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まだまだ緊張のつづきます被災地と存知・・お見舞い申し上げます。
多数の方々の被災・・そして・・。母の退院を両手を上げ喜べぬ気持・・・ 「津波が来ます高台に退避してください!」と、言い続け職務に殉じられた南三陸町役場職員の乙女・遠藤未希さま・・・
長崎で自身被爆されながら多数の原爆被災者の救助に命をかけ働き為されし、島根県雲南市のお生まれ永井医学博士‥お二方ともに日本の誇りです。
未希さまの尊いお働きを想い‥ ご冥福を願いながら、怠惰な己の心を糺す日々。
広島県に隣接する島根県のおばあちゃん、おじいちゃんの中には原爆に被爆され現在も生きつづけmyタクシーに乗車していただき車中まるで昨日あったことのように話されるお話・・・人類が歴史のなかで一度も体験しなかった人間殺戮の兵器使用の中、生きぬけられ此処にタクシーを利用いただき運転手、、お客さま、として出会い原爆投下の状況をお聞きできる事は、まことに有難き事実。
爆心地に近い川辺に帝国陸軍の一兵士として服務中被爆、、、たまたま楠の大樹の陰に居たため一命をとり止め以後、その後遺症と闘いながら生きつづけ先年亡くなられた。myタクシーご乗車の御爺ちゃん・・・・
生きる事は死より辛い!・・・ふむ~ん!誰がこのような惨い状況を招聘したのだろうかなぁ~?
人間の救いは無かっただろうかなぁ~?半端な人間行動理念、、哲学では、もはや人類は救われないのか?
長崎で被爆され、ご自身も生死の境目にありながら救護活動を指揮され救護にあたる長崎医科大学の部下に「一大事は之のことなり」と、叱咤激励されたと聞く永井隆博士・・・
博士と同じ島根県出身で長崎に勉学のため博士の宅に逗留されていた島根県温泉津出身の甥子17歳?も被爆され焼け爛れた、、その姿のまま、、、一路故郷へと生死をかけ歩み、、そして、ふるさと温泉津で死・・
荒れ狂う世界、、、人間達の歴史の真っ只中に今、我々は生きている。 平和の象徴、日本三大船神事ホーランエンヤ祭りが行われる宍道湖と中海をつなぐ運河、大橋川の川辺に住まいされるお婆ちゃんに乗車していただくようになってから、幾年になるのだろうかなぁ~?
身長は150センチにも満たない可愛いおばあちゃだ・・・。
例のごとくに病院からの送迎、、稲の青葉をわたす風を車内に取り入れながら、ゆったりと走らすmyタクシーの車中おばあちゃんは小さな体をチョコント後部座席に預けながら話される・・
先の大戦には国の学徒動員令により広島の呉海軍工廠で働かされましたょ・・・
機械旋盤を使い砲弾を削りました。
機械油も無くなり旋盤は胡麻油で動かしていました、、其のときの臭いが鼻につき今でも胡麻油の匂いをかぐと余り良い気持ちにはなりませんねぇ、、!
米軍の空襲で工場が爆撃をうけ幾人かの方が亡くなりましたが、、ご遺体をかたづけた後にも直撃された人の小さな肉片が工場内に飛び散り人間の腐敗する臭いに悩まされましたょ・・・
ふむ~ん! ふむ~ん!ふむ~ん!!だ・・・。
うら若い乙女であったおばあちゃん。日本国の国民であったために、、国により茲まで追い詰められ苦しい体験をせねば現在の、おばあちゃんはなかったのだろうか?
女子挺身隊の徴用を終え故郷の島根県に向け帰る列車は原子爆弾投下後のコンクリートのプラットホームだけが残る国鉄広島駅で島根県方面への列車を待ちながら暑い熱いホームに小一日・・待ち、、、待ち、ながら放射能被爆・・・ まぁ、まあ~国はとんでもない世界へと国民を追い込んだもだ!
どんなに賢い為政者も信用できないかなぁ~?
おばあちゃんは当時は横になって眠ったことない・・ 黙祷
追記
只今、福島原発事故の放射能被曝は恒常也!!
上記、おばあちゃんは小一日の広島駅での被曝也
国はおばあちゃんに被爆手帳を交付・・・現在の国の姿勢を鑑みるに、福島原発事故で被曝された方々に救済の道は遠いと感じています。
我が身吾が子孫を如何に守るかは喫緊の課題也!!
那智の思いもよらぬ災害お見舞い申し上げます。