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ここのところ自然災害が多いですね。普段の常夜灯としても使えるライトを娘と買いましたUSB充電式のものベッドには挟めるクリップ、貼り付け用の磁石もついてる磁石で取り外せるので懐中電灯としても使えますベッドサイドに置いてもスタイリッシュヤザワ YAZAWA 4wayマグネットライト ホワイト SDL03W01WH [LED /白色]================================================3月11日震災当日は宮城県仙台市に住んでいました。幸いなことに被害はありませんでしたいつも書いているのですがライフラインは電気の復旧が1日、水道が1週間、ガスが1か月かかりました。当日は小学校に避難しました。夜遅くに震源地にいた夫が迎えに来て小学校の校庭で車の中で夜を越しました避難所ははっきり言って苦痛でした。当日の秩序はないです。土足で上がってくる人、犬と一緒に来る人、なにより、おトイレが大惨事でした(汚物があふれている・・)電気がつかないから真っ暗です。懐中電灯なんてトイレで用を足すのにほとんど役に立ちません(持ちながら用を足すのは至難)人をかき分けてトイレに行くだけでも大変でした。今同じような災害が起きたなら可能ならば避難所には行かず車の中で避難しようと思っていますポチっと応援お願いします↓にほんブログ村
2022.01.23
私たち一家は仙台市の中心部に住んでいたので人的被害は幸いありませんでした。その後の生活は大変だったけど沿岸部に住む人たちの被害と心情を思えば辛いとは大きな声で言えませんでした。ママ友の親戚、職場の関係のある人たち皆、大きな被害は聞かなかった一月後の大きな余震で扉の壊れていた食器棚から食器が全部出てしまいほぼ全滅でしたただ、ただ「負けてられない」という気持ちだけで前を向けたのも私に関わる人達に人的被害がなかったからだと思います。3月11日には梁とロックがかかっていたため食器は一つも割れなかった電子レンジは壊れたけどあまり、災害ドラマは見たくないテレビで使命感に燃えているアナウンサー「身を守る行動を」「津波から逃げて」誰に?津波が迫っている地域の人はテレビなんか見てる余裕ないよあの日、電気が停まってテレビなんて見れないし。ぎゅうぎゅうに詰め込まれた真っ暗な小学校の体育館でずっと続く余震に怯えてながらラジオなんて聞いている人一人もいなかった。出始めだったスマホや携帯はいつまで停電が続く不安から充電がなくなるのが心配で誰も見ていないし。津波の映像を見れたのは夜中に仕事先だった震源地栗原市から9時間かけて避難先の小学校に迎えに来てくれた夫の車のテレビだったそれも翌朝。すごい被害だと知ったのも翌日、街の中心部では防災無線がないから電気がないとテレビでの呼びかけなんて無力だよ震災から数年後、東京に戻ってきてから武勇伝のごとく聞く当時の帰宅困難の大変さ、使命感に燃えているアナウンサーのしてやったり顔を見るたびに夫婦して「胸糞悪い」と悪態をつくのでした( *´艸`)訪れた荒浜地区震災から二年後住宅の基礎だけ残されている慰霊碑息子の部活の試合で遠征した志津川試合の合間に保護者同士でさんさん商店街へこの辺りは行くたびに道が新しくなって迷います夫も仕事でかなり関わっていたので最近の映像を見るときれいになってびっくりしています。いつか、早いうちにまた訪れたいと思いました。震災を経験したことは直後より時が経つほど辛くて思い出したくない事もあるけど楽しい思い出での方が多かった仙台。がんばれ東北!!2013年優勝した年!!やっぱり応援したい♪マー君頼むよ~最近の出来事ポチっと応援お願いします
2021.03.11
あまり思い出したくない3月11日のこと。今回の地震で仙台にいる友人たちから送られてきた写真はあの日よりは酷くはないですがモノが落ちたり壊れたり地盤の弱い友人のところは被害があったようでした。2011年3月11日帰宅したらこの状況これしか写真がない(リビングは倒れた観葉植物の土や水で汚れていた)あの日、普段しない残業をしていたのでマンションには居なかったけどこの部屋で一人であの揺れを経験したらもっと怖かった。幸いにも息子は小学校、娘は中学校の卒業式の日でだったが一年生だったため不参加で友人宅で遊んでいた。あの日の事、その後のライフランが復旧するまでの一カ月の事は時がたてばたつほど怖さが増していきます。ビフォー車はガソリン満タン、水用のタンク(プラタンク)は用意しておく水は給水車が来るが容器は各自用意するしかない。生理用品等は多めに、現金は5万円は用意してお行く銀行のATMはもちろん、コンビニのATMも使えないコンビニでATMだけ使いたくても入店するのに何時間も並んだ。自戒の念も込めてブログに書きました。ポチっと応援お願いします
2021.02.15
経験したことのない大型台風この日が来るのがとても怖かった。備忘録として。台風被害に備えて準備したこと関東に台風が来る2日前の木曜日は家の周りの物すべて家の中へ自転車も息子のは自分の部屋へレジャーシートを敷いて。普段使いの自転車は前日(金曜日)横に倒してフェンスにダイヤル式チェーンキーで飛ばないように。ベランダの物も2階の廊下に。この日はOL時代の仲間と飲み会だったので特に非常食などの買い物はしないでいました。水のペットボトル3本だけはスーパーで買っておく。金曜日に夫が赴任先から帰ってくると食料品に不安夫は震災の時も食品が無くなることにすごく不安を抱く。私は1,2日食べなくても何とかなるし冷凍食品も満タン。金曜日、食パンが無かったので仕事の帰り神戸屋キッチンでパンを買おうとしたら棚になーんにもなかったいつもなら買わない人たちが買い占めたのだろう。食パンを2,3個もってうろうろしながら携帯電話、そして棚に戻す。みんなが取っては棚に戻してる。嫌だなぁこんなパン買えない。その後スーパーもどこも食パン、菓子パンはなかった。まず、パン類、カップめんはすぐになくなる。大震災の時もそうだった。事の重大さに気が付いた息子が「モバイルバッテリー買ってくる」と出掛けたが値段の高いもの以外全部売り切れで帰ってきた。停電の時間つぶしでなぜか単行本を買ってきてた。ガスコンロもボンベも売り切れていた。次の日、土曜日は夜から台風上陸するほとんどのスーパーは休業。午前中開いているスーパーに開店直後いくも駐車場は長蛇の列。警備員などいないので殺伐としている。地震後のスーパーの光景を思い出す。食パン菓子パンもあり、お惣菜もあった。カップめんの棚は見事に全部カラでした。お肉や魚は冷凍があるので本当に必要なお米と台風の影響で野菜が手に入りにくくなると思い野菜をたくさん買った。が、帰りにとおったダイエー系イオンはガラガラ~薄暗くて開いているか開いていないかわからないからかな?こっちに行けばよかったねと。モバイルバッテリー充電。キャンプ用のLEDランタン、ヘッドライト(モンベル)、ラジオ、懐中電灯にエネループを入れ準備OK。ろうそくは危ないので使いません。いつでも避難できるように持っていくものを各自用意しておくようにした。犬のキャリー、エサ、ペットシーツ。普段しないけど迷子札のついた首輪をした。震災後気が付いて用意してよかったこと。「リュックを用意しておいた」モンベルの25リットル登山を始めたのもあってこれは助かった。東日本大震災の時、急に小学校に避難することに。荷物を入れる大きなカバン。ヴィトンのキーポールぐらいしかなくてあんな重い鞄は持てない、エコバッグに上着とか懐中電灯ぐらいしか入れて行かれなかった。このときは家に戻れたので事なきを得たけど次はこれではだめだと思った。「ガソリンは半分以下になったら満タンにする。」これは夫が震災後からずっと守っている。仙台の友達ともラインしたらみんなこれはやっている。金曜の夜はどこのガソリンスタンドも長蛇の列だった。「ガスボンベは常に3本以上常備」震災後、電機は早く復旧、水道は1週間、ガスは一か月かかった。IHプレートかホットプレートとガスコンロは用意しておいたほうがいい。今後の反省として「甘いものを買っておく。」震災後、おにぎりとかおかず系は手に入ってもドーナツとかパンとか手ごろに食べれる甘いものって手に入らなかった。疲れているのか甘いものが無性に食べたくなった。今は非常食用のパンもあるから用意しておこう。非常食パンの缶詰マフィンタイプ【賞味期限2021年12月22日迄】(非常食 保存食 防災 備蓄)「やっぱりカップラーメンも」もしもの時・・・そういっても夫と娘が食べてしまいいつの間にかなくなるからもう買わなくなっていた。私も息子も食べないからと思ったけどやはり手ごろに食べれるものとしては用意しておいたほうがいいと思った。「ポリタンク」キャンプ用品を実家においてきてしまったのでこれは早めに用意しておこう。震災の時、給水所に2時間並んだ。家族4人でちいさなポリタンクと空の2リットルペットボトル3本を持って並んだ。後ろに何も容器を持たないおじいさんが一人。「容器がないけどくれるだろう」そう言った順番が来たけどホースで自分で入れるだけ。空の容器なんてあるはずもないし、分けてあげたいけど我が家もギリギリ。水もくめず帰っていった。その翌日、公民館で給水してると聞き行ったら場所が違うと言われ帰ろうとすると館長さんがお水を入れたリュック式のタンクをくれた。これは本当に助かりました。運ぶのが楽。だけど、我が家の水が出るようになってから夫の後輩の実家が断水してるとかでこのリュック式タンクをあげてしまった・・・うーん これは残念だった。非常用飲料水袋<背負い式>10リットル用×1枚(リュック型 給水袋)「単四電池を多めに」エネループの単三電池はたくさんあったけど単四はギリギリ。懐中電灯、ラジオ単四でした。結果、停電もなく被害もなかった。強い雨の吹き込みで押入れが少し湿っていた程度息子の友達からリアルタイムで送られてきた多摩川のマンション水害。友達の家は上層階だが停電。自転車置き場が水没、ロビーには胸まで水が来たと言っていた。被害に遭われた方の一刻も早い復旧をお祈りしています。ポチっと応援お願いしますにほんブログ村にほんブログ村
2019.10.17
自然災害、起きた時に戒めで備蓄品などを見直すのですが都度、必要なものかどうか見極めるのが難しい。物流の復旧の速さが必要以上の買い占めを産みSNSのデマが東北の地震の時と違うと感じます。仙台での震災後は電気の復旧が早かったです。3月13日の夜には街の中心部だったこともあり電気が通りました。線路を挟んだ反対側はその数日後でした。水道は約1週間後。ガスは一か月後。備えておきたいモノの中に充電池とヘッドライトがあります。電池はその後なかなかお店になかったようです。隣の奥様が「電池たくさん買ってきたからあげようか?」と声をかけてもらいましたが「うちは全部、エネループなの」その言葉にびっくりしてました。電気が比較的早く復旧したので充電もできるので並んで買う手間もありません。手動式の懐中電灯付ラジオを避難所の体育館で持ってきた人もいましたが蓄電しても暗闇の中トイレへ行くのに懐中電灯として使用するほうが優先でした。特に小さい子がいる家庭は暗闇を怖がっていたのでまぶしくない程度につけっぱなしにしてました。ラジオとして使用するのには手動式は大変です。懐中電灯とラジオは別をお勧めします。電気がつかない中非難するのに子供の手を引いたり、トイレで用を足すとき助かります。【 軽いのに本格派 】 ヘッドライト LED 防水 登山 釣り キャンプ 防災 災害対策 LEDヘッドライト ヘッドランプ LEDヘッドランプ LEDライト震災の日の夜、本当に真っ暗。街灯もネオンもない。想像をこえるほど街中真っ暗。今の我が家の今の電池在庫。単四電池はみんな使ってるので買ってこよう。ポチっと応援お願いしますにほんブログ村シンプル系 ブログランキングへにほんブログ村
2018.09.13
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