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林恩宇は事実上、大学3年生から投手を始めたのだが僅かな年月の間に五輪代表になり、新人王を争うところにまで成長した。
彼は小学校時代に少しだけ投手をしたことがあったが、中学・高校では野手。そして大学の国立体院でも内野手だった。当時の国立体院は投手力が劣っていて、三年生のとき[龍共]榮堂監督に「投手をやってみないか」と問われた林恩宇は、自分でも守備も打撃もそれほど目立ったところはないと自覚していたのでOKの返事。
投手転向後は結果が出ずに負けてばかりだったが、「負けたくない!」とばかりに大学4年に上がる前の夏休みに練習に練習を重ねたことで力をつけ、甲組聯賽で台北体院を完封して第1勝。代表チーム候補選手にも選ばれた。ここで代表チームの 酒井光次郎投手コーチ の指導を受けて多くのことを学んだ。「本当に進歩したのはその時からだね。」
林恩宇と 郭泰源監督 は類似点が多い。二人とも台南出身で背番号18。郭泰源はもともとはショートで、高校以降に投手になって大活躍した。林恩宇も大学3年生で投手になって好成績。
こういう説がある。「子供の頃から投手をやってる選手は若いうちにだいたいみんな故障持ちになって活躍できなくなる。一方、彼らは小さい頃に投げていないから肩肘がすり減っていない。だから長く活躍できる。」
しかし、郭泰源は言う。「投手が活躍できるかどうかは努力と運次第であって、小さい頃から投げ始めたかどうかじゃないんじゃないの?」
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