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ありがとうおじさんの話これからはネットワーク的に人と人との、本当の波の合う人同士の助け合いが、これからもっともっと大事になるでしょうね。いい人同士のネットワークでつながったら、その中にいる人はみんな幸せですよね。お互いに必要なものを供給し合い、与え合えるので、絶対困らないと思いますね。だから、本当に心の波の合う人同士の助け合いのネットワークというのが、これからいろんな意味で行われるのじゃないですかね。 感謝に生きる人は、感謝に生きる人同士のネットワークで、本当のプラスの与え合いが起こるのね。みんなと付き合わないでいいんですよ、本当は。大変でしょう。地球の全ての人と付き合うなんて不可能ですよね。この一生で付き合える人って限られますよね。どのぐらいの人と付き合ったらいいでしょうね。百人でも大変じゃないですか、本当はね。本当に親しく付き合うって、百人の人とも大変でしょうね。一万人なんてもう気が遠くなるほど大変でしょうね。中にはそれができる人もあるんですけどね。でも、大変だと思いますよね。だから、もっともっと数が少なくてもいいんですよね。直接助け合える人なんてごくわずかでも、またその人が関節的にでも他の人とつながって助けてくれますよね。だから、本当に心の波の合う人同士がしっかりと助け合えば、幸せというのは絶対崩れないですね。 posted by マッチ at 15:20| Comment(0) | ありがとうおじさんの話 | | 2013年07月29日感謝に生きるという、神さまから本当の幸せ ありがとうおじさんの話本当の徳積みは必要ですよね、これからはね。だから、感謝に生きるという、神さまから本当の幸せをいただくというのが大事ですね。感謝して神さまの働きを受け入れたらいいんですね。「ありがとうございます」って感謝してると神さまが自然に自分を通して働いてくださるね。 肉体的な働きも小さいなりにも必要なんですけど、それ以上に神さまは大きい光を振り撒いてくださるのね。そうすると周りの人の思いも消されるんですね。思いを消すということは相手を借金から解放することですね、大きい働きですよね。それと同時にプラスをも大きく周りに与えてくださるのね。 だから、感謝に生きることが本当は大きい徳積みね。 実際、あの世の見える、心の奥が見える人が見れば、感謝をしている人は光り輝いているんですよ。感謝のお祈りをかなり積み重ねたら純白に輝くんです。そこまで神さまが大きく降りて光を振り撒いてくださってるのね。 思いのいっぱい溜まった人は、見たら真っ黒なんでしょう。黒雲が覆ったような感じね。偶に腹を立てると赤黒い光が稲妻のように光るんです。やっぱり心の状態をそのまま現わすんですね。 だから、「感謝に生きる」ということは、心が青空に太陽が輝くように白い光がさーっと降り注ぐ。 思いを溜めたら、どんより曇ったり、雨雲になったり、嵐を呼ぶかもしれないね。そのぐらいの大きい違いがあるんですね
2013/07/31
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ありがとうおじさんの話本当の徳積みは必要ですよね、これからはね。だから、感謝に生きるという、神さまから本当の幸せをいただくというのが大事ですね。感謝して神さまの働きを受け入れたらいいんですね。「ありがとうございます」って感謝してると神さまが自然に自分を通して働いてくださるね。 肉体的な働きも小さいなりにも必要なんですけど、それ以上に神さまは大きい光を振り撒いてくださるのね。そうすると周りの人の思いも消されるんですね。思いを消すということは相手を借金から解放することですね、大きい働きですよね。それと同時にプラスをも大きく周りに与えてくださるのね。 だから、感謝に生きることが本当は大きい徳積みね。 実際、あの世の見える、心の奥が見える人が見れば、感謝をしている人は光り輝いているんですよ。感謝のお祈りをかなり積み重ねたら純白に輝くんです。そこまで神さまが大きく降りて光を振り撒いてくださってるのね。 思いのいっぱい溜まった人は、見たら真っ黒なんでしょう。黒雲が覆ったような感じね。偶に腹を立てると赤黒い光が稲妻のように光るんです。やっぱり心の状態をそのまま現わすんですね。 だから、「感謝に生きる」ということは、心が青空に太陽が輝くように白い光がさーっと降り注ぐ。 思いを溜めたら、どんより曇ったり、雨雲になったり、嵐を呼ぶかもしれないね。そのぐらいの大きい違いがあるんですね
2013/07/30
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ありがとうおじさんの話 これからはボランティアに生きる人が増えるんじゃないですかね。「阿保(阿を保つで阿保)の生き方」というのね。みんな阿保の生き方を馬鹿にするけど逆ですよね。本当のことがわかる人は「与え尽せば幸せ」というのが、よくわかってるでしょう。「本当の幸せはこれしかない」とわかってるのね。だから阿保の生き方にみえても、喜んでできるのね。それが解らない人は馬鹿な生き方よね「阿保」じゃなくて「馬鹿の生き方」「阿保」と「馬鹿」はちょっと違うんですね。 「あ」というのは「光・光源」ですよね「神さま」ですよね。それをしっかり保って持ってるというのが「阿保」ですよね。「馬鹿」のほうは、馬か鹿の生き方で動物的な生き方だから、ちょっと違いますよね。もっともっと阿保の生き方が必要ですよね。「損得を考えない、本当にみんなを幸せにするための働きをさせてもらいたい」というのがね。そしたら無駄な働きが必要なくなるんですよね。
2013/07/29
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ありがとうおじさんの話本当はね。一所懸命唱えたらね。本当に「ありがとうございます」を一日に五万遍、三ヶ月唱えてくれたら、本当に光り輝いた世界を感じるはずなんですね、誰でも。 そこまで徹底できたら一番早いんですけど。でも、一日に一時間でもいいんですよね、一日一時間でも「ありがとうございます」を徹底するんですね。それも神さまにちょっと約束しとくといいですね。この一時間は徹底して「ありがとうございます」を唱えますというふうに、自分の自由意志をはっきり示すほうがいいんですよね。「この一時間に思いを全部消してください」って、そうすると神さまが大きく働けるのね。そのうちに一日「ありがとうございます」を唱えられるようになるでしょうね
2013/07/28
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ありがとうおじさんの話人間って、心にいろんな言葉や思いを溜め込んでしまってますよね。丁度、空に雲がかかってるように、黒雲がいっぱいという人もあるんですよね。そうすると太陽の光は通ってこないですね。 神さまを太陽に例えたら、太陽からサーッと降り注ぐ光の自分というのが本当の自分なんですね。ところが、地上に執着して水蒸気があがるような感じですね。思いが溜まってくると空に雲がワーッとあがるんですね。そうすると、薄雲の時はまだ光が通るんですけど、思いがいっぱい溜まると黒雲の状態で雨雲になるんですよね。そうすると光を全然通さない、雨が降ったり嵐になったりするのね。 だから、人の心の状態、思いをいっぱい溜めた状態は、丁度そういう状態ですね、嵐のような状態になるんですね。だから、「思いを消す」という、それがやっぱり幸せには一番大事な生き方なんですね。その思いをできるだけ早く消してもらう方法が、思いを神さまに預けることですね。「ありがとうございます」って唱えると、その思いを預ける生き方なのね。いろんな思いがいっぱい出た時に「ありがとうございます」って一言いえばいいのね。そうすると神さまに預けて消してもらう働きがそこに降りるんですね。 何回かそれを繰り返していると、思いがどんどん少なくなるはずですね。そしてプラスの言葉だけを使えるようになったら、もう思いを相手にしなくても、雑念として思いが出なくなってても、まだ心の奥には溜まってますから、それも知らない間にずーっと消し続けてもらえる。そしたら、心がスカッと青空のような感じになるのね。雲が全部消えてしまうような状態ですよね。そしたら、いつも光が降り注ぐのね。
2013/07/26
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ありがとうおじさんの話この「ありがとうございます」も、ちょっと唱えるだけで神さまは助太刀に入りやすいんですね。今まではマイナスの言葉をいっぱい使い続けて、もう心の状態がどうしようもない状態でも、嘘でもなんでもいいから「ありがとうございます」を唱えてみると、神さまは助太刀にスッと入るね。そうすると心の状態は変化するんですね。必ずプラス思考に変化してきますよね。それで、良いことがいっぱい周りに現れるように神さまは変化を見せてくるんですね。 普通は、心の状態だけで喜べる人って少ないですよね。だから、形のほうも変えてくるんです先に、強制的にでもその時に力を揮えるんでね「その人がプラスに向きたい」という時はね。 ただ、その意志表示がどういうふうにするかなんでしょう。神さまにわかるように意志表示しないとね。 マイナスの言葉をいっぱい使いながら「助けて」と言っても駄目なんでしょう。量的にもマイナスが多いでしょう、そうするとなかなか神さまはどっちにしようかと迷うんですね。 だから、神さまの助けの入る時は、プラスの言葉だけに絞り込まないといけないですね、一瞬でもね。だから、短い時間を限って、この時間を一所懸命プラスの言葉を使うんですね。そしたら神さまはわかるんですね、「この瞬間をプラスの言葉に心を向けている」とわかったら、瞬間に力を注いでくるね。 だから、プラスの言葉を使うのでも、「今日一日プラスの言葉ばっかり使う」というと大変ですよ。「この一分間」というとできますよね。「この一分間だけプラスの良い言葉だけを使う」と決めるのね。 お祈りも同じですね。「ありがとうございますをこの一分間だけ一所懸命唱え続けよう」というふうに決めると、神さまは心の向きを全部見通しているのね。「あっ、この一分間一所懸命やるのだったら、この人の自由意志はプラスに向くな」とわかるんですね。その時に、この一分間を、神さまは大事に活かして助けに入るのね。そしていろんな姿をプラスに変化を見せながら気づきを増やして、心の状態がプラスになるように助け続けていくのね。
2013/07/24
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ありがとうおじさんの話思いを消す方法としてどういう方法があるかですけど。 「ありがとうございます」って、この一言を唱えるのが一番効果が大きいですね。 普通「ありがとうございます」を唱える人も、何か自分の願い事を叶えたいために唱える人もあるんですね。ちょっと損をするんです、それはね。 思いを消してもらうために唱えるのがいいのね。そうすると心の状態がプラスに変化して、いい姿がサッと奇跡的に出るのね。でも、思いを消さないで願いを叶えてもらうという唱え方だと、「思いを消さないで」というのが先に入るでしょう。そうすると思いが消えないとマイナスが消えないんですね。だから、自分の思いや願いをいっぱい出して「ありがとうございます」を唱えるのはちょっと損するのね。 それよりも、そのいろんな思いも願いも全部ひっくるめて消してもらえばいいのね。思いを消してもらったら神さまの光が通りやすくなるね。そうすると願わなくても幸せが一杯という状態になるのね。 「ありがとうございます」と唱える本当の目的は、先ず思いを消してもらうことなのね。思いが消えたら神さまを直接感じられるのね。神さまの輝きがスッと感じられる状態に入るんですよね。そういう唱え方の方がいいんですけどね。 雑念がどれだけ出てもいいんです、でる度に「ありがとうございます」と加えたらいいだけなんです。そうすると心に溜めた思いが全部消されてしまうのね。いつの間にか心に思いが全部なくなって空っぽになるんですね。そうすると神さまの光がスーッと通ってくると、みんな輝いて見えてくるのね。神さまの新たな全徳の輝きが一杯!という姿が周りに現われるのね。
2013/07/23
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ありがとうおじさんの話一言「ありがとうございます」を繰り返し繰り返し使ってるうちに、心の向きが「ありがとうございます」という方向へ向くんですね。「ありがとうございます」という言葉の本体が宇宙の大神さまなのね。無限に無限に輝いた姿をとる宇宙の大神さまを指し示してるのね。だから「ありがとうございます」で、スーッと心が神さまのほうに向いてしまうわけですね。そうするといつの間にかプラスの感謝の心になって、無限の無限の輝きが一杯!という状態を感じる心の状態に入っていくわけですね。だから、言葉の繰り返しというのがやっぱり大事なんですね。
2013/07/22
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ありがとうおじさんの話普段、何気なく使う言葉が、また何気なく聞く言葉、見る言葉、全部心に入ってくるんですね。「記憶してない」というのは、思い出せないだけなんですよ。みんな入ってるんです、ちょっと聞いた言葉、ちょっと見た事、全部心に入ってるんですね。普通、心の状態というのは無防備の状態で全部入るんですね。多分、催眠術をかけたりして思いださせたら全部思い出すはずなの。それぐらいスーッと心に入りやすいんですね。 だから、どういう言葉を自分の心に入れたいのか、これを自分で定めないと、決めないといけないと思うんですね。だから、プラスへプラスへ心を向けて、そして神さまの輝きをいっぱい感じたいというのだったら、プラスの言葉だけをしつこくですよ、しつこく使わないといけない。そして、マイナスの言葉をできるだけ心に入れないように「見ざる、言わざる、聞かざる」ぐらいの生き方がいいと思うんですね。 そうすると、しばらくたったら直ぐに変化がわかるはずなんです、体験できると思いますね。特に「ありがとうございます」を一日に五万遍ぐらい三ヶ月も唱えたら、ガラッと世界が変わってしまうのね。光り輝く世界が感じられるはずなの。でも、そこまで普通はしないですね。 新聞も読み、テレビも観て、ラジオも聞いてという、そうするとやっぱりマイナスの言葉も沢山ありますよね。プラスとマイナスの言葉をゴッチャに使ってる間は、心の向きが定まらないですね。 神さまのほうへ向いたり、また逆に背を向けてマイナスに向いたりってね、忙しいですけどね。忙しい時は駄目なんですよね。どちらかへ徹底するというのが、やっぱり必要だと思うんです。
2013/07/20
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ありがとうおじさんの話「命がけの感謝」というのは、神さまの中に飛び込む事よね。無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!という中へ飛び込めば良いね。だから、それを二十四時間、四六時中心がけるという、寝食を忘れて。そのぐらいの気持ちで一所懸命「ありがとうございます、ありがとうございます」と言うのね。それが神さまへ全託して、神さまの中に飛び込んでという祈りなのね。あまり難しく考えなくて良いね。余計な思いを出さずに、神さまの中に飛び込もうという気持ちでね「ありがとうございます」を唱えたら良いね。周りは神さまばっかしなのね、本当は飛び込んでるんだけど、飛び込んでるのに気づかないのね。それで気づくための「ありがとうございます」なのね。 「真剣」と言うけど、あまり我武者羅とか、そういう感じじゃないよね、無我夢中というのじゃなしに、「神さまを認める」というような感じね。「周りは神さまだけ、みんな神さまなんだ」というふうな、確認するような、認めるような「ありがとうございます」よね。それも神さまの中へ、頂いた命をもう一回お返しして、また新たに受け直すという感じで良いのね。そういうのが命懸けのお祈りよね。
2013/07/19
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人間の心を大きく分けて、神さまの方へ心を向けた時の心と、神さまに背を向けた時の心と二つ大きく分けたら分けられると思うんです。 感謝の心というのは、神さまの方へ心を向ける生き方なんですね。 思いの心は、神さまに背を向けて生きる生き方なんですね。 感謝の心というのは、元々神さまから与えられてる奥の本体の心ね。神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯!という姿を受け取ってる心なんですね。感謝の心は元々みんな中に持ってるんです。ただ、その心を横に置いて、そして闇の方へ闇の方へ、マイナスの方へ心を向けて、そして自分の思い通りに生きようという時に、思いが表面に浮かび出てくるのね。 だから、感謝の心は無いんじゃないんですよね。ちょっと横に避けて思いの心を生きようとして出てきているだけね、ちょっとね。感謝の心で神さまの方へ向いている時は、全てが光輝くんですね。その輝きにも無限の段階があるんですね。いろんな段階の無限の輝きの番組を眺めていける。 でも、感謝を忘れて思いの心になった時は、思いの心の状態、いろいろありますよね。その心の状態に応じて、これもまたマイナスの無限の段階のチャンネル・番組を見るんですね。これは全部、本当は神さまにとったら、どの番組も価値のあるものなんですよね。ただ、思いの心で見る時は、上から下を見た時にマイナスに感じ、その立場から上を見た時にプラスに感じるんですけど。 思いの心というのは、やっぱり過去をどうしても掴みすぎるんですよ、掴んで放せないという状態に陥りやすいですよね。執着して掴んで、その立場を掴んでしまうんですね。そうするとその立場からでないと何事も見れないという、本当に不自由な立場に立つんですね、心の状態ですよね。その囚われた心だと、やっぱり一つの立場から、どうしても見方が限定されてきますよね。同じものを見ても大きく見れないですね。 本当の自由な感謝の心だと、選択肢が無限に広がって、無限の中の小さい部分を見るんですけどね。 全体の中の部分というのは、輝いて正しく見えるのね。ところが部分だけを見ると、全体を見失ってどうしても囚われた見方、それもどうしてもマイナスに見がちなんですね。だから、できるだけ大きく見るというのが本当は必要だと思うのですけど。これはなかなか思いの心だとできにくいですね。思いの心になると、益々とらわれがちになるんですね。
2013/07/17
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ありがとうおじさんの話『求める心』で 『ありがとうございます』と唱えるのと、『無心の心』 『与える心』で『ありがとうございます』と唱えるのとでは、その効果に大きな違いが有るのです。その理由は、波長の合うものしか受け取れない、という原理に因るのです。求める心というのは、マイナスを掴んでいるのです。心の状態がマイナスなのです。求める心を前面に出せば、マイナスの心でマイナスの番組を選ぶ事になるのです。求める心が少なくなれば、『ありがとうございます』が前面に出て来るので、プラスの番組を選び、受け取る事ができるのです。人の自由意志は、どの心を前面に出すかによって、明確に示す事ができるのです。 人は『言葉』と『心』と『行い』によって、『番組』の波長合わせをしているのです。『マイナスの言葉』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『プラスの言葉』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。 『求める心』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『与える心』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。 『マイナスの行い』は、『マイナスの番組』に波長が合うのです。 『プラスの行い』は、『プラスの番組』に波長が合うのです。人は自分の自由意志で選んだ番組を、自分の運命として受けているのです。 本当に神さまの助けを必要としているのであれば、神さまの側に・助ける側に立つのが最善なのです。そうすれば波長がぴったりと合うのです。神さまのどんな助けも受けられるのです。『ありがとうございます』と唱える事は、神さまを呼んで、神さまの働きと一つになる事なのです。神さまの側に立つ事なのです。救いに立つ、与える側に立つというのは、神さまに波長を合わせる意味で、絶対に必要な事なのです。どんなに泣き叫ぼうとも、助けを求める心では、神さまの御心に波長が合わないのです。波長が合わなければ、神さまの助けを受け取ることは不可能なのです。
2013/07/15
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ありがとうおじさんの話感謝をしてたら「ありがとうございます」を言ってたら神さまが必要な全てを降ろしてくるね。そしたら悟った自分をスッと現わしてくださるわね。下からのぼるというのは大変なのね、時間もかかるし、苦労も多いのね。でも、悟った自分をスッともらえばいいのね。それが一番やさしい悟りへの道になってるね。 だから「ありがとうございます」をしっかり心で唱えたらいいね。いつの間にか悟った自分に戻ってるのに気づくだけね。楽よ、一番。
2013/07/13
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ありがとうおじさんの話 最初は、みんな病気が治ったら喜んでるけどね、 病気を治す為に「ありがとうございます」を 唱えたりするけどね、そんなんはまだ本物じゃないね、 入るきっかけよね。そういうのは目的でもなんでもないね。 「ありがとうございます」を無心に唱えているうちに、神さまを身近に感じるのよね。周りが神さまという感じね、 宇宙大神様が自分の周りに一杯という感じね、みんな神さまの愛の働きというふうに感じられて幸せに なっていくのね。それがドンドンドンドン大きく深くなるのね。だから、無限の無限のチャンネルの 番組ぜんぶ自分の為の幸せを大きくする為の神さまの愛のプレゼントよ。
2013/07/11
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ありがとうおじさんの話マイナスに見る思いというのはどんどん消されてしまうんですね。 「ありがとうございます」さえ唱えてたらね、確認をとって消してくださるのね。だから表面にちょっと浮かび出るのね、ちょっとだけ浮かび出て「それを消して欲しい」という気持ちになってると、その何万倍を消してくれるのね。表面に浮かび出るのはほんの一部ね、それは確認をとるために浮かび出るのね。後はずーっと消し続けて不思議なことをいっぱい気付かせて感謝が深くなるようにしてくださるよね。 「ありがとうございます」って、これは神さまの名前を呼び続けているのと同じなんでね、後は「お任せ」なのね、本当はね。自分の努力で何かをするんじゃないのね、神さまの助けを受けるだけの「お任せ」の生き方よね、一番楽なんよね。ただ「ありがとうございます」を言うてたらいいだけ、心に唱えたらいいだけなのね。後は神さまがちゃんと必要なものを与えて、的確に最短コースの幸せへの道を歩ませてくれるね。それで、そのままいいですよね。
2013/07/09
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ありがとうおじさんの話やっぱり「ありがとうございます」って感謝し続けてないと、思いに負けちゃうんですね。 感謝してると、いろんな出て来る思いも消してもらって、感謝の心で必要なものを選び続けていけるのね。それで、やっぱり自分の奥の一番願ってる必要な事を優先的に選んでいくんですよね。 だから、幸せへの最短コースを歩み続けるような感覚なんですよね。 でも、感謝を忘れた途端に、過去の思いが浮かび出てきますよね。また新たに思いを出し続けますよね。そうすると思いの奴隷になってしまうのね。そして、思いの心で選んだのは、やっぱりマイナスへ向きますね。 一番いいのは「ありがとうございます」を心に唱え続けるのが一番いいですよ、それが一番楽な生き方ですね。
2013/07/06
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ありがとうおじさんの話先ず「欲しい」という心は五欲の心からくるのね、思いの心からくるんです、皆ね。 感謝の心は絶対自分から「これ欲しい、あれ欲しい」という思いを出さないんですよね。出さなくても必要なものは必ず与えられるんで「ああ、既に与えられてる」と気づいて感謝が、喜びが深くなるのね。 思いの心はそれに気づかないんですよね、与えられてるのに気づかないから、「あれ欲しい、これ欲しい」というふうになるんですよね。思いの心で「あれ欲しい、これ欲しい」という時は、与えてもらわないほうがいいんです、本当はね。そうすると、その間違いに気づくし、借りを増やさないで済むんで、早く感謝の心に戻りやすいんですね。 だから、「思い通りにならない」という事で、思いを消してもらうんですね。そうすると感謝の心がスッと出やすくなるね。
2013/07/05
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ありがとうおじさんの話、「与える心と求める心」は交流しないんです「与える心と与える心」は交流し合うでしょう、そしてスピード化してプラスをいっぱいにしていくんですね。「求める心と与える心」とは、循環が止まるんですね。そして「求める心と求める心」はね、今度は逆にマイナスの循環が大きく速くなるんですよ。「求め合い、奪い合い」になるでしょう。むしり取り合いですよね。普通、ちょっと求める心を起こすだけで、みんな心を痛めるんですよ、苦しくなってくるんですね。「ああ、こうしてくれたら良いのに、こうして欲しい」と思っただけでそうなんですよ。結局、自分が逆流を起して、逆流の波の中にはまり込むんですね。そして幸せがドンドンなくなっていくんです。 だから、与え尽すだけが良いですね、なんぼ与えても与えても、ちょっとでも求める心を起こしたら駄目なんです。「喜んで欲しい」というだけでもあかんのですよ。「こんだけ幸せを与えたのに、ちょっとは喜んで欲しい」「感謝して欲しい」とかね、それはやっぱりマイナスになるんですね。本当に、神さまの与え方を見てるとそうでしょう、絶対縛ってこないですね。「与え尽すだけ!」。本当は与えたものを受けて欲しいんでしょうけどね、「受けなさい」と言わないね、縛ってこないね。「どうぞ、ご自由に」と言うわけよね。だから楽なんですよね。だから、どれだけ良いものを与えても、強制されたら嬉くないですね。ご馳走を山ほど積まれて「早く食べなさい!」と言われたら、もういっぺんに満腹になって、食べる気が起こらなくなるね。やっぱり自由にさせてもらうほうが良いですもんね。 だから、身近な生活のいろんな中で、本当に「与え尽すだけ」という練習が、本当の繁栄を掴む方法ですよね。直ぐに結果が出てくると思います。「ああ、幸せだな、本当に幸せになれたな」という感覚がスッと湧いてくるんですね。だから、恐いもの知らずなんですよ、本当にね。「何も無いのが幸せ!」という感覚がね、「無条件の幸せ」というのがそこに生まれてくるね
2013/07/03
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ありがとうおじさんの話思いの心を生きている間は、自分の思い通りにしたいのよね。いっぱいいろんな願いが出てくるでしょう「こうしてみたい」とか「こうあって欲しい」とか、いろんな願いが出てきますね。 でもね、思いの心を生きている間は、取り越し苦労をし、持越し苦労をし、上手く行かないよね。思いがいっぱい溜まったら、もう七難八苦でいっぱいになるね。最後には地獄の苦痛を味わう状態に落ちてしまうのね。だから、思い通りに生きても駄目ね。思いは、やっぱり相手にしないほうがいいのね。 「思いを捨てて感謝に生きる」という、この生き方が本当の正しい幸せへの道なのね。 思いの心でいろいろ人に質問して答えをもらったって、思いの世界へはまり込むだけね、答えにも何もならないね、解決しないのね。 それは思いの心で一つの番組に波長を合わせて、その番組にはまってるだけね。それでは、幸せは感じないし、代わりに思い通りになった姿が与えてもらえても、次にまた問題が次から次にいっぱい出てくるのね。もう際限なく問題が出てきて七難八苦の苦痛におちいるの。それはもう、思いは相手にせずに、感謝に切り替えたほうがいいね。 感謝に切り替えて、「みんな神さまの現れ」というふうに、神さまの最高番組を受け取ろうとすればいいね。そうすると「みんな無限に無限に幸せ一杯なんだ」という、そういう言葉の思い返しでどんどん感謝を深めていくと、自分のまわりに現われる姿はみんな無限に幸せな人ばっかしになるね。そしたらいろんな問題で悩むことはないのね。もう一切の苦しみからは超越してしまって、幸せだけが自分の運命に、まわりに現われるようになるね。心配の種はぜんぶ消えてしまうのね。 だから、今ある心配の種をどうこうしようじゃなしに、ガラッと変えてもらうのね、番組自体をね。それは感謝に生きることによって、番組自体が高い番組に変ったら、もう幸せだけの姿をとってくるね。そういう運命に変るから、自分のまわりは幸せな人ばっかしになるの。それが本当の自分の願ってることのはずなのよね。だから、感謝に生きる練習さえしていけば、もう全ての問題はどんどん解決されていくね。
2013/07/02
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