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川柳入れ歯見て目玉も取ってと孫が言う伊集院光 編「銀色シルバー川柳 ── 北枕」(平成7年・1995、絶版)
2010年05月25日
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よみ人知らず膝ひざや手をたたいて翁おきなかへるなり江戸川柳註先日ご紹介した松尾芭蕉の名句「いざさらば雪見にころぶ所まで」をもじった川柳。和歌でいう「本歌取り」のような手法。翁おきな:芭蕉翁(ばしょうおう)。川柳は、いうなれば能に対する狂言、和歌に対する狂歌のごときもので、江戸期に俳諧連歌から派生して発達した。江戸中期の点者・柄井川柳(からい・せんりゅう)の名を冠す。
2010年01月26日
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河合曽良(かわい・そら)かさねとは八重撫子やへなでしこの名成なるべし奥の細道「かさね(重ね、襲)」とは、八重咲きの撫子の花びらにちなんで名づけられたのだろう。・・・そんな優しい名前の、大和撫子の女の子。註元禄2年(1689)旧暦4月の初め(新暦5月頃)、奥の細道の旅の途上、下野の国(栃木県)那須(なす)黒羽(くろばね)で、馬を貸してくれた親切な農夫の可憐な女の子の名前を「かさね」と聞いて詠んだ一句。何気ないが、味わい深い佳品。・・・ところで、なんかよく知らないが、最近この河合曽良が、イケメン風のギャグ・キャラクターとして、サブカルチャー系、アキバ萌え萌えコスプレ系、やおい妄想ハアハア系(?)の文脈(コンテクスト)で大人気になっているらしい。超意外というかオイオイな展開ではあるが、面白いといえば面白い現象だ。→例えばこちらとか。はんにゃ金田で実写版はどうだろ?あるいは、妻夫木聡クンの、大河明けの初仕事にとかど~かな?・・・ダメかな曽芭師弟愛(笑)ギャグマンガ日和 Tシャツ芭蕉と曽良「S&M」
2009年10月02日
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河合曽良(かわい・そら)行き行きてたふれ伏ふすとも萩の原奥の細道歩いて歩いて、斃(たお)れ伏したとしてもそこは萩の花が咲きわたる一面の秋の野原。註美に殉ずることさえ辞さないその意気や良し、と思わせる秀句。推敲前別案「跡あらん倒れ臥すとも花野原」(足跡があるだろう、倒れ臥すとも花の咲く野原)。曽良の俳号は、「空」の意味であるという説が有力。自ら名乗った苗字「河合」と合わせて、故郷・信濃(現・長野県諏訪市)の河の合流地点と青空の雄大な光景をペンネームにしたともいわれるこの人は、今の言葉でいえば、骨の髄までロマンティストだったようである。俳聖・芭蕉が、特に生活面などで終生頼りにした「側近」的な弟子。cf.くまんパパ「秋されば萩の花野をゆきゆきて顛(たふ)れ伏すてふ人ぞゆかしき」(「短歌人」2007年11月号掲載作品)
2009年10月02日
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各務支考(かがみ・しこう)夜着よぎの香かもうれしき秋の宵寝哉かな江戸前期蒲団の真新しい綿とお天道様の香りがうれしい秋の宵寝だなあ。註夜着:かいまき、衾(ふすま)などの夜具。ほぼ、現在の蒲団に当たるもの。出典、調査中(「続猿蓑」あたりか?)。
2009年09月30日
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内藤丈草(ないとう・じょうそう)ねばりなき空にはしるや秋の雲さらさらと粘り気がない空に走るなあ、秋の片雲は。初秋はつあきやをのづととれし雲の角かど初秋が訪れて、おのずと雲から角が取れた。寝ころび草(江戸前期)
2009年09月29日
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実るほど頭かうべを垂るる稲穂かな江戸川柳
2009年09月04日
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加賀千代女(かがのちよじょ)朝顔につるべ取られてもらひ水朝顔の蔓(つる)に井戸の釣瓶を占領されてご近所さんから水を貰っているのよ。
2009年08月13日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)戸を明あけて蚊帳かやに蓮はちすのあるじかな寝苦しい夏の夜、戸を開けたまま寝付いた。ふと漂う芳香に目覚めてみると池の蓮が花開いていた。蚊帳の中から私はそれをさもご主人様のような心持ちで眺めている。
2009年05月28日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)蓮の香かやみづを離るる茎一寸初夏、ハスの花茎が立ち上がった。まだ、水面から僅か一寸(3.3cm)ぐらいだというのに、もう清らかで妙なる香りを漂わせている。
2009年05月28日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)菜の花や月は東に日は西に註柿本人麻呂「東ひむがしの野に炎かぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾かたぶきぬ」(万葉集48)を踏まえる。
2009年05月04日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)梨の花月に書ふみよむ女あり
2009年05月03日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)滴したたりの思ひこらせしとき光る風邪の子が留守あづかるといひくれし句集「紅白梅」(昭和45年・1970)
2009年04月19日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)恋猫に思ひのほかの月夜かな句集「都鳥」(昭和26年・1951)恋する猫にはおよそ興味の外だろうが、綺麗な月夜だなあ。
2009年04月19日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)引いてやる子の手のぬくき朧おぼろかなゆで玉子むけばかがやく花曇はなぐもり「汀女句集」(昭和19年・1944)引いてやる子の手が温い朧月の夜だなあ。ゆで玉子を剥けば、輝くばかりの花曇。
2009年04月18日
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中村汀女(なかむら・ていじょ)外とにも出よ触るるばかりに春の月句集「花影」 (昭和23年・1948)外に出てごらんなさい。手を伸ばせば届くほどに春の月。
2009年04月17日
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服部嵐雪(はっとり・らんせつ)梅一輪一輪ほどのあたたかさ「玄峰集・庭の巻」(江戸前期)栃木・宇都宮市東戸祭の祥雲寺にて、けさ写す。
2009年03月16日
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江戸狂歌門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし註一休宗純作とも伝わるが、疑わしい。出典は、平賀源内「根無草(ねなしぐさ)」。
2009年01月14日
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与謝蕪村(よさ・ぶそん)月天心貧しき町を通りけり 天空の月の光を浴びながら、貧しい町を通ったよ。
2008年11月23日
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小林一茶 俳句あの月を取つてくれろと泣く子かな七番日記註「名月を」の推敲案もよく知られているが、この初案の方が自然な感じがする(・・・まあ、これは好みの問題だろうが)。わが娘たち(4歳半)も、「取って」とは言わないまでも、お月さまが大好きで、大騒ぎして喜んでいる。まことに微笑ましい名句。ちなみに、昨夜は「中秋の名月(十五夜)」だったが、天文学上の望(ぼう、満月)は本日15日(月齢15.3)。
2008年09月15日
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小林一茶(1763-1827)雪とけて村いつぱいの子どもかな雪とけてくりくりしたる月夜かな七番日記註:雪国信濃の、遅い春の歓び。名句「是(これ)がまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺」の重厚陰鬱なユーモアと対(つい)をなしているようだ。
2008年03月28日
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種田山頭火(たねだ・さんとうか、明治15年-昭和15年)――自由律(不定形)俳句分け入つても分け入つても青い山笠にとんぼをとまらせてあるくまつすぐな道でさみしいしぐるるや死なないでゐるわかれきてつくつくぼうしどうしようもないわたしが歩いてゐる分け入れば水音酔うてこほろぎと寝てゐたようしろすがたのしぐれてゆくかすッぱだかへとんぼとまらうとするか病めば梅ぼしのあかさあるけばかつこういそげばかつこうなるほど信濃の月が出てゐる山頭火句集
2007年05月26日
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富安風生(とみやす・ふうせい、明治18年-昭和54年)淋しさの蚊帳釣草かやつりぐさを割きにけり何もかも知つてをるなり竈猫かまどねこ街の雨鶯餅うぐひすもちがもう出たかまさをなる空よりしだれざくらかな露寒つゆざむや凛々しきことは美しきわが机妻が占めをり土筆つくしむく一片の落花の意をばよみとりぬ山萩のまつすぐに立つ性さがかなし遠花火寂寥せきれう水のごとくなり一生の楽しきころのソーダ水菜の花といふ平凡を愛しけりかげろふと字にかくやうにかげろへるきちきちといはねばとべぬあはれなり奇はつひに凡に及ばず草紅葉
2007年05月26日
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尾崎放哉(おざき・ほうさい、明治18年-大正15年)――自由律(不定形)俳句氷がとける音がして病人と居る仏にひまをもらつて洗濯してゐるこんなよい月を一人で見て寝る底がぬけた柄杓ひしゃくで水を飲まうとしたすばらしい乳房だ蚊が居る爪切つたゆびが十本ある入れものが無い両手で受ける口あけぬ蜆しじみ死んでゐるせきをしてもひとり枯枝ほきほき折るによし肉がやせて来る太い骨である 尾崎放哉句集
2007年05月23日
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阿部みどり女(あべ・みどりじょ、明治19年-昭和55年)ざらざらと櫛にありけり花ぼこり春夜しゅんやの子起しておけばいつまでも大樽に糸瓜へちまつけあり水澄める大椎おほしひの中よりいでし梅雨の蝶黄を尽したんぽぽ絮わたとなりにけり物言はぬ独りが易し胡瓜きうりもみ光陰は竹の一節ひとふし蝸牛雑用の中に梅酒を作りけり頬白ほほじろの嘴はしより落ちし蝶の羽リラに鼻つけて踝きびすをかへしけりいのちより俳諧重し蝶を待つ註糸瓜へちまつけあり:ヘチマの果肉を腐らせ、残った繊維質を垢こすりなど(今でいうスポンジ)にした。今でもけっこう使っている人はいそうだ。光陰:時間。いのちより俳諧重し蝶を待つ:俳句としては、理に堕ちた、きわめて野暮な作品と言わざるを得ないが、言葉の力はある。いわば「辞世、遺言」みたいな感じか。詠まずにはいられなかったのだろう。近代女流俳人の草分けであった作者の、思わず居ずまいを正すほどの、厳粛な信念の披瀝。ここでいう「蝶」とは、まさに「詩」とか「霊感」などのことか。古代ギリシャ語の「プシュケー πσυκε psyche(霊魂、蝶。心理学 psychology などの語幹)」を連想させずにはおかない。
2007年05月23日
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坪内稔典(つぼうち・としのり *)ゆびきりの指が落ちてる春の空春の蛇口は「下向きばかりにあきました」花冷えのイカリソースに恋慕せよ春の坂丸大ハムが泣いている桜散るあなたも河馬になりなさい坪内稔典句集(抜粋) 坪内稔典全句集註通称:ねんてん。
2007年04月28日
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千代女(加賀の千代、1703-1775)春雨や土の笑ひも野に余り千代尼句集春雨で雪が解けて、閉ざされていた大地が現われて、喜びの笑いが野原に溢れてこぼれ出しそうよ 。(拙訳)
2007年03月04日
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鞦韆(しゅうせん)は垂るオリオンの星座より山口青邨(せいそん、1892-1998)名句、秀句、佳句はあまりにも世にありすぎて、どれから紹介していいか分からない。とてもじゃないが、僕などの手には余ることである。少なくとも、日本人に生まれて良かったと思うばかりである。和歌・短歌と俳句は、同じ5・7・5の韻律を用いるし、歴史的に見ても俳句が和歌の一種である連歌の上(かみ)の句から発生したことは明らかではあるが、両者は全く別物だと思う。俳句ってものは、たったの十七文字(17音)で、しかも大部分の俳人が属する主流・正統派では、必ず季語を入れなければならないというキッツイ制約がありながら、時々こういう、驚くほどスケールが大きい雄句を生み出してきた。規矩があるから却って最高度の自由が表現され得るという、人間精神の根源的な摩訶不思議さを典型的に示している。ただちに松尾芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」や、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」などが思い浮かぶのは僕だけではないだろう。ただ、これらに比べ、より幻想味が増しており、どことなくユーモアさえも湛えており、現代俳人ならではの秀作である。大げさに言うと、フランス象徴主義の総帥であった詩人ステファヌ・マラルメの言う、「宇宙代置(置換)」の試みともいえようか。いわば、「この全宇宙が滅んでも、この一句が残ればいい」というような気宇とでもいうか。俳聖芭蕉は、伊賀生まれのれっきとした武士であり、若い頃は地元の大名・藤堂家の近習まで勤めたエリートで、その後も映画に出てくるような“いかにも”の忍者ではないとしても、一種の公儀隠密、すなわち幕府の「上忍」だったという説も一理あるように思われる。こういう人を“教祖”とする俳句ってものには、常にそういう、秘めたる裂帛の殺気が立ち込めていて、僕には非常に怖いものに感じられる。いわば死と隣り合わせの、一種の武士道そのものと言ってもいいだろう。僕は俳人・俳諧者というものをものすごく尊敬しているが、自分ではとても詠めない(・・・いや、短歌も大して詠めてませんけどね)。やっぱりエレガントな王朝文化に連なる“軟派”な和歌・短歌の方がいいざんす。註鞦韆:ブランコ。
2007年02月27日
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読売新聞11月14日(火)付夕刊・文化面に、真鍋呉夫という人の連作俳句が掲載された。ぜひご紹介したい。冬銀河ダイヤモンド・ダストが包む子の眠り寒月に触れんと怒涛立ちあがる慟哭の凍れるごとき滝なりき冬銀河ひとは足から死んでゆく月天心なだれはじめし雪庇(びさし)月光のしたたりやまぬ氷柱(つらら)かなおのれには見えぬ暈(かさ)帯び雪女いや~、お見事。最終句を除けば、写生の基本に忠実でありながら、日本語の美の粋のような、何とも言えない言葉の桃源郷(冬厳郷?)が構築されている。一読して、うっとりと酔っ払ってしまった。どこのどなたかは存ぜぬが、華麗なる才能というほかはない。しかも、添えられた解説によれば1920年、福岡生まれというから、誤植でなければ、現在86歳!?!ホントかゑ?何という感覚の清新さ。僕自身が冬という季節も星空も大好きなので、一層そう感じるのかも知れないが。「月天心」という美しい言葉は、いつか使おうと思って温めてたので、ほんとに“やられたよ”って感じだ。自註によると、「この世のこと、何一つとして不思議ならざるは無きとぞよ」という本居宣長の言葉が、座右の銘らしい。こういう人もいるんだなあ。僕には俳句は短すぎて詠めない。だが、俳句こそ日本文化を煎じ詰めた究極の形式であり、しばしばこのように研ぎ澄まされた美の極致が現出する。・・・爪の垢でも煎じて呑みたいざんす。
2006年11月16日
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