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【短歌作品みたいに、無い知恵を振り絞ってウンウンうなって考えに考え抜いたエントリーより、↓こういう気楽に何気に書いた記事の方が、ぜんぜんアクセス伸びております。・・・ブログの本質を考えさせられるよね、なんちゃって。】おとといきのうの夜あたり、リラックスして赤ワインなど一杯やりながら精神を集中してみたのだが、短歌一首どころか、全く言葉の一句も浮かんでこないのには、あやや?・・・と愕然としてしまった。お気に入りのシンガー&ソングライターEPOの、精神性の高い曲のCDなどを流して、気分を変えてもう一度、と試みたが、やっぱりダメである。最近けっこうストレス溜まってるからな~、Dr.スランプかな~などと思っていたが、きょうブログを読み返してみたら、ここ1ヶ月弱だけで、硬軟取り混ぜて120首ぐらい詠んでることに気づいた。大部分は思いつきの駄作とはいえ、詠みすぎ、作りすぎ~。好きな道とはいえ、これは明らかにやりすぎ、書きすぎ~。もはや脳内がカラッポなのである。「腎虚」みたいなものである。新たな発想など、浮かびようもないよね。まあしかし、下手な鉄砲数打ちゃ当たる。これまで数年間にわたって詠んで、友人知人にメールマガジン方式で送った数千首のエチュード(試作)もある。古い読者の皆さんはご存知だが、これらはこのブログでも以前は掲載・公開していたが、同人誌デビューに際して著作権を意識し、すべて削除した。これだけあれば、まぐれで上手く出来てるのもあるだろうから、「短歌人」12月号の原稿15首ぐらいは何とかなるだろ~。・・・むしろ選ぶのに苦労するぐらいかにゃ~。それにしても、短歌同人誌に載る皆さんの歌のうまいこと。セミプロ・インディーズみたいな人が集まってるんだから、当然といえば当然なのだが。とてもじゃないが僕には詠めそうもないな~、と気おされ滅入る気分と、何くそ~負けてたまるかという虚勢とハッタリ、両方綯(な)い混ぜになった気分が、我ながらいささか可笑しくも清々(すがすが)しい。選者の先生方の講評もなかなか厳しく、学生時代の10代の少年に戻ったような気分だ。やっぱり稽古事(けいこごと)ってものは、志を同じゅうした者の切磋琢磨する集団に入ってみなければ、本当のところは会得できないな~、ということを実感しつつあるざんすよ~。なお、朝日新聞「アベする」炎上・新語「アサヒる」大流行騒動は、週刊新潮10月11日号が記事として掲載、ついに一般メディアの報ずるところとなりました~
2007.10.05
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以前から時々触れてきましたが、本業(小売業)の方で、インターネットショップ(バーチャルショップ、エレクトロニック・コマース・EC・電子商取引)を本格的に展開する決意を固めまして、この間にホスティングサービス(ネットショップ運営サポート)の「Eストア」と正式に契約しました。操作性の良さはもちろん、テンプレートの充実やカスタマイズの自由度、決済システム、セキュリティ等々の完備に、信頼できると判断しました。また、地元で多くのネットショップを成功させている旧知の広告会社にもすでに渡りをつけまして、必要に応じて、ホームページ、ロゴなどのデザイン・レイアウト、その他の企画や細々したサポートを受ける手はずにもなっております。将来的には、モ-ルショップの楽天市場に進出するのがかねてからの悲願なのですが、何しろ出店料も高く、なかなかのアドベンチャーになりますので、初めてのことでもあり、とりあえず独自ドメインショップ(いわゆる「本店」)を開店してこの分野に「入門」し、一から勉強するつもりです。前にもちょこっと触れましたが、僕の場合は、インターネット、EC等に全く興味も理解もない石頭の旧石器時代人、というか20世紀の遺物である社長こと父親が目の上のタンコブでありまして、寺内貫太郎一家の西城秀樹状態ですまずは、そこいらへんのところが最初の主戦場になりますので、なるべくリスクの小さい(出店料の安い)独自ドメインショップを選んだ側面もあります。妥協といえば妥協ですが、最初から生き馬の目を抜くモールショップの荒波に揉まれるのはちょっと無謀かなとも思いますし、結果オーライという気もしてます。いまごろネット進出なんて、世間の常識から見れば、とっくに2~3周ぐらい周回遅れだよと、僕は危機感とともに重々認識しています。焦りもあります未だに、ネットが分からない、興味がない、面倒くさいなんて寝言を言っている小売業者も、世間にはかなりいますが(・・・むしろ多数派かも?)、はっきし言って、ぼちぼち首をくくる算段でもしといた方がいいんじゃないすか~、と言ってあげたいです。・・・そんなこと面と向かって言うわけないけどね~なお、このブログは趣味道楽・本音炸裂ブログとして温存したいので、ショップ開店の運びとなっても、そちらとはリンクせず、切り離しておくつもりです。仕事や公的な立場とリンクさせると、しばしば毒舌と評される、ワガハイの言いたいことが言えなくなってしまうことを、大いに危惧しております。時々毒を吐かないと、僕は自家中毒で死んじゃうのよ~ん「Eストア」は、ホスティングサービス会社としては、ITベンチャーの寵児・熊谷正寿さん率いる「GMO」グループ系の「アイル(iSLE)」に次ぐ2番手という感じ(参加企業、4万数千店)ですが、全体に明るくて快活なイメージ、取っ付きが良くてしろうとにやさしそうな感じと、社長さんがやる気マンマンで鼻息が荒そうな感じがいたく気に入りました。熊谷さんが、ご存知の通り、不動産業の雄・熊谷商事の御曹司でありながら、ITベンチャーの雄でもあり、しかも水もしたたるモテ男であり、あまりにも完璧なイケメンすぎて見ていてムカツク、ということも否定できません・・いや、尊敬はしてますけど当分の間、ショップ構築・運営システムツール「ショップサーブ2」と、日夜組んずほぐれつ格闘することになりそうで、とても趣味ブログに割く時間とエネルギーはないものと思われます。ネットショップの成功者の回顧談でも、特に最初の立ち上げの2~3年間ぐらいは、寝ている時間以外はパソコンとにらめっこだったとか、壮絶なことが当たり前に書いてあり、なるほどそうだろうな~、そうそう甘いもんじゃないだろうな~とは、拙者も覚悟しておりやす。純技術的には、このブログを管理するぐらいの腕があれば、一定の時間を投入して、何とかやっていけると判断してます。問題は、成功しているネットショップの例を見ても、何といってもやはり仕入れと企画力・コンセプト等々といったところに集約されるようです。そんなこんなで、このブログは、すみませんが、当分は半ば休眠に近い状態になることもあり得るかな~と思ってます。秋といえば、詩歌の世界ではまさに本番のシーズン。ご紹介すべき詩歌はたくさんあるのですが、撤収を余儀なくされそうです。最近は、心温まるすばらしいコメントが多くて感謝感激してますので、ホント心苦しく思っています。まずいといえば、まずいよな~ゴメンニャイ。・・・とはいえ、たまには何か書きますから、ヨロピクね~。ご愛読者の皆様には申し訳ないのですが、やはり誰しも本業の仕事が優先であるという事情をご斟酌いただきまして、何とぞご寛恕を賜りますことをお願い申し上げます(マジ)。
2007.09.28
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さほど気に留めてなかったので、あやうく忘れるところでしたが、累積55,555アクセスのキリ番(切りのいい番号)を超えました。皆様、ありがとうございます。55555のゾロ目って、何とはなしにいい感じですよね~。55555目のアクセスは、いつもご訪問いただいている、敬愛する楽天ブログ「またあとで」のQuo Vadisさんでした。僕も、新約聖書の中のパウロの魂の叫び、「クオ・ヴァディス(主よ、いづくに行きたまふや?・・・どこに行かれるのですか?)」という言葉が大好きです。遅々たる歩みですが、これからもボッチラボッチラ書いていきます。今後ともよろしく~。 555612007-09-17 01:53:21*.yahoo.co.jp 555602007-09-17 01:48:17ともるーさん 555592007-09-17 01:47:04*.yahoo.co.jp 555582007-09-17 01:17:49*.ocn.ne.jp 555572007-09-17 01:10:26122.152.*.* 555562007-09-17 01:00:39*.ucom.ne.jp 555552007-09-17 00:01:04quovadisさん 555542007-09-16 23:58:08124.37.*.* 555532007-09-16 23:55:51*.yahoo.co.jp 555522007-09-16 23:54:55122.152.*.* 555512007-09-16 23:34:38@弥々さん 555502007-09-16 23:32:58halmikanさん 555492007-09-16 23:07:50たまにゃん1203さん
2007.09.17
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すいません、僕くまんパパは元気ではありますが、このところ仕事の方が忙しくて(・・・自分で勝手に忙しくしているとも言えるが)、時間がないのに加えて、いろんなことでアタマの中がパンパンで、ちょっと趣味ブログの方まで手が回らない感じです。家族は、至って円満。妻も娘3人(3歳半の三つ子三姉妹)の子供も、一時多少夏バテっぽくなってたようだが、涼しくなるにつれて元気元気。妻子のために、くまのお父さんはもっと稼がなきゃならんのだいつも細切れで見てるせいか、何十回も繰り返し見てる割には未だにストーリーがよく飲み込めてない、ディズニーの「美女と野獣」のDVDに出てくる、なんかたくましい荒くれ男がいるでしょ?あれが、子供たちによれば「おとうちゃん(僕)」らしいのだ。・・・けっこう光栄かも知んない。ちなみに、「あっちのおとうちゃんは怒りんぼだけど、こっちのおとうちゃんはニコニコ」なのだそうだ。・・・それはその通りだよん、ニコニコ。なお、ここ数日の長女の自称は「シンデレラアンパンマン」(長っ!)、次女は自分が「白雪姫ショクパンマン」であると自己主張しつつ、お互いに「バイキンマン」の汚名を着せようとしているのは、おぞましくも面白い。三女も何か言っていたが(「メロンパンナ」だっけな?)、ちょっと忘れた(・・ごめんね)。現在彼女たちの最もお気に入りのアニメは「ケロロ軍曹」である。異常と思えるほどノリノリで踊りながら見て、何度でもプレイバックを要求する。よほど幼児の心をつかむ何かがあるのであろう。「ケロロ小隊」は、何と、地球を侵略しにやってきたカエル、いや、宇宙人という設定である。NHKの「おじゃる丸」にしてもそうだが、最近の幼児向けアニメのキャラクターの一部には、僕らの子供のころには考えられなかったような“毒”と風刺性、批評性があって、一筋縄ではいかない。・・・むろん、今の方が面白いと断言できる。子供は、カエルってものがとにかく好きなようだね。お風呂でも、カエルのおもちゃに夢中。うちの子は、まだ実物を見たことはないんじゃないかと思うけど(僕の留守に、妻がどこかで見せたことはあるかもしれないが)。ところで、今日はネット上でDELLのビジネス用パソコンを発注した。配送料無料のキャンペーンがちょうど今日までだったので、決断した。PCとプリンタ一式合わせて8万円弱だった。リーズナブルっ!!数日で届く運びである。非常にハイスペック(高性能)ではあるが、使い勝手・動作の重さなどの面で悪評嘖嘖(さくさく)、世界総スカン、非常に評判の悪い Windows Vista は避けたいと思っていたので、手ごろで成熟したXP搭載機で、中小企業のビジネスユースで定評のあるDELLに決めたのは妥当な判断であろう。・・・とはいえ、SONYの Vaioシリーズのデザインは、世界で一番カッコイイんじゃないかと憧れてもいる。電気屋で見かけるとウットリしちゃう。一種のフェティシズム(物神崇拝)に近いものがある。SONYのデザイン感覚の良さは、伝説のトリニトロンテレビモニターもそうだったが、お家芸というか社風かな。コンピュータ技術は日進月歩、Vistaが成熟し、ずっと使いやすくなる日もそのうち訪れるのであろう。その間にお金を貯めて、将来はVista搭載のVaioを買いたいものだと思っている。・・・そんなこんなで、エントリーの更新は、当分すこ~し減速すると思いますので、悪しからずご了承くださいませ。
2007.09.03
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8月の声を聞いたと思った途端、累積50,000アクセスの大台を突破することができました皆様、ありがとうございます今後とも、ヨロピクね~
2007.08.02
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きのうのエントリーでご紹介したトマト12個は、昨晩、妻が湯剥きにしてくれて、家族5人でペロリと平らげてしまいました。考えたら、一人2個強だもんね、軽いよね。・・・というか、あっけないよねスーパーで売っているトマトに比べると、皮は、明らかに分厚くて、いかにも野性的でした。ちょっと堅くて酸っぱかったのですが、その分キュっと締まって凝縮されたような濃厚な風味と、いくぶん野生っぽい生命力というか野趣が感じられて、悪くなかったです。しろうとが作ったにしては上出来でした。3歳4ヶ月になった三つ子三人かしまし娘たちも、最初「すっぱ~い」とか言ってたのですが、「おとうちゃんが作ったんだよ」とプレッシャーをかけたら、「ほんと~?」とか言いながら、ありがたみが分かったらしく(?)、神妙な顔つきで食べてくれました。ちなみに、生まれたときは三人とも2000gないしそれ以下の未熟児で心配しましたが、今では同年輩の子供より頭ひとつ飛び出た大女になりつつあり、性格も明朗快活、顔も(親のひいき目か)かなり可愛く、このまま素直に育っていけば、将来はエビちゃんバリのファッションモデルにでも仕立てて荒稼ぎできるのではないかと期待しているところです加えて、次女は明らかに僕の遺伝と思われ、口から先に生まれたような子で、言語能力が発達してるように思われるので、一流歌人に仕込んで大儲けしようと思ってますこれで老後は安心だ
2007.07.24
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今日は七夕。'07年7月7日のゾロ目でもある。とはいうものの、梅雨真っ盛りで、星空は見えそうにない。それどころか、九州の方では大変なことになってるらしい。これ以上の被害が出ませんよう、遠く関東地方よりお祈り申し上げます。この日雨が降ると、天上でも、銀河(漢、天の川、ギャラクシー、ミルキーウェイ)は水かさが増して、織女は牽牛の待つ夜空ノムコウというか、大河の向こうに行けなくなってしまうのだ。今みたいに橋脚とかの建築技術が発達してないから。ただ、そういう時は、カササギがどこからともなくたくさん集まってきて、橋になるのか船になるのか知らないが、渡してくれるのだそうだ。親切ですねえ。西洋なら、天使になるところだね。もちろん、7月7日といっても、本来は旧暦(太陰暦)の行事だから、今年でいえば8月19日に当たる。まだ暑い盛りというか、暑さのピークがようやく過ぎ始めるかな~、という時期だ。夕立も少なくなるし。牽牛(彦星・ひこぼし)と織女(棚機女・たなばたつめ・おりひめ)の年に一度の邂逅と灼熱のロマンスには、じめじめした梅雨どきより、やっぱり夏だろうか。そもそも、天帝(北極星)の娘であるプリンセス・タナバタと一介の牛飼いである彦星とは、身分違いの生さぬ仲だったのかも、などとあらぬことを考えてしまう。「美女と野獣(ビューティ・アンド・ビースト)」みたいな。父親である天帝から見れば、梅宮アンナに接近する羽賀研二みたいに胡散臭い男に見えたかも知れない。なんだかんだいって、年に一度のランデブーを、よく許したもんだと思う。天帝の気が知れない。僕だって、娘が将来、どこの馬の骨とも知れぬカウボーイ(牛飼い)の兄ちゃんかなんかを連れてきて「彼氏だ」などと言おうものなら、反対するに決まっている。仕事もほっぽり出してあの手この手、あらゆる大人の手練手管で翻意を迫るのではないかと思う。・・・というのは僕の妄想で、実際のストーリーは違ってますから、念のため。七夕伝説の骨子は、以下の通り。二人は紀香・陣内バリに周囲に祝福されて結婚した、れっきとした夫婦でした。ヒルトンホテル創業者一族の大して美人でもないバカ娘と違って、織姫は絶世の美女で、とても働き者で不平一つ言わず、当時最先端技術だった機織り・デザイン・ファッション関連の仕事に精を出すバリバリのキャリアウーマンでした。しかし、結婚してからというもの、エクスタシーを知って “Addicted to you” になってしまった織姫は、四六時中ボーっとして、仕事に身が入らなくなってしまいました。業を煮やし、怒髪天を衝いてしまった天帝は、二人を天の川の両側に別居させてしまいました。なんと酷(むごい)い家父長権の濫用でしょう。日本国憲法第22条の「居住・移転・職業選択等の自由」や同24条「婚姻における両性の合意、夫婦の同等の権利、住居の選定等における個人の尊厳と両性の本質的平等」などなどの違反で、勝訴の最高裁判決は確実です。ちなみに、古代において織物の技術は、最高度の文明の象徴。とりわけ、絹織物が長らく事実上の中華文明の専売特許だったことは、「シルクロード」の存在を思い起こせば分かる。原始的な織機(しょっき・たなばた)であっても、扱えること自体が特権的なことだった。わが国においても、世を席巻したマルクス・レーニン社会主義プロレタリア文学のコンテクスト(文脈)の中で、女性の職工たちの「女工哀史」的側面(「あゝ野麦峠」とか)ばかりが強調されてきたが、実際は彼女たちは士族の娘が多く、それなりの社会的エリートの側面があり、彼女らもそれを自覚していたという点を見誤ってはならない。最近では理解している方も多いと思うが。・・・もちろん、当時の労働環境の劣悪さについては同情されるが、それは産業革命以後の社会のほかの分野でも同じか、もっとひどかった。今、妻が編物をしているのを見ていても、糸の絡まり具合のプロトコルには超高度な論理性がある。織物を発明した人はIQ200ぐらいの天才だったろう。数学でいうと、トポロジー(位相学)の分野に近い。僕なんか、ボタンの付け直しも怪しいもんね。・・・なんかワケの分からない文章で、すんまそん。
2007.07.07
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最初は強気のコワ面で、黒いものを白いと言いくるめようとするが、しまいには事実を突きつけられて吊るし上げられ、シュンとなったやり手経営者・田中稔ミートホープ社長(68)の絵柄を見ていて、・・・うん? これはデジャヴだな~、こういった光景、以前にも確かに何かで見たことがあるぞ~と思っていたが、ふと思い出した。スティーブン・スピルバーグ監督の大出世作となった映画「ジョーズ」(1975年)に出てくる、夏の海水浴場の観光だけを頼りにする田舎町アミティの市長である。この市長も、サメに襲われて死亡した被害者を、最初はボートのスクリューに巻き込まれたとか何とか言いくるめようとし、「そうとも考えられる」などと媚び諂(へつら)う曲学阿世の検死官も現われたりして調子に乗ってるのだが、巨大サメの襲来が重なり、次第に事実を認めざるを得なくなって、あわれよろよろノイローゼみたいになってしまい、主人公の警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)に怒鳴りつけられる。この辺の芝居と演出が、苦笑させられるとともにさすがに上手く、権力者の横暴と自滅に観客も溜飲を下げる仕組みになっている。・・・地味だがなかなかの名場面だったと思う。市長の苦悩も全く分からないではない。夏の書き入れ時にサメ騒動では、町中がおまんまの食い上げになる。だからといって、こういう時情報を秘匿隠蔽しようとするのは、明らかに古いタイプの対処法であり、明るみに出た時(バレた時)致命傷になり、場合によっては大騒動を引き起こす。・・・「雪印」、「不二家」、「ミートホープ」である。負の情報であればあるほど、早めにディスクローズ(開示)しなければならない、という現代政治・経済の危機管理の鉄則を、この映画は何気なく先取りしていた。それにしても、政治家というのは、大なり小なりこういうディレンマに直面して苦悩する場面があるのかも知れないね。政治家だけにはなるまじ、ですねとにかく、光市母子殺害の犯人にしても、話題になっている「足立・当て逃げ事件」の犯人にしても、反省ということをしない人が世の中にはいるからね、決して多数とは思わないけれども。必ずしも望ましい方法だとは思わないけれども、もうこうなったら吊るし上げて糾弾するより他にないんじゃないかね? と思っちゃうよ。さて、その「ジョーズ」は、7月5日(木)夜9時から、テレビ東京(TXN)系全国ネットで放映される。やっぱし夏は「ジョーズ」かな~。・・・昔なら、鶴屋南北「東海道四谷怪談」あたりが定番だったがいずれにしても、僕は裏番組の「菊次郎とさき」の第3シリーズの初回(同時間に、テレビ朝日系全国ネット)を見ますので、「ジョーズ」は見ません
2007.06.29
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勝手ながら、都合によりペースダウンしているこのブログですが、個人的な小さな出来事はいろいろと起こっています。きのうは父の日だったざんすか?そんな欧米な習慣は、僕の生まれ育った家では知られていなかっただす。結婚してからも、そんなの祝った覚えはないような・・・。昨夜うちへ帰ったら、妻からの贈り物があって、父の日のプレゼントだという。一瞬いやな予感を覚えつつ、「あれ、母の日ってのはいつだったっけ?」と念のため聞いたら、「そんなもん、こないだ終わっちまっただよ!!」と怒声を含んだ声で言われただよ~。すんまそん。中身は、地元のデパートで買ってきたベージュのネクタイと、ワイン、およびそのおつまみのイカの珍味ざんした。店員の女性たちと、あ~でもないこ~でもないと選び抜いたというだけあって、派手過ぎず地味過ぎず、実にセンスがよくて、もったいなくて使えない!(・・・それじゃ意味ないか)・・・なんか、突然慣れないことをされて、ちと面食らったけれども、もちろんすごくうれしかったざんすよ。ありがとう、・・・とここに書いても、僕がブログをやっていることは妻は知らないので、これまた意味がないかも。とりあえず昨晩、くどいぐらいに感謝しときましたよん。ところで、なんか梅雨とは思えぬ暑さのせいか、変な人が出没するらしい。また、車のタイヤをパンクさせられた!!!これで2度目であり、もはや立派な事件である。左サイドバーのキーワードサーチに「タイヤ パンク」のキーワードを入力してこのブログを検索したら、前回は5月12日であった。さすがスグレ物の検索機能ざんすね。今回は警察に被害届を出し、けさ1時間かけて現場検証も行われた。お忙しいところ、ご苦労様であった。鋭利な刃物、それもかなり特殊な刃物(彫刻刀のような?)でえぐられ穴が開けられており、明らかに悪質な犯意が感じられる。ただその他、ボディなどには一切傷はなかった。ちょうどそこに顔を見せたお隣さんと話していたら、お隣さんも先月やられたのだそうだ。僕も隣も、およそ恨みを買うような覚えはないし、犯行の状況・様態などからも、おそらく無差別的な悪質ないたずらであろう。たぶん常習犯っぽいから、そのうちヒョイっと捕まるのではないか。全く気分が悪いことである。
2007.06.18
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きのうの夕方5時前後、約1時間ぐらいにわたって、当地・栃木県宇都宮市ではバケツを引っくり返したような猛烈な雷雨に見舞われ、比較的排水のいい大通りを除きほかの道路は水浸し、一時はほとんど川になった。それもそのはずで、あとで聞いたら、気象庁のレーダー解析結果では、1時間に110mm(!!)という“記録的短時間大雨”が降ったそうで、NHKの全国のニュースでも上位項目で伝えられたのは、ニャンとも晴れがましいことであった(??)「雷都(らいと)」を標榜するわが宇都宮市民および栃木県民は、夏の激しい雷雨や落雷には馴れっこで、むしろこれが来ないと夏が来た気がしない。日本の猫は魚で育つ。・・・マルハペットフード。栃木の子供は、夕立に降られてずぶ濡れになって育つ。――♪雨に濡れながら~、僕らは大人になって行くよ~(山下達郎「さよなら夏の日」)・・・なのである。僕などは、東京に住んでいた若い頃は、夕立がほとんどなくてモワ~ッと蒸し暑いばかりの平板な夏にウンザリしたものだ。三人娘のうち次女は、一番おりこうさんなのだがいささか気が弱いのか、カミナリゴロゴロにおびえて顔面蒼白になっていたが、長女と三女は窓に張り付いて、「見て見て~!ピカピカ光ったよ~!」などと大喜びでハシャいでいた。僕が子供の頃には、近所の乾物屋さんのテレビアンテナに落雷があり、火事になったこともある。これはお気の毒であったが、この乾物屋さんはその後非常に繁盛して、地場産業の中企業にまでなったのだが、手を拡げすぎたのか、バブルの崩壊であえなく倒産してしまった。いずれにせよ、夏のカミナリさま(当地の方言では「雷様(らいさま)」)にビビっているようでは、栃木県には住めないと思うピカピカゴロゴロを楽しむぐらいじゃないと・・・とはいえ、やはりちと季節はずれではあった。まだ梅雨にも入ってないうちからこれでは、フェイントにも程があるよね。
2007.06.08
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全くの私事(わたくしごと)だが、昨夜、車のタイヤをパンクさせられた。けさ、車に乗ってみて、異常な振動と異音で初めて気がついた。慌てて点検すると、左後輪タイヤのどてっ腹に、明らかに人為的な穴が開けられていた。普通こんなところに単独の傷はつかないし、こすったりぶつけたりした覚えもないので、悪質ないたずらと見て間違いないと思う。まだ真新しい車である。実損としては大したことはないが、今、僕が非常に不愉快な気分であるのは言うまでもない!!もうかなり(20年ぐらい)前のことだが、やはり車のボンネットに硬貨で傷を付けられたこともあった。この犯人は後に見つかって逮捕され、栃木県警から連絡があったが、類似事件累犯・常習犯のタチの悪いホームレスであった。損害賠償能力もなく、板金塗装代は結局うやむやになってしまい、泣き寝入りであったと記憶している。数年前には、近所のレンタカー会社に駐車してあった社長さんのベンツ数台に放火されるという凶悪事件も起きている。こういうのに思いを至せば、まだパンクぐらいでよかったと言えるかも知れない。私の自宅は、繁華街からちょっと入った住宅地にあり、深夜までけっこう人通りが多い道沿いである。“花金”の夜である昨夜などは、ずいぶん遅くまで男女の酔っ払いが闊歩していた。まあ、こんなことをする奴は、たぶん“明るい酔っ払い”ではなく、もっと陰にこもったオタクなタイプだろうな、・・・分からんけどね。妻の車と父の車は、自宅ガレージの堅固なシャッターの奥に置いているが、僕の車は出し入れが面倒くさいということもあって、シャッター前の露天のスペース(つまり道沿い)に置いてあり、いたずらしようと思えば誰でも手が出せる場所にある。・・・といっても特に無用心というわけではなく、ご近所の皆さんもだいたい大同小異である。今後は毎朝毎晩、出し入れが面倒でも、シャッターの奥に“格納”しなくてはならないかも知れない。車ではないが、少し離れた住宅地では、女性への引ったくり事件も何件か起きている。小なりといえども、この世には“悪意”が存在することが、身を以って再確認できた。我々健全な市民は、ますますセキュリティを重視して、ハリネズミのようにヨロイをまとって、自分と家族の安全・財産を守ることに汲々としなければならない時代がやって来ている、と言うべきか。それは哀しいことではあるが、自由狼藉と犯罪者の人権ばかりが重視されるこのご時世では致し方ないんだろうか。教育基本法は改正された。その内容は、歴史や伝統文化とともに、社会秩序維持をより重視する方向を含んでいる。このことを大多数の国民は熱烈歓迎であり、評価し支持している。安倍首相の「美しい国」も、当然このコンテクスト(文脈)に位置付けられる。小人閑居して不善を為す(孔子「論語」)の類いの不逞(ふてい)の輩(やから)は、日本国から撲滅、一掃、デリート(削除)すべきである。男=生物としてのオスが持つ破壊衝動・本能は、光を背にして、闇に向けて、正義の名において防衛的に発動されるのでなければならない。その際、多少の過剰防衛、過剰制裁は容認される、というのが、僕固有の“暴力の発動論”である。・・・ヒジョ~に頭に来たので、最後はなんかワケの分からない、ラジカルな文章になってしまった!!! ゴメンチャイ
2007.05.12
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何だかんだと勝手なことをホザきつつ、累計40,000アクセスを超えました。日ごろのご愛顧に深く感謝申し上げます。なお、映えある(!?)40,000アクセス目は、常連読者でリンクもしている sh3042 さんでした~sh3042さんは、楽天ブログ あの三島由紀夫を知る文学ツーリング で健筆を揮っておられます。sh3042さん、いつもご訪問ありがとうございます。僕も20代から30代半ばぐらいまでは、オートバイを乗り回して日本各地を漂泊(さすら)っていましたので、ツーリングと日本の伝統文化を訪ねる旅への志向には、とっても共感しています。今後ともヨロピコ。400052007-05-11 08:36:07URUMSさん 400042007-05-11 08:03:25宮 寿陵さん 400032007-05-11 07:53:20124.37.*.* 400022007-05-11 07:38:04***.live.com 400012007-05-11 06:36:34220.194.*.* 400002007-05-11 06:29:05sh3042さん 399992007-05-11 06:18:17EZweb 399982007-05-11 06:17:30EZweb 399972007-05-11 06:15:04EZweb 399962007-05-11 05:56:03*.ocn.ne.jp
2007.05.11
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短歌結社に入会したのはいいのですが、同人誌「短歌人」の7月号の締め切り(5月12日必着)が迫っているのに、ロクなのが詠めず焦りまくっております、ざんす。締め切りに追われるなんて、ちょっとした流行作家の気分だね~ まあ、投稿しなければ掲載されないだけの話で、なんら世の中の大勢に影響はないのですが、そこはそれ、できれば一発決めてみたいと思うのが人情である。・・・そういう変な欲がいかんのだ、たぶん スランプなどという言葉は、それぞれの分野でそれなりの実績を持つ者に使う言葉であって、しろうとが言うのは十年早いのは重々承知しておりますが、それでもやっぱし、スランプだ~とつぶやきながら苦吟しております今日このごろざんす。
2007.05.01
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まれに見る暖冬が終わって春が来たと思ったら、なんか天候不順というか、そら寒い毎日が続いてますねえ。昨夜からけさにかけても、風も強くて当地ではかなり寒かった。この天候のせいか、はたまた子育てストレスのせいか、風邪をこじらせてしまい、数日前は朦朧としてましたが、今ようやく治りかけてきたところです。まだいささか節々が痛くて、本調子ではありません。この風邪、大はやりのようですので、みなさんもお気を付けください。 ところで、このたび結社「短歌人」というのに正式に入会する腹を固めまして、手続きをしているところです。 もともと、歌めいたものを詠んでいる以上、折があればどこかの結社に入りたいとはかねがね思ってたのですが、果たして僕の実力で通用するのか、どの結社がいいか、いつ入るかとか、迷っていました。入会すること自体は、所定の手続きをして会費を払えばいいので、「楽天会員」になるのと大して変わりなく、どうということはありませんが、何と言っても問題は“作品”です。同人誌の誌面をけがさずに足る作品を、僕は生み出せるのか???短歌の世界も、他の芸術分野と同様、現在ではなかなか難しいものになってきており、入るとなればそれなりの覚悟が必要ざんす。・・・が、ネット上で知り合ったたまにゃんさん(「コスモス」会員)の勧めもあり、背中を押された格好です。思い返せば、しろうとなりに詠み始めて8~9年になるし、何となく一生涯の趣味と思い定めていますので、ここいらでちゃんとした指導・鞭撻を受けるのもいいな~、その期も熟しているかも知れないな~と思いました。まあ、そう引っ込み思案橋で堅く考え過ぎずに、行動してみることも人生には必要だろう、とも思うし。 「短歌人」は、小池光氏(読売新聞歌壇選者)、蒔田さくら子氏、藤原龍一郎氏、佐藤りえ氏など、軽妙洒脱で自由自在な詠みっぷりで知られるモダーンな歌人が多くて、割と気楽でラフな歌風が身上のように見えるので、こりゃ~いいやと決断した次第です(・・・しろうとの浅ましさで、勝手なことをホザいております)。競争厳しく歌風も厳しい大結社「コスモス」(宮柊二、高野公彦氏など)や「かりん」(馬場あき子氏、米川千嘉子氏、坂井修一氏など)などとはだいぶ肌合いが違うようです。 伝統文化を踏まえた「かりん(歌林)」の方向性は好きなのですが、なにしろその歌風は、読めば読むほど息苦しいまでに完璧で、取り付く島がないぐらい厳しくて、しかも結果として歌としては至極地味なものが多く、こいつは僕にはとても無理と見切りをつけました。 そんなこんなで、今後拙作発表の場はまず同人誌を優先しますので、このブログでも折々載せていきますが、2次的な発表になりますことをご了承下さい。手始めに、「短歌人」7月号の締め切りは5月12日らしいので、5月8~9日までに10数首ひねり出そうとしてますが、肩に力が入りすぎてて、ダメかも知んないな~
2007.04.26
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物事は、案外しろうとの傍目八目(おかめはちもく)が正鵠を射ていることがままあると思う。「傍目」は「はため」とも読むが、同じような意味である。・・・と、車について書くときには、枕詞(まくらことば)のように付け加えることにしている。男はたいてい車には興味があり、一家言ある人も少なくないので、予防線を張っておくわけである さて、こうして見ると、フーガのデザインはやっぱしカッコイイ。特にリアフェイスのカッコ良さは、街で見かけたりすると、正直ジェラシーを掻き立てられるほどだ。サイドフェイスの悠揚迫らぬゆったり感も悪くない。これらは凡百の車に屹立する美がある。ただ、肝心のフロントフェイスがカッコ悪い どこと言って、言葉で説明するのは難しいが、なんか違う。ギンギラしすぎているのではないか。デリカシーが不足している。僕は今ミニバンのラフェスタを愛用し、内装がやや安っぽいとも思うが、まあまあ満足している。値段を見れば、コスト・パーフォーマンス(費用対効果)は上々だ。世界最大級のパノラマルーフ(サンルーフ)はほんとにスゴイと思う。妻はマーチ、父はセフィーロに乗っている。一家揃って、イチローと同様、強固な日産党だ。僕もだんだん齢を取ってきて、そのうちやっぱり落ち着いたセダンに乗りたいという気も、けっこうしている。しかし、いい年してレクサスでもないだろうという感じもする。・・・LSなんて、かっこ良すぎ~。僕なんかが乗ったら、完全に「車負け」して笑われるだろうなと思う。めるせです・べんつも同様だ。プレステージのS5000 Longなんかを見かけると、ついつい乗ってる人の顔を見てしまうが、大抵は虚勢とハッタリばかり強そうな、冴えないオッサンであることが多い。完全に車に「位負け」している。含み笑いが湧いてしまうのを禁じえない。むしろ、目ん玉つながりのCクラスあたりの中級車に乗ってる女性に、エレガントな人が多いように思うのは、私の偏見であろうか。ワゴンタイプのBクラスにも興味があるが、当地・宇都宮では、少なくとも僕はまだ見かけたことがない ・・・やっぱ田舎だわ。シーマのデザインも丸みがあって好きなのだが、さすがに貫禄がありすぎてジジむさいか。第一、値段が高すぎるし。勝手なことを、ちょっとホザいてみました なお、写真左下の濃緑の車は、クライスラーのグランド・ヴォイージュ(フランス語読みで「ヴォヤージュ」かも知れない、要は惑星探査船「ボイジャー」の最後のrがないだけ)。・・・これは、縦横ともビックリするほどバカでかい。日本の道では持て余しそう。
2007.04.24
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けさ、NHK教育テレビの看板番組「おかあさんといっしょ」で、名曲「白いいき(息)」が放送された。・・・とだけ言っても、説明しなければ、言っていることの僕なりの重大性(?)が分かっていただけないだろうが、実はこれ、「おかあさんといっしょ」で流される膨大な全楽曲中の、独断的マイ・ベスト・ソングなのだ。しかも、年に一度、この時期に突然オンエアされるだけなのだ。これは朝な朝な(あさなさな)、幼い子供たちと一緒に、この番組をいつ果てるともなく見つづけて3年になるので判ったことである。現職「うたのおねえさん」のはいだしょうこが先日読売新聞のインタビューに答えていたが、すぐにも歌えるレパートリーは2000曲(!)あるそうだ。渋谷で流しをしていた売り出し前の北島三郎とか、演歌歌手もかくやと思わせる数字だが、一方聴いている側も、こう毎日毎日繰り返し聴いていれば、かなりのレパートリーを持つに至っている(しかも、ウチの場合タイマーで自動録画しているので、さらに一日何度も聴くことになる)。僕でさえ、1000曲ぐらいはだいたい諳(そら)んじているような気がする、いやホント。話はそれるが、宝塚女役出身の美人おねえさん・はいだしょうこさんの「しょう」の字は「幸せの意味なのよ」と、番組の中で子供たちに言っていたので、「祥子」に間違いないだろう。・・・するってえと、本名は「灰田祥子」さんかな?(未確認)もっとも、この字は最近、「不祥事」という言葉で使われることが多く、残念ざんすな。話がそれたが、そんな膨大な楽曲群の中で、僕のベストワンはこの「白いいき」であると、躊躇いなく言える。・・・まあ、僕の独断と偏見ですから、どう思われるかは人それぞれでしょうけどね。メロディラインの美しさはもちろん、ハープシコード(チェンバロ)風の音色のおそらくシンセサイザーであろうか、伴奏の対位法的というか、装飾的なアルペジオのうつろいが、冬らしくパセティック(悲壮)な感じもわずかに感じさせつつ、ニャンとも耳に心地いい。これは僕がバッハ狂なので、こういう対位法的なサウンドに特に耳が向くのかも知れないが。イントロダクションも含め、華麗にして端正な佳品だと思う。朝のオンエアは茶の間のビデオで自動録画したが、これは女房に宮崎駿アニメやアンパンマンなどでいつ消されてしまうか分からないので、自分のビデオデッキで、間違いなく午後4:20からの再放送をエアチェック(録画)できるように設定したところだ。子供に聴かせるだけではもったいない出来ざんす。
2007.02.05
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ジャズの街・宇都宮へようこそ!・・・なんて、僕が言う筋合いでもありませんが 。わが栃木・宇都宮の街は、戦前は「軍都」として知られ、そのため戦争中はボーイング29型戦闘機(B29)による焼夷弾の大空襲を受けて焼け野原の灰燼に帰したが、戦後はその軍隊駐屯地跡にアメリカ軍を主体とする「進駐軍」が駐留したので、彼らを相手に腕に覚えのジャズマンが輩出し、いわば「内陸の横須賀」的な側面もあるのです。(・・・やたら漢字の多い文章だ。ツカミはNGだね)今でもジャズ奏者・愛好家は多く、“JAZZの街・宇都宮”と称しているのは、決して誇大広告ではありませぬ。そういった中、同級生・亀和田君が一流のジャズマンになっている(前掲記事)と聞いてうらやましく思う。公務員って時間があって、いいないいな~。 それはともかく、僕も子供が出来るまでは、ずいぶんいろんなジャズ・スポットに聴きに行ったよ。長い独身時代はもちろん、結婚前後にもカミさんとけっこう行った。最近は子育てで行けないのが本当に寂しい。ジャズスポットはもとより、本当にどこにも行けない状態がもう3年ざんす。達磨面壁、石の上にも三年。桃栗三年柿八年。 ・・・この悔しさをバネに(?)、そのうち、子供を連れて毎週末にジャズサロンに入り浸り、ということもありうる(笑)。 ジャズにハマるというのは、趣味としてけっこう高尚・上等な方だと思うね。僕の見るところ、何となく「禅の修業、三昧境」みたいな求道(ぐどう)的な感じも漂ってて、大人の男の嗜みって感じ。・・・シブイざんすね。 ロックもいいけど、“ズージャ”もね。 別の親友Kと、宇都宮駅前の「マニア」という店で、一夜ライブ演奏に酔いしれたこともある。あまりにも楽しくてベロンベロンに酔っ払ってしまいはしゃぎ過ぎて、以来彼とは疎遠になっている、・・・とはもちろん冗談だが。 ここは、ナベサダこと渡辺貞夫を育て、宇都宮ジャズの大パトロンで知られる「富貴堂」という老舗パン屋のご主人が、その倉庫の一角で道楽でやってたような店で、電話帳にも地元ミニコミ誌にもウェブ上にも出ておらず、ほんとにマニアしか知らないような店だったが、この間通りかかったら閉鎖されていた。すごく寂しく思った。 まあ、今はいたるところにいろんな新しいライブスペースがあるから、1960年代(ふ、古い!)の「新宿ジャズ喫茶」そのまんま東みたいな薄汚い店は、時代遅れになってしまったのだろう。汚いなりに、いい雰囲気(アトモスフィア)の店だったんだけどね。ここに一筆記録しておく。安らかに眠れ。合掌。 それにつけても、本当にジャズはいいと思う。亀和田君が言っているらしいが、演奏する側から言えば「アート・芸術」なんだろうし、聴く側からすると、非常にくつろげる、ヒーリング(癒し)って感じで、酒呑みながらゆったりリラックスして浅く大まかに聴いてもいいし、眉間に皺を寄せてグルーヴィー感を深刻に細心に吟味してもいいし、めいめいの聴き方それぞれを包み込む懐の深さがあるね。いい演奏に接すると、このまま時間が止まって、永遠に終わらないでほしいと思ったりする。 ただ、亀和田君にはまことに悪いのだが、僕は個人的にどうも管楽器のラッパ(ブラス、ホーン)系の音がダメで、うるさく感じてしまう。各種サクソフォーンも例外ではない。これは、かのモーツァルトもそうだったらしい。代表的な作品ではあまりラッパを使っておらず、歌劇などでたまに使うときは、「魔王」だとか、邪悪なものを象徴させることが多かった。やはり繊細な感覚を持つものには、神経を逆なでされるような心地がするのだろう。 ただし、マイルス・デイヴィスのトランペットだけは例外。別格官幣大社。
2007.01.22
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高校の同級生で、ジャズ・ミュージシャン(アルトサックス・プレイヤー)として活躍する亀和田国彦君が、昨1月19日(金)付の地元紙・下野新聞に紹介されました。・・・あっ、なにげに齢がバレたか。ジャズのアルトサックス吹きといえば、宇都宮出身の“世界のナベサダ”こと渡辺貞夫を彷彿とさせますが、やはり、というべきか、彼はお仲間やファンの間では“カメサダ”の愛称で通っているようです。ちなみに彼の本職は、なんと博士号を持つ研究者で公務員。亀和田くん、カッコ良すぎ~。でも、彼ほど本格的でなくても、めいめい趣味はぜひ持った方がいいと思うね。亀和田国彦ホームページへは、click here.プロフィールは英文(!)で書かれていますが、その他は日本語ですから、たじろがないように。
2007.01.20
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恒例の初市(ダルマ市)が、本日11日、旧・奥州街道の上河原通りで開かれています。この市は、遅くとも江戸時代初期には時の藩から許可されていたことが文献上確認されています。9日は群馬・前橋、きのう10日は隣町の鹿沼、きょうは当地・宇都宮と、旅から旅への香具師(やし)のみなさんも大変です。夜店の屋台がずらりと並ぶと、わけもなくワクワクしてしまうのは、子供の頃からの刷り込み現象(インプリンティング)でしょうかね?
2007.01.11
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なんかアタマん中が依然として松の内モードというか、正月ボケのアッパラパーで、書くことが思いつかない。アタマをひねればいろいろと話題はあるのだろうが、文章にするのが面倒だ。なお、ウチの幼い娘たちは“アタマ”という言葉と、大好きな“アンパンマン”を、完全に混同、というか同一視してます。まあ、アンパンマンのアタマはアンパンで、かわいそうな人に食べさせたり水に濡れたりするとすぐパン屋のおじさんが新しいのを焼き上げてくれて、取り替え可能な便利なツールですから、ある意味、合っていると言えなくもない。・・・なんという的確な連想能力の、お利口ちゃんな我が子たちなんだろう。英訳:What clever and pretty girls my daughters are!おとといきのうあたりは酒の呑み過ぎですっかり腹具合がおかしくなったが、静かに沈思黙考、自分の体に相談したところ、野菜・食物繊維不足だというご託宣が降りてきた、というか、実は単純な話で、無性に野菜ジュースが飲みたくてたまらず、カゴメ野菜ジュース食塩無添加をボトル半分もがぶ飲みして寝たところ、一発で直った。けさは嘘のように爽やかな気分である。たいしたたまげた。恐るべし、野菜ジュース。身内にも、野菜を食わないとガンになるぞとか脅かして無理にでも摂らせている。さて、とりあえずお節料理について書きますが、僕はこれ、目がないんですよ。普段の食事から見れば非常に高価な、何万円もするシロモノなのに、大好きという人はほとんどお目にかかったことがない。これ、非常にもったいない話だと思う。なんかあの「まめに働くから豆」だとか、縁起担ぎの語呂合わせ(駄洒落)みたいのは辛気臭くて説教くさくて食傷気味だが、なにしろ味が純粋に美味いと思う。実は、嫌う人の気分も分からないでもないのだ。僕も子供のころは大嫌いだった。あんなしょっぱくて味気のない加工食品みたいのばっかりで、なんで大人はあんなのを後生有難がるんだろうと思っていた一人だ。特に数の子は嫌だった。蒲鉾もゴムを噛んでるみたいだし、栗金団もやたらに甘いばかりで、チョコレートやケーキが漂わせるデリカシーが全く感じられない代物だった。昔は甘味が貴重だったせいか、この種のものはやたらと甘くてね。関東・江戸前の伝統というか土地柄というか、これでもかというほどクドイ甘さだった。当時の子供が言うんだから間違いない。近頃では、もの皆減塩・甘さひかえめ、関西風になってきており、基本的にはいい傾向だと思うよ。ただし、except蕎麦で、日本そばのつゆに限っては、“減塩”なんてタワケたことを言わないでほしい。最近では、伝統の「藪」系そば屋でも「減塩を心がけています」なんて張り紙が店内に張ってあったりする。・・・おそば屋さんは、そんなこと心がけないでいいの!大奥御用達・更科系の甘口・上品な店はともかく、やぶ系のそばつゆは、辛くてそばを全部つけられないぐらいでいいの!!それが江戸の美学なの!全国そば屋の手本、浅草雷門南の名店・並木藪そばのしょっぱい超辛口を見習ってほしい。おせちに話を戻せば、チョロギだの田作りだのナマスに至っては、普段見慣れないこともあり、ちょっと人間の食い物とは思えなかった、といっては大げさか。ただし、除くexcept伊達巻、だけは別。これだけは子供のころから好きだった。最近では、より上品な、京風端麗薄味繊細な味付けの「錦玉子」が my favorite である。ところがどっこい、大人になるとそういったものが実に旨いんだな~。やっぱし酒の味を覚え、人生の滋味・苦味を知り、恋の味を知り(それは関係ないか)、三十路坂越えぐらいになってくると、自然とこうしたものが美味くなってくるから不思議だよ。ちなみに筆者はとうに四十路坂を越え、ますますご満悦。それは葱とか、茗荷とか、根生姜とか、ピーマンとか、子供の頃はゲゲ~であったものの美味しさが分かってくるのと軌を一にしている。・・・加えてウチなんか、夫婦そろって芹科植物(せり、セロリ、ニンジン、ミツバ)が大好きだから、蓼食う虫も好き好きですわ、いやホント。まあ、要するに、上等な酒のつまみが揃っている、ってことだけど。また、日本酒はもちろん、麦酒、ウヰスキイ、白葡萄酒(ヴァン・ブラン)、焼酎などなど、(たぶん赤ワインを除く)どの酒にも合うざんすよ。カレーもいいけど、おせちもね♥・・・ざんす。ちなみに、衒学癖(ペダントリー)というか瑣末主義(トリヴィアリズム)の虫がウズウズしてしまうので、嫌われるのを承知で書くが、言葉のマニアとして一言知ったかぶりをすると、「しょっぱい」と「塩」は語源的に無関係である。従って、「塩っぱい」と書くのは誤りである。これは、上古語の「しは(しわ、唇)」と「はゆし(刺激される感じだ)」が合わさったものである。「はゆし(はゆい)」は、「面映い(照れくさい)」とか「眩(まばゆ)い(まぶしい)」とか「こそばゆい」とか、いろいろな単語の造語成分になってるざんす。
2007.01.04
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あけましておめでとうございます旧年中はひとかたならぬご厚誼を賜り、誠にありがとうございました。本年も旧年に倍し何卒よろしくお願い申し上げます。・・・な~んて、ちょっと古めかしい言葉遣いですが、昔の年賀状には、よくこういう堅苦しい文言が書いてありました。僕も、このぐらいのこと言わないと挨拶した気がしない。僕の世代(40代末)ですら浮いてます。これだから、友人には“昭和生まれの明治男”なんて言われちゃうんだよね。・・・でも、こう見えて空気は読める男なんですよ(何の話してるんだか)。さて、お正月も普段と変わらず、2歳9ヶ月になった三つ子三人娘たちの子育て三昧、というか、いつもよりむしろ大変でした。メチャンコ可愛いけど、疲れた~。でもスキンシップはたっぷりと出来ました。女の子と父親の関係って、ちょっと恋愛感情のヒナ型というか萌芽というか、そんな感じが漂ってまして、世上言われる「女性の“男運”は父親で決まる」というのは本当だな~、なんて思っちゃって、ある意味、そら恐ろしい感じもするざんすよ。――お屠蘇気分で、余計なことまで書いてしまいました。
2007.01.03
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年賀状のプリントも終わり、今宛名書きもやっと完了。発送した。宛名印刷も自動化しようと思えばできるのだろうが、このくらいはやっぱり“肉筆”(ボールペンだけど)で、と思い、シコシコ書くことにした。高校同窓会の幹事なんか仰せつかってるので、けっこう枚数も多く、腕が疲れました。・・・というより、ワープロのけっこう初期から使い始め、その後パソコンの時代になってもキーボードを打つという動作は変わらず、そんなこんなで、かれこれ20年ぐらいになるだろうか。これにすっかり馴れて(というか、悪い意味の「狎れ」の字だろうか)しまっているので、昨今では文字を書くという動作をほとんどしなくなってしまっている。字を書くことって、たまに手帳にchocoっと書き込むぐらいしか思い浮かばない。年年歳歳どんどん字が下手になっていくのが、一目瞭然、冷厳かつ如実なる事実である。たまにこういうフォーマルなよそ行きな、ちゃんとした字を書こうとすると、力が入り過ぎて手が震えるような感じさえする(そんなに緊張しなくてもいいと思うが)。これで字がまるっきり下手なら緊張しないのかもしれないが、実は子供の頃書道を習わされていたこともあって、中途半端に上手いのがまずいのかも知れない。気合を入れて書くと、けっこう上手いとよく誉められるので、ますます気合が入ってしまう、という悪循環の悲喜劇だ。ま、そんなことはどうでもいいといえばどうでもいいのだが、なるほど年に一度の面倒な作業は、やり終えてみると、忘れかけた友情(&愛情?)を思い出したりなんかして、とっても楽しいひと時でした。話は変わるが、今夜、いきなり「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督、真田広之・宮沢りえ主演)が日本テレビ系全国ネットでオンエアされる。現在大ヒット中の木村拓哉主演「武士の一分」の原点となった山田監督初の時代劇作品である。“和の心”に興味のある方には絶対のおすすめだ。(余談ですが「兵衛」は「ひょうえ」と入力すると、一発変換されます。)山田洋次監督が巧者であることはとっくの昔から合点承知の助であったが、初めての時代劇でここまでやるとは思わなかったというのが、世間大方の見方であったろう。地味で、暗くて、貧乏くさくて、みじめったらしくて、リアルで、つらい話である。“いかにもいかにも”な日本映画である。だが、その暗い暗いシチュエーションの中に、眩(まば)ゆくはないが、仄(ほの)かに、しかし確乎とした光芒を放つ凛とした魂の佇(たたずま)いがあり、深く静かに清らかに胸を打つドラマがあり、ラストシーンでは、一種の救いさえ暗示される。それは、家族、娘の成長という救いである。真田広之が、立ち居振舞いから、難しい岩手なまりのセリフ回しまで見事に演じきったこの一人の父親の懸命に生きる姿は、ラストワンシーンにだけ姿を現わす岸恵子の、成長した娘=明治の女性の心の中に、くっきりと永遠に刻み込まれているのだった。なるほど、日本人の多くにとって、救いとはこういう形で降臨するのではないかと、感じ入ってしまう。できれば部屋の照明を落として見てほしい。映画館では、感動のあまり、しばらくの間席を立てなかったよ。
2006.12.22
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晴れて空気の澄んだ夜に南の空を眺めると、三ツ星も鮮やかに、オリオン座が美しくきらめく季節になった。これは古代ギリシャでは勇者神オリオンの筋骨隆々の体躯にきりりと締められたベルト Orion’s Beltに見立てられた。一方こなたでは図案化されて毛利家の家紋になり、“三本の矢”で知られる毛利元就の「三子教訓状」の喩えの元にもなったと見られている。その右上(西)には、羽子板星ともいわれる昴(すばる)・プレヤデス星団もほのめいている。寒いながらも、凛として見事な風情である。 ・・・ところで、そのオリオン座の左下(南東側)の地平線すれすれにりゅうこつ(竜骨)座があることを知っているなら、相当な天文ファンであろう。主星(α星)カノープスはシリウスの-1.5等についで全天で2番目に明るい-0.7等星である。覚えにくい場合は“叶ブス”と覚えるといいかも知れない。・・・別段、他意はありません。ただ、この明るさは、低緯度の地域や南半球で見る場合の話で、日本で見る場合は、夕焼けの原理と同じで、短波長(青・紫)が大気に吸収され赤みを帯びるとともにせいぜい1等星ぐらいに暗くなってしまう。ほぼ真南に向かって見晴らしが地平線・水平線が見えるほどにいい場所で、12月から3月ぐらいの適切な時間に、わずか1時間ぐらい、やっと拝めるシロモノである。12月ごろに深夜見えはじめ、地球の公転に伴ってしだいに出るのが早くなってくる。3月だと9時ごろだという。その辺については、こちらやこちら、または文房具屋・本屋さんで売っている星座早見表をどうぞ。南側が東京湾である東京は、これを見るのに、意外な穴場であるともいわれている。これを沖縄・奄美地方を除き、日本本土でヤマトンチュ(本土人)が見るのは、なかなか至難の技であり、カノープスを見た、まして写真に撮ったと言えば、知識のある人にはかなりの自慢ができる。何よりも耳よりなのは、これを見れば寿命が延びると言われていることである。すばらしいおまじないである。ただ、本気で見ようという場合は、おそらくほとんどの方が、どこか見晴らしのいい(風通しのいい)高台まで車で行くことになるだろう。寒い季節の夜であるから、防寒をしっかりしないと、寿命は延びても風邪を引くことになりかねないので、要注意。七福神の一柱・寿老人(じゅろうじん・ことぶきろうじん)は、中国古代の道教思想で、この星を神格化したものだという。こりゃ~縁起がいい話だわい。なお、この文脈でついでに言うと、“天帝”は、むろん“(北極星を背にして)天子は南面す”という通り北極星であり、その周辺が紫微(北辰)である。北京の紫禁城はこれを象徴したものであるし、我が国の“天皇”思想がその影響下にあることも言うまでもない(上山春平「天皇の起源」など)。
2006.12.13
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何やら意図不明のワケの分からない文章になってしまいましたが、一種の文人墨客趣味の俳文(???)としてご笑納下さいませ。書くテーマはいくらでも思い浮かび、“浜の真砂は尽きるとも、世にブロガーのネタは尽きまじ”なのだが、じっくりと委曲を尽くして書く時間がない。・・・中年男の哀しき運命(さだめ)である。さて、日本人にとって8月は、盂蘭盆会(盆)、終戦記念日と、死(というか、死者とその霊魂)というものの存在を否応なく意識させられる時期であるが、12月っていうのも、けっこうそんな感じのする月ではないだろうか。さらに言うと、“死と再生”みたいなことまで感じさせるのは、僕が12月生まれであることによるセンティメンタリズムと牽強付会も、ちょっと入っているかも知れないが。5日は、モーツァルトの命日だそうだ。8日は、あの真珠湾(パール・ハーバー)攻撃でお馴染みの“昭和戦争(読売新聞正式呼称)”開戦記念日であると同時に、ジョン・レノンが凶弾に倒れた命日でもある(ニューヨーク現地時間)。僕はあの時、東京に住んでいた。1980年12月9日(日本時間)の夕刻、渋谷駅山手線プラットフォームの新聞スタンドの吊しの見出しでジョン・レノン暗殺を知った。目の前が暗くなり、足元がふらついた。すぐに大塚のアパートに帰って夜10時のNHKラジオのニュースを聞いた。その頃僕はテレビを持ってなかった。子供のころ教育テレビで親しんだ「みんなの科学」の司会者で、定年間際の川上裕之アナウンサーが、3番目の項目でこのニュースを読んだ。そのニュースは、丸ごとカセットテープに録音した。今も物置の隅にあると思う。――僕の青春は、ちょっと早いが、これで前倒しで終わったと思った。・・・というか、そのように自己規定した。14日は、赤穂浪士の元禄快挙・忠臣蔵の日である。実際は旧暦だから今の1月に当たるというが、気分はやっぱり歳末の風物詩であろう。親父・勘三郎の至芸であった高師直(こうのもろなお、歌舞伎での吉良上野介)を、これから新・勘三郎がどう演じていくのか、興味津々でござる。月末になると冬至があり、クリスマスがある。これが、元をただせば同じ起源であることを知っている方は多いだろう。素朴実在論的な天動説を信じていた昔の人々は、冬至に太陽の光が最も弱まり、すなわち太陽が「一度死に」そして甦ると信じていた。まさに死と再生の信仰である。(むろん、現在の科学的エピステーメからいえばこれは誤謬であり、地球の公転運動により、全ての古代文明が発生した中緯度地域で単に日光の照射角が一番低くなるに過ぎず、南半球では夏になる。また、近日点は1月初めであるから、むしろ光はもっとも強い時期に当たり、7月初めの遠日点に比べ3.3%距離が近づく、すなわち見かけの差し渡しが大きくなるというから、かなりのものともいえる。)イギリス南部コーンウォル地方のグラストンベリの丘では、ヨーロッパ原住民というべきケルト族(現在ではアイルランドのエール民族や、フランス・スペイン国境の辺境に居住)の「ドゥルイド教」による冬至の祭りが盛大に行われる。これをNHKのドキュメンタリーなどで見たことがあるが、非常に素朴で美しい祭りである。この近くに、元祖ウスターソースの「リー&ペリンズ」で有名なウスターという街がある。綴りはWorcester、マンチェスターとかランカスターみたいなスペルだが、これでウスターと読む。いずれも「砦」の意味を語源にしている。古代ローマ人(ラテン族)の征服の名残である。子育て一段落後になるだろうから、いったいいつの日になるのか今のところ見当も付かないが、ぜひ一度、世界で一番行ってみたい場所の一つである。この点は、妻とも意見が一致している。ドゥルイド教は、ジョン・レノンの名曲「マインド・ゲームス」の歌詞に、重い意味付けで出てくる。また英語で苗字(ラスト・ネーム)にMc.,Mac.がつくのはアイリッシュの証であり、北欧系の-son,-sen,スラブ(ロシア)系の-スキーなどと同様、息子・子孫の意味である。マッカーサー(ケルト族伝説の王“アーサーの息子”の意味)、マクドナルド(“ドナルドの息子”の意)、マッカートニー、マッキントッシュさんなど、いずれもそうである。またオブライエン、オサリバンなどの「オ O’」も、ゲール語起源の「子孫」の意味。なお、アップル・コンピュータのマッキントッシュMacIntoshは、アイルランド移民のジョン・マッキントッシュJohn McIntoshが、1796年に初めて栽培に成功した林檎の品種にちなむ(日本語名「旭」)。アイルランドのアイリッシュ系とスコットランドのスコット族(ケルト族)あわせてゲール族Gaelともいうが、イギリス本国では、古くは「ブリタニア」としてラテン族の古代ローマ帝国の支配を受け、さらにゲルマン系のアングル族(「アングロサクソン白人 WASP」は現在でも欧米の主流民族)のイングランドに征服された被差別民族であった。アメリカに渡って成功した者が多い。ケネディ家なども、元をただせばそうした一族の子孫である。また、現在も火種が残る長年に渡る武力闘争を経て、アイルランド(エール)が独立したのはそれほど昔のことではない。「邪魔者は殺(け)せ」という歴史的名画もあった。強烈な印象を与えた主人公の闘士役、ジェイムズ・メイソンは、手塚治虫の漫画によく引用されていた。その後も続いた北アイルランド独立を目指す過激な爆弾闘争は、われわれの世代の記憶には新しい。ポール・マッカートニーの「アイルランドに平和を」は、イギリスBBCの永久放送禁止ソングである。日本で言えば、アイヌ民族(「縄文人」の末裔)が、日本民族(「弥生人」が主体)に抗(あらが)って北海道の独立を目指すようなものか。事実、新左翼過激派の中には、本気でそれを目指した勢力もあったから、シャレにならないが。まさにアイリッシュな名を冠したポール・マッカトニーもジョン・レノンも、アイルランド(ケルト)系の血が入っており、ビートルズ・サウンドにおけるケルト民族的DNAも指摘されて久しい。彼らのデビュー曲にして大ヒット作「ラブ・ミー・ドゥ」にアイリッシュの民族音楽の響きを聴いて取ることはたやすい。当時、世界を震撼させたこのデビュー曲は、最近ようやくメージャーなものとなったアイリッシュ・ダンスの、軽快にしてどこか物悲しい旋律とリズムそのものだといっても言い過ぎではないだろう。こうしたヨーロッパ土着の原住民ともいうべき人々の祭りが、最大・最強の先進国であった古代ローマ帝国のキリスト教に摂取され習合したのが、イエス・キリスト降誕祭(クリスマス)である。聖書のどこを読んでも、聖母マーリャ(マリア)がその子イエズス(イエス)を生んだのが12月25日、あるいはその前後であったとする記述はない。そして、なんといっても木枯らしの吹くこの季節。漢語・極月は極まった季節を意味する。やまとことば「しわす(しはす)」も、忙しくて先生までが走るから「師走」だというのは、「端を楽にするから“はたらく”だ」などと同類の俗諺俗解の類いであり、実際の語源は「為果つ(しはつ)」の転訛であるという説が有力だ。正月に飲むお屠蘇、この字づらも、改めて眺めてみると凄いよね。「屠」は「屠殺」の「屠」。「ほふる」と読む。死んで葬り、「蘇(よみがえ)る」。これは黄泉(よみ)の国(あの世)から帰ってくることである。一度死んで復活するという人間の根源的な願いが表現されている。ところで、現在の元日、すなわち1月1日がこの位置にあるのはなぜだろうか?古代ローマでは、元日は現在の3月1日であった。この残滓によって、現在のヨーロッパ諸語では、9月がSeptembre(7の月)、10月がOctobre(8の月)、以下同様、のごとく意味的にはおかしなことになっている。いつのまにか、現在の元日が、元日になっていた。これにはやはり死と再生、すなわち冬至にからむ信仰がその背景にあるのではなかろうか?この辺は、僕は調べる能力も時間も情熱もないので、どなたか調べられたら、教えてください。よろしくお願いします。閑話休題、実を言うと、つい4~5日前までベランダで元気にしていた蜘蛛5~6匹が、このところの寒さで、一斉に姿を消してしまった。蜘蛛の生態には詳しくないので、死んでしまったのか冬眠してしまったのか知らないが、どうも死んでしまったって感じだな~。トーマス・マン「ヴェニスに死す」になぞらえれば、「ヴェランダに死す」である(“ヴェ”しか合ってないざんすが)。今年最初に見たのは3月だったか4月だったか、いずれにせよ8~9ヶ月の間、典型的な蛍族である僕はタバコを吸いにベランダに出るたびに、今日は元気かなとか、おや、また大きくなったようだとか見つめてきただけに、すっかり情が移り、このところの朝晩の寒さを心配していたが、とうとう運命の別れの時は来てしまった。僕も妻も、蜘蛛が大好きで、可愛いと思っている(変な夫婦だ~)。毎年、ベランダの天井近くに巣食った蜘蛛たちを、愛情を持ってそっと見守っている。餌こそやらないが、飼っているといってもいい。蜘蛛ってのは、近くでマジマジと見つめると確かにグロテスクな生き物だが、きれいな幾何学的模様の蜘蛛の巣(英語:ウェブ)のネットを張ってじっと餌になる昆虫を待っているところなどは、たまらなく健気である。蜘蛛は、厳密にいえば昆虫ではないが、便宜上益虫か害虫かに分ければ、間違いなく益虫である。 フランスのワイナリー(ワイン工場)では、虫の害を防ぐために、盛大に蜘蛛を飼い、蜘蛛の巣だらけにしているという。その点では、バラなどを荒らすアリマキ(アブラムシ)を食べるテントウムシと同じようなものである。ちなみに、天道虫の語源は、上へ上へと行く習性によるものだというが、ヨーロッパ諸語でも「聖母マリアの虫 ladybug」である。これほど美しくて可愛い生物もめったにいないだろう。蜘蛛たちのいなくなった殺風景なベランダの光景に、物悲しさを感じずにはいられない。蜘蛛、鼠、蛇など、一般に忌み嫌われている生き物が、反面、縁起がいいとされているのも事実である。一種の呪術信仰に基づくものと言われる。嫌われるものというのはパワーがあるという昔の人の見立てである。七福神の大黒様はネズミがお友達。ヘビ革の財布は金が溜まるというし、蜘蛛も何か縁起がいいとされていることも聞いたことがある。・・・というワケで、相変わらず竜頭蛇尾、かつまとまりのない文章でした。多少、修正する可能性あり。
2006.12.07
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どうも皆様、“小ぶさた”してます。マニアック&ローカルな話題です。きのうの夕方、何気なくRADIO BERRY(レディオ・ベリー、FM栃木)の「ベリー・ポップクラブ」(毎週日曜日午後6時OA)を聴いてたら、な、なんと My Little Lover の AKKOが出てきて、ニューアルバムの曲紹介をかねて30分間しゃべりっぱなし!ビックラこいたじょ~。来週も、この後編が放送される。他の地域の皆様には無縁な話題で、ゴメンチャイ。FM栃木はけっこうガンバってて、いいセンいってるんですよ~。番組によっては、TOKYO-FMやシブヤ系DJにも負けてないぐらい。それにしても、栃木県民がAKKOさまを独り占めしちゃっていいのだろうか???AKKOも、ローカルFM局ってことでリラックス(油断?)しまくり、伸び伸びとしゃべりまくり、ニューヨークでの生活や、そこで遭遇してしまった9.11グラウンド・ゼロの悲劇や、ブッシュ政権のイラク政策の問題やら、世界平和のための「apバンク」(左サイドバーからリンクしてます)の活動などハイブラウなコスモポリタン奥様系のセレブな話題に加え、僕らファンたちが、「そこんとこ、ど~なの?」と思っている、天才的音楽プロデューサーである旦那・小林武史とのビミョ~な二人三脚の夫婦関係についても、赤裸々に、とまではいかなかったが、言葉の端々ににじみ出て、メチャンコ面白かった。FM栃木じゃ、たぶん旦那は聴いてないし。今回のアルバム・シングル発表についても、しばらく出産・子育てで身動きが取れずウズウズしていたAKKOが、旦那小林に「そろそろお仕事を再開したいんだけど、ど~かしら?」と、土佐の平定を山内一豊に催促する徳川家康のごとくに迫ったところ、ミスチルやレミオロメンやSalyuや綾瀬はるかなどにかまける旦那小林は、「今、仕事を抱えすぎて一杯一杯なんで、君、独りでやったらどうかな?」と、やんわりと断わられたのだそうで、その結果、ほとんど一人でやりました。・・・と、率直な告白には、聴いているほうも茫然自失になるほど面白かった。けっこうヤバイ発言をクールかつ堂々としゃべれるAKKOと旦那は、案外うまくいってるのかも知れないが、この共稼ぎ夫婦の未来は、いったいどうなるのであろうか。
2006.12.04
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リピーターの皆様、いつもご愛読ありがとうございます。本当に感謝しております。気がついたら師走12月になっていました。月日の経つのは早いものですね。さて、ワタクシ年末の書き入れ時を迎えて、ここいらで商売(本業)の方に精を出したくなりました。♪仕事にも精が出る 金曜の午後(宇多田ヒカル;traveling)また、仕事(小売業)の方で、「楽天市場」への加盟を真剣に検討中で、これを本気で立ち上げるとなると、手続きもコンテンツ作りもなかなか大変なようです。正直、個人の趣味ブログどころではないという感じもしています。そんなワケで、当分休眠ブログに近くなるかもしれませんので、あしからずご了承くださいね。
2006.12.01
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NHK「おかあさんといっしょ」(教育テレビ;午前8:35~、午後4:20~)の「今月の歌」に、きたやまおさむ作詞、加藤和彦作曲の(たぶん)新作「ありがとう お母さん」が登場して数日経った。彼らの新譜を聴くのは、本当に久しぶりだよおっかさんである。一聴して、名曲だと思う。お父さんは感激である。朝の子供たちの世話は僕の担当なのだが、楽しみが増えた。さすがというべき作詞者・作曲者は1960年代末に一世を風靡したあの伝説のグループ、フォーク・クルセイダーズ(フォークル、正式表記は「フォーク・クルセダース」)の名コンビである。加藤和彦のメロディ・アレンジは、定石ながら、閉所恐怖症のない伸びやかなメロディーと、夢見るような感じの山下達郎・高中正義系ポップチューンのノリで酔わせてくれる。きたやまおさむの詞は、豪速球の直球ど真ん中ストレートな愛の吐露であり、子供からお母さんへのラヴソングといったテクスチャー(肌触り)が、凡百の幼児向けソングに屹立する“胸キュン度”で、一聴に値する出来になっている。「あなたなしでは生きてゆけない。 I can’t live without you.」なんていう恋愛の常套句は、なるほど、実は母と子の関係にこそふさわしい言葉だと気付かせてくれる歌詞である。目からウロコです。タカラジェンヌ出身の“うたのおねえさん”はいだしょうこと、劇団四季のミュージカル俳優出身の“うたのおにいさん”今井ゆうぞうの歌唱も、優等生的ではあるが、もちろん完璧。・・・ただ、これを加藤和彦の、あの独特のエロキューションのヴォーカルで聴いてみたいと思うのは、僕だけではないだろう。なお、幼い子供たちは、必ずしもこの曲を喜んでいない。むしろ、嫌がり、やや怯えてさえいる(笑)。実は、子育てをしているとこういうことはしばしばある。僕ら大人が聴いていいなと思う曲には、一定の緊張感・緊迫感、研ぎ澄まされた美しさがあり、それが幼児の耳で聴くとコワイらしいのだ。この曲も、おにいさんおねえさんがいつになく緊張の面持ちで歌っており、それが伝わったようだ。ある意味では、子供たちの耳がいい証拠といえるかもしれない。一般的に、教育的配慮の行き届いた幼児向けの歌というと、やはり表現としては大きな制約があり、片肺飛行になりがちと思われるが、時々、その規矩を突き抜けてこちらの魂に届き、胸震わせる名曲が出現してきたのも見やすい事実である。野口雨情「赤い靴」、「赤とんぼ」、「シャボン玉」、「証城寺の狸囃子」とか、現役の文部官僚であった高野辰之の手になる「朧月夜」、「紅葉」、「故郷」、「春がきた」、「春の小川」、「虫の声」などの天才的な作品群、中村雨紅の不朽の名作「夕やけ小やけ」、さらにいちいち書かないが北原白秋やサトウハチローの作品群などは、もはや日本人の魂のふるさとともいえるスタンダードナンバーである。きたやまおさむが、’60年代から一貫して追求してきたのも、こういった湿潤な、おしぼりウェッティでセンティメンタルなロマンティシズムであり、日本人の心の奥深くに放置されがちなこうした素朴実在的な情緒纏綿さである。きたやまおさむって人は本当に変わった人だと思う。知ってる人は知ってるだろうが、著名な精神分析学者で九州大学教授の北山修氏と同一人物であることは、隠れもない事実である。 すばらしい創造者であり頭もいいのだが、本質的に変人であり、反時代的異端者であり、どこまでも夢追い人のさすらいびとである。しかも、僕の見るところ、この人にはいい意味でも悪い意味でも“照れ”がない。普段の話し方などでは“露骨さ”を嫌い、含羞・恥じらいを感じさせつつも、いざ詩的表現の場(トポス)においては、全く臆面がなく、堂々としている。あんたが一番ロコツなんだよと、突っ込みの一つも入れたくなるのである。“キザ”というのとは少し違うと思うのだが、いわゆるステレオタイプな情緒を含め、普通の大人だったらとても書けないだろうと思われるような、オケツがこそばゆくなるようなおセンチな詩やら、逆に誰もバカバカしくて思いつかないようギャグを平気で書いたりやったりできるのが、最大の個性であり特徴である。フォーク・クルセイダースの代表曲とも目される「帰ってきたヨッパライ」をはじめ、あの突拍子もない発想の数々は、今思うとやっぱりきたやまのカラーだったんだなと思われる。決して、腐しているわけではない。詩的表現やその他表現一般に興味を持つ者にとっては、まことに範とすべき資質である。照れていては、何も書けず、何もできない。四の五の言う前に、まず表現することだ。自己アセスメントや反省はその後でいい。我々の世代には、まさにナツメロそのものである。遠い昔、僕たちが思春期に差し掛かったころ、フォーク・クルセイダースはすでに解散していたが、加藤はサディスティック・ミカ・バンドなどで瞠目すべき活躍を見せ、北山は作詞家として驚くべき名作の数々を量産しつづけた。二人とも、短期間ながら、天下を取ったといって差し支えなかろう。その後のポピュラー音楽シーンに与えた影響は計り知れない。・・とは言っても、同窓会とかでカラオケで歌うのは勘弁してほしい。ジョン・レノンならいくらでも歌っちゃうから。親友K(お前のことだよ!!)はやたら歌いたがるが、・・・命かけてと誓った日から素敵な思い出残してきたのにあの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が 今はもう通わないあの素晴らしい愛をもう一度(「あの素晴らしい愛をもう一度」北山修作詞・加藤和彦作曲)・・・な~んていう歌詞を、40ヅラしたいいオヤジが、恥ずかしくって肩なんか組んで歌えないっての!!!泥酔すれば歌えるかも知れんが、それはそれでみっともないだろうし。ところで、きたやまと加藤の友情関係も、いったいどうなってんだろうと、オールドファンとしてはいぶかしまずにはいられない。加藤和彦って人は、音楽的才能はものすごいものがあるし、特に若いころはルックスもカッコ良かったのだが、文学的才能、すなわち作詞能力がないようである。さらに、どうも人徳がないのか何だか知らないが、初代サディスティック・ミカ・バンドのミカには去られ、ドラムスのつのだ☆ひろに去られ、ギターの高中正義に去られ(今思うと、すぎょいメンツだす)、作曲家としては多少の実績は残したが、長い間何をして食ってるのかよくワカランという感じもあった。この人のことだから、霞を食って生きていたのかも知れないが、いつまでも未完の大器という憾が拭えなかった。その間、あれよあれよという間に北山は天下の旧帝大の大学教授になってしもうた。加藤の方は、なんかやる気を失ってたようにも見えた。最近は“ミカ役”に、人気絶頂の木村カエラを迎えてミカバンドを再結成するなど、再びヤル気を出してるようなので、大いに期待しているところである。この人が妙に考えすぎずに本気を出せば、まだまだ凄いポテンシャル・エナージーを秘めてると思うんだけどね。それにしても、端田宣彦(はしだのりひこ)はどこへ行ってしまったんだ?・・・いわく人生、奇妙奇天烈摩訶不思議。
2006.11.09
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偶(たま)に、なんとなく旧かなづかひで書きたくなつた。「夏目漱石」みたいですね~。・・・かういふことをするから、読みづらくなつてアクセスが伸びないんだよね。けさ、子供たちにミルクをやりながらNHKエデュケイショナルTVを視てゐたら、「おかあさんといつしよ・あそびだいすき」のまへに「しばわんこの和のこころ」といふミニ番組をやつてゐて、東京の向島百花園(むかうじまひやくくわゑん)を紹介してゐた。ニヤンとも落ち着いた、しかもはんなりとい~い風情の場所に見えた。さういへば、昔東京に住んでゐた頃、一度ぐらゐは行つたことがあるかも知れない。百花園は、東京都墨田区東向島三丁目、東武伊勢崎線玉の井下車。近代でも永井荷風など、いかにも文人墨客が愛してやまないロケーションにある。それにしても、かういつた番組はさすがNHKの独壇場、高い受信料払つてゐるだけのことはある。“百花繚乱”、“百家斉放”といつた言葉は古(いにしへ)よりあるけれども、エンサイクロペディアを百科事典、デパートメントストアを百貨店と訳した人には、何ほどかこの向島百花園が頭にあつたかも知れないね。お江戸の人が物識りなのは、かういふのがあるからなんだなあと、一寸羨ましくなる。私も、三十代半ばまでは、ホンダCBR750、スズキKATANAなどのモーターサイクル(オートバイ)の名車に跨り随分といろんなところに行つたが、次第に齢を取つてきたせゐか、近頃ではやたらに遠出をするより、かういふ身近な沁みじみとした情緒に心惹かれるやうになつてきた大江戸には、大自然はないかも知れぬが、洗練された知識の集積があつて、たとへば草花の名前ひとつ取つても、図鑑で見るのと実物を見るのとでは大違ひだ。生きた標本には敵はぬよ。こなた田舎では、少し足を伸ばせば大自然は未だありすぎるほどあるし、その懐に飛び込んでじつくりと静謐を味はふこともできるが、反面、整理された秩序が欠けてゐるといへるかも知れない。ま、隣の芝生は青く見ゆ。一長一短あるけれどもね。
2006.11.04
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人気ブログNIJIの夢のブロガーで、蔭ながら尊敬申し上げているNIJIさんのノートパソコンが突然破損し、ハードディスクの交換という騒ぎになっているという。NIJIさんの記事によれば、お仕事関連の重要情報を含め、約300,000件(マジすか!?!)のファイル、フォルダー、メールのうち、業者の手で半分はサルベージ(救済)できるが、半分は捨てることになるという。これが我が事だったらと、考えただけでゾッとする話だ。こりゃ“デスノート”じゃなくて“デッドノート”か、いや“ドレッドノート級”(ド級)の衝撃だ、などとワケの分からん悪いダジャレはさておき、本当にお気の毒です。お慰めする言葉も思いつきません。確かに、僕のPC備え付けのハードディスクにも、NIJIさんほどではないにしても、失いたくないデータは少なくない。長年のメル友のメールだって大切だ。まさにメモリー(記憶・思い出)だ。こういうことを聞くにつれ、普段からコンテンツ・データのバックアップというのはしておかなければいけないなと痛感する。できればネットにつながっていない記憶媒体(外付けハードディスク)などにコピーするのが理想だろう。ただ、後からの検索とかが容易なのかとか、不安もある。メールなどは、今話題の容量無制限のグーグルメールなんてのはどうなんでしょうかね?これをバックアップがわりに使うってのは?ブログなんかも、大事な記事ぐらいは、できればバックアップ用の(他社)ブログを持っておくのもいいかもしれない。というか、僕はすでにそうしている。もちろんブログのコンテンツはブログサービス業者(運営者)、すなわちこのブログでいえば楽天のサーバーに記録されているわけだけど、これも絶対安全とは言い切れないだろう。大地震でも起こったら大丈夫だろうか?ゴジラが上陸して踏み潰したら?現代の東京は、まだそうした実地試験を経ていないのである。・・・用意周到に過ぎるといわれちゃうかも知れないけどね。
2006.11.03
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そういえば、昨日の深夜にタバコを吸おうとベランダに出たら、天頂近くの空に居待月ぐらいであろうか、満月と下弦の間ぐらいの月が出ていて、その東の方から冴え冴えとしたオリオン座が上ってきており、天空でランデヴーしていた。――あの三ツ星は、右から、Aちゃん(長女)、Bちゃん(次女)、Cちゃん(三女)の星なんだよ、とかなんとか、現在2歳7ヶ月の娘たちに言ったりする日を楽しみにしている。すでに、「オホシサマ」が大好きな三人娘なので、喜ぶだろうな~。「なに変なこと言ってんのよ。」とか、妻にツッコまれるのも、目に浮かぶようである。オリオンの三つ星あれがなむちらの星なるべしと言ふ日もあらむ拙作歌集「うたのおけいこ 1 オリオンの三ツ星」より(左サイドバー・フリーページ収録)これを図案化したのが元就でおなじみの毛利家の三ツ星の家紋で、あの「三本の矢」で知られる「三子教訓状」の背景になったものです。ちなみに、オリオンの三ツ星(オライオンズ・ベルト Orion's Belt)の下に、“小三ツ星”がありますが、これが見えればあなたの視力は1.0ぐらいあります。この小三ツ星の一番上が、オリオン座大星雲で、大望遠鏡で見ると、壮麗な眺めです。肉眼でも、恒星と違って、ボヤ~ッとしているのが分かりますね。もうそんな季節になったんですね~。秋もいよいよ深まっていきます。夏が好きな○○さんには悪いんですが(誰に言ってるんだ?)、一年で一番いい季節だと思います。・・・とかなんとか考えながら、FC2に登録作業を終えた。http://sakamotos.blog79.fc2.com/FC2の操作性や、テンプレートなど画面のキレイさが気に入った。動作は軽くて、快調です。
2006.10.10
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実を言うと、ここ数日の村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」に続き、おとといの夜も「アフターダーク」(2004・平成16年作品)を読了した上、昨晩も4~5時間ぐらいかけて「スプートニクの恋人」(1999・平成11年)を読破してしまった。斜め読みは一切せず、きっちり一字一句読んだ。何となくそうしたかった。合間合間には同じく村上の短編にまで目を通した。「スプートニクの恋人」は、これまた物凄く面白かった。完成度は、年を追うごとにますます高まっているように見える。すごい作家だなあと、改めて思う。感想文は、おおよそまとまり次第、追ってアップロードします。・・・しかし、さすがに睡眠不足もあいまって、疲れたというか、知らず知らずストレスが溜まったのかも知れない。朝からなんとなく虫の居所が悪い。“知恵熱”でもあるのかも知れない。生来読書が好きとはいえ、物には限度というものがある。わずかにそれをはみ出したかも知れない。なんとなくシリーズ化しはじめている村上春樹氏の主要作品の“書評”(というほど大したものでもありませんが)が一段落したら、ビジネスブログの本分に戻ろうかな~と思ってます。このところ、内容があまりにも趣味に走り過ぎてると反省しています。ただ、時々歌詠みだけはやっていきたいと思ってます。
2006.10.06
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ハードカバー(単行本)版・第2部 p.308-309村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」(1994)全3部を読了し、その余勢を駆って、最新作「アフターダーク」(2004)も一気に読んでしまった。さらに、たぶんブッ続けて近作の「海辺のカフカ」と「スプートニクの恋人」あたりも、山羊か鹿よろしくムシャムシャ食ってしまうであろう。物心ついて以来、読書は基本的に好きなので、我ながらその気になればやる時はやるのである。・・・というほどご大層なことでもないが。「アフターダーク」にも感動した。が、これは後ほど書くことにして、まずは「ねじまき鳥クロニクル」の感想文から行くべきであろう。ただ、これほどの人気作家の、しかも代表的な傑作とされる作品であるし、しかも干支も一巡した12年も前の小説であるから、すでに膨大な論考がなされ、ネット上にも溢れている。僕は僕なりの率直な感想を述べる。まず、一言でいうと、どこかに人一倍センシティヴで繊細なものを留めている30歳ぐらいの男が、朧気ながら感じているこの世界に対する認識・感覚・夢想を、あられもない形で赤裸々に、半ばホラ話っぽくユーモアを絶やさないまま、おおむねクッキリした明晰な文体で、しかも細密画のように緻密に、遠慮会釈なく特筆大書しつつ描ききった快作である。その文章の上手さは、主人公が窮地に陥れば胸苦しくなり、突然何かが起きればドキッとし、瞑想的な場面ではこちらも恍惚とするほど、つまり主人公と一体となってしまうくらいの筆力だ。結論から言うと、面白く、楽しく、ワクワクドキドキだが、いくらか物足りなく、いくぶんつらかった。冗漫ではないが、やはりちょっと長すぎる。平明な文体ではあるが、必ずしも分かりやすいとはいえない文章の、薄くない文庫本にして3冊は、やはり多少しんどいものがあった。とはいえ、圧倒的な筆力で展開される緊密なドラマに中だるみはなく、徹頭徹尾、緊張感と面白さが続いた。やや中だるみになりそうだなと思うや否や、アズ・スーン・アズ、哀切で切羽詰った、なかなか情感のあるエロティックな(ポルノグラフィックな、といってもいい)愁嘆場が用意されてて、眠気が吹き飛ぶように構成されている(笑)。村上氏は間違いなく相当な助兵衛である。ただ、全体としてはけっこう硬派な冒険@日常生活の物語でもあり、なかなか男っぽい。つまるところ、男の子(というにはだいぶ主人公のとうが立っているが)いかに生くべきかを追究しているといっていい。最後は生きるか死ぬかの闘いになる。なお、かなり衝撃的な暴力・殺人シーンやエロチックな(エッチな)場面も少なくない。現代をシリアスに表現する上で、「性」と「暴力」、「死」などを避けて通れないことは、すでに芸術愛好家の間では共通理解になっているといえるだろうが、子供に読ませるにはかなりの躊躇がある。やはりR16指定であろうか、いや、精神的なものも含めてR18ぐらいか。未成年者が熟読したあかつきには、かなり気が変になること請け合いだ。このブログの読者に多い、良妻賢母の皆様にも縁なき書物である。誤解を恐れずにいえば、女人禁制・メンズクラブに近い領域かも知れない。もちろん、女性が読んでもいいけどね。そして事実、女性のファンも多いらしいけどね。・・・とはいえ、現代文学はこの程度の“毒劇物性”がなくては評価されない。エロス(性)とタナトス(死)というコンセプトを物語/生という関数で積分して得られた、たわわに実った豊穣な葡萄棚。だが、第1部を読み了えた時点で10月3日のブログに書いたことの大筋に変更はないが、やや感想が変化した点も少なくない。同時に、かなり共感できない部分も目に付いてきた。例えば、主人公の「ねじまき鳥」とも呼ばれる「僕」こと岡田亨とその妻クミコ(旧姓・綿谷)に立ちはだかる“強大な敵”である、義兄・綿谷昇の人物造形。確かに、抜群のIQを伴った冷酷で非情な人間性であるが、この描写がかなり弱いのではないかと思った。今の言葉でいえば、いわゆる「勝ち組」である。むしろ単純な立身出世主義のエゴイストに見える(・・・に過ぎない、とも言える)。著名な経済学者から転進し、新潟の叔父さんの地盤を受け継いで“保守党”の代議士になり、若手ホープとして将来を嘱望されている。この人物造形は、当初思ったよりもだいぶステレオタイプ(月並)で、類型的である。ただ、彼の妹でありクミコの姉である女性が小学校高学年だった時の謎の死(あとで自殺だったと明かされる)に、彼が何らかの形で関与したらしいことが、執拗に示唆される。彼はその時、妹に何をしたのか?おおかたは想像が付くし、かなり露骨に仄めかされる醜悪なエピソードもある。これは確かに深刻であり、クミコに大きな心の傷(トラウマ)をつけたことは重々理解できる。こうした近親憎悪的な憎しみは十分判るし、同情も出来るが、何十年も経ってなぜこれほどまでに(殺意を持たれるほどに)憎悪されなければならないのかについては、僕の感受性が鈍磨しているのかも知れないが、どうも今一つ腑に落ちないというか、著者の圧倒的な筆力を以ってしてもピンとこない、ちょっと弱い点である。著者の意図・イメージとしては、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の父子みたいな残忍、狡猾な悪魔的イメージを意図したものであろうが、その意図はやや失敗している。これはたぶん、著者自身が基本的に善人であるからだろう。悪への傾きや想像力が足りないのは、一般的にいえばむしろ美点であるが、作家としては弱点になる。因果な商売なのかも知れない。著者自身が、その弱点に気づいてか、ノモンハン事件前夜の満州・蒙古国境(現中国東北部・モンゴル国境)付近からソ連(現・ロシア)シベリアの捕虜収容所での狡猾・残忍なロシア人情報将校のストーリーで、いわば補足している。また、綿谷衆議院議員の私設(裏)秘書のウシと呼ばれる男の、粘着性の人物造詣も、ユーモア味があり面白い。そして、暗闇の井戸の底の強烈なイメージを媒介として、それらバラバラなエピソードが時空を超えてリンクしていくさまは、さすがである。それにしても、主人公の妻クミコの造形はすばらしい。いかにも現代欧米文学の影響下にあるようなモダーンなライフスタイルと感性、愛し合っている(というより、クミコの側から見ると、もっと遥かに切実に彼の存在を必要としていることが、次第に明らかになってくる)夫婦の、ちょっと翻訳調のような会話。少しづつ浮かび上がってくる彼女の運命と、その中で真摯に愛を追い求める彼女のけなげさと素直さが、たまらなく愛おしい。第2部で、突然クミコは行方をくらませるのだが、主人公が目の色を変えて彼女を探し回るのが、ごく当然のこととして感じられるのは、以上の伏線が張ってあるからだ。後に、このクミコをめぐって、夫である主人公と兄である綿谷との間に、一種の三角関係的な葛藤が生じ、それが物語の幹になってゆく。クミコは、いわば古城の塔に幽閉された囚われのお姫様であり、主人公はそれを救いに行く白馬の王子様である。とても古典的な冒険物語の枠組みを持っている。ただ、その救出のための方法と費用の捻出の仕方が、およそ考えられないぐらい変わっている。新宿で出会った、年配だがおそろしく洗練されたセンスを持つ婦人・赤坂ナツメグと、その子でメルセデスベンツを乗り回す聾唖だが絶世の美青年・赤坂シナモンの助けを借りて、一種の会員制秘密高級ヒーリング(癒し)サロンというか超小型新興宗教みたいなことを始めるのだが、主人公の「僕」には、なんと人を癒す超能力が具わっており、“射精”しながら奥様たちを治癒していく。よく考えると(考えなくても)相当にアニメチックであり、マンガチックではある。主人公も、やっぱり“まとも”じゃなかった(笑)。いくつかの重要な場面で、しばしば鮮やかな場面転換は、ウォープ(ワープ)というか瞬間移動みたいな形で行われるが、これも改めて考えてみると、「ドラえもん」の“どこでもドア”とそう大きな違いはない(笑)。このナツメグとシナモンのたたずまいの描写が出色だ。村上が非常に優れた“婦人科”であることはいくつかの作品で明らかだが、特にこういうすらりと優美な、高貴な香りのする婦人のイメージ造形が本当に得意だと思う。読んでるだけでうっとりしちゃう。若い女性ばかりがいい女じゃないのよん。さらに、陰に陽に彼を助け、「夢(のようなもの)」の中で何度も肌を合わせる加納マルタ・クレタ姉妹は、頑固なまでに'60年代ファッションにこだわる超能力者の占い師。モデルは若いころの細木数子、・・・そんなワケないか(笑)。最後の最後まで主人公と心の友達でありつづける、謎の井戸の横の家の16歳の奔放な娘・笠原メイなどなど、出てくる女性すべてが少しずつ変でありつつ非常に魅力的なのだ。なんだかんだ言いながら、徹頭徹尾モテまくりの主人公なのである。うらやましい。村上がアメリカ文学の強い影響下にあるというのは、嘘とまでは言わないが、神話ではないか。むしろ、おフランス文学のアンニュイでデカダン(頽廃的)な匂いのするエロチシズムや、ロシア文学のドストエフスキーとかチェーホフとか、度忘れしたけど「はつ恋」とかとの近縁の方を、よほど感じる。村上氏がこれを発表したのは1994年、この時点で45歳。この小説の主人公は30歳~31歳。その時点で、僕も30代であり、村上氏と主人公の中間ぐらいに当たる。なお、クライマックス直前の触りぐらいのところで、パソコン通信がきわめて効果的に、ミステリアスさを倍加するように使われている。1994年ごろのパソコン通信の実情が分かって面白い。おそらく今から見ると超ナローバンドだったのだろう、アクセスするのに5分もかかったらしい(笑)。このころのことは、個人的なことをともかくとしても、ありありと思い浮かべることができる。’89~’90年の旧共産圏の崩壊で社会主義・共産主義が全世界的に愛想を尽かされたのを受けて、遅れ馳せながらやっと前年の’93年には日本政界においてもやっと新進党・日本新党など政界再編の大政変があり自民党が下野し、すでに長いキャリアがあった小室哲哉が安室奈美恵を擁してJ-POPで大ブレイクしていた。宮崎駿監督も全盛期を迎え、アニメーションやオタク文化がジャンルとして確立しようとしていた。翌’95年には阪神大震災、オウム真理教事件が起き、日本人と日本社会にきわめて深刻なインパクトをもたらすことになるが、その直前の、嵐の前の静けさ的な爛熟した文化が花開いていた。その時代の空気も、見事に封じ込められている。当時村上氏はサブカルチャーと親和的だと評されたが、まさに全体的にアニメーションやオカルトやカルト宗教に合い通じるような世界が構築されている(未成年者お断りではあるが)。しばしば、精神分析学的な、簡単に言うと夢のような文体とイメージで物語が展開され、一種オカルト的なものが特段の危機感もなく、ノリノリで謳歌されている面もある。このことが、作者をしてオウム事件で甚大・深刻な衝撃を受けさせ、オウム信者の聞き取りに基づくドキュメンタリーの大著「アンダーグラウンド」などに向かわせたゆえんであろう。本屋でチラリと立ち読みしても、到底読む気になれない精密膨大な本である。その後の村上は、やや変わったといわれる。しかも、より深化した方向へ、である。〔書物としての総合評価:(現在の目で見るとやや古めかしく感じるところもあるので、少し減点して)89点〕
2006.10.05
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このところ、わが枕辺には村上春樹の主要な小説が堆(うずたか)く積み上げられている。そのほとんどは、けっこう早い時点で購入し、そのうち折りがあれば読もうと思って本棚に入れておいたものだが、ご想像にたがわず、日本の中年男は非常に忙しい。それも、よく言われる“心を亡くすと書いて忙という字”の喩えにふさわしい、日々の雑用に追われるような種類の忙しさである。思春期から若いころにかけては貪るように本を読んだ僕だが、いつしか、実用書・専門書の類いはともかくとしても、小説などはここ15年ぐらい全く遠ざかっていた。大げさに言えば、ちょっとした田舎の図書館丸ごと並みとでもいおうか、膨大といっていい若い頃の読書歴は、現在の僕に、親しい友人には賞賛される程度のささやかな文才を齎してくれたが、それだけといえばそれだけである。人生は、おおむね虚しい徒労の、シジュフォスの神話(アルベール・カミュ)である。時に微光でもほのめくならば、以ってよしとすべきであろう。しかし、今、読んでみる気になった。文芸評論家などの玄人筋のきわめて高い評判を夙(つと)に耳にしていたこともあるし、短編などをちらりと斜め読みしてみて、軽妙洒脱な(時に軽薄な?)文体と感性の中に、ただならぬものがあることを認めた。さて、兵力の逐次投入と読書の逐次感想文は具の骨頂かも知れないが、とりあえず「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編」を読了した。今、第2部冒頭にかかったところである。時間がたっぷりあった若い頃なら、大西巨人「神聖喜劇」を2日間ぶっ通しで一気に読んだように、一息で読み通したに違いないが、くたびれた中年男の僕にはもうそんな気力も時間も残されていない。睡眠時間(と寿命?)を削るようにしてシコシコ文字を追った。ここまで読んでみて思うのは、月並みだが、巷間伝えられる通りの、圧倒的な筆力だ。物凄い。驚くべき想像力と説得力。そして何より面白い。知的でありながら、ファンタシー・SF系小説の荒唐無稽さと、故・丹波哲郎さんのトークを聴いているような豪放磊落さが同居しており、意外に男っぽい。読み始めたが最後、途中で読むのをやめるなんて不可能だ(睡眠や、不慮の事態は除く)。――二流の大学を出て、司法試験に受かるほどの頭はなく、法律事務所の下働きをしていた心優しき30歳の「僕」は、大した理由もなくそこを罷(や)め、現在は失業中の身。・・・という、絶妙の設定。現代のリアリティの中に、時間を持て余した知的な自由人を設定することにまず成功している。世田谷区の小田急線沿線の高級住宅地の一戸建てに住んでいるという、人もうらやむ境遇だが、これはもちろん自分の才覚で手に入れた住宅ではなく、銀座にいくつかの飲食店を持っているという資産家の叔父さんの好意によって借りているものだ。自宅の裏には、路地と呼ばれる細長い謎めいた空間があり、そのどん詰まりには枯れた井戸がある。いなくなった猫を探して「僕」はこの空間に分け入ってゆく。・・・この自宅周辺の描写が、ワクワクドキドキ、すばらしい。妻の父は東大出の通産官僚、兄は著名な経済学者・評論家で、主著「性的経済と排泄的経済」は、“誰もちゃんと読んだことがないが、ノーベル賞級の名著である”・・・というのも、著者自身のポジションを何ほどかパロディ化して笑かしてくれる。その義父は、単純で古臭い家父長意識とエリ-ト意識のかたまりの俗物だが、早々に主人公と大喧嘩をして物語から姿を消す。・・・という、上手い処理(笑)。圧倒的に面白いのは、義兄の人物造形で、厳しい両親のもと、優等生・エリート街道まっしぐらで来て、あらゆる自然な感情・愛情を失い、ただ議論で相手を屈服させることにだけ異常に長けているという、“超秀才オタク”であり、「僕」は彼を憎みはじめている。間違いなく、この後の禍々(まがまが)しい悲劇的な展開の予感がプンプン臭うし、第3部の帯のあらすじを見ると、やはりそうなるらしい(笑)。そして妻「クミコ」は、雑誌編集者としてバリバリ働くキャリアウーマンであるが、こういう冷たい家庭に育ったアダルトチルドレンであり、心の深いところに手ひどい傷を負っている。これまた、今後何かが起きそうな臭いは濃厚に漂っている。ただ、「僕」と妻は、まずまず“まとも”な常識人に設定されており、多少理屈っぽい会話ではあるが、日常生活のディテイルの描写は緻密で魅力的であり、ホッとさせてくれる。妻の生理前の、いわゆるPMS(月経前症候群)のイライラで、些細なことからからまれたりする場面など、僕などもいちいち思い当たり、ニヤニヤクスクス苦笑しながら楽しめる。――さて、物語のイントロダクション(導入部)は、そんな暇な身分の「僕」が、朝の10時半にスパゲティをアルデンテに茹で上げる直前に、聞き覚えのない声の“謎の女”から電話が掛かってくる。「僕」は女に思い当たるフシがないが、女は主人公のことを詳しく知っており、「僕」を誘惑し始める。・・・読めた。これは夏目漱石の「それから」ではないか。あるいは世界探偵小説の傑作、ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」か何か分からないが、まあそんなあたりだろう。掴みはOKだ。もちろん村上は意識してやっている。パロディであり、パスティーシュ(意図的模倣)であり、本歌取りである。村上氏はよほど人間、とりわけ女が好きなのだろう。平たく言えば助兵衛なのだろう。妻を除けば(それもあやしいが)一人としてまともではないが、非常に魅力的だったり異能を持った女たちが代わる代わる登場して、「僕」と関わりを持ち始め、時に「僕」を誘惑する。これ、中学生の男の子が読んだら、けっこう鼻血ブーの世界だと思う。保護者の適切な指導が必要です(笑)。・・・そして、ついに巨姿を現わしはじめる、“あの戦争”の発端となったノモンハンの悲劇。現代の日常生活のささやかな冒険についての、アンニュイで洗練された与太話・法螺話めいた物語を笑って読んでいるうちに、現代史を鷲づかみしようとする著者の意志に、読者も鷲づかみされているという寸法だ。しかもユーモアの通奏低音が消えることは決してない。もう、仕事が終わったら早く帰って、風呂に入って、飯を済ませて、幼い娘たちの相手をして、布団にもぐりこんで、早くこの続きを読みたい!!!
2006.10.03
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資生堂スーパーマイルド チカラ のUA出演のCFが評判だ。――UAって、こんなにキレイだったっけ?と思ってたら、一字一句まで同じ言葉がほかの人のブログにも出てたので、思わず哄笑。そういえば、「ウーアってこんなにキレイだったっけ」は、5・7・5の俳句になってます。「行列のできる法律相談所」もそうですね。日本人における5・7・5のDNAの魔力を感じますね(感じないか)。幼い娘たちと一緒に、NHK教育テレビ「ドレミノテレビ」の、シュールというかぼろ布みたいのを身にまとった“愉快なうたのおねえさん”のUAしか見てないもんで、ビックリした~。
2006.09.30
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本日(13日)付けの地元紙・下野新聞(共同通信配信記事)によると、秋篠宮さまは、すでに「悠」の文字の入ったお歌を発表しておられるという。悠久の壁画眺め居ゐ古人を思もふ風爽さはやけきメコン河畔に(平成4年・1992歌会始の儀)タイ・ラオス国境を流れる大河メコンをお詠みになったお歌である。当時は、紀子さまが長女・眞子さまをご出産になった直後で、すでに秋篠宮さまはタイを何度も訪問しておられた時期。好きなお酒はタイのウィスキー「メコン」と、ご友達に話されたこともあったという。「悠」の字の上部は、水がゆったりと長く流れるさまを示しており、これに心が付いたもの。この心が木になると「條」(条、長い枝、転じて、すじ)の字になる。アジアの大地を悠々と流れる、雄大な大河のイメージが念頭におありだったのかも知れない。それにしても、皇室は言わば和歌・短歌の家元だが、清冽なイメージとしてお歌に用いられた文字を、お子様の名づけに使われた殿下のセンスには、感服です。実を言うと、愛する吾子(わこ)の名前を短歌に詠みこむというような言葉のお洒落は、ヘボ歌詠みなりに僕(雅号・野原)もくどいぐらいやってます。セキュリティ・プライバシー防衛上、具体的には言えませんけどね。ところで、ルビ(振り仮名)の部分のHTMLタグは、<RUBY><RB>爽</RB><RT>さはや</RT></RUBY>けき・・・のようになっています。中年のおっさんさんのブログサイトでご教示いただいたものです。この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
2006.09.13
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悠仁ひさひとさまとご命名あらせられましたことを心よりお慶び申し上げますとともに、お健やかなご成長をお祈り申し上げます。
2006.09.12
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私は別に皇室・皇族フリークでも何でもないし、追っかけてる暇もないけれども、コンビニやスーパーマーケットで時々男性・女性両週刊誌の関連記事を立ち読みするぐらいの興味はある。秋篠宮さまは、あのお髭でスリムでスタイリッシュなシティボーイ然とした風貌と、青年時代の「やんちゃ伝説」が尾をひいてか、率直に申し上げて、やや毀誉褒貶が多いおん方とお見受けつかまつるが、私はご人格識見、物腰、挙措動作を含め、昔から大ファンなのである。――比較など申し上げては非礼の極みであるが、皇族男子たるおん方は、人前で箸より重いものは持って戴きたくないし、ましてやハイキング途中のブランチとはいえ、群れなす報道陣のカメラの放列の前で「日清食品・カップヌードル」などをお召し上がりになるのはいかがなものかと、衷心より愚考したてまつる。細かいことを言うようですが、やはり、せめてお結び/握り飯をお召し上がりになるべきではないでしょうか。(なお、お結びの三角形は、京都・上賀茂神社の庭にある謎の三角錐の土盛りと同様、神道・原始宗教的なニュアンスがある形態であるとする説もある。)・・・年輩者は嘆いております。さて、最新号の「週刊新潮」掲載の「(紀子さまのご実家)川嶋家のルーツは会津武士」という記事に、歴史好きとして少なからず驚いた。紀子様の曽祖父に当たる池上四郎という人は、歴とした会津藩松平家家臣の子で、戊辰戦争時にはまだ幼かったため、あの少年決死隊・白虎隊には入隊していなかった(したがって、ほぼ全員討ち死の飯盛山の悲運を辛うじて免れた)そうであるが、会津若松・鶴ヶ城に籠って、官軍(天皇・新政府軍)を向こうに回して、子供ながらに勇戦奮闘したという。戊辰戦後の苛烈な処分で、若き藩主・松平容保は謹慎(のちに許されて日光東照宮宮司)、藩士らは斗南藩(青森)に改易、さらに明治維新の廃藩置県で藩自体消滅、その後池上氏は明治政府の警察畑で出世し、各地の警察署長を歴任したという。一昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」を見た方はすぐ分かるだろうが、会津といえば幕末に最後まで徳川幕府を護ろうとした「朝敵・賊軍」、すなわち皇室の錦の御旗の仇敵の筆頭であった。皇室に対してはともかく、新政府エスタブリッシュメントの覇者となった薩長土肥閥に対しては、未だにわだかまりが消えていないことが、しばしばメデイアでも伝えられている。会津藩祖・保科正之は、徳川第二代将軍・秀忠が側室に産ませた隠れもない実子で、三代将軍家光の異母弟。四代将軍の後見人として江戸幕府の枢機にも深く参与した。言わば、「御三家」の次席といったところであった。徳川本家への忠誠は幕末まで続き、幕府アンシャン・レジーム(旧体制)に殉じた「新選組」が会津藩お預かりであったことはもとより、会津藩本体も、打ち寄せる官軍に死力を尽くした総力戦で臨み、敗れ去った。その女子供まで総動員した死闘ぶりは、官軍の猛者たちをして「敵ながらあっぱれ」と慟哭せしめ、一目置かれたことはよく知られている。最も武士らしい武士集団であったといえよう。会津藩出身で、明治時代になって新政府で重きを成した人物も多い。現代でいうと、日本最高の知性の一人である政治・経済学者で保守派論客イデオローグでもある小室直樹氏などが直ちに思い浮かぶ。地元・会津では沸いているという。そのはずであろう。かつて心ならずも官軍/朝廷/天皇家に仇なし弓を引いた会津武士の末裔が、今天皇になられる可能性のあるお子様の母となられた。以って瞑すべきである。PS.皇室について書くと、どうしても多少堅苦しい文章になるのはイナメない。当面このぐらいにしときますね。
2006.09.11
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天皇皇后両陛下、秋篠宮殿下、同妃殿下紀子さま、おめでとうございます。皇孫親王殿下・新宮さまのご誕生を心よりお慶び申し上げますとともに、皇室の益々の弥栄を衷心より祈念申し上げます。また、紀子さまにおかれましては、ご出産まことにご苦労様でございました。もうご夫妻の腹中にはおありであろう新宮さまのお名前の正式発表(12日、「命名の儀」)が、本当に楽しみである。「帝王切開 Caesarien section」とはよく言ったものである。これによって古代ローマ皇帝ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が生まれたというのは俗説に過ぎないらしいが、いにしえより高貴な身分の子の分娩に用いられてきたのは事実である。これにより、紀子さまの地位は今後、秋篠宮妃殿下→(現制皇室典範にはないが)皇太弟妃殿下→皇后陛下→皇太后陛下と変遷する公算が強くなった。ここに至るまでの、内外のさまざまな経緯を惟(おもんみ)つつ、畏れ多いことではあるが、私としてはこれから紀子さまを国母こくぼとお呼び申し上げたい。なお、皇室典範改正問題は、当分継続審議という名の棚上げ、宮さまだけに「お宮入り」といったところであろう(ザブトン3枚)。
2006.09.06
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いよいよ明日に迫った。各新聞は4ページ全段ブチ抜きの号外をはじめ、詳細な通常紙面もあらかた校了し、あとは時刻などを書き入れるだけの状態で、準備万端完了済みである。各紙誌情報を総合すると、洩れ承るところでは、男のお子様に間違いないようである。これによって、皇室典範改正問題は雲散霧消・自然消滅する運びとなり、われわれ国民は、天智天皇から天武天皇へ(その両者に愛された万葉歌人・額田王の余話もある)の継承のように、皇太子殿下から弟君の秋篠宮殿下、そしてそのお子様への皇位継承の流れを、生きて目の当たりにする公算が大となった。この問題に関する私個人の政治的意見は、この際捨象する。ともかくも、おめでたい極み、重畳至極である。謹んでお慶び申し上げます。ちなみに、この記事のHTMLタグは、<FONT face=HG正楷書体-PRO color=#8100bb><FONT style="FONT-SIZE: 19px">です。
2006.09.05
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・・・と言っても、それほど難しいことを言おうとしてるわけではない。平年(過去30年間の平均)の、毎日の日平均気温(最高気温、最低気温でもいいが)を見ると、一年で一番暑いのは8月3日頃である。一年で最も寒いのは2月3日頃である。これらを含め一年を通してグラフにしたものを見ると、おおむねきれいな正弦曲線(サインカーブ)を描くことが分かる。http://www.jsdi.or.jp/~hctenso/MetData/Tempra/Temp0000.htm自然界の計数化できるあらゆる事象をサンプリングして集めてみると、標準偏差曲線(いわゆる「偏差値曲線」)が現われてくることがよく知られているが、一年・四季などのように循環構造をもつ事象では、円に関わる三角関数が現われてくる。このように、「数学は哲学である」(ビートたけし)というのは、「国語は体育だ」(斎藤孝・明大教授)と並んで名言だと思う。ただ、6月あたりの梅雨期には気温に若干の凹凸(おうとつ、デコボコ)があるが、これは突き詰めて考えれば、地球が完全な球体でなく、凹凸があることから来ている。特に東アジアについて言えば、広大なヒマラヤ山脈・ゴビ沙漠付近上空の巨大な寒気団が、偏西風やらエルニーニョ現象やらのいろいろなイタズラをするとされる。なぜヒマラヤ山脈があるかと言えば、もともと南極付近にあったとされるインド亜大陸が、地殻のプレート(岩盤の親玉みたいなもの)の移動に乗って北上し、ユーラシア大陸にメリ込み、今もメリ込み続けていることによる。古くは、存命中気違い扱いされたというウェゲナーの「大陸移動説」、現在は「プレート・テクトロニクス理論」と呼ばれ、大地震があるたびにNHKニュースで説明される、アレである。なぜプレートが動くのかといえば、地球の奥深くのマントル(溶岩の親玉みたいなもの)が対流していることにより、なぜマントルが対流するかと言えば、地球が自転しているからである。なぜ地球が自転しているのかといえば、たぶん太陽系の誕生に伴う偶然としか言えないのではないか。こういうことを何の参考資料も見ずにスラスラ書けてしまうのは、科学大好き理科ちゃん少年だったおかげである。自分で自分をほめてあげたい(笑)。閑話休題(それはさておき)、要するに一年間の気温は8月3日を頂点とし、2月3日を谷底とするサインカーブを描き、それを毎年繰り返しているということである。そこで、僕はこれを基礎に、科学的、気象学的、数学的、客観的なな四季の再定義を試みてみたい。四季・季節というものには、古来、歴史的・文学的・主観的な解釈や意味が付与されてきた。近ごろでいえば、例えば「立秋」である。8月上旬(今年でいえば8月8日)に、はやくも「秋が立つ」ことになっている(「秋が立つ」というのも、どういう状態なのか分かったような分からんようなシロモノであるが)。そしてその日以降の暑さは「残暑」になり、手紙の文言も「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」にしないと、教養無し・世間知らずとバカにされるし、僕もバカにします(笑)。実社会においては、案外こういう細かいところを人はよく見ており、人格を判断されるから、要注意どす。・・が、内心では「そんなワケねーだろー」とも思う。8月上旬なんて、盛夏・猛暑の真っ只中であり、秋の気配なんてどこにも感じられないだす。この二十四節気というのは、古代中国由来のせいなのか、旧暦(太陰暦)と新暦(太陽暦)の食い違いのせいなのかどうなのか知らないが、日本に住むわれわれの生活実感と著しくズレてると思うものが多い。これを是正するには、こういう歴史的文脈における季節をいったん忘却・脱却(構造主義哲学用語でいうと「脱構築」)し、気温という客観的な数値を基に、再構築することが要請される。・・・というほど大したことでもありませんが。すなわち、8月3日を中心とし、その前後±15日の1ヶ月間を「盛夏」とする。また±1,5ヶ月の3ヶ月間を「夏」とする。冬についても同工異曲である。2月3日を中心とする1ヶ月間が「厳冬」であり、3ヶ月間が「冬」である。残余の移行期間が、それぞれ春と秋である。このようにして定められた新解釈の四季を「くまんパパ式四季 Daddy Bear’s Seasons」と称する。詳しくは下記の通りである。 3/19~ 4/18 早春 4/19~ 5/18 陽春 5/19~ 6/18 晩春(麦秋) 6/19~ 7/18 初夏(但し、日本では梅雨・雨期) 7/19~ 8/18 盛夏 8/19~ 9/18 晩夏 9/19~10/18 初秋10/18~11/18 中秋11/19~12/18 晩秋12/18~ 1/18 初冬 1/19~ 2/18 厳冬 2/19~ 3/18 晩冬この方が、暑さ寒さの生活実感にも合っていると確信してます。僕はかなり前から内心で、この「定義」を採用しています。・・・でも普通は、社会通念に従う方が無難でっしゃろ。いや~、どーでもいいようなテーマの割には、大論文どした。――余談ですが、こういう頭のエンジン全開のノリノリで書いた、肩に力の入った文章って、意外とアクセス少ないんだよね(笑)。文字数が多くて小難しいアカデミックな話題に、皆さん興味が無いのがよく分かる(笑)。これまでにも何度も経験しました。頭の体操兼メモ代わりだから、ま、いいか。反省して、今後はもっとまったり脱力系の、お気楽かつLOHASなブログを目指します。
2006.08.19
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開口一番ですが、 暑 い。 僕は夏が嫌いなのだ ε=( ̄。 ̄;) フゥ。Though(もっとも)、「夏の風物詩」とされるものはいずれも大好きである。――山、川、海、プール、夏祭り、花火大会、スイカ、かき氷、そうめん、蝉しぐれ、麦わら帽子、姉さん先生(吉田拓郎「夏休み」。・・・ふ、古い。)、冒険(アヴァンチュール)、etc.・・・。(栃木県は、全国でも少数派の「海無し県」なので、海の順位は低くなる。)どれもこれも楽しい。思い出に残る、色とりどりの光と陰の乱舞のイメージ、灼熱と冷涼の織りなす感覚の交錯だ。・・・が、刹那的で一瞬の時の慰めではある。夏そのもの、この蒸し暑さはど~にもこ~にも、逆立ちしても好きになれない。今はカワユイ三つ子の娘たちの子育て三昧のストレス地獄と運動不足で、石塚英彦ふくよかボディ路線を驀進中なので倍加してますが、これは昨日今日に始まったことではなく、思えばすらりとノッポ君だった子供の頃から夏が嫌いで家に閉じこもりがちな本の虫小僧だったから、年期が入っている。毎年夏休みには、運動不足でかえって「夏太り」したぐらいだ。――共感してくれる人は、案外少なくないのではないかと、ひそかにニラんでいる。さて、今年の夏は、こちら関東地方では、いくぶんしのぎやすい部類だったかも知れないが、それでも暑いものは暑い。嫌いなものは嫌いなのである。毎年今ごろ、8月半ば過ぎともなれば、早く夏が終わらないかな~と、「もういくつ寝ると」のお正月の歌よろしく、指折り数え出す有り様である。ところが、私の編み出した科学的再定義によれば、夏はまだまだ当分終わらないのである。それどころか、「晩夏」が、今日19日始まったばかりなのである。いったい、どういうことなのだ?次号を待て。・・・昔の「少年マガジン」などの連載マンガの最後には、必ずこんな風に書いてあった。ワクワクするざんすね(笑)。
2006.08.19
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まだ幼い三人の娘の育児に忙殺されているため、会場に行けず、祭りの写真などはありません。悪しからず。「ふるさと宮まつり」は31年前の1976(昭和51年)に創設された。比較的新しく、無宗教(非神道)で歴史的伝統はない人工的な夏祭りであるが、それまでの秋の二荒山神社例大祭の武家・町人による付け祭である「菊水祭」などの伝統的な祭りの要素を巧みに取り入れて、地元・宇都宮市民(宮っ子)に愛されすっかり定着し、夏の風物詩となって久しい。毎年8月の第1土曜日・日曜日の両日開催されるのが恒例で、今年は一昨日(5日)と昨日(6日)に行なわれ、天候にも恵まれて盛大だった。「宇都宮」の語源である「二荒山神社」であるが、元は現在の「宇都宮パルコ」の位置にあり、第10代崇神天皇の第一皇子の前方後円墳のようなものがあったと見られる。そこが八幡山丘陵の南端の崖のような地形(前方部?)であったことから、崖を示す上古語の「うつ」を取って「うつのみや」と称したとも言われる。「救命丸」で知られる近郊・高根沢の豪族・宇津(うづ)氏との関連も注目される。巷間に流布している「下野国一の宮」の転訛であるとする俗説は、郷土史家の間では採られていない。大和朝廷による、古代の全国支配の総仕上げに近い時期のモニュメントと言える。そのため、この地域には、きわめて古い伝統を有する祭りがいくつかあり、例えば「おたりや(渡り屋、冬渡祭・春渡祭)」は、現・パルコの位置に今もなごりを留める「上(かみ)の宮」から、現在の「臼が峰」に遷宮(せんぐう)した故事を記念して、これを毎年いわば再現しているもので、平安時代最初期に始まったことが文献上明らかである。実に800年間以上続いている。しかし、いずれも本来の神道的祭祀の原初的形態を色濃く残し、きわめて地味であり、簡単に言えば、本来の意味での神社の神輿(みこし、神の霊が宿った輿・乗り物)が旧市内・旧町内を静かに通りすぎるだけであるといっていい。これにあきたらない市民の手によって、夏真っ盛りの8月上旬に、宇都宮市中心部の「大通り」を歩行者天国にして盛大な祭りを開くコンセプトで、「ふるさと宮まつり」が創設された。筆者は、みこし取りまとめ担当の運営委員を数年間務め、毎年この時期は大変だったが、楽しい思い出でもある。
2006.08.08
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30数年前に卒業した中学校の同窓会は、IT関連業種の社長である幹事(というか、「○○会インターネット事務局」と自称している)が、ほとんど一人でやってくれている。中学時代、陸上部で走り幅跳びの栃木県記録を樹立したほどの爽やかなスポーツマンで、万事にマメでしっかりした体育会系の素養に加え、天賦の宴会部長の資質があるやつなので(笑)、われわれは安心して任せ切っていられる。今朝、彼から同級生に、久し振りのメールの発信があった。訃報だった。同級生の女子のご主人が、癌で亡くなったという。享年53歳。若いなあ。無念だろうなあ。53歳なんて言ったら、まだ間があるとはいえ、僕らもそう遠からず辿りつく歳である。早すぎるよね。心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、残された同級生こと奥様やご家族の悲しみに想いを馳せれば、健康にはくれぐれも気をつけて、長生きしなくちゃいかんなあ、と改めて思うのである。僕なんか、石に齧りついてでも90歳まで生きちゃうもんね。愛する娘たち(と妻)のために。とりあえず「医食同源」だろうか。野菜、豆類、青い物をもっと食べよう。昔取った杵柄だなんていきがらずに、軽めの適度な運動も欠かせない。ただし炎暑には注意、というより、夏の間は運動禁止ぐらいのつもりでいい。脱水症状と熱射病と、強烈な紫外線(UV)による体内でのフリーラジカル(活性酸素)の大量発生は、確実に寿命を縮めるよ。カゴメでもデルモンテでもいいから、野菜・トマトジュースをガブガブ飲みませう。(ちなみに、僕はデルモンテの方が好き。味が熟成された感じがする。)これはスーパーでの実勢価格わずか¥198-(バーゲンなら¥148-になることもある)の、百薬の長ですぜ。そして何といっても睡眠だ。「悪い奴ほどよく眠る」。悪い奴になったとしても、よく眠ること。こういう時代であるから、ストレスを抱え込むなと言われても無理な相談であるが、少なくとも身体的には極力無理せずに、「細く長く」、「無病息災」、「日々是好日」を心がけよう。アンチエイジング(抗老化)のコンセプトは、オシャレなシロガネーゼ奥様だけのものではないのだよん。むしろ男どもこそ、精神的にも身体的にも、本質的な意味でのアンチエイジングを実践しなければならないよね。このIT時代、その気になれば情報はいくらでも手に入るだろう。君を失ったら、悲しむ人がいるんだから。
2006.07.15
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今、車中で何気なくNHK-FM(栃木ローカル、JOBP)を聴いていたら、「大谷石研究家」のオダシマタテオさんという人が出てきて、もしや、と思っていたら、孫のようなNHKの女子アナをからかいながら、軽妙洒脱に盛り上げていくシャベリの手際の良さに、間違いないと確信した。もと栃木放送(ラジオ栃木、CRT)の看板アナ、というかディスクジョッキー(死語)だった小田島建夫氏である。その経歴に一言も触れないのが、さすが、皆様の公共放送NHKなのであった。マセガキだった中学生のワタクシめは、よくA&Mレコード系のイージーリスニングポップス(バート・バカラック、カーペンターズ、セルジオ・メンデスとブラジル’66、ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスなど)をリクエストしてかけてもらったものだ。セルジオ・メンデスも元気で、最近若手ラッパーのサンプリングに嬉々として付き合ったりしてるし、老人パワー全開だ。ションベン臭い小娘をイジるがごときシャベリに、ああ、確かに昔のトークってこうだったと思い出した。笑いつつ、懐かしかったザンス。僕らの世代だとセクハラだのパワハラだのと抗議の電話が殺到しかねない。これも一つの「老人力」か。難しい世の中になったもんだね(笑)。ジモティーにも分からないような、マニアックな話題でした。
2006.03.10
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明日は清(さや)かなる望月。今日は松任谷由実さんの歌詞ではないが、僕も好きな、「14番目の月」である(天文学的月齢13.5。旧暦では今日が15日になっているが)。あの月の模様は、餅搗きをしているのかどうかはともかく、どう見てもウサギだが、ウサギに見えない民族も多いわけで、世界は広く、グローバル・コミュニケーションは難しい、・・・なんてね。ところで、いつも満月前後になると、幼い我が子らが興奮状態になってハシャギ過ぎたり寝つきが悪かったりする。・・・のは気のせいだろうか?理科の授業のおさらいになるが、潮汐(しお)の満ち干は太陽と月の引力、そして地球の自転によることは周知である。朔(さく、ついたち=新月)と望(ぼう、もち=満月)に干満の差が最大になる。朔には太陽、月、地球の順にほぼ一直線上に並び、地球はそちらの一方向に引っ張られる。ちなみに完全に一直線に並ぶと皆既日食になる。これは、ごく稀に起きる。一生に一度は生で見たいものだ。望には太陽、地球、月の順に並び、地球は両方向から股裂き状態で引っ張られる。こちらは完全に一直線に並ぶと月食になる。これは時々起こる。(ちなみに、「ついたち」の語源は「つきたち(月立)」。・・・日立(ひたち・常陸)は茨城の古称だが。)これらと地球の自転があいまって、液体の海水が最も大きな影響を受け、満潮干潮が惹き起こされる。このように、大洋に大きな影響を与えるほどの見えない力が、我々生物にも無縁であるはずはない。我々の体の隅々まで行き渡る血の血清の成分は、太古の海のミネラルバランス(鉱物質平衡)を記憶し保存しているとも云われる。どういう機序(メカニズム)によるかは知らないが、満月と新月の夜に男がしばしば狼になるのはそのためであろうか?ちなみに僕は優しいクマのトーさんですから、ご心配なく。冗談はともかく、稚(いとけな)いピュアな幼子の魂がわななき騒ぎ、興奮状態になるのも無理からぬことかも知れない。・・・っていうか、ただ単に寒いだけかも知んない(笑)。思えば、妻の内部の海 The Sea Inside に、大自然からのかけがえのない恵みが齎されたのは、一昨年の夏のことである。まさに聖なる concept (conceiveの過去分詞。受胎した/孕まれたもの。)であった。感謝してます。
2006.02.12
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作曲家の伊福部昭氏が8日亡くなられた。享年91歳の大往生であった。伊福部氏は現代音楽の巨匠として知られるかたわら、映画音楽の作曲家としても巨大な輝きを示された。僕が生まれて初めて見た映画は、幼稚園生の時、映画好きだった祖母・千代に連れられて地元映画館で見た「キングコング対ゴジラ」(本多猪四郎監督、円谷英二特技監督、主演・高島忠夫、東宝)であった。大画面狭しと暴れまくる大怪獣のあまりの恐さに大泣きして、途中でロビーに退避して苦笑交じりの祖母になだめられたことまで記憶している。人生最初の記憶といっても大げさではないくらい強烈な印象だったのだろう。その後は、特に東宝の主要な怪獣映画(と戦争映画)はほとんど見たと思う。それらの(「モスラ」を除く)全ての作品に流れていた、無調性(長調でも短調でもない)で時にリズムも変則的で、強烈・野性的、しばしば土俗的で骨太でありながら、その底に深い愛惜と悲哀を感じさせる音楽の存在に気付いていた。特にラストシーンにおいてその哀感は極致に達するのであった。しかも後にテレビで見た「ビルマの竪琴」(市川崑監督・第1作の方、安井昌二・三國連太郎主演)や、「原爆の子」(新藤兼人監督、乙羽信子)、「宮本武蔵」(内田吐夢監督、中村錦之助、東映)、「大魔人シリーズ」等々にも、明らかに同じ作者の手になるものと思われる、同質の響きが満ち満ちているのを聴いて驚いた。これらが伊福部昭という一人の孤高の現代音楽作曲家によって生み出されたということを知ったのは10代になってからだったろうか。このほか、「女中っ子」、「夜明け前」など、重厚、シリアスな名編の音楽が多いが、それらフィルモグラフィーはその筋のウェブサイトに委ねる。あの「ゴジラの鳴き声」も、松脂を付けた軍手でコントラバスを弾く(?)という荒業で「作曲」したことで知られる。個人的には、無調性なのに哀調溢れる「ラドン」のテーマソングが大好きだった。この無調性に幼児のころから馴れていた・どっぷりと浸っていたことが、後年現代音楽やモダンジャズへのアレルギーを皆無にしてくれた。もし「伊福部昭大全集」なり「選集」なりのCDが編まれるならば必ず買って、あのダイナミックにしてスタティックな神々しい世界に、また心ゆくまで浸りたいものだ。考えがまとまらないが、ともあれ、音楽の深い感動を最初に教えてくれた伊福部氏に、この場を借りて感謝申し上げつつ、ご冥福をご祈念申し上げます。
2006.02.10
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皆様、こんにちは~(^^)栃木県宇都宮市在住の「くまんパパ Daddy Bear」です。よろしくお願い申し上げます。本当は、ハンドルネームを「くまごろう」にしようと思ったのですが、ほかにいらっしゃるようなので、やめました本日は旧暦(太陰暦)の元日、すなわち小正月に当たります。と言っても、日付に大した意味があるわけではありませんが、この良き日にブログを始めることといたします。今後ともよろしく~
2006.01.29
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