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吉原弁財天は、吉原神社(→→→こちら)の境外末社として明治時代に創建された神社です。こちらは、新吉原花園池(弁天池)跡という史跡になっているようで、新吉原というのは、かって江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたのですが、明暦3年(1657年)の大火後、幕府の命により湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊廓が移されたことから、「新吉原」と呼ぶそうです。また移転前の遊廓を「元吉原」と呼ぶそうで、吉原から日本橋へ進出した蔦屋重三郎は、吉原発祥の地へ戻ったということでしょうか。新吉原の建設後、その池の一部が残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、花園池・弁天池の名で呼ばれるようになり、弁天祠は遊廓楼主たちの信仰をあつめていたそうですが、大正12年の関東大震災では多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死するという悲劇が起こりました。築山に建つ大きな観音像がありますが、その時、溺死した人々の供養のため大正15年に造立されたものです。こちらが弁財天本宮社殿への参道となります。弁天池は、この神社の裏手にある吉原電話局(現在のNTT吉原ビル)の建設に伴う埋立工事のため昭和34年に亡くなりましたが、その名残を残すためでしょうか、滝と錦鯉の泳ぐ池が造営されています。弁天赤富士の滝という名称がついています。そして、こちらが吉原弁財天の社殿です。吉原の遊郭、花魁を連想するびやかな装飾ですね。吉原弁財天の扁額です。境内にあった板碑です。篆書体で書かれた漢文で、どういう意味かはよくわかりませんでしたが、これはおそらく新吉原建設の経緯を記したものかと思われます。こちらの石碑は、「花吉原名残碑」(→→→こちら)です。こちらの案内板によると、この花吉原名残碑は昭和33年「売春防止法」の成立によって廃止されたので、その名を残こすために、昭和35年地域有志によって建てられたものです。ちなみに吉原と呼ばれるようになったのは、植物の葭の生い茂る湿地を埋め立てて町を造成したことにより、はじめ葭原と称したのを、のちに縁起の良い文字にあらためたことによるのだそうです。そして、この碑文は共立女子大学教授で俳人、古川柳研究家の山路閑古によるとありました。こちらにあるように、吉原神社は「吉原神社(九郎助稲荷)」と「吉原弁財天」の2ヵ所あるということですから、当然、吉原神社(九郎助稲荷)にもお参りしましょう。(吉原を歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング大河ドラマ「べらぼう」の町(その2) 吉原弁財天
Dec 4, 2025
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早春の鎌倉歩きの途中ですが、まだ続くので、途中のいったん休憩で、牛丼でもいかがてすか。すき家の「ねぎ玉牛丼(並盛)」(650円税込み)を食べました。たっぷりの青ねぎがたっぷり載って、その上にピリ辛のコチュジャンだれが掛かっていています。さらにその上にたまごをのっけて食べると、なかなかスタミナがつきそうで美味しいです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ すき家のねぎ玉牛丼
Mar 29, 2025
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奥多摩むかし道に沿って、また神様がおられました。耳神様というそうです。確かに穴の開いた小石が置かれていました。奥多摩の山村の人々の暮らしがうかがえる貴重な遺産ですね。そしてこの耳神様の頭上には、新たに整備された青梅街道のトンネルと、さらにその上にはかっての東京都水道局小河内線(→→→こちら)の廃線跡の橋梁がありました。天高くそびえる橋脚と橋桁、ダムを造るための鉄道建設も、本体のダム並みに大変な難工事だったのではないかと思わせますね。(奥多摩むかし道を歩くコース)【つづく】人気ブログランキング奥多摩むかし道を歩く(その10) 耳神様と廃線の橋梁
May 15, 2023
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主演の横浜流星がMoMo太郎の若い頃に似ている(と思っている)ので、NHKの大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は毎週見ています。そんなわけで、横浜流星演じる蔦屋重三郎が経営していた日本橋の耕書堂の跡地には今年の6月ごろ訪れて、このブログでも報告していましたが(→→→こちら)、ドラマの舞台となった吉原での蔦屋重三郎の足跡にも訪れました。何もないのに吉原に行くのもあらぬ誤解を受けるので、今年の11月24日の二の酉の日に鷲神社に行くふりをして、吉原まで行ったので、ドラマも終盤になってからですが、訪れることができました。吉原に行くスタート地点は、やはり浅草ですね。こちらの浅草寺の総門の風雷神門、通称「雷門」から、人力車で吉原までと思ったんですが、ちょっと無理でしょうね。ということで、歩いていくことにして、その前に、こちらの台東区民会館の9階で開催されている「べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館」に立ち寄ってみました。ちなみに入場料は800円でしたので、中に入るのは遠慮させてもらいました。ちなみに、このドラマ館、来年の1月12日まで開催されているので、興味がある方は行ってみてください。そして、言問通りからこの商店街あさくさ千束通りを抜けて、せんわ通り出ました。酉の市をやっていましたので、露店も出て賑やかでした。仲之町通りを歩いて行くと、吉原弁財天と染められた幟が立ち並ぶ、吉原弁財天に到着です。(吉原を歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング大河ドラマ「べらぼう」の町(その1) べらぼう江戸たいとう大河ドラマ館
Dec 3, 2025
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駅間さるき、続けます。花畑駅、考えてみると美しい名前ですね。今はこの周辺にお花畑はありませんが、「花畑」の地名の由来は、旧久留米藩主の有馬氏が所有していた邸宅にあった花畑からだそうです。こちらは改札口へ上がる階段とエスカレーターです。駐輪場も整備されています。まだまだ高架橋が続きます。駅のそばを流れる川です。川の名前は「金丸川」、花畑だからといって「ハナマル」はもらえなかったのですね。端の名前は「中花畑橋」でした。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(花畑~試験場前) (その1) 名前の由来ちなみに、久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。
Nov 24, 2017
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。小郡市内を流れる筑後川の支流、宝満川です。この宝満川に築かれたこの稲吉堰は、今は改修されて近代的な堰となっていますが、元々は正保4年(1647)に久留米藩の普請奉行、丹波頼母により築かれたものです。この堰の完成により、宝満川沿岸一帯740町歩を開拓し水田とすることができました。そして、丹波頼母はその後、筑後川本流に大石・長野、袋野堰等の取水堰を築堤し、筑後川中流域の新田開発がすすめられたのです。この稲吉堰こそ、その後の筑後川中流域の開発の礎となったものです。丹羽頼母は尾張国丹羽郡の人で、久留米、有馬藩祖有馬豊氏に仕え、元和8年(1622年)36才の時に家禄400石の普請奉行となったそうです。95才で没するまで半世紀にわたって、藩内の治水、利水にその手腕を発揮したといわれています。堰の上で羽ばたく、白鷺。稲吉堰は今のこのあたりの水田を潤しています。ここがカンガイ用水の取水口です。稲吉堰から水で潤される水田。取水樋門の傍にあるニ柱の石碑。こちらは耕地整理を記念する石碑でしょう。石水道改築碑とあるので、水路に関する記念碑でしょうか。宝満川から堤防の下を通って水を取り入れます。こちらが下流側です。ホタルが棲むような清らかな流れなんでしょう。こちらにも石柱が二註あります。板井堰改修記念碑とありました。ちょっと謎ですね。筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その32) 稲吉堰
Oct 27, 2018
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久留米市の中心の中心というとこの「六ツ門町」になります。むかしは、このあたりには、2009年(平成21年)2月28日まで久留米井筒屋が営業し、ダイエー六ツ門店などもあったエリアです。「六ツ門」と呼ばれるは、江戸時代、この地に番所があり毎日朝夕の六ツ時(今の6時)に門を開閉したことに由来するのだそうです。 そして、ちょっと昔の名残で、飲食店なども残っています。この店の名前、ちょっとオジサンのスケベ心を誘うかも。やっぱり、こういうクラブなんかあるみたいですが、久留米にもこんなお店を利用できる方がいるってことですね。こちらは普通のごはん屋さんみたいですが、なぜか値段が隠されていました。人気ブログランキング六ツ門町
Mar 10, 2019
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都営地下鉄の終着駅に行ってみました。終着駅といっても新宿線の新宿はそのまま京王線につながっているし、本八幡は確かに終点ですが、JR総武線との接続駅になっているし、また京成八幡にもつながっているので、行き止まりの終着駅感がありません。同様に乗り入れのある浅草線の押上はそのまま京成線につながっているし、三田線の目黒も東急と乗り入れているので、終着駅という感じがしないので、今回は、西高島平(三田線)、光が丘(大江戸線)、そして西馬込(浅草線)の3駅に行ってみました。まず、三田線の終着駅、西高島平駅です。この先のレールは車止めがあり行き止まりです。確かに、地下鉄の終着駅ですね。さて、駅の改札口の様子です。構内は広いのですが、閑散とした雰囲気。構内にある売店だと思われますが、シャッターが閉まったままでもう営業していないのかも。高島平新聞という無料で配布される新聞が、置かれていました。駅の南側、高島通り側の様子です。駅前に住宅街や商店街があるわけでもないようです。近くの高島通りと国道17号線新大宮バイパスの交差点を渡る陸橋にあつた近隣の施設への道順を紹介する看板です。なんとなく公共施設はあるようです。こちらは、車止めのある高架の部分を外側から撮影したものです。高架橋が途切れた形になっています。三田線の高架の先を横切るように、国道17号線の新大宮バイパスが通っています。上の高架橋は首都高速5号池袋線です。三田線の高架橋を延ばすには首都高速と大宮バイパスの上下の隙間を抜けないといけないので、工事は難しそうですね。駅の北側です。左手は板橋トラックターミナルや東京都中央卸売市場板橋市場が広がるエリアとなっています。ただこれだけ自転車が置かれているということは、地下鉄に乗るために自転車で駅までやって来る人が相当いるようですね。西高島平、東京都心部の北のはずれという感じがしますね。また、三田線を延伸することも難しそうです。そんなことを思いながら、西高島平から三田線に乗って帰りました。三田線の車両の優先座席って、クロスシートになっているのですね。地下鉄にしては珍しいなと思いました。【つづく】人気ブログランキング都営地下鉄の終着駅(その1) 西高島平
Jul 2, 2021
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澤邉本陣跡から平坦な道が続く通りを300mほど進むと、この鳥居が見えてきました。鳥居の前にあった東海道道しるべによると、この神社は「八坂神社」(→→→こちら)だそうです。この説明文によれば通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。元亀3(1572)年に。牛頭天王社を勧請したのが始まりと言われています。毎年7月14日行われる「お礼まき」は、無病息災を祈願して市の無形文化財になっています。神社脇の東海道と鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。と説明されていました。また鳥居のすぐそばに国土地理院の水準点が設けられています。八坂神社の境内には、明治天皇東幸史跡の石碑が建立されていました。ここにも明治元年の天皇が東京に移られた時に内侍所(三種の神器の一つである神鏡(八咫鏡やたのかがみ)を安置した所)が建てられたことによるものだそうです。この石碑の脇にあった、八坂神社の由緒を説明した看板です。これによると、創建は元亀参年六月郷の庄司内田兵庫源政親によるものだそうです。ちなみに「庄司」とは、江戸時代において村落の長。庄屋。名主(なぬし)。肝煎(きもいり)を意味していたそうです。横浜市の無形民俗文化財の「お札まき」についての説明板もありました。こちらが八坂神社の境内になります。風に舞う幣束が写り込んでいますが、社殿の扁額です。八坂神社とあります。ちなみに京都の八坂神社では、素戔嗚尊 (すさのをのみこと)がご祭神になりますが、こちらで祀られていた牛頭天王は起源不詳の習合神で祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていたことから、明治初年社号を八坂社と改めたのでしょうか。そして、神社脇の東海道と鎌倉道の交差点にあった古びた石碑です。読みにくいですが、「これよ里かまくら道」と刻まれていますが、建てられている場所が東海道の北側で、本来の、東海道の南側のかまくら道の入口でないのは、道路工事かなにかの関係でここに移設されたんでしょうかね。(戸塚から大船へ歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 東海道線(戸塚~大船)(その4) 八坂神社と「これよ里かまくら道」
Jan 9, 2024
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名古屋に出張して、久屋大通駅で名古屋市営地下鉄の桜通線から名城線に乗り変えようとしたところで、この案内板に気がつきました。何分、名古屋は地理不案内でこういう案内板は役に立ちます。で、行きたかったのは名古屋城駅だったんですが、気になったのは「右回り」という説明。この名城線って環状線になっているんですね。そして、久屋大通から名古屋城へは右回り、ということは、進行方向の右手側が名城線の描く環状線の中心にあるっていうことですね。名古屋城駅で降りたら、路線図があったので、確認すると、確かに、久屋大通駅から名古屋城駅へは右回りになっていました。反対側のホームにあった路線図だと、名古屋城駅から久屋大通駅は、進行方向にむかって左手側に中心があるので、確かにこれは「左回り」でした。山手線だと右回りは外回り、左回りは内回りになるんですね。そして大阪環状線だと、右回りは外回り、左回りは内回りになるんですね。なんか慣れない土地に行くとややこしいですね。人気ブログランキング名古屋の地下鉄は右回りと左回り
Aug 18, 2024
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新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。校名に「淀橋」を冠した小学校をもう一ヵ所見つけました。京王プラザホテルと道路を挟んで向かい側に立つこちらの新宿ファーストウエスト(→→→こちら)という高層ビルのある場所に、このような石碑が建立されています。石碑には「東京都新宿区立淀橋第二小学校の跡 大正四年五月開校昭和六十一年三月閉校」の文字が7刻まれていました。そして、このビルの3階の一角には、展示スペースが設けられていて、淀橋第二小学校の看板や併設されていた淀橋第二幼稚園の看板が展示されいてるほか、小学校に飾られていた額やトロフィー、思い出の写真などが展示されています。この写真に写っていたビジュアルがいかにも昭和の小学生の女の子、今頃どうされているんでしょうかね。こちらは淀橋第二小学校の年表です。こちらは校歌です。旧淀橋第二小学校の卒業生の方なんかは、こういうのを見て、母校の校歌を口ずさんだりするんでしょうね。人気ブログランキング新宿彷徨(その71) 旧淀橋第二小学校
Jun 15, 2025
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鮨屋萬助・阿倍野歩道橋から見えるのは、通天閣東京タワーとか東京スカイツリーは、電波塔という位置づけもあるのですが、通天閣は単純に展望台という目的だけのアミューズメント施設なんだそうです。、そして、通天閣のネオン広告は昔からこの会社のものですね。大阪発祥の電気メーカーでないのも不思議ですが。そして、通天閣といえば、子供の頃はこんな唄をよく歌っていました。♪お父ちゃんダイヤモンド買うてんか ダイヤモンド高い 高いは通天閣 通天閣こわい・・・ということで高い建物の代表選手の通天閣でしたが、いまはこのビル、あべのハルカス(地上60階建て、高さ300m)です。別の角度からもあべのハルカス撮影してみました。やっぱり、高いですね。そして阿倍野橋にある建物ので、MoMo太郎にとってなつかしいのは、このあべのアポロ小学生の時かな、おばさんに連れられて、はじめて映画を見に行ったところです。以来、時々映画を見に行ったり、ゲームセンターで遊んだりしたところです。【つづく】人気ブログランキングへ
Jan 24, 2015
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今度は高い鉄塔がある施設が見えてきました。旧中川に水門がありました。この施設は木下川排水機場(→→→こちら)です。江東三角地帯とよばれるこの辺りは、小名木川・旧中川など内部河川が縦横に流れています。江東三角地帯のなかでも東側は特に地盤低くなっているので、内部河川を締め切り、潮の干満の影響を遮断して、平常時水位を人工的にA.P.-1.00mまで低下させ、地域の安全を確保しています。A.P.とは、隅田川河口の水位を測るため、明治6年に現在の中央区新川二丁目地先河岸に設置された霊岸島量水標零位(Arakawa Peil:蘭語で荒川の水準線の意)の略称だそうです。木下川排水機場は、この水位低下河川の水位を維持し、氾濫を防止するとともに、水質浄化のため取水した流入水を排水するためのポンプ施設であり24時間稼働しているそうです。墨田清掃工場といい、この木下川排水機場など、私たちが快適に安全に生活できるための施設がこのあたりにはあるんですね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その8) 木下川排水機場
Aug 21, 2025
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川越というと、市役所の前に立つこの銅像の人物が有名なそうです。戦国時代に活躍した武将、太田道灌(1432-1486)です。太田道真・道灌父子は康正2年(1456年)から長禄元年(1457年)にかけて武蔵国入間郡に河越城(埼玉県川越市)を築いたそうです。道灌といえば、江戸城を築いたことでも有名ですが、なんといっも、落語にもなった山吹伝説が有名です。「ある時道灌が、狩りをしている最中に村雨に遭い、雨具を借りようと1軒のあばら家に立ち寄った際に、15歳くらいの少女が出てきて、「お恥ずかしゅうございます」と言いつつ山吹の枝を盆に乗せて差し出し、頭を下げたそうです。道灌はなんか失礼な話だなと思ったそうですが、家来のひとりが「『七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき』という古歌がございます(後拾遺和歌集・兼明親王作)。これは『実の』と『蓑(みの)』をかけ、『お出しできる雨具はございません』という断りでございましょう」と進言した。これを聞いた道灌は勉強不足を感じ、それ以来和歌に励み、歌人として知られるようになった。」というお話です。ちなみに落語の「道灌」については→→→こちらですそんなわけで、山吹がさりげなく、川越城址の歩道に植えられていました。こちらは、本丸門の跡地だそうです。この本丸にあるのが、川越城本丸御殿です。ここも見学してみました。建物は、江戸時代の当時のままです。川越城本丸御殿については→→→こちら立派な庭園もあります。家老詰所に置いてある家老の人形です。意外とリアルでした。【つづく】人気ブログランキングへ「小江戸 川越」(その2) ~太田道灌と川越城本丸御殿~
Nov 28, 2016
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2023年1月9日、最初のJR東日本の駅からハイキング「福来たる!雑司が谷七福神巡り 過去と未来をつなぐまち散歩」に参加してきました。七福神めぐりで今年の福にあやかりたいということで、ここ池袋駅から出発です。池袋東口というと、やはり西武百貨店ですね。「西武」と名乗りながら、セブン&アイ・ホールディングス傘下で、百貨店を展開するそごう・西武の百貨店なんですね。その上、そごう・西武はアメリカの投資ファンド、フォートレス・インベストメント・グループに売却が決定されたそうですね(→→→こちら)。また池袋の雰囲気も変わっていくのでしょうか。まず、朝の腹ごしらえ。池袋駅前のマクドナルドで、朝マックのベーコンエッグマフィンコンビ(270円税込み)をいただきました。やっばり人出の多い池袋のマック、お客さんが多くて、商品が出てくるまで結構待たされました。こちらが最初に訪れた、日蓮宗松栄山仙行寺(→→→こちら)です。お寺の本堂はビルになっていますが、壁面に様々な木々が植えられているのが、寺院という雰囲気を伝えているんですかね。土壁が使われているのが、ちょっと渋いですね。仙行寺さんで有名なのはこの「池袋大仏」です。木曽檜の木彫で、空中に浮かんでいます。やはり、名のある佛師と呼ばれる方の作品なんでしょうね。そして、ここにあるのが雑司ヶ谷七福神のひとつ「華の福禄壽」です。ちなみに、雑司が谷七福神は、南池袋1丁目町会長の渡辺隆男氏が、雑司ヶ谷の町おこしのために平成22年(2010)に七福神を定めたそうです。七福神巡りって、なにかのキッカケで制定するようなものなんですね。ちなみに歴史のありそうな浅草名所七福神巡りも今の9社(浅草寺の大黒天、浅草神社の恵比寿神、待乳山聖天本龍院の毘沙門天、今戸神社の福禄寿、不動院の布袋尊、石浜神社の寿老神、鷲神社の寿老神、吉原神社の弁財天、矢先稲荷神社の福禄寿)に定まったのは昭和52年(1977)だそうです。(雑司が谷七福神巡りのコースです)【つづく】人気ブログランキング雑司が谷七福神巡り(その1) 仙行寺(華の福禄壽と池袋大仏)
Jan 27, 2023
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豚骨ラーメン以外にも、古くからの久留米の人間なら、必ず一度は食べたことがあるのが、この「まるあじ」。イメージとしては、メロンパンなのですが、いわゆる一般的なメロンパンとは違い、硬い感じで、そばぼうろの食感に近いです。また、もうひとつ、久留米ならでは「久留米ホットドッグ」。紙に包まれている中身をみると、ちょっびり辛子味のするコールスローサラダとハムがパンにはさまれています。これも一般的なホットドッグとは違います。どうしてこれがホットドッグなのかというと、「暑い時、犬が舌を出していることから連想して、赤いハムを犬の舌に見立てて作った、暑い犬、ホットドッグということだ」と近所のお姉さんから教えてもらいました。この久留米人のソウルフードともいえる、2種類のパンは元々はこのキムラヤ(→→→こちらです)というパン屋さんで製造販売されていました。しかし残念ながら、このキムラヤさん、東京都の木村屋總本店より正式屋号の称号をもらい、のれん分けしたパン屋さんでしたが、2017年1月31日を以て事業を終了したそうです。店のシャッターにはキムラヤさんの在りし日の歴史が描かれていました。それにしても、なぜMoMo太郎が今、このまるあじと久留米ホットドッグを食べることができるのか?それはキムラヤさんから事業を譲渡されたフランソア(→→→こちらです)さんが、キムラヤさんのレシピを再現して製造販売されているからです。また、関連商品としてこのようなものも販売されています。まるあじにクリームをはさんだ「まるあじさんど」そして、「久留米ホットドッグチーズ入り」です。ちなみに、地元のセブンイレブンでも、久留米ホットドッグが売られています。いずれも、なかなか美味なるパンですよ。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 久留米人のソウルフード「まるあじ」と「久留米ドッグフード」
Nov 1, 2017
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駅間さるき、再始動です。ちなみに、久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。この前までは「西鉄大牟田線」と表記していましたが、正しくは西鉄天神大牟田線」というそうなので、標題を改めました。西鉄久留米駅の改札口です。なんと、久留米信愛女学院(→→→こちらです)、来年度から男女共学になるのですか? ショックですこの女優さんも久留米信愛女学院出身なんです。その他にも松田聖子も在籍していました。おそらく、入学するには顔の試験があるのではないかと思われます。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(久留米~花畑) (その1) 信愛女学院
Nov 21, 2017
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阪急電車の西宮北口駅にある時計ところで秘かにこの駅で楽しみなのは、芦屋タカトラのシュークリームが買えるころです。http://www.ashiya-ginnan.co.jp/takatora/index.htmlこの店って、元は餃子作ってたんですね。まあ、味は・・・、どうですかね、餃子よりもシュークリーム的で普通に美味しいとは思いますが。
Mar 12, 2006
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あらかわ遊園から少し西に歩くと、このあたりには珍しい鬱蒼とした森があり、その中にあるのが、「船方神社」です。ちなみに、この神社があるのは荒川区ではなくて北区になります。神亀2年(725)の創建と伝えられています。東京都北区教育委員会の設置した説明板から、かなり歴史のある神社のようです。そして、なぜか鳥居の傍らに「天下太平」と刻まれた石碑が。こちらが拝殿。末社の水神社です。「水神宮」という石碑がご神体なのでしょうか。この裏にはすぐに「隅田川」が流れています・隅田川の下流方向です。むかし、この隅田川は荒川と呼ばれていて、ひれが東京の洪水を防ぐために、北区の岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設されたこにより、この放水路が現在の荒川となり、岩淵水門より下流は、千住大橋付近から下流部の俗称であった「隅田川」に改称されたそうです。隅田川の堤防からは、あらかわ遊園の観覧車も見えます。この「あらかわ遊園」が創設された大正の頃には、このあたりは「東京に最も近き避暑地で暑さ知らずの仙境の地かつ風景絶景」の地だったそうです。こちらは、東京水辺ラインという遊覧船の時刻表です。催行日が決まっていて、それほど頻繁には運行されていませんね。ここが、東京水辺ラインの乗船場です。ここから、再び尾久駅の方へ戻って行きました。【つづく】人気ブログランキングへ尾久の細道(その8) 船方神社
Aug 4, 2016
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山手線の各駅の中で、なかなか名前が出てこない方の駅、駒込(こまごめ)です。しかし、実際行ってみると面白いものがありますね。わさび漬けで有名な田丸屋本店さんの東京営業所があります。それから、ちょっと珍しい「ソープランド太閤」というものがありました。人気ブログランキングへ駒込(こまごめ)
Mar 26, 2016
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(この記事は平成29年7月5日から6日に九州北部地方で発生した九州北部豪雨災害の前に訪れた時のものです。被害に遭われたみなさまには心からお見舞いを申し上げます。)寄り道しながら続く駅間歩きが続きます。大宰府政庁跡から南に向かって歩きます。向こうの山の麓に大宰府政庁跡があります。大宰府政庁跡から南に向かうこの道は朱雀大路というそうです。平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)においては宮城・官衙の正面から南方に向かう道のことを朱雀大路と呼びますね。御笠川を渡ります。この川を渡る朱雀大路です。この橋の名前は朱雀大橋です。朱雀は南方を守護する神獣とされていますから、太宰府も都の平城京や平安京にならって都市を作っていたのでしょうね。丁度、田植えの始まる時期だったので、川がせき止められていました。その堰の下流にいた鳥です。これはやっぱり、マガモ? でも初夏の時期にも日本にいたのは初めて見ました。国道3号線です。これを東に向かいます。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 西鉄太宰府線(西鉄五条~西鉄二日市)(その8) 朱雀大路
Aug 3, 2017
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MoMo太郎が久留米のトランプタワーと呼ばれる高級アパートの広い部屋に住んでいるからといって、大川木工まつりへ家具を買いに行ったわけではありません。目的は、「木工まつりパレード」です。大川市のイメージキャラクターの「モッカくん」、歩くのは苦手なのか後ろから介添えのお姉さんに押してもらっていました。自衛隊の音楽隊。この人たちも普段は機関銃の射撃訓練をしているのでしょうか?大川市のエライさん達、写真左端の若い感じのお兄さんが、大川市長、倉重良一氏(40)です。昨年、故鳩山邦夫衆議院議員の跡目を継ぐために補欠選挙に立候補した前大川市長鳩山二郎氏の跡を継いで、市長に当選した方です。そして、筑後地方のイベントにはよく登場するタヒチアンダンスのみなさん。さらに九州各地のイベントにはよく参加される「日向ひっよとこおどり」の皆さん。なかなかコミカルで、こういうイベントには欠かせない、カレーライスの福神漬け的な皆さんです。この人たち、パレード開始前から入念にリハーサルされて気合十分でした。こちらが出発前の練習風景です。そして、地元からは、カールスカウトの美少女の皆さん。礼節を重んじる剣道の剣士の皆さん。しかし、このような人達がパレードのお目当てではありません。68回目を数える、歴史ある大川木工まつり、大物ゲストも登場しています。地元大川市出身のタンスを担げる演歌歌手、大川栄策さん。100枚目のNewシングル「夜霧の再会橋」(PVは→→→こちらですが10月25日に発売されるそうです。Musicステーションではあまりお見かけしませんが、かっての人気番組、黒柳徹子さんが司会していた「ザ・ベストテン」ではよく出演されていた記憶が・・・。そして「藤原紀香と結婚して離婚した(とMoMo太郎が思い込んでいた)」、俳優兼歌手の陣内孝則さんもフェラーリに乗って登場です。しかし、福岡にもMoMo太郎以外にフェラーリを持っている人がいたんですね。陣内孝則さん、大川市中原にある陣内木工所の「馬鹿息子」だったそうですね。でも中学は佐賀大学教育学部附属中学校に進学していたそうです。そして、最後は地方競馬通算700勝を達成した的場文男騎手(大井競馬場所属)です。さすが騎手らしく騎乗して登場です。この人の実家は、大川市下青木にある的場運送で、的場騎手が子供の頃は材木を馬で運んでいたということで、小さい頃から馬に親しんだ競馬の申し子ですね。パレード終了後は、大川中央公園の特設ステージでのトークショーです。これは挨拶する倉重大川市長。ちなみに市長の父上は福岡県農協中央会の会長さんで、ご本人も市長になる前は県農協の職員だったそうです。ということで農林水産省所管の競馬にも顔が効いて、的場騎手を呼べたのでしょうか?トークショーでの大川栄策さん御年69歳だそうです。トークショーでの陣内孝則さん紹介をしていた大川商工会議所理事長さんからは陣内智則と間違えて呼ばれたようです?的場文男騎手です。このトークショーでは、だいぶん的場騎手に儲けさせてもらった人からでしょうか、花束を贈呈されるとともに、市長から「大川市ふるさと大使」に任命されました。【つづく】人気ブログランキング第68回大川木工まつり(その2) お楽しみはパレードだ
Oct 10, 2017
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。有明海まで28kmの地点にある、筑後川にかかる国道3号線の久留米大橋。その南詰にあるこの石碑。「耕地整理記念碑」と刻まれていました。耕地整理というのは、「土地の農業上の利用を増進するため、統合・分合・区画変更・開墾・干拓・灌漑などの方法で耕地を整理すること。」をいうそうですが、このあたり市街地なんですよね。まあ昔は、このあたり一帯も農地だったのとは思いますが。記念碑の背後には、耕地整理事業を起こった理由が記されているようです。もう文字も掠れて読みづくなっていましたが、なんとか写真を拡大したりして読んでみますと、要は、「蛇行していた筑後川に小森野放水路を作って河川を流れやすくしたため、耕地が減少し、かんがい水源が枯れたり、河川が氾濫したりと困っていたので、電動機を設置、河水を導き、灌漑便利にし余水を旧田分給した。これによって穀物も豊作になり農民は安心して農業ができるようになった、」というようなことが書かれていました。【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その10) 耕地整理記念碑
May 27, 2018
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。阿蘇山の北に位置し、熊本県阿蘇郡南小国町にある黒川温泉にやってきました。正直に言うと、黒川温泉街、道も狭くとても車で回れるようなところではなく、どこかの駐車場(これも狭くて駐車できないことがあるかもしれません)に置いて、歩くか、或いは高速バスで来くることをお勧めします。ここが中心でお土産物などを売っている「風の舎」というところ。一応駐車場がありますが、すぐ満車になります。この隣にある旅館組合の建物です。ここで「入湯手形」を購入すると、ほとんどの旅館にある露天風呂、3カ所まで選んで入浴することができます。つまり、温泉旅館に泊まらなくても日帰り温泉気分で楽しめるということです。温泉街を歩いてみました。こんな狭い道を車ではちょっと無理ですよね。でも元々は鄙びた温泉地だったことが想像できます。田の原川の渓谷の両側にこぢんまりとした和風旅館が建ち並ぶ温泉街です。また温泉街によくあるパチンコ店とかストリップ小屋とかが見あたりません。それはそれで雰囲気がいい温泉街の佇まいを演出していますね。温泉街を流れる田の原川。この川の水もまた筑後川につながっています。川の上に架かった橋です。この橋で対岸の旅館に行くことかできます。なんか渋いデザインの木橋ですね。こちらは黒川温泉の中心地にある「地蔵堂」。ここには、黒川温泉の発祥となる逸話の「身代わり地蔵」に登場する首なし地蔵(首と胴体が分離している地蔵)が祀られています。「身代わり地蔵」とは、瓜を盗んだことで首を刎ねられそうになった男の身代わりになった地蔵さんの首が刎ねられてしった。男はまこの地蔵を景色のよい場所に運ぼうとして、そしてこの地に着いて、ここに奉祀することにした。すると、その岩の裂け目から湯が噴き出てこの黒川温泉になったそうです。(詳しくは、→→→こちらです)【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その29) 黒川温泉
Sep 28, 2018
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高良大社神幸祭を味水御井(うましみずみい)神社までで切り上げて、西鉄バスで西鉄久留米駅まで行って、西鉄天神大牟田線に乗って、この筑紫駅で降りました。そして、筑紫車両基地で開催されている「第25回にしてつ電車まつり」に向かいます。駅から車両基地までは、無料のシャトルバスが運行されています。しかも、このバス、青バスと呼ばれていた、むかしの西鉄バスの復刻版が使用されています。これは9月22日に開催された、「バス・鉄道フェスタ くるめ2018」の時にも使用され、MoMo太郎も乗車しました(→→→こちらを参考に)。車体にさりげなく付けられた「LOIN」のマーク。今はソフトバンクホークスが九州のプロ野球チームですが、かっては九州のプロ野球チームと言えば、神様、仏様、稲尾様、三原マジックの「西鉄ライオンズ」でしたからね。筑紫車両基地、正式名称は「鉄道事業本部 運転車両部 車両整備課 筑紫工場」と呼ぶのでしょうね。無料で色々楽しめるということで、MoMo太郎のような「にわか鉄ちゃん」も来ています、リアル鉄ちゃん、リアル鉄子さん、そして鉄道好きちびっ子とその家族などが多く来場されていました。「まつり」ということで、社員の人も西鉄と染め抜いた法被姿です。西鉄だけのイベントかと思ったら、京浜急行のプラレールが売っていたり、関西の私鉄、「南海電鉄」もまつりに参加してグッズ販売していました。久留米市のマスコットキャラクター「くるっば」も来ていて、久留米の特産品販売の売り上げアップに貢献していました。こちらは、柳川市のマスコット「こっぽりー」、普段は、人知れず掘割をきれいにする活動を行っている、恥ずかしがりやの照れ屋さん。こぽらーっと(柳川の方言で「ゆっくり」「のんびり」の意味)していて、たまに居眠りをしてしまうマイペースな「水の妖精」です。首から下げているヒョウタンは、子どもを水難から守るといわれる沖端水天宮のヒョウタンです。丁度、お昼時ということで、みなさん食べ物を求めて行列していました。こちらは、熊本名物の「いきなり団子」(→→→こちらです)MoMo太郎も一個買い求めて食べたみました。ちょっと素朴な甘いお味がしました。ひとまず、空腹をなだめて、電車まつり見物です。【つづく】人気ブログランキングにしてつ電車まつり(その1)
Oct 21, 2018
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佐賀県神埼市を紹介すのには、やはり吉野ヶ里遺跡(→→→こちら)を忘れてはいけないでしょう。こちらは、吉野ヶ里歴史公園東口ゲートに飾られていたマスコットです。吉野ヶ里歴史公園とは、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に見つかった国の特別史跡「吉野ヶ里遺跡」とその周辺部の117ヘクタールが公園として整備されたものです。いったん、遺跡の発掘調査を終えた後、遺跡の状態を損なわないように盛土によって保存し、その上に建物の復元や植樹を行って公園にしたものだそうです。公園には、この橋を渡って入っていきます(入園料は大人460円です)。吉野ヶ里、ここが弥生時代の「クニ」として栄えたころは、このように柵や堀、そして逆茂木(敵の侵入を防ぐため、先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べたバリケード)で「クニ」を守っていたのですね。ということは、弥生時代って結構、戦争で危険な時代だったということですかね。そして、復元された建物があるエリアに入りました。高い物見櫓が復元されています。やっぱり、この櫓を見ると登りたくなりますよね。登れるように階段のついた櫓もありました。登ってみると、広がる佐賀平野を一望できます。広々として平野が広がっています。気持ちが良かったですよ。【つづく】人気ブログランキング佐賀県神埼市(その5) 吉野ヶ里歴史公園
Feb 9, 2019
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柳川の水落しした時の堀の様子です。堀の中には泥が滞留していますね。この泥が「ガタ」と呼ばれて、養分を多分に含む肥料となるそうです。こちらは「柳川市総鎮守」と呼ばれる日吉神社です。毎年12月下旬から『柳川雛祭り さげもんめぐり』の最終日である4月3日まで、飾られている巨大なお多福面です。「お多福さんのような笑顔があふれる1年になってほしい」という願いが込められているそうです。皇太子殿下の御成婚を祝って、奉納されたそうです。でも、なぜ「見ざる聞かざる言わざる」なんでしょうかね。こちらは柳川のひな祭りには、欠かせない「さげもん」ですね。立派な拝殿です。日吉神社の脇を堀が流れています。普段は、川下りの船がここを通るのですが、水落し期間中は、船はやってこれませんね。こちらの茶色い建物。かの有名な松岡修造氏も卒業した「柳川高校」(→→→こちら)です。【つづく】人気ブログランキング柳川でも堀干ししていました(その2)
Mar 2, 2019
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JR神戸駅にあるお店の朝食セット(450円税込み)です。シンプルな「かけうどん」と「おにぎり」。どこまでも炭水化物にこだわった朝ごはん。朝から関西風の出汁の効いたかけうどんというのも良かったですね。【つづく】人気ブログランキングへ新幹線の旅(その5) 神戸駅で朝食を
Mar 24, 2019
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東京メトロ東西線の葛西駅です。この駅にあるのは、「地下鉄博物館」(→→→こちら)。目的地はここです。地下鉄博物館があるのは、東西線の高架下。地下鉄博物館だから地下にあるわけではありません。こちらが地下鉄博物館の入り口です。入館料は大人210円です。ちなみにこの入場券、切符と違って出る時に改修されませんので、記念品として持って帰ることができます。こちらが博物館の入館口。子供連れの方が多いです。というかほとんどですね。地下鉄の自動改札を模した入り口ですが、入館券は磁気ではないので、後ろの係員の人が改札で昔のように鋏を入れて印をつけるようになっています。【つづく】人気ブログランキング地下鉄博物館(その1)入場は改札口から
Jul 21, 2019
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MoMo太郎が子供の頃、ボウリングがすごいブームでした。亡くなった祖父は、ミニスカート姿でボウリングしている中山律子さんの出ているボウリング番組を毎週楽しみに観ていました。 もうそんなテレビ番組がないと思っておられる方も多いと思いますが、BS日テレでは、ボウリング革命P★League(→→→こちら)という番組を放映しています。 これがなかなか濃い感じの人が出ていて、MoMo太郎も時々観ています。 やっぱり、血は争えないのかも。 ということで、ボウリング場へ。 東向島の明治通沿いにあるこのボウリングピン。 そこから明治通沿いを北に向かって、この目印が見えたら左側の道に入って行くと、 アイビーボウル向島がありました。 人気ブログランキング ボウリング革命P★League
Feb 12, 2020
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「Stay in Tokyo(ステイイン東京)」という百合子さんのお願いで、東京都下から出ないように、江戸川区葛西にある妙見島を目指してお散歩中です。 堤防沿いのこの遊歩道を歩いて行くことにしました。 川沿いに船が係留できますね。 川沿いには屋形船や釣り船を営業している船宿があります。 これが妙見島です。妙見島は旧江戸川にある三角州で、このように島の周囲はすべてコンクリート護岸で囲まれています。 カワウが佇んでいました。 旧江戸川に架かる東京メトロ東西線の鉄橋です。 堤内地(堤防により洪水から守られている土地)側は平仮名で、 堤外地(堤防の川側の部分)側は漢字で表記されています。「旧江戸川」というのは、この川がかつての江戸川本流であったからです。 1919年に江戸川放水路が開削され放水路側が本流とされた。さらに、1938年7月に東京東部で起こった浸水戸数6万戸に及ぶ被害の対策として、1943年、放水路との分派点に江戸川水門を建設した。その結果、1965年以降は「旧江戸川」なったそうです。 上流側を見ています。対岸は千葉県浦安市。 下流側です。浦安といえば、ネズミマークの遊園地がありますね。行列して乗り物に乗るのが嫌なので、まだ、ネズミマークの遊園地は行ったことがありません。 ところで、写真だとわかりにくいのですが、遥かかなたの海の方に。 こんな山がありました。 浦安にこんな山があったとは知りませんでした。 テレビ東京のドラマ「浦安鉄筋家族(→→→こちら)」にそのうち出てくるかな? 【つづく】 人気ブログランキング 妙見島へ(その2) 旧江戸川
May 6, 2020
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御茶ノ水駅近くにある聖橋から、秋葉原の方を見てみると、神田川の上に架かる東京メトロ丸ノ内線の橋梁が見えます。地下を走ってきた地下鉄は神田川の下を潜らずに、ここで地上に顔を出して、神田川の上を渡り、次の御茶ノ水駅に向けて、また地下を進んでいきます。丸ノ内線、地下鉄といいながら、こうやって所々で地上に現れているのは、台地と谷が多い東京を走っているからでしょうか。ということで、駅間歩きを再開します。人気ブログランキング神田川を渡る丸ノ内線
Jul 16, 2020
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東武亀戸線を走る車両です。この路線では東武8000系(→→→こちら)の車両が走っています。デビューが昭和38年(1963)で昭和58年(1983)まで製造されていたそうです。昭和生まれまだまだ頑張っていますね。こちらの塗装は、東武の白とラインは青の標準的な塗装です。こちらの塗装は、ちょっと見たことがないです。古い塗装なんでしょうかね。こちらの塗装の車両も走っていました。黄色に赤い帯の塗装。新幹線のドクターイエローと同じでこの色の車両を見かけると幸運があるのでしょうかね。小村井駅からは線路沿いの道を歩いて行くことができます。隣の東あずま駅が見えてきました。ちなみに東あづま駅と小村井駅の間は600メートルしか離れていません。東あずま駅(→→→こちら)です。昭和3年(1928)に平井街道駅として開業したそうです。そして昭和20年(1945)5月20日に廃止となり、昭和31年(1956)5月20日に東あづま駅として再開業したそうです。駅が廃止になったのはおそらく戦災によるものなのでしょうか。ちなみに、亀戸線そのものが開業したのは明治37年(1904)4月5日です。その開業より遅れて昭和3年(1928)に平井街道駅が開業したのは、その年に亀戸線の電化が完成したことによるものだそうです。(参考→→→本線になれなかった残念な路線「東武亀戸線」10の秘話)その時は総武鉄道両国橋(現・JR総武本線両国)まで乗り入れていたそうです。また、その時点では東武伊勢崎線も今のとうきょうスカイツリー駅が始発駅で、今の浅草までは来ていなかったそうです。ということで、東武沿線の埼玉県人は東武鉄道で、都心により近い両国まで来ることができたわけです。また、その時は貨物輸送もやっていたそうで、東武亀戸線を通じて埼玉・栃木の産物が両国まで運ばれていたわけです。残念ながら、明治43年(1910)3月27日 総武本線への直通運転が廃止されています。東あづま駅にある構内踏切です。これもなんかローカル線っぽいですね。東あづま駅の東側にある商店街です。近くに団地があるので利用する人も多いのでしょうね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き東武亀戸線(小村井~東あずま) 駅間距離は600mです
Jun 10, 2021
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こちらの建物は佐賀市役所です。この佐賀市には何故か恵比寿様が多いそうです。その数は佐賀市内だけで830体以上あるそうです。佐賀駅前にもその恵比寿様を三体を見つけました。これは「よかよか恵比寿様」です。駅前の宝くじ売り場のそばにありました。佐賀駅バスセンターにあった「葉がくれ恵比寿」です。これは市役所の近くにあった「だっこ恵比寿」だそうです。もともと佐賀で恵比須信仰が始まったのは、鍋島藩初代藩主の鍋島勝茂公が兵庫県西宮市にある“えびす宮総本社・西宮神社"に崇敬が深かったことに由来するといわれています。【つづく】人気ブログランキング思い出の佐賀へ(その3) 佐賀市には恵比寿様が多い
Nov 11, 2025
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唐津市呼子町の加部島から唐津市の七ツ釜(→→→こちら)を観光しました。七ツ釜(ななつがま)は、玄武岩がその波の荒々しさで知られる玄界灘(げんかいなだ)の荒波にさらされ浸食されてできた景勝地で、国の天然記念物に指定されています。火山から噴き出た溶岩がここでゆっくり冷えて固まり玄武岩となり、そこに規則正しく割れ目が入った柱状節理となっています。そして、最後に訪れたのは鏡山(→→→こちら)です。鏡山の名前は、神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈願し山頂に鏡を祀ったことに由来するそうです。鏡山は標高284mの山で、眼下に市街地はもちろん、国の特別名勝・虹の松原や唐津湾、そのかなたに壱岐の島影をも望む、絶景を誇る名所です。こちらが虹の松原(→→→こちら)です。虹の松原は、幅約500 m、長さ約4.5 km にわたって弧状に約100万本のクロマツの林が続く特別景勝です。パノラマ写真に加工して載せたかったのですが、パソコンをWindows 11に更新したので、その加工できるレタッチソフトが使えなくなりました。この虹の松原は、17世紀初頭、唐津藩の藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、もともとの自然林から防風林、防砂林として植樹を行ったことでできたそうです。そして、これが唐津城です。また鏡山は佐用姫伝説(→→→こちら)の舞台でもあるそうです。佐用姫が、朝鮮半島へ船出する大伴狭手彦をいとおしみ、鏡山の頂上から領布を振り名残りを惜しんだということで、その佐用姫の石像も建てられてました。今から思えば、唐津で勤務していたことは、まだ若く駆け出しだったため、経験を積み、自分の腕を磨くために仕事ばかりしていて、こんな自然や歴史に恵まれた素晴らしい所に住んでいながら、しっかりとこの地域の魅力を味わえなかったことに悔いが残ります。そして、もうひとつ佐用姫のような素敵な女性にも縁がなかったことも心残りです。わが青春は悔いだらけです。【了】人気ブログランキング思い出の佐賀へ(その8) 七つ釜と鏡山
Nov 16, 2025
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ドレメ通りを更に目黒駅の方へ向かって歩いて行くと、教会がありました。聖アンセルモ カトリック目黒教会(→→→こちら)です。この教会の建物、東京都選定歴史的建造物(→→→こちら)に選ばれています。東京都選定歴史的建造物とは、歴史的な価値を有する建造物のうち、景観上重要なものを、東京都景観条例に基づき知事が選定するもので、令和7年(2025)年10月3日現在 111件が選定されているんだとか。その中には、浅草にある「常盤堂雷おこし本舗 雷門本店」や台東区浅草橋の「鶴の湯」という銭湯なども選ばれているそうです。そして、目黒駅が見えてきました。目黒駅は、東京都品川区上大崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東急電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅です。1895年に開業し、今年で141周年となりました。(高輪ゲートウェイから渋谷コース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年 高輪ゲートウェイ→渋谷(その11) 品川区の目黒駅
Nov 29, 2025
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最近は、よく利用しているかな、牛めしの松屋。そこでついつい食べてしまうのが、牛めしランチ(580円税込み)です。みそ汁と野菜サラダがついているので、発酵食品と野菜を摂っているということで、なんとなく罪悪感が薄まるお昼ごはんです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 牛めしの松屋でランチ
Dec 2, 2025
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