全277件 (277件中 1-50件目)
気が付いたら今年に入ってなんと1度しかブログを更新していないことに気付いた・・・・何度かまた頑張ってみようと思ってもなかなか気が進まないので、思い切って引っ越ししてみることにしました。私としては、ここで生活しているとときどき「おおっ??」と思うような珍事件が起きたりしてたまにどうしても皆さまにお知らせしたい病が発症するため、できればブログは続けていきたい・・・・でもな~~んか飽きちゃった、という葛藤続きなのでここは思い切って全てを一新してみたいと思います。楽天で知り合ったお友達もいて、実際に今交友関係にある方たちもいるので今までここでブログを続けてこられて本当によかったと思います。こちらはこのままにしておこうとおもいますので、皆様のもとには、いつものメオタイの名前で遊びに行かせていただきたいと思っています。新しいブログのタイトルは現在考案中。仮の名は メオタイ イン プーケット2 (新しいのが決まるまでとりあえずこのタイトルで笑)皆さま長い間ご愛読ありがとうございました。出来れば新ブログでまたお会いしましょう。
2010.08.27
コメント(7)
皆さまお元気でしょうか。大変ご無沙汰しております。もうね、真剣にブログはやめようと思ってこのままもうずっと放置しちゃおうかなーーって思ってたけどやっぱりなんかね。これだけ空いちゃったのには理由もあって、忙しかったり、書く気にはなれないような心の悩みなんかもあったりして。。基本的にきっと心が元気じゃないと、ブログって書けなくなるんですね。でも楽しいことも、つらいことも(基本的にあまりつらいことは書かないようにしてきたが)書きとめてきたし、たまに会う人に「ブログはもう更新しないんですか?」と聞いてもらったりするので、せめて1週間に1度ぐらいを目標に続けていけたらなあって今は思ってます。子供たちは現在休みに入って、にいにと毎日格闘の日々。この息子、何も言わないとゲームをするかテレビを見るかしかしないんですよ。本当に困った。お陰で体重も急増中。週2回のテニスは親子ともども何とか続けてるんですがね。基本的にだらだらしているけど、食欲はこの暑い中において親子ともども全く衰えることがないので太る一方です。それを打破するべく、今日はにいにに2年分の誕生プレゼントとして自転車を買いにいくですよ。買いたいモノが見つからないまま、去年の誕生日は未だ何も買ってやっていなかったことを思い出し、せっかくだったらすぐ壊れないちゃんとしたものを買ってやりたいので少しだけいいものを買う予定。なので、今度の誕生日もひっくりめて2年分。母、せこいですか??せこいよな。そんなにいに、今年は4月15日に日本上陸。そしてなーーんと。わたくし4年ぶり??いや5年ぶり??に日本一時帰国します。私の上陸は今回は成田から。5月10日に成田について、最初の6日は東京生活。最初の2日は友人宅にお世話になって、5月13日は息子とディズニーランドに行く予定。(これはもう決定!!)それ以降は多分1週間ほど岐阜の実家にいる予定。あの人にも会いたいし、この人にも会いたいが、日程が短くてどうなることやら。今回ルミネザよしもとにも行きたいしな。そして10年ぶりぐらいに高校の時の親友にも会って、現在サロン経営者のその友人に髪もいじってもらう予定だし。これも本当に楽しみ。しかし悩みの種はこの費用をどのように捻出するか。節約するといったってたかが知れてるしね。う~~ん。今月末のタイの宝くじでも買ってみるとするか。
2010.03.23
コメント(20)

4年ぶりにテニスを始めた。私たちの通っているスクール。チャオファー通りのTOTのすぐそば。セントラル方面からスコースパを過ぎしばらく行って左手にボクシングジムの看板があるソイを左に入ってすぐ。興味のある方はぜひ見学を!! 4年前にボレーの練習中ボールを思いっきりふんずけ、足首の骨を骨折して以来、あの時の恐怖と手術後の不便さが思いっきりトラウマとなりテニスからはずっと遠ざかっていた。なんせ、その瞬間のあの骨が折れた音は、「あ!!骨が折れた!!」と今まで骨を折ったことのない私にも、完全にそれとわかる音だった。 骨折後は、それに伴って流産、インフルエンザとそれでなくても不自由なその体にいろいろなことがのしかかってそれはそれは大変な日々だった。骨折自体は手術のお陰か3ヶ月後には完全に歩ける状態となったので、結構回復は早かったほうだと思う。ま、そんなわけでテニス観戦はあいかわらずオタク並みに好きだったけれど、自分でプレイするのはちょっとやそっとではその気にならないほどの恐怖感を伴うようになった。どんなにテニスおたくの友人に、「また一緒にやりましょうよ」と誘われても「うう~ん」とかたくなに断ってきた。 しかし。息子がこの半年前からなかなか真剣にテニスを始めだしてからというもの、どうもうずうずしてならない。しかも、テニススクールはタウンにあるため息子の練習の間はずっと彼の下手くそなプレイを見ながら待っていなくてはならないのだ。これがまた結構つらい。あまりに下手くそなため、イライラして口を出したくなるのである。その姿ははたから見たら、完全なステージママ状態。口うるさい母親の姿そのものだったであろう。。。そんなある日、息子のスクールの場所が移転した。今までは集合住宅にある2面のテニスコートを、夕方からコーチたちが借り切ってスクールを運営していたのだが、ヘッドコーチが自分で更地から3面テニスコートを作り本格的なテニスアカデミーを開校することになったのだ。もともとこのヘッドコーチ、元タイのテニス女子プロ選手で、現役時代は海外遠征にもばりばり出場し、シニアとなった今現在もシニアのアジア大会で日本や中国に遠征に行くほどのなかなかの名選手。今現在50を超えているが、毎日子供たちの指導や大人の男性のヒッティングパートナーもこなしている。また、このスクールには10歳にして12歳以下のタイ南部のチャンピオンが在籍していて、バンコクで行われる全国大会の常連選手もいる。この子がまた本当にうまくて、これが果たして本当にうちの息子と同い年かと思うほどの腕前。そりゃあもうかっこいいのなんの。この子はかなりうまいので、新聞にもよく掲載されるほど。とまあそんなわけで、真新しいテニスコート3面の魅力か、ぐっと生徒数も増え、ますますスクールは本格的になってきた。そうなってくると、ますますうずうずしてくる。もともと私はエースをねらえ世代。ばりばりの元体育会系。今でも、宗方コーチが生前に岡ひろみに書いた手紙を岡が読むところ「岡、エースをねらえ」というシーンを思い出すだけで、未だに目頭が熱くなるぐらいだ。そういえば、私と同世代の松岡修造がやはりエースをねらえの中の宗方コーチが岡にはなった名言「この一球は絶対無二の一球なり」という言葉をウインブルドン、ベスト16の試合中に叫んでベスト8入りを決めたのはあまりに有名な話。また、彼は試合中にピンチに陥った時に、「岡!!」としばしば叫んだという。なんで、頑張れ自分!!とか修造!!とかでなく岡なのかは笑えるけど、どのくらい彼があのマンガに心酔していたのかは、私にはよくわかる。 そんな松岡は、高校時代テニスをやっていた私たちにとってはスターのような存在だった。そのころテニス雑誌は何冊かあったけれど、坊主頭に刈り上げて真っ黒に日焼けしてラケットを振るその姿は常に表紙を飾る常連だった。とにかく柳川の松岡修造は強かった。だから今の松岡の姿しか知らない人たちにとっては彼はただの暑苦しくてちょっと変なオヤジにしか見えないかもしれないが、私にとっては大切な青春の思い出の一つなのである。 テニスをもう一度始めたい。だけれど、普通に大人でコーチの誰かをヒッティングパートナーにして練習するのではなく、青春時代のあの頃のように何人かのグループで練習したい。しかし、このスクールには大人のグループレッスンはない。願わくば、このスクールの上級の子供たちの中に交じって一緒にやりたい、そしてできればあの10歳のチャンピオンのグループに交じりたい。子供たちと一緒に汗を流し、共にボール拾いもしたい。でもそんなことが許されるものなのか。。。第一、他にそんな人は一人もいない。しかし日に日にその衝動は抑えがたくなってきたため、思い切ってある日ヘッドコーチに相談してみた。答えはあっさりと「お母さんがそうしたいなら全然大丈夫よ」というものだった。さすがタイ。普段ああだこうだと文句は言っていても、こういうゆるさがたまらない時もある。 というわけで、先月から子供たちに交じって一緒に練習を始めた。お陰さまで息子がちょっぴりうまくなり、昇級して時としてチャンピオンのグループにも交ぜてもらえることになったので、私もそれに便乗して子供の一番うまい子たちのグループと一緒に練習させてもらえることになった。 しかし、初日は本当にひどかった。長い間運動もさぼっていたため、足はもつれるわ、5分打って球拾いしたら目の前が暗くなった。息もすぐにあがるし、なにより打っても打ってもネットばかりであまりの下手くそさに自分でも驚いた。昨日で7回目の練習。ずいぶん勘を取り戻して子供たちを打ち負かすこともできるようになってきた。何より息子を打ち負かすのは大変楽しい。息子も息子で「ママ、今日けっこううまくなかった??」と聞くと「ママはいつもうまいよ」とほめてくれる。本当は全然そんなことないのに。笑そしてここはやはりゆるーい国。子供たちも自分たちの中に41歳のおばはんが混じっていても、全然変な目で見ない。いろんな話をしてくれたり、さわやかに挨拶をしてくれたり、母は本当に楽しくてしょうがない。体重が重いせいでひざが痛かったり、日ごろの運動不足がたたって体力が異常になかったりと困ったことはたくさんあるが、この楽しさのためだったら基礎体力をつけるトレーニングやダイエットにもチャレンジできそうだ。年末にはバンコクや日本からテニス好きな友人が遊びに来るので、是非それまでにもう少し体力をつけて恥ずかしくない程度にうまくなりたい。いや、願わくば恥ずかしくない程度ぐらいでなくもっともっとうまくなりたい。41歳の新たな野望のスタートとなりそうだ。(プーケットで一緒にテニスをしてくれるお友達大募集中です!!)
2009.11.19
コメント(15)

気がつけば前回の更新からずいぶんたっちゃってました。ここのところ少々忙しくバタバタしていたこともあり。。。なぜバタバタしていたかは次回に書くとして。。。娘、その間に3歳になりました。 最近日焼けして二人とも黒い。。。この3年間は、長いような短いような。。。。とにかくあの1歳までの怒涛の日々は喉元過ぎれば何とやらで、今では良き思い出。1日24時間中、23時間泣いていた娘は、3歳の今起きている間はほぼしゃべっているか動き回っているかという状態。生まれたばかりのとき、「ずっとこれがしたかったけど出来ないのがつらかったのね。」と今ではなんとなくそう思えるように。この3年間はとにかくこの手のかかる娘に振り回されっぱなしだったけど、何より病気らしい病気もせず元気にここまで育ってくれたこと本当に感謝しています。さて。3歳になったのは10月17日ですが、この3歳に向けて実はひそかに決断したことがありました。それは。。。ええっ!!と驚かれるのを承知で。。。哺乳瓶はずし。実はうちの娘、寝るときに水の入った哺乳瓶をちゅうちゅうとしながら寝るのが毎日の儀式。またごろごろテレビを見ている時も「ママーお水――」と言って水入りの哺乳瓶をちゅうちゅうするのが恒例でした。ミルクじゃないのが救いだったものの、完全におしゃぶり状態と化していてそれがないと大変な状態。しかも、夜中に眠りが浅くなっている時にも水をちゅうちゅう、ぐびぐび。そんなわけで、夜中に何回もパンパースにする、おしっこで目が覚める、そしてまたみずをちゅうちゅう。。。。これが朝まで延々繰り返されるわけです。ああ、超悪循環。しかも大きくなっておしっこの量は増えているので、時として漏れていることも。娘水を飲んで寝る、おしっこで目を覚ます、私が目を覚ます、娘が水をちゅうちゅう、娘寝る、私寝れない。。。そのうち私寝る、娘おしっこで目を覚ます、私目を覚ます、娘水を。。。ああっーーーー。もういやーーー。こんなの。とまあこういう状態が3年間続いていたわけですね。驚き??しかし、いい加減こんな毎日とはおさらばしなければ。母はそう決心しました。というわけで、娘が保育園に行っている間に哺乳瓶を全部隠す。そして、インターネットでどこかの歯医者のサイトから虫歯で真っ黒になった歯や口の画像を探しておくことに。実はこの作戦、にいにが3歳の時に使って大成功を収めた私のとっておきの作戦。にいには哺乳瓶ではなかったけれど、おしゃぶりを3歳までくわえている子だったのです。3歳になったその日にやはり母はおしゃぶりをやめさせることを決断。ネットで虫歯だらけの画像を見せ、「あのね、おしゃぶりしてるとね、こういうお化けみたいな口になっちゃうんだってよ」と言ったら、息子は泣きながら「ちゅっちゅはもうバイバイするーーー」と言って自らゴミ箱におしゃぶりを捨てた。。。さて、とにかく我の強い娘にこの作戦が効くかどうか母は半信半疑だったけど、とりあえず同じことを娘に話した。そうしたらなんと。あっさり、さっくり泣くこともなく哺乳瓶をあきらめてくれました。寝つくまでにかなり時間がかかったけどね。しかしこれは本当に意外。内心母は、3日ぐらい泣き続けて、不眠覚悟の決断だったのに。実は哺乳瓶が必要だったのは娘でなくて母だったのね。お陰でパンパースは完全にはずれました。一応念のため寝てる時はさせているが、その日以来失敗なし)そして夜中にあんなに何度も起きておいたのに、今では朝までぐっすりよ。あー。もっとはやくやめさせればよかったのにとも思うけど、3歳間近のあのときだったからあっさりいけたのかも。誕生日当日 は以前Sさんからもらった無料ホテル宿泊券があったので、友人一家とお泊まり会。あまり聞いたことのないホテルだったので、そんなに期待はしていなかったけどこれがお天気も良くてしかもオンザビーチのホテルだったからもう楽しいのなんのって。喧嘩友達の友人息子とビーチでやってもらった初みつあみ。 (12月までラスベガスである修業をしているSさん。本当にありがとう。すごく楽しかったよーー。そして元気―??早く戻ってこないかな、寂しいよー。今日息子を見かけたけど元気そうだったよ!!)3歳となった今年は、計画として5月に初日本を経験させたいと思っているのだけど、果たしてどうなる事やら。母はできれば一人で行きたいけどね。
2009.11.12
コメント(14)
今日セントラルに行ったら、1枚200B近くもするサーロインステーキ肉がなんと50Bになっていた。勿論賞味期限が明日に迫っているため。すっかりうれしくなって、2枚購入して息子と娘と3人でステーキ丼にして食べた。お肉もと――っても柔らかくて最高。やっぱお肉は腐る寸前がおいしいのね。けちん坊な私は最近では物を定価で買うことに異常な抵抗を見せるかわりに、大幅に値引きしてあるものはまとめてごっそり買ってしまう癖がある。先日は賞味期限が迫ったトロピカーナ100%オレンジジュースが、輸入物につき通常239Bがなんと最終価格20Bになっていた。ええっ219B引きーー??あまりの驚きに6本購入して、そのうち2本を友人におすそわけ。おいしく息子と二人で3日にわたってごくごく飲んだが、今日スカイプでその友人は封をあけてしばらくして残ったのを飲んだら昨日の昼から夜にかけて4回も下痢をしたらしい。やっぱりそういう商品はそれなりにリスクがあるということか?っていっても今までにそういう商品でおなかを壊したことないしな。勿論私だけでなく、娘も息子も。以前娘にいたっては車の中に放置されていた完全に腐った牛乳飲んでもなんともなかったしな。ちょっと丈夫すぎてこわいけど。ああっ。ステーキの肉の話がうれしすぎてだらだら書いちゃったけど本当に書きたかったのは先月の話。私たちタイ長期滞在者は3か月に一度イミグレーションに赴いて、チェックをしなければならないという義務がある。ついつい忘れがちで、罰金とか本当に取られるとは思わず3週間ぐらい放置したこともあったが、さすがに3週間はダメだったようで罰金を請求されたこともある。仕方がないので「だんなー。助けて下さいよ~―」と言って泣きついたら500Bのポケットマネーで許してもらった経験もあり。そんな面倒くさいシステムだが、先月もその日がやってきたのでパトンのイミグレーションに行ってきた。11時ごろに行ってすぐに終わったので、マクドナルドで朝セットを食べながら道行く人をマンウオッチ。午前中なので人影はまだまばらで、露店の店員のたむろしている人数のほうが道行く観光客よりも多いぐらいだ。そこではっと思った。「ここはどこ??」そう思った理由はたむろしている露店の店員が全員タイ人ではなかったから。どうみても、ネパールとかパキスタンとかそっち系の方ばかり。そこになじみ深いタイ人の顔は一人としていなかった。そっち系の人はタイ人とは違う何とも言えないねばっこい視線とトークで観光客を勧誘している。いつの間にパトンビーチはこんなことになってしまったのか。ジェンクセイロンなどのショッピングセンターでも最近はそっち系の店員がほとんどで、タイ人とは違う英語で話しかけられる。タイ滞在歴17年ともなると、顔つきや態度で観光客とは思われず、タイ人からはまずほとんど英語では話しかけられないちょっと寂しい状態。だが、そっち系の方たちはまだその区別はつかないようで英語で話しかけてくる。勧誘もタイ人とは違ってなかなか熱心だ。言い値もタイ人の倍ぐらい。なかなかふっかけてくる度も高い。多分そこらへんを見込まれてタイ人店主に雇われていると思う。だがしかし。それでいいのかーい。私はバリに遊びに行くたびに、タイ人達のものの値段の付け方がかわいらしいことを痛いほど思い知らされる。バリに行った時にどうみたってパトンビーチで199Bで売られているサングラスがバリの露店で「だってこれはグッチだから」というコピー商品までも行かないぐらいの商品だったのにそんなわけのわからない理由で2万円ぐらいの値段を堂々と言ってのける根性にぶったまげた。もちろんグッチのコピー商品だってシャネルだってそんな値段で買う気などさらさらなかったが、どうしてもサングラスが必要だったので10分ぐらい交渉して現地の値段で199Bぐらいまでお願いして購入した。それに比べてタイ人のいい値は大きくても2倍から3倍。バリみたいに何十倍の値段をふっかけてきたりはしない。お国柄ダメでもともとと思って好きな事を言っているのだと思うけど、高すぎる値段をいいきれないタイ人を少々かわいらしいと思ってきたものだ。しかしこの新参者たちは違う。バリほどまではいかないにしても堂々と数倍の値段を言ってのける。これではほほ笑みの国タイランド、恥じらいの国タイランドの良さがないぢゃあないか!!われわれは一目瞭然でタイ人とそっち系の人を見分けることができるが、はたして観光客たちはどうだろうか?ファランにいたってはわれわれがイタリア人なのか、スパニッシュなのかの見分けがつかないように当然そっち系の方とタイ人を見分けることは多分相当な旅の達人でない限りできるまい。ということは「なんだよなんだよ、この国のぼり方は。半端ねえな。」と思われている可能性大である。本当にそれでいいのかタイ人店主たちよ。ビザもちゃんと持ってるかどうかわからない外国人達に店をまかせっぱなしにしてんじゃねーよ。となんだか腑に落ちない気分になった朝であった。
2009.10.12
コメント(10)

しばしば家事を放棄するわたくし、2児の母、夫あり。でも今回は理由があるのよーーー。ちゃんと。何を隠そう、少々具合が悪いのであります。威張ってる??えらそうよね、少々具合が悪いぐらいで。4日ぐらい前からはじまった咳がこれまたもう絶好調で、咳をしすぎておええーーってなって涙ぐむぐらい。当然咳って夜になればなるほどひどくなっていうので、夜もほとんど寝られないぐらい。少しうとうとしたかとおもうと、げほげほげほーーってなって娘があまりにすごさに目を覚ましそうになってそれでまた自分も目を覚ましてっていう繰り返し。娘のね、眠りは赤ん坊のころからとっても浅かったのだけど近頃は寝ながらも人の方にべたべたくっついてきて寝てる時もうっとうしくてかなわん。はっと気づくとキングサイズのベッドの3分1ぐらいに2人でみっちり寝てることになったり。ああーーっ。私を一人で寝かせてーー。一人寝がしたいの。誰かのぬくもりなんかいらない、誰にも邪魔されることなく一人でベッドで寝たいーー。というわけですっかり寝不足の上、なんだか頭も痛いのでうちにいる時はすっかりごろごろなこの2,3日。抗生物質も飲んでるけど効いてる感じがしないなあ。そんな今日はオヤジ飯。カイチアオにプラートートと揚げ物祭り。あんまりにも茶色の配色に嫌気がさし、家事放棄の母がスナップえんどうだけゆでた。笑そんな、超手抜きな夕飯だけど、子供たちが喜んで食べてるのでそれもまたよし。
2009.09.24
コメント(10)
きょうは3っついいことがあった。まずひとつ目。明日でどうやらカマラ村のラマダーンは明けるという情報が入ったため、最後ぐらいは私もたまにはイスラムの嫁らしいことでもするかと思いたった1日だけど断食することにした。ちなみにちゃんとした人は1ヶ月間やりとおす人もいるので、私のたったの一日と言うのは、お恥ずかしくておおきな声でいえるようなことでは勿論ない。息子は今年からイスラム学校に行き始めたため、学友の何人かもちゃんと断食をしているこもいるとみえ、その影響か2日ほど既にやり遂げた。食いしん坊の息子としてはなかなかつらいことだったようだが、どうやら立派にやり遂げたようでオヤジもその強面の顔を少しほころばして喜んでいた。最後だということでじゃあ娘を除いた3人、オヤジ、私、息子の3人で一緒にやろうではないかということになった。息子は土曜日は午前中イスラム学校、午後から補習校という少々ハードスケジュールなのだがそんな中飲まず食わずでよく頑張ったと思う。夕方の断食明け用の食事を6時過ぎにオヤジは娘と息子と3人でいそいそと買いに行き、ついに18時35分、断食の終わる時間となった。前の日の夜から飲まず食わずという状態は、人の思考回路を鈍くさせるようでそのあたりでは私は眠いようなぼーっとした状態。お腹がすいたというよりは、少々風邪気味でのどにたんが絡んだ状態のうえ喉がカラカラなので水を一気にがぶがぶ飲みたいというただそれのみ。なんとか、親子3人、私にいたってはたったの一日だけどやり遂げることができた。明日は明けなので息子とオヤジは早朝から礼拝。イスラム暦の10月1日にあたるこのハリラヤの日はイスラムの家庭にとってはかなりめでたい日にあたり、今年も無事それを迎えられそうだということが今日のいいことのひとつ目。ふたつ目。断食後の食事をとってしばらくしたら、猛烈なつかれに襲われ少々ぐったり。シャワーでも浴びて横になってだらだらするかなと思いきや、今日の朝でネコ餌が切れてしまったため軽い断食状態だったココがにゃあにゃあと騒ぎ出した。そうかー。ココもお腹すいちゃたよなあ、じゃあカルフールにいって猫餌を買ってくるけど菜々はどうする??ときいたら、いつもなら絶対に「菜々も行く――」と言ってついてくる娘がココのご飯かうだけーー??と聞くので、うん。買ったらすぐ帰ってくるよーというと、なんとテレビを見て待っているという。やったーーと思ってオヤジと息子に娘をたくし、夜のカルフールにいざ出陣。いや。まてよ。夜に一人でお出かけできるチャンスはめったにないぞ。ということで、文庫本をすばやく鞄に押し込めいざ出発。もちろん一人のお出かけ大好きなダメ母がこの機会を逃すはずはなく、そのまままっすぐワインコネクションに直行した。道行く人を眺めながら、文庫本を読み、ナイスモーヒーをすする。(ナイスなアイスコーヒーという意味ね)ああ、もうこれ最高。一人よ、一人。うるさいガキがいないのよーー。しかも夜に。出かけてしまえばこっちのものと、小一時間ほどまったりしたのちに買い物というコースとなった。これが2つ目のいいこと。そして3つめ。にゃんこのご飯は買ったし、ああそうだそうだ、水を買わねばと水売り場にいく。最近はミネラルいりではないものの、カルフールマークの飲料水用のペットボトルを購入している。これカルフールってばどこよりも安くて1.5リットル入り6本パック35Bなり。これを3パック購入しようとむんずと水をつかんでカートに入れようとしたところ、ナイスな男子店員がささーーっとやってくれた。なんて親切。1パック9キロの水は少々私にとっても重いけど、なんせ太腕ですからね。あんまりいつもだれも手伝ってくれないのよ。店員さんに感謝しつつ、レジに並ぼうとすいているレジを探したら、前回やはり水を買った時に「大丈夫ですよ、お入れします」といって会計の後にカートに入れてくれたナイスゲイな店員さんのレジを発見。(ナイスなゲイという意味ね。あ。説明しなくてもわかる??)すかさず「今日ももしかしたら手伝ってくれるのかしら」というあわーい期待を込め待つ。そうしたらですね。さすがナイスゲイ。今日もにこやかにささーーっとカートに重い水を3パック入れてくれました。お会計の後にはにこやかにワイ。(合掌)いいぞ。ナイスゲイ!!というわけでこれが3っつめのいいこと。心地よい疲労感とともに夜も更けていこうとしています。明日もいいことなんかあるかな。
2009.09.19
コメント(12)
友人の夫が「最近何をする気にもなれない、なにもしたくない」とほざいているらしいが、私にもそれとおんなじ症状がおこっている。この二人に共通する事項として、「ここ数年で体操太った」という最大の難点があり、嫁である彼女は「そりゃあ10キロぐらい太ったからだよ」と指摘したと言っていたがまさにその通り。われらに必要なのはまさに痩せること。頑張ろうぜ、友人夫よ。太っているのは今に始まったことではないが、最近自分自身の老化が激しくなっていることに気づいた。今日も朝から大変嫌なことがあり、嫌なことと言うかもう戦う気力も起きないほどの私にとっては大ダメージな出来事に耐えられず外の空気でも吸おうと車に乗り込もうとした瞬間にもう愕然。最近買い換えた車の窓ガラス(紫外線のフィルムが鏡のようになってるタイプ)には、生活に疲れ果てたくたびれた中年女が映し出されていた。よく考えたら最近まじまじと自分の顔を鏡で見てなかったもんね。正直すんごく怖かった。悩みは確かに人をぐぐーっと老けさせるね。そう。お悩みが多いせいか、老化は日々進んでおり先日なぞは人生において初のおしゃれ染めなんかをしてみた。おしゃれ染めとか言っても要は白髪染め。白髪が出るたびに抜きまくっていたけど、それが短くつんつんと生えてきてしまって気になって仕方がないので思い切って染めてみることにしたのだ。この2年で急激に増えてしまった私の白髪。39ぐらいまではほとんどなかったのに。しかーーも。どうも最近夕方になると携帯の文字が見づらい。薄暗いところでメニューなんかも大変読みづらくなってきた。も、もしや。近眼の人間が老眼になりづらいというのはガセネタなのか!?少しいつも見ている位置より離して見てみたら、ピントが合う。まさにこれはまぎれもなく労眼のようである。それとなく気づいてはいたが、先日眼鏡が壊れ新しい眼鏡を作った時に(夜はコンタクトをはずしてメガネ使用)視力をはかった時にも「はじまってますね」と技師の人にもいわれたし。ああ、なんか本当に自分に忍び寄る老いを確実に感じた瞬間だったわ。2か月後には日本から母がバンコクに来るので、子供たちを連れてバンコクで待ち合わせをして2泊滞在することになっている。久しぶりに会う母は、このすっかり老けてしまった娘を見てなんと思うであろうか。誰だって母親だったら自分の娘にはいつまでもかわいらしい娘でいてもらいたいに違いない。。そのことを考えたら母があまりにかわいそうすぎて、なんだか涙が出てきてしまった。というような理由で、本日の夕飯はソムオーのみ。(ざぼんっていうのかな?英語名はポメロ)ビタミンをたくさんとって、夕飯は炭水化物を極力抜き、早寝、早起きに心掛けること。これに運動を加えなければと思うのだが、はて。何をしたらよいものやら。この2か月は若返り週間に励むこととする。
2009.09.17
コメント(14)
テニス観戦オタのわたし。現在もとおーくはなれたアメリカの地で行われているUSオープンに夢中な毎日。しかし13時間の時差と、なんだか毎年ニューヨークの天気はこの時期優れないため雨による順延で疲れてきた今日この頃。しかし本当に疲れているのは観戦してる私ではなくプレイしている張本人の選手たち。順延、順延、についでキャンセルとかじゃやってられないよね。そんな最中の女子準決勝。セリーナがフットフォルトをとられて、それにブチ切れ審判を罵倒。そのままペナルティーをかせられ、ゲームセットとなるハプニングが起きた。セリーナはどうやら審判に向かって「殺してやる!!」と罵ったようだが、私が気になって仕方がないのは罵られたその審判。ちょっとずんぐりむっくりした体系にメガネという女性の審判なのだが、日本人??見れば見るほど実に日本人風なのである。気になって仕方がないので調べてみたらやっぱりその方日本人でした。罵られても落ち着き払った態度。ナイス態度でしたよ。ってこんな話久しぶりにアップしたと思って読んでくれた方申し訳ない。こんな話反応しようがないよね。でももしかしたら「あーやっぱり??」って言ってくれる人もいるかなあって急に思って。笑あーそろそろナダルの準決勝が始まる時間だわ。失礼しました。
2009.09.13
コメント(6)

おそらくタイで買える最安値の電話と思われる私の携帯電話。電話をしようとこの電話を取り出すと、「うわ。その電話何ですか?」ときかれることもしばしばの私の地味で、小さくて、黒い電話。別に対して電話に思い入れもなく、かれられて受けられればいいやとずっと思ってきたけれど、とにかくあんまり目立たないせいかいざ電話が必要!!というときに「ママの電話どこーー!!」と一日中電話を探してるような感じ。カバンの中に入れておいても、色が目立たないせいか全然見つからない。そんな私の電話が新しく生まれ変わりました。最近の知り合いになったまりりんさん作。たったの一日で仕上げていただいたのだけれど、色は青系でサイケな雰囲気という私の要望にしっかり応えてくれました。キラキラ大好きな私は昨日の夜ずっと手にとって眺め、幸せな気分。どこに置いてあっても目立ちまくってて、すぐに見つかるし、かわいいしいうことなし。ありがとうございました~~~。
2009.08.28
コメント(18)

前回のブログのコンサート無事行ってまいりました。その模様は写真を整理してもう少し後に。。。ただその数日後から我が家はいろいろなことで少々バタバタしておりました。やっとなんだか最近落ち着いてまいりましたよ。まず事の起こりは7月の最終週の水曜日。水曜日はいつもにいにの公文とテニスがある為学校までななっち同伴でお迎えに行っております。この日も学校までお迎えに。ところが車に乗ってきたにいにの様子がちとおかしい。いつもは下手くそなりにも大好きなテニスができるので、すぐにその用意として車の中で着替えを始めるのだが苦しそうにおなかが痛いという。本人いわく、公文もとてもできる感じがしないというので仕方なく公文に立ち寄って宿題だけもらった。その日は友人の息子を一緒に乗せてテニスに行く予定だったので取りあえずテニスコートまで行ったが、車からは降りてこないで車の中で寝ているというのでしばらく放置。がほどなくしてなんとなく普通の腹痛ではないような気がしてきた。というのはにいには、38度の熱があっても解熱剤だけ飲んで熱を下げたら元気にテニスもできちゃうような健康優良児。よほどのことがない限り具合が悪くたってごはんもモリモリ食べれてしまう。そんなにいにが腹痛ごときでテニスをしないなんて。(普通の基準ではないかも。笑)よく考えてみたら数年前に盲腸になった時の(今は虫垂炎というらしいですね)弟の具合とよく似ている。にいにいわく、学校で2度ほど吐いたと言っていた。確かあの時弟も朝から腹が痛いと言って数回吐いて、その後私がちょっと普通の痛がり方ではないと思って病院に連れて行った。考えれれば考えるほどあの時の弟と感じが似ている。顔色も悪いし、随分痛がっている。急に悪い予感がして、慌てて病院に向かうことにした。この時点で5時半ごろだったので、普通の小児科ではなく救急のほうに回される。ほどなくして現れた女医に(見たことのない医者だった 何科の医師かはわからない)症状を説明して、「私の弟が虫垂炎になった時の症状とよく似ています。よく見てください」とお願いした。しかし、この女医は軽く触診しただけで「これは虫垂炎の症状ではありません。熱もないですし」という。私は、もしまた夜間に症状が悪化しても面倒なことになると思いそこで「でもどうしても不安なので、一応エコーや血液検査もしてもらえませんか?」と食い下がった。しかしこの女医は「私は虫垂炎の可能性は低いと思いますので、とりあえず様子を見て明日になっても治らないようであればもう一度来てください」と言って、去っていってしまった。その後会計のところでは、胃薬のみが渡された。この時点ですごい不信感。非常に痛いと言って病院に行っているのに痛みの処置はまるでしてもくれなかった。仕方がなく家に帰ることにしたが、その後病院の駐車場のところで再び嘔吐。うちに帰っても、ずっとおなかが痛いと言ってうめいている状態。オヤジはその夜8月末まら始まるラマダーンに関するミーティングのため、カマラにいってしまって不在。しかしどうにもいやな予感がする。これは母としての勘なのか、あの女医の診断に任せておけないようなそんな気がして、電話をしてオヤジを呼び戻し「医者は虫垂炎ではないと言ったが、私はどうしてもそういう気がしてならないのでとにかく血液検査とエコーをしてもらって。多分今日は病院に泊まることになると思うけどよろしく」といってオヤジににいにを連れていかせた。夜中に万が一ショック状態とかになっても大変だから、検査ができないとしても家にいるよりはマシと判断した。その夜はあれだけ検査をしてもらえといったにもかかわらず、病院では血液は採取したもののそれを判断する医者がいないのか、ラボが機能していないのはわからないが痛み止めの点滴だけをされて結局入院。朝一に小児科の医師が来たときにやはり虫垂炎と診断された。すぐに手術ということになり、その後外科の医師に引き継ぎされる。ななっちを保育園に預け、私が病院に到着したときにはちょうど手術用の服ににいには着替えさせられているところだった。手術を始めてする恐怖でぽろぽろ泣くにいにに「ママは3回も手術したんだ。心配するな」といって慰め、手術室の入口まで一緒についていった。そこから待つこと約2時間半。麻酔から目が覚めてにいには病室に戻ってきた。元気そうなその様子にほっと一安心。にいにの手術中、何度か手術室の前まで行ったが最後に行った時にナースが摘出したばかりの盲腸を見せてくれた。まさに腸詰ウインナー。中に膿がたまっているためパンパンの状態で、執刀医いわくもう少しで破裂という状態だったらしい。破裂しなくてよかったよかった。これが破裂すると結構な大事になるらしいからさ。しかしなんですな。子供の回復力というのはすさまじいものがあって、さすがにその日は多少痛そうにしていたものの、次の日にはトイレも自分で行けるようになり、その次の日にはなんと退院してしまった。「退院していい??」って聞いたらあっさり「いいよ」だって。退院した日なんかは、友人たちが泊ってるホテルまで遊びに行ったぐらい。手術後3日目で外食もしたしさ。本当に驚異的な回復力ですよ。1週間後にはほぼ回復、泳いでもよいという許可まで出たためプールで泳ぎまくったりね。そんなにいにの回復力とは裏腹に母は懐が痛くて。。。保険では賄えない数万Bの捻出、おまけにですね、車の故障と出費が相次いでしまってね。重なる時は重なるものですね。車は1ヵ月後には保険の支払いもあり、しかも7年にわたり17万キロ乗ったわが愛車はかなりガタがきており今回の修理代は数万Bにのぼるとの見積もりが出てしまった。そこで以前から検討していた、燃費重視の小さい車に買い替えることを検討。最近ガソリン高くないですか??半年前にがくっと下がったのは束の間の喜び。その後再び毎月の値上げを繰り返し、最近ではもう少しで1リットル37Bになりそうな勢いだし。うちの車は非常に燃費が悪いので、週4,5回プーケットタウンに往復したりしていると月にガソリン代だけで8000Bぐらいかかってしまう。痛いですね。ガソリン代、月8000B。ということで長年愛用した車を売ることに決定。7年落ち17万キロ走行車は44万Bで引き取られて行きました。ドナドナドーナ。。。愛用しすぎてかなりの喪失感。にいにはその後順調に回復を続け、今ではもうテニスもやっております。燃料重視コンパクトカーは明後日我が家にやってくる予定。ななさんは、本日も元気です。健康が一番ね。この水着ビッグCで59Bでした。かわいいのに安すぎー。思わず柄違い色違いで4枚購入。相変わらずお腹がすごいことになってます
2009.08.17
コメント(22)

バンコク旅行に行ってきました。約1年ぶり。久しぶりにエンジョイできたその理由は激安のエアチケットと5スターホテルの激安レート。チケットは770B。往復たったの2000円。激安にもかかわらず、息も帰りもびしっと定時で飛び立ちました。楽しかった旅の模様は同行した友人の二ランちゃんが事細かくアップしてくれる予定なので、今回私は書きませーーーーん。二ランちゃんよろしくね。さて、そんなバンコク旅行から帰ってきてみたら10年来の友人の変人男子ノンちゃんがボーカルとしてなんとプーケットでビジュアル系バンドのコンサートを開くのだという。えええーーっ。ひょんなことで知って驚いて電話してみたらやっぱりそうだそうで、本人いわく先日も日本ツアーを終えたばかりらしい。なんでもイメージが大事な商売らしいので下手なことは書けないが、ボーカルのノゾミは相当な変人かつ少しのおかずで3杯の飯が食える日本人男子だと言っておこう。先ほど聞いた話では、私はこれ系の音楽はさっぱりだが、そんな私でもいちおう名前は知っているラクりマクリスティーの元ベースのシュウセイさんや、セックスマシンガンズ元ドラムのひまわりさんと言う方なんかもメンバーなんだそうだ。ちなみに左から2番目がノンちゃんね。よろしく。<日時> 2009年7月26日(日) 午後1時~午後3時(昼の部)、午後7時~午後9時(夜の部) <場所> サトリープーケット学校大講堂 <入場料> 1,000バーツ <主催> TOYOKI・TRAVE・AND・AGENCY <後援> プーケット警察署 <チケット購入・問い合わせ> 081-8925694 (吉次) そしてそれより何より、めっちゃ笑えるのはこのド派手な4人組が今週土曜日にプーケット補習校に特別講師としてやってきちゃうのだ。特別授業は3時より。どんなヘビメタ節が飛びだすのやら。そして、補習校生徒たちの反応はいかに!興味のある方は、是非是非3時に補習校に集合してくださいませ。そして、ライブにも是非ぜひ行ってロックな日曜日を過ごそうぜ――い。私?もちろん行きますとも。
2009.07.21
コメント(14)

私の行きつけのスーパー、愛しのカルフールは安いものが盛りだくさん。もはやパトンにおいてカルフールのない生活など考えられないほど。あそこが出来てまだ2,3年しかたっていないけどその前は自分はいったいどうしていたんだ??と思うほど依存している。何がそんなに好きなのかというと、それにはいろいろな理由がある。今までタウンに行かなければ私たちパトン住民は地元の人が買うような値段で生活必需品を買うことなんてできなかった。ここにはパトン価格というものがあって、タイ人であっても通常の値段よりすこーしだけ高い値段を払って今までは肉や野菜、洗剤やシャンプーなどを買っていたのだ。ところが。カルフールが出来てからというもの、タウンと同じ値段、いやそれ以上に安い値段で買い物ができるようになったのだ。実際に何が安いかというと、洗剤やボディーシャンプー、柔軟剤はしょっちゅう1個かったら1個フリーというのをやっている。これはすごいシステムで、同じ値段なのに1つ買うともうひとつはタダで、ようするに2つで1個分の値段で買えるのだ。なんかすごくないですか?このシステム。我が家のように4人家族や5人家族のように家族の多い人間にとってシャンプーなどの消費は案外馬鹿にならない。そんなときこれはもう大活躍。娘は紙おむつはもう離れてしまったが、カルフールでよく紙おむつもこのシステムで激安になるので以前はずいぶんお世話になったものである。これは生鮮食料品もやっていて、牛乳やヨーグルトなどは賞味期限が近づいたものをほぼ毎日1個かったら1個フリーで提供している。野菜類は安く、市場で買うのよりはるかに安い。例えば市場が玉ねぎを1キロ35Bぐらいで売っているものをカルフールは時として1キロ11Bで売っている。3分の一の値段だ。そして、なんと言っても日本人の私たちの超目玉商品は期限近くなった食材を1個かったら1個フリー+値下げ価格で投げ売りする時。これはなかなかに買い時を見極めるのが難しい。タイ人、日本人共に人気のある商品は値下げなしの1個かったら1個フリーで完売してしまうこともある。マヨネーズ、インスタントみそ汁などはなかなかの売れ行きだ。逆にソース類とか焼肉のたれなどはタイ人が見ても使用目的が分からないため、1個かったら1個フリーでも売れ残るパターンが多い。これはさらに値下げする可能性があるためすぐに買ってはいけない。勿論本当に欲しかったらぜひこの段階でも買って下さい。笑しかし節約生活中の私はこの段階ではまだ辛抱。そんなわけで掘り出し物を掘りにちょくちょく足繁く通っている私だが、先日は偶然にもかなりの掘り出し物を発見!お友達のFちゃんファミリーと一緒だったのだが、1個かったら1個フリーに加えさらなる値引きが!エバラ焼肉のたれ2個で55B!そこにはタイ語で本当は1数十B(数十Bはいくらか忘れた)残りたったの55Bと書かれていた。かどやのねりゴマ2個で78B!本当の値段は1つ155Bだった。おーいお茶濃い味、2本で41B!どれもこれも日本から持ってくるには重いものばかり。しかも賞味期限が迫っているとは言え日本より安い投げ売り状態。ありがたく飛びついてFちゃんとともに早速かごに投入。以前二ランちゃんがこのおーいお茶濃い味を飲みたがっていたので2セット購入。ところがレジのところでさらなる驚きが。Fちゃんは難なくレジをクリアーしたのだが、問題は私の番。2個で55Bになるはずの焼肉のたれが79B、おーいお茶は84Bになっておりさらなる値引きがされていない。安ささらなる安さを求め少々恥ずかしかったが、「ここにはこう書いてありますが」と言ってみる。しかしこの店員。面倒くさいようで「でも、この値段が出てくるので」といって引き下がらない。きっと心の中で「面倒さいな、このケチな日本人」とでも思っているんだろうな。そうです、ケチです。だってこの値段だから買おうと思ったんだもん。私も負けずに引かず。仕方がなしに店員はマネージャーを呼ぶ。そこから延々約20分。子供たちと立ち尽くす私たち。。。ついにマネージャーは商品を再び持ってやってきた。何やらレジを操作する、41Bと出てきた。ふむふむこれはおーいお茶の1セット分。??「はい、終わりました」とマネージャーはいう。??ええ?もう1セットのお茶と焼肉のたれは売ってくれないってこと?「あのーこれも売ってほしいんですけど。。。」というとマネージャーは「はい、大丈夫です」という。意味がまるでわからない。よくわからないというような怪訝な顔をしたら「はい、なので差し上げます」という。は?よくわからないが、いろいろ操作したけどついにあのマネージャーは面倒くさくなったのかちゃんとした値段が出てこない商品の3つのうち1つだけを徴収してあとは全部くれるのだという。「さ、やっぱり駄目ですって言われる前に早くかえるよ!」と子供たちを急きたて、大急ぎで帰路に着いたのは言うまでもない。いただいたものたち。
2009.07.12
コメント(20)
昨日とおとといは、頭にタオルを巻き巻き補習校の大掃除。掃除後は友人と待ち合わせをしていたので、ほぼすっぴんに汗だくになった体のまま待ち合わせ場所に行ったのだが、たまに胸の谷間や首の後ろから漂ってくる加齢臭的な匂いに自分でも愕然。若い時は汗をかいてもここまですごいにおいはしなかったような気がするのに、今現在の私って。。。ところで加齢臭って耳の後ろから分泌されると聞いたけど、私の場合首の後ろがなんだかすごいのは気のせいでしょうか。おお、いやだいやだ。まあ私の場合デブ汗的なものもすごいんでしょうけど。それに付け加え、BKKに住むホテリアーの友人から夕方電話がかかり彼女が何ともタイムリーな話をしてくれた。彼女の働いている系列のホテルのレストランは最近大がかりな改装が行われたらしく、以前とガラッと雰囲気が変わって大層コンテンポラリーな雰囲気になったのだそうだ。昨日友人は各国の同僚たちとともに(オージー、シンガポーリアンなどなど)そのコンテンポラリーなレストランで(ちなみにお昼なのに1400Bぐらいするらしいですぜ)ビュッフェランチをとったらしい。その時に、そこのウエイトレスがなかなかのお年の上に、化粧っけもなく、ずんぐりと太っていてその場の雰囲気に全くマッチしていなかったらしく、友人と一緒に食事をしていた各国の人が口々にそのことを噂していたという。皆様曰く、おばばであることは百歩譲っても、やはりこういうところで働く人間というのは多少なりともスタイルを良くしようと努力が見られたり、きちんと美しく見られるよう化粧を施したりと華やかな雰囲気を身に着けていなければならないのだとのこと。そうでない人間はこういうところで働くべきではないという意見であったという。うーん、さすが一流どころのホテリアウーマン達。おっしゃることがなかなか手厳しい。それはさておき、そんなハイソなホテルに激安価格で来月泊まりに行くことになっているので、友人Nに喜びの舞を決してロビーで踊らないようにと厳重に取り締まらないとなるまい。(同行のNはかつてプーケットに遊びに来た際うれしさのあまり空港で喜びの舞をおどっていたそうだ。なんだそりゃ。)まあ、その友人がなんで私にわざわざそんな電話をかけてきたかというと最近ダイエットをしだした私に、「そういうわけで、我々はばばあであるのでその上なんの努力もしないとなると世間の風あたりは大変厳しいものであるので日々努力をして気を付けるように」という忠告であった。またさらに、このブログを定期購読している日本の母もわざわざ電話をしてきて自分が今度タイに行くまでにちゃんと痩せていたら賞金を出してやろうというなんだかちょっと微妙なお話すらあった。41にもなろう娘にそんなに痩せてほしいのか、わが母よ。(しかし、どう考えたって今の私がこの話に食いつかないわけがない)勿論こんな私だって痩せて、ちゃんとしっかりお化粧をして、小奇麗な服を着て生きていきたいが、痩せただけではきっと華麗なる変身などできないだろうに。もともとのご面相というのもあるしな。頭にタオル巻いて、加齢臭を漂わせているようではとにかく全く駄目だということである。
2009.06.19
コメント(21)
ここ数日は良き家庭人として貢献してきたこの私。カルフールで200B以上するおそばが(日本そばで500グラム入りの乾めん)賞味期限が迫っておるおかげで69Bで大放出にほくそえんだり、1個買ったら1個フリーのお気に入りのボディーソープを見つけてみたり。まあそのおそばのおかげで我が家は3日間そば三昧。そんなにそばが好きでない息子は大変ぶーたれておりましたが、贅沢をいうんじゃないと脅しつつ私は大変堪能いたしました。本意を申せば、かく言う私もそばよりうどんが好き。できればそば三昧よりうどん三昧の方がよかったのですが、そこはほらあれ、カロリー的にそばのほうがっていうじゃないですか。また、最近息子がめちゃくちゃテニスにはまりまして。以前は友人の息子数人で、パトンにあるホテル内のテニスコートでインストラクターにお願いして週1回やっておりましたが値段的にも私どもにとっては少々値が張るのと、数人集まらないとそれこそちょっと贅沢な値段になってしまうためなかなか行きたくても行けず。そういった事情でタウン内にあるテニスクラブに通うこととなりました。お値段8回で1000B。12回で1400B。1回約130Bほどでレッスンを受けられます。そこにはかなりの人数の5歳ぐらいから高校生ぐらいまでの生徒が来ていて、月曜日を除く毎日夕方からレッスンが行われているのですがそこに行けるときは週3回行くこととなりました。もともと息子は足が遅い、とろいなどと運動音痴の極みのような人間ですが、だからと言って運動が嫌いなわけではないようなので行かせてみたところ大変楽しいよう。頑張れば来年には試合にも出させてあげると先生に言われ、彼の中でちょっとしたテニスブームが持ち上がっているのがわかります。もともとなにか運動に一生懸命になってほしかった私は、これがとてもうれしくて送り迎えやそれを待機するのが苦痛に感じないどころかとても喜ばしく感じたりして。。。そんなささやかな喜びに頼って日々過ごしてまいりました。ところが数日前に大変残念な出来事が持ち上がり、それに対して大変遺憾の意を表明したのですが全く聞き入れてもらえないという事態に打ちのめされるということが起きました。少しは考慮してもらえると思ったのが甘かったのか、私のやり方が至らなかったのか、とにかくそこに話し合いの余地などは全く見当たらず惨敗という結果に終わってしまいました。この2日ほど燃え尽き症候群のような何とも言い難い虚脱感に見舞われたお陰か、本日体重計に乗ってみたところダイエットを始めてから5キロ減。おおっ。私を悩ませていた足の痛みやが無くなったばかりか、もともと抱えていた腰の痛みも少し楽になったような気がします。あ、これもまた小さな幸せか。後ろを向いてばかりもいられないので、今週もまたささやかな幸せを見つけて頑張っていきたいと思う月曜日の朝でした。
2009.06.15
コメント(10)
最近ふと気がついたら、娘と一緒にいることが苦ではなくなったことに気がついた。正直あんなにつらかったのに。2才7か月にして初めて訪れたこの感覚。生まれたときからとにかく我か強く、5か月ぐらいまでは一日24時間のうち20時間ぐらい泣いていた我が娘。抱っこしようと、ミルクを飲ませようととにかく泣くばかり。あまりの尋常ではない泣き方に心配した弟はどこかこの子に障害があるのではと、不安のあまり私に「お姉ちゃん、この子大丈夫?」と聞いた。「だ、大丈夫って何が?」って私も心の中で同じことを考えていたため、それを指摘されてかなりぎくっとなったあの日。思ってた事を指摘されてマジあせったし。いやいや、この子にとってこれが普通なんだと言い聞かせるしかなかった毎日だった。2か月で人見知りをはじめ、そこから1歳半ぐらいになるまで誰のことも受け付けなかったのもかなり大変だった。唯一の救いは、2人目だったのでこれと同じ状態がずーっとは続かないと知っていたこと。そして、面倒を見てくれる人やナーサリーというところがあったこと。息抜きを一緒にしてくれる友人や家族がいたこと。しかしこの度、娘が生まれて初めて2才7か月にして「ああ、本当に楽になったもんだ」と心から言えるようになりました。泣ありがとうございますっ!!2歳になったぐらいから本格的におしゃべりを始め出した娘は、自分でいろいろな要求を口で言えるようになるにつれ癇癪的なものが少なくなり、あれだけ自我が強かったのにそれすらも少し薄れてきた。例えば、以前はスーパーに行ってもレジ回りにある飴やガムをむんずとつかんだら絶対に手放すことはなく、どんなに言い聞かせても泣くわ、わめくはひどい有様。よくそういう子供って見かけますよね?まさにその典型的なタイプ。しかも生まれつき体が丈夫で、(なにしろ1日中泣き続けられる体力があるぐらいですから)その鳴き声の大きいこと大きいこと。一度この状態になったら、その場を逃げるように去ってもそこから30分は泣き続ける状態だったので現場を見ていない人は「なんだー?虐待か?」とびっくりしてこちらに注目するものだから、大変にお恥ずかしい。それがですね。今では「なっちゃんがいい子にしてたら今度また買ってあげるから今日はだめよ」とか「じゃあ後で1個だけ買ってあげようね」というと「今度買ってくれるの?」とか「うん、1個だけね」とか言って素直に言うことを聞くように。泣もっといい子モードのときは「ママ、あれは菜々がいい子にしてたら今度買ってくれるの」と勝手に自分で言い聞かせてほしい気持ちをセーブ。食い毛は相変わらずなので、勝手に冷蔵庫を開けてしまうこともしばしばだけど「虫が入っちゃうと困るから占めて頂戴!!」というと「はーい」と元気よくお返事。あまりに良い子ぶりに驚いて「チョットこっち来て。あんまりいい子だからママがちゅっちゅしてあげよう」というとでれでれしながら私の足にまとわりつく娘。そのはにかんだ表情がもうたまらんのです。あんなに一人遊びができなかったのに、一人でおままごとをして「ごあんつくったからママに食べさせてあげるね」といっておもちゃのお皿を持ってきてくれたり、練習帳の文字をなぞったり。ついに2才7か月にして一人遊びができるように。他の子からしたら遅いけど。トイレも就寝中以外は失敗なし。家ではトイレに行きたくなると、自分でパンツを脱いでちょっとまだ高いけどなんとか便器によじ登り、終わった後はちゃんと洗ってもどってくる。たまに洗うことを忘れたり、脱いだパンツをまたはいたりするのは面倒なようでそのままノーパン状態だったりするけど、そんなことはマイペンライざます。ちいさいことは気にしない。わかちこわかちこ。しかしいいたいことが言えるようになった反面、そのおしゃべりはとどまることをしらず車の中にいる時もとにかく走っている間中ずーっとしゃべっている。どんなこともいちいち突っ込みを入れなくては気が済まないらしく、「ねえママ、ちゃんとすわってないとあぶないよね、ねえあの車危ない?」とか「ママ、学校でね、アイスティム(学校の友達)がね、菜々のことがぶって噛んだの。どうしてそんあことするんだろうねえ。だめだねえ。」とかあることないことをずーっとおしゃべり。時として私が相手にしないと持っているかばんに話しかけたり。かわいいけどはっきりいってちょっとうるさい。赤ん坊の時に泣き続けていたのがちょうどおしゃべりに変わった感じ。おやじなんかは既にこの娘にやられっぱなしで、娘といちゃいちゃしようと近づこうものなら「ママー。助けてーパパべとべとようー。臭いー。あっちいってー」と蹴られる始末。しかしせっかく楽になって一緒にいたい、旅行でもしたいなと思ったのに時はすでに遅し。我が家にも不況の風はびゅうびゅうと吹きまくって、それどころではないのが残念。
2009.06.01
コメント(18)
息子は先週1週間は泣きべそ習慣であった。17日の日曜に日本からシンガポール経由で帰ってきた息子は翌日の月曜からのタイの学校の始業に伴い通学をスタートさせたが、帰ってきた当日は母に会えた喜びなんか全くなし。ぼやく、泣きべそをかく、ため息をつくとそのへこみ方はひどいものだった。今年は神戸のお友達のうちに居候させてもらいほんの1週間の体験入学しかできなかったものの、その学校生活は相当楽しかったようでどうしても日本の学校とこちらの学校をついつい比べてしまうようである。勿論日本の学校に本格的に通うようになれば、いじめや不登校とかいろんな問題がきっと起きてくるのかもしれないが体験入学をさせてもらっているうちは、息子はちょっと珍しい海外からのお客様。きっと皆からよくしてもらっているのであろう。きっと超KYな息子はきっと日本の学校でも、あほなことを言ったりしても許してもらっているにちがいない。本当にありがたいことである。新学期が始まってから新しくスタートさせたことが二つある。計算力が乏しいと判断したので公文に通い出したことと、そのついでにテニススクールに行き出したことである。テニススクールは同じぐらいの年の子がたくさんいて、かなり楽しいようで雨の日も行きたがったりするぐらいなので私も大変に嬉しい。そしてまた公文はというと、公文では入学時に簡単なテストを行うのだがその成績がイマイチであったため学年より下のレベルのところから計算をスタートさせられたようだ。これがいつも自信満々の息子のプライドをずたずたに引き裂いたようだ。公文をやっている最中は外で娘と待っているのだが、先生からちょっと5分お時間いいですか?と呼ばれた。向かった教室ではぐすぐすと泣いている息子。先生はこんなことでなく子供は自分の経験上2人目です。どうやら彼は学校でもそこそこの成績をとっていたようですが、ここの勉強のそれとはちょっと違うのでお母さんにもそのシステムを説明しようと思って。。というようなことを言っておられた。先生曰く、学年に沿った勉強ではなく実力次第なので、成績がこのあたりだとここからのスタートになりますと言われたので、私は「全面的に先生にお任せします」と言っておいた。ところがこれが息子にとっては良いことだったらしい。それまでは何故公文に行かなければいけないのか、嫌だ行きたくないとごねていたのが一切言わなくなった。一切言わなくなったばかりか、レベルが低いと言われたのが相当悔しかったようで、何もいわなくても公文から出される大量の宿題をさっさと自分でこなすようになった。この公文の日は学校に迎えに行ってすぐに公文、テニス、そしてその合間に宿題とかなり忙しいのだがそれすらも楽しいようである。学校は相変わらず楽しくはないようである。タイの学校の先生は、定規や叩くための棒を常に持っていて、悪い事をするとすぐにぶたれるらしい。ぶたない先生はいないというので、それがタイでは当たり前のことのようである。それが嫌だというのだが、ぶたれるようなことをしなければいいのにと思うのだがそこは我が息子。ついついぶたれるようなことをしてしまうのであろう。4年生になって学校の勉強も難しくなり、宿題もうんと増えた。息子は私の方針で、できる限り可能な限り日本語を勉強していくという課題もあるのでそれも頑張らなくてはいけない。4年生になって漢字もぐっと難しくなり、ボキャブラリーもかなり増えてきた。息子にとっては大変だが、タイという異国で暮らす私にとって息子の語学力は私の喜びでもある。一昨日キマグレンのLIFEという曲をYOUTUBEで息子と二人聞いていた。歌詞の中に「君はだれの為に生きていくの」という部分があるのだが、息子が「自分のためにいきていくんだよっ」とその歌詞に向かって突っ込んでいる姿を見てちょっとうれしかった。何が嬉しいのかというと、日本語の歌を聞いてその内容を理解し、突っ込める。タイ語では表現できない歌を息子と理解し合える、そんなささいなことが何となくうれしかった。確かに自分のために生きていくのは間違ってないぞ、息子よ。でも少しは、時々は、母さんのこともお忘れなく。
2009.05.29
コメント(13)
日本に行きたいという妄想は、あれこれ考えてみたら出費の関係であえなく撃沈。熱に浮かされたようだった数日間だったけど、今の私にとって日本行きはあくまで妄想の域を出ることなかったって感じですかね。そのかわり2ヶ月後ぐらいにちょいとしたイベントを考え付いた私。そのご褒美を得るためには、やはり少しはいろいろと努力をしなくてはありがたみを得ることはできないので、もはや恒例となっているダイエットをすることにした。っていうか人生の永遠のテーマですからね、私にとってダイエットとは。ただね、今回どうやってダイエットするかっていう具体的な案が見つからない。ちまたでバナナダイエットなんてものが流行っていましたが、単品ダイエットみたいなのは昔から嫌いなんでやる気になれないし。飽きますからね、第一バナナもそんなに好きではないし。どう考えてもバナナは栄養たっぷりだからバクバク食べてたらやっぱりカロリーを摂取しすぎるのではと思うし。どうせ食べるならもっとちがったものでカロリー取りたいと思っちゃうのは私だけ?かつて一番効果があったのは一日に水を2リットル近く飲んで、炭水化物を完全にカットするというもの。これはすごい効果はありましたよ。ただね、恐ろしいほどに痩せる代わりにリバウンドも激しい。20キロ痩せたって、25キロぐらいあっという間にもどりますからね。炭水化物っておいしいもんね。完全カットはやっぱり難しいし、力も出ないしね。そうなるとやはり、適度な運動をして腹7,8分目に食べるっていう方法しかないのかな。具体的な案もなく、ただ夕飯を通常の半分ぐらいにして夜7時以降は食べないというだけで2キロ痩せたけど、もはや分母の割合が大きすぎて2キロなんて笑っちゃうような数字。重い体でヨガをやったら最近足が痛くって。運動するにしてもとりあえず少し体重を減らさないと足に負担がかかっちゃうからなのか。とりあえずこの夕飯減らすダイエットを続けて、あとは週2回息子と一緒に子供たちの中に混じってテニススクールで汗を流すかな。
2009.05.26
コメント(16)
注意 本日の日記は私のくだらない妄想をつらつら書きつづったものですので、お暇な方のみお読みください。そうでないとちっと舌打ちしたくなるような内容です。笑先日日本に突発的に帰りたくなってしまった私は、ここ2日ばかり日本に帰ったらどうするかという妄相にかられっぱなしである。日本に帰るとしたら、もちろん夫や子供はここに置いていきたい。母ちゃんは遊ぶと決めたら徹底的に遊べる人間なので、(皆知ってるよな)自分が遊びに行くのに夫や子供に対する罪悪感は一切持たない。そこらへんはかなり徹底している。過去にも乳飲み子を置いて、バリやアメリカにも行った経験あり。今もたまに都会の匂いをかがないと死にそうになるので、お金のかからないバンコクに時々出没してはずうずうしくもキャリアウーマンな友人や心やさしいオヤジな友達に御馳走してもらったりしている。最近は超が付くほど余裕がないので全くどこも行っていませんがね。しかし家族を置いていくとなると、長い滞在は無理だからせいぜい4,5日、いや3,4日が精いっぱいか。。。いややはりせめて4日はいたい。帰るとしたらもちろん実家ではなく、東京に行きたい。というか、ひとりでのこのこ実家に帰ったところで勿論親は歓迎しないに違いないし、喜ばれもしないのに帰るのは自分がかわいそうすぎる。相生のかき氷はもちろん捨てがたいが、ここはやはり航空会社がプロモーションをいろいろ出している成田に降り立つのが一番良さそうだ。先ほども何かびっくりするような値段で航空券が買えないか調べてみたら、シンガポールエアラインをバンコクから使ってプーケットバンコクをTGで結ぶと2万Bで行けることがわかった。ちょっと現実的な値段。東京での滞在はどうするか。弟のところに泊まれば、お金はかからない。しかし、勿論遠慮はあるしたった4日の母ちゃんの休日だ。ここは思いきってホテルとかに泊まっちゃったりして。何気に一休.comなんかを真剣に見ていたら、あら―今日本もホテルが結構安く出てるのね。勿論今の私にとっては高いけど、インターナショナルホテルチェーンもけっこういろいろプロモーションを出しているようだ。私は日本でのホテルは絶対に外資ホテルに泊まりたい。まず、外国に長く暮らしている人間にあの日本の独特の宿泊システムはよくわからない。一人料金とか言われても、海外では一部屋の値段なのでどうもピンとこないのだ。しかも日本ブランドのホテルは一流と言われているところも部屋がとてもせまい。ゆとりの24平米とか言われてもなあ。。。。それだったらやっぱり弟のうちの泊まるかと考えてしまう。その点で外資はだいたいどこも広々しているし、料金システムも1部屋の値段だ。わかりやすくて大変よろしい。ああでもいくら安くなっているとはいえ、4泊したら結構かかるよな。そうだ、2泊ホテルに泊まって2泊はこれまた独身のキャリアウーマンな友人宅にお邪魔するべきか。。。日本はこれからは気候もいいよなー。ディズニーランドなんかも行ったりしたら楽しいかも。子どもたちにお土産も買えるし。そう、私が日本に帰る最大の目的はうまい寿司を食うことと、なかなか会えない友人たちとくだらない話をすること。お寿司は先日「日本に来たらうまい寿司屋に連れていきますので連絡ください」と言ってくれた紳士でやさしいちちきちん(ニックネーム)にずうずうしく連絡して、そんな事を言ったのを後悔させるほど食べてやろう。うっしっし。そして都合のつく友人に連絡して、一緒にホテル泊まってもらって死ぬほどお喋りをしなくては。。。誰か一緒に泊まってくれる暇人はいるかな。あー焼肉やラーメンも食べなきゃだし、買い物もしたいしな。ええっと、ええっと。。。すごい。煩悩の塊だ、わたしって。妄相は止まらない。
2009.05.12
コメント(19)
先日、二ランさんがあんかけスパゲティーのことについて書いていたが、どうやら食べ物というのは私にとって強烈な郷愁の念を呼び起こすようで、さきほどもある食べ物のことを考えていたら日本に帰りたくなって涙が止まらなくなってしまった。ここ3年ほど日本には帰っていないが、実は通常はあまり日本に帰りたいと思ったことはない。年を重ねるごとに日本への愛国心は強くなるばかりであるが、じゃあ今すぐ日本に住めと言われてもどうしたらよいのかもわからないし、帰るところも無いに等しい。なぜ帰るところがないかというと、以前の日記に書いているのでそこを参考にして下さい。さて私に強烈な郷愁を呼び起こした食べ物とは、一体。じゃじゃーん。それは相生のかき氷。名古屋の人ならもしかしたら知っている人もかなりいるのででは?と思われるこの相生のかき氷。かつて私が初々しい?セーラー服の胸に百合の校章を付けていた高校生だった頃。名古屋駅の地下街に相生という行列のできるかき氷屋さんがあった。えー。かき氷で行列―?といったことのない方はそう思われるかもしれないが、ここのあの口に入れるとふわっとなってすーっと溶けるあのわた雪のような氷と苦味の利いたちょっと粉っぽい抹茶、そして甘くないコンデンスミルクを使ったミルクのコンビ、そう抹茶ミルクは本当にならんでも食べるにふさわしいおいしさであった。たしか甘さの調節もできたように思う。当時の値段はちょっと忘れてしまったが、それでも500円以上はしたと思う。私は平日は寮で暮らしていて、週末になると岐阜にある実家に帰っていたがその通過地点でつい寄って並んでまで食べなければならないこの相生のかき氷は高校生の私たちにとっては少々高いデザートであった。しかし、ここのかき氷屋の前に行くと、うちの学校の生徒がびっしりと列をなしていたものだ。ああ。食べたい。まさかHPなんてないよと思って検索してみたらなんと。あの懐かしいかき氷のメニューまでがHPの写真に載っていた。その瞬間、高校生の時の自分の記憶がわわーっとよみがえり、懐かしさが込みあげてきて思わず涙があふれてしまった。私が高校生だった当時は名駅にあったが、どうやら移転して東区に移ったようだ。東区といえば私の高校のあったところじゃないか。なるほど。当時タオルを頭に巻いて黙々と氷をかいていたあのお兄さんは今はどうしているのだろうか。当時オーナーと思われたあの品の良いご婦人は今もお元気なのだろうか。今もあの店にはあのセーラー服を着た生徒たちが並んでいるのだろうか。あの学校は親子ともども同じ学校に通っている人も多かったから、もしかしたら親子2代で並んでいる人もいたりして。是非とも知りたいものである。来年こそ里帰りしよう。ダイエットをよそにそう心に誓う私であった。
2009.05.10
コメント(14)
昨日の朝、起きてリビングに移動したらオヤジの「なんだこの水~」という驚きの声。あわててダイニングキッチンのところに行くと、台所中がいや、ダイニングルーム中が大洪水になっていた。キッチンとダイニングをあわせて約30平米が足の甲が隠れるぐらいまで水浸し。台所の流しのところからしゅーしゅーという嫌な音がしたので、オヤジが慌てて水道の蛇口の下をのぞくと水道感から蛇口につなぐホースみたいなのが避けてそこから水がビュービュー出ていた。ひえ~。とりあえず元栓を閉めて、ホースを取り換えたがどうしたらわからないほど水浸し。従業員にお願いして窓を拭く道具でドアのところからとりあえず水をかき出しその後拭いてもらって何とか落ち着いた。もっと長い間気がつかなかったらリビングや寝室まで水浸しだったろうな。もう一つ驚いたことが。何がって私の体重。このたびタイ滞在中で一番重い私となりました。妊娠中よりも。実は太ったのはわかってたので、恐ろしくて5カ月ほど体重計に乗ってなかったの。でも先日にいにが日本に行くので、空港まで送っていた時に数年振りに偶然会ったガイドさんに「あー。○○さん~。ディオニー ウワン マークワー ムアコーンナ」って言われて。こんなことではいけない、まずは体重を計るところからと思って思い切って体重計に乗ってみた。そうしたら、人としてどうかなーって思う体重だった。ということで数日後からダイエットを開始」することに決定。でもまずはバンコクから遊びに来ている友人が置いて行った行動学の本を読んでから。どうして太ってしまうのかという私という人間を分析してからね。っておい!デブ!そんなこと言ってないで早く始めろよと思ったでしょう~、今。
2009.05.01
コメント(14)
1つ買ったら1つタダという商品が目白押しの私の行きつけのスーパーカルフールだが、先日4時ごろスーパーに行ったら軽快な音楽とともにスタッフがダンスを踊っていた。厨房からも白いエプロンをつけたスタッフも出てきて踊っている。MKダンスは知っているが、まさかカルフールでもこんなものが始まったとは。4時ごろ行くと出入り口付近、果物売り場のあたりで踊ってます。笑ダンスを見る人はここをクリック
2009.03.13
コメント(15)

もともと私は麺食いなので、パンはどちらかというと苦手。パンはいくら食べてもお腹が膨らまない割には、おいしいなあと思うパンにかぎってバターたっぷりだったりする。とにかくその日のランチがパンだったりしたら食べた気がしなくて、そのあとすぐにまたクイッティアとかに直行してしまいそう。。。きっと心の赴くままにパンを食い続けたりしたら、それでなくても重い私の体重があっという間に100キロとか超えちゃう気がするのでパン食いでなくてよかったなあって思う。がしかし。普段朝ごはんなんか面倒くさいので食べたりしない私にも、子供1年で一番長い学校のお休みがやってきてしまったから大変。私は食べなくても育ち盛りの息子に朝何も食べさせないわけにはいかない。朝からご飯を炊くのは大変、かといっていろいろ作るのも大変。そんな時にはやっぱりパンが便利。私は日本に帰ると無性に食べたくなるもののひとつに食パンがある。こっちの食パンはなんだか妙に甘いし、しっとりしてないし、ぺらぺらにスライスしてあって大嫌い。これこそまさに、食った気がしないものの代表選手みたいな存在である。あまりにぺらぺらなので焼くとかりかりになってしまってスナック菓子みたい。なので我が家に食パンが常備されていることはない。ところが先日カルフールで食パンコーナーを見ていたら、ぺらぺらでない食パンを発見。日本でいう6つ切りぐらいの厚さ。触ってみるとふっかふかでいかにも日本で売られている食パンのよう。試しに買ってみることにした。トースターで焼いて日本の方からお土産でいただいたはちみつバターをつけてぱくり。うんま~い。あのタイの食パンのパン事態の妙な甘さもなく、素朴な味でしかもパンはしっとりふかふか。あまりにうまさに立て続けに3枚も食べてしまった。あんまりうまいので、食いしん坊在住日本人に用事のついでに持っていこうと連絡したらさすが食いしん坊。そんなことはとっくに知っていて驚いた。カルフールの6つ切り食パン17B。日本の食パンの味がします。在住の方ぜひお試しを。
2009.03.10
コメント(18)

私はどうもだらしがないので、デジカメの中には常に写真が満タンの状態。いざ撮ろうと思っても容量が足りなくて、あわてて削除してから写さなくてはいけないとかいつも大慌ての状態になる。こんなことがないように、常日頃からちゃんと写真の整理をしておけば良いのだ!!と先ほど思いつき、とりあえずブログ用にとっておいた写真を削除することにしたのだが(撮っただけで一向にアップしないのでずいぶん期限が経ってしまった)ちょっと捨てるには惜しいのが出てきて、この機会にアップすることにした。ある日ふと気がついたら我が家の裏の侵入除けにこんなものが刺さっていた。一瞬もずのはやにえかと思ったが、干物を食べたいオヤジの仕業であったが干物の何とも哀愁がかったこの姿になぜか1枚パチリ。これはある日うちの壁にとまっていた巨大な蛾。翅の全長は軽く20センチはあります。幼虫だった時はどんだけ巨大だったのだろうか。想像するだけで寒い。ある日オヤジが「デジカメもってこーい」と呼ぶのでなんだかわからないけど慌てて飛び出てみたところこんなものが。はしでつかんでジップロックの中に入れてとりあえずじっくり観察。これまた体長15センチとなかなかの大きさ。雨上がりの道路っぱたでたまに見ることはあたけど我が家に出没したのは初めて。これは先日つみとったローズヒップを乾燥させて煮出してジュースにしたもの。初めて作ってみましたが、甘酢ぱいその味に感動。市販のものに比べるとずいぶん酸味が出てるように思ったが、その分ナチュラルな感じでおいしかった。
2009.03.05
コメント(10)

皆さま明けましておめでとうございます。12月の母の来訪とともに、同じく年末年始知人友人の来訪もありばたばたとした日々を過ごしていました。またかとお思いでしょうが、ブログもコメントもすっかり放置していました。コメントを頂いた方々どうも申し訳ございませんでした。今年も細々とブログは続けていく予定でおりますのでどうぞよろしくお願いいたします。とりあえず最近撮った写真です。あれ?この顔何かに似てませんか?うちの娘は時としてあっちの世界にいってしまうらしく、ほうっと呆けるとポニョにそっくりになってしまいます。魚顔ってこと!?前髪切りました。ピンクのトンボって見たことありますか?もっと接写しようと思ったら近づきすぎたななっちに驚いてどこかに飛んでいてしまいました。これは私が最近初めて見たもの。ローズヒップ。うちのオヤジの実家にありました。中の種を乾燥させて煮出すと例のナムカチアップっていうローズヒップジュースができるそうですよ。これはまだ熟していないのでもう少し乾燥まで待たなければならないと母が言っておりました。今年はなにかと苦しくなりそうな一年ですがなんとか乗り切っていきたいです。皆で頑張っていきましょう!!
2009.01.13
コメント(21)
今日であの黄色い連中のくだらないコンサートや、いまいましい宴会まがいの集会をテレビで見ることもないかと思うと非常にすがすがしい気持ち。ああ、でもあいつらは自分たちに不利になる政党がでてきたらいつでもまたわらわらと集まって空港を占拠してやると息巻いていたっけ。ってことはまたあの黄色い連中をテレビで見なきゃいけないてことか。だって、どうせ解散総選挙したところでどうせタクシン派がまた勝つんだろうし、そうしたらまたやつらが集まって空港を占拠して、いちゃもんをつけて内閣を総辞職に追い込んでまた無政府状態が続いて、また選挙して。。。ああっこれってやっぱ一時的な解決にしかすぎないってこと!?もういやっ!さっきニュースを見ていたら、スワンナブームに300人の清掃婦が到着し清掃が開始されたらしい。「空港職員、清掃婦、すべての空港スタッフが仕事が再開できることに喜びを感じております」といって清掃の方々が晴れやかに笑っている姿が映っていた。なんかそれ見てたらまた猛烈に腹が立ってきた。数か月に及ぶ首相府と8日間に及ぶやつらの占拠のおかげで、そのあとは汚れっぱなしの状態らしい。なにしろ連中のなかにはペットとかまで連れて空港で寝泊まりする輩もいたようだ。タイ人のことだからゴミだってきっとそのあたりにポイッと捨てっぱなしだろうし、食べ物だって何しろにんにくのたっぷり利いたタイ料理の食べ残しなんてすんごい悪臭だろうし。首相府に残されたさまざまな残骸は一体だれが片付けるというのか?これに税金を使うなんてなんてばかばかしい。汚して散らかしたものは黄色い連中、てめえらで片付けろ!と叫びたい気持ち。
2008.12.03
コメント(10)
依然として続いているバンコクの空港閉鎖。今回のこの事件によって、未だ多くの人たちが本国への道を閉ざされ途方に暮れている。この国の政治家たちを悪というならば、あの人たちはここまで関係ない人たちを巻き添えにしていったいなんだと思ってだろうか。自分たちのやっていることこそが正義だと思っているのであろうか?私にはもはやこれはデモではなく、テロ行為としか思えない。しかし何を言ってもきっと無駄なんだろうなあ、あんな中で一日中お経のように演説やコンサート?を聞いてたら洗脳状態になっちゃうのも無理はない。あの異様な雰囲気の中では冷静にこれからのタイの未来のことなんか考えられないのだろう。そんな中私たちの友人るーしーさんも未だバンコクで途方に暮れている。毎日メールや電話でやり取りして、私の知りうる限りの情報を伝えてはいるがさぞかし不安なことだろう。タイ航空から無料で手配されたホテルは川むこうの不便な場所にあるため、ちょっとどこかにいこうとしてもタクシーの乗車拒否にあったり英語が全く通じなかったりと苦労の連続らしい。帰国日がたまたま26日だったために本当にお気の毒なことである。運が悪かったとしか言いようがない。るーしーさんたちがタイフェスで見事あてた飛行機のチケットは一人分のみであったうえに、予定を全く変えたりできないフィックスチケットだったため空港が再開したらそれ次第で乗れるというなんとも融通のきかないチケットだったらしい。もう一枚は自腹で買っているので、ウタパオからの臨時便に振り替えることができるというもの。一人が帰れて、一人がどうなるかわからないというのも何とも不安なため、現在別ルートでなんとか帰国できないものか検討中なのだ。私だったらいらいらして、今頃頭の血管が切れてとっくにあの世にいってしまったかもしれないがるーしーさんたちはいつ電話をしてもとても冷静なのがすごい。本来27日にプーケットに来るはずだった私の母も自宅にて待機中。今日は24日にカナダを出発した、お客様が5日かかってプーケットに到着した。本来ならば台北経由でバンコクに到着、国内線でプーケットに来る予定だったのが台北からチェンマイ、チェンマイからの飛行機はもちろんないので電車にてバンコク、バンコクより一縷の望みにかけてウタパオ、ウタパオでは国内線の発着は絶望的とみて結局今朝タクシーをチャーターしてここにたどり着いたというわけだ。ちなみにタクシーチャーター料金は1万バーツだったらしい。走行距離が約900キロと考えると、外国人にとっては払えない金額ではないもんな。奥さまは60歳オーバー、ご主人にいたっては70を超えているのでとても心配していたが無事にたどり着いて本当によかった。喉元すぎれば、の状態なのかもしれないが「1週間近くもパスタを食ってないと調子が出んよ」とカナダ在住イタリア人のご主人は笑いながらこぼしていた。今回の騒ぎで日に日に国益と、そして国益以上に国としての信用性を失っていくこの国。本当にどうなってしまうのだろうか。今もテレビをつければあの黄色い連中が演説に耳を傾け、パタパタと音を立てるおもちゃを手に座り込みを続けている。
2008.11.29
コメント(12)

どうにもやる気がおきない毎日。ハイシーズンはとうにやってきて毎日良いお天気だというのに。やる気はおきなくてもばたばたと毎日は過ぎて、菜々先月の17日についに2歳になりました~。わ~ぱちぱち。(誕生パーティーもやってやれなかったのでせめてもの拍手)ひょんなことで始めたブログもいろいろなことひっくるめて、ついでに子供たちの成長期も兼ねているのでもっと早くアップせねばとは思ったんですけどね。思ってるばっかりで。さて、生まれてから一度たりとも「ああー、楽になったなあ」となかなか思わせてくれない菜々さんですが、最近1つ2つ楽になったことがあります。生まれて2か月から人見知りを始めたスーパー赤ちゃんの菜々ちゃん。どんな育児書を見ても、ネットを駆使して調べてみても「人見知りが始まるのは6カ月ごろからです」「2,3カ月のころは人見知りもなくだれに抱かれてもにこにこしています」みたいなことが書いてあってさんざん私を悩ませた菜々ちゃん。ただたまに、3ヶ月ぐらいのお母さんが「夫の母が抱くと泣いてしまって困っています。人見知りがスタートしたのでしょうか?」と悩みを相談している人がいたりして「おお!!うちみたいな赤ん坊がいるぞ」と思って回答欄を見ると「3ヶ月で人見知りはあり得ません」みたいなことが書いてある。あの回答には私も悩ませられたよ。あの相談者の人も悩んでるから相談したのにね、ぴしゃりと違うとか言われちゃって「少し早いですが、そういうこともあるかもしれませんね」ぐらいのことが書けないのかって私まで苦々しく思ったもん。「人見知りじゃなかったらこの状態はなんなんだよ」ってね。だって、私以外の人が抱っこすると途端に泣き始める。おやじだって駄目だったし、そのときたまたま来てた弟だって駄目だったし、毎日顔を合わせてる乳母さんだって駄目だったし。あのころ菜々ちゃんは私以外のだーれにも抱っこされなくて、彼女を抱っこする以外何もできない毎日で頭がおかしくなりそうだった。もう泣いてもいいよって思って放置すると、これはもしかしたら泣きすぎて死んでしまうかもしれないと思うほど顔を真っ赤にしてこぶしを振りかざし、それはすごい泣きっぷり。人見知りの状態はその後も続き、つい最近で知らない人には一切目を合わせたりもできなかったわが娘。ところがですよ。最近の菜々ちゃんファランを見ればにっこり微笑んで「ハロー」とごあいさつ。照れなのかハローの声はひっくり返って裏声みたいになっちゃってるし、ハローって言ったあとははずかしくなっちゃって私の後ろに隠れちゃったりはするけど、ファランと目があっただけで号泣していた昔に比べればすごい進歩。好きな人もいっぱい増えて、私の友達にも私がいても抱っこをせがむぐらい。昔は母しか好きじゃなかったのに。にいにのことはなめきってるので、悪の限りをにいににはするけど、にいにの友達お兄ちゃん達のことも大好き。知らない人でもしばらく一緒にいれば、帰る時には帰ってほしくなくて泣くぐらいにまでなった。おしゃべりもぐんぐん発達して、タイ語と日本語は器用に完璧に使い分けるようになった。これはさすが女の子。にいには3歳ぐらいまでほとんどお話できなかったが、私はにいにに対して日本語しか話さなかったので彼の小さな頭は度々小パニックを起こすらしく、「あのね、あのね、あのね、。。。。。。」とあのねを10回ぐらい言ってみたり、「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。。。」とものすごくどもってみたりとちょっと心配な面もあった。ところが菜々ちゃん。パパには完璧にタイ語で「ナナ、ヤーク キン カノーム」 (菜々お菓子食べたい)すぐ横にいる私には「ママー、おかしちょうだーい」と使いこなす。タイ語のほうが上手で普通にパパや従業員たちと会話しているが、昨日は日本語で「ママー、あっちいこ、車で」って言った時はそこにいた私の友人二人もつい吹き出してた。菜々ちゃん、我儘で要求がたくさんある分だけ、その要求をなんとか言葉にしたいようでそれが彼女の器用なおしゃべりにつながってると思う。それが証拠に「~したい」「~食べたい」「~いきたい」という言葉ばっかり!!勿論うまくこの言葉が出てこないときは2歳児らしくてっとりばやい方法で「きえ~~~~」とおたけびをあげまくるのだけど。そしてやはり蛙の子は蛙で、食に対する異常な関心は私の悩みの種。女の子ですからね、できれば私の様にではなく華奢でかわいい女子に育って欲しい親心。にいにに引き続き悩みのテーマは「どうしたら食べないでくれるか」ということ。一緒にご飯を食べに行ったりすると毎回必ず「すごい食べっぷり、大丈夫?」と言われます。「どうしたら食べてくれるのか」っていってみた~い。人はないものねだりですな。1歳の時に面倒を見てくれた乳母のマリアちゃんの結納にて濃い顔なのでオバQ帽がよくお似合い(そら豆みたいとニランちゃんがおおうけ)
2008.11.17
コメント(21)
ここのところ、なんとなく空が高い。日本でも秋は天高く馬肥ゆる秋ともいうが、これからプーケットはハイシーズンに突入し朝夕が涼しく秋を感じさせるような天気になっていく。ここのところ真っ青な空が高く、雲は一つない。夕方プーケットタウン方面からパトンに向かう坂道で海のほうを見ると、素敵な夕焼けも見ることができるようになった。これはいよいよハイシーズンである。ハイシーズンはあのじめじめとしたいやな雨がほとんどなく、爽やかな風が吹いて本当に気持ちが良いものである。しかし、世界各国から観光客が押し寄せるために変な外国人も同時にどっと増えることになる。先ほどセブンイレブンにコークゼロが飲みたくて買いに走ったら、なんと入口のドアのところにファランが転がっていた。果物のファランが転がっていたわけではなく、西洋人が転がっていたのである。セブンイレブンのドアを開けるにはどうしてもそのファランをまたがないと、通れないような位置に転がっているためはたまたどうしたものかと悩んだが、どうしてもコークゼロが飲みたかったので私なりに配慮して足のほうをまたいで通らせていただいた。少々観察してみたが、顔は赤く、蚊にでも刺されたのか顔をぼろぼろかいていたので、具合が悪くて倒れているのではなさそうだ。ポケットの中のものは飛び出して散乱していたが、どう考えても酔っ払って寝ているように思えた。そういえばかつてプーケットに住んでいた友人で、酔っぱらうと意識が飛んでしまう人がいて間違えて他人のアパートのドアに鍵を差し込んで開かないため、そこのドアの前で寝てしまったという話や、(本人談です)パトンで飲みまくってやはり道端で寝てしまい、はっと気づいたときは見知らぬおばさんがそばでうちわであおいでいたという話などもあった。ご丁寧にもその時は顔にパウダーまで塗られていたらしい。笑確かこのときは、道端で寝ていたこの友人を親切なおばさんが自分の部屋まで運んでくれたらしいのだが、どうやら道端で寝ているときにポケットに入っていた携帯やら財布やら根こそぎ無くなっていたらしく、その日以来お金は財布に入れないようにしているなどとほざいていたが、一滴も飲まない私からすれば何でそこまで飲まなければならないのか全く理解ができない。しかしこの酔っぱらいのファラン、なんて迷惑。お店の女の子に「この人いつから寝てるの?」と聞いたら朝気づいた時にはそこにいたらしいが、スタッフが朝晩は女子しかいないのでどかすことができなくて困っていると言っていた。ハイシーズンはうれしいが、こんな人たちがこれからもっともっとふえていくんだろうな~。
2008.11.05
コメント(17)
この日記は途中までバンコク滞在のときに書いたもの。しかも愚痴愚痴とネガティブなことを書きまくっているので、嫌いな方はスルーでお願いします。泣後半はもう忘れかけたプーケット到着後に書いたものです。やっちまったな~!!(クールポコ風でお願いします)って気分の今の私。只今わたくし、にいに、ななっちはなんとバンコク滞在中。しか~も、11日間という長丁場。毎年恒例となったにいにのバンコク日本人学校への体験入学に今年はなんと菜々を連れてきてしまったのが私の不幸の始まりだった。実はここ1ヶ月我が家の問題児菜々の状態が少し良くなっていたのが、この悪魔をつれてきてしまった大きな原因。いつもだったら「菜々を日本に連れて帰るなんてとんでもない、ましてや旅行なんて苦しみにいくようなもの」と絶対連れていこうなどと考えもしないのだが、ここのところちょっと調子が良かったものだから「これだったら連れて行ってもそんなに大変じゃないかな?」と思ってしまったのだ。なんせ菜々ちゃん、こんな性格だからプーケットから未だ一度も脱出した経験はなし。勿論飛行機に乗ったこともなし。ましてや家以外のところに11日間もいた経験も無ければ、家と保育園以外のところに泊まった経験もなし。とにかくないないづくしの初めての体験。行きの飛行機はまずまずの出だし。耳を痛がって泣きはしないかと心配だったが、あっという間に寝てしまい終始静かだった。その日は問題なし。問題があるとすれば、初めて泊まる場所に大興奮でなかなか寝てくれなかったこと。おまけに母はエアコンの調節が上手くいかず寒かったり暑かったり。そんなこんなで初日は3時間の睡眠となってしまった。次の日は日本人学校に挨拶に行って、その帰りに日本人の先生のいる保育園にななっちを連れて行った。この保育園はABCプレイグラウンドといって、日本人の先生が二人いるらしい。1日600Bで朝から夕方まで、昼食付き、送迎付きという良心価格。勿論私は24時間彼女と一緒に居る自身が無いので、土日を除く日中はここに預けることに決めていた。タクシーで散々迷った挙句トンローにある保育園に無事到着。不安は残るものの、ぐいぐいっとそこに預けて、晴れて自由の身になる。しかし悪夢はその日の夕方から始まった。4時過ぎに帰ってくるとの事だったので、泊まっているサービスアパートメントのロビーで待っていると送迎バスが近づくと共に絶叫が聞こえた。「うぎゃああああああ」勿論声はわが愛娘。バスとともにすごい絶叫が聞こえてきた。先生によると、学校では泣いていなかったらしいがバスに乗ったとたんに絶叫し始めたらしい。先生、運転手さん、申し訳ない。ここからはプーケットで書いています。知らない土地で行ったことのない学校に押し込んだ代償は大きく、その日からの娘は手がつけられないほどの我儘ぶり。タクシーの中でも騒ぎまくってキイキイうるさいので、渋滞中でイライラしている運転手に殺されてしまうんじゃないかと私はひやひやしっぱなし。どこに行っても騒ぎまくるわ、泣きまくるわ、我儘を言いまくる。おまけにいつでもどこでも抱っこを要求。慣れない土地での学校生活は彼女にとってよほどストレスは大きかったのか、夜泣きもすごく目を閉じたまま2時間泣き続けた夜もあり。我儘は今もそのまま続行中なので、そういう時期にちょうど突入してしまったのかもしれないな。魔の2歳児っていうし。でもよく考えてみたらこの子が生まれてから手を焼かなかった時期なんてあったかなと思い返してみる。もっとよく考えていたら、腹の中にいるときから大変だった。生まれてからはもっと大変で1時期は24時間注22時間ぐらい泣いてたし。今は今で相変わらずずっと私に付きまとっていて、一人で静かに遊ぶなんてことは絶対にないし、テレビも見ようとしない。一昨日なんて、珍しく大人しいと思ったら鉛筆で半年前に色を塗りなおしたばっかりの壁に落書きしまくってたし。苦笑とりえは。。。元気なことか。それが一番と思うしかない今の状態。書いているうちになんだかどんどんネガティブになってきた。そうなんです。実は最近あまりの彼女の状態の悪さに少々ノイローゼ気味。これでスパッと天気でもよくなってくれれば心も晴れるのかな。とにもかくにも、「二度とななっちをつれて日本に行こうなどとおもうまい」(実際他人に迷惑をかけまくるので行けない)ということを再確認させられた今回のバンコクであった。とほほ。。。。
2008.10.28
コメント(20)

街を歩いているとたまにぷっと吹き出してしまうような変な看板を見かけることがある。特に外国ではどう見てもそこいらにいた日本人観光客にちょっとお願いして書いてもらったような手書きの日本語の看板だとか、変に間違った文法の日本語が結構あちこちにあふれているのだ。ある日遊びに来ていた我が愚弟が「姉ちゃんちょっとこれ見て」といってデジカメを持ってきた。安い、暑い、働かない。安いけど暑いため働けないのか、安いから、暑い(エアコン等がないので)し働かなくてもいいのか。。。謎の看板の持ち主はこともあろうか我が補習校校長N岡氏であった。日頃から自身のブログで吹き出してしまうようなプーケットの日常や、はたまた自身の性癖まで書き綴っていてあれを娘が読んだらどうするんだと心配してしまうぐらいの赤裸々ぶりなN岡氏である。もともと私と弟の中でのN岡氏のユーモア度(変人度数)は高かったのだが、これでまた一気にあがったのは間違いない。ところがつい先日「ちょっとちょっとこの看板見てください」といってお客様が私にデジカメを渡した。そこにはまたしてもあの、安い、暑い、働かない、の文字が。しかも彼女たちはこの看板の下でピースサインをしたり、両手を拡げて笑っている。この看板の持ち主が知り合いであることを彼女たちに伝えたら「ぜひ今度何を考えてあの看板を作ったのか聞いてみてください」とお願いされた。ちょうど3日ほど前に車を運転しているときに急にこのことを思い出し、今聞かなかったらまた絶対忘れてしまうと思ったので直に電話して聞いてみることにした。電話に出たN岡氏はいつものように淡々と「あーあれですか、でもあれもうすぐ変えるんですよ」という。あのキャッチコピーはやはりN岡氏自身で考えたものらしいが、安い、の後に続くごろのいい言葉として、暑い、働かないというセリフを何の気なしにつけたらしい。ただどうしても道行く日本人観光客の目に飛び込んできてしまうらしく、あの看板の写真をとる人が絶えないのだそうだ。かいがいしくその看板のそばでいつも働いている奥様が、不思議に思いN岡氏に「あれはなんて書いてあるの?」と聞き真相を知った奥さまは「私はちゃんと働いている!!」と激怒し、看板も古くなってきたということもあって新しいものに変える予定となったらしい。だが、看板とは本来人の目を引くものでなければならないからそういった意味ではあの看板は素晴らしく、新しいものに変えるとしてもあのキャッチコピーは残したほうがいいと言って電話を切った。何の気もなしにこんなに注目度の高いキャッチコピーを考えるとはさすが我が校長、侮れないなとつくづく思った。
2008.09.17
コメント(17)

長かったお天気の不調はどこへやら。今日は朝から見事な青空のプーケット。この2週間一度も外で洗濯物を干せなかったのがうそみたいに、本日洗濯物2回転プラス掛け布団まで干せて本当にうれしい!雨のせいもあって節約生活は順調にはかどって、お財布を見たら今週まだ1,300Bしか使っていないことに気づきにんまり。ただ、どうしても買わなければいけないものがあるためカルフールに行ったのがいけなかった。そこで衝動買いしてしまったのがこれ↓ラム肉。いつもカルフールで売られているこのラム肉。ただし、こういう感じで切られてはいなくて、ブロックの塊のまま売っているため一人前いったいいくらぐらいになるのか想像すらつかなかった。やっぱり高いのね~。ただし、余分な脂身はしっかり削いであってちゃんとお仕事がしてある。見るからにうまそう。相当な子羊ちゃんなのか1っこがすっごくちいさい。一口で食べれてしまいそう。うちに帰って早速調理。冷蔵庫にあったものをちょっと添えて、バルサミコソースを作ってかけてみた。いくら食べたいからって昼からこんなもの作って食べるってやっぱ私って狂ってる?言い訳としては、1 節約生活でたいしたもの食べてなくって肉!って感じのものが食べたかった。2 節約を頑張っているご褒美。レストランに食べに行ったらこの3倍はかかるから。というこの2点。がしかし。肉を焼くにおいにつられておやじが来てしまった。しかも1本だけ上げようと思ったのに結局2本とられてしまった。くそう。食べる?って誘うと食べないくせにあまのじゃくめー!!
2008.09.12
コメント(20)
我が家は毎年9月10月の2ヶ月間は大変に貧しい。ハイシーズンに備えて仕事上でいろいろなメンテナンスをしなくてはいけないうえに、1年のうちで一番収入が少ない月でもある。日頃からしっかり財布のひもをかたーく結んでおけばもしかしたらこんな窮地に立たされることもないのかもしれないが、この2ヶ月間はかなりな節約モードに入る時。貧乏週間、いや、貧乏月間なのである。今週私は月曜日に決まった額を財布に入れた。そこから算出するに、一日数百バーツという数字がはじき出される。ううーん。もともと節約とかが大変苦手な私にとってはなかなか厳しい現実だ。がしかし。人間やればなんとかできるもので、夕飯は基本的に家ごはん、ランチは友達と1度食べる機会があったが節約中という旨をお伝えして8番らーめんで一緒させてもらった。お陰様で本日まではなんとか予算内で納まっている。しめしめ。みなさん、私の節約につきあってくれてありがとう。その他、買い物に行ってもほしくなりそうな物がある場所には近づかず、今日明日使う分だけの野菜や肉を買う。日頃は使わないものまで安いのがあるとつい買ってしまうが、基本だらしがないので冷蔵庫の中でお蔵入りすることもしばしば。これは大変にもったいない。しかし週末に近づいた本日。どーしてもスイーツが食べたくなった。しかもなんだか久しぶりにとーってもティラミスが食べたい。ティラミス。簡単だけどおいしいティラミス。でもどう考えても材料費と夕飯の材料費を合わせたら本日の予算は間違いなく上回る。第一マスカルポーネチーズだけで140B。いつも使っているお徳用生クリーム約130B。下に敷くスポンジケーキ約50Bコーヒーとココアパウダーとクリームチーズは家にあるものを使うとしてもティラミスの材料費だけで300Bを上回る。うちの近所のイタリアンのティラミスもおいしいが、1つなんと90B。しかもファラン仕様なので大変甘い。そして90Bなのにとても少ない。あの量では今の私のこの食べたいモードを満たすことは絶対に不可能である。できれば自分で作っていっぱい食べたい。しかしいっぱい食べたいといっても私と息子が二人で食べるにはこの材料では沢山出来すぎてしまうし、第一不経済。なーんて考えていたら本日仕事がお休みの二ランちゃんから「何してるんですか?」という電話が。丁度腹が減ってあさりのぺぺロンチーネを作っていたので、誘うとしばらくしてやってきた。ティラミスの話をしたら一口乗ってくれそうだったので、さらに食べることなら絶対断らないカコちゃん夫妻も誘う。ただし、貧乏月間なので材料費は割り勘でいい?というケチくさい話までして。笑これで心おきなく材料費は捻出できる。デザートだけではなんなので、ほんの3日前にも作った餃子も作ることにした。これは3日前に食べたら、さらにもっと食べたくなってしまうほどおいしかったし材料費もそんなにかからないため。お陰様で餃子もモリモリ食べれて、ティラミスも上手においしくできた。結局材料費は餃子の分も入れて一人120B。各1人に1個づつ明日の分のティラミスのお土産付き。お店で食べたらティラミス1個が90Bだもんね。120Bって決して安いとは思わないけど、これだけおいしいものを食べてこの値段だったら良いと思う。ティラミスってほんとうに簡単でおいしい。二ランちゃんが写真を撮っていたのできっと近々アップしてくれるだろう。皆で買った材料の中で生クリームがまだ結構大量に残っている。貧乏月間はまだまだ続くので来週はこれを使ってエビグラタンでもしようか。チーズとバターが高いのでこれまた結構材料費がかかると思うけど、一人100B以内で納まる筈。こうやって材料費を割り勘にしておいしいものを食べれるのも、そんなケチくさいことを言っても変に思ったりしない仲間がいるから。助かります。
2008.09.04
コメント(22)

よく考えてみたら最近子供たちの成長記録を書くことをすっかり忘れていた私。他人は別に読みたくないかもしれないけど、このブログは私の日記代わりにもなっているので久しぶりに最近の様子を書いてみることにした。にいに 9歳一時期とどまることを知らなかった反抗期は少し治まりつつあり、私の言うことに少し聞く耳を持てるようになってきた。ただ、あいかわらずほおっておいたら学校から帰ってきて自主的にシャワーをあびたり、勉強したりなんて絶対しない。とにかく言われるまで何にもしない。言っても5,6回言って、ついに怒鳴ってやっとお尻を上げる状態。こういう子にはどうやって対応したらいいのか。母、はっきりいって悩んでます。日本から帰ってくるまでの半年間に急増した体重は今のところ母の厳しい管理により1キロやせた以降は増えもしなければ減りもしないという横ばい状態。週末はサッカーとテニスをやって運動をさせるようにしているが、この男もともとひどい運動音痴。得意なのは水泳だが、走ったりすることも大嫌いだしとにかく水泳以外のスポーツは何をやらせてもうまくいかないらしい。水泳はわりと得意ではあるが、好きではないらしい。テニスもそこそこできるようにはなったが、飛躍的な上達は見られない。私自身は彼が得意でなくても、スポーツをして楽しめたり、負けて悔しかったりする感覚を味わってほしいと思うのだが。。。。昨日は期末テストの初日。「どうだった?」と聞くと「うん、できた」トのお答え。だがいつ聞いてもできたと答えるので、それが真実なのかどうかは全くわからないが本人はいつも自信だけはあるようなのでそれが少し笑える。日本の夏休みでかつてここに住んでいた仲間が帰ってきてうれしいにいに軍団 奴らの中では何故かベイブレードが復活 菜々 1歳10か月生まれて以来いろいろなことで母を悩ませてきたこの娘。1歳10カ月になっても母の悩みは尽きない。とにかく意思がはっきりしていて、一筋縄ではいかない。いろいろなことにこだわりが強く、反抗しだしたら動かないこと山の如し。買い物先で一歩も動かず、そのまま静かに横になったまま動かないこともあった。道行く人々は小さな子供がショッピングセンターのど真ん中で寝ていることに驚き、子供好きでちょっぴりおせっかいなタイ人は助け起こそうとするものの、娘の反抗にあいそれを断念。私は娘が納得するまで起き上がらないのを知っているため、急いでいない時はしばらくそれを放置しているので今度は私に「どうして?」と聞く。どうして?う~ん。どうしてなのだろうか。わたしにもさっぱりわかんない。きっと娘は何か思うことがあって、そこに寝転ぶことによって何かを私に伝えようとしているのだがそれは時としてただ気まぐれにやっているだけのこともあるので、最近ではしばらく様子を見ることにしている。それが危なかったり、人に迷惑がかかるようなことでなければとにかく放置。強攻手段に出るとますます手のつけられないことになるからだ。しばらく様子をみて「じゃ、そろそろいこうか」というと急に魔法が解けたように動き出すパターンが多い。これは最近よく見られる行動パターン。とにかく反抗したいだけの時も多い。(得にお風呂の時など)行動だけでなく最近は言葉による反抗も増えてきた。「やだ」(ダダとも聞こえる)「やーだ」「マイアオ」(タイ語版いやだ)これは1日に何回も聞く言葉。はっきりいってもう聞きたくない感じ。好きなことは食べることとプールで遊ぶこと。私と一緒にいる時はあいかわらずストーカーのようにくっついてまわっているのだが、食べることとにいにやにいにの友達とプールで遊んでいる時だけは私がいなくても平気。とくに食べることは大好きで食欲がないという日が全くない。とにかく食べるわ食べるわ、びっくりするぐらいよく食べる。そのせいか食べ物の名前はすぐ覚えて「えび、ちょうだい」「スープちょうだい」「氷 ちょうだい」とちょうだい、ちょうだいとめちゃうるさい。人に食べさせてもらうことは嫌い。何でもかんでも自分で食べたいらしい。目の前に食べ物をおいておけばひたすら一生懸命ずーっと食べている。仕方がないのでいつも思いっきり自分で食べさせて後で一斉に片付ける。みよ、この食べっぷり。半分ぐらいは胸あてのポッケ部分に入る仕組み。行動も動きが激しく男の子のよう。常に動いていて、生傷が絶えない。3日前には椅子の手すりから落ちておでこを強打した。ごつっとにぶーい嫌な音がしたので私はかなり驚いて、しばらく心配の余り吐き気がしてくらくらしながら外出先からうちに急いで戻った。おでこは紫色にはれ上がり、かなり大泣きしたがしばらく様子を見ることに。その後食欲は旺盛、はいたり目の動きがおかしいとかそういうこともないので結局病院には連れて行かなかったがあの時のいや~な感じはまさに肝が冷えるという表現にぴったりだった。言うこときかなくても、暴れん坊でもとにかく元気でいてくれ。かわいい洋服をMちゃんからいただいた。その中でも特にお気に入りの赤のホールターネックのトップス。時折のぞく小力並の出っ腹がチャームポイント。プールで遊んでいる時はとにかく機嫌がいい。腕に付ける浮き輪さえあれば、足をバタバタ動かしてひたすら泳いでいる。顔に水がかかったって全然平気。これだけはにいにとよく似ている。にいにも5か月ぐらいから浮き輪をつけていつも水に浮かんで機嫌よくしていた。しかし最近の私は年のせいなのかめちゃくちゃ疲れやすい。にいにの学校が休みでななっちの保育園がお休みの週末は朝からフル回転の忙しさ。月曜の朝はぐったりで1日ゆっくりしても疲れが全くとれない。今日は金曜日。外は朝からの大雨。雨が降ると子供たちは外で遊べずプールにも入れないのでうちのなか中心の遊びになるしななっちの機嫌もわるくなるであろう。明日、明後日は補習校ではバンコク日本人学校の巡回指導もある。なんとか頑張ってこの週末を乗り切らなければ。
2008.08.22
コメント(16)
4日間の連休を終え、母さんぐったり。日本から何人か息子の友達が遊びに来ていて、2日間4人の男どもとちびっこななっちのお世話をなんとかやりきった私。奴らの世話は確かに大変だけど、私は結構好き。だって男どもって馬鹿でかわいいんだもん。言ったりやったりすることが思わず「まじですか?」としか思えないところが何とも憎めないのである。この4連休は天気もばっちりだったので、おとといはメリディアンに全員引連れていてきた。私がここのスポーツ会員になっているので、デイパスというのを買えば子どもは一人550Bで一日中ホテル内の施設で遊べる。しかもビュッフェランチ付。たらふく食べて1日550Bはかなりお得感がある。テニスだってし放題だし、アーチェリーやゴルフレンジなんかもあるしプールは広い。子供たちは朝から晩までいても飽きないぐらいいろいろあってしかも思いっきり体を動かして遊ばせられる。そしてここのホテルはパトンエリアではあまりないオンザビーチ。プールのすぐ目の前はビーチというすばらしいロケーションなのである。この日はお天気は良かったけど結構波があったので子供たちを遊ばすのがちょっと不安。なので母さん何年かぶりに子供たちと一緒に海で遊んじゃった。しかも水着で。。。万が一私の水着姿が視界の範疇に入ってしまった方に公害といわれてもいたしかたないひどい体型で。。。波は高かったけど水はとっても綺麗だった。波が高かったので皆でボディーサーフィンをしてもみくちゃになったりもして、キャーキャー言いながらしばらく遊んでいた。海水が鼻に入ってつーんとする感覚や塩水が目に入って痛い感じ、久しぶりに思い出したよ。波打ち際でもみくちゃになったりとかね。夕方からは保育園から戻ったななっちも加わってプールで泳いだ。男どもは皆9歳から12歳とすでに大きくなっているので、かわるがわるななっちのお世話もしてくれる。大きいお兄ちゃんたちの中にぽっちり小さいななっちが一緒に遊ぶ姿はなんともほほえましかった。
2008.08.15
コメント(15)
わたくし、決められごとを守るのが大変苦手。だらしがない性格ゆえ、いついつまでにお願いします、といわれると「ひいい」と逃げまわりたくなり、ぎりぎりまで引き延ばした揚句そのあたりでなにかばたばたしたりするとそのまま忘れちゃうこともしばしば。そんな私にバトンがまわってきちゃった。お願い元はクラビに住むLUNESちゃん。私という人間をわかっておりませんな。華やかで赤のイメージだって。ぷっ。これを見た私を知ってる人間はきっとPCの前でふきだしてることでしょうよ。下ネタ、とくに○○こネタが大好きな下品な人間なので、イメージカラーは茶色の間違いでないのか?と思ってるひともいるはず。それでは頑張ってお答えしたいと思います。☆ルール☆・次の人には、3日以内に回しましょう・嘘偽りなく答えましょう・アンカー禁止・回した人は、回された人がルールを守っているか見に行きましょう・ルールが守られていなければ、罰ゲーム・3人の方に回して、その方のイメージカラーを答えましょうとりあえずこれがルールらしいっす。☆お名前は?メオタイです。本名は幸せに恵まれるというような意味の名前。幸せか幸せじゃないかと聞かれれば、幸せだと常に思っています。名は体を表すといいますが、良い名前をつけてくれた両親に感謝してます。☆年齢は?申年。LUNESちゃんのちょうど一回り上の40歳です。今日本ではアラフォーっていうんですって?☆恋人は?恋人は?いるかいないかてこと?いたら不倫になっちまいますね。旦那は一応なんとかぎりぎりのところで結婚生活を保っている状態のタイ人夫がおります。☆好きなタイプは?好きになった人が好きなタイプ。森からかさっと出てきたような原始人みたいな人とかいいですね。知ってる人はあまりいないと思うけど、テニス界きっての野人ナダル君とか結構ど真ん中です。スポーツが好きな人とかいいですね。☆好きな食べ物は?いっぱいありすぎて書けないくらい。麺は特に好き。ラーメンは自分でスープから作るほど好き。今食べたいものはつけ麺。(東京風の)☆嫌いな食べ物は?きゅうり、内臓、げてもの。これらは嫌いというより食べられません。きゅうりは河童の食うものなんだよっ!!☆好きな音楽は?演歌以外は何でも聞きます。演歌はタイの演歌もあんまりすきではない。演歌は歌うけど、(カラオケで)聞いてしみじみすることはない。おばあになったら好きになったりするのかな?一生好きにならない気がする。。。。。☆ブログを始めたきっかけは?津波後大変暇だった。私たちは普通に楽しく暮らしていたけど観光客はなかなか戻ってきてくれなくて、私たちのこの日常をブログで見てくれる人がいて「じゃあいってみようかな」って思ってくれる人が一人でもいたらいいなって思って始めたのがきっかけ。☆日記を書く時に気をつけてる事は?ウソや妄想は書かないことかな?☆心が安らぐ時は?夫が夜外出、子供2人が寝た後お笑いのDVDを見まくること。このために生きていると言っても過言でないほど好きな時間。あとはごくごくたまに夫、子供抜きで旅行をすること。今の私にとって朝まで誰にも邪魔されず寝られることが何よりのしあわせ。(娘はあいかわらず夜中に何度も何度も起きて泣くため)☆罰ゲームは?ええっ!罰ゲームってなんすか?何をしたら罰ゲーム?なんだろう。うーん掃除を毎日しますとか?☆回す人は?回す人?うーん、じゃあ身近なところでニラン君。イメージカラーは赤。この人こそ赤。顔がね、すんごいくどくてフィリピン人とかタイ人みたいなの。なので濃い感じの赤。キャラも濃いっす。あとはうーん。めんどうくさがってやらないかもしれないけど、カコちゃん。イメージカラーは薄ピンク。やさしくってかわいくて、でも天然。あとはううーん。今は楽天でブログ書いてないけど、違うところで書いてるレイナちゃん。イメージカラーははっきりピンク。頑張る二児の若ママです。夫がプーケット人。という若い3人を選んでみました。忙しかったら止めちゃってくださいね、気が向いたらお答えください。あれ?やってくれなかったら私って罰ゲームなの?
2008.08.01
コメント(14)
ここ1年ですっかり太ってしまった我が息子。デブの母と父を持ってしまったので、デブの遺伝子をたっぷりと持ってしまっているため母の私から見ても太りやすい体質でお気の毒である。いわばデブのサラブレッドとでも言わせていただこうか。。。。しかし母としてはそれを野放しにしてデブにし放題にするわけにはいかないので、毎日の食生活にたいそう気を使っている。何も食べささないわけにはいかないので、夕飯は出来る限り手作り。どうしても週末は忙しくて外食の機会が増えてしまうので、平日は野菜たっぷりの夕飯を作るよう心がけている。外食はやはりカロリーが高い上に、どうしてもたくさん食べてしまう。先ほどふとテレビを見ていたら、うちの息子なんか比べ物にならないぐらいの肥満児がテレビコマーシャルに出ていた。お母さん役の人はすんごい細くてきれいなのに。それが別にデブであることをパロディーにしているわけでなく、普通のコマーシャル。よくよく考えてみたら、タイでみかけるテレビコマーシャル及び広告に出てくる子供はほとんどが肥満児。ちょっと日本では考えられない。私は息子にいつも自分のことを棚に上げて「デブ、デブ」と呼んでいるが、息子は「ぼくはデブじゃない」というのである。クラスには自分よりデブがたくさんいて、ぼくは少し太っているけどデブだと学校では言われたことがないと言い張る。確かにたまーに息子の学校に迎えに行くと、いるわ、いるわ、デブのオンパレード、そろい踏み。中には「このデブ加減はちょっと病気ではないのか」と思われる100キロ級ぐらいの子もいる始末だ。タイのほとんどの学校では休憩時間の間に買い食いすることも可能なようで、うちの息子が通っている学校の購買部は経営者の親戚がやっていることもあって休み時間や放課後も買い食いし放題。敷地内への屋台の侵入は禁止しているため、独占販売。さぞかし儲かっていると思われる。うちは放課後にちょっと飲み物を飲む程度のお小遣い10Bを渡しているが、ご家庭によっては毎日子供に50Bとか100Bとか渡している人もいるようなので使いきれず、気前のいい子にたまに息子はおごってもらうこともあるようだ。給食だっておかわりし放題。しかも。運動場は狭く、体育の授業は週にたったの1回。これでは体質的にデブでなくてもしっかり食べる子は太ってしまうわけである。最近では週末はテニスとサッカーをやらせて、食事制限をし始めたら少しだけ痩せた我が息子。本来ならば自分で勝手にいろいろ体を使って遊んでほしいところだが、ここは環境的に子供が勝手に外で遊べる場所がない。日本に住んでいる方はこちらは自然がいっぱいで、子供が伸び伸び育つ良い環境だと思う人も多いと思うが実はそうでもない。遊ぶ場所がないため、週末はどこにインターネットカフェもネットゲームで遊ぶ子供たちで店は満員御礼の現状。子供を育てていく面で、広い運動場に様々なクラブ活動がある日本の環境が私は羨ましく感じるこの頃だ。
2008.07.23
コメント(16)

先日何となく下の弟のことを考えていたら、(私には二人弟がいてそれが双子)カスタードクリームのことを思い出した。下の弟は先日なんだか会社の検診で目の異常が引っ掛かってしまって、それの再検査があるということだったのでちょっとそのことを考えていたのだが、最終的には「そういえばあいつはカスタードクリームが好きだったなあ」という結局食べ物のことに考えがいたってしまうところが私らしい。今月はその双子の弟たちがなぜか一緒にこっちにやってくるらしいので、その時にカスタードクリームを食わせてやろうと思い作ってみようと思ったが、前回作ってからずいぶん時がたつのでレシピをすっかり忘れてしまった。レシピをネットで検索してみたら今時はどうやら皆簡単に電子レンジで作っているようだ。全て家にある材料でできるので、思い立ってそのレシピで夜中に作ってみたらとてもまずかった。くやしくて、分量をいろいろ変えてつくってみたら今度はものすごーくおいしいカスタードクリームができあがった。しかも簡単。カルフールにパイ生地で中に何にも入っていないものを先日発見したので、あれにカスタードと生クリームとイチゴをのせたらミルフィーユだなあ。。。なんて考えていてその話を友人にMにはなしたら「食べたい!」とめずらしく食べる話にのってきた。Mはすんごい小食で小鳥ぐらいしか食べないのでとーっても細くてスタイル抜群。美容にもとーっても気を使っていて先日6000Bの美容液を1か月で使い切る話を聞いて、彼女のブルジョワジーぶりを再確認した次第。しかし今月は金がないらしく、ちょっと安い美容液を使ったらぶつぶつができてかゆいというので「前にセキセイ使ってたけどよかったよ」って言ったらコーセーで5000B以上の買い物をした挙句、その3日後にまたしてもコーセーで5000Bの買い物をしていたという豪快な女。他人にも結構豪快なので「じゃあこれで」と言って、トップスでいちごとブルーベリーとアメリカンチェリーを買ってくれた。うしし。そうして出来上がったのがこれ。すんごいおいしかった。自分で言うのもなんだけど。生クリームは先日オープンした友達がやってる店で買った小さな泡だて器で作ってみた。これ洗うのが簡単なので少量だと気軽にできてとっても便利。ちなみにそのお店は以前ダイソーをプーケットタウンでやっていたのをカトゥーのゴーカードの向かい側に移して再オープンしたもの。(上にはホットヨガでおなじみのビクラムヨガが入っている)オープン記念で10個買ったら1個ただなのでこの機会に是非~。Mの子供たちとみんなで一緒に食べたがあっという間になくなっちゃった。子供たちは「もっと~」とかいってたけど。おいしいものっていいな。
2008.07.08
コメント(19)

1歳の時から保育園に通っているななっちは、先日から学校指定の制服をきて通園することになった。当のご本人は「かあいい~」と大のお気に入り。毎日制服を着て学校に行くのをとても楽しみにしている様子。だが母である私のとても苦手なことに、掃除、アイロンがけというのがあり、この制服には洗ったあとぱんぱんと手で延ばすだけでアイロンはかけていなかった。今朝もこのアイロンがけしていない制服をいつも通り着せて、出発しようとしたところ従業員からちょっと待ての声がかかった。彼女は従業員でもあるが、オヤジの従兄でもある。うちの息子は小さいころ私が外で働いていたため、彼女に3歳までほとんど育ててもらったようなものだ。なので、彼女は子供もいないが我らの中では「マ、ヌイ」と呼ばれている。イスラムはお母さんのことを「マ」と呼ぶのでヌイ母さんと呼んでいることになる。「こんなしわくちゃの服を娘に着させるとは、母失格」といって、娘の服を脱がせそれはそれは綺麗にアイロンをかけて娘に着させてくれた。タイ人は、洗濯物をいい匂いに仕上げることとアイロンをビシっとかけることに命をかけると言っても過言でないぐらい一生懸命。アイロンのかかっていない服を着ることは言語道断。「マイリアップローイ」(ちゃんとしていない)ことの代表選手だそうだ。「アイロンのかかっていない制服を着させるなんて、まるで子供をどうでもいいと思っている母親と思われるわよ」と朝から怒られてしまった。へいへい。。。「でもね、私がアイロンかけてもかけてないのとあんまりかわんないんだけど。。」とぼそぼそっといったら「大丈夫。毎朝私がかけてあげる」と言ってくれた。ラッキー。しかしタイ人、あまりのアイロン好きのためジーパンにもアイロンをかける。マヌイに関してはなんとパンツにまでアイロンかけるらしい。。。ジーパンにアイロンかけるのもやっぱリアップローイなのか?しかもスラックスみたいに真中にびしっとね。あれにはやっぱ抵抗あるな。写真の制服はノーアイロン。マイリアップローイ?
2008.07.03
コメント(22)

一昨日バンコクに友人のニランちゃんと遊びに行って帰ってきた。バンコクでの詳しい様子はとてもマメなニランちゃんにお任せすることにする。3日ぶりの我が家は、保育園に預けっぱなしだった娘は私のことを怒ったようにばしばしぶつし、にいには「俺はママのいない間はカイダオとプラートート(目玉焼きと揚げ魚)のおかずしか食っていない」とかいって、日本食の夕飯を希望するし、洗濯物はたまりまくっているし、なかなか厳しい現実が待ち受けていたが、予想通りバンコクでの3日間はとても楽しかったのでそれも良しとする。ところでこれなんだと思います?バンコクから帰ってきた日にオヤジがティッシュに大事そうにくるんで「これ見て~」と私のところにやってきた。コロンコロンとした岩石?のようなもの。写真ではわかりにくいけど、ところどころ結晶のようなものがキラキラと光っている。もしかして宝石の原石?答えはオヤジの体から出てきた石。オヤジは石ができやすい体質で、今から数年前にあまりのお腹の痛さに七転八倒の苦しみの末入院したときも尿路結石が原因だった。今回は数か月前から尿が出にくい状態が続いており、医者に行って薬を飲んでいたらしいのだが少し症状が改善されたし以前のように痛みはなかったのでちょっと放置していたらしい。ところがそんなある日。オヤジの○○○ンの先からこの石の先っぽが顔を出したのでびっくり。本人はちょっと引っ張ったら出てくると思ったらしいが、痛いわ、出てこないわで仕方なくパトンにある病院に行ったらしい。この病院は医者が常駐しておらず、限られた時間しかいないのでほとんどの処置を看護婦が行う。(パトンで何かあっても怪我以外の何かでこの病院に行くことは私はお勧めしません)やはりオヤジが行ったその時間も医者はいなくて、看護婦が見せろというのでちょっこり石が出たオヤジの○○○ンを見せたら何人かの看護婦があまりのおもしろさに数人集まってきたらしい。そんな恥ずかしい思いまでしたのに「うちでは処置できません」といわれ、仕方がなく行きつけのプーケットタウンの私立病院に行く羽目に。麻酔を打たれ、何とか取り出してもらったのがこの石というわけである。そりゃあこれはなかなか出ないよな。これかなりの大きさである。直径1センチ、長さ1,3センチぐらいはある。多少は詰まっていたと思うけど、よくちゃんと尿道から出たなあって感心。オヤジは自分の体から生み出した石がどうやら愛おしいらしく、その石は私に見せた後も大事にティッシュに包んで箱に入れてしまってある。
2008.06.20
コメント(18)

先日冷蔵庫に入れてあったかったばかりの牛乳を哺乳瓶に入れてなっちに与えた。娘はいつものようにぐぐっと一気に飲み干したが、その飲み干し終わった哺乳瓶につぶつぶのかたまった物体が残っているのが気になって、冷蔵庫に入っている本体を調べたらなんとそれは完全に腐っていた。洗い場で開けてみたらヨーグルト状態だった。びっくり。もっと早く気付けよって話だが、その牛乳は買ったばっかりだったし、しかも買う時に賞味期限があと1週間以上もあることを確認したうえだったので、母は完全に油断していた。飲んだ当のご本人はケロッとしていたが、母は完全にテンパってしまってネットでいろいろ調べてみたのだがこれといった情報はなく仕方がないので様子を見ることにした。しかし、その日は便をすることもなく次の日になってやっとでたそれは下痢どころかちょっと硬めのそれであった。そしてその事件の次週。車の後部座席ににいにと座っていたいやしい我が娘は、その日の前々日ににいにの友達が飲み残したヨーグルトドリンクをこともあろうかちゅうちゅうと飲み干してしまったのである。まさかの珍事ににいにも私も一瞬顔面蒼白になったが、またしてもどうしたらよいのかわからず、またしても様子を見ることにした。結果はまたしてもまさかの、問題なしであった。人間腐ったものを飲んだりしてもけっこう大丈夫なのだと身をもって(娘のだけど)知った事件であった。強靭な胃腸を持つ我が娘 じいじにかってもらった台所セットに夢中 後ろはユーチューブに夢中でおくつろぎの呑気なにいに
2008.06.09
コメント(19)
知り合いのタイ人のエイズが発病した。感染のことは彼も彼の周りの友人知人達も周知のことで、それを知っていたため彼はここ数年彼がやっていた店をどんどん縮小していっていたようだ。私が3か月前に最後に彼の店に訪れたときには店の大きさも以前の3分の一になっていて、こじんまりとしていても、おしゃれできれいな彼のお店はたくさんのお客さんがいた。ほんとうは私はこの日曜日に彼の店に行きたかったのだが、彼の店の近所に住むうちの従業員が「知らなかったの?発病しちゃったのよ。店も閉めたの」と教えてくれた。彼はかっこよくて、スマートでやさしくて、おしゃれで、私が素敵だなあと思う貴重なタイ人の一人なのだが、おねえ言葉を話さないゲイだ。おねえ言葉を話さなくても、彼がゲイなことはだれもが知っていたが、ゲイやオカマやオナベはタイではちっとも珍しいことではないので勿論普通に皆から愛され生活している。ゲイやオカマやオナベもここではあたりまえのことだが、このエイズという病気もあたりまえのように身近にあるのが現実だ。ここに住んで十数年になるが、エイズで亡くなった知人は既に10人位になる。ほとんどの人はある日突然発病して、2年ぐらいの間にあっという間に亡くなってしまった。癌で亡くなる人よりもエイズで亡くなる人が多いような気がするのは気のせいだろうか。日本では恐らくエイズという病気をカミングアウトする人は少ないと思うので、わからないだけなのかもしれないがここ数年でも「あの人はエイズで亡くなったよ」(正確にはエイズで亡くなるのではなく、エイズウイルスによって抵抗力が低下しいろいろな病気が併発して亡くなる、ただしタイ人でそういったことをしている人は少ないのでエイズで死んだといういい方になってしまう)という話をよく聞くので、そんな瞬間ここがアジアのエイズ大国だということを思い知らされるのだ。エイズという病気が発見されてから何十年かになるが、その当初は同性愛者に多い病気だと言われていた。現在ではそんなことはなく、広く一般の人にも広がっているのが現実。亡くなった知人の方たちは、風俗の仕事をしているとかでもなく、ゲイでもなく、普通に結婚していたりする人がほとんどだった。夫からもらってしまった女性もいた。ただ、そういった女性の夫たちは風俗関係でよく遊んでいたりすることがやはり多いようだ。ここに住んでいると様々な男女のカップルを見かける。勿論、男女でない場合も。日本人にも日本には家族があるのに、こちらでそういったことを平気で奔放に楽しむ人は男も女も多い。でもこちらはそのぐらいエイズが蔓延しているということをもう少し知っていただきたい。そしてそのリスクが、大切な家族をも危険にさらしていることをもっと知っていただいて賢明な行動をしてほしい。店を閉めたと聞いた息子がぽつりと「ママ、○○さんの店はもう二度と開かないの?」と聞いた時、あの小さくておしゃれな店が閉まっている映像が頭に浮かんでどうしようもなく寂しく悲しい気持ちになった。
2008.06.02
コメント(21)

金はあっても暇ななしとか貧乏暇なしとか言うが、ちょっと前までは貧乏暇ありだったのでその暇にまかせて結構いろいろなものをちょくちょく作っていた。(しかし、にいにが帰ってきてからというもの汚し屋が2人になったおかげで貧乏暇なしという最悪の事態を迎えている)そのおかげで、運動はしているのに全くやせない。痩せないどころか最近寝る前に何かを食べないと気が済まないようになってしまって逆に太ってしまった。最悪である。さて。そんな私ではあるが、今はまっているのが杏仁豆腐。自宅で簡単に作れてしかもうまい、安い。物価高のプーケットだがこれは今も昔も25B。値上がりしていないと思う。これに書かれているレシピで作るとおいしくないので私は900CCの牛乳、もしくは750CCの牛乳+200CCの生クリームで作る。これだとすんごいなめらかなとろける杏仁豆腐になる。安いしおいしいのでお土産にもよし。そして、またしてもはまったのが天むす。炊き立てご飯に、揚げたてエビ天を入れたおにぎりがおいしくないわけがない。しかもこっちは新鮮なエビが安く手に入る。コツはエビ天の衣にしっかりと味をつけること。塩、コショー、マヨネーズなども天ぷら粉の中に入れちゃう。そして是非是非試してもらいたいのが、この誰にでも作れるオーブンの要らない絶対失敗しないチーズケーキ。炊飯器(中の鍋部分がアルミでないもの。できれば厚釜タイプ)とミキサーが必要。まずは材料。クリームチーズ 250グラム (通常1箱分 今回ケチってこのメーカーのにしたのだが、フィラデルフィアのものが断然オイシイ)生クリーム 500CC (この写真のメーカーのがおすすめ。なければフォーモストのホイッピングクリームでもよし。日本のは知らないけど、町に一歩出ればおいしいものが売られているので作ることはないでしょう笑)小麦粉 大さじ山盛り3杯卵 全卵 3個砂糖 炊飯カップ? 炊飯器についてくるカップの100CCのラインぐらいブランデーとかラムとか香りの付く洋酒 お好みでレモン汁もしくはマナオ汁 お好みでこのレシピのいいところは適当でいいこと。計量ばかりとか、計量スプーンとか要らないし、ふるいにかけたりもしない。以上の材料をミキサーにがーっとかける。出来上がったものをぺろっとなめて、もっと甘いのが良ければ砂糖をもっと入れ、酸味が強いのが良ければもっとマナオを絞ればいい。この出来上がったものを炊飯器の窯にだーっと入れてスイッチポン。1回の炊飯では出来上がらないので、表面が何となくぷつぷつして固まった風になるまで2,3回炊く。炊き上がったら荒熱をとるために炊飯器から出して少々放置。(1時間ぐらい)出来上がり。この出来立てをちょっと暖かいままで食べると、チーズスフレみたいでとてもおいしいし、冷やして普通のチーズケーキの状態で食べてもおいしい。かなりの量ができるので、食べきれない場合は冷凍保存も可能。あまりに簡単なので、誰にでも作れるし、結構はまるおいしさなので是非お試しいただきたい。
2008.05.30
コメント(20)
雨季に入って我が家はメンテナンスシーズンに突入。家業で小さな宿屋をやっている我が家は客の少ないこの時期を利用して、いろいろなメンテナンスを5,6ヶ月かけてやるのが通年の恒例である。そしてこのメンテナンスをどこの業者に頼むかというのが一番頭がいたい話で、夫婦喧嘩の勃発のほとんどがこれであるといっても過言ではない。わが夫はなにしろ詰めが甘い。例えば以前雨漏りをしたせいで天井にしみが出来ていた部分があり、前回の雨季でこれを7万バーツかけて修理したのだが業者はその天井部分のしみ部分に全く違う色を塗ったまま放置して去っていってしまった。7万バーツも払ったのに。(せこいですか)私はその部分がすご~くきになるので「今すぐあの業者を呼んであの天井を何とかしてもらってちょうだい」とわめいたが、「う~」といったまま数ヶ月が過ぎてしまった。(ちなみに う~というのはわが夫のわかったという彼独特の返事)多分このことについて私は10回は彼にリマインドしたと思う。しかし。仏の顔も3度までならず10度まで。(誰が仏じゃとぜひ突っ込みを入れていただきたい)き~っとなってようやくわが夫は腰を上げた。どうやら夫は他に直したい部分もまとめてやらねばまた何を言われるやもしれんと思ったようで、今年の大きなメンテは壁や天井の汚れているところの塗りなおし、及び全ベランダ、全階段の手すりの色塗りなおし(チークで出来ているので色がはげていると雨風で痛んでぼろぼろになってしまう)そして、入り口部分のリノベーション。これは以前からやりたかったのだが、なかなか思うようにいかなくて、できれば美しくスパの入り口のようにしたい。ちょっと水なんかもちょろちょろ流れてたりなんかして涼しげな雰囲気で?これはデザイン的なこともあるので、じっくりと案を練り中。とりあえず最初に書いた部分のメンテからということになった。夫の知り合いの業者に見積もりを依頼したら、なんと工賃だけで5万バーツといわれた。今までの経験上これはちょっと高すぎる。高くて3万バーツぐらいとたかをくくっていたが、いくら値切っても恐らくその値段にはならないであろうと思われたので違うルートをあたることに。今度は以前ここを建てたときに知り合いになったパーマー(ミャンマー)君に、見積もりをお願いした。彼らは普段日雇いで建築業者に雇われているが、直接バイトでお願いしたらどうなるかと聞いたら毎日4人の工夫を15日間という約束で2万2千バーツといわれた。いきなりの60%オフ!ペンキ代やニス代はこれには含まれていないが、かかっても1万5千バーツぐらい。知り合いの業者に頼むよりこっちに頼んだ方が断然安い。っていうかここプーケットでは知り合いに頼んだ方が逆に高くつくことが多いのはなぜ?よっぽど会社がピイハネ料とってんだな~。だって工夫たちの月給なんてだいたい七千バーツかいってたって9千バーツぐらいだし。今回頼んだパーマー君は以前うちを建てるときにもいたメンバー。今から6,7年前まではほっそりしていて、目鼻立ちのはっきりしたハンサムだったのに今ではすっかりおじさんになってでっぷりと太っていた。不法労働で働いていても、よっぽどここタイの住み心地がいいらしく、私が太ったことを指摘すると「ごはんがおいしくていっぱい食べちゃうんだよ」と流暢なタイ語で答えていた。
2008.05.22
コメント(10)

3月中旬より2ヶ月間日本に行っていた我が息子。15日にじいじとともに無事帰ってきたため、今週は久々の賑やかな週末となった。今回2ヶ月間のうち実家にいたのは最後の2週間のみ。ありがたいことに今回1ヶ月半は堺にプーケットから移住することになった友人宅にお世話になり、そこからそこの息子が通う小学校に体験入学させてもらった。体験入学もスムーズに済み、無事にこちらに戻ってこれたのも一重に堺の友人家族の協力あってのことだった。たくさんの思い出話を持って、今年もとても楽しく日本での体験入学及び滞在を終えて元気に戻ってきてくれた。さて、息子が戻ってきた15日。オヤジと私とななっち三人はにいに(最近我が家で息子はななっちに、にいにと呼ばれている)とじいじを迎えに空港に向かった。空港まであと10分というところで、何やら知らない番号から私の携帯に電話が入った。飛行機なんて遅れることはあっても早く到着することなんて滅多にないとたかをくくってわざと到着予定時刻30分後に着く予定でいたのにどうやら予想に反して飛行機は予定より早く到着していたらしい。迎えがいないので、私に電話をしようと公衆電話のところにいったものの電話の使い方が二人してわからず近くにいた人に息子がずうううしくも携帯をお借りして電話をしてきたのだった。我が息子ながら、この男は恥ずかしいという言葉を知らない。道を聞いたり、知らない人に平気で話しかけたり、小さい頃からこういう性格であった。こんな性格だから幼稚園卒園後にすぐ一人で飛行機に乗って日本に行くことも平気だったのだ。今思えばこれはなかなか勇気のいることだったろうが、その時の心境を聞いて見ても「別に~」と相変わらず答える変な男である。さて、待っていたところから車が見えたのかすぐに手をあげてこちらに向かってきた。ドアを開けてななっちを下そうとすると、ななっちは奇声をあげてにいにに抱きついた。キャーキャー言いながらにいにに抱っこされて、とてもうれしそうである。2か月もいないのですっかり忘れてしまったかと思ったが、それどころか行く前よりにいにが帰ってきたのがうれしいのか車に乗ってもにいにの膝から離れようとしない。これは数日たった今でも同じで、にいにがいると怒ったり、洗濯物が増えたり、掃除が増えたりして大変さも増えたが、にいにがいれば私がそばにべったりいなくても平気なのでななっちがいても家事をいろいろできるようになった。これはすごい進歩である。にいには日本で面倒を見てくれていたいろいろな人のお陰で、体重を増やさず帰ってきたがここ半年ぐらいでぶ~っと5キロぐらい太った。よって目下のところ親子でダイエット中。文武両道が私の夢なのでスポーツも勉強も頑張ってほしいので、にいにがいるとついガミガミうるさくいってしまいがちで疲れる。が、久々に会ったこの感動を忘れないで母は子育てをしていくぞ!とひそかに思っているのだがどうなるかな。。。じいじが撮ってくれた久々の親子3人写真 電気製品売り場で大画面薄型テレビをうらやましそうに眺める我ら
2008.05.21
コメント(14)
昨日の続きから受診を終えた後、看護婦さんから家に帰ってすることを何度も説明された。夕方6時以降は何も食べてはいけないこと。水はいくらでも飲んでいいこと。もらった袋入りの下剤の粉を2リットルの水で割って、2時間かけて飲むこと。寝る前にさらに浣腸をすること。朝起きたらさらにもう一度とどめの浣腸をすること。これをもう一度復唱させられて、家路についた。ちなみに2リットルの水で割って飲まなければならない下剤は、味の素社からでているもので袋の裏に日本語でいろいろ注意書きが書いてあったのでとてもわかりやすかった。実は私は水を飲むのが得意。2リットルぐらいの水は数時間で飲めるし、なるべく飲むようにしている。でもあれは~。う~ん。変な味。はっきりいってまずいし、ちょっとおえっとなるような味だった。味の素社から出してるんだし、もう少し何とかならないのかと思った。でもかなり頑張って2時間で何とか飲み干すことに成功。そこから30分後からお通じが始まって全部で10回以上トイレに通った。最後にはちょっと濁ったお水みたいな感じで匂いも全くなくなるほどで、寝る前に浣腸をしても水しか出ない感じだった。もちろん朝の浣腸時もそんな感じだった。看護婦さんいわく、しっかりきれいにしないとせっかくカメラを入れてもよく見えないことがあるので頑張るようにといわれていたのでこんな感じでいいのかなと自分で納得。このころにはあれだけ揺れていた私の精神状態が逆に落ち着いてきた。なんとなく、どうあがいてもなるようにしかならないのだと。病院に到着してすぐに体重と血圧測定。体重は昨日より1,5キロ減っていた。これで全部で6キロ以上やせたことになる。でも不思議と心は落ち着いていて、それが血圧にも出ていた。下が70、上が110。手術着みたいな服に着替えてストレッチャーのようなものに横たわる。ほどなくして先生がやってきて、「軽い麻酔を打ちます、これを打つとぼ~っと気持ちよくなりますから」っといわれ、はやくぼ~っと気持ちよくなりたいなあと思った。思えばここ数か月夜は寝られないし、心の底からリラックスしたことなどなくって常にお腹が痛いことが頭にあって不安の毎日だったから。確かにそれは期待したほどではなかったけど、あまり恐怖心も感じず、痛みもお腹の中を何かが入っていく感じはしたもののほとんど感じず、ぼ~っとしたまま数十分で検査は終わった。モニターのようなものが付いていて、本当はそれを自分で見ることもできたのだろうけどコンタクトも眼鏡も外した状態だったので何も見えず。この後麻酔が切れるまで1時間ほど休まされて、結果を聞くこととなった。さすがにこの時はどきどきした。きっと血圧もたか~く跳ね上がっていたと思う。でも結果は「何もないきれいな腸です。ポリープもありませんでした。」だった。先生が、プリントした画像を見せてくれて、そこには始めてみる自分の腸の画像が。肌色とピンクの混じったような色で、内臓という感じ。汚いものは何もついてなかったので、さすが2リットルの下剤は効くのだなあと思った。結局今回の検査でもわからずじまい。先生からはやはりとりあえず薬を変えて様子を見てみるしかないといわれた。でもなんとなくすっきり。薬を変えてもしそれでもよくならなかったらどうするのかは、その時けんとうもつかったけれど自分をこれ以上不安な状態に戻すのはこのときに良いことではないなと痛感したのであえて考えないことにした。家に帰ったらすべての力が抜けてちょっと呆けたようになってしまったが、しばらくして親や友人、日本にいる息子に電話をしたら少しずつ元気が湧いてくるのを感じた。それから1週間ぐらいして次第にお腹の痛みがなくなった。あんなに2,3か月間痛かったのに2週間後にはすっかり痛みが消えてしまったのだ。これからは自分の体をもっと大事にしようと思った。私はこの40年間幸せに、全てが順風満帆というわけではないけど、自分ではとても良い人生だったと思っている。もし何かあったりしても、生まれてきたことを本当に感謝しているし、何よりも自分の遺伝子を残すという作業も運良くすることができた。もし万が一何かあったらと考えて涙がでるのは、子供のことばかり。息子は大きくなっているから悲しむだろうし、ちいさい娘はきっとよくわからないだろうけどあんなに我が強く、夜泣きばっかりしているので新しいお母さんとかがきたり、こ森の人が現れても虐待されたり捨てられたりしちゃうんじゃないかと心配だし。しかしつれあいであるオヤジのことは全く考えなかったし、不思議と親のことは考えなかった。とにかくこれからは自分の体をもっと大事にしようと思った。小さい子供のためにももう少し頑張らないといけないと思った。その一歩として長くお休みしていたフィットネスを始めることにした。あたりまえのことかもしれないけど、いろいろあっても健康でなかったら何も出来ない。普段健康だと忘れてしまいがちだけど、この時の気持ちを忘れないでいようと堅く心に誓った。(ちょっと自信ないけど)
2008.05.15
コメント(18)
昨日の続きです。2週間後の状態がどうあれ、検便をするとのことで小さなプラスチックの容器をいただいた。検診時にちゃんともってこられるかどうかはわからないというと、出せる時に検診時でなくても早く持ってきて下さいと言われる。もらった薬を神にもすがる思いで飲み続けたが、1週間ほどたってもお腹は相変わらずしぼれるように痛かったりと不調なままであった。相変わらず夜も不眠状態が続いていて、気分は最悪の状態。そんなある日、ななっちの保育園から連絡があり「高熱がでて、さっきけいれんをおこしたのですぐに迎えにきて病院に連れて行って下さい」とのこと。びっくりして、オヤジとともに保育園に迎えに行きそのまま病院に直行した。朝はなんでもなかったのに、熱が39度ほどあってぐったりしていたななっちは病院に着くなり裸にされて濡れたタオルで体をごしごしと拭かれる。あんまり日本では聞かないが、タイでは熱があるとすぐにチェットゥア(体を拭け)といわれる。絶対に入院だけは避けたいと思ったが、「けいれんの時は絶対に入院してもらいます」という先生の一言で即入院になってしまった。今月こそ雨期に入ってお客が少なくなってしまったが、3月の終わりはまだまだ客も多くオヤジも私も仕事があるので入院するとにっちもさっちもいかない状態になってしまう。ましてやななっちだとひとときもそばを離れることもできず、うちから車で30分かかるこの病院に入院するのは大変不便なのだ。結局私が付き添うことになったのだが、病院に着いてから点滴を打たれてそれががっちり効いたようでななっちは夕方には「何で入院してるんですか?」というぐらい元気になった。こんなことなら帰してほしいと思ったが、何が何でも一晩様子を見なければだめだと夕方の検診で先生に言われ、仕方なく1泊することとなる。ちょうど同じ病院内にいるし、その時が検便を持っていく丁度いいチャンスだと思って一度家に荷物を取りに帰った時に容器も持ってきておいた。次の朝にお通じもあったので、これで階下に持っていけばいいと思い便器を覗きこんだとたん目を疑った。便器が真っ赤なのである。う~ん、正確には真っ赤というよりどちらかというとかき氷のいちごシロップのような色。これはやはり血便なのか。目の前が真っ暗になって、気持ち悪くなりその場に倒れこんでしまった。しばらく休んで仕方がなくそのショッキングピンクのようなものの混じる便を容器にいれ消化器科の受付けに持っていった。ななっちはその日無事に退院でき、家に帰ることはできたがあの便を見てしまったあと再診を受けるまでの何日かは本当に生きた心地がしなかった。ただ、ななっちとともに家に帰ったら前の日にぐぐっとのみほした、先週友人が遊びに来たときに置いていてくれたクランベリージュースの氷が溶けてちょっと残ったジュースとともにグラスの底に沈んでいたあの色にちょっぴり見覚えがあった。うう~ん。しかしあんなにはっきりとクランベリージュースが便にでてくるなんてちょっと考えにくいし、私の頭の中ではあの便は血便だと思い込んでいたのでますます悩みまくったまま再診の日を迎えた。当日頭も重く、ふらふらするのでオヤジに車を運転してもらい診察を受ける。日頃うえが120から130、下が80ぐらいで落ち着いている血圧が一気に上が160下が100とストレスを敏感にキャッチしてか急上昇。このままではガンでなくても脳卒中とかで死んでしまいそうだ。しかしここまで血圧を上げるとはストレスってすごいな。偶然このとき古くからの友人と待合室でばったりあったのだが、「どうしたの?」と一瞬で心配されるほどひどい顔色だったらしい。友人は、心配して診察後支払い終わるまで一緒にいてくれた。なんかその時、日頃お互い忙しくてしょっちゅう会えるわけではないけど多くを語らなくてもいろんなことを一瞬でわかってくれる古くからの友人がいるっていいなあって思った。名前を呼ばれ、診察室に入ったときにはあまりのストレスで吐き気がこみ上げてきた。それとともに涙が溢れてきて、医者にびっくりされる。が、意外なことにというか今から考えてみたらちょっと笑い話だがあれは血便ではなかった。医者いわく便の方は問題はないらしい。ちょっと信じられなかったのでしつこく「本当ですか?少しも混じってなかったのですか?」と聞いたが、全く問題はなという。うう~ん。じゃああのショッキングピンクの便は血便ではなくクランベリージュースの色だったってこと?どうやらうっかり何も考えずに飲んだジュースのせいで、私はどうやらさらに自分を追い込んでいたらしい。医者はとにかくまずはこのストレスを取り除くことが先決、自分の所見ではガンとかではないと思うが念のため大腸スコープをやった方がいいという。立ち止まっていては何も進まないので私もすぐにやってもらうことをお願いし、翌日の検査となった。またしてもあまりに長いので次に続く
2008.05.14
コメント(10)
最近ずーっとお休みしていたフィットネスを再び始めた。数年前に足の骨を折って、流産を経験したころからだからかれこれ2年以上お休みしていたことになる。始めた理由はいろいろあるのだが、40になって体のあちこちにガタが来ているのを感じ、高齢出産なんてしちゃったものだから子供もまだまだ小さく、そんなに早くくたばっちゃうわけにもいかないので、基礎体力をつけ健康に過ごすためににも適度な運動は必要と考えたから。健康こそ何よりの財産と考えられるのもここ数か月いろいろ悩んだ末のこともある。実は私、去年あたりから健康不安を抱えていた。きっかけは去年の11月頃に食中毒のようなものにかかって、それはそれはひどい腹痛と下痢を経験したあたりから。数日はそれはひどい痛みで、病院で痛み止めの注射を打ってもらわなければいられないほどであったが薬を飲んで数日後に良くなった。だが、それ以来しばしばお腹が痛い。下痢の時のような痛みとともにそのまま下痢になってしまうこともあったが、痛いだけで便に何も異常がないこともある。その後も下痢と便秘を繰り返しながらも、常に腹痛は消えなかった。その後2月頃にまたしても食中毒のような症状に襲われる。激しい胃の痛みと、下痢、腹痛。病院にかけこんで、痛み止めの注射を打ち、薬を処方してもらって激しい症状は治まった。このときに、同じような症状が続いたこともあってか超音波をすることを勧められた。このとき偶然胆石が3つ見つかったが今回の症状と胆石は関係ないとのこと。しかし、この後も常に腹痛に悩まされる。時として痛くて何も手に付かないこともあった、常にお腹が痛いので食欲も落ち、体重も減りだした。さすがに3月に入ってこれは普通ではないなあと思いだし、インターネットなどで病状を調べてみた。これがいけなかった。症状として思い当たるもの全てに、大腸ガンを疑うような事が書いてあるのである。もともと婦人科の方はいろいろ悪いところがあるので、再検診してもらおうと思い立った時にまず婦人科を見てもらった。2年ぐらい子宮がん検診をしていなかったので、ついでにがん検診もお願いしたが婦人科の方は特に目立った異常はないと言われる。再び消化器科に行き、下痢のような腹痛があるが下痢になる時もならない時もあり、この2,3か月常にお腹が痛いこと、便秘にもなることなどを話し、医者に「とりあえず、2週間この薬を飲んでみて症状が治まらなければ大腸スコープをやってみましょう」ということになったのである。このころ私の精神状態は極限に来ていて、不安のため夜が寝られない、何も手に付かない、食べれない、よってダイエットもしていないのに体重が5キロ減ってしまう。これがまた、「やっぱり癌だから体重が。。。。」とどんどんネガティブな方に考えてしまうのだった。この話長いので続く。
2008.05.13
コメント(11)

昨日は久しぶりに青空が見えたプーケット。5月に入ってグッと雨の日が多くなり、雨期も本格的になったなあという感じ。天気もいいので外に洗濯物を干そうと何気に隣の空き地を見てみると。。。何やらどこかでみたような葉っぱが。。。しかもその空き地全体を覆うようにびっちりとはえている。へびがでる恐怖に耐えつつ、(我が家の近くにはへび、しかもコブラがよく出没)葉っぱをちぎって匂いをかいでみると、やっぱり~。バイガパオ。(タイバジル)それも半端じゃないくらいたくさんはえている。さっそく家の従業員に「ねーねー隣の空き地にバイガパオがたくさん生えてるよ~」と言ったら「知ってる、知ってる、いつもちぎって持って帰ってるよ。売れるぐらいいっぱいだよね」と言っていた。どうやら知らなかったのは私だけ。先日もママーパッキーマオが食べたくてバイガパオを買ったばっかりだったのに~。この近所の空き地や湿地帯にはパップンなどもたくさん生えているので、よくミャンマーやイサーンから来た建設業の人々が摘んでいるのを目撃するが、私が知らないだけでもっといろいろなものが自生してるのかもしれないな。
2008.05.09
コメント(18)
ブログというのはいったん書き出すとなかなかいい調子で進むのだが、いったんさぼりだすと再開するのがなかなか億劫になってしまい「もう面倒くさいからやめちゃおっかな」とか「いやいや、何年かしてあの時私は何を考えて何をしていたのかなとか思い出すのに便利だからもう少し続けよう」という葛藤でどんどん毎日が過ぎて行ってしまう。実は先月から今月にかけてかなりいろいろな事があったのだが、あまりにいろいろありすぎてばたばたしていたらこんなことになってしまったというわけだ。以前はしばらく放置すると、やさしい知人の方々が何かあったのではないかとメールをくれたりしていたがあまりにそんな事が度重なってオオカミ少年のようになってしまった私。今ではだ~れにも心配されなくなってしまったよ。泣さて。仕方がないのでまずは近況報告から。家のお兄ちゃんは現在日本短期体験入学中。例年の如く私の母校に通わせたかったのだが、私の母校は隣の小学校と合併することになってしまい体験入学を受け入れることができない為、今年は友人にお願いしてなんと大阪で友人の家に居候させてもらいつつそこの地元の小学校に入れてもらうというなんとも強硬な手段をとった。今年も一人で飛行機に乗って日本に行った息子は、現在大阪にいる。こうして受け入れてくれている友人家族や、時々迎えに行っては2,3日預かってくれている神戸の友人にもとても感謝。この人たちがいなかったら今回息子が日本に行くことはあり得なかった。そして我が家の問題児、ななっち。こんなななっちもめでたく1歳半になった。じつはななっち、保育園でも相当な問題児で私が保育園に迎えに行くたびに「お母さん、菜々がお友達をたたきまくって困ります」とか「全然いうことをききません。とにかくやんちゃで聞きわけがなくて、どうしたらこんなになるのでしょうか」とか愚痴られるので、恐ろしくてもっぱら送迎はオヤジにお願いしている。ななっちがものすごい性格だということは、生まれたときから苦しめられている私が一番よくわかっているので、どうしたらこんなになってしまうのか私の方が知りたい。しいていうならば、生まれついてのモンスターだとしかいいようがない。は~~~。特にこの2,3か月はすごかった。歩いてもうどこにでも行けるのに、1秒とて一人でいることができず一瞬でも私の姿が見えないと号泣。娘がいる時はとにかくべったり一緒にいなくてはならず、一緒にいる以外何も出来ない。寝る前に何を求めているかわからず2時間号泣してみたり、思い通りにならないと私の顔に哺乳瓶を投げつけてみたり。そんな時に怒って大声を出したり、感情にまかせてぺしっとやってみてもさらにすごいことになってしまうのを一人目の育児で体験させてもらった私はそこで大きく深呼吸。上を見上げて無になることにしている。そんな時の私の顔ってきっとすっごい顔してるんだろうな、見たことないけど。そんな時つくづく育児とは修行だと思う。おそらく神様は私が人としてあんまり至らないばっかりに、40にしてこういった苦行を与えたのだとしか思えないほどだ。この2,3か月は自分の体調も思わしくなかったため(これについては次回)育児について何の喜びも見いだせないでいた。正直言って本当につらかった。ところが、そんなななっちがここ2,3週間ほど調子いい。わけのわからない癇癪がなくなって、毎日なんだか機嫌がいい。人見知りは相変わらずだが、それも少し治まってきた兆候がある。ほんのちょっとだが一人でいられる時もでてきた。私も体の調子が良くなってきたのもあって、先月の悪夢のような日々に比べたらとても平和である。と思ったのもつかの間。一昨日あたりから夜泣きがすごい。ななっちは1歳半になった今でも夜中に何回も起きてちょっと泣いて、哺乳瓶に入れた水をおしゃぶりがわりに飲んではまた寝るのだがここ2,3日は夜中に10回ぐらい起きる。起きてその後号泣。の繰り返し。お兄ちゃんも成長過程においてその節目節目で夜泣きをしてきたので、おそらく毎日彼女の身の上に怒る様々な出来事が今の彼女の小さな頭で処理しきれなくて泣くのだろう。しかし今回の夜泣きは特に手ごわい。つくづく育児とは修行であると再認識させられている。とほほ。
2008.04.10
コメント(20)
全277件 (277件中 1-50件目)


