全5件 (5件中 1-5件目)
1
4日目へ戻る☆2017年5月25日(月)オーストリアを後にして、4か国目のチェコに入国。入国とは言っても欧州のいずれの国もシェンゲン協定に加盟しているため、イミグレーションなどはなく、高速道路で日本の県境を超えるかのような感じで入国できるので、なんとも島国の人間からすると不思議なものである。南ボヘミアの小さな町、チェスキークルムロフに到着した。巷間では「世界で一番美しい町」とも言われ、カレンダーなんかでもこの感じを見たことがある人もいるのでは。言わずもがな、この町は、世界文化遺産に登録されている。赤い屋根とモルダヴ川をはじめとする自然的景観が実に美しい。そして、あのエゴン・シーレ(ウィーンでたまたま知った画家)のミュージアムである「エゴン・シーレアートセンター」がこの町には存在する。余談だが、Googleでチェスキークルムロフと検索すると、「チェスキークルムロフ つまらない」という候補がなぜか検索される。決してつまらない町ではないのだが、町がコンパクトな割に観光地の要素が凝縮されており、正直何をみていいかわからないというのは行った人間の感想である。チェスキークルムロフを後にして、首都プラハへ。いよいよ旅も佳境に近づいてきた。プラハは「百塔の街」と呼ばれ古い町並みがくっきりと残っている。人口120万人ほどの街に年間800万人の観光客が訪れる、欧州きっての観光地だ。それでは6日目へ続く
2020/02/20
コメント(2)
3日目へ戻る☆2017年5月24日(日)↑ザットレットでハイウエイを降り休憩4日目はウイーンからザルツブルグへオーストリア横断。この日、私は29歳の誕生日をささやかに迎えた。↑静かな湖畔のハルシュタットハルシュタットというアルプスの景勝地に降り立つ。ちなみにハルシュタットとは・・・ハルシュタット湖の湖畔に家々が並び立つ景観は、世界でも最も美しい湖畔の町の一つとして知られています。一帯は「ハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。土地が狭いので山の斜面に家々が立ち並ぶ。教会のある古い街並みは湖と調和し、典型的なオーストリアの風景としてよくカレンダーにも使用されています。引用:ハルシュタット(オーストリア政府観光局公式サイトより)↑ハルシュタットのスパーでお買い物ハルシュタットのような僻地にもスパーがあるのは驚いた。この村では岩塩が有名で、今回は行けなかったが岩塩坑などもあるらしい。バスソルトや食塩など大量に売られており、いろいろ購入してしまった。※2018年5月現在、塩は消費しきれていない。笑↑ナイスなボートに乗って・・・ここは韓国人や中国人にも人気のスポットだそうで一瞬、極東アジアに来たような気分になった。とくに中国人の数に任せるパワーは偉大で、列には並ばない、大声で叫ぶなど、マナーの悪さは際立つものがあった。ハルシュタットを後にして、ザルツブルグへ。↑サウンドオブミュージックにも登場したミラベル庭園サウンドオブミュージックといえば、そうだ、京都行こうの「私のお気に入り」を思い出してしまう。↑遠くホーエンザツルブルグ城いわずもがなザルツブルグは、世界文化遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」に認定されている。今回は時間の関係で行けなかったが、ホーエンザルツブルグ城にもいつか行ってみたい。↑モーツアルト生家音楽家モーツアルトはこの町で生まれた事も有名であるが、驚くことなかれ・・・モーツアルトの生家はまさかのスパーになっていた。今日はスパー三昧ですな。笑↑晩飯はまたもや芋芋と肉も飽きてくるかと思ったが、バリエーションが違うので毎日でもオーケー。5日目へ続く
2018/05/04
コメント(0)
すっかり更新ができないまま年を越してしまいました。ふと仁井田の三日月軒の中華そばが無性に食べたくなりまして、ここを思い出しました。おかげさまで15周年となります、本年もよろしくお願いいたします。平成三十年一月以下、更新が滞っていたヨーロッパ旅行記を。2日目へ戻る☆5月22日(土)この日はブダペストからウイーンまでの移動。大陸を西へ。↑途中のサービスエリアから風力発電を眺める。ウイーンは、オーストリアの首都である。言語はドイツ語。店先で「Danke schÖn(ダンケ・シェーン)」といえば、ありがとうという意味になる。オーストリアは、歴史的にマリーアントワネットを輩出した、ハプスブルグ家が治めていた事でも知られているが、1919年の第一次世界大戦が終結した際に敗戦国であったハプスブルクの国が解体され、戦勝国側の都合によって便宜的な国境が引かれ誕生した国である。と、ウイーンに到着。早速昼食。↑ミュラーバイスルというレストランでウィナーシュネッツェルを頂くウィナーシュネッツェルとは、つまりウイーン風の仔牛のカツレツのことらしい。日本風に言えば牛カツということか。こっちに来てから、つけあわせで芋がよく出てくるが、芋の腹持ちのよさにしびれるばかりである。↑世界文化遺産・シェーンブルン宮殿「ユネスコ世界文化遺産にも登録されているハプスブルク家の夏の離宮シェーンブルン宮殿は、17世紀の末、皇帝レオポルト一世の命で、建築家フィッシャー・フォン・エルラッハにバロック様式の壮麗な狩猟の館に改築させたもので、18世紀の半ばに、女帝マリア・テレジアの指示でニコラウス・パカッシが拡張・改装を行い、現在の姿となりました。外観はバロック様式、内部はロココ様式で、1400室の部屋があり、現在その内の40室が公開され、外観の黄褐色はマリア・テレジア・イエローと呼ばれています。」引用:世界遺産 シェーンブルン宮殿(オーストリア政府観光局公式サイトより)バロックとかロココとかいろいろなデザインの用語が出てきているが、ヨーロッパ旅行の前に背景を抑えるべきであった・・・と後悔しているがあとのまつり。バロック様式とは、16世紀から18世紀頃において、均整や調和を重視した端正なルネサンス美術に対して曲線の多様と過剰な装飾が特徴の様式だそうな。一方、ロココ様式は、18世紀頃にフランスから流行りはじめた女性的で優美かつ繊細な特徴があるとの事。参考:石川マサル・フレア共著『絵ときデザイン史』(エムディエヌコーポレーション)↑内装は筆舌に尽くしがたい美しさであったが、内部は写真撮影禁止のため外観のみ。↑シェーンブルンは、庭園も実にすばらしい。市街地に戻り、ウイーン市街散策。↑Bitzingerというソーセージスタンドドイツ語メニューで何か書いてあるかわからないが、なんとか注文に成功し、飯にありつく。相当ソーセージがうまい。↑アルベルティーナ美術館ではエゴン・シーレの企画展をやっていた。エゴン・シーレという画家を私は知らなかったが、夭折したオーストリアのたいそう有名な画家ということだ。帰国して銀座SIXのTSUTAYAに行ったらエゴン・シーレの図録があった。日本でも有名なのね。↑Slukaというカフェでコーヒーを頂く。これが世にいうウインナーコーヒーか。子供のころウインナーコーヒーとは、コーヒーにウインナーが入っていると思っていた・・・。ウイーン風のコーヒーという意味なんだね。この後、シュテファン大聖堂にも行ったが、ウイーンはいかにもヨーロッパな町であった。↑どこを切り取っても絵になる。↑ケバブを食べる宿に戻る。郊外に宿泊をしたのだが、その近くにあった中東の人がやっているケバブ屋さんのケバブが死ぬほどうまかった。国境のないヨーロッパには、シリア情勢の悪化以降、陸路で移民が入り込んでいるため、多様な文化に触れる事ができる。↑オーストリアのビール、中でもゲッサーがうまい。4日目へ続く
2018/01/21
コメント(0)
1日目に戻るそもそも「中欧」とはどこまでの範囲を指すのか・・・調べてみたが、はっきりとした線引きはないようだ。似たような言葉として「東欧」という言葉も出てくるが、これは90年前半までのソ連による社会主義陣営の東側諸国という意味合いが強い。ガイドブックによっては、ハンガリーを「東欧」に区分するものもある。参考:中欧(ちゅうおう)とは - コトバンク☆5月21日(日)時差ぼけがひどいため早朝に起床した。日本との時差はマイナス7時間。↑ホテルの前のNepszinhaz ST(ハンガリー・ブダペスト)ここからバスに乗って王宮の丘に移動しブダペスト市内観光。ブダペストは1873年にドナウ川を挟んだ丘側(ブダ)と市街地側(ペスト)が合併してできた。この2つの町はくさり橋でつながれている。↑第二次大戦後に修復された王宮(現在は大統領官邸がある)↑王宮からドナウ川を眺める、正面はくさり橋(ハンガリー・ブダペスト)↑バロック様式のマーチャーシュ教会↑マーチャーシュ教会の裏手、漁夫の砦をバックに・・・↑昼食はパプリカチチンDomus Vinorum Wine Cellarというワインセラーを改装したお店で、ハンガリーの郷土料理パプリカチキンをいただく。見た目は辛そうだが、まったく辛くない。ここから高速道路でスロバキアを目指す。↑ハンガリーの大草原ハンガリーは、「ヨーロッパに投げられたアジアの石」と呼ばれているそうで、ウラル山脈の麓に住んでいた騎馬民族であるマジャル人が建国したと伝えられており、そのルーツはアジアにある。どこまでも続く大平原を見ていると、いつの間にかスロバキアに入っていた。EUの中では国と国の出入りが自由であり、国境を超える検査がないのには驚いた。↑ブラチスラヴァ城(スロバキア・ブラチスラバ)ドナウ川のほとりにそびえたつブラチスラヴァ城は、その外観から「ひっくり返したテーブル」と呼ばれているそうだ。18世紀にはオーストリアの女帝、マリア・テレジアの居城にもなった。↑ブラチスラバの旧市街地はよく残っている。↑16世紀の建物がそのまま飲食店として使われている↑こんなところで懐かしい国旗が・・・在スロバキア日本大使館ブラチスラバの町を2時間ほど散策し、再びブダペストに戻る。↑グヤーシュというハンガリーのスープこの後はドナウ川ナイトクルーズへ。↑世界一美しいといわれるブダペストの国会議事堂3日目に続く
2017/05/28
コメント(0)
28歳を過ぎるまで海外に行ってみようともしなかったが、昨年、会社の旅行で訪れた台湾をきっかけに海外旅行にも行ってみたいと思うようになった。もっと時間があったであろう学生時代に海外に行っておけばよかったとも思うが、学生時代に国内47都道府県の隅々まで歩けた事は、今を生きる上で大いに役に立っている。が、お隣の台湾といへども、カルチャーショックは計り知れず、改めて日本のありがたさを痛感した。そんなわけで、ほんとうは、昨年行きたかったのだが、業務に忙殺されていけなかった新婚旅行はぜひ海外と思いHISに相談したところ、たまたま中欧4カ国のツアーがあるとのことではじめてのヨーロッパ向かう事になった。☆5月20日(土)まったく準備ができず、前夜は徹夜で準備を開始。一度、会社を経由して早朝のスカイライナーで成田空港へ。成田空港の第1ターミナルには初めてやってきた。昔はLCCを利用してたので第2、第3ターミナルがお馴染みだったが、どちらかといえば、古めの印象。これよりアエロフロートロシア航空で、モスクワ(シェレメチェボ)へ10時間30分の長旅。↑機内食2発目(炭水化物まつり!!)機内の中は、実にたいくつである。映画もロシア語で字幕は英語のみ。機内食は2回出るか、アルコールは機内食提供前のワインがあるのみでビールは有料との事。↑やっとの思いでシェレメチボ国際空港に到着(ロシア・モスクワ)トランジットのパスポートコントロール。ロシアへの入国はビザが必要なため、入国することはできない。空港の中をぶらぶらするが、お土産がマトリョーシカやプーチン大統領に関するもの等、実にロシアらしい。↑雨漏り対策の受け皿は、まさかのバケツアエロフロートのブダペスト行きに乗り換え一路ハンガリーへ。ブタペストに着陸した瞬間、乗客から拍手が沸き起こったので驚いた。少なくとも初めて遭遇した。この拍手について、ネットで調べてみると様々な見解があるらしい。参考:アエロフロート機が着陸する時にはなんで拍手が起きるのだ? - ゲインオーバー今回の旅でアエロフロートには4回乗ったが、モスクワ→ブダペスト、プラハ→モスクワの便でしか拍手は起きず、成田⇔モスクワの便では拍手が起きなかった。これはロシア人が少ないからなのかな。↑リスト・フェレンツ国際空港(ハンガリー・ブダペスト)さてブダペストに到着し、空港内のスパー(あのモミの木のマークのホットスパー)でお買い物をした。ヨーロッパでは大きなスーパーマーケットチェーンとの事。スパーを見るのは実に20年ぶり。昔、秋田市保戸野新川向にあったような。ここから宿へ移動。↑ハンガリーのビール、ショプロニを飲む2日目に進む
2017/05/28
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1