■私の好きな曲6、~クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 【アーティストの略歴】
クイーンはイギリスで結成された4人組だ。メンバーはフレディ・マーキュリー(ヴォーカル、ギター)、ブライアン・メイ(ギター、キーボード)、ロジャー・テイラー(ドラムス)、ジョン・ディーコン(ベース)だ。ご存知の通りグループの象徴でカリスマ的な存在だったフレディが、エイズで亡くなりグループは永遠にピリオドを打った。1980年に「地獄へ道連れ」「愛と言う名の欲望」が1位に輝いた。力強い拍手が鳴り響き野球場でもお馴染みの「WE WILL ROCK YOU」もクイーンの曲だ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【この曲について】
○この曲は1975年のアルバム『オペラ座の夜』に収録されていた。曲はフレディ・マーキュリーによる作詞作曲で今ではこの曲は、クイーンだけでなくてロックの名曲としても記憶されている。 昨年の12月に英国の大衆タブロイド紙の「THE SUN」が読者投票で応募した好きな曲のランキングで見事に1位に輝いた。因みにジョン・レノンの「IMAGINE」は4位だったので凄さが理解出来るのでは?。 ●曲の構成:複雑に入り組んでいるが構成はしっかりしている。(5分52秒) 0~:いきなりイントロ無しで4人のコーラスが入る。 0分55秒~:Mama Just Killed The Manからパートが始まる。フレディのどこか切なそうに聴こえるヴォーカルにひかれる。フレディのピアノもやはり切なそうだ。このパートではまだ力強さは発揮されない。母に語りかけるように歌う。 3分02秒~:この曲を特徴付けているオペラ・パートに移行する。フレディがヴォーカル・パートを引っ張り、コーラスが後追い的に付いてくる。この辺の絡みの構成は見事だ。それに負けないリズム・パートの演奏も見事である。
4分55秒~:一気に登りつめたフレディのヴォーカルもここを過ぎてから、徐々に終わりへと向かう。最後のヴォーカル・パートは再びフレディの優しい声に戻る。歌詞の最後は「ANYWHERE THE WIND BLOWS...」で終わるが、フレディの声もまるで風に消え入るように終わる。そして銅鑼が鳴って曲は終わる。 □名曲とは歌詞と旋律が一体になって始めてそう呼ばれるが、この曲はまさにその典型である。 曲はこの歌詞の男がある男を銃殺した所から始まり、それを母に告白する形で終始する。罪を感じるが立ち去らなければならない自分の気持ちの葛藤を吐露している。作った当時は当然1975年なのだが、聴いていいるとまるでフレディのレクイエムにも聴こえる。更に、彼の人生そのものを死の直前に振り返ったようにも聴こえてしまう。 ■2分08秒~:Good-Bye Everybody I Got To Go(みなさんにはサヨウナラと言わなければならない、私はここを去るのだ) Gotta Leave You All Behind And Face The Truth(そうそして僕は厳然たる事実に立ち向かっていくんだよ) まるでフレディが死を前にした時の様な心境を歌っているようにも感じる。その直後には以下のような歌詞が続く。 2分28秒~:I Don't Wanna Die,I Sometimes Wish I'd Never Been Born At All(僕は死にたくないよ、時々僕は生まれなければ良かったとも思うよ(そうすれば苦痛を味わう事も無いとの意味では?))。この歌詞の意味は大きいと思う。そう言うことで母を悲しませないし、自分もこんな苦痛を味わうこともないのだと言い聞かせているように聴こえる。これもフレディの死の直前にはこう頭をよぎったのだろうか?。フレディはこの時点で既に辞世の句を書いていたかのようだ。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【ヒット・チャート、賞】
発売当初は全米チャートでは1976年に9位に留まったが、フレディの死後の1992年には再度ヒット・チャートを駆け上がった。そして何と発売当時を上回る2位を記録して底力を見せた。米国では残念ながらこの曲では1位を取れなかったが、母国英国では当時は9週連続1位を獲得している。 グラミー賞では、最優秀ヴォーカル・アレンジメント賞と最優秀ポップ・グループ賞にノミネートされたが授賞は逸した。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【最後に】
キムタクのドラマでフレディのソロ作品の「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」が取り上げられて、日本でも今再びクイーンがブームを迎えている。 フレディはデビュー当時から何だか中性的な?風貌と、その独特のヴォーカル・スタイルが注目を浴びていた。自分が丁度高校生の頃に人気があって、当時はFM放送でも頻繁に彼らの曲がかかっていた。当然この曲もかかっていたが長い曲で大袈裟な曲というイメージだった。