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森光子(もり・みつこ)川柳あいつより上手うまいはずだがなぜ売れぬ* 長い下積み時代のさなかだった若き日に詠んだという。平成4年(1992)11月の勲三等瑞宝章叙勲記念パーティーや、平成17年(2005)の舞台『放浪記』上演2000回(89歳誕生日)記念の挨拶などで自ら披露。森光子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2012年11月14日
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山口青邨(やまぐち・せいそん)鞦韆は垂るオリオンの星座より註鞦韆(しゅうせん):ブランコ。
2012年02月25日
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眞鍋呉夫(まなべ・くれお)冬銀河ダイヤモンド・ダストが包む子の眠り冬銀河ひとは足から死んでゆく月天心なだれはじめし雪庇ゆきびさし月光のしたたりやまぬ氷柱つららかなおのれには見えぬ暈かさ帯び雪女読売新聞 平成18年(2006)11月14日付夕刊眞鍋呉夫句集 月魄(つきしろ)【送料無料】価格:3,500円(税込)
2012年02月24日
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野沢凡兆(のざわ・ぼんちょう)ながながと川一筋かはひとすぢや雪の原句集「猿蓑」
2012年02月17日
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野沢凡兆(のざわ・ぼんちょう)下京しもぎやうや雪つむ上の夜の雨句集「猿蓑」註下京:京都市街の南部地域をいう。しいて江戸・東京に擬(なぞら)えれば、賑やかな「下町」のニュアンスに近似するか。初句「下京や」は、作者が謦咳に接した師・松尾芭蕉の提案だという。見事な固有名詞(地名)の使い方は、さすがと思う。
2012年02月17日
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高浜虚子(たかはま・きょし)遠山に日の当りたる枯野かな明治33年(1900)註虚子の代表作であり、26歳頃の出世作である。かなたに望む山並みに日が当たって明るく、こなたには、曇っているのか暗く翳った寂しい冬の枯野が広がっている。その暗さとの対比効果によって、遠景の明るさがさらに際立っている。西北に日光連山を仰ぐ当地・栃木でも、こういう光景をときどき目にするが、私などは気づかないで通り過ぎることも多い。そうした「あるある感」が見事で、さすがの着眼(気づき)というほかはない。なお、下記のブログの解説によれば、虚子はこの句の自註で、この暗い「枯野」が自分自身の人生の隠喩(メタファー)であるという趣旨の発言をしているという。なるほどと考えさせられる。→ ■ 伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記虚子五句集(上) 全2冊自選にて5つの句集を収録【送料無料】価格:798円(税込)
2012年01月31日
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坪内稔典(つぼうち・としのり)一月の甘納豆はやせてます二月には甘納豆と坂下る三月の甘納豆のうふふふふ句集「落花落日」(昭和59年・1974)註「甘納豆連作」12句の最初の3句。こんな感じで12月まで続く。俳句にも、もちろんユーモアの要素はあるけれども、川柳などと違って直接的・論理的(レトリカル)な笑いではなく、「俳味」(俳諧味、一種の洒脱な抒情性)の中でそこはかとなく滲ませるものであろう。そういったことが感じとれる佳品。* 坪内稔典句集【品切れ】坪内稔典句集 II 【上記掲載作品は含まれません】【送料無料】価格:1,260円(税込)* 「稔典」は、俳号として「ねんてん」とも読むらしい。言っては悪いが「腸捻転」を連想するのは私だけではあるまい。面白い。全国納豆鑑評会受賞店の黒豆甘納豆兵庫県・丹波篠山 極上の黒大豆使用の和菓子鎌倉甘納豆 80g価格:504円(税込、送料別)濡れ甘納豆 大納言かのこ 1kg【送料無料】価格:1,980円(税込)
2012年01月28日
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又吉直樹(またよし・なおき)夕焼けだ逃げろ「ユリイカ」2011年10月号註自由律俳句。作者はお笑いコンビ「ピース」のかたわれ。たったこれだけの文言で、常識的な感性を超えたおかしみと抒情性さえ感じさせる。こういうのを読むと、この人の資質は、芸人というよりやはり詩人(俳人)なのかも知れない。ユリイカ 詩と批評 2011年10月号特集 現代俳句の新しい波【送料無料選択可】価格:1,300円(税込、送料別)
2012年01月17日
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小林一茶(こばやし・いっさ) 廿四晴、柏原に入いる。柏原を死所しにどころと定さだめて。是これがまあつひの栖すみかか雪五尺文化9年(1812)12月24日作句日記「七番日記」自筆真蹟(文化15年・1818頃成立)註柏原:信濃(信州)北国街道柏原宿(現・長野県上水内郡信濃町大字柏原)。一茶の故郷。* 信濃町 一茶記念館ウェブサイト* 長野県信濃町 公式ウェブサイト二句目別案「死所しにどころかよ」。一尺は約30.3センチメートル。
2012年01月11日
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小林一茶(こばやし・いっさ) 目出度めでたさもちう位なりおらが春文政2年(1819)作俳文集「おらが春」(嘉永5年・1852)註ちう位(中ぐらゐ):岩波文庫版によれば、「あやふや、どっちつかず、いい加減」の意の信州方言という。一茶俳句集 新訂【送料無料】価格:903円(税込)
2012年01月08日
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小林一茶(こばやし・いっさ) 人並の正月もせぬしだらかな俳文集「志多良」(文化10年・1813)註しだら:ていたらく。
2012年01月08日
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小林一茶(こばやし・いっさ) 野はかれて何ぞ喰くひたき庵いほりかな俳文集「文化句帖」(文化元年・1804)
2012年01月08日
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高浜虚子(たかはま・きょし)去年こぞ今年貫く棒のごときもの昭和25年(1950)12月20日作NHK(ラジオ)新春詠註前々エントリーの蕪村の句を踏まえたといわれる名句。
2012年01月02日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)年守としもるや乾鮭からざけの太刀たち鱈たらの棒年明けを見守っているのか立派な太刀のような新巻鮭と棒鱈よ。註年守る:大晦日から元旦にかけて家中の者が集まり、潔斎して(身を清めて)夜明かしし、新年を迎える習俗。一般の祭りや神事に伴う「(お)日待ち」の原型と似ている。ただし、「日待ち」は神酒(みき・じんしゅ)を皆で戴く「直会(なおらい)」と混同されて、現在では祭礼などの後の宴(うたげ)・宴会のニュアンスが強い。筆者の町内でもそうである。乾鮭からざけの太刀たち:「今昔物語」巻28「右近馬場殿上人種合語第三十五」を踏まえる。蕪村の句は、古典文学からの縦横な引用が特徴である。現在でも、「紅白歌合戦」などを見たり除夜の鐘を撞きに行ったり初詣に出かけたりして夜更かしするのは、こうした風習の民俗的な名残りといえるかも知れない。
2011年12月31日
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中村草田男(なかむら・くさたお)降る雪や明治は遠くなりにけり昭和9年(1934)作第一句集「長子」(昭和11年・1936)
2011年12月30日
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角川春樹(かどかわ・はるき)火はわが胸中にあり寒椿句集「カエサルの地」(昭和56年・1981)
2011年12月21日
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角川春樹(かどかわ・はるき)亡き妹いもの現あれて羽子板市なるや句集「信長の首」(昭和57年・1982)註織田信長と市兄妹を踏まえているのだろう。ある:「出現する」「現われる」「(尋常ならざるものが)生まれる」の意味の上古語動詞。「あり(在)」「あらわる(現)」などと語源的関係があるとも見られる。
2011年12月21日
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加藤郁乎(かとう・いくや)冬の波冬の波止場に来て返す句集「球体感覚」(昭和34年・1959)
2011年12月20日
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千葉皓史(ちば・こうし)見つめよと置くともしびやクリスマス句集「郊外」(平成3年・2001)
2011年12月20日
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長谷川櫂(はせがわ・かい)鵜の揺らし鵜の揺れてゐる枯木かな句集「古志」(昭和60年・1985)註鵜(う):カワウであろう。
2011年12月20日
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千葉皓史(ちば・こうし)炬燵して向ひに誰も居らぬ母たましひといふ大荷物日向ぼこ句集「郊外」(平成3年・2001)註炬燵(こたつ)して:通常の日本語表現ではあり得ない言い回しだが、詩歌、とりわけ短歌・俳句では全く違和感がなく許容される。これに類する文法や表現上の破格は西洋詩においても珍しくなく、「詩的許容(ポエティック・ライセンス)」と称される。
2011年12月19日
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千葉皓史(ちば・こうし)冬川につきあたりたる家族かな厚氷これを見にきしごとくなり薄氷そつくり持つて行く子かな句集「郊外」(平成3年・2001)
2011年12月19日
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森下洋子(もりした・ようこ)白鳥の最後の仕上げ手のかおり昭和60年(1985)註作者は日本を代表するプリマバレリーナ。「白鳥」は「白鳥の湖」(チャイコフスキー作曲)の舞台稽古のことであるとともに冬の季語を兼ねている、なかなかの技巧。結句「手のかおり」が何を表現しているのかは今ひとつ判然としないが、いろいろ想像を逞しくさせてこれはこれでなかなかいいのではないか。ただし、名詞「かおり」は、動詞「かおる(かをる)」にした方がいいように思う。
2011年12月18日
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富安風生(とみやす・ふうせい)命二つ互に恃み冬籠註読み方は「いのちふたつたがいにたのみふゆごもり」であろう。恋愛感情が俳句で表現されることはきわめて稀とされるが、これはまた真摯さを通り越してある種の凄みさえ感じさせる一句である。この句が山口波津女(やまぐち・はつじょ)の作と記している本もあり、あるいはそうなのかも知れないが、今のところ確認できていない。図書館などで両者の全集を読破すれば判るだろうが、申し訳ないがそこまでの関心と情熱はない。どなたかご存じの方はご教示いただければ幸いである。割と知られた作品の作者や典拠が分からないとは隔靴掻痒な話だが、俳句ではけっこうあるように思う。
2011年12月18日
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坪内稔典(つぼうち・としのり)帰るのはそこ晩秋の大きな木句集「猫の木」(昭和62年・1987)坪内稔典句集* 「稔典」は、俳号として「ねんてん」とも読む。
2011年11月26日
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加藤郁乎(かとう・いくや)このひととすることもなき秋の暮句集「秋の暮」(昭和55年・1980)加藤郁乎句集
2011年11月26日
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上田五千石(うえだ・ごせんごく)もがり笛風の又三郎やあーい句集「田園」(昭和43年・1968)
2011年11月26日
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田中裕明(たなか・ひろあき)ブータンも田を植ゑる国うたの国読売新聞17日付朝刊1面「編集手帳」(竹内政明論説委員)より
2011年11月17日
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山口素堂(やまぐち・そどう)目には青葉山ほとゝぎすはつ鰹かつを「あら野」(延宝6年・1678)註同時代の俳人・各務支考(かがみ・しこう)評:「目には青葉」「耳には山ほとゝぎす」「口にはつ鰹」と、いづれも珍しきをならべて、これよこれよとこたへたるにその語分明なるものなり。(どれも珍しい題材を並べて、これだよこれだよと答えているわけだが、その言葉は万人に分かりやすいものである。)決して褒めていない。今の言葉でいえば「キャッチーな模範解答だね」といったあたりか。・・・ヒネリがないね、といった含みすら感じられる。私もある程度同感である。ただ、人口に膾炙するほどの“名句”への「玄人筋」の評価は、しばしばこういった嫌味な言い方になる。これは現代でも大して変わらない現象である。もしあなたが若い実作者であれば、さほど気にすることはないし、気にしない気の強さが肝要であると言いたい。
2011年04月26日
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坪内稔典(つぼうち・としのり) *葉桜よ黒猫を抱き抱き殺す句集「猫の木」(昭和62年・1987)坪内稔典句集(抜粋) 坪内稔典全句集* 俳号として「ねんてん」とも読む。
2011年04月22日
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坪内稔典(つぼうち・としのり) *桜散るあなたも河馬になりなさい句集「落花落日」(昭和59年・1984)坪内稔典句集(抜粋) 坪内稔典全句集* 俳号として「ねんてん」とも読む。もっとも、ご当人は恬淡たるもので、どっちでもいいみたいである。■ カバに会う 坪内稔典さん【朝日新聞 2009年2月1日付】
2011年04月21日
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高浜虚子(たかはま・きょし)手毬歌てまりうたかなしきことをうつくしく昭和14年(1939)
2011年04月01日
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高浜虚子(たかはま・きょし)初蝶はつてふを夢の如ごとくに見失ふ昭和14年(1939)
2011年04月01日
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又吉直樹(またよし・なおき、ピース又吉)自由律俳句富士山が見えたら起こせと言う長い停車が別れを気まずくする走らなくても間に合ったんじゃないか弱火にしたいのに消えた買うと伝えても店員が喋る犬に挨拶させようとしているから待ってる目配せの意図は解らないが頷く句集「まさかジープで来るとは」(新刊)まさかジープで来るとは価格:1,470円(税込、送料無料)【帯・推薦文】 俵万智(歌人)ストーリーはないのに、物語がある。いつまでも舐めていたい飴のような言葉たち。一粒一粒を、心のなかで溶かしながら、広がる風景を味わいたい。
2011年02月02日
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又吉直樹(またよし・なおき、ピース又吉)自由律俳句転んだ彼女を少し嫌いになるフタをしめない主義なのか大人なのに行きつけの店がない便座はおそらく冷たいだろう句集「カキフライが無いなら来なかった」(平成22年・2009)註小説家は当然としても、文学青年くずれの俳優とか歌人、俳人というのはちっとも珍しくなく、そこらへんに掃いて捨てるほどゴロゴロ転がっているだろうが、現役文学青年のお笑い芸人とはまた、世にも稀なる存在である。ビートたけしやタモリなどの大御所連中は、時にやや近い水準の教養を滲ませる場面もあるが、彼はそこに一歩踏み込んでそれを常態化したといえる。背景には客の側の成熟・目利き化もあるのだろう。「太宰」だの「三島」だの「遠藤周作」だの「両村上」などの固有名詞がポンポン出てきつつ、含羞を感じさせる自虐的ギャグで笑わせるという芸風は、これまでありそうでなかった新しいスキマのジャンルを切り拓いている、といったら褒めすぎか。彼の才能を見出した、能天気で「チャラい」ライトな個性を持つ相方・綾部の炯眼も確かだった。この二人のコンビネーションはちょうど対照的・補完的・補色的で、ベスト・マッチングと見える。もっとも又吉はああ見えて、サッカー大阪府代表でインターハイに出場したほどのスポーツ少年だったそうで、実は抜群の運動神経の持ち主だという。あの独特のブンガク的なイメージは、芸人として措定したキャラクターでもあるのだろう。この句集は、韻文表現に必須の犀利な観察眼を感じさせつつ、芸人の片手間の余技とか伊達や酔狂ではない、むしろ発想の根幹部分を呈示しており、この才能は本物だと思う。・・・などと、文芸評論家でもあるまいに、エラソ~に書いてしまった。何様だよっ、オレお察しのことと思うが、僕は彼を、多少他人とは思えないところもあるのである(笑)■ ピース又吉直樹がGALAPAGOSに出会った!カキフライが無いなら来なかった価格:1,365円(税込、送料無料)
2011年01月31日
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坪内稔典(つぼうち・ねんてん)水中の河馬が燃えます牡丹雪句集「落花落日」(昭和59年・1984)
2011年01月12日
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高浜虚子(たかはま・きょし)去年こぞ今年貫く棒のごときもの昭和25年(1950)註前項の蕪村の句を踏まえたと見られる名句。終戦後の混乱の中で詠まれた。虚子の師・正岡子規は、明治期に半ば忘れ去られていた蕪村を再発掘し、その絵画的な(今の言葉でいうと「イマジナティヴな」美しさを高く評価した。
2010年12月31日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)年守としもるや乾鮭からざけの太刀たち鱈たらの棒年明けを見守っているのか立派な太刀のような新巻鮭と棒鱈よ。註年守る:大晦日から元旦にかけて家中の者が集まり、潔斎して(身を清めて)夜明かしし、新年を迎える習俗。一般の祭りや神事に伴う「(お)日待ち」のもともとの原型と似ている。ただし、「日待ち」は神酒(みき・じんしゅ)を皆で戴く「直会(なおらい)」と混同されて、現在では、祭りなどの後の宴(うたげ)・宴会のニュアンスが強い。現在でも、「紅白歌合戦」などを見たり除夜の鐘を撞きに行ったり初詣に出かけたりして夜更かしするのは、こうした風習の民俗的な名残りといえるかも知れない。
2010年12月31日
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嶋田一歩(しまだ・いっぽ)初雪の消ゆるものとし美しき
2010年12月30日
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嶋田一歩(しまだ・いっぽ)白鳥の来れば多過ぎかと思ふ註嶋田一歩:俳句結社「ホトトギス」同人。北海道ホトトギス会長。
2010年12月30日
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種田山頭火(たねだ・さんとうか)鴉啼いてわたしも一人まつすぐな道でさみしいしぐるるや死なないでゐる雪がふるふる雪見てをればしぐるるやしぐるる山へ歩み入るどうしようもないわたしが歩いてゐるぶらさがつてゐる烏瓜は二つ枯山飲むほどの水はありてうしろすがたのしぐれてゆくか鉄鉢の中へも霰けふは凩のはがき一枚しぐるる土をふみしめてゆく句集「草木塔」(昭和15年・1940)註凩:こがらし(木枯し)。国字。山頭火句集(ちくま文庫)
2010年12月19日
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江國滋(えくに・しげる)おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒辞世句集「癌め」(平成9年・1997)
2010年11月10日
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飯田龍太(いいだ・りゅうた)新米といふよろこびのかすかなり第一句集「百戸の谿」(昭和29年・1954)註「新米、今年米」の季語を用いた句の中でも、特に名句の誉れが高い。この句を詠んだ当時、実際に農作業に携わっていたという作者にとって、その年の新米を得た喜びというのは、もろ手を上げて大はしゃぎするものではなくて、かすかにほのかにゆっくりと、しかししっかりじわじわ~っと訪れる喜びなのだろう。・・・深い。こういうのに接すると、俳句というものは凄いもんだなあと、改めてまざまざと痛感させられる。この、ボソっと呟くように素っ気ない、わずか十七音の短い形式の中に、実に豊かで微妙で陰翳に富んだ感情が溢れていて、ひたすら感嘆するほかはない。・・・僕なんかには到底できません(笑)■ 飯田龍太の俳句 ―― 第一句集『百戸の谿』より 太田かほり(この句の詳細な解説を含む。)
2010年10月18日
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水原秋櫻子(みずはら・しゅうおうし)野沢菜の届きぬ焚たけよ今年米ことしまい
2010年10月18日
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久米三汀(くめ・さんてい)新米を燈下に検けみすたなごゝろ句集「かへり花」(昭和18年・1943)出来たばかりの新米を燈火のもとで検査するその真剣な掌(てのひら)。註三汀は、小説家・久米正雄の俳号、すなわち同一人物。たなごころ:掌を示す古語。現在でも雅語的に用いる。語構成は、「手(て)」の意味の上古語「手(た)」+「の」の意味の古い格助詞「な」+「心」。平成22年産新米! 栃木のコシヒカリ厳選米 5kg 【ギフト対応 のし・宛名書き可】価格:3,129円 (税込、送料別)
2010年10月15日
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高浜虚子(たかはま・きょし)新米の其その一粒の光かな平成22年産新米! 栃木のコシヒカリ厳選米 5kg 【ギフト対応 のし・宛名書き可】価格:3,129円 (税込、送料別)
2010年10月15日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)新米もまだ艸くさの実の匂ひ哉かな【お試しメール便】平成22年産新米! 栃木のコシヒカリ厳選米(お試し3合/450g)価格:525円(税込、送料込)
2010年10月15日
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橋爪鶴麿(はしづめ・つるまろ)とりたてて言ふことは無き夏終はる註橋爪鶴麿:俳句結社「麦」主宰。 .ハ ハ /ノ/ノ (,, 'A`) <フ~フ~ アツイピョ~ン / つつ ( _ )
2010年09月03日
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加賀千代女(かがのちよじょ)朝顔につるべ取られてもらひ水朝顔の蔓(つる)に井戸の釣瓶を占領されてご近所さんから水を貰っているのよ。
2010年08月05日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)五月雨さみだれや大河を前に家二軒梅雨が降り続いて氾濫しそうなほど増水した大河のほとりにぽつんと心細く家が二軒寄り添っている。註明治の俳句・短歌の巨人・正岡子規が、当時所属し担当していた「新聞日本」紙上の文芸欄で、こともあろうに芭蕉の代表的名句の一つ「五月雨をあつめて早し最上川」を引き合いに出した上で、こちら蕪村に軍配を上げて絶賛し世間に衝撃を与えたことは、司馬遼太郎「坂の上の雲」にも描かれた事実だが、今その主張を聞いても、おそらく贔屓目に見ても贔屓の引き倒しだろうと思われ、今でいう「褒め殺し」(?)に近いものさえあると思う。確かに、「あつめて」の主語は「最上川」ということになるだろうから擬人化であり、発想がやや平凡で俗に堕ち、陳腐であるといった反発を感じる研ぎ澄まされた感覚があり得るのは首肯できるのだが、この場合、ちょっと格が違うだろう格が~(・・・ほんかくてきよ、ほんかくてき~)と思うのが正直なところである・・・とはいうものの、俳句・短歌革新の実作者であると同時に、いわば新時代を切り拓く志を高々と掲げたアジテーター(煽動者)でもあった子規の時代背景を見れば、この一句の持つ近代文学的な写実・リアリズム的な側面に感応し、その辺を強く評価したのだろうと、今の目では評価しうるのだろう。
2010年06月30日
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全129件 (129件中 51-100件目)