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小倉百人一首 五十五藤原公任(ふじわらのきんとう)滝の音おとは絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ拾遺しゅうい和歌集 449 / 千載和歌集滝の流れる音は絶えて久しくなってしまったがその名声は流れて今も聞こえているのだなあ。註『和漢朗詠集』や『拾遺和歌集』の元となった『拾遺抄』などの撰者・編者。『和漢朗詠集』において、「君が代」の歌(初句)を『古今和歌集』の「わが君は」から現在の文言「君が代は」に確定した人物でもある。ちなみに、「公任(きんとう←きんたふ)」という名は、「公(きみ)」の音便と「任(た)ふ=堪ふ」の組み合わせである。現在でも「任に堪える」という。また、「松任谷(まつとうや)」という苗字は、「松林の堪える谷」というような意味か。初句「滝の音おと」は「滝の糸」とする異伝もある。この異伝の存在が、「ね」ではなく「おと」と読むことを補強しているともいえる。学者らしく、きわめて主知的・技巧的な作品で、「滝、音、絶え、流れ、聞え」という縁語を用いている。「成(な)りぬれど」も、「鳴り・濡れ」を掛けているとも見られる。五句の句頭に「た、た、な、な、な」の頭韻を踏んでいる。特に三句目からの「なりぬれど名こそながれてなほ」という「な」のオンパレードを面白いと見るか、くどいと見るかは、古来評価が分かれているところである。「絶えて久しい」という、現代語にも残る言い回しの元となった一首。この「滝」は、京・大覚寺境内にあったという。拾遺集の詞書きに「大覚寺に人々あまたまかりたりけるに古き滝を詠みはべりける」(大覚寺にたくさんの人々がお参りする中に、半ば忘れ去られた古い滝を詠んでみた)とある。
2013.02.18
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小倉百人一首 五十四儀同三司母(ぎどうさんしのはは、高階貴子・たかしなのきし)わすれじの行末ゆくすゑまではかたければ けふをかぎりの命ともがな新古今和歌集 1149 「(あなたの事は決して)忘れはしないよ」(というあなたのうれしいお約束)の行く末までは頼み難がたいので(いっそ幸せな)今日を限りの命であってほしいのです。註貴子:高貴な平安女性の名は、慣例として有職(ゆうそく)読み(敬意を込めた音読み)にすることが多いが、当時は訓読みだったといわれる。「貴子」の場合も通例「きし」と読むが、実際には「たかこ」または「たかいこ」(「たかきこ」の音便)などであったと思われる。同様に、例えば式子内親王を「しきし、しょくし」と読むが、当時は「のりこ」と読んだと推測されている。新古今集の詞書ことばがきに「中関白なかのかんぱくかよひそめ侍るころ」(中関白が通いはじめられた頃)とある。中関白とは藤原道隆のこと。わすれじ:決して忘れずに気にかける。「じ」は打消しの意思の助動詞。ここでは、道隆が言った言葉の引用(現代文なら「 」の中に入るようなもの)。かたければ:形容詞「難(かた)し」の已然形に接続助詞「ば」が付いたもの。直訳すれば「(あなたの約束が末永く守られることは)ほとんどありえないので」という意味だろうが、やや情緒的に「~頼みがたいので、~信じがたいので」などと意訳することが多い。「難し」は「めったにない、ほとんど(ありえ)ない」「難しい」などの意味。英語の副詞「hard」(めったに~ない)に相当する。「Die hard(なかなか死なない奴)」。現代語でもこの意味で使われる。なお、「ありがたし」も元は同様の意味で、「めったにないほど尊い、優れている、立派だ」といったニュアンスから現在の意味になった。「ありがたきしあわせ」。(と)もがな:詠嘆を込めた強い願望を示す終助詞。「と」は現代語と同じ格助詞。~と願っているのですよ。
2013.02.16
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小倉百人一首 五十三右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)なげきつつひとり寝ぬる夜の明くる間まは いかに久しきものとかは知る拾遺しゅうい和歌集 912(ひたすらあなたを待って)嘆きながらひとり寝る夜の明けるまでの間がどれほど長いものかをあなたはご存じなのでしょうか(いいえ、ご存じではないのでしょうね)。註歌自体は分かりやすいし、わびさび(侘寂)の情感溢れるいい歌だとも思うが、背景の事情がなんとも重たくて、説明するのもやや気が重い寝ぬる:動詞「寝ぬ」の連体形。「寝ぬ」は、上古語「寝いぬ」が変化したもの。かは(知る):「かは」は反語の係助詞。動詞の連体形と係り結びで、「~だろうか(いや~ではない)」の意味を表わす。藤原道綱の母。本名不詳。「蜉蝣日記」の作者。本朝三美人の一人とされるほどの美貌の才女であったが、貴族社会では一夫多妻が普通だった当時としては珍しいほど悋気・嫉妬(ジェラシー)、独占欲が強い性格だったといわれる。今でいう、プライドが高くてヒステリックな「重い」女性だったのだろう・・・と言ってしまうと身も蓋もないけれども。その一方で、作用と反作用か、割れ鍋に綴じ蓋なのか(?)、夫・藤原兼家も、貴顕の身分でありながら、内親王(皇女)から京の「町の小路の女」まで手当たり次第に手をつける、現代の「二股男」なんぞは裸足で逃げ出す艶福家というか浮気者であり、どっちもどっちとしか言いようがないか。私には無縁の御仁である拾遺集の詞書(ことばがき)に「入道摂政まかりたるけるに門かどを遅くあけければ立ちわずらひぬといひ入れて侍りければ」すなわち、「(多くの愛人をはべらせている)夫・兼家が朝帰りでやっとご帰還したのだが、作者が門をなかなか開けなかったので『立ち疲れて病気になってしまったよ』と(冗談を)言いながら入ってきたので」(真顔で返した)とあり、これはかなりドロドロである。午後1時台の民放メロドラマの世界であろうか。作者の作品「蜉蝣日記」にもこの歌は登場し、それによるとこの歌を詠んだ顛末は、作者が道綱を生んで間もない20歳頃、夫・兼家が27歳の頃、「小路の女」(町娘?遊女?)という愛人を作り、その女の元から明け方に帰って門を叩いた兼家を、作者は頑なに拒んで家に入れず、「うつろひたる菊」(しぼんだ菊の花)を添えてこの歌を贈ったのだという。なかなか凄まじい話であるが、おそらくこちらが事実であり、拾遺集の詞書はやや小ぎれいに脚色してあると見るのが、ほぼ定説。上代の万葉集にはまずない、爛熟と頽廃の気配が垣間見える。
2013.02.14
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小倉百人一首 五十二藤原道信(ふじわらのみちのぶ)明けぬれば暮るるものとは知りながら なほうらめしき朝ぼらけかな後拾遺ごしゅうい和歌集 672夜が明けてしまえばまた日が暮れ(てあなたに逢え)るとは分かっているがそれでもやはり恨めしい早朝のほのめきだなあ。註後拾遺集の詞書(ことばが)きに、「女のもとより、雪降りはべる日、帰りてつかはしける」(女の許から、雪の降る朝に帰って遣わした)とあり、内容も合わせ考えると、ある程度親しくなった女性との逢瀬の後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。51番の難解な歌から一転して、きわめて平明で分かりやすい一首で、当時流行歌のように広く愛誦されたといわれる。(明け)ぬれば:完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」に接続助詞「ば」がついたもの。(明け)てしまうと。ながら:逆接の接続助詞。~であるが。現代語でも「しかしながら」などと使う。なほ:「それでもやはり」の意味の副詞。現代語でもこの意味で用いる。cf.)石川啄木「はたらけど/はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり/ぢつと手を見る」(歌集『一握の砂』明治43年・1910)
2013.02.11
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小倉百人一首 五十一藤原実方(ふじわらのさねかた)かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを後拾遺ごしゅうい和歌集 612 せめて こんな有様なのだとだけでも私はあなたに言えるだろうか(いや、言えない)。伊吹山に生える指し艾草もぐさ(が表面に表わさずに燻くすぶりつづけるようにこの胸の奥に)燃え盛る情火をあなたはさほどのものとは知らないのだろうなあ。註後拾遺集の詞書(ことばがき)に「女にはじめてつかはしける」とあり、典型的な玉梓(たまずさ)の相聞歌(そうもんか、恋歌)である。まさに、好きな人に初めて出したラブレターである。百人一首の中でも指折りの技巧的な作品として知られる。凝縮され凝りに凝った表現は、解説がなければほとんど意味が分からないレベルと思うこれを受け取った女性も、何の註釈もなく意味が分かったのだとすれば、相当な教養の持ち主といえるだろう。同時代に生きた清少納言という説もあるが、根拠は薄弱・未詳ながら、なるほどそうかも知れないという気もする。かくとだに:直訳すれば「(せめて)こう(だ)とさえ」。こんなにも思いを募らせていることだけでも。だに:「せめて~とだけでも、~なりとも」の意味の副助詞。えやは:「~ことはできるか(いや、できない)」の意味の反語的疑問形。可能を表わす副詞「え」に、反語(または疑問)の係助詞「や」が付いた「えや」に、さらに強調の係助詞「は」が付いた形。その後に動詞を接続する。ちなみに、この「え」の用法と意味は、現在の関西弁の「(そんなこと)よう言うわ」(よく言えるなあ)、「よう言わんわ」(言えないよ)などの言い回しに継承されているように思う。いぶき:「言ふ」と「伊吹」を掛けている(当時、濁点表記はなく「いふき」と書いた)。伊吹山は、一般的には美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の国境(県境)の山をいうが、古来、この歌に限っては下野国(栃木県)の城山(じょうやま、栃木市吹上町)の別称とする伝承がある。作者がのちに陸奥守として奥州(東北地方)に下向し、そこで客死した(左遷説、およびその否定説がある)ことに絡んで生まれた伝説と思われる。いずれの伊吹山も、薬草や艾(もぐさ)の産地。さしも草:「指し艾(もぐさ)」の意。単に「艾」というに同じ。蓬(よもぎ)。当時、灸を据えることを「艾を指す」といったらしいことからいう。灸術や草餅に用いる。「さしも」(それほどとも、下記参照)に掛けている。灸をする際に、もぐさの表面には火が見えないが、内部で燃えているイメージを、恋い焦がれていることの比喩に用いている。さしも:(打消しの語や反語表現を伴って)「それほど、大して、さしたることとも」などの意味を表わす副詞。(知ら)じ:打消しの推量を表わす助動詞。~ないだろう。~(である)まい。ちなみに、意味的に「じ」は「む」(だろう)の打消し、「まじ」(打消しの当然)は「べし」(当然そうだろう)の打消しにそれぞれ相当するとされる。な:詠嘆の終助詞。・・・(だ)なあ。ねえ。
2013.02.08
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小倉百人一首 五十藤原義孝(ふじわらのよしたか)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな後拾遺ごしゅうい和歌集 669 あなたにお逢いするためなら捨てても惜しくないと思いつめたこの命でさえ(お逢いできた今では、少しでも)長くあってほしいなあと切に思っているのです。註後拾遺集の五句目は、完了または強調の助動詞「ぬ」を用いて「思ひぬるかな」(思ってしまったなあ)だった。百人一首撰者・藤原定家による改稿か。より客観的な掲出の形の方がいいかどうかは、微妙。後拾遺集の詞書ことばがきに、「女の許もとより帰りて遣つかはしける」とあり、思いを遂げたあとの、いわゆる後朝(きぬぎぬ、衣々)の歌である。ロジック(論理、理屈)の歌だが、そのロジックが面白く、「言い草がいい」という感じだ。ある種のユーモアさえ感じとることもできるだろう。百人一首 43番の藤原敦忠の歌にモチーフがやや似ているが、こちらの方はよりストレートでおおらかな、青春の直情・真情を感じさせる。なお、作者は当時流行していた天然痘(疱瘡)に罹り、二十一歳の若さで夭折していることから、「命」に言及したこの歌をその事実と絡ませて(いわばチャイコフスキーの『悲愴』作曲の逸話のように)読まれがちだが、それとこれとに関係があるかどうかは未詳。どちらかといえば無関係(偶然)なのではないかと思う。君:現代語のニュアンスと異なり、相当な敬意を伴った第二人称代名詞。あなたさま。古代では女が男に用いることが多かったが、ここでは女性に用いている。(命さえ)長く:生き長らえて。少しでも(または、いつまでも)長く保って。もがな:詠嘆を込めた強い願望を表す終助詞。「~だったら(いいのに)なあ」「~であってほしいなあ」。願望を表わす上古語終助詞「もが」に、詠嘆の終助詞「な」が付いたもの。上代では「もがも」の形で、万葉集などに頻出する。
2013.02.04
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小倉百人一首 四十九大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)御垣守みかきもり 衛士ゑじの焚たく火の夜は燃えて 昼は消えつつものをこそ思へ詞花集 225皇宮の門を守る兵士たちの焚く篝火かがりびのように(私の恋の情火は)夜は燃え盛り 昼は消え入るごとくに狂おしく思い悩んでいるばかりだ。註御垣守みかきもり:平安時代当時、皇居(現・京都御所)の門を守った警護の兵。「御垣」は、もと皇居の垣根の意味だったが、転じて御門の意味になった。枕詞(まくらことば)ではないが、ここでは「衛士ゑじ」に掛かる枕詞のように用いている。衛士ゑじ(えじ):御垣守みかきもりに同じ。衛視。夜は燃え昼は消えつつ:夜は恋の炎に身を焦がし、昼は沈淪して思い悩みつつ。
2013.02.03
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小倉百人一首 四十八源重之(みなもとのしげゆき)風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな詞花集 211あまりに風が激しいので岩を打つ波が自ら砕け散るように(岩のように冷たいあなたに心を砕いて)思い悩んでいるばかりのこの頃だなあ。註激しくやる瀬ない(失いかけている恋の)片思いの歌。イメージとしては東映映画の冒頭のトレードマーク・タイトルのような感じか。いわゆる「一人相撲」の状態なのだろう。安全保障条約と同様、男女の中も片務的ではなく、双務的でなければ上手くいかないようである。(風)を(いた)み:風がひどく強いので。上代語特有の「ヲミ語法」。体言(名詞など)+間投助詞「を」+形容詞の語幹 +接尾語「み」で、「・・・が、・・・なので」の意味を表わした。和歌では後世も用いられたが、それ以外では廃れた。なお、「を」の用法としては、こうした間投助詞が最も古く、次いで格助詞の「を(歌を詠む)」、さらに接続助詞の「を(色は匂へど散りぬるを)」が生じたとされる。いた(み):形容詞「甚(いた)し」(甚だしい、激しい)の語幹。連用形の「甚(いた)く」は現代語でも用いられる。「いたく悲しむ」。おのれ(己)のみ:自分だけが。ひとりでに。
2013.01.31
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小倉百人一首 四十七恵慶(えぎょう)法師八重葎やへむぐら茂れる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり拾遺しゅうい和歌集 140 幾重にも葎が生い茂っている荒れ果てたこの家の寂寥に訪ねて来る人とてないのだがひとり秋だけは忘れずにやって来たのだなあ。註拾遺集の詞書に、「河原院かはらのゐんにて荒れたる宿に秋来るといふ心を人々詠みはべりけるに」(河原院で、荒れ果てた家に秋が来るという主題を人々が集まって詠んだのだが)とある。八重葎やへむぐら茂れる宿:河原院。もと源融(みなもとのとおる、百人一首14番作者)が、京都六条に奥州・塩釜の浦の景色を模して作らせた豪壮な別荘・庭園だったが、恵慶がこの歌を詠んだのはそれから約百年後で、荒れ果てて半ば廃墟になっており、恵慶の親友・安法(あんぼう)法師が気ままに住んでいたという。葎むぐら:アカネ目(新体系ではリンドウ目)アカネ科の密生し藪をつくる草。植物分類学的にはかなりの種類がある。さびしきに:寂しいところに。寂しい状態に。寂寞に。連体形の準体言(見なし体言)用法。「ところ」などが省略された言い回しであり、これを補うか体言化(名詞化)して読む。(人)こそ(見え)ね:係助詞「こそ」と打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」で、強調・逆接の係り結び。人は来ないのだが。「こそ」と活用語の已然形の係り結びは、現代文でも用いられる。「大鵬さんとは競技こそ違え、同じアスリートとしていつもその偉大な足跡を追い続けてきました」(長嶋茂雄・読売巨人軍終身名誉監督、元横綱大鵬の納谷幸喜さんの死去に際しての談話)見え(見ゆ):この場合は「来る」の意味。現代語でも「お見えになる」(「来る」の尊敬語)、「お目見え」などと使う。
2013.01.26
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小倉百人一首 四十六曾禰好忠(そねのよしただ)由良ゆらの門とを渡る舟人梶かぢを絶え 行方ゆくへも知らぬ恋のみちかな新古今和歌集 1071由良の瀬戸を漕ぎ渡る舟人が櫂をなくしたように行方も分からない恋の路だなあ。註きわめて洗練された難解晦渋な歌も多い新古今集・百人一首にしては珍しく、割と分かりやすい歌だと思う「由良ゆらの門とを渡る舟人梶かぢを絶え」までが「行方も知らぬ」を導く序詞(じょことば)。由良の門:現・京都府(丹後国)宮津市由良・石浦、および舞鶴市西神崎付近とする説(契沖の説)が有力だが、紀淡海峡の由良岬付近であるとする説も根強くある。門と(戸):瀬戸、海峡、河口など水流の出入りする場所をいう古語。「港、瀬戸」などのほか、「江戸、長門、水戸、鳴戸」などの固有名詞に多く含まれる。梶かぢ:楫(かじ)、櫓・艪(ろ)、櫂(かい←かぢ)、「オール」の類い。現在いう「舵」は、語源は同じと思われるが、意味が変わっている。梶かぢを絶え:梶を失くして。古来、「梶を」は「梶尾」(梶を船に取り付ける綱、「楫の緒」の意味か)であるとする説もある。この場合「梶を絶え」は「梶尾が切れ」の意味となり、これはこれでやや捨てがたい解釈である。
2013.01.25
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小倉百人一首 四十五藤原伊尹(ふじわらのこれただ、謙徳公けんとくこう)あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな拾遺しゅうい和歌集 950(あなたにすげなくされて)「ああ、お気の毒に」とでも言ってくれそうな人も思い浮かばずこの身は空しく滅んでしまうのだろうなあ。註拾遺集の詞書(ことばがき)によれば「もの言ひはべりける女のつれなくはべりて、さらに逢はずはべりけれ」(懸想し言い寄った女性がつれなくて、ちっとも逢ってくれないのだなあ)とあり、失恋の歌である。本気で言っているのか、それともモテ男の貴公子のやや大袈裟な身振りの修辞や擬態的な言葉遊びが入っているのかどうかは微妙だが(・・・個人的にはたぶん後者かなと思う)、今ならCOWCOWに「あたりまえ体操」で「引く」と言われそうである。昔は、切ない悲恋の歌と大真面目に解釈・鑑賞されていたようだが、現代の目で見ると、半ば「自虐的ジョーク」に近い歌ではないかという視点もあり得ると思う。あはれと:「かわいそうだ、お気の毒だ、哀れだ」と。(あはれと)も:強調の係助詞。いふべき人:言ってくれるであろう(親身な)友人、または別の女性。思ほえで:「思ほゆ」(思い浮かぶ)に、「・・・ないで、せずに」の意味を表わす打消しの接続助詞「で」が付いたもの。現在では「オモオエデ」と読む(当時は「オモフォイェデ」のように読んだ)。(思ほえ)で:打消しの助動詞「ず」の古い連用形「に」に、接続助詞「て」が接合して約つづまったものと見られる接続助詞。活用語の未然形に付く。現代語でも「古都ならではの情緒」などの言い回しに残る。体言に接続する格助詞・接続助詞の「で」とは別の語なので要注意といえる。なお、従来の語源説では「ず」の比較的新しい連用形「ず」に「て」が接合した「ずて」が約まったものとされてきたが、「ずて」から「で」への音韻の変化は不自然であることなどから、現在では上記の語源説が有力。「に」の用例は「知らに」(知らないで)などがある。「ず」の活用は難しいが、きわめて基本的な語ほど活用形が複雑だったりするのは、例えば英語のbe動詞などにも見られる現象である。いたづらに:空しく。はかなく。無駄に。現代語でも、この意味で用いられる。いたづらになりぬ:恋い焦がれて空しく死んでしまう。
2013.01.24
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小倉百人一首 四十四藤原朝忠(ふじわらのあさただ)逢ふことの絶えてしなくは なかなかに人をも身をも恨みざらまし拾遺しゅうい和歌集 678(いっそ)逢うことが全くないのであればなまじっか(時々はお逢いする)あの人(のつれなさ)もこの身(のはかなさ)も恨まないものを。註語法、語句から見て、在原業平の名歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今和歌集 53)を踏まえていると思われる。絶えて:否定語を伴って「全く・・・ない」の意味を示す副詞。動詞「絶ゆ」が語源であることは明らかだが、副詞として一応別の語とされる。古語動詞「敢(あ)ふ」(負けまいと耐える、しおおせる)と、現代語にも残る副詞「敢えて」の関係に似ている。(絶えて)し:強調・整調の副助詞。特定の意味はない。(なく)は:仮定条件を表わす接続助詞。文末の「まし」に掛かっている。もし・・・だったら。なかなかに:中途半端に。なまじっか。かえって。身をも恨み:自分自身を恨むということだろうが、意外に難解な語句とも思う。われとわが身の「至らなさ、はかなさ、浅はかさ」などを悔しく思うといったことだろうか。(恨みざら)まし:反実仮想の終助詞。「なくは」の仮定条件を受けて、「(そんなことはあり得ないが)・・・だったら、・・・だろうになあ」といった意味になる。
2013.01.22
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小倉百人一首 四十三藤原敦忠(ふじわらのあつただ)あひ見ての後のちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり拾遺しゅうい和歌集 710 あなたとお逢いできて契りを結んでからあとのますますつのる切なさに比べれば昔は何も思い悩んでいなかった(ようなものだ)なあ。註思いを遂げ逢瀬の枕を交わした後にますます滾たぎるばかりの狂おしい思いに比べれば、逢う前の片思いのつらさなどは、今思えばものの数ではなかったという恋愛心理の機微。技巧的な作品が多い小倉百人一首にあって、鮮烈な心の「実感」を感じさせる秀歌。敦忠が、プリンセス雅子内親王(醍醐天皇皇女、伊勢斎宮)に贈った相聞歌。二人の間には踏み踰こえるべからざる身分差があり、遠からず引き裂かれる予感が背景にあったといわれる。あひ見る(逢ひ見る、相見る):動詞「あふ(逢ふ、会ふ)」の連用形、またはそれが転じた接頭語「あひ(相)」に「見る」が付いた動詞。対面するという意味もあるが、ここでは男女が契りを結ぶこと。
2013.01.22
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小倉百人一首 四十二清原元輔(きよはらのもとすけ)契ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末すゑの松山波越さじとは後拾遺和歌集 770約束したね。互いに(涙に濡れた)袖を絞りつつ末の松山を波が越えることはあるまいとは。註清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫で清少納言の父である才人が、(後拾遺集の詞書きによれば)「心変はりてはべりける女に、人に代はりて」(心変わりした女に、友人の代作で)頼まれて詠んだという一首。古今和歌集1093「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(君をさしおいて異なる心・浮気心をもし私が持ったら、波が決して越えないという末の松山も波が越えてしまうだろう)という東歌(当時の辺境の民謡のようなもの)の本歌取り。契ちぎり(契る):特に男女関係などで、堅く約束を交わすこと。(契り)きな:過去の助動詞「き」の終止形に、詠嘆や念を押す意味の終助詞「な」が付いた形。「な」は現代語「ね」「のね」「な」などに当たる。 cf.) 小野小町「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」かたみに:互いに。交互に。かわるがわる。短歌では、現代でも用いられる語。末の松山:現・宮城県多賀城市八幡の歌枕の地。当時、海辺にありながら、決して波が越さないという言い伝えがあった。現在では同地に「末松寺」という寺院があるが、昔日を偲ぶ面影はほとんどない。(波越さ)じ:想像による否定の推量を表わす助動詞。ないだろう。よもやあるまい。まずありえない。末すゑの松山波越さじ:変わることはありえない、二人の誓いが破られることは絶対にないとの寓意。
2013.01.21
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小倉百人一首 四十一壬生忠見(みぶのただみ)恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか拾遺しゅうい和歌集 621恋わずらいをしているという私の噂がもう立ってしまったのだなあ。人知れず密かに思いはじめたばかりなのに。註恋すてふ:「恋すといふ」が約つづまったもの。恋をしているという。現在では「コイスチョー」と読むが、当時は「コフィステフ」または「コピステプ」のように発音した(当時のハ行は、f音またはp音だったと推定されている)。まだき:「早くも、もう、夙つとに、まだその時期ではないのに」などの意味の副詞。形容詞「まだし(未だし)」(まだその時期ではない、機が熟さない)と語源的関係があることは自明と思われるが、やや特殊なニュアンスを帯びた語。立ちにけり:動詞「立つ」の連用形「立ち」に、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」と詠嘆の助動詞「けり」が付いたもの。人知れず:おそらくこの歌などの影響で現代語に残ったと思われる言い回し。動詞「知る」の未然形「知れ」に打消しの助動詞「ず」が付いたもの。人が知ることがない。人に知られない。(人知れず)こそ(思ひそめ)しか:係助詞「こそ」と、過去の助動詞「き」の已然形「しか」が係り結びで、強調とともに逆接の「思い初(そ)めたばかりだというのに~」の意味となる。
2013.01.18
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藤原定家ふじわらのていかに小倉百人一首の編纂を依頼した、いわば「発注者」として知られる宇都宮頼綱うつのみや よりつな(蓮生れんじょう)と浄土真宗の開祖・親鸞しんらんの関係について、興味深いコラム記事が当地・栃木の地元紙「下野新聞」17日付に載っていたので、リンクしてご紹介する。 鎌倉有力御家人だった当地・宇都宮の第5代城主・頼綱は、比企ひきの乱前後の政争に巻き込まれ、出家して浄土宗の開祖・法然ほうねんの弟子となって蓮生と名のり、歌人としても聞こえた。 その後、当時(も今も)第一級の歌人である定家のパトロン格となり、その長男・為家に娘を嫁がせたほどの間柄だった。 親鸞とは法然門下の兄弟弟子に当たるわけだ。当時のいわば「宮廷サロン」での定家、式子内親王と法然らの近しい交友(恋愛?)関係も著名である。 ちなみに、宇都宮氏は戦国時代末期から江戸幕府成立期の混乱の中で離散し、全国宇都宮氏の祖となった。○ 下野と親鸞下野新聞(栃木)1面コラム「雷鳴抄」 1/17付 筑波大名誉教授の今井雅晴さんから著書の「下野と親鸞」(自照社出版)が送られてきた▼鎌倉時代の念仏僧の親鸞は貴族の家に生まれ9歳で出家、35歳で越後国に流罪になった。許されて後も京都には戻らず、妻の恵信尼と碓氷峠を越え、下野国を通って常陸国の稲田に庵を結んだようだ▼今井さんは、親鸞が42歳で関東に来て念仏を布教し、京都に戻るまでの20年余りの足跡を中心に2010年春から1年半、本紙に連載した。親鸞は京都に戻って90歳で亡くなっているが、関東の時代に仏教書の「教行信証」を書き、「歎異抄」を記した唯円らを育てた。関東の20余年は濃密だった▼最初に庵を結んだのがなぜ稲田だったのか。親鸞についてはそれをずっと疑問に思っていたが、今井さんの著書を読めば、その理由がはっきり分かる。同じ法然門下だった宇都宮頼綱らの存在があったのだ▼宇都宮氏は当時、常陸国にも進出し、稲田はその影響下にあった。笠間氏初代の時朝は、頼綱の実弟・塩谷朝業の次男でもある。常陸と下野にまたがる一帯は、宇都宮氏の拠点であり、益子には歴代の墓もある▼こうしてみると、真岡に親鸞ゆかりの高田山専修寺ができ、三谷草庵が結ばれたのも偶然ではない。この地域には大変な歴史遺産が残されている。
2013.01.17
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小倉百人一首 四十平兼盛(たいらのかねもり)忍ぶれど色に出いでにけりわが恋は ものや思ふと人のとふまで拾遺しゅうい和歌集 622 心に秘めていても顔色に出てしまったのだなあ、私の恋は。「恋わずらいをしているのか?」と人が問うほどにまで。
2013.01.15
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小倉百人一首 三十九源等(みなもとのひとし) 浅茅生あさじふの小野をのの篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき後撰和歌集 578浅く茅ちがやが生えている野の低い篠竹の原のように忍んでいるのだが抑えきれないほどに思いが余ってどうしてこんなにあなたが恋しいのだろう。註浅茅生あさじふの:「小野」に掛かる枕詞(まくらことば)。浅茅生は、疎まばらに茅ちがやが生えていること、ところ。「生ふ」は、動詞「生おふ」が約まったものか。cf.)生(お)ひ茂る。生ひ立ち。類型の語に、芝生(しばふ)、柳生(やぎゅう←やぎふ)、蒲生(がもう←がまふ)、有田芳生(ありた・よしふ、参議院議員・ジャーナリスト)など。などか:疑問の副詞「など」に疑問の係助詞「か」を重ねた形。どうして・・・なのか?「か」と形容詞「恋し」の連体形「恋しき」は係り結び。
2013.01.15
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小倉百人一首 三十八右近(うこん)忘らるる身をば思はず 誓ちかひてし人のいのちの惜しくもあるかな拾遺和歌集 870忘れ去られるこの身などどうなってもいいのです。でも、永久とわの契ちぎりの誓いを破ってその天罰で亡くなる人の命が惜しくも思えるのですわ。註神仏に誓い合ってまで堅く契ちぎった仲なのに、男は女を疎遠にしようとしている。〔1〕しかし、女は男の不実を責めるどころか、「あなたが誓いを破った罰を受けはしないか」と殊勝にも(くよくよと)心配している。もしくは、〔2〕「この恨み晴らさでおくべきか。祟りで死ぬかも知れないわよ」と、強烈な嫌味を言っている、という両極端の解釈がある。さらにまた、〔3〕「忘れられてしまう身だとは思いもせずに誓いを交わした人の~」というニュアンスの文脈の解釈もあり、厳密にいうとなかなか難しいのだが、近年では〔2〕の「毒舌皮肉説」が有力か?忘らるる:古語動詞「忘る」の古い四段活用の未然形に、受身の助動詞「る」の連体形が接続した形。「忘る」は平安期以降、主として下二段活用(れ・れ・る・るる・るれ・れよ)になったが、奈良時代までの四段活用(ら・り・る・る・れ・れ)もなお後世に至っても用いられ、謡曲・浄瑠璃などに用例が多い。この歌も、当時としても古雅な響きを漂わせていたのかも知れない。下二段活用の場合であれば、未然形「れ」に「らる」が接続するので、「忘れらるる」となり、現代語「忘れられる」に近づく。なお、「忘らる」は現代語でも完全に廃れたわけではなく、特に文学的・詩的表現などでは、レトロスペクティヴ(懐古的)な感じを狙って「忘られぬ(人、日々、時代、女etc.)」などの形で用いられる場合がある。サザン桑田の歌詞の結語など重要部分にしばしば見られ、一定の効果をあげていると思う。cf.) 「Ya Ya あの時代(とき)を忘れない」歌詞「Bye Bye My Love」歌詞(誓ひ)てし人:完了の助動詞「つ」の連用形「て」に、過去の助動詞「気」の連体形「し」がついた形。確かに誓い合った人。
2013.01.11
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小倉百人一首 三十七文屋朝康(ふんやのあさやす)白露しらつゆに風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける後撰和歌集 308 草の葉に置いたきららかな露に風が吹きしきる秋の野には糸で貫きとめていない珠玉が飛び散っている。
2013.01.06
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小倉百人一首 三十六清原深養父(きよはらのふかやぶ)月のおもしろかりける夜 暁方あかつきがたに詠める夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ古今和歌集 166〔月のきれいな夜の明け方に詠んだ歌〕夏の夜はまだ宵と思っているうちに明けてしまったので(沈む間さえなかったであろう)月は雲のどこに宿っているのだろうか。註清少納言の曽祖父、元輔の祖父である作者による、いかにも古今集らしい洒落た機知の歌。
2013.01.05
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小倉百人一首 三十五紀貫之(きのつらゆき)人はいさ心も知らず ふるさとは花ぞ昔の香かににほひける古今和歌集 42人は、さあ、心も分からないがあなたが住んでいるこの里では梅の花が昔のままの香りで照り映えているなあ。註いさ:否定のニュアンスを持つ古語副詞(感動詞)。さあ。さてどうだろうか。「いざさらば」「いざ鎌倉」などの「いざ」とは別語だが、混同されて「いざ知らず」という語になって残った。ふるさと:この場合は、現代語でいう「故郷(郷里)」ではなく、昔なじみの(女性が住んでいる)里。「(花)ぞ・・・(にほひ)ける」は強調の係り結び。『古今和歌集』編者による名歌。この「花」が梅であることは、作者自らが古今集の詞(ことば)書きで明示している。
2013.01.04
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小倉百人一首 三十四藤原興風(ふじわらのおきかぜ) 誰をかも知る人にせむ 高砂たかさごの松も昔の友ならなくに古今和歌集 909(今では親しい友はみな世を去り、私だけが取り残されて)いったい誰を知己にすればいいのだろう。(長寿だという)高砂の松も(人にはあらず)昔の友ではないのだよなあ。註知る人:親しい友人、知己(ちき)。高砂たかさご:播磨国加古郡高砂(現・兵庫県高砂市)の浜辺(現・高砂海浜公園)。古くより松の名所で知られる歌枕の地。同地・高砂神社の「相生あいおいの松」も有名。なくに:和歌に多く用いられ、否定の詠嘆を示す。従来の文法的解釈としては、打消しの助動詞「ず」の古い未然形「な」に、語を名詞(体言)化する接尾語「く」と接続助詞「に」が付いたものとされており、古語辞典でもこの解釈で載っているものが多い。が、近年では、「ず」の連体形「ぬ」に、上古に存在したと推定される形式名詞「あく」が接続して約つづまったものとされ、現在ではこちらの説が有力になっている(「ク語法」の統一的説明)。この説に従えば、この「く」は「いはく(曰く、言わく)」「のたまはく」や「思はく(「思惑」は当て字)」「老いらく(の恋)」などの造語成分と共通であると、統一的に説明できる。例えば「老いらく(老ゆらく)」は「老いる(老ゆる)+あく」である。
2012.12.31
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小倉百人一首 三十三紀友則(きのとものり)ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ古今和歌集 84大空の光がのどかな春の日になぜ落ち着きもなく桜の花は散るのだろう。註ひさかたの:もと「天(あめ、あま)、空」にかかる枕詞(まくらことば)で、転じて「日、月、雨、雲、光、星、夜」など天象に関わる語に冠し、さらに「都、鏡」などにかかる。語源は「久堅」または「久方」とされる。下二句は、「など」(なぜ、どうして)、「などてか知らねど」(なぜかは知らないが)などの疑問語が省略された形と解され、これを補って読むのが定説。しづ心:穏やかな心。静謐な、落ち着いた心。
2012.12.08
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小倉百人一首 三十二春道列樹(はるみちのつらき)山川やまがはに風のかけたる柵しがらみは 流れもあへぬ紅葉もみぢなりけり古今和歌集 303 深山の川に風がかけたしがらみは流れようとしても流れずにとどこおった紅葉だったなあ。註山川:「やまがわ」と濁る。「やまかわ」と濁らない場合は、「山と川」の並列の意味。柵(しがらみ):水流をせき止めるために、川の中に杭(くい)を打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけた柵(さく)。人がかけるものである柵しがらみを「風がかけた」と見立てた趣向に面白みがある、良くも悪くも典型的な古今調の一首。
2012.12.03
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小倉百人一首 三十一坂上是則(さかのうえのこれのり)朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪古今和歌集 332 ほのかに夜が明けそめる頃有明の月が照っていると見まごうほどに明るく吉野の里に降り積もっている白雪。註有明の月:旧暦の毎月十六夜(いざよい)以降の、明け方の空に残っている月。 → 月の満ち欠けと呼び名
2012.12.02
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小倉百人一首 三十壬生忠岑(みぶのただみね)有明ありあけのつれなく見えし別れより あかつきばかり憂うきものはなし古今和歌集 625有明の月がつれなく見えたあの夜明けの別れから今も暁ほど憂鬱なものはない。註通い婚だった平安時代当時、恋する女性にしばらく逢えないでいる男の悲哀を詠んだ。「有明のつれなく見えし別れ」は、字義通り読めば「有明の月が冷淡そうに見えた後朝(きぬぎぬ)の別れ」という意味だろうが、〔1〕「有明」は女性を象徴しており、女性に冷たくされた(平たくいえば「フラれた」)という説と、そうではなく、〔2〕女性と作者(作中主体)は今も好き合っているのだが(「つれない」のは月だけ)、何らかの事情で逢えないでいるという、微妙な解釈の違いがある。一般的には〔1〕の説が優勢と思うが、小倉百人一首の撰者・藤原定家は〔2〕のような解釈を採った上で、艶な趣があると評価している。有明ありあけ:明け方になっても空にある月。陰暦十六夜(いざよい)以降の月。つれなし:すげない。そっけない。冷ややかだ。ほぼ原義のまま現代語「つれない」に残る。これが有明の月だけの描写か、相手の女性の態度も掛けているのかは、古来解釈の違いがある。
2012.12.01
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小倉百人一首 二十九凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)心あてに折らばや折らむ 初霜の置きまどはせる白菊の花古今和歌集 277 当てずっぽうに折るならば手折ってみようか。初霜が降りて目を惑わせる真っ白の菊の花。註心あてに:当て推量で。
2012.11.28
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小倉百人一首 二十八源宗于(みなもとのむねゆき)山里は冬ぞさびしさまさりける ひとめも草もかれぬと思へば古今和歌集 315 山里はとりわけ冬に寂しさがまさるなあ。訪れる人も絶え草も枯れてしまうと思うと。註「(冬)ぞ・・・(まさり)ける」:強調・詠嘆の係り結び。「ける」は連体形。ここでいったん切れる三句切れ。ひとめ:「人目」から転じて、人の行き来、往来。かれ:古語動詞(人の行き来が)「離(か)る」(離れる)と(草が)「枯る」(枯れる)を掛けている。「離(か)る」は「あくがる(憧れる)」に残滓的痕跡。「(魂が対象に向かって抜け出て)離れる」が原義。
2012.11.27
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小倉百人一首 二十七藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ新古今和歌集 996瓶原に湧いて、瓶原を分けて流れる泉川。いつ見たというのか(逢った覚えもない人が)なぜこんなにも恋しいのだろう。註瓶原:山城国相良郡(現・京都府木津川市加茂町)付近。甕原。「みか」と「みき」の音韻が掛けてある。わきて:「(水が)涌き出て」と「(野を)分けて」の両義が掛けてある。「いづみ(泉)」と「いつ見き」が掛けてある。当時は濁点表記がなかった。
2012.11.26
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小倉百人一首 二十六藤原忠平(ふじわらのただひら、貞信公ていしんこう)小倉山をぐらやま峰のもみぢ葉 心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ拾遺しゅうい和歌集 1128小倉山の峰を彩る紅葉よもし心があるならば色あせることなく今ひとたびの帝みかどの行幸みゆきを待ってほしい。註小倉山:現・京都市右京区嵯峨亀ノ尾町の名所。みゆき:醍醐天皇の行幸。(待た)なむ:密かに相手に誂(あつら)える(頼んで自分の思うようにさせる)意をあらわす終助詞。・・・してほしい。してくれたらなあ。
2012.11.24
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小倉百人一首 二十五藤原定方(ふじわらのさだかた、三条右大臣さんじょうのうだいじん) 名にし負おはば逢坂山あふさかやまのさねかづら 人に知られでくるよしもがな後撰和歌集 701(「逢う坂」と「さ寝」という)その名の通りであるならば逢坂山のさねかずらの蔓を手繰り寄せるように人に知られずこっそりとあなたを連れて来るすべがあればなあ。註名にし負はば:その名を負っているのなら。その名に背かないのなら。「負は(ば)」は未然形で、仮定の意味になる。逢坂山:現・滋賀県大津市逢坂付近の山。東海道と東山道(のちの中山道)の関所が置かれた。山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の国境(くにざかい)で、古来、交通の要衝だった。さねかづら(サネカズラ):マツブサ科の常緑つる性の木。「さね」の語源は「実」だろうが、ここでは「さ寝」(共寝すること)と掛けている。また、蔓がからみつくイメージも念頭にあるか。(知られ)で:打消しの助動詞「ず」と接続助詞「て」が接合して約まった助動詞。品詞は助詞説もある。(知られ)ない状態で。現代語にも「(作者)ならではの作品」などの形で残る。くる:「繰る」(手繰り寄せる)と「来る」を掛けている。動詞「繰る」は、現代でも「ページを繰る」などと使う。現代語「手繰る」は、「手(た)」+「助(す)く」=「助(たす)く・助ける」や、「手(た)」+「向(む)く」=「手向(たむ)く・手向ける」などと同様の語構造。なお、この「来る」の主語を作者(男)と見れば、「行く」の意味とも取れる。「来る」が「行く」の意味になることは、和歌では珍しくない。よしもがな:由(手段、方法、すべ)があればいいのになあ。「もがな(もがも)」は、願望を示す古語の終助詞で、和歌・短歌では後世でも用いた。
2012.11.23
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小倉百人一首 二十四 菅原道真(すがわらのみちざね)このたびは幣ぬさもとりあへず手向山たむけやま 紅葉の錦にしき神のまにまに古今和歌集 420この度の旅はあわただしくて幣ぬさも手に取れずに参りました。幣を手向けるべきこの手向山の紅葉の錦を奉納いたしますのでどうか神意のままに(ご笑納下さい)。註(この)たび:「度」と「旅」を掛けている。幣ぬさ:神に捧げる供え物。また、祓(はらえ)の料とするもの。古くは麻木綿(あさゆう)などを用い、のちには織った布や紙を用いた。みてぐら。にぎて。幣帛(へいはく)。御幣(ごへい)。玉串(たまぐし)。秋の祭礼における「初穂」(その年の初めての稲の収穫を奉納するもの)もこの類い。手向山たむけやま:手向山八幡宮。奈良市雑司町にある神社。まにまに:随意に。意の儘に。現代語「ままに」の語源。
2012.11.20
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小倉百人一首 二十三大江千里(おおえのちさと)月見れば千々ちぢにものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど古今和歌集 193あの名月を見ていると限りないもの思いが溢れてきて切なく哀しいなあ。私ひとりのために来た秋ではないけれども。註平安朝の知識人・大江千里の、やや理屈っぽくて洗練された持ち味がよく出ている。月を見て物思いに耽っている自分のセンチメンタルな主観を、もう一人の冷静で客観的な自分が批評して(・・・茶化して、 あるいは照れて)いるような歌。・・・一人漫才のボケとツッコミみたいな(?)こういった観念の遊戯性を、けなす人はボロクソにけなす。が、全体としてそれほど嫌味はなく、むしろ近代的な感性の秀歌と評してもいいであろう。「千々」と「ひとつ」の対照は、言葉遊びの妙。「こそ・・・けれ」は、強調の係り結び。
2012.11.20
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小倉百人一首 二十二文屋康秀(ふんやのやすひで)吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ古今和歌集 249 吹けばたちまち秋の草木が萎しおれてゆくのでなるほど山風をあらしというのだろう。註吹くからに:吹けばすなわち。吹くやいなや。吹くそばから。むべ:なるほど。動詞「うべなう(肯う、諾う)」(肯定する)の語幹と同語源。「嵐」と「荒らし」の掛詞(かけことば)や、「山風」と「嵐」の文字の遊びになっており、ちょっととぼけた味のある歌。天下の美女・小野小町とも親交が深かった才人の軽妙洒脱な一首。
2012.11.19
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小倉百人一首 二十一素性(そせい) 今来こむといひしばかりに 長月の有明の月を待ち出でつるかな古今和歌集 691今すぐ行くよとあなたが言ったばかりに秋の夜長の長月の有明の月が出るまで待ち明かしたのよねえ。註近いうちに解散するよと首相が言ったばかりに、われわれ国民は盛夏から晩秋までの長い長い3か月を待たされたわけだが、待つ身とはまことにつらく侘しいものである長月:旧暦の九月(現行新暦のほぼ10月に当たる)。「夜長月」が語源とされる。有明の月:満月以降の月。夜更けになってやっと出て、朝になってもまだ空にある。寂寥として、ある種の空虚な感じも漂う。待ち出で:「待っていて出会う」の意。つる:能動的な動作の完了を示す助動詞「つ」の連体形。作者は男性の僧侶だが、この歌ではつれない男に待ちぼうけを食らわされた女性の身になって詠(うた)っている。
2012.11.19
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小倉百人一首 二十元良親王(もとよししんのう)わびぬれば今はた同じ 難波なにはなるみをつくしても逢はむとぞ思ふ後撰和歌集 961心底つらく思いわずらってしまったのでもう今さらどうなっても同じこと。難波の海にある澪標みおつくしのようにわれとわが身を尽くしてもあなたに逢おうと思うのだ。註宇多天皇の寵妃である女御・京極御息所(きょうごくのみやすんどころ、藤原褒子・ふじわらのほうし)との不倫が発覚した際に詠んだ、貴公子の激しい愛恋の歌。わびぬれ(ば):動詞「侘(わ)ぶ」に、完了の助動詞「ぬ」の連体形が付いたもの。「わぶ」は悩み苦しみ思い煩うこと。悩み込んですっかり煮つまってしまって。今はた同じ:厳密には解釈が難しい凝縮された表現だが、「今またどうなっても同じことだ」「こうなれば生きていても滅んでも同じことだ」などのニュアンスと思われる。「はた」は「また」とほぼ同義だが、より強いニュアンス。ここでいわば句点(。)が付き、2句切れ。難波なには:大阪付近の古名。「なんば」とも読む。「難」の字を嫌ってだろう、後世「浪花」「浪速」の字を当てた。cf.)「浪花節、浪曲」。みをつくし:「澪漂(みをつくし)」と「身を尽くし」の掛詞(かけことば)。澪漂は、岸に近い海に杭(くい)を並べて立て航路を示した標識で、船が往来するときの目印にした。語源は「澪(みお)つ串(くし)」(「つ」は上代の格助詞で、「の」と同じ意味)。遠浅の難波(大阪湾)のものは古来有名で、現在、大阪市の市章になっている。「澪(みを)」は「水(み)尾(を)」が語源で、(船が安全に航行できる)「水路、水脈」の意味。「身を尽くし」は「身を終わらせる、滅ぼす」「命を尽くす」の意味。
2012.11.18
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小倉百人一首 十九伊勢(いせ)難波潟なにはがたみじかき蘆あしの節の間も 逢はでこの世をすぐしてよとや古今和歌集 1049難波潟に生えた葦の節と節の短い間でも逢わずにこの世を終えてしまえというのですか。註難波潟:現・大阪湾の入り江。「難波潟みじかき葦の」までが「節の間」(ほんの短い間)を導く序詞。「節」は「臥し」(寝込み)と掛けているともいう。この世をすぐす:「この夜を過ごす」と「この世(一生)をやり過ごす」の意味が掛けてある。また「節(よ)」の掛詞と見れば「節(ふし)」と縁語。てよ:・・・てしまえ。完了の助動詞「つ」の命令形(の珍しい用例)。「つ」は、能動的・主体的な動作の完了を示す。
2012.11.13
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小倉百人一首 十八藤原敏行(ふじわらのとしゆき)住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通かよひ路ぢ人目よくらむ古今和歌集 559住の江の岸に寄せる波の夜にさえ夢の中の通い路ですら人目を避けて逢えないのだろうか。註一応の意味は分かるのだが、潜在的な主語が「われ」なのか「きみ」なのか、男なのか女なのかで解釈は分かれる。男の訪れを待つ女の立場になって詠んでいるとするのがおおむね定説だろうが、男(私)の方が逡巡しているという解釈もある。どちらでもいいのかも知れないし、隠された主語は「われら」でいいのかも知れない。和歌にはしばしばある、曖昧模糊とした自他未分化な夢幻境ともいえよう。いかにも、自ら技巧派の総帥であった小倉百人一首の撰者・藤原定家好みの一首という感じがする。住の江の岸:現・大阪府大阪市住吉区住之江付近にあった海岸。現在では埋め立てられて、昔日の面影はない。寄る:寄せる。「住の江の岸に寄る波」までが「夜」を導く序詞。や・・・らむ:疑問の助詞「や」と推量の助動詞「らむ」の係り結び。・・・なのだろうか。人目よく:(口さがない)人の目を避ける、よける。
2012.11.12
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小倉百人一首 十七在原業平(ありわらのなりひら)ちはやぶる神代かみよも聞かず龍田川たつたがは からくれなゐに水くくるとは古今和歌集 294 いにしえの霊威なる神々の時代の話でさえ聞いたことがない。龍田川が深紅に水をくくり染めにするとは。註川面を覆う紅葉の景観を、川の水を「括くくり染め」にしたものと見立てた。濃艶華麗で洒落た趣向の、人口に膾炙した名歌。なお、広く人気のある料理「竜田揚げ」は、この歌に基いて名づけられたという。ちはやぶる:「神」「氏」などに掛かる枕詞(まくらことば)。「千早振る」と表記されるが、語源は「逸(いちはや)振る」(荒々しく勢いがあるさま)とされる。* 竜田川* からくれなゐ(唐紅)水くくる:「(川の)水を括り染め(絞り染め)にする」の解釈が定説だが、古来「水が潜(くぐ)る」(当時は濁点表記はなかった)の説もあり、もともと作者が意図的に両義性 ambiguity を用いたという見方もできるかも知れない。
2012.11.06
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小倉百人一首 十六在原行平(ありわらのゆきひら) たち別れいなばの山の峰に生おふる まつとし聞かば今帰り来こむ古今和歌集 365友人たちに別れを告げて因幡の国に赴く私だが因幡の稲羽山の峰に生えている松のように皆が私を待っていると聞いたならすぐに帰って来るだろう。註855年の春、行平が因幡守(今でいう鳥取県知事に相当?)に任ぜられて赴任する際の別れの歌。いなば:「因幡」国(現・鳥取県)と「往(い)なば」(去れば、行けば)を掛けている。現在でも方言では、去ることを「往(い)ぬ」という地域が少なくない。関西などの芸人が「いね」(消えろ、失せろ)とか言うのをよく聞く。生おふ:生える。生まれ育つ。「生い茂る」「生い立ち」や、固有名詞「生沼」「相生」などに残る。まつ:「松」と「待つ」の掛詞(かけことば)。今:今にも。すぐにも。
2012.11.06
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小倉百人一首 十五光孝天皇(こうこうてんのう)君がため春の野に出いでて若菜摘む わが衣手ころもでに雪は降りつつ古今和歌集 21 君のため早春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に雪は降りかかって。註早春の清冽な秀歌。天皇が、当時としては老齢の55歳で践祚(せんそ、即位)する以前の、若き時康(ときやす)親王時代の青春の歌。若菜:芹、薺(なずな)、嫁菜、土筆(つくし)、田菜(たんぽぽ)、蕨、薇(ぜんまい)、うこぎなど、「春の七草」に歌われたような、食用になる早春の植物の総称。その中には、早春の花もあったかも知れない。
2012.11.06
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小倉百人一首 十四源融(みなもとのとおる)みちのくのしのぶもぢずり 誰たれゆゑにみだれそめにし我ならなくに古今和歌集 724陸奥みちのくの信夫捩摺しのぶもじずりの捩よじれた模様のように忍ぶ心が誰のためにこんなにも乱れそめたのか(貴女は私の心をお疑いだというが)ほかの女性に心を乱すような私ではないのになあ。註間違いなく名歌だが、きわめて凝縮された言い回しになっているので、精確な解釈はなかなか難しい。信夫(しのぶ):現・福島県福島市付近の旧・信夫郡。「忍ぶ、偲ぶ」と掛けている。もぢずり:当時、奥州・信夫地方の名産だったという摺(す)り染めのこととするのがほぼ定説か。ここでは「乱れ」を導く序詞(じょことば)として用いている。みだれそめにし:古今和歌集では「みだれむと思う」(誰ゆえに乱れるのかと思う)。小倉百人一首の撰者・藤原定家による改稿か。「そめ」は、「初め」と「染め」を掛けてある。我ならなくに:「我ならず」(私でない)を詠嘆化した言い回し。この句の解釈には諸説ある。「私自身のせいではなく、ほかならぬ貴女のせいで」の意味とも取れる。こういったやや難解な表現を含め、この歌の味わいともいえよう。なくに:和歌に多く用いられ、否定の詠嘆を示す。従来の文法的解釈としては、打消しの助動詞「ず」の古い未然形「な」に、語を名詞(体言)化する接尾語「く」と接続助詞「に」が付いたものとされていた。近年では、「ず」の連体形「ぬ」に、上古に存在した形式名詞「あく」が接続して約まったものとされ、現在ではこちらの説が有力か(「ク語法」の統一的説明)。この説に従えば、この「く」は「いわく(曰く、言わく)」や「思わく(「思惑」は当て字)」「老いらく(の恋)」「のたまわく」などに残るものと同一。「あく」は「あくがる(あく・離る、憧れる)」(原義は、自分の魂が体から離れること)の造語成分と同一である可能性もある。
2012.11.05
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小倉百人一首 十三陽成院(ようぜいいん)筑波嶺つくばねの峰より落つる男女川みなのがは 恋ぞつもりて淵となりぬる後撰和歌集 777筑波山嶺の峰から細々と流れ落ちる男女みなの川はいつしか恋心が積もり積もって深い淵となってしまったなあ。註後撰集の詞書によると「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかわしける」歌。釣殿の皇女とは光孝天皇の娘、綏子(すいし)内親王で、のちに陽成天皇の皇后。いかにも若き貴公子らしい、おおどかで分かりやすいストレートな相聞歌(恋歌)。筑波嶺つくばね:常陸国・筑波山(現・茨城県つくば市)の峰。男体山と女体山がある。なりぬる:後撰集では「なりける」。小倉百人一首の撰者・藤原定家による「添削」か。「ける(けり)」がやや軽い客観的な言い回しになるのに比べ、改稿後の「ぬる(ぬ)」は重厚な詠嘆のニュアンスを帯びている。
2012.11.02
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小倉百人一首 十二遍昭(へんじょう)天あまつ風雲のかよひ路ぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ古今和歌集 872天の風よ雲の中の通り道を吹き閉じよ。美しい少女たちの姿をしばらくここにとどめたい。註人口に膾炙した名歌。出家して僧正遍昭となる以前の、俗名・良岑宗貞(よしみねのむねさだ)時代の歌。当時、毎年陰暦十一月(現12月頃)、五穀豊穣を祝い宮中で催された「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」に奉納された、美少女たちの「五節の舞」に接して詠んだ。この舞は、天武天皇の吉野行幸の際に天女が舞い降り、天皇自らの琴に合わせて舞ったという伝説を由来としており、それを踏まえた幻想的(ファンタスティック)で洒脱な一首となっている。日本最初の公的・本格的な文芸評論文といえる『古今和歌集・仮名序』で、著者・紀貫之は遍昭について、「歌のさまは得たれども、まこと少なし」(歌の表現はスタイリッシュで巧妙だが、リアルさに乏しい)と苦言を呈しつつも、「六歌仙」の一角に数えるという最高度の評価をしている。確かに、これもまた見事な「歌のさま」であると思う。
2012.10.24
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小倉百人一首 十一小野篁(おののたかむら)わたの原八十島やそしまかけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人あまの釣り舟古今和歌集 407大海原に数限りない島々目がけて漕ぎ出したと都の人には告げよ漁師の釣り船よ。註作者が流罪で隠岐に流される際に詠んだ。一見雄大な羇旅詠に見せつつ、悲愴な心境で精一杯の痛々しい虚勢を張っているギャップが、独特の感興を醸している。小倉百人一首の撰者・藤原定家が、この歌を撰ぶことによって、自らが長年身近に仕え、承久の変に敗れて同じく隠岐に流された後鳥羽上皇への追慕の念や何らかの意趣を籠めていることは、ほとんど自明と思われる。小倉百人一首が秘めている、否定できない呪詛的な一面である。わた:上古語で「海」の意味。「わたつみ(海つ霊)」などの古い語彙に残る。八十島やそしま:数え切れないほどあまたの島々。海人あま:現代語の「海女(あま)」より意味は広く、男女を問わず漁業従事者をいった。海士、海部。
2012.10.23
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小倉百人一首 十蝉丸(せみまる) これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関後撰和歌集 1089これがそうか この都から東国に行く人も帰ってくる人も別れてはまた逢うという知り合いも見知らぬ人も逢う逢坂の関。註これや:直訳すれば「これか」。助詞「や」を間投助詞と見れば感動を示し、係助詞または終助詞と見れば疑問の意味となるが、文法的に厳密に分類するのは無理であろう。現代日本語の「か」でも同様である。「これが名にし負う(世に名高い)ところか」。「これや、この」と続けたことで、快い言葉のリズムを作り出している。なお、この「これやこの」は後世、「これがまあ」というニュアンスの、一つの成句的連語ともみなされるようになったが、この歌が著名になったことによるものである。逢坂の関:現・滋賀県大津市逢坂付近の山中にあった、東海道と東山道(のちの中山道)の関所。山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の国境で、交通の要衝であった。
2012.10.22
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小倉百人一首 九小野小町(おののこまち)花の色はうつりにけりな いたづらにわが身世にふるながめせし間に古今和歌集 113 麗しかった桜の花の色はうつろってしまったのね。虚しく徒(いたず)らにわが身が世の中に古びてゆく。降る長雨を眺めてもの思いに沈んでいた間に。註うつる:うつろう。衰える。な:詠嘆や念を押す意味の終助詞。・・・の(です)ね。ふる:古語動詞「古(ふ)る、経(ふ)る」と(長雨が)「降る」が掛けてある。ながめ:動詞「ながむ(眺める、物思いをする)」の連用形と、名詞「長雨(当時は『ながめ』と読んだ)」の掛詞(かけことば)。「侘しい、寂しい」という詠嘆・諦観の感性と、自己客観視、流麗な技巧が渾然一体となった和歌史上不朽の名歌。
2012.10.19
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小倉百人一首 八喜撰(きせん)わが庵いほは都の辰巳たつみ しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり古今和歌集 983わが草庵は都の南東。ただこのように住んでいるのに世を儚はかなんで宇治の山奥にいるのだなどと人は言うのである。註庵いほ:草庵。いほり(いおり)。辰巳:十二支で表わした方向で、南東。時計の文字盤の12時を北とすると、子(ね)が12時、辰は4時、巳は5時。辰巳は4時半。ちなみに、丑は1時、寅は2時で、丑寅(北東)は鬼門。鬼に牛の角が生えており、虎のパンツをはいているのはこのためという。しかぞ住む:このように(ありのままに)住んでいる。「鹿」が掛けてあるという説もあるが、少数意見。うぢ山:「宇治山」(現・京都府宇治)と、「憂し」(世を厭いとう、儚はかなむ)を掛けている。作者・喜撰は宇治山に隠棲した僧侶。人はいふ:世間の人は、口さがない噂話をする。
2012.10.19
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小倉百人一首 七阿倍仲麻呂(あべのなかまろ、表記は「安倍」とも)天あまの原ふりさけ見れば 春日かすがなる三笠の山に出いでし月かも古今和歌集 406天穹を遥か仰ぎ見れば故郷の春日の三笠の山に出ていた(のと同じ)月だなあ。註ふりさけ(振り放け)見る:はるかにふり仰ぎ見る。「振り」は「振り向く、振り返る」のそれと同じ。「さく(放く・離く)」は「間を離す、遠くを見やる」などの意味の古語動詞。* 阿倍仲麻呂とこの歌については、こちらをご参照下さい。
2012.10.19
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