趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

March 28, 2009
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カテゴリ: 国漢文
【本文】
廿七日。おほつよりうらどをさしてこきいづ。
【注】
●うらとをさして 浦戸は高知県高知市の地名であるが、「さす」には、戸を閉める意の動詞もあるので、ここには「(裏口の)戸をとざして」というシャレも含んだ表現であろう。
【訳】
二十七日。大津から浦戸をめざして舟を漕ぎ出した。

【本文】
かくあるうちに京にうまれたりしをんなご、くににてにはかにうせにしかば、このごろのいでたちいそぎをみれど、なにごともいはず。
【注】

●うせ 「失す」は、死ぬ。
●いでたちいそぎ 旅立ちの準備。
【訳】
こうして一緒に舟に乗っている人のなかに、ある人は京で生まれた女児が、任国の土佐で急死してしまったので、最近の帰京の出発準備を目にしても、暗く沈んで一言も口を利かない。

【本文】
京へかへるに、をんなごのなきのみぞかなしびこふる。あるひとびともえたへず。
【訳】
帰京するというのに、ただひたすら女児が死んだことだけを悲しみ恋しがる。いっしょに船中にいる人々も、悲しみにたえない。

【本文】
このあひだに、あるひとのかきていだせるうた。
 みやこへとおもふをもののかなしきはかへらぬひとのあればなりけり

こうしてみんな悲しみに沈み込んでいるときに、ある人が書いてさしだした歌
 いよいよ帰京するんだと思うのに心が悲しいのは一緒に帰らない者がいるからなんだなあ。

【本文】
またあるときには、
 あるものとわすれつつなほなきひとをいづらととふぞかなしかりける

かれ、さけなにともておひきて、いそにおりゐてわかれがたきことをいふ。
【注】
●あるものとわすれつつ 従来の諸説は、たとえば「まだ生きているものと、死んでしまったことをつい忘れ忘れして」(新編日本古典文学全集、小学館)のように「ある」の主語を死んだ女児としているが、違和感を禁じえない。日本語の普通の感覚では「死んでしまったことを忘れる」のであれば、「失せしをば忘れつつ」とか「死にしをば忘れつつ」とか表現しそうなものであるし、「まだ生きているものだと考える」であれば「あるものと思ひつつ」とでも表現しそうである。これといって革新的な説があるわけではないが、幽明境を異にす、ということがあるから、「自分はこの世にいるのだ(死んだ子はあの世におり、もはや同じ世界にはいない)ということを忘れて」と解した。
【訳】
また、あるときには、
 自分が生きているということを忘れては依然として死んだ人を「どこにいるの?」と周囲の者に問いかけるようすが悲しい。
などと詠んだりしているうちに、鹿児の崎という所に着いた。そこに、国守の兄弟、また、その他の人、この人もあの人も、酒だとか何だとかを持って追いかけて来て、馬から磯に下りて腰を下ろし、別れのつらいことを述べた。

【本文】
かみのたちのひとびとのなかに、このきたるひとびとぞ、こころあるやうにはいはれ、ほのめく。かく、わかれがたくいひて、かのひとびとのくちあみももろもちにて、このうみべにてになひいだせるうた
 をしとおもふひとやとまるとあしかものうちむれてこそわれはきにけれ
といひてありければ、いといたくめでて、ゆくひとのよめりける。
【注】
●かみのたち 国守の官舎。
●こころあり 人情や物事の道理をわきまえている。
●くちあみももろもち みんなで一つの和歌を合作して口にしたことを、漁師が共同で網を持つことにたとえる。『例解古語辞典』(三省堂)に「ふだん和歌など作らない人たちが力を合わせてやっと作り上げたことを、『諸持ちにて荷ひ出だせる』と表現したもの。そういう和歌なので、聞きかじりで作られている。『惜し』に『鴛鴦』を重ね、その縁で、『葦鴨』のように連れ立って、としているが、どちらも淡水の鳥なので海岸での作としては、ちぐはぐな感じであり、自然に滑稽さが出ている。ただし、無理をしてでも惜別の和歌を贈ろうとした素朴な人たちの誠意は、よく表れている」とある。
●あしかもの 「あしがも」は、水鳥の一種。カモ。古典の文章では濁音符号をつけないほうが普通であるので、ここのところ、従来の説には無いが、あるいは「あじかもの」(簣に入れた物)という意をも持たせてあるのかもしれない。すなわち、「酒の入った徳利やら何やら」をアジカに容れて、「荷なひ」(背負って)、大勢で押しかけてという意味が掛けてあるのかもしれない。後世の作品ではあるが、『太平記』巻四《備後三郎高徳事》に「身をやつし、形を替へ、簣(あじか)に魚を入れて、自らこれを荷なひ」という記述が見える。
【訳】
国守の官舎の人々のなかで、この別れを言いにやって来た人々が、誠意があり情趣を解する者だと言われて、まんざらでもないようすだった。
 このように、別れるのが辛いという気持ちを述べて、その人々が、漁師がみんなで網を持ち上げるように口を揃えて、この海辺で詠んで担ぎ出した歌
 京へ帰すのがおしいと思う人が、ひょっとしてとどまってくださるかと思って、アシガモのように大勢で群をなして我々はついつい別れを惜しみにやってきてしまったなあ
と詠んだところ、非常に絶賛して、旅ゆく人が返しに詠んだ歌。

【本文】
 さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこころをきみにみるかな
といふあひだに、かぢとり、もののあはれもしらで、おのれしさけをくらひつれば、はやくいなんとて、「しほみちぬ。かぜもふきぬべし」とさわげば、ふねにのりなんとす。
【注】
●そこひ 奥底。
●わたつみ 大海。
●かぢとり 舟の運航をつかさどる船長。船頭。
【訳】
〔その歌に対する返歌〕
棹をさすけれども底がどれくらいかもわからない海のように深い心を、こうして遠くから駆けつけて別れを言いにきてくれたあなたがたに見ることだ
と詠んだりしているうちに、船頭が惜別の情も和歌の趣きも理解しないで、自分だけ酒をすっかり呑みおえてしまったので、さっさと出かけようとして、「完全に潮が満ちた。風もちょうどうまい具合に吹き出すだろう」と口うるさくああだこうだと言うので、船に乗ろうとする。

【本文】
このをりに、あるひとびと、をりふしにつけつつ、からうたども、ときににつかはしきいふ。また、あるひと、にしぐになれど、かひうたなどいふ。かくうたふに、ふなやかたの「ちりもちり、そらゆくくももただよひぬ」とぞいふなる。
【注】
●からうた 漢詩。
●ちりもちり むかし、中国の魯の音楽の名人虞公が歌うと、梁のうえの塵までその歌に合わせて舞ったという『劉向別録』に見える故事。
●そらゆくくももただよひぬ 音楽の名人秦青が節を撫して悲歌すると林の木々も振るえ、空飛ぶ雲も聴き惚れて足をとめたという『列子』《湯問》に見える故事。
【訳】
この時に、その場にいる見送りの人々が、季節に合わせて、数々の漢詩で、別れの場にぴったりするものを口ずさんだ。また、ある人は、ここは西国なのだけれども、東国の甲斐の民謡などを歌う。このように歌うので、さながら船の屋根に積もった「塵も感動して舞い散り、空を飛び行く雲も聞き惚れて思わず立ち止まってしまう」と、中国の故事にあるような調子である。

【本文】
こよひ、うらどにとまる。ふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、ことひとびと、おひきたり。
【訳】
今夜は、浦戸に停泊する。藤原のときざね、橘のすゑひら、その他の人々が、ここまで追いかけて来た。





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Last updated  March 28, 2009 06:09:17 PM
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