おうと思っていた(通常9月には次の年のモデルが入ってくるのでデイーラーはその年のモデルを格安で売ること多い) そして、最初にオンラインの売ります買いますに広告を出したのが土曜日の3時ぐらいそしてその後にもう一件、車の売買専門のオンラインのサイトに写真つきで出そうと思って写真を撮っていたら... りんりんりん...りんりんりん 電話がなり始めた... えっ?? 私の車を見に来たいそう..... それからがんがん電話かかってきてうちの旦那はその対応に追われそのうちに見に来たいって言った人が来てまだまだ電話はなり続け 結局その最初に見に来た人が買いたいということで私たちに手付け金を置いて帰ったのが4時ぐらい それからも電話は鳴り続け結局1時間半ぐらいの間に問い合わせの電話20数本 そうこうしているうちにさっき手付金を払って帰った人が明日お金を持って取りに来るはずだったのに今日来たいということで 結局6時半前にはその人たちが現金で残高を持ってきて私の車を持っていってしまった ........ なに??これ??? そしていきなり何時間かして車を失ってしまった私はしばし呆然としていたんだけど こうとなったら早めに車を探さなくちゃと思い 旦那と一緒に次の車ハントを始めてんだけど 個人売買の中古車が全然ない!! 私たちから車を買ったカップルも言っていたんだけど今、個人売買の中古車が品薄らしい本当にないの それも、私たちが売った様な結構走行距離の少ない車はないに等しいウェブサイトに乗せてすぐにがんがん電話がかかってきたのもうなづける それから近辺のディーラーに電話したり行ってみたりしたんだけどディーラーでの新車の在庫もめっきりすくない あるディーラーなんかパーキングがすっかすか....(注:うちの旦那はアメリカ人のくせに車は絶対日本車かドイツ車と言うひとだから、アメリカの車の会社の状況は違うと思います) 理由はもちろん日本での地震 あの地震によって日本の自動車メーカーのパーツとか下請けの会社がかなりのダメージを受けてメーカーの生産が追いつかないらしい 通年ならばこの時期にそろそろ2012年モデルが入ってくるはずなんだけど 生産が遅れている理由から入ってくるのが11月12月1月って言うディーラーもあった そしてその生産の遅れからいまだにぽつぽつ2011年モデルがランダムに入ってくるらしい それでもって現在のアメリカの経済状況から人々は車を長く維持する傾向にあるらしいだから、そんなにめったに売り買いしないんだって だから、市場に車があまり出回っていないらしい だから、私たちのチョイスがとっても狭くなるわけで... でも、私も旦那も仕事をしているし子供たちの送り迎えとかやっぱり車が2台ないと生活に支障をきたすのは必然なわけで.. 旦那はコロラド周辺カンザス、オクラホマ、ワイオミング、ニューメキシコ...一応車のめぼしをつけて周りの州全域に電話をかけまくって やっと一台近所のディラーで見つけましたその2日後に列車で運ばれてくる予定の車を頭金を入れてゲット!! それが今週木曜日の話 そしてやっと私の生活も普通の生活にもどりつつありますが いきなりバケーションから帰ってきて車を売って毎日車のディーラーのはしごは体にこたえたわ 今日と明日は私の休息日にしてもらう予定 は~っ
2011.08.13
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今年は本当は弟家族と一緒にうちの母と弟の奥さんのお母さんが自由に動けるうちに一緒に行こうということで計画をしていたんだけど 弟の仕事が今回の大震災のためにちょっと予定が狂ってしまって彼らは行けなくなったんだけど 私らは母を連れて計画通りに行ってきました ここ...(実は寄り道...) 旦那とは現地で落ち合って.. Aloha~ 先に今回はカウアイ島へ 有名なシダの洞窟 そこで見つけたとっても珍しい花...ハワイらし~ シダの洞窟に続くワイエア川 オパエカア滝 ワイメア渓谷州立公園からの眺め 青すぎて海と空の境目がわからない... 同じくワイメア渓谷州立公園からの眺め 有名なナパリコースト側のワイメア渓谷 そしてオアフに戻って海と戯れる...やぱっリ海はいいです ホテルのラグーン ワイキキビーチからの夕焼け そして母とうちの家族と一緒に買い物も行ったりご飯を食べに行ったり 母と私は特別にマッサージにも行ってしまって 楽しい楽しい日々を送れました 私たちの帰る前の日に母が日本へひとりで帰る予定だったんだけど 飛行機が10時半のホノルル発なので7時半にはホテルを出て10時半のフライトがでるまで私は空港で待つつもりだったので 私ひとりで母を送っていこうと思っていたんだけどうちの長男君と次男坊もどうしても一緒に行きたいって.. そうだよね...今回は1ヶ月近くおばあちゃんと一緒に夏休みを過ごしたので別れるのがつらかったらしい ハワイでも一日私と旦那がデートナイトで二人で出かけさせてもらって 母と長男君と次男坊は3人でラーメンを食べに行って 3人で夕焼けの中を海岸沿いを散歩して片言の日本語と片言の英語でたくさんおしゃべりをして 3人でアイスクリームを食べてきたらしく長男君はその夜がとても楽しかったそう...おばあちゃんとのいい思い出になったらしい よかったね~ だから空港でも長男君も次男坊もちょっぴりうるうる気味... おばあちゃんに来年も待っているからねって言われてうるうるしながらうんうんとうなづいていた.. さて、来年のためにまた私も毎日仕事に精をださなくちゃ...
2011.08.10
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5月の下旬から始まった夏休みもあと1日を残すのみ... 月曜日からは子供たちの学校と私の仕事も始まります そして今年もまた一人暮らしの母を訪ね楽しい時間を過ごせました それではちょっと写真を... 青森に行く前に友達が招待してくれたディズニーランドのホテルで一泊 おばあちゃんと一泊二日の小旅行 今年は世界遺産にもなった平泉の中尊寺へ これは金色堂に続く道 中尊寺の同じ敷地にある白山神社の能舞台 日本人ならこんな景色... 落ち着くねえ.. 中尊寺近くの厳美渓.. ここで400円で空飛ぶ団子を初体験 そして子供たちが今年日本でとっても好きだったもの... その1 日本ではどこでも当たり前..ウオシュレッ付きのトイレ 気持ちがいいそうで... その2 いつでもどこでも... そして今年は残念ながらお目にかかれなかったけど小さいので我慢してもらった これ その他、焼肉、うなぎ、回転寿司、焼きぞは、餃子焼き鳥、カツどん......ラーメンだってあの子達は日本にいる間に何杯を食べたんだろう?? 今日から家族全員でダイエット そして日本に2週間余り滞在した後はおばあちゃんと一緒に 次の旅へ... つづく....
2011.08.07
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私と一緒に学校で働いている女の人が(Jさんとします)今年3度目のSurrogate Motherになることにしたらしい このSurrogate Motherと言うのは日本で言う代理母なんらかに理由で妻の母体に問題があって子供がほしいんだけれど自分の体ではそれを着床し続けることができないと判断された場合代理母を探して精子と卵子を対外受精させてその代理母の子宮に受胎させて出産させる方法なんだけれど Jさんには3人の子供がいてその他に彼女は去年とその2年前に同じSurrogate Motherをして子供を出産したらしい 彼女の動機は... もちろんお金もそうだけれど彼女は子供が大好きだし でも一番の理由は 彼女は生まれてすぐにAdopt(養子)されたらしいそして、その養子縁組をした両親からとても大切の育てられたらしく その想いから自分がこの社会に何か貢献できることはないか?と言うのもひとつの理由だったらしい その他に彼女は行政機関で保護されている恵まれない子供たちの期限付きの受け入れ先としてのFoster Familyにもなろうとしているの すごいな~私にはそんなこと出来ないなあ~っていつも思うけどSurrogate MotherになるのもFoster Parentsになるのもそうそう簡単なことではないみたい Suggogate mother... Jさんはもう3回目のベテランSurrogate Motherだけど彼女はエージェンシーに登録しているらしい(注:この規定は各州によってもエージェンシーによっても違います) そしてエージェンシーからアプローチがあればJさんはその志願者の中から自分の契約したい人を選べるそうです というのも、そのカップルによって報酬も違うし子供が出来ない理由も違うし性格も違うし、彼女をどう扱うかもぜんぜん違うらしい 最初のカップルはJさんを彼らの子供にスペシャルマザーだと生まれたときから紹介しことあるごとに写真を送ってきたり手紙を送ってきたりして彼女はその子の家族の一員として扱われているらしいけど 2番目のカップルは子供が生まれるとそのまま子供を連れてデリバリールームを出て行ってしまい報酬は受けとったけど Thank youの一言もないし その後の状況もぜんぜんわからないらしい アメリカの法律では代理母は出産してもその赤ちゃんを手に抱くことは許されなくすぐに父親母親も元に行ってしまうらしい まあ、それが法律と言うものなんだけど彼女にとっては大げさではあるけれど自分の体を張って10ヶ月、それ以上その子供を自分の中で育てているわけで特別な感情を持ってもそれは普通のことであり そんなこともあって彼女は出来れば少しでいいから遠くからその子の成長を見ていたいらしい だから彼女もそのカップルを選ぶときにはとても慎重に、自分と同じ思いのあるカップルを選びたいと思っているらしい そして今回のカップルも東海岸に住んでるらしいんだけど奥さんは10回近く流産しているらしいそして今回、自然な形ではなくてSurrogateと言う方法を選んだらしい そしてこのカップルのそうと決めたい上は結構なお金がかかるのは覚悟しなくてはならないらしい 報酬は大体通常で2万5千ドルから4万ドルこれがSurrogate Motherへの最終報酬らしいんだけどその他にエージェンシーXXXドルそしてカップル側の弁護士を雇ってSurrogate Mother側の弁護士を雇って人工授精させてくれる産婦人科の医療費そしてSurrogate Motherにかかったすべての医療費Surrogate Motherへの妊婦服代Surrogate Motherへの毎月のエクストラの食事代Surrogate Motherが働いている場合もしその仕事を休んだ場合への給料 そして前回も今回もカップルの希望で産婦人科医はカリフォルニアの医師を使うそうでその場合、Jさんがカリフォルニアへ行くたびにその旅費とホテル代とタクシー代 そして、その対外受精が一回で成功すればいいけれどそれが何回行われるかわからない そしてもしその子供が一人出なくて双子や三つ子の場合その報酬が何倍かになるらしい なんだか気の遠くなるような金額だけどでもやっぱり子供がほしい夫婦で10回近く流産しているとこれだけのお金を出してでも子供がほしいと思うのは必然だと思う 昔、うちの母に 子供が出来るのは自然なことでもないし当然のことでもないのよほしくてもほしくても何らかの事情でで出来ない人もいるのだから何の努力のせずに出来たあなたは神様に感謝しなくちゃだめだよね って言われたことがあるんだけど本当のそのとおりだと思う そして、それを社会に貢献できるからって人助けの一環だからってそうやって自分お体を張ってできるJさんはすごいと思う 彼女はこの夏にカリフォルニアへ行って人工授精の第一回目をするらしんだけど彼女が健康で元気な子供を生めるように祈っている でもこのSurrogate Mother...日本ではまだまだマイナーだけど アメリカでは結構頻繁に行われている 最近ではキースアーバンとニコルキッドマンがSurrogate Motherで第2子を持ったし 先日のオプラウィンフリーショーでは自分の娘がやはり何度も流産してその上子宮がんで子宮を亡くし その娘のために母親(確か60歳)がその娘のために代理母になって赤ちゃん(自分の孫)を生んだっていうインタビューをしていた 何年か前に高田延彦と向井亜紀が代理出産で双子に恵まれてその代理母がアメリカ人だったために 市役所に出生届けを受理してもらえないとかいろいろ問題がありましたが 私自身としては代理母制度には賛成なのでまだまだいろいろな問題もあるけれど日本でも早く容認される日がくればな...と思います (これはあくまでも個人的な意見です...)
2011.06.30
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子供たちの夏休みが始まって約一ヶ月 先週の土曜日から旦那の両親がオクラホマからそして義弟とそのGFと甥っ子がカリフォルニアから来て 久しぶりに旦那の家族全員集合 合計大人7人(長男含む)、子供 2人 いつもの家族の大きさが2倍以上になって毎食全員の口を満たすのも結構たいへんだけどみんなで楽しい時間を過ごせました そして昨日の土曜日にやっと皆様にお帰りいただいて私はやっと一息... これから日本への帰国準備にやっととりかかれます それでは.... 最初の3日間は山にコンドを借りてゆっくり行った次に日目覚めたら一面の銀世界 さすがコロラド... グランパが子供たちのためにそこらへんで拾った木で弓矢を作っています 次男坊もお手伝い 長男君はこちらのほうがお得意なようで... 弓矢が出来上がってみんなでターゲットを作ってウィリアムテルごっこ 帰りはお決まりのようにREDROCKに寄って... やっぱりすっごっくいい景色... 家に帰ってきてからは毎晩毎晩みんなでCORN HOLEと言うゲームに興じ最後に日なんて夜の12時過ぎまで壮絶な戦いがうちの裏庭で繰り広げられ... 楽しい一週間でした でも、昨日やっと全員が帰宅の途につき私はやっとほっと一息 次男坊は夜になったらまた しくしくしくしく.... どうしたの??って言ったら I miss my family!! だそうな.... 彼も一週間とても楽しかったようで... でも、それより楽しかったのはきっと 彼 だったようで... 旦那の家族は全員犬大好き家族なので彼は毎日毎日誰かかまってくれる人がいたので この一週間が彼にとって一生の中で一番しあわせな一週間だったみたい... よかったね~! コービー君
2011.06.27
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わ~~い!!!わ~~い!!!! 水曜日からうちの旦那は留守です オクラホマの旦那の両親のところへ行っています もともと、両親のコンピューターを直す手伝いとこの週末に昔から家族ぐるみでお付き合いをしている人が結婚するというのでご両親と一緒に式に出席する予定だったんだけど 結局結婚式は延期になってでも、せっかく安く取れたチケットだから私が背中を押して... ”ハニー、あなたの両親も若くないんだから行っていろいろ手伝いをしてあげたほうがいいわよ私たちはさびしいけれど大丈夫だから... それに、 うちの母もそうだと思うけれど孫たちが遊びに来るのも楽しいけれど息子、娘が帰ってきてくれるのもすっごくうれしいものらしいわよ” と言ったら ”お前が寂しいがることがないと言うのはわかっていいるけれど(how did you know???) でも、行ったほうが喜ぶだろうな...そしてこれからこんなことが何回もあるんだろうな” といって結局10日間行くことになりました そして今日が3日目 楽だわ~~ 特にうちの旦那は毎日家から仕事をしているから毎日毎日四六時中家にいるわけで 私が仕事に行くときも私が仕事から帰ってきても 家にいるわけで これって結構旦那とはいえどもたまにはどっかへ行ってくれ..と思うのも当然だよね 特にうちのの旦那は時たま一筋縄ではいかない 面倒くさい男なので やっぱり、たまにこうやっていなくなってくれるととっても楽だわ そして、毎日毎日子供たちは今日何を食べよう今日は何をしようかと考えあぐねるわけで 子供たちもパパのことは大好きなんだけどパパはママに比べたらやっぱりとっても厳しいのでいなくなると子供たちも羽が伸ばせるらしい リラックス...リラックス 旦那のことは大好きだけどたまにこうやってリラックスする時間があるのはとってもうれしい うちの母も言っていたけれど昔うちの父が病院に勤めていたときには一週間に一回当直があってその日は朝から仕事へ行き夜も病院へ泊まり帰ってくるのが次の日の夜というのがあって 母はそれがあってとっても楽だったって言っていた でも、私のご近所さんのように旦那がハワイで仕事中で2週間に一回金曜日に帰ってきて月曜日にはまたハワイへ行って そこのうちには5歳、3歳、1歳の3姉妹そんなだったら気が狂ってしまうだろうけど たまにいなくなってくれるのはお互いがお互いのありがたさを確認するためのもいい機会かもしれないね さてと、あと1週間 何を食べようかな??? (旦那はあまりに日本料理が好きじゃない...キムチや納豆なんて食べた日には臭い臭いと大騒ぎする男..) この際だから子供たちと一緒に思いっきりキムチと納豆をたべてやる~~!!
2011.04.30
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昨日の土曜日私の働いているこちら現地の日本語学校の有志とそのお友達たちが中心となって 今回の東日本地震の災害者の方への救援金を集めるためのチャリティーコンサートが行われました これは単にこちらの日本語学校の有志が私たちの故郷日本のために何か出来ないだろうか?と言う思いが一緒になって今回のイベントとなりました 私もその中に入りいろいろとお手つだいをしたのですがとにかくこのイベントのボランテイアーをされている方たちの情熱と言うのがすごいもので私のほうが圧倒されてばかりでした それも、私たち学校関係者だけなく学校に来ている生徒さんの保護者のみなさんそしてその他に学校にお子さんも来ていらっしゃらないのにとにかく日本のために何かしたい自分の出来ることをしたいという方々の活動が目を見張るほどでした まず、ここ1ヶ月半ぐらい毎週のミーティングからここら辺近辺の企業への働きかけでサイレントオークション用の品の寄付のお願いレストランなどへのファンドレイジング用に原価に近い値段で品物をおろしてもらうように交渉したり学校関係者への品物などの寄付のお願いなど 各自が各自の役割文分担に応じて作業の流れを分担したり集めるものを探したり 自分たちで必要なものを注文して募金の変わりに寄付したり自分の趣味で作っているものを寄付したりとにかくとにかくそれをみんなボランテイアィー(報酬なく)でしていますボランテイアーでここまでしてくれるの??と言うぐらい皆さんすごくがんばっていました そして昨日のイベントもここコロラドは朝から雪のちらつく肌寒い日でしたが結構たくさんの方たちに来ていただきました イベントのほうも大きな失敗もなく無事に終わらせることが出来ました これもボランテイアーの方たちの何時間にも及ぶ準備をしてくださったおかげだと思っています そしてこのようなイベントがここコロラドでは過去1ヶ月の間に毎週末どこかで行われています 日本人主体ですが私らのようなチャリテーコンサートやら募金活動やらストリートフェステイバルのようなものから空手や日本の太鼓のパフォーマンスのイベントやら 計画するほうもたいへんですが何よりそのたくさんのイベントへ来てくださる方々日本人だけではなくてアメリカ人の方々 そして、そのイベントに協力してくださったり寄付をしてくださったり 品物を原価で提供してくださったりしている企業やレストランなどのビジネスオーナーの方 そんな方たちの協力がなければ私たちのここまでは出来ません そして私の友達の中にはこの地震発生から本当に活動的に募金活動のためのTシャツを作ったりイベントを企画したり一生懸命に本のために走り回っている友達たちもいます きっと私たちにように日本人でありながら日本以外に住んでいるものにとって今回の地震と津波は対岸の火事のようなもので直接は被害はないものの そんな対岸の火事を見ながらそのあちら側にいる人たちのように涙を流し 心を痛め でもそのあちら側にはなかなか手が届かないのでどうにかして手が届く方法を考えよう私たちが何をしたらあちら側に人たちをこちら側から少しでも助けてあげられるのかって そう思っている人たちばかりです そうあの津波の光景をテレビやネットでみた私たちのすべてがきっと同じことを考えていたと思います 私たちの故郷が壊れてしまうって... 私もあの映像を見ながらコンピューターの前で涙が止まりませんでした 日本の外に住んでいる私たちも日本を捨てたわけではではありません 日本の外に年住んでいても私たちの故郷は日本です そして私たちはどこへ住んでいても私たちが日本人であることに違いはありません 私はそんなことを思いながら昨日のイベントの中にいました 私たちが一生懸命がんばったことで少しでも多くの被害者の同じ日本人が救われることをみんな願ってがんばりました この私たちの思いが少しでも日本のだれかに伝わりますように
2011.04.24
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前から用事があって3月の中旬から日本へ帰る計画を立てていた それが今回の震災が起きてから4日後のこと それでも日本へ行こうと思った 震災、そして津波が起こってから毎日、毎日インターネットで日本からのニュースばかりを見ていたんだけど 一日に何度もある余震とそしてあのの津波に被害の多きさそして福島の原燃の問題 うちの旦那は何回も "本当に行くのか”と聞いていたけれどとりあえず行って母の様子を見ようと思った 地震当日は母とは連絡が取れなかったけど東京にいる義妹が安否をメイルで知らせてくれたので大丈夫だったのは知っていたけれど その後の停電とか何回も起こっている余震できっと、不安な思いをしているだろうと思って心配だった 案の定、地震当日は停電してオール電化のうちの家も暖が取れなくてうちの母は真っ暗な中毛布に包まって一晩を過ごしたらしい そして私はロサンゼルス経由で成田入りしたんだけど飛行機はガラガラ...そうだよね...そんなときに日本へ行く人なんていない そして成田に下りたら、出発ロビーはとにかくひとひとひとひと........自国へ帰る外国人の人たちで出発ロビーは大混雑 そしてついた日は東京までの電車もろくに走ってなくて東京都内でもかなりの間引き運転で駅にはかなりに人があふれかえっていた そして弟の家で一晩を過ごしその間にも余震は何度となく起こり 次の日はまたバスで移動して無事青森へと帰ることが出来た でもこの時点ではもちろん東北新幹線も運転していないし道路も遮断されたまま飛行機しか青森と東京をつなぐ手立てがなかった 青森についてからすぐに車にガソリンを入れに行こうと思ったんだけどとにかく物流の経路が遮断されているためにガソリンが入ってこないらしくどこのガソリンスタンドもとてつもない長蛇の列 これはあるかないかのガソリンを1時間並んで待つよりガソリンを使わない生活をしたほうがよいという結論になりそれに、市営バスなども一日数本しか運転していなしその日から母と毎日歩いて食料を買いに行った 米も残りが少なかったので探しに行ったんだけどやっと5件目のスーパーでその米を見つけ そのほかどこのスーパーでもパン類、カップラーメン類、パスタ類、牛乳、納豆ヨーグルト、おにぎり用の具などは棚がすっからかんで何も残っていない それでも青森は比較的落ち着いていて野菜も肉も魚も普通に手に入った それでもそのほか、トイレットペーパーや箱ティッシュペーパー類なども売り切れ何日かはどこのスーパーも在庫がなかったよう そして、東北電力では計画停電を考えているということでうちの母と石油ストーブの準備をしてあとは、乾電池なども手に入らなかったんだけど私はいくつかアメリカから買っていったのでそれを用意したり でも そんな地震など関係ないように着いた日から毎日雪はふり続くし毎日のように雪かきをして過ごした 毎日ニュースでは津波の被害を受けた各地の状況と福島の原燃のニュースばかりやっていて見ながらにもあまりに悲惨な災害に胸が痛んだ 私にも何かしら出来ることはとも思ったんだけどその時点ではガソリンを手に入れるのは至極の技だし現地ではボランティアーを受け入れる体制さえ整っていないし結局出来ることは、募金をすることと電力の無駄遣いをしないように節電すること それと、ある人の広告で震災地で被害を受けた人は着る身着のままで換えの洋服さえもっていないしこの毎日の寒さで防寒着を集めていてその人が直接岩手の学校に避難している人たちへ届けに行くという話しを聞いて うちの母と家中の着ていないジャケットとかオーバーそしてセーター類などを引っかき集めて箱につめてその場所へ持って行ったりもしたけれど それ以外は何も出来ないという状態 それでも、母と毎日散歩と運動がてらおしゃべりをしながら夕食の買いものに出かけ 一緒に夕食を作り一緒にテレビを見て平和に毎日を送れました それでも、毎日何度となく余震が続いたけれどそこは日本人の私たちそして、その余震も幸いなことに青森ではせいぜい震度1-2で震度3はほとんどいかなかった そして一昨日に27時間かけて自宅に戻ってきたんだけどやっぱり母のことは心配 うちの旦那は母をこちらに連れて来い、連れて来いって言っていたんだけど肝心の母にその気がなく でも幸いなことに青森は比較的落ち着いていまだにスーパーには入ってこない食材もあるけれどまあ普通に近い生活が送れているのでそのまま私だけ帰って来たんだけど それでも後ろ髪を引かれるのはどうしても仕方がないことだと思う そして今回の地震は誰もが想像していなかった規模のもので復興にはかなりの時間を要するしこの1-2ヶ月でどうなるということでもないから 今だけではなくこれから長い目で私たちに出来ることをしていけたらいいなと思う そして今週で私のスプリングブレイクも終わり来週からまた仕事に精を出さなくちゃ さてとまた がんばらなくっちゃ.. そういえば東京も桜の開花宣言がありましたね 春はもうもうすぐそこまで来ています
2011.03.31
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3月8日はうちの次男坊の誕生日 おかげさまで今年で2桁...10歳次男坊もとっても楽しみだった見たいで誕生日にはこれもしたいし、あれもしたいしなんてしたいことがいっぱいで でも、私がこのところ結構忙しくてなかなか誕生日の計画をしてあげれることが出来ずそして私は来週ちょっとまた出かけてしまうのでばたばたしているうちにその日になってしまって...母...ちょっと反省... でも次男坊の誕生日は火曜日その前の日の月曜日は学校が休みだったのでPre Birthdayと言うことで次男坊の行きたがっていた屋内トランポリン場に連れて行ってそれからランチもいきたいところへ連れて行ってそしてその後はお買い物に連れて行って彼は自分のお金で自分への誕生日プレゼントのゲームを買って その次の日の誕生日の当日は次男坊のリクエストにしたがって朝ご飯を作ってあげてランチを持たせて そして彼のリクエストのケーキを買ってそのほかにずーっト食べたがっていたクッキーを買って夕飯も彼のリクエストに従って作ってあげて 母...ちょっと罪悪感にさいなまれてがんばってみたんだけど本人にしてみたらかなり自分が特別扱いをしてもらったことがうれしかったらしく寝る前には "I have a great birthday ;)”って言っていた 母...一安心 そう思ったら次の日の朝に次男坊がいきなり私の眠っているベッドにもぐりこんできて しくしくしくしく...しくしくしくしく.. どうしたの??? 僕は僕の誕生日が終わっちゃって寂しいんだ...何で僕の誕生日が終わってしまうんだろう... あと364日寝たらまた誕生日はくるんだよ 僕はそんなに待てないよ何で誕生日が一年に20回来ないんだろう... あんたさ...一年に20回誕生日が来たらあなたは今何歳なの??? わかんない...たぶんおじいさんだと思う... そんな会話があり、まあ少なくとも次男坊は自分の誕生日が相当うれしかったらしくそれを思ったらいいかな..なんて思った母でした そして長男君の話 昨日の午後にいきなり彼は私たちに話しがあるという彼の仲良くしている友達が今年度の学校が終わったらユタ州に引越しすることになっている その子とは毎週のように友達何人かと一緒にその子の家へ泊まりに行ったり一緒に映画へ行ったりしている仲 その子とその両親が今週末木曜日の学校が終わってから(ちなみに今週の金曜日は学校が休み...)車でユタまで行くのにうちの長男君ともう一人の友達に一緒にユタまで行ってスキーをしないかと言う誘いがあったらしい そして旅行は3泊4日で向こうのご両親が泊まるところと食事は用意してくれるらしい 長男君たちは自分たちのスキーのリフトチケットだけを払わなくてはいけない約束らしい うちでは長男くんに毎週彼の仕事をする代金としてお小遣いをあげているんだけど 私と旦那の方針としては友達同士で映画へ行ったりどこかモールなどへ行ったりするときは基本的に自分の小遣いでまかなわせることにしているの 私と旦那は子供たちに対して必要なものはすべて与えているつもりだから(衣食住に関して...) それ以外のエクストラは彼が自分の小遣いの中まかなわせようと思っているの もし、長男くんに映画に行くだけのお金がなかったら自分はお金がないから今回は行けないって言えることも大切だと思っているし 自分のもらうお金を自分でマネージして貯めることも大切だってことも学んでもらいたいから だから、友達と映画などへ行くときも私らは一切援助しないの 友達とモールで待ち合わせて何か食べてから行く時だって家で何か食べてから行けば無駄なお金を使わなくてもいいってことも学んでほしいしね だから今回も、自分でそのリフト代を払えるんだったら一緒につれてもらって友達と楽しいんでくればいいしもし、その余裕がないんだったらあきらめたほうがいいと思うよ って言ったら、長男君はいろいろ考えたらしく自分はリフト代を払うお金はあるんだけど何かほかにほしいものがあるらしくそれを買うためにはもう少しお金をためなくてはいけないらしい 私たちにいくらか出してほしいって言っていたけれど私たちは彼に"自分の中で優先順位を決めて何が一番自分にとって大切か考えて決めなさい私たちはお金を出すつもりはないから” って言ったら、自分ではあきらめたらしい そして友達に自分は今回はお金に余裕がないからいけないからほかの人を誘ってくれって言ったらしい そしたら今日になってその友達がそのスキー場の半額のクーポンを見つけてきたらしいそのクーポンを使うと彼はかなり安くスキーが出来るらしい そして、 もう一人の友達が彼はいけないって言ってきたらしい その友達の両親はそんなお金は出せないって言ったらしく彼はお金があるとあるだけ使ってしまう性格らしく彼の自由になるお金はないらしいだから両親に無心したんだけど見事に玉砕したらしい それを聞いていた私と長男君 自分の自由になるお金を持っていることは自分で自分のしたいことを決められるってこと自分が出来るかどうかをほかの人の判断にゆだねなくてもいいって言うこと そういう結論に達した そして彼は明日から3泊4日ユタへ小旅行 楽しい時間を過ごしてきてほしいんだけど最近長男君が家にいる時間がとても少なくなってきて母はほんの少し寂しいのさ でも、何年かすると彼も家を出ていくしそうしたら次男坊と私と旦那だけ そして何年かしたらその次男坊もいなくなってあ~~旦那とふたりきり...どうしよう.... 先もことを心配してもしょうがないことだけどやっぱり.... どうしよう..って今から思ってしまう私...
2011.03.10
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12月の中旬から2週間ちょっとの冬休みがあり子供たちはもちろんのこと学校がないいということは私も休みなわけでそしてうちの旦那も同じころから2週間あまり休みで 我が家は毎日夜更かしをして毎朝ゆっくりのんびり起きるという生活をしていたら 今週は地獄だった そしてこの一週間は...とてつもなく長かった.... 特に私は今毎日のパートタイムのほかに学校のボランティアにも頭をつっこみそして土曜日の日本語学校の仕事も毎週あってそれが終わったのが2時過ぎだったから 私の週末はそのときにやっと始まったのと等しくなんだか家に帰ってきたら ぐったりいつもだったら大丈夫なんだけどやっぱり2週間以上怠けたあとは体にこたえるわ やっぱり...年かしら??? 学校が冬休みに入る週のはじめに長男君の行っている学校ではセメスターのファイナルテストがあった こちらの学校の成績は日本と違ってテストだけで決まるのではなくて毎日の宿題の提出からプロジェクトの提出、出来栄え、毎日のクイズそしてセメスターテストでABCDFが決定される セメスター末のテスト自体はその全体評価の15-20%ぐらいを占めるんだけどそれでもそのセメスター末のテストでずっこけたら今までそのセメスターがんばってきたものも水の泡にさえなることだってある そして、その成績でその期末のGPAが計算されてそれが希望する大学へ提出されるいわゆる内申点となるわけで 時に今の高校生はこのアメリカの景気後退の中大学の授業料はうなぎ上りに上がっていて普通の中流家庭でも子供を最初から4年生の大学に行かせるのは経済的にかなり難しいと思う だからみんな少しでもいい点(GPA)をとって大学からの奨学金で大学へ行こうと思っている学生が多くそうするとこのGPAの点数は彼らにとって彼らの人生を左右するといっても過言ではないと思う だからうちの長男君も家で勉強するときは一生懸命勉強しているし私たちにできることは少しでも助けてあげていとも思っている そしてそのセメスター末のアメリカ史のテスト... 彼はテストで84点以上取れば確実にAが取れると判断しそれでも前の2-3日は一生懸命勉強していた そしてその次の日にそのテストの結果とそのセメスターのアメリカ史の成績がウェブサイトに出された 彼のテストの結果は... 74%....評価 C... ということになると今期末のアメリカ史の成績は B... 長男君それをみて...絶句...彼は自分は一生懸命勉強したしテストもうまくいったと思うしいまいち納得できないらしい だから、彼にその担当の先生のところに明日行って話して話してきなさいって言ったの先生だって人間だし間違うことぐらいあるしもしかしたら、ほかのこの点数を間違ってあなたの欄に書き込んだのかもしれないし採点を間違ったのかもしれないしもしかしたら本当にあなたテストでずっこけたのかもしれないしとりあえず先生のところへ行って確認するのが一番だと思うって そして長男君は次の日30分ぐらい早く学校へ行ってその先生のところへ行ったの ”あの...この前のテストのことなんですけれども僕は一生懸命勉強したし74%というのは僕としては考えられないのでもう一度確認してほしいんですけど..” って言ったらその先生は ”終わったことは終わったこと自分はもうそのテストの話はするつもりもないしお前からテストについてなんやかんやは今後一切聞きたくもないし、聞くつもりもない!!” って相手にしてくれなかったらしい... 長男君はしょんぼりして学校から帰ってきた私と旦那は ”わかった...お前が本当に自分はそれよりもいい成績をとったと信じているのならその先生宛に私たちの名前でメイルを出しなさい明日から冬休みだけど休み明けにはその先生はその手紙を見ると思うから私たちの名前でテストのコピーを送ってくださいってメイルを出しなさい” って言って長男君は私と旦那の名前でその先生にメイルを名前だしたの そして....学校が始まって2日目にその先生から電話がかかってきた ”自分はアメリカ史の担任のものだけどメイルのリクエストどおり彼のテストをひき出したんだけど前は気がつかなかったけどどうやら自分は採点ミスをしたらしい私は10数点彼の点数を低くつけていて彼の本当のテストの結果は 90% で、それをセメスターの成績に組み込むと彼は今学期アメリカ史の成績はAとなります” 内心...この野郎~~~って思ったんだけどそれは言わないであくまで親らしく ”それはグレイトなニュースだわ時間をとって再チェックしてくれてありがとう彼は一生懸命勉強てたのを私も知っていたからもしかしたらと思ったのようね” って言ったら ”私も彼に彼が本当に望むだけのよい成績を与えてあげられてとてもうれしく思います” なんて言って、一言もあやまりもしないの そのAかBかの違いで 彼の今学期のGPAは結構大きく変わることになるんだよね 最初から ...長男君が言いに言ったときにみてくれたらよかったのにこうやって親が介入しなければ相手にしてくれないなんて 私ももっとぐじぐじといってやればよかったかしらん?? でもそれだけ、先生の中でも適当な先生もいるし彼には自分の権利は自分で行使して自分の身を守れるように言っているんだけど それでもまだまだたいへんだろうな..... それにしても 長男君... VERY HAPPY
2011.01.09
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っていうかこちらはまだ大晦日の朝なんですけどね 12月はやっぱり師走というだけあってなんだかんだでばたばたしていて あっという間12月も終わりです 12月の第3週にはすでに学校が終わり私らはいつものようにその次の週には旦那の弟くんとその息子(子供たちにとってはいとこ)とクリスマスを過ごすためにカリフォルニアへ向かいました ラスベガスに飛行機で飛んでそこからレンタカーをひろい(そのほうが飛行機代を節約できるから)カリフォルニアへ4時間半のドライブを始めたのが夕方の5時ぐらい その日は1週間近く続いた南カリフォルニアでの豪雨の最後に日に当たったんだけどとにかくラスベガスから南カリフォルニアまでは砂漠の何も無いところをひたすら走ったりとか 標高4000Fぐらいの丘陵をひたすら走るドライブあたりには何も無く真っ暗状態 そしてそのうちに雨が降ってきてそして標高が高いところでは霧が出てきてそれも夜とくれば本当の三重苦 道路が見えない どちらの方向に道路が向いているのかもわからないほど見えない でも旦那は言うにはそれでスピードを落としたら後ろから追突されるからスピードは落とせない 本当に怖かった~~ 旦那がいなかったらきっと私は近くの小さい町に車をとめてホテルを取って絶対そこに一泊してた 本当に怖かった~~ そして無事に南カリフォルニアにたどり着き次の日からは気温も65Fぐらいまで上がり典型的なカリフォルニアのお天気 私は昔一緒に仕事をしていた友達とランチにいったり家族ぐるみでお付き合いしているうちへお邪魔させてもらってたくさんご馳走になって、たくさんおしゃべりして それから日本の本屋さん(BOOK OFF)へ行って新しい本を何冊か調達したり(これが一番うれしい..)日本のマーケットへ買出しに行って長男君を連れて二人で韓国ランチ&ボバデートへ行ったり 弟君の別れた奥さんのところへ行って夕食をご馳走になって子供たちはそのままそこに泊まり 私と旦那と弟君とその彼女で静かなムービーナイトをしたり 子供たちが帰ってきてからは私のお気に入りのレイクにウォーキングへ行って夜はみんなでゲームをして盛り上がり なんだかたくさん楽しいことのできたカリフォルニアでの滞在でした それにあそこは本当にアジア人の多いこと...どこを見てもアジア人ばっかり あの中にいると私がこの国ではマイノリティーであることを忘れてしまうぐらいレストランやスーパーも多いし私にとっては居心地のよい土地柄 でも、やっぱり人は多くてわかっていたはずなのにこうやってコロラドの生活に慣れてしまうとあの人の多さには改めてびっくりさせられる スーパーへ行ってもパーキングが無くてそこらへんを何周もぐるぐる回る羽目になったり これがコロラドだったらもうスーパーの一列目にどーんと駐車できるのに... それに日用品の値段は本当に高いしガソリンも本当に高いけどその代わりほしいものは何でも手に入るし それにやっぱりあの気候は侮れない子供たちは早速水着に着替えてプールに飛び込むし私らは屋外のジャクジーでおしゃべりしたり どちらもいいところもあるしいやなところもあるけれど でも不思議なことにカリフォルニアに到着した日にどんどん私の見慣れた風景が視界に入ってくると I ’ M HOME!!! って思うんだけど でも、その旅行から帰ってきてうちの近所まで来るとやっぱり I ’ M HOME!!! って思ってしまう 不思議だわ... そしてクリスマスをそこで過ごしてからまたラスベガスへのドライブ ラスベガスには2泊したんだけど本当にあそこは本当に大人の町私のようなお酒も飲まないギャンブルもあまりしないお金もあまり使いたくない人にとってはそんなにエキサイティングな町でもなく 旦那が数時間ギャンブルをしている間メインのとおりを子供たちをウォーキングがてらサーカスサーカスまで行ってゲームセンターでぬいぐるみ捕りに興じ 帰りはトレジャーアイランドの屋外でやっているショーを見てそれが終わると今度は隣のミラージュでの火山のショーが始まりそれを見て帰る途中にべラジオでの噴水のショーを見て部屋へと戻りました 幸いなことに次の日もシカゴから東のほうではまだまだストームが続きシカゴの空港が閉鎖になったりしていたようだけど私たちのフライトは遅れもせずにちゃんとデンバーへ到着しました そしてその次の日のデンバーの最低気温はマイナス20度.... いきなり18度からマイナス20度って結構体にこたえます それでは今年またお世話になった方々本当にありがとうございました また来年もよろしくお願いします それでは皆さんよいお年を~
2010.12.31
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この前のサンクスギビングのときにBeyonceのスペシャルをテレビでやっていて 彼女はDistiny's Childのときから知ってるけれどここ何年かでソロとしてデビューしてあの名プロデューサーのJay-Zと結婚してもう油のりまくりのこの頃 そのスペシャルドキュメントを見ていても彼女は本当に才能のあるエンターテイナーだと思う でも昔から気になっていたんだけど彼女の英語のアクセントって本当に南部のアフリカンアメリカンのアクセントが強いような気がするのは 私だけ?? 日本人ってその土地土地でいろいろな方言(訛り)があって東京に行くとみんな標準語で話すのが普通だけど(関西の方に関してはちょっと違うけど..) アメリカ人っていうのは訛りという感覚じゃなくていわゆるアクセントという考え方 こちらのテレビのFOOD チャンネルに出ているPaula Deenって言うおばさんがいるんだけど彼女の言葉もすっごい南部訛り でも、それが彼女の個性となって彼女はそのままのべったり南部訛りでいつもしゃべっている 昔々、私が初めてアメリカに来たときにフロリダ州のTampaに行ったんだけどそこはアフリカンアメリカンの結構多い土地で アメリカに来て英語もろくにしゃべれない私は白人のルームメイトの言っていることも聞き取れずそれがアフリカンアメリカンの女性だったりすると ???????? 本当に何を言っているのかわからなかった そういう私もいまだに日本人特有の発音できっと私としゃべっているアメリカ人の人は私の言っていることがよくわからないんだろうな??って思う よく昔会社で働いていたときにお客さんからの電話で ”ほら...あのすっごいアクセントの強い女のひとよ” って私のことですが.... そしてこれも面白いものでみんなによく私の英語は私の旦那の英語だって言われる やはり、一番身近にいる人のアクセントとか言い回しだとか、使う言葉だとかがうつっているんだろうな うちの旦那はオクラホマの出身なんだけどこのオクラホマのOK(オーキー)アクセントって言うのがまた 曲者なんだけれど 本当に....わからない 私はオクラホマに引越ししたのがアメリカに来てから4年目のときでまだそんなに英語だってしゃべれるわけでもなくて でも本当に、ネイティブのオクラホマの方のアクセントって、フロリダのアフリカンアメリカンの方と同じくらい私にとっては未知の世界だった うちの旦那は、大学を卒業してカリフォルニアへ移ったときにあまりにもカリフォルニアの人に自分の喋っていることを理解してもらえなかったらしく自分から、すべての発音の仕方を変えたらしい おかげではじめてあった時からうちの旦那の言っていることはほとんど理解できた私 私の友達にフロリダネイティブの軍の人と結婚した子がいて彼女は周りの人にやっぱり彼女英語は旦那にそっくりだっていつも言われるって言っていた そして、そういう土地では私、英語のできない日本人の言葉を理解できないアメリカ人も多かった フロリダの日本食レストランでレジの仕事をしていたときもよく、テイクアウトのオーダーの電話を取るんだけれど何回お客さんに文句を言われたことか ”あなたの英語はアクセントが強すぎてよくわからないわもっと、英語のできる人とかわってちょうだい?なんていわれるのは日常茶飯事 毎日毎日電話に出るのが恐怖だったわ でも、それからカリフォルニアに移ったんだけどカリフォルニアの人たちの英語は本当にわかりやすいと思った そしてカリフォルニアの人たちはアクセントが強かろうが英語が間違ってようが一生懸命ひとのはなしを聞いてくれようとする人が多かったような気がする きっとそれは、カリフォルニアには移民がたくさんいていろんな国からの人がいるからそれぞれのお国柄英語のアクセントもさまざまでそれに聞きなれているんだと思う カリフォルニアに引っ越してからちょっとだけ自分の英語のアクセントも上達したような気がしたんだけど... いずれにしてもアメリカの英語にもいろいろなアクセントがあってでもそれは日本のように訛りを直さなくちゃっって言う感覚でもないしそのアクセントがあるから恥ずかしいって言うことでもなくて その人の言葉のアクセントはその人の特長、個性、そしてその人がどこの出身で誰であるかって言うことらしい そして私の英語のアクセントはやっぱり私が日本人であるっていうことを まざまざと語っているんだろうな それにしてもBeyonce... すごかったわ
2010.12.04
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気がつけばサンクスギビングはもう来週それが終わるとBlack Fridayがあって それが終わると12月になってまたあっという間にクリスマスまたまたお金のかかる時期です ここで最近のうちのボーイズたちの近況 <長男君> 9月でやっと15歳になった長男君彼は学校ではもう10年生なんだけど彼は彼の学年の中では一番若いほう 彼のほとんどの友達はもう16才になってその彼らの今の大きな話題は Driving Permit コロラドでは15歳になるとこのDriving permitというものがとれてそれが取れてから何十時間なり何ヶ月なりして本格的なDriving Licenceが取れるというシステム このDriving Permitはいろいろな制限があってたとえば、昼間しか運転しちゃいけないとか友達を車に乗せちゃいけないとかいろいろあるらしいんだけど それでも彼ら男の子、女の子に限らずやっぱり自分で車を運転するというのは彼らにとっては結構魅力的なことらしい うちの通りでも長男君と同じ学年の子5人いるんだけどみんなはやばやと15歳になって講習を受けてPermitをとっているらしい うちの長男君もそのPermitをとりたくてしょうがないみたいだけど今は少し状況を見ているところ Permitぺrみをととったとはいえ車を運転するということは自分の命に責任を持ちその他の人の命にも責任を持つという意味 つい最近もこの近くで4人の高校生(16歳ふたりと17歳ふたり)が休みの前の日に車で近くを走っていて直線の道で何があったのかわからないけれど車のコントロールを失って車は二回転して道路際の家のフェンスにぶつかって止まったらしい そのうちの一人の16歳の男の子はうちの次男坊の行っている小学校の図書館の先生の息子その事故で頭を強打したらしくライフサポートをつけられたんだけれどあまりの脳のダメージがひどいため医師たちも何も手を施すことができず ご両親は安楽死の選択を余儀なくされたらしい 自分の子供が交通事故にあうのは親としては結構な衝撃だけどそれにプラスして自分たちでライスサポートのプラグを抜く選択をしなければならないなんて考えただけで胸が苦しくなってくる そういうこともあって長男君の車の運転には少しだけ躊躇している私です 今は車に乗るたびに彼を前に乗せてドライバーの視界がどんなものか体験させているんだけど彼にはわかっているのかどうか?? <次男坊のこと> この前の秋休みに家族でメキシコのMazatlanというところへ行ったんだけどそこはメキシコの中でも小さな漁村で町はお世辞でも裕福とはいえないようなところ それでも、まだまだ自然の残っているすばらしいビーチ沿いの町だからビーチ沿いにはメキシコでも裕福な階級の人たちのためのコンドやアメリカ人のためのホテルとかコンドが立ち並んでいる 空港からホテルまではバスで40分ぐらい町の中を通ってホテルまで行くんだけどその間うちの次男坊は私の隣に座っていつものようにバスの窓から外を見ていた そこはやはり貧しい漁村の小さい町今にも壊れそうなレストランだとかすべての窓に鉄格子の張られたペイントの剥げたコンクリートの小さい建物の窓から子供が顔を出していたり 走っている車ももう20-30年近く乗っているようなフロントのガラスにはひびがはいりトラックの荷台にはたくさんのジャンクが積まれその車自体もさびだらけでオリジナルのトラックに色もわからないほど そして子供たちも穴の開いたTシャツとショーツにビーチサンダルでそこら辺にたむろしてる それを見ていた次男坊は ”ママ...ここら辺はあんまり安全なところじゃないねみんなお金があまりないのかな? ”って言うから ”そうだよ、特にここら辺はきっと貧困家庭が多くてあなたはどれだけ自分が幸せかって認識しなきゃね” って言っていたら突然私たちの乗ったバスが信号で止まった そしたらあちらこちらから次男坊ぐらいそれより小さい子供たちがいきなり私たちの乗ったバスとか隣に止まったトラックの前の部分にジャンプしてきていきなり窓拭きをはじめた それをみていた次男坊 目が....点.... 私は彼に ”ここら辺はみんな貧乏だからあれぐらいの年からああやって仕事をしてお金を稼いでいるんだよもしかしたら、お父さんお母さんもいなくて自分たちだけで暮らしている子達かもしれないね” って言ったら彼はあんぐりと口をあけたまま どうやら次男坊にとっては相当のカルチャーショックだったらしい 今まで実際にそんな光景は見たことなかったから... そして信号が青に変わると一生懸命まどを拭いていた子供たちはドライバーから小銭をもらうといっせいに車から飛び降りてあちらこちらへ去っていった 次男坊の世界にはそんな世界は今までなかったんだろうと思う きちんと両親がそろっていて住む家があって毎日の食事に困ることもなくてあのゲームがほしいだのあの電話がほしいだのそんな生活をしている彼には想像もつかない世界だったみたい 次男坊にそういう生活をしろって言っているのではないけれどこの広い世界の中にはそういう生活をせざるを得ない子供たちがいることも理解してほしいし 今回こうやってそういう状況を自分の目で見ることのできた次男坊は少しでも自分の置かれている環境に感謝できる気持ちを持ってくれたらなって思う それだけでも学ぶことができたなら今回のバケーションも捨てたものではなかったかもしれない
2010.11.20
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詳しくは...こちら 見るも無残... 僕で~~す
2010.11.01
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そしてこのFall Break中は毎日朝ごはんを食べてその後に長男君と二人でエクササイズルームへウォークアウトに行って その後はプール際のチェアーに座って日本から持ってきた本を読むというだらだらした生活をしていたんだけど 旦那はどこからかはわからないけれどもタイムシェアーのプレゼンテーションの話を持ってきた 今まで何回かこのタイムシェアーのプレゼンテーションへ行って市内観光をその見返りにもらったりそのプレゼンテーションへ行くのにホテルを取ってくれてそれにプラス100ドル分のギフトカードをもらったりとか まあまあ、2ー3時間我慢してセールスマンの話を聞いて何かしらの特典が貰えるならと何回か行ったことがあるんだけど 今回の特典は....現金で200ドル これは行くしかないでしょう 早速旦那はその連絡先に電話をして特典を確認して、アポイントをとって次の日に迎えがホテルまで来た 私らの泊まったホテルの近くのタイムシシェアーのコンドだったんだけどお金があったら買っちゃうだろうな....っておもうぐらいいいコンドだったし また、セールスマンのトークもYESといわざるを得ないほどの超お買い得特典つきの販売 そして、その話を案聞きながら朝ごはんは出てくるしコーヒーは出てくるしビールまで出てきちゃって... でもそこはプレゼンテーション達人の私たち丁寧にお断り申し上げて$200ドルの現金とともにホテルに帰ってきたわ これはとってもおいしいプレゼンテーションでした そしてとうとう最終日 空港のカウンターでチェックインしていたらそのカウンターの人が ”本日のフライトはオーバーブックしている模様でもしボランティアーで席を譲ってくれるのならこの次のフライトを用意して$500のバルチャーを差し上げますただし、一名だけです” それを聞いたうちの旦那... うずうずうずうず...$500??? って言うんだけど、そのときの予定では私らはヒューストン経由でデンバー到着が7時半の予定 そしてもう隣の親父が空港まで迎えに来てくれる手はずになっていて もし、旦那がボランティアーをするのであれば彼はその後に飛行機に乗ってフィニックス経由でデンバーに着くらしく私が空港まで迎えにいかなくてはいけないし(うちから空港までは車で約1時間...) 荷物はもうチェックインしちゃんったので私が彼のでかい荷物を引きずって入国審査を通らなくてはならないのでめんどくさいな...とおもって ”いいじゃん...みんなで予定通り帰ろうよ” と、旦那に言ったら うずうずうずうず....仕方なく ”OK....” そして、まだ時間があったのでゲートへ行く前にいろいろ店の探索をしていたら突然旦那が ”やっぱりボランティアーしてきていいかな?$500って言ったら大金だし来年の旅行に使えばいいじゃん荷物は、長男に持ってもらえばいいし空港からはバスを乗り継いで近くの駅まで行くから...” と、懇願されて... やっぱり彼はうずうずうずうず...していたらしい しょうがないなぁ...これで一生恨まれてもいやだし......半分あきらめ... そして晴れて旦那は$500のバルチャーを手にし次の別の航空会社の飛行機の搭乗券を手に入れ 私と長男君と次男坊は旦那抜きでメキシコを後にしたのでした そしてこの予定では旦那は10時半ぐらいにデンバーにつく予定なのでそれにあわせて近くの駅まで迎えにいくつもりで... そして私らは予定通りデンバーに到着し隣の親父に乗せてもらって帰宅の途中旦那から電話... ”元気かい???僕は今フェニックスなんだけれどもここでもボランティアーで席を譲ることにした$250だぜ!!すごいだろ???”多分12時過ぎにはデンバーにつくからついたら電話する” 旦那は荷物もないし 持っているものといえば バックパックのコンピューターと 電話と本だけで それも一人で身軽なもので またしてもボランティアーに志願したらしい 家に着いたらまた電話がかかってきてファーストクラスが落ちてきたって それから、バスに乗って近くの駅まで行って電車に乗り換えてうちの近くの駅まで来るからきっと夜中1時ぐらいになるからって 結局私らは家に帰ってきて荷物の整理をして子供たちを寝かせて そうしたら12時半(もう次の日...汗..)ぐらいに電話がかかってきて空港からのバスに遅れたから1時のバスに乗って、駅に着くのは2時ぐらい それから電車でうちの近くまで行こうと思ったけれどこんなに夜遅いと物騒だからやっぱり迎えに来てくれないか??だって 結局、夜中にうちから20分ぐらいの駅まで迎えに行って帰ってきたのは夜中の2時半すぎ 私も旦那も疲労困憊だったけれど旦那は、鼻の穴を大きくして$750分の飛行機のただ券が手に入ったといかにもうれしそう... でもそれを後日うちの母に愚痴半分で語ったら うちの母....大爆笑 ”転んでもただでは起きないよね~おたくの旦那は!!!”. まあ、そうかもしれないけど......(ほんとうにそうなんだけど..) でも今回の旅行で$200のキャッシュと $750分の飛行機のバルチャーが手に入った だからまあいいっかあ.. それにしてもうちの旦那は...
2010.10.29
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またまた待ちに待ったFall Breakのシーズン 今年もまたメキシコに行く予定こんかいはMazatlanというところ そして今年は、ちょっと事情があって2年以上会っていなかった旦那の両親も現地で合流する予定になってていつもの年よりちょっとにぎやかな旅行でした 今年泊まったところももちろんALL INCLUSIVE(食べ物飲み物全部込み)プランで一週間ゆっくりと一日を過ごしました 何がリラックスかって毎日の献立を考えて料理をしなくていいこと毎日お金の心配をしないでいいことこれがやっぱり一番のリラックスでしょう 今年は ここに泊まって こんな景色で こんなのまで食べてしまいました ここからはちょっと汚い話になりますが...気にしないって言う方はどうぞ... ある日私はプール際で読書に励み旦那と長男君と次男坊は海へブギーボードをしにいったの しばらくすると次男坊が泣き叫びながら私のほうに走ってきてなにやら叫んでいるんだけど何を言っているのか的を得ないの とにかくライフガードのところへ一緒に来てくれって旦那たちに何かあったのかとおもってパパは?って聞いたら彼らはまだ次男坊をほったらかしてブギーボードをしているらしい そして次男坊は痛い痛いと大声を上げて泣き叫んでいる そして何事かとおもってライフガードのところへ行くとライフガードは英語が話せない そばにいた現地の行商の歯の抜けたおっさんが片言の英語で くらげに刺されたらしい...って よく見ると次男坊のお腹の周りが赤く腫れ上がっている 次男坊は安全のため一応ライフジャケットを着せてブギーボードをしていたんだけどそのライフジャケットの切れ目の下のほうからくらげに抱きつかれて海の中に引き込まれたようになったらしい でも幸いなことにライフジャケットを着ていたので次男坊は海に沈まずにそのくらげを押し切って逃げてきたらしい そしてライフガードにどうすればいいのか聞いてもライフガードは英語が話せない 私はちょっとパニック状態 大声でビーチタオルを片手に振りながら叫んでもその声は旦那には届かないみたいで 隣で次男坊はしゃくりあげて痛い痛いと泣いているし... そうしたらその歯の抜けた行商のおっさんが ”おしっこをかけたら一発でなおるさ”って あ...そうだ...アンモニアだ.... そうおもって急いでバーへ行ってコップを借りて次男坊をトイレに連れて行ってその中におしっこをさせてそれを外へ持ってこさせた そしてそのおしっこをその周りにかけてあげると次男坊はぴったりと泣き止んだ... やっぱり効果あるわ... でも次男坊のおしっこの量が少ししかなかったので どうしよう・・・・ トイレに入る人に頼んでカップの中に少しおすそ分けをもらおうか?? なんていう馬鹿なことを考えていたら旦那と長男君が次男坊を探しに来た気がついたら次男坊が近くにいなかったので探しに来たらしい そこで私は怒りながら何で次男坊を一人にするのかくらげに刺されたらしいからこのカップにおしっこして来てってトイレへ急がせた それも次男坊の赤くなっている箇所につけてあげたら本当に痛みは止まったよう ほ~~~~っ それからその日一日は次男坊の様子を見ながら過ごしたんだけどその後は痛みも無く外のシャワーで隅々までリンスしてあげて 近くにいた人に事情を話したらどうやら酢も効果があるということでレストランへ行って酢をもらってきて酢もその箇所につけてあげた くらげといってもいろいろな種類があって今回のようにただ刺されて痛いだけだったり種類によってはショックを起こしたり 後からものすごく腫れてきたり そういうのが怖かったんだけど どうやらそれも無くて一安心 でも、次男坊の背中にはたこの吸引の後のように小さい刺され傷が10箇所ぐらいみみずばれのなかに小さな丸が 。。。。。。。。。。 と、できていた でもそれ以外は怪我も無く病気もせずに楽しい旅行になったらから良しとしなくちゃね かわいそうな次男坊 そしてまた一年稼がなくちゃだわ...
2010.10.26
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ティーンエイジャーの頭の中はよくわからない特に男の子の頭の中には脳みそ...入っているんだろうか?? うちではそれぞれの息子たちのベッドタイムが決まっていて長男君は大体10時から10時半 次男坊の関しては9時 二人ともまだまだ育ち盛りなもので一日8時間は睡眠時間をとったほうがいいと思ってそうしているんだけど 日によってはそれも難しかったりする長男君に関してはテストの前だったりプロジェクトの締め切りが迫っていたり... でもそれ以外その時間までにベッドに入るようにもしくは、部屋で静かに本を読むなりまあ、QUIET Timeってところですね でも、長男君は最近自分は大人だと思っているのかどんどんその時間が遅くなってきている うちの次男坊は昔から眠たくなると自分でとっととベッドへ行って寝る子で朝も結構決まった時間に自分で起きてくる人 だけど長男君は赤ちゃんのときから何をやっても、よたよたになるまでがんばって起きている人そして朝は、できるだけ長く寝ている人 兄弟でこれだけ違うんだよね だから長男君は朝も3ー4回起こさないと起きてこない 私ももう半分あきれていたところに おとといの夜、ふと気がつくと12時近くそして長男君もいまだにコンピューターにくっついたままゲームをしていた ちょっと頭にきて ”あなた何時だと思っているの??さっさと寝なさいねそして明日の朝はママは起こさないから自分できちんと朝起きなさいね” って言って私も寝にいった 次の朝、私はいつもとおりに6時半起床長男君、まだ起きてこない 6時45分 学校が始まるのが7時45分なので彼はいつもこのぐらいには起きて 支度をして7時半ぐらいには出て行くんだけど...起きてこない 7時... まだ起きてこない 7時15分... 7時30分.... そして7時40分ガタン という音とともに足音が聞こえてきた ”ママ~今7時40分?それとも6時40分?” ”7時40分だよあなたに昨日の夜、今日の朝は自分で起きなさいって何回言った???”そして長男君は急いで歯を磨き洋服を着替え... ”ママ~本当にごめんなさい学校まで車で連れて行ってくれる??” ”NO WAY JOSE!!!Walk to school!!”(やだよ!!歩いて行きなさい) そして彼は急いで外へ行き自転車にまたがって走り去って行った それが7時50分 それからすぐに学校へ電話した”XXXの母ですが、彼は昨日遅くまで起きていて今日の朝寝坊しました責任感を養うために私は起こしませんでした彼は今家を出たので10分ぐらい遅刻します” ははは~~~してやったり!! 決まった時間に寝ないのならせめて自分で朝きちんと起きればいいのに人の言うことを聞かないで遅くまでおきて朝も自分で起きれないのなら母はもうしらない自分でどうにかしろって こんなこと日常茶飯事 うちの長男君は家に帰ってくるとかばんを置いてすぐに裏庭に出てコービー君と遊ぶんだけど それはよしとしてちゃんと靴を履いて外に出ろって 靴下のまま外へ出ていつも靴下はま緑いくら洗っても落ちないし その上、うちの台所は砂だらけいくら掃いてもいつも砂だらけ いくら言っても聞かないので去年あたりから 長男君の洗濯物は彼にが自分でさせることにした そして、キッチンも1週間に3回掃いてもらうことにした 洗濯のほうはもう1年以上自分でしているんだけど彼は2ー3週間に一回しか洗濯してないみたいそんなに下着も持ってないはずなのに...でも怖いから....聞けない... そしてこの前、彼は2年の契約が切れたのと古い電話のキーパッドがきちんと動かなくなったので自分でお金をためて新しい電話を買った そして、古い電話はEbayでAS ISで売ってもパーツ目当てで買う人もいるのでそれを目的に売ることにした もう長男君...うれしくてうれしくて仕方がなかったらしい裏庭へ行ってそこから友達に新しい電話を買ったことを報告した そして次の日...彼の電話が見つからない裏庭へ行ったら... 長男君の電話....コービーのは歯型でぼろぼろ.. 絶句.... それから3日間彼は新しい電話が来るまで電話のない生活 電話のない生活はティーンエイジャーには考えられないものらしい うちでは古い電話を取っておいてもし何かあったときにその古い電話をつなぎで使うようにしているんだけど彼が狙ったのはそれだった 彼は必死に私たちに頼み込み 私の古い赤い電話を何日か使うことで私たちに了解を得た そして次の日いつものように学校から帰ってきてコービーと遊んでそれから旦那とちょっと出かけたそして30分ぐらいして電話がかかってきて ”ママ....ちょっと僕の電話がみつからないんだけど...” 私が裏庭を見ると何か赤いものが光っている 私の赤い電話もコービー君の歯型でぼろぼろ.. ばっかじゃないの??電話をポケットに入れてコービート遊んでいるときにそれがポケットから落ちたらしい お願いしますよ~~信じられない!! 1週間の間に電話を二つの犬にかじられるなんてあの人の頭の中には脳味噌が入っているんだろうか?? 本当にティーンエイジャーの頭の中はどうなっているんだろう一回あけて見て見たいものだわ本当は電話の写真を入れようと思ったんだけどなぜか写真をリンクして入れれない...なんで??
2010.10.07
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私と一緒に働いている人の義母が癌になりそろそろ危ないらしいということで彼女たちは先週カリフォルニアへと旅立った そして、今日の月曜日久々に仕事場に顔を出したんだけど... 結局義母の死に際には間に合わなくて葬式を終わらせて帰ってきたんだけどそりゃもう...大変だったらしい その義母には彼女の旦那のほかに4人の子供たちがいるらしいんだけどその義母を火葬するのか、土葬にするのかどこへ埋葬するのか、この兄弟たちが揉めにもめて 結局義母を火葬してその灰を5等分してカリフォルニアから持ち帰ってきたのはいいんだけどその途中で、人間の死骸を州を挟んで移動させるには許可書が必要らしくその許可書も時間がなくて取れないまま車につけて運んできたらしく そして、ここまで持ち帰ってきたのはいいんだけどこれをこれからどうしようか..というのも彼女の頭痛の種らしい 日本では人が死んだら、お通夜をして火葬してお墓へ入れるというのが普通なんだけど アメリカでは宗教的なこととかいろいろあってそれが一般的のこととは限らないから一概にどうしようととは言えないんだよね 日本では昔から縁起が悪いといって死の話をすることはタブ-となっているけれど日ごろから江原啓之教の私は彼のいろいろな本を読んで(父が亡くなった後にいろいろ読み始めた...)それは大きな間違いだって言うことに気ずかされた お葬式というのは本来は死んだ人を神の世界に送る儀式なんだけど そのやり方は、残された人がどうのこうのという話ではなく本来、自分が死んだらどうやってあの世へ送ってもらいたいかをきちんと周りの人に残しておいてその時がきたら自分の希望に沿って送ってもらうのが本筋だよね たとえば、どういうところでどういうお葬式をしてほしいのか誰に来てほしいのかどういう音楽をかけてほしいのか自分を思い出すためにどういうことをしてほしいのか... アメリカの歴代大統領は大統領になった時点で自分が死んだときのための細かい詳細を自分で計画するらしい何年か前にレーガン元大統領が死んだときのセレモニーも彼がすべて生前に計画していたものらしい そしてそれだけでなく自分が逝った後のこともいろいろ考えてその準備をしてあげるのが残された人たちへの愛情だと私は思っている 数年前にアメリカの報道番組のスペシャルで”Ready to Die”という特集をやっていて その内容は、末期癌の女性が自分はこの先ながくないというのがわかっていてそのための準備をしているというもの 彼女にはまだ小学生の女の子がいるんだけどそのことその人のご主人のために 大きなファイルキャビネットの中に銀行口座の詳細、遺言の詳細ローンなどの金融関係の書類そして、自分の親戚、友達のリスト家の中のどこに何があるかそして自分の得意な料理のレシピとか彼女は自分の子供にあてた手紙たとえば、思春期になったらとうするかとか男の子に対するアドバイスとかデートに関するアドヴァイスとかその上化粧の仕方なんかもビデオにとって残していた... これって...すごいって思った... たいていの人は自分の残りの人生が少ししかないってわかったらきっと自暴自棄になって自分の好きなことをする人が大半だと思うけれど 彼女のように、自分がいなくなっても旦那と子供がきちんと暮らしていけるように準備してあげることが彼女にとっての本当の家族に対する愛なんだろうな..って思った うちでも父が4年前に父が死んで彼も自分がそんなにはやく逝くなんて思ってなかったから何の準備もしていなかったらしい 父が死んでからの手続き...結構大変だった(詳しくはこちら) いまだに、母といろいろな探し物をすることがある今年の夏も、テレビがいきなり故障してテレビの電波を受信するブースターを探すのに家の平面図が必要だったんだけど何せ父がどこへしまったのか私らには見当もつかないから結構探すのに苦労した..結句まだ見つかっていないけど... そんなこともあって私と母と弟の間ではそういう話をするのが最近はタブーではなくなっている 母はことあるごとに私に何かあったらここに何がある..とか家の境界線は、ここだから覚えておいて..とかここの鍵はここにある...とか私たちに教えてくれている そして今年の夏には母にずっと聞かなくちゃいけないと思っていたんだけど延命措置のことについて話してきた 母に、もし何かあって母が人口呼吸器などを使う羽目になって意識がなくなった場合どうしてほしいのか...こんなことを聞くのは気が重いけどきちんと母の意志を聞いておいていざそうなったら彼女の意思に沿うようにしてあげようと思って 母も、父のことがあったので気軽に私はこうしたいって彼女の希望を伝えてくれたらた 子供として親の死ぬときのことを考えるのは気が重いけれど避けては通れないことだし残される私たちの意思ではなく母の意志を尊重してあげたかったから 私と旦那も2年ぐらい前に弁護士のところで私たちの遺言状とそして延命措置の有無についてきちんと書面にして残してきた そうしなくては残された人たちが苦労することになるから うちの旦那も日ごろから彼の両親にそのことについていろいろ話しているらしいけど彼らは、まだ大丈夫だと思っているらしく旦那の話を聞いてくれないらしい 彼らはカンザスだかどこだかとオクラホマのどこかに土地を持っているらしいんだけど私らにはそれがどこだかも全然わからない いま彼らに何かあったら弟君は全然当てにならないからうちの旦那が、全部そういう後処理をする羽目になると思う 今から頭が痛いんですけど... 今回はちょっと暗い話題になってしまいましたがこれは、きちんと家族で話し合わなくてはいけない話題だと思うし 逝くほうはいいけれど残されは人たちのことを思うとやっぱり、自分の周りの人たちを大切だと思うならきちんと話し合って書面にでもしておくべきだよね ほら...飛ぶ鳥跡を濁さず..って言うからね
2010.09.21
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9月14日 残金 $1.30 Mission Completed 詳しくは...こちら と..こちら.. やったね!! (ひとりでやってろって...) 実はうちは毎月毎月これだったりして...
2010.09.15
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子供たちの学校が始まって約1ヶ月... なんでこんなにお金がかかるの??? この1ヶ月、いったいいくら使ったんだろうか???考えるだけで頭が痛くなる アメリカではまた経済の悪化が著しくいまエコノミストの間では今年の暮れに向けて Double Dip(2重底)現象が起きるんじゃないかという懸念が強くて 今年のクリスマスは最悪のクリスマスになるかもしれないなんても言われていて うちの学校区でも州からの予算がまた削られ苦しい状況 それがどこへ来るかといったら私らの家庭に来るわけで... ここ一ヶ月の間に何回学校へチェックを送ったことか.... はあ~~ 毎年学校が始まるときにサプライリストが配られそれもうちは二人分 ノートやら、えんぷつやら、マーカーやら一人でも結構な額次男坊だけでも結構な額が飛んでいった $$$$$ そして長男君に関してはそのとる教科によって教材が違うんだけど 今年びっくりしたのは数学に使う計算機これまでも$30ぐらいのん計算機を買うように学校から言われていたんだけど 今年の計算機は特別なものらしく $120... これがなくては授業が受けられないらしい...結局長男君のサプライでも結構なお金 $$$$$ はあ~~ そしてそのほかに各自の授業の諸経費 長男くんで約$200次男坊で約$50 それに、学校でとる毎年の写真代が二人分 うちはもう特別写真にお金はかけないけれど最低限はかっているし 毎年買う人は$50以上かけて買っているらしい $$$$$ そして、そのほかに長男君の場合は季節ごとのスポーツの参加費用ひとつのスポーツ$150(去年は$100だったのに...) でも、そのスポーツに参加するためには彼の主治医のところへ言って承諾書にサインしてもらわなくてはいけないのでドクターのところへチェックアップに連れて行き $$$$$ 次男坊はそのほかにフィールドトリップトリオがあって $$$$$ そのほかに、PTOの寄付目的のイベントへ 寄付金 $$$$$ このイベントでPTOは学校全体で$60000集めるのがゴールだそうな...そうしたらひと家族$100近く.... $$$$$ はあ~~ そして今年から学校へ行くためのバスが有料となりバス通学をしている子供のいる家庭はちょっと苦しいかも... バス通学していなくても毎日の送り迎えを結局親がするようになって学校の周辺は朝は大渋滞これも結構厳しい~ィ $$$$$ そして、そのほかに学校が始まるのに子供たちに新しい洋服を2-3着ずつ買って それに二人ともバックパックがぼろぼろなのでそれが二人分 $$$$$ そしてその上9月の第1週には長男君の誕生日 $$$$$ はあ~~~ ましてや今年は学校のスケジュールの変更で夏休みは2ヶ月全全然働けなかったので7月と8月は給料入ってこないし はあ~~~ そして旦那からお金をもらうまで1週間私のお財布の中には$20 あと一週間はまたお馴染みの Ultimate Money Challenge しなくっちゃだわ 本当に毎年毎年この時期はお金がかかる普通の諸経費に加えこの寄付というのが始末悪い 毎年毎年の親へのプレッシャーは相当なもの それでも子供たちにはいい環境で勉強してもらいたいから出せないお金を少しはひねり出しているわけで そして今度は毎月にように売り上げの何%が学校へ行くというレストランなどのファンレイザーも始まるし ブックセールも毎月にように来て売り上げの何%が学校への本の寄付に使われるからどんどん買ってくれだの その上学校でも毎週のボランティアーを今年はする予定 あ...そうだ....日本語学校も始まるからその授業料も払わなくちゃ それに秋、冬のスポーツリーグの登録は今からしないとスペースがなくなってしまうからはやくしなくちゃ 本当にこの時期は頭が痛い お金に羽が生えたようにどんどん飛んでいく それも子供たち年をとるごとにその経費が高くなっているような気がするし はあ~~~ このため息はいつまで続くのかしら... お金のなる木がほしい ← けっこう切実....
2010.09.09
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去年の11月の話詳しくは、 その1 その2 その3 その4 その5 と、旦那のスキー事故の影響で去年の暮れから今年の初めまで本当に頭の痛かった私です そうして旦那のリハビリも春ぐらいから始まり毎日のようにPTから言われたエクササイズに励む旦那 病院の先生からももうその時点では後は、リハビリで少しずつ筋肉を強くして治していく以外何もできないといわれ 少しずつ自転車とか、水泳などを始めた旦那 それでも角度によってすごい痛みが走ったりまたは天気によって傷口がうずくじゃないけど一日中痛みがあったりもしていたけれど それでも5月のあたりまでにはどうにか普通の生活ができるようになってきたの まあ、完全に痛みがなくなって怪我をしたのを忘れるまでにはやっぱり1年半から2年はかかるみたいだけど でも、これ以上はお医者さんにもPTにも何もできないらしい そうこうしている間にもうちが雇った弁護士は病院とか保険会社から資料を集めて先方の保険会社に送付したりしていたらしい そして6月のはじめごろにはこの弁護士から病院でももうこれ以上は何もできないといっているしそろそろ、話し合いに入ったほうがいいということで本格的に先方の保険会社との交渉に入ったの すべての資料はもうすでに先方に渡っているしすべての請求書も向こうに渡っているけれど 先方の保険会社から弁護士付きでインタビューがしたいということで一度電話でのインタビューがあった そしてその後、こちらからの請求を弁護士から向こうの保険会社に送って先方からその返事が来てお互いが少しずつ歩み寄ってくるという流れだったの そしてこの時点でこちらの要求に向こうで合意できない場合また、先方が100%向こうの落ち度ではなくてこちらにも落ち度があったと判断した場合裁判ということにもなりかねないんだけど うちの旦那の場合、事故が起こったとき、加害者は山の上の方で旦那は 下のほうを滑っていたというのは明確で その上、加害者はうちの旦那が加害者の死角にいたと供述していたけれど スキーパトロールの証言でその日は晴れて天気もよかったし事故のおきたところも見通しのよう広いランで旦那は身長2m近くの大男その男が蛍光緑のスキージャケットを着ていたから見逃すはずがないというのがその人の意見 そしてコロラドのスキー場の法律では上から降りてくるスキーヤー/スノーボーダーは下を滑っている人に注意をしながら降りてこなければいけないらしい 単純に考えて、下を走っている人は上から来る人なんて見えないものね 周りの人からの証言ではその加害者は、まっすぐ前を見て走っていなかったらしい スノーボーダーは普通、横向きでカービングして滑るので首を前方に故意に向けないと前が見えないのは当然のこと でも、この証言は証言した人の名前も住所もわからなかったので証言としては使えなかったらしい それにプラス、その加害者のお父さんはその地域でも有名な整形外科医それも、ひざと足首の専門家ときたもんだ 旦那のレントゲンを見ればどのくらいの怪我かどのくらいの費用がかかってどのくらいの治療期間を要するのか一発でわかるのは必須 ということで、こちらの弁護士と先方の保険会社の話し合いもスムーズに行って 私らは、この弁護士はスキー事故専門の弁護士なのですべて、彼の提案どおりに請求することになったの そして私が日本へ行くあたりに最後の話し合いがあってまあまあ納得のいく結果に終わってやっと一息 でも、それから、この成功報酬の弁護士とこちらの保険会社と病院へ請求された支払いをしたら半分以上もなくなったけど 最初から、お金目的ではなかったのでそれはそれでよいとしなければ これで加害者の両親があの大学生をこっぴどくしかってくれて これがこれで懲りて こんなことが二度と起こらないようにしてくれたら私たちはそれで満足だったからね そういうわけで、このスキー事故の件も一件落着 でも、コロラドへ来てからこれで3回目の旦那の穴倉暮らし 最初の2回は旦那の要望とお医者さんとの話し合いでしたひざの手術だったので私もあらかじめ覚悟はできていたし家の中で役割も決めていたので家族全員でスムーズに乗り切れたけど 今回のスキー事故は予期しないものだったし加害者の大学生のせいのなさに腹が立ったし 今回の怪我が一番大変だったような気がする年末のあたりの私... ストレスで気が狂いそうでした ほら...あの松葉杖男を連れてカリフォルニアへ義弟くんとクリスマスを過ごすために行ったり私が普通の4-5倍体力を使うほめになったりして... でもこれでほっと一息 今年こそは怪我をしないで一年を過ごすというのがうちの旦那の新年の抱負だったけれど 私もそれを願うわ...今年は
2010.08.21
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そしてグアムから帰ってから2日ほど東京に滞在して 一日はしばらく会っていなかった友達と合流して一緒に両国にある大江戸博物館へ行ってきたの これは私の義妹の提案でこれはおもしろいかな..って思って旦那と子供たちとお友達と行ってきたの ありがたいことに英語を話すガイドの方がついてくれて旦那と子供たちに江戸時代の東京の様子をいろいろ展示物を見ながら説明してくれて 私にとっても興味深い博物館でした それからその夜はうちの弟家族と夕食を食べに出かけ うちの旦那は弟と会うのは10数年ぶり そして二人の姪っ子に会うのは初めてということでみんなでわいわいがやがやとおしゃべりしながら楽しい時間をすごせました 旦那と姪っ子たち -初対面 みんなで はいチーズ それから青森へと移動 うちの旦那が最後に青森に来たのはそう...長男くんが一歳半ぐらいのときなので本当に十何年ぶり でも今回は青森には3日しかいないのでもう遠出はしないで(十分したから)近場で済ませたの 子供たちはどうしてもダディーを連れて行きたいところがある それは回転寿司 アメリカの寿司屋と違って安いので旦那もガンガン食べてガンガン飲んでましたすごい数の皿でしょう... そして、それからすぐに旦那は帰宅の途に着き私と子供たちはここからが夏休み本番よね おばあちゃんと一緒に青森の世界遺産白神山地へキャンピングに行って そこでも有名な暗門の滝も見てきたし 温泉にも何回か行ったし 今回は私の育った八戸というところへ30数年ぶりに行ってもきたし ここは私は2歳から14歳までの子供時代をすごしたところ もう30年以上行ってなかったんだけどうちの父が死んでからもう一回その風景を見たいってずーっと思っていたんだけど今回それがようやく実現しました 昔私たちが住んでいたアパートは見事に取り壊されて、駐車場になっていて その近くに住んでいた仲のよかったお友達も遠くに引っ越してしまったようで でも、昔父に頼まれてお使いにタバコを買いに行ったお店やら小学校のときに友達と行っていた小さい駄菓子やなどは古いながらもそのまま残っていたり 見れば見るほど昔の風景と今の風景がダブって見えてくるようで感慨深かったわ それから父がよく連れて行ってくれたここ、種差海岸まで足を伸ばして... この海岸は私の住んでいたところから30分ぐらいのところにあって うちの父は病院に勤める医者だったんだけど 父は、夜でも夜中でも急患があれば飛んで行き土曜日、日曜日もあったものじゃないし 父の担当の患者さんが容態が悪ければ旅行を計画していてもそれがだめになったり とにかく予定の立たない人で夏休み、冬休みでもうちではおばあちゃんのところへ行く以外これといって予定が立てられなかったから みんながあそこだここだといって家族で旅行に行くのをうらやましく思ってみていたの でも、土曜日とか日曜日の午後がぽっかりあくとお母さんがおにぎりをにぎってくれてそれを持って家族できたのがこの種差海岸 もちろん父は仕事で疲れているからおにぎりを食べると昼寝をしちゃうんだけど私と弟は探検に出かけて かにとかヒトデとかいろいろなものを見つけては父と母にみせてね これが私の小さいころの思い出 そして、ここに来たらやっぱりこれ 磯ラーメンえび、あわび、うに、ホタテ、入りです...ふふふ... そしてあんなこんなしているうちに3週間が過ぎてしまい私らは帰宅の途に着いたわけですが 今年の日本は暑かった本当に暑かった うだるような暑さと昔から言いますが毎日うだってました でも今回は母としばらく一緒にいられる機会も子供たちもたくさんおばあちゃんと楽しい時間を過ごしたし 旦那も満足して帰ってきたみたいだし だけど... 今年旦那が日本へ来て今回きたらまたしばらく来ないだろうと思ってサービスしてあげたのに(お金もたくさん使ったし...) アメリカへ帰った旦那からの電話での最初の言葉は やっぱり10日間は短かったなあXX(私の弟)が来年も待ってるよって言っていたから来年は2週間ぐらい行った方がいいかなあ...だって 私 ....えっ???.. 顔引きつってました... そ..そんな....
2010.08.18
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うちの母とちょっと旅行を楽しんだ後は青森の実家に帰ってちょっとひとやすみ だけどその一週間後にうちの旦那が子供たちを連れて日本へやってくる日 私は青森からまたよいこらしょっと成田空港までお出迎え彼らを成田空港で迎えた後はその足で家族でGuamへと小旅行してきました うちの旦那は日本へくるのが10数年ぶり日本でどこへ行きたいって聞いたら ”Beach” だって.... 日本以外に在住の人には日本国内を安く旅行できる国内線のチケットがあるから沖縄っていう手も考えたんだけど 日本はとにかくホテルが高い..というか、二人一部屋という部屋が圧倒的の多く家族部屋なんかを頼んだらとんでもない値段 それに、沖縄へ行ったらレンタカーも借りなくちゃいけないし... そこで思いついたのがグアムとサイパン 一応グアムとサイパンは一応アメリカだし今本当に安いツアーがどんどん出ていて沖縄へ行く半分以下でいけちゃうし.. (本当に安くてびっくりしちゃった...ただ、飛行機を指定したりホテルを指定したりすると高いけど...) レンタカーも要らないし旦那にトランスレートしなくてもいいし部屋もアメリカサイズだから4人で泊まれるし... それにこのホテル...朝食付き... これしかない...ってことで3泊4日でちょっと行ってきました ハワイ大好きな旦那なのでグアムもいいようにつぼにはまったようで子供たちと一緒に毎日海とプールとビールで過ごしました それでは... ホテルのプール 波のでるプールもありました ウォータースライダーも.. 近くにある島 島までカヤッキング クーラーの中はビールでいっぱい!! そして、グアムでのんびりした後は家族で日本へと帰国です
2010.08.15
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やっと今日から学校が始まりました 長かった2ヵ月半の夏休み 私の仕事も始まりやっと普通の生活に戻ってほっと一息 今年の夏は子供たちをオクラホマの義両親のところへ送り私は一足先に日本への帰国 というのもかねてから母がヨーロッパへ行ってみたいという夢があり父が退職したら夫婦水入らずで...と思っていたらしいのですがそこでいきなり父が急逝してしまいその母の夢がお預けになっていたのですが 今回予定がうまくかみ合い私が少し早く日本へ行けることになったので母のお供をしてきました 最初は Germany...ドイツ ハイデルベルク城 ハイデルベルク城からの眺め..なんとも味わいのある風景 そこからローデンブルグへ そこからランズべルクのノイシュバンシュタイン城へ 絵はがきにでもしたいくらい そのお城の中からの風景ここに住んでいたルードリッヒ2世は毎日この風景を眺めていたんでしょうね 町の中では家の様式とか屋根の色とかいろいろ規制が厳しいらしくてそれもうなずけるけどドイツはどこから見ても絵になる風景ばかり そこからスイスへ移動 アルプス山脈のひとつユングフラウヨッホ クライネシャイデックからの眺め そこからスイスの首都ベルンを通ってジュネーブへ抜け ジュネーブから電車でフランスのパリへ これ抜きではパリは語れないエッフェル塔 これも..ルーブル美術館の本物のモナリザ ノートルダム寺院 ベルサイユ宮殿...金ぴか.. すばらしい装飾 有名な鏡の間 今でも手入れの行き届いたガーデン そしてオルセー美術館 パリの街はどこへ行っても歴史が薫る町 すばらしい建築物とかアートがいっぱいいくらでも歩いて見に行きたかったんだけど 私らがパリに行った日は気温は35度以上 観光客は山のようにいるし車の量も半端じゃない そして、町全体がコンクリートで覆われているので(すべての建築物が石またはコンクリートでできているため)その跳ね返しでもう、うだるほどの暑さ そのうえ、建物が古いためエアコン用の空調菅が通っていないらしくほとんどのところではエアコンがないし それにこれはドイツ、スイスもそうだったんだけど飲み物に氷が入ってこないの そして、自由時間には地下鉄を利用してホテルとの間を行き来したんだけど日本の地下鉄を想像しちゃあいけません 臭いし暑いし...まいった...まいった でも何が一番つらかったって.... デンバーから日本へ帰って 15時間の時差で その3日後にはヨーロッパへと そこでは日本との時差は8時間 その4日間でダブルの時差ぼけ 特に年をとってくると 結構時差ぼけってつらいんだよね けれども初めてのヨーロッパ十分楽しませていただきました そしてお母さんは自分の目的を達成できたみたいだったのでよかった....よかった
2010.08.10
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今日アメリカでは父の日でしたが... うちでは子供たちが先週の水曜日にオクラホマのおじいちゃんおばあちゃんのところへ行ってしまったのでうちの父の日は先週の日曜日でした 先週の日曜日はあいにく曇り空で小雨のぱらつく一日でした気温も10度ぐらいにしか上がらなかったんだよね...確か 朝から久しぶりに家族でブレックファストを食べに行きこの日は普通の日曜日だったので大して混雑することなく 旦那はでっかいパンケーキとでっかいソーセージと大盛りのオムレツを召し上がっておられました 家に帰ってきてから父の日のプレゼントを子供たちからもらい それから、安く買ったマッサージ券で夫婦二人でゆったりとマッサージ そして夜は 旦那の大好物のAhi(マグロです)のまあ、いってみればたたきですね Costcoで大きなマグロの塊を買ってきてグリルで表面を焼いてそれに、刻んだねぎを振りかけてポン酢ベースのたれをかけ ガーリックとバターで炊いたご飯と一緒に食べるとこれが、Yummy...なのです でも、このAhi、結構値段が高いのでうちの食卓には特別の日しかのりません そしてそれが先週の日曜日 水曜日には子供たちがオクラホマへと旅立ちまた母寂しく、旦那と二人きりで どうしよう... (大汗...) という日が3日ありましたがそれもどうにか乗り越え 今度は土曜日の日に旦那がオクラホマへと旅立って行きました そして私は昨日と今日はお犬様と二人での生活 お犬様を甘やかしておいしいTreatばかりあげています 今日はお散歩もしたのだ ママがおいしいトリートをたくさんくれるのだ でも...見えない... そして明日は私も日本へ向かって旅立ちます 今年はいろいろ予定があって私だけが先に日本へ行って 後から旦那と子供たちと成田で合流という予定です 一年ぶりの日本 久しぶりに友達にも会う予定だし弟のところにも少し泊まらせてもらって姪っ子たちとも会う予定だし そしてもちろんおいしいものもたっくさん食べてこようと思って今日のジムへ行ってきたけれど ちょっと無駄だったかもししれない...とほほ... いずれにしてもちょっとの間里帰りします また帰ってきたらその様子でもアップします それでは... Have a nice summer
2010.06.21
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2-3週間前にこの記事を見つけて読んでいたんだけど いやあ....なんだかね... この記事はアメリカの不動産問題で支払いができなくなって持ち家の抵当権を銀行なり、ローン会社にとられる過程の人たちに記事なんだけど 結局は... アメリカのハウジングバブルの頃に無理をして家を買った人たちが その頃にはやっていた変動金利のローンを組んでその変動金利から固定の時期が過ぎて金利が変動し始めてきてその金利が高すぎて支払いができなくなったとか ここ数年の家の値下がりで家のローンの額が市場価値より多くなってしまって売るにも売れず ローンの組み替えもできず その人たちも銀行やローン会社との交渉でショートセール(家を市場価格で売って、その売ったお金で家のローンをチャラにしてもらう方法)ができればいいんだけど なかなか銀行やローン会社ではそれに同意してくれる場合も少ないらしく 結局はその家の支払いができなくなったり または、このアメリカ経済の悪化によって仕事を失い、家の支払いができなくなって銀行やローン会社に家を抵当に取られたり そんな家が現在アメリカには170万件あるらしく その中でも家の支払いを18ヶ月してないという家は65万件に上るらしい そして、支払いが怠ってから実際にその家を銀行なりローン会社なりに追い出されるまで平均で438日 これが2008年の1月の時点では251日だったらしい 現在のではこの抵当権流れの家が多すぎて銀行でもローン会社でも裁判所でもその処理が追いつかない これが今フロリダ州では518日ニューヨーク州では561日 これって1年が365日だから1年半以上.... そしてその人たちが今家のローンを払っても払わなくても結局はその家を追い出される羽目になるから 毎月の支払いもなし家賃の支払いもなしで1年半以上そこに住み続け そのお金で外食に行ったり旅行に行ったりボートを買ったり... 裁判所から通告が来たら はい、さようなら で、出て行けばいいんだから 追徴金なんてもちろんなし え~~これってちょっとひどくない?? 中には、銀行やローン会社と連絡を取って家のローンを縮小してもらって払えるだけのお金は払おうとか せめて家を売ってローンの穴埋めをしようと思ってがんばっている善人もいるけれどなかなか、銀行側もうんと言わないのが実情らしい はあ~~~ なんだかこの記事を見ているとやっぱり正直者が馬鹿を見ているのかな?? と思ってしまっても仕方ないでしょう 一年半、家賃なし、家の支払いなしで暮らせたらどんなに裕福な暮らしができることか そしてこの記事の中の人のひとりはやはりここ数年のアメリカの経済の悪化によって自分のやっていたビジネスがにっちもさっちもいかなくなり 彼らは家の支払いをやめることにしたの 結局家の支払いをやめてもしばらくはただでそこに住んでいられるしクレジットスコアーだってもうどん底失うものはないのないということでそうすることにした そしてそのローンに支払っていたお金を自分のビジネスにつぎ込みはじめたらしいそのおかげでビジネスは破産せずにすみその他の長い間働いてくれていた従業員にも給料を払うことができたって それが去年の夏の話 そしてそのままその家に住み続けていて結局その家の市場価格は買ったときの半分程度もし、裁判所から立ち退きの要請が来たら自分たちはその市場価格でローン会社とローンを組む話し合いをする予定でらしい ローン会社もその家を彼らから取り上げても結局はその市場価格でまた売りに出さなくてはいけないので結局は同じこと...というのが彼らの言い分 なんだかね... そしてその話はここで終わらないの 彼らの家の価値が彼らのローン額の半分ぐらいのしかないかというともちろん、アメリカのハウジングマーケッのバブルがはじけたっていうのもあるけれど 彼らは、その家の値段が最高に高かったときその含み資産を現金に買えて引き出したらしいそしてそのお金で新しいトラックを買ったんだって え~なんじゃあそりゃあ~~ ただでトラックを買ってその代金も結局は踏み倒し....ですか??? なんだかこんな話ばかり聞いているとこの世の中何が善で何が悪なのか 少しぐらいモラルを欠いていても少しぐらいずるをしたってやったもの勝ち...かもしれない.. なんだか一生懸命毎日毎日まじめに働いてけちけち食事を切り詰めて靴に穴があいても少々なら我慢...なんて毎日生活している自分たちが惨めに思えてくる なんだかとってもやるせない気分 だけど、まじめにこつこつとやっていたら見ていてくれる人はちゃんとだれかが見ていてくれるんだよっていう父の言葉を信じていくしかないんだろうな...
2010.06.15
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5月の下旬から夏休みに入った子どもたち 今年は私も子どもたちと同じ日から夏休み入り夏休みの間も少し働きたかったんだけど学校区も予算カットだとかそれと、ほかの人との兼ね合いで今年はできなかった と...いうことは今年の夏は働かないからお金が入ってこない.. きっつ~~い !! そして、その日から子どもたちがオクラホマのおじいちゃんとおばあちゃの家に行くまで3週間うちの旦那も最近はほとんど家から仕事をしているので家の中では毎日24時間家族が顔を付きあわせていることになる 一応夏休みも規則正しい生活をさせようと思って毎日のスケジュールを立てさせたんだけど 子供たちはベッドタイムが月曜日から木曜日までいつもの日と変わらないのが不満らしい 一応週末は少し遅くまで起きてていいよってことにしたんだけどそれでもぶーぶーいわれた でも、隣の家のふたりの娘たちのように毎日昼過ぎまで寝ていられるのも健康によくないし 次男坊には ”ママ...この通りの中で夏休みにベッドタイムが決められているのは僕たちだけなんだよ夏休みだけでも遅くまで起きていてもいいでしょう?そうじゃないと不公平だよ!!” っていわれたけどそんなことは関係ない ベッドタイムはベッドタイムって言い聞かせたけど... それに旦那はほとんど毎日家から仕事をしるから その邪魔もしたくないんだけどかといって、毎日毎日子どもたちをどこかへ連れて行くのもお金がかかるし... と思っていたんだけど 私はひらめいた 一週間に2回ずつField trip Day(遠足の日)を設けることにしたの この3週間で5回Field tripをすることにして一回の予算は20ドル(一人10ドル)で毎週一応火曜日と木曜日がその日 それ以外の日はプールとジムへ一緒に行くことにして そしてそのField tripのルールは 子どもたちはその一日の予算でどれだけ好きなことができるかリサーチすること クーポンとか安い映画館とかでもOKとにかく、その前の日までにどこに行くのか二人で決めてその予算に合わせて計画書を作って私に提出すること そして、その残ったお金はその次のField Tripに使うことができること とにかく二人で$10でどれだけ楽しいことができるのかそして自分たちが普段していることはどのくらいお金がかかるのかどうしたらそのお金をセーブできるのかを考えるのが目的 それから何回か今までField Tripしたけれどふたりでまあまあよろしく計画を立てている 最初は映画に行きたかったらしいもちろんその映画は ”Iron Man” 夜に行くと高いから昼間のマチネの料金をインターネットで調べてそれから、映画のクーポンを探して それでも、映画を見ながらポップコーンが食べたいらしくうちから飲み物持参で映画館へ行き向こうで特大のポップコーンを買うことにしたらしい その次はボーリング ボーリング場のサイトに行って学生夏休み中1ゲームフリーのプログラムにサインアップしてそこから、1ゲーム$1.49のクーポンを使ってボーリング場に電話をして靴のレンタル料金を聞いてこれも結構安く上がったみたい そしてその日は残ったお金で久々のスターバックスで特大のフラパチーノをふたりで頼んでいらっしゃいました(うちではスターバックスは高いから1年に何回かしか行かない..いや...行けない....) そしてその次はランチ 普段あまり行かないようなところへランチに出かけましたそれもあらかじめウェブサイトで値段を調べて自分たちの頼むものを決めてから行ったようです でも、実際の値段がそのウェブサイトの値段より高かったらしく飲みものはふたりでシェアーすることにしたらしいです なんだか、 ちょっとけちといわれてしまえばそれまでなんですけど私もこの夏休み働いてないので収入はなく 子供たちにかけてあげられるお金も限られているのでそれだったら彼らの好きなところに行かせて少し社会勉強のためにはなるんじゃないかと.... これで子供たちが少しでもお金の価値についてとか少しの工夫で少ないお金でたくさん楽しいことができたり少しのリサーチでお金をセイブできることを経験してくれたらと、思ってね そして来週の火曜日は最後のField Trip そしてその次の日には彼らはふたりでオクラホマへと旅立ってしまいます また、母...寂しい日がやってきます というか...旦那とふたりで どうしよう ...という日がやってきます (大汗)
2010.06.13
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アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいる日本の女は強くて可愛げのない女が多いって言われるけど 私もきっとそのひとりです そうだよな... 2メートル近くある旦那を尻にしいて(そんなつもりはない..あくまで.夫婦は平等であるべきであって......)毎日生活しているんだからそう思われても仕方ないかも....(大汗...) でもこのアメリカで生きていくには強くなくては生きていけないと本当に思う でも今日の私はちょっとBITCHY(....)だったかしら?? 朝にCurvesの帰りに食糧調達のためにWalmartへ行ったの そこで野菜やら果物やらそれも次男坊の大好きななしが1パウンド70セント(?)ぐらいで売っていたの いつもなら 1パウンド$1.29から $1.69ぐらいするからこれは安いなって思って4-5個袋に詰めたの そしてレジに行ってお勘定をしていたら... 私は、セコイと思われるかもしれないけどきちんとそのレジの人がその品物をいくらでチャージするか見ているんだけど(いやな客だろうな...) でも、せっかく安いものを買うために来て高くチャージされたらとんでもないからね そうしたら、そのレジの人はそのなしを1パウンド$1.39でチャージしたの あれ???って思って もう一度も表示されている画面を見たら1パウンド$1.39... そのレジの人が全部品物をレジに通してから ’あの...このなしは確かパウンド78セントぐらいだと思ったんだけど...もう一回見てもらえますか?” って言ったらそのおばちゃんじろって私を見てそれから、そのなしをレジからキャンセルしようとしたんだけどそのおばあちゃん慣れていないせいかなかなかできない... そのおばちゃん はあ~~~ってため息をつきながら やっとのことでキャンセルしてまた同じなしの品物の番号を入れたんだけどまた同じ パウンド$1.39で出てくるの そのおばちゃん.. ”ARE YOU SURE??”(ほんとに???) って疑いの目で私を見るから 本当よ、何なら確かめてこようか? って言ったら、それを無視して ”あんたいくらって言った?” って言うから ”パウンド78セント” って言ったら、いやいやながらその値段でチャージしなおしたの そして、すべての合計が出てから私は、そのチャージした上に現金を引き出すように頼んだの $20、 $40、$60、$80のチョイスがあったから銀行に行くのも面倒くさいから $80のボタンを押したら、そのおばさん ”あんたね...$80もキャッシュバックするのならあらかじめ言ってくれる??このレジにはお金がないことだってあるんだからね? って意地悪そうに言うから私もカチンときて ”$80の選択があったから押しただけだよないんだったらオファーしないでくれる” ”そういうことじゃなくて、$80なかったらどうするの” って食って掛かってくるから ”あんたのレジに$80あろうがあるまいが私の知ったことじゃないWalmartに$80ないんだったらオファーしないでくれる?” って言っちゃった.....(わぁ..Bitchy....自分ながら...) そしてそのレジを離れて何気でそのなしの値段を確かめようと思って果物売り場に戻ったらそのなしはパウンド70セントでした ということは、Walmartのレジがきちんとした値段をシステムの中に入れてないんだと思って私のように安く買おうと思ってきた人たちが高いお金を払わせられるんのは腑に落ちないと思って ストアーマネージャーに言うことにしたの マネージャーが来てたからそのレシートを見せながらそのレジのおばさんとのやり取りを話してきっとレジの値段が間違って入っていると思うんだけど... といいながらレシートをもう一回見たら... そのなしのコードが違うのよ ということは...あのレジのおばさん私の買ったなしのコードを間違ってレジに打ち込んでだから違う値段が出てきていたのよ それを理解したマネージャーは ’申し訳ありませんでしたきっとそのレジの人間は自分の暗記しているコードを間違って入れたんだと思いますなしも何種類かあるのでそれで間違ったんだと思います” って言うから、 ”ちゃんとここに一個一個にステッカーがはってあるのにそれを見ないで打ったから間違ったのね” っていってやりました(わぁ..Bitchy....自分ながら...) そしてマネージャーは ”彼女が打ち直したって言っていたけれどまだ、直ってないわね70セントなのに78セントになっているわ” って言うから ”何セントの違いでなんだかんだ言うつもりはないけれどここに安く食品を買いに来ているのに約2倍のお金を払いたくなかっただけよ” って言っておいた こうやって書いていると私も意地悪だね... でも、あのレジのおばさんの態度にカチンときたのと余計なお金は払いたくなかっただけ それでなくても毎月きつきつと生活しているんだからそれぐらいの権利は消費者にはあるべきよね でも、これが日本だったらきっと誰も言わないだろうな.... やっぱり私は強くて可愛げのない日本人になってしまったのかしら??(汗...)
2010.06.02
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ここアメリカで長らく生活しているとあちらこちらから入ってくる言葉が英語なのでいつの間にかそれに慣れてしまったけれど 最初にアメリカに来たときには道を歩いていても、スーパーへ行っても何気なく耳に入ってくる言葉もみんな英語なのでその当時はわかるわけがない いつの間にか入ってくる言葉を頭の中で無視するというか聞いてもわからないので自動的にそれがお経のように聞こえて気にならないようになってきたんだけど 特に、私が始めてアメリカに来たときにすんだのは、フロリダのタンパ市 ここは、やっぱいうフロリダ...南部のせいかそこに住んでいる人たちの言葉は南部訛りの英語だったみたい(今考えると....) 特に、黒人女性の英語は私、初めてアメリカの地で生活を始めたものにとっては未知の言葉だったの 何を言っているのかぜんぜんわからなかった これが今だったら(20年近くここに住んでからという意味)だったらもっともっと理解できたとおもうけどあのころはね... そして、その次に引越ししたのがオクラホマのタルサ市 ここがまた中西部の訛りがすごくてここの現地の人(生まれてからずーっとそこに住んでいる人)の言っている言葉がぜんぜん...わからない... うちの義母のお兄さんは生まれてからずーっとタルサのひと... ほんとに、冗談じゃなくて何を言っているのかわからなくて会話に苦労した だって、単語自体の発音がぜんぜんちがうんだもの 彼に ”Do you want to have some ぱぁ~??” って言われて時には え???え??ぱ~~??ぱぁ~ってなあに????? 旦那に聞いたら ぱぁ~~って言うのはPie(パイ)のことだったらしい ぱぁ~~??? それから結婚式でハワイへ行ったときに道を歩いているとあちらこちらから日本語が聞こえてくる... というか、するするっと自分に耳に入ってきていちから十まで言っていることがわかるので自分の周りで繰り広げられている会話がどんどん頭の中に入ってきてとっても不思議な空間にいる自分にびっくりした覚えがある それから何年かしてまあまあ英語がわかるようになってくると周りから入ってくる言葉にも慣れてきて たとえば、買い物に行った時に隣の夫婦の会話が耳に入ってきてちょっと聞き耳を立ててみたり それでもやっぱり日本語ではないからちょっと神経を集中しないとちゃんと話の内容まで理解できないこともあるんだけど それでも、それが耳に自然に入ってきたときには ”あぁ....私も英語が理解できるようになってきたんだな...” って自分のことながらちょっぴり感動したりして... 多分それがカリフォルニアに引っ越したあたりだと思う(多分今から13年ぐらい前) カリフォルニアに住む人たちは結構いろいろな人種が混じって生活しているので発音もはっきりしているし他に対してとてもわかりやすく話してくれる人が多いと思う そんなこんなで英語には四苦八苦してきたけど今コロラドに引っ越してきて こうやって日常生活しているなかでいきなり日本語が入ってくることがあるの 今子どもたちがはまっているのがTVチャンネルG4 で放送中の ”Ninjya Warrior...” この日本語題は、 ”SASUKE” これが今子どもたちのお気に入りのTV番組 これは日本語の音声に英語のサブタイトルと解説が入っているので主にTVから聞こえてくるのは日本語 夕食の支度などをしているといきなり日本語の音声が耳にするするっと入ってくるといまだに自分でびっくりしてしまう ”あら...日本語だわ..”なんて やっぱりこのするするっっと具合が日本語と英語じゃあぜんぜん違うのです 何年たっても日本語は私の第一言語だから何をしててもするするっと入ってきて それも英語のようにひとつやふたつわからない言葉があるというわけもなく すべての意味がわかってしまうって言うのも不思議な世界 でも、今年の初め家族全員でTVシリーズ ”Heros” を見ていたときにはあのHiro NakamuraとAndoくんの日本語はちょっといただけなくて 聞いていながら、自分がアジアのほかの国にでもいるような錯覚に陥ってしまった やっぱり私は脳の構造がいつまで経っても日本人なんだな...って思う今日このごろでした ちょっとまとまりありませんが久しぶりの私の戯言でした
2010.05.31
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ちょっと前に学校のランチのことをこのブログで書いたんだけどちょっと前に、サーブしてる側にとってもすっごいな...って思ったからちょっと写真に収めてみました(前回の話はこちら) まずEntreeは チョイスA チーズバーガーとフレンチフライ このチーズバーガーは牛肉と大豆を主にしたパティーとWhole GrainのBunと脂肪分の少ないチーズにオーブンでフライしたフレンチフライ(ということは油で揚げていないので脂肪分が断然少ない...) チョイスBは コーンドッグ これも牛や豚ではなくターキーなので脂肪分がとても少なめなソーセージと、もちろんWhole Grainのまわりと、オーブンフライしたフレンチフライ チョイスV(ベジタリアン用) ベイクしたポテトとチーズソースに温野菜(今回はブロッコリー) チョイスC これは毎日提供しているベジタリアン用のランチ 脂肪分の少ないヨーグルトと、チーズにそしてクラッカー このチョイスA,B,Cの中から自分の好きなものを選んでそれから この中から飲み物を選びます。脂肪分の少ない普通のミルクとチョコレートミルクか水 牛乳のだめ子のためにジュースの選択もあります そしてそれが終わったらサラダバーから 自分の好きな野菜と果物を選びます この野菜と果物は食べ放題食べ終わってからもう一回戻ってきてもぜんぜんOK 結構すごいう種類でしょう??右から、レタス、にんじんと、セロリ、グリーンピースにきゅうりそしてオレンジに、ブルーベリーとりんご アップで... もう一回アップで... これだけの野菜と果物を提供していても約60%の子どもは無視 野菜も果物もとりません 私らは一応子どもたちに野菜と果物を食べるように促しますが強請はできません 本当に最近あまりにも学校のランチへのバッシングがひどいのでちょっと写真でアップしてみました これだけあったら十分だと思うのは私だけ??? あとはあくまでも子どもたちの選択です あしからず
2010.05.28
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2週間ぐらい前まではまだ雪も降ったりしていたのに来週で子どもたちは学校も終わり そう....恐怖の Summer Vacation ....(ふぅ~~ため息...) 2ヵ月半は長すぎる.... でも子どもたちは大喜びそうだよね...学校へ行かなくていいんだもの私だって子どもだったら喜ぶわ.. そして先週の金曜日 うちの次男坊は現地校では3年生 この3年生最後のプロジェクトで彼らはビジネスオーナー(会社の経営者)になることになったの このプロジェクトは子どもたちの単純にビジネスの仕組みを体験させようというプロジェクト 2-3週間ぐらい前から子どもたちは自分はどんなビジネスの経営者になるかどんなものを売るのか考えてそのビジネスプランを作るの 会社の名前からどういうものを売るのかコストはどのぐらいかかるのかどうやってその品物を作るのか....宣伝はどうするのか... などなどなどなど... そしてそれをビジネス案として家族に相談してそして先生から了承を得たらそこから先週の金曜日の開業に向けての準備を始めるの各自の予算は15ドル以内 うちの次男坊は自分の好きなクッキーとブラウニーとそして折り紙を折って売ることにしたらしい 私にこれをこれとこれとこれを買ってくれって言って 私はそれを買ってきて次男坊のために用意しておいたの そして先週の頭から毎日うちでクッキーを焼いて、ブラウニーを焼いて小さいプラスチックのバッグとクリップを買ってきてそれを袋に詰めて... 折り紙も二人で YOU TUBEを見ながらいろいろない折り紙に兆戦!! 私も昔よく折り紙はしたけれど何年も前だから全部忘れてる...(汗...)それでも次男坊と一緒に花、鶴、、せみ、 ペンギン、鳥..などなどを作って金曜日のために準備 そして次男坊は宣伝のために学校で、大きな画用紙に自分の店の名前と品物、値段などを書いてポスターを作ったらしい そして当日 教室の中は Kopatichivill(先生の名前の町)と化してそれぞれの生徒が自分の作って品物を机に並べて準備万端 店のオープンの時間になるとほかのクラスの生徒や、親たちが先生からもらったおもちゃのお金をもらってショッピングを始めるの さて...次男坊は... 机の上に並べたクッキーやブラウニーや折り紙とOPENのサインがありますね 彼の作ったお店のポスターが見えますか? ほかの子達は ほかの子どもたちの売っていたなべつかみ...ブレスレット...キーチェーン 自分の庭から拾った石に飾りをつけて...ペーパーホールダー 普通の鉛筆にふさふさの頭をつけたもの.. 手つくりのブックマーカー などなど... 子どもたちのアイデアがいっぱいそのほかにも、フルーツスタンドみたいにフルーツを売っていたり、粘土で作った作品を恐竜の化石と題して売っていたりフットボールカードと題して手書きのフットボールカードが売っていたり自分でとった写真をポストカードと題して売っていたり... 中にはあまり売れないので親と交渉して本当はひとつ1ドルなんだけど今日は特別にふたつで1ドルとか先着5名さまにはこのキーチェーンをただであげますとか... 自分の商品を歩いて見て回っているお客さんにデモンストレーションしながらそれがどんなにいい商品かアピールしたり... とても小学3年生には思えないほど この子は大きくなったらよい商売人になるに違いないって思う子もいたりして... そしてその日の最後には自分でいくら売り上げがあってその中からいくらその商品を作るのにお金を使ったかを売る場所にいくらのレントを払って、人件費を払って そのリポートを先生に提出... 次男坊も家に帰ってきてから自分のブラウニーがどれだけ好評で売れ切れになったとか 友達の商品がぜんぜん売れないから自分がさくらになって買ってあげたとか..彼も楽しかったみたい でもこれって本当にアメリカ... 日本でこんなプロジェクトなんて日本じゃ考えられない 見てて面白かったのは小学3年生にしてもはや値切り根性が着いている子どもとか 恥ずかしくてお客さんが来ても何もしゃべれない子がいたり かといえば、頭にいい子はその商品を作るのにたいしたお金をかけないようにコストを最小限に抑えていることか...それぞれの性格が出ていると思う 私も行って本当は全員の子どもたちから買いたかったんだけど何せ、お金がなかったもので...(先生は決まったお金しかくれなかったので....) でもこのプロジェクトは本当によいプロジェクトだったと思う 次男坊は今度こういうプロジェクトがあったら自分はこれを売りたいだとかここをこうしたいだとかいろいろ言っていた 子どもたちにとってもこのプロジェクトは学ぶところがたくさんなったプロジェクトだったみたい
2010.05.23
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先週の日曜日は母の日 うちの次男坊は昔からとっても行動的私にいつも ”Mr. Independent”(とっても自立した人) と、呼ばれているほど... 彼は自分が食べたいもの...ほしいものがとさっさと冷蔵庫から出しマイクロウェーブで暖めて食べていたり 学校に持っていくランチも前の日に自分の好きな夕食だったりするとさっさと、入れ物を持ってきて自分でそれにつめて それにまた戸棚からお菓子を出して自分でランチをつめることもしばしば 彼....まだ小学3年生なんですけど... その彼は2週間も前から母の日のカードを作り始めそのほかに、学校で作ったものとか自分で私にくれようとしていたものをちゃんとギフトバックに入れて母の日の3日前には準備万端 そして長男君といえば.... 私にいつも ”Mr. Lazy...’(なまけもの...) といわれているほど怠け者... 旦那の話によると2日前になっても母の日のことなんてぜんぜん考えてなかったみたい 彼はきちんと彼の仕事があってそれに対してもお小遣いも毎週もらっていて最近は自転車で近くのお店まで買い物に行ったりもしているのに... それを知っていたので私は2日前の夕食のときにわざとちくちくと長男君をいじめてみた ”2日後は母の日だよね...この日ってその人の性格がわかるしあなたたちがどれだけ私のことを大切に思っていてくれるかもわかるんだよね...それによって誕生日とかクリスマスのプレゼントも決めようかしら” ってね...(鬼母...) ”ママ決して高いものがほしいんじゃないのよね...たとえば、ママの絵を時間をかけて書いてくれるとか 何かきちんと計画してママのことを思ってくれるプレゼントがほしいのよね” って言っておいたの うちの長男君は高校のフレッシュマンなんだけど時間の使い方があまりうまくない計画性も全然ない そこら辺をちょっと教育しなくちゃって思っているところなの この子は早ければあと3年でうちから出ていち社会人として社会に出ることになるからそれまでにもうちょっと仕込まなくちゃ... 私の尊敬するDr.Philはいつも 親として子どもにしてあげなくてはいけないことは子どもを甘やかすことではなくて子どもが独立するまでに子どもが二本の足でしっかり立って歩いていけるようにしてあげるのが親の務めだ って言うんだけど本当のそのとおり 学校を卒業したら私たちがいなくてもきちんと自分の知識を持って生活していけるように良いこと、悪いことをはじめするべきこと、してはいけないことお金の使い方、ため方、チェックブックの使い方洗濯のしかた、掃除のしかた料理のしかたそして、人との付き合い方などなど.......教えてあげなくてはいけないことが山ほど.. その中でもいま少しずつやらせているのが計画性を持つこと たとえば... 学校のプロジェクトがあったら自分で大体の流れの計画を立てることとか お金の使い方にしてもいつも常に非常用のお金は少しよせておくこととか... 今回の母の日のことにしてもしかり...計画を立ててしてほしかった私は何も金額の高いものがほしいんじゃなくて心のこもった手作りのものなんかがいいなあ...なんて.. そうしたら....うちの長男君....やっぱりそこまではまだできない...あれだけ言ったのに... 母の日に朝に起きたら旦那と次男坊が二人で朝ごはんの支度をしていた 長男くんは???って聞いたらうちの旦那 ”朝起きて急いで着替えて自転車で近くの店に行った...”って その日うちでは近所の家の犬の面倒をしばらく見ていてその日の朝も長男君が犬の様子を見て外に出す予定だったのに... それもしないで自転車で飛び出して行ったらしい 私.....がっくり....あれだけ言っても...だめだった... そして長男君は朝ごはんぎりぎりに帰ってきてその店で買った$5.00の母の日のカードとチョコレートを母の日にくれた せっかくお金を使ってくれたものだからありがたくもらってはおいたけど... なんだかがっくり... まあ、がっくりしてもしょうがないんだけど...子どもを育てるのは本当に忍耐の要ること 何回同じことを言っても聞いちゃいない... 何回も、何回も、何回も、何回も同じことを、毎日、毎日、毎日、毎日言ってても聞いてない.... でもまあ、健康でいてくれるのが一番だから文句も言えないんだけど だけど...本当に母は忍耐だなぁ.... と...改めて思った母の日でした
2010.05.13
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先週の木曜日はうちの次男坊の楽しみにしていたDenver Nuggets VS Los Angeles Lakersの試合の日(詳しくはこちら) もう次男坊は1週間も前からその話ばかり 家族4人で初めて行ったPepsi Cener...やっぱりこの試合はNuggetsにとっては目玉の試合なのですっごい 人...人....人... そして一人50ドル以上払ったのに私らの席はずーっと上の選手が豆粒にしか見えないような席 それでも次男坊は大興奮 双眼鏡を持っていて試合中それをのぞき私のカメラを使って選手の写真撮りまくり でも一番のお目当てだったKOBE BRYANTが怪我のために出ていなくてなんだか勢いに欠けたけど 最初はNuggetsがリードしていたもののLakersが勢いを取り戻し,追いつ追われつ最後にはNuggetsが2点差で勝つという大興奮の中の試合で あまりバスケットボールなんか見ない私でも十分に興奮させていただきました だけど... その試合が始まったのが8時半試合が終わったのが11時半過ぎ家に着いたら12時過ぎ すごいよね...アメリカって日本じゃ考えられないくらい遅いゲームそれもそれが木曜日っいうのもすごすぎる そして土曜日 日本語学校のあとに友達とランチの約束をしていたので旦那に一緒に日本語学校まで来て子どもたちを連れて先に帰ってもらったの 旦那の話によるとその日の午後に旦那の会社の友達が二人遊びに来る予定らしい 旦那は去年の秋にビールのケグレーター(これ)を買ったので誰かかれか呼んでビールを飲むのが楽しいらしい その人たちが来たら夕食何か出したほうがいいの??って聞いたら 2時か3時ごろに来るからきっとビールを2-3杯飲んで帰るだろうから心配しないでいいよって言われたから心配しないでいたの 私がランチから帰ってきたのが3時過ぎ...友達なんて着ていないじゃん旦那に聞いたら、その友達たちから電話が来て4時か5時ごろになるらしい そのまま放っておいうたら彼らが来たのが4時ぐらいそれから旦那と友達ふたりとうちの子供たちと隣の親父とボーイズばっかりでガラージにいすを出してチップスを食べながらダーツが始まったの わいわい...がやがやとボーイズばっかりでガラージパーティーのようなもものよ そのまま放っておいたんだけど時間は5時になり..6時になり...6時半になり...まだまだ解散する気配もなさそう しょうがないな..と思って旦那を呼んで’ねえ...私おなかがすいて来たんだけどホットドッグとかピッザぐらいだったらさっさとみんな食べる分ぐらい作れるけど...”って言ったら旦那...にやりと微笑んだ そして、みんなに聞いて中に入ってきて”Thank you very muchWe would love to eat Hot dog and Pizza...”(ありがとう....みんなホットドッグとピッザが食べたいって” ......... しょうがないから、ホットドッグとピッザとフレッシュフルーツを切って冷蔵庫に冷凍していたCHILIを解凍してジャガイモを切ってフレンチフライを作ってそれにCHILIをかけて....みんなでうちの中へ移動して隣の娘もなぜかそれに便乗してみんなでわいわいがやがやと食べ始めたのですが... 食べだして15分ぐらいしたら旦那が ”え????”って言ったまま2階のマスターベッドルームに駆け込んで行ったの旦那はトイレはマスターベッドルームのトイレを専用に使うからトイレにでも行ったんだろうな...って思っていたら 10分....15分....20分しても戻ってこないの長男君が心配して除きに行ったらまだトイレのドアがしまっているらしい 10分....15分....まだ戻ってこないの 私は痺れを切らして2階に見に行ったらまだトイレに入っていて ”何してるの??みんな待ったいるよ...”って言ったら ”飲みすぎたみたいだ...動けない...”って ”じゃあどうするの??”あなたの友達ももうすぐ帰るって言っているよ” ”悪いけど、あやまっておいてくれ...俺はもう...動けない...” はあ??? あんたね~自分が人を呼んでおいて 飲みすぎで気持ち悪くて動けない??いい加減にしてよね!! しょうがない...下に行ってその友達には平謝りよごめんなさいね~~あの人自分で呼んでおいて飲みすぎて気持ちが悪くて動けないらしい その友達は”Don’t worry...自分はシングルだから毎日テレビを相手にごはんを食べているんだけどこうやってみんなで一緒に食べれて楽しかったよ” 隣も親父も、奥さんが外出していて娘と二人晩御飯はどうしようと思っていたところに夕食のオファーがあったからラッキーだったって.. そして隣の親父も友達もしばらく話してから帰っていかれたんだけど.... はあ....(ため息...) そしてしばらくしてしてからベッドルームをのぞいたら旦那...洋服のままベッドの上で大いびきそしてベッドの隣にはゴミ箱が置いてあったので あ...これはここには今夜寝られないと思って次男坊のベッドにもぐりこんで一緒に寝たわ... そして昨日の朝は ”頭ががんがんする....”だって あたりまえだ~~~ 旦那もそんなに飲んではいなかったんだけど昼ごはんを抜いてエクササイズに行ってそのままビールを飲み始めたのがいけなかったな..だって あたりまえだ~~ はあ~~(ため息)
2010.04.13
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.アメリカにはクレジットスコアーと言うものがあってそのスコアーのレンジは大体350から800まであって大体平均で620-680ぐらいあると平均みたい このスコアーが低すぎると車を買うときや家を買うときにローンを組むのにいい金利でお金が借りれないの 同じ家を買うにしてもクレジットスコアーの高い人は今だったら30年のローンを金利5%位で借りれるけれど クレジットスコアーが低い人は 同じローンを組むのに30年ローン9-10%...それ以上の金利を払わなくてはならない羽目にもなるし 最近は就職するのでもあまりにもクレジットスコアーが低すぎると雇ってくれないところが多いの それは、お金に対して責任をもてない人は雇いたくないって言う雇用者側の考えとそれと特に金融関係の会社では他人のお金を扱うわけだその従業員がお金の使い込みをしないようにかクレジットスコアーの低い人は雇ってくれない わたしのような日本人でアメリカにいきなり来てこの国で生活をはじめたものにとってはクレジットヒストリーなんてないんだから結局クレジットスコアーも無いと一緒 旦那と結婚して最初のころはわたしにクレジットヒストリーが無かったために家を買いたくてもわたしの収入を使えなくて夫婦の合算収入でなくてはローンが組めなかったのでしばらく家の購入を待つことにして 私の名前で家の電気を契約したり私の名前で水道局と契約して毎月の支払いを怠らないようにして 私の名前でクレジットカードも作って毎月少しだけそのクレジットカードを使って次の月には全額払うようにして (アメリカのクレジットスコアーはちょっと理解に苦しむんだけどにこにこ現金払いで現金で常に買い物をしていてもクレジットスコアーはよくならないのクレジットとはお金を借りてそのお金を毎月延滞なしに完済しているとスコアーがよくなってくるの...変な話だけど..) そうやってクレジットスコアーを少しずつあげることができて最初の家を買うときも、ローンの組み換えをするときもいいレートでお金を借りることができたんだけど 中には今のような経済状況の中破産宣告をしざるを得ない家庭も多くまた、家を銀行などの抵当に取られる人も多くその人たちは自分たちが破産宣告するもしくは家がなくなることを気にするほかに自分たちのクレジットスコアーが悪くなることをもっと気にする人も多い そういうことがあってアメリカで生活していくうえでよいクレジットスコアーをキープするのはとても大切なこと最近はアメリカでは大手をはじめとした銀行がクレジットカードの手数料を大幅に値上げしたり 金利をいきなり上げたりして消費者からもっともっとお金を巻き上げようとする動きが出ていて 私のクレジットカードも作ったときの金利は9%だったのに今では23%にうなぎのぼり だから最近仕事場から解雇されて失業保険でまかなえ切れない生活費をクレジットカードで補っている人のなかでもこのクレジットカードの金利の上昇で アップアップの状態でクレジットカードの支払いが滞ってきて最小限の支払いだけをして食いつないでいる人も多くそうするとまたまたクレジットスコアーが悪くなるわけで.... そしてやっと本題 私が今日ぷんぷん怒っているのは.... いつものように銀行のサイトへ行ってクレジットカードの使用状況をチェックしていたら... 先月まで私の上限のクレジットが(借り入れができる上限)が$10.000だったのに...今日見たら...$1500 え??? 私は今まで毎月クレジットカードを使っているけれど一度も支払いが遅れたことはないし一度も支払いを怠ったこともないし毎月借りた分は全額払っているのに.... クレジットスコアーの計算の仕方のひとつに何枚クレジットカードを持っていてその合計の利用上限に対していくらの借りがあるかというのもクレジットスコアーを割り出すひとつの方法なんだけど 私の場合クレジットカードが2枚しかなくてもう一枚のクレジットカードの上限が$12.000 今までの2枚の上限の合計が$22.000でそれが今月から $13.500ということは...上限が40%ダウンしたってこと これは絶対クレジットスコアーに響くと思ってなんでこんなことになったのか銀行に電話したの そして、私は毎月クレジットカードを使っているけれど毎月遅延も無く払いきっていることその銀行にはチェッキングアカウント、セイビングカウントと定期預金も何個かあることなんで、$10.000だった上限がいきなり$1500に下がったのか??ってこうしたらクレジットスコアーに響くじゃないかって そうしたら.... あなたは毎月クレジットカードを使っているけれどその使用金額が少なすぎるから上限を低くした それがクレジットスコアーにひびくかどうかは私たちにはわからない..クレジット会社に電話しろ.....って なんだそりゃあ... 私はこれらのクレジットカードを上限まで使うことはないけれどこの不景気の世の中何かあったときにお金を引き出せるクレジットカードがあるというのは結構な保障になっていたのに... ということは...そこの銀行は私にクレジットカードを使ってほしくないんだろうな...でも....なぜ?? 私がもし支払いが遅れてばかりいたのならそういう人が破産宣告でもした日には損をするのはクレ ジットカード会社だから その上限を低くして使わせないようにするのもひとつの手だと思うんだけど毎月ある程度のクレジットカードを使って毎月きちんと遅延無く払ってくれるお客がいたらそのままクレジットの上限をあげておいたほうがクレジットカード会社にとっては利益になると思うんだけど...わからない..... まあ、そんなことがあって今日はぷりぷり怒ってます 銀行のばかやろ~~ もうこの銀行から全部預金を引き出してもっとサービスのいい地元の銀行にお金を全部移してやる!!! だけど...やっぱり 納得いかないんだけどなあなんで??なんで???なんで??は~~(ため息...)
2010.04.03
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今アメリカでは子どもの肥満が大きな社会問題となっているんだけど最近特にその矛先が学校のランチに集中しているような気がして それは学校のランチルームで働く者としてちょっとだけ反論してみようと思う その1 学校のランチはチョイス(選択)です アメリカの学校ではランチは買ってもいいし、家から持ってきてもかまいません日本のように、毎日給食で同じものをみんなと一緒に食べなくてはならないということはありません うちでは、毎月そのつきのメニューが来ると週に2日、次男坊がランチを買いたい日決めて あとの3日は家からランチを持っていくのそれは朝にサンドウィッチを作ることもあるし前の日の残り物を持っていく日もある その家からのランチも次男坊は今3年生ですが自分で自分の食べたいものを作ってランチバッグに入れることもしばしば... 3年生だったら簡単なサンドウィッチぐらい自分で作れるしあとは冷蔵庫からフルーツやらジュースやら台所のパントリーから自分で食べたいスナックを袋に詰めて入れてます そんなに学校で出すランチがいやなら各家庭でランチを作って持ってくればいいのに.... うちの3年生の次男坊でも自分でランチをパックできるんだからお母さんだって朝5分もあればランチぐらいパックできると思うんだけど... その2 そのランチで何を食べるのかも子どもたちの選択です 学校で出すランチはあまりにもヘルシーではないってやれやれ文句を言うお母さん方も多いのですが 学校側は学校側なりに少ないコスト(費用)で子どもに暖かいランチを提供できるようにしているんだけど やっぱり、費用の関係でそれなりのものしかできないけれど栄養士がなるべく体にいいものを選んでメニューを作っているし この学校区ではメインがピザ、ハンバーガー、スパゲッティーブリトー、コーンドッグ、ホットドッググリルドチーズ、マックアンドチーズチキンサンドウィッチ、ポークサンドウィッチチキンナゲット、中華風春巻き、中華風オレンジチキン...必ずメインの選択が2つ(時には3つ)あってその他、ヨーグルトとチーズ、クラッカーの選択が毎日あって それに、食べ放題の1-2種類のフルーツと食べ放題の1-2種類の野菜と、それにミルクがついて $2.50 (悪くないよね)今日なんかは チキンのサンドウィッチとナチョスのメインにサラダバーには シーザーサラダ スライスしたきゅうりとベイビーキャロットとそれに、みかんとりんごとジェロ(ゼリーみたいなもの)にパイナップルが混じったものが食べ放題 そんなに悪くないと思うんだけど... でも、問題は.... これだけのフルーツと野菜を食べ放題にしておいてもそれを好んでプレートに入れて食べる子どもの少ないこと... ミルクも白いミルクとチョコレートミルクの選択がjあるんだけどどれだけの子どもが白いミルクじゃなくてチョコレートミルクを選んでいることか... それに、昨日なんかはターキーデイナーの選択があって料理したターキー(七面鳥)にマッシュポテトとグレービーにゆでたにんじんがついてくるんだけどどれだけの子がわたしたちに ”わたしにんじんが嫌いだからいらない”って言ったことか それでもわたしらは、その分量とバランスからにんじんはサーブしなくてはいけないので ”食べる食べないはあなたの選択よでも、わたしたちはあなたたちにこれをサーブしなくてはいけないの” って言って持って行かせるんだけどそのランチの後にどれだけのにんじんがゴミ箱に捨てられていたことか... それでもそういう状況を知らない父兄からは常にクレームがあるわけで... 日本ではいま巷でモンスターペアレンツと呼ばれる人たちがあちらこちらに出没しているらしいですが、ここアメリカでも一緒 自分の子どもの好きなものがランチにないから特別に自分の子どもに別のものをつくれ...とか 子どもたちが十分に野菜とフルーツを食べていないって言っているんだけどもっと野菜とフルーツをふやせ..とか 子どもにランチのお金を先週渡したばかりなのに何でこんなにお金がないのか....とか(一部の子どもたちはスナックをいくつも買ってわたしらが、ランチを食べてからにしろっていってもぜんぜん聞いてない...) そんな文句ばっかりわたしらに言ってもわたしらにもできることとできないことがあって... ですから... 学校のランチを買うか買わないかにしてもそれはわたしたちの選択ではなくてそれぞれの家庭の選択だから子どもとよく話し合うべきだと思うし そして、学校側が出したものに関してはその野菜やフルーツをきちんと食べるのかスナックばかりを食べるのかもそれは子どもたちの選択だから 普段から家庭の生活の中できちんと子どもたちに何を食べるべきか、何が栄養があるのかをきちんと教えてあげて親がそばにいなくても子どもが自分たちにとってよい選択ができるよう教育してあげるべきだと思う わたしの場合は、学校でランチを食べるのは週に2日なので1週間21食(一日3食の計算)のうちの2食なのでまあ、子どもの選択に任せているんだけどそれでも野菜とフルーツは少しでもいいから食べるようにいつも言い聞かせているし 学校は確かに子どもに教育をする場所だけど基本のしつけは家庭が主になるべきだと思うし中には明らかに学校に頼りすぎている親が多いのも事実 そういう親に限って毎日子どもたちは朝ごはんを学校で食べて昼ごはんも学校で食べて学校が終わってからのスナックも学校のデイケアーで食べて...家でごはんを食べるのは夜だけって子が多いんだよね それぞれの家庭にはそれぞれの事情があるし特にこの今の経済の中では両親共働きの家庭も多いだろうから一概には判断できないけれど 親たちが自分の子どもたちに関してもう少しだけ時間を割いてくれたなら子どもたちももっとよい選択ができるのかな?って思うこのごろ... お願いしますよ~おとうさん~おかあさん~学校ばかりに頼りすぎないで...
2010.03.18
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