まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2020.09.28
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カテゴリ: 不機嫌なジーン
「虚勢」「虚栄」「虚飾」といった言葉がありますが、

つとめて朗らかに振る舞ったり、
つとめて華やかに振る舞ったりすることがあります。

さしずめ「虚朗」とか「虚華」とでも書くべきでしょうか。
芸能人なら、なおさらのことですよね。



日本は、ホンネとタテマエの社会なので、
そういう振る舞いを強いられることが多いのですが、


そういう要素の強いタレントだったと思います。

いわば「虚像」を演じるのが仕事ですから、
それによって充実感を得る面もあるでしょうけれど、
とてつもなく虚しく思えてしまう瞬間もあると思う。

わたしが見てきた竹内結子は、
役柄のうえでも、嘘の笑顔を浮かべていました。
『不機嫌なジーン』でも、
『QUEEN』や『ミスシャーロック』でも、
もちろん『コンフィデンスマン』もそうですよね。

そして、彼女自身も、
なかなか本当の姿が見えにくい人でした。


三浦春馬も共通していたと思いますが、
それは、生きることの「疲労」や「孤独」が、
気づかぬうちに蓄積しやすいタイプだろうとも思います。

本来、演劇には、
そういう虚飾を剥ぎ取る力もあると思いますが、

そういう側面は期待できないのかもしれません。



生と死を天秤にかけている人が、
世の中には、けっこう存在するはずですが、
そういう人にとって、
自殺への引き金になるパターンが2つある。

ひとつは、
いつも以上に辛いことや悲しいことがあって、
天秤が死のほうへ大きく振れたときです。

もうひとつは、
いつも以上に、
死ぬのが楽なように思えてしまったときです。
そして、いまの芸能界には、
まさに、この気分が広がっているように見えます。

あの人も死んでいるし、
この人も死んでいるから、
いまなら自分が死んでも大丈夫かもしれない。
いつもより楽に死ねるかもしれない、という気分です。



日本に特有の心の問題に、
有効に対処するためのシステムは確立されていません。

周囲に相談しても相手にされないし、
精神科や心療内科に行っても、まったく相手にされません。
病気のカテゴリーにはないからです。

集団的な病というのは、
けっして「個別的な病」として認識されません。
「みんな同じ」「誰だってそうだ」と言われて終わりです。

あまりにも集団的な病であるために、
当たり前すぎて、かえって可視化されないのです。

学界においても、
福祉行政においても、
医療業界においても、
このような集団的な心の問題を、客体化することに消極的です。

厚労省は、
せいぜいのところ、
統計を取って、電話相談に応じているだけです。

まずは、医学会が、
これを「病」として認識する必要があります。
そして薬学的にではなく、
行動学的に対処する方法論を確立しなければならない。



去年、
フジテレビの『ボクらの時代』で
竹内結子が、水川あさみや斉藤由貴と鼎談したとき、

彼女が、
水川あさみとのバディコンビが解消したのを寂しがって、
涙を流していました。

それを見て、斉藤由貴は、
「竹内さんがそういう姿を見せるのは珍しい」
と言って驚いていました。それを思い出します。







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最終更新日  2020.09.30 13:29:08
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