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2015.02.28
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カテゴリ: 家族の話。

久しぶりの更新になってしまいました。

今の気持ちをこちらのブログに残しておきたくて、書いています。

先週の日曜日、父が亡くなりました。

本当に突然の出来事で、家族みんながいまだに信じられない気持ちでいっぱいです。

前日まで、孫や子供たちと普通に会話をし、普通に過ごしていたのに。

日曜日、その日は朝から機嫌が悪かったそうで、母は、タバコが切れたのかなあと思っていたみたいです。

いつものようにお酒を飲み昼寝もして

「昼飯は何を食うんだ?」と話しをして。

夕方、母が気づくとお風呂に入っていたらしく、湯船につかっていていつもと変わりありませんでした。

お風呂から上がったら、パジャマに着替えるように、下着と着替えを脱衣所に置いて。

数分後、様子を見に行くと、すでに顔がお風呂に浸かっていて急いで母が一人で引きあげたそうです。

でも、女性の力では手も滑って、重くて10分近くかかったと。

その間、母は、何度も父の顔をたたき、「おとうさん」と叫び。

反応はなかったそうです。

救急隊が到着するまで蘇生をしましたが、到着しても、心肺停止の状態でした。

市民病院に搬送され、点滴で血圧を上げ、口には気管内挿管。

頭のCTも撮り、原因を調べました。

私が一報を聞いたのは、弟からのメールでした。

「父、心肺停止。〇〇市民病院」

とだけ記されたメールに、頭が真っ白になり、急いで向かいました。

動揺し過ぎて、車の中でも手が震えてしまって、「なんで、なんで・・・」と独り言をずっと言いながら

溢れそうな涙をこらえて、「絶対大丈夫。絶対お父さんなら大丈夫」と言い聞かせて車を走らせました。

到着した時の光景。

まったく意識がない父と、憔悴しきった母の姿。

医師からの説明では、

搬送された時には心肺停止状態だったこと。

強い血圧をあげる薬を投与して、それでも血圧が70くらいであること。

とても強い薬を使っても、この値であるというのは、「ショック」という状態です。

瞳孔反射は無く、意識もない。脳死状態です。

頭のCTの結果は、小さい脳梗塞があり、肝臓もけしていいとは言えない。

心臓も強いほうではない。

ただ、それが直接の原因とは考えにくく、唯一肺が真っ白だということ。

誤嚥性肺炎だと思われます。

今日肺炎になったとか、お風呂でおぼれてなったとかそういうレベルではなく、

数日前から少しずつ悪くなっていてたまたま、今日何かの拍子にお風呂で倒れたという状況だと思います。

お風呂のお湯も少し飲んでいました。

吸引したら、痰の量がすごくて、一緒に水もひけました。

今は、薬や酸素でなんとか心臓は保っていますが、あと残り1時間も持たないと思います。

今後、このまま薬を使い続けるのか、薬を減らすのか、急変した時になにか治療をするのか

そのまま自然に任せるのか・・・。

誤嚥性肺炎の治療は、できなくもない。

もしかしたらよくなるかもしれない。

ただ、頭の方はもう全く機能していません。

肺炎が治っても、意識はもう戻りません。

どうしたいか、御家族で話し合ってください。

そんな説明でした。

あんなに元気だった父が、もう目を開かない。

もう、話すこともできない。

なんでこんなことになってしまったんだろう。

なんで、どうして。

そんな言葉しか出てきませんでした。

兄が到着して、しばらく家族で話し合った結果、このまま管を付けておくのも父はきついだろうし、

もうどんなに願っても、父の意識は戻ることはない。

意識がない中で、延命をするのも父のためにはよくないのではないか。

こうして、半年以上ぶりに会った兄が到着するまで、がんばってくれた。

もう、楽になってもいいんじゃないか・・・。

家族みんな、同じ想いでした。

口の管ははずされ、強い点滴も弱くし、静かに父との時間を過ごしました。

それまで100程あった心拍は、次第に50、30と弱まっていき、

発見からわずか3時間半ほどの21時45分、父はこの世を去っていきました。

家族みんなに見守られ、とても穏やかな表情で、眠るように。

みんなで腕や足をさすり、

「お父さん、起きて」

「寝てないで、目を開けて」

そんな言葉、父は聞こえていたのでしょうか。

母は、「早すぎるよ、本当にどうしようもない人だね」と、つぶやきました。

ぎりぎりまで家族葬がいいという母に、

弟が「せっかくだから最後くらい、みんなでお別れしてあげようよ」といい、

慌ただしくお通夜・葬儀を済ませました。

親族はもちろん、近所の方も沢山参列してくださり、涙を流してくれ

父は本当に幸せだったと思います。

74歳でした。

お酒とたばこが好きで、冬になると、寒いからとお風呂に4~5回入るような人です。

当日も、お酒を飲み、温かいお風呂でいい気持ちで浸かっていたのかな。

木・金と、ボウが実家で過ごし、「お前と遊んでると、じいちゃん疲れるわ。」と笑顔だった父。

ボールの投げ合っこをしたり、ご飯を食べさせたり、膝にボウを乗せてテレビを見たり。

ボウも、じいちゃんが大好きでした。

もっともっと、ボウの成長をそばで見守ってほしかったよ。

もっともっと、ボウと遊んでほしかったよ。

ボウが、歩けるようになったら、一緒に散歩して欲しかったのに。

まだ親孝行も納得いくまでできていないよ。

お父さん。

なんでこんなに急に、こんなにはやく逝ってしまったの?

苦しかったの?

体がしんどかった?

気付いてあげられなくてごめんね。

誰よりも、母が自分の事を責めています。

「もっと早く声をかけていれば」

「もっとはやくお風呂から出していれば」

「もっとはやく・・・」

誰のせいでもありません。

ただ、今はみんなが父の死を受け入れられずにいます。

本当に眠っているかのようなきれいな顔で、きっと苦しまずにいけたのだと思います。

遺影の父は、いつもと変わらない笑顔で、今でも

「おお、みんな来たのか~」といっているかのようです。

写真は去年6月に父の日に弟宅で家族が集まった日のもの。

ボウを抱っこして嬉しそうに笑っている写真です。

今は、何をしていても涙があふれてくるし夜も思い出しては悲しくなるし

ふと、1人になると声をあげて泣いてしまいます。

受け入れるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

少しだけなら、いいよねお父さん。

家族みんなで少しずつ現実を受け入れて、元気になるから。

またみんなしょっちゅう実家に行くから、そしたら

「また来たのか~」って笑ってよね。






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Last updated  2015.02.28 15:11:28
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